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2018年12月04日

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


縁あって、今、障がいのある子どもたちの

アート活動のお手伝いもやっています。



活動時の見守りも、なのですが

私の拙いお世話ぶりはともかく

基本は、できあがった子どもたちの作品を

ポストカードやなんかにするときの

illustrator(画像処理ソフト)要員、でもあります。



デザイン業は、よほどの才能でもない限りは

目立たない地味な、時間ばかりかかる割に

儲けも生産性もないような仕事でもあります。

そのうち、売れるデザインのパターンを読み取ったAIに

とって代わられることも十分あるような仕事です。

だって、どんなに時間をかけてようが

心をつくしてようが

だから良い!なんて代物ではないからです。



「がんばって作りました」「心をこめてつくりました」

・・・なんて、うっとおしいだけ。

それが加点されるなんて

小中学生までの話です。



最近、そういった子どもたちの

「何者にもとらわれない」「誰がなんといおうが」といった

エネルギーの爆発のような【アート】(←この言葉はあまり好きではないのですが)を見ていて

つくづくアートとデザインは違うんだもんな~と実感します。



アートは、「自由」であり、「個人の表現」であり

「エネルギーの爆発」であり

そこに、他者のうんぬんは基本的に介入されません。

一方、デザインはやはり、「つたわること」「つかえること」といった

役目のある美術です。



また、それが売り物になる以上は

どこか商売臭い雰囲気が否めませんし、

クライアントの意向を完全無視もできません。



私は今、もくせい工舎のお手伝いしかしていませんが

普通の広告会社に勤務なら

そのクライアントの売る製品を

気に入るとか気にらないとかで

仕事を選ぶわけにはいかないと思います。



例えば、化粧品の広告を書くとして

それが本当にお肌がきれいになるのか分からなくても

「仕事」として遂行せねばなりません。



「意向」に沿い、最善のものを探り

OKをもらって、それはようやく表舞台に出ていくのですが

デザインをした「私」の

純粋な意味での【作品】とは

言いにくいところもあります。



反対をいえば、個人の完全なる「作品」でないから

「ちょっと!広告には良さそうなコト書いてあったのに

全然違うやん‼」

と言われるのは、広告にOKを出したクライアントであり

過大広告にならないよう配慮したり

品質やトラブル時の対応を考え直さねばならないのは

クライアントであるメーカー側です。

広告を書いたデザイナーが

その商品の品質や、対応の悪さまで責任を負う必要は全くないのです。

流石に、お門違いの話。メーカーの本質、品位、人間性の話です。



とはいえ、作り手である以上は

作り手の本能のようなものがある。

それが、自分の【作品】といえなくても

作る以上は、最善を尽くしたい思いがある。

それは、

有償でも、アート活動のような無償(ボランティア)でも

名前がでようが、でまいが

関係なく。

作り手、っていうのは

どんな小さいことにも、

手を抜く、っていうのはやっぱり違うし、

できないんだと思います。



ありのままを赦してもらえる【アート】と、

【アート】のようでありたいと思いながら

それがかなうとは限らない【デザイン】。



失恋や片思いばっかり。

でも、つくる。

だって、本能だから!

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2018年11月21日

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

家を建てて6年目。

オッソロしいことに気が付きました!

11月ごろになると主人が年末調整関連の書類などを

会社から持ち帰って何やら書いている

・・・のですが、

つい最近、ようやく気が付いた!


2年目以降、住宅ローン控除出し忘れとる~~~~~!!!!!Σ(;゚Д゚ノ)ノ!



数年前から「住宅控除の(ローン残高証明書)、いらんの?」と聞くも

「う~ん?」

私もおかしいな~とは思いつつ、

一年目出せば、自動的に会社がやってくれんのかしら??

毎年、ローンの借入先から送ってきてるけど、ウチは要らんのかしら?

・・・くらいにしか思っておらず、

そんな無知と年末のバタバタが加わって

そのまま。

・・・6年目。



まっずいです!



「住宅ローン減税の還付金がありますが、手続きお忘れではないですか?」

・・・なんて、還付金詐欺じゃあるまいし

わざわざ誰もお知らせなんてくれません。



あせった主人が会社で問合せてくれて

「A4くらいの、毎年ごとの紙があるらしいよ?」

「・・・そんなん、あったけ???」



そんな調子。

探してみると、ちゃんとあった!

