Present

思いがけず、ずっと見たかったものが撮れました(*^_^*)

エナガ

エナガ♪

パースを描くときに使う冬用の樹木の素材が欲しくて

川沿いの公園に樹の写真を撮りに行った時

・・・・・ん!?わが家じゃあまり聞かない鳥の声!(´・ω・`)

木にたくさんのエナガ

・・・た、たくさんいる〜Σ(?ω?ノ)ノ!


ena_4.jpg

後姿も、丸っこくってちっちゃ〜い!(≧▽≦)?

なんだろう、このかわいさは!( *´艸`)

ぶらさがるエナガ

エナガは頭からしっぽまで14cmくらい。

その半分が、体。だから、7cmくらいのもふもふのピンポン玉!(≧▽≦)♪



いやはや、なんとも素敵なプレゼント(*^_^*)♪



一瞬一瞬のことで、もう、あのかわいい瞬間は写真でしか見れない。

でも、あのウレシイ気持ちは

きっと、ずっと残る・・・(・ω・)


「Yesterday is history」 昨日はもう過去のこと。

「Tomorrow is a mystery」 明日はまだ未知のもの。

「Today is a gift」 今日は神様からの贈り物。

だから英語では、「現在」のことを

「プレゼント(present)」と呼ぶのです。

『時間旅行』作者不詳



大人になると、日々のことに追われ

あっという間に過ぎる一年。

2015年も、もうあと一日。



日頃の行いが悪いからか?

サンタにプレゼントをもらったことのないワタシですが

もしかするとPresentって物じゃなくって

「今」っていう時間だったのかいな?( ̄▽ ̄;)



エナガを一瞬見れたことで

嬉しい気持ちになれた、あの少しの時間。



皆さんにも、素敵なPresent(現在)のありますように(*^_^*)

大切な人と共に、よいお年をお過ごしくださいね(・ω・)ノ♪

X'mas Tree

おらが村の朝は寒い。

市内より2.3度低いらしい。

しかも、山に囲まれ盆地状になっている上、

川があちこちに流れているせいか

霧が深い土地柄なのです( ̄▽ ̄)



だから、雨が降ってもいないのに

朝起きると、畑の土から

物干しざおから、車に至るまで

晴れの日の朝も、しっとり濡れて水玉がついています(・ω・)



今朝も例によってそんな感じ。

部活に行く息子を見送って、ふとみると

何やら朝日を浴びて、ハナミズキの樹がキラキラしています。

2015_朝日をあびるハナミズキ

う〜ん、写真がうまいこといっていませんが

小さなキラキラがついていたのです(・ω・)

水玉

今にも零れ落ちそうな水玉。

朝日を浴びてキラキラ。

2015_水玉ツリー

・・・・水玉のクリスマス・ツリーになっとります( ̄▽ ̄)へへ♪



今日は、クリスマスイブ。

もくせい工舎のお施主様の中にも

今年新居で、初めてのクリスマスを迎えられるご家族もおられます(*^_^*)

中には、去年の今頃

まさかこんな木のお家でクリスマスなんて

考えもしなかった〜(≧▽≦)って方もおられるのでは?



いやはや、ご縁って不思議ですね。

進まない時はもがいてももがいても上手くいかないように思うことが

ある時、堰を切ったように物事が動き出すことがある。

それも、無理やりではなく

本当に、自然に。



家を持つ、建てる、どうこうが

人の幸せのすべてとも思いませんが

どんな場所でも、そこが温かな思い出の場所であり

しかもその場所が【わが家】であったら

それが本当のシアワセなのかな?と思います(*^_^*)


どうぞ、ご家族で素敵なクリスマスを!

merry_xmas_2015

まんまる

・・・暖冬だからでしょうか (。´・ω・)?



ロウバイの木にまだまだ青い葉が残っています(・ω・)

2015_ロウバイ

12月上旬の、息子のマラソン大会の時期は

しもやけで真っ赤に腫れあがるワタシの手も

いつものまま。



おまけに、庭にミカンを刺していても

メジさんどころか、あの欲張りなヒヨちゃんも来ない( ̄▽ ̄;)

・・・・あれ〜? (。´・ω・)?

あったかいから、まだまだ里に下りて来なくても大丈夫なのかな〜?( ̄▽ ̄)


メジロ

・・・って、去年のブログを見たら2月に記事を書いてるんで

まだまだ先だったのか?

でもヒヨちゃんも、声はすれども姿を見せません。

シロハラも、まだ見てない。

バタバタしてて、去年ほど気づけてないのかな?



そんな中、気配がして覗いてみると

2015_ジョウビタキ後姿

まんまる〜!Σ(?ω?ノ)ノ!ジョウビタキ〜♪

2015_ジョウビタキ前

朝は寒いので、ぷっく〜〜っと膨らんで、〜〜〜かわいすぎる!(≧▽≦)?

