言うとおりにしてたら間違いないの? 続き

続きです(・ω・)ノ

「家には寝に帰りよった(`´)」

「年取ったら【こんな家】売って

マンション買って暮らす!

だって鍵一つかければいいだけやし(-ω-)」

・・・・そう親は言います。

長年住んできた家にも、土地にも

それほど思い入れもありません。

よくも悪くも、執着がないのです(・ω・)
「子供たちが育った思い出がつまった家・・・(゜_゜)」・・・ってなことも
全くありません。思い出の品なんかもばっさり捨てます。片付け魔なので( ̄▽ ̄;)
ある意味正しく、身軽。It's 断捨離ライフです( ̄▽ ̄)



でも、自分はせっかく大金を払うのに

「住めればどうでもいい」とは思えなかった。

せっかく土地を探すなら、【ずっと暮らしたい風景】の中に。

家も・・・・せっかく建てるなら【ずっといたい】そんな家を結局目指しました(・ω・)

ずっと住みたい土地

実際建ててみて、「ここはやっぱりこうした方が良かったな」

「こうすれば良かったかな」そう思うことはありますが

自分たちで分からないなりに考え、答えを出し、

職人さんたちが汗して働く姿を見、できあがったわが家にも

半泣きでつくってきた畑や庭にも

かけがえのないものを感じます。

「いつか【こんな家】売って」・・・とは思えない(・_・)



血がつながっていても、何を一番大事に思うかは違う。



「・・・親にああ言われたけ、こうしたけどやっぱりこうすれば良かった。

ホントは、ワタシ内心こうしたかったのに・・・(ーー;)」



・・・でも、それって親が悪いの? ( ̄▽ ̄;)

言うとおりにしてたら間違いないと言っても、

間違えない人間はいない。

ましてや、大事にしていることが「違う」なら

自分以外の人の「正解」が

自分の「正解」とは言い切れない(・ω・;)

自分でよく考えもしないで、言うとおりにしていて

他人のせいにするのは、虫が良すぎるかもしれません( ̄▽ ̄;)



自己反省も含め、つくづく思うのです(´・ω・`)

「自由」と「責任」は常に一体なんだな〜・・・と。

誰かに保護され、守られているコドモの間は

「自由」は少なくとも、根本的な「責任」も少ない。

言われたとおりにしていれば、波風もたたず、安泰です。

でも、「自分は、親とここの考え方は違う」

「あの人はこう言うけど、自分はこうしたい」

そんな意思があれば、覚悟して自分で決める「自由」が要ります。

例え全責任を負うことになっても。

「ほら見なさい。言うとおりにせんけ!( `ー´)ノ」そう言われても。

オトナになるっていうことは、

【自分】で決めたことに、【自分】で責任を負うこと。

【責任】を負ってでも、何かを成していくこと。



・・・でもって、「自由」を手にしつつも、

なおかつワタシみたいにぶきっちょな駄々こねないで

・・・・周囲をまる〜く収める(*^▽^*)♪

その頭脳と技量を

身につける!ってことかもしれません( ̄▽ ̄;)・・・トホホ。

言うとおりにしてたら間違いないの?

自分が「家を建てようかなと思っとる」そう言った時、

親に「変な業者にひっかかりなさんなよ!( `ー´)ノ」と言われました。

その後も何かにつけて色々言われるので、

直接その工務店に一緒に連れて行ってみました。

「・・・・まぁ、・・・いいんやないと?(-。-)」・・・許可??

「・・・・・?( ̄▽ ̄;)」

・・・・・なんで?お金出すの自分たちなのに

なんで親にアレコレ言われて

挙句の果てには「許可してやる」って感じなの????( ̄▽ ̄;)



親にしてみれば、少し援助してやるつもりだったようです。



でも、そこはひねくれ者のワタシ。



援助してもらって、例え懐は楽になっても、
余裕があるわけでもないですし、ね(T_T)

つべこべツベコベ言われる方が、絶対イヤ〜!(≧▽≦;)
↑ 要は、オバちゃんになって反抗期が来た?
ダンナにしたら、「・・・あ〜↓せっかくの援助を蹴り返しちゃった〜 |дT)」ってとこでしょうが・・・


それ以来、断固、一切相談も報告もせず

一緒に暮らしていく家族でよく話し合って(分からんなりに)