税務署からの茶封筒に。

その表には、ちゃんと

「【重要書類在中】この書類は適用となる期間中、
毎年必要ですから、
大切に保管しておいてください。」



~~~~~~~~~~~~!(T_T)


こんなカラーボックスの、

しかも終い込んだファイルの中から

遠慮がちに、そっと重要をアピールされても困る~‼

大声で(?)言ってくれよ~(T_T)


昨日のことも、人の名前も思い出せないレベルの私に

こんな終い込んだ書類のことなんて

思い出すのは、もう神業です。

とはいえ、気づいたのも

神業か?



とりあえず、遡って5年はなんとかなりそうなのです。



私みたいなうっかりさん、いないかとも思いますが

詳しく書かれたサイトがありましたので

念のためご紹介→『住宅ローン控除(減税)の申請忘れは5年間請求可能』



工務店の手伝いしてて、うっかりにもほどがありますが

へこんだり、泣いててもしかたないので

ちょっと、どうにかせねば!・・・です‼



・・・その前に、まだ見つかってない

2年目の残高証明書の発掘?が先です。



なにやってんだか、まったく!

トホホ~・・・・・(T_T)


(つづく?)

2018年11月12日

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

生きていると、色々な出会いがあります。


ネアカとかネクラとか言いますが

一見大騒ぎしして、さも面白おかしく語っているように見えて

よくよく聞いてみると誰かの悪口だったり。

反対に、落ち着いてボソボソっと話しているように見えて

その世界観の広さに圧倒されたり。



一見明るくても、一緒にいるとエネルギーを奪われるというか

エネルギーの消費が激しくなるような

疲れ方をする人もいれば

派手さはないのに

手のひらが暖かくなるような

「よし。明日もボチボチいきますか!」という

背中を押すような、支えるような人もいる。



同じような話をするにも、

そのことが「役に立つ」とか「スキルアップ」とかで

身に着けた話は、そんなに面白くないような気もします。



何の役にたつんだか、さっぱり分からないんだけれど

本人が面白くて面白くて、とにかく楽しくって仕方ない話は

聞いてても、こちらまで楽しくなる。

「なんだそりゃ~?」なんて大笑いして聞いてしまう。

自分にまったく興味のなかった世界や

知らなかった世界を

他人の「楽しい!」という目線を通して

ちょっと垣間見ることができる。

実際に、そこに踏み入れるわけではないけれど

世界の広がりを感じる。

不思議です。



他人の「楽しい!」に

「そんなヒマあっていいね」とか

「変わってるね」と揶揄する人もいるけれど

何にも興味のない人や、

通り一遍の人の話を聞いても、

世界の広がりを感じることは少ない。

「どうせ・・・やけ、仕方ない」や

「こうするべき」「ああするべき」でくくられた世界は

身動きできず、息苦しくもあります。



先日、すごく多忙にされている方とお話してて、

お忙しいにもかかわらず、たくさんの本を読んでおられたことに

びっくりしました。

普通に話しているだけなのに、でるわでるわ。

本に限らず、色々な「面白い」の入り口を持っている。

またそれが、ご本人が「面白い!」と思ったことなので

聞いてても、実際に勧められた本を読んでみても「面白い!」



誰かの仕入れた「役に立つ」や「スキルアップ」の話は

聞いててうんざりすることもありますが

「面白い!」の話は、こちらにも元気がもらえます。



あと、くだらない話ができる相手も、大事ですよ。きっと。



誰かを悪く言うわけでも、下げるわけでもなく

ただただ、バカバカしくて

「くだらんわ~!」と言いながら、

笑い泣きまでして、

あまりに下んなくて、

あとで何であんなに笑ったんだか思い出せないような、

・・・そんなバカバカしい話がしたい時もあるし、

また、そういうことができる知人や家族は

貴重だと思うのです。

くだらないことで、大笑いできるって

幸せなことです。

余談ですが、今、毎週日曜日の『今日から俺は‼!』が

そういう意味での楽しみになってます。

バカバカしくて、くだらなくて

でも、笑ったらスッキリします。
(見てる人、いるかな~)


何の役に立つでなし。

でも、楽しみ。


Q太郎(セキセイインコ・♀)のモフモフの姿を見るのも

ハチ(元野良猫・♀)のずっしり重い体を抱っこするのも

ジャイアントコーンを食べるのも。

子どもたちや友人と、どうでも良い話で大笑いすることも。


何の便利にもならない。

役に立たない。

でも、「楽しみ」。

「楽しみ」があるから、私は明日も生きてます。

2018年10月30日

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

「ハチ(ハチ割れの元野良猫・♀)が、スズメ捕ってきた」

