カブルの悲劇

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


『W(ダブリュー)の悲劇』(1984年)という映画があります。

映画を見たことがなくても、
主演の薬師カひろ子さんが歌った、主題歌『Woman "Wの悲劇"より』は、
ご存じの方も多いのではないでしょうか。

今回は、わが家を襲った?『W(ダブリュー)の悲劇』ならぬ
かぶるの悲劇のお話。

あ~、あれね!と分かった方は、かなり車にお詳しいのでは?

そう、かぶったのは夫の車なのでした。


暑いままの10月が過ぎ、秋も深まらぬまま11月が過ぎ、
12月になったとたん、バタバタと寒くなってきた初旬の話です。

おらが村は、朝の冷え込みは市街地の比じゃないので、
キンっキン!に冷え込みます。

「いってきま~す」

会社に出かけた夫が、いざ車に乗り込みエンジンを掛けます。

ぶるるる・・・・・ぷすん。

ぶるるるるるるるる!・・・ぷすん。

ぶるるるるるるるるるるるる!・・・ぷすん。

「・・・・あの、へんな音はウチの音やろうか。」

・・・・バタン!

夫が戻ってきました。

「なんか、バッテリーが悪いんかも。○○さんに連絡してみんと。」

○○さんとは、長年お世話になっているディーラーの担当営業さん。

事故にあった時でも、休みの日でも、こういった困った時でも、
いつもニコニコ頼りになる人なのです。

電話を掛けると、太田村に行く途中の出先らしいので(そもそも、こんな朝早くだし。)
「折り返し、また連絡する」とのこと。

「車、引き取りにくるんかな~」と夫。

動かんのやけ、そうかもしれん。

実際怖いのは、レッカー代です。

とりあえず、夫を会社に送り届け、
○○さんからの連絡なり、レッカーなりを待つことに。

10時くらいになって、携帯が鳴ります。

「あ!○○です!
奥さん、だんなさんの車の所に、行ってもらえますか?」

「????
行ったらいいんですか?
えっと、えっと、ちょっと待っとってくださいね」

夫の車の運転席に乗り込みます。

「乗りました。」

「そしたらですね、いつもブレーキを右足で踏むと思うんですけれど、
まず、左足でブレーキを踏んで・・・」

「左で・・・」

「そしたら、エンジンを掛けて」

「エンジン・・・」

(元気がない感じで)・・・ぶるるるるる・・・。

「そしたら、左でブレーキ踏んだまま、
右足でアクセルいっぱい踏んで!」

「・・・アクセル?・・・いっぱい踏むんですか?
ふかす感じ?」

ブ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ン!!

「それ、2,3回やって!」

ブ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ン!!
ブ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ン!!

「10秒くらいしたら、またやって!」

ブ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ン!!
ブ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ン!!

・・・・・・・ぶるるるるるるるる!

キタ~!

「・・・かかりました?」

「かかりました!・・・ありがとうございます!」

「この時期、よくあるんですよ。車がかぶる、っちいうんですけど。
エンジンの火が付くところが、湿気って、火がつかんくなるみたいなもんです。

古い車とか、メーカー関係なく、新車でもなるんで。

バッテリーが上がったっち連絡あるんやけど、
こういった寒い時期、なることが多くって。」

「結露みたいなもんですか?」

「おっしゃるとおり、結露みたいなもんです。
さっきみたいにふかして、それをとばしたら、治ることが多いんです。」

てっきり、レッカー移動→高額請求を覚悟していただけに、拍子抜け。

というか、○○さん、すごすぎる!

