言えば言うほど

家の広告が、薬の広告みたいな今日この頃。

健康、免疫etc.・・・(・ω・)

・・・・・・( ̄▽ ̄;)・・・・・

そういえば、ずいぶん前の新聞の記事に

製薬会社の医療用医薬品の疾患啓発CMに

「販促目的」という批判の声があがっていることが載っていました。
薬屋さんに売っていない薬品で、お医者さんにいけば処方してもらえるのが分かるCM。
「お医者さんに相談だ!♪」とかありました。




広告を作る身としては、正直、ドキッとしました。

個々の病気の症状を説明し

「心当たり」と「相談」のフレーズをあげる・・・( ̄▽ ̄;)
ドラックストアなんかには、ひっきりなしにその形式の放送がかかってますが・・・(^-^;


医療用薬品とは違うといっても

広告を作る側からすれば(特に、自然素材の良さを伝えようとすれば)

他社や、他の類似商品と「どこがどうちがうのか」というのは

魅力を伝える手段でもあります。

「どこがちがうのか」

それは、見る側の人にとっても、気になることでしょう。

「どこがどうちがうのか」良く分からない製品が多数あふれる中で

何百円かで買えるものならともかく

家などは、その最たるものと言えるかもしれません(ーー;)

広告で違いを表現するのは難しい

薬や化粧品もそうですが

【効能】は期待できるものであって

【絶対】ではありません。

だから、自然素材で建てたからと言って

期待できる【効果】はあっても

風邪ひとつひかなくなるわけじゃない。

「売る」ために【絶対的な】言い方をすればするほど

責任だってとれないはずです。

高く昇れば上るほど、降りれなくなっちゃう。

「ダイエット効果がなければ返品OK!」なんて書いてても

いざ返品しようとすれば

「ほかの方にはご満足頂いてるのに

【効果】がないと感じるのは、使用方法や個人的な見解に問題がある」なんて言われたら

「・・・じゃ、自分が悪いの?」って泣き寝入りせねばならない。

【効果】は期待できる。でも【絶対】ではない。

期待させ過ぎない。期待しすぎない。

長短は表裏一体。

そこを根っこにしっかり持っていなければいけないような気がします。

広告を作るにしても、反対に消費者の立場としてのワタシにしても。

長所を言えば言うほど、かける期待は大きくなる。

かけた期待が大きいほど、反動も大きい(長短は一体なのだとしたら)

でも、例え控えめに言っていても、その効果が【本物】なら心配いらない。

過剰な期待がなかった分、その嬉しさは何倍にもなる。

言えば言うほど。

聞けば聞くほど。



だから、広告の言葉を糸口に気になったことも

【絶対】ではないかもしれないけど

実際それを自分はどう感じるのか?

「Go!」か、「いや、まだ待て」なのか。

自分の第六感でも確かめてみる。



答えがどちらでも、家も出会う人と同じく【縁】だと思うのです(・ω・)

オメデタ

オメデタ?

お!芽出た!・・・です ( ̄▽ ̄)・・・シャレでスミマセン・・・↓

トネリコの芽

植物の好きな方は、芽を見ただけで何の樹か分かるのかもしれませんね(・ω・)

これは、トネリコです。



子供の夏休み前に、ガーデニング好きのお隣さんから

「うちのトネリコ、電柱にかかるんで

切ろうかと思いよるけ、よかったらいらん?」

と、声をかけたれたのでした。

見ると株立ちの立派な樹!Σ(♥ω♥ノ)ノ!なんと嬉しい!アリガト~♪
結局、株立ちを一本ずつ、あちこちに植えたんですが・・・

華奢なお隣さんが、ガッツで掘り起こしてくれたのを

慌てて植えた、その木の芽です (・ω・)



ところが、あまり根っこに土がついていなかった分が

その後数日続いた、猛烈な暑さに耐えきれず

一気に落葉してしまったのです Σ(TωTノ)ノ!・・・Oh! 常緑樹なのに?夏なのに?

