何もできないから、できること

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


サンタフェ、と聞いて皆さま、何を思い出すでしょうか?

宮沢りえちゃん?
("ちゃん"付けしたくなるのは、私がオバちゃんだからか?
若いころから活躍されているので、少女のころの印象が強く、ちゃん付けの方がしっくり来てしまいます。)

彼女の有名な写真集で、その名を知ったサンタフェでしたが、

実は、建築がすごい場所だと知ったのは、もう最近のことでした。


試しに、【サンタフェ 建築】と検索して頂いたら、
それはそれは、土の色味のかわいい、建物の画像がたくさん出てきます。

中には、それを模した日本のハウスメーカーのものも出てきますが、
カタチや雰囲気だけ真似しても、

素材が違うと、まったく印象も違うから、見ていておもしろい。

そしてまた、この土の色に、空色が良く似合うこと!

快晴の青空はもちろん、空色のドアが、土の色味に本当によく似合う。

色の組み合わせの美しさも、色々なものを見ることで、とても参考になります。


さて、なんでこんな話をするかというと、

「今、家なんてとても、とても・・・」と思っている方にでも、できることがあるからです。


その一つが、お家の建築感度をあげること。

感性や、見る目を養う、肥やすということです。

良いものをいっぱい見て、自分が大金を払ってでも、本当に欲しい家とはどんなものか、

イメージを膨らませ、しっかりとした芯となる方向性を見つける。

そうすれば、提示されるがままに、なんとなくOKを出して、

何となく家を建てたけど、

あれ?自分が建てたかった家って、こんなんだっけ?とはなりにくい。
(理想があったところで、先立つものがなければ、「は?お金払えるならしてやるよ?」と言われるかもですが、
寄せる工夫は、できる。

また、それを少しでも叶えてあげれたら・・・と思ってくれそうなところを探しましょう。

色々な工務店を回れるのも、今のうちです。)


どんな博識な人間だって、自分の知っている範囲のことしか知らない。

それは素人だろうが玄人だろうが、違いはない。
(玄人だって、その人の知っている範囲しか知らないので。)

人間は、その知っている範囲のことでしか、やっぱり考えられない。


だとしたら、素人でも、色々なものを見て、知っておく範囲を広げれば、
より一層、自分が思うところの家に近づけます。

(良かれと思って、ではあっても)玄人の言いなりにならずにすみます。

(大人VS子ども、先生VS生徒、玄人VS素人、でもそうですが、

知識の少ない側は、反論の言葉がうまく見つからないだけで、

納得しているとか、腑に落ちているわけではないことは、多々あるからです。

相手が、微妙な表情なら、知ってる側は、汲んであげないと、後々確執となりかねないように思います。)

いざ具体的に話が決まって、流れ出してからでは、
知っている範囲の狭さで、家を決めないといけなくなる。

だから、具体的に何もできない今こそ、その時間に回すことができるのです。


試しに、【無垢の木の家】と検索して見てください。

同じ無垢の木の家と言っても、質感や雰囲気は違うことに気づくと思います。


試しに、【土の家】と検索して見てください。

世の中には、自由な発想で、こんなにもワクワクするような家があるのかと驚かれると思います。


以前、ブログで村山雄一氏設計のロバハウスのことを書きました。

その時に、施主である、ロバの音楽隊の松本雅隆さんが、

胎内のような、洞窟のようなというイメージを伝えて、できあがった
本当にすてきな空間です。

この、いかにも土っぽいというか、胎内のようなイメージに近いのが、もくせい工舎では

原田左研さんによる、甘木土の色味になると思います。

胎内のような家

くせもなく、無難で、色合わせもしやすい、白漆喰や日田土も良いのですが、

白漆喰

甘木土独特の、優しい雰囲気は

胎内のような家

やっぱり、かえがたい。

土の色と、空色が合うことを覚えていれば、

ドアや、家具など、大掛かりなものはムリでも、

カーテンや、クッションカバー、小さな小物で、
それを差し色として加えれば、

なかなか、よい空間になりそうだと想像がつきます。

胎内のような家

なにもかも、心配のいらなかったあの胎内に戻るのは無理でも、

疲れて帰ってきた家が、

家族の癒しとなりますように。

胎内のような家

何もできないと思う今のうちに、たくさん妄想してください。


いいですよ~、甘木土も!おススメ!

甘木土とサンタフェ
ハチさんのヘアヌード写真集です。ネコのヌードって、何??

チャットAIに、愛などいらぬか。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


皆さん、チャットAIって使ったことありますか?

吹き出しに質問や要望を入れるだけで、それに応えてくれるものです。

「普通に検索するのと、何が違うの?」
「AIとか、なんか得体も知れないし、怖い感じ。」
そんな気もします。(かくゆう私が、そうでした。)


(ざっくりですが、)
例えば、【大分県を旅行したい。自然な場所で、人気のあるところ。】
と、考えていたとします。


普通の検索なら、【大分県 旅行 自然 人気】などという検索ワードを元に、

参考になりそうなサイトが、順番に表示されますよね。

普通の検索


チャットAIは、

「【大分県を旅行したい。自然な場所で、人気のあるところ】を教えて!」と質問すると、

チャットAI

「大分県には自然を満喫できる観光スポットが沢山あります。以下の場所は特に人気があります。」
などと始まり、

おすすめの場所を地図や写真、リンク先などもいっしょに5か所ほど候補を挙げてくれます。

検索と違い、サイトの一つ一つを訪れて、当たりハズレを確かめたり、まとめたりする必要がないのです。

・・・便利。

このチャットAIを使えば、お店のキャッチコピーはもちろん、
ただいま、私が拙い文章で書いているブログ記事なども、いとも簡単に作成してくれます。

下手な文章を、お客様に解読?してもらわずすみます。


そこで、チャットAIなら、もくせい工舎のような自然素材の家のキャッチコピーをどう書くのか、試してみました。

質問は、こう。

「自然素材の家を購入したくなるようなキャッチコピーを考えて!」

それに対し、答えがこちら。

「もちろんです!自然素材の家を購入したくなるようなキャッチコピーをいくつかご提案しますね。

1. 「自然とともに暮らす、心地よい未来へ」
2. 「自然の恵みを、毎日の暮らしに」
3. 「自然素材で作る、あたたかい家族の物語」
4. 「地球とつながる、優しい暮らし」
5. 「自然が創る、心安らぐ住まい」

どれも自然素材の魅力を引き出しつつ、暮らしの質を高めるイメージを伝えられるようにしました。気に入ったものがあれば嬉しいです!」

・・・すごい無難です。とりあえず使う分には、申し分ない。

答えとしては、優等生というか、模範的と言うか、ハズレなしというか。

・・・・でも、なんでこうも標語っぽいんだろ?

間違っていないんだけど、タダシイんだけど、

なんかこう、心揺さぶられるものがないというか、

カミナリが落ちたような衝撃がないというか、・・・なんなんだろう。

せっかく答えてもらったのに、ワタシみたいなひねくれものは、
このキャッチコピーで、自然素材の家を買おうと思わない・・・かなぁ・・・。

ごめんよ、チャットAI。せっかく考えてくれたのに・・・。


推測ですが、人が何かの言葉に感動するときって、そこには意外性が含まれているんじゃないでしょうか。

自分が思ってもいなかったこと、
考えてもみなかったこと、

もしくは言葉にできなかったことを、

誰かの言葉で、一気に水が流れだした滝のように、

衝撃を覚えるほどの、何かを感じた時はじめて、

心は震え、記憶に残るんじゃないでしょうか。


私にも、心震えた言葉がいくつもあります。

言葉だったり、文章全体の世界観だったり色々ですが。

例えば、吉本隆明さんの『ひとり』という15歳の寺子屋シリーズ。

そこには、【ひとり】であることや、【才能】というものに対して、

15歳の多感な子どもたちに向け、吉本隆明さんなりの言葉で語られています。
(それを15どころかオバちゃんになって読んで、衝撃を受けた。)

それは、吉本隆明さんが生きてきて、考え続けて、蓄積され、
発酵して、しぼりだされた何かであり、

それは、ネット上の膨大な【データ】を元に応えるチャットAIとは

まったく質の違うものです。


チャットAIのような、おおむねハズレのない答えではなく、

ハズレか当たりかはともかく、

人間の脳や、経験や、血のようなものを通って、

熟成されたでてきたようなそれらの言葉は、

こうも、なぜ人の心を震わせ、励ますのか。


チャットAIは、優秀な帰国子女の秘書みたいだとある本に載っていて、

本当に優秀だけれど、比喩的なことは苦手な面もあると説明されていました。

検索エンジンというシステムも、チャットAIも、
人工物であり、機械である点では、きっとお互いに相性が良いのではと思います。

外国語に比べ、日本語特有の、【含み】や【ニュアンス】のようなものは、
人工物や機械には、なかなか難しい。

雨という自然現象一つをとっても、しとしとなのか、ザーザーなのか、キリのようなのか、
日本語は、抽象的でもあるからです。


それで考えれば、チャットAIの方がよっぽど検索エンジン好みの文を書けるのかもしれない。

しかし、それを読むのは【人間】であって、

その心を動かすものの一つが、「意外性」であるのなら、

ネットであふれた【データ】をまとめただけの
チャットAIの言葉に、いまいち迫力がないのは致し方ないのかもしれない。

それは、どこでもよく目にする、誰かが言っていた言葉だから。

【あたりまえ】のことだから。


吉本隆明さん然り、石牟礼道子さん然り、金子みすゞさん然り。

言葉やその文章で、人の心を揺さぶる人は、
人が【あたりまえ】と気にも留めないことを

掘り下げて、掘り下げて、全身全霊をかけて、生み出すよう。

誰もが目にする検索上位のバズッた世界ではなく、

人の目に付きにくい、それでも確かに存在する何かを、見ているように思います。

【あたりまえ】じゃないから、【意外】で、心が動くのです。


検索上位にならなければ、【意味がない】世の中で、

人の心を動かすのは、データや情報ばかりではないことを、
あらためて考えてしまう。

チャットAIによる文章も、デザインも、どんどん増えていく。

それは、まるでプラスチック容器のように、
便利で手軽で、十分に用をなす。

でもどこか、味気ないような、人間臭くないような・・・。

たぶん、ちょっとダメな感じを残した余白が、
不完全な何かが、

その人らしさであり、味なんだと思います。

とはいえ、検索上位にならねば【意味がない】とされるんだけども。

AIと愛

つちかべ~

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


13日の金曜日、午前中に電話が鳴りまして。

電話のヌシは、永家Tさん。

「実は、土壁の家が完成しまして・・・」

「それは、それは、おめでとうございます。」

「お披露目会を今月末、開催することになったので、写真をお願いできないかと。
インスタとサイト告知になるので、その準備もあるかと思いますので。」


行く行く!行きます!午後イチ行きます!

そう二つ返事して、午後からもくせい工舎に伺いました。

土壁の家は、もくせい工舎の敷地内。

元は、バスケットゴールの置かれていた、広々とした芝生があった場所です。

そこに、代表が大工さんを頼らず、ほぼ一人で、コツコツ作り進めてきたのでした。

土壁の家

いきなり山の中に、こんなのが現れるんだから、びっくりです。

土壁の色味や、質感、角の丸み、【Culu】の文字がかわいい、まるでジ●リのような外観。

で、正面がこう!

土壁の家

全部お見せするわけにはいかないので、雰囲気だけでも。

土壁の家
窓枠とお揃いの細長い、四角のかわいいニッチ。さてこれは、どこにあるでしょう。

土壁の家
古い木造校舎の図書館みたいな窓辺。本を読みながら、おいしいコーヒーでも飲みたいところです。

土壁の家
壁の色味が、深くて、花を置いただけでも絵になります。

土壁の家
はっきり見せたい反面、現地でビックリしてほしくて。イメージだけ、こんな感じ‼

この土壁のお家が見たい方、ご予約はこちら!

RESERVA予約システムから予約する
※外部サイトにつながります。

・・・と、言いたいところなのですが、
今、永家Tさんにチェックをお願いしてるので、もう少しお待ちください。

公開後は、上記から予約ページをご覧いただけると思います。

さて、ハガキでのDMをやめて、今はLINEなどでお知らせを送っております。

今回作成したのが、こちらです。

土壁の家お披露目会

「まるで予定なんかないけど、いつか家を持てたらいいなぁ。」

「今はまだ、とても無理だけど、いつかお店でも開けたらなぁ。」

そんな風に思ったこと、ありませんか?

今はまだ、漠然としていても、一般の建売とは違う、ちょっと変わった建て方の家を見てみませんか?

今はまだ、夢の夢と思っていても、「こんな風な建物で!」という出会いになれば、
それは、小さな一歩になるのではないでしょうか。

今はまだ、具体的な予定なんかなくても、

自然な素材で建てた家の心地よさを、ひとりでも多くの人に知ってもらって、

こんな建て方をする工務店が、宇佐にもあるんだよって誰かに教えてもらえたら、

それは、TVCM以上の価値になるんです。

いいなぁ~と思って、誰かにお勧めしてもらえるなんて、
CMでマツケンサンバを躍ってもらう以上の効果とも言えます。

だから、「建物が好きなので、ぜひ見てみたい!」も大歓迎!
(今回はお施主様から、お借りしてるわけでもないので。)

木の家や、土壁の好きな方、自然な雰囲気の好きな方は、
ぜひ、ご予約下さい。

公開したら、イベントトップや、お知らせ一覧でお知らせします。

お楽しみに!

つちかべ~

意識は変わる

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


いったいどこに行きたいのか、さっぱり分からない台風10号が通り過ぎていきました。

ほとんど雨の降らなかった8月の降水量を、たった数日で取り戻すような大雨で、
本当に怖い思いをされた方もいらっしゃるかもしれません。

心よりお見舞い申し上げます。


今回の台風は、風も心配されていたので
先に赤くなっているミニトマトだけでも、畑から採ってきました。

ミニトマト
本当に、日照りのように、ずっと雨が降らなくて。畑をして10年。初めて、苗でもないミニトマトとサツマイモに水を撒きました。

さいわい、自宅周辺は思ったほどの被害もなく、様子を見に行った畑にも、
それほどの被害はありませんでした。

・・・あ~。でも、何本かミニトマトの茎が折れている・・・。

もったいない~。・・・ので、

ミニトマトを活ける

活けてみました。

うん。意外や意外、なかなか絵になるぞ。(と、しておこう。)


こういった、なんとなく、しっくりと絵になるのは、自然素材の良いところかもしれません。

例え、それが落ちていたミニトマトの茎でも。・・・なんとかなる。


自然素材の家を建てて、十数年。変わったことは色々あります。

まずは、土に触れるようになりました。

そして、生ごみを落ち葉で肥料にすることを覚えました。

米のとぎ汁の栄養がもったいなくて、土に還すことも続けています。

捨てればゴミですが、活かせば、栄養になるのは、
土が身近にある暮らしになったからです。

(落ち葉の消臭分解力はすさまじく、通りすがりの猫さんのUにかけておくと、臭いがしません。
カラッカラに乾燥した後、コンポストに入れています。
野良さんズは、下痢気味の時もあるので、いくら猫好きでも、さすがにちょっと・・・、なので。)

身体的には、年齢があがったからなのかは分かりませんが、

引っ越してから、

長男(引っ越し当時、小学校高学年)のゼロゼロ喘息っぽくなるのと、
次男(引っ越し当時、小学校低学年)の青っ洟がなくなりました。


そして、一番変わったのは、家に対する意識だと思います。

自然素材の家さえ建てさえすれば、ハッピーライフ!なんて断言しませんが、

もう一度建てる機会があるならば、

やっぱり同じように、自然な材料で家を建てるだろうと思います。

お金があっても(なくても。)、新建材では建てない。


化学物質過敏症や、アトピーと言った健康問題がなくて、

新建材に住んだところで、これといったトラブルはないかと思うのですが、

木や土の質感が、やっぱり好きで、

そういった家に住みなれてしまうと、落ち着かない。

せっかく大金を払うなら、やっぱり、しっくり来て、心と体がうれしい家を建てると思います。

木にふれていたいのです。

無垢の木の天井
見上げれば、こんな天井。同じようでいて、一枚一枚、どこか違っている、本物の木。
違っていることが、あたりまえで、自然なことなんだと気づかせてくれます。



その辺は、やっぱり、ここまでガッツリめの《木の家》に出会って変化したところです。


賃貸によくある感じの家なら、賃貸でも良いかもしれない。

賃貸に、こんな家がなかなかないから、建てる意味がある。

そしてそれは、私が畑を始めたように、

コンポストのために落ち葉を集め始めたように、

きっと誰かの、なんらかの《きっかけ》となる【家との出会い】になるのかもしれない。


今回の台風で、残念ながら山香町で開催予定だった構造見学会が中止されました。

また数か月後、今度は完成した姿でお披露目できるのではないかと思います。
(これまでも、お施主様方のご協力あってこそ、なのです。いつもありがとうございます。)


ヒトやモノとの出会いは、変化を生みます。

色々不安なこともあるかもしれませんが、今ある悩みは、誰かの知恵で解決できるかもしれません。

動けば、変わる。

少なくとも、意識は変わると思います。

本当に良いものを、無理せず手に入れようと思ったら、自分の眼力を上げるしかなさそうです。

たくさん見て、たくさん家の《感じ》を味わいましょう。

ぴったり、しっくりくる家に会えますように!

捨てたものじゃない

包み隠さず

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


自然素材のもくせい工舎の木の家・8/31・9/1の構造見学会

来週末、山香町で構造見学会が開催されます。


構造見学会は、完成したら見えなくなる部分を、今のうちに確認できるチャンスです。

お化粧前のすっぴんを見るような、いわば【ありのまま】見学会。

包み隠さずどころか、じっくり見て欲しい見学会です。


無農薬野菜を選ぶように、生きていく場所として
ぜひ家のことも考えてみるきっかけとなれば、うれしいです。

食べ物だけでなく、衣食住どれをとっても、

どんな素材で、
どんなことに気を配って、
どう過ごしてほしいか。

作り手の意図は、飾り立てられたら見えないところにあります。


ずっと暮らす家。

それは、伴侶を選ぶように、

見た目や、条件だけではなく、
【しっくりくる】相性のようなものもあるはずです。

しっくり来なければ、腑に落ちないのは当たり前。

だからこそ、リモートやバーチャルではなく、

実際に会って、話して、どう思うか。

その自分の感覚が大事になってくると思います。


参考までに、こんな雰囲気の家の、

自然素材のもくせい工舎・木の家室内雰囲気
自然素材のもくせい工舎・漆喰のニッチ

その中身を見る

自然素材のもくせい工舎・構造見学会

こんな見学会です。

構造を見てみて、「思ってもみなかったけど、なるほどな~」

そんなきっかけになれば幸いです。

お気兼ねなく見ていただけるよう、予約制となっております。

しつこく営業もいたしませんので、お気軽に♪

自然素材のもくせい工舎・構造見学会

名もなき、支えるものがあってこそ

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん



本当は、時期的に月末の構造見学会のお知らせを書くのがベストで、

本当は、SEO対策優先で、家関係のことを書いた方が良くて、

本当は、明るいことを書いた方が良いのを分かってて、

・・・うまく筆が進まず・・・。

5のつく日にブログを書くようにしたため、8/15がその日になりました。

うまく他のことが書けそうにないので、それこそ、ひとりごとのように書きます。

もしよければ、以下お付き合いください。


「日本のためとは 誰のためか」

今手元に、『戦争中の暮しの記録』という、百科事典ほどの厚さの古い本があります。

雑誌『暮しの手帖』の初代(カリスマ!)編集長、花森安治さんを中心に、当時の庶民の様子がまとめられた本で、

先の言葉は、その中にある、姫路市の男性の手記の、見出しでした。


そこで思い出したのが、『チッソは私であった 水俣病の思想(著:緒方正人)という本です。

水俣病の認定申請の最前線で戦ってきたのに、著者の緒方さんは、ある思いに駆られ、認定申請を取り下げました。

その理由を《私の中の加害者》という節で、語っています。
(ざっくりですみません。)

確かに水俣病事件の中では、加害企業はチッソであり、

国や県が産業優先の政策を進めるために、それを擁護してきたのも事実で、

三者とも加害者であることは構造的な事実なんだけれども、

その一方で、チッソや、県や、国にあると思ってきた責任が、
本質的なものなのかという疑問が、ずっとあったのだそうです。

そういった構造的な責任の奥の、人間の責任。

そして、その人間としての責任を、緒方さんは自らにも問うことになります。

「お前はどうなんだ?」と。


チッソと闘い、県と闘い、国と闘ってきた、緒方さん。

そのつもりだったのに、【代表】や【担当者】が変われば、人が変わり、顔が変わる。

つらい思いを分かってほしいのに、受け止める相手はコロコロ変わる。

受け取ってもらえなかった思いは、人間としての責任の問いとして、自らに跳ね返ってくる。


つらいめに遭った人が、責任感がゆえに、その問いに苦しむ。

かたや、のらりくらりと、我関せずと逃げる人間は、気にも留めない。


この理不尽は、なんなんだろう。


国に責任を取らせる、ということは支払われるのは、血税であって、

問題を放置したまま知らん顔を通していた人間は、たいして痛い思いをしない。

しかも税金は、被害者側も払っているのだから、ややこしい。

責任を取ってほしいと思いながら、会社や、県、国という組織にあっては、

一体誰を相手に戦っているのか分からなくなったというようなことだったと思います。
(ざっくりですみません。)


「日本のためとは 誰のためか」

国のためといいながら、その国民が泣いている。

もっと分かりやすい単位で言えば、

「家族のため」といいながら、家族が泣いているのは本質的にどうなのか。

それに似ているように思います。


「人」の「為」と書いて、「偽」になる。

誰かのため、何かのため、ためためためため、偽偽偽偽。

声高に、さも尤もそうに、言わねばならない時、

その足元で、誰かが泣いていないか。

笑えない人間が多数を占めていないか。

トップに立っていると思い込んでいる人間ほど、本当は気を付けなければいけない。

そんなことを気に留め、考えるトップなら、そんな被害は出なかったのかもしれない。

返す返すも、腹が立つのは、緒方さんのように、「自ら省みる」のが善良な人間ばかりで、

何とも思わない、気にしない人間ほど、きれいごとを言いつつ、
逃げ足ばかりが早いのは、なんなんだろう。


『この世界の片隅に』のコミックで、玉音放送を聞いたすずさんが、

「最後のひとりまで闘うんじゃなかったんかね?」と憤るシーンがあります。

それでいえば、「最後のひとり」までいなくなれば、国はなくなる。

その国の「ひと」がいなければ、「国」は成り立たない。

その「ひと」を、駒のようにしか考えないから

何度も間違いを起こす。

気にしてないから。

いざとなれば、のらりくらりと、逃げればいいから。


何かの組織というかたまりは、

一見、個々たる「ひと」の寄せ集めに過ぎない。、

一方で、「ひと」あってこその組織であり、「くに」だとも言える。

つまりは、「日本のためとは 誰のためか」の問いは、
そこに住む「ひと」のためとなる。

そうしたら、大事な人を失って、誰かの大事なものを奪い、壊して、
誰も喜べないことは、

全く「ひと」のためになっていない。

平穏に続く、なにげない日常こそが「ひと」の喜びであるからです。


大きなことは分かりにくいけれど、

何かのためと言いながら、それを構成する「ひと」が弱っていれば、

「くに」なり、組織なり、家庭なりの単位においても、
弱り、衰退する一方でしょう。

不安が大きすぎれば、母乳が止まるように、

いのちの、つながりの、機能が狂う。

「次」を担う、子どもが、いのちが、少なくなる。


それは、木の根の先の、無数の菌類のように、

パッと見には分からない、つながり。


目には見えない、名もなき、無数の支えがなければ、この世は成り立たない。


根っこを、茎を、花を支えているのは、無数の見えないもの。

支えているのは、無数の見えないもの


土が弱れば、根も、茎も、花も弱るのは、組織も同じ。

それは、家庭や、企業、国だって、同じなんだと思います。

のらりくらりと逃げたって、見えないものを軽んじれば、その足元はズブズブだ。

・・・と、名もなきオバちゃんは思うんです。

もう二度と嫌だ!と誓った、終戦の日に。

数字じゃないこと

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


子どもが小さいころ、保育園に送り届けるために、車を走らせていた時、

ふいにサイレンが鳴り始めました。

ウ~ウ~ウ~、ウ~ウ~ウ~

8月6日、朝8時15分でした。

「・・・そうか、広島!」

その瞬間、こうやって【あの時】も、【日常】がバッサリ切り落とされたんだと。
いきなり、それはさく裂したんだと、そう実感したのでした。

この瞬間、もし今、ここに落ちていたとしたら、

私は、車中の次男坊と、

長男は学校、

夫は勤務先で、

それぞれどうなっていたのか、分からない。

こうやって、【あの時】も、いつもの【日常】を送っている途中で、

それが起こったんだと、感覚的に分かって、ゾッとしたことを覚えています。


多くの小中学校で、夏休み中の8/6には、平和授業が行われると思います。

北九州の小倉では、平和授業は8/9でした。

本来なら、広島の次に、小倉に落とされるはずだった原爆が、
前日の八幡大空襲の影響で、見通しが悪く、

次の長崎へと、目標を変更されたことが理由です。

小倉の代わりに、長崎が犠牲になった。

私はその小倉で育ったので、そのことはかなりのショックで、
大人になった今でも、なんとも言えない気持ちになります。

ザワザワ、もやもやするのです。


平和授業を受けて、「こんな悲惨な戦争を二度と繰り返さないように・・・」と
セリフのように言うことはいくらでもできるけれど、

子ども達はもちろん、先生たちだって、実体験がない。

実体験がないことを、この身に置き換えて考えてみることは、容易ではない。

誰が悪いわけでもなく、あまりにもひどいことほど、簡単に想像できない。

だから、かなりの努力を要するのです。

爆心地から何キロメートル以内の死者が何人とか、
熱線の温度がいくらとか、

それはデータだけの話で、

そんな「情報」や「数字」から、心から、腹から、何を思うことができるんだろう。


小学校の修学旅行で、原爆資料館に行き、【ファットマン】の模型の前で、
平和記念像の前で、

笑顔でピースサインする写真を見て、なんとなく愕然としてしまう。

情報や知識として知っていても、【腹】で実感することがなければ、
そうなってしまうのかもしれない。

知識として知ることと、実感することは、また別の話なんだと思います。


そんな感覚があったので、ずいぶん前に、一度長崎の原爆資料館を訪ねたことがあります。

リニューアル後だったので、建物は近代的で美しく、展示も工夫がたくさんされていました。


11:02で止まった時計、その場にいるような投下後のジオラマ、
その足元のモニターの画像・・・。

でも、なぜか、心がそこまで動かない。

映画のセットのようで、実感がないのです。


それが、あるものを目にした途端、もうダメでした。

学徒動員でかりだされていた中学生の女の子の、弁当箱。

ご飯が、真っ黒の炭になっていたのです。


弁当箱で、炭になるのだから、女の子がどうなったかは想像できます。

そして、この弁当箱に朝、ご飯をつめた母親がいて、

まさか、朝送り出したことが最期だなんて、思いもしなかったでしょう。

それが、感覚的に伝わってきて、

苦しくて、悲しくて、どうしようもなくなったのです。


同じものを、もっと若い時に見てもピンとこなかったかもしれない。

子どもがいる、母親である、同じような境遇であることで、
ようやく、ピンと来たのかもしれません。


今、手元に『図録 原爆の絵 ヒロシマを伝える』という本があります。

被爆者自らが、絵筆をとって、あの日、あの後を描いた絵が、言葉とともに収められています。

素朴な絵です。

ぽつりぽつりと、語るような言葉です。

それでも、どうしようもなく、感情を揺さぶられる力がある。


本当に嫌だったこと、思い出したくもないことなんて、口にしたくない。

それを、内臓をとりだすように表に現すことは、
どんなにつらい作業だったかと思います。

でも、そうして【腹】から取り出されたそれらは、
こんなにも、見る者の【腹】に【腑】に落ちてくる。

データじゃないのです。
数字じゃないのです。

そして、仮に、心揺さぶられ、腑に落ちたにしても、
それは、想像の域を超えない。

だから、努めて、心揺さぶられた何かは、忘れないようにしないといけない。


権力好きな誰かの、自己実現の下で、

ふつうの、当たり前の、【日常】が奪われることに、
強烈な違和感を、忘れないようにしないといけない。

大義名分ばかり、きれいごとばかり言う人間が、
かすり傷すらつけずに、

その下で、その陰で、

もう誰も、わが子を、大事な人を、失ってほしくない。

そう思います。

数字じゃないこと

おりこうさん

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


子ども達が社会人となって、子育ても終わりと言えば、終わりになりました。

今思えば、親になってみて、あらためて気づいたり、考えさせられることが多く。

そういった意味でも、親になったことは、私にとっての大きな学びになったと言えます。


子ども達が小学生のころ、夏休みに実家に帰っていた時のことでした。

わが子は、おだやかな性格だからか、あまりにも図星で遠慮したのか、
さいわい?「ク●ババア!」といわれることもなく育っていました。

かといって、言うことを、ハイハイと聞くわけでもなかったのです。

私自身も、なんとなく「○○しなさ~い‼」とヒステリックに言うのが嫌で、
「○○するってのは、どう?」みたいな感じで言ってきたのですが、

「う~ん!」と言いつつ、・・・しない。

帰省中に、その様子を見た、実家の母から

「子どもにナメられてから!」と言われたことがありました。

・・・そうか、私は、ナメられないよう育てられたのか。

そうすると、色々なことが、点と線でつながっていきました。


子どもは親を敬い、従うこと。


聞こえはいいけれど、なんだ?このモヤっとする感じ。


それは、親が一方的に、植え付けるものなんだろうか。


親に限らず、社会的な上下関係は、かならずある。

親と子。上司と部下。教師と生徒。プロとアマでもそうかもしれない。

先輩なんだから、
経験も知識も豊富なんだから、

敬えよ。従えよ、と。

言うことをきかないと、後でどうなっても知らないよ、と。


う~ん。

【敬い】はともかく、【従う】にモヤっとくる。

隠れた、【従うべき】にモヤモヤする。


今、朝ドラ『虎に翼』であらためて、数十年前に学校で習ったはずの、
日本国憲法にふれることが多くて、考えさせられます。

【従う】ことが、強制ではなく、子ども側からの能動的なものだったら問題ないのです。

常日頃から、その大人の言動を見ていて、

「この人がこう言うんだから、そこには何か大きな理由があるんだろう。」

そう自然に思えて、そうしておこうと言うのなら、問題ない。
でも、【従わない】と、どうなるか分からないから、そうするのは
怯えからであって、

そうせざるを得ない状況に、大人がしてしまっている。

そこに見えない【強制】がある以上、子どもは個人として尊重されていないわけで、

多分、そこにモヤっとくるんだと思うのです。


半世紀以上生きて、ク●ばばあ感も板についてきた私ですが、

モヤっと来る中に、思いがけず、自分の子ども時代のかさぶたを見る。


人生の先輩であろうが、後輩であろうが、

お互いに、一個人として尊重される風通しの良さがあればいいのになと思います。

子どもは未熟に見えるかもしれないけれど、

先輩風を吹かせた大人がいつも正しいとは限らない。

「○○しなさい!」

「なんで?どうして?」

「どうしてもよ‼‼‼‼」

押さえつけ、しまい込んだ言葉が、子どもにモヤモヤとなって残る。


生まれつき、親を嫌う子どもはいない。

少なくとも、物心つくまでは、

どんな未熟な親でも、欠点の多い親でも、

子どもは、全身全霊の愛情で親を慕ってくれる。必要としてくれる。

それが、物心ついてから、

埋めようもない溝に気づいても、遅い。

それは、物心がついた、子どもの心に、
大人が、何かをしでかしたことになる。


「じわじわできた傷は、じわじわ治すしかない」


わが家へやって来た時、猫のハチさんを病院に連れて行った際、
年配の獣医さんから言われた言葉を思い出します。

首から左脇にかけて、輪ゴムが食い込んで抉れ、大きなキズができており、

その手術が難しいとして、言われた言葉でした。


じわじわできた心の傷も、きっとじわじわ時間をかけて直していくしかない。

そして、そのかさぶたを気にして、自分ではがすようなことをしていたら、

いつまでたっても治らないのも同じなのかと思います。


(こころ)に諸(もろもろ)の不浄を思ひて 心に諸(もろもろ)の不浄を想わず

これは、以前書いた嘯吹神社でいただいた社報にあった、
六根清浄の大祓(おおはらい)の一節。

意識に様々なけがれた事を思っても、その事を魂に刻まないように

という注釈がありました。

【けがれ=気が枯れる】なんだとすれば、

元気がない時、疲れている時、余裕がない時ほど、
気を付けないといけないのかなと思います。

それを考えれば、「ナメられないよう」育てねばならないほど、
若かりし頃の母だって、いっぱいいっぱいだったのでしょう。


私は、神経質と言うか、気にしぃな方なので、

そんなこと思うアンタが悪い!と、何度怒られたか分かりません。

でも、ほぼ瞬間的に、思っちゃってるんだから、どうしようもない。

何も思わなかったことにして、何度、自分の感情に蓋をしてきたか。

臭いものには蓋、です。

でも、その何かはブスブスと心で悪臭を放ちかねない。

だから、

そう思っちゃったにしても、魂に刻み込むほど、執着するな。
思ってしまっても、手放して、楽になりなさい。

清々しくありなさい。

・・・と、いうことなのかな。


せめて、自分にできることは、

大人や、上の立場の人に言われて嫌だったこと、
されて嫌だったことは、

子ども達にしないこと。

それくらいしか、ありません。


「なんでお前は、そうなん?」

子どもを失敗作のように思うなら、

それは、親としての私だって、たかが知れている。

子どもは親の成績表じゃない。


あくまで、ヒト対ヒトで、

人間は、自然の一部でもあるんだから、

思いのまま行くことばかりではない。


明るく快活で、勉強も、運動もできて、友だちも多くて・・・。

本当に、手のかからない、お利口さん。

利口とは、賢いや聞き分けが良いのほかに、抜け目がない、狡いの意味もある。

大人の顔色をうかがわせて、お利口さんの良い子が

大人にとっての【都合】の良い子にならないように。

こどもだって
こどもだって
こどもだって
(こどもだって、色々大変なのだ。)

スクスク、イキイキ、

どの子も育っていけますように。

そう願います。

20240725_おりこうさん

暮らしと音風、笑う

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


以前、版画家の武田由平(よしへい)さんの作品を、中津市内5か所で展示公開する催しに出かけたことがあります。

武田由平さんは、飛騨の生まれ。

昭和4年、遠く離れた中津南高校に美術の教師として赴任しました。

右手で文字を書きながら、左手で絵を描いて、生徒たちをびっくりさせ、
「ガニ先生」と呼ばれて、とても慕われていたそうです。

生徒にも地元にも愛され、その作品が市内各所にあったことで、
官民タッグを組んでの【アートで中津をつなぐ合同展】として、開催されました。

その会場の一つとなったのが、登録文化財にもなっている久恒家住宅。

実は、ずっと前から、立派な門扉と大きな木に囲まれた、そのお屋敷が気になって仕方なかったのです。

どんな建物なのか、ぜひ見てみた~い!

しかし、おいそれとは入れない。

敷居が、文字通り高いのです。

美術展の会場にもなっているこの機会に、ぜひ見てみたい!と、鼻息も荒く出かけたのでした。

(武田由平さんの作品は、とても温かみがあり、色彩も、構図の取り方も、
本当に私好みであったのですが、今回は記事としては割愛させていただきます。

久恒家住宅も、武家屋敷+洋館みたいな風情あるつくり。入り口に銅鑼があって、びっくりしました。
バィイ~~ィン‼「たのも~!」って呼ぶんかな?どだろ?)



なかなか一般住宅では見ない感じの敷地の門をくぐると、入り口付近にすぐ、【六月八日】という、すてきな雑貨店があります。
(もう、ロゴがカッコいい。)

山林業を営んでおられる関係で、森から採れたエッセンシャルオイルや関連の雑貨などを取り扱っていました。

その店先に、「りーーーーーーーん!」となんとも澄んだ音がする。

それはスタイリッシュな鋳物の風鈴。

・・・こ、これは、なんていい音なんだろう!
(思えば、この時、私の風鈴スイッチがONになる。)



どこのか聞いたのですが、・・・覚えきれず。

後日ネットで探して、【能作】という鋳物メーカーの、スリムという風鈴では?と思っています。
(興味のある方は、公式サイトにて視聴もできますので、ぜひ。)

とはいえ、考えてしまった。

あの音は、あの久恒家住宅、あの六月八日のような雰囲気にあってこそ、
似合う音なんじゃないか。

知らないだけで、きっと他にも色々自分にピッタリのものがあるかもしれない。
(お値段も、思った以上、そこそこしましたので・・・。)

そこで、【風鈴 音色】で調べてみることにしました。

今は、YouTubeなどで検索すれば、風鈴の聴き比べが簡単にできるのがありがたい。

南部鉄器、小田原風鈴、茨城のサヌカイト石、明珍火箸、鎌倉メノウ風鈴・・・etc.

どれも涼し気な、日本の夏にぴったりの良い音です。

サヌカイト石や、メノウなどの鉱石は、澄んだ音色の中にもどこか素朴な感じもします。

色々見ていると、コシチャイム(ヒーリング風鈴)なるものも出てきました。

ヒーリングかぁ~。

せっかくなら、聞いていて癒されるような音色がいいかなぁ。

そこでヒットしたのが、これ!

20240715_バンブーチャイム.png

バンブーチャイム!

風が吹くと、コロン、ポコン♪ポコン、コロン♪と音がする。

他の風鈴の、一瞬で空気を凛とさせる音色も素敵だったのですが、

竹と竹がぶつかり合う、この自然で素朴な、かわいい音色に参ってしまった。


どんなに風が強くなろうとも、コロン、ポコンと、なんだかのほほ~んとしている。

そして、その素朴すぎる自然な素材の音色は、

風が吹くたび、風が笑っているようで、聴いていて楽しくなる。

これは、かわいいわ。

しかも、Amaz●nで、1,500円前後で買える。

なんを言えば、吹きさらしの風の通り道にぶら下げていると、ちょっと黒ずんでくるのが玉にキズでしょうか。

それでも、風が吹くたび、うれしくなる音色なのでした。

これなら、住宅街でも嫌がられにくい音色なんじゃないかなぁ~。

もし興味がある方は、ぜひ聞き比べてみてください。

とても楽しいです。


そういえば、ヤシの実割った時、どこかで見たことがあると思ったら・・・。

ヤシの実の殻

ヤシの実殻

バンブーチャイムの上部は、ヤシの実の殻でありました。

バンブーチャイム

ヤシの実の殻って、なんか使えそう・・・。

そう思って作ったものの一つが、こんな風鈴なら、

ヤシの実って本当に捨てるところがない感じ。

自然なものからは、自然な、かわいい音色がしました。

20240715_自然の風と音

ヤシの実にストローを。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


おそらく、人生最後となる春休みを堪能中、

「俺、ヤシの実にストロー指して飲んでみたい!」と次男がいきなり言いました。


二刀流になるわけでも、海賊王になるわけでもなく、

いきなり言い出した夢が、ヤシの実って・・・。


とはいえ、そう言われると、気になる。

私も、ヤシの実、どうやってストローをさすのか、半世紀生きて知らないぞ?


そこで、以前ダチョウの卵でさえ買えたんだから、きっと売ってるに違いないと、
アマゾンで調べてみました。

「あったよ・・・、ヤシの実も。」


そして、届いたのがこちら。

ヤシの実

2個入り。おまけつき。

もっと大きく、表面がフサフサだと思い込んでいたので、意外に小さく、しかも硬い。

表面に貼られた説明シールに書いてある、飲み終わった後のカナヅチの出番にも、一抹の不安を覚えます。


とりあえず、まずは丁寧に「OPEN」と書かれたところに穴を開けます。

ヤシの実

包丁で、グリグリグリグリっと。

ヤシの実

ココナッツの実が出てきました。

この、ストロー用の穴は、不思議なほど、労せず開く。

まるで、ストローで飲むために用意されてるような穴。

そして、中は、空洞。ここにジュースが溜まっているんだから、不思議な木の実です。

熟成されるうちに、中のジュースは果肉(胚乳)へと変化していくようなので、

若い実ほどジュースが多く、熟すほど反対に果肉が多い状態になる。

ふんふん、なるほど。・・・と言いながら、なんでジュースが胚乳になるのかも気になってきます。

なんで?なんで?なんで?

どんなにトシを取ってきても、世の中知らないことだらけ。

また、色々分かったら書くかもしれません。

それはともかく、ジュースです。

2個しかないので、味見用に、コップに少し注ぎ入れ、

20240705_coconuts_5.jpg

20240705_coconuts_6.jpg

ヤシの実に、念願のストロー(太めのものが付属)を指します。

どれくらいジュースが入っているのか分からなかったので、コップには少しだけ。

意外や意外、それでも本体の方にはかなりのジュースが残っていたようでした。

さて、そのお味は?


う~ん。ミルキーなスイカ汁、エスニック風味。

不味くはないのですが、飲みなれていないので、不思議な味。


夢が叶った次男も、「う~ん。不思議なお味。」だそうで。


さて、問題の本体です。

春休み中なので、真夏のようにすぐ腐りはしなくても、
なるべく早く処理したいところ。

当時調べた時は、割る、身を削る、といった力任せなことしか出てこず。

後で知ったのですが、割った後、レンチンすると鬼皮はスルリと取れるようで。

それでも、柔らかくなった身に付いたままの薄皮は、やっぱり削って落とすみたいでした。

もっと深く調べたら、より簡単な方法があるのかもしれません。

とりあえず、カナヅチで割らないと。

わが家は猫さんズがいるので、びっくりさせるといけない。

場所を外に移します。

ヤシの実を割る

ガンガン叩いて、

ヤシの実を割る

やっと、大きな穴が。

ヤシの実を割る

埒が明かないので、トンカチどころか、ノコギリ登場。

ヤシの実を割る

やっと割れた!

・・・やっと割れたんだけど、まだまだこれから。

肝心の身を取っていかないといけない。

ヤシの実の身を削る

マイナスドライバーをノミ代わりに、カナヅチで叩きます。

もう、これ、あれですよ。

禅海和尚ですよ。青の洞門の。恩讐の彼方に、です。

もう、食べ物の身を取るレベルじゃなくなってきました。


岩肌を削るようにして、バラバラになったココナッツの身を

ピーラーやら包丁やらで、削り落としていきます。

そして、やっと削れた身を、とりあえずスライスしてみました。

正直、どうしていいのか分からず。

身もそこそこの、妙な弾力があるからでした。硬めのウリのような、ぶにゃぶにゃ少なめのイカのような。

どうするこれ?

とりあえず、ローストしてみました。オーブンで。

スライスしたココナッツの身を焼いてみる

焼いている最中は、ココナッツの焼けた香ばしい匂いがする。

きっと、カリカリになってるはず。・・・はず!

しかし、焼けども焼けども、カリカリにはならず。
妙な"しなり"、弾力はまだまだ健在。

どうなってんの???

仕方ないから、ミキサーにかけてみる。

ミキサーにかける

ガガガガガガガガガガガ・・・・・‼‼‼‼‼‼

あかん、ミキサー壊れそう。

なんなんやろ、この弾力。

そしてその後。

どうしたかと言えば、どうもしきれず。

ただ今冷凍庫を占拠しております。

あのまま、スルメの弾力をもつナッツとして食べるしかないんだろうか。

冷蔵庫に、どうしようもないココナッツの身を残したままの先日。

テレビで、あるの光景を目にすることとなります。

NHKの【サトリポ】と言う番組で、九州沖縄で暮らすアジアの若者の里帰りに同行する内容でした。

その時は、大分市でカレーショップを経営するスリランカの男性の里帰り編。

スリランカでは、カレーはもちろん色々なものにココナッツが用いられるようで、

男性の実家でも、料理上手なお母さんがココナッツを削る様子が映し出されていたのでした。

お母さんは、頑丈な土台に、斜めにキリがくっついたような道具で、
手でココナッツの実を動かしながら、内側をシャカシャカと削っているのでした。

・・・・道具あった~!

そりゃそうだ。いつも使うなら、それ相応の道具があるはずで。

細かく削れれば、弾力あっても、スルメにはなるまい。

きっと裂きイカ程度の感じでおさまるはずで。

かえずがえすも、後のことしっかり調べてから割れば良かったと後悔した次第です。


もし、「夏休みに、自由研究でやってみたい!」というチャレンジ精神旺盛なご家族の方は、
ぜひとも失敗例として、ご活用?ください。

いやはや、ストロー指したその後の方が、大変だった・・・。

そう分かっただけでも、良い経験となりました。

個人的には、ココナッツより、ダチョウの卵で目玉焼きを作る方をお勧めします。

目玉焼き完成

あ、でも、4人家族で食べ終えるのに4日かかったんだった・・・。

どこか、物好きなご家族の方、良かったらチャレンジを。

少なくとも、一生の思い出にはなる、と思います。

おそらく、笑える方の。

20240705_ヤシの実

おにあい

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


昔々、ケッコン祝いにと、いただいたティーカップがあります。

wedgewood

英国王室ご愛用の超有名メーカー、ウェッジウッド。

実は、1回来客時に使っただけで、あまり出番がなく。

うっかり割りたくないのも理由ですが、なんとなく似合わないというか。

高級そうで、お上品で、洗練されてて、のウェッジウッドに、私が追いつけない。

まさに、そんな【器】じゃないのです。


器に限らず、好みの傾向というものが人それぞれある。

素朴で、頑丈で、手づくりっぽい、土や木など素材そのものの感じが手に伝わるもの。

それが、私の食指を動かす根っこになっているようです。


さて、家の話です。

もくせい工舎の家は、どちらかと言えば、ウェッジウッド的ではありません。

もうちょっと、土くさいというか、人の手がつくった素朴さがあります。

しかしそれは、安っぽいのとは違います。


良い家が安く買えることは、理想ですが、

安く上げることを第一とするか、

素材や質を第一にしつつ、無駄なコストを抑えるか。

そこにはかなりの違いがあり、
そういった意味でも、もくせい工舎は、安さ地域一番!のローコスト住宅でもありません。


お金の問題は、非常にシビアだけれど、

住むことさえできれば、安いほどいいのか、

住む、暮らしていく場所として【良い家】を安くなのか、

本心では、どちらなのか見極めることが大事だと思います。

お金が関わってくると、身の丈に合う合わないで
贅沢は言えない気持ちになってきますが、

本当に望むものを見極めるには、「タダでもらえるならどれ?」で判ります。


例えば、器でいうと、どれを選びますか。

器の比較
(自宅にあるものを慌てて並べて、あまり良いものがなかったので、例としてあまり良くならず。スミマセン。)

住むのと同じように、どれも「飲む」ことはできる。

住むには、じゅうぶん。飲むにはじゅうぶん。ということです。

「それ以上、何を望む?」という声が頭をチラチラする。

でも、「どれをもらってうれしいか」を考えると、

自分が好みのもの、心が望むものが素直に出てきます。
(ひとそれぞれで、どれを選んでも間違いではない。)

それは、有名メーカーとか、値段、ステイタスなどなど、条件は関係なく、
ただただ、自分がうれしいもの。

しっくりくるもの。


色々なハウスメーカーがある中で、どれでもいいよと言われたらどれを選ぶか。

妄想すると、ホントウの素直な気持ちが見えてくるかもしれません。


そうそう。先日久しぶりに事務所に寄ったらこんなものが。

20240618_tutinoie.jpg

20240618_tutinoie_culu.jpg

お~。

これを見て、「お~。」と思う方は、もくせい工舎の家を気に入っていただけるかもしれません。

永家代表が、本業の合間合間につくっているので、まだ工事中ですが、完成のあかつきにはご紹介できたらいいなと思います。

自由に、思いのまま作っているからでしょうか、建物がイキイキして見えます。


「買う」となると、安さばかりに目が行きがちではありますが、

もし、タダでもらえるとしたら、自分が本当に好きなものを選びませんか?

それが、きっと本心から望んでいる、自分が好きな家なんだと思います。


安さ一番!ではありませんが、もし、心動かされる家として、もくせい工舎を選択肢の一つにしてもらえたら嬉しいです。

なにより、ご自身や、ご家族にとって、似合う家、しっくりくる家、心が晴れやかになる家を建ててほしい。


安かったから、ブランド品だからと、サイズ違いの靴を買っても、歩けない。

家づくりも然りで、自分の心身、生活にあうものが一番。

本当に好きな感じの家。

本当に、自分にしっくりくる感じの家。

たくさん、たくさん、色々みて、

本当に、心が動かされる家を、建てましょう。


そして、家と一緒に月日を過ごすうち、

訪れた人に、「○○さんに、似合うね。この家。」なんて言われたら、小さくガッツボーズしたっていいくらいです。

20240625_しっくり

またたびチャンス!⑥

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


またたびchance_6

前回の記事

花袋に戻って、簡単な夕食をとり、好きなだけ本を読んで、
いつもは聞けない音楽を聴きます。
(家では、猫のハチさんが、音に敏感で怖がるので自由に聞けず。)


夜、灯りを点けていると、窓の障子越しに、ビシバシ何かが当たる音がする。

・・・虫?

BBCには雨戸がなく、また木製の木枠の窓なので、少しのゆがみを抜けて、
虫が直接、室内の障子を、外から叩いているのでした。

ブブブブブブブブブブブブブ・・・・・!

ありゃ~、アブかなにかが、入ってきてしまった。

ベッドの上に立てば、電灯にいるところを捕まえられそうです。

ビニールの内側に手を通して、パッとつかんで、ビニールの口を閉じます。

・・・・刺されなくてよかったけど、たぶん、日中障子を開けた時に、
反対側がきっちり閉まってなかったのかもしれない。

前回来た時は、4月のはじめ。今回は、5月のおわり。

時期が違えば、こういうことも起こる。

もし、興味があって宿泊される方は、障子の締りにはお気を付け下さいませ。


1時間いつもより早めに寝たのに、ぴったりいつもと同じ睡眠時間で、
夜中3時に目が覚める。

人の体内時計って、おそろしい。


結局、それから寝付けず、本などを読んで、朝風呂へ。

私は、寝癖がひどいので、それを直さねばなりません。

誰にも会わないようにしながら、テイの湯へ。

芹川

夜からかなり雨が降っていて、朝もやの中、テイの湯から流れた湯気が上がっています。

去年は、真っ青な空の下、泳ぐ鯉のぼりが見えた芹川も、

202304_芹川のこいのぼり

芹川

今朝は、ちょっと寂しげです。


というか、こんな雨の中、風呂に行こうと誰も思わなかったらしく。

やっぱりテイの湯、ひとり占めでした。

・・・飲食店にはフラれまくってしまいましたが、温泉に関しては
貸し切り、独占状態。

これはこれで、・・・・よし!として良いのかもしれません。

朝食

朝食は、お粥セット。去年とちょっと違います。
(みそ玉は同じ。あまり食べる機会がないのでうれしい。希望すれば、お粥→白米のご飯も。)

202304_朝食
(こちらは、去年の。)

BBC長湯は、最大30泊できる湯治宿でもあるので、少しづつ違うのかもしれません。

8:00、8:30と時間が選べて、受付時にOKすれば、10分前くらいに届けられます。
(こちらが気にすることではないのですが、微妙な時間差って気を遣うだろうな~と思います。
お盆に持って、各離れを回るのは、雨の日なんかは大変そうです。)



朝食を頂いて、チェックアウトをすませ、あさイチで万象の湯に行ってみましょう。

以前行ったときは混んでいたので、開店早々なら、ちょっとはいいかもしれません。


昨日の夜から降り続いて、今日一日、ずっと雨の予想。

外で待つのもなんなので、開店までの数分を、車の中でつぶすことにしました。

・・・ところが、後から後から、じゃんじゃん車が来る。

しかも、結構なスピードで駐車場に乗り入れ、慌てて車を駐車し、
自前のお風呂セットを持って、(開店前のはずなのに)建物の中へ消えていきます。

???????

これは、先に来たからこっちが先なんて雰囲気じゃないぞ??

気が引けましたが、とりあえず受付くらいには行ってみましょう。

受付で、「昨日ラーメン屋さんで食事をしたんですが、割引券もらい忘れて。
レシートでもいいですか?」と聞くと、

「どちらかというと、レシートの方がいいくらいですよ」と快諾して頂きました。

う~ん、やっぱり言ってみるもんだなぁ~。

数百円と言えど、積もれば違うはず。恥ずかしがらず、言って良かったです。


それで、肝心のお風呂なのですが・・・。

地元の方が結構いて、ちょっと居心地悪かった。

万象の湯の内湯は、落花生の殻のような、大小の湯船がくっついた形をしていて、
大きい方が熱めのお湯、小さい方が冷たい、泡がつく炭酸泉になっています。

熱い方で体を温めた後、冷たい方に入ったり、露天湯に行ったりして、
交互に入って、長くゆっくり浸かることで効果がでるそうです。

その落花生のくびれの所に、地元の方が占拠していて、大声で話しているので、

冷たいお湯に入ろうとすると、落花生の周りをぐる~っと回って、
遠慮がちに入らないといけません。

わぁわぁ大声で話している間を割って入って、湯船をすっぽんぽんでまたいで入るほど、
さすがのワタシも、そこまで肝が太くない。

旅館で夜勤で働いて、その帰りなんでしょうか。

こちらは夜勤で疲れてんだ!気楽な観光客とは違うんやけ、良い場所は地元のもん!

・・・なのかなぁ。

せっかくの良いお湯で、みんな同じように料金を払ってるので、お互い譲り合って気持ちよく過ごせれば良いのですが、なかなか上手くいかないこともあるもんです。


仕方ない。そうしたくなる何かがあるんだろうし、私がそこに責任を負う必要は全くない。

露天風呂も雨だったので、落ち着かず。

そうそうに引き上げることにしました。


長湯にはたくさん、日帰りで入れるお湯がありますが
返す返すも、テイの湯で嫌な思いをしたことがない。

それは、老舗旅館としてのキリっとした何かがそうさせるのか、
事情を知らない同士、【おたがいさま】の距離をきちんと保てる雰囲気があります。


みんな、生きていれば色々あって、

その大変度合いも、力量と条件で全く違う。

大変なほど、エライなんて世の中になったら、
認められたいがために、自分がどんなに大変かばかり口にしないといけない。

そんな苦労自慢、大変自慢しか口にできない世の中ってどうなんだろう。

大変大変と大声で言う人が、一番大変かなんて計りようもないことです。
(我慢強くて、愚痴ひとつ言わない人だっている。)


そんな中で、訪れた先で出会った素晴らしい景色や、おもしろかった本、感動した映画、心が震えた音楽の話をすれば、
「そんなヒマあっていいね」となる。

その行きつく先は、人前でうっかり休むことも、息をつくこともできないギスギスした社会であり、

常に他人が自分よりラクしていないか、楽しんでいないかを見張る社会であり、

そんなお互いを監視し合う世の中で、いつ息をしたらいいんだろう。

役に立つことばかりが、もてはやされる社会で、
常に自分自身にも、他人にも、使えるか使えないかでジャッジされていくそんな社会で

存在意義すら、誰かに勝手に決めつけられる。

役に立たないものは、生きている意味がないなんていう。

その言葉が、他人にも自分にもどんなに、毒になるか分からないのに。


お互い、事情を知らない者同士、なんにも分からない。
何にも知らないんだから、思いやって、分け合って、譲り合う。

その余裕がないのは、ギスギスして、ガチガチになっているからかもしれない。


芸術・文化はビタミンのようなものだと、誰かが言っていたのですが

そういう意味で、円滑油のようなものかもしれない。

多すぎてもいけないし、全くなければ、上手く回らなくなる。


どちらかに偏りすぎることがないよう、心がけたいと思います。


「万事うまくいかない」はずの旅に出て、
確かに思っていた通りにはいきませんでした。

だけど、全く全部がダメってことはなかったです。

それはそれで面白かったし、

思い通りにはいかなかったけれど、思いがけないウレシイこともありました。


人生もそうなのかもしれない。

望んだものには選ばれず、拾われた先で頑張る以外方法がなくても、

それはそれで、なんとか今生きているんだから、

ありがたがって、おもしろがって
右往左往していいんじゃないかと、思います。

これで、またたびの話はおしまいです。

長々しつれいしました。そして、ありがとうございました。


またたびチャンス!⑤

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


またたびchance_5

前回の記事

さて、どこに行きたいかというと、

実は、またたびチャンス!③の記事で載せた地図に書いてあります。

右往左往イメージ.jpg

が二湯の先の、【タビノトチュウ】と書いてあるところ。

天風庵の敷地内の一角に、新しくオープンしたと新聞で読んだのです。

オーナーは、【夏ノ庭珈琲店】として、大分県内各地をめぐる国東の方。

なんでも、久住町で出店した後立ち寄った長湯で、
芹川沿いのベンチに腰掛け、夕暮れを眺めていたときに、ここでお店を開きたいと思ったのだとか。

そのベンチ近くの店舗跡を借りた、というのが現在の場所のようでして。

自家焙煎の珈琲だけでなく、スイーツや、古本(!)などもあるらしく、
明らかに私好みのニオイがする。

これは、よらないと!

テイの湯には、昨年同様ひとり占めを狙って、18時ごろに行くつもりなので、
まだまだ時間があります。

BBCからも歩いて少しなので、とりあえずそちらに行ってみて、
それからどうするか考えましょう。


てくてくてくてく、芹川沿いをくだります。

膝の調子が悪いので、坂を下る度、ずんずん響く。

温泉が膝に効けばいいけど、一日じゃ無理かもなぁと思いながら、お店へ。

・・・・。ん??

タビノトチュウ

・・・なんか気配がしないけど???

・・・やられました。

タビノトチュウ

臨時休業だそうです。

なんだなんだ?今日は、長湯のおしゃれ系カフェで、寄り合いでもあってるのか??

なんと、またしてもフラれることとなったのです。(トホホ。タビノトチュウオが、オヤスミチュウ。)

タビノトチュウ
(手書きのお知らせもかわいい。楽しそうだな~、美味しそうだな~。ざんね~ん。
インスタやらない者にとっては、こんな時感じるアウェー感。「情報見たければ、登録しなよ」って感じの巨大IT企業になんか、負けるもんか~。)

仕方ない。仕方ないけど、今日これで4件目の行けずじまい。

これか?万事うまくいかないって。

なにはともあれ、今回はご縁がなかったということで、気を取り直して、ぶらぶらします。

ラムネ温泉
(この前は気付かなかった、ラムネ温泉前の【猫横断】の標識風看板。)

これだけではなくて、一回見てるはずなのに、

ラムネ温泉

ラムネ温泉の、建物の後ろ頭(?)の細かい造作に気付いたり。

散歩のような、歩く速度でないと見えないこと、気付かないこともあるもんだ。



芹川

タビノトチュウの店主さんではないけれど、長湯ってなんだか不思議なところです。

由布院や別府のように、温泉!観光!というわけではなく、
ほんと~に山奥の、
昔はどうやってここまできたのかしらと思うような場所で、

それでも、与謝野鉄幹・晶子夫妻をはじめ、多くの文化人に、昔から愛されてきた名湯で。

そしてそんな場所にも、ふつうの暮らしがあって。
放課後になれば、この小さな温泉街に住む、小学生の子ども達が芹川沿いを帰宅していて。

ガニ湯
(ガニ湯。脱衣場も、仕切りもないので、生まれたままをさらけ出す必要ありの、一大決心?の湯)

芹川
(この日は流れが速く、カモが必死に水かきして、水かきして、流れに逆らって、エサを探す様子が。油断して、時々スイ~ッと流される。)

何にもないようで、何か懐かしいような気もして。
やっぱり、不思議な場所です。


そして、夕方6時。

テイの湯に行ってみると、これまた誰もいない!

よっしゃー!でかした、ワタシ!

誰もいなかったので、前回なんて書いてあったか忘れた檀ふみさんの色紙や

テイの湯
(かくいう私は、溺れた蚊と一緒にお風呂に入りました。)

お風呂の様子を撮影させていただきました。

テイの湯
テイの湯

テイの湯は熱めではあるのですが、とても気持ちが良い。
本当は、ず~っと入っていたい。

老舗旅館なので、建物も、お風呂も、新品!ピカピカ!というわけではないのですが、
清潔で、気持ちが良い。

そして、本当にテイの湯に来て、微妙な思いをするということが皆無なのです。

「デザインの仕事は、使う人に不便を感じさせないこと」

そういったのは、WEBデザインをかじった時の先生の言葉でしたが、
こういった接客業などのサービスにも然りで、

なるべく微妙なモヤモヤとする思いをさせない、さりげない心遣いが、
大丸旅館の老舗としてのスタンスを守り続けているのじゃないかと、

そんな風に感じました。

川端家
(夜の帳が降りはじめ、お客様各位の川端家も眠りにつく。)

川端家


次回くらいでいい加減〆ないと・・・と
あせりつつ。

(次回へつづく!)
(今回は、連日続けて記事を上げます。)


またたびチャンス!④

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


またたびchance_4

前回の記事

14時にチェックインとしていたので、受付へ。

「本日、花袋にお世話になる○○です。」

「はじめてですか?」と問われたので、「2回目です」と答えます。

「じゃ、お分かりになりますかね?」ちょっと嬉しそうだったのは、気のせいか。

カギを預かり、いざ花袋へ。

BBC花袋

花袋は、愛しの山頭火の奥、一番左の建物です。


お~。

BBC花袋
木立の中、アプローチを通って行きます。

・・・上に落ちているのは、ドングリの花でしょうか。
(見た目ヒモみたいですけど、花言葉は「永遠の愛」だそうです。意外にも。)


一段低くなっているので、専用の階段があります。

お⁉ ドアと窓枠の色が、お揃いですね。

BBC花袋

ネットで調べた時、なんとなく思っていたことですが、

・・・う~ん。ちょっと暗めに感じる。

壁の色合いのせいかな~。ドアは可愛いのにな~。

正直、そう思いながら、カギを開けようとしたとき、

ガラスの向こうに見えたものがある。

BBC花袋

?????

ちょっと待って、ちょっと待って!
なんだなんだ?

玄関に飾られていたのは、これ!

BBC花袋

・・・こ、これは可愛い!(安ければ)買いたい!持って帰りたい!

玄関のドアの色と、作品の背景の赤が、ピッタリ!いいなぁ~!

タグが置いていたのですが、よく読めず・・・。

おそらく、川端家さんで見た、あの作品と同じ作者なんだろうかと推測します。

川端家
(こちらも可愛い!たまご?繭?が特に!)

こういったものを、サラっと飾っているのは流石です。

BBC長湯は、Bed(ベッド),Breakfast(朝食)Culture(文化)の意らしく、
ところどころに、彫刻や絵画、書などが飾られています。

この作品の横に、絵を掛ける金具があったので、
常時、この作品が置かれているかは、ちょっと分かりません。

それでも、この、女の子が雲をつかみたいと手をのばす作品に
出迎えてもらえたことは、本当にラッキーです。

立体の作品を、家に置くってなかなかないので、見れるだけでもウレシイ。

BBC花袋
(玄関より見える青々した風景。こんな感じの玄関、一般家庭じゃまず見ない。
この風景を見て、もくせい工舎が戸建ての貸家を作ったらこんな感じなんだろうかと妄想する・・・。)



こちらが、お手洗い。

BBC花袋

・・・お高そうな、手洗い鉢。

BBC花袋

こんなん一人占めしていいんだろうか。

BBC花袋

お天気が下り坂になりかけていたからか?

正直、ちょっと暗めに感じる。
(それもそのはず。その後、このテラスがある方向に陽が沈んでいたので、一番大きな窓が、西向きだったようです。)

BBC花袋

前に来た時、テラスでコーヒーでも!と思っていたのですが、
あまり、誰も使っていないのか・・・。

板を踏み外しても嫌なので、やめておくことにしました。
(この時、興味津々で、窓を開けたり締めたりとしていたことが、後でアダとなります。)

BBC花袋
奥がキッチンスペース。

BBC花袋
(椅子の背が当たったのか。キズが入ってしまっています。親方に直してほしいくらい。ついでに、もう少し明るめに。)

BBC花袋

BBC花袋

キッチンは山頭火と変わりませんね。


そして、こちらにもミニ書斎が。

BBC花袋
(室内灯を点けず撮影。画像の荒さでお気づきかもしれませんが、実際はかなり暗い。)

BBC花袋
(室内灯を点けて撮影。)

奥の、狭いスペースでも花器を飾れそうな棚が、なんともおしゃれ。
(新しいお施主様のどなたか、和室に作ってくれないかしらと思う。)

BBC花袋
窓からの景色と、計算されたようにつけられた小窓。


前回撮り忘れていた、お風呂の時間帯です。

BBC花袋

山頭火に泊まった時は、Wi-Fiにパスワードがなかったので、ちょっと怖くて繋げませんでしたが
今回は、ちゃんとパスワードありました。


完成現場のように、散々写真を撮りまくり、一息ついたら

前回全くできなかった、散歩に行きましょう。

実は、コーヒー豆を売るお店がちょっと先にできたと新聞に載っていて、ぜひとも行ってみたかったのです。

ジプシースマイルにフラれて、当てにしていたコーヒー豆も手に入れられなかったので、
新規開拓となるかもしれません。

まだまだつづく。
もしよろしければ、バーチャルひとり旅にお付き合いください。

次回、町内うろうろ編です。

(つづく)
(今回は、連日続けて記事を上げます。)


またたびチャンス!③

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


またたびchance_3

前回の記事


ジプシースマイルにふられ、食いはぐれたまま次を探さないといけません。

そういえば、BBC長湯の先に、天空の杜というキャンプ場ができて、
【cafe 風と土】という眺めが良さそうな場所が併設されていたはずです。

宿から近いし、すぐ戻れるかも。

しかし、前に場所を一度ストリートビューで見た時に、
すごい林道で、どうやってここに着くんかな?と分からずじまいだったのです。

とはいえ、Googleマップのお導きを信じましょう。

とりあえず、宿方面に向かって、さらに上へ登っていくだけ!のハズなので。

きっと看板くらい出ていることでしょう!


ところが、これが甘かった。

BBC長湯を左に、山道を行ったのですが、まず出てきた分岐点にキャンプ場の看板がない。

右往左往イメージ.jpg
(だいたいこんな感じ、の地図)

左側の道が、結構な急こう配で、なんとな~く、平坦な右を選ぶ。

これがそもそも間違いで、八十八ヶ所の霊場巡りの方に行ってしまい、
どんどん狭くなった道を、しばらくバックで戻る羽目に。

分岐点まで戻り、丸山公園の方に向かい、お稲荷さんをすぎても看板すらでてこない。

ワハハハハハ・・・どないせ~ゆ~ねん!

いよいよ困ると、笑いが出てくるのは私だけでしょうか。

左手に砂利道がでてきたものの、キャンプ場はこちら!の看板は見当たらず。

・・・どう考えても、この道中、キャンプ場への看板が一つもないっておかしくないか?
(実は、この砂利道の先だったらしいのですが、看板があったのか、気づけなかったのか・・・。)

Googleマップの音声は、お稲荷さんの先の辺りで「入り口は左です」なんて言うし。(コワいやん!)

う~ん。これは、諦めよう。

Googleさん、日本には「急がば回れ」という言葉があり、最短コースが一番良い道とは限らないのです。
サルじゃないんだから、さすがに山の斜面を登っては行けませぬ。

・・・仕方ない。もう長湯町内の、どこぞで食べよう。

ジプシースマイルでしっかり食べるつもりだったので、
今回も夕食はおつまみ程度しか仕入れていなかったのです。

(後々、天空の杜の公式サイトを確認するとおススメの別ルートがありました~。
とはいえ、できたら丸山公園側にも看板置いてほしいところです。私みたいな者のために・・・。


とりあえず、道の駅ながゆに車を停めて、ウロウロするも当てが外れ。

川端家
いつもより早めの閉店となった、川端家さん。「お客様各位」の引導を渡されました。・・・トホホ。

大丸旅館の壁
がっくりしながらも、大丸旅館の壁に開高健さんの一言を見つけ、「お~」と言いながら写真を撮る。
こんな感じカッコいいなぁ~。原田の親方に頼んで、誰かこんな感じで作らないかしら、と思う。座右の銘とか、好きな言葉で。

結局、道の駅近くのラーメン屋さんに。

「・・・しまった!レジで言えば、万象の湯の割引券をもらえたのに!」
(系列店が同じらしく、そのラーメン屋さんで食事をすれば、大浴場\500が\200割引きになります。)


以前、万象の湯に行った折に、混んでいてゆっくりできなかったので、
今回は、翌日にでも開店早々行ってみようかと思っていたのです。

このところ、「支払う時、レジで言おう」みたいに、
少し間が空くと、忘れていることが多い。

忘れてた!と思い出せれば、セーフらしいのですが、
老いを実感することも増えました。
(先日、膝の水まで抜くことに。「溜まるようなトシでもないのにね~」とお医者さんに言われました。)

人生の折り返しというけれど、50を過ぎると
あと50年も生きている確率って、正直少ない。

しかも、老いていくということは、可能性の塊だった赤ん坊というスタート地点ではなく
いのちのお終いの地点に、だんだん近づいていくわけです。
あたりまえだけど、折り返し地点までの10年と、折り返し後の10年は、
性質が全く異なるはずで、

出来ていたことができなくなり、
少しずつ何かを、手放していく。

そういったことも増えるんだろうと思います。

こうして、またたびに出て右往左往していることすら、
いつかは手放すことになるのかな。

私は、まだまだ見たいもの、知りたいものがたくさんあって、
できたら、その面白さを誰かに伝えたい。

「生きていれば色々あるけど、そんなに世の中捨てたもんじゃないよ」という何かを
掘り起こしていきたい。


などなど、などなど、そう言い訳して、次回いよいよBBC「花袋」!
美建築が、ようやくでてきます!

