すだちを前に

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


春先から、わが家の庭に小鳥の声が目立つようになりました。

さえずり?

いえいえ、けたたましい警戒音というか、威嚇音。

「ジョジョジョジョジョジョジョッッ‼‼‼‼‼‼‼」

シジュウカラか、セキレイか?
茶色のくま取りの鳥もいる。

センダイムシクイかな~、
それにしては大きいような・・・。

その正体、後日判明することとなるのです。


ある日、ご近所のミケちゃん(♀)が
わが家の庭先を通って、
そのまま用を足しに、ウチの畑へ。(・・・って、家でしようよ。ミケちゃん。)

さかんに、その頭上を飛び交って、
(御用の最中の)ミケちゃんの頭に、蹴りを入れる小さな鳥。

ミケちゃんも、「なんや、なんや?」って感じで
そそくさと退散します。(・・・って、出たんなら埋めようよ。ミケちゃん。)

「子育て中は、気がずいぶん強いんやなぁ~。
それにしても、猫に蹴りまでいれるかしら・・・。」


そうこうするうちに、窓の外を見ていた夫が「ナニワイバラの所に、なんかおる」と言う。

「ん~?」

20240415_モフモフのヒナ

なんか、モッフモッフの鳥がいる。

夫:「スズメやろうか?」

20240415_モフモフのヒナ

ヒナなのに、スズメより大きい。

くちばしからしても、鷹っぽいというか
草食のソレじゃない。

「・・・モズの子どもかもしれん」

そう、ミケちゃんの頭に蹴りを入れていた強者の正体は
モズだったのです。

20240415_20240415_モズのヒナ
かわいい顔でエサをねだるの図?いや、この子自体が「ジョジョジョジョジョ!」と警戒音を出していたのでした。赤子でもモズは強し。

なんでも、モズは鳥の中でも巣作りの時期が
2月くらいからと早いらしく、

うまくいけば4月中旬には巣立つとのこと。

20240415_モズのヒナ

そうか、この子もそろそろ巣立ちの時期なのね~。

20240415_モズのヒナ

それにしても、かわいい顔です。

くちばしや胸の模様は猛禽類みたいだけど、
スズメ目(!)モズ科の極々身近な鳥です。


その、モズのヒナが隠れていたナニワイバラ。

昔住んでいたアパートの近くに、小さな雑貨屋さんがありまして
そこの屋根を覆っていた圧巻の風景が忘れられなくて

家を建ててしばらくして、庭に植えました。

時期になると、たくさんの目玉焼きみたいな花がびっしり咲いて、
それはそれは見事なのですが

20240415_ナニワイバラ
おしゃれ庭じゃなくてすみません。フォトジェニック感少な目です。

実はあまりお勧めできないバラ。

病害虫の心配もなく、ほったらかしでもよく育ちます。
もう、じゃんじゃん育つ。
・・・育ちすぎるのです。

そのくせトゲはかなり鋭く、血しぶき覚悟で剪定せねばなりません。

でも、この鋭すぎるトゲが外敵から身を守るのか。

小さな鳥などが、ここを拠り所にしているようです。

香りはそんなにない花なのですが、蜂たちがよく集まり、
なかなか蜜集めのお役に立っている模様。


元々は砂利敷きの敷地だったところに
少しづつ樹を植えて

落葉樹の落ち葉が層になり、

だんだん「なんちゃって森のような」庭になりました。
(マメじゃないので、草ぼーぼーワイルドガーデンというか、ほったらかしガーデンと言うか。)

20240415_森もどき
真ん中はシマトネリコ。・・・これも雑木の庭が好きなら、今思えば、ちょっと違う感じ。


コンクリートで固めれば手間もかかりませんが、

土と木がある風景は、モズや他の鳥、昆虫など

多種多様な出会いをもたらしてくれることがあります。

土があり、木がある風景は、
風の通り道にもなります。

手間ひまがかかることは、敬遠されがちな世の中で

土にふれ、木にふれることは、
人間にとって代えがたいこと。

人間だけがこの世に生きているわけじゃなく、

この世界の一部として生きていることを
再確認させてくれます。

そんな同じ生き物としての
モズの子の巣立ちも近い。

20240415_タンポポの綿毛
今か今かと風を待つ。

広い世界へ飛び出したくてウズウズしている様子は、

くたびれた中高年を、ハッとさせるほど
キラキラまばゆいのでした。

【リライトしました】持家か賃貸か

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


次号のメッセに、こんな広告を掲載していただく予定です。

20240405_もくせい工舎メッセ広告

今回は、持家か賃貸かについて
考えてみたいと思います。

あらかじめのお断りなのですが、
私は経済の専門家でもありませんし、

お金もうけというか、
あまりウハウハ・・・という経験はない。

絶対損はしない!ウハウハ、ガバガバ!
・・・な話はできませんが

一意見として、
そう考える人もおるのね~ってくらいで
以下、お付き合いください。


まずはじめに、私個人は、
お金というものを【万能引換券】だと思っています。

私が、自力でなんでもこなせるスーパーウーマンなら、
他人に任せる必要はありません。

自分で作ればいい。

残念ながら、そうではないので

得意な人、その道に詳しい人に任せて、

その技術と、知恵と、手間のお礼として
(物々交換じゃなんだから)
万能引換券である【お金】を渡します。

言い方を変えれば、自分の自給率が高ければ
引換券はあまりいらない。

自分自給率が低いほど、誰かに頼らなければならない。
その分、お礼の引換券(お金)の心配ばかり要るようになるということです。

自分自給率が低いと、少しでも損をしないように、
頭を使わなければなりません。

ところが、手元にあらかたのお金の余裕ができると、
今度は、時間や手間が惜しくなるようで。

コロナ禍で、マスクが不足した時が
いい例かもしれません。

「え?足りないの?
んじゃ、国家予算でバ~ン!って、作って配ればいいんじゃね?」

・・・と、お金持ちは考える。

お金持ちは、出すものがあるから、手間ひまの方が惜しくなる。

じゃんじゃん入ってくるので、じゃんじゃん使えばいいのです。

ところが、庶民は違う。
じゃんじゃん入る・・・って、ことはない。

そんな、モノもお金もない時どうするか。

だせるとしたら、知恵しかない。

ないならないで、あるもので工夫して
作ろうとする。

ハンカチなどで、代用マスクを作ったりする。
たくましいのです。

そういった創意工夫や手間ひまがおしくなると、
他人に頼む。ラクだから。

そうなると、常にお金!お金!お金!となる。
いくらあっても足りないのです。

もちろん、私もお金は好きです。

行きたいところや、読みたい本、
見たい映画、聞きたい音楽・・・。

それらは、物々交換じゃできません。

でも、そのお金を【自分なりに、どう使いたいのか】。

実は、それが一番大事じゃないかと思うのです、


私には、お気に入りの店がいくつもあります。

パン屋さんもありますし、コーヒー豆もここのでないと!という店もあります。

私には、そのお店の人たちほどの
腕前も、センスも、経験もないので、

お店がなくなってしまう方が困る。

わずかでも、私が買うことで、
その店を応援することになります。

そうやって、お金はぐるぐる回って、
モノやサービスを通しながら、
人と人の間をつないでいきます。

そのお金。

かりに手元にたくさん残ったとして、
いよいよこの世を去る時、どう思うんでしょうか。

子ども達に残す?寄付をする?

残すにしても、やっぱりお金は使いよう。

死んでしまってはできないことの、引き換えとして、
人に、社会に、循環していくものなのです。


持家か賃貸かの話に戻りますが、

ここでも、家に対する思い入れがあるかないか、
価値観の点で違いがあるように思います。

家は住めさえすればいい。寝に帰るだけ。

特に頓着しないならば、
賃貸でもいいかもしれない。
(家への思入れとコスパに関して、関連記事は、こちら↓)
コスパと、お買い得と、目線の違い。

持家が財産になると言っても、
【実家じまい】なんていう言葉もあるように、

子ども達がどう思うかは、こちらの都合通りにいきません。

家なんて特にこだわらなければ、
身軽さは、気軽さです。

・・・じゃ、自分ならどうだろうか。

残念ながら、私はかなり【場所】を大事にしたい。

どういう【空間】で生きるかは、代えがたいことでした。

賃貸に、同じような漆喰や無垢の木の物件が
山ほどあって、しかもお手軽な賃料なら

私でも、無理に家を建てようとは思わなかったでしょう。

幸か不幸か、そんな賃貸なんてないから、

木の家に、漆喰の家に、
住みたいと思ってしまった。

反対に、よくある賃貸物件と同じような作り方の家なら、
建てようとは思わなかったと思います。


イチかバチか、意を決して家を建てたたものの、
そんなに若くもなく、
お金もそんなに・・・だったので、

かなり年をとるまでローンがある。
(そりゃもう、気が遠くなるほど・・・。)

・・・じゃ、後悔するか。

もし、万が一、万が一のことがあって、
お金を払えなくなって、

家を売りに出すことになったとして、

それでも、私は
【住みたかった家に住んだ】ことになる。

もし、「お金が払えなくて、売ることになる」恐れから

あのまま、前のアパートに住んで

そこで命が終わる時、

そこに幾ばくかのお金が手元に残ったとして、

私は、どう思うんだろうか。

損はしなかった、だってお金残ってるもん・・・?
(結局、家買っても問題ないくらい残ったら、「・・・・。」ってならないんだろうか。
その間、賃貸料は出ていくんだし・・・。)

いやいや、絶対思う。
「私には、結局、あんな家なんて、無理やったんやな」って!

手元に幾ばくかのお金を残せても、

せっかく生きてきたのに、

本当に【経験したかったこと】を【しなかった】。

それを悔やむ可能性が、大いにある。

なぜなら、私にとって
人生の大きな悔いになるほど、

良い経験、良い場所、良い空間は大切だからです。

家なんてどうでもいい。
家より宝石。
家より、車。
家より、服。

価値観は人それぞれ。
違いに、良いも悪いもない。

そういう人にとっては、家は持家だろうが
賃貸だろうが、都合の良い方にすればいいわけです。

ただ、もしこれを読んでくださっている方が、

「う~ん、自分も家の質って大事かな~。死ぬときにガッカリするかもしんないな~」と思うのなら
持家は選択肢の一つと考えても良いのではないでしょうか。

とはいえ、建てれるかが問題なのよ?

・・・確かにそうなのです。

それでも、先ずは聞いてみることです。

私たちが完全無欠の完璧人間でないのは、
他者を必要とするためです。
(↑エラそうに言ってますが、元ネタは吉野弘さんの『生命は』という詩です。
関連記事は、こちら↓)
不完全なワケ

今の自分たちじゃ分からないことは、
他人の経験と知恵を借りましょう。

で、ないならないで何とか工夫できるのか

それを考えるのが、庶民の知恵であり、強みです。

せめて死ぬときに、

何やかんや、色々あったけど、
まぁ、おもしろかったな、いい経験したな。

そう思って私は死にたい。

ああなったらどうしよう。こうなったらどうしよう。

心配ばかりして、恐れるばかりで、

結局、なんにもできなかったなんて

私はイヤだ~!

やりたいことも我慢して、
必死になって集めたのに、

怖くて、結局使いきれなかった【引換券】眺めて死ぬなんて!


ちっとも参考にならないかもしれませんが、

ふ~ん・・・って感じで聞いてもらえたらと思います。


以上、中高年の主張でした!

卒業の日に

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


先日、みやこ町のお家の撮影に伺いました。


1080_IMG_2007.jpg
うまいタイミングで、庭に花があれば、それを持参します。この日は、一重のヤマブキとピンクユキヤナギをプラスできました。
桜が咲く前に咲きだす、寒い時期にありがたい花です。

飾るための花を活けていると、遠くから音楽が聞こえる。

ゆずの『栄光の架橋』でした。

「・・・卒業式かな?それとも練習かな?」

静かなので、風に乗って聞こえてきたのかもしれません。

お客様の中にも、この前卒業式だった!という方が
いらっしゃるかもしれませんね。

私事ですが、わが家の次男坊もこの度高校を卒業しました。

小さいころ、発達障害の疑いがあるかもしれないと言われた子でした。

重度ではないからと、特別な療育をうける機会もなく、

もっぱら私が気に入りの絵本を何百回と繰り返し読んで、
出てこなかった言葉を、少しづつ覚えてきました。

ただ、所作や言葉、人との距離感に
彼独特な感じがあるので、違和感があったのでしょうか。

小学校時代には、一時期いじめの対象にもなり、
おだやかではあるものの、なかなかこれといった友人もできず。

母親としては、「ひとりでいること」は全く恥ずかしいことでも何でもなく、

たまたま親が選んだ土地で、同じ世代だからって
気が合う合わんは別の話で

本当に気が合う人なんて
少なくて

だからそんな人に会えたら超ラッキーなんだから
大事にしたらいい。

ひとりでいても、堂々としてる方が
カッコいいんや!

ひとりの時は、ひとりでできることを楽しんだらいいし、
みんなの時は、みんなでできることを楽しんだらいい!

・・・とか何とか、彼が決して
自分をみじめだと決めつけないように
声かけをしてきました。


小さな子のお世話をするのが好きな子だったので、
6年生になると、1年生の教室にちょくちょく顔を出して、遊んでいたようです。

他の6年生は、同学年の友達と外で遊んでいるのに
ちょくちょく(呼ばれもしないのに)顔をだす次男に

1年生の担任の先生が
「○○君、いっつも来てくれるんですよね・・・」と、
ちょっと困惑したように言われたこともあります。

・・・うん。先生のおっしゃりたいこと、よくわかります。

そりゃ、・・・なんで?と言いたくなるでしょう。

彼は、そんな空気が読めない。

同じ学年の子と一緒に遊ばんと、友だちおらんのかって思われる・・・。

とか、まず考えない。

よっぽど嫌な顔をしない限り、1年生の担任の先生の
微妙な表情なんて、まず気づかない。


ところがです。

その彼が小学校を卒業する時。

割と小規模な学校なので、
在校生が向かい合って並んで、手でトンネルをつくり、
その中を、卒業する6年生が通り抜けていくという伝統があります。

トンネルの入り口側に、5年生から並んで、
出口には、1年生が並びます。

雨の日だったので、出口もちょうど1年生の教室前でした。

出口側で写真を撮るべく、待ち構えていると、
出てきながら、ニコニコ笑顔の息子。

息子が通ると、何人も、何人も、
1年生が彼に抱きついています。

「▲▲さん・・・。」

ふと声をかけられて、顔を上げると、
あの1年生の担任の先生です。

「本当に、子ども達が、あんなに○○君を慕ってて・・・
本当になんて言っていいか、感激して・・・
ありがとうございました・・・」

と、ボロボロ泣いておられたのでした。

・・・いやいやいや!こちらこそ、なのです。

なんだかビミョーな感じだったのを、変だとか何とか言わず、
先生が見守っていてくれたから、
最後の最後で、こんなプレゼントを頂いているんです。

ありがたいのは、本当にこちらの方でした。


その次男が、中学を卒業する時。

同級生で、支援学校に行くことになった子がいました。

次男も「なんでかわからん。勉強も普通にできよった。」と言うし、
どういう経緯だったのかよく分かりません。

色々複雑な事情もあるようでしたが、
「大人になったら働いて、きょうだいを呼び寄せて
一緒に暮らす」と言っていたようなので、

よほどしっかりした子です。

その子が、この春卒業に当たり、
卒業生を代表してあいさつしていたことが
新聞に掲載されていました。

「成長を続け、自分らしく生き抜く

幸せな大人になります。」

・・・◇◇くん。

そんなこと、大人でも考えつかないよ・・・。

そんな言葉、まず出てこないよ・・・。

目標達成とか、夢の実現とか、
社会の役にとか・・・。

誰でも言いがちなことを超えて、
なんて核心に迫った言葉だろう。

彼がこの3年間、仲間たちと過ごしてきて
何を思い、考えて来たかは分からない。

ただ、かかえる境遇がどうあれ、

その人らしく生き抜いて、しあわせだと感じられる大人になるということは

人が生きる上での、本質をついているんじゃないか。

いい大人になった私でも、彼ほどの視点で
これほどの的確な言葉で、

みんなの前で堂々と宣言できるだろうか。

支援学校に行くよう勧めた先生が、この言葉の意味がわかるだろうか。


「◇◇くん、本当に賢いのは君かもしれない。」

本当に脱帽でした。適わない。


色々な子が、

回り道をしてでも、色々な景色をみてきた子が、

何かと何かをつなぐ、かがやく架橋となりますように。

幸せに生き抜ける、そんな世界でありますように。


虹の架橋


みなさん、ご卒業、本当におめでとうございます。


と(撮)りいそぎ!みやこ町!

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


今週末、3/16・17開催のみやこ町での完成見学会。

その見学会場となるお家に、本日(!)撮影に伺いました。
(お施主様、ありがとうございます!)

だいたいいつも、見学会が近くなって撮影に伺うので、
もう明日!

ギリギリすぎて誰も気づかないのでは?と思うのですが、
たまたま見てるよ~って方がいらっしゃれば、と期待して。

もし良ければ、参考までにご覧いただければと思います。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・みやこ町完成見学会会場外観
小高い場所にあるみやこ町のお家。外観。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・みやこ町完成見学会会場外観
漆喰仕上げでスッキリした軒天。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・みやこ町完成見学会会場手洗い鉢
刷毛目がかわいくてニヤニヤが止まらん感じの手洗い鉢。・・・さて、どこにあるでしょう?

大分・自然素材の家。もくせい工舎・みやこ町完成見学会会場トイレ
木のトイレットペーパーホルダー!

大分・自然素材の家。もくせい工舎・みやこ町完成見学会会場和室
見た途端、撮影用の本をたらふく持ってくればよかったと後悔!ごろ寝しながら本が読める、本好きにはたまらない和室!(・・・本を置くんじゃなかったらすみません。)

大分・自然素材の家。もくせい工舎・みやこ町完成見学会会場キッチン
ついててよかった、パントリー!

大分・自然素材の家。もくせい工舎・みやこ町完成見学会会場お部屋
壁一面の木の机が、なんとも贅沢!

大分・自然素材の家。もくせい工舎・みやこ町完成見学会会場リビング

お伝えしたいことはたくさんあるけれど、大急ぎにて、これくらいで・・・。

のどかな風景の、素敵なお家、ぜひ見に来てください!

ご予約はこちら!→みやこ町完成見学会
(ネット予約は、前日20時までの受付。他はお電話0120327892にてお問い合わせください。)

木の家でお待ちしています!

【おまけ】
そうそう、外観撮影中、なにやら垣根に赤い実が・・・。

ローズヒップ

・・・これ、ローズヒップかな?
もしかしたら、ノイバラがたくさん咲くのかもしれませんね!

春が楽しみなお家です♪

あのこのねどこ

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


秋くらいから、わが家の物干し場の屋根の下を
寝床にする猫がいました。

白黒のハチワレで、たぶんオス。

顔はパンパンに大きいのに、体はやせて、細長い。

しかも足が長いので、全体的に、にょろりとした印象。

何かに似ていると思ったら、

昔『ネバーエンディングストーリー』という映画に出ていた
ファルコンの、

にょろりとした猫

・・・顔が猫版。

鼻はズルズル、体も汚れきって
The 野良猫!といった感じの子。

人慣れもしておらず、はじめのうちは顔を見るだけで逃げていました。


ハチとゴマ
珍しくひっついている。

わが家には、元野良猫が2匹います。

2匹とも最初からフレンドリーで、
私の様な素人でも保護自体は簡単でした。

それでも、
後輩のゴマちゃんを家に入れた時、
先住のハチさんがかなりナーバスになったこと

わが家に来れば完全に外の自由はないこと
(もう外に出れないと分かって、暴れて大変だった・・・。)

色々な理由で・・・そうそう気軽に保護できない。

そこで、エサは与えないけれど、
寝床は冬の間、大目に見ることにしました。
(エサは、猫界のマザーテレサ?のようなご近所さんから
おこぼれをもらってるようでしたし、それに敷地内で凍死されても困る。
どのみちどこかで寝るのなら、
猫嫌いの人の敷地より、ウチの方がまだましかも~と判断した次第です。)

とはいえ、おらが村は市街地より冷え込みます。

冬場は、氷点下になることも珍しくありません。
(窓と窓枠が凍ります。)

さて、どうするか。

そこで思い出したのが、ウン十年前の記憶。

私が育った地域では、ホームレスが多くて

街中まで徒歩で行けるような
高速道路の下などに、その人たちの住まいがありました。

通学のバスの中から、
彼らの住まいに「お布団」があるのを見て、

「なるほど!とにかく、住居の基本は
温かい寝床なんだ」と実感したことがあります。

野良猫もきっと同じはず。

雨風がしのげる場所であるのはもちろん、とにかく、断熱。
そして、できたら加熱・保温です。

プチプチの梱包材を100均で買ってきて、段ボールに貼り、
外側は、ボロボロになったアルミシート付のショッピングバックで覆い

温かそうな布と、夜には使い捨てカイロを入れます。

そうこうするうちに、その猫も
怖いんだけど、どうも寝床を用意している人間だと認識してくれたのか

カイロを入れ替える間、
逃げはするものの、少し離れて
終るまで待っているようになりました。
(顔は、・・・寒いんやけ早く!と言いたげだったけれど。)

カイロを入れて、助かったのが
その猫の下痢が治ったこと。

片付けるのが大変だったので、これは思わぬメリットでした。
(よっぽど冷えていたんだろうと思います。)

朝、洗濯物を干しに出ると、
湯船に浸かるように

気持ちよさそうな顔をして

段ボールの縁にあごを載せているので

なんだかかわいい。

でも、今は姿を見ていません。

代わりに他のオス猫がうろつくようになったので、
喧嘩に負けたのかもしれません。

野良猫の世界は厳しい。

せめて寝床くらいと思ったけれど

猫好きな人ばかりじゃないので、
寝床を用意するのも、良い顔はされません。

・・・でもな~。

好きで(野良猫にしろ、ホームレスにしろ)こうなったわけじゃなかろうもん!
と、思うのです。

世渡りもぎりっぎり!の危なっかしい私などは、
明日は我が身だし、他人ごとではないのです。

輪廻転生という言葉があります。そのホントウは、私にはわかりません。

真相はともかく、
今厳しい目に遭っている人や命に
生前の悪行が・・・なんていうのも、なんだかなぁと思います。
(悪行までいかなくても、みんな気づかぬうちに色々やらかしてるはず。)

それでいうと、罰が当たった的な視線より

ホントウは、
「明日は我が身なんだから、無下にするな」ということじゃないか。

そう信じたい。

もう来なくなったあの猫が、
どこかで死んでしまったのか。

もしかして、可愛がってもらってるのか。

それは分からないけど、

いのちを無下にすることは

やっぱり嬉しくはない。

お金を払えば、ペットショップで可愛い犬や猫が買える。

あれを人間だったら・・・と想像して

見目可愛らしい人間の子どもが、

母親が恋しい年頃の小さな子どもが、

ショーケースに入って売られているようなところを想像して、

なんだか普段、意識しないことが怖くなる。

一番怖いのは、
自分に限ってってことかもしれない。

自分に悪い部分も、醜い部分もあると意識がある人より、

全くの善人のつもりでいる方が、なんだか始末に負えない。

薄ら汚れて、すっかり野良猫臭くなった
あの段ボールにカイロを入れる度、

どこで何しているんだか、と思います。


うるう

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


本日は2月29日。つまり、2024年は、うるう年です。

「私、うるう年の生まれやけん、まだ4歳なん~」

そう言っていた同級生を、2月29日が来るたびに思い出します。


このうるう年。

実は、必ずしも4年に一度じゃないらしい。

条件があって
①西暦が4で割り切れること

ただし、例外があって

②①のうち、西暦が100で割り切れ、400で割り切れないものは平年とすること。

・・・・・・どういうこと?

例えば、2000年や、2400年はうるう年だけど
2100年や2300年は
4や100で割切れても、400で割り切れないので
うるう年ではなく、平年となります。

・・・となると、単純にうるう年生まれだから
4年ごとに何歳~ってわけでもないのかしら。

とは言え、例外のスパンが100年、400年なんだから
一生のうち例外に当たることは稀なのか。

たとえ2月29日生まれでも、
カレンダーにそもそもないから、
29日の表記がないかぎりは、「うるう年のはずなのに~」なんて実は意識しないのか。

うるう年生まれのあの同級生も、
もう半世紀以上生きて、いまさら何歳だったかなんて気にしてないかもしれない。
(そうして、まさかこうして遠く離れた場所で
イチイチ思い出している同級生がいるとも思わないだろう。)

そもそも、うるう年がなぜあるのでしょう。

それは一年がきっかり365日じゃなくて
365日と約1/4日だから。

つまり、そのままきっかり365日で計算すると、
4年経つと1日多くなる。

その調整として2月29日を入れている。

・・・でもなんで、2月?

ざっくり調べたところによると、
農作業が3月はじまりだったので、その年度末にあたる2月で調整となったみたいです。
(ざっくり、です。本当は奥が深くてよく勉強しないとワタシじゃ分からんです・・・。)

「うるう」を漢字で書くと、閏。

太陰暦を用いていた昔の中国で、
王様がその日は門から出ず、政務を行わなかったから。

・・・らしい。

これも「ふ~ん」とは思うものの、分かったような分からんような・・・。
(よく勉強しないとワタシじゃ分からんです・・・。)

とはいえ、地球の自転にムラがあるっていうのは
なんだか生き物っぽいというか、

地球って生きているんだな、と実感します。

そんなんきっかり、計算通り行くかい!って感じが、
妙な生き物っぽさというか、

地球自体が、自然なものなんだと実感するというか。

その地球に、今日も又どこかで
2月29日生まれの子が生まれている。

そして、同級生に話すんだ。

「私まだ、●歳なん~」って。

それを何年たっても、思い出す同級生がいるかもしれない。

2月29日が来るたびに、その子のことを、ふと思い出すに違いない。
(私の様な変わり者であれば、かな。)

それでも、どこかで誰かが思い出してくれているって
いいものです。

思い出す度に、うれしくなるような
こそばゆくなるような、

そんな出合いはいいものです。

そんな【うるう2月29日生まれ】の皆さん。
お誕生日おめでとうございます。

0のつく日に記事を書くと、2月に困ると今気が付きましたので
5のつく日に記事を書こうと思います。
こんな調子ですが、もしよければ、どうぞお付き合いくださいませ。

満足は誰のもの

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


土と雑草のことが知りたくて買った
『自然栽培』という季刊誌に
『自分で治すという考え方』というコラムが載っていました。

バランス健康アドバイザーの工藤和也さんの記事で、

頑張りすぎて、
あれもダメ、これもダメ、と否定や排除ばかりするよりも、

頑なさをユルめて、
ありがたがって、しっかり噛んで食べるほうが

心身のバランスに良いのでは?

というような内容でした。

ご自身が、花粉症を治したくて、

ゴリゴリに食べるものに拘ってしまって
他人の食べているものにも口出しするようになり、

周囲に、BBQにも誘われなくなったことを書いておられたのは
爆笑してしまいました。

『自然栽培』という、こだわっていそうな季刊誌に
少し肩の力がユルむような記事で
とても印象に残ったのです。

さて、ここで本題です。


マーケティングは顧客からスタートする。

顧客の現実、欲求、価値からスタートする。

我々の製品やサービスにできることはこれである、ではなく、

顧客が価値ありとし、必要とし、
求めている満足はこれである、
と言えなければならない

ピーター・ドラッカー

広告を書いていると、ついついドラッカーいうところの、
【製品やサービスにできること】を伝えたくなる。

自然素材で家さえ建てれば、こんなメリットが!って言いたくなる。

無垢の木と漆喰の家の良さは分かっていても

自然素材で建てさえすれば
すべての問題が解決!
すべての病気が治る!みたいな書き方は
ちょっとアウトだと思うのです。

健康なものばかり食べていても
人間いつかは死ぬように

自然素材の家に暮らしても、
たまには風邪もひきます。

どんなに気を付けても
いつか死ぬ。

そんな死に方を選べない私たちが、唯一選べるとしたら生き方なので
時折、不安が暴走して、

頑なに偏ってしまうのでしょう。
・・・BBQに誘ってもらえないほどに。

それは、何を大事に生きていくかという
バランス配分の話になりそうです。

つまり、死に方より
大事にすべきは、生き方。

どういう状態の
心と体で生きてきたか、ってことじゃないでしょうか。


では、
顧客が価値ありとし、必要とし、
求めている満足はこれである、
と言えなければならない

ような家ってなんでしょう。

お客様には、
こんな風に暮らしたいというイメージがある。

それを叶えてくれそうな、家に会う。

いやいや、自分たちにはムリやろ~。

え?もしかしてできるのか??

その家が、建てている途中も、
住んでからも、

想像以上の満足度であったとき、

それは、きっと大切な誰かに勧めたくなる。

「不安やったけど、できたよ。
すごくいいよ」って。

「○○さんがこちらで建てていて、行ってみたら本当に良くて。
話を聞いても、おススメだと言われて・・・」


口コミレビューがあふれる今の時代にあって、

知らない誰かの「いいね!」より

知っている誰かの、お墨付きほど
信頼できるものは無い。

それは、
建ててくれたお施主様たちが

次建てることがあっても
【またもくせい工舎で】と思っていただけて叶うこと。

そういった方が多いほど、叶うこと。


顧客が建てたいのは

「工務店がこだわった」家ではなく

「自分たちがこだわった暮らし方」の家。

それが叶えば、家にはどこか
そのご家族らしさがでる。

その人となりや、個性がでる。

施工事例の一覧に、それを感じるかもポイントです。


「そうは言っても、今、何もできない」

そういった方ほど、できることがあります。


施工事例を、たくさん見てください。

実物をたくさん見てください。

そして、自分たちのこだわりを
少しでも叶えてくれそうな工務店を
見極める眼力をつけてください。


顧客のワタシが価値ありとし、
顧客のワタシが必要とし、
顧客のワタシが求めている満足

を満たした家を建てなくちゃ!

「誰かにこう言われた・・・」ってこともあるでしょう。

それでも譲れないことはあっていい!と思います。

お金出すのは、自分たちなんだから
顧客のワタシが満足しないといけません。

「なんも知らんけ、
アドバイスして、説得してやった」というのは相手の満足ですよ~。

大事なのは、例え経験が浅い人間の望みにも
「こうはムリやけど、こういうやり方は?」と代替案が提案できるかです。

間違っても、「は?そりゃ金だせるならやってやるよ」じゃ
ダメなやつです。

創意工夫できる、(色んな意味で)余裕があるかないか。それが大事です。


前述のコラムではないけれど、

ゆずれない部分の頑なと、
ユルめのバランス、

そして、ないならないで何とかする
【創意工夫】が大事です。

どうぞ、やれるだけやったという
【自分たちの満足】のいく家づくりを!


猛省トイレトレーニング

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


今だから笑い話になるのですが、長男が年少の頃
トイレトレーニング(大きい方)が、全くうまく進まず
本当~に悩んでいた時期がありました。

ここからは、排せつに関わるお話。

下ネタに思えて苦手な方は、パスをお願いします。
排せつも、自然なこと、当たり前のこととして、読める方は、どうぞお付き合いください。

小さなお子様のいらっしゃる方は、参考になる・・・?かなぁ?どうだろ。

「うんち行きたくなったら教えてね、いっしょにトイレに行こうね」

優しく声かけようが、何しようが
全くトイレでしない。

ちょくちょく兄弟で入院していたので、
大部屋になった時が一番困りました。

当然、病院のトイレでもしないので

ウンケづいた時はすでに遅し・・・。

大部屋全体に、相応の臭いが漂って
恥ずかしいやら、申し訳ないやら。

大柄な子で、実年齢より大きく見られもしたので
「あんなに大きいのに、トイレでできんのかよ!」
って思われていそうで

めちゃめちゃ肩身が狭い上、うまく「しつけ」すらできないのを
母親としてダメだと思えて
・・・ホント、つらかった~。

ところがですよ。

先日、読んだ本で衝撃の事実を知るのです。

本の名前は
『すばらしい人体 あなたの体をめぐる知的冒険』 著|山本 健人

外科のお医者さんが書いた本です。

その中に『とてつもない肛門の機能』という章があって
読んでいる最中に、何回も驚くことに。

直腸まで降りて来たモノを選んで、
固体は残したまま、気体だけ通す。

(・・・だいたい何が言いたいかイメージしていただけましたか?)

そう、あのオナラだけ出す、ということを
人工的にやろうとすれば、まず不可能なんだそうです。

そういえば、無意識にやってる。

固体だけ残して・・・なんてわざわざ考えてません。

・・・すごいな、肛門!

そしてさらに私を驚かせたのが、この機能。

ウンチを無意識にせき止めておき、好きな時に排出できるというもの。

降りて来たと同時にすぐに出てしまっては、どんなに困るか
想像はつく。

出物腫物ところ構わず、では困るのです。

それをコントロールするのが
肛門の出口付近にある二つの括約筋。

外肛門括約筋と内肛門括約筋です。

外肛門括約筋は随意筋。
自分の意志で動かせます。

お尻の穴を、キュッと自分ですぼめられるのは、
この外肛門括約筋の働きです。

内肛門括約筋は不随意筋。
自分の意志とは関係なく動くもの。

直腸に降りて来たものがいっぱいになると、
まずこの内肛門括約筋が緩む。

意識的に外肛門括約筋を締めていれば、
ある程度、我慢できる。

そして都合の良い時に、
意識的に緩めて、排せつする。

それが、【トイレまで我慢して行ける】ことになる。

・・・ところが、この機能。
乳幼児は未熟らしい。

・・・ちょっと待て。
え?・・・んじゃ、しつけどうこうじゃなくて

まだ未熟だから上手くいかんかっただけなん???

そう。
まず首が据わらなければ、寝返りもお座りもできないように

外肛門括約筋を自分の意志で動かせるようにならなければ、

トイレまで我慢する・・・ってことが
まずできない。

その外肛門括約筋を自分でコントロールできるようになるのも、

歩き出すのが早い子と遅い子がいるように
きっと個人差がある。

・・・何たること。

二十年近く前のワタシに教えてやりたい。

子どもがダメなわけでも、親がダメなわけでもない。

まだ上手くいかないだけなんだ、と。


ところが、今までできていた大人でも
反対のことが起こりうる。

それは病気や手術だったり、加齢だったり、
出産だったり。

何かをきっかけに、それまで出来ていたことが
上手くコントロールできなくなることがある。


それは、大部屋で味わった肩身の狭さなんか
比べ物にならない感情だろう。


本で書いてあった内容を、長男に話してみました。

「・・・ごめんなぁ~。悪かったよ。本当に。
未熟だから上手くいかんかっただけなのに、知らんで。

やけっち、またオムツでどうぞ!って言われても
嫌やろ?」

「・・・絶対イヤ!

・・・あぁ、それでも衰えれば
うまくいかないことが増えてくるに違いない。

そうすれば、オムツ内に排せつするそれを
本当は嫌だと思っているのかもしれない。

そうはいっても、大変なことは分かっていて、
いたしかたないとお互いに思っていても、

本当は、そうなのかもしれない。

自分の無知を、
自分の子育てを猛省しつつ、

いずれ、自分にも降りかかるかもしれないそれを

複雑な胸中で、締めくくるのです。

本の内容の詳しくは、書店で。とても面白いです。


小心者と隣の芝

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


1月も終わりかけですが

皆さま、初詣には行かれましたか?

おみくじを引いてみた方もいらっしゃるかと思います。

わが家は、不思議なことに
私と長男は、中吉~末吉が多く

片や、夫と次男は
十中八九、大吉が出る。

「おれ、大吉ってほぼない・・・」
年始早々、ちょっと残念そうな長男。

ちょっとここで、仮説を考えてみました。


コップの中に水が半分入っている。

それを

「もう半分しかない」と考えるか
「まだ半分ある」と考えるか。

そういう例えを聞いたことがあるかと思います。

これでいくと、

前者の「半分しかない」と考えがちなのが
私と長男。

「まだ半分ある」と考えがちなのが
夫と次男です。

これ、大吉が出ても同じような反応が出る。

私と長男は、例え大吉が出ても、
「そうは言っても、良いことばかりではないだろう」
ととらえる。

大吉だ!わ~い!

と、素直に喜ばない。

何が言いたいかというと、
同じことが起こっても

そのまま素直に、「わ~い!幸せ~!」と受け取れるか

「たまたまラッキーなだけで、何かあるんでは?」と
捉えるか。

両者の間には、その差があるように思うのです。

「つまりだよ、例え大吉がでようが
宝くじに当たろうが、

神経が細かいと、別のリスクみたいなのをついつい
考えるやん?

やけ、カミサマが

「アンタどうせ大吉出しても
中吉程度にしか喜ばんやろ?

