傷つきやすいことは

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


木は傷つく。とりわけ、スギは。

それでもあえて使うのは
それ以上に大きな魅力がスギにあるからなのですが

そこは、ぜひ5月末の構造見学会で永家さんに質問してみてください。
(※ちなみに、傷がついた!と思ったら、濡れティッシュを傷口に置くとか、応急処置あり。)

その永家家(←こう書くと変ですね(笑)「ナガイエ・ケ」と読んでください。)には
ヒノキの床とスギの床が隣り合わせに貼ってある箇所があります。

もし、その床の上に立つ機会があれば
その理由の一つが分かると思います。

mini_sugi_hinoki.jpg

ヒノキは頑丈そうですが、足の裏を通した感覚は
硬く、冷たい。

同じ無垢の木ですが、スギの方が温かく優しく感じる。


確かに、傷はつかないにこしたことはない。
硬くて頑丈なら、いつまでも美しい見た目が期待できるでしょう。

とは言え、少しの傷もつかない頑丈なものは
下手すると、こちらが痛いのです。

鉄板の上と、柔らかい草原の上。
転んだ時痛そうなのは、頑丈な方です。
鉄板の上でリラックスは難しいですが、
草原の上は、心地よい。

傷がつきやすいということは、裏を返せば
【相手を傷つけにくい】ともいえる。

私たちは直に床に触れる機会は少なめですが、
ハイハイの赤ちゃんだって、
硬く冷たいものよりは、木の方がきっとお好みでしょう。

鉄板より、プレイングマットより、スギの手触りの方が
ずっと触れていたい心地よさです。

人間だと、傷つきやすい人が
必ずしも人を傷つけないわけではないけれど

傷を含め、負ってきた経験が
その人を「その人」にしている。
そういうことってあるんじゃないか。

無垢の木の家が、唯一無二だというのは
そういうことでもあるんじゃないか。

木も人も、同じようでいて同じものなどこの世にない。

ましてや、生まれ育った環境、
傷を含めての経験、そして、それから後のこと。

傷を含め、家としての歴史が
その家を「その家」らしくしていく。

同じ無垢の木の家を建てたとしても、
サトウさんは、サトウさんらしい「家」に、
ヤマダさんは、ヤマダさんらしい「家」になっていく。

傷を負ったことが、人の価値でも
家の価値でもないけれど、

傷を「味わい」にできるのは、
生き続けているからだともいえる。

私の家は、私に似合う家になっていく。
あなたの家は、あなたに似合う家になっていく。

それは、きっと自然体で無理のない、
人の在りよう、家の在りようとも
言えると思います。

少なくとも私は、
いつまでも新築かと思うような、傷つかない(らしい)「可愛らしい家」を建てて、
それに似合う「いつまでも若く可愛い私」で居続けることは
無理かなぁ(^-^;

「この家、なんかすごく似合うね。
あなたらしいね。」

そう言われたら、私などは
ちょっと嬉しい。

こしかべ~

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


いつもなら15日と30日に(なるべく)ブログを更新するのですが、
今回は1日早く、明日に完成見学会を控えたお家のことをご紹介します。

なんだかんだと、ありがたいことに
見学会の続いているもくせい工舎。

木の家を気に入ってくださり、また
見学会等にもご協力いただき、お施主様本当にありがとうございます。

撮影にお邪魔した時は、外回りはこんな感じ。

無垢の木と漆喰のもくせい工舎の自然素材の家

まだ、ユンボが残ってました。連休中にでも、
土塊がなくなった状態を撮影に伺えたらと思います。

今回は、見学会前に取り急ぎ「こんな感じ!」っていうのを
ご紹介していきます。

無垢の木と漆喰のもくせい工舎の自然素材の家・玄関のニッチ

こちらは玄関のニッチ。今回は、ちょうどタイミングが重なったので
わが家の庭に咲きまくっていたナニワイバラに協力してもらいました。

2017_ナニワイバラ
ナニワイバラが満開の時は、
それはそれは息をのむほど美しく、

その後、暴れる枝を選定するときは
それはそれは息の根が止まるほど痛いという

「美しい薔薇にはトゲ」の極端な例と言えます。

うっかり植えると大変なんですが、やっぱり満開は良いんだなぁ、これが。

ニッチの下には、腰壁。
これは、今までも玄関でお目にかかることがありました。

こちらのお家は何と言っても、

天然木の無垢の木の腰壁・リビング

リビングにも、こしかべ~!

どちらかというと、床から天井まで漆喰を選ばれるOB様が多い中、
腰壁チョイスの方は少数派。

でも、こうしてみても、可愛い!ですよね。

昔の学校みたいな、ノスタルジックな感じがします。

天然木無垢の木のテレビボード

玄関ホールの扉を開けると、大工さんが作り付けてくれた
立派な無垢の木のテレビボードが。

ご要望に応じたオリジナルなんです。

それからこちらは、キッチンも可愛い。

天然木無垢の木の自然素材の家のキッチン

奥に見える引き戸のガラスが、何とも味わい深い。

そして必見は、IHクッキングヒーター周り。

タイル調の壁

自然素材の家のキッチン回り・タイル張り調

こんな可愛いタイル調のパネルがあるんですね~。

当たり前だけど、後になるほど
性能もデザインも良いのが出てくる・・・。
いいなぁ~。

もう一つ、おすすめはここ!

自然素材の木の家のロフト

ロフトで~す!

こちらのロフトのハシゴはがっちり固定型。

安心して登れます。

撮影する私としても、こちらの方がありがたい。

こちらのロフトの良い点は、
「異空間」として独立していることです。

わが家にもロフトがありますが、
ヒョイと覗けば、下はリビングです。

・・・これ、子どもが小さいうちは良かったんです。

でもな~、大きくなったらというか
私も読書が好きなので、
「うるさくない」「人の気配が気にならない」「ひとりになれる」
そんな空間って、やっぱり大事なんですよね。

息をつく場所っていうか、
頭を休める場所っていうか。

ちなみに、人の疲労の原因は
体力的なことよりも
脳みその疲れとの説もあり。

どんなに仲の良い人とのランチでも、
脳みそは疲れてしまうんだとか。

脳を休めて、リフレッシュしたければ、
「ビバ!一人飯!」らしいです。

大人も、子どもも、ちょっと一人になりたい時って
ありますよね~。

うん。こちらのお家のロフト。
そういった意味で
「あ~、こんな読書部屋ほしい。」
と、つぶやいてしまったのでした。

いいなぁ~。

こちらのお家、明日明後日見学会です!

もくせい工舎が建てる自然素材の木の家・完成見学会チラシ表面

もくせい工舎が建てる自然素材の木の家・完成見学会チラシ裏面


アップするのが遅くてすみません。
取り急ぎ、バタバタしたご紹介となってしまいましたが
木の家が好きな方、気になった方は、
お問合せを。

ご予約はこちら

見学会開催中はWebでのご予約ではなく、0120-327-892までお問合せください。
ただし、予約状況によっては当日はお断りする場合もあります。
どうぞご了承の上、早めのご予約をお願いいたします。



問合せ・ご相談


探すのをやめたとき

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


前回、リフォームのお家の記事を書かせていただきました。

撮影に伺うことになって、以前のお家の写真などを見て、
改めて思うことがありました。

中古住宅に出会うことも、縁だなぁと。

私は家を建てた今でも、時々中古物件や空き家情報を見ます。

間取りや、その家の周辺環境、(信憑性はともかく)地盤スコアまであります。
もしここに住んだら、どんなだろうかと
妄想?するのが楽しいのです。

「お?良いな~。お金さえあればな~」という物件は
やっぱり売れてしまいますし、
「う~ん。どうなんだろう。」と思った物件は
やっぱりなかなか売れていません。

有名どころのサイトにはなくて、
市町村の空き家バンクにだけ載っていた物件もありました。

良さげなものは「交渉中」から「掲載終了(決定)」に至るのも
すごく早い。

たまたま見て、たまたま条件があって、気に入って。

中古住宅然り、土地にしろ、人にしろ、
縁というものがあるのかもしれない。

必死で探していると見つからないのに、
「まぁ、いいか~」って探すのをやめると
絶妙なタイミングで見つかったりする。

そんな歌もありましたっけ。

もし見つかって、縁あって、
とんとん拍子で進んだとしても、
不平不満、問題なんて一切なし!
・・・というわけにはいかないかもしれない。
そこそこの、なんだかんだはあるかもしれない。

ただ言えるとすれば、やみくもに
「無い!無い!」って言いながら過ごす月日と

「縁があれば、あるんだろうなぁ」位に構えてる月日は
きっと疲れ方が違うように思います。

心の根っこが動けば、体も動く。
理屈抜きに、ということもある。

今、家を漠然と考えている方も、
これだ!と思えば、きっと一気に【事】が流れ出すときが
きっと来ると思います。

それまで、色々見て目を肥やしておくのが
今できることの1つかもしれません。

4/30・5/1に完成見学会も宇佐市にて開催します。

4/30・5/1自然素材の木の家完成見学会

良かったら、試しに見に来てください。

【事】が動きだすかもしれませんよ~。

宣伝でした~(^^ゞへへへ


全然違う!

