かわいいと思うものは

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


わが家の玄関先のツバメが、今年は無事に巣立ちました。

2022_空っぽになったツバメの巣

今年は、というのには理由があって
数年ぶりの巣立ちなのです。

わが家が建ってから数年。

わりと早い段階でツバメが巣をつくるようになりました。

ことりのかあさんと名乗るくらいですから、
鳥は好きなので、ツバメwelcome!

FUNの心配も、デッキブラシでこすって流せばよいので
何の問題もなし。

可愛いヒナが見れるなら、なんてことはないのです。

2022_今年のツバメのヒナ

これは、今年のヒナたち。

卵のかけらが数個落ちていましたから
フルメンバーとはいかなかったようです。残念ながら。

個体の識別まではできませんが、きっと
違う夫婦が来ているんだろうと思います。

なぜなら、毎年個性的だからです。

巣作りが上手なカップルもいれば、
下手なのか材料が悪かったのか、
せっかく作ったのに巣が崩れてしまうカップルもいました。

夫婦の連携が取れていて、絶対に巣をどちらかが守っているカップルもいれば、
お互いに好き勝手出て行って、いつもヒナがお留守番のカップルもありました。

今年は、神経質なくらいヒナを守ろうとするカップルだったので
あまり写真が撮れませんでした。(と、言っておこう)

友人の、今は亡きお父さんが
「ツバメが巣をつくる家はいいぞ!」とおっしゃってくれたのですが
今思えば、遠くはるばる国境を超え、海を越えた来たツバメに

巣作りくらい多めにみてやってよ

そんな優しさをこめた方便だったのかもしれませんね。

ヒナが小さいうちは、鳴き声も小さく弱弱しいのですが
大きくなって体力がつくと、
玄関先で「ジージージージー!」と
エサをねだる声がリビングまで届きます。

そしていつの間にか、巣が狭くなるころ、
それまで巣の中にいたヒナたちが、
巣の際に「とまる」ようになります。

「あ~。明日にでも巣立つかもしれんね~」

そう言っていた翌朝!

2022_巣立ったツバメ

めっちゃ飛び回っていました(笑)

まだ下手なのか、木の枝に止まって一休みする子、
出遅れて残っている子、色々でしたが
陽が高くなるころには
巣は空っぽになっていました。

あ~。良かったぁ~。

本当に、無事巣立ちの時を迎えるまで
可愛い反面、こちらはヒヤヒヤなのです。

あ~、本当に良かった~。

ドヤ顔のツバメ

↑ちょっとドヤ顔に見えんでもない?

立派に大人になって。

・・・と思いきや、子どもが言うには
電線で親にジージージーとエサを貰っていたとのこと。


・・・まだまだ、すねかじり真っ最中やん!(笑)


それはともかく、
また、来年元気で戻って来てくれますように。

何かをかわいいと思うことは
心配の種を一つ拾うことなのもしれない。

かわいいと思うものが多いほど
心配の種も増える、のかな?

言い方を変えれば、心配の種は
希望とか祈りのようなものかもしれない。

可愛いから、無事でうれしい。
ただ、それだけなのです。

またおいで!
ここで、待ってるからね(^_^)/~

どうか、嫌いなことで死なないで

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


「図書館で前に借りたんだけど、面白い本でね。
返した後も、しばらくしたら読みたくなって、また借りたりしよる。」

大分に住んでいた友人が教えてくれたのが
大原扁理さんが書いた『年収90万円で東京ハッピーライフ』という本。
(※その後増補されて『年収90万円でハッピーライフ』として文庫化されています。)

25歳から、週の2日だけ働いて
残り5日は隠居生活を送る大原扁理さん。

本を出版したころは
年収約90万円で、あの東京で、
それこそ「ハッピー」に暮らしていた方です。
その後、今度は台湾でも隠居暮らしを始めています。

「社会的成功から乗り遅れまくっている」という彼は、
世間一般が考えるフツーから脱出して、
自分にとって何が本当に
身も心もラクで幸せなのかを考えて、実践してみた人です。
実践とはいっても、がつがつした感じでなく
とても心地よく楽しそうな暮らしっぷりです。

扁理さん自身も
「同じような隠居を勧めているわけではない」というように、
読むと、なるほどなぁと納得する一方で、
「これ、家族がいるとそうもいかないなぁ。」と思う面もあり。

家族が全員、こういう考え方なら問題ないですが
強制はできないからです。

ただ、その一風変わった暮らしかた、考え方の中に、
妙に核心をついたものの見方をする人で、読んでいて
ハッとさせられることが多かったのです。

なかでも、仕事と就職について書かれている箇所は目から鱗でした。

ざっくりとしか書けませんが
大原扁理さん的な考え方では

「好きなこと」や「やりたい仕事」なんて
死ぬまで見つからなくっても、別にいいじゃないですか。
大事なことは、「嫌いなこと」や「やりたくないこと」で
死なないことですよ
、と。

・・・これはビックリした。

聡明すぎてビックリした。

好きなことで死ぬならともかく
嫌いなことややりたくないことで死ぬなんて、
本当に馬鹿ばかしい。

話は逸れるのですが、以前過大広告について考えてみたことがありました。
(注:もくせい工舎とは関係ないです)

