ウンは自称で。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


不思議なもので、うまくいっている時に、うまくいっている【要因】のことを考える人はほとんどいない。

うまくいかなくなった時に、多くの人は【原因】を探す。

それは、健康な時には、さほど体のことは気にせず、

何か不調が生じた時に初めて、何が悪かったのかを探りたがるようなものかと思う。

私などは特に、健康で、調子が良い時は、
うまく回れていることに感謝の一つも感じることもなく、

それが自分の持って生まれた、当然のように思い過して、

いざどこか悪くなると、その「痛み」で頭がいっぱいになる。

そして、その痛みが引いてしまえば、

喉元を過ぎた熱さのように、痛みのない【通常】の有難さなんか忘れてしまう。

性懲りもないのです。


運ということに対しても、そうかもしれません。

順風満帆に行っている時より、
二進も三進もいかなくなった時の方が、自分の運というものに対して考えてしまいます。

なぜ、こうもうまく進まないのかと。

なぜ、こうも裏目裏目にでてしまうのかと。

そんな時、どうすれば現状打破できるのか、道が拓けるのか、
そればかりグルグル考えてしまう。

目に見えないドアを探し続けているような、
アップアップと溺れているような。

実は、ドアからじゃなくても出られたり、
半歩先は、浅瀬だったりするのかもしれないのに。


運と言うことに関しては、脳科学者の中野信子さんが対談しているショート動画で興味深いことをおっしゃっていました。

「自分は運が良い」と思っている人と、「自分は運が悪い」と思っている人のくじ運を実験してみたら、
どちらも何も変わらなかったとのこと。

ただ、同じ空の下にいても、その上の空の虹に気づく人と、気づかない人がいるのと、違いはそこではないかというような内容でした。

くじ運のそれと同じように、運はある意味平等にあるのに、
ツイてるな~、うれしいな~と感じる感度が違うということでしょうか。


裏目裏目にでるという時、どこか自分なりに「こう動けば、こうなるのではないか」という期待があるように思います。

それは、打算ともいえるでしょう。

特に、「こう動けば、こう思ってくれるんじゃないか」というような他人の気持ちに対しての打算は、
まぁ、見事にフラれることが多い。

つくづく、他人の気持ちなんて、期待通りにならないということです。

自分の気持ちさえコントロールが難しいのに、そりゃそうだよなって思います。


思い通りになんて行かない世の中で、

それでも、それを慰めるかのように、思いもよらぬことを与えられるというか、
見せられる(?)時がある。

たとえば、これです。

ハゼラン

・・・ちょっと分かりにくいですかね。茎が細くて、背景に馴染みすぎちゃってます。

ハゼラン

黄色の丸の中に、小さな花と、同じように小さな丸い玉が見えるでしょうか?

アングルを変えると分かりやすいのですが、

ハゼラン

・・・こんな感じ!まるで線香花火のようです。

こんなに華奢でかわいらしい花なのに、漢字で書くと【爆蘭】。
ハゼランと読みます。

名前の由来は、種がはじけて飛ぶ様子から。別名【三時草】。
3時のヒロインならぬ【三時の貴公子】とも言われています。

三時と付く通り、実はこの花、夏から秋の3時くらいにしか咲かないのです。

図書館の駐車場が満車だったので、近くの神社に停めて歩いていると、
たまたま見つけたのでした。

しかも、道の駅で見かけて、気になっていた植物。

呼ばれるように気が付いたというか、
よくぞたまたま、咲いている時間帯に通りかかったもんだとビックリしました。

駐車場が空いていたら、見れなかったんだし。

もう、うれしくて、うれしくて。

ちょっと落ち込んでいたのですが、すっかり元気になりました。

虹

雨が降らなきゃ、虹が見えないように

うまくいかない中で、何を見ようとしたかが大事なのかもしれない。

鬱々としてしまうときこそ、下を向かずに、自然なものに会いに行く。

寄せては返す、波の音や

木々をゆらす風の音や、鳥の声。

そういったものと自分も何も変わらないんだと実感を取り戻せば、

また少し元気になって、ままならない世を泳いでいけるのかな、と思います。

おとぎ話のような運の良し悪しはともかく、

そういったものに気づく、アンテナを張ってて損はない。

運が良いかなんて、自称で上等なんですよ、きっと。

自称ラッキーで

お布団から出られないという副作用

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


明けましておめでとうございます。

年が明ける度、代役で留守を預かる者として感じる、
「黒子ですみません」的、申し訳なさは否めませんが、

文章を書くこと以上に、良い家をつくることが、
永家夫妻の第一のことと、ご理解いただいて、
どうぞ、気長にお待ちいただけたらと思います。

黒子としても、それに適う様、精進してまいります。

本年も、もくせい工舎ともども、よろしくお願いいたします。


さて、今年一番は、冷えに関する話。

高知県の山のてっぺんに、早川ユミさんという布作家の方が住んでいらっしゃいます。

早川ユミさんの手から生まれる、味わい深い服や、
畑の仕事、日々の暮らし、考え方・・・。

こんな人になれたら、どんなにいいか!と思う、私にとって羨望のお方であります。

あいにく、お裁縫もからっきしで、根性もセンスもないので
「いいなぁ~」と言っては、何にもしない。

それを繰り返しているばかりの人間にすぎません。

洋服のつくり方も、「私でも、もしかしたらできるのでは?」と思わせてくれそうな、
有機的で、感覚的な作り方。

そして本の、洋服づくりのノウハウ以上に、魅力的なのが文章とユミさんの絵でして。

独特の温かみとリズムと、センスががあって、

おとぎ話をするような語り口でありながら、
生き物としての人間の本質も鋭くついているような、

不思議な魅力のある本をたくさん出しておられます。


その中に冷えに関する記述も多く、読んでいると、
(西洋医学的な根拠はともかく)なるほどなぁと思うこともあり、方法も簡単なので、実践してみたくなるのです。

試してみたのが、靴下の重ね履き。

ネットでも、冷え取り靴下がたくさん売られおり、簡単に手に入ります。

冷え取り靴下重ね履き
扱い方も原因かもしれないが、絹は、若干破れやすいような。

なんでも、購入したメーカーさんによると、
20枚重ねると、一番効果を感じやすいのだとか。

・・・・。

4枚でも、靴が入りにくくなって買いなおすことになった、甲高幅広ホビット足のワタシにはムリな話。

20枚とかはいたら、入る靴がありません。

諦めて、初年度は4枚で過ごしました。
(2年目の今季は、2枚。一枚で、肌側に絹・外側に綿の5本指カバーソックスを使用。)


