なつかしさの裏側には

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


先日、ある廃校にお邪魔しました。

待ち合わせた友人が、
「朝、廃校になった小学校の草刈りでね。
でも、すぐ終わった。
『いっつも手入れしよるけん、時間がかからんで終わるけどね~』
っち、近所の人たちと言いよったんよ~」
というので、

「廃校...。」

「うち、地区が自分たちで管理するけって
廃校になった後も、手入れしよるんよね~。
普通、市の業者かなんかが来るんやろうけど。

今、地区でサロン開いたり、資料展示したりしよるんよね~。」

個人的には、廃校って
どこぞの団体なんかがリノベーションして
うんたらかんたらというニュースばかり聞くので

「自分たちできちんと管理するから!」という地区の話は
とても意外だったのです。

廃校になって、第三者にわたった学校が
何だかすっかり"こじゃれ"てしまって、
地区とは一線を画す、別物になってしまうような
思い込みがあったのかもしれません。

よくよく考えたら、
廃校をリノベーションして、カフェとか、シェアオフィスとかは
「新店舗オープン!」と宣伝されるので、知っているだけかも。

地道に、地区が手入れしているという情報は
わざわざ、あまり報道されそうもありません。

なんとなく、その大事にされている学校を見に行ってみたくて
忙しい友人に付き合ってもらって
訪れてみた、というわけです。

場所は、中津市津民の河川プールのまだ上流。
長岩城跡の近くの、永岩小学校。
旧とつけたくなりますが、まだ使われてますものね。

210915_校庭から校舎を望む

小さな校庭に桜の木。
そして、こじんまりとした校舎がありました。

210915_nagaiwasyo_1.jpg

正面には、木製の手書きの表札。

210915_職員室前210915_ガラスの建具
古い木の建具が味わい深い、職員室前。

210915_保健室前のかわいいボード210915_長い土間付きの廊下
手づくりの可愛い掲示板のある保健室前。土間が平行する廊下をはじめて見た。

210915_体育館
小さめのかわいい体育館も。烏骨鶏とウサギの飼育小屋もあった。

まず案内してもらったのが、最後の在校生たちが作った
長岩城の模型。

なんでも、先生に
「賞をとったら、東京に呼ばれるけん、
東京ディズニーランド、いけるぞ!」
と、のせられて(?)放課後残ってまで
完成させた力作です。

山城の様子を分かりやすく伝えるために
等高線を参考に、山の起伏を表現したり。
特徴的な平べったい石積みを、忠実に再現したり。

崖が危険だからって、「落ちたら死ぬ」と書いてあったのには
笑いました。

「本当だ。落ちたら、そりゃ~死ぬかも(笑)」

その作業の様子や、学校行事の様子が
掲示されていて、友人から
地域あげての運動会の様子も聞きました。

「70、80のおばちゃんたちが、
もう、元気いいでな~」

地区の敬老会も、ここでやっていたとか。
写真には、何とも楽しそうな
笑顔が並びます。

あえてこの自然豊かな環境を気に入ってくれた
先生も少なくなかったようで、
校長先生入れて、4~5人の先生たちの
満面の笑みの集合写真もありました。

大型校では、あまり見ない類の教職員写真です。
(大型校も、満面の笑みで写ったって良さそうなのに。)

私の友人も、ご主人も、お子さんも、今は亡きおじいちゃんも
この学校の写真に楽しそうに写っていました。

ふと思ったのは、懐かしさには
必ず裏に、温かな思い出があるということです。

辛い記憶や、それにまつわる傷が癒えていないうちは
なかなか、その場所を懐かしく思い出すことなんてできないからです。

大きな桜の下、地区の人たちが
お弁当を広げ、楽しそうに笑う写真に
「自分たちが管理するけん」の
意味が分かったような気がしました。
(気がしただけ、かもしれないけれど。)

地区の絆って、無理強いして
できるものではないように思います。

嫌々参加っていう人もいるかもしれない。

かくいう私も、あまり地区の行事やPTAは好きではない。

ただ、少しずつ、
色々もやもやはあっても、少しずつ
顔なじみになる、
名前くらい知ってる人になる、
話をしたことがある人になる、
笑いあったことがある人になる、

そういった些細なことの積み重ねが
地域で生きるってことではないかと
この歳になって思うことです。

今いる場所が、いつか懐かしく思い出されるように、
色々あっても、どこか温かい記憶として残れば
良しとしたいところです。

地区もそうですが
子ども達にとって、我が家もそうかもしれない。

顔をあわせれば、嫌みや忠告しかででこない親がいる実家より
近所のおばあちゃんの方がよっぽど懐かしいなんてことだってある。

それってやっぱり、【居心地の良さ】ではないでしょうか。

居心地のよかった場所は、
きっと思い出しては
【懐かしい場所】になるのだと思います。

そんな居心地の良い
思い出の場所の一つが
わが家であれば、親冥利につきそうです。

そんな居心地の一助になりそうな木の家が
もうすぐお目見えします。

そうそう、宣伝なんです。
だって、自然素材の工務店もブログですもの。
ちゃんと、告知しとかないと(笑)

どうか、こちらもぜひ
良かったら、一度ご覧ください。
お待ちしております。

9/25・26 国東市完成見学会


木造住宅なら、どれも自然素材の家か?

