こどもの日に
この春、わが家から、「こども」がいなくなりました。
末の子が、20歳になったので、社会的には成人だけの世帯になったのです。
「子どもは、いずれ出ていくんだから」
家を建てるときは、そう言われ、そう思いもしていましたが、
・・・なんだろう。
・・・全然出ていくように思えないんだが。
親同様、ほとんど浮名を流すことなく、
色っぽい話もナシ。
そうなると、世間で言われるところの「子ども部屋おじさん」も他人事とは思えない。
第一、私の友人知人のほとんどが独り身で、
かくいう私も、そうだったので、
そういう可能性も十分ある。
世間一般の、ひと昔の、誰かの言う当たり前に、
ドロップしがちなことは血筋からもわかること。
今思えば、と思う点も多々あるのです。
わが家が、今の家に越して来た時、
上の子は高学年、下の子は一年生でした。
子ども部屋を、親の目の届くところで、いずれ仕切ってと考えていましたが、
年齢を考えると、合わなかった。
(赤ちゃんや幼稚園ならともかく、でした。)
4~5歳年齢が違えば、上の子はすぐ受験。
やっぱり一人部屋が必要になる。
仕切るにしてもお金がかかる。
カーテンだとちょっと・・・で、結局、上の子には、別の部屋を宛行ました。
今思えば、「ひとりになる」空間が、年齢が上がるほど大事なってくることを、
意識してなかったのだと思います。
ひとりになることで、考えが整理されたり、脳が休めたり。
下の子も、ひとりになりたい時は、ロフトに行っています。
(この点、ロフト作っていて良かったです。)
ああすればこうなる。こうすればああなる。
何でも、計画通りに、思った通りになれば、どんなに良いかと思います。
残念ながら、
「あれ?なんだか思っていたのと違う」ことも多い私。
そんな私じゃなくても、これほど先行きの見えない、
何年か先の計画なんて立てれない世の中にあって、
自分たちのことだって分からないのに、
子ども達のこと、ましてや家を建てることなんて、
なんの保証もなくて、考えられない人だって多いのではないかと思います。
それでも、日々は続いていく。
こうして不安になっている今も、
その不安な親の後を、子どもはついてきている。
そして、不安でいても、どこかで生活はしていかなければいけない。
生きていく、家がいる。貸家だろうが、持家だろうが。
残した財産のつもりの「不動産」が、「負動産」なんて言われる日がくるのかは分からない。
ただ、わが子達を見ていると、
こういった木の家で育ったことを、「負」としてとらえているとは思えないのです。
いずれ、ローンが返せず・・・なんていうことを、想像しないわけではないけれど、
少なくとも、今、こうやって、木の家に暮らして、何とかやっている。
「どうせ、ダメかもしれんけ」と、諦めて、
カビだらけの、前のアパートにいるわけじゃない。
子ども達は、肺炎や気管支炎で入院することもなくなった。
喘息の薬も、青っ洟とも、おさらばした。
不安がないわけじゃないけど、こうして生きて、なんとかやっている。
親が選んだ場所が、子ども達の思い出の家になるんだとすれば、
親にできることは、
先のことは分からなくても、今できる最善を選び、
なるべく良い方向へ進もうとしてきた。
なるべく、子ども達を笑顔にできるようにしてきた。
そういう事実だけじゃないかと思うのです。