気にして見ている

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


遅ればせながら、
明けましておめでとうございます。

(ブログを書きたいのは山々のようですが)
忙しいもくせい工舎のお二人には
本業(良い木の家をつくること、お客様の建てた後の暮らしを考えることetc.)に専念して頂くべく、

及ばずながら、少しずつ
お家のこと、自然のこと、暮らしのことなどを
書かせていただこうと思います。

このブログ以外にも、もくせい工舎のインスタもございます。
そちらは、合間を見て"相方さん"が上げていると思うので
良かったらご覧くださいね。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。


ところで、今季の冬はちょっと様相が違ったのです。

バードテーブルになかなか野鳥が来ない。

いつもなら、ヒッヒッヒッとジョウビタキの声がしたら、
シロハラがやってきて、
ヒヨドリやらメジロやら、みかんやリンゴを競うように食べに来るのですが
全く来ない。

庭に野良猫がウロウロしてたから?

そう思っていたら、ずいぶん遅れてようやくやって来ました。

2022_シロハラ

シロハラです。

ジョウビタキと同じく、日本で越冬する渡り鳥です。

気のせいでしょうか?
ツバメにしても、この子たちにしても
少しずつ見かける時期がずれているような気がするのです。

温暖化の影響、といえばそれまでなんですが
時期がずれれば、食べ物も巣材の確保も、ずれ込むような気がするので
ちょっと個人的に、気にして見ています。

気にしてみる、といえばこれ。

20211225_原田左研の親方。三和酒類の辛島虚空乃蔵の左官仕事
(※諸事情のため、文章が読めないくらいに引いて撮影しています。見にくくてすみません。)

昨年のクリスマス。
新聞にヘルメットを着用した
左官をするサンタクロース(?)が。

もくせい工舎OB様には、一度見たら多分忘れられない、この人物。

そう、もくせい工舎の漆喰の壁を手がける
原田左研の親方なのです。


なんでも、三和酒類さんの酒造観光館が
この春【辛島虚空乃蔵(こくうのくら) 】として
リニューアルオープンするらしく、その壁を担う親方が
その広告に掲載されていたのでした。


実は、それを知らず偶然近くを通りかかった時に
「・・・あれ?左官さんが入っているな~」と
工事中の建物を見て思っていたのです。

養生の仕方が、もくせい工舎のそれと似ていたので
「へ~。どんな建物ができるんだろう。」と思っていたのですが
まさかのドンピシャ、原田左研のお仕事だったとは!


広告によると、ニシノホシの麦わらや市内赤尾の粘土が使われているようです。

外壁にその土地の土を塗ることで街の風景が創られてきた

そう語る親方の言葉通り、空間の雰囲気やあり方を大事にする姿勢が
ものづくりにも表れていくんだと思います。

きっと素敵な、何とも言えない味わいのある空間になるんだろうな~。

こちらも「気にして」見ていきたいところです。


そうそう、こちらも気にしてみていきます。

202201_猫のハチとゴマ

わが家の先住猫のハチ(白黒ハチワレ・♀)と新入りのゴマ(ムギワラ・♀)です。

だ、だいぶん慣れてきた?かな?

仲が良くも悪くもないけど、時々雲行きが怪しくなるので
レフェリーストップが入ります。



元々、外で他の猫にいじめられていたから引き取ったゴマでした。

そのいじめていた猫は、あれだけ姿を見せてたのに
もう見ません。

外が氷点下になる昨今。どうしているだろうかとも思います。


ゴマは、弱いから助けられました。
その代わり、自由と母親になることを失いました。

あの追い回していた子は強いから、この寒空の下
どこでどうしているかも分かりません。

何が猫の幸せなのか。それをどうして私が決めれるのか。

猫の幸せをひとくくりで決めてしまうことは
「女なんだから結婚して子どもを生んで
 家にいるのが幸せに決まっている」と
言われることと一緒のような気がするのです。

何を幸せに思うかが、人によって違うように
猫の幸せも、猫によって違うんじゃないか。

ただ、助けようとすると
諸事情を鑑み
避妊、室内飼いしかできなかったのです。

「こうするべき」という考えが
正しいか間違っているかはともかく、

せっかく生まれてきた命が
人間も、動物も
できたらヌクヌクと温かい場所で休めるよう願いたいところです。

気にして見ている。

そういうことが増えれば、
何かあった時、少しはお力になれるかな?

優しげなことが優しいとは限らないけれど
無知無関心もなんなので。


今春、宇佐市辛島の虚空乃蔵が完成しましたら
興味のある方は
ぜひ原田左研さんのお仕事ぶりを観に行ってください。

「あ~、こんな空間好きだな~。
こんな感じの家に住みたいな~。」と思ったら
是非もくせい工舎のお家を見に来てくださいね。

正し、設計は虚空乃蔵とは違うので
そこはご留意ください。

漆喰のやさしい雰囲気に、
これでもか!と木をつかったお家です。

自然素材の家づくりに
木も気もつかっていいるというワケです。

新年早々、ダジャレですみません。

こざっぱり。できるだけ。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


年末ですね。年末。

・・・どうしよう(笑)