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


本当は見学会前に少しご紹介できれば良かったのですが、
思っただけで、結局及ばず・・・。

遅ればせながら、先日の再生見学会のお家の
撮影時のことを書かせていただこうと思います。

その前に、何よりも!
お施主様のご厚意に心より感謝いたします。

展示場を設けない主義のもくせい工舎にとって
お施主様方のご協力はどれほどありがたいか!

本当にありがとうございました。


さて撮影は、見学会の前日にお邪魔しました。

まず撮影用の花を活けることから始めるわけですが
強風と不器用も手伝って、相変わらずモタモタと作業していたんです。

モタモタしていると、
どんどん下校途中の小学生が通りかかります。

そう、この日は宇佐市の小学校は終了式だったようで。

この近くの学校と言えば、駅館小学校。
親御さんの躾か、先生の努力の賜物なのか、
通る子、通る子、元気の良い挨拶をしてくれます。

知らん顔されるより、とても嬉しい。

嬉しいのに、私は気の利いた挨拶プラスワンがなかなか出てこない。

日頃、黙りこくってパソコンに向かってばかりで
たまに話すのは猫なので
こんな弊害が出たりします。

声をかけてくれたお子さん、怪しげなおばちゃんでごめんなさいね(T_T)

車を止めさせていただいたお家の方にも
「もう、本当に変わった!全然違う!」と声かけ頂きました。
(その節は、ありがとうございました。助かりました。)


全然違う!の言葉通り、どれくらい違うかというと・・・。

mini_2022032627_reform_before.jpg

このお家が、こう!↓

mini_2022032627_reform_after.jpg

わ~!全然違う!
っていうか、いつもの新築なんでは?と思っちゃう。

違う証拠が、ここ。

refo_kiso.jpg

通気口です。

もくせい工舎の新築の家はベタ基礎なので
これ自体がありません。
基礎と土台の間にスペーサーという
通気孔がぐるりとある仕様です。

だから、新築に見えても
れっきとしたリフォームってことになります(当たり前?)


翌日の会場準備のため、永家さんが設置していた
改修中のお家様子が分かるパネルが会場にありました。

2022_refo_before_pane.jpg

それによると、こんな感じのお家が
before_2.jpg
こうなって
before_1.jpg
こんな基礎が出てきたりして。
before_3.jpg
こういう昔の基礎って、毎回素人ながらもビックリします。

だって石に木を載せただけで、何十年も暮らしていたんですから。

中古住宅買って、自力で改修できる能力がない私には
できたところで、この基礎を何とかすることまで
きっと及ばないでしょう。

基礎のこと考えても、
桶は桶屋に任せるのが無難なように思えてきます。

自力でやれたら、カッコイイんですけれども。

天井明けたら、こんな梁が出てきて

before_5.jpg

・・・ってこれは、古民家好きにはたまらないですよ。

羨ましすぎます。いいなぁ~。
なかなか、こう本物の、歴史を刻んだ梁って
簡単には望めない気がします。

それを活かして自然素材でリフォームすると

202203_refo_hari.jpg
refo_IMG_9137.jpg
こんな感じ!

でこぼこした梁の捻った感じや、壁に埋められた感じが
本物の古民家感満載です。
味わいが違います。

いいな~、いいな~と言いながら
撮影していた次第です。

このお家の詳しくは、いずれまた施工実績にて
ご紹介させていただくかと思います。

お施主様、撮影にご協力いただきありがとうございました。

このことが、次の
木が好きな方や、自然な暮らしを本当に必要とするご家族に
新たなご縁として、つながっていけばいいなと思います。

最後に重ねてお礼申し上げます。

どうぞ、木の家で末永くお幸せに。
本当にありがとうございました。

どうか、嫌いなことで死なないで

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


「図書館で前に借りたんだけど、面白い本でね。
返した後も、しばらくしたら読みたくなって、また借りたりしよる。」

大分に住んでいた友人が教えてくれたのが
大原扁理さんが書いた『年収90万円で東京ハッピーライフ』という本。
(※その後増補されて『年収90万円でハッピーライフ』として文庫化されています。)

25歳から、週の2日だけ働いて
残り5日は隠居生活を送る大原扁理さん。

本を出版したころは
年収約90万円で、あの東京で、
それこそ「ハッピー」に暮らしていた方です。
その後、今度は台湾でも隠居暮らしを始めています。

「社会的成功から乗り遅れまくっている」という彼は、
世間一般が考えるフツーから脱出して、
自分にとって何が本当に
身も心もラクで幸せなのかを考えて、実践してみた人です。
実践とはいっても、がつがつした感じでなく
とても心地よく楽しそうな暮らしっぷりです。

扁理さん自身も
「同じような隠居を勧めているわけではない」というように、
読むと、なるほどなぁと納得する一方で、
「これ、家族がいるとそうもいかないなぁ。」と思う面もあり。

家族が全員、こういう考え方なら問題ないですが
強制はできないからです。

ただ、その一風変わった暮らしかた、考え方の中に、
妙に核心をついたものの見方をする人で、読んでいて
ハッとさせられることが多かったのです。

なかでも、仕事と就職について書かれている箇所は目から鱗でした。

ざっくりとしか書けませんが
大原扁理さん的な考え方では

「好きなこと」や「やりたい仕事」なんて
死ぬまで見つからなくっても、別にいいじゃないですか。
大事なことは、「嫌いなこと」や「やりたくないこと」で
死なないことですよ
、と。

・・・これはビックリした。

聡明すぎてビックリした。

好きなことで死ぬならともかく
嫌いなことややりたくないことで死ぬなんて、
本当に馬鹿ばかしい。

話は逸れるのですが、以前過大広告について考えてみたことがありました。
(注:もくせい工舎とは関係ないです)

例えば、実際に行ったこともない店を
過剰に褒めるような内容や、
使って本当に良いと思ってもいない商品を
過剰に評価するような内容で

例え、それがお仕事として
幾ばくかの収入を得たとしても
それって、結局は誰も幸せにならないんじゃないか。

目先のことだけ考えれば
自分はお金が手に入るんだし、
そういう依頼をしてきた会社は、一時的には喜んでくれるんだろうけど
実際にお店がとても褒められたものでなかったり
商品が悪ければ、
会社側も信用を失うし、広告も信用を失うことになる。

大原扁理さん的考え方を借りると、ではどうしたらいいのか。

その仕事(ここでは過大広告ですが)が本当に好きで、
これで死んでも悔いはないなら、構わないかもしれない。

でももし、「こんなことが理由で死ぬのは勘弁してほしい。」
そう思うのなら
「やっぱり、やめとこ!」という道もあっていいのではないか。

過大広告書いて、自分の中にモヤモヤした
毒を貯めるくらいなら
書かずに飢え死にする方が
納得して死ねるような気がしたんです。

(繰り返しますが、もくせい工舎とは関係ない仕事のことです)


自分は本当は望んでいないのに、
「仕方がないから」「任務だから」でやりたくないことを
やらされることもあるかもしれない。

仕事や学校、家庭内だけでなく、国単位でも。

ただ、やりたくないこと、嫌いなことで
どうか死なないでほしい。

命令する人間は無傷で、
なんで小さな子が死ななくてはいけないのか。

知らなかったとはいえ、
命令とは言え、
好きなことで死ぬならともかく
なぜ納得いかないことで
死ななければいけないのか。

例え、うまくいったように見えても
力で外部を抑え込むボスは、
仲間内だって同じことをする。
気に入らなければ、次はあなただ。

みんなボスが好きだから傍にいるわけではない。
怖いからそうしている。

そんな関係は、いつか破綻する。

友人関係にしろ、もっと大きな組織にしろ。

どんなにタダシイ(と思い込んでいる)人が、
どんなにタダシイ(と思い込んでいる)目的のためであっても、

誰かの「それからも続くはずだった人生」を奪っていい理由にはならない。

「嫌いなこと」や、「やりたくないこと」で
どうか、もうこれ以上
誰も死なないで。

子ども達が泣いている。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


「私を怒らせると怖いんですよ。」

そう発した相手が、どんなに「いいひと」であっても
このセリフを聞いた途端、なにかが凍り付く。

要は、「肝に銘じておけ」という脅しなのだ。

脅しで安心は買えない。お互いに、だ。

「あなたとはずっと仲良くやっていきたい」
そうにこやかに笑う相手の懐に
いつでも刺せるナイフを見て
その「友人」の前で安心なんてできるんだろうか。

そのナイフを相手は「護身用」だというかもしれない。

持っていれば、こちらに手出しはできないから、と。

でも、反対にこちらが「護身用」として銃をもったら?

どんどん「護身用」はエスカレートする。
お互いの「ご信用」だって、どんどん地に落ちる。

誰かをいじめなければ
自分がやられるような「仲間」の中で
心から安心する居場所なんてあるのだろうか。

気に入らなければ、何をしでかすか分からない
その「ボス」を心から信頼できるだろうか。

やらねばやられるからと
誰かを排除しつづければ、
自分は安心なんだろうか?

