母親ってなんだろう?普通って何だろう?

時々、憑かれたように(?)どうしても見たい映画に出会う時があります。



今回は、『彼らが本気で編むときは、』

『かもめ食堂』や『めがね』『トイレット』の荻上 直子監督の作品です。



パンフレットをもらい忘れたので画像はありませんが

公式HPがありますので、良かったらご覧ください。

『彼らが本気で編むときは、』公式HP



本屋で、原作と映画の紹介映像が何度も流れていて

じっくりと見たわけではないのに

「リンコさん」と「キャラ弁」「髪をかわいく結んでくれた」というフレーズ。

そして、シンディ・ローパーの『True Colors』のカバー曲。

なぜか耳に残っていました。


たまたま後日、新聞でその映画の原作と監督が

あの荻上監督だと知り、映画『トイレット』のファンとしては

きっと、これもすごくいい映画に違いない!

・・・そう思ったら、見たくて見たくて。

ちょっと、急ぐ別の理由もあって

・・・見に行きました。

・・・だってその翌日には、映画終わっちゃうんで。



もう、泣いた泣いた。

そして、最後おかしくて、吹きだしました。

…なぜか『トイレット」も、オチは笑ってしまう。

悲しいだけで終わらせないことに、次の希望があるような。

今回も、そんな爽やかな余韻を残してくれました。



あんまり書くと、ネタバレになってしまいますが

色々な側面から、「母親ってなんだろう?」

「普通って何だろう?」と考えさせられる映画です。



心と体の性が一致しないトランスジェンダーの「リンコ」さん。

主演の生田斗真さんが美しすぎて、

外見は男性なのに女性の格好をしている、と言うよりは

もう、大柄な女性にしか見えない。

それくらい、男性の姿ではあるけれど

本当は女性であることを、自然に感じさせてくれます。

物腰とか所作とか、それ以上にある「何か」で。



「リンコさんみたいな心の人に惚れちゃうとね、

あとの色々なことは、もうどうでもいいんだよ」

トランスジェンダーの恋人のありのままを受け入れ、包み込む。

そんな、強さと優しさをもつ「マキオ」おじさん。



男を追いかけては、何度も我が子をほっといて家出する。

そんなネグレクトの母親(マキオの姉)をもつ、

孤独な少女「トモ」



ひょんなことから、一緒に暮らすことになった3人。



実の母親以上に、慈しんでくれる「リンコ」さん。



また、リン子さんの母親が本当にいい。

性の一致しないわが子を、ありのまま受け入れ、

ブラジャーと手づくりの「ニセ乳」を用意してやる。



私が「リン子」だったら、親は何て言うだろう…。



「なんで、お前はそんなん変わっとるんかな~。
どっかいい病院でも行って、(精神面を)治してもらえ」

「例えそうでも、絶対ばれんようにして一生暮らし!」

…そう、言われてたかもしれない。

それが、一般的な「普通の」反応で

多くの親は、戸惑い、受け入れる度量など持ち合わせない。

ニセ乳まで用意してくれる、そんな母親が傍にいたことが

リンコさんの、唯一の救いだったかとも思います。



それと反対に、世間一般の「普通」と言う物差しで

リン子に対し嫌悪感を持つ、トモの同級生の母親。

わが子が、ものさし上の「普通」でないことにも

受け入れるすべを持たず、愛情ゆえにどんどんわが子を追い込んでいく。


性が一致しないことに、苦しんでいる子どもは

周りにいないように「見える」



実は、いないように見せているだけで

そうしないといられないような雰囲気に、

まだまだ日本があるということだと思います。



映画が終わったばかりなので、DVDになったり、

レンタルになるのも少し先かと思いますが

できたら、たくさんの「お母さん」にも見てほしい作品です。



見終わった後、「普通」のめがねの色が

少し変わっていると良いな。

世界が少し、違って見えると良いな。

そんな温かい映画でした。

家に恋する・・・・・「あばたもえくぼ」な思い

3月発刊のメッセに、こんな広告を載せてもらいました。

2017_03_メッセ広告

「恋する」なんてロマンチックなセリフが柄にもないので

少々、恥ずかしい気もしますが

撮影時に現場で飾った、お花の「赤」が可愛くて

こういう文言もたまには良いかな、と使ってみました。



インパクトの問題ではなく、家を選ぶことは

長きにわたる伴侶を選ぶ様なものだと

この仕事をしながら、思ってきました。



ずっと一緒にいることを考えると

何が自分にとって一番大切なのか、気づかされます。



譲れない、一番大切なことって、・・・なんでしょうか?