畑仕事をしてると、ダンナが差し出します。

「・・・これ、スズメじゃないよ?」



見ると、ずっと小さいし、模様だって違う。

「とりあえず、生きとるみたい」



知っている鳥より、知らない鳥の方が圧倒的に多い私。

・・・調べると


ぐったりしたセンダイムシクイ

センダイムシクイ、・・・かな?


スズメより小さくて、なかなかお目にかかれない鳥らしい。

そのお目にかかれないものを

よく捕ってきたね~、ハチ。(褒めてるんじゃないよ?)


彼女は、揚げたての春巻きも捕ってきたことがある。

おいしそうな煮魚も。

あと、わが子が言うには焼く前のシシャモも。


いったいどこでもらってきてるのか。


怖いので、深く考えないようにしたい。


ところで、(仮)センダイムシクイちゃん。

Q太郎(セキセイインコ・♀)の半分くらいの大きさ。重さだって1/3ほどしかなさそう。

小さな、小さな鳥です。

毎度のこと、困ったな~。


保護猫ハチが原因で野鳥保護は2度目なのです。

ミイラ取りがミイラに。



残念ながら亡くなっているときは処理も問題ないのですが

なんとか生きてる!って時が

生きててよかった半面、お世話に困るのです。



一度目は、びっくり!ドバト。

デーデー、ポッポーの土鳩です。

おいおいハチさん、獲物にしては大きすぎやしませんか?



命からがら、我が家の物置下に逃げ込んで

それでも追おうとするハチを家に入れ、

物置下をのぞくハチ
猫がたまに必死なのは、なんだかちょっと可笑しい。



 
翌朝。


・・・生きてた。

いや、生きててもいんだけど、どうしよか?



調べたら、実は、鳩というのは鳥獣保護の対象外。

カラス、シカ、イノシシのように農林業に害をなすので

ケガをしてても、鳥獣保護の対象にならないのです。

例え、保護対象内の動物でも、

車や人が原因でのケガとかじゃないとダメで

自然のなりゆき、では対象外となります。

大きな鳥に襲われたとか、猫にやられたも。


そう、運よく生きてはいるけれど、治療してもらえない。



結局、ロクな手当もできないまま

土鳩もセンダイムシクイちゃんも自然に返しました。



少し元気になったセンダイムシクイ
ぐったりしていた数時間後、割としゃっきり起きていたセンダイムシクイちゃん。
100均のおちょこサイズ。ちっちゃい。
箱をのぞき込むと、逃げようと飛び跳ねる。意外に元気。
強いな~、野生って。



鳩を近くの山道に放したとき、

てっきりハト本人は「食われる~!」と思っていたらしい。


慌てふためいて、逃げようとして、

追ってこなかったので、「?????」

こちらを二度見していたのが、面白かった。

「・・・あれ?食べないの?」。

「食べれるらしいけど、食べんよ~。フランス人じゃないし。」
(フランス人だって食べてるのは食用で、ドバトじゃない。)


それこそ豆鉄砲食らった顔で、山の緑の中でポカンとしてました。



その後どうなったかは、分かりません。

死んじゃったかもしれないし、元気になって飛んでったかもしれないし。



その時のタイミングで、

その時の気持ちで、

その時の知識と力で。


私たちには、「今できるだけ」のことしか、できない。

できるだけ。

できるだけ、やった。


後は、もう信じるしかない。


ただ、信じるしかない。

2018年10月21日

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

「あいつは、畳の上で死ねないぞ」

・・・なんて言葉があります。



とはいえ、昨今、

「実は、私の家、畳ない」

なんてお家も多くなってきているように思います。



ほとんどフローリングで、コーナー的に

畳スペースがあるとか。

古い昔のお家のように、家のほとんど部屋が畳!

ということも、少なくなってきました。


陽だまりに、畳とおばあちゃんと猫。

なんとも絵になりますが

そのおばあちゃんにとって、畳での

立ったり座ったりが大変なので、

フローリングに、椅子。のスタイルが多くなっています。



そういえば、以前読んだ、村瀬孝生さんの『ぼけてもいいよ』の本の中に

日本家屋のことが載っていて、意外だったのを思い出します。



日本の民家はいいなと思うことがある。
正座をしても寝っ転がっても差支えがない。
・・・(略)・・・
日本の住まいは腰から下の空間がとても豊かだと思える。
座面からしつらえが始まり空間が広がっていく。
しかし近年の日本の住まいはその豊かさを失いつつある。
欧米の住まいと同じようにダイニングテーブルの高さからしつらえが始まり腰から下の空間は忘れ去られている。
椅子に腰かけて生活することが前提なのだ。
僕が勤めていた老人ホームも同様だった。腰かけている高さから見おろすと床で座り込んだり、寝転がっているお年寄りたちが非人間的に見えた。まして床を這うことなど許されない。そこは靴を履いて歩くところなのだ。
