99%の一部

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


前回の、「名もなき星」の続きではないのですが

ちょっと関連したお話です。


以前、水木しげるさんの著書『人生をいじくり回してはいけない』を読みました。

なぜ読みたくなったかというと

赤紙、戦争、マラリア、片腕、そして貧困。

そういったものを飄飄と生きてきたように見える

水木さんが、何を考えていたのか知りたくなったからです。


読後の感想としては、

飄飄と生きるには、生きるなりの

肝の太さが要るのだと実感したというか。

小心者には、この境地には

なかなかなれないな、と思ったのです。


その中に2つ、印象に残った話がありました。


ひとつは、

【99%のニンゲンは、無能】

もうひとつは、

【木や虫のように死ぬ】という箇所です。


・・・この部分だけ聞くと、強烈でしょ?

「なんだと?そんなこと、あるもんか!」と言いたくなる。


ところが、本全体を読むと

がっかりしつつも、なんとなく言いたいことが分かる。


がっかりしたのは、まさしく

私が、その99%の一部だと確信したからなのですが

言い換えれば、そんなにたくさんいないから

天才は1%、なわけです。


名もなき星の話、ではありませんが

イルカの曲芸をどんなにうらやんでも、

亀やメダカには、できないことです。


でも、「イルカのようになれないから」と、

一生、いじけて生きることはないんじゃないか。

亀には亀の、メダカにはメダカの、

わたしにはわたしの、

良さがあるんじゃないか、ということです。


水木さんは、ラバウルで

土人たち(注:水木さん言うところの「土に生きる人」)と仲良くなります。

そのおおらかな暮らしぶりに惚れ込み、

この世の楽園だと思うわけです。


彼らは、木や虫より自分たちを偉いとも思わない。

同じように生き、同じように死んでいく。

「こうあるべき」「ああせねば」と立派に見せることもない。

神様にいかに気に入られるか、そんなことは気にしない。

土のない所に生きると、

「自分が、自分が」ともがいて、

木や虫のように、自然に死んで行けない。


99%の無能の一人。

そう確信し、がっかりしても


「イルカの真似をして、いじけて苦しむな。

木や虫のように

自然に生きて、その生を全うしなさい。

それでいいんだから」


そう言われているようで、

がっかり、失望しつつも

気が楽になった。そんな本だったのです(個人差はあると思いますが)


だから、あまり「こうあるべき」にとらわれている時は

ちょっと、この話を思い出そうと思います。


自然に暮らそう。

自然に生きよう。

良かったら、木の家なんかも

ご検討くださいませ。

さすがに、住む場所がないと

日本では厳しい。夢の楽園のようにはいきません。


それでも、せっかく住むなら

自然の素材、木の家で。

自然素材のお家・OB様邸ご案内

公式の見学会がない時も

OB様邸ご案内など行っております。
(もちろん、コロナ対策に万全の配慮と、状況判断の上でですが)

とにもかくにも

まずは、お気軽にお問い合わせください。

自然素材を使った、リフォームのご相談も

もちろん可能です。

なるべく自然体で生きる暮らしを、一緒に考えましょう。

ご連絡お待ちしております。


お問合せ・ご相談

名もなき星

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


見たり見なかったり、気に入れば録画してでも見るドラマ。

今、朝ドラ『エール』が面白くて楽しみにしています。


え?そんなん、見る暇ない?

そうか、それは大変ですね。

・・・はい、会話終了。


・・・いやいやいや!