わが家は、毎日ルーティンとして掃除する場所と、
年末しかしない場所があります。

毎日のルーティンを少しずつずらしていけば
何となく家全体がいつも綺麗に保てるのは
理屈では分かるのですが
それができない。

どうしても、最低限ここだけ!
を掃除するのでいっぱいいっぱいなのです。

だから年末しか掃除しない場所は
汚れも一年分ですから
かなり頑固で苦労する。

今はスイッチ一つで便利になった分、
部品も複雑で、掃除がしにくい感じがします。

システムキッチンなどは、
大掃除のことを考えたら
レンジフードから何から、
シンクに漬け置きできればありがたいのですが、
レンジフードカバーは、手に余るほど大きく
「いったいどこで洗うのかい?庭か?風呂か?」と泣きたくなります。

う~ん。デザインした人は大掃除しないんだろうか。

ぜひともメーカーさんには
大掃除の洗いやすさもお願いしたいところです。

あと、レンジフード以外の難関と言えばこれ。

2021_oosouji.jpg

お風呂の乾燥機の換気扇。

まだ築数年のお家は特に異変を感じないかもしれませんが、
実はこれも曲者だったのです。

建てて数年後、天井から何やら黒いものが落ちてくる。

・・・怖いでしょ~(笑)

わが家では、毎年フィルターは掃除していたのですが
換気扇の羽の間に、
びっしり湯気と誇り(←あえてこう書きます)が混じった黒い汚れが‼

そこがMAXになって、ある日ハラハラと粉雪のように舞い落ちたのでした。

・・・ひゃ~‼‼‼‼

まだ黒い雪が舞い降りてないお宅は、
ちょっと見てみると良いかもしれません。

換気のために付けっぱなしだと、
かなりの確率でなっているかもしれません。

くわばらくわばら。

できれば、こざっぱりして年越しをしたいところですが
光陰矢の如し。

あっというまに明日は大みそかなのです。

多少のやり残しはあっても、
え、笑顔で年越しをいたしましょう。
きりがない。

あと、このこも我が家で年越しとなりそうです。

2021_goma_sakura.jpg

無事に避妊手術を終えたゴマちゃんです。

予約していた日になかなか戻らず、
延期し、クリスマスイブに手術となりました。

あとは、傷が完全に塞がるのと
お腹の禿が治るのを待つばかりです。

先住猫のハチとは・・・もうちょっとかな。

ハチの方が、気分にムラがあるので
気長に様子をみましょう。

あ~、今年も終わる。

オリンピックとコロナの2021年。

来年は、もっと安心できる世界が待っていることを祈ります。

それでは皆様、良いお年をお過ごしくださいね。

冬来りて猫が鳴く

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


早いもので、あと半月もすると、2021年も終わりですね。

色とりどりに染まった紅葉にうっとりしていたら
いつのまにか寒さも本番に差し掛かっています。

冬眠場所を探すクサガメ
さすらいのクサガメ。冬眠場所を探して迷い込んだかな。

亀はともかく、
寒くなると、妙に野良猫が目につくのは私だけでしょうか。

元野良猫のハチが我が家の庭先で
「入れろー!」と鳴いたのも、11月のはじめ。

思えば、サツマイモ掘りは
11月のはじめの頃には終わらせます。霜が当たるからです。

その頃にはもう、朝の冷え込みも強く
外暮らしの猫たちには、本当に堪えるのでしょう。

猫の発情期のピークは春(2~4月)と夏(6~8月)

発情するのはメスのみで、
オスはそれに促される形となるようです。

妊娠期間が2か月くらい。

そうすると、単純に考えれば
(2~4月)で、4~6月の初夏生まれ。
(6~8月)で、8~10月の初秋生まれとなります。

ハチが来たのは、満1歳にもならない8か月くらいだと思うので
おそらく、初夏生まれ。

初秋生まれ、しかも遅ければ遅いほど、
霜が降りる頃になっても、まだ生後数か月ってとこでしょうか。

野良猫の生活の厳しさから考えても、
冬が来る前にある程度育っていない子猫は
春を知らずに亡くなる可能性が大きくなります。

「野良猫が車のボンネットに乗って迷惑だ。」

そりゃ、猫嫌いな人もいるし、
野良猫に興味のない人もいるし、
車に傷でもついたらというのも分かるし。

ただ、「車に傷でもつけて困らしてやろう」と思って
上に乗っている猫なんていないんですよね。

もう、寒くて寒くて、
ようやく温かい所を見つけて
夜の間冷え切った体を温めてただけで。

私は猫好きなので、そういうお宅に
室内犬用のお洋服なんかの洗濯物がかかっていると
ちょっと複雑な気持ちになってしまう。

好きで野良に生まれたわけじゃなかろうもん!

ペットショップで買えるだけが命じゃないぞ~!

生まれ変わって野良猫になってみたら分かるよ!

んで、「汚い野良猫、あっちいけ!」って言われてみればいいよ!

チックショー~~~~~!(小梅太夫か?)