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


本当に自然素材の家を必要としている人に
もくせい工舎の家のつくり方が伝わるようにしたい。

そう永家Tさんから相談されて
じわじわ関連のバナーやページを
整理したり、作成したりしています。

見慣れた記事も少しずつ
変えるところは変えていくと思います。
お付き合いいただければと思います。

最近の追加は
自然素材の家と、新建材の家 ~【自然の木】でつくった家と、【石油化学製品】でつくった家の違いは何かの記事。

良かったら、ご覧ください。

ところで、改めて考えてみても
自然素材の家ってなんでしょうか。

木造住宅なら、木は使っているのですから
すべて自然素材の家に決まってるじゃん!

そう言えそうです。

新しい記事にも書いたのですが
自然素材の家と名乗るのに
法的な決まりごとはありません。

使用している
自然素材の割合が
ちょっとでも、たくさんでも
自然素材の家と名乗れます。

そうすると
本当に切実に
本物の自然素材の家を望んでいる方にとっては
ちょっと意味合いが違ってきそうです。

健康に良さそうなイメージだけで売るか
不自然な家にしたくなくて自然素材の家を建てるかは
まったく別物だからです。

じゃ、どう考えるか。

それを見分けるのは
工務店の事務所の建物や、ブログやインスタなどだと思います。

自然素材の家を売りながら
事務所は全く自然な感じじゃないとか

ブログやインスタを見ても
あまり自然のことに関心がなさそうなら
ちょっと用心した方が良いかもしれません。

実は私は、家を建てる時
もう一社、気になる「自然素材の家」を建てる会社がありました。

そこの工務店の完成見学会のお知らせが入ったので
見学会の数日前に
実際に現場に見に行ったことがあります。

なんか、全く心動かず。

私、こんな家ちょっと嫌だなぁと
感覚的に思ったのです。

外壁が吹き付けで
息が詰まりそうな感じがした。

この、感覚として好きかどうかってかなり大事で。

見学会当日などは
べったりくっついてこられて
さもいいことばかり言われたら
この感覚が研ぎ澄まされる暇なんてありません。

だから、静かな時に
一人で見行ってみる。

その時、
「あ、私こんな家に住みたい!」
って思えば、その工務店の見学会に行ってみれば良いと思います。

本物の自然素材の家は
職人さんの
木工作品のようで
手び練りの器のよう。

素朴だけれど
なんともいえない
味わいがあるはずです。

お好きな方は
きっと見れば分かるはず。

でも、これが
見ないと分からないんですよ~。

本人に会うように
家に会わないと分からない。

だから、9月の25,26の週末。
国東市で完成見学会を行います。

ぜひ、一目
不自然なものをできるだけ省いた
自然素材の木の家に
会いに来てくださいませ。

県北からちょっと遠いですが
ドライブがてらいかがでしょう。

見学会情報アップしましたら
ぜひご検討ください。
(※9/7に関連記事アップしました~♪)

木が本当に好きな方には
きっと気に入っていただけると思いますよ~。

じわじわできた傷は

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


○○豪雨と後に名前がつくような
猛烈な雨が降り、甚大な被害が発生する恐れがある。

その言葉通りに、ここ数日のひどい雨。
各地から被害の様子も
次々と報道されています。

大分県北で集中して降れば、
報道を見て心配した福岡や大分市の友人が
大丈夫かと連絡をくれました。

ところが、
その数時間後には
その友人のところの方が
危ないことになっている。

2012年の九州北部豪雨では
本当に身の危険を感じるような思いをしました。
あんなに雨音が怖かったのは
生まれて初めてでした。

見慣れた青の洞門付近の風景が一変し、
川沿いのレストランの中に
濁流が渦を巻く様子に愕然としたことを覚えています。

あの滝つぼの中にいるような雨の中、
実は母から電話がかかってきたのです。

「大丈夫~?」

ところが、人間、本当に怖い思いをしている時
大丈夫かどうか、こっちが聞きたいくらいなのです。

とはいえ、母に言ったところで
雨が止むわけでなし。

とりあえず、状況を説明すれば
余計な心配かけるだけなので
(今のところ生きてるし)大丈夫」とだけ言って電話を切りました。

ああいったことがあってから、
遠くに住む友人に
今回のような大雨や災害があった時
実のところ、なんといってよいのか分からなくなりました。

大丈夫?と聞いて
大丈夫じゃない時、
なんと言ってよいのか。

それは、大事な人を失って
泣いて悲しむ人に言葉が見つからないような
あの感じに似ています。

お腹の底で
その悲しさがギューと伝わるような感覚はあっても
それを言葉にしようとすると
どうも違う。

うまいこと言おうとする
イヤらしい感覚も出てくるし
何を言ったところで、かもしれない。

そんな時、本当に
自分の言葉の拙さに嫌気がさしてしまう。

大学時代からの腐れ縁の友人2人に
「大丈夫か? 無事を祈ってる! 困ったら何なりと!」
と送ってはみたのですが、
1人からは返信がないので、

本当に今はそれどころではないのかもしれません。

脱炭素化社会、って言葉をよく聞きます。

マイバック、ゴミの分別、etc.

