かなえば、なれる

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


年収が2倍になったからといって
生活の満足度が2倍になるわけではない・・・らしい。

例えば、年収400万の時は
「年収800万になったら
さぞ満足して日々暮らせるだろうに!」
そう思っていても
いざ年収800万が当たり前になったところで
日々の不安や不満は大差がないのだとか。

そう聞くとショックなのですが
もっと小さな単位で考えると
分かりやすいですね。

お小遣い500円が
1000円になったところで
1000円に慣れてくると
「もう少しあれば、あれが買えるのに!」なんて不満が出たりして
キリがないのと同じでしょうか。

不満を感じている「今」の状況が
ワンランクアップしても
慣れてくれば
ワンランクアップしたはずの足元は
いつの間にかレベル0に感じてしまう。

だから夢が叶えば
未来永劫、バラ色の未来が待っているわけではなく
叶っても、今と同じように
悩んだり、迷ったりはきっとある。
ということです。

ネガティブな意味にも取れますが
考えようによっては
今も、夢かなう未来も、
泣いたり笑ったりには大差はない。

だったら、安心して「今」を
泣いたり笑ったりしてても
大丈夫なのではないかと思うのです。

夢かなえば、なりたかった自分に「なれる」。
一方で
かなった自分にも「慣れて」しまう。
そうしたら、いずれ
ムクムクと次の「不足」が気になってくる。

自信がない「今」も
過去から見れば
眩しい「未来」だったはずなのに。

だから、うまくいかない時ほど
気をつけたいと思います。
少なくとも
自分で自分にダメ出しを続けて
一生を終えることがないように。


なんやかんやあっても、
今こうして生きている。

生物として
生き残っている。

陽光輝く、花咲き乱れる春も、
もう枯れたように見える極寒の冬も、
とりあえず生きている。

夢や願いが
叶おうが
叶うまいが
こうして今、生きている。

生き残っている。

どうか
自分の人生を
自分で嫌うことのないように。

自分で自分に言い聞かせております。

年のせいか
すぐ、忘れがちではあるのですが。

価値価値ヤマ

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

経済にも疎いのですが
「価値」と「使用価値」は違うらしい。

すごく手が込んでいたり
こだわっていたり
(人手や時間の)手間がかかっていたり
量産できなかったり。

そういうものが「価値」がある
というのは、何となくわかります。

しかし、それと
「使用価値」があるかは別の話。

例えば、オーガニックコットンで作られてても
他のものと一緒に洗濯できなかったり
アイロンがけなしには着られない服は
ずぼらな私には遠慮したいところ。

「素晴らしい」けど、使いにくいので
「価値」はあるけど、「使用価値」は低くなります。

こだわりの食材でつくられた料理も
味が好みでなかったり、
お店の応対が嫌な感じだと
「素晴らしい」けど、またお金払ってまで食べたくないかな~
ってこともある。

きびしいけれど

がんばった
こだわった

が、「使用価値」に値しなければ
買ってはもらえないし、

いいかも!と思って買ったところで
思ったほど良くなければ
もう買わない、リピートはしないってことになるんでしょうか。

つまりは、また買うほどの「使用価値」が
残念ながらなかった、ということなんだと思います。

新規獲得も大事だけれど
リピート率はそれ以上に大事で
(くち)コミレビューの怪しさはともかく、
信頼できる人が、「気に入ってね、ず~っとこればっかり!」
って言うのを聞くと
食指は動く気もします。

広告まがいの仕事をしていて思うのは、
広告屋に接点があるのは
新規の方とも言えます。

リピートに関しては
もうメーカーサイドの話になります。

ウソや大げさなことを書けば
住宅メーカーなら
見学会にいけば分かる話です。

大事なのは、契約以後の話。

一生に何回もお家を買える人ならともかく、
(家が一生に一度の買い物だとするならば)
実は「リピート率」の測りようがないのも
住宅業界なのかもしれません。

ただ、なんとなく
「また建てるとしたら、同じところで」
そう思うか。

それが唯一
目に見えないリピート率ともいえるのかなと
個人的には、思います。

ずっと暮らしていれば
だんだん困りごとも出てくることもあります。

古くなってきたり、
状況が変わって、
「どうにかならんかな~!」ってことは
どんなに【こだわった家】を建てていても
やっぱり出てくる。

そんな時に気軽に声をかけやすいか。

実は、そこも
住宅業界の「リピート率」ともいえるのかも
しれません。

新規も大事だけれど、
今ある「ご縁」はもっと大事で。

気軽に困りごとをOBさんが相談しやすいか。
(あえて親しみをこめて「さん」ですが)

相談がないのは、
問題がないからとは、限らない。

あそこは、困ってても声をかけにくい。

そう思われれば、
広告のレビュー以上に信頼性の高い
身近な人からの
リアルな口(くち)コミだってなくなってしまう。

「知り合いが建ててて、
後々も良くしてくれるって言ってたんで~」

実は、これが
最良の「作り手冥利」とも言えます。
OBさんが損得なしで
手放しに勧めてくれるほど
嬉しいことはないからです。

だから、
これから「家を建てたい!」っていう方は
契約後、建てた後、
相談しやすいかも要チェックです。

「価値」と「使用価値」。

ざっくり自分なりに解釈すれば
「価値」は、貴重かどうか、素晴らしいと思うか。
「使用価値」は使えるかどうか。便利かどうか。あてになるか。

「使えるかどうかの価値」っていうと厳しいですが
困りに寄り添ってもらえるかは
後々かなり大きいような気もします。
(忙しすぎて助ける暇がないスーパーマンより
近所のおせっかいの"おいちゃん"の方が頼りになるとか。
立派な人も、頼めないと"あて"にできないので。)


あ~。やっぱり家を建てるって
配偶者選びと似ている。

理想ばかり言ってたら
ことが進まないとか
清濁併せ吞むとか
折り合い付けるとか。

人の脳は後悔するようにできていると言いますが
せめて「当時やれるだけはやった」「考えた」は
精神衛生上、お守りになるかもしれません。

ちなみに「使用価値」はあるけれど
「価値」を全く感じないものを
ぼったくりというらしく。

どんなに「優れている、こだわってる」と言われても
売り手と買い手の「価値」感がずれていれば
両想いにはなれない。

「価値(素晴らしい!と思う気持ち)」と「使用価値(私の暮らしに合ってる!感覚)」の
ヤマ(山。鉱山。掘り出し物を見つける感覚)がはずれないよう、
よい出会いをお祈りします!

グットラック!です。