ついつい取り乱してしまいました。すみません。


一見自由とはいいながら、寒い。ひもじい。怖い。
そんな思いをしながら生きている野良さん達。

私なら耐えられないと思います。

ハチも、ホウキを怖がるので
きっと嫌な目にあったことがあるのでしょう。

今思えば、それでも勇気をもって
というか、図々しく?
「入れろ~!」と人間を「頼ってみた」と言えます。

凶と出るか吉と出るか。

わが身の運を気にするのなんて人間くらい。

「そんなん知らん~!
ともかく、声をかけないと死ぬ~!」・・・と思ったのか。

いや~、この点も私などは
「この前ひどい目にあったから」ってウジウジして
凍えと飢えで死んでいたかもしれない。

・・・声かけてくる猫って
実は、図々しいばかりの勇気があるんじゃないか。

・・・で、来ちゃったんですよ。また。
その類が。

この子です。

2021_野良猫ゴマちゃん

・・・どうしよう(笑)

とりあえず、猫風邪ひいていたので病院にかかって
治療しました。

近々避妊手術の予定です。

ただな~、こればかりは先住のハチ先輩次第のところがありまして。

今、じわじわとお互いに慣らしている最中です。

2021_ハチとゴマ

一年たってもどうにもならなかったら
嫁入り先を探さないといけないかも。トホホ。
(時間がたつほど、ではありますが)

「ぜひ、わがやに!」って方がいましたら
もくせい工舎までご一報ください。
(↑勝手に言ってます)

厳しい審査の上、泣く泣く嫁に出します。
(とはいえ、なるべく頑張るんですが)


オスの行動範囲は広く、メスはそれほどでもなく
そこそこ近場で一生を終えます。

メスの発情が引き金になって、オスも・・・となると
やっぱり、地域猫のメスだけでも
できるだけ避妊させることが、
かわいそうな野良猫をこれ以上増やさない糸口になると思います。

とはいえ、正義感に燃えて言ってるわけでなく
やっぱりモヤモヤするんですよ。
猫に頼まれてそうしてるわけじゃない。

ただ、猫にしろ、人間にしろ
生まれてきたからには・・・っていうのがある。

好きで寒空の下、凍えているわけじゃない。

「そういう運命なんだから仕方ない」
って、自分事だったとしてもいえるのか。

・・・・。

チックショー~~~~~!(再びすみません。)


人の気持ちを知ってか知らずか。

2021_ゴマちゃん

そんなんリラックスして。

2021_ゴマちゃん

名前はゴマちゃん(♀)。柿のゴマ模様みたいだからです。

セキセイインコのQ太郎、猫のハチ。
9,8・・・で数字に絡んで5です。

7,10はボツになりました。

2021_ゴマちゃんのカギしっぽ
チューリップ型のフライドチキンのような、カギしっぽがチャームポイントです。ピコピコ動きます。

2021_ゴマちゃん

幸せになろうね、ゴマちゃん。

・・・その前に、ハチ先輩だけど。

それだけが全てじゃない。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


不思議なもので、お腹が痛くない時は
お腹のことを
それほど意識していません。

ところが、いざ痛くなると
気にもしていなかった
お腹のことで頭がいっぱいになる。

具合が悪くなる、つまり日常に不具合が起こると
途端に、そのことばかりに意識が向くようになります。

その不具合に病名がつけば、「病気」なんでしょうか。

検査の数値は問題ない。
病院に行くほどでもない。
けれども、あまり調子がいいとも言えない。

「病気」の反対は、「健康」と言えそうですが
じゃ、その「健康」がどういう状態をいうのかは
かなりあいまいなのかもしれません。

同じように、
幸不幸も言えると思います。

不幸は何となく分かりやすいけれど、
幸せってどういう状態か分かりにくい。

恋人や家族や、お金や、地位や、
何かを手にしている状態を
単純に「幸せ」といえるのか。

同じ状態でも
不幸のどん底のような顔をしている人もいれば
平気で幸せそうな顔をしている人もいる。

じゃ、不幸のどん底のような気持ちになる人が悪いと単純にいえるのか。

同じようなことも
過敏に受け取る人と
鈍い人がいるのは
心の体質のようなものなのかもしれない。

花粉症の人に、過敏なあなたが悪いんだといっても仕方ない。
だって好きでなったわけではないんだもの。

人間にひどい目にあわされた猫に
人間嫌いは性格の問題とは言い切れない。
だって嫌な目にあってきたんだから。

繊細な心(気質)の人に
そう考えるあなたが悪いといっても
もう、受け取った時点で
アレルギー反応のように心が反応してしまっている。

何も好き好んで過敏になったわけではない。
だから、まったく過敏な自分を嫌いになる必要ないんじゃないか。

花粉症や猫と違って、少しできることがあるとすれば
過敏に反応してしまうことはさておき、
「落ち着く」ことかもしれない。

体の真ん中に一本の芯があるようなイメージをして
そこがまだダメージを受けてないと思えると
少し楽かもしれない。

心にさざ波が立ってはいるけれど、
落ち着いていたら波は収まる。
それをイメージすることかもしれない。

不具合が起きても、とりあえず生きているなら
大丈夫。

ただ、命にかかわることからは
全力で逃げる必要があるけれど。

生きていれば、なんやかや不具合は起きるけど
自分の命や、芯の部分が無事なら大丈夫と言えるのではないか。

病気になったら、私が一番最初に気を付けることは何かというと、(略)一日中、病気のことで頭をいっぱいにしないことである。
by 宇野千代

宇野千代さんの考え方をアレンジすれば
病気を不幸、というより不具合と言い換えると分かりやすいかもしれない。

不具合で頭をいっぱいにしない。

上手くいってることもあるんだから。


・・・と、自分に言い聞かせているわけです(笑)

