意のままに

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

育てたとおりに、子は育つ。

・・・なんて言います。


このブログをご覧の皆様の中には

きっと子育て中の方もいらっしゃるかと思います。



・・・ところで、

育てたとおりに、育ってますか??



かくいう私も、終盤に入ってきたとはいえ

まだまだ親業の真っ最中であります。


子育てをしていると、思うようにいかなかったり

ままならないことが多々あります。



学生のころや、親になる前は、

自分が努力さえすれば何とかなってきたようなことも

自分の頑張り云々の範囲を超えて

どうしようもないことにも遭遇します。



ちっとも、思うようにいっていないのに

「育てたように育つ」といわれても、

「予定外、想定外のことが山ほどあるんですが⁉」

と、言いたくもなります。



本に小さなころから親しむと、本好きになる!

・・・はずだったのに、うちの子は基本漫画しか読みません。

どんなに親が感動した本でも、

チラッと開いて、それで終わりです。



素朴な味で育てたら・・・なんていうけれど

保育園、幼稚園、家の外の世界で「他」に触れて

すっかりジャンクもOKになったりします。



育て方が悪いんじゃないの?とも言えますが、

親力のなさを踏まえても

時々思うことがあるのです。


こちらが満足いくような「応え」をしない。


それは、反対に言えば

「言いなりになっていない」ってことじゃないかと。


小さなころから本を読ませて、

本当に【心底】本が好きな子もいるでしょう。


小さなころから、素朴なものに触れさせて

【心底】素朴なご飯が好きな子もいるでしょう。



でも、問題は、【心底】そうは思っていないのに

なんとなく周りの反応を見て

そうしている。そうせざるを得なくなっている場合も

あるということです。


がっかりさせたくない。

怒らせたくない。

こうした方が、こう言った方が、喜ぶから。



相手の心情や、空気感を先回りして

【応え】を用意する。

子どもなのに、です。



へたしたら、大人になっても

親の顔色を、うかがい続けることだってあります。


怒られないよう。

嫌われないよう。

見捨てられないよう。

がっかりさせないよう。


でも、誰かの期待に応えないと

誰かの、社会の、役に立たないと

私たちは、好いてはもらえないんでしょうか?



生きていると、思うようにいかないことだらけ。


なのに、常に「上手く」いっていないと

見捨てられたり、嫌われたりする。

そんな大人を、社会を、

【心底】信頼できるでしょうか?



期待に添えなくても、思うように結果が出なくても

怒られたり、がっかりされるようなことはあっても、

そんなことで嫌われたり、

「あいつに比べて」と差別されたりしない。


子育てに限らず、思うようにいかないと

失望したり、自分の力のなさに落ち込むこともありますが

それは、「支配していない」からでもあると思うのです。



「親」から生まれはしたけど、「違う」。


「違う」ことは、きっと良いとか悪いとかじゃない。


異を唱えられない関係性なんて

どちらかが「言い負かしている」にすぎない。



親子でもそうだし

上司と部下もそうだし

うっかりしたら、プロとアマだってそうだ。



経験もないし、何も分かってないんだから。

子どもだから。

若輩者だから。

素人だから。


「お母さんの言うこと聞いてれば間違いないのよ」

「言うこと聞かないなら、後でどうなっても知らないよ?」

「素人はこれだから」



それは、見下ろしてないか?

意のままに、しようとしてないか?


「聴いて」「添える」余裕や度量があれば別ですが

そこまで懐の深い人は、中々いない。

だから、「言い負かす」方が手っ取り早い。


だから、うっかりすると

正論で押さえつけただけで、

そこに温かな信頼関係はなくなってしまう。


聞いてすらもらえなかった、とういう「不信」だけが残る。


思い通りにいっていないこと「も」、ある。

正直、もやもやした部分「も」ある。

・・・ことが、実は結果的に

バランスが取れているのかもしれない

・・・と、思うのです。



でも、考えようによっては

何でも言うことを聞いてくれる子どもなんて

不自然極まりないのです。

親が「右向け」と言ったら、

次の【指令】が下るまで「右」しか向かない。

犬じゃあるまいに!

それに親のいうことが全てなら、

何かあれば、全部親の責任です。

「お母さんの言うとおりにしたけど

間違ってるやん‼」

・・・ってことだって、当然ある。



だって、親だって全知全能の「神サマ」ではないんだから。



だから、言うこと聞かないということは、

子どもの失敗の何もかもを

親が責任取らんですむ!ということかもしれません。



「知らんわ~!

