後悔するようにできている
人間っていうのは、後悔するようにできているらしい・・・。
今、お家をどこで建てようか迷っている方もおられるでしょう。
高い買い物です。
やっぱり、建てた後、後悔だけはしたくない。
分かります。
「後悔しない家づくり」
なんていいますが、
人間が後悔してしまうようできているんだったら
「後悔しない家づくり」なんてない・・・ってことでしょうか。
工務店の広告描く人間が言うことではないですが、
・・・もくせい工舎は、こんな感じで。
実は、以前にも少しだけ書いたことがあるんです。おさらい。
「人は必ず後悔するよう出来ている」
例えば、
1.「1万円プレゼント!」と「2万円プレゼント!」
・・・どちらが嬉しいですか?
殆どの方、後者だと思います。
では、
2.「1億円プレゼント!」と「1億1万円プレゼント!」・・・は、どうでしょう?
・・・そりゃ、後の方が嬉しいんだけど、
最初の1より、同じ1万円でも印象が違いませんか?
同じ1万円お得でも、
2倍になったように感じる1の方が、うれしい。
2は、ちょこっとおまけっぽく感じる・・・。
価値が高くなるほど、人間の感じ方は鈍くなる。
・・・なるほど。
1万円のものを買うのに、「今なら2万円で更にグレードアップ!」
と言われると、全くその気になりませんが
1千万のものを買うのに、「今なら2万で・・・」と言われると
同じ2万でも、「それくらいで、さらに良くなるなら・・・」と
思っちゃいそうですよね。
もう一つ。
例えば、
「お小遣いに1万円もらった!」喜びと、
「その一万円を落としてしまった!」悲しみは
・・・実は、後者の方がより強く感じる。
もともと、「0ゼロ」だったところに
「+プラス」された喜びより
落とした「-マイナス」の方が、大きく感じる。
元々なかったんだから、元の「ゼロ」には変わりないのに
「-マイナス」になったようで、がっくりくるというわけです。
1.その価値が高くなるほど、人間の感覚は鈍くなる
2.同じ価値でも得したプラスの喜びより、失ったマイナスの悲しみを強く感じる。
・・・難しい言葉で『プロスペクト理論』と言うようです。
「AかBか」
どちらにするか、迷ってなかなか決められない。
どう考えてもBが良いなら、迷ったりしませんよね。
迷うのは、AもBも同じくらいの価値があると思っているから。
迷った挙句、Aをとる。
Aは手に入れたので「+プラス」。
結局選ばなかったBは失ったことになり、「-マイナス」。
・・・あれ?マイナスの方がより強く感じるんでしたよね?
同じくらいの価値だったから「AかBか」で迷っていたはずなのに
Bを失った悲しみの方が、Aを手に入れた喜びより大きい。
「AかBか」迷って、「決断」すれば、片方は必ず失う。
「決断」しなければ、「AもBも」失わず済みますが
「ゼロ」のまま。
今度は「結局何も決められなかった」「何もしなかった」なんてことを
「後悔」しそうです。
「決断」してもしなくても「後悔する」
ならば、
「後悔はするかもしれないけれど」
自分でよく考えて、自分で決め、「行動した」ことは
もう、諦め?もつくじゃないですか!
何もしないより、必死で、イキイキとして
人間臭くて・・・なんだかいいですよね!
後悔は、するかもしれない。
でも、過去必死で迷って考えていた「私」だって
「今」や「未来」の自分を困らせようとしたわけではない。
反対に、良かれと思っていたから
失った反動を大きく感じすぎてしまっているだけ。
後悔したからと言って、「間違っていた」わけではありません。
家も人も、ご縁。
結局、迷ったけど
「理屈じゃなかった」なんてことだって
きっと、あります。