満足は誰のもの

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


土と雑草のことが知りたくて買った
『自然栽培』という季刊誌に
『自分で治すという考え方』というコラムが載っていました。

バランス健康アドバイザーの工藤和也さんの記事で、

頑張りすぎて、
あれもダメ、これもダメ、と否定や排除ばかりするよりも、

頑なさをユルめて、
ありがたがって、しっかり噛んで食べるほうが

心身のバランスに良いのでは?

というような内容でした。

ご自身が、花粉症を治したくて、

ゴリゴリに食べるものに拘ってしまって
他人の食べているものにも口出しするようになり、

周囲に、BBQにも誘われなくなったことを書いておられたのは
爆笑してしまいました。

『自然栽培』という、こだわっていそうな季刊誌に
少し肩の力がユルむような記事で
とても印象に残ったのです。

さて、ここで本題です。


マーケティングは顧客からスタートする。

顧客の現実、欲求、価値からスタートする。

我々の製品やサービスにできることはこれである、ではなく、

顧客が価値ありとし、必要とし、
求めている満足はこれである、
と言えなければならない

ピーター・ドラッカー

広告を書いていると、ついついドラッカーいうところの、
【製品やサービスにできること】を伝えたくなる。

自然素材で家さえ建てれば、こんなメリットが!って言いたくなる。

無垢の木と漆喰の家の良さは分かっていても

自然素材で建てさえすれば
すべての問題が解決!
すべての病気が治る!みたいな書き方は
ちょっとアウトだと思うのです。

健康なものばかり食べていても
人間いつかは死ぬように

自然素材の家に暮らしても、
たまには風邪もひきます。

どんなに気を付けても
いつか死ぬ。

そんな死に方を選べない私たちが、唯一選べるとしたら生き方なので
時折、不安が暴走して、

頑なに偏ってしまうのでしょう。
・・・BBQに誘ってもらえないほどに。

それは、何を大事に生きていくかという
バランス配分の話になりそうです。

つまり、死に方より
大事にすべきは、生き方。

どういう状態の
心と体で生きてきたか、ってことじゃないでしょうか。


では、
顧客が価値ありとし、必要とし、
求めている満足はこれである、
と言えなければならない

ような家ってなんでしょう。

お客様には、
こんな風に暮らしたいというイメージがある。

それを叶えてくれそうな、家に会う。

いやいや、自分たちにはムリやろ~。

え?もしかしてできるのか??

その家が、建てている途中も、
住んでからも、

想像以上の満足度であったとき、

それは、きっと大切な誰かに勧めたくなる。

「不安やったけど、できたよ。
すごくいいよ」って。

「○○さんがこちらで建てていて、行ってみたら本当に良くて。
話を聞いても、おススメだと言われて・・・」


口コミレビューがあふれる今の時代にあって、

知らない誰かの「いいね!」より

知っている誰かの、お墨付きほど
信頼できるものは無い。

それは、
建ててくれたお施主様たちが

次建てることがあっても
【またもくせい工舎で】と思っていただけて叶うこと。

そういった方が多いほど、叶うこと。


顧客が建てたいのは

「工務店がこだわった」家ではなく

「自分たちがこだわった暮らし方」の家。

それが叶えば、家にはどこか
そのご家族らしさがでる。

その人となりや、個性がでる。

施工事例の一覧に、それを感じるかもポイントです。


「そうは言っても、今、何もできない」

そういった方ほど、できることがあります。


施工事例を、たくさん見てください。

実物をたくさん見てください。

そして、自分たちのこだわりを
少しでも叶えてくれそうな工務店を
見極める眼力をつけてください。


顧客のワタシが価値ありとし、
顧客のワタシが必要とし、
顧客のワタシが求めている満足

を満たした家を建てなくちゃ!

「誰かにこう言われた・・・」ってこともあるでしょう。

それでも譲れないことはあっていい!と思います。

お金出すのは、自分たちなんだから
顧客のワタシが満足しないといけません。

「なんも知らんけ、
アドバイスして、説得してやった」というのは相手の満足ですよ~。

大事なのは、例え経験が浅い人間の望みにも
「こうはムリやけど、こういうやり方は?」と代替案が提案できるかです。

間違っても、「は?そりゃ金だせるならやってやるよ」じゃ
ダメなやつです。

創意工夫できる、(色んな意味で)余裕があるかないか。それが大事です。


前述のコラムではないけれど、

ゆずれない部分の頑なと、
ユルめのバランス、

そして、ないならないで何とかする
【創意工夫】が大事です。

どうぞ、やれるだけやったという
【自分たちの満足】のいく家づくりを!


小心者と隣の芝

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


1月も終わりかけですが

皆さま、初詣には行かれましたか?

おみくじを引いてみた方もいらっしゃるかと思います。

わが家は、不思議なことに
私と長男は、中吉~末吉が多く

片や、夫と次男は
十中八九、大吉が出る。

「おれ、大吉ってほぼない・・・」
年始早々、ちょっと残念そうな長男。

ちょっとここで、仮説を考えてみました。


コップの中に水が半分入っている。

それを

「もう半分しかない」と考えるか
「まだ半分ある」と考えるか。

そういう例えを聞いたことがあるかと思います。

これでいくと、

前者の「半分しかない」と考えがちなのが
私と長男。

「まだ半分ある」と考えがちなのが
夫と次男です。

これ、大吉が出ても同じような反応が出る。

私と長男は、例え大吉が出ても、
「そうは言っても、良いことばかりではないだろう」
ととらえる。

大吉だ!わ~い!

と、素直に喜ばない。

何が言いたいかというと、
同じことが起こっても

そのまま素直に、「わ~い!幸せ~!」と受け取れるか

「たまたまラッキーなだけで、何かあるんでは?」と
捉えるか。

両者の間には、その差があるように思うのです。

「つまりだよ、例え大吉がでようが
宝くじに当たろうが、

神経が細かいと、別のリスクみたいなのをついつい
考えるやん?

やけ、カミサマが

「アンタどうせ大吉出しても
中吉程度にしか喜ばんやろ?