やけ、中吉。」

・・・って出しとるんやない?」



大吉にせよ、宝くじにせよ、
(家でも、ケッコンでも)何かを手に入れるにせよ、

同じ状況で、「しあわせ~」となるかは
人による。

生まれつきかもしれないし、
その人が生きてきた経験上の違いかもしれない。

先のコップの水の例えにしても、

まだまだ、次の水のストックがある場合と
ない場合では、「残り」に対する感じ方は違いそうです。


いずれにしても、私や長男のような小心者は
心配ばかりしていなくてはならず

「しあわせ~」と言えない分、損なような。


ところが、この小心者には役割がある。

小心という言葉には、

気が小さく臆病という意味の他に

細かいことまでよく気を配るというものがある。

気を配ると書いて、気配りで
心を配ると書いて、心配というのも
切ない話ですが

言い方を変えれば、小心者が得意とするのは
配慮とも言えそうです。


「デザインの仕事は、使い手に不便を感じさせないこと」

そういったのは、通信教育のWebデザインの先生ですが

設計寄りのデザインにしろ、何にしろ、

細かいことまで、「万が一」というネガティブを考えつくして
そして回避しようとしていく作業は

ものづくりの現場では必須と言えます。

芸術作品ではなく、そこに使い手がいる以上、

細かいことを気にしない性格だと
(作った本人が気にもしていなかった)何かしらの困りが出てくるからです。


細かいことを気にしない。
オッケー、オッケーの世界は幸せそうですが

細かいことを気にして、配慮して、
少しでも良くなるようにしてきた試行錯誤が

もっと良いモノづくりを支えてきたことは
明らかだと思います。


だから、どちらかというと
小心者の人間は

気疲ればかりで損なのかもしれない。

でも、細かい闇に気が付く人は
意外と
細かい光にも気づくのかもしれない。

細かい光
細かい光って、あまり金と名誉には関係ないことが多い・・・。

だから、(私を含め)小心者のみなさん。

何かを手に入れたくなって、隣の芝が青々眩しくて、

同じように芝を生やしさえすれ.ば・・・と思うかもしれない。

でも、色々気にしぃなあなたは、
きっと芝の管理や、その他もろもろが気になって

手に入れても、余計な心配もついてきたと感じるかもしれない。

思ってたのと違う、と思うかもしれない。

それでも、きっとそれでいいんです。

そうして、心配しつつ
先に進んできている。

そしていつか振り返って

歩いてきた道を見た時に、

なんやかやあったけど、私なりになんとか歩いて来たなぁ~。

そう思うことが、きっと小心者すぎる
私を、誰かを、支えてくれるのではないか。


半世紀ばかり生かしてもらって

中吉には、中吉なりの
何かがあるんだと

そう思うようになりました。


小心者よ、シヤワセは隣の芝にはない。
シヤワセは、自分の足元にある

20240130_アスファルト突き破ってスミレ
スミレは、【ど根性スミレ】とは言われないのね~。でも、どこか誇らしげだ。

きっと極々、ささやかなこと。

中の人 ②

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


以前、中の人という記事を書きました。

ご当地キャラの着ぐるみを被った経験をもとに
なぜか「ありたい自分」の話に。

今回は、その反対というか別バージョンにあたる
カオナシの話。

(あくまで、個人的な感想からの考えです。よければお付き合いください。)

かおなし_1

カオナシは、素性が分かりません。

名前や顔などの素性を知られず、
人に接しようとします。

話をしようにも、誰かを丸のみにし、
その声を借りねば話せません。

本当の弱い自分を隠したまま、

優位に立てば、歯止めが効かないほど横暴になります。

食べ物や、金、特別扱いをチラつかせ、
相手の気を引こうとします。

・・・・・・・・って、これ、やりがちかもしれない。

匿名で何かをすることや、

誰かの話を鵜呑みにして、そのまま他の誰かに話すことや、

普段はビクビクと自信がないくせに、
偏った正義感で誰かを責めることも、

誰かに何かを「してやった」と思うことも、

そんなつもりのあるなしに拘わらず、
思う節がありすぎる。

恐ろしいことに、知ってる誰かの中にも
そしてもちろん、私自身の中にも、
確実にカオナシはいるんじゃないか。

あの映画で、初めてカオナシを見た時、
誰かの、そして自分の、見たくない一部を露呈されたようで
とても居心地が悪かったのです。

匿名性ということで言えば、永家夫妻と違って
お客様に接することがない私は、
どこの誰だか分からない点で、カオナシです。

顔を知られた有名ライターでない限りは、
こういったブログにしろ、
何かのレビューを投稿するにしろ、
匿名なので、何を書いても
どこの誰かまでは分かりません。

第三者のフリをして、何かの目的で
良くも悪くも意見を書くことを
サクラと言いますが

例え、それらのいくつかが
同一人物の記述でも分からないのは、
匿名というカオナシだからです。
(意図の良し悪しに拘わらず、結局は記事自体の信用を失いかねない。
私は、そのほうが恐ろしいので、まずやらないです。)

カオナシは千に、言います。

「これ食うか、うまいぞ。
金をだそうか、千の他には出してやらないことにしたんだ」

何か「してやること」、「あなただけ特別に」。

自分といればいかにお得か、メリットがあるか。
しかも、あなただけ特別なんだということを

意図せずやっていることは往々にある。

それをコミュニケーションツールという人もいるけれど、

そもそも、何かのお得がなければ人は寄り付かないのか。

しかも、その特別なお得で成り立っている関係性は、
お得じゃなくなった途端、離れてしまうのではないか。


子どもが小さいころ、孫に対し、可愛さもあって
どうも財布のひもが緩い祖父母。

「何かもらえたりするから、好いてくれるわけじゃないよ。
もらえんでも、優しい人なら好いてくれるやろ。」

そうやんわり断ったのですが

「いいやん、やりたいんやけ」

悦ぶ顔が見たいって言い方もできますが、

・・・それじゃ、池の鯉と同じだよ。

エサ撒いて、近づいてきた~♪って。

エサがなくなったら、さようなら。

その人の本質を慕って、そばにいたいのとは違います。


着ぐるみの話も、カオナシの話も、
共通するのは、
中の人は、「自分の現状」を良しとしていないこと。
ありのままの、このままの素顔じゃ
不足としていること。

違うのは、自分に磨きをかけて人と関わりたいのか、

それとも、弱い本性を隠して、
メリットや特別感というツールで関わるのかの違いです。

着ぐるみのように「ありたい自分」に近づけば、
そして本質も「ありたい自分」に成長できれば、
それを慕って人が集まるのは、自然な流れです。

しかし、カオナシ的なやり方は
どこか歪に感じます。

どこの誰だか分からない
カオナシ的な役割の私にできることは、
自分のイチ意見に過ぎず、絶対ではないことを伝えること。

考え方の一つとして、あくまで聞いてもらうこと。

それでどう考えるかまで、こちらは操作できないのです。

だから、「中の人」として
自分なりの誠実を目指したいと思います。

カオナシになりがちな、反省をこめて。


過信

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


あけましておめでとうございます。
本年も、もくせい工舎ともども
どうぞよろしくお願いいたします。

元日、16:06。
能登地方で、最大震度7の地震が発生しました。

大津波警報が発令されると、
NHKの女性アナウンサーが必死になって
「いますぐ高台に逃げること!」と伝えていました。

その声が本当に、必死で。
遠く離れた大分にいる身にも
ことの重大さが伝わってきて
テレビから目を話すことができませんでした。

北陸からはるか南にある九州ですら
こんなに寒い冬。

想像すると、心苦しくなります。

本当に怖い目に遭っていなければ、
分からないことがたくさんあり、

それを埋めようとしても、どんな言葉もあてはまらなくて
情けない。

「大丈夫か」と聞かれても、
本当に怖い思いをしている最中は、

この先も大丈夫かなんて
「こちらが聞きたいくらいだよ!」と言いたくなるでしょう。
それくらい、怖い。

上手く言えないけれど、
早く、ふつうの日常が戻りますように。

ふつうの日常のかけがえなさを
こういう時に思い知らされ、

私などは、性懲りもなく
また忘れるのです・・・。


もくせい工舎は工務店で、
この記事を読んでいただいている方の中には、

お家を建てることを検討されている方も多いかと思います。

今回のことで、ちょっと心配になることもあるかもしれません。

家の耐震性能のことは、永家代表に説明を任せるとして、

以下、ワタシの個人的なひとりごととして
ぼんやり聞いていただけたらと思います。


「この家って、地震、大丈夫でしょうか?」


そう質問して、間髪入れず「あ~、大丈夫ですよ」

そう返事をされたら、信じるのは半分くらいにすることを
お勧めします。

なぜなら、実際怖い思いをした人ほど、
【絶対の大丈夫】なんてありえないと知っているからです。

例え、根拠を示せたにせよ
それは【絶対】ではありません。

そして、誰かの言う「大丈夫」を信じて鵜呑みにしても、

何かあった後、その人は責任を取ってくれるわけではありません。

平屋だから、二階建てより危なくない?

津波が来たら逃げ場もありません。

液状化や地割れが起きたら
平屋だから、絶対大丈夫もないでしょう。

地震や水害に強い家とどんなに謳われても、
津波は水が来るだけではありません。

濁流となって、押し流された「モノ」が
流れてくるのです。

ぶつかれば、窓が割れることは当然あるでしょうし、

ましてや火が付いたものが流れてくれば、燃え移るのです。


理論上、「大丈夫」ということはいくらでもできる。

しかし、再度繰り返しますが
本当に怖い思いをした経験があれば

【絶対、大丈夫】はありえない。

そこを簡単に「大丈夫」と口にできる人は、

きっと何かあった後の責任だってとってくれません。


家を建てる地域の、過去の災害を知る。

地盤調査や改良を行う。

耐震性能の良い家に住む。

それらは、前準備であって
【絶対の大丈夫】ではない。

ただ、それらを軽く考えていたか否かは
いざという時の後悔の重さにかかわってくると思います。

用心は、お守りのようなもの。

一番大事なのは、誰かの言った「大丈夫」とお守りを
過信しすぎないこと。

いざとなったら、【大丈夫なはずの家】を置いて

「今すぐ逃げること!」

本当に大丈夫な家なら、避難後戻っても大丈夫なはずです。

誰かの言う「大丈夫」があなたを守ってくれるわけじゃない。

ワタシも
過信しすぎないで、臨機応変に行きたいと思います。

信じるのは簡単だ。
自分で考えずにすむからだ。

シメ。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


以前、『構造見学会とシュークリーム』という記事を書きました。

そこでシュークリームの歯ごたえについて熱弁し、
戸畑にあるマシェリさんのパイシューへの愛を語りました。

記事が埋もれぬうちに、
ワタシが忘れぬうちに、
書いときましょう。
(シメもシュークリームかい!って気もしますが
トシもトシですし、忘れかねんので。)



その、マシェリさんのパイシューが、こちらです!


202312_マシェリパイシュー.jpg

もう、普通のシュークリームにはあり得ない
皮に、角(笑)

202312_マシェリパイシュー_1.jpg

生地がふにゃふにゃしてないので、
箱に立てて入れても、崩れない頑丈さ!

今回撮影のために初めて切って断面を見てみました。

202312_マシェリパイシュー_2.jpg

あ~、こんなにクリームを奮発してくれて!

ありがとう、マシェリさん。


このパイシュー。

かじるとザクッ、ザクッ。

そして、ぽってりしたクリームがすぐに出てきます。

パイ生地も、ハラハラと儚げに落ちるのじゃなく、
バラバラと、常緑樹の葉のように
厚みのある音をたてて落ちていきます。

生地の小麦の味が、ハード系のパンのように
しっかりして、
バターの風味もくどさがなくて、
クリームも、優しいのに
生地に負けていない。

もう、書いててまた食べたい。
大好きなシュークリームなのです。

あいにく、遠い~。
北九州は、戸畑です。

小倉方面に買い物とか、
何か用事でもない限り、
なかなか買いに行けないのです。

その私的「ついで」候補になるのが
北九州市立美術館。

マシェリさんから10分強行った所にある、
森の中の、高台にある本館の方のお話です。

設計は、大分が誇る
有名建築家、磯崎新氏。


北九州で育った私は、特別企画展のあるなしに拘わらず

その建物と雰囲気に触れたくて
よく訪れていました。


その美術館の駐車場から、アプローチに向かうとすぐ
見えてくる一本の木があります。

北九州美術館の木

見上げると、特徴のある
双眼鏡のような外観の美術館の
すぐ入り口。

北九州美術館の木

この木は、四季桜。

北九州美術館の木

春と秋に花を咲かせます。

もう秋というにも遅い時期の写真ですが、
控えめな花が
枝先に少しだけ残っていました。

北九州美術館の木


何十年(!)も前から、ここにこの木があるのを見ていますが、

ソメイヨシノのように大きくならないのか

あまり大きさが変わらない。


枝ぶりも低く、ちょうど両手を広げたようになっているので

その内側に入っていくと
ハグされているような感じになる。

北九州美術館の木

人から触れられるのは少々苦手な私ですが、

この木の中にいるのは、とても心地が良い。

かわいがってくれた祖母に会いに来るような。

そんな【会いたい木】なのです。


Welcomeな木の歓迎を受けて、
急こう配過ぎる外付けのエスカレーターを上がっていくと
館内の正面ロビーに着きます。

特別企画展が行われていると、人も多く
ゆっくりするにはイマイチ。

何もない時ほど、美術館自体を満喫できる!


2階のカフェだって、混んでなければ
自由に、自分の好きな席に座れます。

北九州美術館のカフェ

いつ行っても、森の景色が素敵な場所ですが、
個人的には、紅葉の時期が一番。

色鮮やかで
キラキラきれいでうれしくなる!

北九州美術館のカフェ

そして、楽しみのスコーンセットをいただくのです。
(写真はスコーンとキッシュのセット。本当は、もう少し安いとうれしい・・・。場所代かなぁ。)


美術館には、さらにこんな場所も。

北九州美術館

B1のアネックスに続く通路。

北九州美術館

向こうには、北九州の街並みが見えます。

このガラス張りの反対側からは
森をおりて吹く風が清々しく

このまっすぐな渡り廊下を歩いていると、
なんだか不思議と
神聖な気持ちになるのです。

アネックスといわれる別館の扉を開くと
表れるのがこちら。

北九州美術館

アトリウムです。

北九州美術館

以前は、こちらに水がはっていて
キラキラ天井から降り注ぐ光に、

水面に映り込んだ柱が
本当に美しくて!

メンテナンスの都合なのか、
ここ数年は水がない・・・。

北九州美術館

水のあるとないとじゃ、えらい差なのですが
何か事情があるのでしょう。

それでも、人がいないと
本当にここは静か。

北九州美術館

とても落ち着くので、

つらい時、心を鎮めたい時
ふと立ち寄って

どんなに慰めてもらったか分かりません。


シュークリームに始まり、美術館。

皆さんにも、きっと大事な
場所があるのではないかと思います。


また食べたい、あの味。
また行きたい、あの場所。

また会いたい、何かや誰か。


小さな楽しみは、人をどんなに支えてくれるか分かりません。


新しい年が

また何かの

新しい【小さな楽しみ】に出会う一年とますように。

どんな人も、【小さな楽しみ】を奪われない
穏やかな日常を取り戻せますように。


1年間お付き合いいただき、ありがとうございました。

どうぞ、よいお年を。


おススメでお腹いっぱいになる前に

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


例えば、会社のお昼休み。

時間は1時間。使えるお金は、1000円とします。

さて、どこで何を食べましょうか。

すると、情報通の同僚がやってきて
「知り合いがお店しているので、行ってみないか」と声をかけられる。

どうも、苦労して出店した、こだわりのお店らしい。

断る理由もなかったので、行ってみる。

味は、不味くはないんだけど
特に好きでもない。

まぁ、たまにはいいかな。こんな日も。

ところが、ちょくちょく、ちょくちょく、
その同僚から「おススメ」される。

おススメなので行かないか、と。

もちろん好意で言ってくれているのでありがたい反面、
正直、自分好みのアタリも少なければ

断るのも悪いと思いつつも、

昼休みが始まるのが、あまり楽しくなくなる。


変な例えですが、なぜこんな気持ちになるのか。

もちろん、おススメがアタリばかりなら
嬉しいですし、楽しい。

それでも、ちょくちょくアタリでもないと
私などは、性格が悪いので
ちょっとモヤモヤします。

なぜか。
おそらく、【自分の意志で、選ぶ自由】がないからです。


昼休みの1時間という【時間】も、
1000円という【予算】も、
本来は、どう使おうが私の自由です。

そこに誰かのおススメばかりに、
なんとなく付き合って

結果として満足もしていない。

「どこに行こうかな」
「どう過ごそうかな」

それを考える、迷う楽しさも
きっとあるからです。


今、広告やSNSで、誰かのおススメが溢れます。

これは絶対間違いない!

使って損はない!

これは知っとくべき!
(損得、べき!ばかりで疲れるのです。過保護じゃあるまいし、自分でやってみないと、実際は分からんわーい。)


誰かのおススメが、必ずしも万人に当てはまるわけじゃない。

誰かのおススメが、ハズレだと思うのは

その誰かとワタシは
感覚も大事にしていることも違う
全く、別の人間だからでしょう。

違うんだから、絶対の良いも悪いもないのです。


以前、故日野原重明先生の『いのちのおはなし』という絵本を読みました。

先生は、その中で
その人が死ぬまでに使える時間を、いのちというのだと語ります。


昼休みの例は極端でも、

ワタシの、誰かの、使えるはずだった時間を命というなら

さて、どう過ごしましょうか。

私は

使えるはずだった時間を

使えるはずだったお金を

誰かのおススメに従って決めてしまうのは
うれしくない。

迷いながらも、考えたい。


おススメされても、口コミレビューが高くても

実際に、判断するのは自分なら

実際に、自分でどう思うか感じるしかない。

おススメでお腹いっぱいになりそうな世の中、
最後に頼れるのは、自分の感覚かも知れない。


というわけで、おススメはともかく

自分の感覚で、どう思うか見に来ませんか?

構造見学会、今週末です。(←宣伝か?)

どうでもいい感じの関連?記事→『構造見学会とシュークリーム』

構造見学会とシュークリーム

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


私は元来、食い意地と好奇心が旺盛なので

ちょっと遠出するときには、その場所に+α、
何か美味しいものや、おもしろいものがないか
ついつい探してしまいます。

特に躍起になって探しているのが
美味しいシュークリーム。

しかも、パリパリ!できたらザクザク!
ガリガリ、ゴリゴリしててもいいくらい。

それくらいの噛み応えのある、歯触りの楽しい
シュー皮でできたシュークリームが理想なのです。

今のところ、一番のお気に入りが
北九州市戸畑区にある、マシェリさんのパイシューでして

これはもう、パイの層の厚さ、
しっかりした噛み応え、味わいのある皮に、ぽってりしたクリーム。

私の理想通りのシュークリームなのです。
(↑これに関しては、また後日記事を書きます~。
今回のメインは、構造見学会の近隣エリアのことなので。)

・・・ただ、遠いのよ。如何せん、北九なのよ・・・。

なので、それに代わる、
「これで我慢するからいいもんね~」と言える
シュークリームを折にふれて探し求めているのです。

何店かそれらしいシュークリームを食べましたが、
今のところ、マシェリさん以上のお気に入りとはならず。
(あくまで、私の好みの基準です。)

それでも、《ことあるごと》に
諦めず探しています。

その《ことあるごとに》にヒットしたのが
今回の12/23・24の構造見学会。

場所は、大分県北を離れ
福岡県京都郡みやこ町での開催となりました!

なぜに、みやこ町?

もくせい工舎は、職人さん達に無理なくいい仕事をしてもらうため
県北近隣を主としています。

今回は、インターチェンジ近くに現場があったこと

そして何より、お施主様が
そのみやこ町から

遠く国東での見学会にお越しいただいたこと(!)

その思いに応えずして、どうする‼

・・・と、そんなご縁での開催なのです。

私は、みやこ町くらいは平気で
高速なしで行くのですが

せっかくなら、どこかに寄ってみたい。

しかも、今回の現場は
前にチェックしていた、シュークリームのお店からそう遠くない。

現場を確認ついでに、これはもう
寄るに決まっています。
(もはや、どっちが本命か分からん。)


目的のお店は、【こふれ】さん。

現場の詳細は、ご予約いただいた方だけのお知らせとなりますが、

だいたいの場所の感じは、こちら!

この辺_1.jpg

それで、そのお目当てのシュークリームがこちら!

2023_122324_kohure_1.jpg

表面に、香ばしいアーモンドダイスが乗っているので

食感としては、

カリッ!サクッ!ジュワ~!

皮の網目の中に、ぽってりとまで重くない、
わりとサラっとした感じのクリームが
しみこむというか、
浸食している感じ。

「なかなか好みであるよ」と頷きながら 
息子は食しておりました。

私的にも、かなり上位のシュークリームでした!
うっま~い!

そして一緒に買ったのが
シャインマスカットのタルト。

2023_122324_kohure_2.jpg

なんでも、タルトフェア?だったかで
なんと3種、各1500円のホールタルトが1000円のお試し価格!

シャインマスカットですよ?見切り品で売ってても
1000円くらいする!

そりゃ。買いますよ~。

こちらも、本当に1000円でいいのかな、
というお味。

私は、実は生クリームが苦手でして、
ケーキも何層にもなった、ふわっと口どけの軽い
複雑な味のケーキも、ちょっと食指に合わない。

タルトやパイシュー、がっしりした感じのチーズケーキなど
シンプルな素材で、
しっかりした食感を好みます。

だから、もしお好みが同じ路線でしたら
もしかしたら 気に入っていただけるかも?しれません。

どうでしょう。
構造見学会ついでに、シュークリーム。

あいにく、12/23・24とクリスマスに被ってしまうのが
気になるところではありますが

何か+αのお楽しみは、いいものです。

ぜひぜひ、【ついでのお楽しみ】と合わせて
今年最後の構造見学会にお越しくださいませ。

ご予約お待ちしております。

12/23・24の構造見学会。


家族だからこそ、

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


生まれつき、親を嫌って生まれてくる赤ん坊はいない。

それこそ、物心つくまでは

なぜこれほどまでに未熟で、ダメな親なのに

そこまで好いて、必要としてくれるのか

不思議なくらい、子どもは親を望んでくれる

親になるまでは、

無償の愛というものは

親から子に与えるものだとばかり思い込んでいた。

実際は、大人になり、親になると、

子への無償の愛以上に(それどころか!)

人の目、世間の目を気にする弱い私がいて

その分厚い雲の層に、びっくりする。

「言うこと聞かんと、知らんよ」と脅すことや

一見褒めて育てているように見えて、

ある種の方向に誘導しようとすることも、

実は、子どものためと言いながら

本当は「親としてちゃんとしている」ことを気にしているにすぎず

本当は、子どものためではなく

自分の見栄のためだったりするのかもしれない。

「ちゃんとした」親だと思われたくて、
今日も言うのだ、「ちゃんとしなさい」って。

それなのに、子どもは好いてくれる。

例え、「ちゃんとした」誰にでも褒められる親でなくても。

むしろ、子どもから無償の愛を受けていたのだ。

・・・何ということだろう!


縁あって、親になり、

実家以外に「家族」ができ、思うことがある。

「家族」だからこそ、やってはいけないことがある。

それは、特に力関係がでやすい

親と子の間で

親の価値観で、子どもの大事な領域を台無しにすることだ。

「漫画ばかり読んで!」と勝手にものを捨てたり、は

例え良かれと思っても、やりすぎで

心の奥深く、表には見えないところに、

あれだけ親を信じて、好いてくれた、あの子どもの心に

消えない傷をつけてしまう。

関係が良好な時、上手くやるのは難しくはない。

考えが違った時、なにか問題が出た時ほど、

少しでも力のあるものほど、

よほど気を付けないといけない。

親と子でもそうだし、

先生と生徒でもそうだし、

プロと素人でもそういえる。

「説得」といいながら、「うん」と言わざるを得ない状況にしてないかは
細心の注意を払わないといけない

「説得」が、言葉にならないものを飲み込ませて

本当に「納得」して、腑に落ちているとは限らない。

飲み込んだ思いは、小さなチリとなって
心のどこかに積もって

いつか怒りになる。

あれだけ「正しさ」を押し付けられて

「言うことを聞かないと知らない」と脅され

いざ、それが違った時に。


生まれつき、親を嫌って生まれてくる赤ん坊はいない。


家族だからこそ、

家族のように思うからこそ、

そこには、どんな小さな相手に対しても

守るスタンスがあるように思う。


「説得」や「指導」で、意のままにしていないか。

小さなその子ども(もしくは生徒、素人)にも、

大人(もしくは先生、プロ)以上に大きなものがあることを

忘れずにいこうと思います。


誰が何と言おうが、大切な、小さな「誰か」のために

つまらない見栄を蹴とばせる、「大きな人」になれますように!

小さな息子
息子たちよ、色々教えてくれて、ありがとう。とても学ぶことが多い、二十年前後でした。

※次回からは、0のつく日に記事を書こうと思います。10日,20日,30日です。
よろしければ、お付き合いくださいませ。

雲間から見えるもの

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


お弁当を作らなくて良い朝、歩くようにしています。

ダイエットではありません(今さらですし)。

たまには歩かないと、
年々、初詣で神社の階段を上るたび、
寄る年波と、体力の衰えを実感するはめになるからです。

何より、ちょとした気分転換になる!

自分の足で歩いて、風や空気の匂い、
季節の移り変わりが実感できることは、

自分の中の、生き物としての何かが、
悦ぶ感じがします。

きっと私は、散歩中の犬のような表情をしているに違いない。

お外はいいなぁ~!という顔です。

とは言え、肌寒くなってくると
気合がいる。

お布団の温かさに負けそうになる。

それでも、一歩外にでれば、これ!

koubou_202310.jpg

こんなご褒美が待っています。キレ~‼

こんなくっきりした線を見ていたら、
よくイラストで描かれる太陽の線って、

光芒イラスト.jpg

まさしく、これのこと。

実は名前もあって、光芒とか薄明光線とかいうそうです。

太陽のイラストや、日章旗などにも使われます。

太陽の絵というと、
ついつい記号のように
こんな線を書いてしまうけれど

実際には、晴天の真っ青な空では、
光の筋は見えにくく

雲があるから、見える筋だとも言えます。

天使の梯子とも呼ばれる、この光芒。

暗雲あってこその、光だというのは
何だか、励まされるような
ありがたい気持ちになります。

暗闇だから、小さな光にも気が付く。

夜だから、星の光にも気が付く。

どんな闇にも
どんな夜にも

いずれ光がさす朝がくることは

本当にありがたいことです。

早起きして、光芒を目にして
なんだか思い出す、『朝ごはんマーチ』の歌。

当然、歩きながら歌いました。

NHKのおかあさんといっしょで、息子より私のツボにハマった歌です。
あきひろお兄さんと、りょうこお姉さんの代!
おふたりの歌が、大好きでした!(私の方が、息子より歌える・・・。『バンジョーのジョー』とか。)

中の人

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


実は、あるご当地キャラクターの「中の人」になったことがあります。

PTAの、九州を挙げての大イベントで、
盛り上げるために「誰か入らないか」というのを

「やるやる!やりたい!」と
前のめりで引き受けた経緯があります。


PTAは苦手なので、もうご勘弁願いたいのですが、

唯一残念なのが
もう「中の人」になれないこと。

あれは、別次元の体験でした。


「中の人」になるには、誰かに手助けしてもらって
着替えないといけません。

下の衣装を履いて、
上半身の中に、えいやっと入って
重い頭や、備品などを着けてもらいます。

動くのも一苦労で
誰かにサポートしてもらわないといけません。

普段あまり汗をかかない質なのですが、
ジンワリ蒸される感じ。

寒い時期に脱ぐと、湯気がでそうな勢い。

実はラクなわけでもない。

それでも楽しい記憶として残っているには
理由がありました。


イベント当日、おおかたの準備も終え、

いよいよ「中の人」になって、来場者を迎える時間です。


会場のロビーで、手を振ったり、
「いらっしゃい」感いっぱいに
ゼスチャーで歓迎していると、

九州各地から集まった来場者さん達が
私を見て、嬉しそうに手を振ってくれます。

笑顔で、握手をしに来てくれたり、
写真を一緒に撮ってくれたりします。

・・・・・なんと。
これはもはや、スターじゃないですか!

「中身は、同じか年上のオバちゃんなんやで~」と
内心思っていても

50年近いわが人生の中で、これほど初対面の人に

もろ手を挙げて喜ばれるなんてことがあっただろうか。(うんにゃ、ない。)

「人気者の皮」は被っているものの、
それは人生初の、存在への喜びであったのです。


あ~、でも!
それはこれを被っているからなのです。

脱いで、素のオバちゃんである私を喜ぶのは、
猫のハチさんとゴマちゃんくらいでしょう。

これを被ってない限りは、こんな状況はあり得ないのです。


その時ふと思ったのは、「なりたい自分」や「ありたい自分」ということでした。


誰かがイイね!といってくれる「姿」や、

ステキ!と思われる「姿」を被っていれば

見ず知らずの人が評価してくれるのはSNSに似ています。


「中の人」と「ステキな姿」が差がないほど、
演じていても苦にはならない。


逆に、
評価してもらいたいばっかりに、
重すぎる「姿」を被れば、

疲弊して当たり前ともいえる。


それでも、「なりたい自分」「ありたい自分」を目指して
高みを目指し続ける生き方もあるでしょう。

誰かに羨望のまなざしで、一目おかれる人になることは

それが名声であれ、何であれ、

自分の存在意義への自信になるかもしれません。


でも、本当は
そんなもの被らなくても

嬉しそうにしてくれる誰かがいてくれたら。
なにも飾らなくても喜んでくれる誰かがいてくれたら。

それが一番なのではないでしょうか。


赤ちゃんや小さい子が、にこにこ笑うと
こちらまで嬉しく、楽しい気持ちになるように、

素のままの自分でいても、
嬉しそうにしてくれる誰かがいれば

重い皮を脱いで、楽になれます。


本当は、安心したいだけなんだと思います。

中の人の私のまま、

この世界にいていいんだ。
存在していいんだという、

絶対的な安心感がほしいだけなんだと思います。



それがまだ見つからなくて、

今日も私は虎の威を借るように

時々「中の人」で体験したことを思い出すのです。


「なりたい自分」「ありたい自分」を背負って
苦しそうな知人もいたりして、

「中の人」になってみたことは、
色々考えさせられる体験でした。


「ありたい自分」の着ぐるみを被ったあなたじゃなくて、

私は本当の「中身」のあなたの声がききたいのだよ。

かおなし_1
その逆のパターンが、この人か。その件については、またいつか。

10/28・29の!【かけこみPhoto】

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


先日、10/28・29開催の完成見学会の会場となる
お家に撮影に伺いました。

実は、もくせい工舎では、見学会のお知らせやチラシが出る時点で、
現地の写真がないことが多いのです。

お家が完成して、広告でお知らせして、
完成見学会当日を迎えるには
数週間以上、引き渡しができません。

その金銭的、時間的なロスをなくし、
ご負担をなるべくかけないためです。
(ただでさえ、見学会のためにご協力いただいてますし・・・。
いつも本当にありがとうございます。)

今回は締め切りまで少し余裕がありましたので、
どんな感じのお家なのか
ちょっと知らせしたいと思います。

もくせい工舎の自然素材の家・外観

今回は、スマートでシンプル。
しゅっとした自然素材の家です。

もくせい工舎の自然素材の家・外観

三和土風土間も、色味が黒っぽく
スタイリッシュです。

もくせい工舎の自然素材の家・外観・軒天

軒天も漆喰仕上げ。

もくせい工舎の自然素材の家・玄関ホール天井

玄関ホールも。

クロスの白のような、きつい感じにならないのは
漆喰の優しい雰囲気だからです。

もくせい工舎の自然素材の家・リビング

リビングの天井も漆喰塗りで、明るめです。

もくせい工舎の自然素材の家・キッチン

いつもは、アールがかかったデザインが多いキッチンの
仕切り壁も、しゅっとまっすぐ。

もくせい工舎の自然素材の家・キッチン・漆喰

職人さん達が、手仕事で仕上げるので
漆喰の凸凹がなんとも、良い雰囲気です。

もくせい工舎の自然素材の家・廊下

漆喰天井と、明かり窓で
廊下が柔らかな光に包まれています。

もくせい工舎の自然素材の家・木の家のお部屋

間仕切りで、フレキシブルに対応できるお部屋。

もくせい工舎の自然素材の家・無垢の木

もくせい工舎では、無垢の木を無塗装で使っています。

それは、お家の呼吸を妨げないため。
自然素材の力を、十分に活かすため。

どうぞ、ツルツルテカテカしていない
自然の木に触れてみてください。

さらさらとした心地よい手ざわりを
気に入ってもらえれば幸いです。

見学会はご予約制となっています。

運動会や行楽など、色々目白押しの時期ではありますが、
運命を変える(?)出会いとなれれば、嬉しいです。

しつこい営業もいたしません。
どうぞご家族で、お気軽にお越しください。

根っこのつながり。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

以前、『美建築ぶらり。竹田ひとり旅 その5という記事を書きました。
投稿時期により、各ページが離れてしまったので、<その5>を開いて、その1から読んでいただくと便利です。

その時に、B・B・C長湯さんの図書館にあったチェンバロのことを
少しだけ紹介させてもらいました。

202304_BBC長湯図書館内

関連記事→『美建築ぶらり。竹田ひとり旅 その4

チェンバロの製作者は、故・松本公博(こうはく)氏。
ヨーロッパの古楽器を、日本の木で作りたくて
山香に移住し、カテリーナ古楽器研究所をひらいたとのこと。

その後、気になって少し調べてみました。
(日本の木で作りたくて・・・ってあたりが、もうツボで。)

そしたら、出てくるわ、出てくるわ!もう、イモヅル式。

「類は友を呼ぶ」ではないけれど、不思議な、
世界観のつながりのようなもの。

それを今回、自分なりにお伝えしていければと思います。

良ければ、お付き合いくださいませ。


とにかく、本当に山香にそんな場所があるのか?

ググってみると、確かにあるんです。カテリーナ古楽器研究所

しかも、HPの雰囲気から、本当に素敵。

知らないだけで、本当に
こんな場所が(しかも、意外と近くに)あったのねぇ~。

もくせい工舎の家がお好きな方は、こんな雰囲気、お好きじゃないかなぁ。

オタマジャクシにも全く疎い私は、音楽のおの字も分からない。

それでも、楽器を作りながら
自然の恵みに敬意を払い、大事に「音」として
受け継いでいこうとしておられるのが
伝わってくるのです。

どんな音楽なのか、CDのようなものが売っているのか
気になるところ。

検索すると出てきたのは、
「カテリーナ古楽器合奏団」と、なぜか『宮崎 駿の雑想ノートⅤ』。

?????

宮崎駿って、あの宮崎駿??(←呼び捨てだけど? )
見ると、ちゃんと演奏がカテリーナ古楽器研究所ならぬ
カテリーナ古楽合奏団。

?????

どう違うの??

研究所は、研究したり、楽器をつくったり?
合奏団は、演奏するときの名前?

私がB・B・C長湯さんで見たチェンバロの製作者は故・松本公博さん。
かたや、合奏団を結成したのは松本雅隆(がりゅう)さん。

実は、ご兄弟で
雅隆さんは、公博さんの弟さんとのこと。

合奏団は、東京立川のロバハウスを拠点に音楽活動をしているようで
「ロバの音楽座」としても活躍されているようです。

・・・というか、もうロバハウスって名前がいい。

そのロバハウス、建物もすごかった!