二本足で立ち、歩くことが人間としての証だが、年をとればそれもままならぬ。トメさんのように人の助けは借りぬと決め込めば床をはうこともある。でもそれは自分らしく生きるための選択なのだ。その選択を許すのが従来の日本家屋であるように思う。

村瀬孝生 著『「第2宅老所 よりあい」から  ぼけてもいいよ』より抜粋



立ったり座ったりが楽だったり

介護の現場では車いすもあるので、

フローリングや塩ビのシートは最適ではあるでしょうが、

使い勝手とは別の面で、私などが、思いもしなかった

日本家屋(畳)の良さでした。



歩くのが困難になり、それでも「自分で動きたくて」

這うようにしたり、寝転がったり。

フローリングは、それを「異」なものに見せてしまう。



畳なら、それを「異」に見せない懐の大きさがある。



なるほど。

立ったり、座ったりの機能的な事情もありますが

そういった意味でも

畳、やっぱり悪くないなと思います。



もくせい工舎でも、和紙畳が増えてます。

その一方で

色あせや毛羽立ちがあったにしても、

あのイ草の香りは捨てがたいですものね!畳は!



死に場所や、死に方はともかく、

「生まれれば」、「死んでいく」。

浄、不浄ではなく

息をするのと同じくらい、「自然」で

当たり前なこと。

だから、死っていう言葉を、忌み嫌わないでどんどん書きます。



調べれば、「畳の上で死ぬ」・・・というのは

(出先の)事故や変死ではなく

【当たり前】に(家で)死ぬこと。



その反対は、・・・「野垂れ死ぬ」?



「野」や「野原」は好きなので、

ぽかぽか良いお天気で、そよそよ風に吹かれて

タンポポの咲いてる「野」で死ぬのも、悪くないかな?

なんてのん気に思ってしまう。

そしたら「野垂れ」は当て字で

「倒れて、這うようにして、死ぬ」ことみたい。

・・・それは、あまり穏やかではないですよね。



そう、きっと私たちは

「穏やかでない」死を、できれば避けたいのだ。



そういった意味では、この命が終わる場所が

畳の上だろうが、病院だろうが、

本当に野であろうが、

「穏やかに」死ねたら、万々歳なのかな?



「穏やかに」・・・心も、体も。



色々心配しながら、苦悩しながら亡くなるよりは、

嫌なことや、今までのつらいことを忘れるように

心穏やかに死ぬのなら、

物忘れといった「老化」も穏やかな死を迎えるための

麻酔のように思えてしまいます。

とはいえ、忘れてしまうことは

【失う痛み】でもあるのでしょうが。



穏やかに、死にたい。



人がうらやむ名声や、富や、人に囲まれても、

その最期が、心身「穏やかでない」のはやっぱり辛そうです。



「色々あったけど、なかなか面白かったよ~」って言って死ねるなら、

そこが、畳だろうが、病院だろうが、野であろうが、構わない。



大勢に囲まれてようが、独りであろうが、

「穏やか」であれば、構わない。


少なくとも、私はそう思います。



畳の上で、猫とごろごろ寝転んで

「日差しが春っぽくなってきたな~」と思いながら

独り、眠るように往生なんて、なかなか悪くない。



「死ぬ」「死ぬ」連発でしたが、

畳は、やっぱり良いもんだなぁ・・・っていう、お話。

2018年10月10日

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


青春ではなく、「中年」真っ只中の身で

(かなり)遅ればせながら、骨髄バンクに登録しました。

骨髄バンク


54歳になったら登録抹消される!とのことですので

もう賞味期限ぎりぎりというか、

下手したらスーパーで20%offのシールが貼られるレベル。


「こんなオバちゃんの骨髄で大丈夫⁉」という気もしますが、

ぎりぎりでも、せんよかマシ!と、動いた次第です。


エッヘン!どうだ?エライでしょ~~~。

・・・って話ではなく、たまたま色々諸条件が重なったから。



この年齢になって、子どもたちに手がかからなくなってきたこと。

相変わらずカタギ?の何時から何時まで出勤!の仕事をしないままだったこと。

つまり、適合する患者さんが見つかっても

「割と身軽に入院できるから~!」が、理由の一つ。



もう一つの理由は、知人が若くしてガンで亡くなったからでした。



とても気丈な仕事人でもあり、母親でもあった彼女。

どんなことにも全力だったので、

思い残すことは少なかったのではないかと思いますが

お葬式で、その子どもたちを見た時に

さすがにわが子のことは気がかりであったのかな、と。

もっとそばにいて、その巣立ちまで、

泣いたり笑ったりしていたかったかな、と思ったのです。



私は、お医者さんでも、看護師さんでもないので

ガンを治すことは到底できないんですが、

でも、・・・骨髄バンクは、できますよね。

血液のガン、白血病は治せる(私が治すわけじゃないけど)。

うまく適合すれば、うまく順調に回復すれば、

誰かのお母さんだったり、を救えるのかもしれない。