やけ、中吉。」

・・・って出しとるんやない?」



大吉にせよ、宝くじにせよ、
(家でも、ケッコンでも)何かを手に入れるにせよ、

同じ状況で、「しあわせ~」となるかは
人による。

生まれつきかもしれないし、
その人が生きてきた経験上の違いかもしれない。

先のコップの水の例えにしても、

まだまだ、次の水のストックがある場合と
ない場合では、「残り」に対する感じ方は違いそうです。


いずれにしても、私や長男のような小心者は
心配ばかりしていなくてはならず

「しあわせ~」と言えない分、損なような。


ところが、この小心者には役割がある。

小心という言葉には、

気が小さく臆病という意味の他に

細かいことまでよく気を配るというものがある。

気を配ると書いて、気配りで
心を配ると書いて、心配というのも
切ない話ですが

言い方を変えれば、小心者が得意とするのは
配慮とも言えそうです。


「デザインの仕事は、使い手に不便を感じさせないこと」

そういったのは、通信教育のWebデザインの先生ですが

設計寄りのデザインにしろ、何にしろ、

細かいことまで、「万が一」というネガティブを考えつくして
そして回避しようとしていく作業は

ものづくりの現場では必須と言えます。

芸術作品ではなく、そこに使い手がいる以上、

細かいことを気にしない性格だと
(作った本人が気にもしていなかった)何かしらの困りが出てくるからです。


細かいことを気にしない。
オッケー、オッケーの世界は幸せそうですが

細かいことを気にして、配慮して、
少しでも良くなるようにしてきた試行錯誤が

もっと良いモノづくりを支えてきたことは
明らかだと思います。


だから、どちらかというと
小心者の人間は

気疲ればかりで損なのかもしれない。

でも、細かい闇に気が付く人は
意外と
細かい光にも気づくのかもしれない。

細かい光
細かい光って、あまり金と名誉には関係ないことが多い・・・。

だから、(私を含め)小心者のみなさん。

何かを手に入れたくなって、隣の芝が青々眩しくて、

同じように芝を生やしさえすれ.ば・・・と思うかもしれない。

でも、色々気にしぃなあなたは、
きっと芝の管理や、その他もろもろが気になって

手に入れても、余計な心配もついてきたと感じるかもしれない。

思ってたのと違う、と思うかもしれない。

それでも、きっとそれでいいんです。

そうして、心配しつつ
先に進んできている。

そしていつか振り返って

歩いてきた道を見た時に、

なんやかやあったけど、私なりになんとか歩いて来たなぁ~。

そう思うことが、きっと小心者すぎる
私を、誰かを、支えてくれるのではないか。


半世紀ばかり生かしてもらって

中吉には、中吉なりの
何かがあるんだと

そう思うようになりました。


小心者よ、シヤワセは隣の芝にはない。
シヤワセは、自分の足元にある

20240130_アスファルト突き破ってスミレ
スミレは、【ど根性スミレ】とは言われないのね~。でも、どこか誇らしげだ。

きっと極々、ささやかなこと。

過信

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


あけましておめでとうございます。
本年も、もくせい工舎ともども
どうぞよろしくお願いいたします。

元日、16:06。
能登地方で、最大震度7の地震が発生しました。

大津波警報が発令されると、
NHKの女性アナウンサーが必死になって
「いますぐ高台に逃げること!」と伝えていました。

その声が本当に、必死で。
遠く離れた大分にいる身にも
ことの重大さが伝わってきて
テレビから目を話すことができませんでした。

北陸からはるか南にある九州ですら
こんなに寒い冬。

想像すると、心苦しくなります。

本当に怖い目に遭っていなければ、
分からないことがたくさんあり、

それを埋めようとしても、どんな言葉もあてはまらなくて
情けない。

「大丈夫か」と聞かれても、
本当に怖い思いをしている最中は、

この先も大丈夫かなんて
「こちらが聞きたいくらいだよ!」と言いたくなるでしょう。
それくらい、怖い。

上手く言えないけれど、
早く、ふつうの日常が戻りますように。

ふつうの日常のかけがえなさを
こういう時に思い知らされ、

私などは、性懲りもなく
また忘れるのです・・・。


もくせい工舎は工務店で、
この記事を読んでいただいている方の中には、

お家を建てることを検討されている方も多いかと思います。

今回のことで、ちょっと心配になることもあるかもしれません。

家の耐震性能のことは、永家代表に説明を任せるとして、

以下、ワタシの個人的なひとりごととして
ぼんやり聞いていただけたらと思います。


「この家って、地震、大丈夫でしょうか?」


そう質問して、間髪入れず「あ~、大丈夫ですよ」

そう返事をされたら、信じるのは半分くらいにすることを
お勧めします。

なぜなら、実際怖い思いをした人ほど、
【絶対の大丈夫】なんてありえないと知っているからです。

例え、根拠を示せたにせよ
それは【絶対】ではありません。

そして、誰かの言う「大丈夫」を信じて鵜呑みにしても、

何かあった後、その人は責任を取ってくれるわけではありません。

平屋だから、二階建てより危なくない?

津波が来たら逃げ場もありません。

液状化や地割れが起きたら
平屋だから、絶対大丈夫もないでしょう。

地震や水害に強い家とどんなに謳われても、
津波は水が来るだけではありません。

濁流となって、押し流された「モノ」が
流れてくるのです。

ぶつかれば、窓が割れることは当然あるでしょうし、

ましてや火が付いたものが流れてくれば、燃え移るのです。


理論上、「大丈夫」ということはいくらでもできる。

しかし、再度繰り返しますが
本当に怖い思いをした経験があれば

【絶対、大丈夫】はありえない。

そこを簡単に「大丈夫」と口にできる人は、

きっと何かあった後の責任だってとってくれません。


家を建てる地域の、過去の災害を知る。

地盤調査や改良を行う。

耐震性能の良い家に住む。

それらは、前準備であって
【絶対の大丈夫】ではない。

ただ、それらを軽く考えていたか否かは
いざという時の後悔の重さにかかわってくると思います。

用心は、お守りのようなもの。

一番大事なのは、誰かの言った「大丈夫」とお守りを
過信しすぎないこと。

いざとなったら、【大丈夫なはずの家】を置いて

「今すぐ逃げること!」

本当に大丈夫な家なら、避難後戻っても大丈夫なはずです。

誰かの言う「大丈夫」があなたを守ってくれるわけじゃない。

ワタシも
過信しすぎないで、臨機応変に行きたいと思います。

信じるのは簡単だ。
自分で考えずにすむからだ。

おススメでお腹いっぱいになる前に

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


例えば、会社のお昼休み。

時間は1時間。使えるお金は、1000円とします。

さて、どこで何を食べましょうか。

すると、情報通の同僚がやってきて
「知り合いがお店しているので、行ってみないか」と声をかけられる。

どうも、苦労して出店した、こだわりのお店らしい。

断る理由もなかったので、行ってみる。

味は、不味くはないんだけど
特に好きでもない。

まぁ、たまにはいいかな。こんな日も。

ところが、ちょくちょく、ちょくちょく、
その同僚から「おススメ」される。

おススメなので行かないか、と。

もちろん好意で言ってくれているのでありがたい反面、
正直、自分好みのアタリも少なければ

断るのも悪いと思いつつも、

昼休みが始まるのが、あまり楽しくなくなる。


変な例えですが、なぜこんな気持ちになるのか。

もちろん、おススメがアタリばかりなら
嬉しいですし、楽しい。

それでも、ちょくちょくアタリでもないと
私などは、性格が悪いので
ちょっとモヤモヤします。

なぜか。
おそらく、【自分の意志で、選ぶ自由】がないからです。


昼休みの1時間という【時間】も、
1000円という【予算】も、
本来は、どう使おうが私の自由です。

そこに誰かのおススメばかりに、
なんとなく付き合って

結果として満足もしていない。

「どこに行こうかな」
「どう過ごそうかな」

それを考える、迷う楽しさも
きっとあるからです。


今、広告やSNSで、誰かのおススメが溢れます。

これは絶対間違いない!

使って損はない!

これは知っとくべき!
(損得、べき!ばかりで疲れるのです。過保護じゃあるまいし、自分でやってみないと、実際は分からんわーい。)


誰かのおススメが、必ずしも万人に当てはまるわけじゃない。

誰かのおススメが、ハズレだと思うのは

その誰かとワタシは
感覚も大事にしていることも違う
全く、別の人間だからでしょう。

違うんだから、絶対の良いも悪いもないのです。


以前、故日野原重明先生の『いのちのおはなし』という絵本を読みました。

先生は、その中で
その人が死ぬまでに使える時間を、いのちというのだと語ります。


昼休みの例は極端でも、

ワタシの、誰かの、使えるはずだった時間を命というなら

さて、どう過ごしましょうか。

私は

使えるはずだった時間を

使えるはずだったお金を

誰かのおススメに従って決めてしまうのは
うれしくない。

迷いながらも、考えたい。


おススメされても、口コミレビューが高くても

実際に、判断するのは自分なら

実際に、自分でどう思うか感じるしかない。

おススメでお腹いっぱいになりそうな世の中、
最後に頼れるのは、自分の感覚かも知れない。


というわけで、おススメはともかく

自分の感覚で、どう思うか見に来ませんか?

構造見学会、今週末です。(←宣伝か?)

どうでもいい感じの関連?記事→『構造見学会とシュークリーム』

自分たちには建てれないと思っていた

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


「家を建てたい」

そう思ってから、実際に【わが家】を建てたのは
10年後でした。

迷っていたわけでなく、
「自分たちには無理なんだ。建てれないんだ。」と
諦めていたのです。

見栄を張っては通じないので、恥をさらすと

(家族の、知らなかった)借金 by ギャンブル
(それを誤魔化そうとした挙句の)詐欺被害金
■義実家建て替えの連帯保証

などなど、数百万。

頭金どころかの話だったのです。

絶望というより、望むとつらい。
だから、考えないようにしていました。
淡々と、目の前の暮らしを送ることに
専念していたのです。

では、なぜ今
家を建てて、住んでいるのか。

それは、他人様(この場合は永家さん夫婦)の知恵を借りたからです。

悩んだり、行き詰ったり。

今現在の自分だけの、知識や力じゃ
どうしようもない時、

できるだけの努力はしても、
ちっとも前に進まない時、

人は悩んだり、行き詰ったりする。

どんなに知識・経験が豊富な人でも
世界の全てを知っているわけではない。

人間は、(当たり前のようですが)やっぱり
その人が「知っている範囲の事」しか知らないのです。

だから、本を読んだり、
「他の人」と話をして、

初めて
違う道のあることを
知るのだと思います。

先日、永家Tさんと話していて、
意外にも「自分たちには無理だ」と思っていた方の多さに驚きました。

ド~ンと現金で払える方はともかく、

こんなご時世で、未来に何も保証がないのに

「自分たちに建てれるか」の不安は誰しもあると思うのです。

ただ、
「何も望まない」「何も見ない」で
心に蓋をするのは

もう、やめにしませんか?

