それが私の「全て」ではない

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

私事(?)ですが、自主上映をすることになりました。

上映作品は、以前ブログでも書いた

『彼らが本気で編むときは、』です。

以前のブログ記事は→こちら



子どもの通う学校の校長先生に話したところ、

「あんた、それやったら、こんだ(今度)

こ~ゆう人がくるけん、ちっと、いってみらんね?」



あるトランスジェンターの方の講演会でした。



『彼編む、』は、トランスジェンターのリンコさんが主人公。

でも、私自身、実際にトランスジェンターを

カミングアウトしている人に会ったことはありません。

居ておかしくないのに、会ったことがないのは

「言えない」から?

ともかく、せっかくの機会なのでお話を聞いてみたくなりました。



講師のNさんは

女の子の身体で生まれましたが、

「女」であるという性自認はありません。

でも、長年「男」として生きてきているわけでもないので

「男」という性自認もなく、「男」とか「女」とか

2極で選べと言われると、どこに〇をつけて良いのか分からないとのことでした。



恋愛対象は、女性に対して。



胸の切除だけ、体の工事(リンコさん風に言えば)をしています。

名前を元の女性の名前から、

男性の名前に変える手続きもしています。



色々なことを話してもらいました。

「性同一性障害と、トランスジェンターの違い」のことも。

自分の心と体の性が一致しないことは

病気や障害ではなく

「自分らしさ」や「生き方」としてとらえている人が多いという

トランスジェンター。



一番印象に残ったのが、次の言葉でした。

「自分は、トランスジェンターではあるけれども、

トランスジェンターであることが、私の全てではない」



白か、黒か。

男か、女か。

善か、悪か。



2極の境が、はっきりすることなんてない。



映画の中で、男の子として生まれたリンコさんは

「おっぱいが欲しい」と言う。

かくいう私は、

女として生まれ、性自認も「女」で、

恋愛対象も異性の「男性」です。

結婚し、子どもまで産んでいます。


しかし、実はリンコさんほど

「女」でいることにこだわりは、ありません。

じゃ、ずっとそうかというと

歳追うごとに、と言う感じもします。



その点はLGBTであっても、なくっても

変わることはあるみたいですが。

そうなると、ますます

誰かの一部分、しかも時間的にも絶対とは言えないことで

分けるのは、ずいぶん乱暴な感じがします。



LGBTのシンボルマークは虹。



色の境目なんてない。



誰かが決めた「普通」や「白黒2極」に当てはまらないから

疎外感を感じたり、差別されないといけないの?



「トモちゃんとはもう、一緒に遊んじゃダメよ。

一緒にいた人、見たでしょ?・・・普通じゃないの。」



元々は、『彼編む、』の予告編に出てきたこの言葉に

妙に引っかかったからでした。

これがまた、そのセリフをいった

カイ君のお母さん役の小池栄子さんの演技が上手で、

「あ~。おるおる。こんな人・・・。」

って感じで。



・・・「普通」じゃないと、危ないの?


そう考えると、ヘンテコな話。

よく分からない人物だから?

「普通」か、「普通じゃない」か。

自分と違う人間を排除し続ければ、

いずれは、自分も独りぼっちです。


だって、みんな違うんだから。

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