学校に行きたくない
9月1日は、関東大震災が起こった日。防災の日です。
それと、夏休み明け近くになると、
9月1日は、別のことでも注目を集めます。
子どもの自殺率が最多になる、そんな日。
大分県内は、夏休みを前倒しする市町村が
18市町村中13と、大半で
9月1日とは、限らなくなっていますが。
ともかく、長い休みの明けた
2学期最初の日。
ちゃんとした知識や、見解なしに
ここで私が書けることってないのですが
この前、NHKの『逆転人生』で
『不登校新聞』のことを知りました。
糸井重里さんの『ほぼ日』がらみで
番組のことを知って、見てみたのです。
現在『不登校新聞』編集長の石井さん。
中学受験の失敗、学校や先生への不信をきかっけに
不登校に。
ずっと、行かない「安堵感」より
学校に行けないことへの「罪悪感」に苦しみ続けてきたといいます。
その後フリースクールの存在を知り、
ボランティアとして不登校新聞に参加。
自分の憧れだった人たちに、インタビューすることで
色々な「言葉」に出会っていくことになります。
特に、わたしが個人的に響いたのは、このお二方。
「この先どうやって生きていけばいいか?」の問いに、糸井重里さん。
「楽しそうにしてれば、いいんだよ。」
学校に行かないという選択肢の中に、もっといいものが混じってる可能性がある。
「着実に地面を行く感じよりも、とんじゃったほうがいいんだ。
順番に階段のぼらなくても、とんじゃえ、とんじゃえ!」
新聞の特集で、不登校の子あてに、樹木希林さん。
「難があるから、育つのよ。」
「全身にガンができて、私自身、成熟した気がするの。
【有り難い】って、難が有るから、でしょう?
難が有ってこそ、人は育つんだから
あなたたちの不登校は、実は財産になるんじゃないの?」
私は、不登校ではありませんでした。
でも、学校がつらくて、息苦しくて
行ってはいたけど、半日持たず帰っていました。
親に色々言われるのが嫌で、
隣の区にあった高校から
3時間かけて、とぼとぼ歩いて時間をつぶしました。
何となく、「レールから外れた」感じを
大人になった今でも感じますし
「普通にうまいこと」いけなかった劣等感があります。
「ちゃんとしなさい」
「なんで普通にできんの?」
「あんたみたいに、そんなことイチイチ考えよったら、
世の中渡っていけん」
でも、ちゃんとするの「ちゃんと」ってなんだろ?
「普通」ってなんだろ?
「普通に」「ちゃんと」はしていませんが、
世の中渡っていけんと言われた私も、
アラフィフのおばちゃんになりました。
「有り難い」ことに、周りのみんなに助けられて。
大人が決めつけた通りになっていませんし、
そこまで言われるほど、ダメダメでもないような。
自分なりに、なんとか生きていますし、
ちょっとした「楽しみ」すらあります。
番組でもあっていましたが、
不登校の子は、「行かずに済む、しめしめ」なんて思っていない。
ずっと、ず~っと罪悪感と、出口の見えない閉塞感に苦しんでいる。
家族も苦しんでると言えますが、
「大好きな親をがっかりさせている」って、それ以上にずっと自分を責めている。
でも、【普通に、ちゃんと学校にいくこと】と、
【自分(と、その命)】を天秤にかけたとき
「ちゃんと」自分の命をとっているともいえる。
ちゃんと、最後の砦で「SOS」を出せている。
うまくいえませんが、
苦しむ不登校の子を救えるのは
同じように苦しんできた、大人だけだと思います。
順風満帆、「ちゃんと」できた人たちには
その苦しさは分からない。
だから、今苦しんでいることは
次の誰かを助ける力になるかもしれない。
石井さんは言います。
「色々な人に話を聞いて、みんな答えはバラバラでした。
だから、正しい答えなんてない。
正解なんてない、って気づいたんです。」
「学校というレールから外れた自分は、
もう、まともな人生を歩けないと思い込んでいた。
でも、そこから始まる人生もあったんです。」
うまくいえんけど、
どうか、どうか、死なないで。
好きなもののためならまだしも、
嫌いなもんのために、なんで死なないけんの?
世界には、まだ見たこともない
綺麗な景色が待っている。
悩んだり、苦しんだり、
うじうじ考えたり。
そんな君だから、
誰かが泣いているとほっとけないんだ。
「あいつは、弱いから泣いてる。
だから、ダメなんだ」って、絶対言わない。
人の憂いによりそえるから、優しいんだ。
悟りきって、人の気持ちに寄り添えないご立派な人より
思わず、一緒に泣けてる人間の方が
ちょっと私は好きだな、と思うのです。