過食と拒食だった話

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


高校時代に、過食症から拒食症になったことがあります。

と言っても、(受診していないので)診断されたわけではありません。

今のように過食症、拒食症、摂食障害なんて言葉も知らなかったし、
当時あったのかどうかも分かりません。

なにせ、40年近く前のことです。


過食の時は、お腹が空いていないのに食べます。

家族に見つかると色々言われるので、隠れて食べるのです。

口に何か入れていないと、咀嚼していないと落ち着かない。
しかも、甘いものばかり食べたくなります。

当然、ブクブク太る。それなのに、しばらく気づかない。

母親に「あんた、食べ過ぎよ」とたしなめられるのですが、
口にしていないと落ち着かないのです。

そして、体重がマックスになったころ、ようやく現実に気づきます。

今度は、反動で一気に食べなくなりました。


不思議なことに、食べなくなっても、お腹が減らない。

過食の時は、「減らなくても」食べていたのに、
拒食の時は、食べなくても「減らない」のです。

何かを口にすること自体が、罪悪感でいっぱいになるので、
そのうち、とうとう味噌汁も飲めなくなりました。

もう、精神的に限界だったんだと思います。生理も止まっていました。

体が危険だと、信号を発していたのです。


今思えば、親の関心を引きたいがゆえに、
中学は猛勉強していました。丸暗記です。

でも、高校にあがれば、
同じように勉強してきた人や、元々から賢い人もたくさんいます。

足の速い人ばかりを選抜すれば、その足の速い人の中でも、順位ができ、最下位ができます。

足が速いはずだったのに、そう思っていたのに、上には上がいるのです。

それだけを自信に生きてきていると、いっぺんに奈落の底に落とされます。

少なくとも、本人はそう思ってしまう。

頑張ることで保たれていた、「自信」や「存在価値」がなくなってしまうからです。

両親は共働きで、いつもピリピリ忙しくしてましたから、それどころじゃない。
今思えば、よく生きていたなと思います。


そんなある日、友だちが自宅に誘ってくれました。

お昼を作ってくれるというのです。

私は、まだそんなに食べれず、ためらったのですが、
「飼ったばかりの子猫がいるよ。アメリカンショートヘアの。」という。

もう、食べたら吐くかもより、子猫見たさの方が勝ち。
二つ返事でついていったのでした。

彼女は、ご飯とお味噌汁、そして五目炒めを作ってくれました。
そして、おじいちゃんが買ってきたという、唐揚げを添えて。

そして、ありがたく唐揚げを頂こうとすると、その子猫が近づいてくる。

私の膝に乗って、前足を私の口元にのせて、口元の唐揚げにフンフンと鼻を近づけてきます。

「何食べてるの?それ美味しそう!ワタシも一緒に食べる~!」って。

その姿がかわいくてかわいくて、なんだか大笑いしてしまって、ふと気が付いた。

「いかん、私、このままやったら死ぬかもしれん。」

なぜか、食べ物めがけて、一心に近づいてくる子猫をきっかけに、目が覚めたのです。


あの時の自分も含め、子どもは、大人が思う以上に、言葉にならない思いを抱えているんじゃないか。

それが長ければ長いほど、深ければ深いほど、もう何から話していいかも分からない。

テレパシーで送れたらいいのに。思ってきた背景ごと。

それができないから、消化されないまま、心の傷と同じように、
自分の体を傷つけてしまうことがある。

いっぱいいっぱいになった時、生きている感覚を確かめるために。

そんな時、傍にいた人間に何ができるのか。

今なら分かるのに。
今なら、少しは分かるのに。

「言葉にできない」は、「考えていない」わけではない。

気持ちの整理がつかなくて、思考が追いついていかないだけで。

こうする「べき」が分かっていても、何かしっくりこなくて。もどかしくて。

上手く言葉にできない、腑に落ちない何かがあって、それでも、心配かけたくなくないから、

子どもは黙ってるんじゃないかと思うのです。

あの子猫みたいに、真っ直ぐ、ただ、生きていてもいいのに。
本当は、それだけでいいのに。

子猫に救われる

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