細々できることからやる、のは
とてもよくわかる。

でも、

何十年に一度が、来年も来ないようにするには
どうしたらいいのか。

起こった結果のメカニズムは
どこかの専門家が説明してくれても、
来年、また「何十年に一度」が来ないようには、誰にもできない。


ふと、ハチ(元野良猫)
家に迷い込んできたときのことを思い出します。

ハチの脇には、輪ゴムが食い込んで
えぐれてできた傷があったのです。

猫のケガ
推測ですが、何かの拍子で輪ゴムが脇にかかったまま、体が大きくなったみたいで。
首にもゴムのカスがついていたので、取ろうとして取れなかったのかもしれません。
ゴムと言えども、食い込んで、ぱっくりとした深い傷になっていました。


避妊手術をかねて、動物病院に行ったとき
言われたのです。

じわじわできた傷は
じわじわ治すしかない。

いつの間にか、ひどいことになっていた
深い傷。

同じだけ、辛抱強く
良い方向に向かって取り組んでいくしかないのかもしれません。

環境もだし、
体もだし、
心の傷だってそうなのかもしれない。

それでも、毎年こんな雨は
勘弁してほしい。

AIに仕事を奪われる話だけでなく、
こんな時ほど、ぼんやりとしたエリアメールではなく、
ピンポイントで、
「今、あなたが危ない!」をAIには教えて欲しい。

「今までに経験したことがない」が起きるなら
膨大なデータの中から、
どこにどう逃げればベストか
そういうことこそ、AIに教えて欲しいくらい。

AIに頼りたくなってしまうのは
便利に慣れてしまって、
虫の知らせ、の感覚が鈍っているんでしょうか。

じわじわ傷が深くなる前に、
このままじゃ「ヤバい」と感覚的に分からないと
いけないのかもしれません。

なんでも、ほどほどにが
一番かも。

だざいゆかりの

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


先日、読書仲間と
「ゆふいん文学の森」に出かけました。

ゆふいん文学の森


文豪・太宰治ゆかりの碧雲荘という建物を移築し、
湯布院で見学ができる交流施設&ブックカフェになっています。

ゆふいん文学の森

本は好きなのですが
読歴は浅く、
おばちゃんになってから。

決して読書家とは言えず、
名著と言われる本は
頭がついていかない。

だから、太宰治のことも
うっすらとしか知らないのです。

だから、詳しくは書きません。
ぼろが出ちゃいますからね。

ただ、こちらの建物。

撮影OKだったのです!

これは、建物好きには
嬉しい限り。

「お前は読書に来たのか
撮影に来たのか」
と、言われそうなほど
シャッターを切って帰ってきました。

もくせい工舎のサイトを訪れる方には
この雰囲気、気に入っていただけるかと思います。

ゆふいん文学の森。D'shop
駐車場からすぐのアプローチにあるお店。この時は開いていませんでした。
黒い漆喰?の外壁に、木の建具がおしゃれです。上部は明り取りでしょうか。
は~、また、細かい。これがあるとないとでは、大違い。

ゆふいん文学の森。D'shop
外壁の黒も、こうしてみると、なかなかどうして。
シックで、おしゃれ。
ライトとかの小物の演出が効いています。

ゆふいん文学の森。アプローチ
庭木を見るのも好きなので、まずこのアプローチにおののく。
あ~。これ、ビンボー人の私には宝くじでも当たらないと作れない・・・。
何でこうもまあ、左から行っても右から行っても楽しそうなんでしょう。
こういう空間の遊びというか、無駄が、かえって贅沢だというのは不思議なものです。
世の中は役に立つことばかりがエライのに。

ゆふいん文学の森。玄関付近
威風堂々。実は東京で取り壊しの危機にあったとのこと。もったいない~。
よかった!大分に来てくれて!この風格は時間と素材がつくったもの。宝物です。

碧雲荘には玄関が二つ。
左の入り口から入ると、すぐ奥がカフェスペース。
右に行くと、2Fに続く
見学&読書スペースになります。

見学無料。太っ腹です。
ただし、ご協力の箱がありますので
こういう空間を残してほしい!のなら
惜しまずよろしくお願いします。

・・・と、言いつつ
懐具合が気になって
入れなかった私ですが。
次こそ期待してほしいところ。(誰に言ってんのか?)

ゆふいん文学の森。玄関
2つある玄関のうち、正面を向いて右側の玄関。こちらが本玄関になるんでしょうか。和洋折衷というか、
あ~もう、ステンドグラスが、また良いですね!この黄色!
先ほどのショップの建具もですが、明り取りのようなしつらえが。
こういう細やかさが、空間のちょっとした贅沢具合を引き上げるような気もします。

ツヤツヤ光る階段を上ると、見えるのがこれ!

2階に上がる早々激写した、トイレドアと洗面台!

ゆふいん文学の森。2階トイレ前
飴色になった、ツヤツヤの木と、大きなレトロな鏡。これがあるから、裸電球がかえって映える!