「救う」なんてエラそうだけれど

とりあえず、登録することで

私は54歳までは、この体を「健康」にする【役目】ができました。



もし適合して、誰かが助かったとなれば

「とりあえず、お役に立てたかも!」と思えます。

こんな歳になって、ようやく

誰かの役に立てたという「はっきりとした」実感がわくのかもしれません。



つまり、半分は自分のためでもある。

生まれた意味とか、よく分からないですが

こんな私でも、生きてきて良かった!と思えるかもしれない。

そんな下心もあると思います。

だから、エライとかじゃないかも。



そして、献血や骨髄バンクをはじめ

様々なボランティアに関して

エライ、エラくないを言ってたらどうしようもない気もします。



東日本大震災、九州北部豪雨、熊本、大阪、北海道の地震、

西日本豪雨、台風被害・・・。


今、一体どこが「被災地じゃない」のか分からないくらい。

各地で色々なことが起こっています。

そこに、自分の時間を削ってボランティアとして参加している人たちがいる。



「どうしても半日しか手伝えないけど」と参加した人と、

もう一週間参加している人と、

そこにエライとかエラくないの上下はない。



なんとか一週間、時間を削れそうだから「できるだけ」。

半日でも、何か力になれるなら「できるだけ」。

その【気持ち】とそれぞれの【状況】があるだけで、

時間の長さでエライ、エラくないなんて言ってたら

誰も参加しなくなっちゃう。

どれだけやったか、なんてことで貴賤をつける必要はない。

それは、ボランティアする、または参加しない(できない)も

含めてのことです。

貴賤はない。

それぞれが色々な物を背負っている中で、

【気持ち】や【タイミング】【状況】の中で、

できるだけのことしか、できないってだけ。

エライとか、エラくないとか

ジャッジする必要まったくない。



反対に言えば、「今はできない」ことで後ろめたく思う必要もない。

【状況】が合わないってだけです。

だから、後ろめたさを誤魔化すために

「時間がある人はできるんやろ?私、忙しいけん、そんなヒマない」

なんて言い方だけはしないでほしい。



ヒマな人なんていない。

大変なのは、自分だけじゃない。

自分が思う以上に、他人だって大変だ。


「命は、あなたが生きて使える時間のこと」


こう言ったのは、医師の故・日野原重明さんでした。


【状況】を整えて、ボランティアに参加している人たちは

生きて使えるはずだった時間を、誰かのために使っている。

生きて使えるはずだった時間=「命」を誰かのために使っている。


一方で、時間や【状況】があっても

【気持ち】のタイミングが合わなければ、

なんらかの行動に、「今は移せない」ってだけです。

引け目を負うことはない。



人それぞれ【気持ち】と【状況】が違う。

エライとか、エラくないなんて

ジャッジなんて判定、いらないはず。

誰かを「エライ」とすれば、必然的に反対側は「エラくない」になっちゃう。

だから、わざわざ判定いらないと思っています。


・・・それはともかく、適合するといいなぁ。

せっかくなら。

2018年09月27日

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

今週末、完成見学会が行われる豊後高田市のお家に

撮影にお邪魔しました。



いやはや、本当に良いお天気で、

これでもかと青い空!白い雲!稲穂の緑!

気持ち良い撮影日和!


大分の自然素材の家。完成見学会・遠景


・・・だったのですが、見学会のある今週末は、

・・・どうも雨っぽいですね~。

台風来てますし。



とにもかくにも、影響のあまりないことを祈るばかりです!

晴れたら、こんな風景・・・って感じで先にご紹介しますね。



大分の自然素材の家。完成見学会・外観

今回のお家は、田園の中の高台にあります。

通りから、部屋の中が丸見え!っていう心配がないのも魅力ですが

なんといっても、こちらの現場は景観!

大分の自然素材の家。完成見学会・窓からの景色

お家の南は、遮るもののない緑の丘が続きます。

リビングの景色がこんなに美しいなんて、

うらやましい限りですね。



大分の自然素材の家。完成見学会・建具

大久保建具さんの、美しい手仕事も光ってます。
(あ、もちろん見える見えないに関わらず
すべての職人さんたちの技も!)



今回のお家は、内装の比較がしやすいかもしれません。


リビングも漆喰と板張りの雰囲気が両方分かりやすい感じになっています。


大分の自然素材の家。完成見学会・リビング
↑リビングは日田土の漆喰です。


大分の自然素材の家。完成見学会・部屋
↑すぐそばに、甘木土のお部屋。


大分の自然素材の家。完成見学会・わら入り漆喰
↑例の美しい建具を開けると、わらの入った漆喰。


漆喰と一口にいっても

土や混ぜるものでこんなに違うのかが

・・・あまり移動せずにご覧いただけます。