設計は、村山雄一(たけかず)さん。

なんでもこの方、建築模型を粘土で作るらしい。

雅隆さんが「洞窟や胎内のイメージで」と伝え、
村山雄一さんの手のひらから生まれた
ロバハウスとロバノコハウス。

~~~~~~~~~~~~~~~~‼‼‼

何という愛らしさ!

村山雄一さんは、シュタイナー建築で有名な方らしく、
子ども達のための幼稚園なども手掛けられています。

そのご縁でなのか、公演先で
松本雅隆さんの目に留まったよう。

その幼稚園の建て方も、本当に素敵。


葛飾 東江幼稚園 園舎

子ども達に、極端な刺激を与えないよう、
安心して過ごせるよう、
五感を通して、やわらかな印象の優しい建物となるよう

心をつくしているのが、とてもよく分かります。
(・・・というか、こんな建物に通わせたかった!)

その建築作品も、素敵なものばかり。
ただ、(個人邸や幼稚園に、ずかずか入れないので)遠慮なく見に行けるのはトーベヤンソンあけぼの子どもの森公園や、
気流舎などでしょうか。

それでも、埼玉・・・。それでも、世田谷・・・。
遠い~・・・。
(都市圏に縁がないと、どうやって行くのが賢いのか
それすらピンとこない・・・。)



村山作品のように曲線だらけには、なかなか難しいかもですが

もくせい工舎のお家も、甘木土の壁は
胎内のような、やさしい空間ですよ。

甘木土を用いた漆喰壁の室内

甘木土を用いた漆喰壁

良かったらご検討ください。

・・・それにしても、です。

松本公博さんの手づくりの古楽器、

その古楽器をつかった演奏をするカテリーナ古楽器合奏団、

古楽器や空想楽器で、子ども達に音楽の夢を運ぶロバの音楽座、

粘土をつかって、手のひらから生まれたような
村山雄一さん設計のロバハウス、

そして藤森照信さんの建築・・・。


どこか人の手仕事を感じるような、

土のにおいがするような、

そういった方々と、不思議とセットで?
一緒に名前が出てくる宮崎駿さん。


竹田に美建築を見に行って、

松本公博さんのチェンバロに出会ったり。

そこから、ロバの音楽座や村山雄一さんの作品を知ったり・・・。

これも間接的ではあるけれど、何かのご縁なんでしょうか。


「有由有縁」

川端康成のその言葉を、座右の銘にしているのは、元竹田市長の首藤勝次さん。
(B・B・C長湯を運営する大丸旅館の5代目経営者であり、藤森照信さんにラムネ温泉の建物を依頼した観光カリスマ)

出会う縁、その由縁が違えば

もしかしたら、村山雄一さんの手によるラムネ温泉館なんていうのも
あったのかもしれない。

それも見てみたかったかな~とも思いますが、
これも縁あってのこと。


それでも、藤森照信さんの作品を気に入った方なら
きっと、冷たい無機質な建物にはしなかったのではないかと
勝手に想像しています。


生き物としての人間と、【自然】の根本的な
つながりのようなもの。

それを大事にした、生き方、暮らし方、つくり方。


人の手の仕事を感じる、土の感触を感じる建物は

目には見えないけれど

きっと
人間の根っこにとって、大事な仕事をしているに違いない。


色々なご縁のつながりを垣間見て、
そう実感しました。

例え、ちょっとした小さな旅でも、
そのもたらすものは大きい。

狭くなりがちな視野を
広げてくれるような気がします。

それを言い訳に、また旅に出て
皆さんにご報告出来たらと思います。


よーやく導入!

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


2023_彼岸花
お彼岸をすぎて、ようやく少し秋らしくなってきましたね~。

よ~やく、といえば

10月の終わりに、宇佐市にて
完成見学会を開催させていただくこととなりました。

2023102829_もくせい工舎の自然素材の家・宇佐の見学会場工事中の外観
工事中の現場(9月の中頃)

そして、今回より

なんと、なんと!もくせい工舎!

よ~やく、予約システムを導入致しました!

拍手~!パチパチパチ...‼


どういうものか具体的には、公開を待っていただくとして

簡単に言えば、予約の空き状況が分かりやすくなりました!

美容室のネット予約みたいに、
空きの時間が分かるので、

この時間がダメなら、ここで良いかな?と
選べる感じになります。

これは、ありがたい。

私などは、電話が苦手なので
美容室の予約ですら、かなり緊張します。

ましてや「●月▲日、★時~」と伝えて

「あ~、あいにく他の予約が・・・・。」

となると、若干テンションが下がる・・・。
ちょっとだけ、しょんぼりする。

少々、出鼻をくじかれた感じがする。

そうなると、
いつなら空いているかで
さらに要調整となってしまうし

残りの選択肢が分からないので
先方の提示するものしか選べなくなってしまう。

「よし、予約するぜ!」の勢いが半減?する気がするのです。
(どれだけ、意を決して予約しとるの⁉、ですが。)


その点、空き状況が分かれば、
自分の都合に合わせて、いくらでも考えに合わせられます。

今度の予約システムだと、
実はもくせい工舎側も対応が楽になり、
おまけに事前の確認メールまで送付できる。

もくせい工舎は、基本夫婦ふたりの経営で、

やっていることの中身は
大手の気合なので

あれもこれも手動のアナログでは
限界もあるでしょう。

事前に、「明日お待ちしています」とお知らせするのは
機械だからこそ正確で

任せられることは、任せて

人間:永家夫妻にしかできないことに
集中してもらえると思います。

何より、お客様にとっても
その方が、きっと気楽で便利なのではないでしょうか。。

下準備は整っていますので、
実装完了したら、公開の運びとなると思います。

それまで、どうぞお楽しみに。

2023_稲穂
黄金の国ジパングって、稲穂のことか?と思えるくらい、黄金色!朝日を浴びてキラキラしとります。

どうぞ、実り多い【出会いの秋】となりますように!

「よーやく導入!」続きを読む

自分たちには建てれないと思っていた

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


「家を建てたい」

そう思ってから、実際に【わが家】を建てたのは
10年後でした。

迷っていたわけでなく、
「自分たちには無理なんだ。建てれないんだ。」と
諦めていたのです。

見栄を張っては通じないので、恥をさらすと

(家族の、知らなかった)借金 by ギャンブル
(それを誤魔化そうとした挙句の)詐欺被害金
■義実家建て替えの連帯保証

などなど、数百万。

頭金どころかの話だったのです。

絶望というより、望むとつらい。
だから、考えないようにしていました。
淡々と、目の前の暮らしを送ることに
専念していたのです。

では、なぜ今
家を建てて、住んでいるのか。

それは、他人様(この場合は永家さん夫婦)の知恵を借りたからです。

悩んだり、行き詰ったり。

今現在の自分だけの、知識や力じゃ
どうしようもない時、

できるだけの努力はしても、
ちっとも前に進まない時、

人は悩んだり、行き詰ったりする。

どんなに知識・経験が豊富な人でも
世界の全てを知っているわけではない。

人間は、(当たり前のようですが)やっぱり
その人が「知っている範囲の事」しか知らないのです。

だから、本を読んだり、
「他の人」と話をして、

初めて
違う道のあることを
知るのだと思います。

先日、永家Tさんと話していて、
意外にも「自分たちには無理だ」と思っていた方の多さに驚きました。

ド~ンと現金で払える方はともかく、

こんなご時世で、未来に何も保証がないのに

「自分たちに建てれるか」の不安は誰しもあると思うのです。

ただ、
「何も望まない」「何も見ない」で
心に蓋をするのは

もう、やめにしませんか?

とりあえず、恥をかいても
聞いてみればいい。

他の人に、知恵を借りてみればいい。

お金はともかく、
知恵は借りても、返す必要はありません。

聞いて、「あ~。無理です。」と言われて
恥ずかしい思いを、したくないかもしれない。

でも、聞かずに
私のように10年を
心に蓋をしたまま過ごすのなんて

本~当にもったいない!

ちょっとの恥を我慢して

次に進むか
別の道を行くか

いくらでも方法はあったのに!


以前、吉野 弘さんの詩について
書いた記事があります。
(なぜか、ワンピースのルフィを引き合いにして・・・)

不完全なワケ

私たちが「不完全」なのは、
他者を必要とするためである。

吉野さんの『生命は』という詩は、
それを教えてくれています。

花とミツバチ
(花もハチという他者を必要とする)

心に蓋ばかりして生きていると、
子ども達に諦めることしか教えてあげれない。

「道が分からなければ、誰かにききなさい。」

それは、大人になっても言えることなんだと
思います。

自分の歩いた道が、
自分の人生になるなら、

選べないことはともかく、

どんな景色がみたいですか。

どんな顔をして歩いていきたいですか。

時々、私自身も思い出してみたいと思います。

不完全な、一人のワタシとして。


どうぞ、皆様に良いご縁がありますように。

永家夫妻の掘り出し方

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


いきなり変なタイトルですが・・・。

永家さんたち(の、書いた記事)が埋もれておるのです。

今回は、永家夫妻(の、書いた記事)掘り出し大作戦。
肝心かなめの記事たちに光を当てねば!というお話です。

ところで、
(今さらですが)「ブログとは、なんぞや?」

改めて調べると、WebにLogする。縮めて、blog。

ウェブページ(Web)上に載せる、出来事などの時系列の記録(Log)のようです。

個人だと、その人の日常や思想といったものを時系列で書いたり。

企業だと、その目的として

■ (専門)知識の共有→信頼性向上!
■ 顧客との関連強化→ファンを増やす!
■ SEO効果→検索上位にする!
■ 企業イメージの向上→どんな会社か印象づける!
■ マーケティング効果→売上につなげる!

・・・でしょうか。

・・・こう書くと、うさんくさいでしょ?

なんか、うまいこと騙されそうな感じがして、
身構えるのは私だけでしょうか?

でも、よくよく考えると、お客側にとっても大事なこと。

■ ちゃんと、プロとして信頼できるか。
■ 人として信頼できるか。
■ そもそも検索して上位に来ないと、(どんなに良くても)知ることができない。
■ どんな感じの会社か分かる。
■ これなら、見てみたい。なんなら買いたい。そのきっかけになる。

と、いうことだと思います。(ざっくり言えば・・・)


さて、そのブログですが
なかなか、永家さん夫婦が書く時間がない。
(家づくりで走り回ってます。優先順位で、ブログ書きが一番にならないの意。)

こうして、私も記事を書かせてもらっていますが、

実際の所、永家さんたちがどんな感じの人か分からないと意味がない。
(実際にお会いするのは、ブログを書いてる私たちではないし、
「良い人なんです~」と言われてそのまま鵜呑みにもしないでしょうから。)

ブログから、永家さん夫妻の
本来の人となりや
目線・考え方が、埋もれている。

これは、マズい。とても良い状態とは言えない。


・・・と、申しますのも
私自身が、どこで建てるか迷っていた時、

もくせい工舎のブログを見て、「ここなら大丈夫かも?」と
(半分)判断したからでした。


私は、

広告を見て気になって

サイトでどんな会社か調べて

他と比較して

実際に見学会に行って、決めました。


サイトを見た時に、事細かに「自然素材」について書いてある。

その熱量が、他の「自然素材の家」を謳う会社と違って見えたこと。

あと、何より、永家さん夫婦のブログ記事の「目線」「見ていること」。

これは、とりあえず「自然素材って言っとけば売れるかも?」の工務店ではない。
本当に自然に興味のある人なのかな、と思ったからでした。

「自然素材」を謳いながら、「自然」や「自然なこと」に関心がない工務店だってある。

だから、決して
そんな「とりあえず的」自然素材の家じゃないのに、

当のご本人たちが、どんな目線・考え方を持っているか

今のブログから、分かりにくくなってるのは、
ちょっと残念なのです。

だから、ここで改めて、
永家さん達ってこんな感じ。を掘り出したい。

スマホで見ていただいている方が多いかと思いますので、
掘り出し方?をお伝えします。(分かってるよ~って方は、すっ飛ばしてくださいませ。)


もくせい工舎のウェブサイトを開いてもらうと、

こんな感じの画面になるかと思います。

ブログ_ホーム画面

(そりゃもう、かわいそうなくらい?)下の方にブログ一覧が出てきます。

ブログ_ホーム画面下

ブログ記事画面

ブログ記事画面下

ブログサイトマップ画面

■代表:永家正光さん→owner

■相方:永家隆美さん→staff

ちなみにdiaryの割とはじめの方は、隆美さんです。

staff2の 八面山の記事からは、私こと「ことりの母さん」が書かせていただいています。

私の筆が遅すぎて、SEO的にアウトなので
staff3さんも記事を書いてくださっています。(ありがとうございます。)


ブログの元々の意味が、日常の記録なのだとしたら、

工事現場の記録とか、
地鎮祭とか、
各種イベント等を載せるのが、正道なのかもしれない。

ただ、見る側からしたら
なんだか似たよ~うな、区別のつかない
どこかの工事報告や

誰かのイベント等を

そう何度も見る必要はない気もする。
(とは言え、現場写真などは
目が肥えてくると?
他社の構造と、もくせい工舎の構造の違いが分かったりする・・・。)

お客さんが、本当に知りたいのは

プロとして信用できるか
人として信用できるか
任せても大丈夫か

ではないでしょうか。

その核心を突くのが、ブログであると思うのです。

メリット、デメリットも、もちろん大事だけど
損得以上に
家づくりは、ヒト対ヒト。

どんなにメリットが多くても
相性の良し悪しだってあります。

そればかりは、誰にもわからない。
(条件と相性が別なのは、結婚とか就職でも言えるように。)


私の知っていることが、世の中の全てじゃない。
知らないことも多い。

それでも、もし言えるとすれば、

大分県北近隣で、
産直的な方法で
本当に、本当に、自然素材にこだわった家をつくるところを

私は、もくせい工舎以外知らない。



良かったら、埋もれちゃってますけど、
永家さんたちが書いた
過去の記事、読んでみてくださいませ。

こんな感じ、嫌いじゃないな~と思ったら
幸いです。

もくせい工舎かどうかはともかく、

皆さまに、どうぞ良いご縁がありますように!


■代表:永家正光さん→owner
■相方:永家隆美さん→staff

ヌチドゥ、タカラ (いのちこそ、たから)

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


豊後高田市の玉津東天紅という小さな映画館に、
映画を見に行きました。

いつか行ってみたい映画館であったのですが、
なかなかご縁がなく。

今回、ようやく足を運べることとなりました。

見に行ったのは、『丸木位里 丸木俊 沖縄戦の図 全14部』という作品です。
(~8/16まで上映。13:30~。今回そのために、少し早めに記事を書いています。)

8/6の広島の原爆の日から、8/15終戦記念日のあたりで
大分県内の各ミニシアターで、先の戦争に関する映画が多く上映されているようで、
気になっていた作品もあり、どうしようかと迷っていたのでした。

最近YouTubeなどで、外国の方々が広島の平和記念資料館を訪れる動画が出てきて、
日本にいながら、私は何やっとんのかな?
と、ちょっと恥ずかしくなってしまったのです。

中でも『ひろしま』という作品は、数年前テレビ放映され、
録画しているにもかかわらず、見れていません。


『ひろしま』は原爆投下から8年後、
実際に原爆を経験した方たちがエキストラとして参加し、公開された映画です。

きのこ雲の下で、あの時何が起こっていたのかを伝える『ひろしま』。

実は、未だに録画を見れていません。

被爆した小さな男の子が、真夏だというのに
寒さでガチガチと震えるシーンがあるのですが

その子が、うちの次男坊の小さいころにそっくりで
怖くて、怖くて、見れないのです。
(映画館ならお金も払うし、向き合ってちゃんと見るかも?と思ったのですが
やっぱり無理だった・・・。)

情けないかな。私は、教科書で知る範囲に毛が生えた程度しか
沖縄戦のことも知らない。

だから、あの丸木位里、俊夫妻の目を通してみた
沖縄を、ちょっと見に行ってみようと思ったのでした。

丸木位里・俊夫妻の名は覚えていなくても、
絵は、見たことがある方が多いと思います。

私は、小学生のころ見た『ひろしまのピカ』という絵本の印象が強烈で
名前もよく記憶しないまま、
とにかく、こわい感じの絵!とだけ覚えていたのです。
(子どもの感想なので、こんなものです。しかも、私だし。)


絵に関しても、先の戦争に関しても、
知識のない私が、特に話せる内容などないのですが、
特に心に残った点が数点ありました。

中でも、読谷村の2つのガマの命運は考えさせられました。

読谷村に、米軍が上陸した時、
住民は二手に別れ、逃げました。

チビチリガマと、シムクガマです。

チビチリガマでは、集団自決(日本軍による強制集団死)
かたや、千人近くが生き残ったシムクガマ。

同じ集落の命運を分けたキーになるのは、

日本軍が同行していたか、
英語で交渉できる人間がいたか

たったそれだけでした。

あれ?なんで日本を守る日本軍と一緒にいて、
そちらが壊滅的な結果になるの?

そう思いたくなる。

しかし、沖縄で起こった実際は、そうじゃない。

日本を守るはずの日本軍に追い出されたり、
殺されたり、自決を強いられたり。

シムクガマには日本軍が同行していなかったうえ、
ハワイ移民帰りだった男性2人がいた。

いよいよアメリカ軍に殺されるとパニックになる住民に、
「アメリカは民間人には手を出さないと言っている」と伝え、
アメリカ軍と交渉したとのことでした。

ここに日本軍が同行していたら、こうはならなかったかもしれない。

当時の「正しき日本人」として、死を強制されたかもしれない。

つくづく思う。
誰かの言う、「正しい」って何なんだろう。


丸木位里、俊さん作の絵本に
『おきなわ 島のこえ』 ヌチドゥ タカラ<いのちこそ たから>というものがあります。

絵本では、つるちゃんのお母さんのセリフとして出てくる言葉。

「ワラビンチャー、ヒンギリヨー。
(こどもたちよ、にげなさい)
ヌチドゥ、タカラ」
(いのちこそ、たから)

映画の中では、強制集団死で
愛する身内に手をかけざるをえなかった少年が

日本軍による命令で、凄惨な殺し合いの中、
自分のお母さんが発した言葉としてでてきたように記憶しています。
(違っていたらスミマセン。)

(死ぬのはいつでもできる。)
こどもたちよ、にげなさい。

いのちこそ、たから」


何かの「正しさ」を強制されそうな時。

空気を読んで、従わねばならぬように思う時。

そこに「否」をつきつける誰かがいる。

それで助かる命がある。


人間が、人間として生まれ、
次の人間を育てること以上に
大切な役目などない。

それは、産み育てるだけでなく、

血のつながりのあるなしに拘わらず、

守り、育み、次につなげていくことでもある。

誰かの親になるとかだけでなく、

後から来る子ども達のために
スクスク生きやすい世界をつくることでもある。

残念ながら、そうでない時、
勇気を出して、私は言えるだろうか?

「こどもたちよ、にげなさい。
いのちこそ、たからなんだから」と。

戦時中でもない、今の世で
子ども達が(あるいは、かつて子どもだった大人たちが)、何かに強いられるように
命を絶ってしまう

その「正しさ」[こうあるべき」は、平和なこの時代にも
あるんじゃないか。

そう考えてしまいました。

今はまだ夢の夢でも

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


(書いたものが地層に埋もれ気味な、当ブログのシステム的なことや、私の年齢的なこと等もあり、
過去に書いた記事と一部重複することがあります。その点、ご容赦いただければ嬉しいです。
それでも、個人的に大切だと思うことは、今後も繰り返し取り上げると思います。
よろしくお願いいたします。さて、本編です↓)

「家を建てたいな」と漠然と思っていても、
今はまだ夢の夢だなと思う時期ってあると思うんです。

それは経済的な理由だったり、
なかなかピンとくるものがない、
諸事情でそれが簡単でない、などなど。
(ちなみに私は、最初に思ってから10年かかりました・・・。)

良い風が吹かなければ、飛び立てない。
飛び立つ気にならないのは、自然なことです。

そういった二進も三進も(にっちもさっちも)いかない時
どうするか。

選べるのは、その時の「態度と行動」くらいかもしれません。

(ちなみに二進も三進もは、そろばん用語が元らしく。
2÷2,3÷3のように、割り切れない状態のことみたいです。)


飛び立てないこと、動けないことを嘆いて

「できないこと」ばかりに夢中になると、

いつの間にか
本当に動けなくなってしまう。

繰り返し思うことで
その考えやイメージが固定されて

いつの間にか
「何をやっても、うまくいかない」
「どうせ、できない」なんて

つまらないレッテルをわが身に貼ることになりかねない。
(実はこの自己暗示が一番怖い。)

今は、できないだけかもしれないし、

例え、それが叶わなくても
叶わないから不幸になるわけでもなんでもない。

叶えばそれが日常になります。
叶えば、失う心配もあります。

叶わないことや、持たないことが、
自由や、身軽さだとも言えます。

(和訳で↓)
幸せな人生、
幸せな家、
○○ホ~ム♪

みたいに、何かを手に入れさえすればOKとはいかない。

夢のマイホームを手に入れたら、
続くのは現実的な日常です。

だから、叶う叶わないより、
少しでも「今」ご機嫌でいることの方が、よっぽどハッピーライフを満喫できます。

ただ、夢のまた夢の、夢の間にいる【今】こそ、できることがある。

(以下、あくまで私個人の考えとしてです。)
■住みたい地域のハザードマップを確認しておく

地滑りや浸水の心配がないか。
大雨の時など、(今は住んでいなくても)付近を流れる河川情報も調べてみる。

色々な地域の防災情報を頭に入れておくと、
いざここ!という土地が見つかった時、
決断が的確になります。

お子さまがいらっしゃるときは、通学路も大事です。

■住みたい土地のゴミ集積場、共有スペースがきれいか見ておく

ゴミの出し方って、配慮なので。共有スペースがきれいかも、わりとポイントになります。

田舎ほど、近隣との関りは濃いめになります。
近所の掃除や出事なども多々ありますが、
みんなが使う場所をきれいにしているかで
モラルが垣間見えます。

それと、私は青々した風景が大好きなのですが、
田んぼに囲まれると、時期により消毒や、刈り入れ後の焼き畑等あります。

田んぼの青々した匂いには、そういったこともセットなんだと
後で自覚しました・・・。
(これでも、半都会育ちなので、全く考えず。住んだ後、そりゃそうだ!と気づく。)

■家のここだけは外せないポイントを洗い出しておく。無理な場合の代替案も考えておく

■木や花が好きなら、何を植えるか考えておく

これ、私自身の反省なのですが
太陽に向かって咲く花を、敷地の南側に植えたら
花の後ろ頭ばかり見る羽目になりました。
(花が咲いた後で気が付いた・・・。)

敷地の北側=影と思い込んでいたのですが、
建物などの影が邪魔しなければ、植物に陽は当たります。
(考えれば当たり前なのに、花が咲いた後で気が付いた・・・。)

関連記事はこちら→ 「まずは、おちつけ。」

もし、家をまた建てる機会でもあれば(すごい低確率ですが。)
キッチンに北向きの窓をつけて
花や木々を愛でながら洗い物をしたいです。(すごい低確率ですが。)

もくせい工舎で庭をてがけるのは、日田の実意園さん。

わが家の庭をお願いするときに、当時調べていた範囲で
家のこの辺に、こんな樹木・・・と具体的に
図で書いて渡しました。

当時は今よりも更に知識がなかったので、
今なら植えない木もあるのですが、
(シマトネリコとか、常緑のヤマボウシとか・・・。)

具体的に、樹木の種類を上げることで
親方のはっちゃんさんにイメージが伝わりやすかったみたいで、

わりと考えに近い木を選んでもらえたり、
ツリバナやコマユミなんて当時は知らなかったのですが

気に入るのでは?と入れてもらえもしました。

家づくりもそうですが、こんな感じということを
伝えても、すべてが叶うことは多くないです。
(湯水のように予算があれば別です。私などは、空間や建物が好きすぎるので、
本当に理想通りにしようとすると、ガウディみたいになってしまう。永遠に終わらん、です。)

それでも、伝えることすら諦めると
施主側ではなく、施工する側の好みに近くなる。

イングリッシュガーデンのようにしたいのか
日本庭園っぽくしたいのか、
雑木林のように自然な庭にしたいのか。

具体的に考えておけば、その後も
自分たちで庭を育てていくときの指針になります。


そして何よりも

■たくさん、見比べておく

急がせる業者は、パスして、
とにかく見る目を鍛えておく。

これが肝心です。

家の質と値段のバランスはもちろん、
何か困った時に、頼れる感じか、
その余裕があるかも大事です。(時間的、精神的なことも含めて)


夢のまた夢と嘆くなかれ。

夢みれる【今】だから、妄想する自由も、
時間的な自由もあるのです。

具体的にイメージする【力】を養うことが大事です。

そうすれば、いざ話が進みだしても、
芯がぶれずにすみます。

家を建てても建てなくても
ハッピーライフにはなれます。


どう転んだとしても、

夢を描けるうちに、今できることは

何を大切に暮らしていきたいか

それを具体的に考えることです。

日々、何を大切に暮らしていくか。

その積み重ねが、生きるということなら、

家族と暮らす家は、その舞台でもあるということです。


もくせい工舎とご縁があるかはともかく、
家を建てるって一大事。

焦らす、でもアンテナは張っておきましょう!

どうぞ良いご縁がありますように!
応援しています!

そうそう!
近々構造見学会も開催されます。

大雨の影響で、一週間遅れとなりましたが、
良かったら♪

8/5・6 宇佐市構造見学会

あ!あと泥だんごもね!お子さまと遊びに来てください♪

8/20 光る泥だんご作りとしっくいの塗り壁体験

〇〇7 住宅展示場より愛をこめて

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


先日、とある住宅展示場で
一日限り、夕方から
《超自由見学会》なるのものが開催されると知り、
ちょっと出かけてみました。

予約なし、セールストークなし、アンケートなし。

セールストークNGのタグを下げていれば、
余計な営業を心配せずに
誰でも自由に見ることができる。

わが家は、持ち家ですし、2軒目などは夢の又夢。
それでも、今どきの住宅展示場に行ってみる良い機会。
(エラそうに言ってますが、ただの興味本位です。)

○○7ならぬ、スパイのような気持ちで
家族に無理を言って
単身大分に向かったのでした。

中央の受付で、一応名前などを書き
(住所名前も書かないで良いかと思っていたのですが、中央受付では必要だったみたい)
赤いNGタグをもらい首から下げました。

資料請求などすれば、Amazonギフト券1000円分がその場でプレゼント。
大いに心が揺れたのですが、一応スパイ(?)なので遠慮しました。

全部で13社。錚々たる有名メーカーばかり。

その中で特に見たいと思うところから見て、
追々時間の許す範囲で見て回ることにしました。
(結局、後半駆け足で全部見れた)

残念ながら写真不可だったので、「たぶん、あの住宅展示場かな?」というところの
公式サイトをご覧になって、
一緒に行ったような気持ちで、ご想像をお願いします。

個人的に印象に残ったのは、13社中、3社でした。

私的ランキングでは
1位・・・・ 藤〇建設さん
2位・・・・S△K△Iさん
3位・・・・谷Ⅲ建設さん
(2位、3位は、ほぼ差がありません。字を一部変えておりますので、ご想像ください。)

一番最初に見たのが、S△K△Iさん。

外壁の黒板にでかでかと
「無添加住宅」とあり、体に悪いものは使わないとのことでした。

外に、無添加住宅専用の漆喰の袋も置いてありました。

入ると、わりと空気は良いような。

漆喰、なのですが
もくせい工舎のそれとは、ちょっと違う感じ。

輝度が高く(白が眩しすぎる)、質感も珪藻土と水紙を足した感じ。

原田左研の漆喰の方が、気孔が多そうな印象。

可愛くて「おしゃれ、おしゃれ」なデザインのお家でした。
(私にはちょっと、気後れする感じで・・・。)

谷Ⅲ建設さんは、どこかの社長さんか
大物政治家か?といった感じの家。

それでも、木の使い方、空間の扱い方は、とてもセンスが良く、
漆喰や無添加といった(自然素材押しの)セールスポイントなしの中でも、

清々しい「木」を感じる家づくりでした。

13社中、その3社以外は、
残念ながら印象に残らなかったのです。
(個人的な好みも多々あります。すみません・・・。)

会社名を言われても、その中身の違いを思い出せない。

どれも高級マンションや、高級ホテルのようで、
ワイングラス片手に、パーティーするような、

ホームシアターで、大型犬と
革張りのソファでくつろぐような、

とにかく、そこに、「この私」が生活している景色が全く浮かばず。

すごいな、ゴージャスだなとは思うものの、
住みたいとは思わず・・・。
(私、屋上にジャグジーとか要らん・・・。)

見てると、さっき行った所と
何が違うかも区別できず、

なぜかだんだん、ぐるぐるしてきて
気持ち悪くなる始末。

湿気の多い日で、外で休むにもスッキリせず。

この気持ちの悪さが、もしかしたらなくなるんでは?と
一回見たのに、再び藤〇建設さんの家に駆け込んだのでした。

・・・・わ~、なんか全然他と違う。

さっきも応対してくれた女性が
「あれ?どうしました?」と声をかけてくれたので

「・・・いや、なんか見てたら
ちょっと気持ち悪くなって・・・。

なんか似たり寄ったりで・・・。」
って言った途端、爆笑されました。

「あ~、なんか分かる気がします!
そうですよね、うんうん!」

年齢も近そうな感じで、その方自身も、藤〇建設で家を建てたとのこと。

シレっと見学者のフリはしてますが、
私も木の家は好きなので、ちょっと話が合う感じだったのです。

その方も「こういう家って、なんかいいんですよねぇ。
それが何かってうまく言えないんですけど。」

そう、なんかうまく言えないけど
自然素材の家って、なんかいい。

口先とか情報とかデザインとか表面のこと以上に、
腑というか、内臓感覚というか、
動物的感覚で良い感じ。

かたや、私的印象に残らなかった家と共通していることがありました。

1,家が広すぎる上、間取りが複雑すぎる
2.インテリア含め、ゴージャスが過ぎる

もう一つ、

3.入った瞬間から、ガンガン空調が効いてて、
なぜかアロマディフューザーのような香りがする
(ドアが開いた途端、冷気の壁があるような。藤〇建設さん等は、ふんわり低い温度を感じる。)

こだわりの度合いはともかく、自然素材に力を入れている家は
人工的な「快適」の香りがしない。

木の匂いと、珪藻土や漆喰の土物の、
健やかな、自然な匂いがする。
落ち着くのです

最後はフラフラになりましたが
13社中、群を抜いて良かったのは、
私的には藤〇建設さん。

ヒノキの床、珪藻土、
何より羨ましかったのが作り付けのキッチン。

「LIXILとかも使いますよ~。」とのことでしたが、
モデルハウスなので当然、豪華仕様。

・・・何でやろ?さっきのゴージャスな家々見ても
ちっとも羨ましくなかったのに、
なんだこのキッチンの羨ましさは!

私、ここで料理したいよ?
(作るものは、ショボいけど。)

洗面台の名古屋タイルなんかも、良かった。
初めて知りました。

お風呂の壁が総ヒノキなのも、羨ましかった。

何より良かったのが、
【月日の経った家の写真展】。

実際に暮らす、お施主様のお家のその後を見れる。

時間が【家を熟成させる】のは、本物の自然素材だからです。

その暮らしぶりが、これまた自然体で、
あぁ、こんなライフスタイルいいなぁと思わせる企画でした。
(お施主様との信頼関係や、その後の経過が良くないと、
まず、できない企画だと思います。

また、一番驚いたのが、建売?かは不明ですが、
営業マンが常駐せず、OB客さんが応対するということ。

会社関係の人間がいると、OB様も、訪問客様も、
本当のところって、話がしにくいですよね。実際は・・・。
その点、すごいな~と。良く言われても悪く言われても、それはそれというのが。

そういうのを、本当の意味で【自信】っていうのだと思います。)

個人的に、珪藻土より漆喰の方が好きなこと、
そしてやっぱり、何もかも整っているので、
お高そうなこと。

外構から、パンフレットから、スタッフから、
申し分ない。

それだけを整えるための費用は、やっぱり家にかかるだろうと思うのです。
それでも、パンフ1冊とっても本当にセンスが良い。

自然素材なのに、ページをめくる度、
ここから違うお家!と
一軒一軒ハッキリ違いが分かるのは
施主の個性を大事にした結果だと言えます。

ただ、やっぱり高そうだなぁ~。

最後に○○7として、感想を言わせてもらえれば、

もくせい工舎ほど、中身にうるさい会社はなかったです。

そして、もくせい工舎ほど、木の香りがする家もなかったです。

もくせい工舎には、住宅展示場も、
そこに常駐するスタッフもありません。

もくせい工舎は、ローコストが売りの家ではありませんが、

その点で、良い家を、お得に手に入れられると思います。

どこのメーカーも、断熱材や防蟻剤、化学ボンドまで使わないなんて
そこまでうるさくなかった。

つまり、そこまでのことをやってる
ちっちゃな工務店だということです。

住宅展示場で、いつでも見れません。
愛想のよいイケメンの若手営業マンもおりません。

ちょこちょこ開催する見学会か、OB様邸ご案内で
ご覧いただけます。

良かったら、小さな工務店の
大きいこだわりっぷりを見に来てください。

色々見て、比較して、
お財布と相談して、本当に自分たちの家に必要なものは何か

じっくり考えてみることが大事だと思います。

色々見るって大事。勉強になりました。

他から刺激を受けることがなくなったら、
良くも悪くも何も変わらない。

どんなに自信があっても
人間だもの。
完璧なものなんてない。

「足りない部分は、きっと伸びしろなんだ~」と
住宅展示場で愛を叫ぶわけです。

私を含めた、この世界の何やかんやに。

個と公と、自然なもの

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


中高年の仲間入りをし、お弁当を作らなくて良い日は
自称ウォーキングに行きます。

「あれ?○○さん、お散歩?」などど言われますが
本人は運動のつもり。

都市部に行くと、ランニングやウオーキングをする人を
よく見るし、みんなカッコいい。

「体調管理、体型管理もスキルの一つですよ」的な、
デキル人感が漂います。

わたし:「なんで、そんな風に見えんのやろう?体型?顔?田舎やから?」

せがれ①:「・・・お母さん、(それもあるけど)絶対、その格好よ。」

近所のポストに行くような格好じゃ、ダメだってことでした。

だって洗濯物増やしたくないじゃん!
(↑このせこい考えが、もう致命的。)

それはともかく、歩きながら建物や風景をよく見る私。

この頃、新築のお家に、黒い外壁にウッド調(←ウッド"調"であって木ではない。)の組み合わせが多いような気がします。

「スタイリッシュ!ではあるけれど、
汚れが目立たんように、かなぁ~」

一般的に、家は建てて、10年もすれば
壁の塗り替えを考えなければいけません。
(家のローンもまだなのに、さらに大金がいる。)

気にしなければ、Okなのでしょうが
新建材の家の外壁は、雨だれのような、
カビのような、黒ずんだ緑色の汚れが目立ち始めるので
気になる方も多い。

その理由か、それとも流行りだからか。

歩いてると、(特に新しい造成地の一角などが)
黒い家だらけ!ってことがあってビックリします。

一軒、一軒はスタイリッシュでも
こうも黒い家ばかり集まると、
ちょっとギョッとする。

さもありなん。
よほどの美観地区でもなければ、
個人が街並みのことまで考えて、家を建てません。

自分たちの家なので、当然自分たちの都合の良い家を建てる。

個が強すぎて、公の街並みとしてガチャガチャした感じになるのは
仕方がないことなんでしょうか。

かたや、先の完成見学会の会場・蛎瀬口。

その昔、中津城の城下町の入り口だった場所に近く、
そのため、会場までの通りには
古き良き町屋の風景が続いていました。

新建材なんてなかった昔の家は、もれなく自然素材の家。
(「自然素材の家」であることが、何のアピールにもならない時代。
それで考えると、今は「自然でない家」が多いってことですかね???)

無垢の木が当たり前ですし、紙や漆喰、土壁など、
家じゅうの全てが、自然なものからできていました。

だから、一軒一軒違うのに、
違和感がなく、美しい。

私たちが家を考える時、
建てる「その家」のことしか考えません。
それが普通です。

一方で、もっと引いて、俯瞰的に考えると

ポツンと一軒家でもなければ、

家の一つずつのつながりが、街並みになります。

個が集まれば、公になる。

つまり、公の美しさは、
個による。

一人の音の美しさが
集まって、和音となる感じでしょうか。

小京都と呼ばれる昔ながらの街並みや、
ヨーロッパの美しい街並みも、

一軒一軒、形が違い、住む人の好みが違っても、
自然素材が、うまい具合に
調和させている例だと言えます。

個としてのありかたが、全体的な
風景の美しさにつながっているのです。


昔、ブログに 【質感】という記事を書きました。

サイディングの壁はデザイン豊富で個性的。

自然素材は、その点、工業製品ほどではありません。

例えるならそれは、ウルトラマン怪獣の塩ビ人形と
ウルトラマンの陶器の人形くらい違う。

試しに【ウルトラマン】とググって見てください。

息子曰く、「最近は、ちょっと個性出てきた」とのことですが
カタチは違っても基本的な配色などは似ているので
怪獣に比べて没個性的です。

だって、ウルトラマンだと一発で分かってもらわないと困るから。

対して【ウルトラマン 怪獣】とググってみてください。

それはもう、あるわ、あるわ個性的!
もう、一個一個違う!
よくこんなに考えたな~と思いますが、

毎週勝つウルトラマンに対し、
怪獣は次々必要なわけで、
先週の怪獣と見分けがつかないようじゃ困るのです。

つまり、怪獣は自己主張無くしては
存在意義が怪しくなってしまう。

存在意義って、「(わたしが)ここに在る意味」です。

それを自分がどう思うかでなく、
他人の評価に委ねると、

「わたしを見て!」「ほら!他より素適でしょ!」と
誰かの「いいね!」を貰わなくてはいけません。

目立たなくてはならない。

それで考えると、自然素材の家って【巣】に近い。

【巣】が目立ったら、命とりです。

自然の風景になじむように、そっと【自然に在る】必要がある。

どちらが好みかは、人それぞれなのでしょうが。

そういえば、水木しげるさんの本に
「木や虫のように死ぬ」という一節がありました。
(↑『人生をいじくり回してはいけない|水木しげる著・ちくま文庫』p120)

戦時中、ラバウルで出会った土の人(原住民)たちは
自分たちを格別エライと思って生きているわけではなくて、

木や虫だとかと同じように生きて、
同じように死んでいく。

土のない所で生きていると
こうせねば、ああせねばとバタバタする。

木や虫のように生きてきたと思ってないから
木や虫のようにアッケラカンと死ねない。

ざっくりですが、そんなことが書いてありました。

自分の存在価値ばかりに気を取られると、
ついつい「生きている意味」なんて考えてしまいますが

本当は、木や虫のように
同じ自然の一部であると芯から分かって

自然体で生きれたら、どんなに気が楽か。
(生きるのがラクかは別だけど)

誰かから「いいね!」されない限り、
自分の存在価値を信じられないのも、しんどいものです。

とは言え、自然も自己主張する。

花の色や香り、
鳥の羽の美しいことも
(ヘイ!そこの彼女)俺を見て!」なんでしょう。
(↑他に言い方はなかったのか?)

それでも、自然の「自己主張」のなんと魅力的なことか!


できたら自然の自己主張を活かして

自然な風景になじむ、自然な家の、

自然な街並みなんかを
この国のあちこちで見れたら
どんなに素敵だろうかと思うのです。
(ロードオブザリングのホビット庄みたいな⁉)

ワタシは、人目を惹く誰かの「いいね!」の家より、
やっぱり
森の中の【巣】のような家に帰りたい。

6/24・25の!【・かけこみPhoto】そして、とびこみの先行見学者さま来る!

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


今週末の6/24・25。見学会が開催される中津市のお家。

昨日、6/24・25の!【かけこみPhoto】と題して
見学会場のお家の雰囲気をお伝えしました。

本日は、外観写真が撮れましたので
こちらも取り急ぎ、【続編】として
アップしたいと思います!
(相変わらずタイトで、誰かが見てくれればラッキーの他力本願です・・・。)

自然素材のもくせい工舎・無垢の木と漆喰の家の完成見学会6/24・25。会場外観
外観。近隣には古き良き町屋の風景が広がる。漆喰が新しくて、できたばかりのお城みたいです。

自然素材のもくせい工舎・無垢の木と漆喰の家の完成見学会6/24・25。庭から会場外観
元々あった石灯籠など、違和感なく映えるのは同じ自然だから。庭の緑が良い感じ。

見学会場で写真を写していると、
ご近所から風鈴の音が聞こえます。

風に吹かれて、チリ~ンと涼しげな音。

町屋の雰囲気にもあって、なんとも風流な気持ちになります。

ご見学中にも、聞こえてくるといいなぁ~。