ゆふいん文学の森。2階トイレ前
湯布院の丘の上。植栽もたっぷり。この雰囲気を邪魔する隣地の建物もなく。
絵になる風景とは、このこと。撮影してて嬉しくて仕方ない!・・・あ、やっぱり読書忘れてますね。

ゆふいん文学の森。2階
下宿スペースだったとのことで、細かく部屋が分かれる2階。
それぞれの部屋で、自由に本を読むことができます。
昔の建物には、風通しを良くする工夫がいっぱい。
構造上とか耐震とかの問題があるのかもしれませんが、今となっては羨ましい工夫。
内装の壁は珪藻土っぽい仕様。

ゆふいん文学の森。2階
元々だったのか、後付けされたのか、明り取りの可愛いすりガラス。

ゆふいん文学の森。2階
個性が違う、各部屋。好みの部屋で、好みの本を楽しめる。

ゆふいん文学の森。2階
窓から庭のイベントスペースを眺める。

ゆふいん文学の森。2階
こんなスッポリ納まるスペースも。

ゆふいん文学の森。2階
ええ、もちろん納まってみましたとも。(きたない足でスミマセン。)

そして、一番奥左側の和室が、
太宰治が夫婦で借りていたという部屋です。

人間失格などもこちらで生まれたとか。

ゆふいん文学の森。2階
なんだかんだと、一番居心地が良かったのもこの部屋でした。

何度かブックカフェには行ったことがあるのですが
私は他人様がいると
妙に緊張して本に集中できません。

こんな風に部屋が分かれていたり
畳敷きだったり、
お店の人が「信頼して」ほっといてくれるのは
とても心地よく、

心地よすぎて
思わず畳でごろ寝して
本が読みたくなったほど。

ゆふいん文学の森。2階
太宰治ファンにはたまらないと思います。

また、自分好みの本ばかりでないのも良い。

ここに来なっかたら
まず目を通さなかったかもと思う本に
出会えるからです。

本は、自分とは違う
他人様の世界観に
いつでも出会える扉のようなもの。

嫌だったら読まなくてもいいし、
相手の都合を気にすることもありません。

自分だけでは凝り固まってしまう価値観に
「そうじゃないよ。
別の見方もあるはずだよ。」
そう教えてくれるのも本です。

しかも、もう死んでしまっている大昔の人の考えや、
会うこともないような
著名な人の考え方も知ることができる。

だから本は面白いんだと思います。

そんな本好きが集まる、こちらの文学の森。

友人が数冊、自宅から本を持参していました。

実は、「輪廻転読」といって
他の人にも読んでほしい本を持ってくると、
同じ冊数だけ、
そのコーナーの本を持って帰れるという仕組み。

他の人にも読んでほしい。
ってところがミソですね。

ところで、この輪廻転読コーナーには
中庭を見ながら、お食事が頂ける一枚板のカウンターがありまして。

とても良い雰囲気だったので
友人とここで
ワヤワヤ話しながらお食事を頂いたのです。

その後、お店の方に聞くところによると
なんでも
中庭の石とか庭の灯篭などを
お笑い芸人で作家の
又吉直樹さんが、こちらのために贈られたのだとか。

ゆふいん文学の森

「だから、又吉君ファンの方には
人気のお席なんですよ~」と聞かされ、

ひゃ~、そうとも知らず
のんきにベラベラ喋っててスミマセン。

遠くから、「あそこ、座りたかったな~」って
思われてなければいんだけども!

いやはや、失礼しました。

「又吉君も、熱心な太宰ファンなので
東京にこの碧雲荘があったころ
取り壊すのに反対してて。

ここ湯布院で
文学の森として、また存続できるってなった時は
本当に、喜んで。」

そっか~、それで、石。

内心すっかり、中庭の石を
「又吉の石」と命名。

それにしても、ご縁とはなんと不思議なものなんだろう。

色々な方の思いとか
タイミングとか。

偶然か必然かわかりませんが、

こんな身近な湯布院で
こんなに素敵な場所になったことに
ありがたいおすそ分けをもらったような気持ちでした。

それにしても、冷房なしでも
涼しかった。
こちらも不思議。

ゆふいん文学の森。

本は苦手なかたも、
お家づくりのヒントになるかもです。

こんな感じが好みなんだ!を実感するために。

良かったら、ぜひ。

子ども達から借りている

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


おらが村でも再生プラスチックごみの分別が始まりました。

今まで燃えるごみとして
出していたプラを、
洗って、干して、別の日に捨てます。

意外に、干場に困るので
ホームセンターから
干物用ネットなどを買ってきて
使っています。

実際に分別してみると
これほど多かったのか、プラスチック!