電話越しに何度も頭を下げ、御礼申し上げたのでした。


何がすごいって、メカニックの人ではないのです。

きっと、わが家だけでなく、他のお客さんの困りに対しても、
○○さんなりに、専門のスタッフに訊いたり、調べたり、
何やかんやと対処してきたことの積み重ねが、
そうさせている、ということ。

売って終わりではなく、その後の【困り】に真摯に向き合った来た証拠だと思います。

いやはや、ヨカッタヨカッタ。

持つべきものは、困った時に頼りになる人。

どんなに立派な人でも、当てにできない人じゃこまるのです。

「わが社に限って・・・」なんて言って、
現実に起こっていることに、目を向けない人じゃ、困るのです。

現実に起こっていることから目を逸らすから、
お客さんは怒るんです。

ありがとう、○○さん。
いつも現実の【困り】に向き合ってくれて。


しかし、結露で困るのは、家だけじゃないんだなぁ。

車でもそんなことが起こりうることを、初めて知ったのでした。

上述の記事は、うろ覚えも否めませんので、詳しくは【車 かぶる】で検索して見てください。
詳しい対処法も載っていると思います。


いやはや、そんなこんなで、ワヤワヤと、
あわただしく今年も終わりつつあります。

寒さも、日に日に厳しくなってきました。
どうぞ、忙しい最中ですが、ご自愛くださいませ。

皆さまにとって、新年が素晴らしい一年となりますように!

良いお年を


60点をねらいつつ、欠点はとらないよう努める【付き合い】

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


夢のマイホームと言うけれど、家を建てれば、漏れなくついてくる現実があります。

ローンの支払い?

それもですが、今回は《ご近所付き合い》のお話です。

ご近所の廃屋の野ぶどう
蔦で中まで覆いつくされた、ご近所の廃屋。野ぶどうの実がなっていました。残念ながら食べれないのだそう。

任意加入でありながら、有無を言わせない感は、町内会も、PTAも同じ。
「入りますか?入りませんか?」と、まず訊かれない。

おらが村のような田舎だと、政(まつりごと)ならぬ祭りごと関連もあり。

マチナカに近かったアパート時代より、住んだとたん、かなり高濃度な近所づきあいが始まりました。


公民館掃除や、地域の草刈りなどは、まだいいんです。

顔見知りもできるし、みんなで使う場所を、みんなできれいにする系の活動は、やった甲斐もあります。

レース状になった木の葉.jpg
その公民館掃除で、いいもの見つけました。桜の落ち葉が葉脈だけになって、レースみたい!

よく分からないのは、交通当番でして。

朝の7:30~8:15まで、指定の位置で、2世帯から1人ずつ、つまり二人一組で立つのですが、

学校が休みでも、嵐が来ても、人っ子一人通らなくても、立たねばならない。

例え、学校がある日でも、子ども達は7:30を過ぎたらほぼ通らないので、
時間設定も、首をかしげたくなるのです。

私は家で仕事をしているので、まだいいとして、

核家族で、ふつうに会社勤めなら、まず無理でしょう。

都合がつかなければ、誰かに変わってもらうとか、交渉をせねばなりません。

他人に迷惑をかけて、頭を下げ、交渉して、・・・誰も通らない道を、小一時間監視する。

やりがい、まったくのゼロ。

「交通当番、たいしてやることもないから、ひとりずつで立とうか?
そしたら、順番回るのゆっくりやし。」

よくペアを組むお隣さんに持ち掛けて、ひとりでたっていたら
「みんな二人ずつでたちよるんやけ!」とお叱りを受けました。

「なんで?どうして?」と聞いても、
「なんでも!」「決まりやけ」「昔からそうなんやけ」「みんなやりよるんやけ」という、
腑にちっとも落ちない返事なのも、PTAと一緒。

嫌なら変えればいいのですが、変えようとしても、イチぺえぺえに何ができるわけでなく。

PTAをやった時に、さんざん思ったのは、本当に変えようと思ったら、
中枢部に入って、何年も人が嫌がる仕事をやって、信頼を得てからじゃないと無理だということ。

なんでそうなるのか、中枢部に行かないと分からないこともあるからです。

それで、中枢部に行ってみると、それでも分からない。

例年通りのことを、みんな疑問に思ってるのに口に出さず、
とにかく、事なかれ主義で進めることが第一。

変えようとすれば、変人扱いされ、煙たがられて、
(PTAだと、末子が卒業して)期限が切れるか、「・・・そこまでして変える義理もないや」とあきらめる。

う~ん。組織って、本当に分からない。

同じボランティアでも、やりがいがあれば、みんなそんなに文句は言わないと思うんです。

ボランティアで、使えるはずだった時間を割いて、
都合がつかなければ、他人に迷惑をかけて、頭を下げて、

意味や意義をまったく感じないことをする。

・・・これは、モヤモヤしますよ~。


だから、交通当番時は、ペアの人と「意味が分からん」ことへの愚痴り合いとなります。
(相手によっては、特に話すこともないですし。)

