だざいゆかりの

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


先日、読書仲間と
「ゆふいん文学の森」に出かけました。

ゆふいん文学の森


文豪・太宰治ゆかりの碧雲荘という建物を移築し、
湯布院で見学ができる交流施設&ブックカフェになっています。

ゆふいん文学の森

本は好きなのですが
読歴は浅く、
おばちゃんになってから。

決して読書家とは言えず、
名著と言われる本は
頭がついていかない。

だから、太宰治のことも
うっすらとしか知らないのです。

だから、詳しくは書きません。
ぼろが出ちゃいますからね。

ただ、こちらの建物。

撮影OKだったのです!

これは、建物好きには
嬉しい限り。

「お前は読書に来たのか
撮影に来たのか」
と、言われそうなほど
シャッターを切って帰ってきました。

もくせい工舎のサイトを訪れる方には
この雰囲気、気に入っていただけるかと思います。

ゆふいん文学の森。D'shop
駐車場からすぐのアプローチにあるお店。この時は開いていませんでした。
黒い漆喰?の外壁に、木の建具がおしゃれです。上部は明り取りでしょうか。
は~、また、細かい。これがあるとないとでは、大違い。

ゆふいん文学の森。D'shop
外壁の黒も、こうしてみると、なかなかどうして。
シックで、おしゃれ。
ライトとかの小物の演出が効いています。

ゆふいん文学の森。アプローチ
庭木を見るのも好きなので、まずこのアプローチにおののく。
あ~。これ、ビンボー人の私には宝くじでも当たらないと作れない・・・。
何でこうもまあ、左から行っても右から行っても楽しそうなんでしょう。
こういう空間の遊びというか、無駄が、かえって贅沢だというのは不思議なものです。
世の中は役に立つことばかりがエライのに。

ゆふいん文学の森。玄関付近
威風堂々。実は東京で取り壊しの危機にあったとのこと。もったいない~。
よかった!大分に来てくれて!この風格は時間と素材がつくったもの。宝物です。

碧雲荘には玄関が二つ。
左の入り口から入ると、すぐ奥がカフェスペース。
右に行くと、2Fに続く
見学&読書スペースになります。

見学無料。太っ腹です。
ただし、ご協力の箱がありますので
こういう空間を残してほしい!のなら
惜しまずよろしくお願いします。

・・・と、言いつつ
懐具合が気になって
入れなかった私ですが。
次こそ期待してほしいところ。(誰に言ってんのか?)

ゆふいん文学の森。玄関
2つある玄関のうち、正面を向いて右側の玄関。こちらが本玄関になるんでしょうか。和洋折衷というか、
あ~もう、ステンドグラスが、また良いですね!この黄色!
先ほどのショップの建具もですが、明り取りのようなしつらえが。
こういう細やかさが、空間のちょっとした贅沢具合を引き上げるような気もします。

ツヤツヤ光る階段を上ると、見えるのがこれ!

2階に上がる早々激写した、トイレドアと洗面台!

ゆふいん文学の森。2階トイレ前
飴色になった、ツヤツヤの木と、大きなレトロな鏡。これがあるから、裸電球がかえって映える!

ゆふいん文学の森。2階トイレ前
湯布院の丘の上。植栽もたっぷり。この雰囲気を邪魔する隣地の建物もなく。
絵になる風景とは、このこと。撮影してて嬉しくて仕方ない!・・・あ、やっぱり読書忘れてますね。

ゆふいん文学の森。2階
下宿スペースだったとのことで、細かく部屋が分かれる2階。
それぞれの部屋で、自由に本を読むことができます。
昔の建物には、風通しを良くする工夫がいっぱい。
構造上とか耐震とかの問題があるのかもしれませんが、今となっては羨ましい工夫。
内装の壁は珪藻土っぽい仕様。

ゆふいん文学の森。2階
元々だったのか、後付けされたのか、明り取りの可愛いすりガラス。

ゆふいん文学の森。2階
個性が違う、各部屋。好みの部屋で、好みの本を楽しめる。

ゆふいん文学の森。2階
窓から庭のイベントスペースを眺める。

ゆふいん文学の森。2階
こんなスッポリ納まるスペースも。

ゆふいん文学の森。2階
ええ、もちろん納まってみましたとも。(きたない足でスミマセン。)