もくせい工舎の完成見学会では

まず、その圧倒的な木の香りに驚かれることと思います。



新築ならではの、薬品臭さではなく(お風呂は、ちょっとします)

切ったばかりの木材を思わせるような

清涼感あふれる、木の良い匂いです。



実は、このブログを書きながら、

私の髪から、その木の香りがします。



撮影のお土産の、残り香です。



私は、石鹸シャンプー派(無香)で、かつ鼻が利くので

気が付くのかも?ですが。

完成見学にいらっしゃった方にも、残り香のお土産

・・・あるかな~?

あると良いですね。木が好きな方なら喜んでいただけると思います。



もくせい工舎のお家が気に入るかは、

一番はそれだと思います。

「木が好き」

ただそれだけのことですが

木が好きな人にとっては

あの深い深い清浄な香りがする、ということは

もう理屈じゃないからです。



木が好きなご家族に、気に入っていただける見学会となれば

本当に良いな~と思います。



・・・台風、なんともないと良いですね!

なんともないことを祈りつつ、

土日の見学会でお待ちしております。

ご無理のないよう、どうぞ

お気をつけてお越しくださいませ。



大分の自然素材の家。完成見学会

2018年09月15日

自由設計は、バイキングだ。

1980円なら1980円の。

5980円なら5980円の。

・・・と、前回書きました。



じゃ、選べる「自由」にも限度があるとして

家をどう建てるか?なのですが、

やっぱり、予算が限られている以上は

もう、自分なりの妥協点を、かなり詰めて

探っていくしかないのかな~と思います。


「絶対に必要」か「無くても何とかなる」のか。



ちなみに我が家は、ウッドデッキを諦めましたが、

今思えば、まったく用がなかった。

「無くても何とかなる」と、はっきり決心すると

あとあと思い出しても、そんなに後悔はありません。



いくらでも予算をつぎこめない。

そんな限りある「自由」の中で、まず考えるべきは、

それがないとどれだけ生活に困るか?

って事かと思います。



生活が成り立つこと。

その中で、できるだけ良いものを選ぶこと。

何かあった時に相談しやすいこと。

その対応が、できるだけ迅速であること。

大事なことって、実はシンプルなのかもしれません。

また、食べ物屋の話になりますが、

お付き合いください。



ここに、2000円あったとして、ランチタイム。

さて、何を食べようか?



◆1.【安心安全の素材にこだわった、完全オーガニックの自然食レストラン】

   お店も古民家を移築した、「きちんとした」「りっぱな」雰囲気。

   アレルギーにも完全対応してくれます。

   美味しいですが、量はわりと少なめ。

   印象は「上品で良いけど、やっぱり高いかな~」。

◆2. そこそここだわってはいますが、全部オーガニックとかではない。

   店舗も空き店舗を改装。

   普通の主婦が始めたこじんまりとしたカフェ。味も家庭的で、量も普通。

◆3. 大手のチェーンレストラン。

   種類も豊富、安い、早い、たくさん食べれる。

   まずからず、旨からず。満腹にはなるものの、これといって印象に残る料理なし。



・・・同じ2000円しか使えないとしたら

皆さんは、1~3のどこにいきますか?

それも、毎日、そこに通わないといけないとしたら?



私は、1か2でかなり迷います。

自然食である方がベストですが、アレルギーもないので

「居心地」よければ2にするかもしれません。



反対に、1のお店が自然食にこだわっていることで

どうも鼻持ちならない「態度」だったら

あまり行きたくないと思います。



・・・で、さらに例えばの話。

もし、出された料理に何か異物が入っていたとします。



1のお店が、最初からお客を疑うような応対したら

もう行かないと思います。

「うちに限ってそのようなことはございません!

何か誤解されているのではないでしょうか?

うちでは材料にこだわり、お客様の安心安全のために

心を込めてお出ししています。

うちに限ってそういったことはあり得ません」

・・・もう、行きたくないと思います。

【状況と事実】の確認より先に、完全否定は、やっぱりない。



こだわってようが、心をこめてようが、頑張っていようが、

何かあったときに、まず自分たちの保身のことしか考えられない「一流」なら

その「がっかり度」たるや、かなりの衝撃だからです。



「申し訳ありません!すぐ対応します!
確認いたしますので、少々おまちください。」

って言ってくれる、そこそこの「こだわり度」のお店の方が、

まだマシな気がします。



あくまで、個人的な意見なので、

そこは人それぞれだと思います。

アレルギーに本当に困っている人は

量とか、雰囲気とかより「質」だと思います。

健康、・・・いやいや!命に関わることなら!