そのメーカーさんの説明には、他にも冷え取りに関することが書いてあって、半身浴30分以上もその一つ。

・・・これも、そんなにのんびり浸かっていられません。

五十路を超えて、ようやく血圧が100を越してきた低血圧の私は、
冬になると、お湯に浸かったとたん、寝てしまうことが多い。

眠くなったな~とか思う前に、気が付いたら寝ているのです。

お湯に浸かって体が温まると、体温を平熱に戻そうとして血管が緩むらしく、

緩めば血圧は下がるので、結果、脳が酸欠気味になるのだとか。


そう、のんびり浸かっているからウトウト寝てしまったのではなく、
ほぼ気絶していたのでした。

ゆっくり半身浴なんかしている間に、気が付いたらリアルな極楽に行きかねない。

お風呂場から、三途の川に直行です。
(同年代の中山美穂さんのこともあったので、誰にでも起こりうることではあります。
念のため、防水タイマーを買って対策。)



半身浴が無理なら、代わりに湯たんぽでもよいとあったので、

気楽な湯たんぽに、早々に乗り換えました。


湯たんぽって、今、色々あるんですよね。

安価なプラスチック製から、充電式のものまで。

冷えとり・湯たんぽ

なかでも、早川ユミさんが陶器の湯たんぽの素晴らしさを語っていたので、
ぜひとも倣いたい。

新品を買うと、一万円近くしますが、運よくメ●カリで未使用品を1200円で手に入れました。

冷えとり・湯たんぽ
陶器製湯たんぽ。ずっしり重い。

栓も陶器でできていて、中に入る部分が水漏れしないようゴムになっているので、

あまり口のギリギリまで湯を入れると、変形しそうです。

かなり大きめなので、1Lちょっと入る感じ。

私が使い出してから、息子たち、そして猫さんズの分も用意するようになったので、
寝る前は、何回もお湯を沸かします。

陶器の湯たんぽは、遠赤外線効果があるらしく、
お湯の量が多めなのも手伝って、

朝になってもポッカポカ。

肝心の冷え対策としての効果ですが、

う~ん。正直、分からない。

しめつけない靴下を4枚履いていても、
湯たんぽでヌクヌク眠っていても、

相変わらず、指先は氷のようにつめたく、

しもやけで赤黒く変色し、腫れあがったままで、
物をつかむこともままなりません。

体に冷えは感じず、指先だけなので、
末端冷え性というものかもしれません。

自律神経や、低血圧、貧血も要因の一つのようなので、

冷え対策はしつつ、ストレスの発散や、
血の巡りにも気をつけねば、なかなか一部の対策だけでは改善されないのかもしれません。

湯たんぽ一つで劇的に改善!とはならなかったものの、

この、お湯を入れるタイプの湯たんぽの心地よさを知ると、
冬場は手放せなくなります。

ぐっすりよく眠れるし、

途中で起きても、戻った布団は体温以上の温かさ。

電源要らずの、コタツなみです。

欠点といえば、お湯の準備が面倒なことと、

朝、布団から出たくない気持ちが倍増することでしょうか。

ちなみに、Copilot(AI)に、【湯たんぽの医学的な効果】を質問してみたら、以下のように返ってきました。


湯たんぽの効果について医学的に説明すると、以下のような点が挙げられます:

血行促進: 湯たんぽを使うことで、体の表面温度が上がり、血管が拡張します。これにより血流が良くなり、筋肉の緊張が和らぎます。

リラックス効果: 熱を感じることで、体がリラックスし、ストレスホルモンの分泌が抑えられます。これにより、心身のリラックス効果が期待できます。

筋肉のリフレッシュ: 熱によって筋肉がほぐれ、痛みや疲れが軽減されます。特に筋肉の緊張や痛みがある場合に効果的です。

冷え症の緩和: 冷え性の人にとって、湯たんぽは体を温める効果があり、寒さによる不快感を和らげます。

これらの効果により、湯たんぽはリラックスや健康維持に役立つアイテムとして人気があります。ただし、過剰な使用や高温で使用すると火傷や皮膚のダメージを引き起こす可能性があるため、注意が必要です。

冷え性でお悩みの方も、そうでない方も、

お布団から益々出たくなくなりますが、

湯たんぽ、いかがでしょうか。おススメです。

湯たんぽ愛

カブルの悲劇

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


『W(ダブリュー)の悲劇』(1984年)という映画があります。

映画を見たことがなくても、
主演の薬師カひろ子さんが歌った、主題歌『Woman "Wの悲劇"より』は、
ご存じの方も多いのではないでしょうか。

今回は、わが家を襲った?『W(ダブリュー)の悲劇』ならぬ
かぶるの悲劇のお話。

あ~、あれね!と分かった方は、かなり車にお詳しいのでは?

そう、かぶったのは夫の車なのでした。


暑いままの10月が過ぎ、秋も深まらぬまま11月が過ぎ、
12月になったとたん、バタバタと寒くなってきた初旬の話です。

おらが村は、朝の冷え込みは市街地の比じゃないので、
キンっキン!に冷え込みます。

「いってきま~す」

会社に出かけた夫が、いざ車に乗り込みエンジンを掛けます。

ぶるるる・・・・・ぷすん。

ぶるるるるるるるる!・・・ぷすん。

ぶるるるるるるるるるるるる!・・・ぷすん。

「・・・・あの、へんな音はウチの音やろうか。」

・・・・バタン!