お楽しみに。
(つづく)
(今回は、連日続けて記事を上げます。)

またたびチャンス!②

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


またたびchance_2

前回の記事

さて、(良い返事もあまり期待できなかったのですが)カフェからの返信を待つ間、
ここから10分ほどで着く七里田温泉に行くことにしました。

日本一の炭酸泉で有名な長湯をして、さらにそれを上回るラムネっぷりだという【下ん湯】に一度入ってみたかったのです。

車で長湯ダムから10分ほどですが、七里田温泉は住所で言うと久住町。
久住高原と長湯の間にある、木の葉の湯を目指します。

七里田温泉

木の葉の湯の受付にある券売機で、下ん湯の券を購入します。
(下ん湯だけだと、大人\800。木の葉の湯[\400]と共通券あり。こちらはセットで\1000。)

共通券に心惹かれますが、温泉をハシゴできる体力と時間も怪しいので、下ん湯の分だけ購入します。

受付で券を出すと、代わりに、番号付きの下ん湯のカギを預かります。
カギの保証料として、その場で¥1000を預けて、
返却時に返金してもらうシステムです。

受付のおじさんに、「・・・混んでます?」と聞くと、
にや~と笑って、

「全然!今、貸し切りですよ!」と笑顔で返される。

「え~!ホントに?・・・奇跡や‼ 笑」

「ここから、こっちの方に行って、ポストを曲がって・・・10分行かない所にあるので、
カギを開けて。

中に入ったら、また内側からカギをかけてくださいね。

今から1時間なんで、(歩いてかかる分の時間を入れずに)●時〇分までに受付に戻ってきてください。」

教えてもらった、至極ローカルな道のりをてくてくと行くと、
川沿いの急な坂の下に、下ん湯のリニューアルされた新しい建物が見えます。

七里田温泉・下ん湯

2016年の熊本地震の際の被害で、一時湯量が心配された下ん湯ですが
2023年7月にリニューアル。

ヒノキの木の香がただよう、真新しいキレイな建物。

左手には足湯もあります。

七里田温泉・下ん湯
(足湯はタダなんでしょうか。下から下からラムネの泡が・・・。なんかもったいない~。)

七里田温泉・下ん湯

借りたカギで、ドアを開けます。

多分、一度に入れる人数分番号があるのかなと思いますが、
受付でこの①を受け取った方は、今のところ一人ってことですね。

そういう意味で、ミラクルなナンバー①。ガッツポーズものです。

七里田温泉・下ん湯

脱衣場も(一人なんで)広く、清潔です。

七里田温泉・下ん湯

1人だったので、中も撮りました。

炭酸ガスが出るので、換気のため窓は開いています。

七里田温泉・下ん湯

一瞬、手を入れてみただけでは、ぷくぷくと泡を感じる程度なのですが、
全身浸かってみること数分。

長湯のラムネ温泉のように、ウロコのような泡が全身をびっしり。

長湯のラムネ温泉では、はっきりウロコ状になるのは、露天風呂の方。ほぼ水のように感じる低温です。
こちらは、(5月の下旬で)苦にならず浸かっていられる温度。
ほんのり温かい。

ラムネの湯って、高温だと泡があまり出ないんじゃなかったっけ??

こちらは、お湯の表面を跳ねるしぶきもすごいのです。
ピンピン跳ねて、顔に当たる。

スプライトをコップに注ぐとき、跳ねてくるあの感じです。

さらに、手のひらを下向きにして、アメンボのように水面すれすれにかざしてみると、手の裏がバチバチする。

・・・これってもはや、ラムネというより、強炭酸!

そう、ラムネを通り越して、ウィルキンソンの湯に浸かっている感じ!

いや~、おもろいわ~。

ぬるめなので、浸かっていても全く苦にならない。
というか、出たくない。

しばらく浸かっていると、自分の皮膚の下で、心臓の鼓動に合わせて、
ポンプで送られている血の流れが、指の先まで通うのが実感できます。

私は冬場にしもやけがひどく、指先はレジの人にビックリされるぐらい冷たいのですが、
その血の巡りの悪い私の血管に、自分でもわかるほど血が通っている!

いつも温泉に行っても、高温で、表面の方から温まるので、無理に浸かっていると、のぼせ気味になります。

なのに、ぬるい温度で炭酸の湯に浸かっていると、気持ちの良いまま、自覚できるくらい血行が良くなるのが分かる!

これは、スゴイ。

上がりたくないほど快適ですが、そろそろ戻らねばなりません。

というか、結局貸し切りだった・・・。なんちゅう、ラッキー。

お昼ご飯を食べ損ねて、たまたまランチタイムだったから、人がいなかったのかは分かりませんが、

お湯に関しては、超絶ラッキーだったと言えます。


ふと見ると、ジプシースマイルから返信が。

「〇月〇日までお休みです」

・・・そっか~。

お湯に関してはツキまくっていましたが、食いはぐれてしまいました。
(あてにしていた、コーヒー豆もダメってことで。)

チェックインまで1時間半ほど。

あるちゃある。ないちゃない。微妙な時間です。

慎重に選ばないと。

さてどうする?

(つづく)
(今回は、連日続けて記事を上げます。)

またたびチャンス!①

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


またたびchance_1

4月に社会人デビューしたはずの次男坊が、
5月にハローワークに通うようになり、その月末。
(命にかかわる理由だったので、根性でガンバレとは言えず。まぁ、生きていれば色々あります。)

2回目に受けた会社から、内定をいただき、
「じゃ、来月からね!」と言われた模様。

ん?じゃ、何日か家にこのまま居るんかな?

その時、すでに私の頭にはある場所が浮かんでいたのです。

行くなら今じゃないか? もしかして、行くなら今じゃないか?

そう!その場所とは、ぜひもう一度行ってみたいと思っていた、BBC長湯です!

残念ながら、愛しの山頭火(という、建物)は、ず~っと予約が埋まっていたのですが、
BBC長湯山頭火外観

花袋(という、建物)なら、空きがありました。

とはいえ、言い出しにくい・・・。

昨年長湯に行った折、忘れ物したりと散々やらかしたことも記憶に新しい。

後日、何かの占いに、その当日が【危】の日だったのを知って大笑いしたので
行ける日にちを試しに見てみました。

【万事うまくいかない】と出て、笑うしかありません。

そうか~、言い出しにくいし、万事うまくいかないって出ちゃね~。

そう諦めようとしたのです。何回も。つべこべ、行かない理由をあげて。
そりゃもう、つべこべ、つべこべ。

でもな~。今までだって、どんなに真面目にやっても、
そこまで他人にも家族にも、気にされたことはない。

自分がどんなに尽くしたつもりでも、きっと最期(後じゃなくて、期)には
「ごくろうさん」程度でしかないんだろうと思う。
(諦め続ける代償として、「ごくろうさん」って、どうなんだろう?と考えたのです。)

しかも、【万事うまくいかない】って。

そもそも、わが人生、【万事うまく】なんていってないぞ?
(ということは、【いつものこと】なんじゃないか?)

波風の経たぬ「こうすべき」という無難な選択を、自らに言い聞かせるために

つべこべ、つべこべ言い訳を繰り返すうち、
どんどんどんどん、目が死んだ中年になっていく。

(こちらの意に反して)悪く言われるのなんて、いつものことじゃないか。

で、意を決して、「行ってきてもいいか?」と打診してみたのです。

「ん~?○○(←次男坊)もおるんやし、行けば?」

「ちょ、ちょっと予約見てみる」

取れた~‼‼‼‼‼‼‼

取れてめちゃめちゃ嬉しいんだから、やっぱり行きたかったんだと思います。
(自分にウソをつくと、やっぱり気が落ちるんですね。シュ~ンって、元気がなくなる。気(ケ)が枯れる。ケガレてくるってことでしょうか。)


そうこうして、無事、【万事うまくいかない】はずの旅に出ることになりました。

今回は、もう何十回も確認して、忘れ物はなし!

前回は右往左往してできなかった、ゆっくり長湯を散歩する旅とすることにしました。
(前回は、美建築を言い訳に記事を書きましたが、今回は建築少なめです。工務店のブログなのにすみません。)


途中、喉が渇いて立ち寄った「水の駅・おづる」

水の駅おづる

湧水茶屋などが併設されていて、水を汲みにたくさんの車が停まっています。

水の駅おづる

水汲み場の付近は、こんこんと水が湧き出して
ひんやりとマイナスイオンたっぷり。

水の駅おづる

キレ~!なんちゅう透明感!

空の容器を持っていなかったので、手酌で失礼して・・・。
美味っしぃ~!

まろやかで、クセのない、いいお水です。

奥には、おおもととなる神社の神水が。

水の駅おづる
水の駅おづる

これまた、音をたてて湧き出していたのでした。
(なんでも、毎分4~5トン湧き出しているそうです。今度?は、空の容器を持って来よう。)


水をいただいて、さて長湯まで15分ほどでしょうか。

とりあえずお昼は、昨年同様、ジプシースマイルさんに行くことに。

せっかくなので、美味しかったデカフェのコーヒー豆も仕入れましょう。

ジプシースマイル

開店時間も過ぎたころ、無事現地へ。

ところが、オーナーの車?はあるものの、人の気配がしない。
営業中の時間、曜日のはずなのに、【Clause】の文字が。

?????

とりあえず、チャットで「お休みですか?」と入れてみるも
早々に返事もあるはずなく。

仕方ないから、ちょっと行った先にある
七里田温泉に先に行ってみることにしました。

(つづく)
(今回は、連日続けて記事を上げます。)

お家と空模様

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


お引き渡しまで、今回は時間的な余裕がありそうだったので

快晴の空の下、豊前のお家まで外観の撮影に再訪しました。
(お施主様、度々すみません。)


もくせい工舎では、完成からお引き渡しまで、あまり時間をかけないことが多い。

そのため、撮影時に外構やお天気等、
条件が揃うかは、もうめぐりあわせのようなものでして。

とはいえ、快晴じゃないから、ダメだというわけではないのです。
(何事も一長一短あります。)

曇りの良い所は、

自然素材で建てるもくせい工舎の家・豊前・新築一戸建て外観

壁の色味や質感などが、柔らかく出ることです。とても、もくせい工舎らしい感じがします。

かたや、快晴!

自然素材で建てるもくせい工舎の家・豊前・新築一戸建て外観
壁の色味が飛んでしまうのは、腕のせいか?

こちらの方が元気が出るというか、広告向きというか。

周りの山々のみどりも、イキイキしているように見えます。

自然素材で建てるもくせい工舎の家・豊前・新築一戸建て外観

自然素材で建てるもくせい工舎の家・豊前・新築一戸建て外観

同じお家なんですが、ずいぶん印象が違って見えます。

自然素材で建てるもくせい工舎の家・豊前・新築一戸建て外観

新しい門出なので、できたらイキイキとした感じで撮りたい。

きっと、そんな細かいこと気にしているのは私だけなのですが
自己満足承知で、できたら良い条件で撮りたい。

もっと言えば、(今までの撮影現場含め)外構も完全に完成されていて、

庭の樹木越しに家を、

自然素材で建てるもくせい工舎の家・新築一戸建て外観

室内から庭の緑を、

自然素材で建てるもくせい工舎の家・新築一戸建て

相乗効果で、木の家らしい、
木が好きな人らしいお家を撮れたら最高なのですが、

それはこちらの都合に過ぎません。


そして、多くのハウスメーカーがそうであるように
実際の会場のお家の写真を、「こんな感じのお家ですよ!」と広告として載せれたら
どんなに目をひくかとも思いますが、

もくせい工舎は、それをやらない。
まだ実際のお家が完成してない段階で広告をだすので、完成見学会のお知らせは、ワタシのなんちゃってパース(イメージ図)になっております。

自然素材で建てるもくせい工舎の家・新築一戸建ての広告が出るまで

Aの期間って、実はお施主様にとっては、なんのメリットもない。
つなぎ融資なら、日にちが延びるだけヒヤヒヤしそうです。

もくせい工舎は、住宅展示場を持たないので
見学会を開くことで、ようやく実物に触れ、
木の家の良さを知ってもらっています。

それは、あくまでもお施主様のご厚意あってのことなので、
あまりこちらの都合で、先延ばしにはできないのが理由です。

だから、「こんな素敵なお家ですよ!」と広告の段階で、現場をお見せできないのですが

間に合えば、かけこみフォトとして数日前に上げておりますので
ぜひともご覧ください。
(前日の夕方!ギリッギリ!とかもありますが・・・。)

なにはともあれ、お施主様の新たな木の家暮らしが始まります。

自然素材で建てるもくせい工舎の家・新築一戸建て

本当に、おめでとうございます!

そして何よりのご厚意とご協力、ありがとうございました!

大金を払ってまで、手に入れたいものか

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


SEO対策なるものがありまして。

簡単に言うとGoogleなどの検索エンジンで、なるべく上位に表示されるようする対策のことです。

上位に表示されなければ、どんなに良いものをつくっていても、
見つけてもらうことすらできず、存在はないに等しくなります。

Googleなどでは、検索する人が「まさにこれ!」という記事を
なるべく素早く、簡単に表示できるようしたいので、

SEO対策は、検索されやすい関連ワードなどを多く入れる必要があるのです。

その関連ワードを検索するサイトなどもあります。

なぜこの話をしているか?なのですが、

【家】と検索して、主な関連ワードに【自然素材】というものが見当たらなかったからです。

つまり、家を建てたいと思ったときに、
特段、【自然素材】というものを合わせて考える人が少ないということです。

かく言う私も、最初から【家 自然素材】と探していたわけではありませんでした。


なんとなく家を建てることを考えていた時に、一番最初にしたのは
住宅展示場に行くことでした。
当時は、ス●モカウンターみたいなのはなかったので。

色々みて、どうもピンとこない。

自分たちが住む家として、その豪華すぎるモデルハウスが
全く参考にならない。

かといって、その庶民版としても、なぜか心が動かない。

お金もないし、まあ、自分たちには無縁の話なんだと
無かったことにしていたのでした。

そんな時、見たのがフリー冊子にのっていた
もくせい工舎の構造見学会の案内でした。

もくせい工舎の構造見学会

これは当時見た広告ではありませんが、掲載されていた写真はこんな感じ。

永家さんが段ボールに、筆でがんがん、こだわり所を書いている。

そりゃもう、これでもか、これでもかと書いている。

なぜかこれに目が留まりまして。

そうこうするうちに、新聞にB4半の長い完成見学会のチラシが入り、
「あの工務店か!」と、試しに問合せしてみたのです。

もくせい工舎の家

見に行ったのが、たまたま、いまや【もくせい工舎のレジェンド】ともいえるお家でした。

お施主様自身にも、はっきりとした理想のイメージがあり、
(こちらのお施主様は、窓の木枠や、ジブリのような角に丸みのある壁、南欧風の家など。
具体的に、イメージをはっきり伝えられるって大事!です。)

それにもくせい工舎だけでなく、原田の親方と、実意園のはっちゃんさんのコラボもあり、

家から、庭から、
もう理想を絵にかいたようなお家に仕上がっていたのでした。

よくあるお家と思い込んで見に行ったものですから、
もう参っちゃいまして。

圧倒的な木の香り、想像以上の心地よさ。

なんだこれは?と。家ってこんな風に建てるものなのかと。

だって、当時住んでいたアパートのカビ臭さ、
壁紙の汚い感じ、外壁の感じと全く違う。

それが、どうも自分たちにも無理じゃなさそう。

そうなったら、建てる以外考えなかった。

つまり、四の五の迷うこともなく、「これだ!」と思ってしまったのでしょう。

多分、腑が動いちゃったんだと思います。
本当に腑に落ちなければ、うだうだ悩みますので、ね。


このブログを読んでいただいているということは、きっとどこかで
もくせい工舎を知っていただいたのだろうと思います。

それは本当に奇跡的。

数あるハウスメーカー、工務店の中、
それこそ、砂場から米粒をさがすよう。

渋い話になりますが、モノの値段は、体感でも1.5~2倍になりました。
なのに、給料はあがりません・・・。

賃貸と持家で、どっちが得か、賢いかの議論もあり。

そうかと思えば、実家じまいの苦労話もあり。

そもそも、核家族どころか、ケッコンやシュッサンも
絶対ではなくなり、

どんどん先細るニーズを、供給側で奪い合うような。

そんな中、知っていただけたことって
本当に奇跡的で、ありがたく、嬉しい限りなのです。

そして、私と同じように
もしかすると、【家 自然素材】と検索したわけではない方もおられるかもしれない。


【20代で建てる!自然素材の家】と広告をだせば、目を引きますし
SEO的にも良さそうです。
(実際、もくせい工舎にも20代で建てた方たくさんいらっしゃいます。)

自然素材に特段こだわりがなくても、20代で建てれるなら・・・と関心を集めそうです。

でも、本当をいえば、

キャッシュ(現金)で一括で払えるか、

もしくはローンの審査に通れば、

20代だろうがなんだろうが、理論上は"建てれる"わけです。
(20代でも建てれる!と言われると、妙に期待感をそそりますが、反対に、現金も審査も難しければ、50代だって無理なのです。)


大事なことは、大金を払ってまで
どんな家を建てたいか。


よくあるアパートと同じ作りなら、賃貸の方が身軽かもしれない。


賃貸じゃ、まずありえない家を

自分たちが住みたいと思う風景の中建てたいなら、

もしかすると、もくせい工舎はお役に立てるかもしれない。


気に入るかどうかもありますし、

相性や、ご縁だってあるでしょう。


いずれにしても、実際の家を見てもらって
感じてもらうしかないと思います。

そしてもし、腑に落ちれば
「建てるなら、ここだろう」と思っていただけるのかもしれません。


明日まで、見学会も開催しております。

ネットでの予約受付は、本日の20時までとなっておりますが、
お問合せ等はお気軽にどうぞ。

OB様邸ご案内も、個別にて行っております。


砂粒からお米の奇跡ですが、

どうか本当に木の好きな方に、

大分で建てる自由設計の自然素材の家

本物の木の家が届きますように。

20240425_大金を払ってまで手に入れたいものか

と(撮)りいそぎ!豊前市下河内!

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


5/25(土)・26(日)豊前市にて完成見学会を開催いたします。
(お施主様、ありがとうございます!)
5/25・26豊前市下河内もくせい工舎の自然素材の家完成見学会


本日、撮影に伺いましたので、取り急ぎこんな感じ!というのをお知らせしたいと思います。


自然素材の一戸建て住宅・無垢の木と漆喰で建てるもくせい工舎の家・豊前市完成見学会・外観
パースと同じ方向から見ると、こんな感じ。漆喰の壁は、フリーハンドみたいに柔らかな線がでます。


自然素材の一戸建て住宅・無垢の木と漆喰で建てるもくせい工舎の家・豊前市完成見学会・外観
通りから入ってくると、見える風景


自然素材の一戸建て住宅・無垢の木と漆喰で建てるもくせい工舎の家・豊前市完成見学会・内観
想像以上にに広くてビックリします。そして、木のいい匂い!


自然素材の一戸建て住宅・無垢の木と漆喰で建てるもくせい工舎の家・豊前市完成見学会・内観
全部漆喰のお家が多い中、なかなか腰壁も素敵です。


自然素材の一戸建て住宅・無垢の木と漆喰で建てるもくせい工舎の家・豊前市完成見学会・内観
創意工夫で、色々叶えられます。


自然素材の一戸建て住宅・無垢の木と漆喰で建てるもくせい工舎の家・豊前市完成見学会・内観
個人的に、非常におススメ。水道栓の所にカウンターのないお風呂。(後々、裏に汚れが溜まりやすいので苦労しました・・・。)


自然素材の一戸建て住宅・無垢の木と漆喰で建てるもくせい工舎の家・豊前市完成見学会・内観
光をふんだんに取り入れます。


自然素材の一戸建て住宅・無垢の木と漆喰で建てるもくせい工舎の家・豊前市完成見学会・内観
可動式の間仕切り付。【自分の部屋】も諦めません!


大急ぎでご紹介でした~。

見に行ってみたいな~、こんな感じの木の家って好きだな~

と言う方は、ぜひぜひ遊びに来てください♪

詳しく&ご予約は、こちら!

無垢の木と漆喰の家で、お待ちしております♪


自然素材の一戸建て住宅・無垢の木と漆喰で建てるもくせい工舎の家・豊前市完成見学会・内観
たまたま咲いていたバレリーナというバラと、マルバストラム。マルバストラムはつぼみだったのに、撮影後持ち帰ったら咲いててビックリしました。どちらも頑丈です。マルバストラムの方は、増えすぎるくらい・・・。

それにしても、もくせい工舎の家の撮影に行くと、帰っても服や髪から木の匂いがするような・・・。
ワタシの鼻が特殊なのか? そちらもチェックされたし。

やっぱり、木の家っていいなぁ~と思っていただけたらうれしいです。

ではでは、ご予約お待ちしております。

完成見学会と、うそぶく場所

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


5/25(土)・26(日)豊前市にて完成見学会を開催いたします。
(お施主様のご厚意に、大感謝!です。ありがとうございます!)
5/25・26豊前市下河内もくせい工舎の自然素材の家完成見学会


もし直前に、完成写真が撮影できましたら《かけこみphoto》で、改めてお知らせ出来ればと思います。


さて、「豊前の求菩提山に向かう途中に、お家ができるよ~」と教えてもらったのが
3月の中頃。

必ず前もって、場所の確認に伺うようにしているので
その日も、しとしと雨の降る中、愛車で向かいました。

20240525_26_無垢の木と漆喰で建てる自然素材の家_もくせい工舎_豊前の現場_工事中外観
工事中の外観。玄関側

今回のお家は、非常にコンパクト。土地を最大限に使いつつ、
本当に必要なもの、大切なものを厳選し、創意工夫がつまっているお家。

20240525_26_無垢の木と漆喰で建てる自然素材の家_もくせい工舎_豊前の現場_工事中外観
玄関反対側から見る

マチナカの狭小地でも、もしこんな風な無垢の木と漆喰でできた自然素材の家が増えたら
どんなにか、ほのぼのしてて良いだろうと思います。

よかったら、ミニマムで、洗練されているのに
手づくりっぽい温かさのあるお家を見に来てください。

詳しくは→こちら!


さて、今回も《ついで》のお話付。

地図を確認していると、現場の近くに神社がある。

元々、求菩提の方にちょこちょこ足を延ばしていたので、
「あぁ!あの、通りから見える神社かな?」と思い当たる。

・・・それにしても、嘯吹?
なんて読む?

難しい字ですが、嘯吹(うそぶき)神社だそう。

ほら吹きならぬ、ウソを吹くのかと
大変な誤解をしてしまったのですが

そうではなく、古語の【うそぶく】からだとか。

口をすぼめてふ~っと息を吹くことで
罪や穢れを吐き出し、心身を正常に保つことが社名の由来だそうです。

注:以下、偏ったスピリチュアルの話がしたいわけではありません。「へ~」ぐらいで、気軽に聞き流してくださいませ。

最近、『一番大事な生き方は伊勢神宮が教えてくれる』(吉川竜実 著)という本を読んでいて
これがまた、色々おもしろい。

他の本の内容なども織り交ぜて、ざっくり言うと、

神道には、教祖も、教義もない。

縄文の昔から、自然とともに生きる日本人の生活の中にあって、

八百万の神のように、すべてに神が宿ると考える。

人間もそれにもれず、元々、そのままで完全でありパーフェクトな存在なのだから、

そこに修行も悟りもない。

ただ、日々過ごすうち、ストレスやネガティブな思いで
(ケ)枯れることもある。

それを正常(清浄)に戻すのが、神社の役割なのだとか。


なるほど、それでハライタマエ、キヨメタマエなのか。
大元から救いようがない、穢れたものだから清めるというより、元々そんなに悪くないんだからキレイに清める感じでしょうか。
『千と千尋の神隠し』に出てきた、オクサレ様を思い出します。きっかけがあれば、元の姿に戻るような。私は、そんな風に捉えました。



石牟礼道子さんの『椿の海の記』に、4歳のみっちん(石牟礼さん)
お父さんが何度も言い聞かせる言葉が出てきます。

「やまももの木に登るときゃ、山の神さんに、いただき申しやすちゅうて、ことわって登ろうぞ」

この感覚を忘れていなければ、水俣の豊饒な海に
誰があんな排水を流しただろうかと、『苦海浄土』を重ねて思ってしまう。

教祖もなく、教義もなく、それをとりたてて聖職という立場から教える人もなく、
うっかりすると忘れがちになるけれど、

【人間】対【自然】においても、【人間】対【人間】の間でも、
「やりすぎてはいけない」一線のようなものがきっとある。

それは、一定の心地よい距離を保ちながら、お互いを尊重し合う生き方のような気がして
なんだかうれしい気持ちになったのでした。

人間は、生まれつき罪深いのではない。

ときどき、汚れてしまうから、リセットやリフレッシュのために
こういった空間があるんだと思えて、気が楽になりました。


さて、その嘯吹神社です。

嘯吹神社

快晴のお天気も手伝って、スカーっと気持ちが良い!

広大すぎる神社ではないので、鳥居から社殿と敷地の全体が把握できます。

また、それらが綺麗に清められていて、とにかく気持ちが良い!

訪れたのは3月の中旬だったのですが、どこからか、ふわっといい匂いがする。

嘯吹神社

沈丁花が咲き残っていたのでした。うれしいなぁ。

嘯吹神社
(う~ん。ワタシの頭じゃ、よく分からん・・・。)

嘯吹神社
社名の由来が分かると、なるほどなぁ~と分かる石碑。

さて、こちらの嘯吹神社。

なんでも御朱印が有名らしい。

整理整頓も苦手で、忘れっぽい私は、
御朱印集めというものに縁がない。

色々見ていると、雨の日限定のものもあるようで、

結局、欲しくなって両方買っちゃいました。

嘯吹神社の御朱印・ウソ
難をウソにする。ウソという鳥。菅原道真公に関わる話なので、太宰府天満宮にもウソのお守りがあります。
蜂に襲われた道真公を、可愛がっていたウソが助けた!が由来ですが、「・・・それは、エサ目当てだったのでは?」と疑う私は、きっと穢れております。

嘯吹神社の御朱印・雨の日限定
ちょっと、み●をっぽい?ですが、へこんでる時、こんなん言われたら、うれしい。例え、ウソ?でも元気出ます。

そうそう。もし、こちらの神社に行ったら、御朱印のほかにぜひとも試してもらいたいものが。

嘯吹神社の南天紙絵馬

【南天紙絵馬】です。

社務所に置いてある、紙の絵馬(¥200くらいだったかな?違ったらスミマセン。)に悩んでいることなどを書いて
こちらの水に浸します。

これが、意外なほど良かった。

A5サイズほどの和紙のような紙に、油性ペンで書くのですが、

そこそこ考えをまとめなければ、入りきらない。
そりゃ、小さな字でびっしり書けばイケるかもですが、ペンも極細でなけれなムリっぽい。

考えをまとめて書く必要があるので、うだうだと愚痴にならず、

端的に、簡潔に書く必要がある。

そうすると、思いのほか、自分が悩んでいたことって
かいつまんで言うと、こういうことか!と目で見て分かる。

しかも、水に浸けると、じわじわその和紙が溶けていくのですが、

書いたのが油性ペンだからか、

自分の文字だけが、溶け残って、浮いて、
そしてゆっくりと、沈んでいく。

たった、これだけなのですが、

その溶けて沈んでいく様を、たった一人見守る作業は

ことのほか、心を軽くする。


いつだったか、自分の抱えるネガティブな思いを紙に書いて、

クシャクシャ~っとして、ポ~イ!っとゴミ箱に捨てると良いとか
聞いて、やってみたことがあるのですが、

捨てたゴミ箱から、なんだか消えない毒?が出てるような気持ち悪さがあって、
ゴミ出しの日まで落ち着かない感じがしました。

「捨てたところで、アンタの吐いた毒はここにおる~」とかなんとか言われてそうで。

ただ、水に溶けていくのはそれとは違って、
自分の心のなんだか堅い、凝り固まったものも、一緒に溶けていくようで
なかなか良かったのでした。

ワタシほど毒気が貯まった方もおられないかと思いますが、
よかったらお試しあれ。
見学会のついでに!と言いたいところですが、できたら落ち着いて毒気?を抜いてほしいところです。


その他、腰に効く要石あり。

嘯吹神社の要石

裏手にも、素敵な社殿あり。

嘯吹神社の社殿

嘯吹神社の社殿

ふらりと立ち寄って、心身を洗って?リフレッシュするのに
とても良い神社でした。

社務所で御朱印を頼んでいると、頭上を「ギャ~、ギャ~」と鳴いて鳥が行く。
「カラス??」と言うと、優しそうな社務所の女性が、「アオサギなんです。」と言う。

なんでも、卵も青いらしい。(落ちているのはかわいそうですが)

良かったら、頭上を気にしてみてください。子育て真っ最中かもしれません。

嘯吹神社の石鳥居


そうそう、見学会もぜひ!
というか、メインがこちら!

ご予約お待ちしております♪

20240515_うそぶく見学会

生きていく道の景色

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


前回、「あったらステキだけど、なくても困らないものを どう考えるか」という記事を書いて

ちょっと思い出したことがあったので、書き足したいと思います。

以前、NHKのプロフェッショナルという番組をよく見ていました。

独特のナレーションと、時折入る特徴的な、ひらめきのような効果音、
そしてスガシカオさんの歌う『Progress』という曲。

自分の知らない世界で、日々真摯に向き合う
その道のプロフェッショナルな人たちの
苦悩や喜びを垣間見れる、大変勉強になる番組です。

いつだったか、スガシカオさん自身が
その《プロフェッショナル》として登場した回があって
その時の言葉が、目からウロコだったのです。

誰かの心に言葉を残したい。

そう思いながらも叶わず、スガシカオさんには、
高校教師の道を諦めた過去があります。

高校教師として、誰かの心に言葉を残す道は途絶えましたが、

今はシンガーソングライターとして
生徒どころか、世界中の人たちに

心に残る言葉を残し続けています。

スガさんは、番組の中で

夢って、(パティシエとかパイロットとかの)職業の名前ではないんじゃないか。
それは、単なる職業の名前で、自分が生きていく道の名前じゃない。

どういう風に生きていくかってことが、本当の夢の正体じゃないか。

それを達成させるのが、人生なんだ。

といったことを話していました。
(↑ちょっと要約してます。詳しくは、『NHKプロフェッショナル 仕事の流儀 あと一歩だけ前に進もう|スガシカオ』でご覧ください。)
パティシエになって、お客さんを笑顔にしたい!なら、

人を笑顔にすることが本来の夢や生き方の道であり、

パティシエというのは、方法や手段のの一つであり、

もしそれが叶わなくても、他の方法で誰かを笑顔にする道を歩めばいい。

・・・と、いうことでしょうか。


一方で、そんな風に「将来何になりたいの?」と聞かれても
即答できない子どももいると思うのです。

はっきり言えない点は問題ないと、私は思います。

反対に、「なんでもいいから目標をいわないといけない」と
本心じゃないことを口にする方が、なんだか怖い。

心にもないことばかり口にしてると、
だんだん本当はどうしたいのか分からなくなるからです。

「学校の先生!」「トリマー!」「YouTuber!」
小中学校で即答できる内容なんて、
世界にあまたある職業の名前の一部に過ぎない。

たとえ、会社員だとしても、
私などは「え⁉そんな仕事があったとは!」なんて
50年以上生きて、未だに知らない仕事の内容も出てきます。

だから、答えられない子は
目標がないんじゃない。

大人だって、知っている範囲のことしか知らないんです。

「分からない」と正直に言える雰囲気が大切だし、
今は、色々なものを見ている段階とも言える。

目標に向かってまっしぐらも、すばらしい。
きっと最短距離で、すばやく目的地に着くでしょう。

ただ、その道しか知らないとも言える。

でも、あっちを見、こっちを見、
時には遠回りして色々見て来た子は

迷った分だけ、道を知ることになる。

ゆっくり歩いた分だけ、そこに咲いた小さな花に気付くこともある。

不器用でも、次に迷っている子に、
一般道以外の、「別の道」を教えられるのは

意外に、そんな子ども達なのかもしれません。
(私など、まだ迷います。老い先長くないのに・・・。迷うというか、もはや徘徊に近いかもしんない。)

歩く猫
わが(ケモノ?)道を行く。

スガシカオさん的な夢や、生きる道には

自分はこうして生きていきたいという芯のようなものがあります。

漫画家、小説家、パン屋、本屋、
色々なりたかった私ですが、

家を建てること、庭を作ること、
ウッドデッキがだめなら縁台でなんとかならんかとやってみること。

それのどれも共通するのは、
自分の頭にあるものをカタチにしたいという欲のように思います。

誰かが決めた枠や、入れ物や、押し付けられる当たり前を
自分なりに考え抜いて、居心地よく変えたくなる。

家を建てる理由は人それぞれですが、

スガシカオさん的捉え方をすれば、

それは方法や手段の一つで、

自分なりの居心地よい空間で生きていきたいという
生き方の形なのかもしれません。

理想通りに満足いくことは素敵ですが、

自分なりに工夫して、ことたりてきた世界観が、

こうありたいと右往左往してみたことが、

その人の《生きる道の景色》を作っていくのかもしれません。

さて、どんな景色が見たいですか

その、生きる道の景色の一部に、もくせい工舎のお家が加われば光栄です。

感覚としては、お気に入りの作家さんの器で
おにぎりとみそ汁を食べるような家です。

大事につくって、肩ひじ張らずに暮らす。

もし生き方に合うようでしたら、木の家に会いに来てください。

5月下旬、見学会も予定しています。

あったらステキだけど、なくても困らないものを どう考えるか

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


わが家を建てることになった時、最初に見せてもらったパースに
ウッドデッキがあって、

「おぉ~、うちでもウッドデッキなんて付けれるの⁉」
と驚いた記憶があります。

ウッドデッキがあれば、床がフラットなので
室内から見ても広々、贅沢に見えます。

外の風に当たれるのも素敵です。

「BBQとか、できるし」

・・・いや~、ウチせんかも。

洗濯ものも、景色が見えた方が良いので
デッキには、きっと干さない・・・かな~。

結局、わが家にはウッドデッキがありません。

子どもとの、転校の条件がロフトを作ることだったので
それを優先してあきらめたというか、

あとでどうにでもなる気もして、「まぁいいか!いらん!」としたのです。


その代わりどうしたか。

こうしました。↓
(あらかじめ断っておきますが、おしゃれな話ではないです。)

縁側

ウッドデッキならぬ縁側です。

縁側
草ボーボーですみません。

しかも、見てお分かりかと思いますが、すのことブロックでできています。
オシャレではないですが、ことたりてます。

ウッドデッキに求めるものが、

床のフラット感と、外の風にあたることだったので

縁側で十分だったのです。

ヒノキのすのこをホームセンターで買えたので
雨風にもわりと強い。

例え、ボロボロになったとしても、すのこを変えるだけの手軽さです。

もう、私のような不器用&めんどくさがりには
うってつけ。

少々ガタつきますが、野良仕事のあいまの休みにも、

コーヒーを淹れて、外で飲むという気分転換にも、

このちょっとのスペースでも、充分充分。

屋根と一体型ウッドデッキ
家の屋根の内側に同化したように設置したウッドデッキ。

ウッドデッキも、お施主様たちのお家に見られるような一体型ではなく、

わが家に付けるとしたら、完全な外付けになるので、メンテナンスも早め早めにしないといけない。

そんなマメな人間はわが家にいない。

親方邸外観・ウッドデッキ
原田左研の親方邸は、ウッドデッキと縁側の合体版。ご近所さんが"ばーちゃん"を訪ねて来ても、「ハ~イ」なんて気軽に出れます。

ウッドデッキより縁側がちょうどいいタイプだったのです。


そうそう、意外に良かったのがパーゴラでした。

パーゴラ
ずいぶん後々、付けてもらいました。雨に強いヒノキ製です。組み立てた後から、自分たちで色を塗ったので大変だった...。
もし設置されるときは、ぜひとも、先に塗ることをお勧めします。

本当は、長い軒先で、その下にテラスがあって・・・が理想だったのです。
(試しに【軒先が長い家】で検索してもらったら、「あ~、こんな感じのね!」と伝わるかと思います。)

残念ながら、そんなお金はない。
出せるとすれば、知恵?

知恵と言うか、どケチ根性というか。

充分ことたりるような、「その代わり」を見つければいい。

パーゴラができたことで、不思議と何もない時より
空間が広く感じます。

暑い時は、日よけも付けることができます。

日よけの役目をするはずの、モッコウバラはまだまだですが、
いずれ、緑の屋根になってくれることでしょう。

あったらステキにいくらでも使えるならともかく、
そうでなければ、創意工夫で自分なりのやり方をさぐるしかありません。

でも、その右往左往した感じや、自分なりの【ことたりる】感じを積み重ねて、

家は、そのご家族らしさが出てくるのではないかと思います。

手がかからない家や庭はラクですが、
思い入れも思い出も少なめです。

どっちが良いかは人それぞれですが、
理想通りにいかなくても

これはこれで、自分なりの家であり、空間なんだと
時折思います。

その人の周りの空間は、「その人」がつくっている。

唯一無二の
その人らしさ、でもあります。

すだちを前に

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


春先から、わが家の庭に小鳥の声が目立つようになりました。

さえずり?

いえいえ、けたたましい警戒音というか、威嚇音。

「ジョジョジョジョジョジョジョッッ‼‼‼‼‼‼‼」

シジュウカラか、セキレイか?
茶色のくま取りの鳥もいる。

センダイムシクイかな~、
それにしては大きいような・・・。

その正体、後日判明することとなるのです。


ある日、ご近所のミケちゃん(♀)が
わが家の庭先を通って、
そのまま用を足しに、ウチの畑へ。(・・・って、家でしようよ。ミケちゃん。)

さかんに、その頭上を飛び交って、
(御用の最中の)ミケちゃんの頭に、蹴りを入れる小さな鳥。

ミケちゃんも、「なんや、なんや?」って感じで
そそくさと退散します。(・・・って、出たんなら埋めようよ。ミケちゃん。)

「子育て中は、気がずいぶん強いんやなぁ~。
それにしても、猫に蹴りまでいれるかしら・・・。」


そうこうするうちに、窓の外を見ていた夫が「ナニワイバラの所に、なんかおる」と言う。

「ん~?」

20240415_モフモフのヒナ

なんか、モッフモッフの鳥がいる。

夫:「スズメやろうか?」

20240415_モフモフのヒナ

ヒナなのに、スズメより大きい。

くちばしからしても、鷹っぽいというか
草食のソレじゃない。

「・・・モズの子どもかもしれん」

そう、ミケちゃんの頭に蹴りを入れていた強者の正体は
モズだったのです。

20240415_20240415_モズのヒナ
かわいい顔でエサをねだるの図?いや、この子自体が「ジョジョジョジョジョ!」と警戒音を出していたのでした。赤子でもモズは強し。

なんでも、モズは鳥の中でも巣作りの時期が
2月くらいからと早いらしく、

うまくいけば4月中旬には巣立つとのこと。

20240415_モズのヒナ

そうか、この子もそろそろ巣立ちの時期なのね~。

20240415_モズのヒナ

それにしても、かわいい顔です。

くちばしや胸の模様は猛禽類みたいだけど、
スズメ目(!)モズ科の極々身近な鳥です。


その、モズのヒナが隠れていたナニワイバラ。

昔住んでいたアパートの近くに、小さな雑貨屋さんがありまして
そこの屋根を覆っていた圧巻の風景が忘れられなくて

家を建ててしばらくして、庭に植えました。

時期になると、たくさんの目玉焼きみたいな花がびっしり咲いて、
それはそれは見事なのですが

20240415_ナニワイバラ
おしゃれ庭じゃなくてすみません。フォトジェニック感少な目です。

実はあまりお勧めできないバラ。

病害虫の心配もなく、ほったらかしでもよく育ちます。
もう、じゃんじゃん育つ。
・・・育ちすぎるのです。

そのくせトゲはかなり鋭く、血しぶき覚悟で剪定せねばなりません。

でも、この鋭すぎるトゲが外敵から身を守るのか。

小さな鳥などが、ここを拠り所にしているようです。

香りはそんなにない花なのですが、蜂たちがよく集まり、
なかなか蜜集めのお役に立っている模様。


元々は砂利敷きの敷地だったところに
少しづつ樹を植えて

落葉樹の落ち葉が層になり、

だんだん「なんちゃって森のような」庭になりました。
(マメじゃないので、草ぼーぼーワイルドガーデンというか、ほったらかしガーデンと言うか。)

20240415_森もどき
真ん中はシマトネリコ。・・・これも雑木の庭が好きなら、今思えば、ちょっと違う感じ。


コンクリートで固めれば手間もかかりませんが、

土と木がある風景は、モズや他の鳥、昆虫など

多種多様な出会いをもたらしてくれることがあります。

土があり、木がある風景は、
風の通り道にもなります。

手間ひまがかかることは、敬遠されがちな世の中で

土にふれ、木にふれることは、
人間にとって代えがたいこと。

人間だけがこの世に生きているわけじゃなく、

この世界の一部として生きていることを
再確認させてくれます。

そんな同じ生き物としての
モズの子の巣立ちも近い。

20240415_タンポポの綿毛
今か今かと風を待つ。

広い世界へ飛び出したくてウズウズしている様子は、

くたびれた中高年を、ハッとさせるほど
キラキラまばゆいのでした。

【リライトしました】持家か賃貸か

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


次号のメッセに、こんな広告を掲載していただく予定です。

20240405_もくせい工舎メッセ広告

今回は、持家か賃貸かについて
考えてみたいと思います。

あらかじめのお断りなのですが、
私は経済の専門家でもありませんし、

お金もうけというか、
あまりウハウハ・・・という経験はない。

絶対損はしない!ウハウハ、ガバガバ!
・・・な話はできませんが

一意見として、
そう考える人もおるのね~ってくらいで
以下、お付き合いください。


まずはじめに、私個人は、
お金というものを【万能引換券】だと思っています。

私が、自力でなんでもこなせるスーパーウーマンなら、
他人に任せる必要はありません。

自分で作ればいい。

残念ながら、そうではないので

得意な人、その道に詳しい人に任せて、

その技術と、知恵と、手間のお礼として
(物々交換じゃなんだから)
万能引換券である【お金】を渡します。

言い方を変えれば、自分の自給率が高ければ
引換券はあまりいらない。

自分自給率が低いほど、誰かに頼らなければならない。
その分、お礼の引換券(お金)の心配ばかり要るようになるということです。

自分自給率が低いと、少しでも損をしないように、
頭を使わなければなりません。

ところが、手元にあらかたのお金の余裕ができると、
今度は、時間や手間が惜しくなるようで。

コロナ禍で、マスクが不足した時が
いい例かもしれません。

「え?足りないの?
んじゃ、国家予算でバ~ン!って、作って配ればいいんじゃね?」

・・・と、お金持ちは考える。

お金持ちは、出すものがあるから、手間ひまの方が惜しくなる。

じゃんじゃん入ってくるので、じゃんじゃん使えばいいのです。

ところが、庶民は違う。
じゃんじゃん入る・・・って、ことはない。

そんな、モノもお金もない時どうするか。

だせるとしたら、知恵しかない。

ないならないで、あるもので工夫して
作ろうとする。

ハンカチなどで、代用マスクを作ったりする。
たくましいのです。

そういった創意工夫や手間ひまがおしくなると、
他人に頼む。ラクだから。

そうなると、常にお金!お金!お金!となる。
いくらあっても足りないのです。

もちろん、私もお金は好きです。

行きたいところや、読みたい本、
見たい映画、聞きたい音楽・・・。

それらは、物々交換じゃできません。

でも、そのお金を【自分なりに、どう使いたいのか】。

実は、それが一番大事じゃないかと思うのです、


私には、お気に入りの店がいくつもあります。

パン屋さんもありますし、コーヒー豆もここのでないと!という店もあります。

私には、そのお店の人たちほどの
腕前も、センスも、経験もないので、

お店がなくなってしまう方が困る。

わずかでも、私が買うことで、
その店を応援することになります。

そうやって、お金はぐるぐる回って、
モノやサービスを通しながら、
人と人の間をつないでいきます。

そのお金。

かりに手元にたくさん残ったとして、
いよいよこの世を去る時、どう思うんでしょうか。

子ども達に残す?寄付をする?

残すにしても、やっぱりお金は使いよう。

死んでしまってはできないことの、引き換えとして、
人に、社会に、循環していくものなのです。


持家か賃貸かの話に戻りますが、

ここでも、家に対する思い入れがあるかないか、
価値観の点で違いがあるように思います。

家は住めさえすればいい。寝に帰るだけ。

特に頓着しないならば、
賃貸でもいいかもしれない。
(家への思入れとコスパに関して、関連記事は、こちら↓)
コスパと、お買い得と、目線の違い。

持家が財産になると言っても、
【実家じまい】なんていう言葉もあるように、

子ども達がどう思うかは、こちらの都合通りにいきません。

家なんて特にこだわらなければ、
身軽さは、気軽さです。

・・・じゃ、自分ならどうだろうか。

残念ながら、私はかなり【場所】を大事にしたい。

どういう【空間】で生きるかは、代えがたいことでした。

賃貸に、同じような漆喰や無垢の木の物件が
山ほどあって、しかもお手軽な賃料なら

私でも、無理に家を建てようとは思わなかったでしょう。

幸か不幸か、そんな賃貸なんてないから、

木の家に、漆喰の家に、
住みたいと思ってしまった。

反対に、よくある賃貸物件と同じような作り方の家なら、
建てようとは思わなかったと思います。


イチかバチか、意を決して家を建てたたものの、
そんなに若くもなく、
お金もそんなに・・・だったので、

かなり年をとるまでローンがある。
(そりゃもう、気が遠くなるほど・・・。)

・・・じゃ、後悔するか。

もし、万が一、万が一のことがあって、
お金を払えなくなって、

家を売りに出すことになったとして、

それでも、私は
【住みたかった家に住んだ】ことになる。

もし、「お金が払えなくて、売ることになる」恐れから

あのまま、前のアパートに住んで

そこで命が終わる時、

そこに幾ばくかのお金が手元に残ったとして、

私は、どう思うんだろうか。

損はしなかった、だってお金残ってるもん・・・?
(結局、家買っても問題ないくらい残ったら、「・・・・。」ってならないんだろうか。
その間、賃貸料は出ていくんだし・・・。)

いやいや、絶対思う。
「私には、結局、あんな家なんて、無理やったんやな」って!

手元に幾ばくかのお金を残せても、

せっかく生きてきたのに、

本当に【経験したかったこと】を【しなかった】。

それを悔やむ可能性が、大いにある。

なぜなら、私にとって
人生の大きな悔いになるほど、

良い経験、良い場所、良い空間は大切だからです。

家なんてどうでもいい。
家より宝石。
家より、車。
家より、服。

価値観は人それぞれ。
違いに、良いも悪いもない。

そういう人にとっては、家は持家だろうが
賃貸だろうが、都合の良い方にすればいいわけです。

ただ、もしこれを読んでくださっている方が、

「う~ん、自分も家の質って大事かな~。死ぬときにガッカリするかもしんないな~」と思うのなら
持家は選択肢の一つと考えても良いのではないでしょうか。

とはいえ、建てれるかが問題なのよ?

・・・確かにそうなのです。

それでも、先ずは聞いてみることです。

私たちが完全無欠の完璧人間でないのは、
他者を必要とするためです。
(↑エラそうに言ってますが、元ネタは吉野弘さんの『生命は』という詩です。
関連記事は、こちら↓)
不完全なワケ

今の自分たちじゃ分からないことは、
他人の経験と知恵を借りましょう。

で、ないならないで何とか工夫できるのか

それを考えるのが、庶民の知恵であり、強みです。

せめて死ぬときに、

何やかんや、色々あったけど、
まぁ、おもしろかったな、いい経験したな。

そう思って私は死にたい。

ああなったらどうしよう。こうなったらどうしよう。

心配ばかりして、恐れるばかりで、

結局、なんにもできなかったなんて

私はイヤだ~!

やりたいことも我慢して、
必死になって集めたのに、

怖くて、結局使いきれなかった【引換券】眺めて死ぬなんて!


ちっとも参考にならないかもしれませんが、

ふ~ん・・・って感じで聞いてもらえたらと思います。


以上、中高年の主張でした!

卒業の日に

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


先日、みやこ町のお家の撮影に伺いました。


1080_IMG_2007.jpg
うまいタイミングで、庭に花があれば、それを持参します。この日は、一重のヤマブキとピンクユキヤナギをプラスできました。
桜が咲く前に咲きだす、寒い時期にありがたい花です。

飾るための花を活けていると、遠くから音楽が聞こえる。

ゆずの『栄光の架橋』でした。

「・・・卒業式かな?それとも練習かな?」

静かなので、風に乗って聞こえてきたのかもしれません。

お客様の中にも、この前卒業式だった!という方が
いらっしゃるかもしれませんね。

私事ですが、わが家の次男坊もこの度高校を卒業しました。

小さいころ、発達障害の疑いがあるかもしれないと言われた子でした。

重度ではないからと、特別な療育をうける機会もなく、

もっぱら私が気に入りの絵本を何百回と繰り返し読んで、
出てこなかった言葉を、少しづつ覚えてきました。

ただ、所作や言葉、人との距離感に
彼独特な感じがあるので、違和感があったのでしょうか。

小学校時代には、一時期いじめの対象にもなり、
おだやかではあるものの、なかなかこれといった友人もできず。

母親としては、「ひとりでいること」は全く恥ずかしいことでも何でもなく、

たまたま親が選んだ土地で、同じ世代だからって
気が合う合わんは別の話で

本当に気が合う人なんて
少なくて

だからそんな人に会えたら超ラッキーなんだから
大事にしたらいい。

ひとりでいても、堂々としてる方が
カッコいいんや!

ひとりの時は、ひとりでできることを楽しんだらいいし、
みんなの時は、みんなでできることを楽しんだらいい!

・・・とか何とか、彼が決して
自分をみじめだと決めつけないように
声かけをしてきました。


小さな子のお世話をするのが好きな子だったので、
6年生になると、1年生の教室にちょくちょく顔を出して、遊んでいたようです。

他の6年生は、同学年の友達と外で遊んでいるのに
ちょくちょく(呼ばれもしないのに)顔をだす次男に

1年生の担任の先生が
「○○君、いっつも来てくれるんですよね・・・」と、
ちょっと困惑したように言われたこともあります。

・・・うん。先生のおっしゃりたいこと、よくわかります。

そりゃ、・・・なんで?と言いたくなるでしょう。

彼は、そんな空気が読めない。

同じ学年の子と一緒に遊ばんと、友だちおらんのかって思われる・・・。

とか、まず考えない。

よっぽど嫌な顔をしない限り、1年生の担任の先生の
微妙な表情なんて、まず気づかない。


ところがです。

その彼が小学校を卒業する時。

割と小規模な学校なので、
在校生が向かい合って並んで、手でトンネルをつくり、
その中を、卒業する6年生が通り抜けていくという伝統があります。

トンネルの入り口側に、5年生から並んで、
出口には、1年生が並びます。

雨の日だったので、出口もちょうど1年生の教室前でした。

出口側で写真を撮るべく、待ち構えていると、
出てきながら、ニコニコ笑顔の息子。

息子が通ると、何人も、何人も、
1年生が彼に抱きついています。

「▲▲さん・・・。」

ふと声をかけられて、顔を上げると、
あの1年生の担任の先生です。

「本当に、子ども達が、あんなに○○君を慕ってて・・・
本当になんて言っていいか、感激して・・・
ありがとうございました・・・」

と、ボロボロ泣いておられたのでした。

・・・いやいやいや!こちらこそ、なのです。

なんだかビミョーな感じだったのを、変だとか何とか言わず、
先生が見守っていてくれたから、
最後の最後で、こんなプレゼントを頂いているんです。

ありがたいのは、本当にこちらの方でした。


その次男が、中学を卒業する時。

同級生で、支援学校に行くことになった子がいました。

次男も「なんでかわからん。勉強も普通にできよった。」と言うし、
どういう経緯だったのかよく分かりません。

色々複雑な事情もあるようでしたが、
「大人になったら働いて、きょうだいを呼び寄せて
一緒に暮らす」と言っていたようなので、

よほどしっかりした子です。

その子が、この春卒業に当たり、
卒業生を代表してあいさつしていたことが
新聞に掲載されていました。

「成長を続け、自分らしく生き抜く

幸せな大人になります。」

・・・◇◇くん。

そんなこと、大人でも考えつかないよ・・・。

そんな言葉、まず出てこないよ・・・。

目標達成とか、夢の実現とか、
社会の役にとか・・・。

誰でも言いがちなことを超えて、
なんて核心に迫った言葉だろう。

彼がこの3年間、仲間たちと過ごしてきて
何を思い、考えて来たかは分からない。

ただ、かかえる境遇がどうあれ、

その人らしく生き抜いて、しあわせだと感じられる大人になるということは

人が生きる上での、本質をついているんじゃないか。

いい大人になった私でも、彼ほどの視点で
これほどの的確な言葉で、

みんなの前で堂々と宣言できるだろうか。

支援学校に行くよう勧めた先生が、この言葉の意味がわかるだろうか。


「◇◇くん、本当に賢いのは君かもしれない。」

本当に脱帽でした。適わない。


色々な子が、

回り道をしてでも、色々な景色をみてきた子が、

何かと何かをつなぐ、かがやく架橋となりますように。

幸せに生き抜ける、そんな世界でありますように。


虹の架橋


みなさん、ご卒業、本当におめでとうございます。


と(撮)りいそぎ!みやこ町!

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


今週末、3/16・17開催のみやこ町での完成見学会。

その見学会場となるお家に、本日(!)撮影に伺いました。
(お施主様、ありがとうございます!)

だいたいいつも、見学会が近くなって撮影に伺うので、
もう明日!

ギリギリすぎて誰も気づかないのでは?と思うのですが、
たまたま見てるよ~って方がいらっしゃれば、と期待して。

もし良ければ、参考までにご覧いただければと思います。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・みやこ町完成見学会会場外観
小高い場所にあるみやこ町のお家。外観。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・みやこ町完成見学会会場外観
漆喰仕上げでスッキリした軒天。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・みやこ町完成見学会会場手洗い鉢
刷毛目がかわいくてニヤニヤが止まらん感じの手洗い鉢。・・・さて、どこにあるでしょう?

大分・自然素材の家。もくせい工舎・みやこ町完成見学会会場トイレ
木のトイレットペーパーホルダー!

大分・自然素材の家。もくせい工舎・みやこ町完成見学会会場和室
見た途端、撮影用の本をたらふく持ってくればよかったと後悔!ごろ寝しながら本が読める、本好きにはたまらない和室!(・・・本を置くんじゃなかったらすみません。)

大分・自然素材の家。もくせい工舎・みやこ町完成見学会会場キッチン
ついててよかった、パントリー!

大分・自然素材の家。もくせい工舎・みやこ町完成見学会会場お部屋
壁一面の木の机が、なんとも贅沢!

大分・自然素材の家。もくせい工舎・みやこ町完成見学会会場リビング

お伝えしたいことはたくさんあるけれど、大急ぎにて、これくらいで・・・。

のどかな風景の、素敵なお家、ぜひ見に来てください!

ご予約はこちら!→みやこ町完成見学会
(ネット予約は、前日20時までの受付。他はお電話0120327892にてお問い合わせください。)

木の家でお待ちしています!

【おまけ】
そうそう、外観撮影中、なにやら垣根に赤い実が・・・。

ローズヒップ

・・・これ、ローズヒップかな?
もしかしたら、ノイバラがたくさん咲くのかもしれませんね!

春が楽しみなお家です♪

あのこのねどこ

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


秋くらいから、わが家の物干し場の屋根の下を
寝床にする猫がいました。

白黒のハチワレで、たぶんオス。

顔はパンパンに大きいのに、体はやせて、細長い。

しかも足が長いので、全体的に、にょろりとした印象。

何かに似ていると思ったら、

昔『ネバーエンディングストーリー』という映画に出ていた
ファルコンの、

にょろりとした猫

・・・顔が猫版。

鼻はズルズル、体も汚れきって
The 野良猫!といった感じの子。

人慣れもしておらず、はじめのうちは顔を見るだけで逃げていました。


ハチとゴマ
珍しくひっついている。

わが家には、元野良猫が2匹います。

2匹とも最初からフレンドリーで、
私の様な素人でも保護自体は簡単でした。

それでも、
後輩のゴマちゃんを家に入れた時、
先住のハチさんがかなりナーバスになったこと

わが家に来れば完全に外の自由はないこと
(もう外に出れないと分かって、暴れて大変だった・・・。)

色々な理由で・・・そうそう気軽に保護できない。

そこで、エサは与えないけれど、
寝床は冬の間、大目に見ることにしました。
(エサは、猫界のマザーテレサ?のようなご近所さんから
おこぼれをもらってるようでしたし、それに敷地内で凍死されても困る。
どのみちどこかで寝るのなら、
猫嫌いの人の敷地より、ウチの方がまだましかも~と判断した次第です。)

とはいえ、おらが村は市街地より冷え込みます。

冬場は、氷点下になることも珍しくありません。
(窓と窓枠が凍ります。)

さて、どうするか。

そこで思い出したのが、ウン十年前の記憶。

私が育った地域では、ホームレスが多くて

街中まで徒歩で行けるような
高速道路の下などに、その人たちの住まいがありました。

通学のバスの中から、
彼らの住まいに「お布団」があるのを見て、

「なるほど!とにかく、住居の基本は
温かい寝床なんだ」と実感したことがあります。

野良猫もきっと同じはず。

雨風がしのげる場所であるのはもちろん、とにかく、断熱。
そして、できたら加熱・保温です。

プチプチの梱包材を100均で買ってきて、段ボールに貼り、
外側は、ボロボロになったアルミシート付のショッピングバックで覆い

温かそうな布と、夜には使い捨てカイロを入れます。

そうこうするうちに、その猫も
怖いんだけど、どうも寝床を用意している人間だと認識してくれたのか

カイロを入れ替える間、
逃げはするものの、少し離れて
終るまで待っているようになりました。
(顔は、・・・寒いんやけ早く!と言いたげだったけれど。)

カイロを入れて、助かったのが
その猫の下痢が治ったこと。

片付けるのが大変だったので、これは思わぬメリットでした。
(よっぽど冷えていたんだろうと思います。)

朝、洗濯物を干しに出ると、
湯船に浸かるように

気持ちよさそうな顔をして

段ボールの縁にあごを載せているので

なんだかかわいい。

でも、今は姿を見ていません。

代わりに他のオス猫がうろつくようになったので、
喧嘩に負けたのかもしれません。

野良猫の世界は厳しい。

せめて寝床くらいと思ったけれど

猫好きな人ばかりじゃないので、
寝床を用意するのも、良い顔はされません。

・・・でもな~。

好きで(野良猫にしろ、ホームレスにしろ)こうなったわけじゃなかろうもん!
と、思うのです。

世渡りもぎりっぎり!の危なっかしい私などは、
明日は我が身だし、他人ごとではないのです。

輪廻転生という言葉があります。そのホントウは、私にはわかりません。

真相はともかく、
今厳しい目に遭っている人や命に
生前の悪行が・・・なんていうのも、なんだかなぁと思います。
(悪行までいかなくても、みんな気づかぬうちに色々やらかしてるはず。)

それでいうと、罰が当たった的な視線より

ホントウは、
「明日は我が身なんだから、無下にするな」ということじゃないか。

そう信じたい。

もう来なくなったあの猫が、
どこかで死んでしまったのか。

もしかして、可愛がってもらってるのか。

それは分からないけど、

いのちを無下にすることは

やっぱり嬉しくはない。

お金を払えば、ペットショップで可愛い犬や猫が買える。

あれを人間だったら・・・と想像して

見目可愛らしい人間の子どもが、

母親が恋しい年頃の小さな子どもが、

ショーケースに入って売られているようなところを想像して、

なんだか普段、意識しないことが怖くなる。

一番怖いのは、
自分に限ってってことかもしれない。

自分に悪い部分も、醜い部分もあると意識がある人より、

全くの善人のつもりでいる方が、なんだか始末に負えない。

薄ら汚れて、すっかり野良猫臭くなった
あの段ボールにカイロを入れる度、

どこで何しているんだか、と思います。


うるう

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


本日は2月29日。つまり、2024年は、うるう年です。

「私、うるう年の生まれやけん、まだ4歳なん~」

そう言っていた同級生を、2月29日が来るたびに思い出します。


このうるう年。

実は、必ずしも4年に一度じゃないらしい。

条件があって
①西暦が4で割り切れること

ただし、例外があって

②①のうち、西暦が100で割り切れ、400で割り切れないものは平年とすること。

・・・・・・どういうこと?

例えば、2000年や、2400年はうるう年だけど
2100年や2300年は
4や100で割切れても、400で割り切れないので
うるう年ではなく、平年となります。

・・・となると、単純にうるう年生まれだから
4年ごとに何歳~ってわけでもないのかしら。

とは言え、例外のスパンが100年、400年なんだから
一生のうち例外に当たることは稀なのか。

たとえ2月29日生まれでも、
カレンダーにそもそもないから、
29日の表記がないかぎりは、「うるう年のはずなのに~」なんて実は意識しないのか。

うるう年生まれのあの同級生も、
もう半世紀以上生きて、いまさら何歳だったかなんて気にしてないかもしれない。
(そうして、まさかこうして遠く離れた場所で
イチイチ思い出している同級生がいるとも思わないだろう。)

そもそも、うるう年がなぜあるのでしょう。

それは一年がきっかり365日じゃなくて
365日と約1/4日だから。

つまり、そのままきっかり365日で計算すると、
4年経つと1日多くなる。

その調整として2月29日を入れている。

・・・でもなんで、2月?

ざっくり調べたところによると、
農作業が3月はじまりだったので、その年度末にあたる2月で調整となったみたいです。
(ざっくり、です。本当は奥が深くてよく勉強しないとワタシじゃ分からんです・・・。)

「うるう」を漢字で書くと、閏。

太陰暦を用いていた昔の中国で、
王様がその日は門から出ず、政務を行わなかったから。

・・・らしい。

これも「ふ~ん」とは思うものの、分かったような分からんような・・・。
(よく勉強しないとワタシじゃ分からんです・・・。)

とはいえ、地球の自転にムラがあるっていうのは
なんだか生き物っぽいというか、

地球って生きているんだな、と実感します。

そんなんきっかり、計算通り行くかい!って感じが、
妙な生き物っぽさというか、

地球自体が、自然なものなんだと実感するというか。

その地球に、今日も又どこかで
2月29日生まれの子が生まれている。

そして、同級生に話すんだ。

「私まだ、●歳なん~」って。

それを何年たっても、思い出す同級生がいるかもしれない。

2月29日が来るたびに、その子のことを、ふと思い出すに違いない。
(私の様な変わり者であれば、かな。)

それでも、どこかで誰かが思い出してくれているって
いいものです。

思い出す度に、うれしくなるような
こそばゆくなるような、

そんな出合いはいいものです。

そんな【うるう2月29日生まれ】の皆さん。
お誕生日おめでとうございます。

0のつく日に記事を書くと、2月に困ると今気が付きましたので
5のつく日に記事を書こうと思います。
こんな調子ですが、もしよければ、どうぞお付き合いくださいませ。

満足は誰のもの

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


土と雑草のことが知りたくて買った
『自然栽培』という季刊誌に
『自分で治すという考え方』というコラムが載っていました。

バランス健康アドバイザーの工藤和也さんの記事で、

頑張りすぎて、
あれもダメ、これもダメ、と否定や排除ばかりするよりも、

頑なさをユルめて、
ありがたがって、しっかり噛んで食べるほうが

心身のバランスに良いのでは?

というような内容でした。

ご自身が、花粉症を治したくて、

ゴリゴリに食べるものに拘ってしまって
他人の食べているものにも口出しするようになり、

周囲に、BBQにも誘われなくなったことを書いておられたのは
爆笑してしまいました。

『自然栽培』という、こだわっていそうな季刊誌に
少し肩の力がユルむような記事で
とても印象に残ったのです。

さて、ここで本題です。


マーケティングは顧客からスタートする。

顧客の現実、欲求、価値からスタートする。

我々の製品やサービスにできることはこれである、ではなく、

顧客が価値ありとし、必要とし、
求めている満足はこれである、
と言えなければならない

ピーター・ドラッカー

広告を書いていると、ついついドラッカーいうところの、
【製品やサービスにできること】を伝えたくなる。

自然素材で家さえ建てれば、こんなメリットが!って言いたくなる。

無垢の木と漆喰の家の良さは分かっていても

自然素材で建てさえすれば
すべての問題が解決!
すべての病気が治る!みたいな書き方は
ちょっとアウトだと思うのです。

健康なものばかり食べていても
人間いつかは死ぬように

自然素材の家に暮らしても、
たまには風邪もひきます。

どんなに気を付けても
いつか死ぬ。

そんな死に方を選べない私たちが、唯一選べるとしたら生き方なので
時折、不安が暴走して、

頑なに偏ってしまうのでしょう。
・・・BBQに誘ってもらえないほどに。

それは、何を大事に生きていくかという
バランス配分の話になりそうです。

つまり、死に方より
大事にすべきは、生き方。

どういう状態の
心と体で生きてきたか、ってことじゃないでしょうか。


では、
顧客が価値ありとし、必要とし、
求めている満足はこれである、
と言えなければならない

ような家ってなんでしょう。

お客様には、
こんな風に暮らしたいというイメージがある。

それを叶えてくれそうな、家に会う。

いやいや、自分たちにはムリやろ~。

え?もしかしてできるのか??

その家が、建てている途中も、
住んでからも、

想像以上の満足度であったとき、

それは、きっと大切な誰かに勧めたくなる。

「不安やったけど、できたよ。
すごくいいよ」って。

「○○さんがこちらで建てていて、行ってみたら本当に良くて。
話を聞いても、おススメだと言われて・・・」


口コミレビューがあふれる今の時代にあって、

知らない誰かの「いいね!」より

知っている誰かの、お墨付きほど
信頼できるものは無い。

それは、
建ててくれたお施主様たちが

次建てることがあっても
【またもくせい工舎で】と思っていただけて叶うこと。

そういった方が多いほど、叶うこと。


顧客が建てたいのは

「工務店がこだわった」家ではなく

「自分たちがこだわった暮らし方」の家。

それが叶えば、家にはどこか
そのご家族らしさがでる。

その人となりや、個性がでる。

施工事例の一覧に、それを感じるかもポイントです。


「そうは言っても、今、何もできない」

そういった方ほど、できることがあります。


施工事例を、たくさん見てください。

実物をたくさん見てください。

そして、自分たちのこだわりを
少しでも叶えてくれそうな工務店を
見極める眼力をつけてください。


顧客のワタシが価値ありとし、
顧客のワタシが必要とし、
顧客のワタシが求めている満足

を満たした家を建てなくちゃ!

「誰かにこう言われた・・・」ってこともあるでしょう。

それでも譲れないことはあっていい!と思います。

お金出すのは、自分たちなんだから
顧客のワタシが満足しないといけません。

「なんも知らんけ、
アドバイスして、説得してやった」というのは相手の満足ですよ~。

大事なのは、例え経験が浅い人間の望みにも
「こうはムリやけど、こういうやり方は?」と代替案が提案できるかです。

間違っても、「は?そりゃ金だせるならやってやるよ」じゃ
ダメなやつです。

創意工夫できる、(色んな意味で)余裕があるかないか。それが大事です。


前述のコラムではないけれど、

ゆずれない部分の頑なと、
ユルめのバランス、

そして、ないならないで何とかする
【創意工夫】が大事です。

どうぞ、やれるだけやったという
【自分たちの満足】のいく家づくりを!