燃えるごみはいつもの半分ほどになってしまいました。

私はひねくれてるので

分別するために洗って汚した水とか
別回収するために出した車のCO₂とか
再生するために出た何だかとか

総トータルで結局良いことなのかと
ついつい考えてしまいます。

とはいえ、いかんせん
それが私に分かるわけがない。
地球規模で環境問題を何とかできる
頭は、残念ながら私にはないのです。

とりあえず家庭規模で
頑張りたいところ。
燃やすよりはましだと期待して
分別をまじめにやりたいと思います。

それにしても
いくら分別してもキリがない。

これはもう、
過保護で過剰すぎる
企業の包装自体をなんとかしないといけないような。

以前は便利だと思っていた個包装も
いざ洗うとなると、
も~う、ちまちま出てくるそれが、
うっとうしくて仕方ない。

ここまで小分けする必要が
果たしてあるのだろうかと
思っちゃう。

でも、それだって
ニーズがあったから売れてたんですよね。

私だって、便利だと思っていた。

私だってプラには
甘えているっていうことです。

お恥ずかしいのですが
この歳になって知ってびっくりしたことがあります。

ある読書会で、石牟礼道子さんの『苦海浄土』の
お話を聞きました。

水俣病のことは、小学校の授業でも習っていて
猫がさかさまになって
踊り狂うように死んだこととか
人間ももだえ苦しんで亡くなったこととか

子ども心に痛烈だったのを記憶しています。

本を紹介してくれた方が
石牟礼道子さんの生きづらさも含め
熱心に話してくれたので
気になって、最近検索して見たのです。

【水俣 チッソ 水銀】
という単語は記憶していたのですが

あの海に垂れ流していた排水は
アセトアルデヒドという
プラスチックの原料を作る際に出ていたもので
そこに有毒なメチル水銀も混じっていたとのこと。

ここでも、プラスチック。

しかも汚染された海のヘドロと一緒に
魚が生きたまま大量に埋め立てられていることも知りました。

わざわざ言及はしませんが
なんだか色んなこととリンクして考えてしまいます。

あれから何十年たっても
やることは余り変わっていないのです。

効率や、経済的なことを優先し
大丈夫、大丈夫とごまかして
問題が表面化したら、とりあえず頭を下げ、
金を出し、
埋め立てて、なかったことにする。

それ、今でもやってますよね。

歴史から学ぶことができるただ一つのことは
人間は歴史から何も学ばないということだ。

ヘーゲル|ドイツの哲学者

早い・安い・簡単・便利。

それに甘やかされて
またやらかしてしまう。

世界はそれでも少しずつ良くなっている。

そう信じたいです。

水俣の埋め立て地は
その後きれいな公園になっているようです。

そこを、ただきれいなだけの場所にしないために
そういう事実があったことを
忘れ去ってしまわないように

犠牲になった生き物たちを弔うため
水俣病患者自らが彫った
野仏さまが納められています。
NHK|【特集】水俣から考える(1) 漁師・緒方正人さん

いつか、見に行きたいと思います。

他人事にしないように。

地球は親から与えられたものではない。
祖先からの授かり物でもない。
子ども達から借りているのだ。

不詳|ネイティブアメリカンの言葉

子ども達に残せる財産があるかはともかく
借金やツケをを残すような
大人にならないようにしたいです。

だから、グレタさんはあんなに怒ってるんだよな。


国東ついで。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


どこかに行くのに
目的が1つより2つあったほうが
こう、テンションが上がりませんか?

つまり【ついで】の
お楽しみがあった方が
行く意義が増すというか
はるばる行った甲斐があるような。

今回ちょっと早めにブログを更新したのは
その「ついでの楽しみ」のお話をしようかと
思ったからでした。

実は、7/3,4の週末に
もくせい工舎では
急遽、構造見学会を開催することとなりました。

場所は国東市。
国東高校のすぐ近くの
閑静な住宅街です。

いつもは大分県北、宇佐市近隣で開催することが多いので
今回は少し離れてはいます。

県北からだと、
両子寺の前を通って
だいたい1時間以上はかかるでしょうか。

現場の地図を書くために
一度は前もって
現地まで確認に行くのですが

今回私が【ついでに】と楽しみにしていたことがあります。

それがこれ~!

ポールリカールのケーキ

ポールリカールさんの
半熟チーズケーキ!

ついでに
(名前忘れちゃいましたが)チョコレートケーキと
国東ロールもゲット。

それこそ15年くらい前。
まだ上の子が小さかったころに
よくホーバークラフトを見に大分空港まで
行っていたのです。

その時、帰りに買った
半熟チーズケーキが美味しくて
「また食べたい」って、ず~っと思ってたんです。

現場の地図を確認してたら、
「・・・現場近くでは?」というわけで。

【国東ついで】の楽しみにしたのです。

こうなると、仕事ですが、
あくまで仕事なのですが、
・・・心なしかウキウキしますよ。

だって【ついで】の楽しみが
待っている。

あ、肝心のケーキですが。

なにせ15年ほど前のこと。
記憶のケーキとちょっと違ったのです。
悪い意味じゃないんですが
あれ?こんな感じだったっけ??

いやいや、美味しいんです!
中のチーズクリームが濃厚で、
でもラズベリーソース(たぶん)の酸味が爽やかで。

記憶があいまいだったのは
周りのスポンジケーキ(シフォンケーキ?)の部分。

あれ?なんか全体的に半熟っぽかったような。

・・・年のせいも手伝って
記憶も半熟気味です。溶けてます。

国東ロールも、
通常のロールケーキの1.5倍はありそうな断面積に
「太巻き!」とびっくりしましたが
これが、ま~軽い。
ペロッと食べれる。恐ろしいことに(笑)

4等分するには太いけど、
柔らかいので
8等分する自信もなく
「でかいな~」と切った一切れを
子ども達は
「・・・あっという間になくなった」
と、たいらげておりました。

くわばらくわばら。

私もうっかり食べきりそうでしたが、
半分で我慢しました。
中高年は、後が怖い。

でも、これでもかというような
生地の卵の黄色い色味や
フワッフワッの口当たりは
なかなかどうして。

これで一本1000円はコスパも良いと思います。

遠方は冷凍を買った方が良さそうでした。
後で気づきましたが。


おっと、本題に入らねば。

構造見学会は、やっぱり完成見学会よりは
地味に感じると思います。

しかも小一時間はかかります。

それでも、ぜひ
建てる前に見て欲しいのは
俄然、構造見学会!