とりあえず、恥をかいても
聞いてみればいい。

他の人に、知恵を借りてみればいい。

お金はともかく、
知恵は借りても、返す必要はありません。

聞いて、「あ~。無理です。」と言われて
恥ずかしい思いを、したくないかもしれない。

でも、聞かずに
私のように10年を
心に蓋をしたまま過ごすのなんて

本~当にもったいない!

ちょっとの恥を我慢して

次に進むか
別の道を行くか

いくらでも方法はあったのに!


以前、吉野 弘さんの詩について
書いた記事があります。
(なぜか、ワンピースのルフィを引き合いにして・・・)

不完全なワケ

私たちが「不完全」なのは、
他者を必要とするためである。

吉野さんの『生命は』という詩は、
それを教えてくれています。

花とミツバチ
(花もハチという他者を必要とする)

心に蓋ばかりして生きていると、
子ども達に諦めることしか教えてあげれない。

「道が分からなければ、誰かにききなさい。」

それは、大人になっても言えることなんだと
思います。

自分の歩いた道が、
自分の人生になるなら、

選べないことはともかく、

どんな景色がみたいですか。

どんな顔をして歩いていきたいですか。

時々、私自身も思い出してみたいと思います。

不完全な、一人のワタシとして。


どうぞ、皆様に良いご縁がありますように。

〇〇7 住宅展示場より愛をこめて

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


先日、とある住宅展示場で
一日限り、夕方から
《超自由見学会》なるのものが開催されると知り、
ちょっと出かけてみました。

予約なし、セールストークなし、アンケートなし。

セールストークNGのタグを下げていれば、
余計な営業を心配せずに
誰でも自由に見ることができる。

わが家は、持ち家ですし、2軒目などは夢の又夢。
それでも、今どきの住宅展示場に行ってみる良い機会。
(エラそうに言ってますが、ただの興味本位です。)

○○7ならぬ、スパイのような気持ちで
家族に無理を言って
単身大分に向かったのでした。

中央の受付で、一応名前などを書き
(住所名前も書かないで良いかと思っていたのですが、中央受付では必要だったみたい)
赤いNGタグをもらい首から下げました。

資料請求などすれば、Amazonギフト券1000円分がその場でプレゼント。
大いに心が揺れたのですが、一応スパイ(?)なので遠慮しました。

全部で13社。錚々たる有名メーカーばかり。

その中で特に見たいと思うところから見て、
追々時間の許す範囲で見て回ることにしました。
(結局、後半駆け足で全部見れた)

残念ながら写真不可だったので、「たぶん、あの住宅展示場かな?」というところの
公式サイトをご覧になって、
一緒に行ったような気持ちで、ご想像をお願いします。

個人的に印象に残ったのは、13社中、3社でした。

私的ランキングでは
1位・・・・ 藤〇建設さん
2位・・・・S△K△Iさん
3位・・・・谷Ⅲ建設さん
(2位、3位は、ほぼ差がありません。字を一部変えておりますので、ご想像ください。)

一番最初に見たのが、S△K△Iさん。

外壁の黒板にでかでかと
「無添加住宅」とあり、体に悪いものは使わないとのことでした。

外に、無添加住宅専用の漆喰の袋も置いてありました。

入ると、わりと空気は良いような。

漆喰、なのですが
もくせい工舎のそれとは、ちょっと違う感じ。

輝度が高く(白が眩しすぎる)、質感も珪藻土と水紙を足した感じ。

原田左研の漆喰の方が、気孔が多そうな印象。

可愛くて「おしゃれ、おしゃれ」なデザインのお家でした。
(私にはちょっと、気後れする感じで・・・。)

谷Ⅲ建設さんは、どこかの社長さんか
大物政治家か?といった感じの家。

それでも、木の使い方、空間の扱い方は、とてもセンスが良く、
漆喰や無添加といった(自然素材押しの)セールスポイントなしの中でも、

清々しい「木」を感じる家づくりでした。

13社中、その3社以外は、
残念ながら印象に残らなかったのです。
(個人的な好みも多々あります。すみません・・・。)

会社名を言われても、その中身の違いを思い出せない。

どれも高級マンションや、高級ホテルのようで、
ワイングラス片手に、パーティーするような、

ホームシアターで、大型犬と
革張りのソファでくつろぐような、

とにかく、そこに、「この私」が生活している景色が全く浮かばず。

すごいな、ゴージャスだなとは思うものの、
住みたいとは思わず・・・。
(私、屋上にジャグジーとか要らん・・・。)

見てると、さっき行った所と
何が違うかも区別できず、

なぜかだんだん、ぐるぐるしてきて
気持ち悪くなる始末。

湿気の多い日で、外で休むにもスッキリせず。

この気持ちの悪さが、もしかしたらなくなるんでは?と
一回見たのに、再び藤〇建設さんの家に駆け込んだのでした。

・・・・わ~、なんか全然他と違う。

さっきも応対してくれた女性が
「あれ?どうしました?」と声をかけてくれたので

「・・・いや、なんか見てたら
ちょっと気持ち悪くなって・・・。

なんか似たり寄ったりで・・・。」
って言った途端、爆笑されました。

「あ~、なんか分かる気がします!
そうですよね、うんうん!」

年齢も近そうな感じで、その方自身も、藤〇建設で家を建てたとのこと。

シレっと見学者のフリはしてますが、
私も木の家は好きなので、ちょっと話が合う感じだったのです。

その方も「こういう家って、なんかいいんですよねぇ。
それが何かってうまく言えないんですけど。」

そう、なんかうまく言えないけど
自然素材の家って、なんかいい。

口先とか情報とかデザインとか表面のこと以上に、
腑というか、内臓感覚というか、
動物的感覚で良い感じ。

かたや、私的印象に残らなかった家と共通していることがありました。

1,家が広すぎる上、間取りが複雑すぎる
2.インテリア含め、ゴージャスが過ぎる

もう一つ、

3.入った瞬間から、ガンガン空調が効いてて、
なぜかアロマディフューザーのような香りがする
(ドアが開いた途端、冷気の壁があるような。藤〇建設さん等は、ふんわり低い温度を感じる。)

こだわりの度合いはともかく、自然素材に力を入れている家は
人工的な「快適」の香りがしない。

木の匂いと、珪藻土や漆喰の土物の、
健やかな、自然な匂いがする。
落ち着くのです

最後はフラフラになりましたが
13社中、群を抜いて良かったのは、
私的には藤〇建設さん。

ヒノキの床、珪藻土、
何より羨ましかったのが作り付けのキッチン。

「LIXILとかも使いますよ~。」とのことでしたが、
モデルハウスなので当然、豪華仕様。

・・・何でやろ?さっきのゴージャスな家々見ても
ちっとも羨ましくなかったのに、
なんだこのキッチンの羨ましさは!

私、ここで料理したいよ?
(作るものは、ショボいけど。)

洗面台の名古屋タイルなんかも、良かった。
初めて知りました。

お風呂の壁が総ヒノキなのも、羨ましかった。

何より良かったのが、
【月日の経った家の写真展】。

実際に暮らす、お施主様のお家のその後を見れる。

時間が【家を熟成させる】のは、本物の自然素材だからです。

その暮らしぶりが、これまた自然体で、
あぁ、こんなライフスタイルいいなぁと思わせる企画でした。
(お施主様との信頼関係や、その後の経過が良くないと、
まず、できない企画だと思います。

また、一番驚いたのが、建売?かは不明ですが、
営業マンが常駐せず、OB客さんが応対するということ。

会社関係の人間がいると、OB様も、訪問客様も、
本当のところって、話がしにくいですよね。実際は・・・。
その点、すごいな~と。良く言われても悪く言われても、それはそれというのが。

そういうのを、本当の意味で【自信】っていうのだと思います。)