ムンクの「叫び」のような形になったトネリコ

う~ん・・・(ーー;)

植え替えたショックで、一時体力を取り戻すために落葉したのか?

はたまた、もうダメなのか?

待てど暮らせど、「来ぬ人」ならぬ「木の芽」。



もくせい工舎のお庭を手掛ける【実意園】のはっちゃんさんから

「・・・木は枯れたみたいに見えても

こうやって、幹の表面に少し傷をつけたときに

緑色が見えたら、まだ生きてるってこと。

茶色だったらダメだけど。」

そう教えてもらったことがありました。

・・・で、何回も試しにちょっとキズをつけてみる・・・。

傷をつけた幹

「・・・緑色。・・・でも芽、でないねェ・・・(。´・ω・)?」

「来年まで待って、それでもダメなら・・・仕方ないよねェ・・・」と

ウチのお父ちゃんとも話していたところでした。



しかし、もう半ばあきらめていたことが叶うって

なんて、素晴らしい!\(^o^)/

例えそれが、なんてことない小さなことでも!

心を一気に、青空にしてしまう!素晴らしい!(*´▽`*)♪

小さな木の芽にも、こんな力がありました!(*^_^*)

・・・しかし、このカタチ・・・。

何かに似てる・・・。


バルタン星人?

・・・チョキが、似てます。なんとなく・・・。

バルタン、進化する

無事に、大きくおなり。待ってるよ♪

芽出て、お目出度い。

そんな、夏(休み)の終わりとなりました。

土に還る Vol.2 腐らない家・くさる家

つづきです~ (・ω・)ノ

先日(といっても、かなり前のような・・・)本屋で

インテリアコーナーの雑誌の表紙にあった言葉にドキッとしました。
(自然関係の雑誌だったような・・・(。´・ω・)?雑誌名もちゃんと見ていなくてスミマセン( ̄▽ ̄;))

「くさる家に住む」
(・・・だったような・・・(。´・ω・)?・・・ちゃんと覚えてなくてスミマセン ( ̄▽ ̄;) ←度々・・・)



「くさる」・・・え?・・・家腐っちゃ、困るよ・・・(^▽^;)?

正直、見た途端には、そう思いました。



でも、「腐らない家」が本当にいいのか?

そんなことを、よくよく考えたこともなかった・・・( ̄▽ ̄;)

チラッと目にした、その『くさる家』のフレーズ。

妙に心に残って

家とくさる(腐るでもあるけど)ことについて考えてしまいました(^▽^;)…いつもじゃない。時~々デスが…



若いころ、週一くらいでいつも通っていた道に、古い昔ながらの家がありました。

おじいさんが一人で住んでいたように見えました。

何回も通るうち、一年過ぎたあたりから

おじいさんの姿は見えなくなりました。

その後も通るたび、お家はどんどん朽ちてきて

屋根が落ち、庭は草だらけになり

今も時々その前を通りますが

草の陰に隠れてしまって

知らなければそこに家があったのか、分からなくなっています。


正直、家を建てる側、建てる時点からすれば

建てたばかりのベストな状態で

一生持ってほしいと思います。

ローンだけでも重いのに、リフォームのことまで考えたくない。

【永遠】に、新しいままのようなそんな素材で建てれたら

どんなに楽かと思います。



でも、【一生】持つ家と、【永遠】に持つ家。

考えてみれば、【永遠】に持つ家に住めたところで、

実際住む私たち人間は、【永遠】ではありません。

その【一生分】くらいもつ家ならともかく

【永遠】に残る家って、どうなんでしょうか・・・?(。´・ω・)?