そして、一番奥左側の和室が、
太宰治が夫婦で借りていたという部屋です。

人間失格などもこちらで生まれたとか。

ゆふいん文学の森。2階
なんだかんだと、一番居心地が良かったのもこの部屋でした。

何度かブックカフェには行ったことがあるのですが
私は他人様がいると
妙に緊張して本に集中できません。

こんな風に部屋が分かれていたり
畳敷きだったり、
お店の人が「信頼して」ほっといてくれるのは
とても心地よく、

心地よすぎて
思わず畳でごろ寝して
本が読みたくなったほど。

ゆふいん文学の森。2階
太宰治ファンにはたまらないと思います。

また、自分好みの本ばかりでないのも良い。

ここに来なっかたら
まず目を通さなかったかもと思う本に
出会えるからです。

本は、自分とは違う
他人様の世界観に
いつでも出会える扉のようなもの。

嫌だったら読まなくてもいいし、
相手の都合を気にすることもありません。

自分だけでは凝り固まってしまう価値観に
「そうじゃないよ。
別の見方もあるはずだよ。」
そう教えてくれるのも本です。

しかも、もう死んでしまっている大昔の人の考えや、
会うこともないような
著名な人の考え方も知ることができる。

だから本は面白いんだと思います。

そんな本好きが集まる、こちらの文学の森。

友人が数冊、自宅から本を持参していました。

実は、「輪廻転読」といって
他の人にも読んでほしい本を持ってくると、
同じ冊数だけ、
そのコーナーの本を持って帰れるという仕組み。

他の人にも読んでほしい。
ってところがミソですね。

ところで、この輪廻転読コーナーには
中庭を見ながら、お食事が頂ける一枚板のカウンターがありまして。

とても良い雰囲気だったので
友人とここで
ワヤワヤ話しながらお食事を頂いたのです。

その後、お店の方に聞くところによると
なんでも
中庭の石とか庭の灯篭などを
お笑い芸人で作家の
又吉直樹さんが、こちらのために贈られたのだとか。

ゆふいん文学の森

「だから、又吉君ファンの方には
人気のお席なんですよ~」と聞かされ、

ひゃ~、そうとも知らず
のんきにベラベラ喋っててスミマセン。

遠くから、「あそこ、座りたかったな~」って
思われてなければいんだけども!

いやはや、失礼しました。

「又吉君も、熱心な太宰ファンなので
東京にこの碧雲荘があったころ
取り壊すのに反対してて。

ここ湯布院で
文学の森として、また存続できるってなった時は
本当に、喜んで。」

そっか~、それで、石。

内心すっかり、中庭の石を
「又吉の石」と命名。

それにしても、ご縁とはなんと不思議なものなんだろう。

色々な方の思いとか
タイミングとか。

偶然か必然かわかりませんが、

こんな身近な湯布院で
こんなに素敵な場所になったことに
ありがたいおすそ分けをもらったような気持ちでした。

それにしても、冷房なしでも
涼しかった。
こちらも不思議。

ゆふいん文学の森。

本は苦手なかたも、
お家づくりのヒントになるかもです。

こんな感じが好みなんだ!を実感するために。

良かったら、ぜひ。

子ども達から借りている

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


おらが村でも再生プラスチックごみの分別が始まりました。

今まで燃えるごみとして
出していたプラを、
洗って、干して、別の日に捨てます。

意外に、干場に困るので
ホームセンターから
干物用ネットなどを買ってきて
使っています。

実際に分別してみると
これほど多かったのか、プラスチック!

燃えるごみはいつもの半分ほどになってしまいました。

私はひねくれてるので

分別するために洗って汚した水とか
別回収するために出した車のCO₂とか
再生するために出た何だかとか

総トータルで結局良いことなのかと
ついつい考えてしまいます。

とはいえ、いかんせん
それが私に分かるわけがない。
地球規模で環境問題を何とかできる
頭は、残念ながら私にはないのです。

とりあえず家庭規模で
頑張りたいところ。
燃やすよりはましだと期待して
分別をまじめにやりたいと思います。

それにしても
いくら分別してもキリがない。

これはもう、
過保護で過剰すぎる
企業の包装自体をなんとかしないといけないような。

以前は便利だと思っていた個包装も
いざ洗うとなると、
も~う、ちまちま出てくるそれが、
うっとうしくて仕方ない。

ここまで小分けする必要が
果たしてあるのだろうかと
思っちゃう。

でも、それだって
ニーズがあったから売れてたんですよね。

私だって、便利だと思っていた。

私だってプラには
甘えているっていうことです。

お恥ずかしいのですが
この歳になって知ってびっくりしたことがあります。

ある読書会で、石牟礼道子さんの『苦海浄土』の
お話を聞きました。

水俣病のことは、小学校の授業でも習っていて
猫がさかさまになって
踊り狂うように死んだこととか
人間ももだえ苦しんで亡くなったこととか

子ども心に痛烈だったのを記憶しています。

本を紹介してくれた方が
石牟礼道子さんの生きづらさも含め
熱心に話してくれたので
気になって、最近検索して見たのです。

【水俣 チッソ 水銀】
という単語は記憶していたのですが

あの海に垂れ流していた排水は
アセトアルデヒドという
プラスチックの原料を作る際に出ていたもので
そこに有毒なメチル水銀も混じっていたとのこと。

ここでも、プラスチック。

しかも汚染された海のヘドロと一緒に
魚が生きたまま大量に埋め立てられていることも知りました。

わざわざ言及はしませんが
なんだか色んなこととリンクして考えてしまいます。

あれから何十年たっても
やることは余り変わっていないのです。

効率や、経済的なことを優先し
大丈夫、大丈夫とごまかして
問題が表面化したら、とりあえず頭を下げ、
金を出し、
埋め立てて、なかったことにする。

それ、今でもやってますよね。

歴史から学ぶことができるただ一つのことは
人間は歴史から何も学ばないということだ。

ヘーゲル|ドイツの哲学者

早い・安い・簡単・便利。

それに甘やかされて
またやらかしてしまう。

世界はそれでも少しずつ良くなっている。

そう信じたいです。

水俣の埋め立て地は
その後きれいな公園になっているようです。

そこを、ただきれいなだけの場所にしないために
そういう事実があったことを
忘れ去ってしまわないように

犠牲になった生き物たちを弔うため
水俣病患者自らが彫った
野仏さまが納められています。
NHK|【特集】水俣から考える(1) 漁師・緒方正人さん

いつか、見に行きたいと思います。

他人事にしないように。

地球は親から与えられたものではない。
祖先からの授かり物でもない。
子ども達から借りているのだ。

不詳|ネイティブアメリカンの言葉

子ども達に残せる財産があるかはともかく
借金やツケをを残すような
大人にならないようにしたいです。

だから、グレタさんはあんなに怒ってるんだよな。