逃げた魚は大きい
「逃げた魚は大きい」なんて言いますが
失ってしまったものは、実際の大きさよりずっと大きく感じます。
心理学では、同じ価値のものでも、
手にした「喜び」より、失った「悲しさ」の方が大きく感じる
そんな現象があるらしいです・・・( ̄▽ ̄;)
例えば、朝、一万円を拾って感じた「喜び」の度合いと
それを夕方落としてしまった「悲しみ」の度合いは
「悲しみ」の方が大きく感じるとのこと( ̄▽ ̄)
実際はプラスマイナス0 (ゼロ)なんですが・・・。
またAとB,どちらか悩むのは、AにもBにも大差がない場合(・ω・)ノ
・・・明らかに差があれば、どちらかで悩んだりしないですものね ( ̄▽ ̄)
ただ、Aを選べば、Bを「失う」ことになるので
Aを選んだ喜びより、Bを失った悲しみの方をより大きく感じて
AとBが同じくらいの価値だから悩んでいたにも関わらず
選んだあと、「これだけつらいなら、Bを選べばよかった」と
「後悔」する心理が働くとのこと(・ω・)
一世一代の覚悟でAかBか選んで、
やっぱりあっちにすればよかった!なんて、よくある事ですものね(ーー;)
ただ、AもBも同じくらい魅力があるから悩んでいたので
Aを選ぼうが、Bを選ぼうが、結局どちらかは「失う」ことになるので
「後悔」することに変わりはない。
「後悔」までいかずとも、あっちを選んでいたらどうなったかな~
・・・なんて思うこともあります。
じゃ、選ばなければ、AもBも失わずにすみますが
これも「選ぶ」「選ばない」を選ぶことになるので
結局はっきり選ばなかったことを「後悔」することも・・・(・ω・;)
だから同じような価値の「何かを選択」すれば、
人はそんな風に「後悔」する仕組みになっているので
自分が選んだことや方向が、間違っていたわけではないというのです(・ω・)
進学や、就職、結婚、家を建てることなんかも
本当に、大きな選択です (・ω・)
でも、自分で決めたことなら、例え仕組み通り「後悔」しても
どこか気持ちの整理も着きやすい感じがします。
失った後悔、と言うほどではありませんが
撮影する「機会」というか「ご縁」を失ってしまった現場があります( ̄▽ ̄;)
・・・ちゃんと撮影したかった・・・(T_T)
外回りは撮影できたのですが、内装を撮るご縁がありませんでした(T_T)
こればかりは、タイミングの問題で
本当に致し方なかったのです(>_<)
誰も悪くない・・・( ̄▽ ̄;)
ただ、自分で撮れなかった、撮る機会を「失った」ことで
今まで、「撮れていた」こと自体が
決して当たり前なんかじゃなく、大変「運の良いこと」に思えてきた!(≧▽≦)♪
これも、「収穫」といえるかもしれません(*^_^*)
只今、建築中のお施主様方、ご縁があれば伺わせていただきます(*^_^*)
そのことが、「木の家」と、どこかの自然が大好きな「ご家族」を結ぶ
次なる「ご縁」になりますように(*^_^*)
ご迷惑をおかけし、大変恐縮ですが
どうぞよろしくお願いいたしますm(__)m