光が見えながら、自らを虐げる人

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


国東芸術文化祭が、11月30日を持って閉幕しました。

期間中、国東半島各地でイベントが行われ、一日じゃ回り切れない。

前回書いた、ラバーダックとPICFA以外にも
見たいものがあったので、

日を改め、国東の岩戸寺の方にも、行ってみたのでした。


見たかったのは、
木のオルゴールを作られている夢音(ゆのん)さんと、中野マーク周作さんの作品。

素晴らしかったのですが、残念ながら写真がないので、今回は別のことを。

その時に、偶然お会いした女性のことをお話したいと思います。


県道から、車一台通れるほどの細い道を、
岩戸寺に向かって上ると、
思いがけず広い駐車場に出ます。

車のドアをバタンと閉め、
さて、どこが入り口なのかと、林の方を眺める。

誰かが、落ち葉焚きでもしているのか、
煙の匂いがします。

煙たいのは苦手なのですが、仕方ない。
その中を通って、境内まで続く道を登ります。

ふと見ると、誰かが写真を撮っている。

住職さんと思しき、スウェット姿の男性と、
何やら笑って言葉を交わしている。

そのそばを通り過ぎようとしたとき、気が付いた。

その女性が、夢中で撮っていたのは、
林の間を照らす木漏れ日だったのてす。

20251205_林の間を照らす木漏れ日
スギ林を光が貫く。

煙が風に揺れる度、姿を変える光の線。

「わぁぁ!キレイですねぇ!」と思わず声が出る。

「そうなんですよ、面白くて!もう、かれこれ20分くらいこうしてる」と笑う。

「私もご一緒していいですか?」と、
スマホを取り出し、シャッターを切ります。

20251205_林の間を照らす木漏れ日
光の線が細くなったり、太くなったり。

「よく気づかれましたね~!むちゃくちゃキレイですね~!」

「じ~っと待ってると、次々形が変わるのが、面白くてね~。
あ、こっちからも、なかなかイイですよ」と教えてくれる。

二人で、しばらく写真を撮っていると、その下を二人連れが通る。

その人たちは、特に興味もなさそう。

オバちゃん(私)とお婆ちゃん二人で、キャーキャー言って写真を撮っていて、

その下を「何やってんの?」って感じで、通られたわけです。

すると、お婆ちゃんのテンションが、一気にシュンとなりました。

「あぁ、ほんと、私アホやけんね。いっつも。
こんなんに夢中になって。ほんと、アホやけん。」と言う。

「・・・え?え?いや、私も一緒にキャーキャー言って撮ってたんで。
それなら、アホと言われるのも、ご一緒ますよ?」

「いや、あなたは今来たとこやけん。私なんか、20分も。」

それから、なんだか、すごくしょんぼりされていたのです。

いやいや、
そんなに「アホや」と自分で言わなきゃならんほど、いったい何の非があるんだろう。

こんなキレイなものに気づく感性があって、

それを20分も夢中で追いかける気持ちの若さがあって、

なぜそれを「アホや」と自虐しないといけないのか。

そう言わねばならぬほど、この人は何を言われてきたんだろうか。

さんざん「何でお前はそうなのか」と言われて育った身からすれば、そんなことを勘ぐってしまう。

「それでも、きっと、そのカメラの中には、
あなたが撮った、この世界の素晴らしいところが、
たくさん写っているんじゃないですか?」

そう思ったものの、気の利いた言葉が、スッと出てこない。

そもそも、年配の女性に、

「アナタ」と言うのもなんだし、
「オクサン」じゃ、みのもんたみたいだし。

とかなんとか、そこから迷って、言葉が続かない。

なんとな〜く重たい気持ちになって、
なんとな〜く挨拶をして、
そのまま別れて、境内に向かったのでした。


20251205_木漏れ日

自虐という言葉を調べると、
「自分を責めさいなむこと」とありました。

「さいなむ」とは「苛む」と書き、
「良心に苛まれる」とかよく聞きます。

苛むとは、
①苦しめ、悩ます。いじめる
②責め叱る。

つまり「自虐」は、
「自分で自分を必要以上にいじめ、責め立てること」でしょうか。

自虐する心理とは、どこか
「他人に言われんでも、自分で分かっとるんよ」という感じがします。

傷つけられる前に、自分で傷をつけ、
それを見せることで、
「追い打ちは必要ないでしょ?自覚はあるんだから」というような。

そこには、「これ以上の傷はつけられたくない。」
そんな気持ちがあるように思うのです。


私は、死んだことがないので、死後の世界のことは分かりません。

20251205_林の間を照らす木漏れ日

カミサマやエンマさまみたいな存在がいるとして、

もし、「お前、生きている時どうだったの?」と聞かれたら、

このお婆ちゃん、アホだと言われるだろうか。


私なら、いかに立派な功績を残したかなんて自慢話より、

「こんなキレイなものを見た」とか、
「すごい面白い経験した」とか、
「こんな大好きなものがあった」とか、
そういう話を聞きたい。

くだらなすぎて、大笑いするような話でもいい。


この人が一生を通じて、
何を見て、何を思い、どうしたか。

必死になってやってきたこともよし、

ただただ、感動して、心からその喜びに浸るもよし、

面白おかしく、ワクワクして心躍るもよし。


あのお婆ちゃんのカメラには、
きっとお婆ちゃんにとっての
宝物のような風景が写っていたはずです。


だから、うまく言えなかったけど、お婆ちゃん。

少なくとも私は、お婆ちゃんのこと、アホとか思えんよ。

一緒に写真撮れて、本当におもしろかったんやけん。

そう、もう伝えようもない言葉を飲み込むしかないのでした。


ちなみに、年配の女性になんと呼べば良かったんだろうとGeminiに訊いてみたら、

「日本語はニュアンスが難しいので、
あえて呼びかけないのがいいんじゃないか」という答えでした。

う~ん。AIにも、回答を逃げられた。


あのお婆ちゃん然り、私然り、どこかの誰が然り。

もう、これ以上、自分で自分を、いじめる必要なんてない。

そんなことで、人をアホ呼ばわりする誰かの、
つまらん物差しに合わせて、落ち込むなんて!

