国東ついで。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


どこかに行くのに
目的が1つより2つあったほうが
こう、テンションが上がりませんか?

つまり【ついで】の
お楽しみがあった方が
行く意義が増すというか
はるばる行った甲斐があるような。

今回ちょっと早めにブログを更新したのは
その「ついでの楽しみ」のお話をしようかと
思ったからでした。

実は、7/3,4の週末に
もくせい工舎では
急遽、構造見学会を開催することとなりました。

場所は国東市。
国東高校のすぐ近くの
閑静な住宅街です。

いつもは大分県北、宇佐市近隣で開催することが多いので
今回は少し離れてはいます。

県北からだと、
両子寺の前を通って
だいたい1時間以上はかかるでしょうか。

現場の地図を書くために
一度は前もって
現地まで確認に行くのですが

今回私が【ついでに】と楽しみにしていたことがあります。

それがこれ~!

ポールリカールのケーキ

ポールリカールさんの
半熟チーズケーキ!

ついでに
(名前忘れちゃいましたが)チョコレートケーキと
国東ロールもゲット。

それこそ15年くらい前。
まだ上の子が小さかったころに
よくホーバークラフトを見に大分空港まで
行っていたのです。

その時、帰りに買った
半熟チーズケーキが美味しくて
「また食べたい」って、ず~っと思ってたんです。

現場の地図を確認してたら、
「・・・現場近くでは?」というわけで。

【国東ついで】の楽しみにしたのです。

こうなると、仕事ですが、
あくまで仕事なのですが、
・・・心なしかウキウキしますよ。

だって【ついで】の楽しみが
待っている。

あ、肝心のケーキですが。

なにせ15年ほど前のこと。
記憶のケーキとちょっと違ったのです。
悪い意味じゃないんですが
あれ?こんな感じだったっけ??

いやいや、美味しいんです!
中のチーズクリームが濃厚で、
でもラズベリーソース(たぶん)の酸味が爽やかで。

記憶があいまいだったのは
周りのスポンジケーキ(シフォンケーキ?)の部分。

あれ?なんか全体的に半熟っぽかったような。

・・・年のせいも手伝って
記憶も半熟気味です。溶けてます。

国東ロールも、
通常のロールケーキの1.5倍はありそうな断面積に
「太巻き!」とびっくりしましたが
これが、ま~軽い。
ペロッと食べれる。恐ろしいことに(笑)

4等分するには太いけど、
柔らかいので
8等分する自信もなく
「でかいな~」と切った一切れを
子ども達は
「・・・あっという間になくなった」
と、たいらげておりました。

くわばらくわばら。

私もうっかり食べきりそうでしたが、
半分で我慢しました。
中高年は、後が怖い。

でも、これでもかというような
生地の卵の黄色い色味や
フワッフワッの口当たりは
なかなかどうして。

これで一本1000円はコスパも良いと思います。

遠方は冷凍を買った方が良さそうでした。
後で気づきましたが。


おっと、本題に入らねば。

構造見学会は、やっぱり完成見学会よりは
地味に感じると思います。

しかも小一時間はかかります。

それでも、ぜひ
建てる前に見て欲しいのは
俄然、構造見学会!

もしよければ、
【国東ついで】を楽しみに
「ちょっと見に行ってみるか~」なんていかがでしょう。

例によって、
見学会は予約制となっております。

ご都合がよろしければ
ぜひともお越しください。

お待ちしています。

【ついで】にポールリカールさんにお立ちよりでしたら

ポールリカールまでの地図

↑構造見学会の地図より
ちょっと長め。
拡大版です。

現場から車で数分。

よかったら
【ついで】のお楽しみに。

見学会も、ぜひ。

こだわりの!