猛省トイレトレーニング

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


今だから笑い話になるのですが、長男が年少の頃
トイレトレーニング(大きい方)が、全くうまく進まず
本当~に悩んでいた時期がありました。

ここからは、排せつに関わるお話。

下ネタに思えて苦手な方は、パスをお願いします。
排せつも、自然なこと、当たり前のこととして、読める方は、どうぞお付き合いください。

小さなお子様のいらっしゃる方は、参考になる・・・?かなぁ?どうだろ。

「うんち行きたくなったら教えてね、いっしょにトイレに行こうね」

優しく声かけようが、何しようが
全くトイレでしない。

ちょくちょく兄弟で入院していたので、
大部屋になった時が一番困りました。

当然、病院のトイレでもしないので

ウンケづいた時はすでに遅し・・・。

大部屋全体に、相応の臭いが漂って
恥ずかしいやら、申し訳ないやら。

大柄な子で、実年齢より大きく見られもしたので
「あんなに大きいのに、トイレでできんのかよ!」
って思われていそうで

めちゃめちゃ肩身が狭い上、うまく「しつけ」すらできないのを
母親としてダメだと思えて
・・・ホント、つらかった~。

ところがですよ。

先日、読んだ本で衝撃の事実を知るのです。

本の名前は
『すばらしい人体 あなたの体をめぐる知的冒険』 著|山本 健人

外科のお医者さんが書いた本です。

その中に『とてつもない肛門の機能』という章があって
読んでいる最中に、何回も驚くことに。

直腸まで降りて来たモノを選んで、
固体は残したまま、気体だけ通す。

(・・・だいたい何が言いたいかイメージしていただけましたか?)

そう、あのオナラだけ出す、ということを
人工的にやろうとすれば、まず不可能なんだそうです。

そういえば、無意識にやってる。

固体だけ残して・・・なんてわざわざ考えてません。

・・・すごいな、肛門!

そしてさらに私を驚かせたのが、この機能。

ウンチを無意識にせき止めておき、好きな時に排出できるというもの。

降りて来たと同時にすぐに出てしまっては、どんなに困るか
想像はつく。

出物腫物ところ構わず、では困るのです。

それをコントロールするのが
肛門の出口付近にある二つの括約筋。

外肛門括約筋と内肛門括約筋です。

外肛門括約筋は随意筋。
自分の意志で動かせます。

お尻の穴を、キュッと自分ですぼめられるのは、
この外肛門括約筋の働きです。

内肛門括約筋は不随意筋。
自分の意志とは関係なく動くもの。

直腸に降りて来たものがいっぱいになると、
まずこの内肛門括約筋が緩む。

意識的に外肛門括約筋を締めていれば、
ある程度、我慢できる。

そして都合の良い時に、
意識的に緩めて、排せつする。

それが、【トイレまで我慢して行ける】ことになる。

・・・ところが、この機能。
乳幼児は未熟らしい。

・・・ちょっと待て。
え?・・・んじゃ、しつけどうこうじゃなくて

まだ未熟だから上手くいかんかっただけなん???

そう。
まず首が据わらなければ、寝返りもお座りもできないように

外肛門括約筋を自分の意志で動かせるようにならなければ、

トイレまで我慢する・・・ってことが
まずできない。

その外肛門括約筋を自分でコントロールできるようになるのも、

歩き出すのが早い子と遅い子がいるように
きっと個人差がある。

・・・何たること。

二十年近く前のワタシに教えてやりたい。

子どもがダメなわけでも、親がダメなわけでもない。

まだ上手くいかないだけなんだ、と。


ところが、今までできていた大人でも
反対のことが起こりうる。

それは病気や手術だったり、加齢だったり、
出産だったり。

何かをきっかけに、それまで出来ていたことが
上手くコントロールできなくなることがある。


それは、大部屋で味わった肩身の狭さなんか
比べ物にならない感情だろう。


本で書いてあった内容を、長男に話してみました。

「・・・ごめんなぁ~。悪かったよ。本当に。
未熟だから上手くいかんかっただけなのに、知らんで。

やけっち、またオムツでどうぞ!って言われても
嫌やろ?」

「・・・絶対イヤ!

・・・あぁ、それでも衰えれば
うまくいかないことが増えてくるに違いない。

そうすれば、オムツ内に排せつするそれを
本当は嫌だと思っているのかもしれない。

そうはいっても、大変なことは分かっていて、
いたしかたないとお互いに思っていても、

本当は、そうなのかもしれない。

自分の無知を、
自分の子育てを猛省しつつ、

いずれ、自分にも降りかかるかもしれないそれを

複雑な胸中で、締めくくるのです。

本の内容の詳しくは、書店で。とても面白いです。


小心者と隣の芝

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


1月も終わりかけですが

皆さま、初詣には行かれましたか?

おみくじを引いてみた方もいらっしゃるかと思います。

わが家は、不思議なことに
私と長男は、中吉~末吉が多く

片や、夫と次男は
十中八九、大吉が出る。

「おれ、大吉ってほぼない・・・」
年始早々、ちょっと残念そうな長男。

ちょっとここで、仮説を考えてみました。


コップの中に水が半分入っている。

それを

「もう半分しかない」と考えるか
「まだ半分ある」と考えるか。

そういう例えを聞いたことがあるかと思います。

これでいくと、

前者の「半分しかない」と考えがちなのが
私と長男。

「まだ半分ある」と考えがちなのが
夫と次男です。

これ、大吉が出ても同じような反応が出る。

私と長男は、例え大吉が出ても、
「そうは言っても、良いことばかりではないだろう」
ととらえる。

大吉だ!わ~い!

と、素直に喜ばない。

何が言いたいかというと、
同じことが起こっても

そのまま素直に、「わ~い!幸せ~!」と受け取れるか

「たまたまラッキーなだけで、何かあるんでは?」と
捉えるか。

両者の間には、その差があるように思うのです。

「つまりだよ、例え大吉がでようが
宝くじに当たろうが、

神経が細かいと、別のリスクみたいなのをついつい
考えるやん?

やけ、カミサマが

「アンタどうせ大吉出しても
中吉程度にしか喜ばんやろ?

やけ、中吉。」

・・・って出しとるんやない?」



大吉にせよ、宝くじにせよ、
(家でも、ケッコンでも)何かを手に入れるにせよ、

同じ状況で、「しあわせ~」となるかは
人による。

生まれつきかもしれないし、
その人が生きてきた経験上の違いかもしれない。

先のコップの水の例えにしても、

まだまだ、次の水のストックがある場合と
ない場合では、「残り」に対する感じ方は違いそうです。


いずれにしても、私や長男のような小心者は
心配ばかりしていなくてはならず

「しあわせ~」と言えない分、損なような。


ところが、この小心者には役割がある。

小心という言葉には、

気が小さく臆病という意味の他に

細かいことまでよく気を配るというものがある。

気を配ると書いて、気配りで
心を配ると書いて、心配というのも
切ない話ですが

言い方を変えれば、小心者が得意とするのは
配慮とも言えそうです。


「デザインの仕事は、使い手に不便を感じさせないこと」

そういったのは、通信教育のWebデザインの先生ですが

設計寄りのデザインにしろ、何にしろ、

細かいことまで、「万が一」というネガティブを考えつくして
そして回避しようとしていく作業は

ものづくりの現場では必須と言えます。

芸術作品ではなく、そこに使い手がいる以上、

細かいことを気にしない性格だと
(作った本人が気にもしていなかった)何かしらの困りが出てくるからです。


細かいことを気にしない。
オッケー、オッケーの世界は幸せそうですが

細かいことを気にして、配慮して、
少しでも良くなるようにしてきた試行錯誤が

もっと良いモノづくりを支えてきたことは
明らかだと思います。


だから、どちらかというと
小心者の人間は

気疲ればかりで損なのかもしれない。

でも、細かい闇に気が付く人は
意外と
細かい光にも気づくのかもしれない。

細かい光
細かい光って、あまり金と名誉には関係ないことが多い・・・。

だから、(私を含め)小心者のみなさん。

何かを手に入れたくなって、隣の芝が青々眩しくて、

同じように芝を生やしさえすれ.ば・・・と思うかもしれない。

でも、色々気にしぃなあなたは、
きっと芝の管理や、その他もろもろが気になって

手に入れても、余計な心配もついてきたと感じるかもしれない。

思ってたのと違う、と思うかもしれない。

それでも、きっとそれでいいんです。

そうして、心配しつつ
先に進んできている。

そしていつか振り返って

歩いてきた道を見た時に、

なんやかやあったけど、私なりになんとか歩いて来たなぁ~。

そう思うことが、きっと小心者すぎる
私を、誰かを、支えてくれるのではないか。


半世紀ばかり生かしてもらって

中吉には、中吉なりの
何かがあるんだと

そう思うようになりました。


小心者よ、シヤワセは隣の芝にはない。
シヤワセは、自分の足元にある

20240130_アスファルト突き破ってスミレ
スミレは、【ど根性スミレ】とは言われないのね~。でも、どこか誇らしげだ。

きっと極々、ささやかなこと。

中の人 ②

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


以前、中の人という記事を書きました。

ご当地キャラの着ぐるみを被った経験をもとに
なぜか「ありたい自分」の話に。

今回は、その反対というか別バージョンにあたる
カオナシの話。

(あくまで、個人的な感想からの考えです。よければお付き合いください。)

かおなし_1

カオナシは、素性が分かりません。

名前や顔などの素性を知られず、
人に接しようとします。

話をしようにも、誰かを丸のみにし、
その声を借りねば話せません。

本当の弱い自分を隠したまま、

優位に立てば、歯止めが効かないほど横暴になります。

食べ物や、金、特別扱いをチラつかせ、
相手の気を引こうとします。

・・・・・・・・って、これ、やりがちかもしれない。

匿名で何かをすることや、

誰かの話を鵜呑みにして、そのまま他の誰かに話すことや、

普段はビクビクと自信がないくせに、
偏った正義感で誰かを責めることも、

誰かに何かを「してやった」と思うことも、

そんなつもりのあるなしに拘わらず、
思う節がありすぎる。

恐ろしいことに、知ってる誰かの中にも
そしてもちろん、私自身の中にも、
確実にカオナシはいるんじゃないか。

あの映画で、初めてカオナシを見た時、
誰かの、そして自分の、見たくない一部を露呈されたようで
とても居心地が悪かったのです。

匿名性ということで言えば、永家夫妻と違って
お客様に接することがない私は、
どこの誰だか分からない点で、カオナシです。

顔を知られた有名ライターでない限りは、
こういったブログにしろ、
何かのレビューを投稿するにしろ、
匿名なので、何を書いても
どこの誰かまでは分かりません。

第三者のフリをして、何かの目的で
良くも悪くも意見を書くことを
サクラと言いますが

例え、それらのいくつかが
同一人物の記述でも分からないのは、
匿名というカオナシだからです。
(意図の良し悪しに拘わらず、結局は記事自体の信用を失いかねない。
私は、そのほうが恐ろしいので、まずやらないです。)

カオナシは千に、言います。

「これ食うか、うまいぞ。
金をだそうか、千の他には出してやらないことにしたんだ」

何か「してやること」、「あなただけ特別に」。

自分といればいかにお得か、メリットがあるか。
しかも、あなただけ特別なんだということを

意図せずやっていることは往々にある。

それをコミュニケーションツールという人もいるけれど、

そもそも、何かのお得がなければ人は寄り付かないのか。

しかも、その特別なお得で成り立っている関係性は、
お得じゃなくなった途端、離れてしまうのではないか。


子どもが小さいころ、孫に対し、可愛さもあって
どうも財布のひもが緩い祖父母。

「何かもらえたりするから、好いてくれるわけじゃないよ。
もらえんでも、優しい人なら好いてくれるやろ。」

そうやんわり断ったのですが

「いいやん、やりたいんやけ」

悦ぶ顔が見たいって言い方もできますが、

・・・それじゃ、池の鯉と同じだよ。

エサ撒いて、近づいてきた~♪って。

エサがなくなったら、さようなら。

その人の本質を慕って、そばにいたいのとは違います。


着ぐるみの話も、カオナシの話も、
共通するのは、
中の人は、「自分の現状」を良しとしていないこと。
ありのままの、このままの素顔じゃ
不足としていること。

違うのは、自分に磨きをかけて人と関わりたいのか、

それとも、弱い本性を隠して、
メリットや特別感というツールで関わるのかの違いです。

着ぐるみのように「ありたい自分」に近づけば、
そして本質も「ありたい自分」に成長できれば、
それを慕って人が集まるのは、自然な流れです。

しかし、カオナシ的なやり方は
どこか歪に感じます。

どこの誰だか分からない
カオナシ的な役割の私にできることは、
自分のイチ意見に過ぎず、絶対ではないことを伝えること。

考え方の一つとして、あくまで聞いてもらうこと。

それでどう考えるかまで、こちらは操作できないのです。

だから、「中の人」として
自分なりの誠実を目指したいと思います。

カオナシになりがちな、反省をこめて。


過信

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


あけましておめでとうございます。
本年も、もくせい工舎ともども
どうぞよろしくお願いいたします。

元日、16:06。
能登地方で、最大震度7の地震が発生しました。

大津波警報が発令されると、
NHKの女性アナウンサーが必死になって
「いますぐ高台に逃げること!」と伝えていました。

その声が本当に、必死で。
遠く離れた大分にいる身にも
ことの重大さが伝わってきて
テレビから目を話すことができませんでした。

北陸からはるか南にある九州ですら
こんなに寒い冬。

想像すると、心苦しくなります。

本当に怖い目に遭っていなければ、
分からないことがたくさんあり、

それを埋めようとしても、どんな言葉もあてはまらなくて
情けない。

「大丈夫か」と聞かれても、
本当に怖い思いをしている最中は、

この先も大丈夫かなんて
「こちらが聞きたいくらいだよ!」と言いたくなるでしょう。
それくらい、怖い。

上手く言えないけれど、
早く、ふつうの日常が戻りますように。

ふつうの日常のかけがえなさを
こういう時に思い知らされ、

私などは、性懲りもなく
また忘れるのです・・・。


もくせい工舎は工務店で、
この記事を読んでいただいている方の中には、

お家を建てることを検討されている方も多いかと思います。

今回のことで、ちょっと心配になることもあるかもしれません。

家の耐震性能のことは、永家代表に説明を任せるとして、

以下、ワタシの個人的なひとりごととして
ぼんやり聞いていただけたらと思います。


「この家って、地震、大丈夫でしょうか?」


そう質問して、間髪入れず「あ~、大丈夫ですよ」

そう返事をされたら、信じるのは半分くらいにすることを
お勧めします。

なぜなら、実際怖い思いをした人ほど、
【絶対の大丈夫】なんてありえないと知っているからです。

例え、根拠を示せたにせよ
それは【絶対】ではありません。

そして、誰かの言う「大丈夫」を信じて鵜呑みにしても、

何かあった後、その人は責任を取ってくれるわけではありません。

平屋だから、二階建てより危なくない?

津波が来たら逃げ場もありません。

液状化や地割れが起きたら
平屋だから、絶対大丈夫もないでしょう。

地震や水害に強い家とどんなに謳われても、
津波は水が来るだけではありません。

濁流となって、押し流された「モノ」が
流れてくるのです。

ぶつかれば、窓が割れることは当然あるでしょうし、

ましてや火が付いたものが流れてくれば、燃え移るのです。


理論上、「大丈夫」ということはいくらでもできる。

しかし、再度繰り返しますが
本当に怖い思いをした経験があれば

【絶対、大丈夫】はありえない。

そこを簡単に「大丈夫」と口にできる人は、

きっと何かあった後の責任だってとってくれません。


家を建てる地域の、過去の災害を知る。

地盤調査や改良を行う。

耐震性能の良い家に住む。

それらは、前準備であって
【絶対の大丈夫】ではない。

ただ、それらを軽く考えていたか否かは
いざという時の後悔の重さにかかわってくると思います。

用心は、お守りのようなもの。

一番大事なのは、誰かの言った「大丈夫」とお守りを
過信しすぎないこと。

いざとなったら、【大丈夫なはずの家】を置いて

「今すぐ逃げること!」

本当に大丈夫な家なら、避難後戻っても大丈夫なはずです。

誰かの言う「大丈夫」があなたを守ってくれるわけじゃない。

ワタシも
過信しすぎないで、臨機応変に行きたいと思います。

信じるのは簡単だ。
自分で考えずにすむからだ。

シメ。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


以前、『構造見学会とシュークリーム』という記事を書きました。

そこでシュークリームの歯ごたえについて熱弁し、
戸畑にあるマシェリさんのパイシューへの愛を語りました。

記事が埋もれぬうちに、
ワタシが忘れぬうちに、
書いときましょう。
(シメもシュークリームかい!って気もしますが
トシもトシですし、忘れかねんので。)



その、マシェリさんのパイシューが、こちらです!


202312_マシェリパイシュー.jpg

もう、普通のシュークリームにはあり得ない
皮に、角(笑)

202312_マシェリパイシュー_1.jpg

生地がふにゃふにゃしてないので、
箱に立てて入れても、崩れない頑丈さ!

今回撮影のために初めて切って断面を見てみました。

202312_マシェリパイシュー_2.jpg

あ~、こんなにクリームを奮発してくれて!

ありがとう、マシェリさん。


このパイシュー。

かじるとザクッ、ザクッ。

そして、ぽってりしたクリームがすぐに出てきます。

パイ生地も、ハラハラと儚げに落ちるのじゃなく、
バラバラと、常緑樹の葉のように
厚みのある音をたてて落ちていきます。

生地の小麦の味が、ハード系のパンのように
しっかりして、
バターの風味もくどさがなくて、
クリームも、優しいのに
生地に負けていない。

もう、書いててまた食べたい。
大好きなシュークリームなのです。

あいにく、遠い~。
北九州は、戸畑です。

小倉方面に買い物とか、
何か用事でもない限り、
なかなか買いに行けないのです。

その私的「ついで」候補になるのが
北九州市立美術館。

マシェリさんから10分強行った所にある、
森の中の、高台にある本館の方のお話です。

設計は、大分が誇る
有名建築家、磯崎新氏。


北九州で育った私は、特別企画展のあるなしに拘わらず

その建物と雰囲気に触れたくて
よく訪れていました。


その美術館の駐車場から、アプローチに向かうとすぐ
見えてくる一本の木があります。

北九州美術館の木

見上げると、特徴のある
双眼鏡のような外観の美術館の
すぐ入り口。

北九州美術館の木

この木は、四季桜。

北九州美術館の木

春と秋に花を咲かせます。

もう秋というにも遅い時期の写真ですが、
控えめな花が
枝先に少しだけ残っていました。

北九州美術館の木


何十年(!)も前から、ここにこの木があるのを見ていますが、

ソメイヨシノのように大きくならないのか

あまり大きさが変わらない。


枝ぶりも低く、ちょうど両手を広げたようになっているので

その内側に入っていくと
ハグされているような感じになる。

北九州美術館の木

人から触れられるのは少々苦手な私ですが、

この木の中にいるのは、とても心地が良い。

かわいがってくれた祖母に会いに来るような。

そんな【会いたい木】なのです。


Welcomeな木の歓迎を受けて、
急こう配過ぎる外付けのエスカレーターを上がっていくと
館内の正面ロビーに着きます。

特別企画展が行われていると、人も多く
ゆっくりするにはイマイチ。

何もない時ほど、美術館自体を満喫できる!


2階のカフェだって、混んでなければ
自由に、自分の好きな席に座れます。

北九州美術館のカフェ

いつ行っても、森の景色が素敵な場所ですが、
個人的には、紅葉の時期が一番。

色鮮やかで
キラキラきれいでうれしくなる!

北九州美術館のカフェ

そして、楽しみのスコーンセットをいただくのです。
(写真はスコーンとキッシュのセット。本当は、もう少し安いとうれしい・・・。場所代かなぁ。)


美術館には、さらにこんな場所も。

北九州美術館

B1のアネックスに続く通路。

北九州美術館

向こうには、北九州の街並みが見えます。

このガラス張りの反対側からは
森をおりて吹く風が清々しく

このまっすぐな渡り廊下を歩いていると、
なんだか不思議と
神聖な気持ちになるのです。

アネックスといわれる別館の扉を開くと
表れるのがこちら。

北九州美術館

アトリウムです。

北九州美術館

以前は、こちらに水がはっていて
キラキラ天井から降り注ぐ光に、

水面に映り込んだ柱が
本当に美しくて!

メンテナンスの都合なのか、
ここ数年は水がない・・・。

北九州美術館

水のあるとないとじゃ、えらい差なのですが
何か事情があるのでしょう。

それでも、人がいないと
本当にここは静か。

北九州美術館

とても落ち着くので、

つらい時、心を鎮めたい時
ふと立ち寄って

どんなに慰めてもらったか分かりません。


シュークリームに始まり、美術館。

皆さんにも、きっと大事な
場所があるのではないかと思います。


また食べたい、あの味。
また行きたい、あの場所。

また会いたい、何かや誰か。


小さな楽しみは、人をどんなに支えてくれるか分かりません。


新しい年が

また何かの

新しい【小さな楽しみ】に出会う一年とますように。

どんな人も、【小さな楽しみ】を奪われない
穏やかな日常を取り戻せますように。


1年間お付き合いいただき、ありがとうございました。

どうぞ、よいお年を。


おススメでお腹いっぱいになる前に

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


例えば、会社のお昼休み。

時間は1時間。使えるお金は、1000円とします。

さて、どこで何を食べましょうか。

すると、情報通の同僚がやってきて
「知り合いがお店しているので、行ってみないか」と声をかけられる。

どうも、苦労して出店した、こだわりのお店らしい。

断る理由もなかったので、行ってみる。

味は、不味くはないんだけど
特に好きでもない。

まぁ、たまにはいいかな。こんな日も。

ところが、ちょくちょく、ちょくちょく、
その同僚から「おススメ」される。

おススメなので行かないか、と。

もちろん好意で言ってくれているのでありがたい反面、
正直、自分好みのアタリも少なければ

断るのも悪いと思いつつも、

昼休みが始まるのが、あまり楽しくなくなる。


変な例えですが、なぜこんな気持ちになるのか。

もちろん、おススメがアタリばかりなら
嬉しいですし、楽しい。

それでも、ちょくちょくアタリでもないと
私などは、性格が悪いので
ちょっとモヤモヤします。

なぜか。
おそらく、【自分の意志で、選ぶ自由】がないからです。


昼休みの1時間という【時間】も、
1000円という【予算】も、
本来は、どう使おうが私の自由です。

そこに誰かのおススメばかりに、
なんとなく付き合って

結果として満足もしていない。

「どこに行こうかな」
「どう過ごそうかな」

それを考える、迷う楽しさも
きっとあるからです。


今、広告やSNSで、誰かのおススメが溢れます。

これは絶対間違いない!

使って損はない!

これは知っとくべき!
(損得、べき!ばかりで疲れるのです。過保護じゃあるまいし、自分でやってみないと、実際は分からんわーい。)


誰かのおススメが、必ずしも万人に当てはまるわけじゃない。

誰かのおススメが、ハズレだと思うのは

その誰かとワタシは
感覚も大事にしていることも違う
全く、別の人間だからでしょう。

違うんだから、絶対の良いも悪いもないのです。


以前、故日野原重明先生の『いのちのおはなし』という絵本を読みました。

先生は、その中で
その人が死ぬまでに使える時間を、いのちというのだと語ります。


昼休みの例は極端でも、

ワタシの、誰かの、使えるはずだった時間を命というなら

さて、どう過ごしましょうか。

私は

使えるはずだった時間を

使えるはずだったお金を

誰かのおススメに従って決めてしまうのは
うれしくない。

迷いながらも、考えたい。


おススメされても、口コミレビューが高くても

実際に、判断するのは自分なら

実際に、自分でどう思うか感じるしかない。

おススメでお腹いっぱいになりそうな世の中、
最後に頼れるのは、自分の感覚かも知れない。


というわけで、おススメはともかく

自分の感覚で、どう思うか見に来ませんか?

構造見学会、今週末です。(←宣伝か?)

どうでもいい感じの関連?記事→『構造見学会とシュークリーム』

構造見学会とシュークリーム

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


私は元来、食い意地と好奇心が旺盛なので

ちょっと遠出するときには、その場所に+α、
何か美味しいものや、おもしろいものがないか
ついつい探してしまいます。

特に躍起になって探しているのが
美味しいシュークリーム。

しかも、パリパリ!できたらザクザク!
ガリガリ、ゴリゴリしててもいいくらい。

それくらいの噛み応えのある、歯触りの楽しい
シュー皮でできたシュークリームが理想なのです。

今のところ、一番のお気に入りが
北九州市戸畑区にある、マシェリさんのパイシューでして

これはもう、パイの層の厚さ、
しっかりした噛み応え、味わいのある皮に、ぽってりしたクリーム。

私の理想通りのシュークリームなのです。
(↑これに関しては、また後日記事を書きます~。
今回のメインは、構造見学会の近隣エリアのことなので。)

・・・ただ、遠いのよ。如何せん、北九なのよ・・・。

なので、それに代わる、
「これで我慢するからいいもんね~」と言える
シュークリームを折にふれて探し求めているのです。

何店かそれらしいシュークリームを食べましたが、
今のところ、マシェリさん以上のお気に入りとはならず。
(あくまで、私の好みの基準です。)

それでも、《ことあるごと》に
諦めず探しています。

その《ことあるごとに》にヒットしたのが
今回の12/23・24の構造見学会。

場所は、大分県北を離れ
福岡県京都郡みやこ町での開催となりました!

なぜに、みやこ町?

もくせい工舎は、職人さん達に無理なくいい仕事をしてもらうため
県北近隣を主としています。

今回は、インターチェンジ近くに現場があったこと

そして何より、お施主様が
そのみやこ町から

遠く国東での見学会にお越しいただいたこと(!)

その思いに応えずして、どうする‼

・・・と、そんなご縁での開催なのです。

私は、みやこ町くらいは平気で
高速なしで行くのですが

せっかくなら、どこかに寄ってみたい。

しかも、今回の現場は
前にチェックしていた、シュークリームのお店からそう遠くない。

現場を確認ついでに、これはもう
寄るに決まっています。
(もはや、どっちが本命か分からん。)


目的のお店は、【こふれ】さん。

現場の詳細は、ご予約いただいた方だけのお知らせとなりますが、

だいたいの場所の感じは、こちら!

この辺_1.jpg

それで、そのお目当てのシュークリームがこちら!

2023_122324_kohure_1.jpg

表面に、香ばしいアーモンドダイスが乗っているので

食感としては、

カリッ!サクッ!ジュワ~!

皮の網目の中に、ぽってりとまで重くない、
わりとサラっとした感じのクリームが
しみこむというか、
浸食している感じ。

「なかなか好みであるよ」と頷きながら 
息子は食しておりました。

私的にも、かなり上位のシュークリームでした!
うっま~い!

そして一緒に買ったのが
シャインマスカットのタルト。

2023_122324_kohure_2.jpg

なんでも、タルトフェア?だったかで
なんと3種、各1500円のホールタルトが1000円のお試し価格!

シャインマスカットですよ?見切り品で売ってても
1000円くらいする!

そりゃ。買いますよ~。

こちらも、本当に1000円でいいのかな、
というお味。

私は、実は生クリームが苦手でして、
ケーキも何層にもなった、ふわっと口どけの軽い
複雑な味のケーキも、ちょっと食指に合わない。

タルトやパイシュー、がっしりした感じのチーズケーキなど
シンプルな素材で、
しっかりした食感を好みます。

だから、もしお好みが同じ路線でしたら
もしかしたら 気に入っていただけるかも?しれません。

どうでしょう。
構造見学会ついでに、シュークリーム。

あいにく、12/23・24とクリスマスに被ってしまうのが
気になるところではありますが

何か+αのお楽しみは、いいものです。

ぜひぜひ、【ついでのお楽しみ】と合わせて
今年最後の構造見学会にお越しくださいませ。

ご予約お待ちしております。

12/23・24の構造見学会。


家族だからこそ、

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


生まれつき、親を嫌って生まれてくる赤ん坊はいない。

それこそ、物心つくまでは

なぜこれほどまでに未熟で、ダメな親なのに

そこまで好いて、必要としてくれるのか

不思議なくらい、子どもは親を望んでくれる

親になるまでは、

無償の愛というものは

親から子に与えるものだとばかり思い込んでいた。

実際は、大人になり、親になると、

子への無償の愛以上に(それどころか!)

人の目、世間の目を気にする弱い私がいて

その分厚い雲の層に、びっくりする。

「言うこと聞かんと、知らんよ」と脅すことや

一見褒めて育てているように見えて、

ある種の方向に誘導しようとすることも、

実は、子どものためと言いながら

本当は「親としてちゃんとしている」ことを気にしているにすぎず

本当は、子どものためではなく

自分の見栄のためだったりするのかもしれない。

「ちゃんとした」親だと思われたくて、
今日も言うのだ、「ちゃんとしなさい」って。

それなのに、子どもは好いてくれる。

例え、「ちゃんとした」誰にでも褒められる親でなくても。

むしろ、子どもから無償の愛を受けていたのだ。

・・・何ということだろう!


縁あって、親になり、

実家以外に「家族」ができ、思うことがある。

「家族」だからこそ、やってはいけないことがある。

それは、特に力関係がでやすい

親と子の間で

親の価値観で、子どもの大事な領域を台無しにすることだ。

「漫画ばかり読んで!」と勝手にものを捨てたり、は

例え良かれと思っても、やりすぎで

心の奥深く、表には見えないところに、

あれだけ親を信じて、好いてくれた、あの子どもの心に

消えない傷をつけてしまう。

関係が良好な時、上手くやるのは難しくはない。

考えが違った時、なにか問題が出た時ほど、

少しでも力のあるものほど、

よほど気を付けないといけない。

親と子でもそうだし、

先生と生徒でもそうだし、

プロと素人でもそういえる。

「説得」といいながら、「うん」と言わざるを得ない状況にしてないかは
細心の注意を払わないといけない

「説得」が、言葉にならないものを飲み込ませて

本当に「納得」して、腑に落ちているとは限らない。

飲み込んだ思いは、小さなチリとなって
心のどこかに積もって

いつか怒りになる。

あれだけ「正しさ」を押し付けられて

「言うことを聞かないと知らない」と脅され

いざ、それが違った時に。


生まれつき、親を嫌って生まれてくる赤ん坊はいない。


家族だからこそ、

家族のように思うからこそ、

そこには、どんな小さな相手に対しても

守るスタンスがあるように思う。


「説得」や「指導」で、意のままにしていないか。

小さなその子ども(もしくは生徒、素人)にも、

大人(もしくは先生、プロ)以上に大きなものがあることを

忘れずにいこうと思います。


誰が何と言おうが、大切な、小さな「誰か」のために

つまらない見栄を蹴とばせる、「大きな人」になれますように!

小さな息子
息子たちよ、色々教えてくれて、ありがとう。とても学ぶことが多い、二十年前後でした。

※次回からは、0のつく日に記事を書こうと思います。10日,20日,30日です。
よろしければ、お付き合いくださいませ。

雲間から見えるもの

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


お弁当を作らなくて良い朝、歩くようにしています。

ダイエットではありません(今さらですし)。

たまには歩かないと、
年々、初詣で神社の階段を上るたび、
寄る年波と、体力の衰えを実感するはめになるからです。

何より、ちょとした気分転換になる!

自分の足で歩いて、風や空気の匂い、
季節の移り変わりが実感できることは、

自分の中の、生き物としての何かが、
悦ぶ感じがします。

きっと私は、散歩中の犬のような表情をしているに違いない。

お外はいいなぁ~!という顔です。

とは言え、肌寒くなってくると
気合がいる。

お布団の温かさに負けそうになる。

それでも、一歩外にでれば、これ!

koubou_202310.jpg

こんなご褒美が待っています。キレ~‼

こんなくっきりした線を見ていたら、
よくイラストで描かれる太陽の線って、

光芒イラスト.jpg

まさしく、これのこと。

実は名前もあって、光芒とか薄明光線とかいうそうです。

太陽のイラストや、日章旗などにも使われます。

太陽の絵というと、
ついつい記号のように
こんな線を書いてしまうけれど

実際には、晴天の真っ青な空では、
光の筋は見えにくく

雲があるから、見える筋だとも言えます。

天使の梯子とも呼ばれる、この光芒。

暗雲あってこその、光だというのは
何だか、励まされるような
ありがたい気持ちになります。

暗闇だから、小さな光にも気が付く。

夜だから、星の光にも気が付く。

どんな闇にも
どんな夜にも

いずれ光がさす朝がくることは

本当にありがたいことです。

早起きして、光芒を目にして
なんだか思い出す、『朝ごはんマーチ』の歌。

当然、歩きながら歌いました。

NHKのおかあさんといっしょで、息子より私のツボにハマった歌です。
あきひろお兄さんと、りょうこお姉さんの代!
おふたりの歌が、大好きでした!(私の方が、息子より歌える・・・。『バンジョーのジョー』とか。)

中の人

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


実は、あるご当地キャラクターの「中の人」になったことがあります。

PTAの、九州を挙げての大イベントで、
盛り上げるために「誰か入らないか」というのを

「やるやる!やりたい!」と
前のめりで引き受けた経緯があります。


PTAは苦手なので、もうご勘弁願いたいのですが、

唯一残念なのが
もう「中の人」になれないこと。

あれは、別次元の体験でした。


「中の人」になるには、誰かに手助けしてもらって
着替えないといけません。

下の衣装を履いて、
上半身の中に、えいやっと入って
重い頭や、備品などを着けてもらいます。

動くのも一苦労で
誰かにサポートしてもらわないといけません。

普段あまり汗をかかない質なのですが、
ジンワリ蒸される感じ。

寒い時期に脱ぐと、湯気がでそうな勢い。

実はラクなわけでもない。

それでも楽しい記憶として残っているには
理由がありました。


イベント当日、おおかたの準備も終え、

いよいよ「中の人」になって、来場者を迎える時間です。


会場のロビーで、手を振ったり、
「いらっしゃい」感いっぱいに
ゼスチャーで歓迎していると、

九州各地から集まった来場者さん達が
私を見て、嬉しそうに手を振ってくれます。

笑顔で、握手をしに来てくれたり、
写真を一緒に撮ってくれたりします。

・・・・・なんと。
これはもはや、スターじゃないですか!

「中身は、同じか年上のオバちゃんなんやで~」と
内心思っていても

50年近いわが人生の中で、これほど初対面の人に

もろ手を挙げて喜ばれるなんてことがあっただろうか。(うんにゃ、ない。)

「人気者の皮」は被っているものの、
それは人生初の、存在への喜びであったのです。


あ~、でも!
それはこれを被っているからなのです。

脱いで、素のオバちゃんである私を喜ぶのは、
猫のハチさんとゴマちゃんくらいでしょう。

これを被ってない限りは、こんな状況はあり得ないのです。


その時ふと思ったのは、「なりたい自分」や「ありたい自分」ということでした。


誰かがイイね!といってくれる「姿」や、

ステキ!と思われる「姿」を被っていれば

見ず知らずの人が評価してくれるのはSNSに似ています。


「中の人」と「ステキな姿」が差がないほど、
演じていても苦にはならない。


逆に、
評価してもらいたいばっかりに、
重すぎる「姿」を被れば、

疲弊して当たり前ともいえる。


それでも、「なりたい自分」「ありたい自分」を目指して
高みを目指し続ける生き方もあるでしょう。

誰かに羨望のまなざしで、一目おかれる人になることは

それが名声であれ、何であれ、

自分の存在意義への自信になるかもしれません。


でも、本当は
そんなもの被らなくても

嬉しそうにしてくれる誰かがいてくれたら。
なにも飾らなくても喜んでくれる誰かがいてくれたら。

それが一番なのではないでしょうか。


赤ちゃんや小さい子が、にこにこ笑うと
こちらまで嬉しく、楽しい気持ちになるように、

素のままの自分でいても、
嬉しそうにしてくれる誰かがいれば

重い皮を脱いで、楽になれます。


本当は、安心したいだけなんだと思います。

中の人の私のまま、

この世界にいていいんだ。
存在していいんだという、

絶対的な安心感がほしいだけなんだと思います。



それがまだ見つからなくて、

今日も私は虎の威を借るように

時々「中の人」で体験したことを思い出すのです。


「なりたい自分」「ありたい自分」を背負って
苦しそうな知人もいたりして、

「中の人」になってみたことは、
色々考えさせられる体験でした。


「ありたい自分」の着ぐるみを被ったあなたじゃなくて、

私は本当の「中身」のあなたの声がききたいのだよ。

かおなし_1
その逆のパターンが、この人か。その件については、またいつか。

10/28・29の!【かけこみPhoto】

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


先日、10/28・29開催の完成見学会の会場となる
お家に撮影に伺いました。

実は、もくせい工舎では、見学会のお知らせやチラシが出る時点で、
現地の写真がないことが多いのです。

お家が完成して、広告でお知らせして、
完成見学会当日を迎えるには
数週間以上、引き渡しができません。

その金銭的、時間的なロスをなくし、
ご負担をなるべくかけないためです。
(ただでさえ、見学会のためにご協力いただいてますし・・・。
いつも本当にありがとうございます。)

今回は締め切りまで少し余裕がありましたので、
どんな感じのお家なのか
ちょっと知らせしたいと思います。

もくせい工舎の自然素材の家・外観

今回は、スマートでシンプル。
しゅっとした自然素材の家です。

もくせい工舎の自然素材の家・外観

三和土風土間も、色味が黒っぽく
スタイリッシュです。

もくせい工舎の自然素材の家・外観・軒天

軒天も漆喰仕上げ。

もくせい工舎の自然素材の家・玄関ホール天井

玄関ホールも。

クロスの白のような、きつい感じにならないのは
漆喰の優しい雰囲気だからです。

もくせい工舎の自然素材の家・リビング

リビングの天井も漆喰塗りで、明るめです。

もくせい工舎の自然素材の家・キッチン

いつもは、アールがかかったデザインが多いキッチンの
仕切り壁も、しゅっとまっすぐ。

もくせい工舎の自然素材の家・キッチン・漆喰

職人さん達が、手仕事で仕上げるので
漆喰の凸凹がなんとも、良い雰囲気です。

もくせい工舎の自然素材の家・廊下

漆喰天井と、明かり窓で
廊下が柔らかな光に包まれています。

もくせい工舎の自然素材の家・木の家のお部屋

間仕切りで、フレキシブルに対応できるお部屋。

もくせい工舎の自然素材の家・無垢の木

もくせい工舎では、無垢の木を無塗装で使っています。

それは、お家の呼吸を妨げないため。
自然素材の力を、十分に活かすため。

どうぞ、ツルツルテカテカしていない
自然の木に触れてみてください。

さらさらとした心地よい手ざわりを
気に入ってもらえれば幸いです。

見学会はご予約制となっています。

運動会や行楽など、色々目白押しの時期ではありますが、
運命を変える(?)出会いとなれれば、嬉しいです。

しつこい営業もいたしません。
どうぞご家族で、お気軽にお越しください。

根っこのつながり。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

以前、『美建築ぶらり。竹田ひとり旅 その5という記事を書きました。
投稿時期により、各ページが離れてしまったので、<その5>を開いて、その1から読んでいただくと便利です。

その時に、B・B・C長湯さんの図書館にあったチェンバロのことを
少しだけ紹介させてもらいました。

202304_BBC長湯図書館内

関連記事→『美建築ぶらり。竹田ひとり旅 その4

チェンバロの製作者は、故・松本公博(こうはく)氏。
ヨーロッパの古楽器を、日本の木で作りたくて
山香に移住し、カテリーナ古楽器研究所をひらいたとのこと。

その後、気になって少し調べてみました。
(日本の木で作りたくて・・・ってあたりが、もうツボで。)

そしたら、出てくるわ、出てくるわ!もう、イモヅル式。

「類は友を呼ぶ」ではないけれど、不思議な、
世界観のつながりのようなもの。

それを今回、自分なりにお伝えしていければと思います。

良ければ、お付き合いくださいませ。


とにかく、本当に山香にそんな場所があるのか?

ググってみると、確かにあるんです。カテリーナ古楽器研究所

しかも、HPの雰囲気から、本当に素敵。

知らないだけで、本当に
こんな場所が(しかも、意外と近くに)あったのねぇ~。

もくせい工舎の家がお好きな方は、こんな雰囲気、お好きじゃないかなぁ。

オタマジャクシにも全く疎い私は、音楽のおの字も分からない。

それでも、楽器を作りながら
自然の恵みに敬意を払い、大事に「音」として
受け継いでいこうとしておられるのが
伝わってくるのです。

どんな音楽なのか、CDのようなものが売っているのか
気になるところ。

検索すると出てきたのは、
「カテリーナ古楽器合奏団」と、なぜか『宮崎 駿の雑想ノートⅤ』。

?????

宮崎駿って、あの宮崎駿??(←呼び捨てだけど? )
見ると、ちゃんと演奏がカテリーナ古楽器研究所ならぬ
カテリーナ古楽合奏団。

?????

どう違うの??

研究所は、研究したり、楽器をつくったり?
合奏団は、演奏するときの名前?

私がB・B・C長湯さんで見たチェンバロの製作者は故・松本公博さん。
かたや、合奏団を結成したのは松本雅隆(がりゅう)さん。

実は、ご兄弟で
雅隆さんは、公博さんの弟さんとのこと。

合奏団は、東京立川のロバハウスを拠点に音楽活動をしているようで
「ロバの音楽座」としても活躍されているようです。

・・・というか、もうロバハウスって名前がいい。

そのロバハウス、建物もすごかった!

