ホスピタリテる?
なんと、また鬼の霍乱か。先般、入院いたしておりました。
数年前と同じような、えぐられるような激痛が、
肋骨の内側や、背中に走る。
白湯を飲めば、その刺激で悲鳴をあげ、
寝返りも打てず。
また、変な腫瘍でもできたのか?と思い、
前回同様、胃腸科のある個人病院に伺ったのです。
前回のこともあるので、先生も「念のため」と、次に大きな病院へ紹介してもらい、
そこでも、「前回のこともあるので」で、更に大きな病院へ。
大きな病院ほど、紹介状なしには受診できないので仕方ないのですが、
前回と全く同様の、【個人病院】→【中堅病院】→【地域の大病院】と回る羽目に。
(レントゲン撮って、CT撮って。その精度は変わっても、やってることは余り変わらないので、
診察的には、逆マトリョーシカみたい。)
この出費を少しでも抑えたいご時世に、
あっちでもこっちでも、そこそこの受診料をとられるのは、正直、結構キツイもの。
(致し方ないのですが・・・。)
原因は、それほど大したことなく、手術もなし。
断食と投薬だけで、経過観察のための入院となりました。
前回も、なんとなく感じていたことですが、
病室の空気、というか空気感・・・が、なんかいいような。
それもそのはず、
病室の壁、これ、珪藻土なんでは?
(病院の壁が珪藻土なのか気になったのは、おそらく少数派であろうと思います。)
天井や床材などは、一般的な素材なのですが、壁だけ珪藻土のようです。
この一部分だけでも、雰囲気や空気感が全く違う!
寒々しくない、硬くない!
珪藻土より、漆喰の方が好みですが、
この一部分だけでも、こんなに違うのか!というのが、驚きでした。
忙しい看護師さんに「これ、珪藻土ですか?」と聞くわけにもいかず、
それどころでもないし、気にもしていないでしょうから、
確かめようがなかったのですが、
触った時の、多孔質な手ざわりは、おそらく間違いないと思います。
話は変わって、入院中のエピソードを。
大部屋入院だったので、部屋は、患者さんの入れ替わりがあります。
数日の入院のうち、おとなりに、おばあさんが別室から、移ってこられました。
眠ったまま、ベッドごと移動されてきたので、
最初、寝たきりの方なのかと思っていました。
なんと、御年101歳。
車いすや、排泄、食事の介助はいるものの、お耳も遠くないよう。
私は、普段から活舌も悪く、声も通らず、
若い人にも、スマホにも、聞き返される状態なので、
特に、こちらから話しかける機会も(勇気も)なかったのですが、
数日おとなりにいて、思うことがあったので、書きたいと思います。
101歳・・・。1924(大正13)年生まれです。
誰と同じ年なのか気になって調べたら、
なんと、力道山!
あと、「人間だもの」の相田みつをさん。
尊敬してやまない吉本隆明さん(吉本ばなな氏の父君)、
越路吹雪さん、高峰秀子さん、京マチ子さんと、そうそうたる大女優の名もズラ~っと。
更に、こちらは、ご存命。今なお、現役で活躍中の、藤城清治さん。
ステキな、影絵の、ステンドグラスと見紛うばかりの切り絵を生み出されています。
つまり、そういった方たちと同級生であり、
そういった時代を生きてこられたわけです。
終戦時だって、21歳かそこらの、娘さん。
時代的に若くして、すでに「お母さん」となっていた可能性もあります。
あの大変な時代を、もう、一人の大人として、
へたしたら、子を守る親として生きていた人。
何ということだろう。
そのおばあさんに声をかける勇気もなく、
こそっと調べて、驚嘆の声を飲み込むしかなかったのです。
その、おばあさん。
隣にいると、何度となく「何歳~?」と言われている。
食事の介助中に、飲み込むのがゆっくりなのか、
時間が空くたびに、そう問われる。
入れ替わり立ち代わり、食事の度に
「何歳~?」
「もう、覚えてねぇ~?」
・・・うわ~、これ、私だったらイヤだな~。
大人になって、そこそこのオバちゃんになって実感したことですが、
外見はどんどん年老いてきていても、
中身の「わたし」は、物心ついたころからの延長線上にいる気がするのです。
例えるなら、車でもロボットでも、何でもいいんだけれど、
その外見だけは、どんどん年季が入って、ぼろくなってきて、
でも、その運転している「わたし」は、経験値だけが上がっているような。
だから、中身の「わたし」は古くなっているつもりもないのに、
外見だけどうのこうの言われる。
・・・年取っちゃ、いかんの?
古くなっても、「わたし」は「わたし」。
「何歳?」「何歳?」と、毎回聞かれるのは、
「うるさいわい!」と言いたくもなります。
おばあさんが、どう思っていたかなんて分からない。
けれど、ある人にだけ、違ったのです。
オムツを替えの時、皆さん「●●さ~ん、替えますね~」と一様に声を掛けます。
「・・・ん~。」だいたい、こんな返事。
ところが、数日隣にいると、
唯一、おばあさんがお礼をいう看護師さんがいました。
「・・・悪いねぇ。ありがとう。」
「全っ然!」
その女性の看護師さんは、私にとっても、とても信頼できる人でした。
こちらを、不安にさせないというか、
くだらないことを聞いても、オールオッケーというか、
モヤっとさせないというか。
うまく言えませんが、人を、上にも下にも置かない。
非常にフラットで、見下したり、差別しない。馬鹿にしたり、からかったりしない。
まっすぐ、看護している。
そういう印象を持っていたのです。
「・・・おばあちゃん、人を見る目があるなぁ・・・」と、
夜中に数回目を覚ましては、
そのやり取りを、こっそり聞いて、思っていたのでした。
病院のことを、英語でHospital(ホスピタル)といいます。
この頃、病院に限らず、ホスピタリティという言葉も、よく聞きます。
ざっくり言えば、「ひとを思いやり、大切にし、気持ちよく過ごしてもらうための心遣い」でしょうか。
ひとを思いやることができるのは、
ミラーニューロンや、オキシトシンなどのホルモンの影響も大きく、
ストレスフルで、常に寝不足だと、そんな余裕もなくなってしまうのかもしれません。
ただ、住み慣れた家を離れ、家族と離れ、近所の親しい人とも離れ、
あれほど大変な時代を乗り切って、下の世話を謝るおばあさんの隣にいて、
「いずれ通る道なんだよな、私も」と、思わずにはいられなかったです。
相手を、少しもモヤっとさせない。
あの看護師さんには、経験や肩書以上の、
看護に対する、まっすぐな「芯」のようなものを感じて、
とても、ありがたかったのでした。