例えば、実際に行ったこともない店を
過剰に褒めるような内容や、
使って本当に良いと思ってもいない商品を
過剰に評価するような内容で

例え、それがお仕事として
幾ばくかの収入を得たとしても
それって、結局は誰も幸せにならないんじゃないか。

目先のことだけ考えれば
自分はお金が手に入るんだし、
そういう依頼をしてきた会社は、一時的には喜んでくれるんだろうけど
実際にお店がとても褒められたものでなかったり
商品が悪ければ、
会社側も信用を失うし、広告も信用を失うことになる。

大原扁理さん的考え方を借りると、ではどうしたらいいのか。

その仕事(ここでは過大広告ですが)が本当に好きで、
これで死んでも悔いはないなら、構わないかもしれない。

でももし、「こんなことが理由で死ぬのは勘弁してほしい。」
そう思うのなら
「やっぱり、やめとこ!」という道もあっていいのではないか。

過大広告書いて、自分の中にモヤモヤした
毒を貯めるくらいなら
書かずに飢え死にする方が
納得して死ねるような気がしたんです。

(繰り返しますが、もくせい工舎とは関係ない仕事のことです)


自分は本当は望んでいないのに、
「仕方がないから」「任務だから」でやりたくないことを
やらされることもあるかもしれない。

仕事や学校、家庭内だけでなく、国単位でも。

ただ、やりたくないこと、嫌いなことで
どうか死なないでほしい。

命令する人間は無傷で、
なんで小さな子が死ななくてはいけないのか。

知らなかったとはいえ、
命令とは言え、
好きなことで死ぬならともかく
なぜ納得いかないことで
死ななければいけないのか。

例え、うまくいったように見えても
力で外部を抑え込むボスは、
仲間内だって同じことをする。
気に入らなければ、次はあなただ。

みんなボスが好きだから傍にいるわけではない。
怖いからそうしている。

そんな関係は、いつか破綻する。

友人関係にしろ、もっと大きな組織にしろ。

どんなにタダシイ(と思い込んでいる)人が、
どんなにタダシイ(と思い込んでいる)目的のためであっても、

誰かの「それからも続くはずだった人生」を奪っていい理由にはならない。

「嫌いなこと」や、「やりたくないこと」で
どうか、もうこれ以上
誰も死なないで。

子ども達が泣いている。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


「私を怒らせると怖いんですよ。」

そう発した相手が、どんなに「いいひと」であっても
このセリフを聞いた途端、なにかが凍り付く。

要は、「肝に銘じておけ」という脅しなのだ。

脅しで安心は買えない。お互いに、だ。

「あなたとはずっと仲良くやっていきたい」
そうにこやかに笑う相手の懐に
いつでも刺せるナイフを見て
その「友人」の前で安心なんてできるんだろうか。

そのナイフを相手は「護身用」だというかもしれない。

持っていれば、こちらに手出しはできないから、と。

でも、反対にこちらが「護身用」として銃をもったら?

どんどん「護身用」はエスカレートする。
お互いの「ご信用」だって、どんどん地に落ちる。

誰かをいじめなければ
自分がやられるような「仲間」の中で
心から安心する居場所なんてあるのだろうか。

気に入らなければ、何をしでかすか分からない
その「ボス」を心から信頼できるだろうか。

やらねばやられるからと
誰かを排除しつづければ、
自分は安心なんだろうか?

そのうち、自分の番が回ってくるだけだ。

権力の座、何かのトップ、
そういうものは「下」だと思い込んで見下している
市井の人々あってこそだというのに
それに気づかない。

この星で人っ子一人で
権力も何もあったもんじゃない。

どんなにきれいごとを並べても
どんなに正当化しても、

ほら見ろ。子ども達が泣いている。

子どもを安心して、笑わせることもできないで
そんな大人がエラそうなこと言えない。

土地は祖先から譲り受けたものではない。
子孫からの借りものである。

ネイティブアメリカンの言葉を借りれば
この土地は、この世界は
権力者だと思い込んでいるアンタのもんでも、
その他大勢の大人たちのものでもない。

ほら見ろ。子ども達が泣いている。

「大人」は今すぐ、蛮行をやめるべきだ。
恥ずかしい。

縁起を担がねば?