設計は、村山雄一(たけかず)さん。

なんでもこの方、建築模型を粘土で作るらしい。

雅隆さんが「洞窟や胎内のイメージで」と伝え、
村山雄一さんの手のひらから生まれた
ロバハウスとロバノコハウス。

~~~~~~~~~~~~~~~~‼‼‼

何という愛らしさ!

村山雄一さんは、シュタイナー建築で有名な方らしく、
子ども達のための幼稚園なども手掛けられています。

そのご縁でなのか、公演先で
松本雅隆さんの目に留まったよう。

その幼稚園の建て方も、本当に素敵。


葛飾 東江幼稚園 園舎

子ども達に、極端な刺激を与えないよう、
安心して過ごせるよう、
五感を通して、やわらかな印象の優しい建物となるよう

心をつくしているのが、とてもよく分かります。
(・・・というか、こんな建物に通わせたかった!)

その建築作品も、素敵なものばかり。
ただ、(個人邸や幼稚園に、ずかずか入れないので)遠慮なく見に行けるのはトーベヤンソンあけぼの子どもの森公園や、
気流舎などでしょうか。

それでも、埼玉・・・。それでも、世田谷・・・。
遠い~・・・。
(都市圏に縁がないと、どうやって行くのが賢いのか
それすらピンとこない・・・。)



村山作品のように曲線だらけには、なかなか難しいかもですが

もくせい工舎のお家も、甘木土の壁は
胎内のような、やさしい空間ですよ。

甘木土を用いた漆喰壁の室内

甘木土を用いた漆喰壁

良かったらご検討ください。

・・・それにしても、です。

松本公博さんの手づくりの古楽器、

その古楽器をつかった演奏をするカテリーナ古楽器合奏団、

古楽器や空想楽器で、子ども達に音楽の夢を運ぶロバの音楽座、

粘土をつかって、手のひらから生まれたような
村山雄一さん設計のロバハウス、

そして藤森照信さんの建築・・・。


どこか人の手仕事を感じるような、

土のにおいがするような、

そういった方々と、不思議とセットで?
一緒に名前が出てくる宮崎駿さん。


竹田に美建築を見に行って、

松本公博さんのチェンバロに出会ったり。

そこから、ロバの音楽座や村山雄一さんの作品を知ったり・・・。

これも間接的ではあるけれど、何かのご縁なんでしょうか。


「有由有縁」

川端康成のその言葉を、座右の銘にしているのは、元竹田市長の首藤勝次さん。
(B・B・C長湯を運営する大丸旅館の5代目経営者であり、藤森照信さんにラムネ温泉の建物を依頼した観光カリスマ)

出会う縁、その由縁が違えば

もしかしたら、村山雄一さんの手によるラムネ温泉館なんていうのも
あったのかもしれない。

それも見てみたかったかな~とも思いますが、
これも縁あってのこと。


それでも、藤森照信さんの作品を気に入った方なら
きっと、冷たい無機質な建物にはしなかったのではないかと
勝手に想像しています。


生き物としての人間と、【自然】の根本的な
つながりのようなもの。

それを大事にした、生き方、暮らし方、つくり方。


人の手の仕事を感じる、土の感触を感じる建物は

目には見えないけれど

きっと
人間の根っこにとって、大事な仕事をしているに違いない。


色々なご縁のつながりを垣間見て、
そう実感しました。

例え、ちょっとした小さな旅でも、
そのもたらすものは大きい。

狭くなりがちな視野を
広げてくれるような気がします。

それを言い訳に、また旅に出て
皆さんにご報告出来たらと思います。


よーやく導入!

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


2023_彼岸花
お彼岸をすぎて、ようやく少し秋らしくなってきましたね~。

よ~やく、といえば

10月の終わりに、宇佐市にて
完成見学会を開催させていただくこととなりました。

2023102829_もくせい工舎の自然素材の家・宇佐の見学会場工事中の外観
工事中の現場(9月の中頃)

そして、今回より

なんと、なんと!もくせい工舎!

よ~やく、予約システムを導入致しました!

拍手~!パチパチパチ...‼


どういうものか具体的には、公開を待っていただくとして

簡単に言えば、予約の空き状況が分かりやすくなりました!

美容室のネット予約みたいに、
空きの時間が分かるので、

この時間がダメなら、ここで良いかな?と
選べる感じになります。

これは、ありがたい。

私などは、電話が苦手なので
美容室の予約ですら、かなり緊張します。

ましてや「●月▲日、★時~」と伝えて

「あ~、あいにく他の予約が・・・・。」

となると、若干テンションが下がる・・・。
ちょっとだけ、しょんぼりする。

少々、出鼻をくじかれた感じがする。

そうなると、
いつなら空いているかで
さらに要調整となってしまうし

残りの選択肢が分からないので
先方の提示するものしか選べなくなってしまう。

「よし、予約するぜ!」の勢いが半減?する気がするのです。
(どれだけ、意を決して予約しとるの⁉、ですが。)


その点、空き状況が分かれば、
自分の都合に合わせて、いくらでも考えに合わせられます。

今度の予約システムだと、
実はもくせい工舎側も対応が楽になり、
おまけに事前の確認メールまで送付できる。

もくせい工舎は、基本夫婦ふたりの経営で、

やっていることの中身は
大手の気合なので

あれもこれも手動のアナログでは
限界もあるでしょう。

事前に、「明日お待ちしています」とお知らせするのは
機械だからこそ正確で

任せられることは、任せて

人間:永家夫妻にしかできないことに
集中してもらえると思います。

何より、お客様にとっても
その方が、きっと気楽で便利なのではないでしょうか。。

下準備は整っていますので、
実装完了したら、公開の運びとなると思います。

それまで、どうぞお楽しみに。

2023_稲穂
黄金の国ジパングって、稲穂のことか?と思えるくらい、黄金色!朝日を浴びてキラキラしとります。

どうぞ、実り多い【出会いの秋】となりますように!

「よーやく導入!」続きを読む

自分たちには建てれないと思っていた

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


「家を建てたい」

そう思ってから、実際に【わが家】を建てたのは
10年後でした。

迷っていたわけでなく、
「自分たちには無理なんだ。建てれないんだ。」と
諦めていたのです。

見栄を張っては通じないので、恥をさらすと

(家族の、知らなかった)借金 by ギャンブル
(それを誤魔化そうとした挙句の)詐欺被害金
■義実家建て替えの連帯保証

などなど、数百万。

頭金どころかの話だったのです。

絶望というより、望むとつらい。
だから、考えないようにしていました。
淡々と、目の前の暮らしを送ることに
専念していたのです。

では、なぜ今
家を建てて、住んでいるのか。

それは、他人様(この場合は永家さん夫婦)の知恵を借りたからです。

悩んだり、行き詰ったり。

今現在の自分だけの、知識や力じゃ
どうしようもない時、

できるだけの努力はしても、
ちっとも前に進まない時、

人は悩んだり、行き詰ったりする。

どんなに知識・経験が豊富な人でも
世界の全てを知っているわけではない。

人間は、(当たり前のようですが)やっぱり
その人が「知っている範囲の事」しか知らないのです。

だから、本を読んだり、
「他の人」と話をして、

初めて
違う道のあることを
知るのだと思います。

先日、永家Tさんと話していて、
意外にも「自分たちには無理だ」と思っていた方の多さに驚きました。

ド~ンと現金で払える方はともかく、

こんなご時世で、未来に何も保証がないのに

「自分たちに建てれるか」の不安は誰しもあると思うのです。

ただ、
「何も望まない」「何も見ない」で
心に蓋をするのは

もう、やめにしませんか?

とりあえず、恥をかいても
聞いてみればいい。

他の人に、知恵を借りてみればいい。

お金はともかく、
知恵は借りても、返す必要はありません。

聞いて、「あ~。無理です。」と言われて
恥ずかしい思いを、したくないかもしれない。

でも、聞かずに
私のように10年を
心に蓋をしたまま過ごすのなんて

本~当にもったいない!

ちょっとの恥を我慢して

次に進むか
別の道を行くか

いくらでも方法はあったのに!


以前、吉野 弘さんの詩について
書いた記事があります。
(なぜか、ワンピースのルフィを引き合いにして・・・)

不完全なワケ

私たちが「不完全」なのは、
他者を必要とするためである。

吉野さんの『生命は』という詩は、
それを教えてくれています。

花とミツバチ
(花もハチという他者を必要とする)

心に蓋ばかりして生きていると、
子ども達に諦めることしか教えてあげれない。

「道が分からなければ、誰かにききなさい。」

それは、大人になっても言えることなんだと
思います。

自分の歩いた道が、
自分の人生になるなら、

選べないことはともかく、

どんな景色がみたいですか。

どんな顔をして歩いていきたいですか。

時々、私自身も思い出してみたいと思います。

不完全な、一人のワタシとして。


どうぞ、皆様に良いご縁がありますように。

永家夫妻の掘り出し方

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


いきなり変なタイトルですが・・・。

永家さんたち(の、書いた記事)が埋もれておるのです。

今回は、永家夫妻(の、書いた記事)掘り出し大作戦。
肝心かなめの記事たちに光を当てねば!というお話です。

ところで、
(今さらですが)「ブログとは、なんぞや?」

改めて調べると、WebにLogする。縮めて、blog。

ウェブページ(Web)上に載せる、出来事などの時系列の記録(Log)のようです。

個人だと、その人の日常や思想といったものを時系列で書いたり。

企業だと、その目的として

■ (専門)知識の共有→信頼性向上!
■ 顧客との関連強化→ファンを増やす!
■ SEO効果→検索上位にする!
■ 企業イメージの向上→どんな会社か印象づける!
■ マーケティング効果→売上につなげる!

・・・でしょうか。

・・・こう書くと、うさんくさいでしょ?

なんか、うまいこと騙されそうな感じがして、
身構えるのは私だけでしょうか?

でも、よくよく考えると、お客側にとっても大事なこと。

■ ちゃんと、プロとして信頼できるか。
■ 人として信頼できるか。
■ そもそも検索して上位に来ないと、(どんなに良くても)知ることができない。
■ どんな感じの会社か分かる。
■ これなら、見てみたい。なんなら買いたい。そのきっかけになる。

と、いうことだと思います。(ざっくり言えば・・・)


さて、そのブログですが
なかなか、永家さん夫婦が書く時間がない。
(家づくりで走り回ってます。優先順位で、ブログ書きが一番にならないの意。)

こうして、私も記事を書かせてもらっていますが、

実際の所、永家さんたちがどんな感じの人か分からないと意味がない。
(実際にお会いするのは、ブログを書いてる私たちではないし、
「良い人なんです~」と言われてそのまま鵜呑みにもしないでしょうから。)

ブログから、永家さん夫妻の
本来の人となりや
目線・考え方が、埋もれている。

これは、マズい。とても良い状態とは言えない。


・・・と、申しますのも
私自身が、どこで建てるか迷っていた時、

もくせい工舎のブログを見て、「ここなら大丈夫かも?」と
(半分)判断したからでした。


私は、

広告を見て気になって

サイトでどんな会社か調べて

他と比較して

実際に見学会に行って、決めました。


サイトを見た時に、事細かに「自然素材」について書いてある。

その熱量が、他の「自然素材の家」を謳う会社と違って見えたこと。

あと、何より、永家さん夫婦のブログ記事の「目線」「見ていること」。

これは、とりあえず「自然素材って言っとけば売れるかも?」の工務店ではない。
本当に自然に興味のある人なのかな、と思ったからでした。

「自然素材」を謳いながら、「自然」や「自然なこと」に関心がない工務店だってある。

だから、決して
そんな「とりあえず的」自然素材の家じゃないのに、

当のご本人たちが、どんな目線・考え方を持っているか

今のブログから、分かりにくくなってるのは、
ちょっと残念なのです。

だから、ここで改めて、
永家さん達ってこんな感じ。を掘り出したい。

スマホで見ていただいている方が多いかと思いますので、
掘り出し方?をお伝えします。(分かってるよ~って方は、すっ飛ばしてくださいませ。)


もくせい工舎のウェブサイトを開いてもらうと、

こんな感じの画面になるかと思います。

ブログ_ホーム画面

(そりゃもう、かわいそうなくらい?)下の方にブログ一覧が出てきます。

ブログ_ホーム画面下

ブログ記事画面

ブログ記事画面下

ブログサイトマップ画面

■代表:永家正光さん→owner

■相方:永家隆美さん→staff

ちなみにdiaryの割とはじめの方は、隆美さんです。

staff2の 八面山の記事からは、私こと「ことりの母さん」が書かせていただいています。

私の筆が遅すぎて、SEO的にアウトなので
staff3さんも記事を書いてくださっています。(ありがとうございます。)


ブログの元々の意味が、日常の記録なのだとしたら、

工事現場の記録とか、
地鎮祭とか、
各種イベント等を載せるのが、正道なのかもしれない。

ただ、見る側からしたら
なんだか似たよ~うな、区別のつかない
どこかの工事報告や

誰かのイベント等を

そう何度も見る必要はない気もする。
(とは言え、現場写真などは
目が肥えてくると?
他社の構造と、もくせい工舎の構造の違いが分かったりする・・・。)

お客さんが、本当に知りたいのは

プロとして信用できるか
人として信用できるか
任せても大丈夫か

ではないでしょうか。

その核心を突くのが、ブログであると思うのです。

メリット、デメリットも、もちろん大事だけど
損得以上に
家づくりは、ヒト対ヒト。

どんなにメリットが多くても
相性の良し悪しだってあります。

そればかりは、誰にもわからない。
(条件と相性が別なのは、結婚とか就職でも言えるように。)


私の知っていることが、世の中の全てじゃない。
知らないことも多い。

それでも、もし言えるとすれば、

大分県北近隣で、
産直的な方法で
本当に、本当に、自然素材にこだわった家をつくるところを

私は、もくせい工舎以外知らない。



良かったら、埋もれちゃってますけど、
永家さんたちが書いた
過去の記事、読んでみてくださいませ。

こんな感じ、嫌いじゃないな~と思ったら
幸いです。

もくせい工舎かどうかはともかく、

皆さまに、どうぞ良いご縁がありますように!


■代表:永家正光さん→owner
■相方:永家隆美さん→staff

ヌチドゥ、タカラ (いのちこそ、たから)

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


豊後高田市の玉津東天紅という小さな映画館に、
映画を見に行きました。

いつか行ってみたい映画館であったのですが、
なかなかご縁がなく。

今回、ようやく足を運べることとなりました。

見に行ったのは、『丸木位里 丸木俊 沖縄戦の図 全14部』という作品です。
(~8/16まで上映。13:30~。今回そのために、少し早めに記事を書いています。)

8/6の広島の原爆の日から、8/15終戦記念日のあたりで
大分県内の各ミニシアターで、先の戦争に関する映画が多く上映されているようで、
気になっていた作品もあり、どうしようかと迷っていたのでした。

最近YouTubeなどで、外国の方々が広島の平和記念資料館を訪れる動画が出てきて、
日本にいながら、私は何やっとんのかな?
と、ちょっと恥ずかしくなってしまったのです。

中でも『ひろしま』という作品は、数年前テレビ放映され、
録画しているにもかかわらず、見れていません。


『ひろしま』は原爆投下から8年後、
実際に原爆を経験した方たちがエキストラとして参加し、公開された映画です。

きのこ雲の下で、あの時何が起こっていたのかを伝える『ひろしま』。

実は、未だに録画を見れていません。

被爆した小さな男の子が、真夏だというのに
寒さでガチガチと震えるシーンがあるのですが

その子が、うちの次男坊の小さいころにそっくりで
怖くて、怖くて、見れないのです。
(映画館ならお金も払うし、向き合ってちゃんと見るかも?と思ったのですが
やっぱり無理だった・・・。)

情けないかな。私は、教科書で知る範囲に毛が生えた程度しか
沖縄戦のことも知らない。

だから、あの丸木位里、俊夫妻の目を通してみた
沖縄を、ちょっと見に行ってみようと思ったのでした。

丸木位里・俊夫妻の名は覚えていなくても、
絵は、見たことがある方が多いと思います。

私は、小学生のころ見た『ひろしまのピカ』という絵本の印象が強烈で
名前もよく記憶しないまま、
とにかく、こわい感じの絵!とだけ覚えていたのです。
(子どもの感想なので、こんなものです。しかも、私だし。)


絵に関しても、先の戦争に関しても、
知識のない私が、特に話せる内容などないのですが、
特に心に残った点が数点ありました。

中でも、読谷村の2つのガマの命運は考えさせられました。

読谷村に、米軍が上陸した時、
住民は二手に別れ、逃げました。

チビチリガマと、シムクガマです。

チビチリガマでは、集団自決(日本軍による強制集団死)
かたや、千人近くが生き残ったシムクガマ。

同じ集落の命運を分けたキーになるのは、

日本軍が同行していたか、
英語で交渉できる人間がいたか

たったそれだけでした。

あれ?なんで日本を守る日本軍と一緒にいて、
そちらが壊滅的な結果になるの?

そう思いたくなる。

しかし、沖縄で起こった実際は、そうじゃない。

日本を守るはずの日本軍に追い出されたり、
殺されたり、自決を強いられたり。

シムクガマには日本軍が同行していなかったうえ、
ハワイ移民帰りだった男性2人がいた。

いよいよアメリカ軍に殺されるとパニックになる住民に、
「アメリカは民間人には手を出さないと言っている」と伝え、
アメリカ軍と交渉したとのことでした。

ここに日本軍が同行していたら、こうはならなかったかもしれない。

当時の「正しき日本人」として、死を強制されたかもしれない。

つくづく思う。
誰かの言う、「正しい」って何なんだろう。


丸木位里、俊さん作の絵本に
『おきなわ 島のこえ』 ヌチドゥ タカラ<いのちこそ たから>というものがあります。

絵本では、つるちゃんのお母さんのセリフとして出てくる言葉。

「ワラビンチャー、ヒンギリヨー。
(こどもたちよ、にげなさい)
ヌチドゥ、タカラ」
(いのちこそ、たから)

映画の中では、強制集団死で
愛する身内に手をかけざるをえなかった少年が

日本軍による命令で、凄惨な殺し合いの中、
自分のお母さんが発した言葉としてでてきたように記憶しています。
(違っていたらスミマセン。)

(死ぬのはいつでもできる。)
こどもたちよ、にげなさい。

いのちこそ、たから」


何かの「正しさ」を強制されそうな時。

空気を読んで、従わねばならぬように思う時。

そこに「否」をつきつける誰かがいる。

それで助かる命がある。


人間が、人間として生まれ、
次の人間を育てること以上に
大切な役目などない。

それは、産み育てるだけでなく、

血のつながりのあるなしに拘わらず、

守り、育み、次につなげていくことでもある。

誰かの親になるとかだけでなく、

後から来る子ども達のために
スクスク生きやすい世界をつくることでもある。

残念ながら、そうでない時、
勇気を出して、私は言えるだろうか?

「こどもたちよ、にげなさい。
いのちこそ、たからなんだから」と。

戦時中でもない、今の世で
子ども達が(あるいは、かつて子どもだった大人たちが)、何かに強いられるように
命を絶ってしまう

その「正しさ」[こうあるべき」は、平和なこの時代にも
あるんじゃないか。

そう考えてしまいました。

今はまだ夢の夢でも

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


(書いたものが地層に埋もれ気味な、当ブログのシステム的なことや、私の年齢的なこと等もあり、
過去に書いた記事と一部重複することがあります。その点、ご容赦いただければ嬉しいです。
それでも、個人的に大切だと思うことは、今後も繰り返し取り上げると思います。
よろしくお願いいたします。さて、本編です↓)

「家を建てたいな」と漠然と思っていても、
今はまだ夢の夢だなと思う時期ってあると思うんです。

それは経済的な理由だったり、
なかなかピンとくるものがない、
諸事情でそれが簡単でない、などなど。
(ちなみに私は、最初に思ってから10年かかりました・・・。)

良い風が吹かなければ、飛び立てない。
飛び立つ気にならないのは、自然なことです。

そういった二進も三進も(にっちもさっちも)いかない時
どうするか。

選べるのは、その時の「態度と行動」くらいかもしれません。

(ちなみに二進も三進もは、そろばん用語が元らしく。
2÷2,3÷3のように、割り切れない状態のことみたいです。)


飛び立てないこと、動けないことを嘆いて

「できないこと」ばかりに夢中になると、

いつの間にか
本当に動けなくなってしまう。

繰り返し思うことで
その考えやイメージが固定されて

いつの間にか
「何をやっても、うまくいかない」
「どうせ、できない」なんて

つまらないレッテルをわが身に貼ることになりかねない。
(実はこの自己暗示が一番怖い。)

今は、できないだけかもしれないし、

例え、それが叶わなくても
叶わないから不幸になるわけでもなんでもない。

叶えばそれが日常になります。
叶えば、失う心配もあります。

叶わないことや、持たないことが、
自由や、身軽さだとも言えます。

(和訳で↓)
幸せな人生、
幸せな家、
○○ホ~ム♪

みたいに、何かを手に入れさえすればOKとはいかない。

夢のマイホームを手に入れたら、
続くのは現実的な日常です。

だから、叶う叶わないより、
少しでも「今」ご機嫌でいることの方が、よっぽどハッピーライフを満喫できます。

ただ、夢のまた夢の、夢の間にいる【今】こそ、できることがある。

(以下、あくまで私個人の考えとしてです。)
■住みたい地域のハザードマップを確認しておく

地滑りや浸水の心配がないか。
大雨の時など、(今は住んでいなくても)付近を流れる河川情報も調べてみる。

色々な地域の防災情報を頭に入れておくと、
いざここ!という土地が見つかった時、
決断が的確になります。

お子さまがいらっしゃるときは、通学路も大事です。

■住みたい土地のゴミ集積場、共有スペースがきれいか見ておく

ゴミの出し方って、配慮なので。共有スペースがきれいかも、わりとポイントになります。

田舎ほど、近隣との関りは濃いめになります。
近所の掃除や出事なども多々ありますが、
みんなが使う場所をきれいにしているかで
モラルが垣間見えます。

それと、私は青々した風景が大好きなのですが、
田んぼに囲まれると、時期により消毒や、刈り入れ後の焼き畑等あります。

田んぼの青々した匂いには、そういったこともセットなんだと
後で自覚しました・・・。
(これでも、半都会育ちなので、全く考えず。住んだ後、そりゃそうだ!と気づく。)

■家のここだけは外せないポイントを洗い出しておく。無理な場合の代替案も考えておく

■木や花が好きなら、何を植えるか考えておく

これ、私自身の反省なのですが
太陽に向かって咲く花を、敷地の南側に植えたら
花の後ろ頭ばかり見る羽目になりました。
(花が咲いた後で気が付いた・・・。)

敷地の北側=影と思い込んでいたのですが、
建物などの影が邪魔しなければ、植物に陽は当たります。
(考えれば当たり前なのに、花が咲いた後で気が付いた・・・。)

関連記事はこちら→ 「まずは、おちつけ。」

もし、家をまた建てる機会でもあれば(すごい低確率ですが。)
キッチンに北向きの窓をつけて
花や木々を愛でながら洗い物をしたいです。(すごい低確率ですが。)

もくせい工舎で庭をてがけるのは、日田の実意園さん。

わが家の庭をお願いするときに、当時調べていた範囲で
家のこの辺に、こんな樹木・・・と具体的に
図で書いて渡しました。

当時は今よりも更に知識がなかったので、
今なら植えない木もあるのですが、
(シマトネリコとか、常緑のヤマボウシとか・・・。)

具体的に、樹木の種類を上げることで
親方のはっちゃんさんにイメージが伝わりやすかったみたいで、

わりと考えに近い木を選んでもらえたり、
ツリバナやコマユミなんて当時は知らなかったのですが

気に入るのでは?と入れてもらえもしました。

家づくりもそうですが、こんな感じということを
伝えても、すべてが叶うことは多くないです。
(湯水のように予算があれば別です。私などは、空間や建物が好きすぎるので、
本当に理想通りにしようとすると、ガウディみたいになってしまう。永遠に終わらん、です。)

それでも、伝えることすら諦めると
施主側ではなく、施工する側の好みに近くなる。

イングリッシュガーデンのようにしたいのか
日本庭園っぽくしたいのか、
雑木林のように自然な庭にしたいのか。

具体的に考えておけば、その後も
自分たちで庭を育てていくときの指針になります。


そして何よりも

■たくさん、見比べておく

急がせる業者は、パスして、
とにかく見る目を鍛えておく。

これが肝心です。

家の質と値段のバランスはもちろん、
何か困った時に、頼れる感じか、
その余裕があるかも大事です。(時間的、精神的なことも含めて)


夢のまた夢と嘆くなかれ。

夢みれる【今】だから、妄想する自由も、
時間的な自由もあるのです。

具体的にイメージする【力】を養うことが大事です。

そうすれば、いざ話が進みだしても、
芯がぶれずにすみます。

家を建てても建てなくても
ハッピーライフにはなれます。


どう転んだとしても、

夢を描けるうちに、今できることは

何を大切に暮らしていきたいか

それを具体的に考えることです。

日々、何を大切に暮らしていくか。

その積み重ねが、生きるということなら、

家族と暮らす家は、その舞台でもあるということです。


もくせい工舎とご縁があるかはともかく、
家を建てるって一大事。

焦らす、でもアンテナは張っておきましょう!

どうぞ良いご縁がありますように!
応援しています!

そうそう!
近々構造見学会も開催されます。

大雨の影響で、一週間遅れとなりましたが、
良かったら♪

8/5・6 宇佐市構造見学会

あ!あと泥だんごもね!お子さまと遊びに来てください♪

8/20 光る泥だんご作りとしっくいの塗り壁体験

〇〇7 住宅展示場より愛をこめて

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


先日、とある住宅展示場で
一日限り、夕方から
《超自由見学会》なるのものが開催されると知り、
ちょっと出かけてみました。

予約なし、セールストークなし、アンケートなし。

セールストークNGのタグを下げていれば、
余計な営業を心配せずに
誰でも自由に見ることができる。

わが家は、持ち家ですし、2軒目などは夢の又夢。
それでも、今どきの住宅展示場に行ってみる良い機会。
(エラそうに言ってますが、ただの興味本位です。)

○○7ならぬ、スパイのような気持ちで
家族に無理を言って
単身大分に向かったのでした。

中央の受付で、一応名前などを書き
(住所名前も書かないで良いかと思っていたのですが、中央受付では必要だったみたい)
赤いNGタグをもらい首から下げました。

資料請求などすれば、Amazonギフト券1000円分がその場でプレゼント。
大いに心が揺れたのですが、一応スパイ(?)なので遠慮しました。

全部で13社。錚々たる有名メーカーばかり。

その中で特に見たいと思うところから見て、
追々時間の許す範囲で見て回ることにしました。
(結局、後半駆け足で全部見れた)

残念ながら写真不可だったので、「たぶん、あの住宅展示場かな?」というところの
公式サイトをご覧になって、
一緒に行ったような気持ちで、ご想像をお願いします。

個人的に印象に残ったのは、13社中、3社でした。

私的ランキングでは
1位・・・・ 藤〇建設さん
2位・・・・S△K△Iさん
3位・・・・谷Ⅲ建設さん
(2位、3位は、ほぼ差がありません。字を一部変えておりますので、ご想像ください。)

一番最初に見たのが、S△K△Iさん。

外壁の黒板にでかでかと
「無添加住宅」とあり、体に悪いものは使わないとのことでした。

外に、無添加住宅専用の漆喰の袋も置いてありました。

入ると、わりと空気は良いような。

漆喰、なのですが
もくせい工舎のそれとは、ちょっと違う感じ。

輝度が高く(白が眩しすぎる)、質感も珪藻土と水紙を足した感じ。

原田左研の漆喰の方が、気孔が多そうな印象。

可愛くて「おしゃれ、おしゃれ」なデザインのお家でした。
(私にはちょっと、気後れする感じで・・・。)

谷Ⅲ建設さんは、どこかの社長さんか
大物政治家か?といった感じの家。

それでも、木の使い方、空間の扱い方は、とてもセンスが良く、
漆喰や無添加といった(自然素材押しの)セールスポイントなしの中でも、

清々しい「木」を感じる家づくりでした。

13社中、その3社以外は、
残念ながら印象に残らなかったのです。
(個人的な好みも多々あります。すみません・・・。)

会社名を言われても、その中身の違いを思い出せない。

どれも高級マンションや、高級ホテルのようで、
ワイングラス片手に、パーティーするような、

ホームシアターで、大型犬と
革張りのソファでくつろぐような、

とにかく、そこに、「この私」が生活している景色が全く浮かばず。

すごいな、ゴージャスだなとは思うものの、
住みたいとは思わず・・・。
(私、屋上にジャグジーとか要らん・・・。)

見てると、さっき行った所と
何が違うかも区別できず、

なぜかだんだん、ぐるぐるしてきて
気持ち悪くなる始末。

湿気の多い日で、外で休むにもスッキリせず。

この気持ちの悪さが、もしかしたらなくなるんでは?と
一回見たのに、再び藤〇建設さんの家に駆け込んだのでした。

・・・・わ~、なんか全然他と違う。

さっきも応対してくれた女性が
「あれ?どうしました?」と声をかけてくれたので

「・・・いや、なんか見てたら
ちょっと気持ち悪くなって・・・。

なんか似たり寄ったりで・・・。」
って言った途端、爆笑されました。

「あ~、なんか分かる気がします!
そうですよね、うんうん!」

年齢も近そうな感じで、その方自身も、藤〇建設で家を建てたとのこと。

シレっと見学者のフリはしてますが、
私も木の家は好きなので、ちょっと話が合う感じだったのです。

その方も「こういう家って、なんかいいんですよねぇ。
それが何かってうまく言えないんですけど。」

そう、なんかうまく言えないけど
自然素材の家って、なんかいい。

口先とか情報とかデザインとか表面のこと以上に、
腑というか、内臓感覚というか、
動物的感覚で良い感じ。

かたや、私的印象に残らなかった家と共通していることがありました。

1,家が広すぎる上、間取りが複雑すぎる
2.インテリア含め、ゴージャスが過ぎる

もう一つ、

3.入った瞬間から、ガンガン空調が効いてて、
なぜかアロマディフューザーのような香りがする
(ドアが開いた途端、冷気の壁があるような。藤〇建設さん等は、ふんわり低い温度を感じる。)

こだわりの度合いはともかく、自然素材に力を入れている家は
人工的な「快適」の香りがしない。

木の匂いと、珪藻土や漆喰の土物の、
健やかな、自然な匂いがする。
落ち着くのです

最後はフラフラになりましたが
13社中、群を抜いて良かったのは、
私的には藤〇建設さん。

ヒノキの床、珪藻土、
何より羨ましかったのが作り付けのキッチン。

「LIXILとかも使いますよ~。」とのことでしたが、
モデルハウスなので当然、豪華仕様。

・・・何でやろ?さっきのゴージャスな家々見ても
ちっとも羨ましくなかったのに、
なんだこのキッチンの羨ましさは!

私、ここで料理したいよ?
(作るものは、ショボいけど。)

洗面台の名古屋タイルなんかも、良かった。
初めて知りました。

お風呂の壁が総ヒノキなのも、羨ましかった。

何より良かったのが、
【月日の経った家の写真展】。

実際に暮らす、お施主様のお家のその後を見れる。

時間が【家を熟成させる】のは、本物の自然素材だからです。

その暮らしぶりが、これまた自然体で、
あぁ、こんなライフスタイルいいなぁと思わせる企画でした。
(お施主様との信頼関係や、その後の経過が良くないと、
まず、できない企画だと思います。

また、一番驚いたのが、建売?かは不明ですが、
営業マンが常駐せず、OB客さんが応対するということ。

会社関係の人間がいると、OB様も、訪問客様も、
本当のところって、話がしにくいですよね。実際は・・・。
その点、すごいな~と。良く言われても悪く言われても、それはそれというのが。

そういうのを、本当の意味で【自信】っていうのだと思います。)

個人的に、珪藻土より漆喰の方が好きなこと、
そしてやっぱり、何もかも整っているので、
お高そうなこと。

外構から、パンフレットから、スタッフから、
申し分ない。

それだけを整えるための費用は、やっぱり家にかかるだろうと思うのです。
それでも、パンフ1冊とっても本当にセンスが良い。

自然素材なのに、ページをめくる度、
ここから違うお家!と
一軒一軒ハッキリ違いが分かるのは
施主の個性を大事にした結果だと言えます。

ただ、やっぱり高そうだなぁ~。

最後に○○7として、感想を言わせてもらえれば、

もくせい工舎ほど、中身にうるさい会社はなかったです。

そして、もくせい工舎ほど、木の香りがする家もなかったです。

もくせい工舎には、住宅展示場も、
そこに常駐するスタッフもありません。

もくせい工舎は、ローコストが売りの家ではありませんが、

その点で、良い家を、お得に手に入れられると思います。

どこのメーカーも、断熱材や防蟻剤、化学ボンドまで使わないなんて
そこまでうるさくなかった。

つまり、そこまでのことをやってる
ちっちゃな工務店だということです。

住宅展示場で、いつでも見れません。
愛想のよいイケメンの若手営業マンもおりません。

ちょこちょこ開催する見学会か、OB様邸ご案内で
ご覧いただけます。

良かったら、小さな工務店の
大きいこだわりっぷりを見に来てください。

色々見て、比較して、
お財布と相談して、本当に自分たちの家に必要なものは何か

じっくり考えてみることが大事だと思います。

色々見るって大事。勉強になりました。

他から刺激を受けることがなくなったら、
良くも悪くも何も変わらない。

どんなに自信があっても
人間だもの。
完璧なものなんてない。

「足りない部分は、きっと伸びしろなんだ~」と
住宅展示場で愛を叫ぶわけです。

私を含めた、この世界の何やかんやに。

個と公と、自然なもの

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


中高年の仲間入りをし、お弁当を作らなくて良い日は
自称ウォーキングに行きます。

「あれ?○○さん、お散歩?」などど言われますが
本人は運動のつもり。

都市部に行くと、ランニングやウオーキングをする人を
よく見るし、みんなカッコいい。

「体調管理、体型管理もスキルの一つですよ」的な、
デキル人感が漂います。

わたし:「なんで、そんな風に見えんのやろう?体型?顔?田舎やから?」

せがれ①:「・・・お母さん、(それもあるけど)絶対、その格好よ。」

近所のポストに行くような格好じゃ、ダメだってことでした。

だって洗濯物増やしたくないじゃん!
(↑このせこい考えが、もう致命的。)

それはともかく、歩きながら建物や風景をよく見る私。

この頃、新築のお家に、黒い外壁にウッド調(←ウッド"調"であって木ではない。)の組み合わせが多いような気がします。

「スタイリッシュ!ではあるけれど、
汚れが目立たんように、かなぁ~」

一般的に、家は建てて、10年もすれば
壁の塗り替えを考えなければいけません。
(家のローンもまだなのに、さらに大金がいる。)

気にしなければ、Okなのでしょうが
新建材の家の外壁は、雨だれのような、
カビのような、黒ずんだ緑色の汚れが目立ち始めるので
気になる方も多い。

その理由か、それとも流行りだからか。

歩いてると、(特に新しい造成地の一角などが)
黒い家だらけ!ってことがあってビックリします。

一軒、一軒はスタイリッシュでも
こうも黒い家ばかり集まると、
ちょっとギョッとする。

さもありなん。
よほどの美観地区でもなければ、
個人が街並みのことまで考えて、家を建てません。

自分たちの家なので、当然自分たちの都合の良い家を建てる。

個が強すぎて、公の街並みとしてガチャガチャした感じになるのは
仕方がないことなんでしょうか。

かたや、先の完成見学会の会場・蛎瀬口。

その昔、中津城の城下町の入り口だった場所に近く、
そのため、会場までの通りには
古き良き町屋の風景が続いていました。

新建材なんてなかった昔の家は、もれなく自然素材の家。
(「自然素材の家」であることが、何のアピールにもならない時代。
それで考えると、今は「自然でない家」が多いってことですかね???)

無垢の木が当たり前ですし、紙や漆喰、土壁など、
家じゅうの全てが、自然なものからできていました。

だから、一軒一軒違うのに、
違和感がなく、美しい。

私たちが家を考える時、
建てる「その家」のことしか考えません。
それが普通です。

一方で、もっと引いて、俯瞰的に考えると

ポツンと一軒家でもなければ、

家の一つずつのつながりが、街並みになります。

個が集まれば、公になる。

つまり、公の美しさは、
個による。

一人の音の美しさが
集まって、和音となる感じでしょうか。

小京都と呼ばれる昔ながらの街並みや、
ヨーロッパの美しい街並みも、

一軒一軒、形が違い、住む人の好みが違っても、
自然素材が、うまい具合に
調和させている例だと言えます。

個としてのありかたが、全体的な
風景の美しさにつながっているのです。


昔、ブログに 【質感】という記事を書きました。

サイディングの壁はデザイン豊富で個性的。

自然素材は、その点、工業製品ほどではありません。

例えるならそれは、ウルトラマン怪獣の塩ビ人形と
ウルトラマンの陶器の人形くらい違う。

試しに【ウルトラマン】とググって見てください。

息子曰く、「最近は、ちょっと個性出てきた」とのことですが
カタチは違っても基本的な配色などは似ているので
怪獣に比べて没個性的です。

だって、ウルトラマンだと一発で分かってもらわないと困るから。

対して【ウルトラマン 怪獣】とググってみてください。

それはもう、あるわ、あるわ個性的!
もう、一個一個違う!
よくこんなに考えたな~と思いますが、

毎週勝つウルトラマンに対し、
怪獣は次々必要なわけで、
先週の怪獣と見分けがつかないようじゃ困るのです。

つまり、怪獣は自己主張無くしては
存在意義が怪しくなってしまう。

存在意義って、「(わたしが)ここに在る意味」です。

それを自分がどう思うかでなく、
他人の評価に委ねると、

「わたしを見て!」「ほら!他より素適でしょ!」と
誰かの「いいね!」を貰わなくてはいけません。

目立たなくてはならない。

それで考えると、自然素材の家って【巣】に近い。

【巣】が目立ったら、命とりです。

自然の風景になじむように、そっと【自然に在る】必要がある。

どちらが好みかは、人それぞれなのでしょうが。

そういえば、水木しげるさんの本に
「木や虫のように死ぬ」という一節がありました。
(↑『人生をいじくり回してはいけない|水木しげる著・ちくま文庫』p120)

戦時中、ラバウルで出会った土の人(原住民)たちは
自分たちを格別エライと思って生きているわけではなくて、

木や虫だとかと同じように生きて、
同じように死んでいく。

土のない所で生きていると
こうせねば、ああせねばとバタバタする。

木や虫のように生きてきたと思ってないから
木や虫のようにアッケラカンと死ねない。

ざっくりですが、そんなことが書いてありました。

自分の存在価値ばかりに気を取られると、
ついつい「生きている意味」なんて考えてしまいますが

本当は、木や虫のように
同じ自然の一部であると芯から分かって

自然体で生きれたら、どんなに気が楽か。
(生きるのがラクかは別だけど)

誰かから「いいね!」されない限り、
自分の存在価値を信じられないのも、しんどいものです。

とは言え、自然も自己主張する。

花の色や香り、
鳥の羽の美しいことも
(ヘイ!そこの彼女)俺を見て!」なんでしょう。
(↑他に言い方はなかったのか?)

それでも、自然の「自己主張」のなんと魅力的なことか!


できたら自然の自己主張を活かして

自然な風景になじむ、自然な家の、

自然な街並みなんかを
この国のあちこちで見れたら
どんなに素敵だろうかと思うのです。
(ロードオブザリングのホビット庄みたいな⁉)

ワタシは、人目を惹く誰かの「いいね!」の家より、
やっぱり
森の中の【巣】のような家に帰りたい。

6/24・25の!【・かけこみPhoto】そして、とびこみの先行見学者さま来る!

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


今週末の6/24・25。見学会が開催される中津市のお家。

昨日、6/24・25の!【かけこみPhoto】と題して
見学会場のお家の雰囲気をお伝えしました。

本日は、外観写真が撮れましたので
こちらも取り急ぎ、【続編】として
アップしたいと思います!
(相変わらずタイトで、誰かが見てくれればラッキーの他力本願です・・・。)

自然素材のもくせい工舎・無垢の木と漆喰の家の完成見学会6/24・25。会場外観
外観。近隣には古き良き町屋の風景が広がる。漆喰が新しくて、できたばかりのお城みたいです。

自然素材のもくせい工舎・無垢の木と漆喰の家の完成見学会6/24・25。庭から会場外観
元々あった石灯籠など、違和感なく映えるのは同じ自然だから。庭の緑が良い感じ。

見学会場で写真を写していると、
ご近所から風鈴の音が聞こえます。

風に吹かれて、チリ~ンと涼しげな音。

町屋の雰囲気にもあって、なんとも風流な気持ちになります。

ご見学中にも、聞こえてくるといいなぁ~。

そして、おまけ。

先行見学者のお客様です。

自然素材のもくせい工舎・無垢の木と漆喰の家の完成見学会6/24・25。猫

自然素材のもくせい工舎・無垢の木と漆喰の家の完成見学会6/24・25。猫

床下の風通しを入念にチェックされていました。

飛び入りの猫さんはともかく、
見学会は予約制となっております。

見学会当日のご連絡やお問い合わせは
直接お電話にてお願いいたします。
(0120327892 もしくは 代表携帯の 09088328253 まで。)

ゆったり気兼ねなくご覧いただけるので、
この際、なんでもご質問ください。

特に自然素材を考えているわけではない方も、
よくあるアパートやお家とはちょっと違う仕様なので、
目からウロコな見学会となれば
シメシメ(?)です。

気に入っていただけると良いなぁ~。

ぜひご覧ください♪
木の家でお待ちしております♪

6/24・25の!【かけこみPhoto】

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


今週末の6/24・25。見学会が開催される中津市のお家に撮影に伺いました。

まだ撮影を残したところもあり、
一部ですが、サクサクサクっとアップして
駆け込みにてお知らせします。

木と土の家ってどんな感じが
少しでも伝わると嬉しいです。

自然素材のもくせい工舎・無垢の木と漆喰の家の完成見学会6/24・25。会場外観
お家の外観。この日は出入りが多く、正面からの撮影は断念。元々あった和風なお庭にもしっくり、良い感じです。
正面は、またいずれ施工実績にてご覧ください。

自然素材のもくせい工舎・無垢の木と漆喰の家の完成見学会6/24・25。リビングを玄関付近から見る
玄関付近から見たリビング。お子さまたちの秘密基地、ロフトもあります。木がふんだん!清涼感のある空気です!

自然素材のもくせい工舎・無垢の木と漆喰の家の完成見学会6/24・25。キッチン側から見たリビング
キッチンから見たリビング。

自然素材のもくせい工舎・無垢の木と漆喰の家の完成見学会6/24・25。キッチンの奥には
ここで、私的にうらやましい空間が、このキッチン奥に。

自然素材のもくせい工舎・無垢の木と漆喰の家の完成見学会6/24・25。家事スペース
ジャ~ン♪こちらは大人の?秘密基地!家事スペース!

自然素材のもくせい工舎・無垢の木と漆喰の家の完成見学会6/24・25。家事スペース内側から
日々雑事に追われることの多いお母さんは、たまには一人になれるスペースって大事!・・・だと個人的に思うのですよ。いいなぁ~。羨ましい~。

自然素材のもくせい工舎・無垢の木と漆喰の家の完成見学会6/24・25。ウッドデッキ
リビングの窓を開けてもらうと、ウッドデッキ。ここですね、よく見ていただきたい。
漆喰壁のエッジの感じ。

自然素材のもくせい工舎・無垢の木と漆喰の家の完成見学会6/24・25。漆喰壁のエッジ
この、鏝の跡。人の手仕事の跡。そして、新建材でも、珪藻土でも、西洋モルタルでも出せないこの質感。
すごいマニアックですが、この絶妙な感じが出せるのは、本物の漆喰で、原田左研さんの仕事だからです。
土っぽいというか、洞穴っぽいというか・・・。あ~、この良さが伝わるだろうか~。(私のつたない技量で・・・)

自然素材のもくせい工舎・無垢の木と漆喰の家の完成見学会6/24・25。埋没型?
これは、初めて見ました。埋没型?インターフォン。こちらも、漆喰が良い感じ。
ジブリっぽい、でこぼこ感といったら良いでしょうか。まっすぐじゃない。

自然素材のもくせい工舎・無垢の木と漆喰の家の完成見学会6/24・25。脱衣場・洗濯スペース
こちらも、撮影しながら散々羨ましがってきたところ。脱衣場兼、洗濯スペースです。広~い!
圧迫感ゼロ!

自然素材のもくせい工舎・無垢の木と漆喰の家の完成見学会6/24・25。ニッチ
こちらも、漆喰と無垢の木の雰囲気が伝わるとうれしい、ニッチです。
漆喰も、陶器も土からできているので、自然な花と映えて、素朴なのに上品です。
素材がよいと、素朴でも、安っぽくならず、温かみもでるので不思議です。

自然素材のもくせい工舎・無垢の木と漆喰の家の完成見学会6/24・25。会場外観
さて、このコはどこにいるでしょう?見学会場で見つけてくださいね♪

老眼と乱視がひどくなってきて、写したつもりで
ピントがずれていることが多くなった今日この頃・・・。

木が好きな方、
自然な家を建てたい方に
ピントがずれながらでも
ピンポイントに伝わるといいなぁ~。

・・・と、願っております。

良かったら、ぜひ見学会へお越しください。

木の家でお待ちしております。

明日・明後日の見学会の!

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


明日・明後日の6/17,18に宇佐市にて行われる完成見学会

そのお家に本日撮影にお邪魔しました。

今からアップして、いったい間に合うのか?ですが、
これをご覧になった方はラッキーといえるかもです。

どうぞご縁がありますように。

のどかな風景広がる小高い丘の上。

こんな所に新しいカフェかな?と思うようなお家でした。

以下サクサクサクっ、と写真上げますね。

2023年6月17日・18日自然素材のもくせい工舎の家完成見学会・会場外観
小高い丘の上っていうのが、また良いですね。

2023年6月17日・18日自然素材のもくせい工舎の家完成見学会・会場外観
どこまでも青々した風景が広がります。

2023年6月17日・18日自然素材のもくせい工舎の家完成見学会・玄関ホール
玄関ホール

2023年6月17日・18日自然素材のもくせい工舎の家完成見学会・リビング
今回のお家はいつもより漆喰少なめ、無垢の木いっぱい。

2023年6月17日・18日自然素材のもくせい工舎の家完成見学会・ウッドデッキから外を眺める
ウッドデッキからの風景。アジサイも桜も見えます。・・・ここで夕暮れにビールなんて飲めたら最高じゃないですか~。


<おまけ>
これは、お施主様にしか見る機会ないかも?なのですが
下の桜の木の近くに、土管がありまして

そこに何故か、マユミの木が植わっておりました。

2023年6月17日・18日自然素材のもくせい工舎の家完成見学会・まゆみの木

かわいい実がついています。

re_IMG_1328.jpg

秋になると赤く色づいて、ますます可愛い木。

楽しみですね。

こちらの見学会はご予約制。

当日の諸連絡は、お電話にてご確認ください。

どうぞ素敵なご縁となりますように。

木の家でお会いしましょう。

「ナントカ目線」で、ひとくくりは。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


かつてPTAで、その場の流れで
市の母親代表みたいな役をやったことがあります。

その折、よく聞いたのが
「母親(ママ)目線」とか「女性目線」という言葉。
天邪鬼な私は、少々苦手な言葉なのです。

いやいや、女性とか
母親だから言うてるんやないわ。

私は、私の考えとして、言うてるんや。

なんで変なカテゴリーでくくろうとするの?

思えば、「母親部」「女性部」なんて
どうして性で分けんといかんのか。
(まずそこから分からなかったんだから
本当に向いてなかったんです。PTA・・・。)

女性だから、母親だから
読み聞かせとか、食育の話でも別室でしてればいいわ
って扱いはとても疑問だったのです。
(圧倒的に男性が多かった各PTA会長の集まる理事会では
読み聞かせも食育も話にほぼ上がらない。
暗にそれは、女性の、母親の役目ってことなのかな?)

本当に良い話なら、読み聞かせだろうが
食育の話だろうが、
父親も、男性も一緒に聞いても良いはず。

目の前の子ども達を育てているのは「同じ」なのに
どうして「役割」で分けるのか。
どうして男女一緒に話さないのか
不思議でたまらなかったのです。

一緒に話すから、違う立場の
違う経験をした人の、
違う意見が聴ける。

違う視点(目線)でものを見れる。

それが相手の立場になる。
思いやれるきっかけになるんだと思います。
(完璧でなくても、ささやかでも。)


ナントカ目線って、実はそういうカテゴリーで分けるものじゃなくて
個人の経験に基づくものなんじゃないだろうか。

主婦目線だって、いっさい家事をやらない人には
わからない。
(例えば、超便利な家電が、絶望的に手入れがしにくい時。
これ設計した人、手入れのことまで考えなかったんかな~と思うので。)

台所という場所一つとっても
どうあってほしいかは
人それぞれ違う。

ひな形におしこめて
想像でひとくくりにはできない。

家族と話しながらが好きな人は対面を望むかもしれないし
キッチン独立型を望む人もいるかもしれない。
(私なんぞは、家族がのんびりしてる中、
広くない台所で、一人黙々と皿洗ってると逃げ出したくなるのです。

次、家を建てることでもあれば、完全独立型にして
音楽をかけながら、庭の緑が見えるとか、
気がまぎれる台所にすると思う。)

母親目線だって、母親にならないと分からない。

これに関してはかなりデリケートですが
子どもを産むということは、ホルモンの関係や状況、個人差もかなりあって
頭で考える以上に、理想通りいかないこともある。

母親になった瞬間に、誰でも聖母になるわけではない。
決してきれいごとじゃない。

それが身に染みて分かったのは
やはり、私なりに経験してきたからです。

同じように言えば
お客様目線とか、患者目線とか、なんでもそうかもしれない。

同じような立場に立って、
恐らく「困った」経験がないと
痛みには添えない。

同じような目線。
同じような考え。
同じような意見。

そこに多様性はないし、
そこから生まれるものにも
多様性はなくなる。

似たようなものばかりできてしまう。
人は、それぞれ違うのに。

違った目線。
違った考え。
違う意見。

多様性を認める社会とよく聞くけれど、

それは
「わたし」を認めてもらうだけでなく
「他者」も私が認める社会のこと。

だから、きっとそこで起こる多少の違和感や
慣れない感じを排除しないでおく

その度量が、「わたし」にも求められる社会。

ひとくくりにできたら、簡単なのに
そういうわけにはいかない。
ままならないことも多々ある社会だと思う。

見方を変えれば、
ままならないということは、
「わがまま」になっていないこと。

独りよがりになっていないこと。

それが自然であり、多様性なんでしょうか。

自然界も、多様性が失われれば
バランスを失う。

人間も、自然の一部なんだから
ひとくくり、みんな一緒の考えなんて
不自然だと思うんです。

つまり何がいいたいかというと

皆がいいね!って言ってるから!より
自分自身が、自分の目線でどう思うか、が大事!だということです。

そして、それぞれの「目線」を大事にしたら
生まれるものにも多様性が出てくる。

それを感じるかどうかも大事だと思います。

そうそう、
ありがたいことに
完成見学会が、2軒も
迫っております。

よかったら見に来ませんか?
(結局、宣伝なんか~い。ですが。)

口コミの百聞より、信じるべきは
「わたし」の一見ですよ。

どうぞ、実際に木の家を見に来てください。

実際にお金払うのも
実際に住むのも
「わたし」たちなんだから

「わたし」目線で、どうしたいかが
大事だと思います。

興味があれば、ぜひ↓

6/17・18 完成見学会 in 宇佐市
6/24・25 完成見学会 in 中津市

木の家でお待ちしています♪

(た)がために

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


こだわりの○○。
△△にこだわった。

そう書くと、ちょっと特別感がでるし
「他とはちょっと違うんですよ」をにおわせることもできる。

へそ曲がりな私は、この言葉があまり好きではなく、
ナントカ他に言いようがないものかと考えてしまう。

なんかちょっとドヤ感というか、
威圧的な感じがしてモヤモヤするのです。

さらにへそ曲がりなことを言わせてもらえば、
こだわりの料理が、必ずしも好みとは限らない。

接客時に嫌な思いをすれば、
例えどんなに美味しくても
二度とその店に行きたいとは思わないでしょう。

つまり、作り手が
どんなに「こだわり」を売りにしても

それを「買ってよかった」と感じるかは

相手の受けた印象と
評価に委ねられるもの。

「こだわって」「頑張って作った」が
必ずしも、高評価につながらない厳しさがあります。


「こだわり」という言葉の意味を調べると
(ざっくりですが)

①ちょっとしたことを必要以上に気にする。気持ちが囚われる。
②妥協せず、とことん追求する
③つかえたり、ひっかかったりする
④ケチをつける

といったところ。

②は近年になって使われることが多くなったようです。


前回、コスパと、お買い得と、目線の違いという記事を書きました。

家を建てるのに、まず安さ優先で考えるか
そもそも家づくりや暮らし方に、憧れや夢があるかで

見に行く先が違うというようなお話をさせてもらいました。


思い入れがあるから、
少しでも、叶えてくれるところを
探している。

色々なハウスメーカーに行っても
なかなかピンとこないというのは、

自分たちの思い入れと、ちょっと違って
腑に落ちないからだと思います。

ようやく、叶えてくれそうな
「こだわり」のある作り手が現れたとしても

ここで勘違いしてはいけないのは

お客さんは、

「作り手がこだわる家」が建てたいんじゃなくて

「自分たちがこだわった家」が建てたいという点。


湯水のようにお金がなければ
妥協しないといけないこともあるでしょう。

大事なのは、
その残念さに、作り手がどう向き合ったか。

それで、その印象は全く違うと思います。

「は?そりゃ、(金)出せるなら
してやるよ?」感満載だったら

夢や憧れがあった分だけ、
ショックも大きい。


初対面で、そういう態度を取られることは論外ですが、

慣れてきても、態度が変わることなく

威圧感がないか。(客を「素人」「分かってない人」扱いしない)
なんでも相談がしやすいか。(くだらないことでも聞きやすいか。馬鹿にしないか。)
その余裕が相手にありそうか。(特に心の余裕。イライラして豹変しないか。)

は、家を見るのと同じくらい大事かもしれません。

金銭的に余裕がないこと。
建築知識がないこと。

それで(何故か引け目を感じて。←それでも大金を払うのに!)なんとなく
(「こっちにしとけば?」「いつかにすれば?」の)おススメされるがままに家を建てて

飲み込んできた言葉が多いと
いざ何かあった時、爆発しかねない。
(不満ほどじゃなくても、当初思い描いていたのと違う残念さ。
もちろん善意でのアドバイスであるけれど、結局自分たちには叶えられなかったという無力感。)


かっこいいことばかり言う男が
かっこいいこと言いながら逃げていくように(何の話?)

いざ「あれ?言ってたことと違うけど?」となっても
責任どころか、
心底謝ってももらえないなんて、良くあることです。
(金額が大きいほど、謝ったらアウトなの?)

プロだろうが、素人だろうが、
同じ目線に立って
一緒に考えてくれそうか。
その余裕があるか。

料理屋さんは一度きりでも、
家は違う。

自分たち(←作り手)の「こだわり」以上に

お客側にも「こだわり」や「夢」があることに
寄り添ってもらえるか。

それが結局は、
作り手へのYesにつながるんじゃないかと思います。

余裕って、大事だ。

いっぱいいっぱいにしないことは、

他人のためでも
自分のためでもある・・・ような気がします。

コスパと、お買い得と、目線の違い。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


私は月の15,30日くらいに記事を書いていますが、
前回の竹田のひとり旅を
いつもより日にちを詰めて書きました。
前回記事はこちらになります。良かったらご覧ください。


美建築ぶらり。竹田ひとり旅 その 5

今回は、コスパのお話。

コスパが良い。とか
コスパ最高!とか
コスパ最強!とか。

よく聞きます。

改めて調べてみると
コスパとはコストパフォーマンス(cost performance)の略語。
費用対効果のことです。

払った費用(コスト)と、
それによって得られた能力(パフォーマンス)を比較して、
低い費用で高い効果が得られた場合、そう言うようです。

なんと人間関係においても使うこともあるらしい。
(なんだか、一気に世知辛い感じもしますが。)

払ったお金より、期待以上だった。

つまり「お!値段以上」だということみたい。
(↑どこかのCMでよく聞きますね!)

最近思うのは、このコスパやお買い得。
その価値観により
2つあるんじゃないかと思うのです。

例えば、
100均で買ったマグカップが、なかなか良くて
「これは、コスパ良かったなぁ」と思うことがあります。

一方で、
自分のお気に入りの陶器市に行って、
思ったより安く手に入った時も、
「お買い得だった~」とホクホクします。

同じ「安く」手に入れたにしても、
そこには買う前提として

【期待やこだわり、憧れ】があるかないか。

100均はとにかく【安さ】を期待して行くところです。

私もよく100均に行きます。
最近の100均って、なかなかお洒落で侮れない。
よくこんな値段で売れるなぁと思うので

そういった意味でも
コスパ天国だと言えます。

一方で、陶器市。
私は度々小石原の陶器市に行きました。

それは、小石原焼が【好き】だからです。

小石原焼に、【憧れ】があって
それがいつもより安く買えるから
陶器市に行きます。

つまり、何が言いたいかというと
まず【安さ】第一で、お値段以上だとラッキーなのか

【好き】や【憧れ】のものが元々あって
それを安く手に入れようとするか

それが100均に行くのと
陶器市に行くのの違いだと思います。

陶器市に行くのは、中間マージンがかからない
産直だから。
作り手の顔が見えることも魅力です。

それは、きっと家にも同じことが言えるんじゃないか。

家に対して、特に興味がなければ
安いことが一番でしょう。

その上で、おしゃれで機能的なら
コスパが良いことになります。

一方で、家や暮らしかたに対して
憧れや、こんな風に暮らしていきたい夢があると

良いものを安く手に入れたいと思います。

両者の違いは、家や暮らしに対する
興味や関心の「内容」の違い。
「目線」の違いです。

私は、実は元から自然素材の家に関心があったわけではありません。

たまたま広告を見て、興味を持って見学会に行ったら
その心地よさがとても大事になりました。

元々、木が好きだったので
どうせお金をだすなら
ここまで木に囲まれた家に住みたいと思いました。

それは、ほとんど【本能的に必要】だったのです。

その一方で、母からは

「安い建売がいくらでもあるのに。
塗装もしてない木とか、傷ばかりつくんじゃないか」
そう言われました。

これは、血がつながっていても
価値観まで同じじゃないので仕方がない。

しかし、住むのは私たちであって
母じゃない。
母の価値観を、鵜呑みにする必要はないのです。

これは、当然
お金を出してもらえば、
きっと口まで出されかねないぞ。

そう思って
(後で泣く羽目になっても)
口出しされるより、自由な、
金もいらぬ道を選びました。

母にとって実家は、「寝に帰る場所」で

「いつかいよいよ年取ったら
サッサと売って、マンションに行く」家でした。

家に執着やこだわりがないので、軽やかです。

母は、機能的で、無駄なことをしません。
私よりずっと生活力があり、賢い人です。

片や私は、「空間」や「居心地」にかなりこだわる。

家は「寝れさえすれば良い」以上に、
大事な「生きて暮らしていく場所」であり、

そのために
何よりも【居心地】が大事だったのです。

それは価値観の違い。

母は間違っていないし、悪くない。

ただ、(極端な例えですが)家を100均に見に行くか
産直で探すかの違い。

こうして、このブログを読んでいただいているということは
少なくとも「木の家」や「自然」「自然素材」に
関心のある方が多いかと思います。

価値観が違えば、
周囲に疑問符を投げられることも
あるかもしれません。

せっかく自分たちの家を建てるのに
何を一番大事にしたいか。

家を建てるとして

自分なら
安さ優先して、まず100均に行くか(実際に100均にあるわけじゃないけれど)

それとも
何某かの憧れや思入れがあって

思い入れに近いものを、できるだけ安く手に入れようとするか。

コスパとお買い得は
同じようで

実は、目線が違う。

何を大切に家を建てたいか。

その目線が大事かもしれない。

誰かの言うとおりにしても、
その誰かが、責任とってくれるわけじゃないんだもんなぁ。

自分で、責任おって
自分で、決めないと

後で、誰かのせいにはできないんだもんなぁ。

本当に、大事にしたいことは何か。

そんな、つぶやきに近い
お話でした。


美建築ぶらり。竹田ひとり旅 その 5

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

美建築ぶらり。竹田ひとり旅 その 1
美建築ぶらり。竹田ひとり旅 その 2
美建築ぶらり。竹田ひとり旅 その 3
美建築ぶらり。竹田ひとり旅 その 4

続きでございます。

チェックアウトしてしまったので
車で行きましたが、
実際は、お散歩でも行けるような距離に、ラムネ温泉はあります。

202304_ラムネ温泉外観

のどかな温泉街の川沿いを行けば
これに出くわすんですから、
知らなかったらビックリしそうです。

建築は、藤森照信氏。
そして可愛いキャラクターは、南伸坊氏。

南伸坊氏といえば、おにぎりのようなお顔立ちの
イラストレーター。(←どういう覚え方?)

実は、藤森照信氏をちゃんと存じ上げず。

後で色々調べているうちに、
藤森照信氏と、宮崎駿監督のつながりを知るのです。

建築家・藤森照信さんと、宮崎駿監督。
(↑氏が、言いづらいので"さん"と失礼して書きかえます。)


あれ?私何かで、その組み合わせを見たことがあるぞ?

それもそのはず、私が武雄図書館内のTSUTAYAで購入した
『ジブリの立体建造物展 図録<復刻版>』に対談記事が
きっちり載っていたのです。
(見てたのに忘れてる。インプットしただけだと埋もれる良い例。)

藤森照信さんと宮崎駿監督。
藤森照信さんと、長湯温泉。

情報として、ただの点だったところが、
すごい勢いで線になったような感覚!

ラムネ温泉に、どうしてそんな錚々たる顔ぶれが関係しているのかは
「ラムネ温泉」の公式サイトのストーリーをご覧ください。
(勝手にリンクを貼れないので、スミマセン。)

試しに「藤森照信 建築」で検索して頂ければ
どんな建物を建てられた方かお分かりいただけると思います。

空飛ぶ泥船(茅野市美術館・仮設の茶室)や、
草屋根が圧巻のラ コリーナ近江八幡(菓子製造販売・たねやグループ)
丘の芝が屋根まで続いているようなねむの木こども美術館(静岡県掛川市)

その他色々、「あ~、もう可愛い‼‼」

どれも木や土や、緑を感じさせる
素朴で、自然で、有機的で、楽しい建物ばかり。

藤森照信さんの建てる作品に
宮崎駿監督や、養老孟司先生(養老昆虫館)
心惹かれたのも頷ける話です。

そして、同じようにそれにツボッた(?)のが
何を隠そう元竹田市長(合併後の竹田市2~5代。2021年退任)の首藤勝次さん。

大丸旅館グループの5代目経営者でもある首藤さん。
(↑氏が、言いづらいので"さん"と失礼して。)

ある日、河原で炭酸泉を見つけたそう。
(そんな日本昔話のようなことがあるのかしら?と思ってしまいますが、
それこそが氏の座右の銘の【有由有縁】なんでしょうか。驚きです。)

炭酸泉は温度が高くなると、気泡が少なくなるようで
熱めのお湯が好まれる中、魅力を感じる人は地元でも少なかったのだとか。

ところが、首藤さん。
試しに無人で仮浴場をつくって、100円で解放したら
これが大人気。
(返す返すも、ホントに昔話みたいな展開。)

ちゃんとした建物をつくるべく、色々探していたら
知り合いの静岡県議会議員に教えられたのが
藤森照信さんの「浜松市秋野不矩美術館」。

すっかり気に入って、設計を依頼したのだとか。

藤森照信さんも、最初は「河原に温泉?僕がやるの?」と思っていたようですが
実際にご本人に会ってみると、観光カリスマ(←国土交通省選定)で、
長湯に象設計集団(!)に依頼して【御前湯】を建てていた経緯もあって
その温泉に対する熱意に動かされた等のいきさつがあったようです。
(これまでの話、『藤森照信 読本』etcからかいつまんで書いております。微妙な差異あればスミマセン。)

そうして、小さな温泉街にできた藤森建築がこちら!

202304_ラムネ温泉の待合美術館棟を見る
受付のある待合兼美術館棟。焼杉の黒と、漆喰の白が地味で派手な、忘れられない外観

202304_ラムネ温泉棟と家族湯棟
左奥に共同浴場棟と、真ん中に家族湯棟。オカメザサの植栽の通路を通っていく。

202304_ラムネ温泉の屋根の松の木
各棟のとんがり屋根には松の木!これもあると無いとで雰囲気が全く違う。遊び心がニョッキリ生え出ている。

202304_待合棟から共同浴場を見る
待合兼美術館から中庭、共同浴場を見る。夢の中にいるような不思議な光景。

202304_中庭の犬の像
やたらめったらカッコいい犬の像。ダンディー。

ここで猫好きの皆様に朗報です。

実はこのラムネ温泉。数匹の猫さんが住んでいる。

そのうちの一匹。
入り口付近で会ったのですが、知らん顔。
「観光客なんか、ぎょうさん来るのにイチイチ相手しとられんわ~」
そんな感じで、完全スルー。

あら、さみしい。

仕方ない。猫好きは、つれない猫さんには深追いしないのが礼儀です。

ところが、写真を撮っていると何か視線を感じる。

ありゃ。さっきのコ。

202304_あけてという猫

どうも、開けてくれと言っている。

開けると、クールにさっさと行ってしまいました。

202304_ラムネ温泉の猫藪の中を伺う
藪の中から物音が。捜査一課の猫さん、張り込みをすることに決めたようです。

共同浴場内は、さすがに撮影できなかったのですが、
脱衣場から浴場に入るのに、かなり低い入り口となっています。

藤森照信さんの本によると、配置とか外観はすんなり決まったのだとか。
ただ、内部がなかなか決まらない。参考にできるような空間体験がないという。

そこで参考になったのが首藤さんのこどもの頃の話。

なんでも、ラムネ温泉に入る時、
炭酸ガス中毒を防ぐため、ローソクをもって入ったらしい。
ローソクの火が消えると風呂から出るようにしていた。
その暗がりの中灯るローソクの灯りが懐かしい、と。

狭い空間、火、湯気=まさに茶室じゃん!

実際に入浴と茶事が一緒になったことは歴史的にもあったので、
イメージが固まったとのこと。

したがって、共同浴場は茶室のような低い入り口と、
中には小さな暖炉もある構造に。

たしかに、低い入り口には別世界に入り込むような心地がしました。

外界とは一線を画して、ひっそり隠れるような感じ。

実際に暖炉に火がくべられていたわけではありませんが、
(あぁ、あの小さな窪んだ空間はそのためのものだったか)と認識します。

内湯が42度、外湯が32度とのことですが、
気温の影響もあってか、内湯もぬるめな印象。
B・B・Cに泊まった際、その日のお風呂を、テイの湯に行くか、ラムネ温泉に行くか迷ったのですが
ラムネ温泉には体を洗うスペース等もないので、洗髪のことを考えればテイの湯で正解でした。

ちょっと外湯もいきなりは冷たそうだったので、サウナに。

ところが、入れども入れども、全く汗をかけない私。
持っていたロッカーのカギに触れると
「・・・ッアッチ!」

これはマズイ。汗はともかく、出ないと干物になっちゃう。

干からびかけた状態で、外湯へ。

はぁ~。気持ちがええ!

小さな銀色の泡が、後から後から体に着きます。

払っても払っても、ウロコのようにびっしり。

快晴の真っ青な空と、芝生に立つ、銀色のひまわりのオブジェ
ぷくぷくのラムネの湯。

爽快な心地よさ。

202304_家族湯棟

良い建物、良いお風呂でした!

せっかくなので、美術館棟も覘くことに。

大丸旅館は多くの文化人とつながりも深く、川端康成をはじめ
多くの交流を感じさせる資料がありました。

その一角に置かれた、段ボール。

202304_段ボール


近寄ってみると

202304_段ボールで昼寝
そんなとこ入ってたら、-18度でクロネコさんに運ばれかねんよ?

睡眠業務真っ最中のにゃんこさん。

温泉棟に比べ、人通りも少なく静かで快適。

あまり可愛くて、頭をなでると、ゴロゴロと喉を鳴らしてくれました。


竹田市の人口は2万人ほど。県北の中津市の4分の1くらいの人口です。

それでも、その人口に対して錚々たる建築家の作品が見られる点では
美建築密度がめちゃ高いとも言えます。
こちらは、首藤勝次さんのホームページにて、PDFで竹田と建築のことが詳しく書かれておりますので、興味のある方はご覧ください。

長湯だけでも、他にも

202304_クアパーク長湯外観

クアパーク長湯。設計は世界的建築家、坂茂さん。

東日本大震災の時、紙の筒と布で避難所のプライバシーを確保した話は有名です。

202304_クアパーク長湯外観

1Fが水着で入れるバーデゾーンと50mの歩行浴と温泉プール。
2Fに温泉、他にレストランや宿泊施設も備えた複合施設で

周りの自然に溶け込むように
木をふんだんに使って設計させています。

もう一つ。
私が長湯に関心を持ったのがここ。

202304_御前湯・玄関付近

御前湯です。

202304_御前湯・芹川沿い

こちらは象設計集団の作品。

今はなき、私の大好きだった由布院美術館の建物を設計をしたのも
象設計集団でした。

由布院美術館
象設計集団の由布院美術館。今は取り壊されて観ることができない。

由布院美術館に関しては、昔書いた記事がありますので、良かったら。
なんと、もう10年近く前の記事ですが・・・。

由布院美術館のことを書いた記事→「自由設計とかけて、焼肉バイキングと、とく?」
題名からは想像つきませんが、書いております↑


あ~。
とても、一泊二日じゃ見て回れなかった。(余計なロスもありましたし。)

今度はぜひとも長期滞在は無理でも、2,3泊して
住んだような気持ちで、じっくり色々見て回りたい。

こうして書いている間も、私はなんだか無性に長湯に帰りたいのです。

首藤勝次さんのホームページに
【有由有縁】という言葉がありました。

川端康成の言葉らしいのですが、
理由があって、今の縁があって、それを大事にしていく。

私から見れば、首藤さんが河原でラムネの湯を見つけて、
それが藤森照信さんの建築につながっていくのは

水底から、キラキラ光る水面に
キラキラ光る魚が泳いでいるのを見ているような。

まぶしくて、まぶしくて、
とても手が届かなくて、
憧れの夢のような世界。

そんな風に、熱量と想像力を持って
上下の差もなく
共感しあう仲間と
ワクワクしながら
ものづくりができる楽しさは
うらやましくて、キラキラ。

またいつか、そのキラキラに会いに
長湯に行きたいと思います。

点と点が、線になって何かにつながるように
私のワクワクが、次の何かにつながりますように。

おばちゃんの美建築をめぐる竹田ひとり旅。
今回はこれにて、おしまい。

美建築ぶらり。竹田ひとり旅 その 4

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

美建築ぶらり。竹田ひとり旅 その 1
美建築ぶらり。竹田ひとり旅 その 2
美建築ぶらり。竹田ひとり旅 その 3

続きでございます。

さて翌朝。早朝6時。
前日とは打って変わって
良く晴れそうな模様。

林の間を通って、清々しい空気の中
川沿いを降りていきます。

202304_芹川のこいのぼり
芹川に涼風に乗って、鯉のぼりが泳ぐ。

私は寝癖がひどく、頭頂部がいつもハート形になるので、
お湯に浸かるついでに、そちらも何とかしないといけません。

幸い誰にも会わず、まんまと(?)テイの湯に着きました。

後から来られた方とお湯に浸かりながら、談笑し、
大丸旅館を後にしました。
朝の光の中入るお湯に、すっかり清められた気分です。
(中原中也よりずっと、汚れちまってますしね。色々と。)

「また、このお湯に来れたらいいなぁ」

正直、とても名残惜しい。

名残惜しいは、良い出会い。人でも場所でも、きっと同じです。

大丸旅館の目の前には、茶房・川端家。

202304_川端家

B・B・C長湯と同じく大丸旅館グループなので
窓際の風景も、ちょこっと作品が覗いてオシャレです。

202304_川端家の窓辺

202304_竹田交通バス停
歴史ロマンを感じさせるバス停に、ポストの赤が映えています。

朝食は8:00か8:30。

時間になると部屋まで運んでもらえます。

202304_朝食
優しい味のお粥と、みそ玉の入ったお椀。以前は洋食と選べたようですが、パンの仕入れ先閉店等の諸事情で、現在は和食のみのようです。

「みそ玉が入っておりますので、良く溶かしてから召し上がってください。」

へ~、みそ玉。初めてです。

良く溶かしてって言われたのに
先に写真ばかり撮っていたものだから、
なかなか溶けず。

溶け残りは、お粥にのっけていただきました。

実はそんなにお粥は好んで食べない方なのですが、
なんだかとってもポクポクと柔らかい歯ざわりで
優しい味。

日頃こんな風に、一人膳でゆっくり食べるなんてことはありませんから
「ちゃんと食べた」感満載です。

満足満足。

チェックアウト時に
昨日ラムネ温泉に入りそびれたことを伝えると
100円で入れる券をもらえました。

「あの、チェックアウトしちゃったんですが
図書館って見れますか?」

そう、図書館に惹かれて来たのに
昨日は見れずじまい。
写真撮影の許可ももらって、入らせてもらえました。

202304_BBC長湯図書館外観

202304_BBC長湯図書館横トイレ
ベンガラ色の壁がおしゃれすぎるトイレ。トイレでも良いから、ここに住みたい(?)

202304_BBC長湯図書館外観
美術館でもあるかのように至る所に彫刻が。手書き風の「林の中の小さな図書館」が可愛い。

中は左手と右手に部屋があり、右は彫刻や山岳資料を飾ったギャラリー。

202304_BBC長湯図書館のギャラリー

こちらも、可愛いイラスト等見ごたえたっぷり。

そして、左側の図書館がこちら。

202304_BBC長湯図書館内

あ~。本当に晴れてて良かった!
神々しいくらいの美しい図書館!来てよかった‼

天井上まで山岳関係の本がぎっしり!

山は好きだけど、ヘタレなので登る根性のない私は、
手に取ったことがない未知の世界。

これ、一日一冊ずつ必死で読んでも、何年かかるかわからない。

202304_BBC長湯図書館内・山岳関係の本
うち13,000冊は、露天風呂番付を作成した、旅行作家の故・野口冬人さんの寄贈。写真も飾られていました。

本の世界に触れるたび、この世には
まだまだ知らないことがいっぱいで、

またその一つ一つに奥深い世界が広がっていて
途方にくれる嬉しさがあります。

すごいなあ~。

202304_BBC長湯図書館内
中央には綺麗な緑色のチェンバロ。故・松本公博氏製作。大分・山香町に移住し、工房を「カテリーナ古楽器研究所」と名付け、古楽器の製作と演奏の活動を行った・・・方らしい。全くもって無知で申し訳ないのですが、調べれば調べるほど、気になる方。
ヨーロッパ起源の古楽器を日本で作るんだから、まずは木の違いから研究したくて山香に来られたらしく・・・。ちょっと調べただけで、気になる情報いっぱい。また、じっくり調べてみます。はぁ~、近くにいながら、知らんことばっかり‼世界は狭くて、広い!

野口冬人さんにしても、チェンバロの松本公博さんにしても、
初めて触れた世界だったので
こうして記事を書きながら、改めて驚いています。

湯治でもと思って、長湯に来て、
B・B・Cに建物見たさで泊まりに来て、
全く知らなかった世界に触れ。

興奮冷めやらぬうちに、気づくと
ラムネ温泉について書くには
(さらにページが)長すぎる事態となりました。

202304_BBC長湯図書館テラス
あるとないとで雰囲気がまったく違う。さりげなくおかれた椅子。

山頭火なんか好きすぎて、もうここに隠居したい。
こんな老人ホームあったら速攻で住む!
わたしゃ、ここで余生を送るよ。(←ちびまる子なの?)

そう思いたくなるほど、魅力的だったB・B・C長湯。
また来ます!

そしてそして、
次回こそは、ラムネ温泉。

202304_BBC長湯から見上げる空
林の中の駐車場から見上げる空。

美建築をめぐる、おばちゃん旅もいよいよ大詰めです。

美建築ぶらり。竹田ひとり旅 その 3

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

美建築ぶらり。竹田ひとり旅 その 1
美建築ぶらり。竹田ひとり旅 その 2

続きでございます。

名湯「テイの湯」を満喫し、
涼風に吹かれながら上機嫌で部屋に戻った私。

長湯にはコンビニも少なそうだったので
道中の庄内町のスーパーとコンビニにて
お惣菜等を買い求め

それをおつまみにビールを飲もうと
息巻いていたのでした。

冷蔵庫からビールを取り出すと
キンッキンに冷えております。

もう居酒屋のジョッキなみ!

「お~、すごい冷えてる!」

さてさて嬉しい一口目。
美味しいに決まってるじゃないですか!

ところがですよ。

なんかいつもと様子が違うわけです。

飲み口から、少ししか出てこない。

・・・あれ?どした?

缶の冷たさは、いつもの比じゃありません。

キンキンに冷えてて美味しいはずのビールが
雪解けのようにしかでてこない。

泡は神泡とか、クリーミーとかいう形容ではなく、
ミゾレ状。

そう、キンキンを通り越して
ジャーベット化していたのでした。

のど越しを味わうとかのレベルではなく
じわじわ溶けてくるのを飲む感じ。

冷凍庫でなくても
まだ余力のあったキンキンの保冷材で
挟んだのがまずかった。

明らかに、冷やしすぎていたのです。

冷やし過ぎたるは、ビールにあらず。
こりゃ、ビールのかき氷である。
飲みにくいったらありゃしない。

「やれやれ、今日は色々とやらかす日だ。トホホ」

それでも
色々やらかしたにしろ、今日はお片付けしなくていい。
今日は何も心配せず、好きなだけ本を読んでいい。

ひとり旅をゆるしてくれて、
家族よ、ありがとう。

ところが
だいたい睡眠不足な上、(余分な右往左往もしたし)疲れてもう眠い。

結局、いつも通りの時間には就寝したのでした。


ひとり旅の良い点は、ツレに気を使わなくて良い所です。

夜中に目が覚めて
「そういえば、竹田は星も綺麗なんだよな・・・」

そう思ったら窓を開け、テラスに出ることも叶います。

「起こしちゃったら悪いな」と気を使わなくていい。



そういえば、仕事のお昼休みとかでも
ランチは一人の方が、脳が休めて良いと聞いたことがあります。

それは、どんなに気の合う人と一緒でも
脳は情報の処理に追われるからです。


脳を本当に休ませようと思うなら
ぼっちが一番。

しかも、ボ~っとしている時、
脳は思わぬいい仕事をするらしい。

ボ~っとしている時に働くネットワーク(デフォルト・モード・ネットワーク。DMN)があって


そのおかげで、感情や運動、記憶を束ねて
思わぬひらめきを生むのだとか。

つまり、ボ~っとしている時間に、
脳は点と点を結び、線にし、アイデアを生んでいる。


スマホを見れば広告ばかり。
ウソかホントかわからない
まことしやかな言葉の中にいると

情報ばかりで、体感や実感として何もないことに
気付きます。

誰かのレビュー(評価)は、私の実感とは別物なのに
誰かの言葉だけで、動かされそうな気持ちの悪さがあります。

考えても考えてもうまくいかない人ほど
実はちょっと一人になって
ボ~っとする時間は必要かもしれません。

実感としての、自分を取り戻すには
誰かの情報だけでなく、
実体験することが一番で、

旅はそういう意味で
強制的に【目線】を変えることにつながります。

あぁ、でも旅だけじゃないかもしれない。

実際に、体を動かして自分で判断することが大事なのは
見学会でも言えそうです。

誰かの評価で決めないで、実際に見て、
話して、動物的カンを働かせてみるのは大事かもしれない。

いきなり仕事っぽくなりましたが。

次回は、ラムネ温泉。
あの宮崎駿監督も一目置く、建築家さんの作品のお話です。


美建築ぶらり。竹田ひとり旅 その 2

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

前回の続きであります。
(いつもより、今回ちょっと早めに記事を上げます。)

はりきって、ひとり旅に出たものの
宿泊するための荷物一式を忘れた私。
(何やってんだか)

なんとか日暮れまでには宿に戻ることができました。

ゆっくりするために、あわてて戻る。

走ったメロスもズッコケそうな顛末です。

待ち受ける暴君も、親友セリヌンティウスもいませんから
ひとり寂しく、山頭火のカギを開けます。

というか、ワクワク。

202304_BBC長湯・山頭火外観

だって、これ、貸し切りなんすよ?(←うれしくて、言葉が乱れる)

漆喰とかの手しごと感が好きな方は、たまらんですよ?

202304_BBC長湯・山頭火外観の小窓

こんな味のある造作。でこぼこした感じに
自然の蔓(?)で茶室のよう。

もう、カメラ片手にニヤニヤがとまらん。

そのせいか、現場撮影のように
ついつい入る時言ってしまう。
「・・・失礼しま~す」

で、玄関こう!

202304_BBC長湯・山頭火・玄関


202304_BBC長湯・山頭火・玄関


202304_BBC長湯・山頭火・玄関の調度品
さりげなく飾られた調度品まで、なんともハイセンス。(価値は分からず。猫にナントカ、豚にナントカですので)


一番最初に借りたお手洗いだって、

202304_BBC長湯・山頭火・お手洗い
こんなに渋くておしゃれ。

202304_BBC長湯・山頭火・お手洗い

決して明るくはない壁の色合い。
それでも、暗いとかじゃなく
ただただ、とても落ち着く感じ。

ここかしこに絵や書が飾られているのも
私好みで、うれしい。

ニヤニヤしながらドアを開け、
いよいよお部屋です。

202304_BBC長湯・山頭火・室内

~~~~~~~~‼‼‼‼

素敵すぎる!

あの木の枝のアーチだって、どこから手に入れたんだろう。
よくあんな曲がり具合の、ちょうど良い木があったもんだと
驚いてしまう。(加工してるんですかね?)

202304_BBC長湯・山頭火・室内・和紙の魚拓調の飾り

ちょっとしたものが、こじゃれてます。

そして、この木の枝の中をくぐると・・・

202304_BBC長湯・山頭火・ミニ書斎

ミニ書斎~!

掘りごたつのように、足を、一段下におろして座ります。

目の前には、あの蔦の可愛い小窓。

ちょっと、こんな贅沢な部屋に
9000円いかないで泊まっていいんだろうか。

202304_BBC長湯・山頭火・ミニ書斎から室内を見る
ミニ書斎から室内を見る

202304_BBC長湯・山頭火・テラス

障子を開けると、テラスもあります。

ちょっと肌寒い日だったので、出て座ることはしなかったのですが
季節が良ければ、ぜひとも
挽きたてのコーヒーを飲みながら
本でも読みたい!

小鳥の声を聴きながら!

202304_BBC長湯・山頭火・テラスの窓のカギ

もう、窓のカギすら可愛い。

つるんとして、ぽってりして、
レトロで触り心地も良いのです。


そして部屋にはミニキッチンも。

202304_BBC長湯・山頭火・ミニキッチン

202304_BBC長湯・山頭火・ミニキッチン

今思えばですが、お茶を沸かすヤカンはあっても
鍋やプライパンはなかったのでした。

何でも置きっぱなしにせず
一番きれいな状態で
受付で貸してくれるのだそう。

私は今回料理までする気がなかったので、
これだけでも充分充分。

小ぎれいで、片付いてて
わが家の台所より居心地が良い。

また、木枠の小窓もとても可愛い。

いや~。満足満足。



おっと、そうだった。
買っておいたビールを冷やしておかねば。

冷蔵庫を開けると
・・・ありゃ、電源入ってない。

ダイヤル式の庫内のスイッチを
強にして、
クーラーボックスに入れてきた保冷剤で
ビールを挟んで、入れておきます。

右往左往していたにもかかわらず
幸い、ビールは冷えていたのですが
お風呂上がりのお楽しみに、しっかり冷やしておきましょう。
(ところが、これが後で仇となる)



前回書いた通り、この施設にはお風呂がありません。

系列の大丸旅館のテイの湯(無料)か、ラムネ温泉(500円のところを100円で)を利用することになります。

どちらも利用時間があったのですが、
うかつにも写真を撮るのを忘れました。

しかも、数字に弱い私。

すっごいアバウトですが
大丸旅館が13:00~21:00/翌5:00~8:00(やったかも?)
ラムネ温泉が10:00~営業終了の22:00???(やったかな?)

すみません。写真撮るのに夢中でちゃんとお知らせできず。



時間も時間だったので、近くのテイの湯に行くことに。
(ラムネ温泉は翌日も100円で入れる券がもらえます。チェックアウト時に申し出ましょう。)

18時台なので、もしかしたら
本館泊まりのお客人はご飯時かもしれない。
(夕食ナシはこの点、自由で気がラク)

空いてるといいなぁ~と言いながら
芹川沿いを下っていきます。

歩いて数分。

橋を渡るとすぐそこです。

「部屋のカギを見せたらいいですよ」と言われていたので
老舗旅館の立派な玄関先に気後れしながら
「こ~んに~ちは~」(←これじゃ錦鯉の長谷川さんだ)

ところが呼べども呼べども、皆さん忙しくて気がつかない。

やっと前を通りかかった和風美人の方(←多分女将さん)
「山頭火です!お風呂良いですか?」と聞くと

「どうぞどうぞ!」と満面の笑みを返していただきました。



その、テイの湯ですよ。

あの与謝野晶子も愛したという、名湯ですよ。

脱衣場には与謝野晶子だけでなく
「オリオン座と一緒にお風呂に・・・」(←文言ちゃんと覚えておらず。適当でスミマセン。)と檀ふみさんの直筆色紙が。

そのお風呂に・・・
なんと一人で入りました。

我ながらナイスタイミング。
貸し切り~!ひゃっほ~!

腰痛に冷え性、しもやけ持ちの私は
冬場になるとたまらず温泉に治療目的で行くのですが

こんなに入って漬かって(←正:「浸かって」)
気持ちが良いと思うお湯はなく。

お湯あたりが良いというか、温度もちょうど良く
なんとも心地が良い。

飲泉もできるので口に含むと
鉄の味。胃腸に良いそうです。

半露天風呂もあり、
芹川の流れと、ようやく雲が取れてきた
夕暮れの空を見ながら
名湯を満喫したのでした。



「正直、お風呂が部屋にないのは不便だけど
このお湯に何度も入れるのはいいなぁ~」

川沿いの涼しい風に吹かれて
散歩がてら、また来た道を部屋に戻りました。



次回は「過ぎたるは猶及ばざるが如し」はビールにも。

通常、月の中頃と終わりにアップしておりますが
ちょっとコンスタントに上げるかも?です。
(見学会も入りそうですし)

よかったら、おばちゃん珍道中に
またお付き合いください。

美建築ぶらり。竹田ひとり旅 その 1

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


コンポストのことを書くつもりでしたが
(再び)またの機会に。

数回にわたり、竹田の旅のお話をします。

私は月の15,30日くらいに記事を書きますので
気が向いたらお付き合いください。

武雄ですっかり、ひとり旅の楽しさにはまってしまった私。
たけおさんぽ①
たけおさんぽ②
たけおさんぽ③

今回は、一度訪れてみたかった
竹田市直入町の長湯温泉に行ってみました。

何故に長湯?

元々は湯治で良い宿を検索していたのです。

そこでヒットしたのがB・B・C長湯さん。

202304_BBC長湯の図書館

図書館のある林の中の長期滞在もできる宿です。

建物良し、林の中という雰囲気よし、
しかも図書館つき。

中でも山頭火という建物に心惹かれて

202304_BBC長湯の山頭火

ぜひ見てみた~い!泊まって見た~い!

と、なったわけであります。

湯布院御三家・山荘無量塔の「楽」というお部屋に
いつか、いつか泊まってみたい!

そう思っていた私ですが
金額的にもなかなか気軽に手が出ない。

しかも、ひとりで・・・とはいかないかも?

ところが、B・B・C長湯さんの山頭火は
ひとり旅でもOK。

しかも、お値段は9000円いかないくらい。

施設にお風呂がない。(近くの大丸旅館とラムネ温泉が利用できる。)
夕食がない。(おかゆメインの体に優しい朝食はつく。)

それを除けば、美建築に一棟貸しで宿泊できる上、
お値段は一万円いかないという
なんともありがたい宿なのです。

これはカメラ片手に行くしかない。

とにかく、煮えた頭を休めたい。
とにかく、景色を変えたい。
とにかく、いつもと違うことをしたい!

そんな一心で、予約当日
直入入り(いりが、多いな!)したのであります。


まずは腹ごしらえ。

直入ダムを望むカフェ、ジプシースマイルさんに。
202304_nagayu_cafe_1.jpg

あいにくの曇天で、写真が暗い。

朝まで雨だったので
「濡れてませんかね?」と心配されながらも
無理を言って外でいただくことに。

202304_長湯カフェ。直入ダム風景

オフシーズンなので誰もいなかったのですが、
水上スポーツもできる直入ダム。

この日はカモがのんびりしておりました。

202304_南インドチキンカレー

南インドチキンカレーのセット(デザート付だ!)を頼み、

行ったこともない南インドに想いを馳せ、
ダムのほとりでカレーを満喫。

デザートのチーズケーキと
デカフェのコロンビアのコーヒーも美味しいこと!

これは、豆も買って帰ろう。

それで、宿で挽いて飲んでまったりしよう。

今回、そのつもりでお気に入りの
コーヒー豆とミルも持参したのでした。

お会計をすませ、コーヒー豆をゲットし

さて、車で宿まで行きますか。

チェックインを14時と早めにし、
ゆっくり町をぶらぶらするつもりだったのです。

(・・・さて、コーヒー豆をどこに入れよう。
クーラーボックスか、赤いボストンバックか・・・。)

ところがです。

その赤いボストンバッグが、車にない。

着替えやタオル、コーヒーミルを入れたはずの
赤いボストンバッグが
どこにもない。

「・・・あれ?・・・あれ?」

もう、さ~っと血の気が引きました。
漫画に出てくる縦線が顔に。

春休みで家にいた息子に電話をかけると

「うん。なんか畳の部屋にあるよ。
届けようか?自転車で!」

って、車で2時間かかったところを
自転車でかい?

「・・・気持ちだけいただくよ。
とりあえず、宿に行ってみて、また連絡するわ~」

とにかく、無いものは無いのです。

キャンセル代も、当日なので満額です。

取りに帰るしかない。トホホ・・・。



チェックインをすませ、受付の男性に事情を話し、
「大変だね~」と同情され。
もう苦笑い以外でない私。

とりあえず代金を払い、カギを預かることに。

憧れの山頭火で、トイレだけ先に借り、
今来た道を戻らねばなりません。

「あ~、もう。なんでこうなるかな~。」

どんなに「なんでなんで」と言っても
自分がやらかしたので仕方がありません。

陽がだんだん傾きかける中を
自宅へ。宿へ。

・・・あれ?私リラックスしに来たんやなかったっけ?

アドレナリン大放出。焦りまくりです。

心情としては走れメロスのそれです。

行かねばならない。んで、戻らねばならない。(原因はともかくね!)

美建築にゆっくり触れる間もなく、

次回に続く~!

広告の世の中だけど

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


コンポストのことを書くつもりでしたが
またの機会に。

先日見に行った、
大分県立美術館【イメージの力 河北秀也のiichiko design】のことを少し書きたいと思います。

慌てて書いている理由が
開催が3/29までだから。
つまり、明日で終わりなのです。
(だからといって、誰かが見に行くとも思えませんが一応)

昔から、ちょっと渋いCMが好きだった私。

「ニッセイのおばちゃん 自転車で~♪」のCMを
幼心に渋くてかっこいいと思っていました。

そんな幼少期から年寄り好みというか
渋い、郷愁を誘うようなCMが好きだった私に

強烈なインパクトを残したのが
いいちこのCMでした。

ビリーバンバンの優しい歌声、
異国の夢のような風景、
キャッチフレーズのセンスの良さ。

焼酎は飲まないのに、CMに酔いしれてしまう
以前から大好きな世界観でした。

展覧会は写真撮影可能だったのですが
ブログに載せて良いか確認しなかったので
今回は写真はなしでご勘弁ください。

取り上げたいポスターは
「いいちこ ポスター 広告の世の中だけど」で検索すれば
あ~、このことかと分かっていただけるかと思います。

展覧会の、わりと最初の方でお目見えするポスター。


「広告の世の中だけど
噂で飲まれる酒・・・・・・・」と
コピーが続きます。

1984年、最初に出されたものだとか。
今から39年前ですね。

その当時から「広告の世の中」で
紙やテレビ、ラジオといった媒体から

今はSNS中心に
いかにネット上で上位に上がるかの
「広告の世の中」だと思います。

私があのキャッチコピーに惹かれたのは、

本質は39年前も
そしてネット社会の今も
変わらないんじゃないかということです。

「広告の世の中」にあって
良さげなコピーが大量に溢れ
少々うんざりするのは私だけではないはずです。

今も昔も変わらない
ウソかホントか分からない「広告の世の中」で

噂で必要とされている商品がある。

それは、ステマまがいの口コミレビューとかではなく
実際に自分が手にして
実感として良いもの、

また買いたいと思うもの

それこそが良い商品の本質のような気がします。

そんなの理想だよといわれそうですが

「これ、なかなかいいんよ」といって勧められたものが
自分にピッタリだったときの嬉しさは
奇跡的ですらあるからです。

残念ながら、もくせい工舎の商品は家なので
焼酎のように気軽に試すことはできません。


一度買ってみるかというには
大きすぎる金額です。

もし計れるとすれば
もくせい工舎で建てた方が
人にも勧めるか

もしくはもう一度家を建てるとしても
同じようにもくせい工舎と思っていただけるか。

それだけかも知れません。

楽しく飲んで終わりの焼酎と違い、
家づくりは人対人でもあります。

よい家をつくる以上に
良い信頼関係なくしては

噂だけで広まることも難しい。

かといって、情報ばかりがあふれるこの世の中で
何をもって本質を見極めるか。

やはり、実際に自分で確かめる以外ないのかとも思います。

4/8,9の週末。
中津市にて構造見学会が開催されます。

実際に確かめる一つの機会かと思いますので
良かったらご家族でお越しください。

ネット広告の世の中だけど
(変なレビューじゃなく)口づてで選ばれる
もくせい工舎でありますように。

・・・と、願います。

広告の世の中だけど
「こんな家に住みたい」と思っていただければ、幸いです。

構造見学会について詳しくは→こちら♪

自分の手でやってみる【干物編】

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


庭の白モクレンが咲きました。

202315_ハクモクレン

わが家のモクレンはまだ小さいので
花に、私の鼻が届きます。

嗅いでみると、なんとも瑞々しくて
上品な良い匂い。

春がいよいよやってきました。

春は何かを始めるにも、良さそう。
暖かくなるって素晴らしい。
重い腰も、えいやっと上がりそうです。

その勢いに乗って
この頃、実験的に少しづつ
「自分の手で実際にやってみる」を増やしています。

半世紀ほど生きて、
あらためて自分があまりにも

自給率が低いこと
実体験として、何も知らないことに
驚いたからです。

口に入るものも
身に付けるものも
大半をお金を出して、買ってきます。

その中には、本当に大切なものもありますが
大半は、特に好きでもなんでもない
愛着も、思い入れもないもののような気がします。

服は特にそうで、

値段が高くなくて、
そんなに可笑しくなくて
この変な体形に
入りさえすればよい感じ。

生きて使える時間を、万能引換券である「お金」を稼ぐために使って

その結果買っているものに愛着がないなんて

なんていうことだろう。

とはいえ、めんどくさがりな上に不器用な私。

いきなり服は無理でも
簡単なものから
少しづつ「自分の手で」やってみることにしたのです。

簡単すぎて笑われそうですが。

干しシイタケって高いな~と思ったんで
生シイタケを干してみたり。

生シイタケ並べている時は
こんなに安く、たくさんの量を買ってきたんだから
やっぱり自分の手でやるのは
お得だ!と思っていたのですが

20230315_自分で干しシイタケ

干してみたら何のことはない。

市販の干しシイタケのボリュームは
適正のお値段くらいと知り。

しかも、売っているものの方が
乾燥もしっかりされていて、長持ちしそう。

とはいえ、これもやって見たからの感想(乾燥?)なのです。

干したものは他にも、サツマイモや大根、ショウガ。

ショウガはおろすより
乾燥させて粉にする方が簡単でした。

ショウガを薄くする際、繊維に沿って切ってしまったので
粉末後も、繊維だらけになってしまい、

そうか、最初から繊維を切るようにスライスすれば良かったのね~。

そう学んだことも新鮮でした。

やっぱり、実際にやってみて
失敗しないと分からない。

もっと若いうちにそれに気づけば良かったのですが

悔しいかな、気が付いたのが遅かった。
残念ながら、気が付いた【今現在】が一番若いのです。

少しずつ「自分の手でやってみる」お話。

次回は、【超手抜きコンポスト】です。

もったいなか~

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


ずいぶん前になりますが
ある大手のハウスメーカーの前を通りかかった時
住宅展示場のモデルハウスが
重機で壊されている所を見ました。

そんなに古くもない
私には立派すぎるような家を
誰も一度も住んでないにも関わらず

基礎の鉄筋もむき出しになって
バキバキと壊されている最中でした。

それからしばらくすると
同じ場所に
黒い壁に木目調の「今風」の
新しいモデルハウスが建っていました。

前回も書きましたが
わが家は住宅ローンを
主人がそこそこの年齢になるまで払わねばなりません。

その、えっちらおっちら返さねばなれない
大金で建てた家を
まるでマネキンの服を変えるように
取り替えてしまうことに
正直びっくりしたのです。

モデルハウスとは言え
何千万ではないの?

