あるところに、絶景のお店がありまして。
詳しくは、今回言えないのですが
一度そこに伺って、オーナーの奥様とお話しする機会がありました。
ヤギとミニチュアホースもいるのです!
カフェではないのですが
とにかく、遠く山々が見渡せる
空が、どこまでも、どこまでも、広い場所。
「・・・星も綺麗そうですね?」
「もう、なんとか流星群とか、見放題ですよ(笑)」
すごいでしょ?
おらが村も田舎なので、条件が揃えば
推定「天の川」は見ることができるのですが
これほどではありません。
いいなぁ!羨ましい限りです。
「はじめまして」にもかかわらず
開口一番聞いたのが
「・・・なんでまた、こんなところに?」
失礼は重々承知ですが
やっぱり聞きたくなってしまう。
細かい点は忘れちゃったのですが
結婚、お子さんが生まれたのを機に
「自分たちが、本当にずっと暮らしたい」
そう思える土地を
お仕事の合間にずっと探し回っていたのだとか。
「ネットで?」
「いや、実際に車を走らせて」
ひゃ~。
「で、旦那(オーナー)が上の子と一緒に走ってて
お?こっち道あるやん?で、登って行って
そしたらここに出て。
一目ぼれして
地主さんを探して、交渉して(笑)」
え~?なんだその行動力!
私などは
そういった風景を愛してやまないのですが
土地は不動産屋で探すものと思い込んでいた節があります。
自分の足で探して
本当に惚れ込んだら
自分で交渉する。
ハ~。なんや、すごい。
その発想は全くなかったとはいえ
感心してしまう。
「で、電気も何にも通っていなかったので
九電とNTTと交渉して。
家とお店を建てるお金も限られてるから
知り合いに"外側"だけ何とかしてもらって
内側は自分たちでボード貼って」
・・・ホントだ!
よく見たら、めっちゃ手づくり!
言われなきゃ分からなかったのですが(笑)
「ハ~。すごい。
でも、お子さんの学校とかってどうしてるんですか?」
「あ~。毎日送ってます。
やっぱりそこも考えたんですけど
旦那が
子育ての時期は限られてるんやけ
それ以降の方が、ずっと長いんやん?
そしたら、自分たちがずっと
どんなところで暮らしたいのかの方が
大事なんやないんかな?
って。」
ていうか、その発想する旦那さんがすごい。
自営業だから通勤のしばりはないものの
事なかれ主義の「めんどくさがり」だったら
まず出ない発想。
話はヤギと田んぼの話になって。
「ヤギって、病気になったら
やっぱり牛っていうか
この辺の家畜専門の獣医さんが来てくれるんですか?」
「そうなんです。
ただ、やっぱりちょっと舐めてたっていうか。
オスのヤギは、ちょっと大変でした。
臭いとかもだし、発情期とか気も荒いし。
そのオスが亡くなったんですけど。
ちょうど田んぼ始めてて。」
「田んぼも。」
「将来年金とかだって、どうなるか分からんけ、
自分たちの米くらいなんとかしようってことになって。」
ひゃ~。お二人とも元々は
いわゆる「街の人」です。
田舎の人間ですら
親の田んぼに無関心なこともあるのに。
「で、田んぼからヘトヘトになって戻ってきたら
オスが死んでて。
それから、たたみ2畳くらい穴ほって(笑)」
幼少期、アルプスの少女ハイジにかなり影響を受けて
香春岳(石灰が採れる筑豊の山)をアルムの山だと思い込み、
いつかはヤギを飼ってみたいと思っていた私。
そっか。
臭いとは聞いていたけど、
やっぱり病気の時、死んだ時は
かなり困るんですよね。
セキセイインコですら
病院には困りましたし。
たたみ2畳も掘って、なおかつ
ヤギ埋めでもしたら
近所の【目】が。
臭いもあるから、近所の【鼻】もでしょうか。
もう、色々噂されて村八分、
いやいや、下手したら通報されるかも。
田舎ならではの話題にもなって
「近所のお祭りの準備で
女衆はご飯の用意を
朝から晩までやるんですけど。
もう、御年いくつだか分からん婆ちゃんに
奴隷か?っていうくらい
こき使われて(笑)」
「あ~。うん。
田舎、ありますよね~」
「旦那が女も大変やなあ~って笑うんですけど
せっかくね、こんなところに
縁あって住めて。
それも含め、大事にしたいなと。」
なんか、もう神々しい。
キラキラしてる。
人づきあいが苦手で
泣き言ばっかり言ってる自分が
穢れて思えてくるレベルです。
ふと、
縁も、才能なのかなと思うこともあります。
(本心から望んで、夢中でやるのは
その人の持って生まれたものだと思うので。
反対に、致し方なく「やらねば」ならないのは
【がんばる】だと思っています。
頑張るは、頑なに張ってる。
あまり楽しくはなさそうです。)
こういう場所に縁を結んでいく力であったり、
他人との縁の紡ぎ方であったり。
類は友を呼ぶ。
良い考えは良い縁を呼ぶ。
確かにそうなのかもしれない。
ただ人生は思う通りにならない時期もある。
そんな時、
上手くいかないのは
自分がその「程度」だからだ。
そう考えてしまったら、
いつまでも
自分を好きになることなんて
できないように思うのです。
そして、うまくいっているように見える人たちだって
落ち込んで、
自分のことを嫌いな時だって
たまには、あるはず。
いつもいつも
100ワット、煌々と輝いているわけではきっとない。
ただ、少なくとも
上手くいかない時も
自分自身のことを含め、
赦せているのではないかと思うのです。
色々諸事情あって
私たちは何かを選びながら生きています。
諸事情あったにしても
天秤にかけた結果として
私たちが選んだことが
目の前の景色として広がっている。
だとしたら
目の前の景色が好きかどうか。
色々あっても
好きかどうか。
場所も、風景も、
そして
きっと、暮らしかたも。
色々あったけど
なかなか良かったって
人生のおしまいに
そう思えたら良いなと
改めて考えさせられる出会いでした。
ちなみに
彼女たちは
杉だらけの山に、広葉樹を植えて
多様な森にする活動もされています。
(頭が下がる。本当に!)
多様性がある。
つまり、色々ある。
それこそが、豊かな森を作る。
考えようによっては
色々あるから
多様性のある人生ともいえる。
色々ないと、森と同じように
人生も
豊かとはいえないのかもしれません。
「色々」、上等!