完成見学会と、うそぶく場所

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


5/25(土)・26(日)豊前市にて完成見学会を開催いたします。
(お施主様のご厚意に、大感謝!です。ありがとうございます!)
5/25・26豊前市下河内もくせい工舎の自然素材の家完成見学会


もし直前に、完成写真が撮影できましたら《かけこみphoto》で、改めてお知らせ出来ればと思います。


さて、「豊前の求菩提山に向かう途中に、お家ができるよ~」と教えてもらったのが
3月の中頃。

必ず前もって、場所の確認に伺うようにしているので
その日も、しとしと雨の降る中、愛車で向かいました。

20240525_26_無垢の木と漆喰で建てる自然素材の家_もくせい工舎_豊前の現場_工事中外観
工事中の外観。玄関側

今回のお家は、非常にコンパクト。土地を最大限に使いつつ、
本当に必要なもの、大切なものを厳選し、創意工夫がつまっているお家。

20240525_26_無垢の木と漆喰で建てる自然素材の家_もくせい工舎_豊前の現場_工事中外観
玄関反対側から見る

マチナカの狭小地でも、もしこんな風な無垢の木と漆喰でできた自然素材の家が増えたら
どんなにか、ほのぼのしてて良いだろうと思います。

よかったら、ミニマムで、洗練されているのに
手づくりっぽい温かさのあるお家を見に来てください。

詳しくは→こちら!


さて、今回も《ついで》のお話付。

地図を確認していると、現場の近くに神社がある。

元々、求菩提の方にちょこちょこ足を延ばしていたので、
「あぁ!あの、通りから見える神社かな?」と思い当たる。

・・・それにしても、嘯吹?
なんて読む?

難しい字ですが、嘯吹(うそぶき)神社だそう。

ほら吹きならぬ、ウソを吹くのかと
大変な誤解をしてしまったのですが

そうではなく、古語の【うそぶく】からだとか。

口をすぼめてふ~っと息を吹くことで
罪や穢れを吐き出し、心身を正常に保つことが社名の由来だそうです。

注:以下、偏ったスピリチュアルの話がしたいわけではありません。「へ~」ぐらいで、気軽に聞き流してくださいませ。

最近、『一番大事な生き方は伊勢神宮が教えてくれる』(吉川竜実 著)という本を読んでいて
これがまた、色々おもしろい。

他の本の内容なども織り交ぜて、ざっくり言うと、

神道には、教祖も、教義もない。

縄文の昔から、自然とともに生きる日本人の生活の中にあって、

八百万の神のように、すべてに神が宿ると考える。

人間もそれにもれず、元々、そのままで完全でありパーフェクトな存在なのだから、

そこに修行も悟りもない。

ただ、日々過ごすうち、ストレスやネガティブな思いで
(ケ)枯れることもある。

それを正常(清浄)に戻すのが、神社の役割なのだとか。


なるほど、それでハライタマエ、キヨメタマエなのか。
大元から救いようがない、穢れたものだから清めるというより、元々そんなに悪くないんだからキレイに清める感じでしょうか。
『千と千尋の神隠し』に出てきた、オクサレ様を思い出します。きっかけがあれば、元の姿に戻るような。私は、そんな風に捉えました。



石牟礼道子さんの『椿の海の記』に、4歳のみっちん(石牟礼さん)
お父さんが何度も言い聞かせる言葉が出てきます。

「やまももの木に登るときゃ、山の神さんに、いただき申しやすちゅうて、ことわって登ろうぞ」

この感覚を忘れていなければ、水俣の豊饒な海に
誰があんな排水を流しただろうかと、『苦海浄土』を重ねて思ってしまう。

教祖もなく、教義もなく、それをとりたてて聖職という立場から教える人もなく、
うっかりすると忘れがちになるけれど、

【人間】対【自然】においても、【人間】対【人間】の間でも、
「やりすぎてはいけない」一線のようなものがきっとある。

それは、一定の心地よい距離を保ちながら、お互いを尊重し合う生き方のような気がして
なんだかうれしい気持ちになったのでした。

人間は、生まれつき罪深いのではない。

ときどき、汚れてしまうから、リセットやリフレッシュのために
こういった空間があるんだと思えて、気が楽になりました。


さて、その嘯吹神社です。

嘯吹神社

快晴のお天気も手伝って、スカーっと気持ちが良い!