でも、「今風」に変えた方が
会社としてお得だから
変えてるわけです。

ひゃ~、すごい。
でも、もったいない。

家は、いずれゴミになる。

それを考えると
新しいモデルにするたびに
大量のゴミが出ていることになる。

それもすごい話です。

せっかく作ったのに・・・っていうのも
無しなのかなぁ。

家は商品であり、作品ではない。

大量生産、大量消費も
住宅にも当てはまるとすれば

ちょっと考えてしまいます。

もったいなか~。

できれば
大事につくって
大切に使い続けてもらって
その役目を終えた時
土に還りやすいような家だと

環境に対する
後ろめたさも軽くなりそうです。

あの取り壊すお金って、社長さんの自腹なんだろうか。

・・・そんなはずないんだけれど。

モデルハウスの取り換えも
有名タレント起用のテレビのCMも
すべて広告料。

どこから来たのか
その広告料。

ちなみに
もくせい工舎にはモデルハウスがありません。

見学会か、個別のOB様邸訪問にて
ご案内しています。

たぶん、そんなこと(広告だけのため)に大金使いたくないのと
せっかく作ったのにもったいないからだと思います。

・・・ケチなんですかね?

いやいや、
環境的にはよい判断だと
個人的には思います(*^^*)

大事につくって
大事に使おう。
んで、できるだけ地球に還そう。

私にとって何がリスクか

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


いかにお金を増やすか。
それに精通した頭の良い人たちは言う。

資産価値にならないなら、家を持つことはリスクでしかないと。

私はお金儲けも苦手な上
そういった頭も悪いので、
そうなのかなぁ、と思う。

だからダメなんだともいえるけど
家=資産で、お金としての価値だけなのか
どうも腑に落ちないのです。

わが家はローンを
主人がそこそこの年齢になるまで払わねばばりません。

そのことを考えると
とても気が遠くなります。

家を建てる時
永家Tさんが、わが家の家計のあれこれを一緒に考えてくれて
納得してのGO!だったのですが
不安になる時がないわけではありません。

世の中どうなるか分からない。

一方で
「どうせウチには建てられない」

そう思ったまま、あのカビだらけのアパートで
ずっと暮らしていた場合も想像します。

もし、明日自分の命がなくなった時
どちらが残念だろう。

明日死んだら、
借金(ローン)は返せないままだけど、
大好きな木の家で暮らした記憶は残ります。

もし、アパートにいたまま死んだら
「私にはできなかったな
でも、借金はしなかったな」
・・・と手元の小銭を抱えて
思うのでしょうか。

「夢のマイホーム」「幸せの家づくり」

そんな言葉が並ぶ中

私は根暗なので、家を建てたから幸せになるとか
そんなわけではないかもな~と思います。

ただ、ひとつ言えるとすれば
私たちは
日々、何かを作り出している。

それは、毎日の献立や
家族に持たせるお弁当や、
たまにする玄関掃除、
誰かにかける言葉、
誰かに対する態度まで、

それらは日々作品といえます。

本当に支払いを無事終えるか不安をかかえたまま

木の家にすんでいますが

庭の石をとりだし、
小さな畑をつくり、
庭を育て、
小鳥を呼び

そうしてきた私たち家族の数年は

リスクでしかないのでしょうか。

人生は何を経験し
何を思い
どう行動したか

それがその人の豊かさだとしたら

自分はちっとも損をしなかった。
うまい事やった

そう言って
使いきれないほどの資産を残して

私は死にたいんだろうか。

手元に万能引換券(お金)を大量に残しても、
それを失う心配ばかりして

たいして何も経験せず
たいして何も生み出さない

その方が私にとっての
後悔になりかねないような気がします。


忙しい永家さんたちが
ブログを書く時間もなかなかなくて
私がこうして、代わりに
拙いことを書き連ねているのですが

きっと、何かのご縁あって
これを読まれている方がいるのかなと思います。

木が好きだったり
自然なものが好きだったり

そういった家づくりが気になってはいるけれど
どうしたものかと
思われている方かもしれません。

そういった方の参考になるかは分かりませんが

私にとって
木の家は理屈じゃないのです。

世の中完璧なものなどないし、
わが家にしても
ああすれば良かった、こうすれば良かったとか
多々ある。

でも、もう一度家を建てるにしても
やっぱり自然な家を建てると思います。

それは、木の家が
ただただ、好きだという理由です。

リスクとか何とか頭で考える以上に

生き物として
私には木の家が必要だったとしか言えない。

少なくとも
もし、今暮らしておられるお家が
新建材などを使ったよくあるお家やアパートなら

同じ材料でなく
違った素材で建てた家は
やっぱり見てみる方が良いと思います。

そこで劇的に何か感じれば
同じように、きっと自然な家が必要な方なのでしょう。

家を頭だけで考えるか
本能で考えるか。

両極端にはできないけれど

自然なものが好きな方には

木の家が好き

木の家ってやっぱりいいんじゃないかなと
そう思います。

一括で払える方を除き、多くはローンで家を購入します。
お金の不安は、まず永家Tさんにご相談ください。
事細かに、一緒に考えてくれます。
(本当に無理なら、まず審査に通りませんし。)
できるかどうかを、自分だけで考えるより
建てるにしろ、建てないにしろ
一歩進むはずです。

幸い、もくせい工舎は営業職がおりません。
つまり、しつこく勧誘する時間もスタッフもいないので
その点、ご安心を(*^^*)

見学会にいったら最後、ってこともありません。

お施主さんの中にも
最初の出会いから数年という方も
たくさんおられますので。

良かったら、一度木の家をご覧になってください。

見学会でも、OB様邸訪問でも良いと思います。
ぜひ♪

家にも自助力

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


「10年に一度級」の寒波が、直撃した先週。

皆さま、大丈夫でしたか?

202301_雪と南天

1/24の午後から、急にあれよあれよと積もりだして
あっという間に雪景色。

ウチの長男の車は
遊園地のコーヒーカップの乗り物のように
ツーっと一回転したらしく
「相手がおらんで良かった~」と胸をなでおろしておりました。

202301_雪とハトヤバラ

その前に数日続いた暖かい日に、
春と勘違いしたハトヤバラも、かわいそうなことになっていました。


「夏涼しく、冬暖かい。」

住宅メーカーの広告によく出てくる言葉ですが
「ワンランク上の家づくり」同様、
何を基準にしてかはよく分かりません。

少なくともそれが
電力に頼っての涼しさ暖かさなら
何らかの理由で停電してしまえば
あまりアテにはできない気もします。

その点で、家の断熱性能が高いことは
いざという時「しのぐ」一助にはなりそうです。

もくせい工舎ではリフォームも行っていますが
その際、新築同様
壁には羊毛入りの断熱材を、しっかり敷き詰めます。

見た目だけでなく、「守る力」が増します。

家の快適を維持するのに、なるべく少ないエネルギーですむように

しのいだり、守ったりする家の【自助力】は
きっと大事になってくるのではないかと思います。

時々、大学時代に先生がおっしゃっていたことを
思い出します。
(なにせ数十年前なので、うろ覚えですが)

昔の庶民の家は
1つの部屋が
居間になったり、ダイニングになったり、
寝室になったり。

そこに、こたつや火鉢といった
局所暖房ひとつあれば
家族みんなが温かいわけでしょ?

今みたいに
それぞれが個室にこもって
それぞれの部屋全体を暖めようとしたら
いくらエネルギーがあっても足りない。

日本の暮らしには
局所暖房が一番理に適っていると思います。

・・・とかなんとか言っておられたような。

エアコンで空気全体をウンウン暖めようとするより
こたつの方がダイレクトに暖かい。

断熱性能の良い家で
あまりエネルギーを使わずにすんで
みんなでこたつにでも入りながら
まったりするのは

おさいふにも
環境にも

ついでに家内安全にも
良さそうであります。

いざという時も
そうでない時も

自分で自分を守る
自助力の高さは

家にとっても
人にとっても
御守りみたいなものかもしれません。

おやかたのやかた

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて、年明け最初の撮影に
先日伺いました。

向かったのは、日田の原田左研さん。
もくせい工舎のお家の壁を手がける職人さんの所です。

実は、今度のお施主様は
原田親方、その人なのでした。

あの原田の親方が、自分の手で手掛ける我が家。

きっとひっくり返るような大豪邸で、
どこかの料亭とか、高級旅館のような内装に違いない!

ついつい、勝手にすごい妄想をしてしまいます。

鼻息荒く、10年ぶりくらいに訪れる原田左研。

出迎えたのはこちら。

2023_原田の親方新築外観

・・・あれ?
サイズ的にはいつものもくせい工舎のお家の感じ。
(親方の感覚が至極全うだっただけで、原因は、私の勝手な妄想が暴走してたからです。失礼しました。)

でも、でも!
よ~く見ると、やっぱりちょっと違う!

それはそれは、細かく違うんです!
細かく、ひっそり美しいんです!

例えば軒天!

親方の家の軒天

・・・裏まで美しい。

あと、細かくはここ!

原田親方新築・柱の基礎
(・・・ここ、名称なんて言うんだろう(^-^;)

丸くて黒くて、ぽってりして可愛い。

美は細部に宿るといいますが
ちょっとした遊び心を見つけるのは楽しく嬉しい。

さて、そのお家の中身ですが

原田親方新築・玄関

わ~!なんだこれは~!すご~い!

圧巻の土の色味!

ひんやりとも違う、温かい清々しさ!
空気が綺麗なのがすぐ分かります。

この温かな色味の中にいると、
あなぐらに入ったかのような安心感があるから不思議です。

原田親方新築・玄関ホール

芸術的。

ステンドグラスの建具を開けるとリビング。

原田親方新築・リビング

稲わらを入れた漆喰が、本当に優しくいい感じ!

光と影の陰影や凹凸が、とても見ていて落ち着きます。

原田親方新築・リビングの建具

大窪建具さんも、力入ってます!

あの人は好いものをつくるだろうから、
それに合うものをつくりたい!

職人さん達の思いの
相乗効果なんでしょうか。すごく似合います。

原田親方新築・キッチン

見てください。キッチンの横の壁。
すごく渋くて、良い色です。

思わず親方に「良いな~ずるいな~」と言ってしまいました。

湯布院かどこかの高級旅館のフロントみたい。
味があって、品があって、なのに優しく温かい。

いいなぁ~。

あと、トイレも一味違う!

原田親方新築・トイレ

いつもなら、松葉引きの漆喰の下部は
腰板なのですが

原田親方新築・トイレ壁

可愛いタイルの下部は
ツルツルの漆喰。

原田左研のサイトに泥団子のことが載っているのですが
漆喰を磨くとテカテカ鏡のようにツルツルになるそうなんです。

「・・・これ、泥団子のつくり方ですか?」

「うん。もっとピカピカになるよ。」

すご~い!を通り越して
もう、羨ましい。

ピカピカにすればよかったと思ってしまう。

実は撮影中、親方のお友達もいらっしゃって
一緒に話を伺っていたのですが
その方も感心しきりでした。

やっぱりよく見る新建材の家とは違いますし、
さらに親方自身のお家なので、
もくせい工舎のお家を見慣れている私にとっても
新鮮で斬新なのでした。

そのお友達の方と話をしていて
「玄関に入っても、新築特有の臭い、しないですよね」
っていうと

「・・・本当だ‼」と改めてビックリされていました。

化学薬品臭くないのです。

いやはや、本当はもっとお見せしたいのですが
今回はここまで。

いずれ施工事例として、きちんとご報告いたします。

日田なので、特に見学会もなかったのですが
本当に圧巻の【土の家】。

原田親方新築・壁

親方のご家族への思いと、
職人魂を感じるお家でした。


肉子ちゃん

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


「今度、アニメ化されて映画になるよね?」と本好きの友だちに言われ、

「いや~、原作好きすぎて、あんまり見る気にならんのよ~」
そう答えていた私。

タイトルの"肉子ちゃん"と聞いて
すぐピンとくる方、こない方いらっしゃると思います。

そう。その好きすぎる原作とは
西加奈子さんの『漁港の肉子ちゃん』

文庫本の表紙が、クリムトのような
女性の裸の絵が載っているので
本を貸した友人は
子どもにギョッとされたらしいです。

ちょっと表紙はセクシーですが、
中身は西加奈子さんらしい
痛快さやテンポの良さ。

すごく笑えるのに、泣ける。
今のところ
私の一番好きな小説です。

主人公は、小学5年生の女の子・キクりん。
男にだまされてばかりの母、肉子ちゃんと
流れ着いた北の漁港に暮らしています。

太っていて不細工で、
とてつもなく明るい肉子ちゃん。

ちゃんとしてなきゃ。
他人に迷惑をかけないようにしなきゃ。

年頃になってそう意識しはじめたキクりんには
そんなお母さんがこの頃ちょっと恥ずかしい。

でも、本当は
「ちゃんとした」大人なんていないし、
「他人に迷惑をかけたことない」大人なんていない。

先般、荻上直子監督の『川っぺりムコリッタ』という映画について
書かせていただきました

西加奈子さんの本も
それぞれが「問題(のようなもの)」を抱えながらも
それが一向に解決していないのに

最後は、晴れ晴れとした気持ちになる。

そんな作品が多く、
肉子ちゃんも最後はとても温かい気持ちで
読了します。

私は特に、キクりんが入院した時の
サッサン(肉子ちゃんのバイト先の焼き肉屋の主人)とキクりんのやり取りや

キクりんが、肉子ちゃんに告げる言葉が
何回読んでも泣けてしかたがないのです。

しかも嬉し泣きで。

サッサンが言ってくれた言葉の温かさ。

キクりんの肉子ちゃんに対する思いは

何やかんや色々あっても
それでも「大好き!」そのもの。

生まれてきて
この世に存在していることに

何の条件もなく
OKを出されていること。

そのうれしさに、こちらまで温かくなるのです。

だから、アニメ化されて
見てガッカリしたくない。

・・・が、冒頭の言葉だったのです。

ところがですね、
これがしてやられました。

Amazonのプライムビデオで追加料金なしだったので
先日試しに見て、

本と同じところで
うかつにも泣いてしまった。

サッサンが、もうピッタリ。

肉子ちゃんも出だしこそ、ちょっと違和感ありましたが
それを打ち消して感情移入させるのは
さすがの(肉子ちゃん役)大竹しのぶさんです。

小学校高学年の女子の「グループ」のめんどくささや
キクりんの気持ちの描き方も秀逸。

絵もとてもきれいで

あれだけ嫌がっていたのに
実際にふたりが暮らしていたのはこんな町なんじゃないかと
素直に思ってしまう。

まいったな~。
「あれ、映画みたら、なかなか良かったんよ」
そう友達に謝らないといかん。

年末の忙しい時に、映画の話かよ?
と怒られそうですが
コロナ禍だからこそ、
年末年始は、家でゆっくり映画もいかがでしょう?

Amazonプライム会員の方は、今のところ
追加料金なしの「見放題」のようなので、ぜひ。


いやはや、
毎年のことですが
追い出されるように年末を迎え、
2022年も明日で終わりです。

ウクライナ侵攻など、つらいことも
残念ながらまだ続いています。

その人の価値というのは
何を成し遂げたとか
記録や数字に残るだけのものではなく

居なくなった後の寂しさにあるのじゃないかと思います。

かけがえない誰かと
かけがえない時間を
かけがえない場所で

みんなが温かく過ごせますように。

みんなが、存在にOKを貰えますように。

そう祈るばかりです。

今年もお付き合いいただき
ありがとうございました。

どうか良いお年をおむかえくださいませ。

一年後

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


2021_桜耳のゴマちゃん

わが家に、ゴマちゃんが来てから、一年になります。

当初は先住猫のハチさんと
一体どうなることやら・・・と心配しましたが

とりあえずは一年なんとか過ぎました。

来たばかりの詳しくは→こちら

当初のゴマちゃんは、ハチさんに対して
やや好戦的というか
小さいのに態度はでかいというか
ちょこちょこと
火花が散ることもありました。

これも致し方ないと言えるのです。

だって、気が合うから一緒にしたわけではない。

いくら助けた(つもり)でも
それは人間側の都合であって

猫たちにしたら
強制的に他の猫と、いきなり同居生活が始まっただけ。

気が合うならともかく、合わなければ
猫同士、お互いにストレスでもあったでしょう。

ところがある日、どうも決着がついたらしい。

ゴマちゃんが、ハチさんを上と認めたのです。

体格も腕力もハチの方が上ですが
どちらかといえば
喧嘩をふっかけるのは、ゴマちゃんの方。

人間のあずかり知らぬところで
何かの鉄槌をくらわされたのかもしれません。

それでも、ゴマちゃんはハチさんが好きみたい。
一緒に寝ようとします。

一方、ハチさん的にはNGみたいで、よく断られています。

元々、太り気味のハチの遊び相手になってくれれば
助かるのになぁと思っていたのですが
ハチは全く遊ぶ気なし。

ゴマちゃんは活動的で遊ぶのが好きなので
ハチが構ってくれないからと
こちらに泣きついてきます。

これじゃ、クララ(ハチ)の遊び相手にと
連れてきたハイジ(ゴマ)の、その遊び相手を
ロッテンマイヤー(私)がしているようなものでして

全くこちらの思惑通りにはいっていないのです。

とはいえ、それも猫にしたら
知ったことではない。

ある日いきなり、お外に行く自由がなくなってしまったのだし
そもそも飼ってくれと頼んだわけではない。

本当は自由にしてあげたい。
正直、こちらもその方が助かる。
ロッテンマイヤーの役をせずにすむ。

《こんな所に一軒家》のような環境でもなければ
ご近所の理解なしには難しいのです。

ごめんね、ゴマちゃん。
そしてハチさんもね。

202212_ハチ先輩を見るゴマちゃん
ゴマの心の声:(いつかあのモッフモッフの姐さんとお昼寝するんだ~)

救いは、ハチ先輩を見るゴマちゃんの目線かもしれない。

いつか一緒にお布団でぬくぬく
ひっついて寝るぞ!

そんな決意を感じさせる
一年後の元野良さんズでした。

また、本格的に厳しい冬がやって来ました。
同時に、野良さん達の正念場が始まります。

もっともっとか、ぐるぐるか。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


お金は、万能引換券なんだなぁ。

最近そう思います。

生活の、暮らしのあれこれを
なんでも自分で器用にこなせる能力があれば良いのですが
そうでない場合、得意な誰かにやってもらう方が良い時があります。

物々交換だと、こちらの手元にあるものが
相手の欲しいものでない時困るので
何にでも使える万能券がお金かなと思うのです。

その万能券をいかに効率よくゲットし、増やしていくか。

色々なノウハウや情報が出ていて
なるほどとも思うのですが
ついていけない自分がいます。

聞けば聞くほど、疲れる感じ。

月収いくらだと終わったなんていう言葉も
心がザワザワするのです。

お金が万能券なんだとすれば
自分の暮らしを、自分でなんとかやりくりできる人は、
万能券はそんなに必要ないとも言える。

なんやかんやと、ゆるやかな
暮らす土地の人とのかかわりがあって
野菜を分けてもらったり、助けてもらえる人は
万能券をちらつかせずすむのかもしれない。

万能券がないと生きていけないのは
たぶん、そういう意味で
私自身の自給率のようなものが
この国のように低くなってしまっているからなのではないか。

万能券を大量に稼いで
大量に消費して。
もっともっととせかされて。

その中に、本当に心から大事にしたいものが
どれくらいあるんだろう。

とは言え、自給自足で何でもこなせるほど
器用でもなく、根性もない私。

小さな自分の畑ですら
サツマイモ植えるくらいがやっとなのです。

そんなヘタレな私でも、イモヅル20本植えただけで
食べおおせないほどの収穫があります。
不思議なものです。

土が、増やしてくれたのです。

下手くそながら収穫するときは
なんだか「分けてもらった」ような感じがあります。

収穫後の芋の葉は、畑にふせておくと
いつの間にか土になっています。

もっともっとと、一方通行の
消費ばかりする世界とは違い

自然はぐるぐる回ってる。

自然にとって良いことをすれば、
良いことが回ってきて、

悪いことをすれば、
思わぬしっぺ返しをくらう。

もっともっとと、右肩上がりでないと許してくれない世界は
役に立つか、意味があるかばかりの世界で

ぐるぐる回る自然な世界は
なんやかんやと、実はなにかの役に立つ世界。

私的自給率をあげねば!と息巻くのではなく

少しずつ、自分の手でできることを増やしていくのは
自分の手を信じることにつながるのではないか。

自立するというのは
万能券だけの話でなく
自給率をあげたり、
券などなくても
人に頼ったりできる力のことなんではないか。

万能券を稼ぎ、右肩上がりに生きることも
自分の自給率を上げ、たくましく生きることも
私は、両極端にはできないけれど

どちらかを選べと言われれば
できたら、ぐるぐる生きたい。

ぐるぐる生かされて、
その仕組みの中に生かされてきたことを
ありがたがって死にたい。

半世紀ほど生きて、
今はそう思うようになりました。


ここ、しりませんでした

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


連日出かけたネタになってしまいますが、
万が一、万が一、「行ってみようかな?」という
物好きな(?)方が居られるかもしれませんので
本格的に寒くなる前に、書くことにします。

いつも気を使って、焼肉に行くときは
「たまには外で飲めば?」と
運転手を買って出てくれる長男。

その恩返しではないけれど
いつか暑くも寒くもなくなったら

「海に行って、真昼間からビールでも飲めば?」
と言っていたのです。

それを、先日の小春日和に実行したのでした。

国東の方で、日陰もある程度あって・・・
と探していたら

・・・うん?お尻岩?

・・・これは見に行かねばなりませんよ?

紅葉シーズンだというのに、
他にもこの時期ならではのお出かけスポットだってあっただろうに

もはや、お尻一択です。

「ちょっと、お尻岩なるものを見に行こう」

「はぁ??」

困惑する倅~ズ(セガレーズ)を連れて
向かった先は、国東。
「道の駅くにさき」からちょっと行った黒津崎海岸の辺りです。

海水浴場もあり、駐車場もあるので、
とりあえず唐揚げやビール等々を買い込んで
青空の下、海を見ながら昼食となりました。
(もちろん、ビールは長男だけ)

カシュッ。ぷは~!
「ハ~!ビールっち、一口目が旨いよね!」

念願叶い、嬉しそうで良かったです。

2022_11_osiriiwa_sea_2.jpg

山や畑ばかり見て暮らしていると、
たまに見る水平線に、驚きます。

地球っち、本当に丸いんやな!とか、
これをず~っと、ず~っと行くと、
アメリカとかどこかに行くんやな!とか。
(その前に着くのは、対岸の四国だけれど)

海を境に、どこかに繋がっていることや
地球儀でみるような、あの地球に住んでいるんだと
実感できて、改めて驚くのです。

海

お弁当の唐揚げを狙って、上空を旋回するトンビもいて
いつもと違う日常を満喫しました。
解放感とスリルの二本立てです。

美味しかったのか、長男が空けたビールは3本。

「・・・ふにゃふにゃする~」

「・・・大丈夫かい?海にだけは落ちんでよ」

半酔っ払いを連れて、海岸に降りていくと

見えてきたのはこれ!

お尻岩

ワハハハハハハハ!
お尻だ!本当にお尻だ!

まさしくお尻以外のなんでもない岩を見て
爆笑です。

お尻岩

こっちから見ても、お尻。

すごいなぁ~。これ、自然にできたんだよなぁ~。

お尻岩

セガレーズは二人とも175㎝近くあるので
どれだけ大きい岩かお分かりいただけると思います。

いやはや。

混雑をかいくぐって紅葉やテーマパークも良いですが、
あまりお金をかけずに
びっくりして楽しいものを見に行く。

そんな休日もなかなかです。

私が死んだ後、セガレーズにも
「なんか、お尻の形の岩を見せられたよね」
って笑ってもらえたら良いです。

お近くにお住まいの方も
そうでない方も、
なんでも魔除けと縁結びのご利益があるらしいので

ぜひ、寒すぎず暑すぎない時に
お尻岩まで。

なお、事前に干潮かどうかは要確認です。
(お尻だけに?)

ムコリッタ

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


先般、映画を観に行きました。

荻上直子監督の『川っぺりムコリッタ』という作品です。

『かもめ食堂』や『彼らが本気で編むときは、』などが
有名な監督さん。

中でも私は『トイレット』という作品が大好きで、
その流れで『彼編む』、そして今回の『ムコリッタ』と
続いたのでした。

『トイレット』は【映画 トイレット】で検索すれば
まだ予告編を見ることができます。

バラバラな3兄弟(カナダ人)
もたいまさこさん扮する、無口な"ばーちゃん"(日本人)

言葉が通じないながらも、日々暮らす中で
伝わってくる、ばーちゃんの思い。

「ホントウの自分でおやんなさい」と
背中を押してもらえるような作品です。

荻上直子監督の作品は
それぞれ色々な「問題」を抱えながらも、
その問題がいっこうに片付いてないにも関わらず(!)
最後はちょっと笑えて、なぜか晴れ晴れする。

「まぁ、明日もがんばりますか」
そんな気持ちになる映画です。

努力と根性で
主人公が困難に立ち向かって
現状を何とかしていく!

そんな映画も魅力的ではあるのですが
気力も体力もなくなっている時は
美味しい白むすびのような話がしみじみくる。

現状打破やガンバリズムは
下手をすると
「だからお前も見習えよ!」
「だからお前はダメなんだよ!」
と、なりかねない。


誰とも係わらず生きていこうとしていた孤独な山田(松山ケンイチさん)
その山田の隣の部屋に住む、ちょっと図々しい島田(ムロツヨシさん)
おそろいのスーツで墓石を売り歩く溝口親子(父親役:吉岡秀隆さん)
色々ありそうなハイツムコリッタの大家の南(満島ひかりさん)

山田の楽しみの、風呂上がりの冷えた牛乳。
炊き立ての白いご飯。
島田のお手製のお漬物。
溝口親子のすき焼き。

劇中には
荻上直子監督作品ならではの
美味しそうな食べ物がたくさん出てきます。

それが「生きること」だとしたら
相対するように「死ぬこと」も出てくる。

相対する、というのは違うかもしれない。

繋がっている「生」と「死」
その曖昧な間(はざま)をムコリッタという仏教の時間の単位に当てはめてみたとのことです。
刹那(せつな)、多刹那(たせつな)、臘縛(ろうばく)、牟呼栗多(むこりった)。
ムコリッタは、一日を30で割ったもの。1/30日(にち)


元々は荻上直子監督がNHKで
行き場を失った遺骨についての番組を見たことがきっかけの一つだそうで
(劇中にも少しグロテスクなシーンがあります)
見終わった後、自分なりに少々考えてしまいました。
(モヤモヤと嫌な気分にならずにすんだのは映画の雰囲気のせいかもしれません。)

劇中にも川っぺりで暮らすホームレスが
大雨で流されてもニュースにもならないことが出てきます。

それで思い出すのが
『おじさんと河原猫』という太田康介さんの本。

こちらは多摩川の川っぺりの話。
多摩川の河川敷には、そこで暮らすホームレスの人たちを当てにしてか
捨て猫が多いそうで。

大雨の時、ホームレスの高野さんが
みんなが避難しているにも関わらず
猫が心配で川っぺりに戻って行方不明になっていることが
載っていました。

「住民登録」していない=「住民」ではない。
だからニュースにもならない。

勝手に猫を捨てていく無責任などこかの「住人」と
猫の命と、おじさんの命と。

上手く言えないですが
なんだか沸々と腹立たしいような気持ちになるのは
私だけでしょうか。

やれ成功だ。やれ勝者だ。
役に立つだ、立たないだ。
意味があるとか、ないだとか。

世間でいうところの華々しい世界のことが
声高に叫ばれる中で

だから、なんなのかと言いたくなる。

命のことを
分かりもしないで、知りもしないで。
(かくいう私も!)

文才がないからでもありますが、こういうことって
言葉で言えば言うほど
腹の底というか、腑というか、
どんどん何かの根底のような、根本のようなものから、
どんどん離れて行ってしまうような気がします。

ただただ、

ただ生きて、いつかそれが終わりを迎える。

その間の時間を、誰かの、何かの天秤にかけられて
良いだの悪いだのジャッジされる必要があるのか
私には分からないのです。

一人で食べたご飯が美味しい時も、
誰かと食べたご飯が美味しい時も、

分かってもらえず泣いた時も、
分かりようがないけれど、誰かと寄り添っていた時も、

その時、その時間、その積み重ねが
その人の人生と言えるのなら、

その良し悪しなんて、本人が人生のおしまいに
「どう思うか」でしかないような気もするのです。

ぜひとも、映画館で!と言いたいところですが
「そんな暇ない」?

それも、それぞれの時間であり、使い方。
それぞれの「大事」を生きている。

私は知りたいし、心を動かしていたい。

慣れると分からぬ。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


私事ですが、鬼の霍乱か。

先日、緊急手術&入院いたしました。

2~3日、腹部に差し込むような痛みがあり
ずっと我慢していたのですが
ちっとも良くならず。

おまけに熱まで出たので
「炎症してるのかも」と思い、受診したのです。

お腹にプラムくらいの塊があって
それが悪さしていたわけですが
そんなこんなで一週間強入院。
自宅をしばらく離れていたのです。

10年ほど前に建て替えられた病院はピッカピカ。

子ども達が小さいころ何度も入院していた当時は
病室ももっと狭かったような。

4人部屋でもゆったりとして、トイレ等も綺麗。
自由がない以外は、すこぶる快適だったのです。

もくせい工舎の広告を書き、
またOB客でもある私ですが
実は、「自然素材」とか「木の家」にこだわって
家を探していたわけではありません。

私自身、特に化学物質に過敏だったり、
アレルギーがあるわけでもないので
実はコンクリート製だろうが何だろうが
割と適応して快適に過ごします。

「木の家が心地よい」とは言っても、
「木の家じゃないから気持ち悪い」とまでいかないのです。

ところが退院して、わが家の玄関を開けた途端、
まさしく「木の家」の匂い!

あれ、こんなに匂っていたっけ?

お施主様ならお分かりいただけると思いますが
木の家の木の匂いって
ず~っと実感しているものではない感じ。

え~?
「木の良い香りに包まれて・・・」なんて宣伝では言うのに
なんだそりゃ?と思われるかもしれません。

実は、匂いって慣れたら感じなくなるのです。

嗅覚が働かなければ、「美味しそう」か「腐ってる」かも分かりませんし
「いつもとは違う」匂いに反応できないと危険なこともあります。

しかしながら、いつも嗅ぎなれた匂いは慣れて「順応」します。

慣れた匂いなので気にしなくてOK!を
出さないと、いちいち反応していては、疲れ果ててしまいそうです。

反対に
自分の家の匂いは気にならないのに
人の家の匂いや、ペットの匂いなどは気が付くのは
「順応」していないからです。

だから久しぶりに帰って来て
病院にはなかった「木の匂い」に
我が家ながら気が付いたことになります。

もくせい工舎の完成見学会にお越しになると、
最初あまりにも清々しい木の香りと、
漆喰の優しい雰囲気に驚かれることとと思います。

私のように初めから健康志向や自然志向など全くなかった方も
人によっては、「あぁ、私が住みたいのはこんな家だ!」と
気が付かれるかもしれません。

そういった方には、本当に木の家があっているのだろうと思います。

私の家を訪れる人も、「わぁ~」といって喜ぶ人も
全く家には興味のない人もいます。

どちらが良いとかいうわけでなく
本質的に自然なものが好きか、関心がないかというだけです。

関心がないものには、ふつう気が付きません。

自然素材の家や健康住宅に住んでも、
病気になることだってあります。

自然素材の家に住んだからと言って
死なないわけではありません。

でももし、本当の自然素材の家をはじめて見た時に
心の底からふくふくと何か湧き出る感じ、
「あぁ、こんな家に住みたい!」っていう気持ちになるのなら

それはきっと、
木の家で暮らすことが
その人にとって必要なことなのかもしれません。

木の家に【向いている人】っていると思いますよ(*^^*)


もうすぐ完成見学会

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


先日、お家の完成写真を撮影に伺いました。

10/1・2に見学会を開催させてい頂くお家です。

もくせい工舎のチラシは、いつもパース。
写真がないのです。

10/1・2自然素材の木の家・中津市の完成見学会

予約制のため、早めに告知する必要があること
完成したら、なるべく早くご家族にお渡ししたいこと

そんな理由から、完成→撮影→広告作成→見学会
・・・なんて、のんびりできないのです。

とはいえ、どんなお家か分からないと
「予約」って敷居が高いやん!

そう思われるお客様もいらっしゃると思いますので
とりいそぎ、一部だけちらっとご紹介させていただきます。

10/1・2自然素材の家完成見学会会場・外観

秋ですね~。空がウロコ雲!

漆喰の壁と屋根瓦の色合いが、かわいい外観です。

10/1・2自然素材の家完成見学会会場・手洗い場

新しい生活習慣で、こういう仕様も増えてきそうな手洗い場。

陶器の手洗い鉢がとても味わい深い。

お客様にも、手にシュっと消毒より喜んでいただけそうです。

10/1・2自然素材の家完成見学会会場・小上がりの畳スペース

小上がりになって、下に収納のついた畳スペース。
リビングと一体になっているのがいいですね。

10/1・2自然素材の家完成見学会会場・ロフト

秘密基地ロフトから見た風景。
この、ちょっとした空間の余裕がありがたいのです。

10/1・2自然素材の家完成見学会会場・裸電球風

裸電球風の照明器具。

これがどちらについてるか、探してみてくださいね。

レトロで可愛い!

見学会は予約制となっております。

詳しくは→こちら!

永く住める家

木の家でお待ちしております♪

リスク

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


『猫も老人も役立たずでけっこう』という養老孟司さんの本があります。

その中に、とても興味深かいお話が載っていました。

子どもが増えないのは、根本的に都市化と関係していると考える養老先生。

かいつまんで言うと、

都市というのは意識の世界。
意識の世界は不確定要素の多い自然を嫌う。

人工的な世界は、まさに不自然な世界。

でも、子どもは自然そのもの。

どうなるかなんて分からない。

「ああすればこうなる」ってわけにはいかないから
そんな風に考えてたら減るに決まってる。

少子化は
人々が意味で満たされた、意識の世界に住み着いて

自然と対峙する方法を忘れてしまったからじゃないか。

詳しくは『猫も老人も、役立たずでけっこう』の
「東京は消滅する?」の章をご覧ください。

今回取り上げたのは、少子化なんとかせにゃ!という話ではなく

「ああすればこうなる」と頭で考えることについて
考えてみたかったからです。

子どもの教育費にいくらかかる。

そう言われると、やっぱり引きます。ドン引きです。

とはいえ、いつから子どもはリスクになっちゃったのか。

それくらい掛かってもいいなら
産んでよし。育ててよし。
なんて投資みたいな話なんだろうか。

私は、(今回は)縁あって親になりました。

育てていて、何も辛いことがなかったわけではないけれど
その何倍も、教えられることも多かったです。

もう少し、こうだったらいいのにな。

わが子に対して要望がないわけではないけれど、

「全く問題ない子どもと取り替えてやる」
そうカミサマに言われても、断ると思います。即レスで。

だって嫌ですもん。連れていかれたら。
大谷翔平と取り替えるって言われても
やっぱり嫌だ。さみしい。

良い所も、残念なところも含め
一緒に過ごしてきた二十年そこそこの時間というものは

リスクかと言われれば、決してそうではないからです。

ただ、先行きが分からない中、経験もない中、
「ああすればこうなる」と頭ばかりで判断すると、

目の前の
どうなるか分からない世界は、リスクに写るでしょう。

でも、リスクだと思い込んでいることにも
なんらかの学びや、経験があるのって、
土が豊かになるように
その人自身や人生を豊かにしてるのかもしれません。

だから
「どうなるかわからないこと」嫌う意識の世界は、
それこそが不自然な世界だというのは
とても面白かったのです。

とはいえ、意識の世界を擁護しようとすれば
「現状を何とかしよう」と創意工夫してきた世界とも言えます。

もっと良いものを
もっと使いやすいものを
もっと簡単なものを
もっと安いものを

意識の世界は、もっと、もっと、もっと。

もっともっとと、右肩上がりでないと許してもらえません。
(「停滞」「伸び悩み」と問題視されるので。)

そんな中、
「ああすればこうなる」はずでやって来たことで
思いもしないほころびが出るのは

やっぱり、人間も「思いもよらない」自然の一部だからなんでしょう。


自然は、いつもこちらの都合よくは行きません。

子どももですし、人間関係だってそうなんだと思います。

じゃ、リスクだけかというと
やっぱりそうじゃない。

「ああすればこうなる」と計算ばかりしてると
本当はどうしたいのか
分からなくなってしまう。

死ぬときに、
計算通りうまくいった。
損はしなかった。

そう思えたとしても、残ったお金を抱えて
私たちは天国だかどこかには行けません。

この世に生まれて、「何の無駄もなく」
「何ひとつ損をしない」人生って、本当に豊かなんだろうか。

例えるなら
枯れることを嫌って、造花を飾るより

いつか枯れても、本物の花の方が
私は好いです。

良い香りや、キラキラと生きる気配、

そしていつか枯れても、

土に還り、その土を育てることも、

かけがえない、素晴らしい世界!

自然は、もっともっとではなく
循環する。

ぐるぐるぐるぐる、
いつか豊かになって戻ってくる!

もっともっとと、言われる世界より
肩の力も抜けそうです。


リスクと言われれば、リスクともいえるけれど

【決して損をしない】【無駄なものが何一つない】造花のような生き方よりは

なんて豊かなんだろうと

私は思います。

大工は大工の。言葉はつたわるか。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


「大工と話すときは、大工の言葉を使え」
そう言ったのはソクラテス。

それを用いて

「コミュニケーションは受け手の言葉を使わなければ成立しない。
受け手の経験にもとづいた言葉を使わなければならない。」

そう言ったのは、ピーター・ドラッカーです。

言葉が通じても、心まで通じるわけではない。

そう思うことがあります。

反対に、言葉は通じなくても、心が通じるような時もある。

心が通じる!までは大げさでも
「あんたのことは、よ~分からんけども、OKだ」と
承認されたような心地になる。

そんなことはありませんか?


どんなに同じ言語で話しても、通じないこともあれば、

「言葉」の通じぬ赤ちゃんや、犬猫や、外国の人に
言葉以上のOKを貰える時、

言葉はあくまで「道具」や「ツール」の一つに過ぎず
絶対ではないのだなぁと実感します。


ウクライナ侵攻が始まったとき、ショックでした。

いきなり、なのだと。

いきなり、何もかも壊されるのだ。誰かの正義の名のもとに。

兄弟国とまで言われ、言葉も通じるのに。

「やめてくれ」といってるのに。


そんな中、ウクライナのゼレンスキー大統領の
戦禍の中からの言葉は、なんと伝わりやすかったか。

世界一貧しい大統領と言われたホセ・ムヒカ元大統領(ウルグアイ)もそうでしたが
言葉は違えど、伝わりやすい言葉を使う人がいる。

それは何故か。

それは、私たち民衆の側に立ち、私たち民衆の言葉で伝えようとしている。

大工は大工の、と言ったのは決して社会的立場だけの話ではないはずです。

「誠に遺憾です」「断固抗議します」
「おっしゃる通りです」

言葉は正しくても、全く温度を感じない時がある。

それは何故か。

育ちのせいかもしれませんが、
(少なくとも私は)頭の中で考える時、心で感じる時
遺憾とか使いません。

残念だという意味やニュアンスは分かるけれども、
どことなく違和感を覚えるのは、
使い慣れないからかもしれない。

もしくは、発する側の「温度」や「熱量」の影響かもしれない。




以前、PTAで県内の女性代表が集まる会議に出たことがあります。

そんな中、代表の方が仕事で出席できないからと
「事務局のものなんですが...(笑)」と代わりに出席された女性がいました。

会議で意見を交換する中で、その方が

「・・・えっと、ちょっと方言丸出しになるんですが、
いつも使っている言葉で言っていいですか?

なんか、きちんとした敬語で話そうと思うと
自分の心と違う感じになるんで」

と前置きして、いつもの、
友達に話すような言葉で話し始めました。

何故かそれがとても印象に残ってて、
みんな笑って、その場の雰囲気がすごく柔らかくなったのを覚えています。


発する側の温度が温かければ、言葉はいらないかもしれない。

逆に
発する側の温度が低ければ、言えば言うほど・・・ということも
あるかもしれない。


正しさより、まずは温度。・・・た、態度もかな(^_^;)

どういう思いで言っているか。

それが大切なんでしょうね(^_^;)

言葉って難しい、です。奥が深い。

信じるということは

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


信じるということは、
闇雲に、盲目的に、
誰かの
何かの
言いなりになることなんだろうか。

最近、ちょっと考えてしまいました。

「言いなり」という言葉はともかく、

おっしゃる通り
言われたとおり
それを疑いもしないで行うことが
「信じる」ということなのか。
私にはよく分からないのです。


「こうしないと、ひどいめに遭う。」と脅すことも

「こうしていれば、幸せになれる」と優し気に言うことも

どちらも「言うとおりにしていれば」が前提で
結果や成果が現れない限り
「おまえの努力が足りないからだ」と言われる。

ムチを恐れて、言いなりになることも
アメを欲して、言いなりになることも

それは、本当に「信じている」ということなんだろうか。

大人と子どもに例えれば分かりやすいのですが

罰を恐れて大人の言いなりになる子
愛情や関心、もの欲しさに大人の言いなりになる子

それは、大人を信じているんだろうか。

言うことをきかないと
ひどい目にあわす大人

言うことをきかないと
愛してさえくれない大人

そんな大人の顔色ばかり気にして
弱い立場の子どもは、
いつ、心から安心できるのだろうか。

仮に、状況によらず
【幸せな状態】というものが、
安心していられること、
心やすらかなことだとすれば、

子どもを安心させてやれることが
大人の、さらには何かの、役割なのかもしれない。

どんなにあなたのことを信じているか
どんなにあなたのことを愛しているか

それを饒舌に語れる人間が
それを語らない人間より
本当に「信じている」と言えるのか
私にはよく分からないのです。

以前、カメラ片手に
朝日が昇るころ、風景写真を撮りに行ったことがありました。

待ち構えていると、
東の空がだんだん明るくなってきて

目の前の田んぼや、山々を
お日様の光が、まんべんなく照らしていきます。


カメラを構える私にも
コスモスの花々にも
雑草にも
土にも

同じように陽が当たっていく。

「あぁ、分け隔てなくって言うのはこういうことなんだ。
いじけて陰に隠れてさえなければ
どんなものにも
こんな私にも
同じように光は当たるんだ。」

と、妙に納得した瞬間でした。

とはいえ、俗世にまみれて
日々不平不満ばかりの私ですので
すぐ忘れてしまうのですが

「信じる」ということの本当は
明日も日が昇ることを
疑いもしないことに似ているんじゃないか。

明日お金が無くなる心配はしても、
なぜか
明日空気が無くなる心配はしない。

それは、
明日も同じように空気があって
同じように生きていることを
疑っていないから。

信じているから。

少なくとも
ムチを恐れず
アメに振り回されず

自分の心を安心させる術を
私なりに
少しでも身に付けたいと思います。

偽物は脅す
偽物は焦らせる

心配に似た
親切に似た

「あなたのため」という名の
【支配】もあるかもしれない。

どんなことにも。
どんなものにも。
お互いに。

信じていれば簡単なんです。
なぜなら自分で考えずにすむから。

そう言ったのは誰だったっけ・・・。

たけおさんぽ ③

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

武雄さんぽ、続きでございます。

念願の、森のような喫茶店【山閑人】を後にし
とりあえず、ホテルに戻って
近場をウロウロすることに。

当初の予定では
山閑人で早めにご飯を食べ、その帰りにビールを買い、
夜のんびり飲もうと決めていたので
あまり遅くならないうちに
戻りたかったのです。

部屋に戻り、ガイドブックを見てみると
有名な武雄温泉の楼門まで、それほど遠くなさそう。

散歩がてら見に行って、
ついでにビールも買ってきましょう。

西九州新幹線開業に伴い、今年の秋に
新幹線が乗り入れることになった武雄駅はピッカピカ。

人口およそ4.8万人と、中津市の半分強ほどですが
新幹線は乗り入れるわ、
世界的な建築美を兼ね備えた公立図書館はあるわ、
スタバは2ヶ所もあるわ・・・。

人口だけで判断するには、
なかなか侮れない、武雄市。

大きなデパートや、銀天街があるわけではありませんが
駅周辺はこじんまりとしながらも
やっぱり観光温泉地の風格です。

温泉宿が立ち並ぶ路地を歩いていくと、
見えた、あれだ!

楼門

「千と千尋の~」ではありませんが、
いきなりこれが出てくると、異世界に来たような不思議な感じがします。

楼門屋根

ここから先は、別世界。

八百万の神様が集う、お湯屋に違いない。

券売機で券を買っている、あの"おいちゃん"も
きっと人の姿をした、どこかしらの神さんに違いない。

楼門の屋根

・・・と、なんとなく入りにくい感じもして
外から見学することに。

楼門の翼屋

竜宮門から伸びる翼屋も、エキゾチックな趣。


設計は、唐津出身の辰野金吾氏。
あの、東京駅の設計者です。

(最近、グリコ森永の創業者も佐賀生まれと知り、ビックリしたばかりだったので
佐賀=業界でグイグイ活躍!のイメージができてしまいました。)

楼門

見事ですよね~。

天平式楼門と呼ばれ、なんと釘を一本も使っていないのだとか。

竜宮門なので、一部は漆喰。

もくせい工舎も漆喰を使うので、

もくせい工舎の漆喰の壁

ちょっと醸し出している雰囲気が似てますね。

モルタルだと、似たように作っても
何か違う気がします。
汚れ方も、古くなり方も違う。

素材の質感が、手ざわりにも
雰囲気にも影響するんだと思います。

素材の質が、空間の【佇まい】をつくる。
すごいなあ。


楼門で、お風呂にも入らず写真を撮りまくり
さて、どうしよう。

散々歩き回って、お腹もすきました。

焼き鳥屋と猫
(テイクアウトの宅配担当でしょうか?ぐっすり待機中のクロネコヤ●トさん。)

う~ん。おいしそうだけど
焼き鳥の匂いをプンプンさせて
ロビーとエレベーターを通過するのも
なんだかなぁ。

しばらくすると、雑貨屋さんのドアの前に
【デトックス薬膳カレー】の文字。

デトックス!

・・・そうとう毒も溜まってたんでしょうか。
吸い寄せられるように店内へ。

そこは、昔ながらの喫茶店+雑貨屋【中村屋】さん。

時間が時間だったので
「・・・あの、食事できます?」

「6:30から集まりがあって、ここを使うんですが
それでもよろしければ。」

うん。一時間くらいはある。

中に入って、薬膳カレーを注文しました。

店内には東南アジアの
エキゾチックな雑貨がいっぱい。

どこの国か分かりませんでしたが、
東南アジアの方の、写真もいっぱい、
壁一面に貼られていました。

(・・・何か支援している人なんだろうか?)

年配の優しそうな女性店主が
店の奥で手際よく、作ってくれている音がします。

ご近所さんか、顔見知りか
テーブルの、お客ではなさそうな女性と話しながら
あっという間に作ってくれました。


「辛かったら、これで調整してください」

そう差し出されたのは、クルミをバナナで和えたもの。

デトックス薬膳カレー

このカレーがですね。

本当においしい。

色々なところで薬膳カレー食べる私ですが、
一番好みだった。

スパイスがとがっていて、コクがないとか
辛いだけ、とかじゃなく

スパイスしっかり、
旨味しっかり、おいしいカレー!

ちょっと辛いので、混ぜたバナナとくるみが
これまた美味しい!

外から見ると、おしゃれエプロン並べた
昔ながらの喫茶店&雑貨屋さんなのですが、

意外に、といったら失礼ですが、
意外なほど美味しかった!


後で調べたら、店内に貼っていたのは
カンボジアの写真のようで。

一ノ瀬泰造さんという、武雄出身の写真家をご存じでしょうか。

私は名前は知らなかったのですが、
「地雷を踏んだらサヨウナラ」のフレーズだけは
聞き覚えがあって。

昭和22年生まれの報道写真家、戦場カメラマンで
昭和48年に、クメール共和国にて
残念ながら、遺体で発見されています。

S22年のお生まれとのことですから
私の母とほぼ同世代です。

その方の写真展が武雄であった時、
イベントとしてカンボジアカレーを
期間限定で出していて、とかまでは分かったのですが
お店と一ノ瀬泰造さんとの関係や、
貼っていたのが本当にカンボジアかは
はっきり分からず・・・・。

でも、店主の女性も
年齢的には母と同世代くらいだったので
何かご縁があったのかな、と妄想してます。

山閑人さん然り、
中村屋さん然り、

色々な物語がありそうで、
奥が深い。武雄。


「あ~、明日は息子を迎えに
佐賀市内に戻らんと!」

ドラモリでビールを買い込んで
見上げた武雄の
夏の夕暮れは

202206_takeo_sky.jpg

綺麗な青が広がっていました。

「ついで旅」とは言え、旅はいいなぁ。

縮こまってしまいがちな世界を
少し広げてもらえました。

(ちなみに、後日Googleからのお知らせで、この日は、4時間半歩いていたようで。
私のウォーキングの、9日分相当でした。どうりで筋肉痛・・・。)


たけおさんぽ ②

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

前回に引き続き、武雄珍道中のお話でございます。

武雄市立図書館で、
さんざん武雄市民をうらやましがって、ふと時間を見ると
チェックインの時間も、そろそろ。

ちょと行ってみたかった喫茶店が
少し離れたところにあったので
とりあえず先にチェックインして、

部屋を見たうえで出かけなおすことに。

ビジネスホテルなので、足りないものとか
あるかもしれませんしね。

暗くならないうちに写真も撮りたかったので、
早々に出かけることにしました。

皆さんは、カフェとかご飯屋さんを探すときに
どうやって探しますか?

私は、Google検索で
【カフェ 景色が良い 見晴らしが良い 居心地が良い】
などと入力して、レビューの真偽を吟味の上、出かけます。

味も大事なのですが、とにかく
景色が良いことや、居心地の良さは必須!

それが良ければ、味はまぁ、美味しければラッキーくらいなのです。

そのGoogle検索ならぬ、ことりの母さん検索にヒットしたのが
武雄市朝日町の【山閑人】さん!

どんな所かというと~

アプローチ
アプローチは、こんな感じ!

ちょっと近寄りますね↓

アプローチの花

緑のトンネル、小さな小道、かわいい花々、
手づくりの外灯!

これは、もう期待できますよ!

アプローチの木々の間を入ると
店舗までの階段までに
あるわ、あるわ、味わい深いもの(笑)

外灯

看板

店舗入り口付近

こんなに手づくりの可愛らしいものばかりに迎えられて。

嬉しい限りです♪

・・・と、ここまで書いておきながら
ふと気になった。

・・・どんな人なんだろう。

オーナーさんらしい年配の女性が
カウンターに時折現れていたのですが
主に店内にいたのは、きっとバイトの方。

こういう空間を、
看板から何から、味わい深く手づくりする雰囲気を、
行った当初は(うかれてて)そこまで考えもしなかったのです。

難しい時代になって、
お店の紹介になるからと何でも勝手にできませんので
詳しくは、【山閑人 ブログ】で検索して頂くと、
山閑人ママの記事が並びます。

きっと、時折現れたあの女性が、ママさんなんでしょう。

私も先ほど、ちらっと目を通した程度なので、
詳しくはそちらで見ていただくとして。

・・・う~ん。ブログも奥深いですよ。

なんでも、父さんが倒産して、廃材で
大きな岩の上に建てた「我が家」が前身なんだとか。

30周年記念の記事に、土を掘り出し、
廃材を運び・・・と写真が並ぶのですが

・・・なんでやろ、すごく羨ましいのです。

積み重ねてきたご苦労や、これまで試行錯誤しながら
やってこられたことを、
部外者の私が分かるはずもないのですが

この、濃密さというか
人生の濃さって、なんなんだろう。

誰かと一緒に何かを作り上げる、って
すごく奇跡的だと思うんです。

そういう【出会い】なくしては、成り立たないような。

【出会い】がないことを理由に、自分には無理だったと
言うこともできるのですが

それを成し遂げる、って努力とか根性以前に
もう頭で考える範囲を超えている感じがする。

とにかく、やるんだ。

なんだけど、それすらも
頭で考えていない。手が動く。足が動く。体が動く。
理屈じゃない感じ。

無我夢中って、こういうことじゃないか。

成し遂げねば、というのは
きっと「我」の話で
理屈抜きで動くとき、自分でもよく分からないけれど
夢中になってやったことって、
人智を超えているというか、奇跡的だと思うのです。

空間は、その人の周りに広がる景色は、
その人の意識が働いている。

そうだとすれば、山閑人という喫茶店の
雰囲気は、オーナー夫妻の
世界観の表れでもあるってことですよね。

それが、人々を魅了し、癒しているのって
本当にすごい!

それでまた、ブログの写真もとても良い!

写真って、上手い下手以上に
その人の「目線」が出ると思うんです。

その人が、何を見、何を気にしていたか。

写真の撮影者は
おそらく山閑人ママさんなんだと思うのですが、

木の洞に降り集まった桜の花びらや
桜の木の小さな新芽・・・。

お話しする機会もありませんでしたが、
目線がとても、優しいのです。

気が向いたら、ぜひ山閑人ママさんのブログも
ご覧ください。

もくせい工舎が気になる方は、
こんな雰囲気、お好きじゃないかな。
そうだといいなぁ~(*^^*)

階段から
ノウゼンカズラでしょうか?暑い夏に、パッと華やかで、きれい。
・・・それにしても、ここ、岩の上だったのねぇ~。

ちなみに、当てにしていた食事は
コロナの影響もあってお休み中とのこと。

美味しいお水で入れた、美味しいコーヒーと
ケーキは頂いたのですが

・・・困ったな、当てにしていた
ご飯がない。

せっかく武雄に来たんだから、
これぞ!ってものが、できたら、できたら食べたい!

次回、おばちゃん半一人旅。
孤独にグルメなるか?

続く

たけおさんぽ ①

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


先般、子どもの部活動の送迎で佐賀入りすることになりました。

子どもは一泊二日。
さて親は。
翌日も連続で往復するのか、考えましたが
時間と燃料費うんぬん鑑み、
ついでに以前から一度行ってみたかった
武雄市図書館に行ってみることにしました。

つまり、ついでに半一人旅です。

おまけのついでにブログの記事にすれば
取材みたいなもの(?)。
つまりれっきとした仕事ってことになります(多分。)

いつもと違う、番外編。
今回は、武雄散歩にお付き合いくださいませ。

佐賀には佐賀サンライズパークという
色々な競技に対応した大型のスポーツ施設があり、
九州各県から多くの選手や関係者が集まります。

数日にわたる試合ともなると
周辺のホテルは満室御礼状態。

当然、選手ではない親の部屋など取れるわけなく、
「仕方ないな~」とニヤニヤしながら
武雄に宿泊したのです。

あ~、嬉しい。
嫌々ではなく、旅だなんて久しぶり。
前回宿泊したのなんて
PTAで宮崎に総動員された時くらいですから
行きたくて行くのは、十数年ぶり!

嬉しいに決まってる!

佐賀市内から武雄までは、下道で45分前後。

中津から行橋手前くらいまで、といった感じでしょうか。

カーナビがないので、Googleマップ頼みで
ようやく着いた武雄市立図書館!

武雄市立図書館

後ろに見える特徴的な山は、御船山。
これが見えると武雄~って感じがします。

武雄市立図書館は、図書館と蔦屋書店とスタバが併設された
いまや武雄の観光名所ともいえる場所。

公式ガイドブックによると
世界で最も美しい書店に選ばれた【代官山蔦屋書店】を手がけた
CCC(カルチャ・コンビニエンス・クラブ(株))と武雄市が
タッグを組んで2013年にリニューアルオープンしたとのこと。

ニュースで知って、「わぁ~、行ってみた~い」
そう思ってから、なんと9年近く(笑)

やっと念願かなったわけです。

内部は撮影できませんので
公式サイトやGoogleで見ていただくとして。

武雄市立図書館エントランス付近

何とか、外から撮影したこのディスプレイご覧になっても
どんなに洒落ているかお分かりいただけると思います。

司書さんの制服も、それはそれは、お洒落。
カフェの定員さんのように黒のベストにスラックス。
最初は、司書さんだと分からないほど
とてもスタイリッシュなのです。

しかも、建物は
これが本当に公共の、お役所のつくった
施設なのかと思うほどの建築美。

木の好きな方は、天井を見るだけでも
惚れ惚れするかと思います。

本を購入するスペースが
思ったほど広くはないのですが

料理本コーナーには、調理器具や調味料
赤ちゃんの絵本コーナーには、セレクトされた雑貨など

それはそれは、見てて楽しいのです。

販売コーナーと貸し出しコーナーに
ハッキリとした囲いがあるわけではないので
背表紙の図書館貸し出しのシールや、展示案内で
「おっと、ここは貸し出しなんやな」と気づく感じ。

販売コーナーも、我が地元の
明●書店のように、週刊誌や漫画、ベストセラーなど
「売れる」本満載!ではなく、かなりディープというか
珍しいものが、目につく場所に置いてある。

私は
『武雄市図書館公式ガイドブック』
『ジブリの立体建造物展図録 復刻版』
『樹木たちの知られざる生活 森林管理官が聴いた森の声

の3冊を購入しました。

どれも、本当に楽しい本。

特にジブリの建物のイラストなどは
もくせい工舎でお家を検討されている方などは
お好きなんじゃないかなぁ。

なんであんなラフに描いて
あんなに上手なんやろう。
スゴイな、宮崎駿!
・・・と思います。

ジブリに出てくる建物って、自然な感じですから。

自然素材の家が好きな方は、
きっと気に入ると思いますよ。楽しい!

さすがに借りては帰れませんし、
買った本を読みながら...の時間の余裕もなかったのですが

スタバ

ちゃんとスタバも満喫して
図書館を後にしました。

いいなぁ、武雄のみなさん。
こんなところで本が借りれるなんて。

結構長くなりそうなので
続きはまた次回!

次回につづく


かわいいと思うものは

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


わが家の玄関先のツバメが、今年は無事に巣立ちました。

2022_空っぽになったツバメの巣

今年は、というのには理由があって
数年ぶりの巣立ちなのです。

わが家が建ってから数年。

わりと早い段階でツバメが巣をつくるようになりました。

ことりのかあさんと名乗るくらいですから、
鳥は好きなので、ツバメwelcome!

FUNの心配も、デッキブラシでこすって流せばよいので
何の問題もなし。

可愛いヒナが見れるなら、なんてことはないのです。

2022_今年のツバメのヒナ

これは、今年のヒナたち。

卵のかけらが数個落ちていましたから
フルメンバーとはいかなかったようです。残念ながら。

個体の識別まではできませんが、きっと
違う夫婦が来ているんだろうと思います。

なぜなら、毎年個性的だからです。

巣作りが上手なカップルもいれば、
下手なのか材料が悪かったのか、
せっかく作ったのに巣が崩れてしまうカップルもいました。

夫婦の連携が取れていて、絶対に巣をどちらかが守っているカップルもいれば、
お互いに好き勝手出て行って、いつもヒナがお留守番のカップルもありました。

今年は、神経質なくらいヒナを守ろうとするカップルだったので
あまり写真が撮れませんでした。(と、言っておこう)

友人の、今は亡きお父さんが
「ツバメが巣をつくる家はいいぞ!」とおっしゃってくれたのですが
今思えば、遠くはるばる国境を超え、海を越えた来たツバメに

巣作りくらい多めにみてやってよ

そんな優しさをこめた方便だったのかもしれませんね。

ヒナが小さいうちは、鳴き声も小さく弱弱しいのですが
大きくなって体力がつくと、
玄関先で「ジージージージー!」と
エサをねだる声がリビングまで届きます。

そしていつの間にか、巣が狭くなるころ、
それまで巣の中にいたヒナたちが、
巣の際に「とまる」ようになります。

「あ~。明日にでも巣立つかもしれんね~」

そう言っていた翌朝!

2022_巣立ったツバメ

めっちゃ飛び回っていました(笑)

まだ下手なのか、木の枝に止まって一休みする子、
出遅れて残っている子、色々でしたが
陽が高くなるころには
巣は空っぽになっていました。

あ~。良かったぁ~。

本当に、無事巣立ちの時を迎えるまで
可愛い反面、こちらはヒヤヒヤなのです。

あ~、本当に良かった~。

ドヤ顔のツバメ

↑ちょっとドヤ顔に見えんでもない?

立派に大人になって。

・・・と思いきや、子どもが言うには
電線で親にジージージーとエサを貰っていたとのこと。


・・・まだまだ、すねかじり真っ最中やん!(笑)


それはともかく、
また、来年元気で戻って来てくれますように。

何かをかわいいと思うことは
心配の種を一つ拾うことなのもしれない。

かわいいと思うものが多いほど
心配の種も増える、のかな?

言い方を変えれば、心配の種は
希望とか祈りのようなものかもしれない。

可愛いから、無事でうれしい。
ただ、それだけなのです。

またおいで!
ここで、待ってるからね(^_^)/~

あいはあるか。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

先日、もくせい工舎以外の新築の建物にお邪魔する機会がありました。

「うわぁ~、新しい匂い!」
来場者も口々に言って、見学していました。

「建築の専門家として、どう?」
そう聞かれたのですが、
何の専門家でもない私。

「シーリングライトまで、透け感のある模様が入っていて
おしゃれですよね~」というのが精いっぱいだったのです。

それはそれは、素敵な建物だったんですが、
なまじ毎回もくせい工舎の新築ばかりにお邪魔しているからか、
口寂しいならぬ、鼻寂しい。

あの、【まさしく木‼】という匂いがあまりしないのです。

「なんか断熱材はかなり良いのが入ってるみたいで」とおっしゃっていたので
あの、ちょっと嗅ぎ覚えのある匂いは
サーモウールだったのかもしれません。

実は、かなり鼻がいい私。
数軒先のうなぎ屋の匂いはともかく、
寿司屋の酢飯の匂いまで嗅ぎ分けることができます。
(残念ながら、これで得した覚えはない。)

サーモウールに関しては、
お施主様方は屋根裏などを開けて見られると
独特な匂いが分かると思います。

(サーモウールかはハッキリしませんが) だからか、空気は珪藻土を塗ったのかと思うほど清々しい。

なのに、足りないんです。木の匂いが!

・・・まいったな、こりゃ。

あまり「新築」というだけで、家にときめかなくなっています。


実は、木の家に住んでいるからといって
いつも木の香りを感じているわけではありません。(個人差あり?)

ただ、来客時に
「すごい木の良い香りがする」と言われるので
鼻が慣れてしまっているのかもしれません。

一方で、風呂上がりに脱衣場から出た時、
玄関から入った時、
その時の風向きや湿度の関係でしょうか、
ふと、「木の香」を感じる時があります。

そういう時は、「あ~、木の家に住んでいるんだな~」と実感します。

もくせい工舎の広告を書かせていただきながら
いつも思うのは、万人受けするかは別だという点です。

なぜなら、家に対する考え方は色々だから。

自然なものや、木の香り、素材の手に触れる感覚。

そういったものに全く関心のない人もいるからです。

「家は寝に帰るだけ」
そう言っていた私の母は、
建売住宅の実家にあまり愛着もないようで、
「サッサとカギ1つのマンションに住みたい」と言っています。

「家が数件建つほどリフォームした」はずの実家ですが、
特に【家】というものに関心がなければ
乗り換えることに寂しさも感じないのかもしれません。

私は、物心ついたときから木が好きでした。
落ち着くのです。

万人が万人、木の家が好きだとは限らないけれど
木が好きな人には、微力ながら
何か伝わると良いな。と願っています。

一長一短あるかもしれない。
どんなことにも。どんなものにも。

それでも、私はまた建てるなら
木と土の家です。

長短という個性を含め、
かけがえないのは、子どもと一緒のような気もします。

そういえば、まだ子どもに手がかかっていたころ。

何かの本で読んだのか、文言はハッキリ覚えていませんが
こんな言葉がありました。

「あなたの子ども達は、あなたが完璧だから好きなのではない」
(※文言、出所ハッキリしません。記憶が曖昧です、ごめんなさい。)

こうあるべき、あああるべき。

大人になるほど、物差しは多くなる。

でも、理屈抜きに大事ってこともある。

親子も家も、そうだといいなぁ。

木の家が好き

傷つきやすいことは

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


木は傷つく。とりわけ、スギは。

それでもあえて使うのは
それ以上に大きな魅力がスギにあるからなのですが

そこは、ぜひ5月末の構造見学会で永家さんに質問してみてください。
(※ちなみに、傷がついた!と思ったら、濡れティッシュを傷口に置くとか、応急処置あり。)

その永家家(←こう書くと変ですね(笑)「ナガイエ・ケ」と読んでください。)には
ヒノキの床とスギの床が隣り合わせに貼ってある箇所があります。

もし、その床の上に立つ機会があれば
その理由の一つが分かると思います。

mini_sugi_hinoki.jpg

ヒノキは頑丈そうですが、足の裏を通した感覚は
硬く、冷たい。

同じ無垢の木ですが、スギの方が温かく優しく感じる。


確かに、傷はつかないにこしたことはない。
硬くて頑丈なら、いつまでも美しい見た目が期待できるでしょう。

とは言え、少しの傷もつかない頑丈なものは
下手すると、こちらが痛いのです。

鉄板の上と、柔らかい草原の上。
転んだ時痛そうなのは、頑丈な方です。
鉄板の上でリラックスは難しいですが、
草原の上は、心地よい。

傷がつきやすいということは、裏を返せば
【相手を傷つけにくい】ともいえる。

私たちは直に床に触れる機会は少なめですが、
ハイハイの赤ちゃんだって、
硬く冷たいものよりは、木の方がきっとお好みでしょう。

鉄板より、プレイングマットより、スギの手触りの方が
ずっと触れていたい心地よさです。

人間だと、傷つきやすい人が
必ずしも人を傷つけないわけではないけれど

傷を含め、負ってきた経験が
その人を「その人」にしている。
そういうことってあるんじゃないか。

無垢の木の家が、唯一無二だというのは
そういうことでもあるんじゃないか。

木も人も、同じようでいて同じものなどこの世にない。

ましてや、生まれ育った環境、
傷を含めての経験、そして、それから後のこと。

傷を含め、家としての歴史が
その家を「その家」らしくしていく。

同じ無垢の木の家を建てたとしても、
サトウさんは、サトウさんらしい「家」に、
ヤマダさんは、ヤマダさんらしい「家」になっていく。

傷を負ったことが、人の価値でも
家の価値でもないけれど、

傷を「味わい」にできるのは、
生き続けているからだともいえる。

私の家は、私に似合う家になっていく。
あなたの家は、あなたに似合う家になっていく。

それは、きっと自然体で無理のない、
人の在りよう、家の在りようとも
言えると思います。

少なくとも私は、
いつまでも新築かと思うような、傷つかない(らしい)「可愛らしい家」を建てて、
それに似合う「いつまでも若く可愛い私」で居続けることは
無理かなぁ(^-^;

「この家、なんかすごく似合うね。
あなたらしいね。」

そう言われたら、私などは
ちょっと嬉しい。

こしかべ~

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


いつもなら15日と30日に(なるべく)ブログを更新するのですが、
今回は1日早く、明日に完成見学会を控えたお家のことをご紹介します。

なんだかんだと、ありがたいことに
見学会の続いているもくせい工舎。

木の家を気に入ってくださり、また
見学会等にもご協力いただき、お施主様本当にありがとうございます。

撮影にお邪魔した時は、外回りはこんな感じ。

無垢の木と漆喰のもくせい工舎の自然素材の家

まだ、ユンボが残ってました。連休中にでも、
土塊がなくなった状態を撮影に伺えたらと思います。

今回は、見学会前に取り急ぎ「こんな感じ!」っていうのを
ご紹介していきます。

無垢の木と漆喰のもくせい工舎の自然素材の家・玄関のニッチ

こちらは玄関のニッチ。今回は、ちょうどタイミングが重なったので
わが家の庭に咲きまくっていたナニワイバラに協力してもらいました。

2017_ナニワイバラ
ナニワイバラが満開の時は、
それはそれは息をのむほど美しく、

その後、暴れる枝を選定するときは
それはそれは息の根が止まるほど痛いという

「美しい薔薇にはトゲ」の極端な例と言えます。

うっかり植えると大変なんですが、やっぱり満開は良いんだなぁ、これが。

ニッチの下には、腰壁。
これは、今までも玄関でお目にかかることがありました。

こちらのお家は何と言っても、

天然木の無垢の木の腰壁・リビング

リビングにも、こしかべ~!