「当たり前」をささえるもの

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


わが子が小さい時、それはもう、笑えるほど度々病気になりました。

兄弟そろって気管支炎だの、肺炎だので
入院することも度々で
「幼稚園に今月2日しか行ってない」なんてこともありました。

誰の助けもあまり期待できなかったので
「こりゃ~、まともに何時から何時までの仕事に就くのは無理かもしんない。」

そう思って通信でWebデザイン等を勉強した時期がありました。

今から10年以上も前のことなので
AdobeのDreamWeaverというソフト。

これがまた私のアタマには難しく、
やっとこさ完成させても
InternetExplorer6問題だったか何かで
(こちらできちんと表示されててもIE6だと表示が崩れちゃう問題)
すっかり心が折れてしまい
付属で覚えた
illustratorとPhotoshopでこうして細々お仕事をしています。

日進月歩の世界は
歩みがゆっくりな私にはついていけない。

今はWordpressなんかで、皆さん
サクサクとサイトを作っているようなので
あんなに勉強してみたことも
日進月歩が
「誰でも簡単に」それなりにできるようにしてくれます。

地道にコツコツした経験値が
やがて地層のようになるのとは
ちょっと違う世界。
乗り遅れないよう、最新のものに常にアンテナを張って
刷新していかないと置いていかれてしまう。

ちょっと私には無理でした。

でも、そのWebデザインの勉強の時に
講師の方が話していた言葉が印象的だったのです。

「Webデザイン然りなんですが
デザインって不便や不都合を感じさせないように作ることが前提なんですよ。」

つまりWebデザインでいうと、クリックするボタンの大きさ一つ、位置1つ、
サイトの訪問者に「?」って思わせてはいけないということ。

なんの不便も感じさせず、「さらっと上手くいく」ようしないといけない。

不便を感じさせないのがデザインの仕事ということです。

車や家電などの工業製品のデザインだとよく分かりますよね。
炊飯ジャーでも「炊く」のボタンが一番大きく押しやすいのは
そういう配慮です。
マニュアルを最後まで読まないと「炊く」ボタンが分からないのは
製品としてアウトですもんね。

機能とは関係なさそうなグラフィックデザインの世界でも
イベントのポスターなのに
開催日時がどこに書いているのか分からなければ
「?」ってなりますから、デザイン的には失敗ということです。

デザインとは、設計・図案・意匠のことだと出てきます。
「?」ってなったり、困らないよう設計する機能的な美しさでしょうか。

あ~、でも
「困らなくて」「きれい」ってデザインだけの話ではないはず。

日頃、「なんの不便も感じさせない。」そういう仕事。

おおやけに「役に立つ」と言われている仕事はもちろん、
名もなき、小さな仕事にも
誰かに不便を感じさせず、快適な日常が当たり前に送れる働きがある。

洗濯かごに放りっぱなしにしていた昨日の靴下が
何年も同じ位置にないのは
誰かが洗濯してくれたからだ。

お金になることばかりが仕事じゃないと
頭ではよく分かっていても
そういう小さな仕事って、もう少し有難がってもいいような気もします。

明日起きれば、温かいご飯とみそ汁、お弁当ができてる。

・・・なんて、当たり前じゃないんだよな。きっと。

当たり前のことが、当たり前にできているのは
きっと、陰ひなたなく
誰かがそうやって働いてくれているからだ。

家事は
日々の暮らしに「困らないよう」「きれい」にしてる
デザイン業務とも言えそうです。

あれをやって、これをやって、
こうしている間に、あれをやって・・・。

家事は頭もフル回転。

疲れは「体」ではなく「脳」の疲れといいますから
もう、立派な激務ですよ。

もっと胸をはっていいと思いますし、
ねぎらって貰っても、おつりが出るくらいです。

家族の「当たり前」を支える。

お金になる「仕事」も、
お金にはならない「仕事」も、
どっちも大事。

ただ、お金にならない「おうちしごと」に
もっと光あれ!

・・・と願います。

「なんかいい」を生み出すもの

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


もくせい工舎では、無垢の木と漆喰で家を建てています。

漆喰壁や玄関の三和土風の土間を手がけるのは、日田の原田左研さん。

自然な素材にこだわり、
壁をつくるというより、
壁と壁の間の雰囲気をつくる。

そんな類まれなセンスの職人さん達です。

この漆喰・左官仕事に関しては、
機械化され続けてきた建築の世界で
今も残る、数少ない手仕事の部分といわれています。


だからでしょうか。

工場からパネルで運ばれて
あっという間に出来上がる
新建材のお家に比べ、

もくせい工舎のお家の出来方は
どこか手作りっぽいのです。

また、人の手仕事だからできることもあります。


こちらはもくせい工舎のカタログ等々でよく掲載されるお家なのですが、


もくせい工舎の自然素材の漆喰壁の家

・・・パッと見て何かお気づきになりますか?