個人的に、珪藻土より漆喰の方が好きなこと、
そしてやっぱり、何もかも整っているので、
お高そうなこと。

外構から、パンフレットから、スタッフから、
申し分ない。

それだけを整えるための費用は、やっぱり家にかかるだろうと思うのです。
それでも、パンフ1冊とっても本当にセンスが良い。

自然素材なのに、ページをめくる度、
ここから違うお家!と
一軒一軒ハッキリ違いが分かるのは
施主の個性を大事にした結果だと言えます。

ただ、やっぱり高そうだなぁ~。

最後に○○7として、感想を言わせてもらえれば、

もくせい工舎ほど、中身にうるさい会社はなかったです。

そして、もくせい工舎ほど、木の香りがする家もなかったです。

もくせい工舎には、住宅展示場も、
そこに常駐するスタッフもありません。

もくせい工舎は、ローコストが売りの家ではありませんが、

その点で、良い家を、お得に手に入れられると思います。

どこのメーカーも、断熱材や防蟻剤、化学ボンドまで使わないなんて
そこまでうるさくなかった。

つまり、そこまでのことをやってる
ちっちゃな工務店だということです。

住宅展示場で、いつでも見れません。
愛想のよいイケメンの若手営業マンもおりません。

ちょこちょこ開催する見学会か、OB様邸ご案内で
ご覧いただけます。

良かったら、小さな工務店の
大きいこだわりっぷりを見に来てください。

色々見て、比較して、
お財布と相談して、本当に自分たちの家に必要なものは何か

じっくり考えてみることが大事だと思います。

色々見るって大事。勉強になりました。

他から刺激を受けることがなくなったら、
良くも悪くも何も変わらない。

どんなに自信があっても
人間だもの。
完璧なものなんてない。

「足りない部分は、きっと伸びしろなんだ~」と
住宅展示場で愛を叫ぶわけです。

私を含めた、この世界の何やかんやに。

個と公と、自然なもの

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


中高年の仲間入りをし、お弁当を作らなくて良い日は
自称ウォーキングに行きます。

「あれ?○○さん、お散歩?」などど言われますが
本人は運動のつもり。

都市部に行くと、ランニングやウオーキングをする人を
よく見るし、みんなカッコいい。

「体調管理、体型管理もスキルの一つですよ」的な、
デキル人感が漂います。

わたし:「なんで、そんな風に見えんのやろう?体型?顔?田舎やから?」

せがれ①:「・・・お母さん、(それもあるけど)絶対、その格好よ。」

近所のポストに行くような格好じゃ、ダメだってことでした。

だって洗濯物増やしたくないじゃん!
(↑このせこい考えが、もう致命的。)

それはともかく、歩きながら建物や風景をよく見る私。

この頃、新築のお家に、黒い外壁にウッド調(←ウッド"調"であって木ではない。)の組み合わせが多いような気がします。

「スタイリッシュ!ではあるけれど、
汚れが目立たんように、かなぁ~」

一般的に、家は建てて、10年もすれば
壁の塗り替えを考えなければいけません。
(家のローンもまだなのに、さらに大金がいる。)

気にしなければ、Okなのでしょうが
新建材の家の外壁は、雨だれのような、
カビのような、黒ずんだ緑色の汚れが目立ち始めるので
気になる方も多い。

その理由か、それとも流行りだからか。

歩いてると、(特に新しい造成地の一角などが)
黒い家だらけ!ってことがあってビックリします。

一軒、一軒はスタイリッシュでも
こうも黒い家ばかり集まると、
ちょっとギョッとする。

さもありなん。
よほどの美観地区でもなければ、
個人が街並みのことまで考えて、家を建てません。

自分たちの家なので、当然自分たちの都合の良い家を建てる。

個が強すぎて、公の街並みとしてガチャガチャした感じになるのは
仕方がないことなんでしょうか。

かたや、先の完成見学会の会場・蛎瀬口。

その昔、中津城の城下町の入り口だった場所に近く、
そのため、会場までの通りには
古き良き町屋の風景が続いていました。

新建材なんてなかった昔の家は、もれなく自然素材の家。
(「自然素材の家」であることが、何のアピールにもならない時代。
それで考えると、今は「自然でない家」が多いってことですかね???)

無垢の木が当たり前ですし、紙や漆喰、土壁など、
家じゅうの全てが、自然なものからできていました。

だから、一軒一軒違うのに、
違和感がなく、美しい。

私たちが家を考える時、
建てる「その家」のことしか考えません。
それが普通です。

一方で、もっと引いて、俯瞰的に考えると

ポツンと一軒家でもなければ、

家の一つずつのつながりが、街並みになります。

個が集まれば、公になる。

つまり、公の美しさは、
個による。

一人の音の美しさが
集まって、和音となる感じでしょうか。

小京都と呼ばれる昔ながらの街並みや、
ヨーロッパの美しい街並みも、

一軒一軒、形が違い、住む人の好みが違っても、
自然素材が、うまい具合に
調和させている例だと言えます。

個としてのありかたが、全体的な
風景の美しさにつながっているのです。


昔、ブログに 【質感】という記事を書きました。

サイディングの壁はデザイン豊富で個性的。

自然素材は、その点、工業製品ほどではありません。

例えるならそれは、ウルトラマン怪獣の塩ビ人形と
ウルトラマンの陶器の人形くらい違う。

試しに【ウルトラマン】とググって見てください。

息子曰く、「最近は、ちょっと個性出てきた」とのことですが
カタチは違っても基本的な配色などは似ているので
怪獣に比べて没個性的です。

だって、ウルトラマンだと一発で分かってもらわないと困るから。

対して【ウルトラマン 怪獣】とググってみてください。

それはもう、あるわ、あるわ個性的!
もう、一個一個違う!
よくこんなに考えたな~と思いますが、

毎週勝つウルトラマンに対し、
怪獣は次々必要なわけで、
先週の怪獣と見分けがつかないようじゃ困るのです。

つまり、怪獣は自己主張無くしては
存在意義が怪しくなってしまう。

存在意義って、「(わたしが)ここに在る意味」です。

それを自分がどう思うかでなく、
他人の評価に委ねると、

「わたしを見て!」「ほら!他より素適でしょ!」と
誰かの「いいね!」を貰わなくてはいけません。

目立たなくてはならない。

それで考えると、自然素材の家って【巣】に近い。

【巣】が目立ったら、命とりです。

自然の風景になじむように、そっと【自然に在る】必要がある。

どちらが好みかは、人それぞれなのでしょうが。

そういえば、水木しげるさんの本に
「木や虫のように死ぬ」という一節がありました。
(↑『人生をいじくり回してはいけない|水木しげる著・ちくま文庫』p120)

戦時中、ラバウルで出会った土の人(原住民)たちは
自分たちを格別エライと思って生きているわけではなくて、

木や虫だとかと同じように生きて、
同じように死んでいく。

土のない所で生きていると
こうせねば、ああせねばとバタバタする。

木や虫のように生きてきたと思ってないから
木や虫のようにアッケラカンと死ねない。

ざっくりですが、そんなことが書いてありました。

自分の存在価値ばかりに気を取られると、
ついつい「生きている意味」なんて考えてしまいますが

本当は、木や虫のように
同じ自然の一部であると芯から分かって

自然体で生きれたら、どんなに気が楽か。
(生きるのがラクかは別だけど)

誰かから「いいね!」されない限り、
自分の存在価値を信じられないのも、しんどいものです。

とは言え、自然も自己主張する。

花の色や香り、
鳥の羽の美しいことも
(ヘイ!そこの彼女)俺を見て!」なんでしょう。
(↑他に言い方はなかったのか?)

それでも、自然の「自己主張」のなんと魅力的なことか!


できたら自然の自己主張を活かして

自然な風景になじむ、自然な家の、

自然な街並みなんかを
この国のあちこちで見れたら
どんなに素敵だろうかと思うのです。
(ロードオブザリングのホビット庄みたいな⁉)

ワタシは、人目を惹く誰かの「いいね!」の家より、
やっぱり
森の中の【巣】のような家に帰りたい。

「ナントカ目線」で、ひとくくりは。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


かつてPTAで、その場の流れで
市の母親代表みたいな役をやったことがあります。

その折、よく聞いたのが
「母親(ママ)目線」とか「女性目線」という言葉。
天邪鬼な私は、少々苦手な言葉なのです。

いやいや、女性とか
母親だから言うてるんやないわ。

私は、私の考えとして、言うてるんや。

なんで変なカテゴリーでくくろうとするの?