それでは、話が終わってしまいますし

大変な話や、苦労話ばかりしかできなくなりそう。

苦労や、努力と根性の話しかできないのは、疲れますし

喜び勇んで聞きたくないような。

会う度に同じような話しかしないよりも

興味のアンテナが何本もたっていて

会う度に「何それ?何のこと?」って新ネタが出てくる人は

次に会うのも楽しみですものね。


不思議と

「これ、すっごい面白いの‼」っていう誰かの話は

その本体に興味はなくても、すごく楽しくなってきます。

話しているご本人が、楽しそうで嬉しそうなので

聞いてて面白い。

きっと、ウキウキワクワクする気持ちが

伝染するからでしょう。

ミラーニューロンというやつですね。


『マツコの知らない世界』が面白いのは、

考えも思いもしなかった分野を、

それはそれは楽しそうに話すディープな人たちが出て

それをマツコさんが「へ~」と面白そうに聞くからです。


誰も傷つけない、面白い話は

空気の温度を少し上げてくれます。


「そんな暇ない」で、話の口をふさがれてしまうと

その間の空気って、薄くて、ひや~っと冷たい。

少なくとも、元気は出ませんもんね。


だから「こんな時期に」って気はしますが

あえて書きたいと思うのです。

そんな言い訳をしつつ、以下ドラマの話です。


朝ドラ『エール』は、『栄冠は君に輝く』や『六甲おろし』などを作曲した

古関裕而氏と、その妻で歌手の金子氏をモデルに

フィクション仕立てにしたドラマです。


主人公の小山祐一に窪田正孝さん、妻の音に二階堂ふみさん。

窪田正孝さん演じる祐一の、オドオドした感じの福島弁と

脇を固める登場人物の味わい深さ、さらに演出、画の撮り方が面白くて

そりゃもう、釘付けで見ています。
(あと、二人の新居の貸家が、本当にデザインが素敵なんです!どこもかしこも!)


ドラマは今、反対を押し切って新婚生活を始めた東京が舞台。

国際作曲コンクールで日本人初の2位になるも

世界的な不況で留学は中止に。

夢を絶たれて、コロンビアレコードで専属作曲家になるものの
(とはいえ、挫折してすら、この立ち位置って。)

なかなか芽が出ず、金銭面でも不安しかない。


そんな祐一を、妻の音や友人たちが励まし続けます。

「あなたなら、きっとできる」と。


そうなのです。

どんなに心配した母親に反対されても、

すねちゃった弟に薄情者扱いされても、

私たちは、成功した古関裕而を通して

主人公の小山祐一を見てる。


今に成功する、素晴らしいものを世の中に残すことになる。

そういうゴールが分かっているので

迷い悩む主人公に、

「負けるな!大丈夫!自分の気持ちに正直に、前へ進め!」

そう確信をもって応援(エールですね!)したくなるのです。


しかし、悩めるご本人にしたらゴールどころか

その道すがらもわからない。

こっちに行けば蛇が出るか、あっちにいけば鬼がでるか。

それが怖いから右往左往するのです。


それは、きっと私たちも同じこと。

先行きが分からないから悩んでしまう。


本来なら、蛇が出ようが鬼が出ようが

ホントのところどっちに行きたいの?

そうシンプルに考えれば良いのですが

明日のご飯の元や、家族のことを考えて

とりあえず目の前のことをするしかない。

だって、おそらくは名もなき人生だから。


ドラマの主人公のような

華々しい成功なんて、なかなか考えられない。


ドラマは、ドラマチック。劇的なのです。

じわじわ効く民間療法薬ではなく、劇薬に近い。

効くけど、刺激も副作用も強いのです。


そうなると、

特に主人公が、世に名を残すような人の場合、

その劇的な人生と、自分とを重ねると

感動しつつも、手綱を引きたくなってしまう。

こんな自分の冴えない一生と、主人公の華々しい一生を

一緒にしては、いけないのではないかい、と。


私たちは、成功した一部の光を見ている。

いわば、スター。一番星です。


でも、それがわかっててなお、

劇中の言葉に、行動に、

心が震えるわけです。

涙も流すし、一緒に喜びもする。


心が震えるのは、自覚のあるなしに関わらず

本当はそうありたいと思っていることがあるからです。

口に出すのはおこがましい気がしても

根っこでは、そう思っている。


一番星ほどの強烈な、華々しい光ではないかもしれない。

どう妄想し、暗示をかけても

一番星な「わたし」が、どうも想像できない。


そう、名前の付いた星より、

名もない星の方が、圧倒的に多い。それが現実です。

あんな風に立派になりたいと願いながら

名もないまま一生を終わることの方が、圧倒的に多いのです。


でも、よくよく考えれば

なんでそこまで立派じゃないといけないと思っているのか。


図書館に並ぶ偉人の本に、

ドラマに出てくるスターの姿に、

憧れはしても、

そうなれなきゃダメなんてことは、ないはずなのに。


名もなき星の、星屑にも、

それでも

ちっちゃい、ちっちゃい光があって

それが刺激されるから、

心が震え、感動する。


生きている間に、光が当たるとは限らない。

あのゴッホだって、まさか死後これほど

後の世に影響を与えてるとは思いもしなかったと思うのです。

自分に光があるとも知らず。


名もなき星も、生まれれば

互いに影響はしあう。

良くも悪くもではありますが。


できれば、ささやかでも

誰かを応援できるような、

それこそエールになるような

名もなき一生であれたらと、

ドラマに、本に、思うのです。

「名もなき星」続きを読む