そのうち、自分の番が回ってくるだけだ。

権力の座、何かのトップ、
そういうものは「下」だと思い込んで見下している
市井の人々あってこそだというのに
それに気づかない。

この星で人っ子一人で
権力も何もあったもんじゃない。

どんなにきれいごとを並べても
どんなに正当化しても、

ほら見ろ。子ども達が泣いている。

子どもを安心して、笑わせることもできないで
そんな大人がエラそうなこと言えない。

土地は祖先から譲り受けたものではない。
子孫からの借りものである。

ネイティブアメリカンの言葉を借りれば
この土地は、この世界は
権力者だと思い込んでいるアンタのもんでも、
その他大勢の大人たちのものでもない。

ほら見ろ。子ども達が泣いている。

「大人」は今すぐ、蛮行をやめるべきだ。
恥ずかしい。

【伝えたいこと】があるか、ないか

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


イベントのコーナー等でもお知らせしましたが
今月末宇佐市にて構造見学会が開催されます。

そちらにも書きましたが、構造見学会って
工事途中なので地味なのです。木の骨組みばかりですし。

じゃ、おもしろくないか。
見ても仕方がないか。

その点に関しては
もくせい工舎の構造見学は、ちょっと異質とも言えます。

実はOB客でもある私。

もくせい工舎を知ったきっかけとなったのは
あるフリーペーパーの構造見学会の広告だったんです。

その広告は手元にないのでお見せできないのですが
だいたいこんな感じでしょうか。

構造見学会ってこんな感じ

なんかすごいでしょ(笑)

いかに小ぎれいにとか、洗練されたように見せるとか
一切なし(笑)

初め見た時に、「?????」って
広告の写真に二度見してしまったのです。

筆で、しかも段ボールに
これでもか!これでもか!と
【伝えたいこと】が書いてある。

・・・変わった工務店だな~と思ったのが最初でした。

当時はまさか一戸建てを建てるなんて夢にも思ってなかったので
その構造見学会には参加しませんでした。

その次の?完成見学会のチラシが新聞に入っていて
そこで初めて永家さん夫婦に会いました。

それがこうしてブログ書いたり
広告や写真撮影に行っているんですから
何とも不思議な縁です。

それはともかく、構造見学会の様子をお伝えしましょう。

例えば、構造見学会だと

構造見学会後の完成した姿1
こんな感じの室内の

構造見学会1
中身を見ることになります。

部外者はともかく、お施主様だって構造見学の時しか見れません。

構造見学会2
この中身だって、完成すれば
構造見学会後の完成2
こう。

「中にあんなにフワフワの羊毛入り断熱材が入っていた!」
というのは、構造を見たからこその実感です。

構造見学会3

中身をきちんとこの目でみてから

構造見学会後の完成3

その後の完成した姿を見るのは
家に対する説得力ならぬ【納得力】が違うような気がします。

一括で支払える場合を除いては、
大半の人は長年にわたり住宅ローンを組むわけです。
しかも、命を担保にして。

そう考えると、なんだかよく分からないものに
払いたくない。

正直言って、見てもよく分からない部分もあるかもしれない。

それでも、「ちゃんと見た」って大きいと思うんです。

もう一つは、いかに作り手に【伝えたいこと】があるか。

永家さんが段ボールに

これでもか!これでもか!

筆で書いたことが、もくせい工舎の根っこなんだと思います。

良い家ってどういうことか。
自然素材で家をつくるとはどういうことか。

考え続けてこないと、【伝えたいこと】だってないはずです。

正直、どんな健康住宅に住んでも
死なない人はいません。

健康住宅に住んでも、たまには風邪だってひくでしょう。

でも、それでもあえて言えるとすれば
やっぱり本当の、本心からの木の家って圧巻なんです。

「自然素材で家を」と考えてもいませんでしたが
私は本能的に、木の家が必要でした。

だからこそ、木が好きな方
自然の風景が好きな方にはぜひ見て欲しい!

まずは、今月末の構造見学会をこぞって見に来てくださいね!

といっても、コロナ対策で4組限定なのですが。

しつこい営業いたしませんので、お気軽に。

ご予約は→こちら♪

縁起を担がねば?

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


2022年が明けまして、
めでたいめでたいって言ってたら
あっという間に節分コーナーができていました。

豆まき用の豆やグッズに、
恵方巻の予約などが並んでいます。

中年の私にとってはこの恵方巻。
かなりの新参者なのです。

確か、関西でそういった風習があるというのを皮切りに
毎年のようにスーパーでコンビニで出回るようになったような記憶があります。

毎年、その年の縁起の良い方角【恵方】を向いて
海苔巻きを丸かじりする。しかも、しゃべってはいけない。

ある時期を境に、当たり前のように現れた
新しい「習慣」。
う~ん。これはうまいこと販売戦略に引っかかっているだけでは。

それでも、やってしまう。まんまと乗せられて。

特に子どもが小さいころなどは
一緒にできるイベントごととして、楽しんでしまう。

海苔巻きを用意し、
100均の方位磁石で、おおざっくりな恵方に向かって
「こりゃ、笑うな」とか言いながら、願い事を思う。

思えば、バレンタインデーのチョコレートも
ホワイトデーのマシュマロも、
お菓子メーカーと広告のキャッチコピーによって
一斉に広まった日本独特のものです。

クリスマスだって、キリストの誕生を祝うというより、
ケーキを食べたり、サンタからプレゼントをもらうイメージの方が強い。

赤い服に白いひげ=サンタクロースも、
コカ・コーラのポスターが元になって
イメージが固定されたと言われています。

昔からの風習や習慣が、
何かの販促のために、少しずつ形を変えて
新たな習慣や常識となっていくのかもしれません。

じわじわ習慣となるのか、恵方巻。

恵方巻然り、おせち料理や年越しそば然り。

縁起物って、それをしないと
縁起が悪いってわけではないんですよね。きっと。

調べると、縁起物というのは
「良いことがあるように祝い祈る品物」だとか。

祝いが、「やらないといけない」呪いになるのは
ちょっと違うはず。

販促にのせられて、やらねばならない義務はない。

どうか今年の節分は
余った恵方巻が大量に処分されたりしませんように。

なかったら、ないでも構わないのだから。

「足りない」を怖がりすぎる気がします。私も含め。

足りなくても、何とかなるものなのに。

足りなくて、次に出るのは
きっと「知恵」でもある。

熊手
そういえば、コロナの影響もあって初詣にまだ行っていません。
行かないと罰が当たるような、そんな気持ち悪さもあるのですが、今年は行かないとどうなるか試してみようかな。
もっと世界を信頼していいのかもしれない。

気にして見ている

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


遅ればせながら、
明けましておめでとうございます。

(ブログを書きたいのは山々のようですが)
忙しいもくせい工舎のお二人には
本業(良い木の家をつくること、お客様の建てた後の暮らしを考えることetc.)に専念して頂くべく、

及ばずながら、少しずつ
お家のこと、自然のこと、暮らしのことなどを
書かせていただこうと思います。

このブログ以外にも、もくせい工舎のインスタもございます。
そちらは、合間を見て"相方さん"が上げていると思うので
良かったらご覧くださいね。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。


ところで、今季の冬はちょっと様相が違ったのです。

バードテーブルになかなか野鳥が来ない。

いつもなら、ヒッヒッヒッとジョウビタキの声がしたら、
シロハラがやってきて、
ヒヨドリやらメジロやら、みかんやリンゴを競うように食べに来るのですが
全く来ない。

庭に野良猫がウロウロしてたから?

そう思っていたら、ずいぶん遅れてようやくやって来ました。

2022_シロハラ

シロハラです。

ジョウビタキと同じく、日本で越冬する渡り鳥です。

気のせいでしょうか?
ツバメにしても、この子たちにしても
少しずつ見かける時期がずれているような気がするのです。

温暖化の影響、といえばそれまでなんですが
時期がずれれば、食べ物も巣材の確保も、ずれ込むような気がするので
ちょっと個人的に、気にして見ています。

気にしてみる、といえばこれ。

20211225_原田左研の親方。三和酒類の辛島虚空乃蔵の左官仕事
(※諸事情のため、文章が読めないくらいに引いて撮影しています。見にくくてすみません。)

昨年のクリスマス。
新聞にヘルメットを着用した
左官をするサンタクロース(?)が。

もくせい工舎OB様には、一度見たら多分忘れられない、この人物。

そう、もくせい工舎の漆喰の壁を手がける
原田左研の親方なのです。


なんでも、三和酒類さんの酒造観光館が
この春【辛島虚空乃蔵(こくうのくら) 】として
リニューアルオープンするらしく、その壁を担う親方が
その広告に掲載されていたのでした。


実は、それを知らず偶然近くを通りかかった時に
「・・・あれ?左官さんが入っているな~」と
工事中の建物を見て思っていたのです。

養生の仕方が、もくせい工舎のそれと似ていたので
「へ~。どんな建物ができるんだろう。」と思っていたのですが
まさかのドンピシャ、原田左研のお仕事だったとは!