夫が戻ってきました。

「なんか、バッテリーが悪いんかも。○○さんに連絡してみんと。」

○○さんとは、長年お世話になっているディーラーの担当営業さん。

事故にあった時でも、休みの日でも、こういった困った時でも、
いつもニコニコ頼りになる人なのです。

電話を掛けると、太田村に行く途中の出先らしいので(そもそも、こんな朝早くだし。)
「折り返し、また連絡する」とのこと。

「車、引き取りにくるんかな~」と夫。

動かんのやけ、そうかもしれん。

実際怖いのは、レッカー代です。

とりあえず、夫を会社に送り届け、
○○さんからの連絡なり、レッカーなりを待つことに。

10時くらいになって、携帯が鳴ります。

「あ!○○です!
奥さん、だんなさんの車の所に、行ってもらえますか?」

「????
行ったらいいんですか?
えっと、えっと、ちょっと待っとってくださいね」

夫の車の運転席に乗り込みます。

「乗りました。」

「そしたらですね、いつもブレーキを右足で踏むと思うんですけれど、
まず、左足でブレーキを踏んで・・・」

「左で・・・」

「そしたら、エンジンを掛けて」

「エンジン・・・」

(元気がない感じで)・・・ぶるるるるる・・・。

「そしたら、左でブレーキ踏んだまま、
右足でアクセルいっぱい踏んで!」

「・・・アクセル?・・・いっぱい踏むんですか?
ふかす感じ?」

ブ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ン!!

「それ、2,3回やって!」

ブ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ン!!
ブ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ン!!

「10秒くらいしたら、またやって!」

ブ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ン!!
ブ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ン!!

・・・・・・・ぶるるるるるるるる!

キタ~!

「・・・かかりました?」

「かかりました!・・・ありがとうございます!」

「この時期、よくあるんですよ。車がかぶる、っちいうんですけど。
エンジンの火が付くところが、湿気って、火がつかんくなるみたいなもんです。

古い車とか、メーカー関係なく、新車でもなるんで。

バッテリーが上がったっち連絡あるんやけど、
こういった寒い時期、なることが多くって。」

「結露みたいなもんですか?」

「おっしゃるとおり、結露みたいなもんです。
さっきみたいにふかして、それをとばしたら、治ることが多いんです。」

てっきり、レッカー移動→高額請求を覚悟していただけに、拍子抜け。

というか、○○さん、すごすぎる!

電話越しに何度も頭を下げ、御礼申し上げたのでした。


何がすごいって、メカニックの人ではないのです。

きっと、わが家だけでなく、他のお客さんの困りに対しても、
○○さんなりに、専門のスタッフに訊いたり、調べたり、
何やかんやと対処してきたことの積み重ねが、
そうさせている、ということ。

売って終わりではなく、その後の【困り】に真摯に向き合った来た証拠だと思います。

いやはや、ヨカッタヨカッタ。

持つべきものは、困った時に頼りになる人。

どんなに立派な人でも、当てにできない人じゃこまるのです。

「わが社に限って・・・」なんて言って、
現実に起こっていることに、目を向けない人じゃ、困るのです。

現実に起こっていることから目を逸らすから、
お客さんは怒るんです。

ありがとう、○○さん。
いつも現実の【困り】に向き合ってくれて。


しかし、結露で困るのは、家だけじゃないんだなぁ。

車でもそんなことが起こりうることを、初めて知ったのでした。

上述の記事は、うろ覚えも否めませんので、詳しくは【車 かぶる】で検索して見てください。
詳しい対処法も載っていると思います。


いやはや、そんなこんなで、ワヤワヤと、
あわただしく今年も終わりつつあります。

寒さも、日に日に厳しくなってきました。
どうぞ、忙しい最中ですが、ご自愛くださいませ。

皆さまにとって、新年が素晴らしい一年となりますように!

良いお年を


60点をねらいつつ、欠点はとらないよう努める【付き合い】

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


夢のマイホームと言うけれど、家を建てれば、漏れなくついてくる現実があります。

ローンの支払い?

それもですが、今回は《ご近所付き合い》のお話です。

ご近所の廃屋の野ぶどう
蔦で中まで覆いつくされた、ご近所の廃屋。野ぶどうの実がなっていました。残念ながら食べれないのだそう。

任意加入でありながら、有無を言わせない感は、町内会も、PTAも同じ。
「入りますか?入りませんか?」と、まず訊かれない。

おらが村のような田舎だと、政(まつりごと)ならぬ祭りごと関連もあり。

マチナカに近かったアパート時代より、住んだとたん、かなり高濃度な近所づきあいが始まりました。


公民館掃除や、地域の草刈りなどは、まだいいんです。

顔見知りもできるし、みんなで使う場所を、みんなできれいにする系の活動は、やった甲斐もあります。

レース状になった木の葉.jpg
その公民館掃除で、いいもの見つけました。桜の落ち葉が葉脈だけになって、レースみたい!

よく分からないのは、交通当番でして。

朝の7:30~8:15まで、指定の位置で、2世帯から1人ずつ、つまり二人一組で立つのですが、

学校が休みでも、嵐が来ても、人っ子一人通らなくても、立たねばならない。

例え、学校がある日でも、子ども達は7:30を過ぎたらほぼ通らないので、
時間設定も、首をかしげたくなるのです。

私は家で仕事をしているので、まだいいとして、

核家族で、ふつうに会社勤めなら、まず無理でしょう。

都合がつかなければ、誰かに変わってもらうとか、交渉をせねばなりません。

他人に迷惑をかけて、頭を下げ、交渉して、・・・誰も通らない道を、小一時間監視する。

やりがい、まったくのゼロ。

「交通当番、たいしてやることもないから、ひとりずつで立とうか?
そしたら、順番回るのゆっくりやし。」

よくペアを組むお隣さんに持ち掛けて、ひとりでたっていたら
「みんな二人ずつでたちよるんやけ!」とお叱りを受けました。

「なんで?どうして?」と聞いても、
「なんでも!」「決まりやけ」「昔からそうなんやけ」「みんなやりよるんやけ」という、
腑にちっとも落ちない返事なのも、PTAと一緒。

