主婦あるある

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


突然ですが、【大沢たかお祭り】なるものをご存じですか?

「あ~、あれね!」と笑ってくれた方、ありがとうございます。

なんのこっちゃ、という方も良かったらお付き合いください。


今、【大沢たかお】と検索しかけると、ご本人より上位に【大沢たかお祭り】が出てくる状況。

詳しくは、動画などでも解説されていますが、ざっくり説明いたします。

大沢たかおさん演じる、映画『キングダム』の将軍・王騎。

主人公・信が憧れる、天下の大将軍です。

原作は原泰久さんの漫画で、同作の中でも唯一無二のカリスマ性を備えた人物で、
原作ファンだった私も、王騎の最期などは今でも心が揺さぶられます。

その王騎を実写版の映画で、大沢たかおさんが演じているわけですが、
その一コマを切り取って、主婦たちのあるあるが、大喜利のように連日投稿されているようなのです。

私はSNSをしないので、もっぱら見るのはYouTubeなのですが、
これが可笑しくて可笑しくて!

声をたてて笑うので、間違っても公共の場でなんか見れない。

残り1センチの麦茶を冷蔵庫にしまう夫に、
発熱した童(王騎は、信のことを「童(わらべ)信」と呼ぶので、わが子のことをこう書いているようです。)のために買ってきたポカリを、遠慮なく飲む夫に、

大将軍・王騎のように怒るものあれば、

脱水1分を待つ、王騎。
洗ったフライパンを冷蔵庫にしまいかけて笑うしかない王騎。

あ~、分かる~。
やるわ~、それ!のオンパレード!

いや~、ぜひ見て見てください。

笑って笑って、スッキリする!


ふと、友人の顔が浮かび、「こんなのがあったよ~」とLINE(SNSしないと言いつつ、LINEはSNSか?)すると、
ちょうど、少し元気がなかったようで。

「なんかめちゃめちゃ笑ったけん、スッキリした!」と返ってきました。

グッドタイミングだったようで、良かった良かった。
(私は、彼女が落ち込んでいるタイミングでいつも、どうでもいい笑えるものを送り付けるらしく。
「エスパーなん?」と言われましたが、もし落ちこんでるのを感じ取って、送ったものが【大沢たかお祭り】なら、そもそもどうなん?ってとこです。
笑えたんなら、良かったですけど。)



以前、もくせい工舎の土壁の家で、一日貸し切りCafeを開催した時に、
その一角をお借りして、ことりの母さんの貸本をしました。

自然素材の家のもくせい工舎・土壁の家カフェにてお待ちしております
※イベントは終了しております。

その中に、『#名画で学ぶ主婦業』という本がありました。

こちらは、旧ツイッターにて、色々な名画に、主婦あるあるを託したもの。

これも、秀逸で、共感しかなくて、可笑しくて可笑しくて仕方がない。

元々は図書館で借りた本でしたが、欲しすぎて手に入れました。

何回見ても、やっぱり可笑しい。

ヘタな落語より面白い。


そう、面白い。

面白い、おもしろい。

これ、顔がパァっと明るくなる様子を指す言葉。

疲れてても、落ちこんでいても、

誰かの日常のあるあるが、「私も~!」っていうだけで
これ程まで元気になる、不思議!


雑誌や何かで、誰かのステキ生活に「おぉ~」とは思うものの、

そういう情報が多すぎて、私などは疲れます。

「それに比べ、お前はどうだ」と、心だか頭だかの、誰かがツッコむのです。

大谷や真美子さんを見て、神々しすぎて、
消え入りたい、さえないオバちゃんの私がいるのです。
(「それに比べ、どうせ私なんて」のひがみ根性がチラ見えってやつです。)


でも、大沢たかお祭りしかり、主婦あるあるの可笑しさは、

さえない、でも愛しい誰かの日常であり、

私以外も、そうなんだということが、なんでこんなに私を楽にするんだろう!

面白くて、馬鹿馬鹿しくて、愛しい。

良かったら、ぜひ検索して見てください。

日頃の疲れが吹っ飛びます。

あ!でも、公共の場とかでは見ないでくださいね!
吹き出すんで!

主婦は最強

これか、これ以外か。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


「俺か、俺以外か」

これ、カリスマホストのローランドさんの言葉だそう。
(カタカナ多いな!)

「世の中には2種類の男しかいない。俺か、俺以外か。」といったのが全文のようです。
(これ実際聞いたら、私などは「ちょっと何言ってるかわかんないな」ですが。)


これを借りるなら、
「もくせい工舎か、それ以外か」?

・・・やだなぁ、そんなこと言うの。
奥歯がムズムズします。

広告をかくのだから、いかにもくせい工舎が他よりメリットがあるのかお伝えするのがキホン。

他に比べ、どんなに良いか。どんなに価値があるか。

ところが、
エライをつくれば、自動的にエラクナイをつくるように、

「健康に良い」を謳えば、それ以外は「健康に良くない」となり、

もくせい工舎を上げるために、他を下にするの?