【永遠】に残るなら、後に残された者たちが使えばいい。

確かにそうも言えますが

外国はともかく、日本は

其々が、夫々の土地に、

それぞれの都合のいいように建てた家がゴチャゴチャと並んでいます。

しかも、想像しても

自分たちが建てた当初考えていた建て方や、間取りの【ベスト】が

次の世代の【ベスト】とは限らない。

【永遠】に残る親が建てた家でなく、子や孫は

自分たちで考えた【ベスト】に住みたいとも思うかもしれません。



【永遠】の素材が仮に出てきたにしても

人の【考え方】やその【デザイン】まで、永遠とは限らない。

【永遠】に残るはずの素材でできた空き家は

次の世代には、重い荷になる可能性もあります。(再利用できれば別ですが)



家は腐っちゃ困るのですが

目先のことばかり考えて【永遠】を求めることはどうなんだろう?・・・(。´・ω・)?

次世代の負担にならない程度に

【一生】くらい持てば、十分なような気がします。



色々考えると、あのおじいさんの家が

おじいさんの姿が見えなくなるのに合わせたように

土に還ろうとしているのを

なんとなく思い出してしまうのです(・ω・)

リフレッシュ。

映画に行きたい!


映画を観たい!


と、今年になってから、事あるごとにのたまう父ちゃん。


同じ趣味は、食べることと映画ぐらいの夫婦。


でも、映画はジャンルがちがうのよねぇ~^^

現場が休みだと意外に休める父ちゃん。


しかし内勤の身は現場が休みだと仕事がはかどる故

もりもり仕事をしてしまう相方。


が、時として行き詰まります。


映画でも観に行く?…相方


いそいそと上映スケジュールを確認する父ちゃん。


ない!モーガンフリーマンのでてる映画がない!


8/28からだって。


どうする?

ゴジラ?  アンジーのでているディスニーの? etc…


いかんせ、この時期子供向けが多く、おまけに早い時間はなおのこと


それでチョイスしたのが、“思い出のマーニー”

ジブリ映画が大好きな私は「やりっ!」\(^o^)/


映画

メッセージ性があって、画が綺麗。


杏奈のおじさんとおばさんの家がいいよね。

アーニーのお屋敷は…  住みにくそう。

あんなロケーションに住みたい。


なぁんて、やっぱりアニメでも家をみてしまいます(@_@)

スタバでお茶して、買い物して


う~っ。  リフレッシュ!


さぁ、明日から頑張るぞっ!


今日サボった分取り戻さなくっちゃ???

土に還る Vol.1 永遠の生きた証?

先日、テレビでタレントのご夫婦が

自分たちの【お墓】を用意するべく

便利な立地の都内や、郊外の景色の良い墓地を

行ったり来たりして色々探すような内容の番組が放送されていました。



チラッと見ただけなのですが

前から気になっていた【樹木葬】のことも紹介されていました。



人の死生観は様々。

お墓を軽んじたりするつもりはもちろんありません。

でも、私個人としては

自分が生きた【証】?を
・・・ 骨だけじゃ何も語れないんだけど・・・( ̄▽ ̄;)

一生朽ちることのない石の中に【永遠】にとっておくことが

なぜか自然じゃないことのように感じていました。

エジプトのピラミッドや、偉人のお墓のように

自分が生きた【証】としての【永遠】を必要とするほど

自分は、何もしていません。

自分の死んだ後、家族や友人といった

思い出のある人たちが、些細なことでも【憶えてくれている】。

その範囲で、もう十分ありがたいような気がしていたからです。



今、拙くはありますが、自然農法の真似事のようなことをしていて

持ち込まない。持ち出さない

といったことを、なるべくではありますがやっています。

畑に色々な肥料やなんかを持ち込まず

雑草など畑で出たものも、できる限り畑の土に還す。

目の敵にされる雑草も

切って野菜の株元において草マルチにすれば

土を高温や乾燥、霜などから守りつつ

やがて分解されて、土を豊かにします。



不自然なことをしなければ

自然は、うまい具合に廻ろうとしてくれる。

たった数年のにわか野良作業でも

実感できたことでした(・ω・)