広告によると、ニシノホシの麦わらや市内赤尾の粘土が使われているようです。

外壁にその土地の土を塗ることで街の風景が創られてきた

そう語る親方の言葉通り、空間の雰囲気やあり方を大事にする姿勢が
ものづくりにも表れていくんだと思います。

きっと素敵な、何とも言えない味わいのある空間になるんだろうな~。

こちらも「気にして」見ていきたいところです。


そうそう、こちらも気にしてみていきます。

202201_猫のハチとゴマ

わが家の先住猫のハチ(白黒ハチワレ・♀)と新入りのゴマ(ムギワラ・♀)です。

だ、だいぶん慣れてきた?かな?

仲が良くも悪くもないけど、時々雲行きが怪しくなるので
レフェリーストップが入ります。



元々、外で他の猫にいじめられていたから引き取ったゴマでした。

そのいじめていた猫は、あれだけ姿を見せてたのに
もう見ません。

外が氷点下になる昨今。どうしているだろうかとも思います。


ゴマは、弱いから助けられました。
その代わり、自由と母親になることを失いました。

あの追い回していた子は強いから、この寒空の下
どこでどうしているかも分かりません。

何が猫の幸せなのか。それをどうして私が決めれるのか。

猫の幸せをひとくくりで決めてしまうことは
「女なんだから結婚して子どもを生んで
 家にいるのが幸せに決まっている」と
言われることと一緒のような気がするのです。

何を幸せに思うかが、人によって違うように
猫の幸せも、猫によって違うんじゃないか。

ただ、助けようとすると
諸事情を鑑み
避妊、室内飼いしかできなかったのです。

「こうするべき」という考えが
正しいか間違っているかはともかく、

せっかく生まれてきた命が
人間も、動物も
できたらヌクヌクと温かい場所で休めるよう願いたいところです。

気にして見ている。

そういうことが増えれば、
何かあった時、少しはお力になれるかな?

優しげなことが優しいとは限らないけれど
無知無関心もなんなので。


今春、宇佐市辛島の虚空乃蔵が完成しましたら
興味のある方は
ぜひ原田左研さんのお仕事ぶりを観に行ってください。

「あ~、こんな空間好きだな~。
こんな感じの家に住みたいな~。」と思ったら
是非もくせい工舎のお家を見に来てくださいね。

正し、設計は虚空乃蔵とは違うので
そこはご留意ください。

漆喰のやさしい雰囲気に、
これでもか!と木をつかったお家です。

自然素材の家づくりに
木も気もつかっていいるというワケです。

新年早々、ダジャレですみません。

こざっぱり。できるだけ。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


年末ですね。年末。

・・・どうしよう(笑)

わが家は、毎日ルーティンとして掃除する場所と、
年末しかしない場所があります。

毎日のルーティンを少しずつずらしていけば
何となく家全体がいつも綺麗に保てるのは
理屈では分かるのですが
それができない。

どうしても、最低限ここだけ!
を掃除するのでいっぱいいっぱいなのです。

だから年末しか掃除しない場所は
汚れも一年分ですから
かなり頑固で苦労する。

今はスイッチ一つで便利になった分、
部品も複雑で、掃除がしにくい感じがします。

システムキッチンなどは、
大掃除のことを考えたら
レンジフードから何から、
シンクに漬け置きできればありがたいのですが、
レンジフードカバーは、手に余るほど大きく
「いったいどこで洗うのかい?庭か?風呂か?」と泣きたくなります。

う~ん。デザインした人は大掃除しないんだろうか。

ぜひともメーカーさんには
大掃除の洗いやすさもお願いしたいところです。

あと、レンジフード以外の難関と言えばこれ。

2021_oosouji.jpg

お風呂の乾燥機の換気扇。

まだ築数年のお家は特に異変を感じないかもしれませんが、
実はこれも曲者だったのです。

建てて数年後、天井から何やら黒いものが落ちてくる。

・・・怖いでしょ~(笑)

わが家では、毎年フィルターは掃除していたのですが
換気扇の羽の間に、
びっしり湯気と誇り(←あえてこう書きます)が混じった黒い汚れが‼

そこがMAXになって、ある日ハラハラと粉雪のように舞い落ちたのでした。

・・・ひゃ~‼‼‼‼

まだ黒い雪が舞い降りてないお宅は、
ちょっと見てみると良いかもしれません。

換気のために付けっぱなしだと、
かなりの確率でなっているかもしれません。

くわばらくわばら。

できれば、こざっぱりして年越しをしたいところですが
光陰矢の如し。

あっというまに明日は大みそかなのです。

多少のやり残しはあっても、
え、笑顔で年越しをいたしましょう。
きりがない。

あと、このこも我が家で年越しとなりそうです。

2021_goma_sakura.jpg

無事に避妊手術を終えたゴマちゃんです。

予約していた日になかなか戻らず、
延期し、クリスマスイブに手術となりました。

あとは、傷が完全に塞がるのと
お腹の禿が治るのを待つばかりです。

先住猫のハチとは・・・もうちょっとかな。

ハチの方が、気分にムラがあるので
気長に様子をみましょう。

あ~、今年も終わる。

オリンピックとコロナの2021年。

来年は、もっと安心できる世界が待っていることを祈ります。

それでは皆様、良いお年をお過ごしくださいね。

冬来りて猫が鳴く

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


早いもので、あと半月もすると、2021年も終わりですね。

色とりどりに染まった紅葉にうっとりしていたら
いつのまにか寒さも本番に差し掛かっています。

冬眠場所を探すクサガメ
さすらいのクサガメ。冬眠場所を探して迷い込んだかな。

亀はともかく、
寒くなると、妙に野良猫が目につくのは私だけでしょうか。

元野良猫のハチが我が家の庭先で
「入れろー!」と鳴いたのも、11月のはじめ。

思えば、サツマイモ掘りは
11月のはじめの頃には終わらせます。霜が当たるからです。

その頃にはもう、朝の冷え込みも強く
外暮らしの猫たちには、本当に堪えるのでしょう。

猫の発情期のピークは春(2~4月)と夏(6~8月)

発情するのはメスのみで、
オスはそれに促される形となるようです。

妊娠期間が2か月くらい。

そうすると、単純に考えれば
(2~4月)で、4~6月の初夏生まれ。
(6~8月)で、8~10月の初秋生まれとなります。

ハチが来たのは、満1歳にもならない8か月くらいだと思うので
おそらく、初夏生まれ。

初秋生まれ、しかも遅ければ遅いほど、
霜が降りる頃になっても、まだ生後数か月ってとこでしょうか。

野良猫の生活の厳しさから考えても、
冬が来る前にある程度育っていない子猫は
春を知らずに亡くなる可能性が大きくなります。

「野良猫が車のボンネットに乗って迷惑だ。」

そりゃ、猫嫌いな人もいるし、
野良猫に興味のない人もいるし、
車に傷でもついたらというのも分かるし。

ただ、「車に傷でもつけて困らしてやろう」と思って
上に乗っている猫なんていないんですよね。

もう、寒くて寒くて、
ようやく温かい所を見つけて
夜の間冷え切った体を温めてただけで。

私は猫好きなので、そういうお宅に
室内犬用のお洋服なんかの洗濯物がかかっていると
ちょっと複雑な気持ちになってしまう。

好きで野良に生まれたわけじゃなかろうもん!

ペットショップで買えるだけが命じゃないぞ~!

生まれ変わって野良猫になってみたら分かるよ!

んで、「汚い野良猫、あっちいけ!」って言われてみればいいよ!

チックショー~~~~~!(小梅太夫か?)

ついつい取り乱してしまいました。すみません。


一見自由とはいいながら、寒い。ひもじい。怖い。
そんな思いをしながら生きている野良さん達。

私なら耐えられないと思います。

ハチも、ホウキを怖がるので
きっと嫌な目にあったことがあるのでしょう。

今思えば、それでも勇気をもって
というか、図々しく?
「入れろ~!」と人間を「頼ってみた」と言えます。

凶と出るか吉と出るか。

わが身の運を気にするのなんて人間くらい。

「そんなん知らん~!
ともかく、声をかけないと死ぬ~!」・・・と思ったのか。

いや~、この点も私などは
「この前ひどい目にあったから」ってウジウジして
凍えと飢えで死んでいたかもしれない。

・・・声かけてくる猫って
実は、図々しいばかりの勇気があるんじゃないか。

・・・で、来ちゃったんですよ。また。
その類が。

この子です。

2021_野良猫ゴマちゃん

・・・どうしよう(笑)

とりあえず、猫風邪ひいていたので病院にかかって
治療しました。

近々避妊手術の予定です。

ただな~、こればかりは先住のハチ先輩次第のところがありまして。

今、じわじわとお互いに慣らしている最中です。

2021_ハチとゴマ

一年たってもどうにもならなかったら
嫁入り先を探さないといけないかも。トホホ。
(時間がたつほど、ではありますが)

「ぜひ、わがやに!」って方がいましたら
もくせい工舎までご一報ください。
(↑勝手に言ってます)

厳しい審査の上、泣く泣く嫁に出します。
(とはいえ、なるべく頑張るんですが)


オスの行動範囲は広く、メスはそれほどでもなく
そこそこ近場で一生を終えます。

メスの発情が引き金になって、オスも・・・となると
やっぱり、地域猫のメスだけでも
できるだけ避妊させることが、
かわいそうな野良猫をこれ以上増やさない糸口になると思います。