そう、このお家、カドがないのです。

もくせい工舎の自然素材の漆喰壁の家。角がないので優しい雰囲気。

緑色のラインの中を拡大すると・・・↓

手仕事で丸くなった漆喰の壁

他にも、パッと見シンプルなお家ですが、

自然素材の漆喰の壁の家の外観

近くまで来ると、その仕事ぶりに驚きます。

漆喰壁の角が丸い仕上がり

カドが丸い・・・だけなのですが
これだけでフリーハンド感が出るというか

ジブリ作品の背景画のような
優しい雰囲気になるのは驚きです。

これは、人の手による仕事だからでもあります。


また、もくせい工舎の家でも
同じようでいて
よく見ると鏝の跡は、かなり違います。

漆喰の鏝跡の違い
同じ「凹凸をつけた塗り方」であっても、左のように滑らかなアイスクリームのように塗った鏝跡もあれば、
右のように「ほら穴っぽい」質感で仕上げた鏝跡もあります。



私たちも
毎回同じように書いている自分の名前だって
意識しないと微妙に違います。

筆跡は同じでも、紙の摩擦や腕の位置で
全く同じにはなりません。


下は、パソコンなどで使われるフォント(字体)です。

フォントと手書き
パソコンなどで使うフォント(字体)も、手書きっぽく見せていても赤い丸のように、同じ字は全く同じ。
手書きだと、(下手なせいもありますが)全く同じ形にはならない。