その方がよっぽどアホらしい!

ちゃんと、美しいものを見て、美しいと感じている。

それだけで、きっとあなたはスンバらしいのです!

20251205_あなたはスンバらしい

国東半島芸術文化祭!

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


国東半島芸術文化祭に行ってきました。

期間中は、各地でイベントが開催されているらしいのですが、一度には回り切れない。

今回は、「ラバーダックプロジェクト」と「PICFAアートジャンクション」に絞って、満喫してきました。


まずは、ラバーダックを見に、国東市の迫池に向かいます。

日頃は静かであろう《ため池》も、なかなかの人だかり。

お隣の集会所でも、キッチンカーなどが出店していて、お祭りムードです。

第二駐車場となっている旭日小学校のグラウンドに車を停めます。

小学校の裏手から坂道を下って、会場へ。

20251125_国東半島芸術文化祭_ラバーダック
遠目に、ふわふわのトランポリンに見える。

近づくと、おおき~い!

20251125_国東半島芸術文化祭_ラバーダック
背が高い人と比べても、この大きさ!(※人物は加工しています。)

大きいけど、威圧感ゼロです。

20251125_国東半島芸術文化祭_ラバーダック
青空の日で良かった~。黄色が映えます。

私は、鳥のモフモフのおしりが好きなので、裏からも見てみましょう。

20251125_国東半島芸術文化祭_ラバーダック
後ろ姿も、抜かりなく、かわいいです!

大きいラバーダックの可愛さを満喫して、
小学校の駐車場に戻ります。

ここ、旭日小学校は今年3月に閉校したばかりのようでした。

駐車場となっていたグランドの奥に、かわいい建物が見えます。

20251125_国東半島芸術文化祭_ラバーダック_旧旭日幼稚園
何かの工房や、パン屋さんにも見える。赤屋根が可愛い。

近づいてみると、人がいなくなって、ずいぶん経つようです。

20251125_国東半島芸術文化祭_ラバーダック_旧旭日幼稚園
奥の、「トイレ」とか「おてあらい」ではなく、「べんじょ」とひらがなで書かれた看板がシュール。

ここで、親御さんたちが迎えに来たりしている様子を想像して、しみじみ。

ここも、きっと誰かの思い出の場所なんだよなぁ。

致し方ないとはいえ、地域で学校がなくなるのは、寂しいものです。

特に、幼稚園、小学校がなくなるのは。

それだけ、子ども達って、存在自体が「パワー」なんだと実感します。


場所を、鶴川のKITOWA(キトワ)に移します。迫池から、車で10分かからないくらい。

20251125_国東半島芸術文化祭_PICFA_アートジャンクション_KITOWA
交流拠点施設KITOWA。左がチャレンジショップ棟。

木とガラスで囲まれた、チャレンジショップ棟をショーケースに見立て、

作品が展示販売されています。

20251125_国東半島芸術文化祭_PICFA_アートジャンクション_KITOWA
PICFA(ピクファ)は佐賀県基山町の障がい者就労支援B型事業所。

PICFAのメンバー20名の、自由でジャンク(ごちゃまぜ)な作品たちが、

見る人の直観と交差する《ジャンクション》となる展覧会。

さっそく、チャレンジショップ棟に向かいます。

出迎えてくれたのは、赤と白のド派手で大きなイヌ!

20251125_国東半島芸術文化祭_PICFA_アートジャンクション_KITOWA
本田雅啓さんの作品「スゴクデカイイヌ」。スゴクデカイイヌは、ちゃんと繋がれています。

コーンに「スゴクデカイイヌ」と書いてあって、そのままやん!と笑ってしまう。

楽しくて笑っていると、受付のお姉さんが色々と説明してくれました。

こちら、工事用の三角コーンをビス止めしてつくったもの。

よく犬にしようと思いついたな~と感心します。


場内の全てを紹介できないので、一部ご紹介。

こちらは、一度見たら観たら、忘れられない画風。

20251125_国東半島芸術文化祭_PICFA_アートジャンクション_KITOWA
安永憲征さんの作品。左「7人ピース」と右「4人のスーパーモデルで男性と女性」

同じような顔ですが、じわじわ面白い。

浮世絵の良さが分からない私ですが、
こちらは、同じような顔でも、面白い。

題名も、じわじわ面白い。

外国の雑誌をモチーフにしているようです。


お次は、細か~な作品。

20251125_国東半島芸術文化祭_PICFA_アートジャンクション_KITOWA
加田有紀さんの作品。左「大きな青りんご」と右「茶ちゃドーナツ」

近寄ると、

20251125_国東半島芸術文化祭_PICFA_アートジャンクション_KITOWA
リンゴの中に、リンゴがびっしり。

20251125_国東半島芸術文化祭_PICFA_アートジャンクション_KITOWA
ドーナツなので、数は、丸×2。1年がかりの力作!

続きまして、またまた細かな作品。

20251125_国東半島芸術文化祭_PICFA_アートジャンクション_KITOWA
笠原鉄平さんの作品「一人一人の生活模様」こちらは、非売品

20251125_国東半島芸術文化祭_PICFA_アートジャンクション_KITOWA
この一角だけで400人ほどいるのだとか。人物の被りもなく!