とはいえ、正義感に燃えて言ってるわけでなく
やっぱりモヤモヤするんですよ。
猫に頼まれてそうしてるわけじゃない。

ただ、猫にしろ、人間にしろ
生まれてきたからには・・・っていうのがある。

好きで寒空の下、凍えているわけじゃない。

「そういう運命なんだから仕方ない」
って、自分事だったとしてもいえるのか。

・・・・。

チックショー~~~~~!(再びすみません。)


人の気持ちを知ってか知らずか。

2021_ゴマちゃん

そんなんリラックスして。

2021_ゴマちゃん

名前はゴマちゃん(♀)。柿のゴマ模様みたいだからです。

セキセイインコのQ太郎、猫のハチ。
9,8・・・で数字に絡んで5です。

7,10はボツになりました。

2021_ゴマちゃんのカギしっぽ
チューリップ型のフライドチキンのような、カギしっぽがチャームポイントです。ピコピコ動きます。

2021_ゴマちゃん

幸せになろうね、ゴマちゃん。

・・・その前に、ハチ先輩だけど。

それだけが全てじゃない。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


不思議なもので、お腹が痛くない時は
お腹のことを
それほど意識していません。

ところが、いざ痛くなると
気にもしていなかった
お腹のことで頭がいっぱいになる。

具合が悪くなる、つまり日常に不具合が起こると
途端に、そのことばかりに意識が向くようになります。

その不具合に病名がつけば、「病気」なんでしょうか。

検査の数値は問題ない。
病院に行くほどでもない。
けれども、あまり調子がいいとも言えない。

「病気」の反対は、「健康」と言えそうですが
じゃ、その「健康」がどういう状態をいうのかは
かなりあいまいなのかもしれません。

同じように、
幸不幸も言えると思います。

不幸は何となく分かりやすいけれど、
幸せってどういう状態か分かりにくい。

恋人や家族や、お金や、地位や、
何かを手にしている状態を
単純に「幸せ」といえるのか。

同じ状態でも
不幸のどん底のような顔をしている人もいれば
平気で幸せそうな顔をしている人もいる。

じゃ、不幸のどん底のような気持ちになる人が悪いと単純にいえるのか。

同じようなことも
過敏に受け取る人と
鈍い人がいるのは
心の体質のようなものなのかもしれない。

花粉症の人に、過敏なあなたが悪いんだといっても仕方ない。
だって好きでなったわけではないんだもの。

人間にひどい目にあわされた猫に
人間嫌いは性格の問題とは言い切れない。
だって嫌な目にあってきたんだから。

繊細な心(気質)の人に
そう考えるあなたが悪いといっても
もう、受け取った時点で
アレルギー反応のように心が反応してしまっている。

何も好き好んで過敏になったわけではない。
だから、まったく過敏な自分を嫌いになる必要ないんじゃないか。

花粉症や猫と違って、少しできることがあるとすれば
過敏に反応してしまうことはさておき、
「落ち着く」ことかもしれない。

体の真ん中に一本の芯があるようなイメージをして
そこがまだダメージを受けてないと思えると
少し楽かもしれない。

心にさざ波が立ってはいるけれど、
落ち着いていたら波は収まる。
それをイメージすることかもしれない。

不具合が起きても、とりあえず生きているなら
大丈夫。

ただ、命にかかわることからは
全力で逃げる必要があるけれど。

生きていれば、なんやかや不具合は起きるけど
自分の命や、芯の部分が無事なら大丈夫と言えるのではないか。

病気になったら、私が一番最初に気を付けることは何かというと、(略)一日中、病気のことで頭をいっぱいにしないことである。
by 宇野千代

宇野千代さんの考え方をアレンジすれば
病気を不幸、というより不具合と言い換えると分かりやすいかもしれない。

不具合で頭をいっぱいにしない。

上手くいってることもあるんだから。


・・・と、自分に言い聞かせているわけです(笑)

「当たり前」をささえるもの

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


わが子が小さい時、それはもう、笑えるほど度々病気になりました。

兄弟そろって気管支炎だの、肺炎だので
入院することも度々で
「幼稚園に今月2日しか行ってない」なんてこともありました。

誰の助けもあまり期待できなかったので
「こりゃ~、まともに何時から何時までの仕事に就くのは無理かもしんない。」

そう思って通信でWebデザイン等を勉強した時期がありました。

今から10年以上も前のことなので
AdobeのDreamWeaverというソフト。

これがまた私のアタマには難しく、
やっとこさ完成させても
InternetExplorer6問題だったか何かで
(こちらできちんと表示されててもIE6だと表示が崩れちゃう問題)
すっかり心が折れてしまい
付属で覚えた
illustratorとPhotoshopでこうして細々お仕事をしています。

日進月歩の世界は
歩みがゆっくりな私にはついていけない。

今はWordpressなんかで、皆さん
サクサクとサイトを作っているようなので
あんなに勉強してみたことも
日進月歩が
「誰でも簡単に」それなりにできるようにしてくれます。

地道にコツコツした経験値が
やがて地層のようになるのとは
ちょっと違う世界。
乗り遅れないよう、最新のものに常にアンテナを張って
刷新していかないと置いていかれてしまう。

ちょっと私には無理でした。

でも、そのWebデザインの勉強の時に
講師の方が話していた言葉が印象的だったのです。

「Webデザイン然りなんですが
デザインって不便や不都合を感じさせないように作ることが前提なんですよ。」

つまりWebデザインでいうと、クリックするボタンの大きさ一つ、位置1つ、
サイトの訪問者に「?」って思わせてはいけないということ。

なんの不便も感じさせず、「さらっと上手くいく」ようしないといけない。

不便を感じさせないのがデザインの仕事ということです。

車や家電などの工業製品のデザインだとよく分かりますよね。
炊飯ジャーでも「炊く」のボタンが一番大きく押しやすいのは
そういう配慮です。
マニュアルを最後まで読まないと「炊く」ボタンが分からないのは
製品としてアウトですもんね。

機能とは関係なさそうなグラフィックデザインの世界でも
イベントのポスターなのに
開催日時がどこに書いているのか分からなければ
「?」ってなりますから、デザイン的には失敗ということです。

デザインとは、設計・図案・意匠のことだと出てきます。
「?」ってなったり、困らないよう設計する機能的な美しさでしょうか。

あ~、でも
「困らなくて」「きれい」ってデザインだけの話ではないはず。

日頃、「なんの不便も感じさせない。」そういう仕事。

おおやけに「役に立つ」と言われている仕事はもちろん、
名もなき、小さな仕事にも
誰かに不便を感じさせず、快適な日常が当たり前に送れる働きがある。

洗濯かごに放りっぱなしにしていた昨日の靴下が
何年も同じ位置にないのは
誰かが洗濯してくれたからだ。

お金になることばかりが仕事じゃないと
頭ではよく分かっていても
そういう小さな仕事って、もう少し有難がってもいいような気もします。

明日起きれば、温かいご飯とみそ汁、お弁当ができてる。

・・・なんて、当たり前じゃないんだよな。きっと。

当たり前のことが、当たり前にできているのは
きっと、陰ひなたなく
誰かがそうやって働いてくれているからだ。

家事は
日々の暮らしに「困らないよう」「きれい」にしてる
デザイン業務とも言えそうです。

あれをやって、これをやって、
こうしている間に、あれをやって・・・。

家事は頭もフル回転。

疲れは「体」ではなく「脳」の疲れといいますから
もう、立派な激務ですよ。

もっと胸をはっていいと思いますし、
ねぎらって貰っても、おつりが出るくらいです。

家族の「当たり前」を支える。

お金になる「仕事」も、
お金にはならない「仕事」も、
どっちも大事。

ただ、お金にならない「おうちしごと」に
もっと光あれ!

・・・と願います。

「なんかいい」を生み出すもの

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


もくせい工舎では、無垢の木と漆喰で家を建てています。

漆喰壁や玄関の三和土風の土間を手がけるのは、日田の原田左研さん。

自然な素材にこだわり、
壁をつくるというより、
壁と壁の間の雰囲気をつくる。

そんな類まれなセンスの職人さん達です。

この漆喰・左官仕事に関しては、
機械化され続けてきた建築の世界で
今も残る、数少ない手仕事の部分といわれています。


だからでしょうか。

工場からパネルで運ばれて
あっという間に出来上がる
新建材のお家に比べ、

もくせい工舎のお家の出来方は
どこか手作りっぽいのです。

また、人の手仕事だからできることもあります。


こちらはもくせい工舎のカタログ等々でよく掲載されるお家なのですが、


もくせい工舎の自然素材の漆喰壁の家

・・・パッと見て何かお気づきになりますか?