その辺の妥協点は、本当に個人個人違って当たり前だからです。


大事なのは、

材料の質と、自分たちに必要な量の「バランス」、

過ごしやすい(相談しやすい)お店の「雰囲気」、

そして何かあったときの「態度・対応力」じゃないかと思います。



例え、そこまでガチガチに

自然食やオーガニックにこだわっていなくても

自分にとって差支えない「質と量のバランス」があって

何よりも相談しやすい「雰囲気」があって

何かあったときに、自分たちの保身ではなく、

目の前の客の「怒り(本当は、困り)」に

冷静に、そして真摯に向き合う「勇気」や心身の「ゆとり」があるか。



同じ2000円を払うのに、どこにするか。

同じ2000万払うのに、どこで建てるか。



じっくり、考えて「一緒に」建てる相手を選ぶ余裕も

必要じゃないかと思います。



だって、2000円のランチはともかく

命を担保に、2000万もかけて建てるんですよ~。

「契約しちゃったし、仕方ない。建てちゃったし、仕方ない。」にするには

もう悟りを開くレベルですよ?

だから、即決!・・・なんて、大金持ちじゃないならやめた方が良いです。



恋愛もそうですが、「ステキ!」と思った衝撃は

3か月くらいしか持たないといいます。

鼻息荒く、3か月行かないうちに

取り返しのつかない決断をするよりは

ちょっと、せめて鼻息が収まるのをまってみましょう(何の話?)



美人は3日で飽きるけど・・・ってこともあります。

決心して「決めた」には理由があったはずですが

結婚同様、一緒に暮らしていて

ずっと大好き!ずっとラブラブ!ときめく毎日!

ってことも、まれです。

なんかかんかあるけれど、

折り合いつけて、文句言いながら、笑いながら

一緒に暮らしていく家です。



ハリウッドスターみたいに、大金持ちでモテモテで

次から次に、家も人も、気に入らなければ取り換えられれば別ですが

気に入らないと出て行ったところで、

迎えに来てくれる王子もいませんし、お金もない(何の話?誰の話?)



自然のものに触れていると、理屈じゃないものを感じます。

大事なことは目に見えない。

目に見えないけれど、いざとなった時

責任とるのは自分たち。

折り合いつけながら、暮らしていくのも

自分たち。

立派なこと言う専門家ほど、実は責任なんかとってくれません。

高い位置にいるほど、そこから「降りる」のは恐ろしいからです。

非を認めたり、謝ったりは、その高い位置から落下する覚悟がいるからです。


だから何でも鵜呑みにしすぎず、

色々なものを見聞きし、調べてみる。


責任もって「決める」のは、やっぱり自分たち。



だから、「妥協点」ですよ~。

「質と量のバランス」

「相談しやすい雰囲気」

「トラブル時の態度・対応力」。

・・・大事です!

   


続きを読む "自由設計とかけて、バイキングと説く?・・・vol.2" »

2018年09月06日

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


(以前にも似たようなこと書いたことありますが)

「自由設計」はバイキングだ。・・・と私は思う。

1980円は1980円の。

5980円は5980円の。

その予算の範囲内の「自由」設計なんだな~、と思うのです。


・・・え?当たり前?

・・・いえいえ、少なからずあるのでは?

建設業ならともかく、

自由設計の「自由」の部分が

自分たちにいくら使えるか?なんて普通分からない。

だから、それこそ

本当にあれもこれも、できたら叶えたい!と思っていたのに

現実には、「出せるものが限られたるんだから、仕方ないのかな~」と

その限度を思い知らされることがあるのではないでしょうか。


夢のマイホーム!と言いながら

実際建てるのは、生活が成り立つ「現実の家」。

自由と言いながら、実はリアルでシビアな有限の「自由」。
作り手によっては「いいじゃん、いいじゃん!建てちゃえ、買っちゃえ!」と、
建てた後の施主の生活のことなんか気にしないかも?ですが。



だったら建売でも良かったか?・・・というと

やっぱりそうではないのですが

でもやはり、おのれの身の程を知らされた気持ちになったのも

正直なところ。

建てる前のワクワクした気持ちは半分、

財布のひもと一緒に、硬くなってしまったように思います。



金銭的に余裕がある世帯なら、そんなこと思わないのかもしれない。

あるいは、陽気で

「ないならないで、選ぶのも幸せ!」なんて

明るい太陽のような性格ならそうは思わないのかもしれない。
(創意工夫は楽しいものですが、施主と工務店の双方に
余裕やタイミングが合わなければ、それを練る暇もないですし。)



だからって、

そう(いじけて?)考えるお客の受け止め方が悪いんだ!

そりゃ、お金。出せるんならいくらでも望みを叶えてやるよ?

でも、そうじゃないなら、仕方ないじゃん!

・・・って言ったらどうなります?