「私、近所づきあいとか、もう本当に、どうでもいいんですよ。
でも、こんな田舎なんで、こんなに結構、色々あるとか思いもせんかって!」

先だっての相方さんがそう言う。

私も彼女も、地域に全く縁者のいない、いわゆる「よそ者」です。

彼女と話していて、引っ越しにあたり、転校を選んだ理由を、

「う~ん。やっぱり、地域に根を張るっていうか、
住んでいるのに、うちは関係ないというのも、なんだかね~と思ったんで」と言うと、

「子どもがおると、その点、大変ですよね」と同情され。

とはいえ、子どもの有無にかかわらず、根を張るということについて考えてしまいました。


根を張るというのは、見ざる聞かざる言わざるで、ズブズブになること?

そうではなく、

そんなに都合よく、満点は取れないと理解して、

それでも根が腐らないよう、その土地で生きていくことかもしれない。

疑問に思うことや、モヤモヤすることを、

のらりくらりと躱しながら、

風に耐えるうち、踏まれるうち、しっかり耐えるように、根っこは強くなる。

それが根を張るということなんじゃないか。

そして、大樹が枯れた後(引退ってことで)、日が差し込んだ時がチャンスで、
ここで、より良い方向へと、伸びていければ、
強くなった根が、その茎を、その花を、支えてくれるんじゃないか。