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


2022年が明けまして、
めでたいめでたいって言ってたら
あっという間に節分コーナーができていました。

豆まき用の豆やグッズに、
恵方巻の予約などが並んでいます。

中年の私にとってはこの恵方巻。
かなりの新参者なのです。

確か、関西でそういった風習があるというのを皮切りに
毎年のようにスーパーでコンビニで出回るようになったような記憶があります。

毎年、その年の縁起の良い方角【恵方】を向いて
海苔巻きを丸かじりする。しかも、しゃべってはいけない。

ある時期を境に、当たり前のように現れた
新しい「習慣」。
う~ん。これはうまいこと販売戦略に引っかかっているだけでは。

それでも、やってしまう。まんまと乗せられて。

特に子どもが小さいころなどは
一緒にできるイベントごととして、楽しんでしまう。

海苔巻きを用意し、
100均の方位磁石で、おおざっくりな恵方に向かって
「こりゃ、笑うな」とか言いながら、願い事を思う。

思えば、バレンタインデーのチョコレートも
ホワイトデーのマシュマロも、
お菓子メーカーと広告のキャッチコピーによって
一斉に広まった日本独特のものです。

クリスマスだって、キリストの誕生を祝うというより、
ケーキを食べたり、サンタからプレゼントをもらうイメージの方が強い。

赤い服に白いひげ=サンタクロースも、
コカ・コーラのポスターが元になって
イメージが固定されたと言われています。

昔からの風習や習慣が、
何かの販促のために、少しずつ形を変えて
新たな習慣や常識となっていくのかもしれません。

じわじわ習慣となるのか、恵方巻。

恵方巻然り、おせち料理や年越しそば然り。

縁起物って、それをしないと
縁起が悪いってわけではないんですよね。きっと。

調べると、縁起物というのは
「良いことがあるように祝い祈る品物」だとか。

祝いが、「やらないといけない」呪いになるのは
ちょっと違うはず。

販促にのせられて、やらねばならない義務はない。

どうか今年の節分は
余った恵方巻が大量に処分されたりしませんように。

なかったら、ないでも構わないのだから。

「足りない」を怖がりすぎる気がします。私も含め。

足りなくても、何とかなるものなのに。

足りなくて、次に出るのは
きっと「知恵」でもある。

熊手
そういえば、コロナの影響もあって初詣にまだ行っていません。
行かないと罰が当たるような、そんな気持ち悪さもあるのですが、今年は行かないとどうなるか試してみようかな。
もっと世界を信頼していいのかもしれない。

気にして見ている

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


遅ればせながら、
明けましておめでとうございます。

(ブログを書きたいのは山々のようですが)
忙しいもくせい工舎のお二人には
本業(良い木の家をつくること、お客様の建てた後の暮らしを考えることetc.)に専念して頂くべく、

及ばずながら、少しずつ
お家のこと、自然のこと、暮らしのことなどを
書かせていただこうと思います。

このブログ以外にも、もくせい工舎のインスタもございます。
そちらは、合間を見て"相方さん"が上げていると思うので
良かったらご覧くださいね。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。


ところで、今季の冬はちょっと様相が違ったのです。

バードテーブルになかなか野鳥が来ない。

いつもなら、ヒッヒッヒッとジョウビタキの声がしたら、
シロハラがやってきて、
ヒヨドリやらメジロやら、みかんやリンゴを競うように食べに来るのですが
全く来ない。

庭に野良猫がウロウロしてたから?

そう思っていたら、ずいぶん遅れてようやくやって来ました。

2022_シロハラ

シロハラです。

ジョウビタキと同じく、日本で越冬する渡り鳥です。

気のせいでしょうか?
ツバメにしても、この子たちにしても
少しずつ見かける時期がずれているような気がするのです。

温暖化の影響、といえばそれまでなんですが
時期がずれれば、食べ物も巣材の確保も、ずれ込むような気がするので
ちょっと個人的に、気にして見ています。

気にしてみる、といえばこれ。

20211225_原田左研の親方。三和酒類の辛島虚空乃蔵の左官仕事
(※諸事情のため、文章が読めないくらいに引いて撮影しています。見にくくてすみません。)

昨年のクリスマス。
新聞にヘルメットを着用した
左官をするサンタクロース(?)が。

もくせい工舎OB様には、一度見たら多分忘れられない、この人物。

そう、もくせい工舎の漆喰の壁を手がける
原田左研の親方なのです。


なんでも、三和酒類さんの酒造観光館が
この春【辛島虚空乃蔵(こくうのくら) 】として
リニューアルオープンするらしく、その壁を担う親方が
その広告に掲載されていたのでした。


実は、それを知らず偶然近くを通りかかった時に
「・・・あれ?左官さんが入っているな~」と
工事中の建物を見て思っていたのです。

養生の仕方が、もくせい工舎のそれと似ていたので
「へ~。どんな建物ができるんだろう。」と思っていたのですが
まさかのドンピシャ、原田左研のお仕事だったとは!


広告によると、ニシノホシの麦わらや市内赤尾の粘土が使われているようです。

外壁にその土地の土を塗ることで街の風景が創られてきた

そう語る親方の言葉通り、空間の雰囲気やあり方を大事にする姿勢が
ものづくりにも表れていくんだと思います。

きっと素敵な、何とも言えない味わいのある空間になるんだろうな~。

こちらも「気にして」見ていきたいところです。


そうそう、こちらも気にしてみていきます。

202201_猫のハチとゴマ

わが家の先住猫のハチ(白黒ハチワレ・♀)と新入りのゴマ(ムギワラ・♀)です。

だ、だいぶん慣れてきた?かな?