嫌なら変えればいいのですが、変えようとしても、イチぺえぺえに何ができるわけでなく。

PTAをやった時に、さんざん思ったのは、本当に変えようと思ったら、
中枢部に入って、何年も人が嫌がる仕事をやって、信頼を得てからじゃないと無理だということ。

なんでそうなるのか、中枢部に行かないと分からないこともあるからです。

それで、中枢部に行ってみると、それでも分からない。

例年通りのことを、みんな疑問に思ってるのに口に出さず、
とにかく、事なかれ主義で進めることが第一。

変えようとすれば、変人扱いされ、煙たがられて、
(PTAだと、末子が卒業して)期限が切れるか、「・・・そこまでして変える義理もないや」とあきらめる。

う~ん。組織って、本当に分からない。

同じボランティアでも、やりがいがあれば、みんなそんなに文句は言わないと思うんです。

ボランティアで、使えるはずだった時間を割いて、
都合がつかなければ、他人に迷惑をかけて、頭を下げて、

意味や意義をまったく感じないことをする。

・・・これは、モヤモヤしますよ~。


だから、交通当番時は、ペアの人と「意味が分からん」ことへの愚痴り合いとなります。
(相手によっては、特に話すこともないですし。)

「私、近所づきあいとか、もう本当に、どうでもいいんですよ。
でも、こんな田舎なんで、こんなに結構、色々あるとか思いもせんかって!」

先だっての相方さんがそう言う。

私も彼女も、地域に全く縁者のいない、いわゆる「よそ者」です。

彼女と話していて、引っ越しにあたり、転校を選んだ理由を、

「う~ん。やっぱり、地域に根を張るっていうか、
住んでいるのに、うちは関係ないというのも、なんだかね~と思ったんで」と言うと、

「子どもがおると、その点、大変ですよね」と同情され。

とはいえ、子どもの有無にかかわらず、根を張るということについて考えてしまいました。


根を張るというのは、見ざる聞かざる言わざるで、ズブズブになること?

そうではなく、

そんなに都合よく、満点は取れないと理解して、

それでも根が腐らないよう、その土地で生きていくことかもしれない。

疑問に思うことや、モヤモヤすることを、

のらりくらりと躱しながら、

風に耐えるうち、踏まれるうち、しっかり耐えるように、根っこは強くなる。

それが根を張るということなんじゃないか。

そして、大樹が枯れた後(引退ってことで)、日が差し込んだ時がチャンスで、
ここで、より良い方向へと、伸びていければ、
強くなった根が、その茎を、その花を、支えてくれるんじゃないか。