思えば、「母親部」「女性部」なんて
どうして性で分けんといかんのか。
(まずそこから分からなかったんだから
本当に向いてなかったんです。PTA・・・。)

女性だから、母親だから
読み聞かせとか、食育の話でも別室でしてればいいわ
って扱いはとても疑問だったのです。
(圧倒的に男性が多かった各PTA会長の集まる理事会では
読み聞かせも食育も話にほぼ上がらない。
暗にそれは、女性の、母親の役目ってことなのかな?)

本当に良い話なら、読み聞かせだろうが
食育の話だろうが、
父親も、男性も一緒に聞いても良いはず。

目の前の子ども達を育てているのは「同じ」なのに
どうして「役割」で分けるのか。
どうして男女一緒に話さないのか
不思議でたまらなかったのです。

一緒に話すから、違う立場の
違う経験をした人の、
違う意見が聴ける。

違う視点(目線)でものを見れる。

それが相手の立場になる。
思いやれるきっかけになるんだと思います。
(完璧でなくても、ささやかでも。)


ナントカ目線って、実はそういうカテゴリーで分けるものじゃなくて
個人の経験に基づくものなんじゃないだろうか。

主婦目線だって、いっさい家事をやらない人には
わからない。
(例えば、超便利な家電が、絶望的に手入れがしにくい時。
これ設計した人、手入れのことまで考えなかったんかな~と思うので。)

台所という場所一つとっても
どうあってほしいかは
人それぞれ違う。

ひな形におしこめて
想像でひとくくりにはできない。

家族と話しながらが好きな人は対面を望むかもしれないし
キッチン独立型を望む人もいるかもしれない。
(私なんぞは、家族がのんびりしてる中、
広くない台所で、一人黙々と皿洗ってると逃げ出したくなるのです。

次、家を建てることでもあれば、完全独立型にして
音楽をかけながら、庭の緑が見えるとか、
気がまぎれる台所にすると思う。)

母親目線だって、母親にならないと分からない。

これに関してはかなりデリケートですが
子どもを産むということは、ホルモンの関係や状況、個人差もかなりあって
頭で考える以上に、理想通りいかないこともある。

母親になった瞬間に、誰でも聖母になるわけではない。
決してきれいごとじゃない。

それが身に染みて分かったのは
やはり、私なりに経験してきたからです。

同じように言えば
お客様目線とか、患者目線とか、なんでもそうかもしれない。

同じような立場に立って、
恐らく「困った」経験がないと
痛みには添えない。

同じような目線。
同じような考え。
同じような意見。

そこに多様性はないし、
そこから生まれるものにも
多様性はなくなる。

似たようなものばかりできてしまう。
人は、それぞれ違うのに。

違った目線。
違った考え。
違う意見。

多様性を認める社会とよく聞くけれど、

それは
「わたし」を認めてもらうだけでなく
「他者」も私が認める社会のこと。

だから、きっとそこで起こる多少の違和感や
慣れない感じを排除しないでおく

その度量が、「わたし」にも求められる社会。

ひとくくりにできたら、簡単なのに
そういうわけにはいかない。
ままならないことも多々ある社会だと思う。

見方を変えれば、
ままならないということは、
「わがまま」になっていないこと。

独りよがりになっていないこと。

それが自然であり、多様性なんでしょうか。

自然界も、多様性が失われれば
バランスを失う。

人間も、自然の一部なんだから
ひとくくり、みんな一緒の考えなんて
不自然だと思うんです。

つまり何がいいたいかというと

皆がいいね!って言ってるから!より
自分自身が、自分の目線でどう思うか、が大事!だということです。

そして、それぞれの「目線」を大事にしたら
生まれるものにも多様性が出てくる。

それを感じるかどうかも大事だと思います。

そうそう、
ありがたいことに
完成見学会が、2軒も
迫っております。

よかったら見に来ませんか?
(結局、宣伝なんか~い。ですが。)

口コミの百聞より、信じるべきは
「わたし」の一見ですよ。

どうぞ、実際に木の家を見に来てください。

実際にお金払うのも
実際に住むのも
「わたし」たちなんだから

「わたし」目線で、どうしたいかが
大事だと思います。

興味があれば、ぜひ↓

6/17・18 完成見学会 in 宇佐市
6/24・25 完成見学会 in 中津市

木の家でお待ちしています♪

(た)がために

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


こだわりの○○。
△△にこだわった。

そう書くと、ちょっと特別感がでるし
「他とはちょっと違うんですよ」をにおわせることもできる。

へそ曲がりな私は、この言葉があまり好きではなく、
ナントカ他に言いようがないものかと考えてしまう。

なんかちょっとドヤ感というか、
威圧的な感じがしてモヤモヤするのです。

さらにへそ曲がりなことを言わせてもらえば、
こだわりの料理が、必ずしも好みとは限らない。

接客時に嫌な思いをすれば、
例えどんなに美味しくても
二度とその店に行きたいとは思わないでしょう。

つまり、作り手が
どんなに「こだわり」を売りにしても

それを「買ってよかった」と感じるかは

相手の受けた印象と
評価に委ねられるもの。

「こだわって」「頑張って作った」が
必ずしも、高評価につながらない厳しさがあります。


「こだわり」という言葉の意味を調べると
(ざっくりですが)

①ちょっとしたことを必要以上に気にする。気持ちが囚われる。
②妥協せず、とことん追求する
③つかえたり、ひっかかったりする
④ケチをつける

といったところ。

②は近年になって使われることが多くなったようです。


前回、コスパと、お買い得と、目線の違いという記事を書きました。

家を建てるのに、まず安さ優先で考えるか
そもそも家づくりや暮らし方に、憧れや夢があるかで

見に行く先が違うというようなお話をさせてもらいました。


思い入れがあるから、
少しでも、叶えてくれるところを
探している。

色々なハウスメーカーに行っても
なかなかピンとこないというのは、

自分たちの思い入れと、ちょっと違って
腑に落ちないからだと思います。

ようやく、叶えてくれそうな
「こだわり」のある作り手が現れたとしても

ここで勘違いしてはいけないのは

お客さんは、

「作り手がこだわる家」が建てたいんじゃなくて

「自分たちがこだわった家」が建てたいという点。


湯水のようにお金がなければ
妥協しないといけないこともあるでしょう。

大事なのは、
その残念さに、作り手がどう向き合ったか。

それで、その印象は全く違うと思います。

「は?そりゃ、(金)出せるなら
してやるよ?」感満載だったら

夢や憧れがあった分だけ、
ショックも大きい。


初対面で、そういう態度を取られることは論外ですが、

慣れてきても、態度が変わることなく

威圧感がないか。(客を「素人」「分かってない人」扱いしない)
なんでも相談がしやすいか。(くだらないことでも聞きやすいか。馬鹿にしないか。)
その余裕が相手にありそうか。(特に心の余裕。イライラして豹変しないか。)

は、家を見るのと同じくらい大事かもしれません。

金銭的に余裕がないこと。
建築知識がないこと。

それで(何故か引け目を感じて。←それでも大金を払うのに!)なんとなく
(「こっちにしとけば?」「いつかにすれば?」の)おススメされるがままに家を建てて

飲み込んできた言葉が多いと
いざ何かあった時、爆発しかねない。
(不満ほどじゃなくても、当初思い描いていたのと違う残念さ。
もちろん善意でのアドバイスであるけれど、結局自分たちには叶えられなかったという無力感。)


かっこいいことばかり言う男が
かっこいいこと言いながら逃げていくように(何の話?)

いざ「あれ?言ってたことと違うけど?」となっても
責任どころか、
心底謝ってももらえないなんて、良くあることです。
(金額が大きいほど、謝ったらアウトなの?)

プロだろうが、素人だろうが、
同じ目線に立って
一緒に考えてくれそうか。
その余裕があるか。

料理屋さんは一度きりでも、
家は違う。

自分たち(←作り手)の「こだわり」以上に

お客側にも「こだわり」や「夢」があることに
寄り添ってもらえるか。

それが結局は、
作り手へのYesにつながるんじゃないかと思います。

余裕って、大事だ。

いっぱいいっぱいにしないことは、

他人のためでも
自分のためでもある・・・ような気がします。

もったいなか~

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


ずいぶん前になりますが
ある大手のハウスメーカーの前を通りかかった時
住宅展示場のモデルハウスが
重機で壊されている所を見ました。

そんなに古くもない
私には立派すぎるような家を
誰も一度も住んでないにも関わらず

基礎の鉄筋もむき出しになって
バキバキと壊されている最中でした。

それからしばらくすると
同じ場所に
黒い壁に木目調の「今風」の
新しいモデルハウスが建っていました。

前回も書きましたが
わが家は住宅ローンを
主人がそこそこの年齢になるまで払わねばなりません。

その、えっちらおっちら返さねばなれない
大金で建てた家を
まるでマネキンの服を変えるように
取り替えてしまうことに
正直びっくりしたのです。

モデルハウスとは言え
何千万ではないの?