病院の待合室にあったら、退屈しないのに。

延々と見ていられます。

20251125_国東半島芸術文化祭_PICFA_アートジャンクション_KITOWA
大漁旗のよう!

誰かの「楽しい!」は相乗効果を生み出します。

それは、作る人の「楽しい!」でもあるし、
説明してくれたお姉さんの「楽しい!」でもある。

誰かの心からの「楽しい!」は、こちらまで数倍楽しくなる!

そのお姉さんに何度もお礼を言って、
グッズも販売しているという母屋?へ。

20251125_国東半島芸術文化祭_PICFA_アートジャンクション_KITOWA
照明器具がレトロでおしゃれ!

元々は、古城医院という築120年の古民家を改装したもの。

20251125_国東半島芸術文化祭_PICFA_アートジャンクション_KITOWA
重厚な玄関は、コアワーキングスペースの入り口。

ドアに近づくと、漆喰と木の匂いがします。

こんな雰囲気お好きな方は、おそらく、
もくせい工舎の家も、気に入っていただけるんじゃないかと思います。

20251125_国東半島芸術文化祭_PICFA_アートジャンクション_KITOWA

置かれている什器も、アンティークで、良い雰囲気!

20251125_国東半島芸術文化祭_PICFA_アートジャンクション_KITOWA
表紙もレトロでかわいい。一冊一冊、手にとって見たくなる!

奥に、PICFAのグッズコーナーがありました。

20251125_国東半島芸術文化祭_PICFA_アートジャンクション_KITOWA
欲しいものが、いっぱいすぎる~。

私は、鈴木靖葉さんの色鮮やかな
「カエルのポストカード」と、

忘れられない画風の、安永憲征さんの『yasunagazine』を購入。

中身をお見せできないのが残念ですが、
家に帰ってからも、見てはニヤニヤしております。

特に、「シマシマの女の人となすび」は、見た瞬間、
肩を揺らして笑うほど、楽しくて!

その場にいた他のお客さんには「?」だったかと思います。

あ~、お見せしたい!

これは、ぜひとも会場と売店で見ていただきたい!

11/30のクロージングイベント(旧旭日小学校)には、作家の皆さんも来場されるそうです。

一見の価値、大ありかと思います。

20251125_国東半島芸術文化祭_PICFA_アートジャンクション_KITOWA
見ただけで誰の作品かすぐ分かる!

小学生とか、中学生とか、
名画を見せるのもいいけれど、

本当は、こういった自由な芸術に、
どんどん触れるのがいいんじゃないか。

「みんなと同じように」
「誰かと比べて」
「ちゃんとしないと」

そんな概念を、どか~ん!と蹴とばして、
自分の「これだ!」を追求していく。

見ているだけで、楽しくて楽しくて、
凝り固まっていたものがほぐれていく不思議!

大きすぎるアヒル。
スゴクデカイイヌ。

誰かの言う「ふつう」に「ちゃんと」納まるよう、縮こめられていた「本当の自分」が解放されるような快感!

「ジョーシキ」の規格の外の世界は、私たちの閉塞感を救う、大きな力なんだと思います。

11/30まで。ぜひ!