ところで、恋するといえば、

「あばたもえくぼ」という言葉があります。


「あばた」と言うのは、天然痘の治った後のくぼみの事。

自分が好きになった、惚れてしまった相手であれば

例え「あばた」でさえ、可愛らしい「えくぼ」に見える事。

似たような言葉に、「屋烏の愛(人を深く愛すると、その家の屋根にとまるカラスですら愛しい)」とか

「ハゲが3年目につかぬ」なんてものもあるみたいですが。


会った瞬間に分かりそうなものなので

・・・ハゲが3年、なんてことはなさそうですが

それが大した問題にならなかった、っていうことでしょうか?



「あばたもえくぼ」という言い方が適切かはわかりませんが

物事には、必ず長短があります。

それも、誰かの価値観、「色眼鏡」を通した長短です。



見る人の価値観によって、長短はいくらでも変わります。

例え、マザーテレサや、ダライラマでも、悪く言う人がいるように

皆、その価値観、色眼鏡を通して

好きとか嫌いとか、良い悪いを判断しています。



私は今、もくせい工舎の広告をつくるお手伝いをしていますが

そう言った意味でも、価値観の違いのあることを

意識させられることがあります。



自然素材の素晴らしさ、木の家の良さ、

漆喰の雰囲気の味わい深さ・・・。



ただ、それに興味のない人もいます。



あの、木がふんだんに使われた家に入って

肺の奥まで、酸素が染み渡るような感覚。

無垢の杉の木の肌触り。

漆喰のやわらかな光と影。



自分が感じているのと同じように、同調してもらえるかは

本当に広告の言葉だけでは、どうしようもありません。

だから、同じチャンネルを持つ

どこかの誰かに、広告が気づいてもらえること、

ましてやもくせい工舎の家を気に入ってもらえるか、

自然素材に恋してもらえるかは

本当にもう、奇跡的でしかありません。



長短あるけれども、かけがえない。

そんな家に、めぐりあう。



これも、ご縁なのかな!・・・と、思います。

やっときた

やっときた~!



・・・なにが?

ツグミ
お腹がぽってり。・・・ペンギンっぽい?

ツグミです。



わが家がバードテーブル(?)を置くようになって

2~3年。

居るハズなのに、なかなか来ない。

どうもご近所はウロウロしてる模様、なのに来なかったツグミ。

ツグミの正面
真正面から。前と横顔が違い過ぎる!

以前『とりぱん』というマンガを宇佐の図書館で借りて読んだ時も

のんびりやの「つぐみん」が出ていましたが

・・・・・本当に、のんびりというか

間が悪いというか、ツッコみどころ満載と言うか・・・。



エサをこっそり食べに来ては、気の強いヒヨちゃんに追い払われています。

エサを出したての時は、ヒヨちゃんも余裕があるので

一緒にエサ台にいることを許しますが、

「今のうちに!」とあせりながら、猛烈につついているのが

何故か出したばかりの美味しいりんごではなく、

古いカスカスのりんごだったりして

「・・・・ちょっと、どうせ急いで食べるんなら美味しい方にしなよ!」

と、子どもとツッコみながら見ています。



ヒヨドリ

他の鳥には気の強いヒヨちゃんは、実はかなり用心深い。

人の気配が少しでもすれば逃げてしまいます。



2016_シロハラ

シロハラは、ヒヨちゃんに追い払われるときもあれば

追い払う時もある。

あまり人が近づけば逃げますが、ヒヨちゃんほど神経質ではない。

メジロ

メジさん達は、体の割に気が強いんじゃ?



う~ん、鳥も性格が様々です。

本当は、もっとエナガとか、シジュウカラとか、小さな鳥にも来てほしい。



見ていると、天候によっても行動パターンが違ったりしてオモシロイ。



バードテーブルを置いてから

少し、鳥のことにも詳しく・・・なってはないけれど

関心をもって見れるようになりました。

世界が一つ、広がりました。