完全や、完璧ではなく、
ちょっと外す。
「遊び」がある。

「なんかいい」雰囲気は
人の手仕事の賜物といえます。

手仕事

スタイリッシュで都会的な住まいを好むか

手び練りの器のような家を好むかは

人それぞれですが

「なんかいい」雰囲気は
自然と心をほどいてくれる。

「なんかいい」人の手仕事は

物や空間に遊びやゆとりを与えてくれるのではないかと思います。

「意味」

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


先日、久しぶりに赤ちゃんにふれる機会がありました。

予定日よりずいぶん早めに生まれてきたらしく
実質的には8か月。

伝い歩きが楽しいようで
ニコニコしながら近づいてきます。

手を差し伸べて抱っこすると

・・・あ~、うん、なんかこんなだった。
こんな感触だったよ、赤ちゃんて。

つるつるして、ちょっとペタペタして
重いのに、軽い。

下の子で考えると
15年ぶりくらいの感触です。


「・・・孫っち、こんな感じなんでしょうね~」


子育ても終盤になってくると、
赤ちゃんは可愛いばっかり。


手のかかる時期を必死で過ごしている時期に比べたら
気楽なものです。


嫁や妻の役は、本当に向いていなかったと痛感していますが
母親になったのは、自分にとっては良い経験になったと思います。

少なくとも、低い鼻っ柱は折られました。

それまで、自分で努力さえすれば、
がんばりさえすれば
なんとかなってきたことが

自分がどうあがいても
どうしようもないこともある。

受け入れて、その上でどうしていくか。

それに目が行くようになったからです。

だから、うまくいかない人を一概に責められなくなりました。


利発で、快活で、性格も良く
誰にでも好かれ、
いかにも世の中の役に立っていけそうな子。

そういう子が、俗にいう「子育ての成功例」だとすれば
いかにそれを目指していくかが「親力」みたいなものかもしれません。

・・・でもな~。工場で饅頭つくるようなわけにはいかないんですよ。

これさえしとけば、というマニュアルどおりにはいかない。

だって人間だもの。

親である私が100点じゃないのに
子どもに100点であれ。

っていうのは、どうも合わなかったのです。

仕方がない。私が親だもの。

東大に兄弟を何人も送り込むほど敏腕ではありませんが
うちの子は、華やかな「良い子」ではなく
なんだかほのぼのした「いい奴」にはなってくれました。

女子にはモテないけど、猫にはモテています。


へなちょこな母親ですが
子どもを育てるのって、盲導犬のパピーウォーカー的なものかと思います。

子犬の時に、愛情をたくさんもらって
人間を好きになって、
そして「盲導犬として合格」すれば盲導犬になればいいし、
盲導犬にはなれなくても、また別の生き方がある。

産みはしたけれど、実は「預かり物」で、
ましてや所有物ではないのかもしれない。

「子どもが生まれれば、親にはなれる。
でも、親であることは難しい。」

大学の時に先生に言われた言葉です。
これだけは覚えています。授業の内容はほとんど忘れたのに。

子育てをしていると、
自分の子ども時代の古傷に向き合うことも多い。

私は褒められたこともないのに、
褒めろとな?とか。

でも、自分が子どもの頃
大人に言われてた嫌だったこと、されて嫌だったことは
「私はやらないぜ」って決めることはできるんですものね。

褒めることは苦手でも、
【ねぎらう】くらいはできそう。

ねぎらってもらったら
「なんだかんだいっても
ちゃんと見てるんだな」って実感しますしね。


前回のブログに、胎児性水俣病の娘をお風呂に入れる母親の写真のことを書きました。

あの時に思ったのは、同じ境遇だったとして

私の母は、同じようにしてくれただろうか。
私は、我が子に同じようにできただろうか。

それは、どこかハッキリ言えないのに

強烈にあったのは

「こういう風に、どんな私でも
好いてくれたらどんなに嬉しいだろうか」
という思いでした。

世の中の役に立つとか
必死で頑張っているとか

そういう目に見える
分かりやすい「意味や意義があるから」ではなく

無条件に好いてくれる、
お前は、生まれてきて、生きていてOKなんだと。
例え、他所の人がどう言おうとも、
私は、お前が大切なんだと。
そう断言してくれる。

その存在がどんなにありがたいか。


ユージン・スミスの「入浴する智子と母」の写真を見て、
状況は大変なのに、同情するとかのレベルじゃなく、

胸をよぎったのは
強烈な羨ましさだったのかもしれません。


子どもは、饅頭工場で合格品をつくるようなものじゃない。

親の成績表でもない。


生きている「意味が(今は)よくわからない」ことは
(イコール)生きている「意味がない」とは絶対に違う。

しかも、それをどうして誰かにジャッジされなければいけないのか。

自分が「意味が理解できない」だけで、
「意味がない」と決めつけて。

それじゃ、相模原障がい者殺傷事件の犯人と同じです。

私たちは何もかも理解できているわけではない。

それなのに
「意味」ばかり考えて、
ジャッジして。

目に見えることばかりが
人の「役に立つ」じゃない。

日の当たるところで頑張る人も、
人知れず、がんばる人もいる。

役に立って偉いとか、
頑張ってて偉いと、

他人をジャッジし、
自分すらジャッジし

存在理由や生存理由まで判定されるんでしょうか。

でも、それって
お互いがお互いを見張り合うような
ギスギスした世界になりかねない。

役に立ってないと、
いかにも頑張ってないと、
好いてくれない世界で
私たちは
いつ心から安心できるんだろう。

理屈抜きで、
損得なく好いてほしいのは

きっと、大人も子どもも同じ。

皆、冒頭の赤ちゃんみたいに
意味があろうがなかろうが

ニコニコ笑っていたはずなのに。

生まれつき
おとなしい赤ちゃんはいても、
根暗な赤ちゃんはいない。

皆、ニコニコ笑っていたはずなのに。

ピエタ

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

読書会で『苦海浄土』を紹介されたのを皮切りに、
なんだか個人的に、石牟礼道子三昧となった今年。

その流れで、ジョニー・デップ製作・主演の映画
「MINAMATA-ミナマタ-」を観に行きました。

友人に誘われて観た井上弘久氏の
朗読劇『椿の海の記(著|石牟礼道子)』も、きっかけの一つ。

公害けしからん!はもちろんのこと
それ以上に、
人のいとなみや、自然について
考えさせられることが、とても多かったのです。


『椿の海の記』は、公害が起こる前の水俣が舞台。

4歳の「みっちん(幼少期の石牟礼道子)」の目を通して
どこまでも豊饒な水俣の自然と、
その恵みに生かされて生きる
人々の様子が描かれます。

それまで、私にとって「水俣」は、
【公害の起きた場所】でした。

元来の猫好きなので
猫が踊り狂うように死んだりする映像もショックでしたし、

同じように人々が、痙攣したり、
のたうちまわって苦しむ姿は、強烈で

【被害者としての水俣】を
印象として、強く持っていたんだと思います。

でも、違ったんです。

被害者であることだけが、水俣の全てではなかった。

あの公害が起きる前の、水俣が
どんなに豊饒な世界だったか。

それを教えてくれたのが石牟礼さんの『椿の海の記』でした。

「やまももの木に登るときゃ、山の神さんに、
いただき申しやすちゅうて、ことわって登ろうぞ。」

小さな「みっちん」に、父・亀太郎が何度も言い聞かせます。


自然は人間だけのものではなく
山の「あのひと」たちのものでもあり、
神様からの「恵み」である。

だから、断りばゆうて
分けてもらう。

自然の、恵みにおすそ分けをもらって
生かされている人間。

・・・うわ~。

努力と根性で、右肩上がりに上がることばかりが
偉いと思い込んでると、

【思い上がり】も、右肩上がりなのかも知れません。


また、登場人物に考えさせられることも多かった。

ご近所の末広の女郎さんたち、
岬の火葬場の隠亡(おんぼう)の岩殿(いわどん)