そして、おまけ。

先行見学者のお客様です。

自然素材のもくせい工舎・無垢の木と漆喰の家の完成見学会6/24・25。猫

自然素材のもくせい工舎・無垢の木と漆喰の家の完成見学会6/24・25。猫

床下の風通しを入念にチェックされていました。

飛び入りの猫さんはともかく、
見学会は予約制となっております。

見学会当日のご連絡やお問い合わせは
直接お電話にてお願いいたします。
(0120327892 もしくは 代表携帯の 09088328253 まで。)

ゆったり気兼ねなくご覧いただけるので、
この際、なんでもご質問ください。

特に自然素材を考えているわけではない方も、
よくあるアパートやお家とはちょっと違う仕様なので、
目からウロコな見学会となれば
シメシメ(?)です。

気に入っていただけると良いなぁ~。

ぜひご覧ください♪
木の家でお待ちしております♪

6/24・25の!【かけこみPhoto】

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


今週末の6/24・25。見学会が開催される中津市のお家に撮影に伺いました。

まだ撮影を残したところもあり、
一部ですが、サクサクサクっとアップして
駆け込みにてお知らせします。

木と土の家ってどんな感じが
少しでも伝わると嬉しいです。

自然素材のもくせい工舎・無垢の木と漆喰の家の完成見学会6/24・25。会場外観
お家の外観。この日は出入りが多く、正面からの撮影は断念。元々あった和風なお庭にもしっくり、良い感じです。
正面は、またいずれ施工実績にてご覧ください。

自然素材のもくせい工舎・無垢の木と漆喰の家の完成見学会6/24・25。リビングを玄関付近から見る
玄関付近から見たリビング。お子さまたちの秘密基地、ロフトもあります。木がふんだん!清涼感のある空気です!

自然素材のもくせい工舎・無垢の木と漆喰の家の完成見学会6/24・25。キッチン側から見たリビング
キッチンから見たリビング。

自然素材のもくせい工舎・無垢の木と漆喰の家の完成見学会6/24・25。キッチンの奥には
ここで、私的にうらやましい空間が、このキッチン奥に。

自然素材のもくせい工舎・無垢の木と漆喰の家の完成見学会6/24・25。家事スペース
ジャ~ン♪こちらは大人の?秘密基地!家事スペース!

自然素材のもくせい工舎・無垢の木と漆喰の家の完成見学会6/24・25。家事スペース内側から
日々雑事に追われることの多いお母さんは、たまには一人になれるスペースって大事!・・・だと個人的に思うのですよ。いいなぁ~。羨ましい~。

自然素材のもくせい工舎・無垢の木と漆喰の家の完成見学会6/24・25。ウッドデッキ
リビングの窓を開けてもらうと、ウッドデッキ。ここですね、よく見ていただきたい。
漆喰壁のエッジの感じ。

自然素材のもくせい工舎・無垢の木と漆喰の家の完成見学会6/24・25。漆喰壁のエッジ
この、鏝の跡。人の手仕事の跡。そして、新建材でも、珪藻土でも、西洋モルタルでも出せないこの質感。
すごいマニアックですが、この絶妙な感じが出せるのは、本物の漆喰で、原田左研さんの仕事だからです。
土っぽいというか、洞穴っぽいというか・・・。あ~、この良さが伝わるだろうか~。(私のつたない技量で・・・)

自然素材のもくせい工舎・無垢の木と漆喰の家の完成見学会6/24・25。埋没型?
これは、初めて見ました。埋没型?インターフォン。こちらも、漆喰が良い感じ。
ジブリっぽい、でこぼこ感といったら良いでしょうか。まっすぐじゃない。

自然素材のもくせい工舎・無垢の木と漆喰の家の完成見学会6/24・25。脱衣場・洗濯スペース
こちらも、撮影しながら散々羨ましがってきたところ。脱衣場兼、洗濯スペースです。広~い!
圧迫感ゼロ!

自然素材のもくせい工舎・無垢の木と漆喰の家の完成見学会6/24・25。ニッチ
こちらも、漆喰と無垢の木の雰囲気が伝わるとうれしい、ニッチです。
漆喰も、陶器も土からできているので、自然な花と映えて、素朴なのに上品です。
素材がよいと、素朴でも、安っぽくならず、温かみもでるので不思議です。

自然素材のもくせい工舎・無垢の木と漆喰の家の完成見学会6/24・25。会場外観
さて、このコはどこにいるでしょう?見学会場で見つけてくださいね♪

老眼と乱視がひどくなってきて、写したつもりで
ピントがずれていることが多くなった今日この頃・・・。

木が好きな方、
自然な家を建てたい方に
ピントがずれながらでも
ピンポイントに伝わるといいなぁ~。

・・・と、願っております。

良かったら、ぜひ見学会へお越しください。

木の家でお待ちしております。

明日・明後日の見学会の!

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


明日・明後日の6/17,18に宇佐市にて行われる完成見学会

そのお家に本日撮影にお邪魔しました。

今からアップして、いったい間に合うのか?ですが、
これをご覧になった方はラッキーといえるかもです。

どうぞご縁がありますように。

のどかな風景広がる小高い丘の上。

こんな所に新しいカフェかな?と思うようなお家でした。

以下サクサクサクっ、と写真上げますね。

2023年6月17日・18日自然素材のもくせい工舎の家完成見学会・会場外観
小高い丘の上っていうのが、また良いですね。

2023年6月17日・18日自然素材のもくせい工舎の家完成見学会・会場外観
どこまでも青々した風景が広がります。

2023年6月17日・18日自然素材のもくせい工舎の家完成見学会・玄関ホール
玄関ホール

2023年6月17日・18日自然素材のもくせい工舎の家完成見学会・リビング
今回のお家はいつもより漆喰少なめ、無垢の木いっぱい。

2023年6月17日・18日自然素材のもくせい工舎の家完成見学会・ウッドデッキから外を眺める
ウッドデッキからの風景。アジサイも桜も見えます。・・・ここで夕暮れにビールなんて飲めたら最高じゃないですか~。


<おまけ>
これは、お施主様にしか見る機会ないかも?なのですが
下の桜の木の近くに、土管がありまして

そこに何故か、マユミの木が植わっておりました。

2023年6月17日・18日自然素材のもくせい工舎の家完成見学会・まゆみの木

かわいい実がついています。

re_IMG_1328.jpg

秋になると赤く色づいて、ますます可愛い木。

楽しみですね。

こちらの見学会はご予約制。

当日の諸連絡は、お電話にてご確認ください。

どうぞ素敵なご縁となりますように。

木の家でお会いしましょう。

「ナントカ目線」で、ひとくくりは。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


かつてPTAで、その場の流れで
市の母親代表みたいな役をやったことがあります。

その折、よく聞いたのが
「母親(ママ)目線」とか「女性目線」という言葉。
天邪鬼な私は、少々苦手な言葉なのです。

いやいや、女性とか
母親だから言うてるんやないわ。

私は、私の考えとして、言うてるんや。

なんで変なカテゴリーでくくろうとするの?

思えば、「母親部」「女性部」なんて
どうして性で分けんといかんのか。
(まずそこから分からなかったんだから
本当に向いてなかったんです。PTA・・・。)

女性だから、母親だから
読み聞かせとか、食育の話でも別室でしてればいいわ
って扱いはとても疑問だったのです。
(圧倒的に男性が多かった各PTA会長の集まる理事会では
読み聞かせも食育も話にほぼ上がらない。
暗にそれは、女性の、母親の役目ってことなのかな?)

本当に良い話なら、読み聞かせだろうが
食育の話だろうが、
父親も、男性も一緒に聞いても良いはず。

目の前の子ども達を育てているのは「同じ」なのに
どうして「役割」で分けるのか。
どうして男女一緒に話さないのか
不思議でたまらなかったのです。

一緒に話すから、違う立場の
違う経験をした人の、
違う意見が聴ける。

違う視点(目線)でものを見れる。

それが相手の立場になる。
思いやれるきっかけになるんだと思います。
(完璧でなくても、ささやかでも。)


ナントカ目線って、実はそういうカテゴリーで分けるものじゃなくて
個人の経験に基づくものなんじゃないだろうか。

主婦目線だって、いっさい家事をやらない人には
わからない。
(例えば、超便利な家電が、絶望的に手入れがしにくい時。
これ設計した人、手入れのことまで考えなかったんかな~と思うので。)

台所という場所一つとっても
どうあってほしいかは
人それぞれ違う。

ひな形におしこめて
想像でひとくくりにはできない。

家族と話しながらが好きな人は対面を望むかもしれないし
キッチン独立型を望む人もいるかもしれない。
(私なんぞは、家族がのんびりしてる中、
広くない台所で、一人黙々と皿洗ってると逃げ出したくなるのです。

次、家を建てることでもあれば、完全独立型にして
音楽をかけながら、庭の緑が見えるとか、
気がまぎれる台所にすると思う。)

母親目線だって、母親にならないと分からない。

これに関してはかなりデリケートですが
子どもを産むということは、ホルモンの関係や状況、個人差もかなりあって
頭で考える以上に、理想通りいかないこともある。

母親になった瞬間に、誰でも聖母になるわけではない。
決してきれいごとじゃない。

それが身に染みて分かったのは
やはり、私なりに経験してきたからです。

同じように言えば
お客様目線とか、患者目線とか、なんでもそうかもしれない。

同じような立場に立って、
恐らく「困った」経験がないと
痛みには添えない。

同じような目線。
同じような考え。
同じような意見。

そこに多様性はないし、
そこから生まれるものにも
多様性はなくなる。

似たようなものばかりできてしまう。
人は、それぞれ違うのに。

違った目線。
違った考え。
違う意見。

多様性を認める社会とよく聞くけれど、

それは
「わたし」を認めてもらうだけでなく
「他者」も私が認める社会のこと。

だから、きっとそこで起こる多少の違和感や
慣れない感じを排除しないでおく

その度量が、「わたし」にも求められる社会。

ひとくくりにできたら、簡単なのに
そういうわけにはいかない。
ままならないことも多々ある社会だと思う。

見方を変えれば、
ままならないということは、
「わがまま」になっていないこと。

独りよがりになっていないこと。

それが自然であり、多様性なんでしょうか。

自然界も、多様性が失われれば
バランスを失う。

人間も、自然の一部なんだから
ひとくくり、みんな一緒の考えなんて
不自然だと思うんです。

つまり何がいいたいかというと

皆がいいね!って言ってるから!より
自分自身が、自分の目線でどう思うか、が大事!だということです。

そして、それぞれの「目線」を大事にしたら
生まれるものにも多様性が出てくる。

それを感じるかどうかも大事だと思います。

そうそう、
ありがたいことに
完成見学会が、2軒も
迫っております。

よかったら見に来ませんか?
(結局、宣伝なんか~い。ですが。)

口コミの百聞より、信じるべきは
「わたし」の一見ですよ。

どうぞ、実際に木の家を見に来てください。

実際にお金払うのも
実際に住むのも
「わたし」たちなんだから

「わたし」目線で、どうしたいかが
大事だと思います。

興味があれば、ぜひ↓

6/17・18 完成見学会 in 宇佐市
6/24・25 完成見学会 in 中津市

木の家でお待ちしています♪

(た)がために

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


こだわりの○○。
△△にこだわった。

そう書くと、ちょっと特別感がでるし
「他とはちょっと違うんですよ」をにおわせることもできる。

へそ曲がりな私は、この言葉があまり好きではなく、
ナントカ他に言いようがないものかと考えてしまう。

なんかちょっとドヤ感というか、
威圧的な感じがしてモヤモヤするのです。

さらにへそ曲がりなことを言わせてもらえば、
こだわりの料理が、必ずしも好みとは限らない。

接客時に嫌な思いをすれば、
例えどんなに美味しくても
二度とその店に行きたいとは思わないでしょう。

つまり、作り手が
どんなに「こだわり」を売りにしても

それを「買ってよかった」と感じるかは

相手の受けた印象と
評価に委ねられるもの。

「こだわって」「頑張って作った」が
必ずしも、高評価につながらない厳しさがあります。


「こだわり」という言葉の意味を調べると
(ざっくりですが)

①ちょっとしたことを必要以上に気にする。気持ちが囚われる。
②妥協せず、とことん追求する
③つかえたり、ひっかかったりする
④ケチをつける

といったところ。

②は近年になって使われることが多くなったようです。


前回、コスパと、お買い得と、目線の違いという記事を書きました。

家を建てるのに、まず安さ優先で考えるか
そもそも家づくりや暮らし方に、憧れや夢があるかで

見に行く先が違うというようなお話をさせてもらいました。


思い入れがあるから、
少しでも、叶えてくれるところを
探している。

色々なハウスメーカーに行っても
なかなかピンとこないというのは、

自分たちの思い入れと、ちょっと違って
腑に落ちないからだと思います。

ようやく、叶えてくれそうな
「こだわり」のある作り手が現れたとしても

ここで勘違いしてはいけないのは

お客さんは、

「作り手がこだわる家」が建てたいんじゃなくて

「自分たちがこだわった家」が建てたいという点。


湯水のようにお金がなければ
妥協しないといけないこともあるでしょう。

大事なのは、
その残念さに、作り手がどう向き合ったか。

それで、その印象は全く違うと思います。

「は?そりゃ、(金)出せるなら
してやるよ?」感満載だったら

夢や憧れがあった分だけ、
ショックも大きい。


初対面で、そういう態度を取られることは論外ですが、

慣れてきても、態度が変わることなく

威圧感がないか。(客を「素人」「分かってない人」扱いしない)
なんでも相談がしやすいか。(くだらないことでも聞きやすいか。馬鹿にしないか。)
その余裕が相手にありそうか。(特に心の余裕。イライラして豹変しないか。)

は、家を見るのと同じくらい大事かもしれません。

金銭的に余裕がないこと。
建築知識がないこと。

それで(何故か引け目を感じて。←それでも大金を払うのに!)なんとなく
(「こっちにしとけば?」「いつかにすれば?」の)おススメされるがままに家を建てて

飲み込んできた言葉が多いと
いざ何かあった時、爆発しかねない。
(不満ほどじゃなくても、当初思い描いていたのと違う残念さ。
もちろん善意でのアドバイスであるけれど、結局自分たちには叶えられなかったという無力感。)


かっこいいことばかり言う男が
かっこいいこと言いながら逃げていくように(何の話?)

いざ「あれ?言ってたことと違うけど?」となっても
責任どころか、
心底謝ってももらえないなんて、良くあることです。
(金額が大きいほど、謝ったらアウトなの?)

プロだろうが、素人だろうが、
同じ目線に立って
一緒に考えてくれそうか。
その余裕があるか。

料理屋さんは一度きりでも、
家は違う。

自分たち(←作り手)の「こだわり」以上に

お客側にも「こだわり」や「夢」があることに
寄り添ってもらえるか。

それが結局は、
作り手へのYesにつながるんじゃないかと思います。

余裕って、大事だ。

いっぱいいっぱいにしないことは、

他人のためでも
自分のためでもある・・・ような気がします。

コスパと、お買い得と、目線の違い。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


私は月の15,30日くらいに記事を書いていますが、
前回の竹田のひとり旅を
いつもより日にちを詰めて書きました。
前回記事はこちらになります。良かったらご覧ください。


美建築ぶらり。竹田ひとり旅 その 5

今回は、コスパのお話。

コスパが良い。とか
コスパ最高!とか
コスパ最強!とか。

よく聞きます。

改めて調べてみると
コスパとはコストパフォーマンス(cost performance)の略語。
費用対効果のことです。

払った費用(コスト)と、
それによって得られた能力(パフォーマンス)を比較して、
低い費用で高い効果が得られた場合、そう言うようです。

なんと人間関係においても使うこともあるらしい。
(なんだか、一気に世知辛い感じもしますが。)

払ったお金より、期待以上だった。

つまり「お!値段以上」だということみたい。
(↑どこかのCMでよく聞きますね!)

最近思うのは、このコスパやお買い得。
その価値観により
2つあるんじゃないかと思うのです。

例えば、
100均で買ったマグカップが、なかなか良くて
「これは、コスパ良かったなぁ」と思うことがあります。

一方で、
自分のお気に入りの陶器市に行って、
思ったより安く手に入った時も、
「お買い得だった~」とホクホクします。

同じ「安く」手に入れたにしても、
そこには買う前提として

【期待やこだわり、憧れ】があるかないか。

100均はとにかく【安さ】を期待して行くところです。

私もよく100均に行きます。
最近の100均って、なかなかお洒落で侮れない。
よくこんな値段で売れるなぁと思うので

そういった意味でも
コスパ天国だと言えます。

一方で、陶器市。
私は度々小石原の陶器市に行きました。

それは、小石原焼が【好き】だからです。

小石原焼に、【憧れ】があって
それがいつもより安く買えるから
陶器市に行きます。

つまり、何が言いたいかというと
まず【安さ】第一で、お値段以上だとラッキーなのか

【好き】や【憧れ】のものが元々あって
それを安く手に入れようとするか

それが100均に行くのと
陶器市に行くのの違いだと思います。

陶器市に行くのは、中間マージンがかからない
産直だから。
作り手の顔が見えることも魅力です。

それは、きっと家にも同じことが言えるんじゃないか。

家に対して、特に興味がなければ
安いことが一番でしょう。

その上で、おしゃれで機能的なら
コスパが良いことになります。

一方で、家や暮らしかたに対して
憧れや、こんな風に暮らしていきたい夢があると

良いものを安く手に入れたいと思います。

両者の違いは、家や暮らしに対する
興味や関心の「内容」の違い。
「目線」の違いです。

私は、実は元から自然素材の家に関心があったわけではありません。

たまたま広告を見て、興味を持って見学会に行ったら
その心地よさがとても大事になりました。

元々、木が好きだったので
どうせお金をだすなら
ここまで木に囲まれた家に住みたいと思いました。

それは、ほとんど【本能的に必要】だったのです。

その一方で、母からは

「安い建売がいくらでもあるのに。
塗装もしてない木とか、傷ばかりつくんじゃないか」
そう言われました。

これは、血がつながっていても
価値観まで同じじゃないので仕方がない。

しかし、住むのは私たちであって
母じゃない。
母の価値観を、鵜呑みにする必要はないのです。

これは、当然
お金を出してもらえば、
きっと口まで出されかねないぞ。

そう思って
(後で泣く羽目になっても)
口出しされるより、自由な、
金もいらぬ道を選びました。

母にとって実家は、「寝に帰る場所」で

「いつかいよいよ年取ったら
サッサと売って、マンションに行く」家でした。

家に執着やこだわりがないので、軽やかです。

母は、機能的で、無駄なことをしません。
私よりずっと生活力があり、賢い人です。

片や私は、「空間」や「居心地」にかなりこだわる。

家は「寝れさえすれば良い」以上に、
大事な「生きて暮らしていく場所」であり、

そのために
何よりも【居心地】が大事だったのです。

それは価値観の違い。

母は間違っていないし、悪くない。

ただ、(極端な例えですが)家を100均に見に行くか
産直で探すかの違い。

こうして、このブログを読んでいただいているということは
少なくとも「木の家」や「自然」「自然素材」に
関心のある方が多いかと思います。

価値観が違えば、
周囲に疑問符を投げられることも
あるかもしれません。

せっかく自分たちの家を建てるのに
何を一番大事にしたいか。

家を建てるとして

自分なら
安さ優先して、まず100均に行くか(実際に100均にあるわけじゃないけれど)

それとも
何某かの憧れや思入れがあって

思い入れに近いものを、できるだけ安く手に入れようとするか。

コスパとお買い得は
同じようで

実は、目線が違う。

何を大切に家を建てたいか。

その目線が大事かもしれない。

誰かの言うとおりにしても、
その誰かが、責任とってくれるわけじゃないんだもんなぁ。

自分で、責任おって
自分で、決めないと

後で、誰かのせいにはできないんだもんなぁ。

本当に、大事にしたいことは何か。

そんな、つぶやきに近い
お話でした。


美建築ぶらり。竹田ひとり旅 その 5

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

美建築ぶらり。竹田ひとり旅 その 1
美建築ぶらり。竹田ひとり旅 その 2
美建築ぶらり。竹田ひとり旅 その 3
美建築ぶらり。竹田ひとり旅 その 4

続きでございます。

チェックアウトしてしまったので
車で行きましたが、
実際は、お散歩でも行けるような距離に、ラムネ温泉はあります。

202304_ラムネ温泉外観

のどかな温泉街の川沿いを行けば
これに出くわすんですから、
知らなかったらビックリしそうです。

建築は、藤森照信氏。
そして可愛いキャラクターは、南伸坊氏。

南伸坊氏といえば、おにぎりのようなお顔立ちの
イラストレーター。(←どういう覚え方?)

実は、藤森照信氏をちゃんと存じ上げず。

後で色々調べているうちに、
藤森照信氏と、宮崎駿監督のつながりを知るのです。

建築家・藤森照信さんと、宮崎駿監督。
(↑氏が、言いづらいので"さん"と失礼して書きかえます。)


あれ?私何かで、その組み合わせを見たことがあるぞ?

それもそのはず、私が武雄図書館内のTSUTAYAで購入した
『ジブリの立体建造物展 図録<復刻版>』に対談記事が
きっちり載っていたのです。
(見てたのに忘れてる。インプットしただけだと埋もれる良い例。)

藤森照信さんと宮崎駿監督。
藤森照信さんと、長湯温泉。

情報として、ただの点だったところが、
すごい勢いで線になったような感覚!

ラムネ温泉に、どうしてそんな錚々たる顔ぶれが関係しているのかは
「ラムネ温泉」の公式サイトのストーリーをご覧ください。
(勝手にリンクを貼れないので、スミマセン。)

試しに「藤森照信 建築」で検索して頂ければ
どんな建物を建てられた方かお分かりいただけると思います。

空飛ぶ泥船(茅野市美術館・仮設の茶室)や、
草屋根が圧巻のラ コリーナ近江八幡(菓子製造販売・たねやグループ)
丘の芝が屋根まで続いているようなねむの木こども美術館(静岡県掛川市)

その他色々、「あ~、もう可愛い‼‼」

どれも木や土や、緑を感じさせる
素朴で、自然で、有機的で、楽しい建物ばかり。

藤森照信さんの建てる作品に
宮崎駿監督や、養老孟司先生(養老昆虫館)
心惹かれたのも頷ける話です。

そして、同じようにそれにツボッた(?)のが
何を隠そう元竹田市長(合併後の竹田市2~5代。2021年退任)の首藤勝次さん。

大丸旅館グループの5代目経営者でもある首藤さん。
(↑氏が、言いづらいので"さん"と失礼して。)

ある日、河原で炭酸泉を見つけたそう。
(そんな日本昔話のようなことがあるのかしら?と思ってしまいますが、
それこそが氏の座右の銘の【有由有縁】なんでしょうか。驚きです。)

炭酸泉は温度が高くなると、気泡が少なくなるようで
熱めのお湯が好まれる中、魅力を感じる人は地元でも少なかったのだとか。

ところが、首藤さん。
試しに無人で仮浴場をつくって、100円で解放したら
これが大人気。
(返す返すも、ホントに昔話みたいな展開。)

ちゃんとした建物をつくるべく、色々探していたら
知り合いの静岡県議会議員に教えられたのが
藤森照信さんの「浜松市秋野不矩美術館」。

すっかり気に入って、設計を依頼したのだとか。

藤森照信さんも、最初は「河原に温泉?僕がやるの?」と思っていたようですが
実際にご本人に会ってみると、観光カリスマ(←国土交通省選定)で、
長湯に象設計集団(!)に依頼して【御前湯】を建てていた経緯もあって
その温泉に対する熱意に動かされた等のいきさつがあったようです。
(これまでの話、『藤森照信 読本』etcからかいつまんで書いております。微妙な差異あればスミマセン。)

そうして、小さな温泉街にできた藤森建築がこちら!

202304_ラムネ温泉の待合美術館棟を見る
受付のある待合兼美術館棟。焼杉の黒と、漆喰の白が地味で派手な、忘れられない外観

202304_ラムネ温泉棟と家族湯棟
左奥に共同浴場棟と、真ん中に家族湯棟。オカメザサの植栽の通路を通っていく。

202304_ラムネ温泉の屋根の松の木
各棟のとんがり屋根には松の木!これもあると無いとで雰囲気が全く違う。遊び心がニョッキリ生え出ている。

202304_待合棟から共同浴場を見る
待合兼美術館から中庭、共同浴場を見る。夢の中にいるような不思議な光景。

202304_中庭の犬の像
やたらめったらカッコいい犬の像。ダンディー。

ここで猫好きの皆様に朗報です。

実はこのラムネ温泉。数匹の猫さんが住んでいる。

そのうちの一匹。
入り口付近で会ったのですが、知らん顔。
「観光客なんか、ぎょうさん来るのにイチイチ相手しとられんわ~」
そんな感じで、完全スルー。

あら、さみしい。

仕方ない。猫好きは、つれない猫さんには深追いしないのが礼儀です。

ところが、写真を撮っていると何か視線を感じる。

ありゃ。さっきのコ。

202304_あけてという猫

どうも、開けてくれと言っている。

開けると、クールにさっさと行ってしまいました。

202304_ラムネ温泉の猫藪の中を伺う
藪の中から物音が。捜査一課の猫さん、張り込みをすることに決めたようです。

共同浴場内は、さすがに撮影できなかったのですが、
脱衣場から浴場に入るのに、かなり低い入り口となっています。

藤森照信さんの本によると、配置とか外観はすんなり決まったのだとか。
ただ、内部がなかなか決まらない。参考にできるような空間体験がないという。

そこで参考になったのが首藤さんのこどもの頃の話。

なんでも、ラムネ温泉に入る時、
炭酸ガス中毒を防ぐため、ローソクをもって入ったらしい。
ローソクの火が消えると風呂から出るようにしていた。
その暗がりの中灯るローソクの灯りが懐かしい、と。

狭い空間、火、湯気=まさに茶室じゃん!

実際に入浴と茶事が一緒になったことは歴史的にもあったので、
イメージが固まったとのこと。

したがって、共同浴場は茶室のような低い入り口と、
中には小さな暖炉もある構造に。

たしかに、低い入り口には別世界に入り込むような心地がしました。

外界とは一線を画して、ひっそり隠れるような感じ。

実際に暖炉に火がくべられていたわけではありませんが、
(あぁ、あの小さな窪んだ空間はそのためのものだったか)と認識します。

内湯が42度、外湯が32度とのことですが、
気温の影響もあってか、内湯もぬるめな印象。
B・B・Cに泊まった際、その日のお風呂を、テイの湯に行くか、ラムネ温泉に行くか迷ったのですが
ラムネ温泉には体を洗うスペース等もないので、洗髪のことを考えればテイの湯で正解でした。

ちょっと外湯もいきなりは冷たそうだったので、サウナに。

ところが、入れども入れども、全く汗をかけない私。
持っていたロッカーのカギに触れると
「・・・ッアッチ!」

これはマズイ。汗はともかく、出ないと干物になっちゃう。

干からびかけた状態で、外湯へ。

はぁ~。気持ちがええ!

小さな銀色の泡が、後から後から体に着きます。

払っても払っても、ウロコのようにびっしり。

快晴の真っ青な空と、芝生に立つ、銀色のひまわりのオブジェ
ぷくぷくのラムネの湯。

爽快な心地よさ。

202304_家族湯棟

良い建物、良いお風呂でした!

せっかくなので、美術館棟も覘くことに。

大丸旅館は多くの文化人とつながりも深く、川端康成をはじめ
多くの交流を感じさせる資料がありました。

その一角に置かれた、段ボール。

202304_段ボール


近寄ってみると

202304_段ボールで昼寝
そんなとこ入ってたら、-18度でクロネコさんに運ばれかねんよ?

睡眠業務真っ最中のにゃんこさん。

温泉棟に比べ、人通りも少なく静かで快適。

あまり可愛くて、頭をなでると、ゴロゴロと喉を鳴らしてくれました。


竹田市の人口は2万人ほど。県北の中津市の4分の1くらいの人口です。

それでも、その人口に対して錚々たる建築家の作品が見られる点では
美建築密度がめちゃ高いとも言えます。
こちらは、首藤勝次さんのホームページにて、PDFで竹田と建築のことが詳しく書かれておりますので、興味のある方はご覧ください。

長湯だけでも、他にも

202304_クアパーク長湯外観

クアパーク長湯。設計は世界的建築家、坂茂さん。

東日本大震災の時、紙の筒と布で避難所のプライバシーを確保した話は有名です。

202304_クアパーク長湯外観

1Fが水着で入れるバーデゾーンと50mの歩行浴と温泉プール。
2Fに温泉、他にレストランや宿泊施設も備えた複合施設で

周りの自然に溶け込むように
木をふんだんに使って設計させています。

もう一つ。
私が長湯に関心を持ったのがここ。

202304_御前湯・玄関付近

御前湯です。

202304_御前湯・芹川沿い

こちらは象設計集団の作品。

今はなき、私の大好きだった由布院美術館の建物を設計をしたのも
象設計集団でした。

由布院美術館
象設計集団の由布院美術館。今は取り壊されて観ることができない。

由布院美術館に関しては、昔書いた記事がありますので、良かったら。
なんと、もう10年近く前の記事ですが・・・。

由布院美術館のことを書いた記事→「自由設計とかけて、焼肉バイキングと、とく?」
題名からは想像つきませんが、書いております↑


あ~。
とても、一泊二日じゃ見て回れなかった。(余計なロスもありましたし。)

今度はぜひとも長期滞在は無理でも、2,3泊して
住んだような気持ちで、じっくり色々見て回りたい。

こうして書いている間も、私はなんだか無性に長湯に帰りたいのです。

首藤勝次さんのホームページに
【有由有縁】という言葉がありました。

川端康成の言葉らしいのですが、
理由があって、今の縁があって、それを大事にしていく。

私から見れば、首藤さんが河原でラムネの湯を見つけて、
それが藤森照信さんの建築につながっていくのは

水底から、キラキラ光る水面に
キラキラ光る魚が泳いでいるのを見ているような。

まぶしくて、まぶしくて、
とても手が届かなくて、
憧れの夢のような世界。

そんな風に、熱量と想像力を持って
上下の差もなく
共感しあう仲間と
ワクワクしながら
ものづくりができる楽しさは
うらやましくて、キラキラ。

またいつか、そのキラキラに会いに
長湯に行きたいと思います。

点と点が、線になって何かにつながるように
私のワクワクが、次の何かにつながりますように。

おばちゃんの美建築をめぐる竹田ひとり旅。
今回はこれにて、おしまい。

美建築ぶらり。竹田ひとり旅 その 4

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

美建築ぶらり。竹田ひとり旅 その 1
美建築ぶらり。竹田ひとり旅 その 2
美建築ぶらり。竹田ひとり旅 その 3

続きでございます。

さて翌朝。早朝6時。
前日とは打って変わって
良く晴れそうな模様。

林の間を通って、清々しい空気の中
川沿いを降りていきます。

202304_芹川のこいのぼり
芹川に涼風に乗って、鯉のぼりが泳ぐ。

私は寝癖がひどく、頭頂部がいつもハート形になるので、
お湯に浸かるついでに、そちらも何とかしないといけません。

幸い誰にも会わず、まんまと(?)テイの湯に着きました。

後から来られた方とお湯に浸かりながら、談笑し、
大丸旅館を後にしました。
朝の光の中入るお湯に、すっかり清められた気分です。
(中原中也よりずっと、汚れちまってますしね。色々と。)

「また、このお湯に来れたらいいなぁ」

正直、とても名残惜しい。

名残惜しいは、良い出会い。人でも場所でも、きっと同じです。

大丸旅館の目の前には、茶房・川端家。

202304_川端家

B・B・C長湯と同じく大丸旅館グループなので
窓際の風景も、ちょこっと作品が覗いてオシャレです。

202304_川端家の窓辺

202304_竹田交通バス停
歴史ロマンを感じさせるバス停に、ポストの赤が映えています。

朝食は8:00か8:30。

時間になると部屋まで運んでもらえます。

202304_朝食
優しい味のお粥と、みそ玉の入ったお椀。以前は洋食と選べたようですが、パンの仕入れ先閉店等の諸事情で、現在は和食のみのようです。

「みそ玉が入っておりますので、良く溶かしてから召し上がってください。」

へ~、みそ玉。初めてです。

良く溶かしてって言われたのに
先に写真ばかり撮っていたものだから、
なかなか溶けず。

溶け残りは、お粥にのっけていただきました。

実はそんなにお粥は好んで食べない方なのですが、
なんだかとってもポクポクと柔らかい歯ざわりで
優しい味。

日頃こんな風に、一人膳でゆっくり食べるなんてことはありませんから
「ちゃんと食べた」感満載です。

満足満足。

チェックアウト時に
昨日ラムネ温泉に入りそびれたことを伝えると
100円で入れる券をもらえました。

「あの、チェックアウトしちゃったんですが
図書館って見れますか?」

そう、図書館に惹かれて来たのに
昨日は見れずじまい。
写真撮影の許可ももらって、入らせてもらえました。

202304_BBC長湯図書館外観

202304_BBC長湯図書館横トイレ
ベンガラ色の壁がおしゃれすぎるトイレ。トイレでも良いから、ここに住みたい(?)

202304_BBC長湯図書館外観
美術館でもあるかのように至る所に彫刻が。手書き風の「林の中の小さな図書館」が可愛い。

中は左手と右手に部屋があり、右は彫刻や山岳資料を飾ったギャラリー。

202304_BBC長湯図書館のギャラリー

こちらも、可愛いイラスト等見ごたえたっぷり。

そして、左側の図書館がこちら。

202304_BBC長湯図書館内

あ~。本当に晴れてて良かった!
神々しいくらいの美しい図書館!来てよかった‼

天井上まで山岳関係の本がぎっしり!

山は好きだけど、ヘタレなので登る根性のない私は、
手に取ったことがない未知の世界。

これ、一日一冊ずつ必死で読んでも、何年かかるかわからない。

202304_BBC長湯図書館内・山岳関係の本
うち13,000冊は、露天風呂番付を作成した、旅行作家の故・野口冬人さんの寄贈。写真も飾られていました。

本の世界に触れるたび、この世には
まだまだ知らないことがいっぱいで、

またその一つ一つに奥深い世界が広がっていて
途方にくれる嬉しさがあります。

すごいなあ~。

202304_BBC長湯図書館内
中央には綺麗な緑色のチェンバロ。故・松本公博氏製作。大分・山香町に移住し、工房を「カテリーナ古楽器研究所」と名付け、古楽器の製作と演奏の活動を行った・・・方らしい。全くもって無知で申し訳ないのですが、調べれば調べるほど、気になる方。
ヨーロッパ起源の古楽器を日本で作るんだから、まずは木の違いから研究したくて山香に来られたらしく・・・。ちょっと調べただけで、気になる情報いっぱい。また、じっくり調べてみます。はぁ~、近くにいながら、知らんことばっかり‼世界は狭くて、広い!

野口冬人さんにしても、チェンバロの松本公博さんにしても、
初めて触れた世界だったので
こうして記事を書きながら、改めて驚いています。

湯治でもと思って、長湯に来て、
B・B・Cに建物見たさで泊まりに来て、
全く知らなかった世界に触れ。

興奮冷めやらぬうちに、気づくと
ラムネ温泉について書くには
(さらにページが)長すぎる事態となりました。

202304_BBC長湯図書館テラス
あるとないとで雰囲気がまったく違う。さりげなくおかれた椅子。

山頭火なんか好きすぎて、もうここに隠居したい。
こんな老人ホームあったら速攻で住む!
わたしゃ、ここで余生を送るよ。(←ちびまる子なの?)

そう思いたくなるほど、魅力的だったB・B・C長湯。
また来ます!

そしてそして、
次回こそは、ラムネ温泉。

202304_BBC長湯から見上げる空
林の中の駐車場から見上げる空。

美建築をめぐる、おばちゃん旅もいよいよ大詰めです。

美建築ぶらり。竹田ひとり旅 その 3

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

美建築ぶらり。竹田ひとり旅 その 1
美建築ぶらり。竹田ひとり旅 その 2

続きでございます。

名湯「テイの湯」を満喫し、
涼風に吹かれながら上機嫌で部屋に戻った私。

長湯にはコンビニも少なそうだったので
道中の庄内町のスーパーとコンビニにて
お惣菜等を買い求め

それをおつまみにビールを飲もうと
息巻いていたのでした。

冷蔵庫からビールを取り出すと
キンッキンに冷えております。

もう居酒屋のジョッキなみ!

「お~、すごい冷えてる!」

さてさて嬉しい一口目。
美味しいに決まってるじゃないですか!

ところがですよ。

なんかいつもと様子が違うわけです。

飲み口から、少ししか出てこない。

・・・あれ?どした?

缶の冷たさは、いつもの比じゃありません。

キンキンに冷えてて美味しいはずのビールが
雪解けのようにしかでてこない。

泡は神泡とか、クリーミーとかいう形容ではなく、
ミゾレ状。

そう、キンキンを通り越して
ジャーベット化していたのでした。

のど越しを味わうとかのレベルではなく
じわじわ溶けてくるのを飲む感じ。

冷凍庫でなくても
まだ余力のあったキンキンの保冷材で
挟んだのがまずかった。

明らかに、冷やしすぎていたのです。

冷やし過ぎたるは、ビールにあらず。
こりゃ、ビールのかき氷である。
飲みにくいったらありゃしない。

「やれやれ、今日は色々とやらかす日だ。トホホ」

それでも
色々やらかしたにしろ、今日はお片付けしなくていい。
今日は何も心配せず、好きなだけ本を読んでいい。

ひとり旅をゆるしてくれて、
家族よ、ありがとう。

ところが
だいたい睡眠不足な上、(余分な右往左往もしたし)疲れてもう眠い。

結局、いつも通りの時間には就寝したのでした。


ひとり旅の良い点は、ツレに気を使わなくて良い所です。

夜中に目が覚めて
「そういえば、竹田は星も綺麗なんだよな・・・」

そう思ったら窓を開け、テラスに出ることも叶います。

「起こしちゃったら悪いな」と気を使わなくていい。



そういえば、仕事のお昼休みとかでも
ランチは一人の方が、脳が休めて良いと聞いたことがあります。

それは、どんなに気の合う人と一緒でも
脳は情報の処理に追われるからです。


脳を本当に休ませようと思うなら
ぼっちが一番。

しかも、ボ~っとしている時、
脳は思わぬいい仕事をするらしい。

ボ~っとしている時に働くネットワーク(デフォルト・モード・ネットワーク。DMN)があって


そのおかげで、感情や運動、記憶を束ねて
思わぬひらめきを生むのだとか。

つまり、ボ~っとしている時間に、
脳は点と点を結び、線にし、アイデアを生んでいる。


スマホを見れば広告ばかり。
ウソかホントかわからない
まことしやかな言葉の中にいると

情報ばかりで、体感や実感として何もないことに
気付きます。

誰かのレビュー(評価)は、私の実感とは別物なのに
誰かの言葉だけで、動かされそうな気持ちの悪さがあります。

考えても考えてもうまくいかない人ほど
実はちょっと一人になって
ボ~っとする時間は必要かもしれません。

実感としての、自分を取り戻すには
誰かの情報だけでなく、
実体験することが一番で、

旅はそういう意味で
強制的に【目線】を変えることにつながります。

あぁ、でも旅だけじゃないかもしれない。

実際に、体を動かして自分で判断することが大事なのは
見学会でも言えそうです。

誰かの評価で決めないで、実際に見て、
話して、動物的カンを働かせてみるのは大事かもしれない。

いきなり仕事っぽくなりましたが。

次回は、ラムネ温泉。
あの宮崎駿監督も一目置く、建築家さんの作品のお話です。


美建築ぶらり。竹田ひとり旅 その 2

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

前回の続きであります。
(いつもより、今回ちょっと早めに記事を上げます。)

はりきって、ひとり旅に出たものの
宿泊するための荷物一式を忘れた私。
(何やってんだか)

なんとか日暮れまでには宿に戻ることができました。

ゆっくりするために、あわてて戻る。

走ったメロスもズッコケそうな顛末です。

待ち受ける暴君も、親友セリヌンティウスもいませんから
ひとり寂しく、山頭火のカギを開けます。

というか、ワクワク。

202304_BBC長湯・山頭火外観

だって、これ、貸し切りなんすよ?(←うれしくて、言葉が乱れる)

漆喰とかの手しごと感が好きな方は、たまらんですよ?

202304_BBC長湯・山頭火外観の小窓

こんな味のある造作。でこぼこした感じに
自然の蔓(?)で茶室のよう。

もう、カメラ片手にニヤニヤがとまらん。

そのせいか、現場撮影のように
ついつい入る時言ってしまう。
「・・・失礼しま~す」

で、玄関こう!

202304_BBC長湯・山頭火・玄関


202304_BBC長湯・山頭火・玄関


202304_BBC長湯・山頭火・玄関の調度品
さりげなく飾られた調度品まで、なんともハイセンス。(価値は分からず。猫にナントカ、豚にナントカですので)


一番最初に借りたお手洗いだって、

202304_BBC長湯・山頭火・お手洗い
こんなに渋くておしゃれ。

202304_BBC長湯・山頭火・お手洗い

決して明るくはない壁の色合い。
それでも、暗いとかじゃなく
ただただ、とても落ち着く感じ。

ここかしこに絵や書が飾られているのも
私好みで、うれしい。

ニヤニヤしながらドアを開け、
いよいよお部屋です。

202304_BBC長湯・山頭火・室内

