炎のある暮らし
・・・すごい雪でしたね。
昨日から、じゃんじゃん、じゃんじゃん降り積もり、
このブログを書いている間も、まだ降りやまぬ様子。
(まだまだ、明日、明後日くらいまで降るようですので、どうぞお気をつけてお過ごしください。)
これだけ降っているのに、律儀に遅れることなく投函されていた新聞に頭が下がる。
いったい、何時に届けてくれたんだろうかと思います。
燃えるごみをまとめて、踏み出した銀世界はキラキラ眩しくて、神々しい。
雪が止んだ朝の晴れ間に、東からお日様が昇ってくる様子は、
なんだかとても、静かで、荘厳な、美しい景色でした。
(本人は感動しきりでしたが、真っ白な雪の、荘厳な光の道を、オバちゃんが、おっちらおっちら、生ごみを捨てに行く、の図。
・・・はたから見たら、あまり絵にならんかもです。)
枝に細かく雪がついて、キラキラして。まるでクリスマスツリーのようです。
絶妙なバランスで積もった、物干しの雪
こんな細い枝の、こんな小さな分かれ目にも、雪がちんまり積もっています。
残っていたマユミの赤い実が、雪に映えます。
庭に勝手に生えてきたニラの花のようなもの。ほったらかしにしていた花柄に、雪が積もっていました。
雪は大変だけど、こういった、たまにしか見れないキレイな風景は、
汚れちまった悲しみ(中原中也的な?)を、少しは整えてくれそうです。
雪国に比べ、平地で積もることは多くなくても、やっぱり冬はキンキンと寒い。
そして、今頃のような寒い時期に、神社などに行くと、境内に焚火があって、温まることができます。
手をかざして温まってみると、その独特な温かさに驚きます。
日頃、火にあたる機会がなく、当たったとしても電気ストーブ。
じりじり、皮膚の表面だけ熱くなるようなそれと違って、
炎の温かさというものは、体の芯からヌクヌクとしてくるような不思議な温まり方。
そして、揺らぎ立つ、踊るような炎の動きを、
手をかざしながら見つめていると、何とも言えず落ち着く。
波の音や、木の木目。一定なようで、少しずつ違うものに人は癒されると言いますが、
炎の動きも然り。
同じようでいて、少し違う。
暖炉を模した電気ストーブなども売られていますが、
表面だけ、炎の動きを映していても、
やっぱりパターンがあるし、第一、温もり方が全く違う。
炎って、自然な癒しでもあるんだなぁと実感した次第です。
築ウン十年、山の中のもくせい工舎・永家邸には、薪ストーブがあります。
「見せて~」といえば、見せてもらえると思います。
あたりまえのように、炎が身近にある暮らしをしています。
OB様の中にも、薪ストーブを設置されている方が数軒いらっしゃいます。
もくせい工舎の家は、断熱性能がかなり高いので、逆に温まり過ぎないかと思ってしまいましたが
暖房器具としての役目だけでなく、あの独特の体の芯から温まる感じや、
炎の揺らぐ、光の優しさ、多幸感みたいなものは、何とも言えない。
そしてまた、薪ストーブには、自然素材の家がよく似合う。
代表が、大工さんの手を借りずに、ほぼ一人で建てた土壁の家。
ここの2階にも、薪ストーブがあります。
つけていれば、下の階まで温かい。
土壁の家の断熱材は、もくせい工舎のお家と変わりませんから、
どんなものか一度見てみるのもありかもしれません。
体の芯から温かくて、シアワセな風景ですよ~。