役目を終えたブロッコリー。花は最後まで天を目指す。
役目を終えたように見えたブロッコリー。引き抜いた後も花は空を目指す。
最後まで生きて、いつのまにか土に還った。



だから、そんな自然の一部として自分を見たときに

【永遠に残そうとする】よりも

自然の一部に還りたいような気がしていました。



死んでいった人数は増えることはあっても減ることはありません。


日当たりの良い、いい景色の墓地。無茶して建てた立派なお墓。

その景色も、そのお金も

残された人たちが有意義に使って

自分は土に還りたい。個人的には、そう願うのです。

そうすれば、自分の死んだ後の【墓守】がいないなんて

そんな余分な心配もせずに済みます。
子供に「結婚はせんのか?」「子供はまだか?」って聞かずに済む( ̄▽ ̄;)



だから、自分が死んだら

(できたら、白モクレンとか (*^_^*)♪)の下に埋めてもらって、

花が咲いたら、【ついで】に思い出してもらうだけでいい。

いつか、その樹がその一生を終えて

また土に還ることになれば

それでおしまい。もう十分。

去りゆく人数は増え続け、減らないことを考えても

石ばかり建てるよりは、地球温暖化防止にもなりそうです ( ̄▽ ̄)



土に還る。

Natural



【永遠】ということと、【還る】っていうことで

色々考えさせられる今日この頃・・・ (・ω・)

【永遠】と家についても。



というわけで、つづく!・・・のでありますよ (・ω・)ノ♪

幕が開きました。

宇佐の地に、また一つ 家づくり物語の幕が開きました。


上棟


今夏の不安定なお天気の中

予定していた上棟日を5日を過ぎ、ようやく上棟しました\(^o^)/


台風が2個発生している上、一日に何度も変わる天気に

天気と同じように一日に何度も天気予報を確認する日々。


材料をぬらしたくない><

天気が大丈夫でも上棟の後に台風に遭うかもしれない><


お施主様と協議し延期の決定。


が、ぐずぐずしているとお盆休みに突入する。

で、苦肉の策で仏滅の11日に上棟準備をし

大安の12日に棟を上げることにしました。

当日。

暑いけれどお日様が余り顔を出さず、良かった^^

上棟

お仕事明けのお施主様は朝から作業を見守ってくださり

暑い中での作業する職人さん達を気遣って、

冷たいタオルや飲み物をご準備くださいました。


お蔭様で、誰一人熱中症にもならず、上棟準備が整いました(*^^*)


上棟

そして、翌12日の大安吉日に玄関の棟木を上げ

無事、上棟しました(^^)v

家づくり物語のスタートを記念して

  “っチース!”(*^_^*)

上棟

延期の判断が吉と出ますように。


楽しい物語になりますように!    おめでとうございましたm(_ _)m


心を込めて一生懸命務めますので、宜しくお願いいたします。

ツバメ安全保障制度

わが家の玄関先に、居候していたツバメが

無事に巣立ちました(*^_^*)

生まれたばかの時は毛もあまり生えていないので

目や口ばかり大きな、ちっこいエイリアンみたいでしたが

少し大きくなって、フカフカになってくると

やっぱりカワイイ (*´▽`*)♪


子ツバメ、並んで親を待つ

しかし、知りませんでしたが

ツバメって・・・肉食?なんですね~( ̄▽ ̄;)

親がサッと帰って来て、子供にエサを渡して、サッと出て行って・・・。

それはもう、甲斐甲斐しく世話をするのですが

親の出ていった後に、こんなちっこいヒナが

自分と変わらないくらいの大きさのトンボをアムアムと食べていて

「・・・・それ、ホントに全部食べきれるの?・・・( ̄▽ ̄;)??」

って思いましたっけ (^▽^;)



「ツバメが巣を作ったら大変よ~(ーー;)

やけ、かわいそうやけど、作り始めた段階で壊しとかんと~・・・(´ー`;)」と

ご近所さんにも言われていたんですが

元来ことり好きなのと、ウチでも断られたらかわいそうかな~っていうのと

・・・ちょっと子育て見てみたい・・・(* ̄▽ ̄*)♪



そんな好奇心で軒先を間貸しした次第でした(・ω・)



・・・で、なにか困ったか?