~~~~~~~~‼‼‼‼

素敵すぎる!

あの木の枝のアーチだって、どこから手に入れたんだろう。
よくあんな曲がり具合の、ちょうど良い木があったもんだと
驚いてしまう。(加工してるんですかね?)

202304_BBC長湯・山頭火・室内・和紙の魚拓調の飾り

ちょっとしたものが、こじゃれてます。

そして、この木の枝の中をくぐると・・・

202304_BBC長湯・山頭火・ミニ書斎

ミニ書斎~!

掘りごたつのように、足を、一段下におろして座ります。

目の前には、あの蔦の可愛い小窓。

ちょっと、こんな贅沢な部屋に
9000円いかないで泊まっていいんだろうか。

202304_BBC長湯・山頭火・ミニ書斎から室内を見る
ミニ書斎から室内を見る

202304_BBC長湯・山頭火・テラス

障子を開けると、テラスもあります。

ちょっと肌寒い日だったので、出て座ることはしなかったのですが
季節が良ければ、ぜひとも
挽きたてのコーヒーを飲みながら
本でも読みたい!

小鳥の声を聴きながら!

202304_BBC長湯・山頭火・テラスの窓のカギ

もう、窓のカギすら可愛い。

つるんとして、ぽってりして、
レトロで触り心地も良いのです。


そして部屋にはミニキッチンも。

202304_BBC長湯・山頭火・ミニキッチン

202304_BBC長湯・山頭火・ミニキッチン

今思えばですが、お茶を沸かすヤカンはあっても
鍋やプライパンはなかったのでした。

何でも置きっぱなしにせず
一番きれいな状態で
受付で貸してくれるのだそう。

私は今回料理までする気がなかったので、
これだけでも充分充分。

小ぎれいで、片付いてて
わが家の台所より居心地が良い。

また、木枠の小窓もとても可愛い。

いや~。満足満足。



おっと、そうだった。
買っておいたビールを冷やしておかねば。

冷蔵庫を開けると
・・・ありゃ、電源入ってない。

ダイヤル式の庫内のスイッチを
強にして、
クーラーボックスに入れてきた保冷剤で
ビールを挟んで、入れておきます。

右往左往していたにもかかわらず
幸い、ビールは冷えていたのですが
お風呂上がりのお楽しみに、しっかり冷やしておきましょう。
(ところが、これが後で仇となる)



前回書いた通り、この施設にはお風呂がありません。

系列の大丸旅館のテイの湯(無料)か、ラムネ温泉(500円のところを100円で)を利用することになります。

どちらも利用時間があったのですが、
うかつにも写真を撮るのを忘れました。

しかも、数字に弱い私。

すっごいアバウトですが
大丸旅館が13:00~21:00/翌5:00~8:00(やったかも?)
ラムネ温泉が10:00~営業終了の22:00???(やったかな?)

すみません。写真撮るのに夢中でちゃんとお知らせできず。



時間も時間だったので、近くのテイの湯に行くことに。
(ラムネ温泉は翌日も100円で入れる券がもらえます。チェックアウト時に申し出ましょう。)

18時台なので、もしかしたら
本館泊まりのお客人はご飯時かもしれない。
(夕食ナシはこの点、自由で気がラク)

空いてるといいなぁ~と言いながら
芹川沿いを下っていきます。

歩いて数分。

橋を渡るとすぐそこです。

「部屋のカギを見せたらいいですよ」と言われていたので
老舗旅館の立派な玄関先に気後れしながら
「こ~んに~ちは~」(←これじゃ錦鯉の長谷川さんだ)

ところが呼べども呼べども、皆さん忙しくて気がつかない。

やっと前を通りかかった和風美人の方(←多分女将さん)
「山頭火です!お風呂良いですか?」と聞くと

「どうぞどうぞ!」と満面の笑みを返していただきました。



その、テイの湯ですよ。

あの与謝野晶子も愛したという、名湯ですよ。

脱衣場には与謝野晶子だけでなく
「オリオン座と一緒にお風呂に・・・」(←文言ちゃんと覚えておらず。適当でスミマセン。)と檀ふみさんの直筆色紙が。

そのお風呂に・・・
なんと一人で入りました。

我ながらナイスタイミング。
貸し切り~!ひゃっほ~!

腰痛に冷え性、しもやけ持ちの私は
冬場になるとたまらず温泉に治療目的で行くのですが

こんなに入って漬かって(←正:「浸かって」)
気持ちが良いと思うお湯はなく。

お湯あたりが良いというか、温度もちょうど良く
なんとも心地が良い。

飲泉もできるので口に含むと
鉄の味。胃腸に良いそうです。

半露天風呂もあり、
芹川の流れと、ようやく雲が取れてきた
夕暮れの空を見ながら
名湯を満喫したのでした。



「正直、お風呂が部屋にないのは不便だけど
このお湯に何度も入れるのはいいなぁ~」

川沿いの涼しい風に吹かれて
散歩がてら、また来た道を部屋に戻りました。



次回は「過ぎたるは猶及ばざるが如し」はビールにも。

通常、月の中頃と終わりにアップしておりますが
ちょっとコンスタントに上げるかも?です。
(見学会も入りそうですし)

よかったら、おばちゃん珍道中に
またお付き合いください。

美建築ぶらり。竹田ひとり旅 その 1

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


コンポストのことを書くつもりでしたが
(再び)またの機会に。

数回にわたり、竹田の旅のお話をします。

私は月の15,30日くらいに記事を書きますので
気が向いたらお付き合いください。

武雄ですっかり、ひとり旅の楽しさにはまってしまった私。
たけおさんぽ①
たけおさんぽ②
たけおさんぽ③

今回は、一度訪れてみたかった
竹田市直入町の長湯温泉に行ってみました。

何故に長湯?

元々は湯治で良い宿を検索していたのです。

そこでヒットしたのがB・B・C長湯さん。

202304_BBC長湯の図書館

図書館のある林の中の長期滞在もできる宿です。

建物良し、林の中という雰囲気よし、
しかも図書館つき。

中でも山頭火という建物に心惹かれて

202304_BBC長湯の山頭火

ぜひ見てみた~い!泊まって見た~い!

と、なったわけであります。

湯布院御三家・山荘無量塔の「楽」というお部屋に
いつか、いつか泊まってみたい!

そう思っていた私ですが
金額的にもなかなか気軽に手が出ない。

しかも、ひとりで・・・とはいかないかも?

ところが、B・B・C長湯さんの山頭火は
ひとり旅でもOK。

しかも、お値段は9000円いかないくらい。

施設にお風呂がない。(近くの大丸旅館とラムネ温泉が利用できる。)
夕食がない。(おかゆメインの体に優しい朝食はつく。)

それを除けば、美建築に一棟貸しで宿泊できる上、
お値段は一万円いかないという
なんともありがたい宿なのです。

これはカメラ片手に行くしかない。

とにかく、煮えた頭を休めたい。
とにかく、景色を変えたい。
とにかく、いつもと違うことをしたい!

そんな一心で、予約当日
直入入り(いりが、多いな!)したのであります。


まずは腹ごしらえ。

直入ダムを望むカフェ、ジプシースマイルさんに。
202304_nagayu_cafe_1.jpg

あいにくの曇天で、写真が暗い。

朝まで雨だったので
「濡れてませんかね?」と心配されながらも
無理を言って外でいただくことに。

202304_長湯カフェ。直入ダム風景

オフシーズンなので誰もいなかったのですが、
水上スポーツもできる直入ダム。

この日はカモがのんびりしておりました。

202304_南インドチキンカレー

南インドチキンカレーのセット(デザート付だ!)を頼み、

行ったこともない南インドに想いを馳せ、
ダムのほとりでカレーを満喫。

デザートのチーズケーキと
デカフェのコロンビアのコーヒーも美味しいこと!

これは、豆も買って帰ろう。

それで、宿で挽いて飲んでまったりしよう。

今回、そのつもりでお気に入りの
コーヒー豆とミルも持参したのでした。

お会計をすませ、コーヒー豆をゲットし

さて、車で宿まで行きますか。

チェックインを14時と早めにし、
ゆっくり町をぶらぶらするつもりだったのです。

(・・・さて、コーヒー豆をどこに入れよう。
クーラーボックスか、赤いボストンバックか・・・。)

ところがです。

その赤いボストンバッグが、車にない。

着替えやタオル、コーヒーミルを入れたはずの
赤いボストンバッグが
どこにもない。

「・・・あれ?・・・あれ?」

もう、さ~っと血の気が引きました。
漫画に出てくる縦線が顔に。

春休みで家にいた息子に電話をかけると

「うん。なんか畳の部屋にあるよ。
届けようか?自転車で!」

って、車で2時間かかったところを
自転車でかい?

「・・・気持ちだけいただくよ。
とりあえず、宿に行ってみて、また連絡するわ~」

とにかく、無いものは無いのです。

キャンセル代も、当日なので満額です。

取りに帰るしかない。トホホ・・・。



チェックインをすませ、受付の男性に事情を話し、
「大変だね~」と同情され。
もう苦笑い以外でない私。

とりあえず代金を払い、カギを預かることに。

憧れの山頭火で、トイレだけ先に借り、
今来た道を戻らねばなりません。

「あ~、もう。なんでこうなるかな~。」

どんなに「なんでなんで」と言っても
自分がやらかしたので仕方がありません。

陽がだんだん傾きかける中を
自宅へ。宿へ。

・・・あれ?私リラックスしに来たんやなかったっけ?

アドレナリン大放出。焦りまくりです。

心情としては走れメロスのそれです。

行かねばならない。んで、戻らねばならない。(原因はともかくね!)

美建築にゆっくり触れる間もなく、

次回に続く~!

広告の世の中だけど

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


コンポストのことを書くつもりでしたが
またの機会に。

先日見に行った、
大分県立美術館【イメージの力 河北秀也のiichiko design】のことを少し書きたいと思います。

慌てて書いている理由が
開催が3/29までだから。
つまり、明日で終わりなのです。
(だからといって、誰かが見に行くとも思えませんが一応)

昔から、ちょっと渋いCMが好きだった私。

「ニッセイのおばちゃん 自転車で~♪」のCMを
幼心に渋くてかっこいいと思っていました。

そんな幼少期から年寄り好みというか
渋い、郷愁を誘うようなCMが好きだった私に

強烈なインパクトを残したのが
いいちこのCMでした。

ビリーバンバンの優しい歌声、
異国の夢のような風景、
キャッチフレーズのセンスの良さ。

焼酎は飲まないのに、CMに酔いしれてしまう
以前から大好きな世界観でした。

展覧会は写真撮影可能だったのですが
ブログに載せて良いか確認しなかったので
今回は写真はなしでご勘弁ください。

取り上げたいポスターは
「いいちこ ポスター 広告の世の中だけど」で検索すれば
あ~、このことかと分かっていただけるかと思います。

展覧会の、わりと最初の方でお目見えするポスター。


「広告の世の中だけど
噂で飲まれる酒・・・・・・・」と
コピーが続きます。

1984年、最初に出されたものだとか。
今から39年前ですね。

その当時から「広告の世の中」で
紙やテレビ、ラジオといった媒体から

今はSNS中心に
いかにネット上で上位に上がるかの
「広告の世の中」だと思います。

私があのキャッチコピーに惹かれたのは、

本質は39年前も
そしてネット社会の今も
変わらないんじゃないかということです。

「広告の世の中」にあって
良さげなコピーが大量に溢れ
少々うんざりするのは私だけではないはずです。

今も昔も変わらない
ウソかホントか分からない「広告の世の中」で

噂で必要とされている商品がある。

それは、ステマまがいの口コミレビューとかではなく
実際に自分が手にして
実感として良いもの、

また買いたいと思うもの

それこそが良い商品の本質のような気がします。

そんなの理想だよといわれそうですが

「これ、なかなかいいんよ」といって勧められたものが
自分にピッタリだったときの嬉しさは
奇跡的ですらあるからです。

残念ながら、もくせい工舎の商品は家なので
焼酎のように気軽に試すことはできません。


一度買ってみるかというには
大きすぎる金額です。

もし計れるとすれば
もくせい工舎で建てた方が
人にも勧めるか

もしくはもう一度家を建てるとしても
同じようにもくせい工舎と思っていただけるか。

それだけかも知れません。

楽しく飲んで終わりの焼酎と違い、
家づくりは人対人でもあります。

よい家をつくる以上に
良い信頼関係なくしては

噂だけで広まることも難しい。

かといって、情報ばかりがあふれるこの世の中で
何をもって本質を見極めるか。

やはり、実際に自分で確かめる以外ないのかとも思います。

4/8,9の週末。
中津市にて構造見学会が開催されます。

実際に確かめる一つの機会かと思いますので
良かったらご家族でお越しください。

ネット広告の世の中だけど
(変なレビューじゃなく)口づてで選ばれる
もくせい工舎でありますように。

・・・と、願います。

広告の世の中だけど
「こんな家に住みたい」と思っていただければ、幸いです。

構造見学会について詳しくは→こちら♪

自分の手でやってみる【干物編】

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


庭の白モクレンが咲きました。

202315_ハクモクレン

わが家のモクレンはまだ小さいので
花に、私の鼻が届きます。

嗅いでみると、なんとも瑞々しくて
上品な良い匂い。

春がいよいよやってきました。

春は何かを始めるにも、良さそう。
暖かくなるって素晴らしい。
重い腰も、えいやっと上がりそうです。

その勢いに乗って
この頃、実験的に少しづつ
「自分の手で実際にやってみる」を増やしています。

半世紀ほど生きて、
あらためて自分があまりにも

自給率が低いこと
実体験として、何も知らないことに
驚いたからです。

口に入るものも
身に付けるものも
大半をお金を出して、買ってきます。

その中には、本当に大切なものもありますが
大半は、特に好きでもなんでもない
愛着も、思い入れもないもののような気がします。

服は特にそうで、

値段が高くなくて、
そんなに可笑しくなくて
この変な体形に
入りさえすればよい感じ。

生きて使える時間を、万能引換券である「お金」を稼ぐために使って

その結果買っているものに愛着がないなんて

なんていうことだろう。

とはいえ、めんどくさがりな上に不器用な私。

いきなり服は無理でも
簡単なものから
少しづつ「自分の手で」やってみることにしたのです。

簡単すぎて笑われそうですが。

干しシイタケって高いな~と思ったんで
生シイタケを干してみたり。

生シイタケ並べている時は
こんなに安く、たくさんの量を買ってきたんだから
やっぱり自分の手でやるのは
お得だ!と思っていたのですが

20230315_自分で干しシイタケ

干してみたら何のことはない。

市販の干しシイタケのボリュームは
適正のお値段くらいと知り。

しかも、売っているものの方が
乾燥もしっかりされていて、長持ちしそう。

とはいえ、これもやって見たからの感想(乾燥?)なのです。

干したものは他にも、サツマイモや大根、ショウガ。

ショウガはおろすより
乾燥させて粉にする方が簡単でした。

ショウガを薄くする際、繊維に沿って切ってしまったので
粉末後も、繊維だらけになってしまい、

そうか、最初から繊維を切るようにスライスすれば良かったのね~。

そう学んだことも新鮮でした。

やっぱり、実際にやってみて
失敗しないと分からない。

もっと若いうちにそれに気づけば良かったのですが

悔しいかな、気が付いたのが遅かった。
残念ながら、気が付いた【今現在】が一番若いのです。

少しずつ「自分の手でやってみる」お話。

次回は、【超手抜きコンポスト】です。

もったいなか~

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


ずいぶん前になりますが
ある大手のハウスメーカーの前を通りかかった時
住宅展示場のモデルハウスが
重機で壊されている所を見ました。

そんなに古くもない
私には立派すぎるような家を
誰も一度も住んでないにも関わらず

基礎の鉄筋もむき出しになって
バキバキと壊されている最中でした。

それからしばらくすると
同じ場所に
黒い壁に木目調の「今風」の
新しいモデルハウスが建っていました。

前回も書きましたが
わが家は住宅ローンを
主人がそこそこの年齢になるまで払わねばなりません。

その、えっちらおっちら返さねばなれない
大金で建てた家を
まるでマネキンの服を変えるように
取り替えてしまうことに
正直びっくりしたのです。

モデルハウスとは言え
何千万ではないの?

でも、「今風」に変えた方が
会社としてお得だから
変えてるわけです。

ひゃ~、すごい。
でも、もったいない。

家は、いずれゴミになる。

それを考えると
新しいモデルにするたびに
大量のゴミが出ていることになる。

それもすごい話です。

せっかく作ったのに・・・っていうのも
無しなのかなぁ。

家は商品であり、作品ではない。

大量生産、大量消費も
住宅にも当てはまるとすれば

ちょっと考えてしまいます。

もったいなか~。

できれば
大事につくって
大切に使い続けてもらって
その役目を終えた時
土に還りやすいような家だと

環境に対する
後ろめたさも軽くなりそうです。

あの取り壊すお金って、社長さんの自腹なんだろうか。

・・・そんなはずないんだけれど。

モデルハウスの取り換えも
有名タレント起用のテレビのCMも
すべて広告料。

どこから来たのか
その広告料。

ちなみに
もくせい工舎にはモデルハウスがありません。

見学会か、個別のOB様邸訪問にて
ご案内しています。

たぶん、そんなこと(広告だけのため)に大金使いたくないのと
せっかく作ったのにもったいないからだと思います。

・・・ケチなんですかね?

いやいや、
環境的にはよい判断だと
個人的には思います(*^^*)

大事につくって
大事に使おう。
んで、できるだけ地球に還そう。

私にとって何がリスクか

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


いかにお金を増やすか。
それに精通した頭の良い人たちは言う。

資産価値にならないなら、家を持つことはリスクでしかないと。

私はお金儲けも苦手な上
そういった頭も悪いので、
そうなのかなぁ、と思う。

だからダメなんだともいえるけど
家=資産で、お金としての価値だけなのか
どうも腑に落ちないのです。

わが家はローンを
主人がそこそこの年齢になるまで払わねばばりません。

そのことを考えると
とても気が遠くなります。

家を建てる時
永家Tさんが、わが家の家計のあれこれを一緒に考えてくれて
納得してのGO!だったのですが
不安になる時がないわけではありません。

世の中どうなるか分からない。

一方で
「どうせウチには建てられない」

そう思ったまま、あのカビだらけのアパートで
ずっと暮らしていた場合も想像します。

もし、明日自分の命がなくなった時
どちらが残念だろう。

明日死んだら、
借金(ローン)は返せないままだけど、
大好きな木の家で暮らした記憶は残ります。

もし、アパートにいたまま死んだら
「私にはできなかったな
でも、借金はしなかったな」
・・・と手元の小銭を抱えて
思うのでしょうか。

「夢のマイホーム」「幸せの家づくり」

そんな言葉が並ぶ中

私は根暗なので、家を建てたから幸せになるとか
そんなわけではないかもな~と思います。

ただ、ひとつ言えるとすれば
私たちは
日々、何かを作り出している。

それは、毎日の献立や
家族に持たせるお弁当や、
たまにする玄関掃除、
誰かにかける言葉、
誰かに対する態度まで、

それらは日々作品といえます。

本当に支払いを無事終えるか不安をかかえたまま

木の家にすんでいますが

庭の石をとりだし、
小さな畑をつくり、
庭を育て、
小鳥を呼び

そうしてきた私たち家族の数年は

リスクでしかないのでしょうか。

人生は何を経験し
何を思い
どう行動したか

それがその人の豊かさだとしたら

自分はちっとも損をしなかった。
うまい事やった

そう言って
使いきれないほどの資産を残して

私は死にたいんだろうか。

手元に万能引換券(お金)を大量に残しても、
それを失う心配ばかりして

たいして何も経験せず
たいして何も生み出さない

その方が私にとっての
後悔になりかねないような気がします。


忙しい永家さんたちが
ブログを書く時間もなかなかなくて
私がこうして、代わりに
拙いことを書き連ねているのですが

きっと、何かのご縁あって
これを読まれている方がいるのかなと思います。

木が好きだったり
自然なものが好きだったり

そういった家づくりが気になってはいるけれど
どうしたものかと
思われている方かもしれません。

そういった方の参考になるかは分かりませんが

私にとって
木の家は理屈じゃないのです。

世の中完璧なものなどないし、
わが家にしても
ああすれば良かった、こうすれば良かったとか
多々ある。

でも、もう一度家を建てるにしても
やっぱり自然な家を建てると思います。

それは、木の家が
ただただ、好きだという理由です。

リスクとか何とか頭で考える以上に

生き物として
私には木の家が必要だったとしか言えない。

少なくとも
もし、今暮らしておられるお家が
新建材などを使ったよくあるお家やアパートなら

同じ材料でなく
違った素材で建てた家は
やっぱり見てみる方が良いと思います。

そこで劇的に何か感じれば
同じように、きっと自然な家が必要な方なのでしょう。

家を頭だけで考えるか
本能で考えるか。

両極端にはできないけれど

自然なものが好きな方には

木の家が好き

木の家ってやっぱりいいんじゃないかなと
そう思います。

一括で払える方を除き、多くはローンで家を購入します。
お金の不安は、まず永家Tさんにご相談ください。
事細かに、一緒に考えてくれます。
(本当に無理なら、まず審査に通りませんし。)
できるかどうかを、自分だけで考えるより
建てるにしろ、建てないにしろ
一歩進むはずです。

幸い、もくせい工舎は営業職がおりません。
つまり、しつこく勧誘する時間もスタッフもいないので
その点、ご安心を(*^^*)

見学会にいったら最後、ってこともありません。

お施主さんの中にも
最初の出会いから数年という方も
たくさんおられますので。

良かったら、一度木の家をご覧になってください。

見学会でも、OB様邸訪問でも良いと思います。
ぜひ♪

家にも自助力

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


「10年に一度級」の寒波が、直撃した先週。

皆さま、大丈夫でしたか?

202301_雪と南天

1/24の午後から、急にあれよあれよと積もりだして
あっという間に雪景色。

ウチの長男の車は
遊園地のコーヒーカップの乗り物のように
ツーっと一回転したらしく
「相手がおらんで良かった~」と胸をなでおろしておりました。

202301_雪とハトヤバラ

その前に数日続いた暖かい日に、
春と勘違いしたハトヤバラも、かわいそうなことになっていました。


「夏涼しく、冬暖かい。」

住宅メーカーの広告によく出てくる言葉ですが
「ワンランク上の家づくり」同様、
何を基準にしてかはよく分かりません。

少なくともそれが
電力に頼っての涼しさ暖かさなら
何らかの理由で停電してしまえば
あまりアテにはできない気もします。

その点で、家の断熱性能が高いことは
いざという時「しのぐ」一助にはなりそうです。

もくせい工舎ではリフォームも行っていますが
その際、新築同様
壁には羊毛入りの断熱材を、しっかり敷き詰めます。

見た目だけでなく、「守る力」が増します。

家の快適を維持するのに、なるべく少ないエネルギーですむように

しのいだり、守ったりする家の【自助力】は
きっと大事になってくるのではないかと思います。

時々、大学時代に先生がおっしゃっていたことを
思い出します。
(なにせ数十年前なので、うろ覚えですが)

昔の庶民の家は
1つの部屋が
居間になったり、ダイニングになったり、
寝室になったり。

そこに、こたつや火鉢といった
局所暖房ひとつあれば
家族みんなが温かいわけでしょ?

今みたいに
それぞれが個室にこもって
それぞれの部屋全体を暖めようとしたら
いくらエネルギーがあっても足りない。

日本の暮らしには
局所暖房が一番理に適っていると思います。

・・・とかなんとか言っておられたような。

エアコンで空気全体をウンウン暖めようとするより
こたつの方がダイレクトに暖かい。

断熱性能の良い家で
あまりエネルギーを使わずにすんで
みんなでこたつにでも入りながら
まったりするのは

おさいふにも
環境にも

ついでに家内安全にも
良さそうであります。

いざという時も
そうでない時も

自分で自分を守る
自助力の高さは

家にとっても
人にとっても
御守りみたいなものかもしれません。

おやかたのやかた

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて、年明け最初の撮影に
先日伺いました。

向かったのは、日田の原田左研さん。
もくせい工舎のお家の壁を手がける職人さんの所です。

実は、今度のお施主様は
原田親方、その人なのでした。

あの原田の親方が、自分の手で手掛ける我が家。

きっとひっくり返るような大豪邸で、
どこかの料亭とか、高級旅館のような内装に違いない!

ついつい、勝手にすごい妄想をしてしまいます。

鼻息荒く、10年ぶりくらいに訪れる原田左研。

出迎えたのはこちら。

2023_原田の親方新築外観

・・・あれ?
サイズ的にはいつものもくせい工舎のお家の感じ。
(親方の感覚が至極全うだっただけで、原因は、私の勝手な妄想が暴走してたからです。失礼しました。)

でも、でも!
よ~く見ると、やっぱりちょっと違う!

それはそれは、細かく違うんです!
細かく、ひっそり美しいんです!

例えば軒天!

親方の家の軒天

・・・裏まで美しい。

あと、細かくはここ!

原田親方新築・柱の基礎
(・・・ここ、名称なんて言うんだろう(^-^;)

丸くて黒くて、ぽってりして可愛い。

美は細部に宿るといいますが
ちょっとした遊び心を見つけるのは楽しく嬉しい。

さて、そのお家の中身ですが

原田親方新築・玄関

わ~!なんだこれは~!すご~い!

圧巻の土の色味!

ひんやりとも違う、温かい清々しさ!
空気が綺麗なのがすぐ分かります。

この温かな色味の中にいると、
あなぐらに入ったかのような安心感があるから不思議です。

原田親方新築・玄関ホール

芸術的。

ステンドグラスの建具を開けるとリビング。

原田親方新築・リビング

稲わらを入れた漆喰が、本当に優しくいい感じ!

光と影の陰影や凹凸が、とても見ていて落ち着きます。

原田親方新築・リビングの建具

大窪建具さんも、力入ってます!

あの人は好いものをつくるだろうから、
それに合うものをつくりたい!

職人さん達の思いの
相乗効果なんでしょうか。すごく似合います。

原田親方新築・キッチン

見てください。キッチンの横の壁。
すごく渋くて、良い色です。

思わず親方に「良いな~ずるいな~」と言ってしまいました。

湯布院かどこかの高級旅館のフロントみたい。
味があって、品があって、なのに優しく温かい。

いいなぁ~。

あと、トイレも一味違う!

原田親方新築・トイレ

いつもなら、松葉引きの漆喰の下部は
腰板なのですが

原田親方新築・トイレ壁

可愛いタイルの下部は
ツルツルの漆喰。

原田左研のサイトに泥団子のことが載っているのですが
漆喰を磨くとテカテカ鏡のようにツルツルになるそうなんです。

「・・・これ、泥団子のつくり方ですか?」

「うん。もっとピカピカになるよ。」

すご~い!を通り越して
もう、羨ましい。

ピカピカにすればよかったと思ってしまう。

実は撮影中、親方のお友達もいらっしゃって
一緒に話を伺っていたのですが
その方も感心しきりでした。

やっぱりよく見る新建材の家とは違いますし、
さらに親方自身のお家なので、
もくせい工舎のお家を見慣れている私にとっても
新鮮で斬新なのでした。

そのお友達の方と話をしていて
「玄関に入っても、新築特有の臭い、しないですよね」
っていうと

「・・・本当だ‼」と改めてビックリされていました。

化学薬品臭くないのです。

いやはや、本当はもっとお見せしたいのですが
今回はここまで。

いずれ施工事例として、きちんとご報告いたします。

日田なので、特に見学会もなかったのですが
本当に圧巻の【土の家】。

原田親方新築・壁

親方のご家族への思いと、
職人魂を感じるお家でした。


肉子ちゃん

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


「今度、アニメ化されて映画になるよね?」と本好きの友だちに言われ、

「いや~、原作好きすぎて、あんまり見る気にならんのよ~」
そう答えていた私。

タイトルの"肉子ちゃん"と聞いて
すぐピンとくる方、こない方いらっしゃると思います。

そう。その好きすぎる原作とは
西加奈子さんの『漁港の肉子ちゃん』

文庫本の表紙が、クリムトのような
女性の裸の絵が載っているので
本を貸した友人は
子どもにギョッとされたらしいです。

ちょっと表紙はセクシーですが、
中身は西加奈子さんらしい
痛快さやテンポの良さ。

すごく笑えるのに、泣ける。
今のところ
私の一番好きな小説です。

主人公は、小学5年生の女の子・キクりん。
男にだまされてばかりの母、肉子ちゃんと
流れ着いた北の漁港に暮らしています。

太っていて不細工で、
とてつもなく明るい肉子ちゃん。

ちゃんとしてなきゃ。
他人に迷惑をかけないようにしなきゃ。

年頃になってそう意識しはじめたキクりんには
そんなお母さんがこの頃ちょっと恥ずかしい。

でも、本当は
「ちゃんとした」大人なんていないし、
「他人に迷惑をかけたことない」大人なんていない。

先般、荻上直子監督の『川っぺりムコリッタ』という映画について
書かせていただきました

西加奈子さんの本も
それぞれが「問題(のようなもの)」を抱えながらも
それが一向に解決していないのに

最後は、晴れ晴れとした気持ちになる。

そんな作品が多く、
肉子ちゃんも最後はとても温かい気持ちで
読了します。

私は特に、キクりんが入院した時の
サッサン(肉子ちゃんのバイト先の焼き肉屋の主人)とキクりんのやり取りや

キクりんが、肉子ちゃんに告げる言葉が
何回読んでも泣けてしかたがないのです。

しかも嬉し泣きで。

サッサンが言ってくれた言葉の温かさ。

キクりんの肉子ちゃんに対する思いは

何やかんや色々あっても
それでも「大好き!」そのもの。

生まれてきて
この世に存在していることに

何の条件もなく
OKを出されていること。

そのうれしさに、こちらまで温かくなるのです。

だから、アニメ化されて
見てガッカリしたくない。

・・・が、冒頭の言葉だったのです。

ところがですね、
これがしてやられました。

Amazonのプライムビデオで追加料金なしだったので
先日試しに見て、

本と同じところで
うかつにも泣いてしまった。

サッサンが、もうピッタリ。

肉子ちゃんも出だしこそ、ちょっと違和感ありましたが
それを打ち消して感情移入させるのは
さすがの(肉子ちゃん役)大竹しのぶさんです。

小学校高学年の女子の「グループ」のめんどくささや
キクりんの気持ちの描き方も秀逸。

絵もとてもきれいで

あれだけ嫌がっていたのに
実際にふたりが暮らしていたのはこんな町なんじゃないかと
素直に思ってしまう。

まいったな~。
「あれ、映画みたら、なかなか良かったんよ」
そう友達に謝らないといかん。

年末の忙しい時に、映画の話かよ?
と怒られそうですが
コロナ禍だからこそ、
年末年始は、家でゆっくり映画もいかがでしょう?

Amazonプライム会員の方は、今のところ
追加料金なしの「見放題」のようなので、ぜひ。


いやはや、
毎年のことですが
追い出されるように年末を迎え、
2022年も明日で終わりです。

ウクライナ侵攻など、つらいことも
残念ながらまだ続いています。

その人の価値というのは
何を成し遂げたとか
記録や数字に残るだけのものではなく

居なくなった後の寂しさにあるのじゃないかと思います。

かけがえない誰かと
かけがえない時間を
かけがえない場所で

みんなが温かく過ごせますように。

みんなが、存在にOKを貰えますように。

そう祈るばかりです。

今年もお付き合いいただき
ありがとうございました。

どうか良いお年をおむかえくださいませ。

一年後

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


2021_桜耳のゴマちゃん

わが家に、ゴマちゃんが来てから、一年になります。

当初は先住猫のハチさんと
一体どうなることやら・・・と心配しましたが

とりあえずは一年なんとか過ぎました。

来たばかりの詳しくは→こちら

当初のゴマちゃんは、ハチさんに対して
やや好戦的というか
小さいのに態度はでかいというか
ちょこちょこと
火花が散ることもありました。

これも致し方ないと言えるのです。

だって、気が合うから一緒にしたわけではない。

いくら助けた(つもり)でも
それは人間側の都合であって

猫たちにしたら
強制的に他の猫と、いきなり同居生活が始まっただけ。

気が合うならともかく、合わなければ
猫同士、お互いにストレスでもあったでしょう。

ところがある日、どうも決着がついたらしい。

ゴマちゃんが、ハチさんを上と認めたのです。

体格も腕力もハチの方が上ですが
どちらかといえば
喧嘩をふっかけるのは、ゴマちゃんの方。

人間のあずかり知らぬところで
何かの鉄槌をくらわされたのかもしれません。

それでも、ゴマちゃんはハチさんが好きみたい。
一緒に寝ようとします。

一方、ハチさん的にはNGみたいで、よく断られています。

元々、太り気味のハチの遊び相手になってくれれば
助かるのになぁと思っていたのですが
ハチは全く遊ぶ気なし。

ゴマちゃんは活動的で遊ぶのが好きなので
ハチが構ってくれないからと
こちらに泣きついてきます。

これじゃ、クララ(ハチ)の遊び相手にと
連れてきたハイジ(ゴマ)の、その遊び相手を
ロッテンマイヤー(私)がしているようなものでして

全くこちらの思惑通りにはいっていないのです。

とはいえ、それも猫にしたら
知ったことではない。

ある日いきなり、お外に行く自由がなくなってしまったのだし
そもそも飼ってくれと頼んだわけではない。

本当は自由にしてあげたい。
正直、こちらもその方が助かる。
ロッテンマイヤーの役をせずにすむ。

《こんな所に一軒家》のような環境でもなければ
ご近所の理解なしには難しいのです。

ごめんね、ゴマちゃん。
そしてハチさんもね。

202212_ハチ先輩を見るゴマちゃん
ゴマの心の声:(いつかあのモッフモッフの姐さんとお昼寝するんだ~)

救いは、ハチ先輩を見るゴマちゃんの目線かもしれない。

いつか一緒にお布団でぬくぬく
ひっついて寝るぞ!

そんな決意を感じさせる
一年後の元野良さんズでした。

また、本格的に厳しい冬がやって来ました。
同時に、野良さん達の正念場が始まります。

もっともっとか、ぐるぐるか。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


お金は、万能引換券なんだなぁ。

最近そう思います。

生活の、暮らしのあれこれを
なんでも自分で器用にこなせる能力があれば良いのですが
そうでない場合、得意な誰かにやってもらう方が良い時があります。

物々交換だと、こちらの手元にあるものが
相手の欲しいものでない時困るので
何にでも使える万能券がお金かなと思うのです。

その万能券をいかに効率よくゲットし、増やしていくか。

色々なノウハウや情報が出ていて
なるほどとも思うのですが
ついていけない自分がいます。

聞けば聞くほど、疲れる感じ。

月収いくらだと終わったなんていう言葉も
心がザワザワするのです。

お金が万能券なんだとすれば
自分の暮らしを、自分でなんとかやりくりできる人は、
万能券はそんなに必要ないとも言える。

なんやかんやと、ゆるやかな
暮らす土地の人とのかかわりがあって
野菜を分けてもらったり、助けてもらえる人は
万能券をちらつかせずすむのかもしれない。

万能券がないと生きていけないのは
たぶん、そういう意味で
私自身の自給率のようなものが
この国のように低くなってしまっているからなのではないか。

万能券を大量に稼いで
大量に消費して。
もっともっととせかされて。

その中に、本当に心から大事にしたいものが
どれくらいあるんだろう。

とは言え、自給自足で何でもこなせるほど
器用でもなく、根性もない私。

小さな自分の畑ですら
サツマイモ植えるくらいがやっとなのです。

そんなヘタレな私でも、イモヅル20本植えただけで
食べおおせないほどの収穫があります。
不思議なものです。

土が、増やしてくれたのです。

下手くそながら収穫するときは
なんだか「分けてもらった」ような感じがあります。

収穫後の芋の葉は、畑にふせておくと
いつの間にか土になっています。

もっともっとと、一方通行の
消費ばかりする世界とは違い

自然はぐるぐる回ってる。

自然にとって良いことをすれば、
良いことが回ってきて、

悪いことをすれば、
思わぬしっぺ返しをくらう。

もっともっとと、右肩上がりでないと許してくれない世界は
役に立つか、意味があるかばかりの世界で

ぐるぐる回る自然な世界は
なんやかんやと、実はなにかの役に立つ世界。

私的自給率をあげねば!と息巻くのではなく

少しずつ、自分の手でできることを増やしていくのは
自分の手を信じることにつながるのではないか。

自立するというのは
万能券だけの話でなく
自給率をあげたり、
券などなくても
人に頼ったりできる力のことなんではないか。

万能券を稼ぎ、右肩上がりに生きることも
自分の自給率を上げ、たくましく生きることも
私は、両極端にはできないけれど

どちらかを選べと言われれば
できたら、ぐるぐる生きたい。

ぐるぐる生かされて、
その仕組みの中に生かされてきたことを
ありがたがって死にたい。

半世紀ほど生きて、
今はそう思うようになりました。


ここ、しりませんでした

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


連日出かけたネタになってしまいますが、
万が一、万が一、「行ってみようかな?」という
物好きな(?)方が居られるかもしれませんので
本格的に寒くなる前に、書くことにします。

いつも気を使って、焼肉に行くときは
「たまには外で飲めば?」と
運転手を買って出てくれる長男。

その恩返しではないけれど
いつか暑くも寒くもなくなったら

「海に行って、真昼間からビールでも飲めば?」
と言っていたのです。

それを、先日の小春日和に実行したのでした。

国東の方で、日陰もある程度あって・・・
と探していたら

・・・うん?お尻岩?