お母さんこういったのに、せんやったんやし。

決めたのアンタやろ~?」

って、ニヤニヤしてやる!


巣立った小雀の巣まで、エサを運んでやるような

親にはならん!

そもそも、(経済的にも)無理!

やけ、自分でなんとか頑張れるだけ

やっていけるだけ、

力つけてほしいな~と

親力のない私は思うのです。

最後の晩餐、終の棲家

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

昨年、義父が他界しました。

いきなり、お葬式の話ですが

家のことにも、無理やり(?)つなげていきますので

しばしお付き合いくださいね。



映画『おくりびと』ならぬ、納棺師の方が義父を丁寧に

棺に移して、さて思い出の品を入れる入れないの話になりました。



(病気で)お酒もたばこも我慢しちょったしな~」

「口寂しいもんやけ、アメんじょ~食べよったわ」

「・・・んじゃ、アメで良くね?」



・・・・???

・・・・いやいやいや!

我慢して、仕方なく「アメ」やったんなら

そこはタバコかお酒では???



私こと、ダメ嫁は少なからずそう思いましたが

大盛り上がりのオバちゃんたちを前に、当然発言権はなし。

薄ら笑いを浮かべるので、精一杯でありました。

・・・たぶん、義父もツッコんでるかもしれません。

「なんでアメちゃんやねん!」って。(←エセ・大阪弁)



話はちょっと飛びますが、わが家にはQ太郎という

セキセイインコ(♀)がいます。

Q太郎



親バカですが、たいそうな可愛いインコです。



しかし、獣医さんの「ぽっちゃり認定」をうけ
 
ただいま5g/日のエサで食事制限しています。

いつもいつも発情して、孵らぬ卵を産まないためにも

いつでもエサ食べ放題!いつでも産卵OK!でないようにしています。



その愛くるしさから、チョウ(鳥?)よ、花よと

まるでお姫さまのようなQ太郎ですが

そんなワケで、結構いつも・・・おなかが空いている。



エサを新しいのに変えてやるたびに、

がっつくQ太郎さんを見て、やっぱり思うのです。



これが、明日で最期とか、もし分かってたら

きっと、好きなだけ、好きなものを食べさせてやりたい‼

そう思うんだろうな~、と。



明日も、その先も、まだ生きている可能性の方が高いから

私たちは健康に気を付け、少しでも体に良いものを食べようとするし

食べさせようとするし

「健やかで」あろうとする。



自然素材住宅を建てる工務店のブログで、こんなこと言うのもなんですが

「じゃ、自分がいよいよ死ぬとき。

その最後の晩餐に、何が食べたいか?」といえば

私は、残念ながら自然食・健康食ではないのです。



オーガニックだから!とか、無農薬だから!とか、

糖質offだから!とか、そんな理由じゃなくて、

やっぱり、心から「ああ~!おいしい~!」

・・・というものが食べたい。



今わの際にあって、「ああ~!おいしい!」ならともかく、

あんまりお世辞にもおいしいとは言えない物は

体に良くても食べたくない。



やっぱり、豆乳とか梅酢とか甘酒とか酒粕とかを駆使して

ナントカ作った、なんちゃって「チーズケーキ風」のものより

断然、(中性脂肪うんぬんのリスクはあっても)本当の「チーズケーキ」!

・・・の方が正直、美味しいんだもんな~。



明日がどうなるかわかってるなら、

健康のことより、脳みそが美味しいと

本当に思う方をきっと選ぶ。



そう。美味しい!と思うのは、

脳みそが喜んでいる感覚なのだ。

きっと、なんかホルモンが出てるのだ。



・・・で、ようやく家の話であります。



家は、生き方。・・・って、私はよく広告に書くのですが

上記の話ではありませんが、

やっぱり、脳みそが喜ぶ家っていうのもあるんじゃないかと。



それも、きっと人によりけりなんでしょうが

私は、終の棲家が「木の家」って嬉しい。



理由は、やっぱり無垢の木に触れていることは

私の脳みそが喜ぶからです。



だから、私が今わの際に食べたいのは

ジャイアントコーンだし、

住んでいたいのは、木の家です。



私の脳みそが、それを「心地いい」と、喜ぶから。