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


こだわりのお店。

店主こだわりの食材。

「こだわりの」って聞くと
「あぁ、適当に選んでいるわけではなくて
色々な選択肢の中から
最善のものを厳選しているんだろうな」と感じます。

感じるんだけれども、
猫も杓子も
「こだわりの」をつけたら
何がなにやら。

【こだわる】の本来の意味は
ちょっとしたことを必要以上に気にする。執着する。

実は、あまり良い意味ではありません。

かといって
それに代わる言葉も
なかなか見つからないから
とりあえず使っている状態ではないでしょうか。

売る側にしたら
「こだわりの」をつけることで
ウチは他とはちょっと違うことを
伝えようとする。
差別化なんで言葉もありますし。

ただ、そうなると
他を下げるようで
使い方を間違うと
なんだか鼻持ちならない感じになる。

一方で
買い手側にしてみれば
「こだわりの」が、必ずしもアタリとは限らない。

こだわりの豆腐が、いまいち好みでないこともあるでしょう。

こだわりの素材でも、履いて痛い靴は使えません。

「価値」と「使用価値」は違うらしいので

売り手の「こだわり(価値)」が
買い手に「ぴったり(使用価値)」でなければ
「う~ん。それでも、私には要らないかな!」となる。


「こだわりの」は、もう聞き飽きた。
それを好きかどうかは
私が決めること。

買う側からしたら、
そう思ってしまう。

そうなると、脅すつもりはなくても
「これを使わないと問題が起きる可能性がある」なんて
不安を掻き立てる言葉が出てくる。

"あなたにも起こりうること"として
【当事者意識】を持たせて

「そうならないために、これを使いなさい」は

ともすれば
そういう言葉になりかねない。

自分を必要以上に大きく見せたり
不安をあおったり。

そんなことをせずに
本当に必要な人に
必要な情報をどうやって
伝えたらいいのか。

せめて
広告などで
手垢がついた言葉を並べ立てることに集中するより

売り手の世界観や空気感も含め
気に入って
関心をもってもらえるかが
大事なのかもと思うのです。

広告用の「言葉」ではなく、

その作り手が
日々
何を見て
何を考えているのか。
その方が、
よっぽど力を持つ。

だってほら、
肌がぼろぼろの人に
「私は、これ使っている!」って言われて
その化粧品使う気にならないですよね。

化粧品を売りたければ
健康的な肌の方が良いし

健康に関するものを提供したければ
売る自分が、まず健康でないと。

顔色が悪い、疲れた感じの人に
「健康に良い」と勧められても
説得力は低めです。

他人を笑顔にしたければ
まず、自分が笑顔で。

人を癒したければ
まず自分の傷が癒えていること。

その上で

この人の作るものが
見ている世界観が

私はなんだか、とても好きだ。


その時、手に取って
相性があえば
またご縁が続くんだと思うのです。

だって、
こだわって、いくら良いもの作っていても
ふんぞり返ってる人に
あまり会いたくはないもんなぁ。

こだわってたら、そんなに偉いの?
って言われかねない。

自信があることと
威張ることは違う。

本当に自信がある人は
自分のプライドに振り回されない
謙虚さを持つ人です。

だから
自分の「こだわり」以上の
進化をする。

10年、20年
同じやり方で
通じることと通じないことがある。

何故か?

「他より」って差別化していた
その他者だって
懸命に努力しているからです。

厳しいけれども
「こだわり」具合に拘わらず

好きかどうかは
相手が決めること。

だから
自分の提供したいものと
その思いの根底となる
バックボーンや世界観を伝えるために
ブログやインスタなんかがあるんだと思うのです。

これもまた、実際の自分とあまりにも違えば
がっかりされちゃうし。
自分だって無理が出るし。

やっぱり伴侶選びと似ていると思います。

肩の力を抜いた自然な状態で
気に入ってもらえたら
自然に
ご縁はつながっていく。

「こだわりの!」ってつけてたら
売れていた時代は
もう終わり。

大事なのは
売り手のバックボーン。

もし、木の家が本当にお好きなら
木の家が本当に好きな人から
話を聞いてみる。

木の家の話をしだしたら止まらない。

そういう人の
家を見てみるというのも
手ではあります。

「こだわりの!」のフレーズに
振り回されず

良いご縁がありますように!