広大すぎる神社ではないので、鳥居から社殿と敷地の全体が把握できます。

また、それらが綺麗に清められていて、とにかく気持ちが良い!

訪れたのは3月の中旬だったのですが、どこからか、ふわっといい匂いがする。

嘯吹神社

沈丁花が咲き残っていたのでした。うれしいなぁ。

嘯吹神社
(う~ん。ワタシの頭じゃ、よく分からん・・・。)

嘯吹神社
社名の由来が分かると、なるほどなぁ~と分かる石碑。

さて、こちらの嘯吹神社。

なんでも御朱印が有名らしい。

整理整頓も苦手で、忘れっぽい私は、
御朱印集めというものに縁がない。

色々見ていると、雨の日限定のものもあるようで、

結局、欲しくなって両方買っちゃいました。

嘯吹神社の御朱印・ウソ
難をウソにする。ウソという鳥。菅原道真公に関わる話なので、太宰府天満宮にもウソのお守りがあります。
蜂に襲われた道真公を、可愛がっていたウソが助けた!が由来ですが、「・・・それは、エサ目当てだったのでは?」と疑う私は、きっと穢れております。

嘯吹神社の御朱印・雨の日限定
ちょっと、み●をっぽい?ですが、へこんでる時、こんなん言われたら、うれしい。例え、ウソ?でも元気出ます。

そうそう。もし、こちらの神社に行ったら、御朱印のほかにぜひとも試してもらいたいものが。

嘯吹神社の南天紙絵馬

【南天紙絵馬】です。

社務所に置いてある、紙の絵馬(¥200くらいだったかな?違ったらスミマセン。)に悩んでいることなどを書いて
こちらの水に浸します。

これが、意外なほど良かった。

A5サイズほどの和紙のような紙に、油性ペンで書くのですが、

そこそこ考えをまとめなければ、入りきらない。
そりゃ、小さな字でびっしり書けばイケるかもですが、ペンも極細でなけれなムリっぽい。

考えをまとめて書く必要があるので、うだうだと愚痴にならず、

端的に、簡潔に書く必要がある。

そうすると、思いのほか、自分が悩んでいたことって
かいつまんで言うと、こういうことか!と目で見て分かる。

しかも、水に浸けると、じわじわその和紙が溶けていくのですが、

書いたのが油性ペンだからか、

自分の文字だけが、溶け残って、浮いて、
そしてゆっくりと、沈んでいく。

たった、これだけなのですが、

その溶けて沈んでいく様を、たった一人見守る作業は

ことのほか、心を軽くする。


いつだったか、自分の抱えるネガティブな思いを紙に書いて、

クシャクシャ~っとして、ポ~イ!っとゴミ箱に捨てると良いとか
聞いて、やってみたことがあるのですが、

捨てたゴミ箱から、なんだか消えない毒?が出てるような気持ち悪さがあって、
ゴミ出しの日まで落ち着かない感じがしました。

「捨てたところで、アンタの吐いた毒はここにおる~」とかなんとか言われてそうで。

ただ、水に溶けていくのはそれとは違って、
自分の心のなんだか堅い、凝り固まったものも、一緒に溶けていくようで
なかなか良かったのでした。

ワタシほど毒気が貯まった方もおられないかと思いますが、
よかったらお試しあれ。
見学会のついでに!と言いたいところですが、できたら落ち着いて毒気?を抜いてほしいところです。


その他、腰に効く要石あり。

嘯吹神社の要石

裏手にも、素敵な社殿あり。

嘯吹神社の社殿

嘯吹神社の社殿

ふらりと立ち寄って、心身を洗って?リフレッシュするのに
とても良い神社でした。

社務所で御朱印を頼んでいると、頭上を「ギャ~、ギャ~」と鳴いて鳥が行く。
「カラス??」と言うと、優しそうな社務所の女性が、「アオサギなんです。」と言う。

なんでも、卵も青いらしい。(落ちているのはかわいそうですが)

良かったら、頭上を気にしてみてください。子育て真っ最中かもしれません。

嘯吹神社の石鳥居


そうそう、見学会もぜひ!
というか、メインがこちら!