いやいやいや、それはなんか違う。

  • 俺と括れば、俺以外ができる
  • 善と括れば、善以外ができる
  • 光ばかりに目が行くが、影の部分も月である
  • 私たちの目は、見たいものを、都合の良いようにしか見ていないのかもしれない。

そもそも、家に関しては、 「自然素材か、それ以外か」なんて言い方はできない。

多かれ少なかれ、どの家も木は使っている。

木を使っている以上、自然素材なのだから、どこも自然素材の家とも言える。
(使う量は違えども。)

自然素材の家

自然素材の家だから健康かと言えば、
自然素材の家に住んでも、風邪はひく。

自然素材の家に住めば、無病息災・不老不死!というわけにはいかない。

ただ、家が原因で病気になるというリスクは、
その純度が高いほど低くなるのかなとは思います。

不健康は分かりやすくても、【健康】という状態があいまいなように、
不幸は分かりやすくても、【シアワセ】は分かりにくい。人による。

人によるのに、
誰かのシアワセそうな生活=「もくせい工舎の家に住みさえすれば、あなたにも!」なんて、
とてもとても、私には断言できない。

ただ、言えるとすれば、何に対してお金を払うのかだと思います。

私には、とても気に入っている珈琲豆のお店があります。

そこの珈琲豆を、大事に毎日、少しづついただきます。

1回15グラムずつ、それを1日に2回。
つまり、1日30グラムです。

30グラム×30日で、一か月だと900グラム。

1か月に1回買うので、結構な量となり、取り置きしてもらっている市場で、
レジの人にギョッとされます。

でも、1日30グラムの楽しみなのです。

その珈琲豆屋さんは、個人でしているわりには価格が安く、
その辺の自家焙煎のカフェの半額ほどです。

それでも、そんなにウチは余裕がないので、
大事に、大事に、飲むのです。

そうなると、もう、うっかり他のカフェに入らなくなりました。

珈琲とケーキなんかついて、1000円近く払うなら、
そこの豆を買いたいのです。

つまり、同じお金を払うなら、「絶対これじゃないと!」というものに払いたい!


お家をどこで建てるか、迷われているのなら、今は建てなくて良いのではと思います。

「これでないと!」と思うものが、今の段階でないだけです。
焦らずいきましょう。

もくせい工舎か、それ以外か。

自然素材か、それ以外か。

それはともかく、
本当にこれだ!と思うものこそ、自分の判断での
「それか、それ以外か」になる。

いずれにしても、
本当にこれだ!と思うものに、心動かされる家に、大事なお金は払ってほしい。

珈琲豆どころか、何百万、何千万もする家。

誰かのシアワセに惑わされず、
アンテナの感度を上げていてほしいと、切に思います。

Good Luckです!

これだ!

こどもの日に

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


こどもの日に木の家を考える

この春、わが家から、「こども」がいなくなりました。

末の子が、20歳になったので、社会的には成人だけの世帯になったのです。


「子どもは、いずれ出ていくんだから」

家を建てるときは、そう言われ、そう思いもしていましたが、
・・・なんだろう。

・・・全然出ていくように思えないんだが。

親同様、ほとんど浮名を流すことなく、
色っぽい話もナシ。

そうなると、世間で言われるところの「子ども部屋おじさん」も他人事とは思えない。

第一、私の友人知人のほとんどが独り身で、
かくいう私も、そうだったので、
そういう可能性も十分ある。

世間一般の、ひと昔の、誰かの言う当たり前に、
ドロップしがちなことは血筋からもわかること。

今思えば、と思う点も多々あるのです。


わが家が、今の家に越して来た時、
上の子は高学年、下の子は一年生でした。

子ども部屋を、親の目の届くところで、いずれ仕切ってと考えていましたが、
年齢を考えると、合わなかった。
(赤ちゃんや幼稚園ならともかく、でした。)


4~5歳年齢が違えば、上の子はすぐ受験。
やっぱり一人部屋が必要になる。

仕切るにしてもお金がかかる。

カーテンだとちょっと・・・で、結局、上の子には、別の部屋を宛行ました。

今思えば、「ひとりになる」空間が、年齢が上がるほど大事なってくることを、
意識してなかったのだと思います。

ひとりになることで、考えが整理されたり、脳が休めたり。

下の子も、ひとりになりたい時は、ロフトに行っています。
(この点、ロフト作っていて良かったです。)


ああすればこうなる。こうすればああなる。

何でも、計画通りに、思った通りになれば、どんなに良いかと思います。

残念ながら、
「あれ?なんだか思っていたのと違う」ことも多い私。

そんな私じゃなくても、これほど先行きの見えない、

何年か先の計画なんて立てれない世の中にあって、

自分たちのことだって分からないのに、

子ども達のこと、ましてや家を建てることなんて、

なんの保証もなくて、考えられない人だって多いのではないかと思います。

こどもの日に考える

それでも、日々は続いていく。

こうして不安になっている今も、

その不安な親の後を、子どもはついてきている。

そして、不安でいても、どこかで生活はしていかなければいけない。

生きていく、家がいる。貸家だろうが、持家だろうが。


残した財産のつもりの「不動産」が、「負動産」なんて言われる日がくるのかは分からない。

ただ、わが子達を見ていると、

こういった木の家で育ったことを、「負」としてとらえているとは思えないのです。


いずれ、ローンが返せず・・・なんていうことを、想像しないわけではないけれど、

少なくとも、今、こうやって、木の家に暮らして、何とかやっている。

「どうせ、ダメかもしれんけ」と、諦めて、
カビだらけの、前のアパートにいるわけじゃない。

子ども達は、肺炎や気管支炎で入院することもなくなった。

喘息の薬も、青っ洟とも、おさらばした。

不安がないわけじゃないけど、こうして生きて、なんとかやっている。

こどもの日の木の家

親が選んだ場所が、子ども達の思い出の家になるんだとすれば、

親にできることは、

先のことは分からなくても、今できる最善を選び、
なるべく良い方向へ進もうとしてきた。

なるべく、子ども達を笑顔にできるようにしてきた。

そういう事実だけじゃないかと思うのです。

木の家とグットラック