『猫も老人も役立たずでけっこう』という養老孟司さんの本があります。
その中に、とても興味深かいお話が載っていました。
子どもが増えないのは、根本的に都市化と関係していると考える養老先生。
かいつまんで言うと、
都市というのは意識の世界。
意識の世界は不確定要素の多い自然を嫌う。
人工的な世界は、まさに不自然な世界。
でも、子どもは自然そのもの。
どうなるかなんて分からない。
「ああすればこうなる」ってわけにはいかないから
そんな風に考えてたら減るに決まってる。
少子化は
人々が意味で満たされた、意識の世界に住み着いて
自然と対峙する方法を忘れてしまったからじゃないか。
詳しくは『猫も老人も、役立たずでけっこう』の
「東京は消滅する?」の章をご覧ください。
今回取り上げたのは、少子化なんとかせにゃ!という話ではなく
「ああすればこうなる」と頭で考えることについて
考えてみたかったからです。
子どもの教育費にいくらかかる。
そう言われると、やっぱり引きます。ドン引きです。
とはいえ、いつから子どもはリスクになっちゃったのか。
それくらい掛かってもいいなら
産んでよし。育ててよし。
なんて投資みたいな話なんだろうか。
私は、(今回は)縁あって親になりました。
育てていて、何も辛いことがなかったわけではないけれど
その何倍も、教えられることも多かったです。
もう少し、こうだったらいいのにな。
わが子に対して要望がないわけではないけれど、
「全く問題ない子どもと取り替えてやる」
そうカミサマに言われても、断ると思います。即レスで。
だって嫌ですもん。連れていかれたら。
大谷翔平と取り替えるって言われても
やっぱり嫌だ。さみしい。
良い所も、残念なところも含め
一緒に過ごしてきた二十年そこそこの時間というものは
リスクかと言われれば、決してそうではないからです。
ただ、先行きが分からない中、経験もない中、
「ああすればこうなる」と頭ばかりで判断すると、
目の前の
どうなるか分からない世界は、リスクに写るでしょう。
でも、リスクだと思い込んでいることにも
なんらかの学びや、経験があるのって、
土が豊かになるように
その人自身や人生を豊かにしてるのかもしれません。
だから
「どうなるかわからないこと」嫌う意識の世界は、
それこそが不自然な世界だというのは
とても面白かったのです。
とはいえ、意識の世界を擁護しようとすれば
「現状を何とかしよう」と創意工夫してきた世界とも言えます。
もっと良いものを
もっと使いやすいものを
もっと簡単なものを
もっと安いものを
意識の世界は、もっと、もっと、もっと。
もっともっとと、右肩上がりでないと許してもらえません。
(「停滞」「伸び悩み」と問題視されるので。)
そんな中、
「ああすればこうなる」はずでやって来たことで
思いもしないほころびが出るのは
やっぱり、人間も「思いもよらない」自然の一部だからなんでしょう。
自然は、いつもこちらの都合よくは行きません。
子どももですし、人間関係だってそうなんだと思います。
じゃ、リスクだけかというと
やっぱりそうじゃない。
「ああすればこうなる」と計算ばかりしてると
本当はどうしたいのか
分からなくなってしまう。
死ぬときに、
計算通りうまくいった。
損はしなかった。
そう思えたとしても、残ったお金を抱えて
私たちは天国だかどこかには行けません。
この世に生まれて、「何の無駄もなく」
「何ひとつ損をしない」人生って、本当に豊かなんだろうか。
例えるなら
枯れることを嫌って、造花を飾るより
いつか枯れても、本物の花の方が
私は好いです。
良い香りや、キラキラと生きる気配、
そしていつか枯れても、
土に還り、その土を育てることも、
かけがえない、素晴らしい世界!
自然は、もっともっとではなく
循環する。
ぐるぐるぐるぐる、
いつか豊かになって戻ってくる!
もっともっとと、言われる世界より
肩の力も抜けそうです。
リスクと言われれば、リスクともいえるけれど
【決して損をしない】【無駄なものが何一つない】造花のような生き方よりは
なんて豊かなんだろうと
私は思います。