今の家を建てました(・ω・)


「ほら、見なさい。言うこと聞かんけ。

お母さんの言うとおりにしてたら間違いないの!(`´)」



この言葉に、どこか大人になっても縛られている弱い自分がいます。



言うとおりにしてたら、それが間違ってても

自分の「責任」じゃありません。

「だって親にそう言われたけ。」「だって周りがそう言いよたっけ。」

そういって責任を取らずにすみます。

ただ、言われたとおりにおとなしく言うことを聞いていれば

「間違いない」し、丸く収まるのです( ̄▽ ̄)
丸く収めるって点では、オトナの対応なのかも?ですが

その代わり、自分で決める「自由」を手放さなくてはなりません。



ワタシはそこそこの「いいトシ」でしたし

この先50,60になっても、こんなこと言われるのは勘弁してほしい。

いいトシして・・・・情けない。

・・・だいたいヒトとして恥ずかしい・・・(T_T)
つべこべ言われるのは、「あの子ならキチンとするやろう」
「ナントカやっていくだろう」って、信じてもらえてないってことなんで(・_・;)



第一、年とればとるほど、

親の言うことが全て正しい訳じゃないことに気づきますし

血は繋がっていても、価値観が違います。



「大事に思っていること」が、親子だからって同じじゃない(゜_゜)



親は高度成長期をバリバリやってきた仕事人間ですから

「時間の無駄」を大変嫌います。

草むしりや庭木の手入れに時間をかけるくらいなら

コンクリートで地面をすっかり覆って

「手間」がかからない庭(・・・庭なんかな?木一本、草一本ない( ̄▽ ̄;))にしてしまいます。



方や私はのんびりた場所に居を構え、土無しには生きれません。

おらが村は井戸水なので、除草剤も使いません。

ヘタながら雑草農法の真似事で、畑もやっています。

時間も手間もかかり、半泣きになりますが

どうしてもコンクリートで固める気になれません。


畑や庭で土に触れていると、土の感触に、虫に、植物に、

「いのち」を感じます。

土に触れる

「時間の無駄」だと言われても

その「無駄」に忘れてはいけない大事なこともある。
とはいえ、どちらが良いとは言えませんが・・・。
ワタシの方は生産性って点では、一銭にもなりませんし(^▽^;)



だから家に対する考え方も、かなり違っていました( ̄▽ ̄;)

つづきま〜す(・ω・)ノ

本物とナントカ風

・・・歳をとったからでしょうか?・・・( ̄▽ ̄;)



以前はカワイイ(≧▽≦)♪ステキ♪・・・と思っていたものに

なんだかときめかない・・・(´-ω-`)

なんだか上手く言えませんが、チト違和感を覚える・・・( ̄▽ ̄;)



以前は、こんな感じのヨーロッパ風というか

その町にまぎれこんだかのような風景が好きでした。



でも、今はなんとなくドラマののセットのような

張りぼてっぽい感じや、取ってつけた感じが

妙に居心地悪い・・・(^▽^;)

欧風?街並みの観光地施設

写真に撮るとそうでもないのですが

この建物のバックにある湿度の高そうな空気感とか

不似合いな電線とか

やたら多い観光客、ごちゃごちゃとした看板、

・・・・・やっぱり雰囲気だけを真似して

一見ナントカ風にはなっても、どうもしっくりこない感じがする(´-ω-`)



贅沢にも、仕事柄

完成現場には、ホンモノがあります。

もくせい工舎・家の内観

ナントカ風でなく、自然の素材を使ってつくりだした

「家」であり「壁」がある。

それらをず〜っと見ているうちに、ナントカ風に違和感を

感じているのか?

それとも、そんなラブリーな風景に

どうも自分がますます似合わなくなったのか!? (。-`ω-)


見た目だけ何とかすることは出来ても

簡単につくったものには

時間や風雪のつくりだした趣も

人の暮らしてきた気配もない。

雰囲気だけを簡単に真似することは出来ても

「佇まい」のようなものが出てこない(・ω・;)



一見ヨーロッパの古い街並みのように「見せた」光景に

そんな「時間」を感じないから

なんとなく違和感を感じているのかもしれません( ̄▽ ̄;)

「本物とナントカ風」続きを読む

そういえばこんな感じだった( ̄▽ ̄;)

夏休み真っ只中でございます!(T_T)←泣?