動ける人間は、植物よりマシなのですが、
逃げるばかりでは、根無し草になりかねない。


彼女のように、「近所づきあいなんて!」というほどのものも持ち合わせてない私。


そこで思い出すのが、たまたま見て、目からウロコだった

『感動!友達なんかいなくて当たり前【甲本ヒロト】【名言】』というYouTubeのショート動画です

学校という、たまたま親が選んだ土地の、たまたま同学年の、たまたま同じクラス。

子ども達ほど、選択の自由がないわけでない、エエ年した大人の、【ご近所づきあい】。

甲本ヒロトさんの考え方で、それを考え直してみると、

職場だろうが、ご近所だろうが、

たまたま同じタイミングで、その場所に居合わせただけ。

みんな仲良く「お友達」になる必要はないんだけれども、

なるべく喧嘩しないで、できるだけ平穏に暮らす。


その練習である【学校】を出て、大人としてのドンピシャの実践が、
今まさに目の前に現れた、職場であり、ご近所づきあいなんじゃないだろうか。


みんな100点満点の、仲良しこよしである必要はないんだけれど、

職を全うするまで、この地にサヨナラをするまで、

なるべく平和に、他人も、自分も大事に過ごしていく。

根を張るということは、そういうことなのかもしれない。


口やかましく感じる役員さんさん達が、決して好き好んで引き受けていないのは、
地区もPTAも同じ。

かといって、変えていくには、時間もエネルギーも必要で。


だから、これはあくまで私個人の目標ですが、

「60点あたりをねらいつつ、30点以下は取らない程度に」を考えています。

ご近所づきあいや、他の人間関係含め、
その方が、気が楽なような気がします。


ズブズブにならず、しっかり根を張りながら、

踏まれても、ゆがんだままでも、
花を咲かせたら、

咲かせたもん勝ちってことで良いのではないでしょうか。

思わぬいいことも

自分が可哀想という病

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


『スナック キヅツキ』という益田ミリさんの漫画があります。

可哀想という病_キズ

その本の帯にある【キズついて、キズつけて、生きている】という言葉の通り、

それぞれは短編という形をとっているのですが、

1話目の【主人公】をキズつけた人物が、今度は2話目で【主人公】となり、
3話目に出てくる人物からキズつけられている、という連続したもの。

キズつけている、といっても

社会によくあるような、

モヤっとしても、なんとなく飲み込んでしまうような、

些細だから、口にするのもなんだか・・・。と、なかったことにしてしまうような、小さなキズ。

泣きわめいて、反論して・・・とまでいかない、小さなキズ。

言うほどでもない、小さなキズをつけられて、
【主人公】は、ふらりとスナックキズツキに入っていきます。

そこは、傷ついた者しかたどりつけない路地裏のスナック。

スナックですが、アルコールはおいていません。

飄飄とした女主人が、弾き語りで【主人公】の自分の正直な気持ちをカラオケで歌わせたり、

エアギターさせたり、踊ったり。

出ていく頃には、いくぶんかスッキリしているというお話です。


私は、ともすれば、自分の人生の【主人公】になってしまっている時があります。

ネアカな方ではないので、どちらかといえば不幸寄りな話の、【主人公】です。

しかも、不幸といっても、他人に話せばどうでもいい、
「そんなことくらい」と鼻で笑われるような、話。

「そんなことくらい」と笑われるような、しょうもないことで、いちいちキズついている自分にも嫌気がさして、

よけい気落ちしているというから、どうしようもありません。


この益田ミリさんの漫画は、他人に言えば「なんだそれくらい」「あ~、ありがちだよね」と笑われるような、小さなキズをうけた人たちが、

実は、そのほとんどが悪気なく誰かを同じように、傷つけてもいるのだということを、

説教臭くなく気づかせてくれます。


自分のキズは大袈裟に痛がるのに、他人につけてしまったキズには無頓着。

物語の【主人公】に居座りすぎると、自分が清廉潔白の勧善懲悪になりかねないのが怖いところ。

何のことはない。

そういうアンタだって、何かしらやらかしてるんだよって、自分を俯瞰してみないと、
危なっかしいのだと思います。

大人になってつくづく思ったことは、
キズついている自分に夢中になると、ろくなことがないということ。

私は、これを【自分可哀想病】と呼んでいます。

「なんで私ばっかり」
「なんで誰もわかってくれない」
「どうせ」

私、私、私、私・・・。

こういう、かわいそうな自分に夢中になる時、

実は、その人は自分のことしか考えていない。

自分のことしか考えていない人と、誰も親しくなりたいとは思わない。

だからよけい悪循環に陥るのは、当たり前のことなんだと
オバちゃんになって気づきました。

だから、「ありゃ、これは自分可哀想病のひき初めだぞ」と思ったら、

カメラ片手に自然豊かな場所に行ったり、
美術館に行ったり、

自分の小さな世界ばかりが、世の中の全てでないことを実感しに行きます。


自分の機嫌は自分でとる。

虎に翼で、母親役の石田ゆり子さんがセリフで言っていたような気もしますが、

それこそ、大人だからできること。

誰かにあやしてもらったり、慰めてもらったりすることばかり考えていたら、

いかに自分が可哀想なのかを、他人にアピールせねばなりません。

大人になるというのは、他人だって、そこそこ、口にはしないけど、
何かしらを背負っているんだろうなということを、思いやれること。

お互い、何かしらの荷を負っていることを、理解すること。

そうすれば、他人の荷に気づかず、
「私こんなに可哀想」という荷を押し付けずにすみます。

「誰かに理解してほしい」「分かってほしい」
そう伝えたとして、

「あ~、○○さんってかわいそうな人なんやね~」って言われたいか?

うんにゃ!絶対イヤだ!

可哀想なばかりが、私じゃないぞ!

自分の人生を、可哀想で締めくくるのなんて絶対イヤだ!

そこそこ色々あったけど、おもしろいことも、良いこともあったよ!
って、生ききりたい!

だから、本っ当に気をつけないといけない!

そう繰り返し、自分に言い聞かせます。

自分可哀想って病にならないように。

風邪もひき初めが肝心なように、
早め早めの対処が肝要です。

他人につまらない嫌な思いをさせないように、
自分で人生をみじめにしないように、

気をつけていきたいところであります。

私をキズつけたあの人も、誰かにキズつけられているんだよなぁ。

可哀想という病