2015_ジョウビタキ木の実を食べる

チョコレートベリーの木の実を食べに来ていたのです(・ω・)♪

2015_ジョウビタキ

この子、こんなにカワイイのに、自分が可愛いことなんか知らないんだもんな〜。

ちょこんと枝先にいてくれるだけで

こちらは色んなものぶっ飛ぶ可愛さなのに!(≧▽≦)



ジョウビタキは冬鳥なので、越冬のため中国などから飛来します。

だから繁殖期ではないので、あまりペアで見ません。

セキレイやヒヨちゃんなんかは、寒い時期も

ペアでよく見かけますが(・ω・)



PM2.5は勘弁してほしいですが

こんなカワイイまんまるさんの飛来は嬉しい(*^_^*)♪



いつか、鳥の好きな木を増やして

色んな鳥に来てほしい!(≧▽≦)

そうもくろんでおります(。-`ω-)☆

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ねじれた木

育った場所によって木には癖が生じる。

斜面の木は風をうけ、幹は捩れてしまう。

木は必死にもどろうとするわけで

(その結果)ひねくれた木ほど目が詰まっていて

強度に優れている。だから田舎づくりの家では

曲がった木を梁や桁に使っていたのだ。


前回のブログで、この菊池恭二さんの言葉を書きながら

「捻じれた木」について色々考えさせられました(・ω・)



捻じれてしまって、おまけに強度がある木なんて

こちらの思うとおりに加工できない。

まっすぐで、素直で、加工しやすくて

おまけに広く取れるならいうことない。

「扱いやすい」「役に立つ」そんな木なら。

しかも、それが「長持ち」したら。



自然の「欠点」を、人の都合に合わせて開発されるのが「人工物」。



でも、人間は完璧でない。

何かを優先させれば、何か別の問題がでてきて、非常にバランスが悪くなる。

「自然」は人の都合に合わせてはくれないけれど

困りながらも、「自然と」うまくいくようにできている。



まっすぐで、明るくて、素直で、

そんな誰からも好かれる自分であったなら

どんなに生きやすいだろう、そう思ったことがあります。

自分も、斜面の木のように捻じれ、ひん曲がっているから( ̄▽ ̄;)



でも、大樹ならともかく

都合よく「最初からまっすぐな木などない」のだという。



人間だから、「個」として譲れない所はあっても

「社会」の中で生きていく、「協調」もいる。

でも、人間は、他の誰かの都合に合わせた「人工物」ではない。

人間も、「自然」。

大事なのは、きっとバランス(・ω・)


「木も人も 癖があるから面白い」


「そんなんしたら、おかしいよ」

「そんなこと言うの、お前だけやぞ」



「みんな違ってみんないい」

そう言いながら、「変」であること、「違う」ことを受け入れられる人は少ない。



でも、みんな同じことをし、同じことしか言わないのって

・・・・・気持ち悪い・・・( ̄▽ ̄;)



違っているから、みんなが思いもしないようなことが考え付く。

違っているから、みんながやらなかったことができる。

だから、「お互い」が要る。

自分以外の、「違う誰か」が要る。

行き詰った時は特に。

同じ考えの、同じような人間ばかりでは埒があかない。



自分とは「違う捻じれ方」をした誰かが要る。



風雪に耐え、強風に揺れながら、木は根を張ると聞いたことがある。



雪の重みに弛む木は折れないけれど

カタい木はポッキリいくのだとも。



風雪に耐え、へこみながら、捻じれながら

いつかどっしりとした大樹になるのかな。

捻じれすぎた、小さな木でも

おじいさんの杖くらいには、なれるかな?(・ω・)


誰かを支えることが、できるかな?

職人

「叱る」と「怒る」は違う。

「怒る」が「罵倒」なら、なおのこと。

そこに信頼関係はない。

「お前らみたいなのは、将来何の役にもたてんのじゃ!」

そう「罵倒」する側にも、その「罵倒」に耐える子供たちにも

その間に、「温かい」ものは何もない。

勢いのあまり、何が本当は言いたいのか

ちっとも伝わらない。


「俺の仕事は、育てる職人だと思うとる」

私も、教職に就く人は「教え、育てる職人」だと考えたことがあった。

偶然にも、その罵倒する先生と同じことを考えていたのです(・ω・;)



「木も人も 癖があるから面白い」

宮大工・菊池恭二氏の言葉です。

「法隆寺の鬼」と謳われた西岡常一氏に師事し

「教えない」ことで人を育てる、職人さんです(・ω・)



育った場所によって木には癖が生じる。

斜面の木は風をうけ、幹は捩れてしまう。

木は必死にもどろうとするわけで

(その結果)ひねくれた木ほど目が詰まっていて

強度に優れている。だから田舎づくりの家では

曲がった木を梁や桁に使っていたのだ。



ワタシは教育の専門家でも、大工さんでもない。

でも、

木が好きで好きで仕事をしている職人さんと、

ただ「労働」としている職人さんは

「木の活かし方」が違う。


扱いづらいからと、「ダメな木」「使えない木」「役にたたない木」と

捨てたりしない。

自然のかけがえなさを分かっていればこそ

「どうにか自分の知恵と技術で活かそう」と模索する。



その「職」に就く「人」は「職人」さんだ。



でも、その手から生み出し、その手が育てるものが

心から好きか、かけがえないかで

全く違ってくる。



「扱いにくい木」は廃材にもできるかもしれない。

でも人間は?



自然が好きか?

木が好きか?

人が好きか?



不器用でも、模索し続け、慈しむ。

その「職人」の手から育つものは

やっぱり「温かい」のだ。