どちらかというと、床から天井まで漆喰を選ばれるOB様が多い中、
腰壁チョイスの方は少数派。

でも、こうしてみても、可愛い!ですよね。

昔の学校みたいな、ノスタルジックな感じがします。

天然木無垢の木のテレビボード

玄関ホールの扉を開けると、大工さんが作り付けてくれた
立派な無垢の木のテレビボードが。

ご要望に応じたオリジナルなんです。

それからこちらは、キッチンも可愛い。

天然木無垢の木の自然素材の家のキッチン

奥に見える引き戸のガラスが、何とも味わい深い。

そして必見は、IHクッキングヒーター周り。

タイル調の壁

自然素材の家のキッチン回り・タイル張り調

こんな可愛いタイル調のパネルがあるんですね~。

当たり前だけど、後になるほど
性能もデザインも良いのが出てくる・・・。
いいなぁ~。

もう一つ、おすすめはここ!

自然素材の木の家のロフト

ロフトで~す!

こちらのロフトのハシゴはがっちり固定型。

安心して登れます。

撮影する私としても、こちらの方がありがたい。

こちらのロフトの良い点は、
「異空間」として独立していることです。

わが家にもロフトがありますが、
ヒョイと覗けば、下はリビングです。

・・・これ、子どもが小さいうちは良かったんです。

でもな~、大きくなったらというか
私も読書が好きなので、
「うるさくない」「人の気配が気にならない」「ひとりになれる」
そんな空間って、やっぱり大事なんですよね。

息をつく場所っていうか、
頭を休める場所っていうか。

ちなみに、人の疲労の原因は
体力的なことよりも
脳みその疲れとの説もあり。

どんなに仲の良い人とのランチでも、
脳みそは疲れてしまうんだとか。

脳を休めて、リフレッシュしたければ、
「ビバ!一人飯!」らしいです。

大人も、子どもも、ちょっと一人になりたい時って
ありますよね~。

うん。こちらのお家のロフト。
そういった意味で
「あ~、こんな読書部屋ほしい。」
と、つぶやいてしまったのでした。

いいなぁ~。

こちらのお家、明日明後日見学会です!

もくせい工舎が建てる自然素材の木の家・完成見学会チラシ表面

もくせい工舎が建てる自然素材の木の家・完成見学会チラシ裏面


アップするのが遅くてすみません。
取り急ぎ、バタバタしたご紹介となってしまいましたが
木の家が好きな方、気になった方は、
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見学会開催中はWebでのご予約ではなく、0120-327-892までお問合せください。
ただし、予約状況によっては当日はお断りする場合もあります。
どうぞご了承の上、早めのご予約をお願いいたします。



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探すのをやめたとき

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


前回、リフォームのお家の記事を書かせていただきました。

撮影に伺うことになって、以前のお家の写真などを見て、
改めて思うことがありました。

中古住宅に出会うことも、縁だなぁと。

私は家を建てた今でも、時々中古物件や空き家情報を見ます。

間取りや、その家の周辺環境、(信憑性はともかく)地盤スコアまであります。
もしここに住んだら、どんなだろうかと
妄想?するのが楽しいのです。

「お?良いな~。お金さえあればな~」という物件は
やっぱり売れてしまいますし、
「う~ん。どうなんだろう。」と思った物件は
やっぱりなかなか売れていません。

有名どころのサイトにはなくて、
市町村の空き家バンクにだけ載っていた物件もありました。

良さげなものは「交渉中」から「掲載終了(決定)」に至るのも
すごく早い。

たまたま見て、たまたま条件があって、気に入って。

中古住宅然り、土地にしろ、人にしろ、
縁というものがあるのかもしれない。

必死で探していると見つからないのに、
「まぁ、いいか~」って探すのをやめると
絶妙なタイミングで見つかったりする。

そんな歌もありましたっけ。

もし見つかって、縁あって、
とんとん拍子で進んだとしても、
不平不満、問題なんて一切なし!
・・・というわけにはいかないかもしれない。
そこそこの、なんだかんだはあるかもしれない。

ただ言えるとすれば、やみくもに
「無い!無い!」って言いながら過ごす月日と

「縁があれば、あるんだろうなぁ」位に構えてる月日は
きっと疲れ方が違うように思います。

心の根っこが動けば、体も動く。
理屈抜きに、ということもある。

今、家を漠然と考えている方も、
これだ!と思えば、きっと一気に【事】が流れ出すときが
きっと来ると思います。

それまで、色々見て目を肥やしておくのが
今できることの1つかもしれません。

4/30・5/1に完成見学会も宇佐市にて開催します。

4/30・5/1自然素材の木の家完成見学会

良かったら、試しに見に来てください。

【事】が動きだすかもしれませんよ~。

宣伝でした~(^^ゞへへへ


全然違う!

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


本当は見学会前に少しご紹介できれば良かったのですが、
思っただけで、結局及ばず・・・。

遅ればせながら、先日の再生見学会のお家の
撮影時のことを書かせていただこうと思います。

その前に、何よりも!
お施主様のご厚意に心より感謝いたします。

展示場を設けない主義のもくせい工舎にとって
お施主様方のご協力はどれほどありがたいか!

本当にありがとうございました。


さて撮影は、見学会の前日にお邪魔しました。

まず撮影用の花を活けることから始めるわけですが
強風と不器用も手伝って、相変わらずモタモタと作業していたんです。

モタモタしていると、
どんどん下校途中の小学生が通りかかります。

そう、この日は宇佐市の小学校は終了式だったようで。

この近くの学校と言えば、駅館小学校。
親御さんの躾か、先生の努力の賜物なのか、
通る子、通る子、元気の良い挨拶をしてくれます。

知らん顔されるより、とても嬉しい。

嬉しいのに、私は気の利いた挨拶プラスワンがなかなか出てこない。

日頃、黙りこくってパソコンに向かってばかりで
たまに話すのは猫なので
こんな弊害が出たりします。

声をかけてくれたお子さん、怪しげなおばちゃんでごめんなさいね(T_T)

車を止めさせていただいたお家の方にも
「もう、本当に変わった!全然違う!」と声かけ頂きました。
(その節は、ありがとうございました。助かりました。)


全然違う!の言葉通り、どれくらい違うかというと・・・。

mini_2022032627_reform_before.jpg

このお家が、こう!↓

mini_2022032627_reform_after.jpg

わ~!全然違う!
っていうか、いつもの新築なんでは?と思っちゃう。

違う証拠が、ここ。

refo_kiso.jpg

通気口です。

もくせい工舎の新築の家はベタ基礎なので
これ自体がありません。
基礎と土台の間にスペーサーという
通気孔がぐるりとある仕様です。

だから、新築に見えても
れっきとしたリフォームってことになります(当たり前?)


翌日の会場準備のため、永家さんが設置していた
改修中のお家様子が分かるパネルが会場にありました。

2022_refo_before_pane.jpg

それによると、こんな感じのお家が
before_2.jpg
こうなって
before_1.jpg
こんな基礎が出てきたりして。
before_3.jpg
こういう昔の基礎って、毎回素人ながらもビックリします。

だって石に木を載せただけで、何十年も暮らしていたんですから。

中古住宅買って、自力で改修できる能力がない私には
できたところで、この基礎を何とかすることまで
きっと及ばないでしょう。

基礎のこと考えても、
桶は桶屋に任せるのが無難なように思えてきます。

自力でやれたら、カッコイイんですけれども。

天井明けたら、こんな梁が出てきて

before_5.jpg

・・・ってこれは、古民家好きにはたまらないですよ。

羨ましすぎます。いいなぁ~。
なかなか、こう本物の、歴史を刻んだ梁って
簡単には望めない気がします。

それを活かして自然素材でリフォームすると

202203_refo_hari.jpg
refo_IMG_9137.jpg
こんな感じ!

でこぼこした梁の捻った感じや、壁に埋められた感じが
本物の古民家感満載です。
味わいが違います。

いいな~、いいな~と言いながら
撮影していた次第です。

このお家の詳しくは、いずれまた施工実績にて
ご紹介させていただくかと思います。

お施主様、撮影にご協力いただきありがとうございました。

このことが、次の
木が好きな方や、自然な暮らしを本当に必要とするご家族に
新たなご縁として、つながっていけばいいなと思います。

最後に重ねてお礼申し上げます。

どうぞ、木の家で末永くお幸せに。
本当にありがとうございました。

どうか、嫌いなことで死なないで

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


「図書館で前に借りたんだけど、面白い本でね。
返した後も、しばらくしたら読みたくなって、また借りたりしよる。」

大分に住んでいた友人が教えてくれたのが
大原扁理さんが書いた『年収90万円で東京ハッピーライフ』という本。
(※その後増補されて『年収90万円でハッピーライフ』として文庫化されています。)

25歳から、週の2日だけ働いて
残り5日は隠居生活を送る大原扁理さん。

本を出版したころは
年収約90万円で、あの東京で、
それこそ「ハッピー」に暮らしていた方です。
その後、今度は台湾でも隠居暮らしを始めています。

「社会的成功から乗り遅れまくっている」という彼は、
世間一般が考えるフツーから脱出して、
自分にとって何が本当に
身も心もラクで幸せなのかを考えて、実践してみた人です。
実践とはいっても、がつがつした感じでなく
とても心地よく楽しそうな暮らしっぷりです。

扁理さん自身も
「同じような隠居を勧めているわけではない」というように、
読むと、なるほどなぁと納得する一方で、
「これ、家族がいるとそうもいかないなぁ。」と思う面もあり。

家族が全員、こういう考え方なら問題ないですが
強制はできないからです。

ただ、その一風変わった暮らしかた、考え方の中に、
妙に核心をついたものの見方をする人で、読んでいて
ハッとさせられることが多かったのです。

なかでも、仕事と就職について書かれている箇所は目から鱗でした。

ざっくりとしか書けませんが
大原扁理さん的な考え方では

「好きなこと」や「やりたい仕事」なんて
死ぬまで見つからなくっても、別にいいじゃないですか。
大事なことは、「嫌いなこと」や「やりたくないこと」で
死なないことですよ
、と。

・・・これはビックリした。

聡明すぎてビックリした。

好きなことで死ぬならともかく
嫌いなことややりたくないことで死ぬなんて、
本当に馬鹿ばかしい。

話は逸れるのですが、以前過大広告について考えてみたことがありました。
(注:もくせい工舎とは関係ないです)

例えば、実際に行ったこともない店を
過剰に褒めるような内容や、
使って本当に良いと思ってもいない商品を
過剰に評価するような内容で

例え、それがお仕事として
幾ばくかの収入を得たとしても
それって、結局は誰も幸せにならないんじゃないか。

目先のことだけ考えれば
自分はお金が手に入るんだし、
そういう依頼をしてきた会社は、一時的には喜んでくれるんだろうけど
実際にお店がとても褒められたものでなかったり
商品が悪ければ、
会社側も信用を失うし、広告も信用を失うことになる。

大原扁理さん的考え方を借りると、ではどうしたらいいのか。

その仕事(ここでは過大広告ですが)が本当に好きで、
これで死んでも悔いはないなら、構わないかもしれない。

でももし、「こんなことが理由で死ぬのは勘弁してほしい。」
そう思うのなら
「やっぱり、やめとこ!」という道もあっていいのではないか。

過大広告書いて、自分の中にモヤモヤした
毒を貯めるくらいなら
書かずに飢え死にする方が
納得して死ねるような気がしたんです。

(繰り返しますが、もくせい工舎とは関係ない仕事のことです)


自分は本当は望んでいないのに、
「仕方がないから」「任務だから」でやりたくないことを
やらされることもあるかもしれない。

仕事や学校、家庭内だけでなく、国単位でも。

ただ、やりたくないこと、嫌いなことで
どうか死なないでほしい。

命令する人間は無傷で、
なんで小さな子が死ななくてはいけないのか。

知らなかったとはいえ、
命令とは言え、
好きなことで死ぬならともかく
なぜ納得いかないことで
死ななければいけないのか。

例え、うまくいったように見えても
力で外部を抑え込むボスは、
仲間内だって同じことをする。
気に入らなければ、次はあなただ。

みんなボスが好きだから傍にいるわけではない。
怖いからそうしている。

そんな関係は、いつか破綻する。

友人関係にしろ、もっと大きな組織にしろ。

どんなにタダシイ(と思い込んでいる)人が、
どんなにタダシイ(と思い込んでいる)目的のためであっても、

誰かの「それからも続くはずだった人生」を奪っていい理由にはならない。

「嫌いなこと」や、「やりたくないこと」で
どうか、もうこれ以上
誰も死なないで。

子ども達が泣いている。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


「私を怒らせると怖いんですよ。」

そう発した相手が、どんなに「いいひと」であっても
このセリフを聞いた途端、なにかが凍り付く。

要は、「肝に銘じておけ」という脅しなのだ。

脅しで安心は買えない。お互いに、だ。

「あなたとはずっと仲良くやっていきたい」
そうにこやかに笑う相手の懐に
いつでも刺せるナイフを見て
その「友人」の前で安心なんてできるんだろうか。

そのナイフを相手は「護身用」だというかもしれない。

持っていれば、こちらに手出しはできないから、と。

でも、反対にこちらが「護身用」として銃をもったら?

どんどん「護身用」はエスカレートする。
お互いの「ご信用」だって、どんどん地に落ちる。

誰かをいじめなければ
自分がやられるような「仲間」の中で
心から安心する居場所なんてあるのだろうか。

気に入らなければ、何をしでかすか分からない
その「ボス」を心から信頼できるだろうか。

やらねばやられるからと
誰かを排除しつづければ、
自分は安心なんだろうか?

そのうち、自分の番が回ってくるだけだ。

権力の座、何かのトップ、
そういうものは「下」だと思い込んで見下している
市井の人々あってこそだというのに
それに気づかない。

この星で人っ子一人で
権力も何もあったもんじゃない。

どんなにきれいごとを並べても
どんなに正当化しても、

ほら見ろ。子ども達が泣いている。

子どもを安心して、笑わせることもできないで
そんな大人がエラそうなこと言えない。

土地は祖先から譲り受けたものではない。
子孫からの借りものである。

ネイティブアメリカンの言葉を借りれば
この土地は、この世界は
権力者だと思い込んでいるアンタのもんでも、
その他大勢の大人たちのものでもない。

ほら見ろ。子ども達が泣いている。

「大人」は今すぐ、蛮行をやめるべきだ。
恥ずかしい。

【伝えたいこと】があるか、ないか

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


イベントのコーナー等でもお知らせしましたが
今月末宇佐市にて構造見学会が開催されます。

そちらにも書きましたが、構造見学会って
工事途中なので地味なのです。木の骨組みばかりですし。

じゃ、おもしろくないか。
見ても仕方がないか。

その点に関しては
もくせい工舎の構造見学は、ちょっと異質とも言えます。

実はOB客でもある私。

もくせい工舎を知ったきっかけとなったのは
あるフリーペーパーの構造見学会の広告だったんです。

その広告は手元にないのでお見せできないのですが
だいたいこんな感じでしょうか。

構造見学会ってこんな感じ

なんかすごいでしょ(笑)

いかに小ぎれいにとか、洗練されたように見せるとか
一切なし(笑)

初め見た時に、「?????」って
広告の写真に二度見してしまったのです。

筆で、しかも段ボールに
これでもか!これでもか!と
【伝えたいこと】が書いてある。

・・・変わった工務店だな~と思ったのが最初でした。

当時はまさか一戸建てを建てるなんて夢にも思ってなかったので
その構造見学会には参加しませんでした。

その次の?完成見学会のチラシが新聞に入っていて
そこで初めて永家さん夫婦に会いました。

それがこうしてブログ書いたり
広告や写真撮影に行っているんですから
何とも不思議な縁です。

それはともかく、構造見学会の様子をお伝えしましょう。

例えば、構造見学会だと

構造見学会後の完成した姿1
こんな感じの室内の

構造見学会1
中身を見ることになります。

部外者はともかく、お施主様だって構造見学の時しか見れません。

構造見学会2
この中身だって、完成すれば
構造見学会後の完成2
こう。

「中にあんなにフワフワの羊毛入り断熱材が入っていた!」
というのは、構造を見たからこその実感です。

構造見学会3

中身をきちんとこの目でみてから

構造見学会後の完成3

その後の完成した姿を見るのは
家に対する説得力ならぬ【納得力】が違うような気がします。

一括で支払える場合を除いては、
大半の人は長年にわたり住宅ローンを組むわけです。
しかも、命を担保にして。

そう考えると、なんだかよく分からないものに
払いたくない。

正直言って、見てもよく分からない部分もあるかもしれない。

それでも、「ちゃんと見た」って大きいと思うんです。

もう一つは、いかに作り手に【伝えたいこと】があるか。

永家さんが段ボールに

これでもか!これでもか!

筆で書いたことが、もくせい工舎の根っこなんだと思います。

良い家ってどういうことか。
自然素材で家をつくるとはどういうことか。

考え続けてこないと、【伝えたいこと】だってないはずです。

正直、どんな健康住宅に住んでも
死なない人はいません。

健康住宅に住んでも、たまには風邪だってひくでしょう。

でも、それでもあえて言えるとすれば
やっぱり本当の、本心からの木の家って圧巻なんです。

「自然素材で家を」と考えてもいませんでしたが
私は本能的に、木の家が必要でした。

だからこそ、木が好きな方
自然の風景が好きな方にはぜひ見て欲しい!

まずは、今月末の構造見学会をこぞって見に来てくださいね!

といっても、コロナ対策で4組限定なのですが。

しつこい営業いたしませんので、お気軽に。

ご予約は→こちら♪

それだけが全てじゃない。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


不思議なもので、お腹が痛くない時は
お腹のことを
それほど意識していません。

ところが、いざ痛くなると
気にもしていなかった
お腹のことで頭がいっぱいになる。

具合が悪くなる、つまり日常に不具合が起こると
途端に、そのことばかりに意識が向くようになります。

その不具合に病名がつけば、「病気」なんでしょうか。

検査の数値は問題ない。
病院に行くほどでもない。
けれども、あまり調子がいいとも言えない。

「病気」の反対は、「健康」と言えそうですが
じゃ、その「健康」がどういう状態をいうのかは
かなりあいまいなのかもしれません。

同じように、
幸不幸も言えると思います。

不幸は何となく分かりやすいけれど、
幸せってどういう状態か分かりにくい。

恋人や家族や、お金や、地位や、
何かを手にしている状態を
単純に「幸せ」といえるのか。

同じ状態でも
不幸のどん底のような顔をしている人もいれば
平気で幸せそうな顔をしている人もいる。

じゃ、不幸のどん底のような気持ちになる人が悪いと単純にいえるのか。

同じようなことも
過敏に受け取る人と
鈍い人がいるのは
心の体質のようなものなのかもしれない。

花粉症の人に、過敏なあなたが悪いんだといっても仕方ない。
だって好きでなったわけではないんだもの。

人間にひどい目にあわされた猫に
人間嫌いは性格の問題とは言い切れない。
だって嫌な目にあってきたんだから。

繊細な心(気質)の人に
そう考えるあなたが悪いといっても
もう、受け取った時点で
アレルギー反応のように心が反応してしまっている。

何も好き好んで過敏になったわけではない。
だから、まったく過敏な自分を嫌いになる必要ないんじゃないか。

花粉症や猫と違って、少しできることがあるとすれば
過敏に反応してしまうことはさておき、
「落ち着く」ことかもしれない。

体の真ん中に一本の芯があるようなイメージをして
そこがまだダメージを受けてないと思えると
少し楽かもしれない。

心にさざ波が立ってはいるけれど、
落ち着いていたら波は収まる。
それをイメージすることかもしれない。

不具合が起きても、とりあえず生きているなら
大丈夫。

ただ、命にかかわることからは
全力で逃げる必要があるけれど。

生きていれば、なんやかや不具合は起きるけど
自分の命や、芯の部分が無事なら大丈夫と言えるのではないか。

病気になったら、私が一番最初に気を付けることは何かというと、(略)一日中、病気のことで頭をいっぱいにしないことである。
by 宇野千代

宇野千代さんの考え方をアレンジすれば
病気を不幸、というより不具合と言い換えると分かりやすいかもしれない。

不具合で頭をいっぱいにしない。

上手くいってることもあるんだから。


・・・と、自分に言い聞かせているわけです(笑)

「当たり前」をささえるもの

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


わが子が小さい時、それはもう、笑えるほど度々病気になりました。

兄弟そろって気管支炎だの、肺炎だので
入院することも度々で
「幼稚園に今月2日しか行ってない」なんてこともありました。

誰の助けもあまり期待できなかったので
「こりゃ~、まともに何時から何時までの仕事に就くのは無理かもしんない。」

そう思って通信でWebデザイン等を勉強した時期がありました。

今から10年以上も前のことなので
AdobeのDreamWeaverというソフト。

これがまた私のアタマには難しく、
やっとこさ完成させても
InternetExplorer6問題だったか何かで
(こちらできちんと表示されててもIE6だと表示が崩れちゃう問題)
すっかり心が折れてしまい
付属で覚えた
illustratorとPhotoshopでこうして細々お仕事をしています。

日進月歩の世界は
歩みがゆっくりな私にはついていけない。

今はWordpressなんかで、皆さん
サクサクとサイトを作っているようなので
あんなに勉強してみたことも
日進月歩が
「誰でも簡単に」それなりにできるようにしてくれます。

地道にコツコツした経験値が
やがて地層のようになるのとは
ちょっと違う世界。
乗り遅れないよう、最新のものに常にアンテナを張って
刷新していかないと置いていかれてしまう。

ちょっと私には無理でした。

でも、そのWebデザインの勉強の時に
講師の方が話していた言葉が印象的だったのです。

「Webデザイン然りなんですが
デザインって不便や不都合を感じさせないように作ることが前提なんですよ。」

つまりWebデザインでいうと、クリックするボタンの大きさ一つ、位置1つ、
サイトの訪問者に「?」って思わせてはいけないということ。

なんの不便も感じさせず、「さらっと上手くいく」ようしないといけない。

不便を感じさせないのがデザインの仕事ということです。

車や家電などの工業製品のデザインだとよく分かりますよね。
炊飯ジャーでも「炊く」のボタンが一番大きく押しやすいのは
そういう配慮です。
マニュアルを最後まで読まないと「炊く」ボタンが分からないのは
製品としてアウトですもんね。

機能とは関係なさそうなグラフィックデザインの世界でも
イベントのポスターなのに
開催日時がどこに書いているのか分からなければ
「?」ってなりますから、デザイン的には失敗ということです。

デザインとは、設計・図案・意匠のことだと出てきます。
「?」ってなったり、困らないよう設計する機能的な美しさでしょうか。

あ~、でも
「困らなくて」「きれい」ってデザインだけの話ではないはず。

日頃、「なんの不便も感じさせない。」そういう仕事。

おおやけに「役に立つ」と言われている仕事はもちろん、
名もなき、小さな仕事にも
誰かに不便を感じさせず、快適な日常が当たり前に送れる働きがある。

洗濯かごに放りっぱなしにしていた昨日の靴下が
何年も同じ位置にないのは
誰かが洗濯してくれたからだ。

お金になることばかりが仕事じゃないと
頭ではよく分かっていても
そういう小さな仕事って、もう少し有難がってもいいような気もします。

明日起きれば、温かいご飯とみそ汁、お弁当ができてる。

・・・なんて、当たり前じゃないんだよな。きっと。

当たり前のことが、当たり前にできているのは
きっと、陰ひなたなく
誰かがそうやって働いてくれているからだ。

家事は
日々の暮らしに「困らないよう」「きれい」にしてる
デザイン業務とも言えそうです。

あれをやって、これをやって、
こうしている間に、あれをやって・・・。

家事は頭もフル回転。

疲れは「体」ではなく「脳」の疲れといいますから
もう、立派な激務ですよ。

もっと胸をはっていいと思いますし、
ねぎらって貰っても、おつりが出るくらいです。

家族の「当たり前」を支える。

お金になる「仕事」も、
お金にはならない「仕事」も、
どっちも大事。

ただ、お金にならない「おうちしごと」に
もっと光あれ!

・・・と願います。

「なんかいい」を生み出すもの

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


もくせい工舎では、無垢の木と漆喰で家を建てています。

漆喰壁や玄関の三和土風の土間を手がけるのは、日田の原田左研さん。

自然な素材にこだわり、
壁をつくるというより、
壁と壁の間の雰囲気をつくる。

そんな類まれなセンスの職人さん達です。

この漆喰・左官仕事に関しては、
機械化され続けてきた建築の世界で
今も残る、数少ない手仕事の部分といわれています。


だからでしょうか。

工場からパネルで運ばれて
あっという間に出来上がる
新建材のお家に比べ、

もくせい工舎のお家の出来方は
どこか手作りっぽいのです。

また、人の手仕事だからできることもあります。


こちらはもくせい工舎のカタログ等々でよく掲載されるお家なのですが、


もくせい工舎の自然素材の漆喰壁の家

・・・パッと見て何かお気づきになりますか?

そう、このお家、カドがないのです。

もくせい工舎の自然素材の漆喰壁の家。角がないので優しい雰囲気。

緑色のラインの中を拡大すると・・・↓

手仕事で丸くなった漆喰の壁

他にも、パッと見シンプルなお家ですが、

自然素材の漆喰の壁の家の外観

近くまで来ると、その仕事ぶりに驚きます。

漆喰壁の角が丸い仕上がり

カドが丸い・・・だけなのですが
これだけでフリーハンド感が出るというか

ジブリ作品の背景画のような
優しい雰囲気になるのは驚きです。

これは、人の手による仕事だからでもあります。


また、もくせい工舎の家でも
同じようでいて
よく見ると鏝の跡は、かなり違います。

漆喰の鏝跡の違い
同じ「凹凸をつけた塗り方」であっても、左のように滑らかなアイスクリームのように塗った鏝跡もあれば、
右のように「ほら穴っぽい」質感で仕上げた鏝跡もあります。



私たちも
毎回同じように書いている自分の名前だって
意識しないと微妙に違います。

筆跡は同じでも、紙の摩擦や腕の位置で
全く同じにはなりません。


下は、パソコンなどで使われるフォント(字体)です。

フォントと手書き
パソコンなどで使うフォント(字体)も、手書きっぽく見せていても赤い丸のように、同じ字は全く同じ。
手書きだと、(下手なせいもありますが)全く同じ形にはならない。



完全や、完璧ではなく、
ちょっと外す。
「遊び」がある。

「なんかいい」雰囲気は
人の手仕事の賜物といえます。

手仕事

スタイリッシュで都会的な住まいを好むか

手び練りの器のような家を好むかは

人それぞれですが

「なんかいい」雰囲気は
自然と心をほどいてくれる。

「なんかいい」人の手仕事は

物や空間に遊びやゆとりを与えてくれるのではないかと思います。

「意味」

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


先日、久しぶりに赤ちゃんにふれる機会がありました。

予定日よりずいぶん早めに生まれてきたらしく
実質的には8か月。

伝い歩きが楽しいようで
ニコニコしながら近づいてきます。

手を差し伸べて抱っこすると

・・・あ~、うん、なんかこんなだった。
こんな感触だったよ、赤ちゃんて。

つるつるして、ちょっとペタペタして
重いのに、軽い。

下の子で考えると
15年ぶりくらいの感触です。


「・・・孫っち、こんな感じなんでしょうね~」


子育ても終盤になってくると、
赤ちゃんは可愛いばっかり。


手のかかる時期を必死で過ごしている時期に比べたら
気楽なものです。


嫁や妻の役は、本当に向いていなかったと痛感していますが
母親になったのは、自分にとっては良い経験になったと思います。

少なくとも、低い鼻っ柱は折られました。

それまで、自分で努力さえすれば、
がんばりさえすれば
なんとかなってきたことが

自分がどうあがいても
どうしようもないこともある。

受け入れて、その上でどうしていくか。

それに目が行くようになったからです。

だから、うまくいかない人を一概に責められなくなりました。


利発で、快活で、性格も良く
誰にでも好かれ、
いかにも世の中の役に立っていけそうな子。

そういう子が、俗にいう「子育ての成功例」だとすれば
いかにそれを目指していくかが「親力」みたいなものかもしれません。

・・・でもな~。工場で饅頭つくるようなわけにはいかないんですよ。

これさえしとけば、というマニュアルどおりにはいかない。

だって人間だもの。

親である私が100点じゃないのに
子どもに100点であれ。

っていうのは、どうも合わなかったのです。

仕方がない。私が親だもの。

東大に兄弟を何人も送り込むほど敏腕ではありませんが
うちの子は、華やかな「良い子」ではなく
なんだかほのぼのした「いい奴」にはなってくれました。

女子にはモテないけど、猫にはモテています。


へなちょこな母親ですが
子どもを育てるのって、盲導犬のパピーウォーカー的なものかと思います。

子犬の時に、愛情をたくさんもらって
人間を好きになって、
そして「盲導犬として合格」すれば盲導犬になればいいし、
盲導犬にはなれなくても、また別の生き方がある。

産みはしたけれど、実は「預かり物」で、
ましてや所有物ではないのかもしれない。

「子どもが生まれれば、親にはなれる。
でも、親であることは難しい。」

大学の時に先生に言われた言葉です。
これだけは覚えています。授業の内容はほとんど忘れたのに。

子育てをしていると、
自分の子ども時代の古傷に向き合うことも多い。

私は褒められたこともないのに、
褒めろとな?とか。

でも、自分が子どもの頃
大人に言われてた嫌だったこと、されて嫌だったことは
「私はやらないぜ」って決めることはできるんですものね。

褒めることは苦手でも、
【ねぎらう】くらいはできそう。

ねぎらってもらったら
「なんだかんだいっても
ちゃんと見てるんだな」って実感しますしね。


前回のブログに、胎児性水俣病の娘をお風呂に入れる母親の写真のことを書きました。

あの時に思ったのは、同じ境遇だったとして

私の母は、同じようにしてくれただろうか。
私は、我が子に同じようにできただろうか。

それは、どこかハッキリ言えないのに

強烈にあったのは

「こういう風に、どんな私でも
好いてくれたらどんなに嬉しいだろうか」
という思いでした。

世の中の役に立つとか
必死で頑張っているとか

そういう目に見える
分かりやすい「意味や意義があるから」ではなく

無条件に好いてくれる、
お前は、生まれてきて、生きていてOKなんだと。
例え、他所の人がどう言おうとも、
私は、お前が大切なんだと。
そう断言してくれる。

その存在がどんなにありがたいか。


ユージン・スミスの「入浴する智子と母」の写真を見て、
状況は大変なのに、同情するとかのレベルじゃなく、

胸をよぎったのは
強烈な羨ましさだったのかもしれません。


子どもは、饅頭工場で合格品をつくるようなものじゃない。

親の成績表でもない。


生きている「意味が(今は)よくわからない」ことは
(イコール)生きている「意味がない」とは絶対に違う。

しかも、それをどうして誰かにジャッジされなければいけないのか。

自分が「意味が理解できない」だけで、
「意味がない」と決めつけて。

それじゃ、相模原障がい者殺傷事件の犯人と同じです。

私たちは何もかも理解できているわけではない。

それなのに
「意味」ばかり考えて、
ジャッジして。

目に見えることばかりが
人の「役に立つ」じゃない。

日の当たるところで頑張る人も、
人知れず、がんばる人もいる。

役に立って偉いとか、
頑張ってて偉いと、

他人をジャッジし、
自分すらジャッジし

存在理由や生存理由まで判定されるんでしょうか。

でも、それって
お互いがお互いを見張り合うような
ギスギスした世界になりかねない。

役に立ってないと、
いかにも頑張ってないと、
好いてくれない世界で
私たちは
いつ心から安心できるんだろう。

理屈抜きで、
損得なく好いてほしいのは

きっと、大人も子どもも同じ。

皆、冒頭の赤ちゃんみたいに
意味があろうがなかろうが

ニコニコ笑っていたはずなのに。

生まれつき
おとなしい赤ちゃんはいても、
根暗な赤ちゃんはいない。

皆、ニコニコ笑っていたはずなのに。

だざいゆかりの

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


先日、読書仲間と
「ゆふいん文学の森」に出かけました。

ゆふいん文学の森


文豪・太宰治ゆかりの碧雲荘という建物を移築し、
湯布院で見学ができる交流施設&ブックカフェになっています。

ゆふいん文学の森

本は好きなのですが
読歴は浅く、
おばちゃんになってから。

決して読書家とは言えず、
名著と言われる本は
頭がついていかない。

だから、太宰治のことも
うっすらとしか知らないのです。

だから、詳しくは書きません。
ぼろが出ちゃいますからね。

ただ、こちらの建物。

撮影OKだったのです!

これは、建物好きには
嬉しい限り。

「お前は読書に来たのか
撮影に来たのか」
と、言われそうなほど
シャッターを切って帰ってきました。

もくせい工舎のサイトを訪れる方には
この雰囲気、気に入っていただけるかと思います。

ゆふいん文学の森。D'shop
駐車場からすぐのアプローチにあるお店。この時は開いていませんでした。
黒い漆喰?の外壁に、木の建具がおしゃれです。上部は明り取りでしょうか。
は~、また、細かい。これがあるとないとでは、大違い。

ゆふいん文学の森。D'shop
外壁の黒も、こうしてみると、なかなかどうして。
シックで、おしゃれ。
ライトとかの小物の演出が効いています。

ゆふいん文学の森。アプローチ
庭木を見るのも好きなので、まずこのアプローチにおののく。
あ~。これ、ビンボー人の私には宝くじでも当たらないと作れない・・・。
何でこうもまあ、左から行っても右から行っても楽しそうなんでしょう。
こういう空間の遊びというか、無駄が、かえって贅沢だというのは不思議なものです。
世の中は役に立つことばかりがエライのに。

ゆふいん文学の森。玄関付近
威風堂々。実は東京で取り壊しの危機にあったとのこと。もったいない~。
よかった!大分に来てくれて!この風格は時間と素材がつくったもの。宝物です。

碧雲荘には玄関が二つ。
左の入り口から入ると、すぐ奥がカフェスペース。
右に行くと、2Fに続く
見学&読書スペースになります。

見学無料。太っ腹です。
ただし、ご協力の箱がありますので
こういう空間を残してほしい!のなら
惜しまずよろしくお願いします。

・・・と、言いつつ
懐具合が気になって
入れなかった私ですが。
次こそ期待してほしいところ。(誰に言ってんのか?)

ゆふいん文学の森。玄関
2つある玄関のうち、正面を向いて右側の玄関。こちらが本玄関になるんでしょうか。和洋折衷というか、
あ~もう、ステンドグラスが、また良いですね!この黄色!
先ほどのショップの建具もですが、明り取りのようなしつらえが。
こういう細やかさが、空間のちょっとした贅沢具合を引き上げるような気もします。

ツヤツヤ光る階段を上ると、見えるのがこれ!

2階に上がる早々激写した、トイレドアと洗面台!

ゆふいん文学の森。2階トイレ前
飴色になった、ツヤツヤの木と、大きなレトロな鏡。これがあるから、裸電球がかえって映える!

ゆふいん文学の森。2階トイレ前
湯布院の丘の上。植栽もたっぷり。この雰囲気を邪魔する隣地の建物もなく。
絵になる風景とは、このこと。撮影してて嬉しくて仕方ない!・・・あ、やっぱり読書忘れてますね。

ゆふいん文学の森。2階
下宿スペースだったとのことで、細かく部屋が分かれる2階。
それぞれの部屋で、自由に本を読むことができます。
昔の建物には、風通しを良くする工夫がいっぱい。
構造上とか耐震とかの問題があるのかもしれませんが、今となっては羨ましい工夫。
内装の壁は珪藻土っぽい仕様。

ゆふいん文学の森。2階
元々だったのか、後付けされたのか、明り取りの可愛いすりガラス。

ゆふいん文学の森。2階
個性が違う、各部屋。好みの部屋で、好みの本を楽しめる。

ゆふいん文学の森。2階
窓から庭のイベントスペースを眺める。

ゆふいん文学の森。2階
こんなスッポリ納まるスペースも。

ゆふいん文学の森。2階
ええ、もちろん納まってみましたとも。(きたない足でスミマセン。)

そして、一番奥左側の和室が、
太宰治が夫婦で借りていたという部屋です。

人間失格などもこちらで生まれたとか。

ゆふいん文学の森。2階
なんだかんだと、一番居心地が良かったのもこの部屋でした。

何度かブックカフェには行ったことがあるのですが
私は他人様がいると
妙に緊張して本に集中できません。

こんな風に部屋が分かれていたり
畳敷きだったり、
お店の人が「信頼して」ほっといてくれるのは
とても心地よく、

心地よすぎて
思わず畳でごろ寝して
本が読みたくなったほど。

ゆふいん文学の森。2階
太宰治ファンにはたまらないと思います。

また、自分好みの本ばかりでないのも良い。

ここに来なっかたら
まず目を通さなかったかもと思う本に
出会えるからです。

本は、自分とは違う
他人様の世界観に
いつでも出会える扉のようなもの。

嫌だったら読まなくてもいいし、
相手の都合を気にすることもありません。

自分だけでは凝り固まってしまう価値観に
「そうじゃないよ。
別の見方もあるはずだよ。」
そう教えてくれるのも本です。

しかも、もう死んでしまっている大昔の人の考えや、
会うこともないような
著名な人の考え方も知ることができる。

だから本は面白いんだと思います。

そんな本好きが集まる、こちらの文学の森。

友人が数冊、自宅から本を持参していました。

実は、「輪廻転読」といって
他の人にも読んでほしい本を持ってくると、
同じ冊数だけ、
そのコーナーの本を持って帰れるという仕組み。

他の人にも読んでほしい。
ってところがミソですね。

ところで、この輪廻転読コーナーには
中庭を見ながら、お食事が頂ける一枚板のカウンターがありまして。

とても良い雰囲気だったので
友人とここで
ワヤワヤ話しながらお食事を頂いたのです。

その後、お店の方に聞くところによると
なんでも
中庭の石とか庭の灯篭などを
お笑い芸人で作家の
又吉直樹さんが、こちらのために贈られたのだとか。

ゆふいん文学の森

「だから、又吉君ファンの方には
人気のお席なんですよ~」と聞かされ、

ひゃ~、そうとも知らず
のんきにベラベラ喋っててスミマセン。

遠くから、「あそこ、座りたかったな~」って
思われてなければいんだけども!

いやはや、失礼しました。

「又吉君も、熱心な太宰ファンなので
東京にこの碧雲荘があったころ
取り壊すのに反対してて。

ここ湯布院で
文学の森として、また存続できるってなった時は
本当に、喜んで。」

そっか~、それで、石。

内心すっかり、中庭の石を
「又吉の石」と命名。

それにしても、ご縁とはなんと不思議なものなんだろう。

色々な方の思いとか
タイミングとか。

偶然か必然かわかりませんが、

こんな身近な湯布院で
こんなに素敵な場所になったことに
ありがたいおすそ分けをもらったような気持ちでした。

それにしても、冷房なしでも
涼しかった。
こちらも不思議。

ゆふいん文学の森。

本は苦手なかたも、
お家づくりのヒントになるかもです。

こんな感じが好みなんだ!を実感するために。

良かったら、ぜひ。

子ども達から借りている

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


おらが村でも再生プラスチックごみの分別が始まりました。

今まで燃えるごみとして
出していたプラを、
洗って、干して、別の日に捨てます。

意外に、干場に困るので
ホームセンターから
干物用ネットなどを買ってきて
使っています。

実際に分別してみると
これほど多かったのか、プラスチック!

燃えるごみはいつもの半分ほどになってしまいました。

私はひねくれてるので

分別するために洗って汚した水とか
別回収するために出した車のCO₂とか
再生するために出た何だかとか

総トータルで結局良いことなのかと
ついつい考えてしまいます。

とはいえ、いかんせん
それが私に分かるわけがない。
地球規模で環境問題を何とかできる
頭は、残念ながら私にはないのです。

とりあえず家庭規模で
頑張りたいところ。
燃やすよりはましだと期待して
分別をまじめにやりたいと思います。

それにしても
いくら分別してもキリがない。

これはもう、
過保護で過剰すぎる
企業の包装自体をなんとかしないといけないような。

以前は便利だと思っていた個包装も
いざ洗うとなると、
も~う、ちまちま出てくるそれが、
うっとうしくて仕方ない。

ここまで小分けする必要が
果たしてあるのだろうかと
思っちゃう。

でも、それだって
ニーズがあったから売れてたんですよね。

私だって、便利だと思っていた。

私だってプラには
甘えているっていうことです。

お恥ずかしいのですが
この歳になって知ってびっくりしたことがあります。

ある読書会で、石牟礼道子さんの『苦海浄土』の
お話を聞きました。

水俣病のことは、小学校の授業でも習っていて
猫がさかさまになって
踊り狂うように死んだこととか
人間ももだえ苦しんで亡くなったこととか

子ども心に痛烈だったのを記憶しています。

本を紹介してくれた方が
石牟礼道子さんの生きづらさも含め
熱心に話してくれたので
気になって、最近検索して見たのです。

【水俣 チッソ 水銀】
という単語は記憶していたのですが

あの海に垂れ流していた排水は
アセトアルデヒドという
プラスチックの原料を作る際に出ていたもので
そこに有毒なメチル水銀も混じっていたとのこと。

ここでも、プラスチック。

しかも汚染された海のヘドロと一緒に
魚が生きたまま大量に埋め立てられていることも知りました。

わざわざ言及はしませんが
なんだか色んなこととリンクして考えてしまいます。

あれから何十年たっても
やることは余り変わっていないのです。

効率や、経済的なことを優先し
大丈夫、大丈夫とごまかして
問題が表面化したら、とりあえず頭を下げ、
金を出し、
埋め立てて、なかったことにする。

それ、今でもやってますよね。

歴史から学ぶことができるただ一つのことは
人間は歴史から何も学ばないということだ。

ヘーゲル|ドイツの哲学者

早い・安い・簡単・便利。

それに甘やかされて
またやらかしてしまう。

世界はそれでも少しずつ良くなっている。

そう信じたいです。

水俣の埋め立て地は
その後きれいな公園になっているようです。

そこを、ただきれいなだけの場所にしないために
そういう事実があったことを
忘れ去ってしまわないように

犠牲になった生き物たちを弔うため
水俣病患者自らが彫った
野仏さまが納められています。
NHK|【特集】水俣から考える(1) 漁師・緒方正人さん

いつか、見に行きたいと思います。

他人事にしないように。

地球は親から与えられたものではない。
祖先からの授かり物でもない。
子ども達から借りているのだ。

不詳|ネイティブアメリカンの言葉

子ども達に残せる財産があるかはともかく
借金やツケをを残すような
大人にならないようにしたいです。

だから、グレタさんはあんなに怒ってるんだよな。


国東ついで。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


どこかに行くのに
目的が1つより2つあったほうが
こう、テンションが上がりませんか?

つまり【ついで】の
お楽しみがあった方が
行く意義が増すというか
はるばる行った甲斐があるような。

今回ちょっと早めにブログを更新したのは
その「ついでの楽しみ」のお話をしようかと
思ったからでした。

実は、7/3,4の週末に
もくせい工舎では
急遽、構造見学会を開催することとなりました。

場所は国東市。
国東高校のすぐ近くの
閑静な住宅街です。

いつもは大分県北、宇佐市近隣で開催することが多いので
今回は少し離れてはいます。

県北からだと、
両子寺の前を通って
だいたい1時間以上はかかるでしょうか。

現場の地図を書くために
一度は前もって
現地まで確認に行くのですが

今回私が【ついでに】と楽しみにしていたことがあります。

それがこれ~!

ポールリカールのケーキ

ポールリカールさんの
半熟チーズケーキ!

ついでに
(名前忘れちゃいましたが)チョコレートケーキと
国東ロールもゲット。

それこそ15年くらい前。
まだ上の子が小さかったころに
よくホーバークラフトを見に大分空港まで
行っていたのです。

その時、帰りに買った
半熟チーズケーキが美味しくて
「また食べたい」って、ず~っと思ってたんです。

現場の地図を確認してたら、
「・・・現場近くでは?」というわけで。

【国東ついで】の楽しみにしたのです。

こうなると、仕事ですが、
あくまで仕事なのですが、
・・・心なしかウキウキしますよ。

だって【ついで】の楽しみが
待っている。

あ、肝心のケーキですが。

なにせ15年ほど前のこと。
記憶のケーキとちょっと違ったのです。
悪い意味じゃないんですが
あれ?こんな感じだったっけ??

いやいや、美味しいんです!
中のチーズクリームが濃厚で、
でもラズベリーソース(たぶん)の酸味が爽やかで。

記憶があいまいだったのは
周りのスポンジケーキ(シフォンケーキ?)の部分。

あれ?なんか全体的に半熟っぽかったような。

・・・年のせいも手伝って
記憶も半熟気味です。溶けてます。

国東ロールも、
通常のロールケーキの1.5倍はありそうな断面積に
「太巻き!」とびっくりしましたが
これが、ま~軽い。
ペロッと食べれる。恐ろしいことに(笑)

4等分するには太いけど、
柔らかいので
8等分する自信もなく
「でかいな~」と切った一切れを
子ども達は
「・・・あっという間になくなった」
と、たいらげておりました。

くわばらくわばら。

私もうっかり食べきりそうでしたが、
半分で我慢しました。
中高年は、後が怖い。

でも、これでもかというような
生地の卵の黄色い色味や
フワッフワッの口当たりは
なかなかどうして。

これで一本1000円はコスパも良いと思います。

遠方は冷凍を買った方が良さそうでした。
後で気づきましたが。


おっと、本題に入らねば。

構造見学会は、やっぱり完成見学会よりは
地味に感じると思います。

しかも小一時間はかかります。

それでも、ぜひ
建てる前に見て欲しいのは
俄然、構造見学会!

もしよければ、
【国東ついで】を楽しみに
「ちょっと見に行ってみるか~」なんていかがでしょう。

例によって、
見学会は予約制となっております。

ご都合がよろしければ
ぜひともお越しください。

お待ちしています。

【ついで】にポールリカールさんにお立ちよりでしたら

ポールリカールまでの地図

↑構造見学会の地図より
ちょっと長め。
拡大版です。

現場から車で数分。

よかったら
【ついで】のお楽しみに。

見学会も、ぜひ。

こだわりの!

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


こだわりのお店。

店主こだわりの食材。

「こだわりの」って聞くと
「あぁ、適当に選んでいるわけではなくて
色々な選択肢の中から
最善のものを厳選しているんだろうな」と感じます。

感じるんだけれども、
猫も杓子も
「こだわりの」をつけたら
何がなにやら。

【こだわる】の本来の意味は
ちょっとしたことを必要以上に気にする。執着する。

実は、あまり良い意味ではありません。

かといって
それに代わる言葉も
なかなか見つからないから
とりあえず使っている状態ではないでしょうか。

売る側にしたら
「こだわりの」をつけることで
ウチは他とはちょっと違うことを
伝えようとする。
差別化なんで言葉もありますし。

ただ、そうなると
他を下げるようで
使い方を間違うと
なんだか鼻持ちならない感じになる。

一方で
買い手側にしてみれば
「こだわりの」が、必ずしもアタリとは限らない。

こだわりの豆腐が、いまいち好みでないこともあるでしょう。

こだわりの素材でも、履いて痛い靴は使えません。

「価値」と「使用価値」は違うらしいので

売り手の「こだわり(価値)」が
買い手に「ぴったり(使用価値)」でなければ
「う~ん。それでも、私には要らないかな!」となる。


「こだわりの」は、もう聞き飽きた。
それを好きかどうかは
私が決めること。

買う側からしたら、
そう思ってしまう。

そうなると、脅すつもりはなくても
「これを使わないと問題が起きる可能性がある」なんて
不安を掻き立てる言葉が出てくる。

"あなたにも起こりうること"として
【当事者意識】を持たせて

「そうならないために、これを使いなさい」は

ともすれば
そういう言葉になりかねない。

自分を必要以上に大きく見せたり
不安をあおったり。

そんなことをせずに
本当に必要な人に
必要な情報をどうやって
伝えたらいいのか。

せめて
広告などで
手垢がついた言葉を並べ立てることに集中するより

売り手の世界観や空気感も含め
気に入って
関心をもってもらえるかが
大事なのかもと思うのです。

広告用の「言葉」ではなく、

その作り手が
日々
何を見て
何を考えているのか。
その方が、
よっぽど力を持つ。

だってほら、
肌がぼろぼろの人に
「私は、これ使っている!」って言われて
その化粧品使う気にならないですよね。

化粧品を売りたければ
健康的な肌の方が良いし

健康に関するものを提供したければ
売る自分が、まず健康でないと。

顔色が悪い、疲れた感じの人に
「健康に良い」と勧められても
説得力は低めです。

他人を笑顔にしたければ
まず、自分が笑顔で。

人を癒したければ
まず自分の傷が癒えていること。

その上で

この人の作るものが
見ている世界観が

私はなんだか、とても好きだ。


その時、手に取って
相性があえば
またご縁が続くんだと思うのです。

だって、
こだわって、いくら良いもの作っていても
ふんぞり返ってる人に
あまり会いたくはないもんなぁ。

こだわってたら、そんなに偉いの?
って言われかねない。

自信があることと
威張ることは違う。

本当に自信がある人は
自分のプライドに振り回されない
謙虚さを持つ人です。

だから
自分の「こだわり」以上の
進化をする。

10年、20年
同じやり方で
通じることと通じないことがある。

何故か?

「他より」って差別化していた
その他者だって
懸命に努力しているからです。

厳しいけれども
「こだわり」具合に拘わらず

好きかどうかは
相手が決めること。

だから
自分の提供したいものと
その思いの根底となる
バックボーンや世界観を伝えるために
ブログやインスタなんかがあるんだと思うのです。

これもまた、実際の自分とあまりにも違えば
がっかりされちゃうし。
自分だって無理が出るし。

やっぱり伴侶選びと似ていると思います。

肩の力を抜いた自然な状態で
気に入ってもらえたら
自然に
ご縁はつながっていく。

「こだわりの!」ってつけてたら
売れていた時代は
もう終わり。

大事なのは
売り手のバックボーン。

もし、木の家が本当にお好きなら
木の家が本当に好きな人から
話を聞いてみる。

木の家の話をしだしたら止まらない。

そういう人の
家を見てみるというのも
手ではあります。

「こだわりの!」のフレーズに
振り回されず

良いご縁がありますように!

家のつくりやうは

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

家のつくりやうは夏を旨とすべし。
冬はいかなる所にも住まる。
暑きころわろきすまひは堪え難きことなり。

吉田兼好「徒然草」より引用

ざっくり言えば

家のつくりは、夏のことを一番に考えなさいよ~。
冬は(暖房や厚着で)何とでもできるけど
暑い時期に具合が悪い住まいは、到底我慢できないよ~。

ってことでしょうか。

こう書き残した吉田兼好さんも
昨今の猛暑を経験したら
なんて言ったのか。

暑きころわろきすまひは煮えるがごとし。

そう言ったかもしれません。

だって、熱風。蒸される暑さです。

夏は朝からガンガン冷房入れてる!
熱中症で死ぬよりマシ!

そんなお家も多いかと思います。

衣服で考えてみても
厚着はできても
脱ぐには限度がありますものね。
少しでも涼しい所に移動するしかなさそう。

移動できない住まいは
この場所で、いかに少しでも「マシ」な
夏涼しい建て方をするかに
かかりそうです。

限られた予算。
兼好さん的発想をすれば、
床暖房より
優先すべきはそっちかもしれません。

年々高くなる気温もですが
やっかいなのは湿気です。
不快度が何倍にもなる感じ。

そういえば
断熱のことを謳う広告は多くても
調湿に関しては
あまり大きな声で言わない感じがします。
強いてあげれば、珪藻土なんかを使っていると
ようやく「調湿」の文字が出てくる。

よく、「木が反る」と書いて「板」なんていいますが
あれも木が調湿しているから。
だから木は嫌なんだ!って方もいるかもしれませんが
実は、そう文句を言っているその人の空間は
反ってくれた板のおかげで
カラッとしてるなんてことも。

とはいえ、木に調湿機能があっても
それにも限界はあるでしょう。
ないより、マシなくらいかも。

見方を変えれば、
その少しマシが
いろんな場所で使われたら
意外にも大きな違いになってくるかもしれません。

除湿しただけで、ずいぶんと快適になるんですもの。

調湿の点でも夏場の快適をイメージして
家の作り方を考えてみるのも
ありだと思います。

さらっとして気持ちがいい無垢の木

理屈抜きに
梅雨場でも
手にふれた時
さらっと優しい。

無垢の木の魅力は
理屈以上だと思います。

興味のある方は
梅雨時のOB様邸もご案内いたします。

まずは、お問合せを。


お問合せ・ご相談

自分たちが住むところ

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

あるところに、絶景のお店がありまして。

絶景のお店

詳しくは、今回言えないのですが
一度そこに伺って、オーナーの奥様とお話しする機会がありました。

ヤギも
ヤギとミニチュアホースもいるのです!

カフェではないのですが
とにかく、遠く山々が見渡せる
空が、どこまでも、どこまでも、広い場所。

「・・・星も綺麗そうですね?」
「もう、なんとか流星群とか、見放題ですよ(笑)」

すごいでしょ?
おらが村も田舎なので、条件が揃えば
推定「天の川」は見ることができるのですが
これほどではありません。

いいなぁ!羨ましい限りです。

「はじめまして」にもかかわらず
開口一番聞いたのが
「・・・なんでまた、こんなところに?」

失礼は重々承知ですが
やっぱり聞きたくなってしまう。

細かい点は忘れちゃったのですが
結婚、お子さんが生まれたのを機に

「自分たちが、本当にずっと暮らしたい」
そう思える土地を
お仕事の合間にずっと探し回っていたのだとか。

「ネットで?」
「いや、実際に車を走らせて」

ひゃ~。

「で、旦那(オーナー)が上の子と一緒に走ってて
お?こっち道あるやん?で、登って行って
そしたらここに出て。

一目ぼれして
地主さんを探して、交渉して(笑)」

え~?なんだその行動力!

私などは
そういった風景を愛してやまないのですが
土地は不動産屋で探すものと思い込んでいた節があります。

自分の足で探して
本当に惚れ込んだら
自分で交渉する。

ハ~。なんや、すごい。
その発想は全くなかったとはいえ
感心してしまう。

「で、電気も何にも通っていなかったので
九電とNTTと交渉して。

家とお店を建てるお金も限られてるから
知り合いに"外側"だけ何とかしてもらって
内側は自分たちでボード貼って」

・・・ホントだ!
よく見たら、めっちゃ手づくり!
言われなきゃ分からなかったのですが(笑)

「ハ~。すごい。
でも、お子さんの学校とかってどうしてるんですか?」

「あ~。毎日送ってます。
やっぱりそこも考えたんですけど
旦那が

子育ての時期は限られてるんやけ
それ以降の方が、ずっと長いんやん?
そしたら、自分たちがずっと
どんなところで暮らしたいのかの方が
大事なんやないんかな?

って。」

ていうか、その発想する旦那さんがすごい。

自営業だから通勤のしばりはないものの
事なかれ主義の「めんどくさがり」だったら
まず出ない発想。

話はヤギと田んぼの話になって。

「ヤギって、病気になったら
やっぱり牛っていうか
この辺の家畜専門の獣医さんが来てくれるんですか?」

「そうなんです。

ただ、やっぱりちょっと舐めてたっていうか。

オスのヤギは、ちょっと大変でした。

臭いとかもだし、発情期とか気も荒いし。
そのオスが亡くなったんですけど。
ちょうど田んぼ始めてて。」

「田んぼも。」

「将来年金とかだって、どうなるか分からんけ、
自分たちの米くらいなんとかしようってことになって。」

ひゃ~。お二人とも元々は
いわゆる「街の人」です。
田舎の人間ですら
親の田んぼに無関心なこともあるのに。


「で、田んぼからヘトヘトになって戻ってきたら
オスが死んでて。
それから、たたみ2畳くらい穴ほって(笑)」

幼少期、アルプスの少女ハイジにかなり影響を受けて
香春岳(石灰が採れる筑豊の山)をアルムの山だと思い込み、
いつかはヤギを飼ってみたいと思っていた私。

そっか。
臭いとは聞いていたけど、
やっぱり病気の時、死んだ時は
かなり困るんですよね。
セキセイインコですら
病院には困りましたし。

たたみ2畳も掘って、なおかつ
ヤギ埋めでもしたら
近所の【目】が。
臭いもあるから、近所の【鼻】もでしょうか。

もう、色々噂されて村八分、

いやいや、下手したら通報されるかも。

田舎ならではの話題にもなって

「近所のお祭りの準備で
女衆はご飯の用意を
朝から晩までやるんですけど。

もう、御年いくつだか分からん婆ちゃんに
奴隷か?っていうくらい
こき使われて(笑)」

「あ~。うん。
田舎、ありますよね~」

「旦那が女も大変やなあ~って笑うんですけど

せっかくね、こんなところに
縁あって住めて。

それも含め、大事にしたいなと。」

なんか、もう神々しい。
キラキラしてる。

人づきあいが苦手で
泣き言ばっかり言ってる自分が
穢れて思えてくるレベルです。

ふと、
縁も、才能なのかなと思うこともあります。
(本心から望んで、夢中でやるのは
その人の持って生まれたものだと思うので。
反対に、致し方なく「やらねば」ならないのは
【がんばる】だと思っています。
頑張るは、頑なに張ってる。
あまり楽しくはなさそうです。)

こういう場所に縁を結んでいく力であったり、
他人との縁の紡ぎ方であったり。

類は友を呼ぶ。
良い考えは良い縁を呼ぶ。

確かにそうなのかもしれない。

ただ人生は思う通りにならない時期もある。

そんな時、
上手くいかないのは
自分がその「程度」だからだ。

そう考えてしまったら、
いつまでも
自分を好きになることなんて
できないように思うのです。

そして、うまくいっているように見える人たちだって
落ち込んで、
自分のことを嫌いな時だって
たまには、あるはず。

いつもいつも
100ワット、煌々と輝いているわけではきっとない。

ただ、少なくとも
上手くいかない時も
自分自身のことを含め、
赦せているのではないかと思うのです。

色々諸事情あって
私たちは何かを選びながら生きています。

諸事情あったにしても
天秤にかけた結果として
私たちが選んだことが
目の前の景色として広がっている。

だとしたら
目の前の景色が好きかどうか。

色々あっても
好きかどうか。

場所も、風景も、
そして
きっと、暮らしかたも。

色々あったけど
なかなか良かったって
人生のおしまいに
そう思えたら良いなと
改めて考えさせられる出会いでした。

ちなみに
彼女たちは
杉だらけの山に、広葉樹を植えて
多様な森にする活動もされています。
(頭が下がる。本当に!)

多様性がある。

つまり、色々ある。

それこそが、豊かな森を作る。

考えようによっては
色々あるから
多様性のある人生ともいえる。

色々ないと、森と同じように
人生も
豊かとはいえないのかもしれません。

「色々」、上等!

かなえば、なれる

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


年収が2倍になったからといって
生活の満足度が2倍になるわけではない・・・らしい。

例えば、年収400万の時は
「年収800万になったら
さぞ満足して日々暮らせるだろうに!」
そう思っていても
いざ年収800万が当たり前になったところで
日々の不安や不満は大差がないのだとか。

そう聞くとショックなのですが
もっと小さな単位で考えると
分かりやすいですね。

お小遣い500円が
1000円になったところで
1000円に慣れてくると
「もう少しあれば、あれが買えるのに!」なんて不満が出たりして
キリがないのと同じでしょうか。

不満を感じている「今」の状況が
ワンランクアップしても
慣れてくれば
ワンランクアップしたはずの足元は
いつの間にかレベル0に感じてしまう。

だから夢が叶えば
未来永劫、バラ色の未来が待っているわけではなく
叶っても、今と同じように
悩んだり、迷ったりはきっとある。
ということです。

ネガティブな意味にも取れますが
考えようによっては
今も、夢かなう未来も、
泣いたり笑ったりには大差はない。

だったら、安心して「今」を
泣いたり笑ったりしてても
大丈夫なのではないかと思うのです。

夢かなえば、なりたかった自分に「なれる」。
一方で
かなった自分にも「慣れて」しまう。
そうしたら、いずれ
ムクムクと次の「不足」が気になってくる。

自信がない「今」も
過去から見れば
眩しい「未来」だったはずなのに。

だから、うまくいかない時ほど
気をつけたいと思います。
少なくとも
自分で自分にダメ出しを続けて
一生を終えることがないように。


なんやかんやあっても、
今こうして生きている。

生物として
生き残っている。

陽光輝く、花咲き乱れる春も、
もう枯れたように見える極寒の冬も、
とりあえず生きている。

夢や願いが
叶おうが
叶うまいが
こうして今、生きている。

生き残っている。

どうか
自分の人生を
自分で嫌うことのないように。

自分で自分に言い聞かせております。

年のせいか
すぐ、忘れがちではあるのですが。

価値価値ヤマ

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

経済にも疎いのですが
「価値」と「使用価値」は違うらしい。

すごく手が込んでいたり
こだわっていたり
(人手や時間の)手間がかかっていたり
量産できなかったり。

そういうものが「価値」がある
というのは、何となくわかります。

しかし、それと
「使用価値」があるかは別の話。

例えば、オーガニックコットンで作られてても
他のものと一緒に洗濯できなかったり
アイロンがけなしには着られない服は
ずぼらな私には遠慮したいところ。

「素晴らしい」けど、使いにくいので
「価値」はあるけど、「使用価値」は低くなります。

こだわりの食材でつくられた料理も
味が好みでなかったり、
お店の応対が嫌な感じだと
「素晴らしい」けど、またお金払ってまで食べたくないかな~
ってこともある。

きびしいけれど

がんばった
こだわった

が、「使用価値」に値しなければ
買ってはもらえないし、

いいかも!と思って買ったところで
思ったほど良くなければ
もう買わない、リピートはしないってことになるんでしょうか。

つまりは、また買うほどの「使用価値」が
残念ながらなかった、ということなんだと思います。

新規獲得も大事だけれど
リピート率はそれ以上に大事で
(くち)コミレビューの怪しさはともかく、
信頼できる人が、「気に入ってね、ず~っとこればっかり!」
って言うのを聞くと
食指は動く気もします。

広告まがいの仕事をしていて思うのは、
広告屋に接点があるのは
新規の方とも言えます。

リピートに関しては
もうメーカーサイドの話になります。

ウソや大げさなことを書けば
住宅メーカーなら
見学会にいけば分かる話です。

大事なのは、契約以後の話。

一生に何回もお家を買える人ならともかく、
(家が一生に一度の買い物だとするならば)
実は「リピート率」の測りようがないのも
住宅業界なのかもしれません。

ただ、なんとなく
「また建てるとしたら、同じところで」
そう思うか。

それが唯一
目に見えないリピート率ともいえるのかなと
個人的には、思います。

ずっと暮らしていれば
だんだん困りごとも出てくることもあります。

古くなってきたり、
状況が変わって、
「どうにかならんかな~!」ってことは
どんなに【こだわった家】を建てていても
やっぱり出てくる。

そんな時に気軽に声をかけやすいか。

実は、そこも
住宅業界の「リピート率」ともいえるのかも
しれません。

新規も大事だけれど、
今ある「ご縁」はもっと大事で。

気軽に困りごとをOBさんが相談しやすいか。
(あえて親しみをこめて「さん」ですが)

相談がないのは、
問題がないからとは、限らない。

あそこは、困ってても声をかけにくい。

そう思われれば、
広告のレビュー以上に信頼性の高い
身近な人からの
リアルな口(くち)コミだってなくなってしまう。

「知り合いが建ててて、
後々も良くしてくれるって言ってたんで~」

実は、これが
最良の「作り手冥利」とも言えます。
OBさんが損得なしで
手放しに勧めてくれるほど
嬉しいことはないからです。

だから、
これから「家を建てたい!」っていう方は
契約後、建てた後、
相談しやすいかも要チェックです。

「価値」と「使用価値」。

ざっくり自分なりに解釈すれば
「価値」は、貴重かどうか、素晴らしいと思うか。
「使用価値」は使えるかどうか。便利かどうか。あてになるか。

「使えるかどうかの価値」っていうと厳しいですが
困りに寄り添ってもらえるかは
後々かなり大きいような気もします。
(忙しすぎて助ける暇がないスーパーマンより
近所のおせっかいの"おいちゃん"の方が頼りになるとか。
立派な人も、頼めないと"あて"にできないので。)


あ~。やっぱり家を建てるって
配偶者選びと似ている。

理想ばかり言ってたら
ことが進まないとか
清濁併せ吞むとか
折り合い付けるとか。

人の脳は後悔するようにできていると言いますが
せめて「当時やれるだけはやった」「考えた」は
精神衛生上、お守りになるかもしれません。

ちなみに「使用価値」はあるけれど
「価値」を全く感じないものを
ぼったくりというらしく。

どんなに「優れている、こだわってる」と言われても
売り手と買い手の「価値」感がずれていれば
両想いにはなれない。

「価値(素晴らしい!と思う気持ち)」と「使用価値(私の暮らしに合ってる!感覚)」の
ヤマ(山。鉱山。掘り出し物を見つける感覚)がはずれないよう、
よい出会いをお祈りします!

グットラック!です。

うえき天国に行ってきた話

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

湯水のようにお金があれば
その道のプロにお願いするのが一番なのですが
そうもできず
半分以上、自力で手を加えてきた
我が家の庭。

今回、植え替えたロウバイが枯れてしまったのを言い訳に
久留米緑化センターまでくりだしました。

「はぁ?久留米まで?」

確かに、そうなのです。

ただ田主丸~久留米近隣は植木天国!

もう、見てるだけで楽しくて。

もともと雑木の庭が好きなことと、
もっともっと、小鳥が庭に来てほし~い!
それには
コ●リやグ●デイでは、その種類も限られるからでした。

特に、ジョウビタキが食べていたコマユミの木
ぜひとも欲しくて。
ネットだとウン万円するものが
田主丸で5000円以下で買えたこともあったので
秋が来る前に、根付かせて結実してほしかったのです。

行けばちょうど【春のグリーンマルシェ】開催中とのことで
満開の桜に迎えられ、家族連れも多かったです。
2021_グリーンマルシェ
(宣言解除後に、コロナ対策をして。のお話です)

コマユミがあるかも?と期待していたお店では
残念ながら手ごろな価格のものがなかったので
以前来た時に目をつけていたグリーンライフ コガさんに移動。

グリーンライフ コガ

前は店員さんが不在だったのですが
今回は女性がいた~。

グリーンライフ コガ

この雰囲気!
好きな方は、テンション上がるはず!

作りこんでなさそうで、ひそかに計算はしてて
わざとらしくなく
あくまで自然!

本当は、こんな庭にしたい~。

しかも、コマユミも
笑うほど安い!

かなり大きくなったものは
掘り出すのが無理そうだったので
(庭石の下に根が入ってて。どちらにしても、軽自動車には積めませんが...。)

今回は145㎝くらいのものを購入。
5000円。安っ。
ネットだと同じくらいで
14000円超えてます。
送料だってかかる。

フッフッフ...。
これで、なんで久留米までくるか
分かっていただけたでしょうか。
(え?分からない?)

2021_ueki_kodemari_komayumi.jpg

庭に植えるとこんな感じ。

根元の八重のコデマリは、
田主丸のJA耳納の里で
500円!

コデマリは一重もシンプルでいいのですが
八重咲のこのモッタリ感というか
ゴージャスなのに、清楚な感じは
根元を彩るのにもってこいなのです。

へたくそ素人造園でも
なんとか様になる!