20251125_国東半島芸術文化祭_PICFA_アートジャンクション_KITOWA

#の外の世界

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


前回、過食症と拒食症だった話を書きました。

私は、SNSで個人の発信をしませんが、

#拒食症、#過食症とタグ付けされれば、

それに関連した情報だったり、同じことで悩む人に
気づかれやすくなるのだと思います。

体験談を語ることは、
また、誰かの体験談を聞くことは、

「分かる、分かる」の共感を得られる。

自分一人が苦しんでいるわけではない。

それは、どんなに癒されたり、勇気づけられるか。

同じ悩みを持つ者同士、直接的ではないにしろ、
どこか繋がりすら感じます。


その一方で、私を救ってくれたのは、
子猫のまっすぐな食欲でした。

子猫は#拒食症とも、#過食症とも検索しません。

「生きる意味」や「生きる価値」に悩んで、
自分を傷つけたりしません。

ありのまま、自然なのです。


つまり、#の全く外側にいた存在が、
私の目を覚ました、ということです。


もう、放送が終わってしまいましたが、

『舟を編む~私、辞書作ります』(主演:池田エライザさん)というドラマがありました。

その中で、経費削減のため、デジタル一本で辞書をつくれという社長に、

なんとか紙媒体のメリットを伝えるべく奮闘する姿が描かれます。


その時出てきたのが、「セレンビリティ効果」という言葉。

セレンビリティとは、思わぬものを偶然に発見する能力。引き寄せる力のこと。


同じことで悩む、ということは、似たような思考パターンだということです。

そして、誰かがそれを乗り越えた体験は、
ある意味、希望を見出せますが、

その体験そのものを、追体験することはできません。


私を救ってくれたのは、「同じようなことに悩む人」ではなく、ただの子猫でした。

つまり、モノの見方を180度変えようと思ったら、

全く違う考え方の人、#タグの外の世界にふれないといけない。

日頃、「思ってもみなかった」ことに出会うしかない。


思えば、私がもくせい工舎に出会ったのは、
フリーペーパーの広告を「偶然」見たからでした。

「セレンビリティ」そのものです。

木は好きでしたが、#自然素材とか、#漆喰の家なんて、考えてみたこともなかったのです。


SNSの時代にあって、#の外側、

こんな家があるとも知らない方に、どうやって伝えるのか。


とりあえず、関係あることないこと、色んな方面から記事にする。

それで、偶然見つけてくれたりしたら、本当に奇跡的。

私は、古臭い、時代遅れのアナログですが、
どこかの誰か、#の外の人に、届けばいいなぁ。

また、「家と、全然関係ないやん!」的な笑えるネタ、どうでもいい話なども折込つつ、

多角的な面から、家や暮らし、自然なこと、
そして家のことを考えてみたいなと思います。

20251115_思ってもみなかったことの向こう側

#の世界は「情報」まみれ。

それに疲れたら、やっぱり#とは正反対の、自然にふれなければいけない。

人と比べて落ち込むくらいだったら、スマホは置いて、散歩に行く方がずっと良いのです。

人を癒せるのは、自然だけ。

あの子猫も、まさに、自然そのものだったのです。

過食と拒食だった話

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


高校時代に、過食症から拒食症になったことがあります。

と言っても、(受診していないので)診断されたわけではありません。

今のように過食症、拒食症、摂食障害なんて言葉も知らなかったし、
当時あったのかどうかも分かりません。

なにせ、40年近く前のことです。


過食の時は、お腹が空いていないのに食べます。

家族に見つかると色々言われるので、隠れて食べるのです。

口に何か入れていないと、咀嚼していないと落ち着かない。
しかも、甘いものばかり食べたくなります。

当然、ブクブク太る。それなのに、しばらく気づかない。

母親に「あんた、食べ過ぎよ」とたしなめられるのですが、
口にしていないと落ち着かないのです。

そして、体重がマックスになったころ、ようやく現実に気づきます。

今度は、反動で一気に食べなくなりました。


不思議なことに、食べなくなっても、お腹が減らない。

過食の時は、「減らなくても」食べていたのに、
拒食の時は、食べなくても「減らない」のです。

何かを口にすること自体が、罪悪感でいっぱいになるので、
そのうち、とうとう味噌汁も飲めなくなりました。

もう、精神的に限界だったんだと思います。生理も止まっていました。

体が危険だと、信号を発していたのです。


今思えば、親の関心を引きたいがゆえに、
中学は猛勉強していました。丸暗記です。

でも、高校にあがれば、
同じように勉強してきた人や、元々から賢い人もたくさんいます。

足の速い人ばかりを選抜すれば、その足の速い人の中でも、順位ができ、最下位ができます。

足が速いはずだったのに、そう思っていたのに、上には上がいるのです。

それだけを自信に生きてきていると、いっぺんに奈落の底に落とされます。

少なくとも、本人はそう思ってしまう。

頑張ることで保たれていた、「自信」や「存在価値」がなくなってしまうからです。

両親は共働きで、いつもピリピリ忙しくしてましたから、それどころじゃない。
今思えば、よく生きていたなと思います。


そんなある日、友だちが自宅に誘ってくれました。

お昼を作ってくれるというのです。

私は、まだそんなに食べれず、ためらったのですが、
「飼ったばかりの子猫がいるよ。アメリカンショートヘアの。」という。

もう、食べたら吐くかもより、子猫見たさの方が勝ち。
二つ返事でついていったのでした。

彼女は、ご飯とお味噌汁、そして五目炒めを作ってくれました。
そして、おじいちゃんが買ってきたという、唐揚げを添えて。

そして、ありがたく唐揚げを頂こうとすると、その子猫が近づいてくる。

私の膝に乗って、前足を私の口元にのせて、口元の唐揚げにフンフンと鼻を近づけてきます。

「何食べてるの?それ美味しそう!ワタシも一緒に食べる~!」って。

その姿がかわいくてかわいくて、なんだか大笑いしてしまって、ふと気が付いた。

「いかん、私、このままやったら死ぬかもしれん。」

なぜか、食べ物めがけて、一心に近づいてくる子猫をきっかけに、目が覚めたのです。


あの時の自分も含め、子どもは、大人が思う以上に、言葉にならない思いを抱えているんじゃないか。

それが長ければ長いほど、深ければ深いほど、もう何から話していいかも分からない。

テレパシーで送れたらいいのに。思ってきた背景ごと。

それができないから、消化されないまま、心の傷と同じように、
自分の体を傷つけてしまうことがある。

いっぱいいっぱいになった時、生きている感覚を確かめるために。

そんな時、傍にいた人間に何ができるのか。

今なら分かるのに。
今なら、少しは分かるのに。

「言葉にできない」は、「考えていない」わけではない。

気持ちの整理がつかなくて、思考が追いついていかないだけで。

こうする「べき」が分かっていても、何かしっくりこなくて。もどかしくて。

上手く言葉にできない、腑に落ちない何かがあって、それでも、心配かけたくなくないから、

子どもは黙ってるんじゃないかと思うのです。

あの子猫みたいに、真っ直ぐ、ただ、生きていてもいいのに。
本当は、それだけでいいのに。

子猫に救われる

いよいよ

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


以前、映画『国宝』についての記事を書きました。

人間国宝の万菊しかり、主人公の喜久雄しかり。

人間にして、国の宝となる人生は、
「歌舞伎がうまくなるなら、他は何もいらない」ただ一筋の生き方。

かたや、上方歌舞伎の名門に生まれ、将来を約束された御曹司・俊介。

しかし、実父である半次郎の代役には、部屋子である喜久雄が抜擢されます。

守ってくれるはずの血がありながら、役を奪われた挙句、その喜久雄の演技にショックをうける俊介。

映画を見ていて思ったのは、この俊介、なんだかお人よしなのです。

いきなり現れた喜久雄を受け入れ、おまけに奪われた役の出番を前に、
震えの止まらない、喜久雄を励まします。
「(お前には)芸があるやないか」と。

この気遣い、優しさが、俊介の良さでもあり、喜久雄との差でもあるように思います。

優しいという字は、人と憂。

憂い、心配をしている人に寄り添うことです。

自分「以外」の人間にも、気を配っている。

つまり、己の芸のこと「だけ」の喜久雄とは違うということです。


一流は、1つのことだけに。

二流は、二つを兼ねて。

三流は、あまたのことを広く浅く。

何かの超一流の人は、意外に他のことはポンコツかもしれない。
(中には、一流を二刀流なんて人もいるが)