動ける人間は、植物よりマシなのですが、
逃げるばかりでは、根無し草になりかねない。


彼女のように、「近所づきあいなんて!」というほどのものも持ち合わせてない私。


そこで思い出すのが、たまたま見て、目からウロコだった

『感動!友達なんかいなくて当たり前【甲本ヒロト】【名言】』というYouTubeのショート動画です

学校という、たまたま親が選んだ土地の、たまたま同学年の、たまたま同じクラス。

子ども達ほど、選択の自由がないわけでない、エエ年した大人の、【ご近所づきあい】。

甲本ヒロトさんの考え方で、それを考え直してみると、

職場だろうが、ご近所だろうが、

たまたま同じタイミングで、その場所に居合わせただけ。

みんな仲良く「お友達」になる必要はないんだけれども、

なるべく喧嘩しないで、できるだけ平穏に暮らす。


その練習である【学校】を出て、大人としてのドンピシャの実践が、
今まさに目の前に現れた、職場であり、ご近所づきあいなんじゃないだろうか。


みんな100点満点の、仲良しこよしである必要はないんだけれど、

職を全うするまで、この地にサヨナラをするまで、

なるべく平和に、他人も、自分も大事に過ごしていく。

根を張るということは、そういうことなのかもしれない。


口やかましく感じる役員さんさん達が、決して好き好んで引き受けていないのは、
地区もPTAも同じ。

かといって、変えていくには、時間もエネルギーも必要で。


だから、これはあくまで私個人の目標ですが、

「60点あたりをねらいつつ、30点以下は取らない程度に」を考えています。

ご近所づきあいや、他の人間関係含め、
その方が、気が楽なような気がします。


ズブズブにならず、しっかり根を張りながら、

踏まれても、ゆがんだままでも、
花を咲かせたら、

咲かせたもん勝ちってことで良いのではないでしょうか。

思わぬいいことも

自分が可哀想という病

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


『スナック キヅツキ』という益田ミリさんの漫画があります。

可哀想という病_キズ

その本の帯にある【キズついて、キズつけて、生きている】という言葉の通り、

それぞれは短編という形をとっているのですが、

1話目の【主人公】をキズつけた人物が、今度は2話目で【主人公】となり、
3話目に出てくる人物からキズつけられている、という連続したもの。

キズつけている、といっても

社会によくあるような、

モヤっとしても、なんとなく飲み込んでしまうような、

些細だから、口にするのもなんだか・・・。と、なかったことにしてしまうような、小さなキズ。

泣きわめいて、反論して・・・とまでいかない、小さなキズ。

言うほどでもない、小さなキズをつけられて、
【主人公】は、ふらりとスナックキズツキに入っていきます。

そこは、傷ついた者しかたどりつけない路地裏のスナック。

スナックですが、アルコールはおいていません。

飄飄とした女主人が、弾き語りで【主人公】の自分の正直な気持ちをカラオケで歌わせたり、

エアギターさせたり、踊ったり。

出ていく頃には、いくぶんかスッキリしているというお話です。


私は、ともすれば、自分の人生の【主人公】になってしまっている時があります。

ネアカな方ではないので、どちらかといえば不幸寄りな話の、【主人公】です。

しかも、不幸といっても、他人に話せばどうでもいい、
「そんなことくらい」と鼻で笑われるような、話。

「そんなことくらい」と笑われるような、しょうもないことで、いちいちキズついている自分にも嫌気がさして、

よけい気落ちしているというから、どうしようもありません。


この益田ミリさんの漫画は、他人に言えば「なんだそれくらい」「あ~、ありがちだよね」と笑われるような、小さなキズをうけた人たちが、

実は、そのほとんどが悪気なく誰かを同じように、傷つけてもいるのだということを、

説教臭くなく気づかせてくれます。


自分のキズは大袈裟に痛がるのに、他人につけてしまったキズには無頓着。

物語の【主人公】に居座りすぎると、自分が清廉潔白の勧善懲悪になりかねないのが怖いところ。

何のことはない。

そういうアンタだって、何かしらやらかしてるんだよって、自分を俯瞰してみないと、
危なっかしいのだと思います。

大人になってつくづく思ったことは、
キズついている自分に夢中になると、ろくなことがないということ。

私は、これを【自分可哀想病】と呼んでいます。

「なんで私ばっかり」
「なんで誰もわかってくれない」
「どうせ」

私、私、私、私・・・。

こういう、かわいそうな自分に夢中になる時、

実は、その人は自分のことしか考えていない。

自分のことしか考えていない人と、誰も親しくなりたいとは思わない。

だからよけい悪循環に陥るのは、当たり前のことなんだと
オバちゃんになって気づきました。

だから、「ありゃ、これは自分可哀想病のひき初めだぞ」と思ったら、

カメラ片手に自然豊かな場所に行ったり、
美術館に行ったり、

自分の小さな世界ばかりが、世の中の全てでないことを実感しに行きます。


自分の機嫌は自分でとる。

虎に翼で、母親役の石田ゆり子さんがセリフで言っていたような気もしますが、

それこそ、大人だからできること。

誰かにあやしてもらったり、慰めてもらったりすることばかり考えていたら、

いかに自分が可哀想なのかを、他人にアピールせねばなりません。

大人になるというのは、他人だって、そこそこ、口にはしないけど、
何かしらを背負っているんだろうなということを、思いやれること。

お互い、何かしらの荷を負っていることを、理解すること。

そうすれば、他人の荷に気づかず、
「私こんなに可哀想」という荷を押し付けずにすみます。

「誰かに理解してほしい」「分かってほしい」
そう伝えたとして、

「あ~、○○さんってかわいそうな人なんやね~」って言われたいか?

うんにゃ!絶対イヤだ!

可哀想なばかりが、私じゃないぞ!

自分の人生を、可哀想で締めくくるのなんて絶対イヤだ!

そこそこ色々あったけど、おもしろいことも、良いこともあったよ!
って、生ききりたい!

だから、本っ当に気をつけないといけない!