そう、このお家、カドがないのです。

もくせい工舎の自然素材の漆喰壁の家。角がないので優しい雰囲気。

緑色のラインの中を拡大すると・・・↓

手仕事で丸くなった漆喰の壁

他にも、パッと見シンプルなお家ですが、

自然素材の漆喰の壁の家の外観

近くまで来ると、その仕事ぶりに驚きます。

漆喰壁の角が丸い仕上がり

カドが丸い・・・だけなのですが
これだけでフリーハンド感が出るというか

ジブリ作品の背景画のような
優しい雰囲気になるのは驚きです。

これは、人の手による仕事だからでもあります。


また、もくせい工舎の家でも
同じようでいて
よく見ると鏝の跡は、かなり違います。

漆喰の鏝跡の違い
同じ「凹凸をつけた塗り方」であっても、左のように滑らかなアイスクリームのように塗った鏝跡もあれば、
右のように「ほら穴っぽい」質感で仕上げた鏝跡もあります。



私たちも
毎回同じように書いている自分の名前だって
意識しないと微妙に違います。

筆跡は同じでも、紙の摩擦や腕の位置で
全く同じにはなりません。


下は、パソコンなどで使われるフォント(字体)です。

フォントと手書き
パソコンなどで使うフォント(字体)も、手書きっぽく見せていても赤い丸のように、同じ字は全く同じ。
手書きだと、(下手なせいもありますが)全く同じ形にはならない。



完全や、完璧ではなく、
ちょっと外す。
「遊び」がある。

「なんかいい」雰囲気は
人の手仕事の賜物といえます。

手仕事

スタイリッシュで都会的な住まいを好むか

手び練りの器のような家を好むかは

人それぞれですが

「なんかいい」雰囲気は
自然と心をほどいてくれる。

「なんかいい」人の手仕事は

物や空間に遊びやゆとりを与えてくれるのではないかと思います。

「意味」

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


先日、久しぶりに赤ちゃんにふれる機会がありました。

予定日よりずいぶん早めに生まれてきたらしく
実質的には8か月。

伝い歩きが楽しいようで
ニコニコしながら近づいてきます。

手を差し伸べて抱っこすると

・・・あ~、うん、なんかこんなだった。
こんな感触だったよ、赤ちゃんて。

つるつるして、ちょっとペタペタして
重いのに、軽い。

下の子で考えると
15年ぶりくらいの感触です。


「・・・孫っち、こんな感じなんでしょうね~」


子育ても終盤になってくると、
赤ちゃんは可愛いばっかり。


手のかかる時期を必死で過ごしている時期に比べたら
気楽なものです。


嫁や妻の役は、本当に向いていなかったと痛感していますが
母親になったのは、自分にとっては良い経験になったと思います。

少なくとも、低い鼻っ柱は折られました。

それまで、自分で努力さえすれば、
がんばりさえすれば
なんとかなってきたことが

自分がどうあがいても
どうしようもないこともある。

受け入れて、その上でどうしていくか。

それに目が行くようになったからです。

だから、うまくいかない人を一概に責められなくなりました。


利発で、快活で、性格も良く
誰にでも好かれ、
いかにも世の中の役に立っていけそうな子。

そういう子が、俗にいう「子育ての成功例」だとすれば
いかにそれを目指していくかが「親力」みたいなものかもしれません。

・・・でもな~。工場で饅頭つくるようなわけにはいかないんですよ。

これさえしとけば、というマニュアルどおりにはいかない。

だって人間だもの。

親である私が100点じゃないのに
子どもに100点であれ。

っていうのは、どうも合わなかったのです。

仕方がない。私が親だもの。

東大に兄弟を何人も送り込むほど敏腕ではありませんが
うちの子は、華やかな「良い子」ではなく
なんだかほのぼのした「いい奴」にはなってくれました。

女子にはモテないけど、猫にはモテています。


へなちょこな母親ですが
子どもを育てるのって、盲導犬のパピーウォーカー的なものかと思います。

子犬の時に、愛情をたくさんもらって
人間を好きになって、
そして「盲導犬として合格」すれば盲導犬になればいいし、
盲導犬にはなれなくても、また別の生き方がある。

産みはしたけれど、実は「預かり物」で、
ましてや所有物ではないのかもしれない。

「子どもが生まれれば、親にはなれる。
でも、親であることは難しい。」

大学の時に先生に言われた言葉です。
これだけは覚えています。授業の内容はほとんど忘れたのに。

子育てをしていると、
自分の子ども時代の古傷に向き合うことも多い。

私は褒められたこともないのに、
褒めろとな?とか。

でも、自分が子どもの頃
大人に言われてた嫌だったこと、されて嫌だったことは
「私はやらないぜ」って決めることはできるんですものね。

褒めることは苦手でも、
【ねぎらう】くらいはできそう。

ねぎらってもらったら
「なんだかんだいっても
ちゃんと見てるんだな」って実感しますしね。


前回のブログに、胎児性水俣病の娘をお風呂に入れる母親の写真のことを書きました。

あの時に思ったのは、同じ境遇だったとして

私の母は、同じようにしてくれただろうか。
私は、我が子に同じようにできただろうか。

それは、どこかハッキリ言えないのに

強烈にあったのは

「こういう風に、どんな私でも
好いてくれたらどんなに嬉しいだろうか」
という思いでした。

世の中の役に立つとか
必死で頑張っているとか

そういう目に見える
分かりやすい「意味や意義があるから」ではなく

無条件に好いてくれる、
お前は、生まれてきて、生きていてOKなんだと。
例え、他所の人がどう言おうとも、
私は、お前が大切なんだと。
そう断言してくれる。

その存在がどんなにありがたいか。


ユージン・スミスの「入浴する智子と母」の写真を見て、
状況は大変なのに、同情するとかのレベルじゃなく、

胸をよぎったのは
強烈な羨ましさだったのかもしれません。


子どもは、饅頭工場で合格品をつくるようなものじゃない。

親の成績表でもない。


生きている「意味が(今は)よくわからない」ことは
(イコール)生きている「意味がない」とは絶対に違う。

しかも、それをどうして誰かにジャッジされなければいけないのか。

自分が「意味が理解できない」だけで、
「意味がない」と決めつけて。

それじゃ、相模原障がい者殺傷事件の犯人と同じです。

私たちは何もかも理解できているわけではない。

それなのに
「意味」ばかり考えて、
ジャッジして。

目に見えることばかりが
人の「役に立つ」じゃない。

日の当たるところで頑張る人も、
人知れず、がんばる人もいる。

役に立って偉いとか、
頑張ってて偉いと、

他人をジャッジし、
自分すらジャッジし

存在理由や生存理由まで判定されるんでしょうか。

でも、それって
お互いがお互いを見張り合うような
ギスギスした世界になりかねない。

役に立ってないと、
いかにも頑張ってないと、
好いてくれない世界で
私たちは
いつ心から安心できるんだろう。

理屈抜きで、
損得なく好いてほしいのは

きっと、大人も子どもも同じ。

皆、冒頭の赤ちゃんみたいに
意味があろうがなかろうが

ニコニコ笑っていたはずなのに。

生まれつき
おとなしい赤ちゃんはいても、
根暗な赤ちゃんはいない。

皆、ニコニコ笑っていたはずなのに。

ピエタ

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

読書会で『苦海浄土』を紹介されたのを皮切りに、
なんだか個人的に、石牟礼道子三昧となった今年。

その流れで、ジョニー・デップ製作・主演の映画
「MINAMATA-ミナマタ-」を観に行きました。

友人に誘われて観た井上弘久氏の
朗読劇『椿の海の記(著|石牟礼道子)』も、きっかけの一つ。

公害けしからん!はもちろんのこと
それ以上に、
人のいとなみや、自然について
考えさせられることが、とても多かったのです。


『椿の海の記』は、公害が起こる前の水俣が舞台。

4歳の「みっちん(幼少期の石牟礼道子)」の目を通して
どこまでも豊饒な水俣の自然と、
その恵みに生かされて生きる
人々の様子が描かれます。

それまで、私にとって「水俣」は、
【公害の起きた場所】でした。

元来の猫好きなので
猫が踊り狂うように死んだりする映像もショックでしたし、

同じように人々が、痙攣したり、
のたうちまわって苦しむ姿は、強烈で

【被害者としての水俣】を
印象として、強く持っていたんだと思います。

でも、違ったんです。

被害者であることだけが、水俣の全てではなかった。

あの公害が起きる前の、水俣が
どんなに豊饒な世界だったか。

それを教えてくれたのが石牟礼さんの『椿の海の記』でした。

「やまももの木に登るときゃ、山の神さんに、
いただき申しやすちゅうて、ことわって登ろうぞ。」

小さな「みっちん」に、父・亀太郎が何度も言い聞かせます。


自然は人間だけのものではなく
山の「あのひと」たちのものでもあり、
神様からの「恵み」である。

だから、断りばゆうて
分けてもらう。

自然の、恵みにおすそ分けをもらって
生かされている人間。

・・・うわ~。

努力と根性で、右肩上がりに上がることばかりが
偉いと思い込んでると、

【思い上がり】も、右肩上がりなのかも知れません。


また、登場人物に考えさせられることも多かった。

ご近所の末広の女郎さんたち、
岬の火葬場の隠亡(おんぼう)の岩殿(いわどん)