ご予約お待ちしております♪

生きていく道の景色

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


前回、「あったらステキだけど、なくても困らないものを どう考えるか」という記事を書いて

ちょっと思い出したことがあったので、書き足したいと思います。

以前、NHKのプロフェッショナルという番組をよく見ていました。

独特のナレーションと、時折入る特徴的な、ひらめきのような効果音、
そしてスガシカオさんの歌う『Progress』という曲。

自分の知らない世界で、日々真摯に向き合う
その道のプロフェッショナルな人たちの
苦悩や喜びを垣間見れる、大変勉強になる番組です。

いつだったか、スガシカオさん自身が
その《プロフェッショナル》として登場した回があって
その時の言葉が、目からウロコだったのです。

誰かの心に言葉を残したい。

そう思いながらも叶わず、スガシカオさんには、
高校教師の道を諦めた過去があります。

高校教師として、誰かの心に言葉を残す道は途絶えましたが、

今はシンガーソングライターとして
生徒どころか、世界中の人たちに

心に残る言葉を残し続けています。

スガさんは、番組の中で

夢って、(パティシエとかパイロットとかの)職業の名前ではないんじゃないか。
それは、単なる職業の名前で、自分が生きていく道の名前じゃない。

どういう風に生きていくかってことが、本当の夢の正体じゃないか。

それを達成させるのが、人生なんだ。

といったことを話していました。
(↑ちょっと要約してます。詳しくは、『NHKプロフェッショナル 仕事の流儀 あと一歩だけ前に進もう|スガシカオ』でご覧ください。)
パティシエになって、お客さんを笑顔にしたい!なら、

人を笑顔にすることが本来の夢や生き方の道であり、

パティシエというのは、方法や手段のの一つであり、

もしそれが叶わなくても、他の方法で誰かを笑顔にする道を歩めばいい。

・・・と、いうことでしょうか。


一方で、そんな風に「将来何になりたいの?」と聞かれても
即答できない子どももいると思うのです。

はっきり言えない点は問題ないと、私は思います。

反対に、「なんでもいいから目標をいわないといけない」と
本心じゃないことを口にする方が、なんだか怖い。

心にもないことばかり口にしてると、
だんだん本当はどうしたいのか分からなくなるからです。

「学校の先生!」「トリマー!」「YouTuber!」
小中学校で即答できる内容なんて、
世界にあまたある職業の名前の一部に過ぎない。

たとえ、会社員だとしても、
私などは「え⁉そんな仕事があったとは!」なんて
50年以上生きて、未だに知らない仕事の内容も出てきます。

だから、答えられない子は
目標がないんじゃない。

大人だって、知っている範囲のことしか知らないんです。

「分からない」と正直に言える雰囲気が大切だし、
今は、色々なものを見ている段階とも言える。

目標に向かってまっしぐらも、すばらしい。
きっと最短距離で、すばやく目的地に着くでしょう。

ただ、その道しか知らないとも言える。

でも、あっちを見、こっちを見、
時には遠回りして色々見て来た子は

迷った分だけ、道を知ることになる。

ゆっくり歩いた分だけ、そこに咲いた小さな花に気付くこともある。

不器用でも、次に迷っている子に、
一般道以外の、「別の道」を教えられるのは

意外に、そんな子ども達なのかもしれません。
(私など、まだ迷います。老い先長くないのに・・・。迷うというか、もはや徘徊に近いかもしんない。)

歩く猫
わが(ケモノ?)道を行く。

スガシカオさん的な夢や、生きる道には

自分はこうして生きていきたいという芯のようなものがあります。

漫画家、小説家、パン屋、本屋、
色々なりたかった私ですが、

家を建てること、庭を作ること、
ウッドデッキがだめなら縁台でなんとかならんかとやってみること。

それのどれも共通するのは、
自分の頭にあるものをカタチにしたいという欲のように思います。

誰かが決めた枠や、入れ物や、押し付けられる当たり前を
自分なりに考え抜いて、居心地よく変えたくなる。

家を建てる理由は人それぞれですが、

スガシカオさん的捉え方をすれば、

それは方法や手段の一つで、

自分なりの居心地よい空間で生きていきたいという
生き方の形なのかもしれません。

理想通りに満足いくことは素敵ですが、

自分なりに工夫して、ことたりてきた世界観が、

こうありたいと右往左往してみたことが、

その人の《生きる道の景色》を作っていくのかもしれません。

さて、どんな景色が見たいですか

その、生きる道の景色の一部に、もくせい工舎のお家が加われば光栄です。

感覚としては、お気に入りの作家さんの器で
おにぎりとみそ汁を食べるような家です。

大事につくって、肩ひじ張らずに暮らす。

もし生き方に合うようでしたら、木の家に会いに来てください。

5月下旬、見学会も予定しています。