そう繰り返し、自分に言い聞かせます。

自分可哀想って病にならないように。

風邪もひき初めが肝心なように、
早め早めの対処が肝要です。

他人につまらない嫌な思いをさせないように、
自分で人生をみじめにしないように、

気をつけていきたいところであります。

私をキズつけたあの人も、誰かにキズつけられているんだよなぁ。

可哀想という病

「まずない」から、意味がある

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


「自分にできることは、これなので、こういったものをつくりました。
誰か要る人いませんか?」と売るより、

「お困りですか?それ、お手伝いできると思いますので、一緒につくりましょう」という方が、売れやすいという。

スキルから、買ってくれそうな人(ニーズ)を探すんじゃなくて、

これがないと困る!(ニーズ)から、スキルを提供する感じだろうか。


今、もくせい工舎では、

「自然素材の家を建てる」スキルがあって、それを必要としている人を探す形になっている。

逆を考えれば、もくせい工舎のような家でないと困る人を探して、
その人が望むものを、どうやったらできるかを考えることが、後者に近いのかもしれない。

例えば、化学物質過敏症だったりする人だろうか。

ただ、医師免許や、そういった研究機関や、公的な立場でないので、
あたかも症状が改善したり、治癒したりといった効能や効果は、書けない。

言えるとすれば、低刺激であるということかもしれない。

それは、永家さんがもくせい工舎を立ち上げたきっかけに由来する。

相方である奥さんや、娘さんが化学物質に過敏で、
新築の店舗などに行くと、目がチカチカ、鼻はズルズル、
とても居ていられない。

かたや、自然素材で建てた我が家では、まったくそういった症状はない。

永家さん自身は、もともと新建材でもリフォームをしていた人である。

しかし、新建材メーカーの説明会などに出席する度、
そこに違和感を感じるようになる。

住宅ローンを組んで、これから何十年もかかって返していくのに、
その途中で、何百万と掛かる《補修》が当たり前の建て方に。

そして、自然素材でつくった我が家との、あまりの違いに。

永家さんが、そういった違和感を感じて、もう20年は経っている。

その間、新建材メーカーだって、病気にしたくて作っているわけではないから、
ホルムアルデヒドの発散量を抑えるなど、それなりの対策をとった製品も出てくる。

しかし、微量だから問題ないのかは、当事者でないと分からない。

少なくとも、そのことで困ったことがあるかないか。

その経験の有無、それに対応するスキルの有無が作り手にあるか。

それは当事者にとって、安心材料として、きっと全く違うことになる。

痛みの分からない人に、辛さは分からないからだ。

今、こういった先行きが分からない世の中で、

結婚や、子どもを産み育てるか否かまで、

これまでの《常識》や《一般的な流れ》が、全く形を変えている。

明日どうなるかもわからないのに、
家を建てたところで、払いきれるかも分からない。

ましてや、そうやって建てた家が、

いずれわが子に、実家じまいという負債として残るなら、

賃貸で身軽に暮らす方が、ずっと賢いのではないか。


体質に何もなければ、賃貸でもなんでもいいだろう。

かたや、新築の刺激臭や、古くなった建物のカビで困ることが多ければ、
そうはいかない。

そして、その賃貸に、そういった困りに配慮して、
隅から隅まで、極力自然素材だけで建てたような物件がほぼない。

あったところで、値段や場所、条件があうかどうかも分からない。

ないから、建てなくてはいけない。

困っているから、必要性・ニーズが出てくるのだろう。

先の考えで行けば、多分、そんな人のためにこそ、
家とは【建てる意味】があるのだと思う。



そして、極端な症状が現れないから無害かどうかも分からない。

刺激に過敏な人、小さな子ども、お年寄り。
そして、物言わぬペットまで。

一番配慮がいる人にあわせた環境は、
実は誰にでも優しい環境でもあるはず。

安さや、見た目や、機能以前に、
もっと大事なことがある。

それを考えつくした賃貸がないから、

家を建てる、その意味、ニーズ、必要性があるんじゃないかと思う。

それは、持家が損とか得とかいう以上に、

健やかに生きる場所として、必要だったということ。


そのためになら、

お手伝いできる何かがあるんじゃないか。

宇佐の山ん中の、小さい工務店に。

土壁の家

お困りの方も、そうでない方も、
よかったら、土壁の家を見に来てください。

見栄でも外聞でもなく、生きていく場所として
家を考えてみるヒントになれるかもしれません。

賃貸じゃどこにもないから自然素材の家が必要

ほんとのこと

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


皆さま、本はお好きですか?

新しくできたお家の撮影に行くと、隠れ家のような書庫があったり、
立派な本棚があったりと、

もくせい工舎の自然素材の家の本棚

もくせい工舎のOB様方の中にも、本がお好きな方なのかな?とお見受けすることがあります。


かくゆう私も、大人になって本好きになりました。

きっかけは、子育てに悩みまくっていたころ、
あるサイトに相談してみたのがきっかけでした。

自分なりに「悩み」を相談したつもりだったのですが、
「愚痴を言いたくなったらいつでもどうぞ」との返信。

・・・そうか。
自分ではどんなに悩んでいると思い込んでいても、
所詮、誰かにとっては愚痴でしかない。

それに、相談したからと言って、目が覚めるような答えが返ってくるとも限らない。

私が欲しい言葉は、きっと私の中にしかない。

そうすると、「答え」を自分で探さないといけない。

その糸口に選んだのが、本だったように思います。


本は文字ではない。

本は人じゃ。

開けば、触れることができる。ほかの人の考えに。
(中略)
その人の目で見た、世の中の
人生のあらゆることを教えてくれる。

生きるに迷うとるんは 自分一人じゃないことを。

・・・・これ、ずいぶん前の大河ドラマ『花燃ゆ』で、吉田寅次郎(松陰)が言っていたセリフです。


本なら、合わなければ閉じればいい。

本なら、通常では出会いようがない人の考えにも触れられます。

本なら、何度でも同じことを問い直せます。


そして、そういった悩みに対する糸口としてだけでなく、

本の中には、私が知らなかった、ユルい世界、

ささやかでも、愛しい世界を垣間見せてくれるものもありました。


実は、今度山香町の完成見学会にお越しいただいた方先行で、

もくせい工舎の土壁の家にて、かしきりCafeを計画しております。

20241117_24_イベント

その一角をお借りして、ことりのかあさんの【脳が煮えない貸本屋】を出そうともくろんでおります。

貸本屋といっても、ご自由に見てもらう形。もちろん、なんの料金も発生しません。

なかなか一般的に、たった一人のために、カフェを貸し切りなんて機会もないはず。

たまには、心置きなく、ボ~っとする時間をもってもらいたい。

しかも土壁の家という、場所で。

そのお供として、凝り固まった脳や考えを、ユルめてくれるような本を置いてみたいと思います。


イベントの詳細は→こちら!

自家焙煎の珈琲と、手づくりのお菓子とともに、
(・・・って、私が用意するんじゃないんだけれども。)

日頃の疲れを癒しにお越しください。

自然素材の家のもくせい工舎・土壁の家カフェにてお待ちしております

ロード・オブ・ザ・おんた Vol.2

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


前回の記事

小鹿田

短い足をグルグル高速回転させて、Googleさんの予想より早く着きました。

なんだか巨大IT企業に勝ったような気持ちになります。(小さくガッツポーズ)


さて、窯元めぐりを始めましょう。

小鹿田焼民陶祭地図
会場でいただいた地図。

皿山の入り口辺りから、出店なども出ていて、ウキウキします。

蕎麦屋さんの店先では、イワナを塩焼きにしていて、おいしそう。

小鹿田

ピザやビールまで楽しめる窯元もあります。

ちょうどお昼時とあって、あちこち大賑い。

小腹は空いていたものの、こんな時、ひとり旅は気楽です。

同伴者のお腹の空き具合を気にせず、「とりあえず、こっち!」ができます。

食事処が賑わっているということは、窯元がいくぶんか回りやすいかも。

目的のものを、見る方が先!と判断しました。

小鹿田
店先も、おしゃれ。黄色の色味がかわいい。

小鹿田
こちらでゲットした、お皿?それとも植木鉢の受け皿?各500円くらいだったと思います。

小鹿田
山香町の撮影でも、使用しました。

小鹿田
雨ざらしがもったいない焼物の背景に、蕎麦屋横の川を見る。

小鹿田の唐臼
ぎぃ~~~~~、ごとん。ザァ~~。ぎぃ~~~~~、ごとん。ザァ~~。
唐臼が何とも味わい深い音を立てています。・・・これは、小石原では見なかったような。

うろうろ見ていると、売り物の棚の下に隠れるようにあったのがこちら!

手洗い鉢、じゃないですか?小鹿田焼の!

小鹿田
多分、坂本元窯で見たんじゃないかと思います。違っていたら、すみません。

い、いくらだろう・・・。と値段を探しましたが、見当たらず・・・。

これ、今お家を検討中の方は、見て欲しい~。

手洗い鉢が小鹿田焼なんて、ゼイタクすぎる・・・。うらやましい。

小鹿田

さて、こちら。看板は【窯元柳瀬朝夫】となっておりますが、地図で言うところの【柳瀬裕之窯】。

その軒先に、

小鹿田

おぉぉぉ~、500円!これなら買えますよ!

似ているようで、1つ1つ違うのは、手づくりならでは。

手にのっけて、じっくり見て、しっくりくるものを選びます。

建物の中にも、そこそこのお値段のものから、手に届きやすいものまで。

中でも、これ!