仲が良くも悪くもないけど、時々雲行きが怪しくなるので
レフェリーストップが入ります。



元々、外で他の猫にいじめられていたから引き取ったゴマでした。

そのいじめていた猫は、あれだけ姿を見せてたのに
もう見ません。

外が氷点下になる昨今。どうしているだろうかとも思います。


ゴマは、弱いから助けられました。
その代わり、自由と母親になることを失いました。

あの追い回していた子は強いから、この寒空の下
どこでどうしているかも分かりません。

何が猫の幸せなのか。それをどうして私が決めれるのか。

猫の幸せをひとくくりで決めてしまうことは
「女なんだから結婚して子どもを生んで
 家にいるのが幸せに決まっている」と
言われることと一緒のような気がするのです。

何を幸せに思うかが、人によって違うように
猫の幸せも、猫によって違うんじゃないか。

ただ、助けようとすると
諸事情を鑑み
避妊、室内飼いしかできなかったのです。

「こうするべき」という考えが
正しいか間違っているかはともかく、

せっかく生まれてきた命が
人間も、動物も
できたらヌクヌクと温かい場所で休めるよう願いたいところです。

気にして見ている。

そういうことが増えれば、
何かあった時、少しはお力になれるかな?

優しげなことが優しいとは限らないけれど
無知無関心もなんなので。


今春、宇佐市辛島の虚空乃蔵が完成しましたら
興味のある方は
ぜひ原田左研さんのお仕事ぶりを観に行ってください。

「あ~、こんな空間好きだな~。
こんな感じの家に住みたいな~。」と思ったら
是非もくせい工舎のお家を見に来てくださいね。

正し、設計は虚空乃蔵とは違うので
そこはご留意ください。

漆喰のやさしい雰囲気に、
これでもか!と木をつかったお家です。

自然素材の家づくりに
木も気もつかっていいるというワケです。

新年早々、ダジャレですみません。

こざっぱり。できるだけ。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


年末ですね。年末。

・・・どうしよう(笑)

わが家は、毎日ルーティンとして掃除する場所と、
年末しかしない場所があります。

毎日のルーティンを少しずつずらしていけば
何となく家全体がいつも綺麗に保てるのは
理屈では分かるのですが
それができない。

どうしても、最低限ここだけ!
を掃除するのでいっぱいいっぱいなのです。

だから年末しか掃除しない場所は
汚れも一年分ですから
かなり頑固で苦労する。

今はスイッチ一つで便利になった分、
部品も複雑で、掃除がしにくい感じがします。

システムキッチンなどは、
大掃除のことを考えたら
レンジフードから何から、
シンクに漬け置きできればありがたいのですが、
レンジフードカバーは、手に余るほど大きく
「いったいどこで洗うのかい?庭か?風呂か?」と泣きたくなります。

う~ん。デザインした人は大掃除しないんだろうか。

ぜひともメーカーさんには
大掃除の洗いやすさもお願いしたいところです。

あと、レンジフード以外の難関と言えばこれ。

2021_oosouji.jpg

お風呂の乾燥機の換気扇。

まだ築数年のお家は特に異変を感じないかもしれませんが、
実はこれも曲者だったのです。

建てて数年後、天井から何やら黒いものが落ちてくる。

・・・怖いでしょ~(笑)

わが家では、毎年フィルターは掃除していたのですが
換気扇の羽の間に、
びっしり湯気と誇り(←あえてこう書きます)が混じった黒い汚れが‼

そこがMAXになって、ある日ハラハラと粉雪のように舞い落ちたのでした。

・・・ひゃ~‼‼‼‼

まだ黒い雪が舞い降りてないお宅は、
ちょっと見てみると良いかもしれません。

換気のために付けっぱなしだと、
かなりの確率でなっているかもしれません。

くわばらくわばら。

できれば、こざっぱりして年越しをしたいところですが
光陰矢の如し。

あっというまに明日は大みそかなのです。

多少のやり残しはあっても、
え、笑顔で年越しをいたしましょう。
きりがない。

あと、このこも我が家で年越しとなりそうです。

2021_goma_sakura.jpg

無事に避妊手術を終えたゴマちゃんです。

予約していた日になかなか戻らず、
延期し、クリスマスイブに手術となりました。

あとは、傷が完全に塞がるのと
お腹の禿が治るのを待つばかりです。

先住猫のハチとは・・・もうちょっとかな。

ハチの方が、気分にムラがあるので
気長に様子をみましょう。

あ~、今年も終わる。

オリンピックとコロナの2021年。

来年は、もっと安心できる世界が待っていることを祈ります。

それでは皆様、良いお年をお過ごしくださいね。

冬来りて猫が鳴く

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


早いもので、あと半月もすると、2021年も終わりですね。

色とりどりに染まった紅葉にうっとりしていたら
いつのまにか寒さも本番に差し掛かっています。

冬眠場所を探すクサガメ
さすらいのクサガメ。冬眠場所を探して迷い込んだかな。

亀はともかく、
寒くなると、妙に野良猫が目につくのは私だけでしょうか。

元野良猫のハチが我が家の庭先で
「入れろー!」と鳴いたのも、11月のはじめ。

思えば、サツマイモ掘りは
11月のはじめの頃には終わらせます。霜が当たるからです。

その頃にはもう、朝の冷え込みも強く
外暮らしの猫たちには、本当に堪えるのでしょう。

猫の発情期のピークは春(2~4月)と夏(6~8月)