子どもたちが小さいなら小さいなりに大変ですが

手がかからなくなるにつれ

・・・所用雑用も多い(^▽^;)

子供会の行事、町内の行事、

学校のプールの監視当番、学校の草取り、

習い事、その合宿、部活の試合のお世話や遠征・・・( ̄▽ ̄;)



わが母は「あ〜↓、スミマセ〜ン、仕事なんですよ〜(*^_^*)」

で、のらりくらりと一銭にもならない雑事をかわしまくり、

それでも悪く言われることなくこなしてきた敏腕でありますが

・・・・・ワタシはどうもその点も不器用(´・ω・`;)

おまけに同時進行で、色々上手くこなせないので

無駄に気力体力を浪費します( ̄▽ ̄;)



そのワタシの不器用っぷりはともかく、

「今年は子供会で、公民館にお泊り会復活します( `ー´)ノ☆」と、地区委員さん。

・・・・・え〜?Σ(・ω・ノ)ノ!

・・・そうか。お泊り会。子どもたち喜ぶかも?お泊り会。

・・・・・でも正直、・・・ホントは正直・・・めんどくさ〜い・・・(T_T)



・・・・そんなこんなで、先日泣き笑いしながら公民館へ(・ω・)ノ



おらが村の公民館は、少しばかり古い。

築30〜40年くらい?の木造モルタルで

窓は、昔ながらの薄っぺらいサッシ。

しっかりスウィングドア付の男性用小便器と洋式トイレと2つ。
↑洋式なら2つ要らないんじゃ?と思いますが、・・・田舎なんで( ̄▽ ̄;)

台所は、ガスコンロ+ガス湯沸かし器。



そこで、お母さんたちが集まって、子どもたちとカレーを作ります。



「・・・・・あづ〜(@_@;;)」

「・・・エアコン2台フルで使いよんのに・・・あ、またブレーカーが落ちた・・・( ̄▽ ̄;)」



・・・そういえば、ガスコンロってこうだった(゜_゜;)

以前住んでいたアパートで、朝お弁当を作る時、確かにこんな感じで

暑くて暑くて、汗だくだった・・・( ̄▽ ̄;)

今、わが家はIHになっており、家の構造も前とは全然違う。

・・・そういえば、こんな感じだったかね?っていう久々の暑(熱?)さ!(≧▽≦;)



先日、TVで古い団地で外気温が下がる夜間になって

熱中症でなぜ搬送されるのか?そんな番組があっていましたが

・・・古い団地は、断熱材が全く入っていないことも多い(´・ω・`;)

だから、夏の強烈な日光に照らされたコンクリートの外壁から

じわじわ熱が伝わり、夜になって外の気温がさがってもなお、

室内の温度は異常に高いそう・・・(゜_゜;)



思えば、家を建てる前は

中古物件なども必死になって探していましたが

見た目はともかく、そこに断熱材がきちんと入っているかなんて

・・・きっと素人じゃ分かんなかった・・・( ̄▽ ̄;)

今は古い集合住宅のリノベーションなども盛んですが

気になっておられる方は、そんな細かいところも

要チェックかも!しれませんね(*^_^*;)



お手入れ簡単♪安全で、ガスほど調理中暑くないIH。



・・・・唯一勘弁してほしいのは・・・・



・・・・・ものすごく静かに、いきなり

IH。だだもれる。
しょっちゅう、お味噌汁でIH湖ができます・・・( ̄▽ ̄;)
ニコニコしてたのに、いきなり逆ギレされたみないなビックリ感Σ(・ω・ノ)ノ!

「大量」に吹きこぼれる事ですかね・・・(T_T)

自分のことなら

以前小学校の人権講演会で、mottoひょうご事務局長の

栗木 剛さんのおはなしを聞いたことがあります。

大変面白い方で、運転免許を持たず

市街地の駅からおらが村の小学校まで徒歩で歩いて来校されました(・ω・)



その中で、開口一番、栗木さんが言ったのは

「男女差別だろうが、児童虐待だろうが、部落問題だろうが

どの人権問題も、基本は同じ!

自分がされて嫌なことは、例え相手が我が子であっても、しない!

・・・ということです(*^_^*)」



「だって、アイツ〇×やけ、仕方ないやん」

どんな「正当?」な理由があろうが

反対の立場だったら?