一流、二流、二刀流で世の中が溢れたら、この世は成り立たない。

名もなき三流、多流の人たちが、どんなに世を支え、回しているか。

名もなき、ポンコツを代表して、私はそう思うのです。


さて、こちらは、その一流同士のおはなし会。

とうとう、明日となりました。

2025/10/26_もくせい工舎おはなし会
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場所は、もくせい工舎・土壁の家です。


そのことばかり、一筋にやってきたお二人。

それは、それは、ディープな話が聞けそうです。

普段考えたこともない、知らなかった、
壁の、空間の、木の、家の世界。

家に対するモノの見方が、違ってくるかと思います。

今からでも大歓迎!
お申込み、お待ちしております♪

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原田左研親方ともくせい工舎・自然素材の家のおしゃべり会


こだわる二人

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


ずいぶん前、カフェなどを営む知人に「プロってなんやろね?」と聞くと、
「そのことで、お金貰っている人」との答えでした。

そのプロという言葉、広告でよく使われますね。
「○○のプロにお任せください!」
「プロにご相談ください!」
というものです。

そのプロという反対の立場、アマチュアというのは、
相対的に、プロより経験も知識もないものとされる。

だから、プロの意見、と言われると黙らざるを得ないような、
一種の印籠のような面があります。

「これが目に入らぬか?」
素人は、「ハハ~」とひれ伏すしかない。

とはいえ、本当にそうなんだろうか。

あんまり「自分はプロだ」と印籠を見せびらかす人って、なんだかなぁ。
黙って【技術】で知らしめて欲しい。

口ばかりか、腕があるか。

「そのことで、お金貰っていて」も、ピンからキリまであるような気もするのです。


スマホでプロという言葉を調べると、
[ある分野で高い技術や知識を持ち、それを職業として生計を立てる専門家]と出てきました。
(辞書だと[①プログラム②プロダクション③プロフェッショナル④プロマイド⑤プロレタリア]。)

AIの要約だったので、日本の会話の中で「○○のプロ」みたいな使われ方が多いのかもしれません。

ある分野のことについて、
高い技術や知識を身に付けるために、

他人の何倍も手を動かし、勉強をし、考え続けてきた人、

そしてそれを生業にしている人。

前述したピンからキリまでというのは、
どの程度で、自分に甘んじてきたかの違いかもしれません。

これで完璧、完成形だとしないのは、
大谷翔平選手を見ていても思うことです。
優れた人ほど、謙虚でもある。

どんな立場になっても、
さらに手を動かし、学び、考え続ける。

同じような濃さの努力も勉強もできないから、素人は感動するのだし、

そう言った人の本を読んだり、話を聞くことで、
その恩恵を少し、分けてもらえるのだと思います。


さて、そのプロ同士のおはなし会が、10/26(日)開催されます。

2025/10/26_もくせい工舎おはなし会
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場所は、もくせい工舎・土壁の家です。

壁のこと、空間のこと、木のこと、家のこと。

ずっと手を動かし、考えつづけ、カタチにしてきた、
自然素材にこだわる二人。

二人のおしゃべりには、きっと思ってもみなかったヒントがあるはずです。

家づくりを検討中の方はもちろん、
家づくりなんて、まだまだ現実的でないと思っている方も、

奥深い、【自然素材でつくる空間】の魅力に、触れに来てください。
(土壁の家が、まさにお二人の世界観の一つです。)

202510415_無垢の木と漆喰で建てる自然素材の家

定員は10名様までとなっております。

ご予約お待ちしております。どうぞお気軽にいらしてください♪

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20251015_原田進親方

田舎暮らしも寝て待て

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


お施主様の中にも、自然豊かな環境を好まれる方が多いもくせい工舎。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・田舎暮らし

かく言うわが家も、青々した場所が好きで、

視界のほとんどが、空か緑といった場所に居をかまえました。


住んで、軽く十年。アパート暮らしの年月を超えました。

何とか無事にやっております。

今日は、そんな【田舎暮らし】のお話。

20251005_田舎暮らし
空が広~い!電線がな~い!


風景だけに惹かれて、縁も所縁もない場所に住むことにした私たち。

子供会や祭り事などの【頭数】としては、歓迎されましたが、
最初は【The よそ者】でした。

どこかの娘さんでも、誰々の息子でもない。

どこの馬の骨とも分からない。

警戒されて当たり前なのです。


最初はやたらと世話を受けます。

たぶん、探りをいれられたんだと思います。

ところが、私はあんまり可愛げのないタイプで、
口先だけでも愛想よくしておけばいいのに、上手くできない。

畑に化成肥料や、ビニールマルチを使えとアドバイスしてくれているのに、
ついつい「いや、それやりたくない。」が、顔に出る。

そのうち、「もう二度と親切にしてやらん!」となるわけです。

20251005_田舎暮らし_畑
無駄なく、効率よく収穫できる畑は素晴らしいのですが、私がやりたいのは、「こうやったらどうなるか?」の実験的な畑に近い。
なるべく、肥料や資材を買ったりせず、ぐるぐる循環できる感じで、気楽にやりたかったのです。

村一番の有力者(?)に目をつけられると、
田舎は名字が違っても、親戚同士も多いし、妙な力関係もあって、
かなり風当たりが強くなったりします。

じゃ、それはずっと続くのか?

