ほめる

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


子どもを育てていると

自分の古傷と向き合うような時があります。


「ほめて育てる」とよく聞きますが

世代的なものでしょうか。

自分の親に、褒めてもらったことがないと、

どう褒めて良いか分からない。


我が子は勉強が好きではない上、

元来のんきな質なので、

テスト前だろうと、何だろうと

いつもと全く変わりません。

心臓に毛が生えているというか、

もう、モフモフです。

嫌なものは、嫌やねん。

猫と一緒です。気が向かない限り、まったくしない。


それでも褒めねばならぬらしい。

そこで親としても、一応褒める努力はしてみるわけです。

「前より、良くなってきてるよね!」と。


しかし、それしか言うことがない。

100点満点の減点法だと

とれてない不足ばかりが気にかかる。

というか、そもそも半分もできていない。

「あのイチローだって打率は3割!」

・・・いやいや、そこでそれを持ち出すのは

違うはず。

どう前向きにかんがえようとしても、モヤモヤします。

勉強時間も点数も、自分の半分くらいの我が子を前に

無理に褒め所を探すときの、あの胸にチクチクくる感じ。

私は人間ができていませんから、正直なところ

「自分はもっと頑張ってたのに、

褒めてもらったことなんかないよな~」と

ちょっと思ってしまうのです。


褒めるというのも、なんだかな。

褒めて、あわよくば「こういう風になってほしい」ような

下心みたいなものが見えると

あまり嬉しくないのかもしれない。

それは、お店で試着した時の

「お客様、よくお似合いですよ~」的な感じと言いますか

褒めるというより、ヨイショに近いからかもしれない。


ヨイショが得意な人は、そんなこと微塵も思わせずに

どんどんやる気を引き出すのかもしれませんが、

残念ながら、私のような不器用な親も存在します。


ただ、子どもが嬉しそうにしている時は

やっぱりこちらも嬉しい。

多分、親も嬉しそうだと

子どもはもっと嬉しい。


「・・・ん?これ、おいしいね!」

「・・・!ホント!旨っ」

美味しいものを食べた時、

一緒に共感してもらえたらもっと美味しいし、嬉しい。


何か綺麗な風景を一緒に見た時

「あの時の、あの景色、キレイやったよね~」

「あ~、うん!また見たいよね~」

一人で見た記憶より、一緒の記憶が嬉しい時もある。


共感は、きっと親子間だけの話ではなく、

夫婦だろうが、友人だろうが

煩わしい人間関係の中の

ご褒美のようなのかもしれません。


そこを活かして!といきたいところですが

私は、子どもの長所もやる気もぐんぐん引き出せるような

敏腕かあさんには、やっぱりなれないと思います。

その辺は、良い意味で「明らめよう」。


名コーチ、指導者、導く人には、とてもなれない。

兄弟全員東大に送るような

敏腕は私にはない。


子どもの能力を最大限引き出し

ほめて伸ばすことは不得手でも

「一緒に嬉しがる。よろこぶ。」

それくらいは、私にもできそうです。


すまない、我が子よ。

せめて、「一緒にいるのが嫌じゃない」

それくらいの関係で、勘弁してください。