困ったっていうほどではなかったんですが

糞よけの新聞紙が数日おきに代えてても

結構グロテスクなことになるのと

・・・意外に、その糞が臭う・・・( ̄▽ ̄;)…Oh…↓

猫ほどじゃないんですが

セキセイインコのQ太郎のそれが、ほとんど臭わないのに
↑ 気の強さは猛禽類なみですが、ベジタリアンなので・・・

若干、ツンとした臭いがする・・・(^-^;

・・・そうか~、同じ鳥でも違うのねェ・・・(^▽^;)

大きくなり狭そうな巣

大きくなってきて、ただでさえ小ぶりな巣が狭そうで

ぼた餅みたいに重なって入っていたりしていたので

落ちたりしないか気をもんでいましたが

落ちる前に、飛び立っちゃいました(・ω・)ノ♪



ツバメの巣がある家は安全である


そんな言い伝えもあるようですが

家の安全はともかく

ツバメが安心して子育てできる環境は、悪くない・・・ってとこでしょうか?

稲を食べず、害虫を食べてくれる【益鳥】として

昔から農村部で大切にされていたツバメ。

言い伝えの真意はともかく、

一生懸命な子育てを見せてもらった

楽しい一か月ちょっとでした(*^_^*)

「ツバメ安全保障制度」続きを読む

素人玄人

【素人(しろうと)】の主な意味は、

そのことに経験が浅く、未熟な人。その道で必要な技能や知識を持っていない人。
またその事を職業・専門としていない人。

のことです。



私たちは、何かの知識や技能を身につけたり、

自分が【働く】という行為を通して

社会に参加することで報酬を得ています。

生きて、食べていくために。

そして、社会にかかわることで

自分のいい意味での社会の【歯車】としての

【居場所】を得ています。

【歯車】なんていうと、人を機械のように言っているみたいですが

どんな小さな【歯車】一つ無くしても、うまく動かなくなる。

自分という人間の【働き】を【仲間】が知って、見ていてくれる。

そのことが、その人のかけがえのない【居場所】でもあるんじゃないかと思います。



でも、【高い】知識や技能を身につければつけるほど

【高い】名声や、社会的な発言権を持てば持つほど

その専門でない人たちを【低く】しては元も子もない。



当たり前ですが、みんながその道の「玄人」になれば商売あがったりなのです。

専門でない「素人」がいるから「玄人」なのであり

そもそも「素人」のために力になれるから、働ける。生きていける。



だから「素人がよくも分かりもしないで・・・」っていうことを内心思っていたら

どんな立派な言葉遣いや態度をしたところで

真摯に聞いていないのは

「ど素人」でもわかるのです。

だから、信用されない。

立派なことを言っていても、なんか引っかかる。

素人だから、それに上手く言い返す言葉が見つからなくても

「Yes」では絶対ない。



玄人は

上手く言えずにいる【言葉】を【説得】と言う形で封じさせていないか?

【説得】と【納得】は違います。

相手が、明らかに嬉しそうな反応をしていないのを

見て見ないふり、聞かないふり

よく分かりもせんのがゴチャゴチャ言うな、

専門家に黙って任せとけ、じゃ

どこかの首相と同じです。



大人になり、親になり

子どもたちに対してもそうかもしれません。

【説得】と【納得】は違うのだと、頭の片隅において

心の声を【聴ける玄人】になれれば

自分が思っていたほど

相手に信用されてなかったっていうことは

少なくなる。

そう信じたいです。

どうか、立場的に「エライ」人ほど

心の声を【聴いて】欲しい。

切に願います。

角(かど)が立つ

智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。

意地を通せば窮屈だ。とかくにこの世は住みにくい。



夏目漱石の『草枕』ではありませんが

情に流されっぱなしでも困るけど

角がたっても、楽しいことが少ないのは世の常。



でも、こんな角ならどうでしょう?(・ω・)ノ♪

四角いトマト

なんと! 四角いトマト~!Σ(・ω・ノ)ノ!