発情するのはメスのみで、
オスはそれに促される形となるようです。

妊娠期間が2か月くらい。

そうすると、単純に考えれば
(2~4月)で、4~6月の初夏生まれ。
(6~8月)で、8~10月の初秋生まれとなります。

ハチが来たのは、満1歳にもならない8か月くらいだと思うので
おそらく、初夏生まれ。

初秋生まれ、しかも遅ければ遅いほど、
霜が降りる頃になっても、まだ生後数か月ってとこでしょうか。

野良猫の生活の厳しさから考えても、
冬が来る前にある程度育っていない子猫は
春を知らずに亡くなる可能性が大きくなります。

「野良猫が車のボンネットに乗って迷惑だ。」

そりゃ、猫嫌いな人もいるし、
野良猫に興味のない人もいるし、
車に傷でもついたらというのも分かるし。

ただ、「車に傷でもつけて困らしてやろう」と思って
上に乗っている猫なんていないんですよね。

もう、寒くて寒くて、
ようやく温かい所を見つけて
夜の間冷え切った体を温めてただけで。

私は猫好きなので、そういうお宅に
室内犬用のお洋服なんかの洗濯物がかかっていると
ちょっと複雑な気持ちになってしまう。

好きで野良に生まれたわけじゃなかろうもん!

ペットショップで買えるだけが命じゃないぞ~!

生まれ変わって野良猫になってみたら分かるよ!

んで、「汚い野良猫、あっちいけ!」って言われてみればいいよ!

チックショー~~~~~!(小梅太夫か?)

ついつい取り乱してしまいました。すみません。


一見自由とはいいながら、寒い。ひもじい。怖い。
そんな思いをしながら生きている野良さん達。

私なら耐えられないと思います。

ハチも、ホウキを怖がるので
きっと嫌な目にあったことがあるのでしょう。

今思えば、それでも勇気をもって
というか、図々しく?
「入れろ~!」と人間を「頼ってみた」と言えます。

凶と出るか吉と出るか。

わが身の運を気にするのなんて人間くらい。

「そんなん知らん~!
ともかく、声をかけないと死ぬ~!」・・・と思ったのか。

いや~、この点も私などは
「この前ひどい目にあったから」ってウジウジして
凍えと飢えで死んでいたかもしれない。

・・・声かけてくる猫って
実は、図々しいばかりの勇気があるんじゃないか。

・・・で、来ちゃったんですよ。また。
その類が。

この子です。

2021_野良猫ゴマちゃん

・・・どうしよう(笑)

とりあえず、猫風邪ひいていたので病院にかかって
治療しました。

近々避妊手術の予定です。

ただな~、こればかりは先住のハチ先輩次第のところがありまして。

今、じわじわとお互いに慣らしている最中です。

2021_ハチとゴマ

一年たってもどうにもならなかったら
嫁入り先を探さないといけないかも。トホホ。
(時間がたつほど、ではありますが)

「ぜひ、わがやに!」って方がいましたら
もくせい工舎までご一報ください。
(↑勝手に言ってます)

厳しい審査の上、泣く泣く嫁に出します。
(とはいえ、なるべく頑張るんですが)


オスの行動範囲は広く、メスはそれほどでもなく
そこそこ近場で一生を終えます。

メスの発情が引き金になって、オスも・・・となると
やっぱり、地域猫のメスだけでも
できるだけ避妊させることが、
かわいそうな野良猫をこれ以上増やさない糸口になると思います。

とはいえ、正義感に燃えて言ってるわけでなく
やっぱりモヤモヤするんですよ。
猫に頼まれてそうしてるわけじゃない。

ただ、猫にしろ、人間にしろ
生まれてきたからには・・・っていうのがある。

好きで寒空の下、凍えているわけじゃない。

「そういう運命なんだから仕方ない」
って、自分事だったとしてもいえるのか。

・・・・。

チックショー~~~~~!(再びすみません。)


