光が見えながら、自らを虐げる人

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


国東芸術文化祭が、11月30日を持って閉幕しました。

期間中、国東半島各地でイベントが行われ、一日じゃ回り切れない。

前回書いた、ラバーダックとPICFA以外にも
見たいものがあったので、

日を改め、国東の岩戸寺の方にも、行ってみたのでした。


見たかったのは、
木のオルゴールを作られている夢音(ゆのん)さんと、中野マーク周作さんの作品。

素晴らしかったのですが、残念ながら写真がないので、今回は別のことを。

その時に、偶然お会いした女性のことをお話したいと思います。


県道から、車一台通れるほどの細い道を、
岩戸寺に向かって上ると、
思いがけず広い駐車場に出ます。

車のドアをバタンと閉め、
さて、どこが入り口なのかと、林の方を眺める。

誰かが、落ち葉焚きでもしているのか、
煙の匂いがします。

煙たいのは苦手なのですが、仕方ない。
その中を通って、境内まで続く道を登ります。

ふと見ると、誰かが写真を撮っている。

住職さんと思しき、スウェット姿の男性と、
何やら笑って言葉を交わしている。

そのそばを通り過ぎようとしたとき、気が付いた。

その女性が、夢中で撮っていたのは、
林の間を照らす木漏れ日だったのてす。

20251205_林の間を照らす木漏れ日
スギ林を光が貫く。

煙が風に揺れる度、姿を変える光の線。

「わぁぁ!キレイですねぇ!」と思わず声が出る。

「そうなんですよ、面白くて!もう、かれこれ20分くらいこうしてる」と笑う。

「私もご一緒していいですか?」と、
スマホを取り出し、シャッターを切ります。

20251205_林の間を照らす木漏れ日
光の線が細くなったり、太くなったり。

「よく気づかれましたね~!むちゃくちゃキレイですね~!」

「じ~っと待ってると、次々形が変わるのが、面白くてね~。
あ、こっちからも、なかなかイイですよ」と教えてくれる。

二人で、しばらく写真を撮っていると、その下を二人連れが通る。

その人たちは、特に興味もなさそう。

オバちゃん(私)とお婆ちゃん二人で、キャーキャー言って写真を撮っていて、

その下を「何やってんの?」って感じで、通られたわけです。

すると、お婆ちゃんのテンションが、一気にシュンとなりました。

「あぁ、ほんと、私アホやけんね。いっつも。
こんなんに夢中になって。ほんと、アホやけん。」と言う。

「・・・え?え?いや、私も一緒にキャーキャー言って撮ってたんで。
それなら、アホと言われるのも、ご一緒ますよ?」

「いや、あなたは今来たとこやけん。私なんか、20分も。」

それから、なんだか、すごくしょんぼりされていたのです。

いやいや、
そんなに「アホや」と自分で言わなきゃならんほど、いったい何の非があるんだろう。

こんなキレイなものに気づく感性があって、

それを20分も夢中で追いかける気持ちの若さがあって、

なぜそれを「アホや」と自虐しないといけないのか。

そう言わねばならぬほど、この人は何を言われてきたんだろうか。

さんざん「何でお前はそうなのか」と言われて育った身からすれば、そんなことを勘ぐってしまう。

「それでも、きっと、そのカメラの中には、
あなたが撮った、この世界の素晴らしいところが、
たくさん写っているんじゃないですか?」

そう思ったものの、気の利いた言葉が、スッと出てこない。

そもそも、年配の女性に、

「アナタ」と言うのもなんだし、
「オクサン」じゃ、みのもんたみたいだし。

とかなんとか、そこから迷って、言葉が続かない。

なんとな〜く重たい気持ちになって、
なんとな〜く挨拶をして、
そのまま別れて、境内に向かったのでした。


20251205_木漏れ日

自虐という言葉を調べると、
「自分を責めさいなむこと」とありました。

「さいなむ」とは「苛む」と書き、
「良心に苛まれる」とかよく聞きます。

苛むとは、
①苦しめ、悩ます。いじめる
②責め叱る。

つまり「自虐」は、
「自分で自分を必要以上にいじめ、責め立てること」でしょうか。

自虐する心理とは、どこか
「他人に言われんでも、自分で分かっとるんよ」という感じがします。

傷つけられる前に、自分で傷をつけ、
それを見せることで、
「追い打ちは必要ないでしょ?自覚はあるんだから」というような。

そこには、「これ以上の傷はつけられたくない。」
そんな気持ちがあるように思うのです。


私は、死んだことがないので、死後の世界のことは分かりません。

20251205_林の間を照らす木漏れ日

カミサマやエンマさまみたいな存在がいるとして、

もし、「お前、生きている時どうだったの?」と聞かれたら、

このお婆ちゃん、アホだと言われるだろうか。


私なら、いかに立派な功績を残したかなんて自慢話より、

「こんなキレイなものを見た」とか、
「すごい面白い経験した」とか、
「こんな大好きなものがあった」とか、
そういう話を聞きたい。

くだらなすぎて、大笑いするような話でもいい。


この人が一生を通じて、
何を見て、何を思い、どうしたか。

必死になってやってきたこともよし、

ただただ、感動して、心からその喜びに浸るもよし、

面白おかしく、ワクワクして心躍るもよし。


あのお婆ちゃんのカメラには、
きっとお婆ちゃんにとっての
宝物のような風景が写っていたはずです。


だから、うまく言えなかったけど、お婆ちゃん。

少なくとも私は、お婆ちゃんのこと、アホとか思えんよ。

一緒に写真撮れて、本当におもしろかったんやけん。

そう、もう伝えようもない言葉を飲み込むしかないのでした。


ちなみに、年配の女性になんと呼べば良かったんだろうとGeminiに訊いてみたら、

「日本語はニュアンスが難しいので、
あえて呼びかけないのがいいんじゃないか」という答えでした。

う~ん。AIにも、回答を逃げられた。


あのお婆ちゃん然り、私然り、どこかの誰が然り。

もう、これ以上、自分で自分を、いじめる必要なんてない。

そんなことで、人をアホ呼ばわりする誰かの、
つまらん物差しに合わせて、落ち込むなんて!

その方がよっぽどアホらしい!

ちゃんと、美しいものを見て、美しいと感じている。

それだけで、きっとあなたはスンバらしいのです!

20251205_あなたはスンバらしい

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