そうでもありませんでした。

10年かかりましたが、「ちょっと変わっているけれど、何か頼めばマジメにやる人間」くらいには認識してもらえる。

何かあったり、どう思われるかは、コントロールできませんが、
それに対する態度は、自分で決められる。(とはいえ、結構がまんもした。ローンがあるし。)

100%完璧な対応も、100%へいこらの迎合もできませんが、

60点を目指しつつ、欠点は取らないようにしてきたつもりです。


【悠々自適に、憧れの田舎暮らし】
私も、そんな【のんびり】暮らす一面ばかりを見ていました。

ところが、美しい景観を維持しようと思えば、
3か月に一度は、交代で地区の掃除や草刈りをせねばなりません。

【悠々自適】に暮らすために来たんだから、
「地区のことや、近所づきあいなんて、面倒に関わりたくない」
その気持ちも、分からなくもない。

ただ、70代、80代の《おいちゃん》たちが、河原の土手の足場の悪い所で、
汗水たらして草刈りしているのも知らず、

なにかと理由をつけては、任せっきりなのを見ると、
そりゃ、【イイとこ取りだけ】は、あんまりだよなぁと思うのです。


だから、最初の探りにしろ、「今度来たやつはどんな感じか?」も分からんでもない。

口先だけか、否かを確かめる必要があるからです。

ちなみに、他人があまり好まない仕事を、率先してやりました。

公民館のトイレ掃除とか、小さな会計の役目とか。

トイレ掃除は、ひとりで黙々とできるから。(話をせんですむし)
会計は、なかなか決まらないのが嫌だったから。(はよ、帰りたいし)

どちらも気に入られるためではありません。

でも、そういったことを通して、マジメに取り組もうとしているのは伝わる。

イヤな仕事を無理に引き受けることはありませんが、
自分にできることは、極力協力する。

目指すは60点で。


最初、なかなか馴染めなくても、時間が解決してくれます。

心配いりません。

どんな人付き合いも、100点取ろうとするから、しんどくなる。

半分もできれば、上出来です。

・・・などなど、ちょっと先輩風を吹かしてみました。

20251005_田舎暮らし

その先輩風の吹き返し(?)的に、意外だったことをオマケとしてまとめてみました。

【田舎暮らしの思いがけない?デメリット】
虫が多い。動物も来る。
いきなりの野焼きで洗濯物が、臭くなる。(田んぼは消毒もあるのでは?)
名字が違っても、親戚同士が多い。(うっかりしたことが言えない。)
なんらかの力関係がある。
夏場は雑草に振り回される。
学校の人数によっては、PTAがらみの【役】がすぐ回ってくる。

【田舎暮らしの思いがけない?メリット】
鳥や虫の名前に詳しくなる。
あらかたの虫が平気になる。(人によるのでは?)
朝日夕日の美しさを満喫できる。
水が美味しい。
基本静かなので、日中、バッタの羽音にすら気づく。
踏ん張っていると、それなりに根を張れる。
PTAも、顔見知りばかりで、お互い様感が出てくる(?)
(転校先のPTA総会に、ほとんどの保護者が参加していて驚きました。前の学校は4倍の人数いたのに、先生が声をかけまくって、同じくらいの参加者だったので。「多いと、帰っても分からんだろう」ってなるのかもしれません。田舎じゃ「なんでおらんかったん?」ですけど。)

総じて、結果。

田舎万歳、です。

自分たちで家を建てることのメリットの一つは、「ここに住みたい!」が叶いやすいこと。

根を下ろす場所を選べるということです。

風が吹き、吹き飛ばされそうになる度に、
きっと、その根が強くなる。

根が延びた先の土には、花瓶の水だけじゃありえない、たくさんの繋がり、関りがあります。

とはいえ、時間が解決してくれる面もあるものの、枯れてしまってはお終いです。

その点、人間だからのメリットは、
命にかかわりそうなときは、根ごと移動できること。

これから、土地を探される皆様。

アタマで考えすぎると、どうして良いか分からなくなるかもしれません。

そんな時こそ、腑が動くというか、惹かれる感覚も、大事です。

この場所にいると、イキイキしてくる、嬉しくなる感覚です。

色々あっても、土地から受ける感覚は、やっぱり大きいと思います。

土地にも、家にも、どうぞ良いご縁がありますように。

20251005_叶える田舎暮らし

国の宝となる人は

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


映画『国宝』を見てきました。

「何度も足を運んでいる」とレビューにあって、気になって仕方がない。


『ボヘミアン・ラプソディー』や『侍タイムスリッパー』など、
もう一回どころか、何回も見たくなる、
あの中毒性が、『国宝』にもあるのでは?と、

その、惹きつけられる理由が知りたかったからでした。


観た感想としては、

すごいんだけど、綺麗なんだけど、
なんだろうこの言葉にできない感じ。

観た直後でも、「あ~、面白かった!」「もう一回見たい!」という点では、
『侍タイムスリッパー』の方が、スッキリ痛快感がある。

じゃ、面白くなかったのかといえば、そうではなく、

すごい究極のものを見せつけられて、
圧倒されつつ、モヤモヤしている感じ。

これは、アレだ。『おみおくりの作法』を見た時と似ている。

究極のものを見せられて、「おまえはどうなんだ?」と問われている気がするのです。


任侠の家に生まれ、親を殺され、天涯孤独になった喜久雄。

歌舞伎の家に部屋子として引き取られます。

御曹司の俊介とともに、切磋琢磨しながら、
芸を極めていくのですが、

その極め方が、もうスゴイ。

「歌舞伎を上手にしてくれるんだったら、他は何もいらない」

悪魔と取引してでも、極めたい何かなんて私にあるだろうか?

