受け継がれてきたもの

先日新聞を読んでいた主人が

「・・・あれ?これ、原田の親方じゃない?」

あ、ほんとだ。

主人:「見間違いようがない!」←えっへん(^v^)!なにやら得意気だね?


原田親方えつりの記事

もくせい工舎の壁を創ってくれる原田左研の親方は

「原田 進」と入力すれば

どんどん検索結果がでてくるようなお人なのです。

有名かどうかはともかく

そのこだわりっぷり、仕事への真摯さは

代表も一目も二目も置いているような人で

仕事に集中している時は「話しかけにくい」ほどとか(・。・)

普通に話している時は

「ハッ、ハッ、ハッ」と良く笑うのが印象的な親方なのです。


・・・今回は若い職人さんたちに

土壁の下地となる「えつり」についての講習を行ったという記事でした。

『昨年の豪雨で、モルタルや石膏ボードはだめだったが土壁は残った。』

というのが、すごいですね。


ワタシは知識不足で恥ずかしい限りですが

ずっと古くからある伝統には、長年大事にされてきただけの

確信みたいなものがあるんでしょうね。


できてすぐ完璧なものなんてこの世にはないわけで

どんなものにも長所、短所があって当たり前。

その短かきを、なるべく長きに変えようと

知恵をしぼり、失敗をし、改良し

ず~っと大切に受け継がれてきたものが伝統なんだとしたら

昨日今日出来た、技術なんて及びもしないような

年月の風格があって、それが確信になっているのかな(゜゜)


昨日今日出来た技術は

数十年後のその製品の姿は分かりません。

環境にはどうか、人体にはどうかも予測でしかできないでしょう。

でも、大切に受け継がれてきたものには

「欠点が全くないわけじゃないけど、すごくいいもの!」だという

自信というか信念のようなものがある。

でも、そんな信念も誰かが教え、受け継いでいかないと

昔そうしていたらしい、ってものになってしまう。


短きを変えないまま、は良くないですが

もっと良くなるように、良くなるように

切磋琢磨されてきた時間とか、想いなんかには

やっぱり敵わないし、ゆるぎない感じがします。

誰かが、教え。受け継ぐ。

・・・すごいなっ!(゜゜)