世間でいうところの、けっして立場の強くない人々に
どこまでも目線の優しい
みっちんの両親。

そして、盲目で狂女の
祖母「おもかさま」。

石牟礼道子という人が描く、
映画を見ているような、繊細な文章の世界に
すっかり参ってしまったのです。


今回の映画も、ユージン・スミスが撮った
【人の営み】が見てみたかったのが一番の理由です。


ネタばれするつもりはないので
詳しくは書きませんが

実際は、ハリウッド的勧善懲悪とはいかない
複雑な事情もあったのだろうなと思います。

それでも、絶対「しかたないよね」ではすまされない。


國村準さん演じるチッソ社長が、ppmの話をするシーンが印象的でした。

ごくわずかなら、無いに等しいと。



有毒でも、ごくわずかなら無毒か。

騒いでいても、ごくわずかな人間なら問題ないか。


「チッソは私であった」の著者・緒方正人さんではないですが

チッソは私。
私は、チッソになりうるって
どこかで思っていないと
間違えてしまうような気がしました。



映画の中で、胎児性水俣病のアキコちゃんを
お母さんがお風呂に入れるシーンがあります。

ユージン・スミスの「入浴する智子と母」という作品が元ですが、

もう、なんだか心を揺さぶられて
不敷布のマスクが
ぐしょぐしょになって、エライことになりました。

上手く言えませんが、

私の母は、同じ立場なら
私をこんな風に愛おしそうにお風呂に入れてくれただろうか。

同じ立場なら、
私は、我が子をこんな風にできただろうか。

その姿が、ピエタのようで

エンドロールで流れる坂本龍一さんの音楽が
強くて、きれいで。

きれいごとじゃすまない一面の、
それでも
絶対に人が失ってはいけない核心に触れたようで

本当に、何の言葉でも埋まらないのですが、

きれいごとじゃないのに、
何とも言えない、絶対的なものを見せられた。

そんな感じでした。


それにしても、ジョニー・デップ。

映画に詳しくないとはいえ、
私が知っているジョニデは

ハサミつけて「白塗り」してたり、
チョコレート工場で「白塗り」してたり、
海賊やって「白塗り?」してたりだったので

あまりにも違って、というか
本当にユージン・スミスはこんな人だったのではと
そう思えるくらい違和感がなくて。

そちらも意外や意外でした。

例によって長文失礼しました。

あ~、でもまだ話したいこといっぱいある~。



折を見て、また書きたいと思います。


明日は、10/1。映画は、ファーストデイ。

今週末、完成見学会のお家に。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

9/25,26の土日、もくせい工舎では
国東市にて、完成見学会を開催します。

詳しくは→こちら♪

本日そのお家の写真撮影にお邪魔してきました。


20210923_もくせい工舎・自然素材の家の完成見学会・会場外観


お邪魔した時は、まだカーポートが工事中。

お庭をてがける実意園さんが多忙で
見学会までに間に合いませんでしたが、
お庭ができたら、撮影...再度、できたらいいなぁ。

そして、この日は
原田左研の職人さんが
玄関の三和土風土間の最終仕上げをしていました。

20210923_もくせい工舎・自然素材の家の完成見学会・三和土風土間

(撮影するのに)玄関から入って大丈夫ですか?」

「あ、はい。今は大丈夫ですけど、これから塩酸で洗うので...。」

「あ、じゃあ、あちらから出入りしましょうね。」

飾る花を活けながら、さっき聞いた「塩酸で洗う」が気になって仕方ない。

忙しい原田左研の職人さんに、ちょっと聞いてみました。

「さっき、塩酸で洗うって言ってましたけど、
塩酸で洗うと、どうなるんですか?」

「あぁ。(土間の)アルカリ成分が出て白っぽくなるので
酸で中和して、きれいにするんです。」

「壁の漆喰は、酸で中和しないようですけど、
土間はするんですね」

「壁の漆喰は、石灰の色味自体が大事なんですけど、
土間は強度をあげるため、セメントも入っています。
セメントの色味や、三和土に入っている(きれいな)石の色味を
美しくするため、最後に洗う作業があるんです。」

なるほど~。

お忙しいのに、根掘り葉掘り聞いてしまった・・・。
真摯に答えてくださった職人さん、ありがとうございます。

撮影していると、場所がら
飛行機が通過します。

大分空港が、ちょっと先ですものね。

20210923_飛行機

室内にいると、音もそれほど気になりません。


撮影をしていると、それこそ先ほど話した
原田左研さんの仕事ぶりが目に飛び込んできます。

20210923_漆喰の鏝跡

この、鏝の跡、本当にいいでしょ~。

20210923_漆喰の質感

もくせい工舎の漆喰の壁は、本当に手仕事なので
その跡が、なんとも言えない雰囲気を醸し出しています。

手び練りの器みたいな、あの素朴な感じです。

20210923_洗面台付近

手洗い鉢とステンドグラスが素敵な、手洗い場。
直線も、漆喰だと雰囲気は柔らかいですね。



もくせい工舎のお家も、実は【新築の匂い】があります。

建ててしばらくした木の家の匂いとは違う、
フレッシュな、【切りたての木】の匂い。

実際には、乾燥させたりするので
切りたて!ではないはずなのに不思議です。

撮影後は、髪の毛とかから
気のせいか、木の香りがする。

おそらく、はじめてお越しになる方は
圧倒的な、清々しい木の香りにビックリするかもしれません。


大概、撮影にお邪魔している私でさえ、
撮影してると思います。

20210923_もくせい工舎の家は、木がふんだん

「どこまで木やねん!」って(笑)

それくらい、ふんだんに木が使われています。
これを見慣れていると、木の家の概念が変わってきちゃう。

見学会では、その辺も見どころかもしれません。

こればかりは、実際に
来て見ないと分からないですものね。


それと、
マニアックかもしれないですけど、
私は、カーテンが風に揺れるのがすごく好きなんです。

20210923_自然の風

自然の風が、ふわ~っと入ってきて
カーテンが、無垢の木の上を揺れて。

絵になりますよね~。
いや~、しあわせな光景だ。

20210923_9/25・26完成見学会の自然素材の家・リビング

今週末は、お天気もよさそうです。

車で数分のところに
道の駅くにさきと、きれいな海もあります。

よかったら、ご家族で
「どこまで木やねん!」の
自然素材の家に会いに来てください。

今週末の見学会、詳しくは→こちら!

・・・ちょっと都合が悪くて~

という方も、OB様邸個別案内なども致しております。

こちらも、下記バナーより↓遠慮なくお問合せ下さい。

お問合せ・ご相談


みなさまにお会いできるのを、楽しみにしています。

なつかしさの裏側には

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


先日、ある廃校にお邪魔しました。

待ち合わせた友人が、
「朝、廃校になった小学校の草刈りでね。
でも、すぐ終わった。
『いっつも手入れしよるけん、時間がかからんで終わるけどね~』
っち、近所の人たちと言いよったんよ~」
というので、

「廃校...。」

「うち、地区が自分たちで管理するけって
廃校になった後も、手入れしよるんよね~。
普通、市の業者かなんかが来るんやろうけど。

今、地区でサロン開いたり、資料展示したりしよるんよね~。」

個人的には、廃校って
どこぞの団体なんかがリノベーションして
うんたらかんたらというニュースばかり聞くので

「自分たちできちんと管理するから!」という地区の話は
とても意外だったのです。

廃校になって、第三者にわたった学校が
何だかすっかり"こじゃれ"てしまって、
地区とは一線を画す、別物になってしまうような
思い込みがあったのかもしれません。

よくよく考えたら、
廃校をリノベーションして、カフェとか、シェアオフィスとかは
「新店舗オープン!」と宣伝されるので、知っているだけかも。

地道に、地区が手入れしているという情報は
わざわざ、あまり報道されそうもありません。

なんとなく、その大事にされている学校を見に行ってみたくて
忙しい友人に付き合ってもらって
訪れてみた、というわけです。

場所は、中津市津民の河川プールのまだ上流。
長岩城跡の近くの、永岩小学校。
旧とつけたくなりますが、まだ使われてますものね。

210915_校庭から校舎を望む

小さな校庭に桜の木。
そして、こじんまりとした校舎がありました。

210915_nagaiwasyo_1.jpg

正面には、木製の手書きの表札。

210915_職員室前210915_ガラスの建具
古い木の建具が味わい深い、職員室前。

210915_保健室前のかわいいボード210915_長い土間付きの廊下
手づくりの可愛い掲示板のある保健室前。土間が平行する廊下をはじめて見た。

210915_体育館
小さめのかわいい体育館も。烏骨鶏とウサギの飼育小屋もあった。

まず案内してもらったのが、最後の在校生たちが作った
長岩城の模型。

なんでも、先生に
「賞をとったら、東京に呼ばれるけん、
東京ディズニーランド、いけるぞ!」
と、のせられて(?)放課後残ってまで
完成させた力作です。

山城の様子を分かりやすく伝えるために
等高線を参考に、山の起伏を表現したり。
特徴的な平べったい石積みを、忠実に再現したり。

崖が危険だからって、「落ちたら死ぬ」と書いてあったのには
笑いました。

「本当だ。落ちたら、そりゃ~死ぬかも(笑)」

その作業の様子や、学校行事の様子が
掲示されていて、友人から
地域あげての運動会の様子も聞きました。

「70、80のおばちゃんたちが、
もう、元気いいでな~」

地区の敬老会も、ここでやっていたとか。
写真には、何とも楽しそうな
笑顔が並びます。

あえてこの自然豊かな環境を気に入ってくれた
先生も少なくなかったようで、
校長先生入れて、4~5人の先生たちの
満面の笑みの集合写真もありました。

大型校では、あまり見ない類の教職員写真です。
(大型校も、満面の笑みで写ったって良さそうなのに。)