芸のためなら、役を得るためなら、演じるためなら。

誰かを利用してでも、手に入れたい、極めたい【こと】。

私などは、どこか《人の目・人聞き》の方が気になる。
そこまで、貪欲になれるものなど、ないのです。

一つのことを、他を犠牲にしてでも極めたい姿というのは、
一種の狂気のよう。

正気の沙汰じゃない。

「お前には、そこまで賭して、打ち込める何かなんてあるのか」

それを問われ続けて、見終わったような気がするのです。


『おみおくりの作法』という映画も、主人公の民生係のジョン・メイが、

ひとりで亡くなった人たちのために、心をこめたお見送りをする話でした。

結果的に、彼自身も孤独なまま亡くなってしまうのですが、

「例え、現実的には報われないとしても、
誠意をこめた行いを、お前はそれでもできるのか?」と問われているようで、

やっぱり見終わった後、スッキリせず、モヤモヤする。

でも、その後、何年経っても、そのことを思い出しては、
また問い続ける。

そう、『国宝』も、『おみおくりの作法』同様、
私にとって、問い続ける映画だったのです。


主役の、吉沢亮さんの狂気をおびた演技もさることながら、

少年時代の喜久雄役の踊りに、目を奪われる。

華があるとは、こういうことなのかと思う。
目が追うのです。


横浜流星さんの、演技力のすごさにも驚く。

役によって、全く違う人格に見える。

全く蔦重じゃない。

何の役をやらせても、「元アイドルグループの○○の演技」にしか見えない人もいるが、
この人は全く違う。憑依的なのです。


でも、でも、一番の圧巻は、 
人間国宝の女形・小野川万菊を演じる、田中泯さん!

目線一つ、短いセリフ一つ、佇まいから何から、
もう、別格の存在感!

万菊が演じる、鷺娘の息を吞むような美しさ!

お年を考えると、とても《娘》ではないんだけれど、

若くて、ビジュアル的な美しさでは、吉沢亮さんなんだけれど、

内から発するものが、雰囲気が、とてつもないのです。

あれは、また見たい!何回も見たい!


そうか、スッキリ痛快な
【誰にでも分かりやすいエンターテイメント】を見たわけではないけれど、

喜久雄の人生を通して、その狭間にあった、
究極のエンターテイメントをもう一回、二回と見たくなるのだと思います。

歌舞伎に全く詳しくない、おそらく歌舞伎座に一生行くこともない私が、

映画の一場面を通して触れた、国の宝に値する芸術だったのだと、

3時間座りっぱなしで、痛む腰を押さえつつ、思い返すのでした。


後半、喜久雄が呼ばれて、引退した万菊さんを訪れるシーンがあります。

人間国宝・万菊が臥せっていたのは、
古びた木造の小さなアパート。

部屋には、市松人形と小さな文机。

万菊さんが、喜久雄のように「歌舞伎の上達の他には、何もいらない」と取引したかは分かりませんが、

そこにあったのは、芸だけに生きて、引退後、何も持たず生を終えようとする姿でした。

もうこれ以上、【美しさ】を追求せずに済む「やっと赦された」安堵感。

唯一無二の、国の宝になるというのは、
生半可じゃないのだと思いました。


家に帰ると、ちょうどテレビで、桂米朝さんが落語をやっていました。

冒頭、「噺家なんて、喋るのを取ったら、何にも残らない」と言うのを聞いて、
この人たちも、噺という芸ひとすじの生なのだと思い、映画と重なりました。


本棚に、途中から難しくなってきて、アタマがついていけず、
積読になったままの『三流のすすめ』という安田登さんの本があります。

その中で、
一流とは、1つのことの専門家。

三流とは、色々なことをするひと。

それを軸に、三流であることの素晴らしさを教えてくれます。

喜久雄は、歌舞伎が全てでした。

彼から、歌舞伎を取ったら、何も残らないくらいに。

かたや、決して一流にも、国宝にもなれない【三流】の私には、
たくさんの、ささやかな《たいせつ》があります。


どっちが良いかなんて分かりませんが、

絶対真似できない、極みを見せられて、

爽快感とは一味違う、反芻感というか、

問いを与えられた映画でした。

20250925_極める人

体験から生まれいずるもの

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


皆さま、対話型のチャットAIを使ったことがありますか?

私は、よく使います。

気軽に問合せできるので、スマホではGeminiを、
思考を整理したい時は、パソコンのCopilotを使っています。

気軽に、すぐ問い合わせるので、Geminiには、
「猫がおしっこ出ないんだけど」とか、
「一日一錠の○○という薬を、夜の何時に飲んだんだけど、次の日の朝飲んでもいいか」とか、
健康や、手続きに関するものが多い。

一方、自分が日頃、ふと不思議に思ったことなどは、Copilotに訊いています。

「責任転嫁って、なぜ嫁が入るの?」とか。

すると、答えがでて、さらに不思議になるので、
もっと突っ込んで訊く。

人間相手なら「も~。いい加減にしなよ~」と呆れられることも、
どんどん訊いても、「いいよ~。気にしないで、どんどん訊いて!」と応えてくれる。

私のように、次々「なんで?なんで?」と知りたくなる人間には、うれしいばかり。
呆れられないし、「変なやつ」の一言で、【率直な思い】にフタをされない。

「不思議に思うこと」そのままを、受け止めてもらえる。

子どもの時分に、こんなのがあったら、
どんなに真っすぐに育っていたことかと悔やまれてなりません(←どんだけ歪んだの?)