・・・これは見に行かねばなりませんよ?

紅葉シーズンだというのに、
他にもこの時期ならではのお出かけスポットだってあっただろうに

もはや、お尻一択です。

「ちょっと、お尻岩なるものを見に行こう」

「はぁ??」

困惑する倅~ズ(セガレーズ)を連れて
向かった先は、国東。
「道の駅くにさき」からちょっと行った黒津崎海岸の辺りです。

海水浴場もあり、駐車場もあるので、
とりあえず唐揚げやビール等々を買い込んで
青空の下、海を見ながら昼食となりました。
(もちろん、ビールは長男だけ)

カシュッ。ぷは~!
「ハ~!ビールっち、一口目が旨いよね!」

念願叶い、嬉しそうで良かったです。

2022_11_osiriiwa_sea_2.jpg

山や畑ばかり見て暮らしていると、
たまに見る水平線に、驚きます。

地球っち、本当に丸いんやな!とか、
これをず~っと、ず~っと行くと、
アメリカとかどこかに行くんやな!とか。
(その前に着くのは、対岸の四国だけれど)

海を境に、どこかに繋がっていることや
地球儀でみるような、あの地球に住んでいるんだと
実感できて、改めて驚くのです。

海

お弁当の唐揚げを狙って、上空を旋回するトンビもいて
いつもと違う日常を満喫しました。
解放感とスリルの二本立てです。

美味しかったのか、長男が空けたビールは3本。

「・・・ふにゃふにゃする~」

「・・・大丈夫かい?海にだけは落ちんでよ」

半酔っ払いを連れて、海岸に降りていくと

見えてきたのはこれ!

お尻岩

ワハハハハハハハ!
お尻だ!本当にお尻だ!

まさしくお尻以外のなんでもない岩を見て
爆笑です。

お尻岩

こっちから見ても、お尻。

すごいなぁ~。これ、自然にできたんだよなぁ~。

お尻岩

セガレーズは二人とも175㎝近くあるので
どれだけ大きい岩かお分かりいただけると思います。

いやはや。

混雑をかいくぐって紅葉やテーマパークも良いですが、
あまりお金をかけずに
びっくりして楽しいものを見に行く。

そんな休日もなかなかです。

私が死んだ後、セガレーズにも
「なんか、お尻の形の岩を見せられたよね」
って笑ってもらえたら良いです。

お近くにお住まいの方も
そうでない方も、
なんでも魔除けと縁結びのご利益があるらしいので

ぜひ、寒すぎず暑すぎない時に
お尻岩まで。

なお、事前に干潮かどうかは要確認です。
(お尻だけに?)

ムコリッタ

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


先般、映画を観に行きました。

荻上直子監督の『川っぺりムコリッタ』という作品です。

『かもめ食堂』や『彼らが本気で編むときは、』などが
有名な監督さん。

中でも私は『トイレット』という作品が大好きで、
その流れで『彼編む』、そして今回の『ムコリッタ』と
続いたのでした。

『トイレット』は【映画 トイレット】で検索すれば
まだ予告編を見ることができます。

バラバラな3兄弟(カナダ人)
もたいまさこさん扮する、無口な"ばーちゃん"(日本人)

言葉が通じないながらも、日々暮らす中で
伝わってくる、ばーちゃんの思い。

「ホントウの自分でおやんなさい」と
背中を押してもらえるような作品です。

荻上直子監督の作品は
それぞれ色々な「問題」を抱えながらも、
その問題がいっこうに片付いてないにも関わらず(!)
最後はちょっと笑えて、なぜか晴れ晴れする。

「まぁ、明日もがんばりますか」
そんな気持ちになる映画です。

努力と根性で
主人公が困難に立ち向かって
現状を何とかしていく!

そんな映画も魅力的ではあるのですが
気力も体力もなくなっている時は
美味しい白むすびのような話がしみじみくる。

現状打破やガンバリズムは
下手をすると
「だからお前も見習えよ!」
「だからお前はダメなんだよ!」
と、なりかねない。


誰とも係わらず生きていこうとしていた孤独な山田(松山ケンイチさん)
その山田の隣の部屋に住む、ちょっと図々しい島田(ムロツヨシさん)
おそろいのスーツで墓石を売り歩く溝口親子(父親役:吉岡秀隆さん)
色々ありそうなハイツムコリッタの大家の南(満島ひかりさん)

山田の楽しみの、風呂上がりの冷えた牛乳。
炊き立ての白いご飯。
島田のお手製のお漬物。
溝口親子のすき焼き。

劇中には
荻上直子監督作品ならではの
美味しそうな食べ物がたくさん出てきます。

それが「生きること」だとしたら
相対するように「死ぬこと」も出てくる。

相対する、というのは違うかもしれない。

繋がっている「生」と「死」
その曖昧な間(はざま)をムコリッタという仏教の時間の単位に当てはめてみたとのことです。
刹那(せつな)、多刹那(たせつな)、臘縛(ろうばく)、牟呼栗多(むこりった)。
ムコリッタは、一日を30で割ったもの。1/30日(にち)


元々は荻上直子監督がNHKで
行き場を失った遺骨についての番組を見たことがきっかけの一つだそうで
(劇中にも少しグロテスクなシーンがあります)
見終わった後、自分なりに少々考えてしまいました。
(モヤモヤと嫌な気分にならずにすんだのは映画の雰囲気のせいかもしれません。)

劇中にも川っぺりで暮らすホームレスが
大雨で流されてもニュースにもならないことが出てきます。

それで思い出すのが
『おじさんと河原猫』という太田康介さんの本。

こちらは多摩川の川っぺりの話。
多摩川の河川敷には、そこで暮らすホームレスの人たちを当てにしてか
捨て猫が多いそうで。

大雨の時、ホームレスの高野さんが
みんなが避難しているにも関わらず
猫が心配で川っぺりに戻って行方不明になっていることが
載っていました。

「住民登録」していない=「住民」ではない。
だからニュースにもならない。

勝手に猫を捨てていく無責任などこかの「住人」と
猫の命と、おじさんの命と。

上手く言えないですが
なんだか沸々と腹立たしいような気持ちになるのは
私だけでしょうか。

やれ成功だ。やれ勝者だ。
役に立つだ、立たないだ。
意味があるとか、ないだとか。

世間でいうところの華々しい世界のことが
声高に叫ばれる中で

だから、なんなのかと言いたくなる。

命のことを
分かりもしないで、知りもしないで。
(かくいう私も!)

文才がないからでもありますが、こういうことって
言葉で言えば言うほど
腹の底というか、腑というか、
どんどん何かの根底のような、根本のようなものから、
どんどん離れて行ってしまうような気がします。

ただただ、

ただ生きて、いつかそれが終わりを迎える。

その間の時間を、誰かの、何かの天秤にかけられて
良いだの悪いだのジャッジされる必要があるのか
私には分からないのです。

一人で食べたご飯が美味しい時も、
誰かと食べたご飯が美味しい時も、

分かってもらえず泣いた時も、
分かりようがないけれど、誰かと寄り添っていた時も、

その時、その時間、その積み重ねが
その人の人生と言えるのなら、

その良し悪しなんて、本人が人生のおしまいに
「どう思うか」でしかないような気もするのです。

ぜひとも、映画館で!と言いたいところですが
「そんな暇ない」?

それも、それぞれの時間であり、使い方。
それぞれの「大事」を生きている。

私は知りたいし、心を動かしていたい。

慣れると分からぬ。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


私事ですが、鬼の霍乱か。

先日、緊急手術&入院いたしました。

2~3日、腹部に差し込むような痛みがあり
ずっと我慢していたのですが
ちっとも良くならず。

おまけに熱まで出たので
「炎症してるのかも」と思い、受診したのです。

お腹にプラムくらいの塊があって
それが悪さしていたわけですが
そんなこんなで一週間強入院。
自宅をしばらく離れていたのです。

10年ほど前に建て替えられた病院はピッカピカ。

子ども達が小さいころ何度も入院していた当時は
病室ももっと狭かったような。

4人部屋でもゆったりとして、トイレ等も綺麗。
自由がない以外は、すこぶる快適だったのです。

もくせい工舎の広告を書き、
またOB客でもある私ですが
実は、「自然素材」とか「木の家」にこだわって
家を探していたわけではありません。

私自身、特に化学物質に過敏だったり、
アレルギーがあるわけでもないので
実はコンクリート製だろうが何だろうが
割と適応して快適に過ごします。

「木の家が心地よい」とは言っても、
「木の家じゃないから気持ち悪い」とまでいかないのです。

ところが退院して、わが家の玄関を開けた途端、
まさしく「木の家」の匂い!

あれ、こんなに匂っていたっけ?

お施主様ならお分かりいただけると思いますが
木の家の木の匂いって
ず~っと実感しているものではない感じ。

え~?
「木の良い香りに包まれて・・・」なんて宣伝では言うのに
なんだそりゃ?と思われるかもしれません。

実は、匂いって慣れたら感じなくなるのです。

嗅覚が働かなければ、「美味しそう」か「腐ってる」かも分かりませんし
「いつもとは違う」匂いに反応できないと危険なこともあります。

しかしながら、いつも嗅ぎなれた匂いは慣れて「順応」します。

慣れた匂いなので気にしなくてOK!を
出さないと、いちいち反応していては、疲れ果ててしまいそうです。

反対に
自分の家の匂いは気にならないのに
人の家の匂いや、ペットの匂いなどは気が付くのは
「順応」していないからです。

だから久しぶりに帰って来て
病院にはなかった「木の匂い」に
我が家ながら気が付いたことになります。

もくせい工舎の完成見学会にお越しになると、
最初あまりにも清々しい木の香りと、
漆喰の優しい雰囲気に驚かれることとと思います。

私のように初めから健康志向や自然志向など全くなかった方も
人によっては、「あぁ、私が住みたいのはこんな家だ!」と
気が付かれるかもしれません。

そういった方には、本当に木の家があっているのだろうと思います。

私の家を訪れる人も、「わぁ~」といって喜ぶ人も
全く家には興味のない人もいます。

どちらが良いとかいうわけでなく
本質的に自然なものが好きか、関心がないかというだけです。

関心がないものには、ふつう気が付きません。

自然素材の家や健康住宅に住んでも、
病気になることだってあります。

自然素材の家に住んだからと言って
死なないわけではありません。

でももし、本当の自然素材の家をはじめて見た時に
心の底からふくふくと何か湧き出る感じ、
「あぁ、こんな家に住みたい!」っていう気持ちになるのなら

それはきっと、
木の家で暮らすことが
その人にとって必要なことなのかもしれません。

木の家に【向いている人】っていると思いますよ(*^^*)


もうすぐ完成見学会

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


先日、お家の完成写真を撮影に伺いました。

10/1・2に見学会を開催させてい頂くお家です。

もくせい工舎のチラシは、いつもパース。
写真がないのです。

10/1・2自然素材の木の家・中津市の完成見学会

予約制のため、早めに告知する必要があること
完成したら、なるべく早くご家族にお渡ししたいこと

そんな理由から、完成→撮影→広告作成→見学会
・・・なんて、のんびりできないのです。

とはいえ、どんなお家か分からないと
「予約」って敷居が高いやん!

そう思われるお客様もいらっしゃると思いますので
とりいそぎ、一部だけちらっとご紹介させていただきます。

10/1・2自然素材の家完成見学会会場・外観

秋ですね~。空がウロコ雲!

漆喰の壁と屋根瓦の色合いが、かわいい外観です。

10/1・2自然素材の家完成見学会会場・手洗い場

新しい生活習慣で、こういう仕様も増えてきそうな手洗い場。

陶器の手洗い鉢がとても味わい深い。

お客様にも、手にシュっと消毒より喜んでいただけそうです。

10/1・2自然素材の家完成見学会会場・小上がりの畳スペース

小上がりになって、下に収納のついた畳スペース。
リビングと一体になっているのがいいですね。

10/1・2自然素材の家完成見学会会場・ロフト

秘密基地ロフトから見た風景。
この、ちょっとした空間の余裕がありがたいのです。

10/1・2自然素材の家完成見学会会場・裸電球風

裸電球風の照明器具。

これがどちらについてるか、探してみてくださいね。

レトロで可愛い!

見学会は予約制となっております。

詳しくは→こちら!

永く住める家

木の家でお待ちしております♪

リスク

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


『猫も老人も役立たずでけっこう』という養老孟司さんの本があります。

その中に、とても興味深かいお話が載っていました。

子どもが増えないのは、根本的に都市化と関係していると考える養老先生。

かいつまんで言うと、

都市というのは意識の世界。
意識の世界は不確定要素の多い自然を嫌う。

人工的な世界は、まさに不自然な世界。

でも、子どもは自然そのもの。

どうなるかなんて分からない。

「ああすればこうなる」ってわけにはいかないから
そんな風に考えてたら減るに決まってる。

少子化は
人々が意味で満たされた、意識の世界に住み着いて

自然と対峙する方法を忘れてしまったからじゃないか。

詳しくは『猫も老人も、役立たずでけっこう』の
「東京は消滅する?」の章をご覧ください。

今回取り上げたのは、少子化なんとかせにゃ!という話ではなく

「ああすればこうなる」と頭で考えることについて
考えてみたかったからです。

子どもの教育費にいくらかかる。

そう言われると、やっぱり引きます。ドン引きです。

とはいえ、いつから子どもはリスクになっちゃったのか。

それくらい掛かってもいいなら
産んでよし。育ててよし。
なんて投資みたいな話なんだろうか。

私は、(今回は)縁あって親になりました。

育てていて、何も辛いことがなかったわけではないけれど
その何倍も、教えられることも多かったです。

もう少し、こうだったらいいのにな。

わが子に対して要望がないわけではないけれど、

「全く問題ない子どもと取り替えてやる」
そうカミサマに言われても、断ると思います。即レスで。

だって嫌ですもん。連れていかれたら。
大谷翔平と取り替えるって言われても
やっぱり嫌だ。さみしい。

良い所も、残念なところも含め
一緒に過ごしてきた二十年そこそこの時間というものは

リスクかと言われれば、決してそうではないからです。

ただ、先行きが分からない中、経験もない中、
「ああすればこうなる」と頭ばかりで判断すると、

目の前の
どうなるか分からない世界は、リスクに写るでしょう。

でも、リスクだと思い込んでいることにも
なんらかの学びや、経験があるのって、
土が豊かになるように
その人自身や人生を豊かにしてるのかもしれません。

だから
「どうなるかわからないこと」嫌う意識の世界は、
それこそが不自然な世界だというのは
とても面白かったのです。

とはいえ、意識の世界を擁護しようとすれば
「現状を何とかしよう」と創意工夫してきた世界とも言えます。

もっと良いものを
もっと使いやすいものを
もっと簡単なものを
もっと安いものを

意識の世界は、もっと、もっと、もっと。

もっともっとと、右肩上がりでないと許してもらえません。
(「停滞」「伸び悩み」と問題視されるので。)

そんな中、
「ああすればこうなる」はずでやって来たことで
思いもしないほころびが出るのは

やっぱり、人間も「思いもよらない」自然の一部だからなんでしょう。


自然は、いつもこちらの都合よくは行きません。

子どももですし、人間関係だってそうなんだと思います。

じゃ、リスクだけかというと
やっぱりそうじゃない。

「ああすればこうなる」と計算ばかりしてると
本当はどうしたいのか
分からなくなってしまう。

死ぬときに、
計算通りうまくいった。
損はしなかった。

そう思えたとしても、残ったお金を抱えて
私たちは天国だかどこかには行けません。

この世に生まれて、「何の無駄もなく」
「何ひとつ損をしない」人生って、本当に豊かなんだろうか。

例えるなら
枯れることを嫌って、造花を飾るより

いつか枯れても、本物の花の方が
私は好いです。

良い香りや、キラキラと生きる気配、

そしていつか枯れても、

土に還り、その土を育てることも、

かけがえない、素晴らしい世界!

自然は、もっともっとではなく
循環する。

ぐるぐるぐるぐる、
いつか豊かになって戻ってくる!

もっともっとと、言われる世界より
肩の力も抜けそうです。


リスクと言われれば、リスクともいえるけれど

【決して損をしない】【無駄なものが何一つない】造花のような生き方よりは

なんて豊かなんだろうと

私は思います。

大工は大工の。言葉はつたわるか。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


「大工と話すときは、大工の言葉を使え」
そう言ったのはソクラテス。

それを用いて

「コミュニケーションは受け手の言葉を使わなければ成立しない。
受け手の経験にもとづいた言葉を使わなければならない。」

そう言ったのは、ピーター・ドラッカーです。

言葉が通じても、心まで通じるわけではない。

そう思うことがあります。

反対に、言葉は通じなくても、心が通じるような時もある。

心が通じる!までは大げさでも
「あんたのことは、よ~分からんけども、OKだ」と
承認されたような心地になる。

そんなことはありませんか?


どんなに同じ言語で話しても、通じないこともあれば、

「言葉」の通じぬ赤ちゃんや、犬猫や、外国の人に
言葉以上のOKを貰える時、

言葉はあくまで「道具」や「ツール」の一つに過ぎず
絶対ではないのだなぁと実感します。


ウクライナ侵攻が始まったとき、ショックでした。

いきなり、なのだと。

いきなり、何もかも壊されるのだ。誰かの正義の名のもとに。

兄弟国とまで言われ、言葉も通じるのに。

「やめてくれ」といってるのに。


そんな中、ウクライナのゼレンスキー大統領の
戦禍の中からの言葉は、なんと伝わりやすかったか。

世界一貧しい大統領と言われたホセ・ムヒカ元大統領(ウルグアイ)もそうでしたが
言葉は違えど、伝わりやすい言葉を使う人がいる。

それは何故か。

それは、私たち民衆の側に立ち、私たち民衆の言葉で伝えようとしている。

大工は大工の、と言ったのは決して社会的立場だけの話ではないはずです。

「誠に遺憾です」「断固抗議します」
「おっしゃる通りです」

言葉は正しくても、全く温度を感じない時がある。

それは何故か。

育ちのせいかもしれませんが、
(少なくとも私は)頭の中で考える時、心で感じる時
遺憾とか使いません。

残念だという意味やニュアンスは分かるけれども、
どことなく違和感を覚えるのは、
使い慣れないからかもしれない。

もしくは、発する側の「温度」や「熱量」の影響かもしれない。




以前、PTAで県内の女性代表が集まる会議に出たことがあります。

そんな中、代表の方が仕事で出席できないからと
「事務局のものなんですが...(笑)」と代わりに出席された女性がいました。

会議で意見を交換する中で、その方が

「・・・えっと、ちょっと方言丸出しになるんですが、
いつも使っている言葉で言っていいですか?

なんか、きちんとした敬語で話そうと思うと
自分の心と違う感じになるんで」

と前置きして、いつもの、
友達に話すような言葉で話し始めました。

何故かそれがとても印象に残ってて、
みんな笑って、その場の雰囲気がすごく柔らかくなったのを覚えています。


発する側の温度が温かければ、言葉はいらないかもしれない。

逆に
発する側の温度が低ければ、言えば言うほど・・・ということも
あるかもしれない。


正しさより、まずは温度。・・・た、態度もかな(^_^;)

どういう思いで言っているか。

それが大切なんでしょうね(^_^;)

言葉って難しい、です。奥が深い。

信じるということは

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


信じるということは、
闇雲に、盲目的に、
誰かの
何かの
言いなりになることなんだろうか。

最近、ちょっと考えてしまいました。

「言いなり」という言葉はともかく、

おっしゃる通り
言われたとおり
それを疑いもしないで行うことが
「信じる」ということなのか。
私にはよく分からないのです。


「こうしないと、ひどいめに遭う。」と脅すことも

「こうしていれば、幸せになれる」と優し気に言うことも

どちらも「言うとおりにしていれば」が前提で
結果や成果が現れない限り
「おまえの努力が足りないからだ」と言われる。

ムチを恐れて、言いなりになることも
アメを欲して、言いなりになることも

それは、本当に「信じている」ということなんだろうか。

大人と子どもに例えれば分かりやすいのですが

罰を恐れて大人の言いなりになる子
愛情や関心、もの欲しさに大人の言いなりになる子

それは、大人を信じているんだろうか。

言うことをきかないと
ひどい目にあわす大人

言うことをきかないと
愛してさえくれない大人

そんな大人の顔色ばかり気にして
弱い立場の子どもは、
いつ、心から安心できるのだろうか。

仮に、状況によらず
【幸せな状態】というものが、
安心していられること、
心やすらかなことだとすれば、

子どもを安心させてやれることが
大人の、さらには何かの、役割なのかもしれない。

どんなにあなたのことを信じているか
どんなにあなたのことを愛しているか

それを饒舌に語れる人間が
それを語らない人間より
本当に「信じている」と言えるのか
私にはよく分からないのです。

以前、カメラ片手に
朝日が昇るころ、風景写真を撮りに行ったことがありました。

待ち構えていると、
東の空がだんだん明るくなってきて

目の前の田んぼや、山々を
お日様の光が、まんべんなく照らしていきます。


カメラを構える私にも
コスモスの花々にも
雑草にも
土にも

同じように陽が当たっていく。

「あぁ、分け隔てなくって言うのはこういうことなんだ。
いじけて陰に隠れてさえなければ
どんなものにも
こんな私にも
同じように光は当たるんだ。」

と、妙に納得した瞬間でした。

とはいえ、俗世にまみれて
日々不平不満ばかりの私ですので
すぐ忘れてしまうのですが

「信じる」ということの本当は
明日も日が昇ることを
疑いもしないことに似ているんじゃないか。

明日お金が無くなる心配はしても、
なぜか
明日空気が無くなる心配はしない。

それは、
明日も同じように空気があって
同じように生きていることを
疑っていないから。

信じているから。

少なくとも
ムチを恐れず
アメに振り回されず

自分の心を安心させる術を
私なりに
少しでも身に付けたいと思います。

偽物は脅す
偽物は焦らせる

心配に似た
親切に似た

「あなたのため」という名の
【支配】もあるかもしれない。

どんなことにも。
どんなものにも。
お互いに。

信じていれば簡単なんです。
なぜなら自分で考えずにすむから。

そう言ったのは誰だったっけ・・・。

たけおさんぽ ③

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

武雄さんぽ、続きでございます。

念願の、森のような喫茶店【山閑人】を後にし
とりあえず、ホテルに戻って
近場をウロウロすることに。

当初の予定では
山閑人で早めにご飯を食べ、その帰りにビールを買い、
夜のんびり飲もうと決めていたので
あまり遅くならないうちに
戻りたかったのです。

部屋に戻り、ガイドブックを見てみると
有名な武雄温泉の楼門まで、それほど遠くなさそう。

散歩がてら見に行って、
ついでにビールも買ってきましょう。

西九州新幹線開業に伴い、今年の秋に
新幹線が乗り入れることになった武雄駅はピッカピカ。

人口およそ4.8万人と、中津市の半分強ほどですが
新幹線は乗り入れるわ、
世界的な建築美を兼ね備えた公立図書館はあるわ、
スタバは2ヶ所もあるわ・・・。

人口だけで判断するには、
なかなか侮れない、武雄市。

大きなデパートや、銀天街があるわけではありませんが
駅周辺はこじんまりとしながらも
やっぱり観光温泉地の風格です。

温泉宿が立ち並ぶ路地を歩いていくと、
見えた、あれだ!

楼門

「千と千尋の~」ではありませんが、
いきなりこれが出てくると、異世界に来たような不思議な感じがします。

楼門屋根

ここから先は、別世界。

八百万の神様が集う、お湯屋に違いない。

券売機で券を買っている、あの"おいちゃん"も
きっと人の姿をした、どこかしらの神さんに違いない。

楼門の屋根

・・・と、なんとなく入りにくい感じもして
外から見学することに。

楼門の翼屋

竜宮門から伸びる翼屋も、エキゾチックな趣。


設計は、唐津出身の辰野金吾氏。
あの、東京駅の設計者です。

(最近、グリコ森永の創業者も佐賀生まれと知り、ビックリしたばかりだったので
佐賀=業界でグイグイ活躍!のイメージができてしまいました。)

楼門

見事ですよね~。

天平式楼門と呼ばれ、なんと釘を一本も使っていないのだとか。

竜宮門なので、一部は漆喰。

もくせい工舎も漆喰を使うので、

もくせい工舎の漆喰の壁

ちょっと醸し出している雰囲気が似てますね。

モルタルだと、似たように作っても
何か違う気がします。
汚れ方も、古くなり方も違う。

素材の質感が、手ざわりにも
雰囲気にも影響するんだと思います。

素材の質が、空間の【佇まい】をつくる。
すごいなあ。


楼門で、お風呂にも入らず写真を撮りまくり
さて、どうしよう。

散々歩き回って、お腹もすきました。

焼き鳥屋と猫
(テイクアウトの宅配担当でしょうか?ぐっすり待機中のクロネコヤ●トさん。)

う~ん。おいしそうだけど
焼き鳥の匂いをプンプンさせて
ロビーとエレベーターを通過するのも
なんだかなぁ。

しばらくすると、雑貨屋さんのドアの前に
【デトックス薬膳カレー】の文字。

デトックス!

・・・そうとう毒も溜まってたんでしょうか。
吸い寄せられるように店内へ。

そこは、昔ながらの喫茶店+雑貨屋【中村屋】さん。

時間が時間だったので
「・・・あの、食事できます?」

「6:30から集まりがあって、ここを使うんですが
それでもよろしければ。」

うん。一時間くらいはある。

中に入って、薬膳カレーを注文しました。

店内には東南アジアの
エキゾチックな雑貨がいっぱい。

どこの国か分かりませんでしたが、
東南アジアの方の、写真もいっぱい、
壁一面に貼られていました。

(・・・何か支援している人なんだろうか?)

年配の優しそうな女性店主が
店の奥で手際よく、作ってくれている音がします。

ご近所さんか、顔見知りか
テーブルの、お客ではなさそうな女性と話しながら
あっという間に作ってくれました。


「辛かったら、これで調整してください」

そう差し出されたのは、クルミをバナナで和えたもの。

デトックス薬膳カレー

このカレーがですね。

本当においしい。

色々なところで薬膳カレー食べる私ですが、
一番好みだった。

スパイスがとがっていて、コクがないとか
辛いだけ、とかじゃなく

スパイスしっかり、
旨味しっかり、おいしいカレー!

ちょっと辛いので、混ぜたバナナとくるみが
これまた美味しい!

外から見ると、おしゃれエプロン並べた
昔ながらの喫茶店&雑貨屋さんなのですが、

意外に、といったら失礼ですが、
意外なほど美味しかった!


後で調べたら、店内に貼っていたのは
カンボジアの写真のようで。

一ノ瀬泰造さんという、武雄出身の写真家をご存じでしょうか。

私は名前は知らなかったのですが、
「地雷を踏んだらサヨウナラ」のフレーズだけは
聞き覚えがあって。

昭和22年生まれの報道写真家、戦場カメラマンで
昭和48年に、クメール共和国にて
残念ながら、遺体で発見されています。

S22年のお生まれとのことですから
私の母とほぼ同世代です。

その方の写真展が武雄であった時、
イベントとしてカンボジアカレーを
期間限定で出していて、とかまでは分かったのですが
お店と一ノ瀬泰造さんとの関係や、
貼っていたのが本当にカンボジアかは
はっきり分からず・・・・。

でも、店主の女性も
年齢的には母と同世代くらいだったので
何かご縁があったのかな、と妄想してます。

山閑人さん然り、
中村屋さん然り、

色々な物語がありそうで、
奥が深い。武雄。


「あ~、明日は息子を迎えに
佐賀市内に戻らんと!」

ドラモリでビールを買い込んで
見上げた武雄の
夏の夕暮れは

202206_takeo_sky.jpg

綺麗な青が広がっていました。

「ついで旅」とは言え、旅はいいなぁ。

縮こまってしまいがちな世界を
少し広げてもらえました。

(ちなみに、後日Googleからのお知らせで、この日は、4時間半歩いていたようで。
私のウォーキングの、9日分相当でした。どうりで筋肉痛・・・。)


たけおさんぽ ②

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

前回に引き続き、武雄珍道中のお話でございます。

武雄市立図書館で、
さんざん武雄市民をうらやましがって、ふと時間を見ると
チェックインの時間も、そろそろ。

ちょと行ってみたかった喫茶店が
少し離れたところにあったので
とりあえず先にチェックインして、

部屋を見たうえで出かけなおすことに。

ビジネスホテルなので、足りないものとか
あるかもしれませんしね。

暗くならないうちに写真も撮りたかったので、
早々に出かけることにしました。

皆さんは、カフェとかご飯屋さんを探すときに
どうやって探しますか?

私は、Google検索で
【カフェ 景色が良い 見晴らしが良い 居心地が良い】
などと入力して、レビューの真偽を吟味の上、出かけます。

味も大事なのですが、とにかく
景色が良いことや、居心地の良さは必須!

それが良ければ、味はまぁ、美味しければラッキーくらいなのです。

そのGoogle検索ならぬ、ことりの母さん検索にヒットしたのが
武雄市朝日町の【山閑人】さん!

どんな所かというと~

アプローチ
アプローチは、こんな感じ!

ちょっと近寄りますね↓

アプローチの花

緑のトンネル、小さな小道、かわいい花々、
手づくりの外灯!

これは、もう期待できますよ!

アプローチの木々の間を入ると
店舗までの階段までに
あるわ、あるわ、味わい深いもの(笑)

外灯

看板

店舗入り口付近

こんなに手づくりの可愛らしいものばかりに迎えられて。

嬉しい限りです♪

・・・と、ここまで書いておきながら
ふと気になった。

・・・どんな人なんだろう。

オーナーさんらしい年配の女性が
カウンターに時折現れていたのですが
主に店内にいたのは、きっとバイトの方。

こういう空間を、
看板から何から、味わい深く手づくりする雰囲気を、
行った当初は(うかれてて)そこまで考えもしなかったのです。

難しい時代になって、
お店の紹介になるからと何でも勝手にできませんので
詳しくは、【山閑人 ブログ】で検索して頂くと、
山閑人ママの記事が並びます。

きっと、時折現れたあの女性が、ママさんなんでしょう。

私も先ほど、ちらっと目を通した程度なので、
詳しくはそちらで見ていただくとして。

・・・う~ん。ブログも奥深いですよ。

なんでも、父さんが倒産して、廃材で
大きな岩の上に建てた「我が家」が前身なんだとか。

30周年記念の記事に、土を掘り出し、
廃材を運び・・・と写真が並ぶのですが

・・・なんでやろ、すごく羨ましいのです。

積み重ねてきたご苦労や、これまで試行錯誤しながら
やってこられたことを、
部外者の私が分かるはずもないのですが

この、濃密さというか
人生の濃さって、なんなんだろう。

誰かと一緒に何かを作り上げる、って
すごく奇跡的だと思うんです。

そういう【出会い】なくしては、成り立たないような。

【出会い】がないことを理由に、自分には無理だったと
言うこともできるのですが

それを成し遂げる、って努力とか根性以前に
もう頭で考える範囲を超えている感じがする。

とにかく、やるんだ。

なんだけど、それすらも
頭で考えていない。手が動く。足が動く。体が動く。
理屈じゃない感じ。

無我夢中って、こういうことじゃないか。

成し遂げねば、というのは
きっと「我」の話で
理屈抜きで動くとき、自分でもよく分からないけれど
夢中になってやったことって、
人智を超えているというか、奇跡的だと思うのです。

空間は、その人の周りに広がる景色は、
その人の意識が働いている。

そうだとすれば、山閑人という喫茶店の
雰囲気は、オーナー夫妻の
世界観の表れでもあるってことですよね。

それが、人々を魅了し、癒しているのって
本当にすごい!

それでまた、ブログの写真もとても良い!

写真って、上手い下手以上に
その人の「目線」が出ると思うんです。

その人が、何を見、何を気にしていたか。

写真の撮影者は
おそらく山閑人ママさんなんだと思うのですが、

木の洞に降り集まった桜の花びらや
桜の木の小さな新芽・・・。

お話しする機会もありませんでしたが、
目線がとても、優しいのです。

気が向いたら、ぜひ山閑人ママさんのブログも
ご覧ください。

もくせい工舎が気になる方は、
こんな雰囲気、お好きじゃないかな。
そうだといいなぁ~(*^^*)

階段から
ノウゼンカズラでしょうか?暑い夏に、パッと華やかで、きれい。
・・・それにしても、ここ、岩の上だったのねぇ~。

ちなみに、当てにしていた食事は
コロナの影響もあってお休み中とのこと。

美味しいお水で入れた、美味しいコーヒーと
ケーキは頂いたのですが

・・・困ったな、当てにしていた
ご飯がない。

せっかく武雄に来たんだから、
これぞ!ってものが、できたら、できたら食べたい!

次回、おばちゃん半一人旅。
孤独にグルメなるか?

続く

たけおさんぽ ①

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


先般、子どもの部活動の送迎で佐賀入りすることになりました。

子どもは一泊二日。
さて親は。
翌日も連続で往復するのか、考えましたが
時間と燃料費うんぬん鑑み、
ついでに以前から一度行ってみたかった
武雄市図書館に行ってみることにしました。

つまり、ついでに半一人旅です。

おまけのついでにブログの記事にすれば
取材みたいなもの(?)。
つまりれっきとした仕事ってことになります(多分。)

いつもと違う、番外編。
今回は、武雄散歩にお付き合いくださいませ。

佐賀には佐賀サンライズパークという
色々な競技に対応した大型のスポーツ施設があり、
九州各県から多くの選手や関係者が集まります。

数日にわたる試合ともなると
周辺のホテルは満室御礼状態。

当然、選手ではない親の部屋など取れるわけなく、
「仕方ないな~」とニヤニヤしながら
武雄に宿泊したのです。

あ~、嬉しい。
嫌々ではなく、旅だなんて久しぶり。
前回宿泊したのなんて
PTAで宮崎に総動員された時くらいですから
行きたくて行くのは、十数年ぶり!

嬉しいに決まってる!

佐賀市内から武雄までは、下道で45分前後。

中津から行橋手前くらいまで、といった感じでしょうか。

カーナビがないので、Googleマップ頼みで
ようやく着いた武雄市立図書館!

武雄市立図書館

後ろに見える特徴的な山は、御船山。
これが見えると武雄~って感じがします。

武雄市立図書館は、図書館と蔦屋書店とスタバが併設された
いまや武雄の観光名所ともいえる場所。

公式ガイドブックによると
世界で最も美しい書店に選ばれた【代官山蔦屋書店】を手がけた
CCC(カルチャ・コンビニエンス・クラブ(株))と武雄市が
タッグを組んで2013年にリニューアルオープンしたとのこと。

ニュースで知って、「わぁ~、行ってみた~い」
そう思ってから、なんと9年近く(笑)

やっと念願かなったわけです。

内部は撮影できませんので
公式サイトやGoogleで見ていただくとして。

武雄市立図書館エントランス付近

何とか、外から撮影したこのディスプレイご覧になっても
どんなに洒落ているかお分かりいただけると思います。

司書さんの制服も、それはそれは、お洒落。
カフェの定員さんのように黒のベストにスラックス。
最初は、司書さんだと分からないほど
とてもスタイリッシュなのです。

しかも、建物は
これが本当に公共の、お役所のつくった
施設なのかと思うほどの建築美。

木の好きな方は、天井を見るだけでも
惚れ惚れするかと思います。

本を購入するスペースが
思ったほど広くはないのですが

料理本コーナーには、調理器具や調味料
赤ちゃんの絵本コーナーには、セレクトされた雑貨など

それはそれは、見てて楽しいのです。

販売コーナーと貸し出しコーナーに
ハッキリとした囲いがあるわけではないので
背表紙の図書館貸し出しのシールや、展示案内で
「おっと、ここは貸し出しなんやな」と気づく感じ。

販売コーナーも、我が地元の
明●書店のように、週刊誌や漫画、ベストセラーなど
「売れる」本満載!ではなく、かなりディープというか
珍しいものが、目につく場所に置いてある。

私は
『武雄市図書館公式ガイドブック』
『ジブリの立体建造物展図録 復刻版』
『樹木たちの知られざる生活 森林管理官が聴いた森の声

の3冊を購入しました。

どれも、本当に楽しい本。

特にジブリの建物のイラストなどは
もくせい工舎でお家を検討されている方などは
お好きなんじゃないかなぁ。

なんであんなラフに描いて
あんなに上手なんやろう。
スゴイな、宮崎駿!
・・・と思います。

ジブリに出てくる建物って、自然な感じですから。

自然素材の家が好きな方は、
きっと気に入ると思いますよ。楽しい!

さすがに借りては帰れませんし、
買った本を読みながら...の時間の余裕もなかったのですが

スタバ

ちゃんとスタバも満喫して
図書館を後にしました。

いいなぁ、武雄のみなさん。
こんなところで本が借りれるなんて。

結構長くなりそうなので
続きはまた次回!

次回につづく


かわいいと思うものは

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


わが家の玄関先のツバメが、今年は無事に巣立ちました。

2022_空っぽになったツバメの巣

今年は、というのには理由があって
数年ぶりの巣立ちなのです。

わが家が建ってから数年。

わりと早い段階でツバメが巣をつくるようになりました。

ことりのかあさんと名乗るくらいですから、
鳥は好きなので、ツバメwelcome!

FUNの心配も、デッキブラシでこすって流せばよいので
何の問題もなし。

可愛いヒナが見れるなら、なんてことはないのです。

2022_今年のツバメのヒナ

これは、今年のヒナたち。

卵のかけらが数個落ちていましたから
フルメンバーとはいかなかったようです。残念ながら。

個体の識別まではできませんが、きっと
違う夫婦が来ているんだろうと思います。

なぜなら、毎年個性的だからです。

巣作りが上手なカップルもいれば、
下手なのか材料が悪かったのか、
せっかく作ったのに巣が崩れてしまうカップルもいました。

夫婦の連携が取れていて、絶対に巣をどちらかが守っているカップルもいれば、
お互いに好き勝手出て行って、いつもヒナがお留守番のカップルもありました。

今年は、神経質なくらいヒナを守ろうとするカップルだったので
あまり写真が撮れませんでした。(と、言っておこう)

友人の、今は亡きお父さんが
「ツバメが巣をつくる家はいいぞ!」とおっしゃってくれたのですが
今思えば、遠くはるばる国境を超え、海を越えた来たツバメに

巣作りくらい多めにみてやってよ

そんな優しさをこめた方便だったのかもしれませんね。

ヒナが小さいうちは、鳴き声も小さく弱弱しいのですが
大きくなって体力がつくと、
玄関先で「ジージージージー!」と
エサをねだる声がリビングまで届きます。

そしていつの間にか、巣が狭くなるころ、
それまで巣の中にいたヒナたちが、
巣の際に「とまる」ようになります。

「あ~。明日にでも巣立つかもしれんね~」

そう言っていた翌朝!