世間でいうところの、けっして立場の強くない人々に
どこまでも目線の優しい
みっちんの両親。

そして、盲目で狂女の
祖母「おもかさま」。

石牟礼道子という人が描く、
映画を見ているような、繊細な文章の世界に
すっかり参ってしまったのです。


今回の映画も、ユージン・スミスが撮った
【人の営み】が見てみたかったのが一番の理由です。


ネタばれするつもりはないので
詳しくは書きませんが

実際は、ハリウッド的勧善懲悪とはいかない
複雑な事情もあったのだろうなと思います。

それでも、絶対「しかたないよね」ではすまされない。


國村準さん演じるチッソ社長が、ppmの話をするシーンが印象的でした。

ごくわずかなら、無いに等しいと。



有毒でも、ごくわずかなら無毒か。

騒いでいても、ごくわずかな人間なら問題ないか。


「チッソは私であった」の著者・緒方正人さんではないですが

チッソは私。
私は、チッソになりうるって
どこかで思っていないと
間違えてしまうような気がしました。



映画の中で、胎児性水俣病のアキコちゃんを
お母さんがお風呂に入れるシーンがあります。

ユージン・スミスの「入浴する智子と母」という作品が元ですが、

もう、なんだか心を揺さぶられて
不敷布のマスクが
ぐしょぐしょになって、エライことになりました。

上手く言えませんが、

私の母は、同じ立場なら
私をこんな風に愛おしそうにお風呂に入れてくれただろうか。

同じ立場なら、
私は、我が子をこんな風にできただろうか。

その姿が、ピエタのようで

エンドロールで流れる坂本龍一さんの音楽が
強くて、きれいで。

きれいごとじゃすまない一面の、
それでも
絶対に人が失ってはいけない核心に触れたようで

本当に、何の言葉でも埋まらないのですが、

きれいごとじゃないのに、
何とも言えない、絶対的なものを見せられた。

そんな感じでした。


それにしても、ジョニー・デップ。

映画に詳しくないとはいえ、
私が知っているジョニデは

ハサミつけて「白塗り」してたり、
チョコレート工場で「白塗り」してたり、
海賊やって「白塗り?」してたりだったので

あまりにも違って、というか
本当にユージン・スミスはこんな人だったのではと
そう思えるくらい違和感がなくて。

そちらも意外や意外でした。

例によって長文失礼しました。

あ~、でもまだ話したいこといっぱいある~。



折を見て、また書きたいと思います。


明日は、10/1。映画は、ファーストデイ。

今週末、完成見学会のお家に。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

9/25,26の土日、もくせい工舎では
国東市にて、完成見学会を開催します。

詳しくは→こちら♪

本日そのお家の写真撮影にお邪魔してきました。


20210923_もくせい工舎・自然素材の家の完成見学会・会場外観


お邪魔した時は、まだカーポートが工事中。

お庭をてがける実意園さんが多忙で
見学会までに間に合いませんでしたが、
お庭ができたら、撮影...再度、できたらいいなぁ。

そして、この日は
原田左研の職人さんが
玄関の三和土風土間の最終仕上げをしていました。

20210923_もくせい工舎・自然素材の家の完成見学会・三和土風土間

(撮影するのに)玄関から入って大丈夫ですか?」

「あ、はい。今は大丈夫ですけど、これから塩酸で洗うので...。」

「あ、じゃあ、あちらから出入りしましょうね。」

飾る花を活けながら、さっき聞いた「塩酸で洗う」が気になって仕方ない。

忙しい原田左研の職人さんに、ちょっと聞いてみました。

「さっき、塩酸で洗うって言ってましたけど、
塩酸で洗うと、どうなるんですか?」

「あぁ。(土間の)アルカリ成分が出て白っぽくなるので
酸で中和して、きれいにするんです。」

「壁の漆喰は、酸で中和しないようですけど、
土間はするんですね」

「壁の漆喰は、石灰の色味自体が大事なんですけど、
土間は強度をあげるため、セメントも入っています。
セメントの色味や、三和土に入っている(きれいな)石の色味を
美しくするため、最後に洗う作業があるんです。」

なるほど~。

お忙しいのに、根掘り葉掘り聞いてしまった・・・。
真摯に答えてくださった職人さん、ありがとうございます。

撮影していると、場所がら
飛行機が通過します。

大分空港が、ちょっと先ですものね。

20210923_飛行機

室内にいると、音もそれほど気になりません。


撮影をしていると、それこそ先ほど話した
原田左研さんの仕事ぶりが目に飛び込んできます。

20210923_漆喰の鏝跡

この、鏝の跡、本当にいいでしょ~。

20210923_漆喰の質感

もくせい工舎の漆喰の壁は、本当に手仕事なので
その跡が、なんとも言えない雰囲気を醸し出しています。

手び練りの器みたいな、あの素朴な感じです。

20210923_洗面台付近

手洗い鉢とステンドグラスが素敵な、手洗い場。
直線も、漆喰だと雰囲気は柔らかいですね。



もくせい工舎のお家も、実は【新築の匂い】があります。

建ててしばらくした木の家の匂いとは違う、
フレッシュな、【切りたての木】の匂い。

実際には、乾燥させたりするので
切りたて!ではないはずなのに不思議です。

撮影後は、髪の毛とかから
気のせいか、木の香りがする。

おそらく、はじめてお越しになる方は
圧倒的な、清々しい木の香りにビックリするかもしれません。


大概、撮影にお邪魔している私でさえ、
撮影してると思います。

20210923_もくせい工舎の家は、木がふんだん

「どこまで木やねん!」って(笑)

それくらい、ふんだんに木が使われています。
これを見慣れていると、木の家の概念が変わってきちゃう。

見学会では、その辺も見どころかもしれません。

こればかりは、実際に
来て見ないと分からないですものね。


それと、
マニアックかもしれないですけど、
私は、カーテンが風に揺れるのがすごく好きなんです。

20210923_自然の風

自然の風が、ふわ~っと入ってきて
カーテンが、無垢の木の上を揺れて。

絵になりますよね~。
いや~、しあわせな光景だ。

20210923_9/25・26完成見学会の自然素材の家・リビング

今週末は、お天気もよさそうです。

車で数分のところに
道の駅くにさきと、きれいな海もあります。

よかったら、ご家族で
「どこまで木やねん!」の
自然素材の家に会いに来てください。

今週末の見学会、詳しくは→こちら!