でも、「今風」に変えた方が
会社としてお得だから
変えてるわけです。

ひゃ~、すごい。
でも、もったいない。

家は、いずれゴミになる。

それを考えると
新しいモデルにするたびに
大量のゴミが出ていることになる。

それもすごい話です。

せっかく作ったのに・・・っていうのも
無しなのかなぁ。

家は商品であり、作品ではない。

大量生産、大量消費も
住宅にも当てはまるとすれば

ちょっと考えてしまいます。

もったいなか~。

できれば
大事につくって
大切に使い続けてもらって
その役目を終えた時
土に還りやすいような家だと

環境に対する
後ろめたさも軽くなりそうです。

あの取り壊すお金って、社長さんの自腹なんだろうか。

・・・そんなはずないんだけれど。

モデルハウスの取り換えも
有名タレント起用のテレビのCMも
すべて広告料。

どこから来たのか
その広告料。

ちなみに
もくせい工舎にはモデルハウスがありません。

見学会か、個別のOB様邸訪問にて
ご案内しています。

たぶん、そんなこと(広告だけのため)に大金使いたくないのと
せっかく作ったのにもったいないからだと思います。

・・・ケチなんですかね?

いやいや、
環境的にはよい判断だと
個人的には思います(*^^*)

大事につくって
大事に使おう。
んで、できるだけ地球に還そう。

私にとって何がリスクか

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


いかにお金を増やすか。
それに精通した頭の良い人たちは言う。

資産価値にならないなら、家を持つことはリスクでしかないと。

私はお金儲けも苦手な上
そういった頭も悪いので、
そうなのかなぁ、と思う。

だからダメなんだともいえるけど
家=資産で、お金としての価値だけなのか
どうも腑に落ちないのです。

わが家はローンを
主人がそこそこの年齢になるまで払わねばばりません。

そのことを考えると
とても気が遠くなります。

家を建てる時
永家Tさんが、わが家の家計のあれこれを一緒に考えてくれて
納得してのGO!だったのですが
不安になる時がないわけではありません。

世の中どうなるか分からない。

一方で
「どうせウチには建てられない」

そう思ったまま、あのカビだらけのアパートで
ずっと暮らしていた場合も想像します。

もし、明日自分の命がなくなった時
どちらが残念だろう。

明日死んだら、
借金(ローン)は返せないままだけど、
大好きな木の家で暮らした記憶は残ります。

もし、アパートにいたまま死んだら
「私にはできなかったな
でも、借金はしなかったな」
・・・と手元の小銭を抱えて
思うのでしょうか。

「夢のマイホーム」「幸せの家づくり」

そんな言葉が並ぶ中

私は根暗なので、家を建てたから幸せになるとか
そんなわけではないかもな~と思います。

ただ、ひとつ言えるとすれば
私たちは
日々、何かを作り出している。

それは、毎日の献立や
家族に持たせるお弁当や、
たまにする玄関掃除、
誰かにかける言葉、
誰かに対する態度まで、

それらは日々作品といえます。

本当に支払いを無事終えるか不安をかかえたまま

木の家にすんでいますが

庭の石をとりだし、
小さな畑をつくり、
庭を育て、
小鳥を呼び

そうしてきた私たち家族の数年は

リスクでしかないのでしょうか。

人生は何を経験し
何を思い
どう行動したか

それがその人の豊かさだとしたら

自分はちっとも損をしなかった。
うまい事やった

そう言って
使いきれないほどの資産を残して

私は死にたいんだろうか。

手元に万能引換券(お金)を大量に残しても、
それを失う心配ばかりして

たいして何も経験せず
たいして何も生み出さない

その方が私にとっての
後悔になりかねないような気がします。


忙しい永家さんたちが
ブログを書く時間もなかなかなくて
私がこうして、代わりに
拙いことを書き連ねているのですが

きっと、何かのご縁あって
これを読まれている方がいるのかなと思います。

木が好きだったり
自然なものが好きだったり

そういった家づくりが気になってはいるけれど
どうしたものかと
思われている方かもしれません。

そういった方の参考になるかは分かりませんが

私にとって
木の家は理屈じゃないのです。

世の中完璧なものなどないし、
わが家にしても
ああすれば良かった、こうすれば良かったとか
多々ある。

でも、もう一度家を建てるにしても
やっぱり自然な家を建てると思います。

それは、木の家が
ただただ、好きだという理由です。

リスクとか何とか頭で考える以上に

生き物として
私には木の家が必要だったとしか言えない。

少なくとも
もし、今暮らしておられるお家が
新建材などを使ったよくあるお家やアパートなら

同じ材料でなく
違った素材で建てた家は
やっぱり見てみる方が良いと思います。

そこで劇的に何か感じれば
同じように、きっと自然な家が必要な方なのでしょう。

家を頭だけで考えるか
本能で考えるか。

両極端にはできないけれど

自然なものが好きな方には

木の家が好き

木の家ってやっぱりいいんじゃないかなと
そう思います。

一括で払える方を除き、多くはローンで家を購入します。
お金の不安は、まず永家Tさんにご相談ください。
事細かに、一緒に考えてくれます。
(本当に無理なら、まず審査に通りませんし。)
できるかどうかを、自分だけで考えるより
建てるにしろ、建てないにしろ
一歩進むはずです。

幸い、もくせい工舎は営業職がおりません。
つまり、しつこく勧誘する時間もスタッフもいないので
その点、ご安心を(*^^*)

見学会にいったら最後、ってこともありません。

お施主さんの中にも
最初の出会いから数年という方も
たくさんおられますので。

良かったら、一度木の家をご覧になってください。

見学会でも、OB様邸訪問でも良いと思います。
ぜひ♪

慣れると分からぬ。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


私事ですが、鬼の霍乱か。

先日、緊急手術&入院いたしました。

2~3日、腹部に差し込むような痛みがあり
ずっと我慢していたのですが
ちっとも良くならず。

おまけに熱まで出たので
「炎症してるのかも」と思い、受診したのです。

お腹にプラムくらいの塊があって
それが悪さしていたわけですが
そんなこんなで一週間強入院。
自宅をしばらく離れていたのです。

10年ほど前に建て替えられた病院はピッカピカ。

子ども達が小さいころ何度も入院していた当時は
病室ももっと狭かったような。

4人部屋でもゆったりとして、トイレ等も綺麗。
自由がない以外は、すこぶる快適だったのです。

もくせい工舎の広告を書き、
またOB客でもある私ですが
実は、「自然素材」とか「木の家」にこだわって
家を探していたわけではありません。

私自身、特に化学物質に過敏だったり、
アレルギーがあるわけでもないので
実はコンクリート製だろうが何だろうが
割と適応して快適に過ごします。

「木の家が心地よい」とは言っても、
「木の家じゃないから気持ち悪い」とまでいかないのです。

ところが退院して、わが家の玄関を開けた途端、
まさしく「木の家」の匂い!

あれ、こんなに匂っていたっけ?