ただ、広がるので
今回はプランタースタンドをひっくり返して
サポーターとして代用しています。

個人的に、木の高低差と
色味の高低差は大事~。

2021_ueki_egonoki.jpg

こちらは、まるとし緑樹園さんで購入の
エゴノキ。白花です。

egonoki_tubomi.jpg
エゴノキのつぼみ。鈴のような傘のような花が咲く。

ただ、このエゴノキ。
実に毒があります。

だから、側溝や水たまり、畑の側には
植えないようしました。
(地域猫が水を飲むといけないので~)

その実が大好物な鳥がいる。
ヤマガラです。
ひょっとこのような不思議な顔をした
スズメより小さな小鳥。
もう、秋にはエゴの実求めて
行ったり来たりと忙しい。

ぜひとも、それを
我が家でみせてほしい~。

実は食べられませんが
エゴノキは、その自然な樹形も人気の
わりとメジャーな植木なのです。

こちらも150㎝くらいで2980円。
安いです。

ネットだと送料入れると
一万円超えます。

センター内をウロウロしてる時に
足元に咲いてたのが可愛くて
こちらも緑樹園さんで購入。

sagigoke.jpg

サギゴケです。
マット状にどんどん広がるので
グランドカバーとして
頑張ってほしいところ。

こちらは1ポット120円。

本当は、シジミバナも探していたのですが

sijimibana.jpg
似ていますが、ユキヤナギより花が棒状に固まらない感じ。

sijimibana_up.jpg
小さな蜆の身のような、可愛い花が咲きます。桜よりちょっと早く咲く感じです。
これが咲き始めると、いよいよ春も本番って気持ちになります。


残念ながら思ったより高かったので
またのご縁に期待したいところです。
(以前は、JA耳納で980円くらいで買ったので
今回は同じくらいでも倍の値段しました。
大株だと一万円近い店も。)

いや~、植木って奥が深い。

ちなみにセンター入り口には
道の駅くるめ。

センター内にも
オープンエアーのカフェもありました。

d_cafeさん

こちらの赤カレーが美味しかったのに
散々食べた後
写真を撮ってないことに気づきました。

インスタ慣れしてないしてないと
こんなことになります。

ガーデニング好きさんはもちろん、
なかなかホームセンターで手に入らない雑木を探しに、
私のようなもの好きさんも
ぜひ久留米・田主丸まで。

しかし、暑いわ。久留米。

歩き疲れましたが、
楽しかったですよ~。

ぜひぜひ。コロナ対策のマスクと
帽子・水分を持って
お出かけください。

私を決めないで

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

私を決めないで
一本の線路を走る電車のように
まっすぐな橋のように
決めないでください私は水
方向を決めずに広がる水
海と同じ、どこまでも広がる水

わが子の卒業式の日、
式を終え、教室に戻ると
箱の中にプリントの切れはしが。

そこには、国語の授業で
詩のアレンジに取り組んだ
子ども達の作品がありました。

「お子さんの分をご自由にお持ちください。」

わが子がアレンジして書いたのが
上の詩だったのです。

親バカですが、
なんだか妙に心に刺さってしまった。

元は
「私を束ねないで」という新川和江さんの詩。

国語の教科書に載っていた、とのことで
今、捨てようと束ねていたものから
引っ張り出してきて、読んでみました。
(「私を束ねないで」だけに?)

オリジナルの詩も、もちろん名作なのです。

特に、
私を名付けないでに続くくだりは
娘であったり、妻であったり、母でもあるからこそ
身に染みて分かるフレーズです。

あぁ~、でもこれ。
絶対中学の頃の私じゃ分からない~。

捨てるはずの教科書。

森鴎外の『高瀬舟』も載っていました。

私の頃、習ったのかしら。
育った県は違うのですが
当然「読むべき」名作リストに載っているようなものです。

ところが、習った記憶も吹っ飛び、
読んでもないはず。

ところが、今読むと
めちゃめちゃ面白いんですね。

あぁ、でもやっぱり中学の私じゃ何のことか
分からなかったかもしれない。

「足るを知る」ことが
どうも目の前のお金や物の量や質でないこと。

満たされていても
餓鬼のように
まだ不安や疑念がムクムクと湧き上がって
自分を苦しめてしまうこと。

高瀬舟に乗った弟殺しの罪人であるはずの青年が
そのキリがない「もっともっと」の欲が
まるでなく、心から満足し
安心していること。

今さらと笑われそうですが
おばちゃんになって
「森鴎外、すげー!」と叫んで
子どもに笑われておる次第です。

分かる時期、タイミングって
人によるのかもしれませんね。

私は、今でした。

少なくとも、
私を決めないで
私は水
方向を決めずに広がる水
海と同じ、どこまでも広がる水

そう書いた我が子の気持ちは
親として心に刻もうと思います。

私も、
「あんたみたいなんが
そんなんやっても、
どうせ無理」

そんな親の言葉はつらい。

「あんたのために
心配して言ってやりよるんよ」

確かにそうかもしれない。

でも、この言葉を聴いて
元気も勇気も出ない。

だから
わが子には言わないように。
うっかり言いそうになっても
それが毒だと気付けるように。

そう心しておこうと思いました。

私に似て
少々独特のところがある子ですが
アレンジして
この詩を書いてくれて良かった。

母は、君がそういうことに
気付く子になってくれて嬉しい。

そう思う旅立ちの日でした。

怒る

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


誰かが、物凄い剣幕で怒っているのをみると
居ても立っても居られないような
気分になることがあります。

その怒りを鎮めることに気を取られて
あまり何を言っているかは
ちゃんと聴けていないような気もします。

反対に、他人が怒っていることに
全く平気でいられる人もいるでしょう。

気にしていないのかもしれないし、
聞いてはいるけど、落ち着いていられるのかもしれない。

激怒している人の怒りに気をとられて
何を伝えたいのか、
何をすべきなのか
見失うことがある。

なぜ、そんなことを今回考えているかというと
環境活動家の少女、グレタさんを思い出したからです。

彼女がすごい剣幕で怒っているのを
私はあまり、良い気持ちでいられない。
正しいし、ごもっともだけれど、
もっと言いようもあるのではと
ついつい思ってしまう。

でも、やんわりと言ったところで
まったく当事者意識がない「大人たち」は
何も変わらない。
だから彼女はあの若さで
あの全身で
「否」を突き付けている。

彼女が怒っている「大人たち」が
私を含め、まさに自分のことなのに
当事者意識が低いのはどういうことなのか。

私にしてもどこか
もっと大人の、
つまりは高度経済成長期に
ガンガン儲けていた親世代のことのように思ってしまう。

「いや、だってその時は私も子どもだったから。
親世代のやってきたことの責任を
全部言われても。」
そう思うのかもしれない。

親世代にしても、
「懸命に家族のためにやってきたのに。
そんな風になるとか
専門家じゃないし
知らなかった。」
そう思うのかもしれない。

ただ、彼女を激怒させているのは
そんな責任転嫁ばかりしてきて
問題に全く対処してこなかった
私たち「大人」の無責任さなかなと思うのです。

問題に薄々気付いていながら、
誰かが何とかしてくれると
他力本願に考えて
のんべんだらりとして
変えようとしてこなかった。

「誰のせいか」より、
自分事として
今現実に起きていることを
お金の勘定じゃない頭で
考えて!

グレタさんを始め
そう子どもたちに怒られても仕方がない。

激怒する相手を、クレーマーとしてひとくくりするのは
簡単だけれど、相手が何を言わんとしているのか
よく聴く必要がある。

激怒している相手が
わが事のためだけにそう言っていないのなら
なおさらで。
そうしないと、なんの反省も改善もなく
何の進歩もないからだ。

彼女を怒らせているのは、私たち。

何より、少しでも二酸化炭素を出さない知識と、
それを実行する行動が
必要なのだと
しみじみ、反省の日。

メーカーサイドでも
環境負荷の少ないものを
お願いしたいところですね。

それは、HMや工務店にも
言えるかもしれませんね。

なるべく省エネであることや
住む人がいなくなった後
家が処理しきれないゴミにならないように。

とりあえず
草むしりが大変でも、
庭に少しでも、土と木を。

多様な生物が生きやすいことも
大事なのかもしれません。

めんどくさいことに
大事なことが
かくれがち。

プロジェクションマッピング込み、310円

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん
大分県に住んで20年。

この度、初めて宇佐の県立歴史博物館に行きました。

お目当てはプロジェクションマッピング!

ハウステンボスのそれを目にしてから、
プロジェクションマッピングと聞くと食指が動く私。

とはいえ、鼻息荒く見に行ったプロジェクションマッピングに
がっかりすることも多く、
今回歴史博物館が行うと聞いて
どっちに転ぶか?
でも入場料310円なら良いか?
と、お邪魔した次第です。

意外にも、撮影禁止マーク以外は
カメラOKとのことで。

プロジェクションマッピングも
「撮っていいですか」と聞くと
「良かったらSNSで拡散してください」とのこと。

インスタとか、フォロワーとか
まったく縁のない私は
拡散という派手なお手伝いはできませんが
こうして、地味に?もくせい工舎のブログにて
その面白さをお伝えできればと思います。
(お出かけネタも少なくなってしまったので)

意外に、と言ったら失礼だけど
意外に、いや、想像以上に面白かった歴博。

大分の歴史なので
鏝絵の展示コーナーなどもありました。

もくせい工舎は漆喰を使うので
興味のある方もおられるのではないでしょうか。

歴博の鏝絵展示
たまたま今回ちょっと調べたら
安心院近辺にに鏝絵が多いのは
なんといっても
長野鐵道、山上重太郎、佐藤本太郎など
有能な左官職人さんを輩出しているかららしいです。
(とはいえ、存じ上げない無知な私)

宇佐の長洲から、材料の貝灰が調達しやすかったりも
あったようですが
なんといっても、そのユーモラスさ。
見ているだけで楽しくなります。

なかでも、これ。

ブドウ柄の鏝絵

美しいですよね~。

葡萄は子孫繁栄の縁起物らしいのですが
あえてモノトーンなのが品が良い。

他にも
野津原の庄屋・後藤家住宅の再現などもあり、
建物好きには嬉しい限りでした。
(空間を見るのが好きなだけで、詳しくはナイ)


庄屋の家入口
調べたけれど、よく分からなかった。玄関のサルノコシカケのような飾り。

庄屋の家・板の間
この梁!カッコイイ!

庄屋の家・天井
屋根の仕様も素敵です。断熱材ないから寒そうではあるけど。

庄屋の家・壁
壁の色味がいいですね~

庄屋の家・壁・通気口?
通気口?


そろそろ本題に行かねば。

プロジェクションマッピングは2か所。

入ってすぐのロビーにある熊野摩崖仏と
その右手奥に見える富貴寺大堂。

どちらも実物大の模型で
そこに展示品の魅力やまつわる歴史を
投影して解説してもらえます。

熊野摩崖仏のプロジェクションマッピングには
マスコットキャラクター「ごりんくん」を
地元の高校生が担当。
とても上手でわかりやすかった!

こちらの唯一残念だったのは
熊野摩崖仏がレリーフだからか、
どうも平面に投影されているように見えてしまった。
乱視がひどい私の目と、脳のせいかもしれませんが、
なんとなく「おお~!」と
驚くまでいかなくて。

以前、人気アニメのプロジェクションマッピングを
商業施設の壁面に投影するのを見たのですが
その時も二次元のアニメと
平面の壁面だったからか、

・・・なんか迫力がない。
広い所に写しただけ、の印象だったのです。

理屈は分かりませんが、
奥行き感のある立体のものに
三次元の映像だと
こう、びっくりするというか。
意外性があるというか
「おお~」っとなるのでしょうか。

立体に立体が重なるからこその驚きが、
きっとプロジェクションマッピングの醍醐味なのかも。

正直驚きは少なめだったのです。
ごめんなさい。

ところが、こちらは圧巻。

富貴寺大堂模型

富貴寺大堂!

実物よりピカピカ!(当たり前?)

富貴寺大堂模型・ご本尊

中に入ることもできます。

実物の富貴寺大堂は
現存する九州最古の木造建築だけあって
中の装飾なども、かなり見えづらい。

は~、もとはこんなに豪華絢爛だったのかと
驚くばかりです。

模型の良い所は、
ほら!

ご本尊裏の曼陀羅

絶対実物ではお目にかかれない
ご本尊背面も見れること!

こんな目に触れにくいところまで
丁寧に、丁寧に仕事がされているのには
ちょっと感激します。

そして、さらに
心揺さぶるプロジェクションマッピング。

映像もさることながら、
音楽と、何より大分出身の石丸謙二郎さんの
ナレーションがもう、本当に良いのです。
重厚で、でも本当に温かくて。

プロジェクションマッピング
プロジェクションマッピング
プロジェクションマッピング
プロジェクションマッピング
プロジェクションマッピング
プロジェクションマッピング

最後どうなったかは、ぜひ現地で。

もう、途中
雪が大堂に降り積もるシーンは
きれいすぎて、鼻がツンときました。

いや~、なんかすごいところに
住んで居るなぁ、私。

実は、こちらのプロジェクションマッピングは
期間限定。

もったいないけど
4/11(日)までなので
興味のある方は310円を握りしめて
ぜひ宇佐の歴博まで!

・・・関係者の方々、
撮影可を良いことに散々撮らしてもらいましたが
これで許してくれるかしら。

私は、下の子連れて
また石丸さんの声を聴きに行きます!

ママくも【閲覧注意】蜘蛛の巣の画像あり。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


今日は、ママ友ならぬ、
ママくも(蜘蛛)のお話。

苦手な方は、ごめんなさい。
本体(?)の画像は出てきませんが、
蜘蛛の巣は出てきます。
見るのも嫌!っていう方は
パスしてくださいね。

気持ちの悪い系列の話ではないです。


12月くらいだったでしょうか。

物干し場の柱に、蜘蛛がいる。

おなかがパンパンで、
臨月?のようでした。

巣を張るにしても
獲物がかかりようもない位置なので
「産卵するんだな」くらいに思っていたのです。

蜘蛛の巣ではないけど

産卵が進むにつれ、
あれほどパンパンだったおなかもしぼんできて
ママ蜘蛛の体は
元のスレンダーな姿に。

そうこうしているうちに
だんだん寒さも厳しくなってきて
冷え込む日などは
ママ蜘蛛もヨロヨロしながら
卵が冬を越す準備をしているようでした。

毎朝、洗濯物を干す度に
その光景を見るものですから
だんだん、なんだか気になるようになってきました。

今日も生きている。
お?今日も頑張っている。

でも、さらにヨロヨロ。
というより、息も絶え絶え。

とうとう、動かなくなり
「あぁ、死んじゃったのかな~」
と思っていたのです。

ところが、次の日場所が少し変わっている。
動いている!
生きている!

もう、こうなると
なんだか身につまされてしまいます。

もう、死にかけているのに
まだわが子のために
精いっぱいのことをしようとしている。

ママ蜘蛛がこうするのは、
本能なのでしょう。
「母親はこうするべき」とか
考えてやっているわけではない。

「母親なんだから~すべき」は
どこか少し自分のためでもある。

生き物が本能的に子どもを守ろうとするのは
誰になんといわれようがやる。
理屈じゃない。

もう、ほとんど動けないような体力で
なお命を全うする姿に
同じ母親として
何とも言えない気持ちになりました。

数日後、
ママ蜘蛛は縮んでいました。

また、まだ生きているといけないので
放っておきましたが
やがて地面に落ちていました。

あぁ。
本当によくやったよね。
頑張ったよね。
本当に、本当に
お疲れさまでした。

同じようなもんだよね。
種類は違うけれど、

あなた(蜘蛛)も、私も。

年末年始のおしらせが!

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


サイトがリニューアルして初めての年末年始のお知らせ。

・・・が、いつも通りにいかず
調べている時間もない!

・・・ので、急遽こちらに載せます。
(最後の最後にスミマセン。...トホホ。)




2020_2021.png


2020年12月31(木)~2021年01月03日(日)まで
誠に勝手ながら年末年始のお休みをいただきます。

年明け1/4(月)より通常営業いたします。

どうぞよろしくお願いいたします。



申し訳ありません。
次回までには、もっと勉強しておきます。



思い起こせば、昨年の今頃。
その時も「コロナウイルス」の話は出ていたのです。

しかし、やっぱりどこか他人事だった。

遠い武漢でのことだと
正直、高をくくっていたのだと思います。


年末に『風の谷のナウシカ』の映画が放映されていました。

劇中の「マスクなしでは生きられない世界」というものを、
これ程身につまされて再放送を見た年もありませんでした。

あのお話の中でも
自然は、時間をかけてでも
なんとかバランスを元に戻そうとしているのに
目先のことばかり急ぎたがる人間たちが

森を焼き、虫を殺し、
よけい悪循環に陥っていました。


とはいえ、みんながみんな
ナウシカのように聡いわけでも
慈悲深いわけでもない。


自然のおおいなる仕組みが
何を目指しているのか
私にはちっとも分りませんが

早く、山を越えられますように。


あとは、できるだけ

感染しない、させない。

ナウシカにもなれない私がやることは、
とりあえず、今大変な思いをしている人たちの
手を煩わせないこと。


おまけに、年末は寒波も。
畑の土に、山々に
こうしている間にも
雪がだんだん積もってきました。


今年のお正月は、お家でおとなしくしていようと思います。


ここからは、自然素材の工務店ならではのお話です。

コロナ禍で、お家にいる時間が長くなりました。
今こそ、家の居心地のありがたさが見直される時かもしれません。


年明け、1月末には
宇佐市にてリフォームの見学会も予定しております。

コロナ禍で先行きの見えない中、
新築はともかく、
建てて数十年経ったお家の住み心地は
ほっておけない部分もあるかと思います。

近年の激しすぎる暑さ寒さや耐震。
老後に備えてのバリアフリー。

同じリフォームするなら、せっかくお金をかけるなら
憧れだった木の家にするという手もありますよ!

それを実現したお施主様のお家、大公開の予定です。

どうぞ、年明けのお知らせを楽しみに。


あぁ。なんだかスゴイ一年でした。

新しい年が
この閉じこもるだけのこの状況を一変させる

一発逆転!の年になりますように!


これから、もっと寒くなりそうです。
どうぞ温かくして、良いお年をお迎えくださいね。

まずは、おちつけ。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


家を建てる時に、同時進行で庭のことを考えていました。

図書館でガーデニングや庭木の本なんかを借りまして
あーでもない
こーでもないと、妄想を膨らませていたのです。

湯布院の玉の湯や、山荘無量塔のような
雑木林風の庭がたまらなく好きなのですが
いかんせん、先立つものがない。

せめて、理想の「外せない部分」はおさえつつ、
大きな木だけ造園屋さんにお任せして
あとは自分たちで、ぼちぼち手を加えていく形にしました。

我が家は南北に長い敷地なのですが
今思えば失敗したなと思うことがあります。


庭の東西南北、どの位置に
どういう植物を配置するか。

それを考えるときに
単純に
北=日当たりが悪い
と、考えてしまったのです。


ところが、
我が家は田舎。
しかも、地主さんが「もってけ、ドロボー!」と売った土地。
安し、広し、(私じゃ)手におえない。
3拍子そろった土地であります。

だから、一見不相応にも
土地だけは広め。
隣地とかなり余裕があります。

しかも建物は平屋建て。

つまり、庭の東西南北でいうと
北だけど、日陰になるとは限らなかったのです。

庭の東西南北

北側だから日が当たらない

そう思い込んで、半日陰や日陰の植物を植えていたものだから
この猛暑で次々に、枯らしてしまうことになりました。


うかつでした。
枯れてしまった木よ。
どうか私のおっちょこちょいを赦してほしい。

う~ん。
1年間、よく日の当たり方を観察するべきでした。

そんなに急がなくても良かったのに。


これは以前ブログにも書いたのですが

南側が日当たりが良いからと、
花を植えました。
ナニワイバラの下に
スイセンやシュウメイギクを植えたのです。

ところが、これがまた
ひまわりのように
お日様が大好き。
肝心の花の顔は、
太陽の方を向いたままなのです。

向日性、と言うそうですが
こうなると
家の方からは、花の後ろ頭(?)しか見えない。

これは、ショックですよ。

だって、そっぽ向いてるんだもの。

これこそ、日が当たるなら
北側の位置に植えるべきでした。

トホホ。

慌てないって、大事ですね。

勉強になりました。

あえて勝たない

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


この前、子どもにドラックストアで

ネットショッピングのギフトカードを

買ってきてもらいました。

裏の、銀紙の部分をこすって

その番号をアカウント登録するんですが

・・・何回やってもエラーが出る。


なんで?

どうして?

何回も家人に読み上げてもらって、

確認しても全くダメ。

とりあえずカスタマーセンターに相談することになりました。



所定の手続きのため

購入した店のレシートと、削ったカード等の写真も

一緒に添付。

電話をとのことでしたが、「明日連絡します」とだけ書いて

明朝メールを見たのです。


そこには、「確認し、登録しました」の返事。

アカウントにカードと同額の入金がありました。

丁寧なあいさつまで頂いて。


・・・いや、これだけなら

あまり驚かない。

何に驚いたかというと

自分が添付した写真を拡大して見たからです。


私、ずっと705だと思ってたんです。

もしくは7O(オー)5。

ところが、よくよく拡大して見たら

ギフトカード

やや!これは U なのでは?


そう、削りカスの残りがあって

上の部分がつながって見えていたのです。


最近、カメラのピントも怪しいんです。

その上、筋肉痛クラスの眼精疲労と、

老眼と、乱視を言い訳にしても

何故気づかなかったのか。

なぜ拡大して確認しなかったのか。

とはいえ、そう思ってたんだよなぁ。


そこで、ハタと気付いたのです。


カスタマーセンターの担当者さん、

「黙っててくれたのではないか」ということに。


「あ~、お客様。

0とUを見間違えておられませんか?

0に見えるかもしれませんが

Uですね。」

・・・そこら辺のお店なら

いや、不肖の私なら

うっかり言いかねない。

きっとドヤ顔でものを言ったところだ。

でも、お姉さんは

あえて黙っていてくれたのです。

あえてお客に勝たない対応で。


もし、それを指摘したところで

「あ!本当ですね!すみません!」

そう、お客さんに謝らせてしまいます。

下手すると

「こんな見えにくいカード作るおたくが悪い!」

って逆ギレされることもあるでしょう。


間違いを黙っていた上で

勘違いさせたことを、再認識したのかもしれない。

もしかしたら、そこを

報告して、改善しようとしてくれるのかもしれない。


なんか、さすが。これぞ一流。


弱いと、どんなに自分が正しくて

間違ってないかばかり言いたくなります。

ついつい守りに入りたくなる。

下手したら、何か困りがあって問い合わせてるのに

「うちに限って、そんなはずありませんから!」

って、見もしないで突っぱねることだってある。


うまくいっている時は「お客様のために」が

うたい文句でも、いざとなると

かばうのは我が身になりかねない。

失敗、欠陥、責任・・・。

完璧なことなどないのに

そんなものが怖すぎて

お客様の困りに

蓋をするときがある。


正しいことを、

相手の勘違いを指摘することもできたのに

あえて勝たなかった。


ちょっと、すごいなぁと思った一件でした。

ほめる

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


子どもを育てていると

自分の古傷と向き合うような時があります。


「ほめて育てる」とよく聞きますが

世代的なものでしょうか。

自分の親に、褒めてもらったことがないと、

どう褒めて良いか分からない。


我が子は勉強が好きではない上、

元来のんきな質なので、

テスト前だろうと、何だろうと

いつもと全く変わりません。

心臓に毛が生えているというか、

もう、モフモフです。

嫌なものは、嫌やねん。

猫と一緒です。気が向かない限り、まったくしない。


それでも褒めねばならぬらしい。

そこで親としても、一応褒める努力はしてみるわけです。

「前より、良くなってきてるよね!」と。


しかし、それしか言うことがない。

100点満点の減点法だと

とれてない不足ばかりが気にかかる。

というか、そもそも半分もできていない。

「あのイチローだって打率は3割!」

・・・いやいや、そこでそれを持ち出すのは

違うはず。

どう前向きにかんがえようとしても、モヤモヤします。

勉強時間も点数も、自分の半分くらいの我が子を前に

無理に褒め所を探すときの、あの胸にチクチクくる感じ。

私は人間ができていませんから、正直なところ

「自分はもっと頑張ってたのに、

褒めてもらったことなんかないよな~」と

ちょっと思ってしまうのです。


褒めるというのも、なんだかな。

褒めて、あわよくば「こういう風になってほしい」ような

下心みたいなものが見えると

あまり嬉しくないのかもしれない。

それは、お店で試着した時の

「お客様、よくお似合いですよ~」的な感じと言いますか

褒めるというより、ヨイショに近いからかもしれない。


ヨイショが得意な人は、そんなこと微塵も思わせずに

どんどんやる気を引き出すのかもしれませんが、

残念ながら、私のような不器用な親も存在します。


ただ、子どもが嬉しそうにしている時は

やっぱりこちらも嬉しい。

多分、親も嬉しそうだと

子どもはもっと嬉しい。


「・・・ん?これ、おいしいね!」

「・・・!ホント!旨っ」

美味しいものを食べた時、

一緒に共感してもらえたらもっと美味しいし、嬉しい。


何か綺麗な風景を一緒に見た時

「あの時の、あの景色、キレイやったよね~」

「あ~、うん!また見たいよね~」

一人で見た記憶より、一緒の記憶が嬉しい時もある。


共感は、きっと親子間だけの話ではなく、

夫婦だろうが、友人だろうが

煩わしい人間関係の中の

ご褒美のようなのかもしれません。


そこを活かして!といきたいところですが

私は、子どもの長所もやる気もぐんぐん引き出せるような

敏腕かあさんには、やっぱりなれないと思います。

その辺は、良い意味で「明らめよう」。


名コーチ、指導者、導く人には、とてもなれない。

兄弟全員東大に送るような

敏腕は私にはない。


子どもの能力を最大限引き出し

ほめて伸ばすことは不得手でも

「一緒に嬉しがる。よろこぶ。」

それくらいは、私にもできそうです。


すまない、我が子よ。

せめて、「一緒にいるのが嫌じゃない」

それくらいの関係で、勘弁してください。

リニューアル

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

ブログ書きも、5月末以来なので

ずいぶんご無沙汰いたしました。

お気づきかと思いますが、

もくせい工舎のサイトがリニューアル。

それにともない、しばらく

お役にはたてないものの

邪魔だけはしないでおこうと

潜んでいたような次第です。



インスタにも疎いので、こちらもほぼノータッチですが

もくせい工舎は、インスタグラムも開始しております。

instagram QR-687913.png

もくせい工舎Instagram⇒こちら!

どうぞよろしくお願いいたします。


パソコンより、スマホで検索する方が増えてきたので

それに対応しないと、検索エンジンに引っかからない。

刻一刻と変化することに対応していかないと、

情報の波にのまれてしまうのだろうと思います。


もくせい工舎は、一棟一棟手づくりするような

お家の建て方をしています。

年間の受注頭数も

丁寧に建てるために決まっています。

だから、検索エンジンにヒットして、

ジャンジャン売って、ジャンジャン建てろ!

という、感じではありません。


でも、やっぱりたくさんの情報の中から、

「自然素材の家」を本当に必要としている人に

見つけてもらえないといけない。


アレルギーなどで自然素材にこだわりたい人はもちろん

そうではなくても、自然を欲している人はいます。



無垢の木と、カラーボックスの「ウッド調」は違います。

同じような鏝跡の壁も

本当の漆喰とモルタルでは、質感も違います。

土壁

本当の「自然素材」が出す、佇まいみたいなもの。

そういうものを、

心から必要としている人っていると思うのです。


「自然素材の家」
「健康住宅」
「木の香りのする家」


同じような文言が並ぶ広告の中で

本当に木や自然が好きなご家族に

「あ、これだ!」と気づいていただければ

ブログ書き冥利につきるかな、と思います。


また、家のこと、暮らしのこと

色んな側面から

ブログに書いていければと思います。

お付き合いいただければ幸いです。


フェイクグリーン飾るより、

できたら野の花なんかがいいなぁ。

99%の一部

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


前回の、「名もなき星」の続きではないのですが

ちょっと関連したお話です。


以前、水木しげるさんの著書『人生をいじくり回してはいけない』を読みました。

なぜ読みたくなったかというと

赤紙、戦争、マラリア、片腕、そして貧困。

そういったものを飄飄と生きてきたように見える

水木さんが、何を考えていたのか知りたくなったからです。


読後の感想としては、

飄飄と生きるには、生きるなりの

肝の太さが要るのだと実感したというか。

小心者には、この境地には

なかなかなれないな、と思ったのです。


その中に2つ、印象に残った話がありました。


ひとつは、

【99%のニンゲンは、無能】

もうひとつは、

【木や虫のように死ぬ】という箇所です。


・・・この部分だけ聞くと、強烈でしょ?

「なんだと?そんなこと、あるもんか!」と言いたくなる。


ところが、本全体を読むと

がっかりしつつも、なんとなく言いたいことが分かる。


がっかりしたのは、まさしく

私が、その99%の一部だと確信したからなのですが

言い換えれば、そんなにたくさんいないから

天才は1%、なわけです。


名もなき星の話、ではありませんが

イルカの曲芸をどんなにうらやんでも、

亀やメダカには、できないことです。


でも、「イルカのようになれないから」と、

一生、いじけて生きることはないんじゃないか。

亀には亀の、メダカにはメダカの、

わたしにはわたしの、

良さがあるんじゃないか、ということです。


水木さんは、ラバウルで

土人たち(注:水木さん言うところの「土に生きる人」)と仲良くなります。

そのおおらかな暮らしぶりに惚れ込み、

この世の楽園だと思うわけです。


彼らは、木や虫より自分たちを偉いとも思わない。

同じように生き、同じように死んでいく。

「こうあるべき」「ああせねば」と立派に見せることもない。

神様にいかに気に入られるか、そんなことは気にしない。

土のない所に生きると、

「自分が、自分が」ともがいて、

木や虫のように、自然に死んで行けない。


99%の無能の一人。

そう確信し、がっかりしても


「イルカの真似をして、いじけて苦しむな。

木や虫のように

自然に生きて、その生を全うしなさい。

それでいいんだから」


そう言われているようで、

がっかり、失望しつつも

気が楽になった。そんな本だったのです(個人差はあると思いますが)


だから、あまり「こうあるべき」にとらわれている時は

ちょっと、この話を思い出そうと思います。


自然に暮らそう。

自然に生きよう。

良かったら、木の家なんかも

ご検討くださいませ。

さすがに、住む場所がないと

日本では厳しい。夢の楽園のようにはいきません。


それでも、せっかく住むなら

自然の素材、木の家で。

自然素材のお家・OB様邸ご案内

公式の見学会がない時も

OB様邸ご案内など行っております。
(もちろん、コロナ対策に万全の配慮と、状況判断の上でですが)

とにもかくにも

まずは、お気軽にお問い合わせください。

自然素材を使った、リフォームのご相談も

もちろん可能です。

なるべく自然体で生きる暮らしを、一緒に考えましょう。

ご連絡お待ちしております。


お問合せ・ご相談

名もなき星

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


見たり見なかったり、気に入れば録画してでも見るドラマ。

今、朝ドラ『エール』が面白くて楽しみにしています。


え?そんなん、見る暇ない?

そうか、それは大変ですね。

・・・はい、会話終了。


・・・いやいやいや!

それでは、話が終わってしまいますし

大変な話や、苦労話ばかりしかできなくなりそう。

苦労や、努力と根性の話しかできないのは、疲れますし

喜び勇んで聞きたくないような。

会う度に同じような話しかしないよりも

興味のアンテナが何本もたっていて

会う度に「何それ?何のこと?」って新ネタが出てくる人は

次に会うのも楽しみですものね。


不思議と

「これ、すっごい面白いの‼」っていう誰かの話は

その本体に興味はなくても、すごく楽しくなってきます。

話しているご本人が、楽しそうで嬉しそうなので

聞いてて面白い。

きっと、ウキウキワクワクする気持ちが

伝染するからでしょう。

ミラーニューロンというやつですね。


『マツコの知らない世界』が面白いのは、

考えも思いもしなかった分野を、

それはそれは楽しそうに話すディープな人たちが出て

それをマツコさんが「へ~」と面白そうに聞くからです。


誰も傷つけない、面白い話は

空気の温度を少し上げてくれます。


「そんな暇ない」で、話の口をふさがれてしまうと

その間の空気って、薄くて、ひや~っと冷たい。

少なくとも、元気は出ませんもんね。


だから「こんな時期に」って気はしますが

あえて書きたいと思うのです。

そんな言い訳をしつつ、以下ドラマの話です。


朝ドラ『エール』は、『栄冠は君に輝く』や『六甲おろし』などを作曲した

古関裕而氏と、その妻で歌手の金子氏をモデルに

フィクション仕立てにしたドラマです。


主人公の小山祐一に窪田正孝さん、妻の音に二階堂ふみさん。

窪田正孝さん演じる祐一の、オドオドした感じの福島弁と

脇を固める登場人物の味わい深さ、さらに演出、画の撮り方が面白くて

そりゃもう、釘付けで見ています。
(あと、二人の新居の貸家が、本当にデザインが素敵なんです!どこもかしこも!)


ドラマは今、反対を押し切って新婚生活を始めた東京が舞台。

国際作曲コンクールで日本人初の2位になるも

世界的な不況で留学は中止に。

夢を絶たれて、コロンビアレコードで専属作曲家になるものの
(とはいえ、挫折してすら、この立ち位置って。)

なかなか芽が出ず、金銭面でも不安しかない。


そんな祐一を、妻の音や友人たちが励まし続けます。

「あなたなら、きっとできる」と。


そうなのです。

どんなに心配した母親に反対されても、

すねちゃった弟に薄情者扱いされても、

私たちは、成功した古関裕而を通して

主人公の小山祐一を見てる。


今に成功する、素晴らしいものを世の中に残すことになる。

そういうゴールが分かっているので

迷い悩む主人公に、

「負けるな!大丈夫!自分の気持ちに正直に、前へ進め!」

そう確信をもって応援(エールですね!)したくなるのです。


しかし、悩めるご本人にしたらゴールどころか

その道すがらもわからない。

こっちに行けば蛇が出るか、あっちにいけば鬼がでるか。

それが怖いから右往左往するのです。


それは、きっと私たちも同じこと。

先行きが分からないから悩んでしまう。


本来なら、蛇が出ようが鬼が出ようが

ホントのところどっちに行きたいの?

そうシンプルに考えれば良いのですが

明日のご飯の元や、家族のことを考えて

とりあえず目の前のことをするしかない。

だって、おそらくは名もなき人生だから。


ドラマの主人公のような

華々しい成功なんて、なかなか考えられない。


ドラマは、ドラマチック。劇的なのです。

じわじわ効く民間療法薬ではなく、劇薬に近い。

効くけど、刺激も副作用も強いのです。


そうなると、

特に主人公が、世に名を残すような人の場合、

その劇的な人生と、自分とを重ねると

感動しつつも、手綱を引きたくなってしまう。

こんな自分の冴えない一生と、主人公の華々しい一生を

一緒にしては、いけないのではないかい、と。


私たちは、成功した一部の光を見ている。

いわば、スター。一番星です。


でも、それがわかっててなお、

劇中の言葉に、行動に、

心が震えるわけです。

涙も流すし、一緒に喜びもする。


心が震えるのは、自覚のあるなしに関わらず

本当はそうありたいと思っていることがあるからです。

口に出すのはおこがましい気がしても

根っこでは、そう思っている。


一番星ほどの強烈な、華々しい光ではないかもしれない。

どう妄想し、暗示をかけても

一番星な「わたし」が、どうも想像できない。


そう、名前の付いた星より、

名もない星の方が、圧倒的に多い。それが現実です。

あんな風に立派になりたいと願いながら

名もないまま一生を終わることの方が、圧倒的に多いのです。


でも、よくよく考えれば

なんでそこまで立派じゃないといけないと思っているのか。


図書館に並ぶ偉人の本に、

ドラマに出てくるスターの姿に、

憧れはしても、

そうなれなきゃダメなんてことは、ないはずなのに。


名もなき星の、星屑にも、

それでも

ちっちゃい、ちっちゃい光があって

それが刺激されるから、

心が震え、感動する。


生きている間に、光が当たるとは限らない。

あのゴッホだって、まさか死後これほど

後の世に影響を与えてるとは思いもしなかったと思うのです。

自分に光があるとも知らず。


名もなき星も、生まれれば

互いに影響はしあう。

良くも悪くもではありますが。


できれば、ささやかでも

誰かを応援できるような、

それこそエールになるような

名もなき一生であれたらと、

ドラマに、本に、思うのです。

「名もなき星」続きを読む

にわには【注:蜂の画像あり】

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


GWです。

・・・が、SW。ステイホーム週間の今年。

これ以上感染を広げないために

今は耐えるときでもあります。


「閉じこもっているのが嫌いだし、ストレスなんで~」
  ↓
感染拡大
  ↓
経済悪化
  ↓
仕事無くなる

・・・では、しゃれにならないので

とにかく、医療関係をはじめ

矢面に立って、必死で戦っている人たちの

邪魔だけはしないようにしたいと思っています。

(ちなみに、私たちが生活する上で欠かせないお仕事をされている人を
エッセンシャル・ワーカーというのだそうです。
医療従事者もそうですし、公共機関、物流、スーパーやドラックストア等々。
後日知り、勉強になりました~。)



今日は、ハチ・・・


猫のハチ


・・・ではなく、蜂の話。


【蜂とカマキリの画像がでてきます】ので

苦手な方は、パスしてくださいね。


それでは本題に移ります。


GWが近づくと、我が家のナニワイバラが満開になります。


20200430_ナニワイバラ


鋭すぎるトゲと、樹形が暴れすぎる欠点をのぞけば

すこぶる強健で、とにかく花がかわいい。

たくさん咲いていると、遠目には目玉焼きのよう。


アパート時代に、ご近所の花屋さんの屋根に

覆うように咲いていたのが羨ましくて

いつか家を建てたら、庭に植えたいと思っていたのでした。


(ただし、本当にトゲが痛い。主人が血しぶきあげて(?)選定しています・・・)


実は、このナニワイバラ。

蜂に大人気。

なんやかやと、お役に立てているようです。


20200430_ミツバチ


日本ミツバチ?・・・ではなく、おそらく西洋ミツバチです。


20200430_ミツバチ


花粉大漁、大豊作。重そうです。


20200430_ミツバチとヒラタアブ


ミツバチとヒラタアブで、場所取り合戦も。


・・・心配しているのは

そこに、いつもいるはずのマルハナバチがいないこと。


マルハナバチ
昨年シマトネリコの花に集まってきた、マルハナバチ


マルハナバチは、「ブ~~~~ン‼」とカナブン並みの爆音で

飛んでくる丸っこい蜂です。

大きさもカナブン並みで

見た目はおっかないのですが、

基本こちらが何もしなければ、おとなしい蜂です。


いつもなら、ミツバチ以上に

ナニワイバラに集まってくるのに

・・・いない。


もこもこの毛に覆われたマルハナバチは

暑さが苦手だそうで、実は半減も心配されているらしい。


「ふ~ん。そうなんや~」では終われない蜂の話。

以前にも、こちらのブログで書かせていただいたのですが

蜂がいなくなれば、受粉できなくなる植物が出てくる。

「ミツバチが絶滅したら、私たちの食べ物の7割が消える」といわれていて

個人的に、なんとか蜜源となる木や花を

庭先から増やせないかと思っていたのでした。


【関連記事:ミツバチが支えている】


マルハナバチ自体は、寒くなるまでよく見る蜂なので

もうちょっと後になって、無事に姿を見せてくれたら良いなと思っています。


私は元来めんどくさがりなので

こまめに庭の手入れをしません。

ただ、雑木林っぽいというか

森のような場所が好きなので

木と土は、必須でした。


森には土


不思議なもので、いくら樹形の良い雑木を植えたところで

地面がコンクリートだと、さっぱり森っぽくならない。

土があり、草も生え、落ち葉もある。

そうすると、小さくても森っぽい気がします。

土を踏む、という感触も好きなので

草ボーボーのリスクを背負っても

コンクリートで固める気になれませんでした。


それと、蜂もですが

土にも当然生態系があって、

なるべくそれを残すことは

勝手に土地を奪って、家を建ててしまったことへの

自分なりのお詫びでもありました。

全部、人間仕様にしない。せめて一部は、自然と共有する。

ささやかな自己満足でもあります。


草が生えて面倒なのですが

木を植え、花を植えることは

こんな巣ごもり状態のときにも

ヒマを与えません。


・・・草抜かな、いかんもん。


コンクリートで埋めてしまえば、手間はかかりません。

でも、手間以上に

大事なことがあるような気がするのです。



かまきり

信じる

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


先日、友人が話してくれた本の内容が

ちょっと興味深かったので、今日はそのお話。


「質で勝負する時代が終わった」というのです。


終戦後の物のない時代は、とにかく物をそろえることに必死。

白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫が、三種の神器なんていわれたこともありました。


一般家庭にも、そういった物が揃ってくると

今度は「質」の時代になる。


じゃ、現在はというと

100均ですら、そこそこの品質のものが買える。


良い品質のものを、安く。

そうすれば勝ててたことが、うまくいかなくなる。

良い品を安く売るほど、自分の首も締まってくる。


今は、ストーリーを売る時代なんだと。


iphone、アップルといえばスティ―ブ・ジョブズ。

マイクロソフトといえば、ビル・ゲイツ。

ソフトバンク、楽天、ユニクロ。

それぞれすぐに名前と顔が浮かびます。


三菱○○とか、住友○○とか、

昔からある大きな会社の、トップの顔は

良く知らない。


品質で差が出にくくなった今

トップが何を考え、どこを目指し、どう行動しているのか。

そのストーリーこそが、魅力なんだという話です。


・・・それで、この頃ト●タのCMには

社長がでるのかしらん?

●産は、ゴ●ンさんの顔は思い浮かぶけど、

トラブルがらみでしか思い出せません。

ス●キやホ●ダの社長さんも、私レベルでは

失礼ながら、思い出せない。


私は、糸井重里さんの『ほぼ日』を毎日見ているのですが

糸井さんは物書きですから、「今日のダーリン」というエッセイを

(今のところ、ほぼ)毎日書いています。


コラム然り、中のコンテンツや

乗組員さん(スタッフ)の活動の様子などからも

なんとなく、ほぼ日という会社の【温度感】を感じます。


その【温度感】が好きで、

これまた何となく、お守りのように

(少々割高ですが)ほぼ日手帳を購入しています。


そうなんです。【温度感】がキーだと思うんです。


広告まがいのことを仕事にしていて、

閉塞感を感じるのは、まさにその点です。


質の違いを伝えようとすると、他を

(悪くまでは言わなくても)下げた感じにしてしまう。


しかも、従来の広告だけでなく、ネット上でも

ウソかホントか分からないような広告や

レビューの仮面をかぶった文章が並んでいます。


さも良さそうなことしか書かないし、

見てる方からしたら、もうウンザリなのです。


そこに昔ながらの「質の差」ばかりを伝えようとすれば

よ~っぽど気をつけないと

「よその製品、そんなに悪いん?」って印象にすらなる。


ましてや、どんなに気をつけていても

人間のすることに完璧はありません。


相性の問題もある。


広告に惹かれて買ったはいいけど、

もうリピ(リピート)しない。

そういうこともあるでしょう。


トップが、何を思い、どうしていきたいのか。

それを支えるスタッフたちの温度感。

それに注目する第三者の【信頼】が、大事になってきている。

要は、会社の考え方のファンを増やすということです。


もう、なんで読んだのか、それとも

ドラマか何かで見たのか忘れましたが

時々、この言葉を思い出します。


言葉を信じたから、人を信じるんじゃない。

人を信じたから、その言葉を信じるんだ。


なるほど、「信」という字の書き順は

「人」を先に書いて、「言」です。


もちろん、「人」を信じて

「言」った事と、実際とが違っていたら

それはもう、対応の仕方しだいでは

二度と「信」じてはもらえなくなります。


どう考え、どう行動しているのか。

未来のお客様が見ているのは、

その【まなざし】、【温度感】だと思うのです。

「信じる」続きを読む

かまけて

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


「忙しさにかまけて、○○できなかった」

みたいな言い方をすることがあります。


この「かまけて」というのは

漢字で「感けて」。

もともとは【心をひかれて】【感心して】ですが

今は

【何かに気を取られて、他のことをなおざりにする】

のように使われることが多い。


毎日、なんやかやと忙しいと

ついつい、気にはなっていても

後回しになっていることがあります。


新型コロナウィルスの影響で、

東京をはじめ、各都市で

週末の不要不急の外出を控えるよう言われていました。


自由にできない、思うように行動できない、

そんな閉塞感が漂います。

致し方ないこととはいえ、

外へ外へと向かう気持ちに、制限がかかると

「何もできないのか!」と叫びたくなる。


今回のような異常事態に限らず

努力しても努力しても

うまいことドアが開かない時もあります。


このままではいけない。

何とかしないと。

そう思って、次々ドアをたたいてみるのですが

どうも違う。


「それは、お前さんの努力が足りないせいだよ。」

そう他人にも言われそうですし、自分でも思わないわけではない。


ただ、努力して進む先に、

「自分はこうだ!」という道がない時がある。


閉塞感にさいなまれて、

外に出たくて

ドアをたたいていても

うまくいかないとき。


それこそ、「感けていて、できなかったこと」をするチャンスなのかもしれません。


新しい出会いを求めても、うまくいかないとき。

それは、今までの出会いや、身近な人に対して

なおざりになってしまっていたことを

丁寧にやる時期なのかもしれません。


景気が後退しそう。

新規のお客さんが、なかなか来ない。

それなら、今までのお客さんの(黙ってくれている)困りに寄り添うときかもしれません。


仕事にかまけて、なかなか子どもと向き合えなかった。

今、それをやるチャンスかもしれない。


できない、できない言っていても

状況が良くなるわけではないから、

いまこそ、今まで「感けていた」こと以外に

目をむける。

そうしないと、いつやるの~!ってことです。


なんやかや言っても、非力で無力な私。

医療従事者でも、専門家でもない。


私にできることは

よく手を洗ったり、

よく笑って免疫力をあげたり

なるべく、今大変な思いをして対処している人たちに対して

余計な仕事を増やさない。

これだけかなぁ、と思うのです。


さくら


桜は来年も、咲いてくれる。きっとだ。

今死んだら、見れないぞ。

マスクがないので、笑ってみるか

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

マスクがない、マスクがない・・・。

ないと欲しくなるのは、人情でしょうか。

マスクが万能でないことが分かっていても

「無い無い」言われると、不安になってきますよね。


「トイレットペーパーもなくなる」が、デマだと知って

何となく、「待っていれば、手に入る」を意識できるようになりました。

おちついて、考えられるようになってきたということです。


確かに、トイレットペーパーが無くなったら困るのですが

そもそも、トイレットペーパーが一般に使われ始めたのだって

そんなに昔の話でもなさそうな。


じゃ、昔はどうしてのかしら?

なかったらないで、なんとかなる方法もあるんじゃないかしら?

とか、そんなことが気になります。


今こそ、物のない時代に何とかしてきた人たちの出番ですよ!

無くても何とかなる知恵は

災害や、こんな非常時にどんなに役に立つか分からない。


ちなみに、さらっと【昔のおしりふき事情】を調べたところによると

大昔の貝殻、陶器にはじまり、木片、荒縄(・・・其々どうやって?と疑問ですが)

一般庶民も紙を使い出したのは、江戸時代以降。

使い古しの和紙や、新聞紙等々。

現代の形に近づいたのは、明治・大正辺りみたいです。


トイレットペーパーは、落ち着いて待つにしても

マスクはない。布製を作れる、腕もない。



こうなると、防御も大事だけど

体内の免疫ナントカで

防衛の方で何とかできないかが気になります。


そこで思い出したのが、NK(ナチュラルキラー)細胞!

何でも、笑うことで活性化されるらしい。

うん。笑うことなら、タダでもできる。

材料も、腕前もいらない。

赤ちゃんにもできる。


ざっくりいえば、

笑うことで
  ↓
間脳(免疫のコントロール機能)に興奮が伝わり
  ↓

善玉の神経ペプチド(情報伝達物質)が活発に生産され
  ↓
血液やリンパ液を通じ、対内へ流れ出す
  ↓
NK細胞(人間の体内に50億個あるリンパ球の一種)の表面に付着
  ↓
免疫力アップ+免疫システム全体のバランスを整える(免疫異常の改善)


・・・と、いうもの。

【NK細胞 笑い】で検索すれば、出るわ出るわ。

興味があれば、ちょっと見てみてくださいね。


そんなの気休めじゃん!・・・でもありますが

笑うことの効能は、それだけじゃない。

中でも、今一番重要な効能は

【自律神経のバランスを整えてくれる】こと。


ストレス等で乱れた自律神経を

笑いが緩和してくれるということです。


心配や不安を抱えていると、心身に緊張状態が続くというのは

なんとなく感覚として分かります。

自分のエネルギーが、キューっと縮む、あの感じ。


それはそのはず、連日、大きく報じられるのは

ほとんどが不安なニュースばかり。


感染者・死亡者の数に怯え、

マスクや物資不足にパニックになり

デマに振り回され、

物と人の行き来が無くなり、

経済の雲行きがどんどん怪しくなる。


株価は、投資家の不安やテンションに応じるように

どんどん下がっていく。


株なんか持ってなくても、

株価が下がれば、景気が悪くなる。

景気が悪くなれば、自分の会社だって怪しいぞ。


不安が、不安を呼び

どんどん負の連鎖が起こっていく・・・。

・・・って、してはいけないのです!


過ぎたる心配が、【呪い】になってはいけな~い!!



笑うことが、万能でないにしても

万能でないことは、他のことでも一緒です。


手洗い云々、出来るだけのことをして

不安に飲み込まれないようにしておく。

その力に、【笑い】はなるはず。


細かいうんちくはともかく、

効くかどうかもともかく、

とにかく、

すぐにできて、お金のかからないこと。


大笑いがベストですが、

作り笑いでも、脳は騙されるそうです。


とりあえず、目の前の人でも

笑わせてみましょうか。

受けなかったら、苦笑いでも。


笑顔でいること、笑顔を守ること。


良かったら、お試しを。

コロナ・しょっく

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

コロナウイルスの感染拡大を防ぐため

全国の小中高が、春休みまで臨時休校になりましたね。



わたくしごとですが、長男がこの春高校を卒業でして

一応来賓抜き、で

無事に?卒業式が執り行われます。
(在校生は、元々代表のみ)

保護者、生徒全員マスク着用。

仕方ないとはいえ、すごい絵面になりそうです。


それでも、高校は良い方で

少々、気の毒なのは中学生。


県立高校の受験まで

いきなりもう学校に行けなくなってしまった(仕方ないとはいえ)


おまけに、小学校と違って

これから進路がバラバラになる。

やっぱり、ちょっと

いきなり尻尾を切られてしまった感じがして

やるせなくなります(仕方ないんだけど)

(とはいえ、今年度で廃校になる学校もあるようなので、
小学校といえども残念なことは、きっとあるんだろうな・・・)



地元の中学は、

来賓アリの、保護者と卒業生のみ。

在校生は列席できません。

田舎の中学なので、人数もそこそこ。

だから、在校生と卒業生の距離が近めです。


「○○先輩!」というより、

小学校時代からのあだ名で呼び合う感じ。

部活動でも、先輩後輩仲良しでした。


う~ん。

来賓の(失礼ながら)誰だかよくわからないおいちゃんより

本当に見送りたい、見送ってほしい人間が不在となってしまった。

仕方がないとはいえ、

やっぱりちょっと残念だ~。

そう思ってしまいます。


そうそう。

ドラックストアから、マスクが消えて

今日行ったら、なぜかトイレットペーパーまで消えていました。

そこには、

【紙類が不足するというのは、デマです】の張り紙が。

オイルショックの時、トイレットペーパーが消えたとは聞いていますが

これじゃ、コロナショックだよ。



永遠に、この状態が続くわけではないと分かっていても

昨日当たり前にあったものが

なくなっていると、ちょっと焦ります。


ともかく、おちつけ。私。


実は、来月末

もくせい工舎はセミナーを開催予定。

こちらは、またお知らせいたします。

・・・が、やっぱり状況次第なのかしら。



臨機応変に、行くはずですので

セミナーに関心のある方は

サイトの方をちょこちょこチェックしていただけたらと思います。



ニュースを見ていても、連日下がり続ける株価。

まわりまわって、景気が悪くなりかねないので

株を持っていなくても、気持ちが下がります。


つくづく、株価って、株主さんのテンションの

上げ下げに連動してるんだなと思います。

心配で、気持ちが下がると、株価も下がる。


とにかく落ち着いていこう、私よ。

明日明後日、完成見学会です!

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


2/22,23の週末。

つまり、明日明後日!

宇佐市にて完成見学会です。

見学会について、詳しくは→こちら!


本日撮影にお邪魔しましたので、

どんな感じのお家か

取り急ぎアップしますね。

もくせい工舎の自然素材の家・外観

今回の会場は、かなり特別仕様。

もくせい工舎・代表の永家さんと、原田左研の親方が

かなりの遊び心満載でつくってます。

玄関はかなりの見ごたえあり。

mini_もくせい工舎の自然素材の家・玄関

右が拡大したものになります。

上の方、真ん中、下の方と

質感が違うの、分かりますか?

mini_re_もくせい工舎の自然素材の家・玄関ホール

玄関ホール側から見ると、地層のような模様が

外までつながっているのが分かるでしょうか?

手すりも、本物の木の枝!おしゃれ!

mini_re_もくせい工舎の自然素材の家・書斎

書斎アリ。羨ましい限り。

mini_re_もくせい工舎の自然素材の家・手洗い場

手洗い鉢の青とステンドグラスがいい感じ!

mini_re_もくせい工舎の自然素材の家・ダイニング

甘木土のリビングとダイニング。

ほんのり甘めで、とても上品な土の色です。

こちらもぜひ見てほしい!

mini_re_もくせい工舎の自然素材の家・腰板

オール漆喰もよいですが、

腰壁で、半分が木板なのも

なかなか良い味。捨てがたいですね。

見比べてご検討くださいね。

mini_re_もくせい工舎の自然素材の家・外観

チラシのパースは、こちら側から見たものになります。

お天気が良かったので、

こんなところで、走り回れたら

犬でなくても(?)、楽しそう!

mini_re_もくせい工舎の自然素材の家・ウッドデッキ

ウッドデッキから、お隣の梅が

満開に咲いているのが見えました。

耳を澄ますと、ジージージー♪

シジュウカラかな?

こんなところに座って、

お天気がいい日には、おにぎりなんていいな~♩

ピクニック気分ですよ。家にいながら!


明日は、ちょっとお天気心配ですが

気持ちの良いお家、ぜひ見に来てくださいね♪


見学会期間中は

フリーダイヤル(0120-327-892)まで、

お問合せください。


木の家が好きな方

自然な素材が好きな方

見学会会場で

お会いできるのを楽しみにしております♪

アタマと心

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

わたくしごとですが

元野良ネコのハチを完全室内飼いにして

3か月半が経ちました。


関連記事は→こちら


その後どうなったかといえば

一応、なんとか室内飼いになっています。


当の本人は、納得したわけでもない様子。

やっぱり外には出たいみたい。

窓際で眠る
窓際で、監視業務か昼寝の日々。
飼い主が一日付き合っても、お外のウキウキにはかないません。
「これ以上太らせないでね~」と獣医さんに言われた避妊手術直後は3.8㎏。
現在、運動不足も相まって、5㎏オーバーか?



そりゃ、そうだ~。

人間だって、お天気の良い日は

お外が気持ちいい。


ましてや、外の世界を知らないならともかく

野原をかけ回り、

日向ぼっこしながら、そよ風に吹かれていた記憶がある。

自由にお外へ


「なのに、なんでお外に行けないの?」


例え言葉が通じても、納得なんかできないよな~と思います。

説得=心からの納得ではないから。

人間でも、腑に落ちない。

言葉とアタマで分かっていても、です。


弟がマンションで保護猫を飼うことになって

リードを付けて散歩したかったらしいのです。

ところが、外猫さんだったはずのその子は

全くお外に行く気なし。


猫にもよるのかもしれません。


ロフトへ
ロフトへの梯子を腕力で昇る。
時々上がりますが、それでも退屈そう。



ハチは、迷い込んできた猫でした。

2年ほど出入り自由の身で、それからの室内飼いチャレンジでした。


チャレンジの当初は、やっぱり嫌がって、激しく外に出たがりました。

とはいえ、自由だった2年ほどの間に

そこそこの信頼関係があったから、なんとかなったとも言えます。

これが、出会っていきなり閉じ込めていたら

もっとひどいことになっていたかもしれません。


飼い主の責任。猫のためを思えば。


そうアタマで分かっていても、

何でしょう、このモヤモヤ。


以前読んだ本に、

「心はその昔、内蔵(腑)にあったのではないか」

ということが書かれていました。

アタマで考えるようになって、どうもズレが生じている。


アタマで分かっていても

お外の気持ちよさを奪う権限なんて

人間にあるのかな~。

何年か後、室内飼いのリスクみたいなのが言われ出したら

またそれが新しい「あたりまえ」「そうするべき」に君臨するんじゃないかな~。


テレビでもネットでも、

誰かの言う「タダシイ」情報であふれている。

その「タダシサ」を元に

誰かが誰かを、いつも裁いている。

かくいう私だって、そうです。



ただ、【絶対的】に

白なことも黒なこともない。

あんまりタダシイことばっかり言っていると

どんどん窮屈になってくる感じがします。


お互いが、お互いを監視しあうみたいな。


人の目ばっかり気になって

頭でっかちになって

アタマと心がどんどん分離してしまう。

あ~だこ~だと、考えてばかりで行動に移せないのは

その証拠かもしれません。


もちろんその反対もある。

「後先考えず、そうした」「思わず、そうした」ということもあります。


心(腑)が動いたから、体が動き

行動につながったということです。


なんにせよ、バランスが大事。

偏らないようにしたいと思います。

広告と期待値

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

ドラックストアに入ると、

ず~っと、宣伝の音声が流れています。

その言い方が、あまりにオーバーなので

聞いてて、ちょっと笑ってしまう時があります。


「シミ、しわ!・・・怖いですね!

そうなる前に、【×○△‼】(←商品名)

おススメです‼」

とか、

「××△でお困りではありませんか?

その原因、実は○○○にあるのかもしれません!

そんなあなたに、【△△△‼】(←商品名)

明日の元気をサポートします!」

とか。


まずは、「困り」に訴えて、当事者意識を持たせ、

解決をするには、これだ!という方法です。


その方法や、商品が合えば、問題ないです。

でも、相性ってわからない。


この世の中は、広告であふれています。

かくいう私も、それに首を突っ込んでいます。


ググれば何でも分かる時代。

そう、Googleで検索すれば、出るわ出るわ情報の数々。


信ぴょう性はピンからキリで、

ググって、かえって頭がグールグルする。


何を信じるか?


やっぱり、自分の「なんとなく」の感覚なのではないでしょうか?


損得で考えると、「なんとなく」は揺れますが

少なくとも、「なんとなくイヤ」は分かりそう。


何となイヤなものを、

みんな(誰か)もそうやって(言って)いるから、で選ぶと

ハズれた場合の反動って、かなり大きい。


だれが何と言おうと、

合う合わないは、自分にしか分からない。


合う合わないって、100%の満足・不満足の話ではなく、

バランスの話です。

良いところも、残念なところもある。

それでもバランスよく折り合いがついている、そんな状態です。


その折り合いのバランスは、ふりこのよう。

払う対価(お金・期待)が大きければ、ふり幅も大きい。

タダでもらったものが期待外れでも、ふり幅は小さい。

高額になればなるほど、また、

困りに対する(広告のうたい文句への)期待が大きいほど、

そのふり幅は、予想を超えて大きくなる。


だから、高額なものほど【絶対的】な文言は、気を付けないといけない。

・・・と、思っています。


住宅産業は、クレーム産業と言われます。


払う対価が大きい分、少しの残念(マイナス)の積み重ねが

爆発的な怒りになることもある。


怒っているお客様をクレーマー呼ばわりすれば

自分は悪役にならずにすみますが

そういうことが増えてくると、「あそこは、薦めないよ」となる。


【怒っている人は、困っている人】

精神科医の水島広子氏の言葉です。


高すぎる対価を払って、失敗はしたくないし、されたくない。

お施主様は、不安でいっぱい。だから、ちょっとの残念が膨れやすい。


もちろん、建てる側だって

わざと困らせようとかしているわけではありません。

トラブルがないに越したことはない。お互いにです。


ただ、どこかその不安感を気にしていないと

いけないのかなと思っています。


【絶対】とは言えないけれど、

気に入ってもらえたら、うれしいな。

そんな広告で、いけたらいいな。

全然、マーケティングとかSEOとか

まるでなってない感じですが。


引き続き、2月も完成見学会を予定しています。

こちらは準備が整い次第、またお知らせいたします。


そんなに期待せず来てみて、

良くてビックリ!・・・が、理想的です。

掃除

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

例によって、追い出されるように年末を迎えております。

個人的には11月があっという間。

行きつけの美容師さんもそう言っていたので

お母さん業は、そうなのかもしれませんね。


2学期は、とにかく土日が潰れます。


体育祭や文化祭といった学校行事も土日祝。

兄弟が小中高とバラバラなら、

2週、3週連続で!ってこともあり。


野球など、スポーツをさせていれば

やっぱり土日は、試合三昧。


平日は平日で、

個人面談云々と所用も多くなる。

とかく10~11月は、忙しい。


仕事のお休みも、平日に回して、土日代わりに出る!

なんてことも多かったのではないでしょうか。


わざわざ言うほどでもないけれど

やらなきゃいけないことが多すぎる、お母さんたち。


本当に、本当に、今年もおつかれさまでした。


そんなお母さんたちに、追い打ちをかけるように

年末がやってくる。


そう、大掃除の季節がきたのです。


どうしてますか、大掃除。


わが家は、家族総出でやります。

「家事は女だけのものじゃない~!

家族はチームなんだから!」

と、かなり屁理屈をこねて

協力してもらいます。


じゃないと、無理。

終わらない・・・。


とにかく、ピンポイントでもスッキリして

年末年始を迎えます。


毎日こまめにやっていればいいのですが

なかなか。ね~。


せめて窓ふきと、換気扇の掃除云々。

普段さぼっている個所を

年末の気合いでやっています。


窓を拭いただけで、気分晴れやかになるから

不思議なものです。


掃除って汚れたからやるわけでは、きっとないんですよね。

普段汚かったところが、スッキリしたからこそ

思うことなんですが。


それこそ、「はらいたまえ、きよめたまえ」的な。


身も心も、スッキリするために

するものなんだなぁ。


良いことや、残念なこと、色々一年あったけれど

気分一新、「よっしゃ!来いや~!新年‼」

って気持ちになりますもんね。なんとなく。


とりあえず、窓だけ。

せめて、リビングだけ。

それだけでも、気持ち違います。


100点でなくて、大丈夫。

ちょっと気持ちが上がる↑ことが大切なのかもしれません。


あぁ、なんやかやと

今年も、もうすぐ終わる・・・。


2019年は、思わずラグビーに魅せられた年でした。

ノーサイドの精神しかり、戦う姿勢の美しさに

驚かされました。


日本各地で、来日した人たちにナントカ

「楽しんでもらおう、喜んでもらおう」

そういった取り組みをされていたことも素敵でした。


それに対して、とても敬意を払って

喜んでくれている来日客の姿も。


まったく何にもしていない私でも

胸が熱くなりました。


さて、いよいよ2020年がやってきます。

東京で2回目のオリンピックです。


みんなが、「誰かの笑顔を楽しみ」にする、

そんな一年になれば良いなと思います。


正月飾り


どうぞ、手を抜きつつ

晴れ晴れとした新年をお迎えください。


一年間お付き合いいただき

ありがとうございました。



良いお年を!

不完全なワケ

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

「おれは助けてもらわねェと生きていけねェ自信がある!」

そういったのは、漫画『ワンピース』の主人公、ルフィ。



あまり詳しくない私でも知っている、

名シーンのひとつです。


ルフィの周りには、彼を支える仲間がいます。

仲間であって、とりまきではありません。

ちやほやしたり、妙な力関係もありません。


航海士がいたり、シェフがいたり、船大工がいるから、

ルフィは、苦手なことや興味がないことまで

なんでも、一人でやらずにすんでいます。


もし、ルフィがなんでも一人で完璧にこなせて、

寝ずに働いても、疲れないような人間だったら

仲間は、いらないのでしょうか。


きっとそうではないから、あの漫画は

多くの人を惹きつけるんだと思います。


例え、ナミが航海士として役に立たなくなっても、

サンジが料理ができなくなっても、

ルフィは変わらないと思います。


仲間たちも、ルフィの良いとことも、ダメなところもひっくるめて

損得じゃなく支えています。


私自身、会社員という肩書がなくなって、

もう20年が近づいています。


今思えば、色々煩わしいこともあるとはいえ、

会社って、仲間がいたんだなと思うのです。



苦手な経理も、事務も、営業も、

得意な人が、わたしの代わりにやってくれていました。


仲間と言っても、会社という組織は、

上下関係はあるものなのですが、

そういった組織から外れると、

あたりまえだと思っていたことが

全くあたりまえじゃなかったことに気づきます。


ルフィは、完璧じゃありません。

ダメなところもあります。

でも、それでも一緒についていきたくなる

魅力が彼にはある。

だれに対しても、フラットな目線であることも

その理由でしょう。


吉野弘さんの、「生命(いのち)は」という詩があります。

ざっくり説明すれば


「生命は自分だけで完結しないようにできている。
だから、他者が必要なんだ。」



という内容です。


この詩を読んだとき、ちょっとホッとしたのを覚えています。


そうか、何もかも、一人で頑張らなくても良いんだ。

完璧にできない自分を、もう責めなくても良いんだ。

私がダメなのは、ひとりぼっちで生きなくて良いからなんだ。


ダメな自分を受け入れて、

「手を貸してもらえますか?」と声をかけて

親切を素直にうけとって、「ありがとう」と感謝できる。

そのための、【不完全】なんだ。


だから、仲間(他者)がいる。

煩わしいこともあるけれど、他者がないと生きていけない。


ルフィじゃなくても、わたしも、声にだそう。


「わたしも助けてもらわねェと生きていけねェ自信が、たっぷりあるよ~!」

家はいずれ、ゴミになる

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


11/26、オーストラリアの山火事から救出されたコアラが

安楽死したというニュースが流れました。


動画には、燃え盛る炎の中、毛が焼け縮れ、

混乱したように、火の中へ向かおうとするコアラを

必死で救助する女性の姿がありました。


恐怖と、やけどのためか、叫び続けるコアラに

女性は、ペットボトルの水をかけ、自らの服を脱いで

体をくるんであげていました。


コアラが鳴く、という印象があまりなかったのもあって、

その叫び声は悲痛で、胸が押しつぶされそうになりました。


安楽死は、やっぱり残念ですが

どんなに偉そうなことを言っても

私にはそのコアラの痛みや苦しみを

引き受けてやることすらできません。

無責任なきれいごとは言えません。


今回のような山火事も、地球温暖化の影響といいます。


知識のない私がここで書けることってないのですが

ふと思い出したことがありました。


数年前、何かで見た「くさる家」の文字。


衝撃的なタイトルですが、

逆に考えてみれば「くさらない家」の方が、怖いんですよね。


「くさる家」は、言い換えれば

土に還る家です。

住む人がいなくなった後、家も土に還る。

くさらないと、当然残るのは

処理しきれないゴミの山。


いつまでも新築当時の美しい家を、

メンテナンスの理由から、ついつい理想としてしまうけど

大きな目で見た時に、そんな家は後々、

処理が大変なだけのゴミの山になってしまう。


【永遠】を望んでも、

私たちは、いつか死んでしまう。


土に還りやすい素材で、家を建てること。

外気温の影響をうけにくい工夫をすること。

省エネ・創エネできる工夫をすること。


これらは、お家を建てる時に

少しはできることかもしれません。


科学者ではないので断言できませんが

なんだかクーラーが普及しだして、夏が余計に暑くなった気がします。


一家に一台どころか、今は一部屋に一台です。


クーラーがここまで普及する以前は、

熱中症で何人も緊急搬送されたとか

ゲリラ豪雨とか言っていなかったように思うのです。


もちろん、クーラーだけのせいではなくて

問題は、あまりにも「完璧」な状態を

求めすぎるところにあるのかと。


クーラーの「完璧」に近い涼しさに慣れると、

ちょっとの暑さが、我慢できなくなる。

スイッチ一つで、もっと快適だからです。

そんな状態になれてしまうと、

「完璧な快適」を求めすぎて、

ちょっとの「不快」が問題視される。


人の知恵は偉大ですが、

人間がすることに完璧はありません。

だから、大きな目で見た時に

こっちは解決したけど、思わぬ別問題がおこることがあります。

気を付けないと、バランスがとれなくなるのです。


「完璧」を求めすぎない。

右に大きく振れれば、その反動は左に来る。

気を付けないと、必ずしっぺ返しが来る。

環境に限らず、どんな事にもです。


人間の「完璧」を求める欲のために

もう、コアラが泣き叫ぶことのないように。


私にもできることを、考えたいと思います。

ごもっともなんだけど

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


わたくしごとですが、只今

元野良猫ハチの、完全室内飼いにチャレンジしています。


元々野良さんで、外が大好き。

運動量もかなり多い、おっとりとは

お世辞にも言えないハチ(♀)


飼うきっかけ。詳しくは→こちら


外の世界を満喫するハチ


来た当時は

まだセキセイインコのQ太郎さんもいたので

家庭内別居状態。

好きな時に家に入ってきて

自由に出ていくパターンでした。


20~30年前、実家でも猫は飼っていましたが

今ほど完全室内飼いが

飼い主の義務のようには言われてなかったと思います。


田舎でもない政令指定都市で、しかも住宅街でしたが

当時飼っていたその猫も、元野良で

自由に出入りしていました。



突然、降ってわいたように感じる「当たり前」と「義務」に

正直戸惑うのですが、

時代的背景やヒトの価値観は色々なので

そうとも言っていられません。


元野良を1か月かけて、

なんとか完全室内飼いにした人の存在や

楽しく読んでいる漫画『うちの猫がまた変なことしてる』も

元々保護猫さんだったこともあり

とりあえず一か月試してみることにしたのです。


意外にも最初の一週間くらいはそんなに困りませんでした。

「お外に出たい」と鳴きはするのですが、あっさりめ。


さずがに2週間目になると、

どんなにいいお天気の日にも出してもらえない。

「これはヘンだ!」と思ったみたいで、

そこからが大変だったです。



脱出を試みて、網戸をよじ登るし(体重5㎏越え!)