・・・ちょっと都合が悪くて~

という方も、OB様邸個別案内なども致しております。

こちらも、下記バナーより↓遠慮なくお問合せ下さい。

お問合せ・ご相談


みなさまにお会いできるのを、楽しみにしています。

なつかしさの裏側には

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


先日、ある廃校にお邪魔しました。

待ち合わせた友人が、
「朝、廃校になった小学校の草刈りでね。
でも、すぐ終わった。
『いっつも手入れしよるけん、時間がかからんで終わるけどね~』
っち、近所の人たちと言いよったんよ~」
というので、

「廃校...。」

「うち、地区が自分たちで管理するけって
廃校になった後も、手入れしよるんよね~。
普通、市の業者かなんかが来るんやろうけど。

今、地区でサロン開いたり、資料展示したりしよるんよね~。」

個人的には、廃校って
どこぞの団体なんかがリノベーションして
うんたらかんたらというニュースばかり聞くので

「自分たちできちんと管理するから!」という地区の話は
とても意外だったのです。

廃校になって、第三者にわたった学校が
何だかすっかり"こじゃれ"てしまって、
地区とは一線を画す、別物になってしまうような
思い込みがあったのかもしれません。

よくよく考えたら、
廃校をリノベーションして、カフェとか、シェアオフィスとかは
「新店舗オープン!」と宣伝されるので、知っているだけかも。

地道に、地区が手入れしているという情報は
わざわざ、あまり報道されそうもありません。

なんとなく、その大事にされている学校を見に行ってみたくて
忙しい友人に付き合ってもらって
訪れてみた、というわけです。

場所は、中津市津民の河川プールのまだ上流。
長岩城跡の近くの、永岩小学校。
旧とつけたくなりますが、まだ使われてますものね。

210915_校庭から校舎を望む

小さな校庭に桜の木。
そして、こじんまりとした校舎がありました。

210915_nagaiwasyo_1.jpg

正面には、木製の手書きの表札。

210915_職員室前210915_ガラスの建具
古い木の建具が味わい深い、職員室前。

210915_保健室前のかわいいボード210915_長い土間付きの廊下
手づくりの可愛い掲示板のある保健室前。土間が平行する廊下をはじめて見た。

210915_体育館
小さめのかわいい体育館も。烏骨鶏とウサギの飼育小屋もあった。

まず案内してもらったのが、最後の在校生たちが作った
長岩城の模型。

なんでも、先生に
「賞をとったら、東京に呼ばれるけん、
東京ディズニーランド、いけるぞ!」
と、のせられて(?)放課後残ってまで
完成させた力作です。

山城の様子を分かりやすく伝えるために
等高線を参考に、山の起伏を表現したり。
特徴的な平べったい石積みを、忠実に再現したり。

崖が危険だからって、「落ちたら死ぬ」と書いてあったのには
笑いました。

「本当だ。落ちたら、そりゃ~死ぬかも(笑)」

その作業の様子や、学校行事の様子が
掲示されていて、友人から
地域あげての運動会の様子も聞きました。

「70、80のおばちゃんたちが、
もう、元気いいでな~」

地区の敬老会も、ここでやっていたとか。
写真には、何とも楽しそうな
笑顔が並びます。

あえてこの自然豊かな環境を気に入ってくれた
先生も少なくなかったようで、
校長先生入れて、4~5人の先生たちの
満面の笑みの集合写真もありました。

大型校では、あまり見ない類の教職員写真です。
(大型校も、満面の笑みで写ったって良さそうなのに。)

私の友人も、ご主人も、お子さんも、今は亡きおじいちゃんも
この学校の写真に楽しそうに写っていました。

ふと思ったのは、懐かしさには
必ず裏に、温かな思い出があるということです。

辛い記憶や、それにまつわる傷が癒えていないうちは
なかなか、その場所を懐かしく思い出すことなんてできないからです。

大きな桜の下、地区の人たちが
お弁当を広げ、楽しそうに笑う写真に
「自分たちが管理するけん」の
意味が分かったような気がしました。
(気がしただけ、かもしれないけれど。)

地区の絆って、無理強いして
できるものではないように思います。

嫌々参加っていう人もいるかもしれない。

かくいう私も、あまり地区の行事やPTAは好きではない。

ただ、少しずつ、
色々もやもやはあっても、少しずつ
顔なじみになる、
名前くらい知ってる人になる、
話をしたことがある人になる、
笑いあったことがある人になる、

そういった些細なことの積み重ねが
地域で生きるってことではないかと
この歳になって思うことです。

今いる場所が、いつか懐かしく思い出されるように、
色々あっても、どこか温かい記憶として残れば
良しとしたいところです。

地区もそうですが
子ども達にとって、我が家もそうかもしれない。

顔をあわせれば、嫌みや忠告しかででこない親がいる実家より
近所のおばあちゃんの方がよっぽど懐かしいなんてことだってある。

それってやっぱり、【居心地の良さ】ではないでしょうか。

居心地のよかった場所は、
きっと思い出しては
【懐かしい場所】になるのだと思います。

そんな居心地の良い
思い出の場所の一つが
わが家であれば、親冥利につきそうです。

そんな居心地の一助になりそうな木の家が
もうすぐお目見えします。

そうそう、宣伝なんです。
だって、自然素材の工務店もブログですもの。
ちゃんと、告知しとかないと(笑)

どうか、こちらもぜひ
良かったら、一度ご覧ください。
お待ちしております。

9/25・26 国東市完成見学会