もしよければ、
【国東ついで】を楽しみに
「ちょっと見に行ってみるか~」なんていかがでしょう。

例によって、
見学会は予約制となっております。

ご都合がよろしければ
ぜひともお越しください。

お待ちしています。

【ついで】にポールリカールさんにお立ちよりでしたら

ポールリカールまでの地図

↑構造見学会の地図より
ちょっと長め。
拡大版です。

現場から車で数分。

よかったら
【ついで】のお楽しみに。

見学会も、ぜひ。

こだわりの!

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


こだわりのお店。

店主こだわりの食材。

「こだわりの」って聞くと
「あぁ、適当に選んでいるわけではなくて
色々な選択肢の中から
最善のものを厳選しているんだろうな」と感じます。

感じるんだけれども、
猫も杓子も
「こだわりの」をつけたら
何がなにやら。

【こだわる】の本来の意味は
ちょっとしたことを必要以上に気にする。執着する。

実は、あまり良い意味ではありません。

かといって
それに代わる言葉も
なかなか見つからないから
とりあえず使っている状態ではないでしょうか。

売る側にしたら
「こだわりの」をつけることで
ウチは他とはちょっと違うことを
伝えようとする。
差別化なんで言葉もありますし。

ただ、そうなると
他を下げるようで
使い方を間違うと
なんだか鼻持ちならない感じになる。

一方で
買い手側にしてみれば
「こだわりの」が、必ずしもアタリとは限らない。

こだわりの豆腐が、いまいち好みでないこともあるでしょう。

こだわりの素材でも、履いて痛い靴は使えません。

「価値」と「使用価値」は違うらしいので

売り手の「こだわり(価値)」が
買い手に「ぴったり(使用価値)」でなければ
「う~ん。それでも、私には要らないかな!」となる。


「こだわりの」は、もう聞き飽きた。
それを好きかどうかは
私が決めること。

買う側からしたら、
そう思ってしまう。

そうなると、脅すつもりはなくても
「これを使わないと問題が起きる可能性がある」なんて
不安を掻き立てる言葉が出てくる。

"あなたにも起こりうること"として
【当事者意識】を持たせて

「そうならないために、これを使いなさい」は

ともすれば
そういう言葉になりかねない。

自分を必要以上に大きく見せたり
不安をあおったり。

そんなことをせずに
本当に必要な人に
必要な情報をどうやって
伝えたらいいのか。

せめて
広告などで
手垢がついた言葉を並べ立てることに集中するより

売り手の世界観や空気感も含め
気に入って
関心をもってもらえるかが
大事なのかもと思うのです。

広告用の「言葉」ではなく、

その作り手が
日々
何を見て
何を考えているのか。
その方が、
よっぽど力を持つ。

だってほら、
肌がぼろぼろの人に
「私は、これ使っている!」って言われて
その化粧品使う気にならないですよね。

化粧品を売りたければ
健康的な肌の方が良いし

健康に関するものを提供したければ
売る自分が、まず健康でないと。

顔色が悪い、疲れた感じの人に
「健康に良い」と勧められても
説得力は低めです。

他人を笑顔にしたければ
まず、自分が笑顔で。

人を癒したければ
まず自分の傷が癒えていること。

その上で

この人の作るものが
見ている世界観が

私はなんだか、とても好きだ。


その時、手に取って
相性があえば
またご縁が続くんだと思うのです。

だって、
こだわって、いくら良いもの作っていても
ふんぞり返ってる人に
あまり会いたくはないもんなぁ。

こだわってたら、そんなに偉いの?
って言われかねない。

自信があることと
威張ることは違う。

本当に自信がある人は
自分のプライドに振り回されない
謙虚さを持つ人です。

だから
自分の「こだわり」以上の
進化をする。

10年、20年
同じやり方で
通じることと通じないことがある。

何故か?

「他より」って差別化していた
その他者だって
懸命に努力しているからです。

厳しいけれども
「こだわり」具合に拘わらず

好きかどうかは
相手が決めること。

だから
自分の提供したいものと
その思いの根底となる
バックボーンや世界観を伝えるために
ブログやインスタなんかがあるんだと思うのです。

これもまた、実際の自分とあまりにも違えば
がっかりされちゃうし。
自分だって無理が出るし。

やっぱり伴侶選びと似ていると思います。

肩の力を抜いた自然な状態で
気に入ってもらえたら
自然に
ご縁はつながっていく。

「こだわりの!」ってつけてたら
売れていた時代は
もう終わり。

大事なのは
売り手のバックボーン。

もし、木の家が本当にお好きなら
木の家が本当に好きな人から
話を聞いてみる。

木の家の話をしだしたら止まらない。

そういう人の
家を見てみるというのも
手ではあります。

「こだわりの!」のフレーズに
振り回されず

良いご縁がありますように!

家のつくりやうは

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

家のつくりやうは夏を旨とすべし。
冬はいかなる所にも住まる。
暑きころわろきすまひは堪え難きことなり。

吉田兼好「徒然草」より引用

ざっくり言えば

家のつくりは、夏のことを一番に考えなさいよ~。
冬は(暖房や厚着で)何とでもできるけど
暑い時期に具合が悪い住まいは、到底我慢できないよ~。

ってことでしょうか。

こう書き残した吉田兼好さんも
昨今の猛暑を経験したら
なんて言ったのか。

暑きころわろきすまひは煮えるがごとし。

そう言ったかもしれません。

だって、熱風。蒸される暑さです。

夏は朝からガンガン冷房入れてる!
熱中症で死ぬよりマシ!