人の気持ちを知ってか知らずか。

2021_ゴマちゃん

そんなんリラックスして。

2021_ゴマちゃん

名前はゴマちゃん(♀)。柿のゴマ模様みたいだからです。

セキセイインコのQ太郎、猫のハチ。
9,8・・・で数字に絡んで5です。

7,10はボツになりました。

2021_ゴマちゃんのカギしっぽ
チューリップ型のフライドチキンのような、カギしっぽがチャームポイントです。ピコピコ動きます。

2021_ゴマちゃん

幸せになろうね、ゴマちゃん。

・・・その前に、ハチ先輩だけど。

それだけが全てじゃない。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


不思議なもので、お腹が痛くない時は
お腹のことを
それほど意識していません。

ところが、いざ痛くなると
気にもしていなかった
お腹のことで頭がいっぱいになる。

具合が悪くなる、つまり日常に不具合が起こると
途端に、そのことばかりに意識が向くようになります。

その不具合に病名がつけば、「病気」なんでしょうか。

検査の数値は問題ない。
病院に行くほどでもない。
けれども、あまり調子がいいとも言えない。

「病気」の反対は、「健康」と言えそうですが
じゃ、その「健康」がどういう状態をいうのかは
かなりあいまいなのかもしれません。

同じように、
幸不幸も言えると思います。

不幸は何となく分かりやすいけれど、
幸せってどういう状態か分かりにくい。

恋人や家族や、お金や、地位や、
何かを手にしている状態を
単純に「幸せ」といえるのか。

同じ状態でも
不幸のどん底のような顔をしている人もいれば
平気で幸せそうな顔をしている人もいる。

じゃ、不幸のどん底のような気持ちになる人が悪いと単純にいえるのか。

同じようなことも
過敏に受け取る人と
鈍い人がいるのは
心の体質のようなものなのかもしれない。

花粉症の人に、過敏なあなたが悪いんだといっても仕方ない。
だって好きでなったわけではないんだもの。

人間にひどい目にあわされた猫に
人間嫌いは性格の問題とは言い切れない。
だって嫌な目にあってきたんだから。

繊細な心(気質)の人に
そう考えるあなたが悪いといっても
もう、受け取った時点で
アレルギー反応のように心が反応してしまっている。

何も好き好んで過敏になったわけではない。
だから、まったく過敏な自分を嫌いになる必要ないんじゃないか。

花粉症や猫と違って、少しできることがあるとすれば
過敏に反応してしまうことはさておき、
「落ち着く」ことかもしれない。

体の真ん中に一本の芯があるようなイメージをして
そこがまだダメージを受けてないと思えると
少し楽かもしれない。

心にさざ波が立ってはいるけれど、
落ち着いていたら波は収まる。
それをイメージすることかもしれない。

不具合が起きても、とりあえず生きているなら
大丈夫。

ただ、命にかかわることからは
全力で逃げる必要があるけれど。

生きていれば、なんやかや不具合は起きるけど
自分の命や、芯の部分が無事なら大丈夫と言えるのではないか。

病気になったら、私が一番最初に気を付けることは何かというと、(略)一日中、病気のことで頭をいっぱいにしないことである。
by 宇野千代

宇野千代さんの考え方をアレンジすれば
病気を不幸、というより不具合と言い換えると分かりやすいかもしれない。

不具合で頭をいっぱいにしない。

上手くいってることもあるんだから。


・・・と、自分に言い聞かせているわけです(笑)

「当たり前」をささえるもの

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


わが子が小さい時、それはもう、笑えるほど度々病気になりました。

兄弟そろって気管支炎だの、肺炎だので
入院することも度々で
「幼稚園に今月2日しか行ってない」なんてこともありました。

誰の助けもあまり期待できなかったので
「こりゃ~、まともに何時から何時までの仕事に就くのは無理かもしんない。」

そう思って通信でWebデザイン等を勉強した時期がありました。

今から10年以上も前のことなので
AdobeのDreamWeaverというソフト。

これがまた私のアタマには難しく、
やっとこさ完成させても
InternetExplorer6問題だったか何かで
(こちらできちんと表示されててもIE6だと表示が崩れちゃう問題)
すっかり心が折れてしまい
付属で覚えた
illustratorとPhotoshopでこうして細々お仕事をしています。

日進月歩の世界は
歩みがゆっくりな私にはついていけない。

今はWordpressなんかで、皆さん
サクサクとサイトを作っているようなので
あんなに勉強してみたことも
日進月歩が
「誰でも簡単に」それなりにできるようにしてくれます。

地道にコツコツした経験値が
やがて地層のようになるのとは
ちょっと違う世界。
乗り遅れないよう、最新のものに常にアンテナを張って
刷新していかないと置いていかれてしまう。

ちょっと私には無理でした。

でも、そのWebデザインの勉強の時に
講師の方が話していた言葉が印象的だったのです。

「Webデザイン然りなんですが
デザインって不便や不都合を感じさせないように作ることが前提なんですよ。」

つまりWebデザインでいうと、クリックするボタンの大きさ一つ、位置1つ、
サイトの訪問者に「?」って思わせてはいけないということ。

なんの不便も感じさせず、「さらっと上手くいく」ようしないといけない。

不便を感じさせないのがデザインの仕事ということです。

車や家電などの工業製品のデザインだとよく分かりますよね。
炊飯ジャーでも「炊く」のボタンが一番大きく押しやすいのは
そういう配慮です。
マニュアルを最後まで読まないと「炊く」ボタンが分からないのは
製品としてアウトですもんね。

機能とは関係なさそうなグラフィックデザインの世界でも
イベントのポスターなのに
開催日時がどこに書いているのか分からなければ
「?」ってなりますから、デザイン的には失敗ということです。