戸の開け方は覚えるしで、窓も開けられない。

上下引違の窓に挟まれかけるし、目が離せませんでした。

それと昼夜を問わず、室内のモノを落としながら

「出せ!」と鳴くので、あまり眠れない。



猫を出しては、よそに迷惑をかける。

猫も、ケガや病気、ケンカのリスクが高まる。

たしかに、ごもっともです。

猫は完全室内飼いでも、上下の運動さえあれば問題ない。

ごもっとも。・・・でも、それってどんな猫でも??


タダシイことなのだろうし、

今の時代、猫を飼うには「当たり前」の義務なのかもしれない。


なのに、なにか残るモヤモヤ感。


「お前、出て行ったら人様に迷惑かけるかもしれんやん。

それに、外に行ったら怖い目に合うかもしれん。

病気になるかもしれん。

お前のためを思って言ってやりよるんや。わかるやろ?」


これ、同じこと私が言われたら家出するかもしれない。

ハチと全く同じです。

外の世界を知っているのものにとっては、

家の中が「全て」じゃないから。


猫も人も、その気質にもよるのかもしれません。

お家大好き、外にあまり興味ない。

おっとり、よく眠り、おとなしい。

そんな猫とはとてもいえない、ハチ。


私も、そしてハチも、家以上に

外の世界が好きで仕方がない。


土の感触、風が吹くこと、鳥が鳴くこと、

虫やカエルがいること。

ある日いきなり奪われて、

「お前のため」と言いながら人間の私でさえ

モヤモヤしている。


それでも、飼い主か?

それは猫じゃなくて、自分に甘いんだ。

そう言われるかもしれない。



たしかに、「ごもっとも」。

でも、どこかモヤモヤするこの気持ちは

忘れずにいたいと思います。


正論で、「こうすべき」は

時代とともにあっさり変わってしまうから。


だれか、うちの猫に言ってくれよ。

もう、外には出れないんだと。


だれか、うちの猫でも分かるように説明してくれよ。

お前が外に出ては迷惑なんだと。


だれか、うちの猫に諭してくれよ。

お前のためでもあるんだと。


そしてうちの猫よ、教えてくれよ。


あんたは飼い主より自由がいいのか。

それとも、自由を捨てて、私たちといたいのか。



モヤモヤはありますが、現状は変わらない。

私がとりあえず守るのはハチです。

彼女をもう、捨て猫にしない。

これだけです。


猫の自由を制限したら、

なんだか人間も不自由だ。

うっかり窓も開けられない。


猫は、人間に迷惑をかけている。

でも、言えないだけで

猫だって、人間にきっと迷惑はかけられてる。


いいや、人間ほど

他の生物に迷惑かけている動物もいないのでは。


フェアじゃないよな、と思います。


どこかの頭のいい人が、

フェアな仕組みを考えてくれたらいいのにな!


あ、それかお金持ちの誰か!

森を一つ買い取って

時間制のキャットラン(GPS、森の周囲囲い付き)を

作ってください‼


一時間200円くらいだと、なお嬉しい♪

見学者様?

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


・・・急に涼しくなってきましたね。


暑さと涼しさの差が

月初めと月末で

「こんなに激しかったけ?」と思う

近年の10月。


満開だったコスモスも

きっと今頃は、大団円を迎えていることでしょう。


さて、そのコスモスも真っ盛りの頃行われた

10/19,20の完成見学会。



先日、そのお家の完成写真の撮影に伺いました。



201910_もくせい工舎完成見学会・中津


プライバシー保護のため、遠景でわかりにくく加工してますが

玄関ドア横の、アイアン製のネームプレートが

とてもおしゃれなお家です。



玄関ドアをあけると


201910_nakatsu_玄関ホール


これまた、かわいい

ハチドリのステンドグラス!


201910_nakatsu_玄関ホール・建具のステンドグラス


実は、このステンドグラス。

本当にタイミングなんです。

たまたま在庫があった数種から選んでいただけるので

もう、ご縁みたいなもの。


こちらのお宅は、たまたまご縁があったのが

こちらのハチドリ!

実は、このデザイン今まで見たことがありません。

かなりの、レア。

ちょっと羨ましいような

良いデザインです。

【訂正とお詫び】
こちらのステンドグラスは、お施主様のお持ち込みでした。
大変失礼いたしました。(2019/11/14)



『ハチドリのひとしずく』って

有名な本がありますが

それを思い出される方もいらっしゃるかもしれませんね。


「私は、私にできることをしているだけ」

小さな体で、山火事の火を消したい。

自分にできることがあれば、何かしたい。

その姿は、やっぱり

チクチクする部分を残しながら

自分自身と重ねて、考えてしまいます。



おっと、ちょっと話がそれましたが

実は、撮影していると

思わぬ見学者様が。

201910_nakatsu_ie_liv.jpg


リビングから玄関方面に向かって

何か、ぴょ~ん、ひょ~んと飛び跳ねる

小さなお方。



201910_nakatsu_kaeru_2.jpg


ありゃ!これまた、ちっこいお客さんだ!


どれくらい小さいかというと、


201910_nakatsu_kaeru_1.jpg


これくらい。


丁重に、裏の草むらに

お連れしました。



こういう、楽しいビックリは

良いよなぁと思います。

ちょっと、ゆるみました。

あわわ・・・‼もう見ごろでは⁉

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


本当は、明日アップする予定でしたが

今日は、「連休」最終日。

このブログをたまたまご覧いただいて

もし間に合うなら、

ぜひお出かけしてほしい!と思い

一足早くお伝えすることにいたしました。


今週末、つまり10/19,20の土日、

中津市内・三光にて完成見学会が行われます。



そこで、ブログ書きと、撮影の下見もかねて

職人さんたちが現場入りしない早朝に、

新しいお家まで伺いました。



2019.10/19,20_完成見学会のもくせい工舎自然素材のお家。


パッと見、完成しているようですが

まだ畳なんかが入っていない様子。

完成までもう少し、といったところ。

でも、朝日を浴びて、凛としてそこに在るお家を見てると

なんだかこちらまで晴れ晴れとした気持ちになってきます。


10/19,20の見学会に関しては

詳しくは→こちらをご覧ください。



ところがです。現場に行ってビックリ!

たしか、広告には日田土って書いたのですが

・・・これ、甘木土?

すみません、手違いがあり

表記に誤りがありました。

申し訳ありません!大変失礼いたしました。

【訂正とお詫び】
こちらの壁は日田土で間違いありませんでした。
勘違いをしてしまい大変申し訳ありませんでした。(2019/11/14)



改めまして、壁の色味のお話。

もくせい工舎の外壁は

自然の土の色です。

左官をお願いしている

日田の原田左研さんの

自然素材へのこだわりでもあります。


選んでいただくことの多い

日田土は、白すぎず、さっぱりした色合い。

対して、甘木土は、ミルクたっぷりのチャイのよう。

柔らかく温かみのある色合いです。

かといって、甘ったるい感じではなく

とても上品で、雰囲気が良く洗練された感じです。


こちらも、ぜひ見学会で、実際にご覧頂ければと思います。


ところで、ついでに立ち寄った三光コスモス祭りの会場。

朝の早い時間なら、車も人も多くない。

今年は、昨日10/13~からの開催なので

コスモスが何分咲きか確かめようと思ったのです。


2~3分咲きがいいところかな?と思っていたのですが

・・・なんと、予想を裏切られた!



2019_三光コスモス祭り会場
(2019.10.14 7:30ごろ撮影)


今、まさに、その見ごろじゃん‼


朝7:30位でしたが、展望デッキに昇る人、

散歩をする人、ちらほら人影。

地元の方、かな?

皆さん、朝コスモスを楽しんでいらっしゃる。

日中、露店が並んで、にぎやかなコスモス祭りも良いですが

朝露きらきら光る、真新しい空気の中

コスモス散歩も、なかなか良いですよ。


車で5分ほどのイオン三光からシャトルバスも出ているようですので

今週末10/19,20も、見学会ついでに、良かったらお立ち寄りください。。


「連休最終だし、今日のお休み、どこ行こう?」

っていう方は、せっかくの秋晴れ。

よかったら、見ごろを迎えたコスモスを

一足早くお楽しみくださいね。



場所にもよりますが、旧三光村は

空が広く見える場所が多い。

大きな青空をバックに、ピンクや白、色とりどりのコスモス。



もう、カメラ片手に

行くしかない!・・・ですよね!


2019_三光コスモス祭り会場

大型家電と平面図

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


10月からの増税を前に

駆け込み商戦が激しくなっています。



広告で、「増税前の今のうちに!」をあおられると

アワアワしてしまいそうになりますが

増税前に買った方がいいものと、そうでないものを

詳しく書いたサイトもありますので

一応見てみた方が良さそうです。

ともかく、おちつけ。私。


とはいえ、わが家の冷蔵庫はちょっと考えねばならない。

自動製氷が、夏場になると

何の原因か、氷が数珠つなぎになって

固まって、製氷室の引き出しがが開かない!

なんてことになる。



それで、最近大型家電を気にしているのですが

・・・お家と大型家電って

うっかりすると、にっちもさっちもいかないのです。


特に洗濯機と冷蔵庫は、

建てる前と、建てた後

搬入経路や、設置場所にかなり気を使わないといけない。


特に、お家を建てる時って、

平面図を見せられても、素人である私たちは

部屋の間取りうんぬんの方が気になってしまう。


でも、今計画中の方なら間に合う‼


もし、良かったらその平面に

自分が気になっている大型家電を置くとどうなるのか?

その搬入は、どこからどうやってするのか?

は、かなり気にしておいた方が良いかもしれません。


新築した家に、新しい冷蔵庫を置いてみた時の事。

「(冷蔵庫)デカ!」・・・と言われたのですが、

その時は、チョイスを間違ってたのかと

思ったのです。もっと、奥行きとか

別にいい製品があったのかな~と。


でも、違った。

今回買い直しを考えて、知ったこと。

冷蔵庫がデカかったわけではなかったのです。

そのチョイスが非常識だったのではなかったのです。


実は冷蔵庫の奥行って、

4人家族なら、やっぱり奥行きは65㎝以上(70㎝前後がほとんど)。

一人暮らし用のものでも50㎝くらいはある。

奥行きが65㎝以下なら、横幅が80㎝近くと広くなる。


わが家はどう考えても

奥行きも幅も、70㎝を越えると厳しい。

今回小さめを買い直したところで、大きさ的には

今の間口の狭さを、改善!されることはないのです。

4人家族で、1人暮らし用を使えば

改善されます(笑)


だから、(建てる前に気づかなかった)反省?もふまえ

痛感したこと。


平面図の大型家電の設置場所が、

どんなタイプを選んでも

問題なく搬入設置できるか。


新築時も、その後10年経っても問題ないか?


そこは、実はよく考えないといけない。

(わが家は、もうやり直しきかないけど)


瑕疵担保!ってこういうときどうなのかしらん?

そう考えましたが、ちらっとみても

構造上のことや雨漏り関係みたいなんで

間取りや、大型家電搬入うんぬんまで

きっとナントカしてもらえない。


だから、今計画中の方は

後で泣かないために、

「・・・あれ?これって・・・(汗)」

と、ならないために

ぜひとも、10年後も困らない

大型家電と平面図の関係は

気にしておいてほしいのです。

お家の家電って、実はメーカー側は
10年単位で買い替える設定にしている。
だから、10年位のスパンで
また搬入経路と設置場所で考えなきゃいけない可能性が出てくる。



最終確認で、平面図にOK出した瞬間から、

もう、基本、誰も責任とってくれない。

のらりくらり躱されるか

逆ギレされることになりかねない。

「でも、OKだしたでしょ?」って。


だから、繰り返しますよ~。


お家を建てる時も、建てた後

大型家電と平面図の確認は必要です。


出された平面図に、もし冷蔵庫や洗濯機の大きさの図がなければ

実際に確認してほしいのです。

書き込んでみるのも、良いと思います。

搬入経路もそうで、どんな家電を買っても問題なさそうか

それも、確認した方が良いと思います。


特に戸建てにお住まいの方は

新築当初の外構と、後々塀なんかを設置した時

大型家電の搬入経路が違ってくることもあるので

お家の内と外は、かなり気にしないといけない。


お家を現金で何軒でも購入できる!

そんな方には、そんなこと何の問題もないでしょう。

でも、多くの方は

自分の命を担保に、何十年もかけて支払う

大きな買い物です。

反対にいえば、そんな大きな買い物を

気軽にやり直してくれることには

ほぼ期待できない。


お客様から感謝の声続々!・・・を

HPに大々的に載せる会社は多くても

その反対の声を

真摯に受け止められる度量って、

なかなか期待できない。

反対に「こんなに頑張って建てたのに」って

何の解決にもならないことを言われて

実際の目の前の問題は、さっぱり何も変わらない。

そんなことだって、あるんです。

だって何千万!だから。



だから、最終確認でOKを出すまで

この辺のことも、ぜひとも気にしておいて

損はないと思います。


大型家電と平面図は

建てる前も、建てたその後も

ご注意!を~

明日明後日、完成見学会

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


9/14,15の週末。

つまり明日明後日、完成見学会が行われるお家に

撮影に伺いました。


201909上毛町。完成見学会


場所は、上毛町。

見学会は、予約制となっておりますので、

詳しくは0120-327-892まで

お問い合わせください。


見学会前日でもあり
サイトのご予約フォームからでは、
お返事が間に合わないおそれがあります。



mini_re_201909上毛町。完成見学会


見学会の詳細は→こちら!


撮影していて、つくづく思ったのは

漆喰ならではの、素朴さです。

職人さんたちが手塗りすることで

壁のラインが手書きのような味わいなのです。


mini_re_201909上毛町。完成見学会。壁


わたしは、よくそれを手び練りの器に例えるのですが

例えば、

「割れない、軽い、安い」から

お家の食器が、全部メラミン食器だったら

ちょっと悲しくはありませんか?



美味しい料理屋さんに行って、

出された料理がメラミン食器に乗ってたら

味はともかく、ちょっと

なんだかな~、と思うかもしれない。


人の手仕事、っていうものは

その佇まいが、妙に空気を丸くする。

食器なら食器の、

壁なら壁の、

【機能】としての役割以外に

何かを足してくれる。

それは、雰囲気や空気感かもしれない。


見学会場で、そのフリーハンドのような

ラインを、ぜひお楽しみくださいね!


mini_re_201909上毛町。完成見学会


mini_re_201909上毛町。完成見学会


もくせい工舎の新築の家を撮影に伺うと

「は~、やっぱり

木が好きだ!」

と、そう実感します。

あの、清々しい空気、木の香り、

建具を通して伝わる

無垢の木の肌触り。


木が好きなご家族に、ぜひ来てほしい!


来月も、完成見学の予定があります。

連チャンでの見学も大歓迎♪

せっかくなので、この際

根掘り葉掘り、聞いてくださいね!


mini_re_201909上毛町。完成見学会


迷うなら、実際見に来て、聞いてみる!

ちょっとした一歩前進、です。

それで違ったら、違うな~でも

前進です。


お会いできるのを楽しみに、

見学会場でお待ちしています♪

学校に行きたくない

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


9月1日は、関東大震災が起こった日。防災の日です。


それと、夏休み明け近くになると、

9月1日は、別のことでも注目を集めます。


子どもの自殺率が最多になる、そんな日。


大分県内は、夏休みを前倒しする市町村が

18市町村中13と、大半で

9月1日とは、限らなくなっていますが。

ともかく、長い休みの明けた

2学期最初の日。


ちゃんとした知識や、見解なしに

ここで私が書けることってないのですが

この前、NHKの『逆転人生』

『不登校新聞』のことを知りました。



糸井重里さんの『ほぼ日』がらみで

番組のことを知って、見てみたのです。


現在『不登校新聞』編集長の石井さん。

中学受験の失敗、学校や先生への不信をきかっけに

不登校に。

ずっと、行かない「安堵感」より

学校に行けないことへの「罪悪感」に苦しみ続けてきたといいます。


その後フリースクールの存在を知り、

ボランティアとして不登校新聞に参加。

自分の憧れだった人たちに、インタビューすることで

色々な「言葉」に出会っていくことになります。


特に、わたしが個人的に響いたのは、このお二方。


「この先どうやって生きていけばいいか?」の問いに、糸井重里さん。



「楽しそうにしてれば、いいんだよ。」

学校に行かないという選択肢の中に、もっといいものが混じってる可能性がある。

「着実に地面を行く感じよりも、とんじゃったほうがいいんだ。

順番に階段のぼらなくても、とんじゃえ、とんじゃえ!」


新聞の特集で、不登校の子あてに、樹木希林さん。


「難があるから、育つのよ。」

「全身にガンができて、私自身、成熟した気がするの。

【有り難い】って、難が有るから、でしょう?

難が有ってこそ、人は育つんだから

あなたたちの不登校は、実は財産になるんじゃないの?」


私は、不登校ではありませんでした。

でも、学校がつらくて、息苦しくて

行ってはいたけど、半日持たず帰っていました。

親に色々言われるのが嫌で、

隣の区にあった高校から

3時間かけて、とぼとぼ歩いて時間をつぶしました。



何となく、「レールから外れた」感じを

大人になった今でも感じますし

「普通にうまいこと」いけなかった劣等感があります。



「ちゃんとしなさい」

「なんで普通にできんの?」

「あんたみたいに、そんなことイチイチ考えよったら、

世の中渡っていけん」



でも、ちゃんとするの「ちゃんと」ってなんだろ?

「普通」ってなんだろ?



「普通に」「ちゃんと」はしていませんが、

世の中渡っていけんと言われた私も、

アラフィフのおばちゃんになりました。


「有り難い」ことに、周りのみんなに助けられて。


大人が決めつけた通りになっていませんし、

そこまで言われるほど、ダメダメでもないような。


自分なりに、なんとか生きていますし、

ちょっとした「楽しみ」すらあります。


番組でもあっていましたが、

不登校の子は、「行かずに済む、しめしめ」なんて思っていない。

ずっと、ず~っと罪悪感と、出口の見えない閉塞感に苦しんでいる。

家族も苦しんでると言えますが、

「大好きな親をがっかりさせている」って、それ以上にずっと自分を責めている。



でも、【普通に、ちゃんと学校にいくこと】と、

【自分(と、その命)】を天秤にかけたとき

「ちゃんと」自分の命をとっているともいえる。

ちゃんと、最後の砦で「SOS」を出せている。



うまくいえませんが、

苦しむ不登校の子を救えるのは

同じように苦しんできた、大人だけだと思います。


順風満帆、「ちゃんと」できた人たちには

その苦しさは分からない。


だから、今苦しんでいることは

次の誰かを助ける力になるかもしれない。


石井さんは言います。

「色々な人に話を聞いて、みんな答えはバラバラでした。

だから、正しい答えなんてない。

正解なんてない、って気づいたんです。」


「学校というレールから外れた自分は、

もう、まともな人生を歩けないと思い込んでいた。

でも、そこから始まる人生もあったんです。」


うまくいえんけど、

どうか、どうか、死なないで。

好きなもののためならまだしも、

嫌いなもんのために、なんで死なないけんの?


世界には、まだ見たこともない

綺麗な景色が待っている。

悩んだり、苦しんだり、

うじうじ考えたり。

そんな君だから、

誰かが泣いているとほっとけないんだ。

「あいつは、弱いから泣いてる。

だから、ダメなんだ」って、絶対言わない。



人の憂いによりそえるから、優しいんだ。


悟りきって、人の気持ちに寄り添えないご立派な人より

思わず、一緒に泣けてる人間の方が

ちょっと私は好きだな、と思うのです。

「学校に行きたくない」続きを読む

台所事情

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


Q太郎さんの、お空組入りに伴い、

わが家のモフモフ勢力分布に変化が起きました。


仕事机でくつろぐハチ
↑生きてたら、ウチではありえないツーショット。


ハチさん、念願の南方面の部屋入り。


今までは、絶対入れてもらえなかったエリアに

入れるようになって、

好きな場所でくつろいでいます。

くつろぐハチ
↑写真撮ると、ときどき魂ぬけてます。カワイイとか、そんな形容詞じゃない感じです。
幽体離脱、直前か?



ここで、困ったのが台所。


LDK、なので当然行くのです。


いや、きれいに台所が整理整頓されていて

きちんと元野良ネコにも教え込む度量がある!

私が、そんな有能な飼い主なら良いのです。

教え込む間に、絶対なんかやらかすに違いない。私が。


これは~、なんとかせねばならない。


そこで、前々から

台所の目隠しが気になっていたこともあり、

ちょっと色々やってみました。

2019_k_moto.jpg

わが家の台所入り口は、漆喰のアーチになっているので

市販の、アコーディオンドアがつけれません。

そこで、ニ●リで買ってきた、処分品のパーティション。

4枚連なっていたので、一枚を外して

カウンター部分に。

考え中

サイズ的には、なんとかなりそうだけど

なんか、屋台船っぽい。

そこで、なかの障子を外して

なんちゃって、チェッカーガラスの建具風にしてみました。

2019_k_omote.jpg

本物のチェッカーガラスは、高価だし

パーティションの部材に取り付けるには、重すぎる。

だから、アクリル板に、ナ●コで買った目隠し用の

シールを張った、なんちゃって仕様です。

ステンドグラスだけは、どうしてもこだわりたかったので

Cr●●maで、作家さんに寸法を伝えて作ってもらいました。

2019_k_ura.jpg

地震で落ちないよう、涙ぐましい対策も。

結構、がっちり止まってます。

2019_k_ura_2.jpg

とりあえずは、

■ハチの侵入を防ぐ
■目隠し

の問題を、クリアーはしました。



でも、なんちゃって仕様なので

風が吹くと、べコべコいうのです。

やっぱり、本物のガラスではないので

アクリル板~~~、なのです。

シールに、空気入っちゃってるんです。



しかも、丁番をつけたので

持ち上げれば、下から開くのですが

・・・風通しが前より悪い。

引き戸になっていれば、良いんですが

そこまでやれるほどDIY慣れしてません。



つくづく、思ったのはLDKのことでした。


家族の顔が見れて、子どもたちにも目が行きやすくて♪

・・・というには、うちの子はあまりにも育ちすぎていました。

小さいころなら、確かにそうなのですが

建てたころは、下の子ですら小学校の低学年。

いつも高学年の上の子にひっついているので、

見てなくても大丈夫でした。



おかしなもので、図体がデカくなった家族が

の~~んびり、テレビ見たりゲームしたりしている中

ず~~~~~っと、家事ばかりしてると

なんか、もや~っとする。


私は、出来のいい、優しい

妻でも母でもありませんので

結構、イラつく!(笑)

これなら、なまじ見えない方が良かった(笑)



今思えば、実家も、前のアパートも

台所は独立できる形になっていて

それまでLDKの形に住んだことがなかったのです。

私の場合は、LDK一体型より

L/DKもしくは、LD/Kの方が性にあっていたかもしれない。



だから、もし今プランをお考えの方は

台所事情って、【自分なり】に

よくシミュレーションしてみた方が

良いかもしれません。

特に、「家族のため家事することが幸せ♪」

ってタイプでなくて

「うわ~、皿洗いは正直、テンション下がる」タイプは

これは男尊女卑では?

これは男女参画と言えるんか?

とか、ややこしいことを考えかねません。危険です(笑)

料理の匂い(特に焼き魚)

充満するのも、すこし予防できるかもしれない。


目隠し、あったほうが私は良いかも~

って方は、ちょっと台所事情の熟考必要かも、です。



うっかり、わが家みたいに

押しかけ女房ならぬ、押しかけ野良猫を

預かるハメに、ならんとも言えません。



やっぱり、ちゃんとした職人さんに

最初から、手仕事で作ってもらえば良かった。

DIY慣れしてないなら、なおさらです。



本物の自然素材でできた家なら、

やっぱりそれが建具だろうが、庭だろうが

同じように本物の自然素材でないと、

やっぱりしっくりこない。

なんちゃって仕様だから当たり前なんですが、

やっぱりとってつけたみたいで、残念な感じがします。


だから、

「予算のこともあるし、わがままかしら」

「こんなこと言って、嫌な顔されたら・・・」

なんて遠慮せずに、

お金出すのはこちらですし、

なんといっても、自分の大事な家ですから

遠慮したばっかりに

後悔しないよう、

しつこく考えてみてくださいね。


妙に遠慮したり、「ご納得いただく」形にさせられたことって

あとあと、あまり良い種になりません。
素人なので、言い返す術を知らなかっただけ。
黙って「そうなんですね~」としか言えないんです。
実は、腑に落ちてはおらず、もやもやしたままってことがある。
この小さなモヤモヤって、結構あとあと曲者なのです。


本当に信頼関係がある、という状態は

意見や気持ちの交換が、スムーズであることです。

一方が顔色をうかがって、気後れして

言葉を飲み込むのは

不信の種になる。


だから素人だからって遠慮せず

分かるまで、納得するまで、聞いて良いと思います。

それで煩がられるなら、

「お客さまのため」という言葉は、

広告用か、その時の気分次第なのもしれません。


ましてや、今色々見て悩んでいる状態なら

今のうち、とも言えます。

当たり前に提示されるLDKという間取りが

自分の性に合うか合わないか、

少し考えてみるのもアリかと思います。



あ、ついでに~。

撮影時に何軒かのお宅で見た

パントリーは、うらやましかったです。

pantry_201908.jpg

お米を、自宅や親せきが作っていて

30kg袋とかで家にある~って方は、

この猛暑なので、やっぱりパントリーあった方が

便利だと思います。

いいな~。

リビングその分狭くなっても、これは必要だったな~、私。



もくせい工舎の家って断熱性能いいから、

キッチンの横に

お米とか食品ストックとか置けるのは

安心だし、便利だな~と思います。

うらやましい点です。

いいな~。

40g

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


私事ですが、セキセイインコのQ太郎さん(♀)が

今年の3月、ちょうど

桜のさく頃、お空組になりました。


(糸井重里さんの【ほぼ日】「ドコノコ」風に言うと。
↑毎日糸井さんが書く『今日のダーリン』や色々な企画が楽しい。
その中に、亡くなったペットをこう呼んでたのです。)



q_Q太郎さん、お空の向こうへ


ちょっと、この話を先にしとかないと

次回と話が続かないので

良かったらお付き合いください。


Q太郎は、容体が急変して

病院に運ぶ途中、大好きだった

上の子の手のひらの上で

息を引き取りました。


8歳くらいだったので、

人間でいうと60代くらい。

もっと、ずっと一緒にいられるものだと

思い込んでいたので、

やっぱりちょっと、早すぎる気がします。



小鳥や小動物など、捕食されやすい動物は

「ギリギリまで弱っているところを見せない」と言います。



今思えば、いつもの春先と違う点はあったかと思いますが、

それは「死」という結果を見たからであって

何事もなければ

いつもと違うことにすら気づかないままだったかもしれません。



40g。

セキセイインコにしては、ぽっちゃりなのですが

それでも、たかだか40g。

それでも、すごい存在感の40gでした。


在宅で仕事をしている私は、一日のほとんどを

Q太郎といっしょにいました。


「Q~」と呼べば

「ムカシムカシ、Qタロサン!」と答えてくれました。

一日に何回、家族に「かわいいね」と言われたか

わかりません。



Qに声をかけながら、

私たち家族は、どんなに救われていたのかも

わかりません。

優しく声をかけることが、何故こちらにも良い影響があるかは

以前の記事を良かったらどうぞ→こちら


「あまり悲しむと、成仏できんよ」

子どものころ言われたその言葉を、

ひねくれものの大人になった私は、

あまり信用してません。
(例えホントウのことでも、なにか腑に落ちないのです)

それは、どうしようもないことに悲しみ続けることへの

慰めや優しさであったかもしれないし、

泣かれることへのめんどくささだったのかもしれない。


いつまでも、過去をくよくよ後悔しても

たしかに何も変わらないのです。

でも、大切にしていた存在が

「会えなくなって、悲しい」という気持ちは

今、そう思うなら

素直に感じていいと思うのです。


誰かの決めた「こうするべき」「こうした方が美しい」に縛られて

自分の素直な「泣きたい」感情に蓋をしてしまうことが

長い目で見た時に、そんなに良いとは思えない。



泣きたいときは、泣けるなら、泣いて良い。


「こうするのべき」に縛られて

だんだん、本当の自分は

何をどう思って、どうしたいのか分からなくなるからです。


いなくなったことを、

会えなくなったことを、

こんなにも寂しく思う、Q太郎さんとの出会いは、

違う見方をすれば、

別れがこんなにもつらいほどの出会いでした。


ありがとうね、Q太郎さん。


たくさん可愛いセキセイインコはいるけど、

代わりはやっぱりいなくて、

「あの」Q太郎に会いたいのです。


また会いたい。

そんな出会いは、とても

しあわせな出会いだったと思います。

「40g」続きを読む

おもいがけず。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


先月、日出町のお家が完成したとのことで

撮影に伺いました。



通りから一歩入った、

車が一台通るくらいの、細い路地。

眼下には、別府湾が広がります。

行ったことないけど、尾道ってこんなとこなのかしらん?

そんな、なんとものんびりとした雰囲気。



大分・自然素材の家。もくせい工舎日出町の家。海の風景
遠くに高崎山。アガパンサスの青い花がきれいです。


web_mini_re_大分・自然素材の家。もくせい工舎日出町の家。外観
お⁇片流れの屋根!


近くのお店に駐車場をお借りして、

撮影の小道具なんかを、えっちらおっちら運びまして、

お花を活ける準備をしてました。


web_mini_re_大分・自然素材の家。もくせい工舎日出町の家。花を飾る
今回は、とても綺麗なガクアジサイが手に入りました!へへへ~♩


そう、超・自己流ですが、毎回活けさせていただく。

だから、おもいがけず上手くいく時もあれば

どうにもこうにも、申しわけない時もあり。

うまくお花がまとまらなかった現場は、

正直、ちょっと胸がチクチクして帰ります。


おもいがけず、といえば

こちらの現場で、

お施主様から声をかけていただきました。


なんでも、このブログを

よく見てくださっている、とのことでした。



もうね~、・・・感激ですよ⁉


だって、私、たかだか黒子(くろこ。ほくろと読まないでくださいね)ですよ?


私のことも、仕事のことも、ほとんど誰も知らないのです。
(旦那の実家は、何度言っても「嫁は無職だ」と思い込んでますし)


「見えない仕事」は、よほどでない限り

基本、存在を気づいてもらえません。


自分の仕事を、喜んでいただけたのか。

それも、わからないことがほとんどです。


会社員時代は、頼まれたものを渡せば、

営業さんが「ありがとう!」と言ってくれました。


また、職種は違っても、「同じ会社の社員」として

一緒に働く【仲間】に数えてくれました。


今思えば、何気ないことなのですが

どんなに精神面で、支えてもらっていたのかと思うのです。


一緒に働く仲間として

「存在を認めてもらっている」

すぐに手の届く実感を、周りの人たちから

与えてもらっていたのだと思います。


フリーな仕事は、自由である反面、孤独でもあり

接客がない限りは、反応も(良くも悪くも)分からない。


だから、今回、おもいがけず声をかけていただいたことは

人知れず、物陰に隠れてたのに、

「ここに、居おったん⁉会いたかったよ!」と

笑顔で見つけてもらったような

そんな喜びでもあったのです。


割とニコニコ平静を装っていましたが、

本当はあの時、

泣きそうなほどうれしかったんです。


お施主様、本当にありがとうございました!


そうそう、こちらには

さらに私を、どこまでも癒してくれる存在が・・・。



くろちゃん
「なんなら、おなかをモフモフしても良いですよ」と、言ってくれました。


白黒のハチワレ猫の、くろちゃんです。


・・・・・・・ちょっと、これは親近感わきますよ。

だってウチのハチと、似た模様。



kurotyan_hati.jpg
くろちゃん(左)の方が、若い分、あどけない。顔も丸めでカワイイ。
わが家に来たばかりのハチさん(右)。バットマン仕様。目つきが鋭く、男前です(女の子だけど)
桜吹雪(肩の黒い部分)が、ハチの方が多めですね。



男の人に言い寄られることは皆無な私ですが

なぜか、猫さんにはわざわざ挨拶に来てもらえます。


・・・なんだろ?お魚の匂いでもするのかな??


くろちゃんにも会えたし、良かった~。


活ける花を切ってて、わが指まで切って

絆創膏までお世話になり、おまけに色々いただいて・・・。
しかも、運ぶのまで手伝ってもらって(汗)


おっちょこちょい傷

恐縮で、おもいがけず、とても幸せな時間でした。

ありがとうございました。


木の家のリビング


どうぞ木の家で、みなさんお幸せに♪

お元気で!
(くろちゃんたちもね!)



※ちょっと、この時の話と関連して書きたいこともあったのですが
長くなったので、いずれまた!

関連する記事は・・・こちら!

こちらも6月まで。旧平田郵便局

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


もくせい工舎も今月末の、6/29,30と

上毛町にて構造見学会を開催いたします。




特に関わりはないのですが

同じく今月末までイベントの行われる

旧平田郵便局【TEMPORARY】をご存知でしょうか?


旧平田郵便局・TEMPORARY


旧平田郵便局・TEMPORARY・イベント詳細


元々、建物を見るのが好きなので

ぜひ公開されているのなら見てみたい!

あわよくば、撮影などさせてもらいたい!

・・・と、もうギリギリですが伺った次第です。


201906_大正レトロな旧平田郵便局外観。正面。
大正レトロな旧平田郵便局外観。正面。


古い。古いけど、こじゃれている。

木造、しかも2階建て。


201906_旧平田郵便局外観
旧平田郵便局外観。
店舗へは、正面向かって右側の【OPEN】と書いた入り口から。



201906_旧平田郵便局入り口


もう、入り口から可愛くて

なんかワクワクしますね!



気軽に、遊びにきている私にしたら

ワクワクだけですが

この建物を「このままにしておくには、あまりにも惜しい!」

そう思った人たちが

こんな風にワクワク感じるように

知恵を絞ったり、掃除をしたり、

手を動かしてくれたおかげなんだよな~。

そう思いつつ、とはいえワクワクしつつ

中へ。


201906_旧平田郵便局内部


撃沈です。

なんだろう、この嫌味じゃない可愛らしさは。

真っ白すぎる内装は苦手な私ですが、

梁がいいのか?土間がいいのか?

裏庭へ大きく取られた開口部の開放感がいいのか?

居心地よい。


201906_旧平田郵便局内部
今回のイベントのために作家さんたちの手仕事が並ぶ。
子ども用の花びんの細工がかわいかった。
他、布もの、多肉植物、ガラス製品、アクセサリー、籠などなど



私はハエ取り草が気になって、何度も指を入れてみました。

すぐには、バクって閉じないのかな?

それともお腹いっぱいだったのか?

指を挟まれることはありませんでした(なぜかちょっと残念)


201906_旧平田郵便局外観


手づくりの籠も、本当にかわいくて

しかも安い!

欲しかったのですが、元来荷物がやたら多くなるタチなので無理。

では、インテリアに!とも思ったけど

入れるものが思いつかず・・・。

籠バックはあきらめました。

あ~、でも欲しかった。


201906_旧平田郵便局内部


また、この中がいいでしょ?

もう、好きな人には捩れるくらい素敵でしょ?

ここで、大正時代、誰かが誰かの手紙や荷物を

大切な誰かに送っていた。

そう思うだけで、なんかノスタルジックです。


201906_旧平田郵便局内部


もう、郵便局の旗やら、棚やら。

当時はなんともなしに使っていたであろう道具が

とても味わい深い。


この空間を反対側、

つまり本来の郵便局の正面玄関から見ると

こうなります。

201906_旧平田郵便局内部


大正時代、「これを東京に出た息子に送ってくれんかね?」

なんて、荷物を抱えた母親が来たのかもしれない。


201906_旧平田郵便局内部


すりガラスの文字が、もう!

素敵じゃないですか。

この公衆電話室を使った人は、まさか

その電話が、ハガキより小さいサイズになって

ほぼ一人一台持ってまわれる!

そんな時代が来ることなんて考えもしなかったかも。


201906_旧平田郵便局内部


古道具が、良く似合う。

さて、2階。


201906_旧平田郵便局内部


畳敷き・・・だったのでしょうか?

床の間らしきものもありました。

ちょっと、歩くとギシギシいいます。


201906_旧平田郵便局内部


201906_旧平田郵便局内部


古いガラスは、ちょっとぷっくりした味わいで

空気が少し入ってる部分などがあって

これもまた深みがある。

それを通してみた景色が、柔らかく感じます。


201906_旧平田郵便局内部


壁の中。

こういったのも、原田左研の親方なんかが見たら

色々わかるんだろうな~。

私は分からないので、

・・・はい!次へ!


201906_旧平田郵便局内部


階段は、今よりは急こう配ですが

踊り場もちゃんとあります。


201906_旧平田郵便局内部


ちょっと、どうやって入るのか分かりにくい

屋根裏。


201906_旧平田郵便局内部


梁とガラスが、良い雰囲気です。

足を踏み入れる勇気はなかったけれど・・・。


201906_旧平田郵便局内部


天井部分も、永家さんが見ると色々思うことがあるのかも。


201906_旧平田郵便局内部


201906_旧平田郵便局内部_カフェ


美味しいコーヒーや、紅茶、

お菓子が楽しめるカフェもあります(セルフ)


今なら、フランス語も習えます。(そのお話は、機会があれば書きたいと思います)

私も習ったのですが、ファビアン君が日本語が上手なのをいいことに

ガンガン方言交じりで、根掘り葉掘り聞いただけ。

散々教えてもらったのに、一番印象に残っているのが

ミニオンだという。
Mignon=かわいい。
・・・「バナナ~」の、黄色い彼ら?

すみません、ファビアン先生。



201906_旧平田郵便局中庭
中庭から見る旧平田郵便局


201906_旧平田郵便局中庭
かわいい多肉植物。木陰で気持ちよさそう。


ああ~、でも、今月末までのイベントなのです。

こうして書いている、今日までが晴天で

明日から県内は、ようやく遅い梅雨入りを迎えます。

こんなに爽やかな景色!とはいかないかも、ですが

6/29,30のもくせい工舎の構造見学会のついでに

ぐる~っと、耶馬渓まで!

・・・なんていかがでしょうか?


201906_旧平田郵便局中庭
あじさいも見ごろです。


おっと、これを最後にもう一回。


もくせい工舎の構造見学会もよろしくお願いいたします。

6/29,30。上毛町にて。

構造見学会、今月末に。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

今月末、6/29.30の週末に

上毛町で構造見学会を開催します。



広告にも、ブログにも、何度も書きますが

構造見学会、・・・地味めです。

どんなに中身が大事と分かっていても、

どうせ見に行くなら、完成見学会の方がいい。

そう思われて「完成見学会の広告出てからでいいや~」

と、見送りたくなるのも分かります。



そう、「どうせ行くなら」。


ゆったり【ご予約制】は、確かに色々聞けるのです。

その一方で

「うっわ~、これ違ったわ~」っていう時に

こっそり逃げる!・・・ができない。



【しつこい営業しません。】

そう言われても、正直どこまでのさっぱり感かは分からない。

「その後、どうですか?」程度の電話でも、

私などは、かなりプレッシャーというか

正直うっとうしいので。


ネットで見る、広告で見る、のとは

やっぱり、【気軽度のレベル】が違うのだと思います。


「あ~、違ったな~」、と思えば閉じることができるし

自分が見たことも、相手には分からない。

かたや見学会は

顔も見られるし、住所、氏名だって

アンケートで聞かれることも多い。

どこの誰だか、分かってしまう。

そこか、よそで建てない限りは

ずっとDMも届く。今は、ちょっと

そっとしておいて欲しくても、です。



だから【ある程度の決心】がないと、見学会に行けない。

決心がつかないから、やっぱりネットの海をさまよう。

広告を比較、検討。比較、検討。比較、検討。

・・・・・・・・・・・・・。



でも、実は

「気軽にできるリサーチ」なんか

もう、あらかた

やりつくしたのではないですか?



その上で、もしモヤモヤしていることがある。

・・・とすれば、そのモヤモヤの中身は

【実際に見たり、作り手に会って、話してみないと分からない】部分

だからではないでしょうか?


もくせい工舎の見学会に来場した方が

みなさん即決しているわけではありません。

何年もたって、「もうどこかの工務店でたてたんだろうな~」位になって

再度ご連絡いただくこともあります。

だから、その点はご安心していただいて良いと思います。

「直ぐでなくても、良い」のです。



実際どんな家を建てているのか。

作り手はそんな人間なのか。

自分たちに支払っていけるのか。

他には、どんな人たちが建てているのか。

同じくらい収入の人たちは

ちゃんと日々、支払いしながら暮らしていけてるのか。


実際、気になっておられることの中心は

そういったことではないでしょうか?


正直、湯水のようにお金が使えるなら、

そんなに迷わないで済むはずです。

「こんな家を建てたい」という理想と

「ちゃんと、支払いをしながら

穏やかに暮らしていける」予算の【限度】があるから、悩むのです。


理想と予算のバランスが、うまく取れなければ

自由設計と言いながら、その限界を感じることがあるかもしれない。

同じ食べ放題でも、1,980円と5,980円では

選べるものが違う、そんな感覚です。

何もかもが、絵に描いたように理想どおりにはいかないかもしれない。



でも、これだけは確信して言えることがあります。


ただ、「木が好きな人」には、ぜひ見てほしい


そこは、間違いありません。


【自然素材の家】と言いながら、その定義はありません。

表面だけ、一部だけ、自然素材でも

そう広告に書けます。


その自然素材の家は、中身まで誠実なのか?


それを確かめるための、構造見学会なのです。


ウソかホントか、

ぜひ確かめに来てほしい!


ご予約お待ちしています。


縁起の良し悪しを

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


前回、小石原についての記事で

↓の置物のことを書かせていただきました。


2019_sp_坂本茂雄窯の鬼のおきもの


どうも、鬼?のようなのですが

パァアア~、って感じで

なんとも能天気な、満面の笑顔(笑)

見ていて、脱力というか

ゆるい笑いがこぼれるので

気に入って、我が家の一員になりました。

でも、せっかく「鬼」っぽいので

鬼瓦的働きなども、もしかして期待できるかと

いわゆる「鬼門」方面においてます。



実は、ウン年前おこなった

我が家での「構造見学会」に

ご近所の年配のご夫婦が、飛び入りで来場されたそうです。

さんざん見て回った挙句、最後に

「出入り口が縁起が悪い」

「そんなん嫌う人もおるんでな~」と一言、残して帰られたそう。



・・・んで、どうしたか。



ほっときました~(笑)


もともと、建てるときに

もくせい工舎から風水関係を気にするか?とは

アンケートで聞かれていたのです。

そりゃ、良いに越したことないけど

ガチガチにこだわって、不自由なのも困る。

予算にも「げんかい」がありますしね!

それほど、気にしない。・・・に決めたのです。



例え、どんなに完璧に風水や縁起にこだわって

結果、地位や名誉に恵まれて

大金持ちになったにしても

死人の出ない家はない。(お釈迦様の話ではないけど)

そう考えると、不幸ごとが一切ない家なんて

あり得ないことになります。



私は、ひねくれ者なので

上から目線で「絶対こうあるべきだ!
(そんなことも知らんのか?)」と、言われると

ど~も、くつがえしたくなる(笑)



もし、そんなに忌み嫌う家で

のんびり、幸せに暮らして死ねたら

「あれ?そうとも限らないぞ?」ってことになります。



黒猫が縁起が悪いからと、黒猫が貰い手が付かない。

でも、黒猫と一緒に暮らして、幸せな人もいます。



カラスを毎日見ても、上機嫌の人だっています。



嘘かホントかはともかく、

それを口にして、聞いた側がどんな気持ちになるか。

そのことの方がよっぽど大事なように思います。



茶柱が立った。

四つ葉のクローバーをみつけた。

きれいな虹をみた。



聞くだけで、こちらも元気がでるような

「縁起の良い」話ならともかく

呪いの毒ガスばかり口から吐きたくない。



変な話、幸か不幸か気にしてばかりの人に

幸せそうな人がいない。

そんな気がしませんか?



幸せかどうかなんて、気にするな。

笑ろとけ、笑ろとけ。

そんなの、

死ぬ間際にならんと、わからんばい。

2019_小石原・幸せそうな坂本窯の鬼

・・・って、この子も申しております。

意味などいらぬ

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


令和となってすぐのGW、旧友と小石原民陶祭に出かけました。

前回訪れたのは、2017年の豪雨で被災する直前のGWですから、

被災後はじめて、の訪問です。


某道の駅で待ち合わせ、

被害のひどかった朝倉の松末地区を通って

小石原へと向かいます。



高速道路を通るたび、その下に広がる朝倉の被災地の様子は見えましたが

実際通ったことはありませんでした。



新しく建て直されたお家、埋まったままのお家、車、

川の黒い土留め、重機、そして

砂、砂、砂。


旧友と、小石原へ向かう度、通っていた「いつもの」道。

被災時TVに出ていた、松末小学校。

何にも起こっていない時、

何にも思わず通っていた道を、

何も言えず、通り過ぎる。


語彙力のなさを棚に上げても、

言葉にすると、何か違うものになる。

胸の奥や、おなかの底を

ぎゅっと、つぶされる。

「いつもの」道でありながら、「違う」2年ぶりの道。



前回は、小石原中心部まで、大渋滞。

車、車、車、たまにバイクに追い越され、

車、車、車。

着いたら着いたで、

人、人、人!



いったい小石原村民の何倍いるのか、観光客!(他人のこと言えんけど)



でも、今回は、渋滞も、そうでもなかったのです。


やっぱり豪雨の影響、・・・なのかな~?


予想していた渋滞を難なくクリアし

いざ買い物‼・・・ですが、

そう食器ばかり買うわけにもいきません。

鼻息荒く、被災地支援!っていえるほど、

お役に立てないかも。



と、言いつつ戦利品はゲットしましたよ。

硬いはずの財布の紐を緩める、

そんな掘り出し物に出会えました。


2019_小石原民陶祭戦利品
針山、レンコンのブローチ、アロマオイル入れ(←名前よく分からず)


お裁縫、まったくしません。

子どものゼッケンつけるのも、半泣きです。

・・・でも、この針山は、かわいい~。

気分が上がる。

この、【気分が上がる。】っていうのが大事なのです。

役に立っても、気分が下がるものより、

何の役に立つか分からない、気分の上がるもの!


そう!

何の役に立つでなし、でもなんか気分上がる!

なんか、おもろい!



その基準で今回手に入れた、一番ワケが分からん、でも何だかカワイイもの↓

2019_sp_坂本茂雄窯の鬼のおきもの


鬼・・・?らしいけど、何だろ?この緊張感のなさ(笑)


ぱぁあぁあ~、って笑ってる。



不気味なんだか、かわいいんだか、

よくわからんけど、

見てるだけで、脱力。そして、つられて笑う(笑)



この、能天気な置物しかり、

財布の紐を硬くしていても、どうも私のツボをついてくる

窯元があるのです。



小石原民陶祭の中にありながら

異彩?をはなった空間。

【坂本茂雄窯】さん



出かけるたびに、なんかかんか買ってしまうのです。

しかも、思った値段の、半額そこそこ。



坂本茂雄窯の招き猫
以前、緩んだ紐から、わが家に来ることになった戦利品たち。


皿も、びっくりするほど安いものもある。


2019_坂本茂雄窯のどんぶり鉢
手前は、2年前買ったもの。どんぶり鉢。
なんと両方とも、400円!
他所だと、安くても800円はする!下手したら、1600円、2400円しそう。安っ!



2年前に買ったどんぶり鉢の、ぷっくりとした手触りが気に入って

もう一つ買うか!と思ったのですが

同じ物なし。

ある時に、買っとかないと

ずっと同じものがあるとは限らない。



置物も、お皿類も、びっくりするほど安いのですが

中には「あ、それ高いよ。お茶の道具やから。」(by:店主)というものも。



「なんだか良くわからんけど、楽しいもの」を見ていると

あるオジサンがお店の人に、問うていた。

「これっち、なんか意味とかあるんですか?」



あ~、言っちゃった、言っちゃった~。


みんな意味を頭のどこかで考えつつも、

なんとなく言葉にしなかった部分です。



フーテンの寅さんじゃないけど

「それを言っちゃ~、おしまいよ」です。


意味が加わったとたん、なんか面白みに欠ける。

「不思議なこと」が、味わいでもあるからです。


なんでもかんでも、

意味などいらぬ。


言葉にした途端、「違う」こと。


意味を加えた途端、「失う」こと。


そういったものって、あるよな~。

それは、頭でなく、口先でなく、

もっと心の奥とか、おなかの奥の方、

腑の部分の話だよな~と、思って

小石原を後にしました。



あまりたくさん買えないので

支援にはならないけど、

また来ますね。小石原!

平成

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

今日で、平成という時代が終わります。


平成最後の○○!

・・・と、よく聞きますが、

平成最後の、朝ご飯を食べ、

今日もまた、一日が始まります。



私は、昭和40年代の生まれなので

平成という時代のほとんどを

「大人」として過ごしてきました。


故小渕元首相(当時官房長官)が、【平成】と掲げたシーンは

記憶に新しい。

・・・といっても、もう30年も前になるんですね。


時代の呼び名が変わっても、

「昨日の続き」を生きてきた。

・・・に、すぎないのですが

一年の途中で、もう一度元旦が来るような

ちょっと、気持ちも新たになります。


きっと過去にも、年号が変わるたびに

「良い時代に」と、願われてきたんだろうな~。



平成に生まれたわが子たちは、

そのほとんどを

大人として「令和」を生きていきます。


令和という字に込められた思いの云々を問わず、

たまたま巡り合った「時代」や「社会」で

なんやかんやして、生きていかなきゃならない。



わたしたちは、「昨日の続き」を生きてきた。

昨日の続きが「今日」で

今日の続きが「明日」になる。

・・・当たり前だけど。


「一時代を築き上げる!」ことは無理でも、

せめて丁寧に「今日」を送ってみようかな。

丁寧で、温かな「今日」が続けば

丁寧で、温かな「時代」になりそうだ。



ちなみに、もくせい工舎の平成最後のお家の一軒を

ただいま施工事例にアップすべく準備中です。

平成最後の2棟、関連記事は→こちら!



丁寧で、温かな目線。

丁寧で、温かな仕事。

それは、丁寧で、温かな「何か」になりそうです。

(あいだ)の話

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

例えば、原田左研さんのトラックには、

品のいい字体のロゴと一緒に、

「壁をつくる人たち」というキャッチコピーが入っています。


201903_原田左研トラック。壁をつくる人たち。ロゴ


「壁をつくる。・・・というより、

壁と壁の【間(あいだ)】をつくっている」

と語っていたのは、その原田の親方。



そう、【間(あいだ)】。


【間(あいだ)】は、単体ではできません。

何かと何か。つまり、複数のものが必要になる。


そういえば、人間って、人の【間】です。


「人」って書いても、通じるのに

「人間」とも書く。


壁と壁の【間】にも、

人と人の【間】にも、

空気感というか、温度があるように思うのです。


親方は、なんとも居心地の良い【間】をつくるために

壁がどうあれば、その空気感に近づくかを試行錯誤している。


私たちも、人と人の【間】を

お互いに、居心地よくするために

どういう人であればいいのか、試行錯誤していくのかもしれない。


(あいだ)の空気感、温度感は

それをとりまくモノや人の、在り方だと思います。


ところで、先日、カメラ片手に

由布院へと、ぶらりと出かけました。

2019_sp_由布院の小川

ちょっと行かないと、色々なものが新しくできている。

嗅ぎ覚えのある、木の良い香りが漂ってきたので

ふと見ると、無垢の木をふんだんに使った建物が!


2019_sp_もくあみの杜


2019_sp_もくあみの杜


【もくあみの杜】という商業施設です。


2019_sp_看板


テナントの表記も、焼いた文字!

建物の傍を通るだけでも、木の香りが気持ち良い♪



気分よく、目的の地に行こうとしたものの

道に迷ってしまい、思わぬ路地裏へ。


2019_sp_路地裏の菜の花


ここドコ~?


・・・ところが、歩きながら道に迷うのは

ちょっと楽しい。

車で迷うと、行き止まりやら、一方通行やらで

焦るばかりですが、

歩きは、間違えれば

気軽に戻れます。

しまいには、迷ってるのにニヤニヤしてる。

「ここどこやねん!(笑)」って言いながら。


迷いつつ進んだ場所に、以前雑誌で見たことのあるカフェがあったのです。

ご紹介したいのに、写真無くてすみません。

遠慮してしまいました。


【カフェと雑貨 nayaさん】


ほうじ茶(ラテ)がすごく美味しかったのです!

カウンターから離れた席にいたのに

淹れてくれる途中から、ふんわり香ばしくて豊かな香り‼

あまりにおいしくて「売ってますか?」の問いに

「こちらには置いてませんが、杵築のとまやさんのお茶です。

由布院では、【山荘 無量塔】の売店で買えますよ」

とのこと。


2019_sp_猫
「売り切れ」の看板のかかるパン屋さんの店先で


ぶらぶらした帰りに、ちょっと寄ってみました。


2019_sp_yuhu_山荘むらた
暖炉用の薪すら美しい?


言わずと知れた高級旅館で

私には、宿泊はとても無理なのですが、

山荘 無量塔さんの建物や空気感、世界観が好きで

本当に時々!売店や喫茶室に行きます。


売店、といっても

【匠舗 蔵拙】という立派な建物に、名前。

私などは、もう↑を、どう読むのかも分からない(笑)


「建物、すごいですよね~」とスタッフの方に声をかけると

「秋田から古民家を移築しているんです。」とのこと。

壁も、味わい深かったので

「もしかして、原田左研さんですか?」と試しに聞いてみました。

「こちらの建物は、確か違ったはずですが

本館はそうですよ。

色々な業者さんが入りますけれど。」



ネームバリューでどうこう言いたくはないですが

・・・やっぱりすごくないですか?

あの、空気感、世界観をつくりげるのに携わった職人さんが

もくせい工舎のお家の壁をてがけてる!



今は、便利な時代になってるんですね。

なんと、GoogleMapで、本館内部の様子が垣間見れる!

・・・良かったら、その美意識、世界観を

チラッとご覧ください↓


本館内部


それはともかく!


壁と壁の【間(あいだ)】。

そこに住む、人と人の【間(あいだ)】。


その【間】の空気感を考えてから

家の在り方を考えてみる。

・・・というのも、きっとアリです。

桜咲く公園を望む2つのカタチ

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


先日、3/23,24に見学会が開催されたお家と、

その奥のお家の2棟の写真撮影にお邪魔しました。



暖冬の影響か、今年は少しばかり早い桜の開花予想が出ていました。

さすがに、見学会開催時は

桜も硬いつぼみの方が多かったことと思います。



そんな桜咲く公園から見える小高い丘の上に

2軒のお家が兄弟のように並んでいます。


こちらは、見学会が開催されたお家。

201903_大分・自然素材の家。もくせい工舎_A様邸_外観


仮に、A様邸といたしましょう。


・・・と、ここで実は現場に行ってビックリなことが。

「・・・あれ?甘木???」


大分・自然素材の家。もくせい工舎_A様邸の甘木土の漆喰


そう、確か広告には「日田土」と、ご紹介したはず。

少々手違いがあり、表記に誤りがありました。

お施主様、並びに広告をご覧になって

「へ~、これが日田土か~」と見学いただいたお客様、

本当にすみません(T_T)


そんなこんなで、内心どきどき動揺しながら

撮影させていただいた次第です。


もくせい工舎のお家は、よく見る外壁パネルほど

「レンガ調‼」「木目調‼」「真っ黒‼」

・・・みたいな遠目に分かるような差はありません。

それは、「自然のものでできているから」です。


うまく伝わるか分かりませんが

手び練りの焼き物のウルトラマンと、

おもちゃ売り場でよく見る、塩ビの怪獣くらいの質感と個性の違い。



昨今のウルトラマンは派手になってきたらしいのですが

塩ビの怪獣の方が、個性がおおっぴらに違うし、

ギラギラしてます。

・・・あんな感じの違いに近い。


過去に自然素材の質感について書いた記事がありますので

塩ビ⁇怪獣⁇・・・と思ったら、良かったらご覧ください↓


過去のブログ記事『質感』


質感的には、怪獣ほどの違いはなくても

現場に行けば、お施主様の「大事にしている」雰囲気が分かります。


mini_re_大分・自然素材の家。もくせい工舎_B様邸_外観


こちらは、2棟目のお家。

仮にB様邸とします。


漆喰は、土で色味を付けていない白漆喰です。

質感的には、そんなに違いはないのですが

お施主様の選ばれている瓦やドア、

窓の仕様、照明器具などで

お施主様が暮らしたいと思った「家」の個性が出てきます。


mini_re_大分・自然素材の家。もくせい工舎_B様邸_外観_側面


もくせい工大分・自然素材の家。舎_B様邸_玄関ドアと照明外観


小物一つ、ドアの仕様一つ、

選んだもの、選ばなかったもの、

足したもの、引いたもの。

材料は、同じ無垢の木と漆喰なのですが

お施主様の考える「家」や「暮らし」が

そのお家の雰囲気になっていきます。


201903_AB_トイレの個性


トイレも、どちらがどちらのお家と言わなくても

・・・何となく分かりますよね?


天井の仕様も、個性が出ます。

mini_re_IMG_7527.jpg

B様邸のように、勾配天井はちょっと山小屋風というか

梁がワイルドな感じがします。

一方、


もくせい工大分・自然素材の家。A様邸リビング_フラットな天井


フラットな天井は、きりっとして

スッキリした印象をうけます。


本当に好み、です。


今回は、完成時期が

一週間くらいしか差がなかったことや

テイストの違いがはっきりしたお家だったので

撮影してても、とても楽しかったです。



A様、B様、木の家を選んでくださり

ありがとうございました。

そして、この度の完成、本当におめでとうございます。


ところで、撮影完了後、

近くの公園の桜を見に立ち寄りました。


201903_公園の桜


もうきっと、今頃は満開でしょうね。


201903_さくらアップ


淡い、優しいソメイヨシノ。


カワヅザクラ?


こちらは、カワヅザクラでしょうか?


広告の地図の目印にした木にも、なんと可愛い花が咲いていました。


目印の木


木の名前は、なんだろう?


mini_re_IMG_7801.jpg


ユキヤナギのような、可愛い白い花が咲いていました。


タンポポ


いよいよ春も本番♪

木の家で、またお会いしましょう!

ミツバチが支えている

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


先日、知人に誘われて、ミツバチの映画を見ました。



『みつばちと地球と私~ひとつぶの命に秘められた 大きな環(わ)のおはなし~

という、タイトルです。



ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんね。


なにゆえ、ミツバチ?なのですが、

今、そのミツバチが激減している。


ミツバチが減って、何が困るの?


私たちが口にする食べ物の70%は

ミツバチの受粉のおかげ

・・・だとしたら、どうでしょう?


船橋康貴さんという、養蜂家の方が

映画の中で、実情と

私たちにできることを語っています。



映画に賛同云々もありますが、

Asumiさんの歌う、「あお」という主題歌が

とても優しく素敵だったので

内容と合わせ、ちょっとご紹介したくなったのです。



あ!

①の方は、ミツバチが巣にワラワラ集まっている映像がありますので

苦手な方は、歌のみの②をご覧ください。


※虫苦手さんは、パスしてください↓

【YouTube】SAVE THE BEES ミツバチ幸せ街づくり 船橋康貴さんの活動 Music by Asumi「あお」



※歌のみ↓

【YouTube】「あお」/Asumi 森のピクニックガーデン2016


歌が、とにかく良いのです。

ことばも、声も、メロディーも。

「癒される」って言葉はあまり好きではないのですが

素直な気持ちで耳を傾けられる気がします。


映画の中では、小さなミツバチが

自分たちのあずかり知らないところで

環境を支えてくれている事実がありました。

それは、

1.私たちの口にする食べ物の7割がミツバチの受粉によっての恵みであること
2.ミツバチの受粉によって森が育ち、その森によって海が育つこと

人間によって人工的に作られた杉山には生きものの気配がしない。
気配がしない。・・・というと言い過ぎでも、美味しい蜜や木の実がなければ、当然そこで暮らす虫や鳥は限定的になってしまう。
多種多様であることが、大事なのです。
お互いに色々あっても、多種多様であることが
結果的に、色々なバランスをとることになる。
多種多様な雑木があれば、ミツバチによって森が育つ。



もくせい工舎では、杉の無垢材を使ってお家を建てています。

森にも、ミツバチにも詳しくはない私ですが

昔、「どんどん杉を植えろ!」といって

杉山が増えたことは何となく知っています。

・・・よく考えたら、杉って花粉を飛ばすんですもんね。

ミツバチが一つ一つ受粉しているわけではない。

花粉症シーズンになって、ぶわっと花粉が飛散する様子が

テレビに映りますが

自分たちが簡単に考えたことで

自然のバランスが崩れ、

その増えすぎた杉の花粉で

今度は、花粉症で苦しむコトになっているとすれば

どうなんだろうな~と思います。


それは、草取りが面倒だからと

簡単に除草剤をまいてしまうことにもつながります。

「面倒な草むしりから解放!一般家庭の快適な生活環境を守る!」

・・・はずの、除草剤は

実は、地球環境のことまでは考えていません。


一般に気軽に売られている、よく耳にする除草剤にも

ネオニコチノイドという成分が入っています。


小さなミツバチにとっては、神経毒です。

これが撒かれた土地の花の蜜は

蜜に触れたミツバチだけでなく

それを口移しで渡された、別のハチにも害をなします。

神経が侵され、巣に戻ってこれない。

帰れないのです。


映画の中で、船橋さんが言っていた2つのこと。


1.農薬を使わない
2.ミツバチが好きな花や木を植える

たったこれだけです。



草取りが面倒だからと、コンクリで埋めてしまう前に、

簡単だからと、除草剤をまく前に、

ちょっとでいいんです。



ちょっとでいいから、

誰にほめられずとも、

人知れず支えてくれている、

小さな小さな命のことを思い出してほしいのです。



迷惑をかけたり、かけられたりは

おたがいさまで。

「かんたんに」「排除」し続ければ

思わぬしっぺ返しをくらうことになる。


取り返しのつかないことになる前に、

その、目の前の「カンタン」に

惑わされないようにしないといけないな~と思いました。


人間は、神サマじゃない。

だから、うっかり忘れないようにしたいと思います。


目の前のことのすべてが

「つながってる」ことを。

意のままに

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

育てたとおりに、子は育つ。

・・・なんて言います。


このブログをご覧の皆様の中には

きっと子育て中の方もいらっしゃるかと思います。



・・・ところで、

育てたとおりに、育ってますか??



かくいう私も、終盤に入ってきたとはいえ

まだまだ親業の真っ最中であります。


子育てをしていると、思うようにいかなかったり

ままならないことが多々あります。



学生のころや、親になる前は、

自分が努力さえすれば何とかなってきたようなことも

自分の頑張り云々の範囲を超えて

どうしようもないことにも遭遇します。



ちっとも、思うようにいっていないのに

「育てたように育つ」といわれても、

「予定外、想定外のことが山ほどあるんですが⁉」

と、言いたくもなります。



本に小さなころから親しむと、本好きになる!

・・・はずだったのに、うちの子は基本漫画しか読みません。

どんなに親が感動した本でも、

チラッと開いて、それで終わりです。



素朴な味で育てたら・・・なんていうけれど

保育園、幼稚園、家の外の世界で「他」に触れて

すっかりジャンクもOKになったりします。



育て方が悪いんじゃないの?とも言えますが、

親力のなさを踏まえても

時々思うことがあるのです。


こちらが満足いくような「応え」をしない。


それは、反対に言えば

「言いなりになっていない」ってことじゃないかと。


小さなころから本を読ませて、

本当に【心底】本が好きな子もいるでしょう。


小さなころから、素朴なものに触れさせて

【心底】素朴なご飯が好きな子もいるでしょう。



でも、問題は、【心底】そうは思っていないのに

なんとなく周りの反応を見て

そうしている。そうせざるを得なくなっている場合も

あるということです。


がっかりさせたくない。

怒らせたくない。

こうした方が、こう言った方が、喜ぶから。



相手の心情や、空気感を先回りして

【応え】を用意する。

子どもなのに、です。



へたしたら、大人になっても

親の顔色を、うかがい続けることだってあります。


怒られないよう。

嫌われないよう。

見捨てられないよう。

がっかりさせないよう。


でも、誰かの期待に応えないと

誰かの、社会の、役に立たないと

私たちは、好いてはもらえないんでしょうか?



生きていると、思うようにいかないことだらけ。


なのに、常に「上手く」いっていないと

見捨てられたり、嫌われたりする。

そんな大人を、社会を、

【心底】信頼できるでしょうか?



期待に添えなくても、思うように結果が出なくても

怒られたり、がっかりされるようなことはあっても、

そんなことで嫌われたり、

「あいつに比べて」と差別されたりしない。


子育てに限らず、思うようにいかないと

失望したり、自分の力のなさに落ち込むこともありますが

それは、「支配していない」からでもあると思うのです。



「親」から生まれはしたけど、「違う」。


「違う」ことは、きっと良いとか悪いとかじゃない。


異を唱えられない関係性なんて

どちらかが「言い負かしている」にすぎない。



親子でもそうだし

上司と部下もそうだし

うっかりしたら、プロとアマだってそうだ。



経験もないし、何も分かってないんだから。

子どもだから。

若輩者だから。

素人だから。


「お母さんの言うこと聞いてれば間違いないのよ」

「言うこと聞かないなら、後でどうなっても知らないよ?」

「素人はこれだから」



それは、見下ろしてないか?

意のままに、しようとしてないか?


「聴いて」「添える」余裕や度量があれば別ですが

そこまで懐の深い人は、中々いない。

だから、「言い負かす」方が手っ取り早い。


だから、うっかりすると

正論で押さえつけただけで、

そこに温かな信頼関係はなくなってしまう。


聞いてすらもらえなかった、とういう「不信」だけが残る。


思い通りにいっていないこと「も」、ある。

正直、もやもやした部分「も」ある。

・・・ことが、実は結果的に

バランスが取れているのかもしれない

・・・と、思うのです。



でも、考えようによっては

何でも言うことを聞いてくれる子どもなんて

不自然極まりないのです。

親が「右向け」と言ったら、

次の【指令】が下るまで「右」しか向かない。

犬じゃあるまいに!

それに親のいうことが全てなら、

何かあれば、全部親の責任です。

「お母さんの言うとおりにしたけど

間違ってるやん‼」

・・・ってことだって、当然ある。



だって、親だって全知全能の「神サマ」ではないんだから。



だから、言うこと聞かないということは、

子どもの失敗の何もかもを

親が責任取らんですむ!ということかもしれません。



「知らんわ~!

お母さんこういったのに、せんやったんやし。

決めたのアンタやろ~?」

って、ニヤニヤしてやる!


巣立った小雀の巣まで、エサを運んでやるような

親にはならん!

そもそも、(経済的にも)無理!

やけ、自分でなんとか頑張れるだけ

やっていけるだけ、

力つけてほしいな~と

親力のない私は思うのです。

最後の晩餐、終の棲家

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

昨年、義父が他界しました。

いきなり、お葬式の話ですが

家のことにも、無理やり(?)つなげていきますので

しばしお付き合いくださいね。



映画『おくりびと』ならぬ、納棺師の方が義父を丁寧に

棺に移して、さて思い出の品を入れる入れないの話になりました。



(病気で)お酒もたばこも我慢しちょったしな~」

「口寂しいもんやけ、アメんじょ~食べよったわ」

「・・・んじゃ、アメで良くね?」



・・・・???

・・・・いやいやいや!

我慢して、仕方なく「アメ」やったんなら

そこはタバコかお酒では???



私こと、ダメ嫁は少なからずそう思いましたが

大盛り上がりのオバちゃんたちを前に、当然発言権はなし。

薄ら笑いを浮かべるので、精一杯でありました。

・・・たぶん、義父もツッコんでるかもしれません。

「なんでアメちゃんやねん!」って。(←エセ・大阪弁)



話はちょっと飛びますが、わが家にはQ太郎という

セキセイインコ(♀)がいます。

Q太郎