悲しいけれどデザインとアートは違うんだもんな

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


縁あって、今、障がいのある子どもたちの

アート活動のお手伝いもやっています。



活動時の見守りも、なのですが

私の拙いお世話ぶりはともかく

基本は、できあがった子どもたちの作品を

ポストカードやなんかにするときの

illustrator(画像処理ソフト)要員、でもあります。



デザイン業は、よほどの才能でもない限りは

目立たない地味な、時間ばかりかかる割に

儲けも生産性もないような仕事でもあります。

そのうち、売れるデザインのパターンを読み取ったAIに

とって代わられることも十分あるような仕事です。

だって、どんなに時間をかけてようが

心をつくしてようが

だから良い!なんて代物ではないからです。



「がんばって作りました」「心をこめてつくりました」

・・・なんて、うっとおしいだけ。

それが加点されるなんて

小中学生までの話です。



最近、そういった子どもたちの

「何者にもとらわれない」「誰がなんといおうが」といった

エネルギーの爆発のような【アート】(←この言葉はあまり好きではないのですが)を見ていて

つくづくアートとデザインは違うんだもんな~と実感します。



アートは、「自由」であり、「個人の表現」であり

「エネルギーの爆発」であり

そこに、他者のうんぬんは基本的に介入されません。

一方、デザインはやはり、「つたわること」「つかえること」といった

役目のある美術です。



また、それが売り物になる以上は

どこか商売臭い雰囲気が否めませんし、

クライアントの意向を完全無視もできません。



私は今、もくせい工舎のお手伝いしかしていませんが

普通の広告会社に勤務なら

そのクライアントの売る製品を

気に入るとか気にらないとかで

仕事を選ぶわけにはいかないと思います。



例えば、化粧品の広告を書くとして

それが本当にお肌がきれいになるのか分からなくても

「仕事」として遂行せねばなりません。



「意向」に沿い、最善のものを探り

OKをもらって、それはようやく表舞台に出ていくのですが

デザインをした「私」の

純粋な意味での【作品】とは

言いにくいところもあります。



反対をいえば、個人の完全なる「作品」でないから

「ちょっと!広告には良さそうなコト書いてあったのに

全然違うやん‼」

と言われるのは、広告にOKを出したクライアントであり

過大広告にならないよう配慮したり

品質やトラブル時の対応を考え直さねばならないのは

クライアントであるメーカー側です。

広告を書いたデザイナーが

その商品の品質や、対応の悪さまで責任を負う必要は全くないのです。

流石に、お門違いの話。メーカーの本質、品位、人間性の話です。



とはいえ、作り手である以上は

作り手の本能のようなものがある。

それが、自分の【作品】といえなくても

作る以上は、最善を尽くしたい思いがある。

それは、

有償でも、アート活動のような無償(ボランティア)でも

名前がでようが、でまいが

関係なく。

作り手、っていうのは

どんな小さいことにも、

手を抜く、っていうのはやっぱり違うし、

できないんだと思います。



ありのままを赦してもらえる【アート】と、

【アート】のようでありたいと思いながら

それがかなうとは限らない【デザイン】。



失恋や片思いばっかり。

でも、つくる。

だって、本能だから!





入社試験で、

「御社の製品のすばらしさに心を奪われ」

「御社の企業理念に感動し」

・・・っていって入社して、働いて

いったい社員の何割が

純粋な、純粋な気持ちを強く持ったまま

そこで働き続けているのだろう。

車販売の会社にいながら、

「本当は、T●Y●TAのナントカって車に乗りたい」って思うこともあるだろうし

自分の売っている製品が、完全無欠‼パーフェクト!

って人の方が、少なそうだ。



仕事だ。

家族が待っている。

できるだけ、できるだけの

最善をつくす。

だって、仕事だから!

PageTop