デザインとは、設計・図案・意匠のことだと出てきます。
「?」ってなったり、困らないよう設計する機能的な美しさでしょうか。

あ~、でも
「困らなくて」「きれい」ってデザインだけの話ではないはず。

日頃、「なんの不便も感じさせない。」そういう仕事。

おおやけに「役に立つ」と言われている仕事はもちろん、
名もなき、小さな仕事にも
誰かに不便を感じさせず、快適な日常が当たり前に送れる働きがある。

洗濯かごに放りっぱなしにしていた昨日の靴下が
何年も同じ位置にないのは
誰かが洗濯してくれたからだ。

お金になることばかりが仕事じゃないと
頭ではよく分かっていても
そういう小さな仕事って、もう少し有難がってもいいような気もします。

明日起きれば、温かいご飯とみそ汁、お弁当ができてる。

・・・なんて、当たり前じゃないんだよな。きっと。

当たり前のことが、当たり前にできているのは
きっと、陰ひなたなく
誰かがそうやって働いてくれているからだ。

家事は
日々の暮らしに「困らないよう」「きれい」にしてる
デザイン業務とも言えそうです。

あれをやって、これをやって、
こうしている間に、あれをやって・・・。

家事は頭もフル回転。

疲れは「体」ではなく「脳」の疲れといいますから
もう、立派な激務ですよ。

もっと胸をはっていいと思いますし、
ねぎらって貰っても、おつりが出るくらいです。

家族の「当たり前」を支える。

お金になる「仕事」も、
お金にはならない「仕事」も、
どっちも大事。

ただ、お金にならない「おうちしごと」に
もっと光あれ!