2022_巣立ったツバメ

めっちゃ飛び回っていました(笑)

まだ下手なのか、木の枝に止まって一休みする子、
出遅れて残っている子、色々でしたが
陽が高くなるころには
巣は空っぽになっていました。

あ~。良かったぁ~。

本当に、無事巣立ちの時を迎えるまで
可愛い反面、こちらはヒヤヒヤなのです。

あ~、本当に良かった~。

ドヤ顔のツバメ

↑ちょっとドヤ顔に見えんでもない?

立派に大人になって。

・・・と思いきや、子どもが言うには
電線で親にジージージーとエサを貰っていたとのこと。


・・・まだまだ、すねかじり真っ最中やん!(笑)


それはともかく、
また、来年元気で戻って来てくれますように。

何かをかわいいと思うことは
心配の種を一つ拾うことなのもしれない。

かわいいと思うものが多いほど
心配の種も増える、のかな?

言い方を変えれば、心配の種は
希望とか祈りのようなものかもしれない。

可愛いから、無事でうれしい。
ただ、それだけなのです。

またおいで!
ここで、待ってるからね(^_^)/~

あいはあるか。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

先日、もくせい工舎以外の新築の建物にお邪魔する機会がありました。

「うわぁ~、新しい匂い!」
来場者も口々に言って、見学していました。

「建築の専門家として、どう?」
そう聞かれたのですが、
何の専門家でもない私。

「シーリングライトまで、透け感のある模様が入っていて
おしゃれですよね~」というのが精いっぱいだったのです。

それはそれは、素敵な建物だったんですが、
なまじ毎回もくせい工舎の新築ばかりにお邪魔しているからか、
口寂しいならぬ、鼻寂しい。

あの、【まさしく木‼】という匂いがあまりしないのです。

「なんか断熱材はかなり良いのが入ってるみたいで」とおっしゃっていたので
あの、ちょっと嗅ぎ覚えのある匂いは
サーモウールだったのかもしれません。

実は、かなり鼻がいい私。
数軒先のうなぎ屋の匂いはともかく、
寿司屋の酢飯の匂いまで嗅ぎ分けることができます。
(残念ながら、これで得した覚えはない。)

サーモウールに関しては、
お施主様方は屋根裏などを開けて見られると
独特な匂いが分かると思います。

(サーモウールかはハッキリしませんが) だからか、空気は珪藻土を塗ったのかと思うほど清々しい。

なのに、足りないんです。木の匂いが!

・・・まいったな、こりゃ。

あまり「新築」というだけで、家にときめかなくなっています。


実は、木の家に住んでいるからといって
いつも木の香りを感じているわけではありません。(個人差あり?)

ただ、来客時に
「すごい木の良い香りがする」と言われるので
鼻が慣れてしまっているのかもしれません。

一方で、風呂上がりに脱衣場から出た時、
玄関から入った時、
その時の風向きや湿度の関係でしょうか、
ふと、「木の香」を感じる時があります。

そういう時は、「あ~、木の家に住んでいるんだな~」と実感します。

もくせい工舎の広告を書かせていただきながら
いつも思うのは、万人受けするかは別だという点です。

なぜなら、家に対する考え方は色々だから。

自然なものや、木の香り、素材の手に触れる感覚。

そういったものに全く関心のない人もいるからです。

「家は寝に帰るだけ」
そう言っていた私の母は、
建売住宅の実家にあまり愛着もないようで、
「サッサとカギ1つのマンションに住みたい」と言っています。

「家が数件建つほどリフォームした」はずの実家ですが、
特に【家】というものに関心がなければ
乗り換えることに寂しさも感じないのかもしれません。

私は、物心ついたときから木が好きでした。
落ち着くのです。

万人が万人、木の家が好きだとは限らないけれど
木が好きな人には、微力ながら
何か伝わると良いな。と願っています。

一長一短あるかもしれない。
どんなことにも。どんなものにも。

それでも、私はまた建てるなら
木と土の家です。

長短という個性を含め、
かけがえないのは、子どもと一緒のような気もします。

そういえば、まだ子どもに手がかかっていたころ。

何かの本で読んだのか、文言はハッキリ覚えていませんが
こんな言葉がありました。

「あなたの子ども達は、あなたが完璧だから好きなのではない」
(※文言、出所ハッキリしません。記憶が曖昧です、ごめんなさい。)

こうあるべき、あああるべき。

大人になるほど、物差しは多くなる。

でも、理屈抜きに大事ってこともある。

親子も家も、そうだといいなぁ。

木の家が好き

傷つきやすいことは

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


木は傷つく。とりわけ、スギは。

それでもあえて使うのは
それ以上に大きな魅力がスギにあるからなのですが

そこは、ぜひ5月末の構造見学会で永家さんに質問してみてください。
(※ちなみに、傷がついた!と思ったら、濡れティッシュを傷口に置くとか、応急処置あり。)

その永家家(←こう書くと変ですね(笑)「ナガイエ・ケ」と読んでください。)には
ヒノキの床とスギの床が隣り合わせに貼ってある箇所があります。

もし、その床の上に立つ機会があれば
その理由の一つが分かると思います。

mini_sugi_hinoki.jpg

ヒノキは頑丈そうですが、足の裏を通した感覚は
硬く、冷たい。

同じ無垢の木ですが、スギの方が温かく優しく感じる。


確かに、傷はつかないにこしたことはない。
硬くて頑丈なら、いつまでも美しい見た目が期待できるでしょう。

とは言え、少しの傷もつかない頑丈なものは
下手すると、こちらが痛いのです。

鉄板の上と、柔らかい草原の上。
転んだ時痛そうなのは、頑丈な方です。
鉄板の上でリラックスは難しいですが、
草原の上は、心地よい。

傷がつきやすいということは、裏を返せば
【相手を傷つけにくい】ともいえる。

私たちは直に床に触れる機会は少なめですが、
ハイハイの赤ちゃんだって、
硬く冷たいものよりは、木の方がきっとお好みでしょう。

鉄板より、プレイングマットより、スギの手触りの方が
ずっと触れていたい心地よさです。

人間だと、傷つきやすい人が
必ずしも人を傷つけないわけではないけれど

傷を含め、負ってきた経験が
その人を「その人」にしている。
そういうことってあるんじゃないか。

無垢の木の家が、唯一無二だというのは
そういうことでもあるんじゃないか。

木も人も、同じようでいて同じものなどこの世にない。

ましてや、生まれ育った環境、
傷を含めての経験、そして、それから後のこと。

傷を含め、家としての歴史が
その家を「その家」らしくしていく。

同じ無垢の木の家を建てたとしても、
サトウさんは、サトウさんらしい「家」に、
ヤマダさんは、ヤマダさんらしい「家」になっていく。

傷を負ったことが、人の価値でも
家の価値でもないけれど、

傷を「味わい」にできるのは、
生き続けているからだともいえる。

私の家は、私に似合う家になっていく。
あなたの家は、あなたに似合う家になっていく。

それは、きっと自然体で無理のない、
人の在りよう、家の在りようとも
言えると思います。

少なくとも私は、
いつまでも新築かと思うような、傷つかない(らしい)「可愛らしい家」を建てて、
それに似合う「いつまでも若く可愛い私」で居続けることは
無理かなぁ(^-^;

「この家、なんかすごく似合うね。
あなたらしいね。」

そう言われたら、私などは
ちょっと嬉しい。

こしかべ~

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


いつもなら15日と30日に(なるべく)ブログを更新するのですが、
今回は1日早く、明日に完成見学会を控えたお家のことをご紹介します。

なんだかんだと、ありがたいことに
見学会の続いているもくせい工舎。

木の家を気に入ってくださり、また
見学会等にもご協力いただき、お施主様本当にありがとうございます。

撮影にお邪魔した時は、外回りはこんな感じ。

無垢の木と漆喰のもくせい工舎の自然素材の家

まだ、ユンボが残ってました。連休中にでも、
土塊がなくなった状態を撮影に伺えたらと思います。

今回は、見学会前に取り急ぎ「こんな感じ!」っていうのを
ご紹介していきます。

無垢の木と漆喰のもくせい工舎の自然素材の家・玄関のニッチ

こちらは玄関のニッチ。今回は、ちょうどタイミングが重なったので
わが家の庭に咲きまくっていたナニワイバラに協力してもらいました。

2017_ナニワイバラ
ナニワイバラが満開の時は、
それはそれは息をのむほど美しく、

その後、暴れる枝を選定するときは
それはそれは息の根が止まるほど痛いという

「美しい薔薇にはトゲ」の極端な例と言えます。

うっかり植えると大変なんですが、やっぱり満開は良いんだなぁ、これが。

ニッチの下には、腰壁。
これは、今までも玄関でお目にかかることがありました。

こちらのお家は何と言っても、

天然木の無垢の木の腰壁・リビング

リビングにも、こしかべ~!

どちらかというと、床から天井まで漆喰を選ばれるOB様が多い中、
腰壁チョイスの方は少数派。

でも、こうしてみても、可愛い!ですよね。

昔の学校みたいな、ノスタルジックな感じがします。

天然木無垢の木のテレビボード

玄関ホールの扉を開けると、大工さんが作り付けてくれた
立派な無垢の木のテレビボードが。

ご要望に応じたオリジナルなんです。

それからこちらは、キッチンも可愛い。

天然木無垢の木の自然素材の家のキッチン

奥に見える引き戸のガラスが、何とも味わい深い。

そして必見は、IHクッキングヒーター周り。

タイル調の壁

自然素材の家のキッチン回り・タイル張り調

こんな可愛いタイル調のパネルがあるんですね~。

当たり前だけど、後になるほど
性能もデザインも良いのが出てくる・・・。
いいなぁ~。

もう一つ、おすすめはここ!

自然素材の木の家のロフト

ロフトで~す!

こちらのロフトのハシゴはがっちり固定型。

安心して登れます。

撮影する私としても、こちらの方がありがたい。

こちらのロフトの良い点は、
「異空間」として独立していることです。

わが家にもロフトがありますが、
ヒョイと覗けば、下はリビングです。

・・・これ、子どもが小さいうちは良かったんです。

でもな~、大きくなったらというか
私も読書が好きなので、
「うるさくない」「人の気配が気にならない」「ひとりになれる」
そんな空間って、やっぱり大事なんですよね。

息をつく場所っていうか、
頭を休める場所っていうか。

ちなみに、人の疲労の原因は
体力的なことよりも
脳みその疲れとの説もあり。

どんなに仲の良い人とのランチでも、
脳みそは疲れてしまうんだとか。

脳を休めて、リフレッシュしたければ、
「ビバ!一人飯!」らしいです。

大人も、子どもも、ちょっと一人になりたい時って
ありますよね~。

うん。こちらのお家のロフト。
そういった意味で
「あ~、こんな読書部屋ほしい。」
と、つぶやいてしまったのでした。

いいなぁ~。

こちらのお家、明日明後日見学会です!

もくせい工舎が建てる自然素材の木の家・完成見学会チラシ表面

もくせい工舎が建てる自然素材の木の家・完成見学会チラシ裏面


アップするのが遅くてすみません。
取り急ぎ、バタバタしたご紹介となってしまいましたが
木の家が好きな方、気になった方は、
お問合せを。

ご予約はこちら

見学会開催中はWebでのご予約ではなく、0120-327-892までお問合せください。
ただし、予約状況によっては当日はお断りする場合もあります。
どうぞご了承の上、早めのご予約をお願いいたします。



問合せ・ご相談


探すのをやめたとき

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


前回、リフォームのお家の記事を書かせていただきました。

撮影に伺うことになって、以前のお家の写真などを見て、
改めて思うことがありました。

中古住宅に出会うことも、縁だなぁと。

私は家を建てた今でも、時々中古物件や空き家情報を見ます。

間取りや、その家の周辺環境、(信憑性はともかく)地盤スコアまであります。
もしここに住んだら、どんなだろうかと
妄想?するのが楽しいのです。

「お?良いな~。お金さえあればな~」という物件は
やっぱり売れてしまいますし、
「う~ん。どうなんだろう。」と思った物件は
やっぱりなかなか売れていません。

有名どころのサイトにはなくて、
市町村の空き家バンクにだけ載っていた物件もありました。

良さげなものは「交渉中」から「掲載終了(決定)」に至るのも
すごく早い。

たまたま見て、たまたま条件があって、気に入って。

中古住宅然り、土地にしろ、人にしろ、
縁というものがあるのかもしれない。

必死で探していると見つからないのに、
「まぁ、いいか~」って探すのをやめると
絶妙なタイミングで見つかったりする。

そんな歌もありましたっけ。

もし見つかって、縁あって、
とんとん拍子で進んだとしても、
不平不満、問題なんて一切なし!
・・・というわけにはいかないかもしれない。
そこそこの、なんだかんだはあるかもしれない。

ただ言えるとすれば、やみくもに
「無い!無い!」って言いながら過ごす月日と

「縁があれば、あるんだろうなぁ」位に構えてる月日は
きっと疲れ方が違うように思います。

心の根っこが動けば、体も動く。
理屈抜きに、ということもある。

今、家を漠然と考えている方も、
これだ!と思えば、きっと一気に【事】が流れ出すときが
きっと来ると思います。

それまで、色々見て目を肥やしておくのが
今できることの1つかもしれません。

4/30・5/1に完成見学会も宇佐市にて開催します。

4/30・5/1自然素材の木の家完成見学会

良かったら、試しに見に来てください。

【事】が動きだすかもしれませんよ~。

宣伝でした~(^^ゞへへへ


全然違う!

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


本当は見学会前に少しご紹介できれば良かったのですが、
思っただけで、結局及ばず・・・。

遅ればせながら、先日の再生見学会のお家の
撮影時のことを書かせていただこうと思います。

その前に、何よりも!
お施主様のご厚意に心より感謝いたします。

展示場を設けない主義のもくせい工舎にとって
お施主様方のご協力はどれほどありがたいか!

本当にありがとうございました。


さて撮影は、見学会の前日にお邪魔しました。

まず撮影用の花を活けることから始めるわけですが
強風と不器用も手伝って、相変わらずモタモタと作業していたんです。

モタモタしていると、
どんどん下校途中の小学生が通りかかります。

そう、この日は宇佐市の小学校は終了式だったようで。

この近くの学校と言えば、駅館小学校。
親御さんの躾か、先生の努力の賜物なのか、
通る子、通る子、元気の良い挨拶をしてくれます。

知らん顔されるより、とても嬉しい。

嬉しいのに、私は気の利いた挨拶プラスワンがなかなか出てこない。

日頃、黙りこくってパソコンに向かってばかりで
たまに話すのは猫なので
こんな弊害が出たりします。

声をかけてくれたお子さん、怪しげなおばちゃんでごめんなさいね(T_T)

車を止めさせていただいたお家の方にも
「もう、本当に変わった!全然違う!」と声かけ頂きました。
(その節は、ありがとうございました。助かりました。)


全然違う!の言葉通り、どれくらい違うかというと・・・。

mini_2022032627_reform_before.jpg

このお家が、こう!↓

mini_2022032627_reform_after.jpg

わ~!全然違う!
っていうか、いつもの新築なんでは?と思っちゃう。

違う証拠が、ここ。

refo_kiso.jpg

通気口です。

もくせい工舎の新築の家はベタ基礎なので
これ自体がありません。
基礎と土台の間にスペーサーという
通気孔がぐるりとある仕様です。

だから、新築に見えても
れっきとしたリフォームってことになります(当たり前?)


翌日の会場準備のため、永家さんが設置していた
改修中のお家様子が分かるパネルが会場にありました。

2022_refo_before_pane.jpg

それによると、こんな感じのお家が
before_2.jpg
こうなって
before_1.jpg
こんな基礎が出てきたりして。
before_3.jpg
こういう昔の基礎って、毎回素人ながらもビックリします。

だって石に木を載せただけで、何十年も暮らしていたんですから。

中古住宅買って、自力で改修できる能力がない私には
できたところで、この基礎を何とかすることまで
きっと及ばないでしょう。

基礎のこと考えても、
桶は桶屋に任せるのが無難なように思えてきます。

自力でやれたら、カッコイイんですけれども。

天井明けたら、こんな梁が出てきて

before_5.jpg

・・・ってこれは、古民家好きにはたまらないですよ。

羨ましすぎます。いいなぁ~。
なかなか、こう本物の、歴史を刻んだ梁って
簡単には望めない気がします。

それを活かして自然素材でリフォームすると

202203_refo_hari.jpg
refo_IMG_9137.jpg
こんな感じ!

でこぼこした梁の捻った感じや、壁に埋められた感じが
本物の古民家感満載です。
味わいが違います。

いいな~、いいな~と言いながら
撮影していた次第です。

このお家の詳しくは、いずれまた施工実績にて
ご紹介させていただくかと思います。

お施主様、撮影にご協力いただきありがとうございました。

このことが、次の
木が好きな方や、自然な暮らしを本当に必要とするご家族に
新たなご縁として、つながっていけばいいなと思います。

最後に重ねてお礼申し上げます。

どうぞ、木の家で末永くお幸せに。
本当にありがとうございました。

どうか、嫌いなことで死なないで

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


「図書館で前に借りたんだけど、面白い本でね。
返した後も、しばらくしたら読みたくなって、また借りたりしよる。」

大分に住んでいた友人が教えてくれたのが
大原扁理さんが書いた『年収90万円で東京ハッピーライフ』という本。
(※その後増補されて『年収90万円でハッピーライフ』として文庫化されています。)

25歳から、週の2日だけ働いて
残り5日は隠居生活を送る大原扁理さん。

本を出版したころは
年収約90万円で、あの東京で、
それこそ「ハッピー」に暮らしていた方です。
その後、今度は台湾でも隠居暮らしを始めています。

「社会的成功から乗り遅れまくっている」という彼は、
世間一般が考えるフツーから脱出して、
自分にとって何が本当に
身も心もラクで幸せなのかを考えて、実践してみた人です。
実践とはいっても、がつがつした感じでなく
とても心地よく楽しそうな暮らしっぷりです。

扁理さん自身も
「同じような隠居を勧めているわけではない」というように、
読むと、なるほどなぁと納得する一方で、
「これ、家族がいるとそうもいかないなぁ。」と思う面もあり。

家族が全員、こういう考え方なら問題ないですが
強制はできないからです。

ただ、その一風変わった暮らしかた、考え方の中に、
妙に核心をついたものの見方をする人で、読んでいて
ハッとさせられることが多かったのです。

なかでも、仕事と就職について書かれている箇所は目から鱗でした。

ざっくりとしか書けませんが
大原扁理さん的な考え方では

「好きなこと」や「やりたい仕事」なんて
死ぬまで見つからなくっても、別にいいじゃないですか。
大事なことは、「嫌いなこと」や「やりたくないこと」で
死なないことですよ
、と。

・・・これはビックリした。

聡明すぎてビックリした。

好きなことで死ぬならともかく
嫌いなことややりたくないことで死ぬなんて、
本当に馬鹿ばかしい。

話は逸れるのですが、以前過大広告について考えてみたことがありました。
(注:もくせい工舎とは関係ないです)

例えば、実際に行ったこともない店を
過剰に褒めるような内容や、
使って本当に良いと思ってもいない商品を
過剰に評価するような内容で

例え、それがお仕事として
幾ばくかの収入を得たとしても
それって、結局は誰も幸せにならないんじゃないか。

目先のことだけ考えれば
自分はお金が手に入るんだし、
そういう依頼をしてきた会社は、一時的には喜んでくれるんだろうけど
実際にお店がとても褒められたものでなかったり
商品が悪ければ、
会社側も信用を失うし、広告も信用を失うことになる。

大原扁理さん的考え方を借りると、ではどうしたらいいのか。

その仕事(ここでは過大広告ですが)が本当に好きで、
これで死んでも悔いはないなら、構わないかもしれない。

でももし、「こんなことが理由で死ぬのは勘弁してほしい。」
そう思うのなら
「やっぱり、やめとこ!」という道もあっていいのではないか。

過大広告書いて、自分の中にモヤモヤした
毒を貯めるくらいなら
書かずに飢え死にする方が
納得して死ねるような気がしたんです。

(繰り返しますが、もくせい工舎とは関係ない仕事のことです)


自分は本当は望んでいないのに、
「仕方がないから」「任務だから」でやりたくないことを
やらされることもあるかもしれない。

仕事や学校、家庭内だけでなく、国単位でも。

ただ、やりたくないこと、嫌いなことで
どうか死なないでほしい。

命令する人間は無傷で、
なんで小さな子が死ななくてはいけないのか。

知らなかったとはいえ、
命令とは言え、
好きなことで死ぬならともかく
なぜ納得いかないことで
死ななければいけないのか。

例え、うまくいったように見えても
力で外部を抑え込むボスは、
仲間内だって同じことをする。
気に入らなければ、次はあなただ。

みんなボスが好きだから傍にいるわけではない。
怖いからそうしている。

そんな関係は、いつか破綻する。

友人関係にしろ、もっと大きな組織にしろ。

どんなにタダシイ(と思い込んでいる)人が、
どんなにタダシイ(と思い込んでいる)目的のためであっても、

誰かの「それからも続くはずだった人生」を奪っていい理由にはならない。

「嫌いなこと」や、「やりたくないこと」で
どうか、もうこれ以上
誰も死なないで。

子ども達が泣いている。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


「私を怒らせると怖いんですよ。」

そう発した相手が、どんなに「いいひと」であっても
このセリフを聞いた途端、なにかが凍り付く。

要は、「肝に銘じておけ」という脅しなのだ。

脅しで安心は買えない。お互いに、だ。

「あなたとはずっと仲良くやっていきたい」
そうにこやかに笑う相手の懐に
いつでも刺せるナイフを見て
その「友人」の前で安心なんてできるんだろうか。

そのナイフを相手は「護身用」だというかもしれない。

持っていれば、こちらに手出しはできないから、と。

でも、反対にこちらが「護身用」として銃をもったら?

どんどん「護身用」はエスカレートする。
お互いの「ご信用」だって、どんどん地に落ちる。

誰かをいじめなければ
自分がやられるような「仲間」の中で
心から安心する居場所なんてあるのだろうか。

気に入らなければ、何をしでかすか分からない
その「ボス」を心から信頼できるだろうか。

やらねばやられるからと
誰かを排除しつづければ、
自分は安心なんだろうか?

そのうち、自分の番が回ってくるだけだ。

権力の座、何かのトップ、
そういうものは「下」だと思い込んで見下している
市井の人々あってこそだというのに
それに気づかない。

この星で人っ子一人で
権力も何もあったもんじゃない。

どんなにきれいごとを並べても
どんなに正当化しても、

ほら見ろ。子ども達が泣いている。

子どもを安心して、笑わせることもできないで
そんな大人がエラそうなこと言えない。

土地は祖先から譲り受けたものではない。
子孫からの借りものである。

ネイティブアメリカンの言葉を借りれば
この土地は、この世界は
権力者だと思い込んでいるアンタのもんでも、
その他大勢の大人たちのものでもない。

ほら見ろ。子ども達が泣いている。

「大人」は今すぐ、蛮行をやめるべきだ。
恥ずかしい。

【伝えたいこと】があるか、ないか

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


イベントのコーナー等でもお知らせしましたが
今月末宇佐市にて構造見学会が開催されます。

そちらにも書きましたが、構造見学会って
工事途中なので地味なのです。木の骨組みばかりですし。

じゃ、おもしろくないか。
見ても仕方がないか。

その点に関しては
もくせい工舎の構造見学は、ちょっと異質とも言えます。

実はOB客でもある私。

もくせい工舎を知ったきっかけとなったのは
あるフリーペーパーの構造見学会の広告だったんです。

その広告は手元にないのでお見せできないのですが
だいたいこんな感じでしょうか。

構造見学会ってこんな感じ

なんかすごいでしょ(笑)

いかに小ぎれいにとか、洗練されたように見せるとか
一切なし(笑)

初め見た時に、「?????」って
広告の写真に二度見してしまったのです。

筆で、しかも段ボールに
これでもか!これでもか!と
【伝えたいこと】が書いてある。

・・・変わった工務店だな~と思ったのが最初でした。

当時はまさか一戸建てを建てるなんて夢にも思ってなかったので
その構造見学会には参加しませんでした。

その次の?完成見学会のチラシが新聞に入っていて
そこで初めて永家さん夫婦に会いました。

それがこうしてブログ書いたり
広告や写真撮影に行っているんですから
何とも不思議な縁です。

それはともかく、構造見学会の様子をお伝えしましょう。

例えば、構造見学会だと

構造見学会後の完成した姿1
こんな感じの室内の

構造見学会1
中身を見ることになります。

部外者はともかく、お施主様だって構造見学の時しか見れません。

構造見学会2
この中身だって、完成すれば
構造見学会後の完成2
こう。

「中にあんなにフワフワの羊毛入り断熱材が入っていた!」
というのは、構造を見たからこその実感です。

構造見学会3

中身をきちんとこの目でみてから

構造見学会後の完成3

その後の完成した姿を見るのは
家に対する説得力ならぬ【納得力】が違うような気がします。

一括で支払える場合を除いては、
大半の人は長年にわたり住宅ローンを組むわけです。
しかも、命を担保にして。

そう考えると、なんだかよく分からないものに
払いたくない。

正直言って、見てもよく分からない部分もあるかもしれない。

それでも、「ちゃんと見た」って大きいと思うんです。

もう一つは、いかに作り手に【伝えたいこと】があるか。

永家さんが段ボールに

これでもか!これでもか!

筆で書いたことが、もくせい工舎の根っこなんだと思います。

良い家ってどういうことか。
自然素材で家をつくるとはどういうことか。

考え続けてこないと、【伝えたいこと】だってないはずです。

正直、どんな健康住宅に住んでも
死なない人はいません。

健康住宅に住んでも、たまには風邪だってひくでしょう。

でも、それでもあえて言えるとすれば
やっぱり本当の、本心からの木の家って圧巻なんです。

「自然素材で家を」と考えてもいませんでしたが
私は本能的に、木の家が必要でした。

だからこそ、木が好きな方
自然の風景が好きな方にはぜひ見て欲しい!

まずは、今月末の構造見学会をこぞって見に来てくださいね!

といっても、コロナ対策で4組限定なのですが。

しつこい営業いたしませんので、お気軽に。

ご予約は→こちら♪

縁起を担がねば?

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


2022年が明けまして、
めでたいめでたいって言ってたら
あっという間に節分コーナーができていました。

豆まき用の豆やグッズに、
恵方巻の予約などが並んでいます。

中年の私にとってはこの恵方巻。
かなりの新参者なのです。

確か、関西でそういった風習があるというのを皮切りに
毎年のようにスーパーでコンビニで出回るようになったような記憶があります。

毎年、その年の縁起の良い方角【恵方】を向いて
海苔巻きを丸かじりする。しかも、しゃべってはいけない。

ある時期を境に、当たり前のように現れた
新しい「習慣」。
う~ん。これはうまいこと販売戦略に引っかかっているだけでは。

それでも、やってしまう。まんまと乗せられて。

特に子どもが小さいころなどは
一緒にできるイベントごととして、楽しんでしまう。

海苔巻きを用意し、
100均の方位磁石で、おおざっくりな恵方に向かって
「こりゃ、笑うな」とか言いながら、願い事を思う。

思えば、バレンタインデーのチョコレートも
ホワイトデーのマシュマロも、
お菓子メーカーと広告のキャッチコピーによって
一斉に広まった日本独特のものです。

クリスマスだって、キリストの誕生を祝うというより、
ケーキを食べたり、サンタからプレゼントをもらうイメージの方が強い。

赤い服に白いひげ=サンタクロースも、
コカ・コーラのポスターが元になって
イメージが固定されたと言われています。

昔からの風習や習慣が、
何かの販促のために、少しずつ形を変えて
新たな習慣や常識となっていくのかもしれません。

じわじわ習慣となるのか、恵方巻。

恵方巻然り、おせち料理や年越しそば然り。

縁起物って、それをしないと
縁起が悪いってわけではないんですよね。きっと。

調べると、縁起物というのは
「良いことがあるように祝い祈る品物」だとか。

祝いが、「やらないといけない」呪いになるのは
ちょっと違うはず。

販促にのせられて、やらねばならない義務はない。

どうか今年の節分は
余った恵方巻が大量に処分されたりしませんように。

なかったら、ないでも構わないのだから。

「足りない」を怖がりすぎる気がします。私も含め。

足りなくても、何とかなるものなのに。

足りなくて、次に出るのは
きっと「知恵」でもある。

熊手
そういえば、コロナの影響もあって初詣にまだ行っていません。
行かないと罰が当たるような、そんな気持ち悪さもあるのですが、今年は行かないとどうなるか試してみようかな。
もっと世界を信頼していいのかもしれない。

気にして見ている

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


遅ればせながら、
明けましておめでとうございます。

(ブログを書きたいのは山々のようですが)
忙しいもくせい工舎のお二人には
本業(良い木の家をつくること、お客様の建てた後の暮らしを考えることetc.)に専念して頂くべく、

及ばずながら、少しずつ
お家のこと、自然のこと、暮らしのことなどを
書かせていただこうと思います。

このブログ以外にも、もくせい工舎のインスタもございます。
そちらは、合間を見て"相方さん"が上げていると思うので
良かったらご覧くださいね。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。


ところで、今季の冬はちょっと様相が違ったのです。

バードテーブルになかなか野鳥が来ない。

いつもなら、ヒッヒッヒッとジョウビタキの声がしたら、
シロハラがやってきて、
ヒヨドリやらメジロやら、みかんやリンゴを競うように食べに来るのですが
全く来ない。

庭に野良猫がウロウロしてたから?

そう思っていたら、ずいぶん遅れてようやくやって来ました。

2022_シロハラ

シロハラです。

ジョウビタキと同じく、日本で越冬する渡り鳥です。

気のせいでしょうか?
ツバメにしても、この子たちにしても
少しずつ見かける時期がずれているような気がするのです。

温暖化の影響、といえばそれまでなんですが
時期がずれれば、食べ物も巣材の確保も、ずれ込むような気がするので
ちょっと個人的に、気にして見ています。

気にしてみる、といえばこれ。

20211225_原田左研の親方。三和酒類の辛島虚空乃蔵の左官仕事
(※諸事情のため、文章が読めないくらいに引いて撮影しています。見にくくてすみません。)

昨年のクリスマス。
新聞にヘルメットを着用した
左官をするサンタクロース(?)が。

もくせい工舎OB様には、一度見たら多分忘れられない、この人物。

そう、もくせい工舎の漆喰の壁を手がける
原田左研の親方なのです。


なんでも、三和酒類さんの酒造観光館が
この春【辛島虚空乃蔵(こくうのくら) 】として
リニューアルオープンするらしく、その壁を担う親方が
その広告に掲載されていたのでした。


実は、それを知らず偶然近くを通りかかった時に
「・・・あれ?左官さんが入っているな~」と
工事中の建物を見て思っていたのです。

養生の仕方が、もくせい工舎のそれと似ていたので
「へ~。どんな建物ができるんだろう。」と思っていたのですが
まさかのドンピシャ、原田左研のお仕事だったとは!


広告によると、ニシノホシの麦わらや市内赤尾の粘土が使われているようです。

外壁にその土地の土を塗ることで街の風景が創られてきた

そう語る親方の言葉通り、空間の雰囲気やあり方を大事にする姿勢が
ものづくりにも表れていくんだと思います。

きっと素敵な、何とも言えない味わいのある空間になるんだろうな~。

こちらも「気にして」見ていきたいところです。


そうそう、こちらも気にしてみていきます。

202201_猫のハチとゴマ

わが家の先住猫のハチ(白黒ハチワレ・♀)と新入りのゴマ(ムギワラ・♀)です。

だ、だいぶん慣れてきた?かな?

仲が良くも悪くもないけど、時々雲行きが怪しくなるので
レフェリーストップが入ります。



元々、外で他の猫にいじめられていたから引き取ったゴマでした。

そのいじめていた猫は、あれだけ姿を見せてたのに
もう見ません。

外が氷点下になる昨今。どうしているだろうかとも思います。


ゴマは、弱いから助けられました。
その代わり、自由と母親になることを失いました。

あの追い回していた子は強いから、この寒空の下
どこでどうしているかも分かりません。

何が猫の幸せなのか。それをどうして私が決めれるのか。

猫の幸せをひとくくりで決めてしまうことは
「女なんだから結婚して子どもを生んで
 家にいるのが幸せに決まっている」と
言われることと一緒のような気がするのです。

何を幸せに思うかが、人によって違うように
猫の幸せも、猫によって違うんじゃないか。

ただ、助けようとすると
諸事情を鑑み
避妊、室内飼いしかできなかったのです。

「こうするべき」という考えが
正しいか間違っているかはともかく、

せっかく生まれてきた命が
人間も、動物も
できたらヌクヌクと温かい場所で休めるよう願いたいところです。

気にして見ている。

そういうことが増えれば、
何かあった時、少しはお力になれるかな?

優しげなことが優しいとは限らないけれど
無知無関心もなんなので。


今春、宇佐市辛島の虚空乃蔵が完成しましたら
興味のある方は
ぜひ原田左研さんのお仕事ぶりを観に行ってください。

「あ~、こんな空間好きだな~。
こんな感じの家に住みたいな~。」と思ったら
是非もくせい工舎のお家を見に来てくださいね。

正し、設計は虚空乃蔵とは違うので
そこはご留意ください。

漆喰のやさしい雰囲気に、
これでもか!と木をつかったお家です。

自然素材の家づくりに
木も気もつかっていいるというワケです。

新年早々、ダジャレですみません。

こざっぱり。できるだけ。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


年末ですね。年末。

・・・どうしよう(笑)

わが家は、毎日ルーティンとして掃除する場所と、
年末しかしない場所があります。

毎日のルーティンを少しずつずらしていけば
何となく家全体がいつも綺麗に保てるのは
理屈では分かるのですが
それができない。

どうしても、最低限ここだけ!
を掃除するのでいっぱいいっぱいなのです。

だから年末しか掃除しない場所は
汚れも一年分ですから
かなり頑固で苦労する。

今はスイッチ一つで便利になった分、
部品も複雑で、掃除がしにくい感じがします。

システムキッチンなどは、
大掃除のことを考えたら
レンジフードから何から、
シンクに漬け置きできればありがたいのですが、
レンジフードカバーは、手に余るほど大きく
「いったいどこで洗うのかい?庭か?風呂か?」と泣きたくなります。

う~ん。デザインした人は大掃除しないんだろうか。

ぜひともメーカーさんには
大掃除の洗いやすさもお願いしたいところです。

あと、レンジフード以外の難関と言えばこれ。

2021_oosouji.jpg

お風呂の乾燥機の換気扇。

まだ築数年のお家は特に異変を感じないかもしれませんが、
実はこれも曲者だったのです。

建てて数年後、天井から何やら黒いものが落ちてくる。

・・・怖いでしょ~(笑)

わが家では、毎年フィルターは掃除していたのですが
換気扇の羽の間に、
びっしり湯気と誇り(←あえてこう書きます)が混じった黒い汚れが‼

そこがMAXになって、ある日ハラハラと粉雪のように舞い落ちたのでした。

・・・ひゃ~‼‼‼‼

まだ黒い雪が舞い降りてないお宅は、
ちょっと見てみると良いかもしれません。

換気のために付けっぱなしだと、
かなりの確率でなっているかもしれません。

くわばらくわばら。

できれば、こざっぱりして年越しをしたいところですが
光陰矢の如し。

あっというまに明日は大みそかなのです。

多少のやり残しはあっても、
え、笑顔で年越しをいたしましょう。
きりがない。

あと、このこも我が家で年越しとなりそうです。

2021_goma_sakura.jpg

無事に避妊手術を終えたゴマちゃんです。

予約していた日になかなか戻らず、
延期し、クリスマスイブに手術となりました。

あとは、傷が完全に塞がるのと
お腹の禿が治るのを待つばかりです。

先住猫のハチとは・・・もうちょっとかな。

ハチの方が、気分にムラがあるので
気長に様子をみましょう。

あ~、今年も終わる。

オリンピックとコロナの2021年。

来年は、もっと安心できる世界が待っていることを祈ります。

それでは皆様、良いお年をお過ごしくださいね。

冬来りて猫が鳴く

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


早いもので、あと半月もすると、2021年も終わりですね。

色とりどりに染まった紅葉にうっとりしていたら
いつのまにか寒さも本番に差し掛かっています。

冬眠場所を探すクサガメ
さすらいのクサガメ。冬眠場所を探して迷い込んだかな。

亀はともかく、
寒くなると、妙に野良猫が目につくのは私だけでしょうか。

元野良猫のハチが我が家の庭先で
「入れろー!」と鳴いたのも、11月のはじめ。

思えば、サツマイモ掘りは
11月のはじめの頃には終わらせます。霜が当たるからです。

その頃にはもう、朝の冷え込みも強く
外暮らしの猫たちには、本当に堪えるのでしょう。

猫の発情期のピークは春(2~4月)と夏(6~8月)

発情するのはメスのみで、
オスはそれに促される形となるようです。

妊娠期間が2か月くらい。

そうすると、単純に考えれば
(2~4月)で、4~6月の初夏生まれ。
(6~8月)で、8~10月の初秋生まれとなります。

ハチが来たのは、満1歳にもならない8か月くらいだと思うので
おそらく、初夏生まれ。

初秋生まれ、しかも遅ければ遅いほど、
霜が降りる頃になっても、まだ生後数か月ってとこでしょうか。

野良猫の生活の厳しさから考えても、
冬が来る前にある程度育っていない子猫は
春を知らずに亡くなる可能性が大きくなります。

「野良猫が車のボンネットに乗って迷惑だ。」

そりゃ、猫嫌いな人もいるし、
野良猫に興味のない人もいるし、
車に傷でもついたらというのも分かるし。

ただ、「車に傷でもつけて困らしてやろう」と思って
上に乗っている猫なんていないんですよね。

もう、寒くて寒くて、
ようやく温かい所を見つけて
夜の間冷え切った体を温めてただけで。

私は猫好きなので、そういうお宅に
室内犬用のお洋服なんかの洗濯物がかかっていると
ちょっと複雑な気持ちになってしまう。

好きで野良に生まれたわけじゃなかろうもん!