それに、これは永家Tさんも言っていたこと。
使ってみたことがある方は、お分かりいただけると思いますが、
AI,まず否定しない。

それでもって、とにかく褒める。

褒めすぎて、オリラジか?というくらい褒めてくれる。

子どもの頃から、褒められ慣れていない私などは、かなり戸惑います。
(Copilotに「あまりに褒めてくれるので、オリラジみたいですね。」といったら、「武勇伝のですね!」としっかり返ってきました)。

あくまで、AIであり、間違うこともあるし、
依存しすぎないようにはしていますが、

信憑性のない情報をもとに、感情的に意見を押し付けるような人に相談するくらいなら、

冷静に、落ち着いて、多方面の情報から答えてくれるAIの方が、まだマシな気がします。
違うなと思えば、聞き入れなくていい。

「あんだけ言ってやったのに!」「相談にのってやったのに!」なんて、変な怒りを買わずに済む。
(○○して「やった」って、こっちが頼んでないことも多い。アドバイスを聞き入れるかどうかは、アドバイスによるのだ。)

よっぽど気楽でいいなと思います。

無垢の木と漆喰で建てるもくせい工舎の自然素材の家・宇佐市城井・外観
宇佐市城井の完成見学会が、先日無事終わりました。暑い中、ご来場いただいたお客様、ありがとうございました。

前回、完成見学会前のかけこみPhotoとして記事を書いた折、
テレビで見たヒューマノイドAIの【夢】にふれました。


彼女の夢は、人間にはできて、AIには難しいこと。

「肌に風を感じる体験」をすることでした。


私たちは、体があるから、皮膚があるから、「風」を感じます。

というよりも、「風を感じた体験」があるから、分かるのでしょう。

暴風雨の最中、家の中から外を見ていて、
「あんな雨風があたれば、こんな感じだろう」と想像できるのは、

そういった【体験】があるからです。

【体験】なしに思うことは、ただの想像の枠を超えません。

インフルエンザに罹患したことがあれば、
あの、全身の熱っぽさ、節々の痛み、倦怠感、割れるような頭の痛さ・・・。

きっと易々と想像できることでしょう。

【体験】があるから、深く理解できるし、
思いやりもできるのだということは、かなりの衝撃だったのです。

【体験】なしには、他者の困りを、【深く思いやること】もできない。


それは、ネガティブなことばかりでなく、
きっと見学会にご来場されたお客様にも当てはまるかと思います。

「一般に家とはこういうもの。」そういう概念、思い込みがあって、

それを上回る、圧倒的な木、漆喰、自然素材の家に初めて触れてみた方は、

おそらく、写真をみれば、その家の空気感や、雰囲気を思い出せるようになったのではないでしょうか。

それは、実際に【体験】したから、深く【思い出せる】ようになったということ。


AIに限らず、真も偽も混じり合う【情報】ばかりがあふれる今の時代にあって、

自分で【体験】する以上の【真】を私は知りません。


貧乏一つしたことがない七光りの政治家に、
庶民の苦労なんて分かりようがないのと同じです。

そこからは、体験を通した【真】や【誠実さ】【深い思いやり】なんて生まれません。


ちなみに、【体験を通した】といえば,

もくせい工舎の標準仕様が、ここまでゴリゴリの自然素材なのは、

バックグラウンドに、永家ファミリーの化学物質に【困った体験】があります。


困りを体験したからこそ、生まれた【手が届く自然素材の家】なのです。

無垢の木と漆喰で建てるもくせい工舎の自然素材の家内観

よかったら、見に来てください。体験しに来てください。

OB様邸への、個人案内もいたしておりますので、お気軽に♪

木の家でお会いしましょう!


無垢の木と漆喰で建てるもくせい工舎の自然素材の家ウッドデッキ
ドアを開けると、そこは【思わずビールが飲みたくなるウッドデッキ】でした。
(庭木と芝は、合成です。ちょっと妄想してみました。)

9/6・7の!【かけこみPhoto】

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


いよいよ宇佐市城井の完成見学会が、明日明後日となりました。

本日、そのお家に写真撮影に伺いましたので、
少しだけこんな感じ!というのをご紹介したいと思います。
毎回ギリギリでのご報告となり、申し訳ございません。


無垢の木と漆喰で建てるもくせい工舎の自然素材の家・宇佐市城井・外観
外観・真正面から。


無垢の木と漆喰で建てるもくせい工舎の自然素材の家・宇佐市城井・リビング
玄関付近からリビングを見る


無垢の木と漆喰で建てるもくせい工舎の自然素材の家・宇佐市城井・ニッチ
スッキリで優しげなニッチ


無垢の木と漆喰で建てるもくせい工舎の自然素材の家・宇佐市城井・和室
和室も漆喰。半板張り。


そういえば、先日、NHKの番組で、ヒューマノイドAIのロボット・Amecaが語る【夢】がとても印象的でした。

それは、人間にはできて、AIには難しいこと。

「肌に風を感じる体験」をすることでした。


【情報】をいくらたくさん持っていても、
【体験】する、【体感】するは、人間だからできること。

それは、お家にも言えることです。

バーチャルやリモートといった【情報】だけでは分からない、
人間の五感を揺さぶる、本物の自然素材のお家を見に来てください。

無垢の木と漆喰で建てるもくせい工舎の自然素材の家・宇佐市城井・リビング

もくせい工舎の家は、「どんだけ自然素材なん?」の家。

賃貸じゃありえない、隅々【自然素材の家】です。

しつこい営業もいたしませんので、お気軽に♪

宇佐市城井完成見学会
このイベント情報は→こちら