小鹿田

このぽってりした形、絵本『ぐりとぐら』のカステラみたいな黄色!

しかも、1,000円!なんてこったい。買いますとも!

これ、山香の完成見学会で飾らせていただきました!

山香町見学会に使用の小鹿田焼
赤い花と、お似合いです。

小鹿田
こちらでゲットしたもの。たしか、(左から)300円、1,000円、500円、・・・右が一番思い出せない。450~600円くらいだったと思います。すみません。

こちらは、そのお隣、地図でいうところの【柳瀬元寿窯】。

小鹿田

店先のお地蔵様の足元に、看板が。

小鹿田

「お陰様で、5年ぶりに」の文字。

水害や、コロナで。
怖い思いや、やきもきする時期をなんとか過ごしての、5年。

ここの土地の人が書く、5年の文字は、なんだか感慨深い。

小鹿田
おしゃれな展示。窯元で、展示の仕方も異なり、おもしろいです。

小鹿田
柳瀬元寿窯から、共同窯を見る。

窯業の小鹿田地区、そのもっと奥の池ノ鶴地区には、
それぞれ陶器と、野菜などを天日干しするための広いスペースが
家の前に設けられていて、家屋はL字にそれを囲むようになっているそうです。

その、ツボと呼ばれるスペースに、こちらでもテントを張って
販売スペースを設けていたのですが、

・・・・ん?なんか、聞き覚えのある声がする。

「●×☆〇▲△・・・・」

小鹿田

・・・セキセイじゃないですか~!かわいい~!

2段ある鳥かごの上段に、セキセイインコが2羽。

片方の子がずっと何かしゃべっている。

ことりのかあさんと名乗るくらいなので、もうニヤニヤがとまらん。

しばらく、陶器そっちのけで鳥かごを見ていたので、
連れられてきた小学生たちも、何かいるのかとワイワイ寄ってくる。

こちら、カメもおりました。

小鹿田
ずいぶん、おしゃれな隠れ家をもらっております。

こちらもガン見していたので、退屈になった子ども達がワイワイ見に寄ってきました。

まだまだ、陶器のカメより、亀の方がおもしろいのかもしれません。

こちらでは、水玉模様のこぶりのお茶碗を買いました。

小鹿田
水玉とか、点々模様って本当に可愛い!こちら、たしか1,200円

小鹿田焼といっても、こうしてみていると、窯元ごとに雰囲気が違うから面白い。

THE 小鹿田焼!というスタンダードのものもあれば、
こちらの窯元さんは、ちょっとポップな感じがするとか、
エスニックな感じがするとか、

使う色の組み合わせや、模様の入れ方、形の具合で、似ているようで全く違う仕上がりになっています。

こうしてみると、亀もおもしろいけど、カメもなかなか楽しめる。

こんな世の中にあって、少しでも楽しいもの、美しいものに出会えるのは、しあわせです。

小鹿田
・・・ハワワワワ!なんてゼイタクなブロック塀!

さて、そろそろ山を下らねば。

山を登ってきて、飲まず食わずでウロウロしていたので、
さすがに何か飲みたい。

しかも、元気が出る感じの。

ちょうど、入り口付近に、天ケ瀬の方から来ている出店がありました。

【田代屋】さんで、お土産の和菓子を

田代屋さんの和菓子
やさしいお味。かりんとう饅頭を、長男が大絶賛しておりました。

そして【あまみらカフェ】さんで、自家製シロップのレモンスカッシュを買いました。

【あまみらカフェ】さんの自家製シロップのレモンスカッシュ。

・・・・はぁ~~~~~ぁ。生き返る。
こんなありがたいレモンスカッシュ飲んだことない。おいし~い。爽やか~。

天ケ瀬も先の水害で、大変な被害を受けた場所。

天ケ瀬の魅力と未来に出会う場所として、オープンしたという【あまみらカフェ】。

水害だけじゃなく、どんな自然災害にあっても、その土地に生きる人々にとっては
かけがえのない大事な場所であることは、小鹿田も、天ケ瀬も同じ。

そんな意志を感じるレモンスカッシュを片手に、元気をもらって、来た道を歩いて戻りましょう。


下ろうとすると、シャトルバスの乗り場。

もしかして、バスが来るのかと見ていると、係のおじさんに声を掛けられます。

「あいにく、今20分ほど遅れてるんですよ」

見ると、小鹿田に向かう上りの道は、まだ延々と混んでいます。

シャトルバスが昇ってこようとしても、時間通りにはいかないでしょう。

「乗りますか?」

「いや、ことといの里から歩いて来たんで、帰りも大丈夫でしょう。」

「結構、ありますよ」

「行ける気がするんで、歩きます。ありがとうございます。」

下るだけだし、レモンスカッシュで元気も出たし、上機嫌で歩いていると、
渋滞中の上りの車から、結構な確率で声をかけられます。
注:ナンパでは、まずない。・・・あ~!よく考えたら、下る車には、全く声を掛けられてない!
「大丈夫ですか?歩けますか?」とか!
このオバちゃん、登って来たんやったら歩けるやろう!と、全く心配されてなかったんだと思う。


「この先、もうすぐですか?」「この先、どうですか?」と。

「お連れさんがいて、小さい子もいるなら、ここまで来たら、あと少しですから!このまま進んだ方が、まだ良いと思います!」

自分が引き返した位置より、下の人で、お連れがいない場合を除いて、
あまり歩きをおすすめできないと思ったからでした。

歩いていると、道中、水害の爪痕を多く見かけます。

小鹿田
根っこがむきだしになった樹木

小鹿田
こういうのは、心がギュっと痛む。

実は、ことといの里まで行かない、ふもとの道は、通いなれた道。

若かりし頃、週末に何度も通った、大事な思い出のある道です。
注:色っぽい話じゃ全くないです。

わけあって、20年以上通れずにいましたが、見慣れた風景とかけ離れた現実がそこにありました。

紅葉も始まりかけた美しい景色を横目に、
時々、ギュ~っと後悔や、情けなさや、複雑な感情が入り混じります。

・・・お?もう、着いた。

ことといの里です。

・・・・・バスに全く抜かれなかったぞ?