ペットショップで買えるだけが命じゃないぞ~!

生まれ変わって野良猫になってみたら分かるよ!

んで、「汚い野良猫、あっちいけ!」って言われてみればいいよ!

チックショー~~~~~!(小梅太夫か?)

ついつい取り乱してしまいました。すみません。


一見自由とはいいながら、寒い。ひもじい。怖い。
そんな思いをしながら生きている野良さん達。

私なら耐えられないと思います。

ハチも、ホウキを怖がるので
きっと嫌な目にあったことがあるのでしょう。

今思えば、それでも勇気をもって
というか、図々しく?
「入れろ~!」と人間を「頼ってみた」と言えます。

凶と出るか吉と出るか。

わが身の運を気にするのなんて人間くらい。

「そんなん知らん~!
ともかく、声をかけないと死ぬ~!」・・・と思ったのか。

いや~、この点も私などは
「この前ひどい目にあったから」ってウジウジして
凍えと飢えで死んでいたかもしれない。

・・・声かけてくる猫って
実は、図々しいばかりの勇気があるんじゃないか。

・・・で、来ちゃったんですよ。また。
その類が。

この子です。

2021_野良猫ゴマちゃん

・・・どうしよう(笑)

とりあえず、猫風邪ひいていたので病院にかかって
治療しました。

近々避妊手術の予定です。

ただな~、こればかりは先住のハチ先輩次第のところがありまして。

今、じわじわとお互いに慣らしている最中です。

2021_ハチとゴマ

一年たってもどうにもならなかったら
嫁入り先を探さないといけないかも。トホホ。
(時間がたつほど、ではありますが)

「ぜひ、わがやに!」って方がいましたら
もくせい工舎までご一報ください。
(↑勝手に言ってます)

厳しい審査の上、泣く泣く嫁に出します。
(とはいえ、なるべく頑張るんですが)


オスの行動範囲は広く、メスはそれほどでもなく
そこそこ近場で一生を終えます。

メスの発情が引き金になって、オスも・・・となると
やっぱり、地域猫のメスだけでも
できるだけ避妊させることが、
かわいそうな野良猫をこれ以上増やさない糸口になると思います。

とはいえ、正義感に燃えて言ってるわけでなく
やっぱりモヤモヤするんですよ。
猫に頼まれてそうしてるわけじゃない。

ただ、猫にしろ、人間にしろ
生まれてきたからには・・・っていうのがある。

好きで寒空の下、凍えているわけじゃない。

「そういう運命なんだから仕方ない」
って、自分事だったとしてもいえるのか。

・・・・。

チックショー~~~~~!(再びすみません。)


人の気持ちを知ってか知らずか。

2021_ゴマちゃん

そんなんリラックスして。

2021_ゴマちゃん

名前はゴマちゃん(♀)。柿のゴマ模様みたいだからです。

セキセイインコのQ太郎、猫のハチ。
9,8・・・で数字に絡んで5です。

7,10はボツになりました。

2021_ゴマちゃんのカギしっぽ
チューリップ型のフライドチキンのような、カギしっぽがチャームポイントです。ピコピコ動きます。

2021_ゴマちゃん

幸せになろうね、ゴマちゃん。

・・・その前に、ハチ先輩だけど。

それだけが全てじゃない。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


不思議なもので、お腹が痛くない時は
お腹のことを
それほど意識していません。

ところが、いざ痛くなると
気にもしていなかった
お腹のことで頭がいっぱいになる。

具合が悪くなる、つまり日常に不具合が起こると
途端に、そのことばかりに意識が向くようになります。

その不具合に病名がつけば、「病気」なんでしょうか。

検査の数値は問題ない。
病院に行くほどでもない。
けれども、あまり調子がいいとも言えない。

「病気」の反対は、「健康」と言えそうですが
じゃ、その「健康」がどういう状態をいうのかは
かなりあいまいなのかもしれません。

同じように、
幸不幸も言えると思います。

不幸は何となく分かりやすいけれど、
幸せってどういう状態か分かりにくい。

恋人や家族や、お金や、地位や、
何かを手にしている状態を
単純に「幸せ」といえるのか。

同じ状態でも
不幸のどん底のような顔をしている人もいれば
平気で幸せそうな顔をしている人もいる。

じゃ、不幸のどん底のような気持ちになる人が悪いと単純にいえるのか。

同じようなことも
過敏に受け取る人と
鈍い人がいるのは
心の体質のようなものなのかもしれない。

花粉症の人に、過敏なあなたが悪いんだといっても仕方ない。
だって好きでなったわけではないんだもの。

人間にひどい目にあわされた猫に
人間嫌いは性格の問題とは言い切れない。
だって嫌な目にあってきたんだから。

繊細な心(気質)の人に
そう考えるあなたが悪いといっても
もう、受け取った時点で
アレルギー反応のように心が反応してしまっている。

何も好き好んで過敏になったわけではない。
だから、まったく過敏な自分を嫌いになる必要ないんじゃないか。

花粉症や猫と違って、少しできることがあるとすれば
過敏に反応してしまうことはさておき、
「落ち着く」ことかもしれない。

体の真ん中に一本の芯があるようなイメージをして
そこがまだダメージを受けてないと思えると
少し楽かもしれない。

心にさざ波が立ってはいるけれど、
落ち着いていたら波は収まる。
それをイメージすることかもしれない。

不具合が起きても、とりあえず生きているなら
大丈夫。

ただ、命にかかわることからは
全力で逃げる必要があるけれど。

生きていれば、なんやかや不具合は起きるけど
自分の命や、芯の部分が無事なら大丈夫と言えるのではないか。

病気になったら、私が一番最初に気を付けることは何かというと、(略)一日中、病気のことで頭をいっぱいにしないことである。
by 宇野千代

宇野千代さんの考え方をアレンジすれば
病気を不幸、というより不具合と言い換えると分かりやすいかもしれない。

不具合で頭をいっぱいにしない。

上手くいってることもあるんだから。


・・・と、自分に言い聞かせているわけです(笑)

「当たり前」をささえるもの

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


わが子が小さい時、それはもう、笑えるほど度々病気になりました。

兄弟そろって気管支炎だの、肺炎だので
入院することも度々で
「幼稚園に今月2日しか行ってない」なんてこともありました。

誰の助けもあまり期待できなかったので
「こりゃ~、まともに何時から何時までの仕事に就くのは無理かもしんない。」

そう思って通信でWebデザイン等を勉強した時期がありました。

今から10年以上も前のことなので
AdobeのDreamWeaverというソフト。

これがまた私のアタマには難しく、
やっとこさ完成させても
InternetExplorer6問題だったか何かで
(こちらできちんと表示されててもIE6だと表示が崩れちゃう問題)
すっかり心が折れてしまい
付属で覚えた
illustratorとPhotoshopでこうして細々お仕事をしています。

日進月歩の世界は
歩みがゆっくりな私にはついていけない。

今はWordpressなんかで、皆さん
サクサクとサイトを作っているようなので
あんなに勉強してみたことも
日進月歩が
「誰でも簡単に」それなりにできるようにしてくれます。

地道にコツコツした経験値が
やがて地層のようになるのとは
ちょっと違う世界。
乗り遅れないよう、最新のものに常にアンテナを張って
刷新していかないと置いていかれてしまう。

ちょっと私には無理でした。

でも、そのWebデザインの勉強の時に
講師の方が話していた言葉が印象的だったのです。

「Webデザイン然りなんですが
デザインって不便や不都合を感じさせないように作ることが前提なんですよ。」

つまりWebデザインでいうと、クリックするボタンの大きさ一つ、位置1つ、
サイトの訪問者に「?」って思わせてはいけないということ。

なんの不便も感じさせず、「さらっと上手くいく」ようしないといけない。

不便を感じさせないのがデザインの仕事ということです。

車や家電などの工業製品のデザインだとよく分かりますよね。
炊飯ジャーでも「炊く」のボタンが一番大きく押しやすいのは
そういう配慮です。
マニュアルを最後まで読まないと「炊く」ボタンが分からないのは
製品としてアウトですもんね。

機能とは関係なさそうなグラフィックデザインの世界でも
イベントのポスターなのに
開催日時がどこに書いているのか分からなければ
「?」ってなりますから、デザイン的には失敗ということです。

デザインとは、設計・図案・意匠のことだと出てきます。
「?」ってなったり、困らないよう設計する機能的な美しさでしょうか。

あ~、でも
「困らなくて」「きれい」ってデザインだけの話ではないはず。

日頃、「なんの不便も感じさせない。」そういう仕事。

おおやけに「役に立つ」と言われている仕事はもちろん、
名もなき、小さな仕事にも
誰かに不便を感じさせず、快適な日常が当たり前に送れる働きがある。

洗濯かごに放りっぱなしにしていた昨日の靴下が
何年も同じ位置にないのは
誰かが洗濯してくれたからだ。

お金になることばかりが仕事じゃないと
頭ではよく分かっていても
そういう小さな仕事って、もう少し有難がってもいいような気もします。

明日起きれば、温かいご飯とみそ汁、お弁当ができてる。

・・・なんて、当たり前じゃないんだよな。きっと。

当たり前のことが、当たり前にできているのは
きっと、陰ひなたなく
誰かがそうやって働いてくれているからだ。

家事は
日々の暮らしに「困らないよう」「きれい」にしてる
デザイン業務とも言えそうです。

あれをやって、これをやって、
こうしている間に、あれをやって・・・。

家事は頭もフル回転。

疲れは「体」ではなく「脳」の疲れといいますから
もう、立派な激務ですよ。

もっと胸をはっていいと思いますし、
ねぎらって貰っても、おつりが出るくらいです。

家族の「当たり前」を支える。

お金になる「仕事」も、
お金にはならない「仕事」も、
どっちも大事。

ただ、お金にならない「おうちしごと」に
もっと光あれ!

・・・と願います。

「なんかいい」を生み出すもの

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


もくせい工舎では、無垢の木と漆喰で家を建てています。

漆喰壁や玄関の三和土風の土間を手がけるのは、日田の原田左研さん。

自然な素材にこだわり、
壁をつくるというより、
壁と壁の間の雰囲気をつくる。

そんな類まれなセンスの職人さん達です。

この漆喰・左官仕事に関しては、
機械化され続けてきた建築の世界で
今も残る、数少ない手仕事の部分といわれています。


だからでしょうか。

工場からパネルで運ばれて
あっという間に出来上がる
新建材のお家に比べ、

もくせい工舎のお家の出来方は
どこか手作りっぽいのです。

また、人の手仕事だからできることもあります。


こちらはもくせい工舎のカタログ等々でよく掲載されるお家なのですが、


もくせい工舎の自然素材の漆喰壁の家

・・・パッと見て何かお気づきになりますか?

そう、このお家、カドがないのです。

もくせい工舎の自然素材の漆喰壁の家。角がないので優しい雰囲気。

緑色のラインの中を拡大すると・・・↓

手仕事で丸くなった漆喰の壁

他にも、パッと見シンプルなお家ですが、

自然素材の漆喰の壁の家の外観

近くまで来ると、その仕事ぶりに驚きます。

漆喰壁の角が丸い仕上がり

カドが丸い・・・だけなのですが
これだけでフリーハンド感が出るというか

ジブリ作品の背景画のような
優しい雰囲気になるのは驚きです。

これは、人の手による仕事だからでもあります。


また、もくせい工舎の家でも
同じようでいて
よく見ると鏝の跡は、かなり違います。

漆喰の鏝跡の違い
同じ「凹凸をつけた塗り方」であっても、左のように滑らかなアイスクリームのように塗った鏝跡もあれば、
右のように「ほら穴っぽい」質感で仕上げた鏝跡もあります。



私たちも
毎回同じように書いている自分の名前だって
意識しないと微妙に違います。

筆跡は同じでも、紙の摩擦や腕の位置で
全く同じにはなりません。


下は、パソコンなどで使われるフォント(字体)です。

フォントと手書き
パソコンなどで使うフォント(字体)も、手書きっぽく見せていても赤い丸のように、同じ字は全く同じ。
手書きだと、(下手なせいもありますが)全く同じ形にはならない。



完全や、完璧ではなく、
ちょっと外す。
「遊び」がある。

「なんかいい」雰囲気は
人の手仕事の賜物といえます。

手仕事

スタイリッシュで都会的な住まいを好むか

手び練りの器のような家を好むかは

人それぞれですが

「なんかいい」雰囲気は
自然と心をほどいてくれる。

「なんかいい」人の手仕事は

物や空間に遊びやゆとりを与えてくれるのではないかと思います。

「意味」

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


先日、久しぶりに赤ちゃんにふれる機会がありました。

予定日よりずいぶん早めに生まれてきたらしく
実質的には8か月。

伝い歩きが楽しいようで
ニコニコしながら近づいてきます。

手を差し伸べて抱っこすると

・・・あ~、うん、なんかこんなだった。
こんな感触だったよ、赤ちゃんて。

つるつるして、ちょっとペタペタして
重いのに、軽い。

下の子で考えると
15年ぶりくらいの感触です。


「・・・孫っち、こんな感じなんでしょうね~」


子育ても終盤になってくると、
赤ちゃんは可愛いばっかり。


手のかかる時期を必死で過ごしている時期に比べたら
気楽なものです。


嫁や妻の役は、本当に向いていなかったと痛感していますが
母親になったのは、自分にとっては良い経験になったと思います。

少なくとも、低い鼻っ柱は折られました。

それまで、自分で努力さえすれば、
がんばりさえすれば
なんとかなってきたことが

自分がどうあがいても
どうしようもないこともある。

受け入れて、その上でどうしていくか。

それに目が行くようになったからです。

だから、うまくいかない人を一概に責められなくなりました。


利発で、快活で、性格も良く
誰にでも好かれ、
いかにも世の中の役に立っていけそうな子。

そういう子が、俗にいう「子育ての成功例」だとすれば
いかにそれを目指していくかが「親力」みたいなものかもしれません。

・・・でもな~。工場で饅頭つくるようなわけにはいかないんですよ。

これさえしとけば、というマニュアルどおりにはいかない。

だって人間だもの。

親である私が100点じゃないのに
子どもに100点であれ。

っていうのは、どうも合わなかったのです。

仕方がない。私が親だもの。

東大に兄弟を何人も送り込むほど敏腕ではありませんが
うちの子は、華やかな「良い子」ではなく
なんだかほのぼのした「いい奴」にはなってくれました。

女子にはモテないけど、猫にはモテています。


へなちょこな母親ですが
子どもを育てるのって、盲導犬のパピーウォーカー的なものかと思います。

子犬の時に、愛情をたくさんもらって
人間を好きになって、
そして「盲導犬として合格」すれば盲導犬になればいいし、
盲導犬にはなれなくても、また別の生き方がある。

産みはしたけれど、実は「預かり物」で、
ましてや所有物ではないのかもしれない。

「子どもが生まれれば、親にはなれる。
でも、親であることは難しい。」

大学の時に先生に言われた言葉です。
これだけは覚えています。授業の内容はほとんど忘れたのに。

子育てをしていると、
自分の子ども時代の古傷に向き合うことも多い。

私は褒められたこともないのに、
褒めろとな?とか。

でも、自分が子どもの頃
大人に言われてた嫌だったこと、されて嫌だったことは
「私はやらないぜ」って決めることはできるんですものね。

褒めることは苦手でも、
【ねぎらう】くらいはできそう。

ねぎらってもらったら
「なんだかんだいっても
ちゃんと見てるんだな」って実感しますしね。


前回のブログに、胎児性水俣病の娘をお風呂に入れる母親の写真のことを書きました。

あの時に思ったのは、同じ境遇だったとして

私の母は、同じようにしてくれただろうか。
私は、我が子に同じようにできただろうか。

それは、どこかハッキリ言えないのに

強烈にあったのは

「こういう風に、どんな私でも
好いてくれたらどんなに嬉しいだろうか」
という思いでした。

世の中の役に立つとか
必死で頑張っているとか

そういう目に見える
分かりやすい「意味や意義があるから」ではなく

無条件に好いてくれる、
お前は、生まれてきて、生きていてOKなんだと。
例え、他所の人がどう言おうとも、
私は、お前が大切なんだと。
そう断言してくれる。

その存在がどんなにありがたいか。


ユージン・スミスの「入浴する智子と母」の写真を見て、
状況は大変なのに、同情するとかのレベルじゃなく、

胸をよぎったのは
強烈な羨ましさだったのかもしれません。


子どもは、饅頭工場で合格品をつくるようなものじゃない。

親の成績表でもない。


生きている「意味が(今は)よくわからない」ことは
(イコール)生きている「意味がない」とは絶対に違う。

しかも、それをどうして誰かにジャッジされなければいけないのか。

自分が「意味が理解できない」だけで、
「意味がない」と決めつけて。

それじゃ、相模原障がい者殺傷事件の犯人と同じです。

私たちは何もかも理解できているわけではない。

それなのに
「意味」ばかり考えて、
ジャッジして。

目に見えることばかりが
人の「役に立つ」じゃない。

日の当たるところで頑張る人も、
人知れず、がんばる人もいる。

役に立って偉いとか、
頑張ってて偉いと、

他人をジャッジし、
自分すらジャッジし

存在理由や生存理由まで判定されるんでしょうか。

でも、それって
お互いがお互いを見張り合うような
ギスギスした世界になりかねない。

役に立ってないと、
いかにも頑張ってないと、
好いてくれない世界で
私たちは
いつ心から安心できるんだろう。

理屈抜きで、
損得なく好いてほしいのは

きっと、大人も子どもも同じ。

皆、冒頭の赤ちゃんみたいに
意味があろうがなかろうが

ニコニコ笑っていたはずなのに。

生まれつき
おとなしい赤ちゃんはいても、
根暗な赤ちゃんはいない。

皆、ニコニコ笑っていたはずなのに。

ピエタ

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

読書会で『苦海浄土』を紹介されたのを皮切りに、
なんだか個人的に、石牟礼道子三昧となった今年。

その流れで、ジョニー・デップ製作・主演の映画
「MINAMATA-ミナマタ-」を観に行きました。

友人に誘われて観た井上弘久氏の
朗読劇『椿の海の記(著|石牟礼道子)』も、きっかけの一つ。

公害けしからん!はもちろんのこと
それ以上に、
人のいとなみや、自然について
考えさせられることが、とても多かったのです。


『椿の海の記』は、公害が起こる前の水俣が舞台。

4歳の「みっちん(幼少期の石牟礼道子)」の目を通して
どこまでも豊饒な水俣の自然と、
その恵みに生かされて生きる
人々の様子が描かれます。

それまで、私にとって「水俣」は、
【公害の起きた場所】でした。

元来の猫好きなので
猫が踊り狂うように死んだりする映像もショックでしたし、

同じように人々が、痙攣したり、
のたうちまわって苦しむ姿は、強烈で

【被害者としての水俣】を
印象として、強く持っていたんだと思います。

でも、違ったんです。

被害者であることだけが、水俣の全てではなかった。

あの公害が起きる前の、水俣が
どんなに豊饒な世界だったか。

それを教えてくれたのが石牟礼さんの『椿の海の記』でした。

「やまももの木に登るときゃ、山の神さんに、
いただき申しやすちゅうて、ことわって登ろうぞ。」

小さな「みっちん」に、父・亀太郎が何度も言い聞かせます。


自然は人間だけのものではなく
山の「あのひと」たちのものでもあり、
神様からの「恵み」である。

だから、断りばゆうて
分けてもらう。

自然の、恵みにおすそ分けをもらって
生かされている人間。

・・・うわ~。

努力と根性で、右肩上がりに上がることばかりが
偉いと思い込んでると、

【思い上がり】も、右肩上がりなのかも知れません。


また、登場人物に考えさせられることも多かった。

ご近所の末広の女郎さんたち、
岬の火葬場の隠亡(おんぼう)の岩殿(いわどん)

世間でいうところの、けっして立場の強くない人々に
どこまでも目線の優しい
みっちんの両親。

そして、盲目で狂女の
祖母「おもかさま」。

石牟礼道子という人が描く、
映画を見ているような、繊細な文章の世界に
すっかり参ってしまったのです。


今回の映画も、ユージン・スミスが撮った
【人の営み】が見てみたかったのが一番の理由です。


ネタばれするつもりはないので
詳しくは書きませんが

実際は、ハリウッド的勧善懲悪とはいかない
複雑な事情もあったのだろうなと思います。

それでも、絶対「しかたないよね」ではすまされない。


國村準さん演じるチッソ社長が、ppmの話をするシーンが印象的でした。

ごくわずかなら、無いに等しいと。



有毒でも、ごくわずかなら無毒か。

騒いでいても、ごくわずかな人間なら問題ないか。


「チッソは私であった」の著者・緒方正人さんではないですが

チッソは私。
私は、チッソになりうるって
どこかで思っていないと
間違えてしまうような気がしました。



映画の中で、胎児性水俣病のアキコちゃんを
お母さんがお風呂に入れるシーンがあります。

ユージン・スミスの「入浴する智子と母」という作品が元ですが、

もう、なんだか心を揺さぶられて
不敷布のマスクが
ぐしょぐしょになって、エライことになりました。

上手く言えませんが、

私の母は、同じ立場なら
私をこんな風に愛おしそうにお風呂に入れてくれただろうか。

同じ立場なら、
私は、我が子をこんな風にできただろうか。

その姿が、ピエタのようで

エンドロールで流れる坂本龍一さんの音楽が
強くて、きれいで。

きれいごとじゃすまない一面の、
それでも
絶対に人が失ってはいけない核心に触れたようで

本当に、何の言葉でも埋まらないのですが、

きれいごとじゃないのに、
何とも言えない、絶対的なものを見せられた。

そんな感じでした。


それにしても、ジョニー・デップ。

映画に詳しくないとはいえ、
私が知っているジョニデは

ハサミつけて「白塗り」してたり、
チョコレート工場で「白塗り」してたり、
海賊やって「白塗り?」してたりだったので

あまりにも違って、というか
本当にユージン・スミスはこんな人だったのではと
そう思えるくらい違和感がなくて。

そちらも意外や意外でした。

例によって長文失礼しました。

あ~、でもまだ話したいこといっぱいある~。



折を見て、また書きたいと思います。


明日は、10/1。映画は、ファーストデイ。

今週末、完成見学会のお家に。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

9/25,26の土日、もくせい工舎では
国東市にて、完成見学会を開催します。

詳しくは→こちら♪

本日そのお家の写真撮影にお邪魔してきました。


20210923_もくせい工舎・自然素材の家の完成見学会・会場外観


お邪魔した時は、まだカーポートが工事中。

お庭をてがける実意園さんが多忙で
見学会までに間に合いませんでしたが、
お庭ができたら、撮影...再度、できたらいいなぁ。

そして、この日は
原田左研の職人さんが
玄関の三和土風土間の最終仕上げをしていました。

20210923_もくせい工舎・自然素材の家の完成見学会・三和土風土間

(撮影するのに)玄関から入って大丈夫ですか?」

「あ、はい。今は大丈夫ですけど、これから塩酸で洗うので...。」

「あ、じゃあ、あちらから出入りしましょうね。」

飾る花を活けながら、さっき聞いた「塩酸で洗う」が気になって仕方ない。

忙しい原田左研の職人さんに、ちょっと聞いてみました。

「さっき、塩酸で洗うって言ってましたけど、
塩酸で洗うと、どうなるんですか?」

「あぁ。(土間の)アルカリ成分が出て白っぽくなるので
酸で中和して、きれいにするんです。」

「壁の漆喰は、酸で中和しないようですけど、
土間はするんですね」

「壁の漆喰は、石灰の色味自体が大事なんですけど、
土間は強度をあげるため、セメントも入っています。
セメントの色味や、三和土に入っている(きれいな)石の色味を
美しくするため、最後に洗う作業があるんです。」

なるほど~。

お忙しいのに、根掘り葉掘り聞いてしまった・・・。
真摯に答えてくださった職人さん、ありがとうございます。

撮影していると、場所がら
飛行機が通過します。

大分空港が、ちょっと先ですものね。

20210923_飛行機

室内にいると、音もそれほど気になりません。


撮影をしていると、それこそ先ほど話した
原田左研さんの仕事ぶりが目に飛び込んできます。

20210923_漆喰の鏝跡

この、鏝の跡、本当にいいでしょ~。

20210923_漆喰の質感

もくせい工舎の漆喰の壁は、本当に手仕事なので
その跡が、なんとも言えない雰囲気を醸し出しています。

手び練りの器みたいな、あの素朴な感じです。

20210923_洗面台付近

手洗い鉢とステンドグラスが素敵な、手洗い場。
直線も、漆喰だと雰囲気は柔らかいですね。



もくせい工舎のお家も、実は【新築の匂い】があります。

建ててしばらくした木の家の匂いとは違う、
フレッシュな、【切りたての木】の匂い。

実際には、乾燥させたりするので
切りたて!ではないはずなのに不思議です。

撮影後は、髪の毛とかから
気のせいか、木の香りがする。

おそらく、はじめてお越しになる方は
圧倒的な、清々しい木の香りにビックリするかもしれません。


大概、撮影にお邪魔している私でさえ、
撮影してると思います。

20210923_もくせい工舎の家は、木がふんだん

「どこまで木やねん!」って(笑)

それくらい、ふんだんに木が使われています。
これを見慣れていると、木の家の概念が変わってきちゃう。

見学会では、その辺も見どころかもしれません。

こればかりは、実際に
来て見ないと分からないですものね。


それと、
マニアックかもしれないですけど、
私は、カーテンが風に揺れるのがすごく好きなんです。

20210923_自然の風

自然の風が、ふわ~っと入ってきて
カーテンが、無垢の木の上を揺れて。

絵になりますよね~。
いや~、しあわせな光景だ。

20210923_9/25・26完成見学会の自然素材の家・リビング

今週末は、お天気もよさそうです。

車で数分のところに
道の駅くにさきと、きれいな海もあります。

よかったら、ご家族で
「どこまで木やねん!」の
自然素材の家に会いに来てください。

今週末の見学会、詳しくは→こちら!

・・・ちょっと都合が悪くて~

という方も、OB様邸個別案内なども致しております。

こちらも、下記バナーより↓遠慮なくお問合せ下さい。

お問合せ・ご相談


みなさまにお会いできるのを、楽しみにしています。

なつかしさの裏側には

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


先日、ある廃校にお邪魔しました。

待ち合わせた友人が、
「朝、廃校になった小学校の草刈りでね。
でも、すぐ終わった。
『いっつも手入れしよるけん、時間がかからんで終わるけどね~』
っち、近所の人たちと言いよったんよ~」
というので、

「廃校...。」

「うち、地区が自分たちで管理するけって
廃校になった後も、手入れしよるんよね~。
普通、市の業者かなんかが来るんやろうけど。

今、地区でサロン開いたり、資料展示したりしよるんよね~。」

個人的には、廃校って
どこぞの団体なんかがリノベーションして
うんたらかんたらというニュースばかり聞くので

「自分たちできちんと管理するから!」という地区の話は
とても意外だったのです。

廃校になって、第三者にわたった学校が
何だかすっかり"こじゃれ"てしまって、
地区とは一線を画す、別物になってしまうような
思い込みがあったのかもしれません。

よくよく考えたら、
廃校をリノベーションして、カフェとか、シェアオフィスとかは
「新店舗オープン!」と宣伝されるので、知っているだけかも。

地道に、地区が手入れしているという情報は
わざわざ、あまり報道されそうもありません。

なんとなく、その大事にされている学校を見に行ってみたくて
忙しい友人に付き合ってもらって
訪れてみた、というわけです。

場所は、中津市津民の河川プールのまだ上流。
長岩城跡の近くの、永岩小学校。
旧とつけたくなりますが、まだ使われてますものね。

210915_校庭から校舎を望む

小さな校庭に桜の木。
そして、こじんまりとした校舎がありました。

210915_nagaiwasyo_1.jpg

正面には、木製の手書きの表札。

210915_職員室前210915_ガラスの建具
古い木の建具が味わい深い、職員室前。

210915_保健室前のかわいいボード210915_長い土間付きの廊下
手づくりの可愛い掲示板のある保健室前。土間が平行する廊下をはじめて見た。

210915_体育館
小さめのかわいい体育館も。烏骨鶏とウサギの飼育小屋もあった。

まず案内してもらったのが、最後の在校生たちが作った
長岩城の模型。

なんでも、先生に
「賞をとったら、東京に呼ばれるけん、
東京ディズニーランド、いけるぞ!」
と、のせられて(?)放課後残ってまで
完成させた力作です。

山城の様子を分かりやすく伝えるために
等高線を参考に、山の起伏を表現したり。
特徴的な平べったい石積みを、忠実に再現したり。

崖が危険だからって、「落ちたら死ぬ」と書いてあったのには
笑いました。

「本当だ。落ちたら、そりゃ~死ぬかも(笑)」

その作業の様子や、学校行事の様子が
掲示されていて、友人から
地域あげての運動会の様子も聞きました。

「70、80のおばちゃんたちが、
もう、元気いいでな~」

地区の敬老会も、ここでやっていたとか。
写真には、何とも楽しそうな
笑顔が並びます。

あえてこの自然豊かな環境を気に入ってくれた
先生も少なくなかったようで、
校長先生入れて、4~5人の先生たちの
満面の笑みの集合写真もありました。

大型校では、あまり見ない類の教職員写真です。
(大型校も、満面の笑みで写ったって良さそうなのに。)

私の友人も、ご主人も、お子さんも、今は亡きおじいちゃんも
この学校の写真に楽しそうに写っていました。

ふと思ったのは、懐かしさには
必ず裏に、温かな思い出があるということです。

辛い記憶や、それにまつわる傷が癒えていないうちは
なかなか、その場所を懐かしく思い出すことなんてできないからです。

大きな桜の下、地区の人たちが
お弁当を広げ、楽しそうに笑う写真に
「自分たちが管理するけん」の
意味が分かったような気がしました。
(気がしただけ、かもしれないけれど。)

地区の絆って、無理強いして
できるものではないように思います。

嫌々参加っていう人もいるかもしれない。

かくいう私も、あまり地区の行事やPTAは好きではない。

ただ、少しずつ、
色々もやもやはあっても、少しずつ
顔なじみになる、
名前くらい知ってる人になる、
話をしたことがある人になる、
笑いあったことがある人になる、

そういった些細なことの積み重ねが
地域で生きるってことではないかと
この歳になって思うことです。

今いる場所が、いつか懐かしく思い出されるように、
色々あっても、どこか温かい記憶として残れば
良しとしたいところです。

地区もそうですが
子ども達にとって、我が家もそうかもしれない。

顔をあわせれば、嫌みや忠告しかででこない親がいる実家より
近所のおばあちゃんの方がよっぽど懐かしいなんてことだってある。

それってやっぱり、【居心地の良さ】ではないでしょうか。

居心地のよかった場所は、
きっと思い出しては
【懐かしい場所】になるのだと思います。

そんな居心地の良い
思い出の場所の一つが
わが家であれば、親冥利につきそうです。

そんな居心地の一助になりそうな木の家が
もうすぐお目見えします。

そうそう、宣伝なんです。
だって、自然素材の工務店もブログですもの。
ちゃんと、告知しとかないと(笑)

どうか、こちらもぜひ
良かったら、一度ご覧ください。
お待ちしております。

9/25・26 国東市完成見学会


木造住宅なら、どれも自然素材の家か?

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


本当に自然素材の家を必要としている人に
もくせい工舎の家のつくり方が伝わるようにしたい。

そう永家Tさんから相談されて
じわじわ関連のバナーやページを
整理したり、作成したりしています。

見慣れた記事も少しずつ
変えるところは変えていくと思います。
お付き合いいただければと思います。

最近の追加は
自然素材の家と、新建材の家 ~【自然の木】でつくった家と、【石油化学製品】でつくった家の違いは何かの記事。

良かったら、ご覧ください。

ところで、改めて考えてみても
自然素材の家ってなんでしょうか。

木造住宅なら、木は使っているのですから
すべて自然素材の家に決まってるじゃん!

そう言えそうです。

新しい記事にも書いたのですが
自然素材の家と名乗るのに
法的な決まりごとはありません。

使用している
自然素材の割合が
ちょっとでも、たくさんでも
自然素材の家と名乗れます。

そうすると
本当に切実に
本物の自然素材の家を望んでいる方にとっては
ちょっと意味合いが違ってきそうです。

健康に良さそうなイメージだけで売るか
不自然な家にしたくなくて自然素材の家を建てるかは
まったく別物だからです。

じゃ、どう考えるか。

それを見分けるのは
工務店の事務所の建物や、ブログやインスタなどだと思います。

自然素材の家を売りながら
事務所は全く自然な感じじゃないとか

ブログやインスタを見ても
あまり自然のことに関心がなさそうなら
ちょっと用心した方が良いかもしれません。

実は私は、家を建てる時
もう一社、気になる「自然素材の家」を建てる会社がありました。

そこの工務店の完成見学会のお知らせが入ったので
見学会の数日前に
実際に現場に見に行ったことがあります。

なんか、全く心動かず。

私、こんな家ちょっと嫌だなぁと
感覚的に思ったのです。

外壁が吹き付けで
息が詰まりそうな感じがした。

この、感覚として好きかどうかってかなり大事で。

見学会当日などは
べったりくっついてこられて
さもいいことばかり言われたら
この感覚が研ぎ澄まされる暇なんてありません。

だから、静かな時に
一人で見行ってみる。

その時、
「あ、私こんな家に住みたい!」
って思えば、その工務店の見学会に行ってみれば良いと思います。

本物の自然素材の家は
職人さんの
木工作品のようで
手び練りの器のよう。

素朴だけれど
なんともいえない
味わいがあるはずです。

お好きな方は
きっと見れば分かるはず。

でも、これが
見ないと分からないんですよ~。

本人に会うように
家に会わないと分からない。

だから、9月の25,26の週末。
国東市で完成見学会を行います。

ぜひ、一目
不自然なものをできるだけ省いた
自然素材の木の家に
会いに来てくださいませ。

県北からちょっと遠いですが
ドライブがてらいかがでしょう。

見学会情報アップしましたら
ぜひご検討ください。
(※9/7に関連記事アップしました~♪)

木が本当に好きな方には
きっと気に入っていただけると思いますよ~。

じわじわできた傷は

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


○○豪雨と後に名前がつくような
猛烈な雨が降り、甚大な被害が発生する恐れがある。

その言葉通りに、ここ数日のひどい雨。
各地から被害の様子も
次々と報道されています。

大分県北で集中して降れば、
報道を見て心配した福岡や大分市の友人が
大丈夫かと連絡をくれました。

ところが、
その数時間後には
その友人のところの方が
危ないことになっている。

2012年の九州北部豪雨では
本当に身の危険を感じるような思いをしました。
あんなに雨音が怖かったのは
生まれて初めてでした。

見慣れた青の洞門付近の風景が一変し、
川沿いのレストランの中に
濁流が渦を巻く様子に愕然としたことを覚えています。

あの滝つぼの中にいるような雨の中、
実は母から電話がかかってきたのです。

「大丈夫~?」

ところが、人間、本当に怖い思いをしている時
大丈夫かどうか、こっちが聞きたいくらいなのです。

とはいえ、母に言ったところで
雨が止むわけでなし。

とりあえず、状況を説明すれば
余計な心配かけるだけなので
(今のところ生きてるし)大丈夫」とだけ言って電話を切りました。

ああいったことがあってから、
遠くに住む友人に
今回のような大雨や災害があった時
実のところ、なんといってよいのか分からなくなりました。

大丈夫?と聞いて
大丈夫じゃない時、
なんと言ってよいのか。

それは、大事な人を失って
泣いて悲しむ人に言葉が見つからないような
あの感じに似ています。

お腹の底で
その悲しさがギューと伝わるような感覚はあっても
それを言葉にしようとすると
どうも違う。

うまいこと言おうとする
イヤらしい感覚も出てくるし
何を言ったところで、かもしれない。

そんな時、本当に
自分の言葉の拙さに嫌気がさしてしまう。

大学時代からの腐れ縁の友人2人に
「大丈夫か? 無事を祈ってる! 困ったら何なりと!」
と送ってはみたのですが、
1人からは返信がないので、

本当に今はそれどころではないのかもしれません。

脱炭素化社会、って言葉をよく聞きます。

マイバック、ゴミの分別、etc.

細々できることからやる、のは
とてもよくわかる。

でも、

何十年に一度が、来年も来ないようにするには
どうしたらいいのか。

起こった結果のメカニズムは
どこかの専門家が説明してくれても、
来年、また「何十年に一度」が来ないようには、誰にもできない。


ふと、ハチ(元野良猫)
家に迷い込んできたときのことを思い出します。

ハチの脇には、輪ゴムが食い込んで
えぐれてできた傷があったのです。

猫のケガ
推測ですが、何かの拍子で輪ゴムが脇にかかったまま、体が大きくなったみたいで。
首にもゴムのカスがついていたので、取ろうとして取れなかったのかもしれません。
ゴムと言えども、食い込んで、ぱっくりとした深い傷になっていました。


避妊手術をかねて、動物病院に行ったとき
言われたのです。

じわじわできた傷は
じわじわ治すしかない。

いつの間にか、ひどいことになっていた
深い傷。

同じだけ、辛抱強く
良い方向に向かって取り組んでいくしかないのかもしれません。

環境もだし、
体もだし、
心の傷だってそうなのかもしれない。

それでも、毎年こんな雨は
勘弁してほしい。

AIに仕事を奪われる話だけでなく、
こんな時ほど、ぼんやりとしたエリアメールではなく、
ピンポイントで、
「今、あなたが危ない!」をAIには教えて欲しい。

「今までに経験したことがない」が起きるなら
膨大なデータの中から、
どこにどう逃げればベストか
そういうことこそ、AIに教えて欲しいくらい。

AIに頼りたくなってしまうのは
便利に慣れてしまって、
虫の知らせ、の感覚が鈍っているんでしょうか。

じわじわ傷が深くなる前に、
このままじゃ「ヤバい」と感覚的に分からないと
いけないのかもしれません。

なんでも、ほどほどにが
一番かも。