私の友人も、ご主人も、お子さんも、今は亡きおじいちゃんも
この学校の写真に楽しそうに写っていました。

ふと思ったのは、懐かしさには
必ず裏に、温かな思い出があるということです。

辛い記憶や、それにまつわる傷が癒えていないうちは
なかなか、その場所を懐かしく思い出すことなんてできないからです。

大きな桜の下、地区の人たちが
お弁当を広げ、楽しそうに笑う写真に
「自分たちが管理するけん」の
意味が分かったような気がしました。
(気がしただけ、かもしれないけれど。)

地区の絆って、無理強いして
できるものではないように思います。

嫌々参加っていう人もいるかもしれない。

かくいう私も、あまり地区の行事やPTAは好きではない。

ただ、少しずつ、
色々もやもやはあっても、少しずつ
顔なじみになる、
名前くらい知ってる人になる、
話をしたことがある人になる、
笑いあったことがある人になる、

そういった些細なことの積み重ねが
地域で生きるってことではないかと
この歳になって思うことです。

今いる場所が、いつか懐かしく思い出されるように、
色々あっても、どこか温かい記憶として残れば
良しとしたいところです。

地区もそうですが
子ども達にとって、我が家もそうかもしれない。

顔をあわせれば、嫌みや忠告しかででこない親がいる実家より
近所のおばあちゃんの方がよっぽど懐かしいなんてことだってある。

それってやっぱり、【居心地の良さ】ではないでしょうか。

居心地のよかった場所は、
きっと思い出しては
【懐かしい場所】になるのだと思います。

そんな居心地の良い
思い出の場所の一つが
わが家であれば、親冥利につきそうです。

そんな居心地の一助になりそうな木の家が
もうすぐお目見えします。

そうそう、宣伝なんです。
だって、自然素材の工務店もブログですもの。
ちゃんと、告知しとかないと(笑)

どうか、こちらもぜひ
良かったら、一度ご覧ください。
お待ちしております。

9/25・26 国東市完成見学会


木造住宅なら、どれも自然素材の家か?

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


本当に自然素材の家を必要としている人に
もくせい工舎の家のつくり方が伝わるようにしたい。

そう永家Tさんから相談されて
じわじわ関連のバナーやページを
整理したり、作成したりしています。

見慣れた記事も少しずつ
変えるところは変えていくと思います。
お付き合いいただければと思います。

最近の追加は
自然素材の家と、新建材の家 ~【自然の木】でつくった家と、【石油化学製品】でつくった家の違いは何かの記事。

良かったら、ご覧ください。

ところで、改めて考えてみても
自然素材の家ってなんでしょうか。

木造住宅なら、木は使っているのですから
すべて自然素材の家に決まってるじゃん!

そう言えそうです。

新しい記事にも書いたのですが
自然素材の家と名乗るのに
法的な決まりごとはありません。

使用している
自然素材の割合が
ちょっとでも、たくさんでも
自然素材の家と名乗れます。

そうすると
本当に切実に
本物の自然素材の家を望んでいる方にとっては
ちょっと意味合いが違ってきそうです。

健康に良さそうなイメージだけで売るか
不自然な家にしたくなくて自然素材の家を建てるかは
まったく別物だからです。

じゃ、どう考えるか。

それを見分けるのは
工務店の事務所の建物や、ブログやインスタなどだと思います。

自然素材の家を売りながら
事務所は全く自然な感じじゃないとか

ブログやインスタを見ても
あまり自然のことに関心がなさそうなら
ちょっと用心した方が良いかもしれません。

実は私は、家を建てる時
もう一社、気になる「自然素材の家」を建てる会社がありました。

そこの工務店の完成見学会のお知らせが入ったので
見学会の数日前に
実際に現場に見に行ったことがあります。

なんか、全く心動かず。

私、こんな家ちょっと嫌だなぁと
感覚的に思ったのです。

外壁が吹き付けで
息が詰まりそうな感じがした。

この、感覚として好きかどうかってかなり大事で。

見学会当日などは
べったりくっついてこられて
さもいいことばかり言われたら
この感覚が研ぎ澄まされる暇なんてありません。

だから、静かな時に
一人で見行ってみる。

その時、
「あ、私こんな家に住みたい!」
って思えば、その工務店の見学会に行ってみれば良いと思います。

本物の自然素材の家は
職人さんの
木工作品のようで
手び練りの器のよう。

素朴だけれど
なんともいえない
味わいがあるはずです。

お好きな方は
きっと見れば分かるはず。

でも、これが
見ないと分からないんですよ~。

本人に会うように
家に会わないと分からない。

だから、9月の25,26の週末。
国東市で完成見学会を行います。

ぜひ、一目
不自然なものをできるだけ省いた
自然素材の木の家に
会いに来てくださいませ。

県北からちょっと遠いですが
ドライブがてらいかがでしょう。

見学会情報アップしましたら
ぜひご検討ください。
(※9/7に関連記事アップしました~♪)

木が本当に好きな方には
きっと気に入っていただけると思いますよ~。

じわじわできた傷は

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


○○豪雨と後に名前がつくような
猛烈な雨が降り、甚大な被害が発生する恐れがある。

その言葉通りに、ここ数日のひどい雨。
各地から被害の様子も
次々と報道されています。

大分県北で集中して降れば、
報道を見て心配した福岡や大分市の友人が
大丈夫かと連絡をくれました。

ところが、
その数時間後には
その友人のところの方が
危ないことになっている。

2012年の九州北部豪雨では
本当に身の危険を感じるような思いをしました。
あんなに雨音が怖かったのは
生まれて初めてでした。

見慣れた青の洞門付近の風景が一変し、
川沿いのレストランの中に
濁流が渦を巻く様子に愕然としたことを覚えています。

あの滝つぼの中にいるような雨の中、
実は母から電話がかかってきたのです。

「大丈夫~?」

ところが、人間、本当に怖い思いをしている時
大丈夫かどうか、こっちが聞きたいくらいなのです。

とはいえ、母に言ったところで
雨が止むわけでなし。

とりあえず、状況を説明すれば
余計な心配かけるだけなので
(今のところ生きてるし)大丈夫」とだけ言って電話を切りました。

ああいったことがあってから、
遠くに住む友人に
今回のような大雨や災害があった時
実のところ、なんといってよいのか分からなくなりました。

大丈夫?と聞いて
大丈夫じゃない時、
なんと言ってよいのか。

それは、大事な人を失って
泣いて悲しむ人に言葉が見つからないような
あの感じに似ています。

お腹の底で
その悲しさがギューと伝わるような感覚はあっても
それを言葉にしようとすると
どうも違う。

うまいこと言おうとする
イヤらしい感覚も出てくるし
何を言ったところで、かもしれない。

そんな時、本当に
自分の言葉の拙さに嫌気がさしてしまう。

大学時代からの腐れ縁の友人2人に
「大丈夫か? 無事を祈ってる! 困ったら何なりと!」
と送ってはみたのですが、
1人からは返信がないので、

本当に今はそれどころではないのかもしれません。

脱炭素化社会、って言葉をよく聞きます。

マイバック、ゴミの分別、etc.

細々できることからやる、のは
とてもよくわかる。

でも、

何十年に一度が、来年も来ないようにするには
どうしたらいいのか。

起こった結果のメカニズムは
どこかの専門家が説明してくれても、
来年、また「何十年に一度」が来ないようには、誰にもできない。


ふと、ハチ(元野良猫)
家に迷い込んできたときのことを思い出します。

ハチの脇には、輪ゴムが食い込んで
えぐれてできた傷があったのです。

猫のケガ
推測ですが、何かの拍子で輪ゴムが脇にかかったまま、体が大きくなったみたいで。
首にもゴムのカスがついていたので、取ろうとして取れなかったのかもしれません。
ゴムと言えども、食い込んで、ぱっくりとした深い傷になっていました。


避妊手術をかねて、動物病院に行ったとき
言われたのです。

じわじわできた傷は
じわじわ治すしかない。

いつの間にか、ひどいことになっていた
深い傷。

同じだけ、辛抱強く
良い方向に向かって取り組んでいくしかないのかもしれません。

環境もだし、
体もだし、
心の傷だってそうなのかもしれない。

それでも、毎年こんな雨は
勘弁してほしい。

AIに仕事を奪われる話だけでなく、
こんな時ほど、ぼんやりとしたエリアメールではなく、
ピンポイントで、
「今、あなたが危ない!」をAIには教えて欲しい。

「今までに経験したことがない」が起きるなら
膨大なデータの中から、
どこにどう逃げればベストか
そういうことこそ、AIに教えて欲しいくらい。

AIに頼りたくなってしまうのは
便利に慣れてしまって、
虫の知らせ、の感覚が鈍っているんでしょうか。

じわじわ傷が深くなる前に、
このままじゃ「ヤバい」と感覚的に分からないと
いけないのかもしれません。

なんでも、ほどほどにが
一番かも。