そんなお家も多いかと思います。

衣服で考えてみても
厚着はできても
脱ぐには限度がありますものね。
少しでも涼しい所に移動するしかなさそう。

移動できない住まいは
この場所で、いかに少しでも「マシ」な
夏涼しい建て方をするかに
かかりそうです。

限られた予算。
兼好さん的発想をすれば、
床暖房より
優先すべきはそっちかもしれません。

年々高くなる気温もですが
やっかいなのは湿気です。
不快度が何倍にもなる感じ。

そういえば
断熱のことを謳う広告は多くても
調湿に関しては
あまり大きな声で言わない感じがします。
強いてあげれば、珪藻土なんかを使っていると
ようやく「調湿」の文字が出てくる。

よく、「木が反る」と書いて「板」なんていいますが
あれも木が調湿しているから。
だから木は嫌なんだ!って方もいるかもしれませんが
実は、そう文句を言っているその人の空間は
反ってくれた板のおかげで
カラッとしてるなんてことも。

とはいえ、木に調湿機能があっても
それにも限界はあるでしょう。
ないより、マシなくらいかも。

見方を変えれば、
その少しマシが
いろんな場所で使われたら
意外にも大きな違いになってくるかもしれません。

除湿しただけで、ずいぶんと快適になるんですもの。

調湿の点でも夏場の快適をイメージして
家の作り方を考えてみるのも
ありだと思います。

さらっとして気持ちがいい無垢の木

理屈抜きに
梅雨場でも
手にふれた時
さらっと優しい。

無垢の木の魅力は
理屈以上だと思います。

興味のある方は
梅雨時のOB様邸もご案内いたします。

まずは、お問合せを。


お問合せ・ご相談

自分たちが住むところ

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

あるところに、絶景のお店がありまして。

絶景のお店

詳しくは、今回言えないのですが
一度そこに伺って、オーナーの奥様とお話しする機会がありました。

ヤギも
ヤギとミニチュアホースもいるのです!

カフェではないのですが
とにかく、遠く山々が見渡せる
空が、どこまでも、どこまでも、広い場所。

「・・・星も綺麗そうですね?」
「もう、なんとか流星群とか、見放題ですよ(笑)」

すごいでしょ?
おらが村も田舎なので、条件が揃えば
推定「天の川」は見ることができるのですが
これほどではありません。

いいなぁ!羨ましい限りです。

「はじめまして」にもかかわらず
開口一番聞いたのが
「・・・なんでまた、こんなところに?」

失礼は重々承知ですが
やっぱり聞きたくなってしまう。

細かい点は忘れちゃったのですが
結婚、お子さんが生まれたのを機に

「自分たちが、本当にずっと暮らしたい」
そう思える土地を
お仕事の合間にずっと探し回っていたのだとか。

「ネットで?」
「いや、実際に車を走らせて」

ひゃ~。

「で、旦那(オーナー)が上の子と一緒に走ってて
お?こっち道あるやん?で、登って行って
そしたらここに出て。

一目ぼれして
地主さんを探して、交渉して(笑)」

え~?なんだその行動力!

私などは
そういった風景を愛してやまないのですが
土地は不動産屋で探すものと思い込んでいた節があります。

自分の足で探して
本当に惚れ込んだら
自分で交渉する。

ハ~。なんや、すごい。
その発想は全くなかったとはいえ
感心してしまう。

「で、電気も何にも通っていなかったので
九電とNTTと交渉して。

家とお店を建てるお金も限られてるから
知り合いに"外側"だけ何とかしてもらって
内側は自分たちでボード貼って」

・・・ホントだ!
よく見たら、めっちゃ手づくり!
言われなきゃ分からなかったのですが(笑)

「ハ~。すごい。
でも、お子さんの学校とかってどうしてるんですか?」

「あ~。毎日送ってます。
やっぱりそこも考えたんですけど
旦那が

子育ての時期は限られてるんやけ
それ以降の方が、ずっと長いんやん?
そしたら、自分たちがずっと
どんなところで暮らしたいのかの方が
大事なんやないんかな?