お施主様ならお分かりいただけると思いますが
木の家の木の匂いって
ず~っと実感しているものではない感じ。

え~?
「木の良い香りに包まれて・・・」なんて宣伝では言うのに
なんだそりゃ?と思われるかもしれません。

実は、匂いって慣れたら感じなくなるのです。

嗅覚が働かなければ、「美味しそう」か「腐ってる」かも分かりませんし
「いつもとは違う」匂いに反応できないと危険なこともあります。

しかしながら、いつも嗅ぎなれた匂いは慣れて「順応」します。

慣れた匂いなので気にしなくてOK!を
出さないと、いちいち反応していては、疲れ果ててしまいそうです。

反対に
自分の家の匂いは気にならないのに
人の家の匂いや、ペットの匂いなどは気が付くのは
「順応」していないからです。

だから久しぶりに帰って来て
病院にはなかった「木の匂い」に
我が家ながら気が付いたことになります。

もくせい工舎の完成見学会にお越しになると、
最初あまりにも清々しい木の香りと、
漆喰の優しい雰囲気に驚かれることとと思います。

私のように初めから健康志向や自然志向など全くなかった方も
人によっては、「あぁ、私が住みたいのはこんな家だ!」と
気が付かれるかもしれません。

そういった方には、本当に木の家があっているのだろうと思います。

私の家を訪れる人も、「わぁ~」といって喜ぶ人も
全く家には興味のない人もいます。

どちらが良いとかいうわけでなく
本質的に自然なものが好きか、関心がないかというだけです。

関心がないものには、ふつう気が付きません。

自然素材の家や健康住宅に住んでも、
病気になることだってあります。

自然素材の家に住んだからと言って
死なないわけではありません。

でももし、本当の自然素材の家をはじめて見た時に
心の底からふくふくと何か湧き出る感じ、
「あぁ、こんな家に住みたい!」っていう気持ちになるのなら

それはきっと、
木の家で暮らすことが
その人にとって必要なことなのかもしれません。

木の家に【向いている人】っていると思いますよ(*^^*)


もうすぐ完成見学会

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


先日、お家の完成写真を撮影に伺いました。

10/1・2に見学会を開催させてい頂くお家です。

もくせい工舎のチラシは、いつもパース。
写真がないのです。

10/1・2自然素材の木の家・中津市の完成見学会

予約制のため、早めに告知する必要があること
完成したら、なるべく早くご家族にお渡ししたいこと

そんな理由から、完成→撮影→広告作成→見学会
・・・なんて、のんびりできないのです。

とはいえ、どんなお家か分からないと
「予約」って敷居が高いやん!

そう思われるお客様もいらっしゃると思いますので
とりいそぎ、一部だけちらっとご紹介させていただきます。

10/1・2自然素材の家完成見学会会場・外観

秋ですね~。空がウロコ雲!

漆喰の壁と屋根瓦の色合いが、かわいい外観です。

10/1・2自然素材の家完成見学会会場・手洗い場

新しい生活習慣で、こういう仕様も増えてきそうな手洗い場。

陶器の手洗い鉢がとても味わい深い。

お客様にも、手にシュっと消毒より喜んでいただけそうです。

10/1・2自然素材の家完成見学会会場・小上がりの畳スペース

小上がりになって、下に収納のついた畳スペース。
リビングと一体になっているのがいいですね。

10/1・2自然素材の家完成見学会会場・ロフト

秘密基地ロフトから見た風景。
この、ちょっとした空間の余裕がありがたいのです。

10/1・2自然素材の家完成見学会会場・裸電球風

裸電球風の照明器具。

これがどちらについてるか、探してみてくださいね。

レトロで可愛い!

見学会は予約制となっております。

詳しくは→こちら!

永く住める家

木の家でお待ちしております♪

あいはあるか。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

先日、もくせい工舎以外の新築の建物にお邪魔する機会がありました。

「うわぁ~、新しい匂い!」
来場者も口々に言って、見学していました。

「建築の専門家として、どう?」
そう聞かれたのですが、
何の専門家でもない私。

「シーリングライトまで、透け感のある模様が入っていて
おしゃれですよね~」というのが精いっぱいだったのです。

それはそれは、素敵な建物だったんですが、
なまじ毎回もくせい工舎の新築ばかりにお邪魔しているからか、
口寂しいならぬ、鼻寂しい。

あの、【まさしく木‼】という匂いがあまりしないのです。

「なんか断熱材はかなり良いのが入ってるみたいで」とおっしゃっていたので
あの、ちょっと嗅ぎ覚えのある匂いは
サーモウールだったのかもしれません。

実は、かなり鼻がいい私。
数軒先のうなぎ屋の匂いはともかく、
寿司屋の酢飯の匂いまで嗅ぎ分けることができます。
(残念ながら、これで得した覚えはない。)

サーモウールに関しては、
お施主様方は屋根裏などを開けて見られると
独特な匂いが分かると思います。

(サーモウールかはハッキリしませんが) だからか、空気は珪藻土を塗ったのかと思うほど清々しい。

なのに、足りないんです。木の匂いが!

・・・まいったな、こりゃ。

あまり「新築」というだけで、家にときめかなくなっています。


実は、木の家に住んでいるからといって
いつも木の香りを感じているわけではありません。(個人差あり?)

ただ、来客時に
「すごい木の良い香りがする」と言われるので
鼻が慣れてしまっているのかもしれません。

一方で、風呂上がりに脱衣場から出た時、
玄関から入った時、
その時の風向きや湿度の関係でしょうか、
ふと、「木の香」を感じる時があります。

そういう時は、「あ~、木の家に住んでいるんだな~」と実感します。

もくせい工舎の広告を書かせていただきながら
いつも思うのは、万人受けするかは別だという点です。

なぜなら、家に対する考え方は色々だから。

自然なものや、木の香り、素材の手に触れる感覚。

そういったものに全く関心のない人もいるからです。

「家は寝に帰るだけ」
そう言っていた私の母は、
建売住宅の実家にあまり愛着もないようで、
「サッサとカギ1つのマンションに住みたい」と言っています。

「家が数件建つほどリフォームした」はずの実家ですが、
特に【家】というものに関心がなければ
乗り換えることに寂しさも感じないのかもしれません。

私は、物心ついたときから木が好きでした。
落ち着くのです。

万人が万人、木の家が好きだとは限らないけれど
木が好きな人には、微力ながら
何か伝わると良いな。と願っています。

一長一短あるかもしれない。
どんなことにも。どんなものにも。

それでも、私はまた建てるなら
木と土の家です。

長短という個性を含め、
かけがえないのは、子どもと一緒のような気もします。

そういえば、まだ子どもに手がかかっていたころ。

何かの本で読んだのか、文言はハッキリ覚えていませんが
こんな言葉がありました。

「あなたの子ども達は、あなたが完璧だから好きなのではない」
(※文言、出所ハッキリしません。記憶が曖昧です、ごめんなさい。)

こうあるべき、あああるべき。

大人になるほど、物差しは多くなる。

でも、理屈抜きに大事ってこともある。

親子も家も、そうだといいなぁ。

木の家が好き

傷つきやすいことは

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


木は傷つく。とりわけ、スギは。

それでもあえて使うのは
それ以上に大きな魅力がスギにあるからなのですが

そこは、ぜひ5月末の構造見学会で永家さんに質問してみてください。
(※ちなみに、傷がついた!と思ったら、濡れティッシュを傷口に置くとか、応急処置あり。)

その永家家(←こう書くと変ですね(笑)「ナガイエ・ケ」と読んでください。)には
ヒノキの床とスギの床が隣り合わせに貼ってある箇所があります。

もし、その床の上に立つ機会があれば
その理由の一つが分かると思います。

mini_sugi_hinoki.jpg

ヒノキは頑丈そうですが、足の裏を通した感覚は
硬く、冷たい。

同じ無垢の木ですが、スギの方が温かく優しく感じる。


確かに、傷はつかないにこしたことはない。
硬くて頑丈なら、いつまでも美しい見た目が期待できるでしょう。

とは言え、少しの傷もつかない頑丈なものは
下手すると、こちらが痛いのです。

鉄板の上と、柔らかい草原の上。
転んだ時痛そうなのは、頑丈な方です。
鉄板の上でリラックスは難しいですが、
草原の上は、心地よい。

傷がつきやすいということは、裏を返せば
【相手を傷つけにくい】ともいえる。

私たちは直に床に触れる機会は少なめですが、
ハイハイの赤ちゃんだって、
硬く冷たいものよりは、木の方がきっとお好みでしょう。

鉄板より、プレイングマットより、スギの手触りの方が
ずっと触れていたい心地よさです。

人間だと、傷つきやすい人が
必ずしも人を傷つけないわけではないけれど

傷を含め、負ってきた経験が
その人を「その人」にしている。
そういうことってあるんじゃないか。

無垢の木の家が、唯一無二だというのは
そういうことでもあるんじゃないか。

木も人も、同じようでいて同じものなどこの世にない。

ましてや、生まれ育った環境、
傷を含めての経験、そして、それから後のこと。

傷を含め、家としての歴史が
その家を「その家」らしくしていく。

同じ無垢の木の家を建てたとしても、
サトウさんは、サトウさんらしい「家」に、
ヤマダさんは、ヤマダさんらしい「家」になっていく。

傷を負ったことが、人の価値でも
家の価値でもないけれど、

傷を「味わい」にできるのは、
生き続けているからだともいえる。

私の家は、私に似合う家になっていく。
あなたの家は、あなたに似合う家になっていく。

それは、きっと自然体で無理のない、
人の在りよう、家の在りようとも
言えると思います。

少なくとも私は、
いつまでも新築かと思うような、傷つかない(らしい)「可愛らしい家」を建てて、
それに似合う「いつまでも若く可愛い私」で居続けることは
無理かなぁ(^-^;