そう、多分、あのまま待っていても、なかなか来なかったのだと思います。

歩いた方が早かったのかは、実のところ分かりません。

でも、歩かなければ見えないものは、たくさん見れた、小鹿田への道でした。

小鹿田

ロード・オブ・ザ・おんた Vol.1

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


10/12・13の週末、小鹿田焼の民陶祭が開催されました。

コロナ禍や豪雨災害で、5年ぶりとのこと。

小石原の民陶祭は、何度も出かけていますが、
実は、小鹿田の方には行ったことがなく。

この機会に、ちょっと行ってみようかと足をのばしたのでした。


耶馬渓、山国を抜けて、峠を下って少しのところに、
【ことといの里】の看板が出てくるので、

それに従い、小野川沿いの県道107号線を上ってゆきます。


小石原焼の民陶祭も、ひどく渋滞するので、一応覚悟はしていたものの、
意外や意外、スイスイ進む。

ちょっと早めに出たのが功を奏したか。

そう、思っていたら・・・アラアラアラ?

なんだか閊えて来たぞ。

うんともすんとも進まない。

反対車線はスイスイ、車が下っていきます。

・・・ん?下ってる?しかも、次々。

確かこのずっと先は、結構な山道で、日頃は
反対車線からじゃんじゃん車が来るような交通量ではないはずです。

「・・・・。今、10:30よなぁ・・・。
この下っている人たち、そんなん早くいって、もう見て帰りよるんやろうか・・・。」

・・・もしかしたら、渋滞がひどくて諦めたり、
行ってはみたものの、駐車場が満車で・・・なんてこともあるかもよ?

小石原には道の駅も、駐車場もいくつか思いつきますが、
小鹿田焼は、本当に山間の、もっと小さな集落。

その可能性が無きにしも非ず。
(失礼ながら、そう思っちゃった。)

小鹿田に行き慣れていないこともあって、だんだん疑心暗鬼になってきました。

そんな中、歩きでせっせと渋滞の車を抜いていく男性が横を通って行く。

「・・・この人、ことといの里から歩いて来たんやろうか・・・」

そういうガッツあふれる人が、颯爽と歩いていくのを見ると、
「こんなところで、こうしてていいのか?」なんて、変な焦りや反骨精神がでてくるのは、私だけでしょうか。

あの兄さんに登れて、私にできないはずはない!(・・・そうか?)

小鹿田までの道
折り返したのが、上の図のの印の辺り。

その地点で歩くと、23分と出ました。

・・・でも、路駐するわけにいかないよな~。

トイレにも行きたかったので(緊急事態じゃん!)、とりあえずことといの里まで戻って、
歩いたらどれくらいかかるかを調べることにしました。

Googleさんによると、歩いて54分・・・。

・・・・54分。往復2時間近く・・・。

・・・なんの何の、できるはず!

こうして、【オバちゃん・短足・腰痛もち】の3重苦を背負って、
小鹿田目指して、登っていくことを決意したのでした。


とはいえ、お天気も良く、道中は秋の気配を感じる森の中。

小鹿田までの道

あのお兄さんのように颯爽とはいきませんが、
短足のわりに、歩くのは速めな私。
(たぶん、ちょこまかと回転が速い。走るのは、絶望的に遅いのに。)

Googleさんの提示より、10分ほど早く着きました。

小鹿田までの道
(距離でいうと、こんな感じ。Googleさんは調べる度、54分といったり、38分といったり・・・。)

あのまま、車で行った方が早かったのかは分かりませんが、
運動と気分転換にはなりました。

小鹿田

せっかく入り口まで来たところですが、
ちょっと長めになりそうなので、続きは→こちら
(近々書きます。それまで、少々お待ちください。)

自然素材の家のもくせい工舎・小鹿田焼

と(撮)りいそぎ!山香町!

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


今週末の10/26・27。山香町で完成見学会が開催されます。

今回、撮影に伺ったので、どんな感じのお家か、ちょこっとご紹介!

本当は、明日書くはずですが、前倒しで、とりいそぎお知らせです。


実は、明日から、だんだんと下り坂の天気予報。

少しでも、晴れマークのついた今日を狙ったのですが、
あいにく業者さんたちが、わいのわいのと忙しそう・・・。

車もぎっちり停まっておりましたので、外観写真はまた別の日に。

内観だけですが、ご了承ください。

10/26・27。山香町自然素材の家の完成見学会
古ガラスがパッチワークのように美しい建具。照明器具も素敵です。

10/26・27。山香町自然素材の家の完成見学会
先日、小鹿田で仕入れた焼物も、ここぞとお役にたちました。焼物と、古ガラスと、漆喰、無垢の木。最強の組み合わせです。

10/26・27。山香町自然素材の家の完成見学会
木の清々しい香りのするリビング。

10/26・27。山香町自然素材の家の完成見学会
キッチンからシューズクローゼットへ抜ける建具が、クリアなガラス。いい味でてます。かわいい!

10/26・27。山香町自然素材の家の完成見学会
さて、このかわいい手作業はどこにあるでしょう?

おかげさまで、見学会の予約枠もあとわずか。

もし、「・・・やっぱりちょっと見てみたい・・・」って方は、
ぜひとも、ご予約ください。

こんな建て方の家もあるんだ~と、目からウロコの経験になると思います。

木の家でお待ちしております♪



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※1‥‥外部サイトの予約システムに進みます。お困りの際は、お電話でもどうぞ。
※2‥‥予約システムには、広告バナーが表示されます。
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※3‥‥ご予約後、予約サイトから自動で受付メールが届きます。
地図の詳細は、弊社から別途メールにてご連絡いたします。
※4‥‥予約サイトからの自動返信メールには、複数名でのご予約でも、予約人数が1名とシステム上表記されます。アンケート欄に記入いただく人数で受付いたしますのでご安心ください。


【翌日、外観写真撮れました!】

10/26・27。山香町自然素材の家の完成見学会