・・・それを想像するしかありません( ̄▽ ̄;)



人対人のこともそうですが、想像を絶するような体験をした人にもそうで

自分はそんな体験をしたことがない。

でも、もし、今。この瞬間にそれが自分に起こったことなら?

どうなっているのか?・・・家族は?友人は?ペットは?

どうしたのか?どう思うのか?



もう、必死になって考えるしかない(・ω・;)



それが自分の身の上に起こったとして

それを「だって、アンタが悪いんやけ」

「だって、仕方ないやろ?」

・・・で、済まされたら?



想像するしかない。

自分の身に置き換えて。

想像するしかない。



どんなに勉強ができようが

どんなに立派な肩書を得ようが

反対の立場を想像できないなら

どんな「正当?」な理由も

自分の立場のためでしかない。



泣いている側の人を

自分の身に置き換えて想像するしかない。



相手を「思いやる」とはそういうこと。



相手を思いやりなさい。

約束を守りなさい。



色々な言い訳をして、大人が約束を守りもしないで

子どもたちに何を偉そうに言えるのか。



天災はともかく、人災なら。



ご立派な人は、いざとなったらご立派な言い訳をして逃げていく。

「非常に遺憾です」

そう、一言いえば。

どんなにエラくなったって

人間が将棋の「駒」にしか見えなければ

その立場のために、どんだけの人が泣いたらいいのか。


想像して。思いやって。

本当は、たったそれだけ。

自分がされて嫌なことは、・・・しない(・_・)

ご立派な言葉を知らなくても、

仲良くなる方法なんて、きっと子供たちの方が知っている(´・ω・`)

長崎・下の川。スペインの子供たちの絵

自分が仲良くできない、気が合わないから

「おう、お前ら。ちょっと行ってやっつけて来い」?



・・・・あんだけ立派なコト言っといて

・・・・そういう、あんたは行かんのかい!? ( `ー´)ノ

ぶたれぬ土

畑の土

こッつん こッつん ぶたれる土は
よいはたけになって
よい麦うむよ。


朝から晩まで
ふまれる土は
よいみちになって
車を通すよ。


ぶたれぬ土は
ふまれぬ土は
いらない土か。


いえいえそれは
名のない草の
おやどをするよ。

ぶたれぬ土


金子みすゞの詩の中で、一番好きな詩です(*^_^*)

物心ついて読んだときは、かわいいという感じしか受けなかった

金子みすゞの詩。

大人になって、色々なことを経験し考えるうち

その詩の優しさ、目線の温かさに

改めて気づかされ、大好きになりました(*^_^*)



自分が社会的に何の役にも立っていないように感じて

ずっと悩んでいた時期がありました。



どんな土、どんな物、どんな人にも

それぞれの役目、働きがある。

そう、教えてくれたのがこの「土」という詩でした(゜_゜)



人の役に立つ人になりなさい。

よく言われます。

でも、役に立つ=便利ってことだけ?

それだけなら・・・ギスギスします( ̄▽ ̄;)



人の役に上手く立てなければ

「・・・・チッ(ーー;)・・・・使えねェヤツだな〜」

ってことになります。



役に立っている実感があれば、

その場の仲間と一体感が生まれ

自分の存在価値に自信がつきます。

でも、なかなかそれが上手くいかないからと言って

「役に立たない」=存在価値がない

そう決めてしまうのは、違うと

『土』の詩は教えてくれます。



人間の狭い価値観の中で

「役に立たない」ように感じるものにも

その「働き」「役目」が必ずある(゜_゜)



彼女が「みんなちがって みんないい」

そう詩にしたのも、そういうことじゃないかと

わたしは思っています。



文学的なことなんてよくわかりませんが

優しさや目線の温かさは、

悲しみや悩みの副産物のようにも思えて

彼女の詩が優しければ優しいほど

・・・チョット切ない(T_T)

「役にたつ」から評価し好いてくれる人もいるでしょうが

「役にたたなくても」変わらないでいてくれる人もいる。

どんなに自己否定しようが、

「・・・何それ?別にいいよ。そんなの平気だよ!(*^_^*)」

と、笑ってくれる人もいる(゜_゜)

その有難さ!(T_T)



存在価値が便利ってだけじゃ、

あまりにも切なすぎる。・・・そう思います( ̄▽ ̄;)