もしくは、そう言わなくても、プンプン目線や態度に出ていたら?



他の工務店で建てた知人の話も含め

計画中、もしくはその後、関係が微妙になるとしたら

その辺で、何か起こってしまっている可能性もあると思います。

工務店側に余裕がないと、
「選べないことにクレームが来た!
こんなに頑張ってるのに!」・・・となりますが
客さんにしたら、ちょっと聞いてみた。ってことが多いはず。
「お金を払えないんでしょ?仕方ないでしょ?」と言われたら
ちょっと聞いてみただけだったお客さんも
「払えんで、悪うございましたね!」・・・と、なる。
怖いですね~。
ここは、工務店の心理的余裕が大事なとこです。
人間、いっぱいいっぱいは、ロクなことにならない。



例えばですが、評判のレストランがあったとして。

使う野菜は無農薬の自家栽培。

他の材料にもこだわり、オーガニック。

料理もおいしい。

噂を聞きつけ訪れた、そのレストラン。

1980円のコースを頼んで、となりのおいしそうなメニューに気づく。

「あちらは、食べれないんですか?」

「え?お金払えるなら、出しますよ?」

・・・こんな風に言われたら、もうこんな店来るものか~!と思う。

・・・いんや、絶対思う!


「申し訳ありません。お選びいただけるのはこの範囲なので・・・。」

こう残念そうに(例え嘘でも)言ってもらえたら気がすむ。



良識的な人なら

「そうなんですね~」で済ませてくれる。

逆ギレする方がまれなケースかもしれない。


でも、言っちゃいけない一言や

醸し出しちゃいけないものが、あるように思うのです。



それまで積み上げてきた努力が、信用が、関係が、

音を立てて崩れる可能性がある。



では、いくらでもお金を出せるわけではない。

そんなポジティブ思考、太陽のように陽気で前向きな性格でもない。

そんな(私を含め、きっと多くの)方々は

自由設計をどう考えたらいいのやら?



続きは、また今度~。

2018年08月26日

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

私たちが、何かショックなこと、

つまり「衝撃」を受けると

だいたい3か月くらいはその影響を受けるらしい。


そのショックというのは、悪いショック(衝撃)もあれば

感動した!とかの良いショック(衝撃)も含めてのことみたいです。



だから、誰かを好きになっても、3か月は

取り返しのつかないことは控えたほうが良いということを

本で読んだことがあります。



だから、例えそれが人に限らず、

物事や、大きな買い物をするときなどは

すぐに飛びつかないで、冷静に

一歩引いた眼で見てみる。・・・そういうことも

必要なのかもしれません。



どんなによく考えたつもりでも、

「ああすれば良かった」後悔したりすることもあるかもしれない。


後悔は他人を攻めるようで、まわりまわって

「あの時ああしなければ」「こういう方法もあったのではないか」と

結局は、自分を責め続ける結果にしかならなくなります。


過去の自分だって、今の自分を苦しめよう、困らせようと思って

決めたわけではないはずなのに。



ただ、「今更言っても仕方ない。高い勉強代やったんや。」

なんて思わせないことが

作り手の力量、というより度量なのかと思います。


どんなに頑張っても、誠実にした「つもり」でも

人間が作る以上「完璧」はない。



怒っている人=困っている人。



目の前の「困り」より、

「こんなに頑張っているのに」に意識がいってしまうことは

「困って」「怒っている」お客ではなく、

頑張っているのに「かわいそうな」自分にしか目線はいっていない。



なんとか良いものをつくりたい。



でも、完璧はありえない。



何かあったとき、耐えうる強さ。

何かあったとき、見るべきは目の前の「困り」。

その度量がありそうかどうか。

そこも大事なのかな~と思います。



恋愛もそうですよね?

カッコイイことばかり言う男は

カッコイイと言いながら、逃げてくもん。

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(有)もくせい工舎          代表取締役 永家 正光

昭和31年宇佐市生まれ

大工の父親の背を見ながら、木を使って色々な物を創るのが大好きな少年だった。

リフォーム業を起業後、新建材への違和感や、家族のアレルギー反応などから一念発起。

木と土で創る本物の自然素材住宅を、【より身近】に提供すべく研究・開発する。

妻と娘からは「他はともかく、木を使うセンスだけは抜群」と太鼓判を押される。

・・・だけ!?

木と家づくりが好きで好きでたまらない[まほろば]の住人。

[まほろば]…日本の古語。素晴らしい場所、住みやすい場所の意。もくせい工舎事務所は,鳥がさえずる森の中なので。

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