「この家、なんかすごく似合うね。
あなたらしいね。」

そう言われたら、私などは
ちょっと嬉しい。

探すのをやめたとき

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


前回、リフォームのお家の記事を書かせていただきました。

撮影に伺うことになって、以前のお家の写真などを見て、
改めて思うことがありました。

中古住宅に出会うことも、縁だなぁと。

私は家を建てた今でも、時々中古物件や空き家情報を見ます。

間取りや、その家の周辺環境、(信憑性はともかく)地盤スコアまであります。
もしここに住んだら、どんなだろうかと
妄想?するのが楽しいのです。

「お?良いな~。お金さえあればな~」という物件は
やっぱり売れてしまいますし、
「う~ん。どうなんだろう。」と思った物件は
やっぱりなかなか売れていません。

有名どころのサイトにはなくて、
市町村の空き家バンクにだけ載っていた物件もありました。

良さげなものは「交渉中」から「掲載終了(決定)」に至るのも
すごく早い。

たまたま見て、たまたま条件があって、気に入って。

中古住宅然り、土地にしろ、人にしろ、
縁というものがあるのかもしれない。

必死で探していると見つからないのに、
「まぁ、いいか~」って探すのをやめると
絶妙なタイミングで見つかったりする。

そんな歌もありましたっけ。

もし見つかって、縁あって、
とんとん拍子で進んだとしても、
不平不満、問題なんて一切なし!
・・・というわけにはいかないかもしれない。
そこそこの、なんだかんだはあるかもしれない。

ただ言えるとすれば、やみくもに
「無い!無い!」って言いながら過ごす月日と

「縁があれば、あるんだろうなぁ」位に構えてる月日は
きっと疲れ方が違うように思います。

心の根っこが動けば、体も動く。
理屈抜きに、ということもある。

今、家を漠然と考えている方も、
これだ!と思えば、きっと一気に【事】が流れ出すときが
きっと来ると思います。

それまで、色々見て目を肥やしておくのが
今できることの1つかもしれません。

4/30・5/1に完成見学会も宇佐市にて開催します。

4/30・5/1自然素材の木の家完成見学会

良かったら、試しに見に来てください。

【事】が動きだすかもしれませんよ~。

宣伝でした~(^^ゞへへへ


「なんかいい」を生み出すもの

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


もくせい工舎では、無垢の木と漆喰で家を建てています。

漆喰壁や玄関の三和土風の土間を手がけるのは、日田の原田左研さん。

自然な素材にこだわり、
壁をつくるというより、
壁と壁の間の雰囲気をつくる。

そんな類まれなセンスの職人さん達です。

この漆喰・左官仕事に関しては、
機械化され続けてきた建築の世界で
今も残る、数少ない手仕事の部分といわれています。


だからでしょうか。

工場からパネルで運ばれて
あっという間に出来上がる
新建材のお家に比べ、

もくせい工舎のお家の出来方は
どこか手作りっぽいのです。

また、人の手仕事だからできることもあります。


こちらはもくせい工舎のカタログ等々でよく掲載されるお家なのですが、


もくせい工舎の自然素材の漆喰壁の家

・・・パッと見て何かお気づきになりますか?

そう、このお家、カドがないのです。

もくせい工舎の自然素材の漆喰壁の家。角がないので優しい雰囲気。

緑色のラインの中を拡大すると・・・↓

手仕事で丸くなった漆喰の壁

他にも、パッと見シンプルなお家ですが、

自然素材の漆喰の壁の家の外観

近くまで来ると、その仕事ぶりに驚きます。

漆喰壁の角が丸い仕上がり

カドが丸い・・・だけなのですが
これだけでフリーハンド感が出るというか

ジブリ作品の背景画のような
優しい雰囲気になるのは驚きです。

これは、人の手による仕事だからでもあります。


また、もくせい工舎の家でも
同じようでいて
よく見ると鏝の跡は、かなり違います。

漆喰の鏝跡の違い
同じ「凹凸をつけた塗り方」であっても、左のように滑らかなアイスクリームのように塗った鏝跡もあれば、
右のように「ほら穴っぽい」質感で仕上げた鏝跡もあります。



私たちも
毎回同じように書いている自分の名前だって
意識しないと微妙に違います。

筆跡は同じでも、紙の摩擦や腕の位置で
全く同じにはなりません。


下は、パソコンなどで使われるフォント(字体)です。

フォントと手書き
パソコンなどで使うフォント(字体)も、手書きっぽく見せていても赤い丸のように、同じ字は全く同じ。
手書きだと、(下手なせいもありますが)全く同じ形にはならない。



完全や、完璧ではなく、
ちょっと外す。
「遊び」がある。

「なんかいい」雰囲気は
人の手仕事の賜物といえます。

手仕事

スタイリッシュで都会的な住まいを好むか

手び練りの器のような家を好むかは

人それぞれですが

「なんかいい」雰囲気は
自然と心をほどいてくれる。

「なんかいい」人の手仕事は

物や空間に遊びやゆとりを与えてくれるのではないかと思います。

木造住宅なら、どれも自然素材の家か?

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


本当に自然素材の家を必要としている人に
もくせい工舎の家のつくり方が伝わるようにしたい。

そう永家Tさんから相談されて
じわじわ関連のバナーやページを
整理したり、作成したりしています。

見慣れた記事も少しずつ
変えるところは変えていくと思います。
お付き合いいただければと思います。

最近の追加は
自然素材の家と、新建材の家 ~【自然の木】でつくった家と、【石油化学製品】でつくった家の違いは何かの記事。

良かったら、ご覧ください。

ところで、改めて考えてみても
自然素材の家ってなんでしょうか。

木造住宅なら、木は使っているのですから
すべて自然素材の家に決まってるじゃん!

そう言えそうです。

新しい記事にも書いたのですが
自然素材の家と名乗るのに
法的な決まりごとはありません。

使用している
自然素材の割合が
ちょっとでも、たくさんでも
自然素材の家と名乗れます。

そうすると
本当に切実に
本物の自然素材の家を望んでいる方にとっては
ちょっと意味合いが違ってきそうです。

健康に良さそうなイメージだけで売るか
不自然な家にしたくなくて自然素材の家を建てるかは
まったく別物だからです。

じゃ、どう考えるか。

それを見分けるのは
工務店の事務所の建物や、ブログやインスタなどだと思います。

自然素材の家を売りながら
事務所は全く自然な感じじゃないとか

ブログやインスタを見ても
あまり自然のことに関心がなさそうなら
ちょっと用心した方が良いかもしれません。

実は私は、家を建てる時
もう一社、気になる「自然素材の家」を建てる会社がありました。

そこの工務店の完成見学会のお知らせが入ったので
見学会の数日前に
実際に現場に見に行ったことがあります。

なんか、全く心動かず。

私、こんな家ちょっと嫌だなぁと
感覚的に思ったのです。

外壁が吹き付けで
息が詰まりそうな感じがした。

この、感覚として好きかどうかってかなり大事で。

見学会当日などは
べったりくっついてこられて
さもいいことばかり言われたら
この感覚が研ぎ澄まされる暇なんてありません。

だから、静かな時に
一人で見行ってみる。

その時、
「あ、私こんな家に住みたい!」
って思えば、その工務店の見学会に行ってみれば良いと思います。

本物の自然素材の家は
職人さんの
木工作品のようで
手び練りの器のよう。

素朴だけれど
なんともいえない
味わいがあるはずです。

お好きな方は
きっと見れば分かるはず。

でも、これが
見ないと分からないんですよ~。

本人に会うように
家に会わないと分からない。

だから、9月の25,26の週末。
国東市で完成見学会を行います。

ぜひ、一目
不自然なものをできるだけ省いた
自然素材の木の家に
会いに来てくださいませ。

県北からちょっと遠いですが
ドライブがてらいかがでしょう。

見学会情報アップしましたら
ぜひご検討ください。
(※9/7に関連記事アップしました~♪)

木が本当に好きな方には
きっと気に入っていただけると思いますよ~。