「あ~、アレね~( ̄▽ ̄)」

そう、新種や突然変異ではありません。


個人情報大量流出で話題になった、

あの通信教育の(たしか小学2年生)の付録でできるのです(・ω・)ノ

四角いトマトをつくる

こんな容器を、実がまだ小さいうちにかぶせておいて

大きく赤く、熟すのを待つだけ。



・・・切ったらどうなるか、気になりませんか? (。-`ω-)☆



四角いトマトの断面

ウチのトマトはほっときすぎて、少しはみ出しちゃったので

お釈迦様の頭のようになっていますが

種の入り方が、ちょっと普通の形とは違うみたいですね(・ω・)

・・・味は、同じですが。



カタチが違うってだけなのに、

当たり前だと思っている常識が、ちょこっと違うのは面白い♪



当たり前。

当然。

フツウはこう。



当たり前の、フツウの。

でもよく見ると、【フツウ(に見えるもの)】でも、少しずつ違う。


【当たり前】の枠、たまにはガタガタさせると

カタくなりがちな頭も、いい運動になるのかもしれません ( ̄▽ ̄)

こんな角なら、きっと楽しいですよ♪

木造校舎と限定ノスタルジー 其の弐

其の壱のつづき


もみじ学舎玄関付近

もみじ学舎は、旧上川底小学校にて

NPO法人『森の学校共同作業所』と

『もみじ会』という地域の方々によって支えられている

「心のリハビリセンター」のような場所です。

様々な方が、その木造校舎内の工房や、体験・イベントを通して

その癒しになれるように運営されています (・ω・)



ちょっとご紹介しますね(*^_^*)



もみじ学舎の廊下と建具

大人がやってきたスイッチ一つでカンタンのツケを、

払うのはなぜか子供たち(T_T)

スイッチ一つで涼しくなるクーラーより

電気がなくても涼しくなる知恵と工夫(・ω・)ノ♪

古い建具にキラリと光ってますね(。-`ω-)☆



アトリエハルの木の枝の表札。チョーク文字


図書室と黒板の


旧・校長室

写真を撮らせてもらっていると

夏休み中、無理やり付き合わされた次男(小学生)。

「・・・・早よ、帰ろうよ~(T_T) ここ絶対花子さんおるって~(T_T)」

「・・・・・へ?( ̄▽ ̄;)?」
・・・スゴイ失礼で、スミマセンm(__)m

・・・う~む。大人にとってはどこか懐かしさを感じさせる

ノスタルジックな木造工舎ですが

現役小学生には、懐かしく感じろという方が無理でした!・・・そりゃそうだねェ・・・ ( ̄▽ ̄;)↓

しかし、個人差もありますが

大人の目には、屋根の形一つも味わい深い♪

袴腰屋根

屋根の形はシンプルなほど無駄がないのは解ってはいても

袴腰屋根になぜが心がキュンとする。

【いつかどこかで見た風景】っていうものは

人をノスタルジックな思いにさせるんでしょうね(*^_^*)

そういった意味では、【いつかどこかで見た】経験や記憶のストックが

キュンとなる機会の多い少ないにも影響するのかもしれません。


もみじ学舎の離れの工房

焼き窯と大きな木の下のウッドデッキ

デッキに近づく

フレンチブルーの格子窓に映る空とピンクのバラ

ノスタルジーはフランス語の【nostalgie】

異郷にいて故郷を懐かしく思ったり、過ぎ去った時代を懐かしむ気持ち。

【ノスタルジー】な思いは、その人の【思い出値】によるのかもしれませんね(*^_^*)