・・・と願います。

「意味」

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


先日、久しぶりに赤ちゃんにふれる機会がありました。

予定日よりずいぶん早めに生まれてきたらしく
実質的には8か月。

伝い歩きが楽しいようで
ニコニコしながら近づいてきます。

手を差し伸べて抱っこすると

・・・あ~、うん、なんかこんなだった。
こんな感触だったよ、赤ちゃんて。

つるつるして、ちょっとペタペタして
重いのに、軽い。

下の子で考えると
15年ぶりくらいの感触です。


「・・・孫っち、こんな感じなんでしょうね~」


子育ても終盤になってくると、
赤ちゃんは可愛いばっかり。


手のかかる時期を必死で過ごしている時期に比べたら
気楽なものです。


嫁や妻の役は、本当に向いていなかったと痛感していますが
母親になったのは、自分にとっては良い経験になったと思います。

少なくとも、低い鼻っ柱は折られました。

それまで、自分で努力さえすれば、
がんばりさえすれば
なんとかなってきたことが

自分がどうあがいても
どうしようもないこともある。

受け入れて、その上でどうしていくか。

それに目が行くようになったからです。

だから、うまくいかない人を一概に責められなくなりました。


利発で、快活で、性格も良く
誰にでも好かれ、
いかにも世の中の役に立っていけそうな子。

そういう子が、俗にいう「子育ての成功例」だとすれば
いかにそれを目指していくかが「親力」みたいなものかもしれません。

・・・でもな~。工場で饅頭つくるようなわけにはいかないんですよ。

これさえしとけば、というマニュアルどおりにはいかない。

だって人間だもの。

親である私が100点じゃないのに
子どもに100点であれ。

っていうのは、どうも合わなかったのです。

仕方がない。私が親だもの。

東大に兄弟を何人も送り込むほど敏腕ではありませんが
うちの子は、華やかな「良い子」ではなく
なんだかほのぼのした「いい奴」にはなってくれました。

女子にはモテないけど、猫にはモテています。


へなちょこな母親ですが
子どもを育てるのって、盲導犬のパピーウォーカー的なものかと思います。

子犬の時に、愛情をたくさんもらって
人間を好きになって、
そして「盲導犬として合格」すれば盲導犬になればいいし、
盲導犬にはなれなくても、また別の生き方がある。

産みはしたけれど、実は「預かり物」で、
ましてや所有物ではないのかもしれない。

「子どもが生まれれば、親にはなれる。
でも、親であることは難しい。」

大学の時に先生に言われた言葉です。
これだけは覚えています。授業の内容はほとんど忘れたのに。

子育てをしていると、
自分の子ども時代の古傷に向き合うことも多い。

私は褒められたこともないのに、
褒めろとな?とか。

でも、自分が子どもの頃
大人に言われてた嫌だったこと、されて嫌だったことは
「私はやらないぜ」って決めることはできるんですものね。

褒めることは苦手でも、
【ねぎらう】くらいはできそう。

ねぎらってもらったら
「なんだかんだいっても
ちゃんと見てるんだな」って実感しますしね。


前回のブログに、胎児性水俣病の娘をお風呂に入れる母親の写真のことを書きました。

あの時に思ったのは、同じ境遇だったとして

私の母は、同じようにしてくれただろうか。
私は、我が子に同じようにできただろうか。

それは、どこかハッキリ言えないのに

強烈にあったのは

「こういう風に、どんな私でも
好いてくれたらどんなに嬉しいだろうか」
という思いでした。

世の中の役に立つとか
必死で頑張っているとか

そういう目に見える
分かりやすい「意味や意義があるから」ではなく

無条件に好いてくれる、
お前は、生まれてきて、生きていてOKなんだと。
例え、他所の人がどう言おうとも、
私は、お前が大切なんだと。
そう断言してくれる。

その存在がどんなにありがたいか。


ユージン・スミスの「入浴する智子と母」の写真を見て、
状況は大変なのに、同情するとかのレベルじゃなく、

胸をよぎったのは
強烈な羨ましさだったのかもしれません。


子どもは、饅頭工場で合格品をつくるようなものじゃない。

親の成績表でもない。


生きている「意味が(今は)よくわからない」ことは
(イコール)生きている「意味がない」とは絶対に違う。

しかも、それをどうして誰かにジャッジされなければいけないのか。

自分が「意味が理解できない」だけで、
「意味がない」と決めつけて。

それじゃ、相模原障がい者殺傷事件の犯人と同じです。

私たちは何もかも理解できているわけではない。

それなのに
「意味」ばかり考えて、
ジャッジして。

目に見えることばかりが
人の「役に立つ」じゃない。

日の当たるところで頑張る人も、
人知れず、がんばる人もいる。

役に立って偉いとか、
頑張ってて偉いと、

他人をジャッジし、
自分すらジャッジし

存在理由や生存理由まで判定されるんでしょうか。

でも、それって
お互いがお互いを見張り合うような
ギスギスした世界になりかねない。

役に立ってないと、
いかにも頑張ってないと、
好いてくれない世界で
私たちは
いつ心から安心できるんだろう。

理屈抜きで、
損得なく好いてほしいのは

きっと、大人も子どもも同じ。

皆、冒頭の赤ちゃんみたいに
意味があろうがなかろうが

ニコニコ笑っていたはずなのに。

生まれつき
おとなしい赤ちゃんはいても、
根暗な赤ちゃんはいない。

皆、ニコニコ笑っていたはずなのに。

じわじわできた傷は

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


○○豪雨と後に名前がつくような
猛烈な雨が降り、甚大な被害が発生する恐れがある。

その言葉通りに、ここ数日のひどい雨。
各地から被害の様子も
次々と報道されています。

大分県北で集中して降れば、
報道を見て心配した福岡や大分市の友人が
大丈夫かと連絡をくれました。

ところが、
その数時間後には
その友人のところの方が
危ないことになっている。

2012年の九州北部豪雨では
本当に身の危険を感じるような思いをしました。
あんなに雨音が怖かったのは
生まれて初めてでした。

見慣れた青の洞門付近の風景が一変し、
川沿いのレストランの中に
濁流が渦を巻く様子に愕然としたことを覚えています。

あの滝つぼの中にいるような雨の中、
実は母から電話がかかってきたのです。

「大丈夫~?」

ところが、人間、本当に怖い思いをしている時
大丈夫かどうか、こっちが聞きたいくらいなのです。

とはいえ、母に言ったところで
雨が止むわけでなし。

とりあえず、状況を説明すれば
余計な心配かけるだけなので
(今のところ生きてるし)大丈夫」とだけ言って電話を切りました。

ああいったことがあってから、
遠くに住む友人に
今回のような大雨や災害があった時
実のところ、なんといってよいのか分からなくなりました。

大丈夫?と聞いて
大丈夫じゃない時、
なんと言ってよいのか。

それは、大事な人を失って
泣いて悲しむ人に言葉が見つからないような
あの感じに似ています。

お腹の底で
その悲しさがギューと伝わるような感覚はあっても
それを言葉にしようとすると
どうも違う。

うまいこと言おうとする
イヤらしい感覚も出てくるし
何を言ったところで、かもしれない。

そんな時、本当に
自分の言葉の拙さに嫌気がさしてしまう。

大学時代からの腐れ縁の友人2人に
「大丈夫か? 無事を祈ってる! 困ったら何なりと!」
と送ってはみたのですが、
1人からは返信がないので、

本当に今はそれどころではないのかもしれません。

脱炭素化社会、って言葉をよく聞きます。

マイバック、ゴミの分別、etc.

細々できることからやる、のは
とてもよくわかる。

でも、

何十年に一度が、来年も来ないようにするには
どうしたらいいのか。

起こった結果のメカニズムは
どこかの専門家が説明してくれても、
来年、また「何十年に一度」が来ないようには、誰にもできない。


ふと、ハチ(元野良猫)
家に迷い込んできたときのことを思い出します。

ハチの脇には、輪ゴムが食い込んで
えぐれてできた傷があったのです。

猫のケガ
推測ですが、何かの拍子で輪ゴムが脇にかかったまま、体が大きくなったみたいで。
首にもゴムのカスがついていたので、取ろうとして取れなかったのかもしれません。
ゴムと言えども、食い込んで、ぱっくりとした深い傷になっていました。


避妊手術をかねて、動物病院に行ったとき
言われたのです。

じわじわできた傷は
じわじわ治すしかない。

いつの間にか、ひどいことになっていた
深い傷。

同じだけ、辛抱強く
良い方向に向かって取り組んでいくしかないのかもしれません。

環境もだし、
体もだし、
心の傷だってそうなのかもしれない。

それでも、毎年こんな雨は
勘弁してほしい。

AIに仕事を奪われる話だけでなく、
こんな時ほど、ぼんやりとしたエリアメールではなく、
ピンポイントで、
「今、あなたが危ない!」をAIには教えて欲しい。

「今までに経験したことがない」が起きるなら
膨大なデータの中から、
どこにどう逃げればベストか
そういうことこそ、AIに教えて欲しいくらい。

AIに頼りたくなってしまうのは
便利に慣れてしまって、
虫の知らせ、の感覚が鈍っているんでしょうか。

じわじわ傷が深くなる前に、
このままじゃ「ヤバい」と感覚的に分からないと
いけないのかもしれません。

なんでも、ほどほどにが
一番かも。