次号のメッセに、こんな広告を掲載していただく予定です。
今回は、持家か賃貸かについて
考えてみたいと思います。
あらかじめのお断りなのですが、
私は経済の専門家でもありませんし、
お金もうけというか、
あまりウハウハ・・・という経験はない。
絶対損はしない!ウハウハ、ガバガバ!
・・・な話はできませんが
一意見として、
そう考える人もおるのね~ってくらいで
以下、お付き合いください。
まずはじめに、私個人は、
お金というものを【万能引換券】だと思っています。
私が、自力でなんでもこなせるスーパーウーマンなら、
他人に任せる必要はありません。
自分で作ればいい。
残念ながら、そうではないので
得意な人、その道に詳しい人に任せて、
その技術と、知恵と、手間のお礼として
(物々交換じゃなんだから)
万能引換券である【お金】を渡します。
言い方を変えれば、自分の自給率が高ければ
引換券はあまりいらない。
自分自給率が低いほど、誰かに頼らなければならない。
その分、お礼の引換券(お金)の心配ばかり要るようになるということです。
自分自給率が低いと、少しでも損をしないように、
頭を使わなければなりません。
ところが、手元にあらかたのお金の余裕ができると、
今度は、時間や手間が惜しくなるようで。
コロナ禍で、マスクが不足した時が
いい例かもしれません。
「え?足りないの?
んじゃ、国家予算でバ~ン!って、作って配ればいいんじゃね?」
・・・と、お金持ちは考える。
お金持ちは、出すものがあるから、手間ひまの方が惜しくなる。
じゃんじゃん入ってくるので、じゃんじゃん使えばいいのです。
ところが、庶民は違う。
じゃんじゃん入る・・・って、ことはない。
そんな、モノもお金もない時どうするか。
だせるとしたら、知恵しかない。
ないならないで、あるもので工夫して
作ろうとする。
ハンカチなどで、代用マスクを作ったりする。
たくましいのです。
そういった創意工夫や手間ひまがおしくなると、
他人に頼む。ラクだから。
そうなると、常にお金!お金!お金!となる。
いくらあっても足りないのです。
もちろん、私もお金は好きです。
行きたいところや、読みたい本、
見たい映画、聞きたい音楽・・・。
それらは、物々交換じゃできません。
でも、そのお金を【自分なりに、どう使いたいのか】。
実は、それが一番大事じゃないかと思うのです、
私には、お気に入りの店がいくつもあります。
パン屋さんもありますし、コーヒー豆もここのでないと!という店もあります。
私には、そのお店の人たちほどの
腕前も、センスも、経験もないので、
お店がなくなってしまう方が困る。
わずかでも、私が買うことで、
その店を応援することになります。
そうやって、お金はぐるぐる回って、
モノやサービスを通しながら、
人と人の間をつないでいきます。
そのお金。
かりに手元にたくさん残ったとして、
いよいよこの世を去る時、どう思うんでしょうか。
子ども達に残す?寄付をする?
残すにしても、やっぱりお金は使いよう。
死んでしまってはできないことの、引き換えとして、
人に、社会に、循環していくものなのです。
持家か賃貸かの話に戻りますが、
ここでも、家に対する思い入れがあるかないか、
価値観の点で違いがあるように思います。
家は住めさえすればいい。寝に帰るだけ。
特に頓着しないならば、
賃貸でもいいかもしれない。
(家への思入れとコスパに関して、関連記事は、こちら↓)
コスパと、お買い得と、目線の違い。
持家が財産になると言っても、
【実家じまい】なんていう言葉もあるように、
子ども達がどう思うかは、こちらの都合通りにいきません。
家なんて特にこだわらなければ、
身軽さは、気軽さです。
・・・じゃ、自分ならどうだろうか。
残念ながら、私はかなり【場所】を大事にしたい。
どういう【空間】で生きるかは、代えがたいことでした。
賃貸に、同じような漆喰や無垢の木の物件が
山ほどあって、しかもお手軽な賃料なら
私でも、無理に家を建てようとは思わなかったでしょう。
幸か不幸か、そんな賃貸なんてないから、
木の家に、漆喰の家に、
住みたいと思ってしまった。
反対に、よくある賃貸物件と同じような作り方の家なら、
建てようとは思わなかったと思います。
イチかバチか、意を決して家を建てたたものの、
そんなに若くもなく、
お金もそんなに・・・だったので、
かなり年をとるまでローンがある。
(そりゃもう、気が遠くなるほど・・・。)
・・・じゃ、後悔するか。
もし、万が一、万が一のことがあって、
お金を払えなくなって、
家を売りに出すことになったとして、
それでも、私は
【住みたかった家に住んだ】ことになる。
もし、「お金が払えなくて、売ることになる」恐れから
あのまま、前のアパートに住んで
そこで命が終わる時、
そこに幾ばくかのお金が手元に残ったとして、
私は、どう思うんだろうか。
損はしなかった、だってお金残ってるもん・・・?
(結局、家買っても問題ないくらい残ったら、「・・・・。」ってならないんだろうか。
その間、賃貸料は出ていくんだし・・・。)
いやいや、絶対思う。
「私には、結局、あんな家なんて、無理やったんやな」って!
手元に幾ばくかのお金を残せても、
せっかく生きてきたのに、
本当に【経験したかったこと】を【しなかった】。
それを悔やむ可能性が、大いにある。
なぜなら、私にとって
人生の大きな悔いになるほど、
良い経験、良い場所、良い空間は大切だからです。
家なんてどうでもいい。
家より宝石。
家より、車。
家より、服。
価値観は人それぞれ。
違いに、良いも悪いもない。
そういう人にとっては、家は持家だろうが
賃貸だろうが、都合の良い方にすればいいわけです。
ただ、もしこれを読んでくださっている方が、
「う~ん、自分も家の質って大事かな~。死ぬときにガッカリするかもしんないな~」と思うのなら
持家は選択肢の一つと考えても良いのではないでしょうか。
とはいえ、建てれるかが問題なのよ?
・・・確かにそうなのです。
それでも、先ずは聞いてみることです。
私たちが完全無欠の完璧人間でないのは、
他者を必要とするためです。
(↑エラそうに言ってますが、元ネタは吉野弘さんの『生命は』という詩です。
関連記事は、こちら↓)
不完全なワケ
今の自分たちじゃ分からないことは、
他人の経験と知恵を借りましょう。
で、ないならないで何とか工夫できるのか
それを考えるのが、庶民の知恵であり、強みです。
せめて死ぬときに、
何やかんや、色々あったけど、
まぁ、おもしろかったな、いい経験したな。
そう思って私は死にたい。
ああなったらどうしよう。こうなったらどうしよう。
心配ばかりして、恐れるばかりで、
結局、なんにもできなかったなんて
私はイヤだ~!
やりたいことも我慢して、
必死になって集めたのに、
怖くて、結局使いきれなかった【引換券】眺めて死ぬなんて!
ちっとも参考にならないかもしれませんが、
ふ~ん・・・って感じで聞いてもらえたらと思います。
以上、中高年の主張でした!