って。」

ていうか、その発想する旦那さんがすごい。

自営業だから通勤のしばりはないものの
事なかれ主義の「めんどくさがり」だったら
まず出ない発想。

話はヤギと田んぼの話になって。

「ヤギって、病気になったら
やっぱり牛っていうか
この辺の家畜専門の獣医さんが来てくれるんですか?」

「そうなんです。

ただ、やっぱりちょっと舐めてたっていうか。

オスのヤギは、ちょっと大変でした。

臭いとかもだし、発情期とか気も荒いし。
そのオスが亡くなったんですけど。
ちょうど田んぼ始めてて。」

「田んぼも。」

「将来年金とかだって、どうなるか分からんけ、
自分たちの米くらいなんとかしようってことになって。」

ひゃ~。お二人とも元々は
いわゆる「街の人」です。
田舎の人間ですら
親の田んぼに無関心なこともあるのに。


「で、田んぼからヘトヘトになって戻ってきたら
オスが死んでて。
それから、たたみ2畳くらい穴ほって(笑)」

幼少期、アルプスの少女ハイジにかなり影響を受けて
香春岳(石灰が採れる筑豊の山)をアルムの山だと思い込み、
いつかはヤギを飼ってみたいと思っていた私。

そっか。
臭いとは聞いていたけど、
やっぱり病気の時、死んだ時は
かなり困るんですよね。
セキセイインコですら
病院には困りましたし。

たたみ2畳も掘って、なおかつ
ヤギ埋めでもしたら
近所の【目】が。
臭いもあるから、近所の【鼻】もでしょうか。

もう、色々噂されて村八分、

いやいや、下手したら通報されるかも。

田舎ならではの話題にもなって

「近所のお祭りの準備で
女衆はご飯の用意を
朝から晩までやるんですけど。

もう、御年いくつだか分からん婆ちゃんに
奴隷か?っていうくらい
こき使われて(笑)」

「あ~。うん。
田舎、ありますよね~」

「旦那が女も大変やなあ~って笑うんですけど

せっかくね、こんなところに
縁あって住めて。

それも含め、大事にしたいなと。」

なんか、もう神々しい。
キラキラしてる。

人づきあいが苦手で
泣き言ばっかり言ってる自分が
穢れて思えてくるレベルです。

ふと、
縁も、才能なのかなと思うこともあります。
(本心から望んで、夢中でやるのは
その人の持って生まれたものだと思うので。
反対に、致し方なく「やらねば」ならないのは
【がんばる】だと思っています。
頑張るは、頑なに張ってる。
あまり楽しくはなさそうです。)

こういう場所に縁を結んでいく力であったり、
他人との縁の紡ぎ方であったり。

類は友を呼ぶ。
良い考えは良い縁を呼ぶ。

確かにそうなのかもしれない。

ただ人生は思う通りにならない時期もある。

そんな時、
上手くいかないのは
自分がその「程度」だからだ。

そう考えてしまったら、
いつまでも
自分を好きになることなんて
できないように思うのです。

そして、うまくいっているように見える人たちだって
落ち込んで、
自分のことを嫌いな時だって
たまには、あるはず。

いつもいつも
100ワット、煌々と輝いているわけではきっとない。

ただ、少なくとも
上手くいかない時も
自分自身のことを含め、
赦せているのではないかと思うのです。

色々諸事情あって
私たちは何かを選びながら生きています。

諸事情あったにしても
天秤にかけた結果として
私たちが選んだことが
目の前の景色として広がっている。

だとしたら
目の前の景色が好きかどうか。

色々あっても
好きかどうか。

場所も、風景も、
そして
きっと、暮らしかたも。

色々あったけど
なかなか良かったって
人生のおしまいに
そう思えたら良いなと
改めて考えさせられる出会いでした。

ちなみに
彼女たちは
杉だらけの山に、広葉樹を植えて
多様な森にする活動もされています。
(頭が下がる。本当に!)

多様性がある。

つまり、色々ある。

それこそが、豊かな森を作る。

考えようによっては
色々あるから
多様性のある人生ともいえる。

色々ないと、森と同じように
人生も
豊かとはいえないのかもしれません。

「色々」、上等!

かなえば、なれる

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


年収が2倍になったからといって
生活の満足度が2倍になるわけではない・・・らしい。

例えば、年収400万の時は
「年収800万になったら
さぞ満足して日々暮らせるだろうに!」
そう思っていても
いざ年収800万が当たり前になったところで
日々の不安や不満は大差がないのだとか。

そう聞くとショックなのですが
もっと小さな単位で考えると
分かりやすいですね。

お小遣い500円が
1000円になったところで
1000円に慣れてくると
「もう少しあれば、あれが買えるのに!」なんて不満が出たりして
キリがないのと同じでしょうか。

不満を感じている「今」の状況が
ワンランクアップしても
慣れてくれば
ワンランクアップしたはずの足元は
いつの間にかレベル0に感じてしまう。

だから夢が叶えば
未来永劫、バラ色の未来が待っているわけではなく
叶っても、今と同じように
悩んだり、迷ったりはきっとある。
ということです。

ネガティブな意味にも取れますが
考えようによっては
今も、夢かなう未来も、
泣いたり笑ったりには大差はない。

だったら、安心して「今」を
泣いたり笑ったりしてても
大丈夫なのではないかと思うのです。

夢かなえば、なりたかった自分に「なれる」。
一方で
かなった自分にも「慣れて」しまう。
そうしたら、いずれ
ムクムクと次の「不足」が気になってくる。

自信がない「今」も
過去から見れば
眩しい「未来」だったはずなのに。

だから、うまくいかない時ほど
気をつけたいと思います。
少なくとも
自分で自分にダメ出しを続けて
一生を終えることがないように。


なんやかんやあっても、
今こうして生きている。

生物として
生き残っている。

陽光輝く、花咲き乱れる春も、
もう枯れたように見える極寒の冬も、
とりあえず生きている。

夢や願いが
叶おうが
叶うまいが
こうして今、生きている。

生き残っている。

どうか
自分の人生を
自分で嫌うことのないように。

自分で自分に言い聞かせております。

年のせいか
すぐ、忘れがちではあるのですが。