怒る

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


誰かが、物凄い剣幕で怒っているのをみると
居ても立っても居られないような
気分になることがあります。

その怒りを鎮めることに気を取られて
あまり何を言っているかは
ちゃんと聴けていないような気もします。

反対に、他人が怒っていることに
全く平気でいられる人もいるでしょう。

気にしていないのかもしれないし、
聞いてはいるけど、落ち着いていられるのかもしれない。

激怒している人の怒りに気をとられて
何を伝えたいのか、
何をすべきなのか
見失うことがある。

なぜ、そんなことを今回考えているかというと
環境活動家の少女、グレタさんを思い出したからです。

彼女がすごい剣幕で怒っているのを
私はあまり、良い気持ちでいられない。
正しいし、ごもっともだけれど、
もっと言いようもあるのではと
ついつい思ってしまう。

でも、やんわりと言ったところで
まったく当事者意識がない「大人たち」は
何も変わらない。
だから彼女はあの若さで
あの全身で
「否」を突き付けている。

彼女が怒っている「大人たち」が
私を含め、まさに自分のことなのに
当事者意識が低いのはどういうことなのか。

私にしてもどこか
もっと大人の、
つまりは高度経済成長期に
ガンガン儲けていた親世代のことのように思ってしまう。

「いや、だってその時は私も子どもだったから。
親世代のやってきたことの責任を
全部言われても。」
そう思うのかもしれない。

親世代にしても、
「懸命に家族のためにやってきたのに。
そんな風になるとか
専門家じゃないし
知らなかった。」
そう思うのかもしれない。

ただ、彼女を激怒させているのは
そんな責任転嫁ばかりしてきて
問題に全く対処してこなかった
私たち「大人」の無責任さなかなと思うのです。

問題に薄々気付いていながら、
誰かが何とかしてくれると
他力本願に考えて
のんべんだらりとして
変えようとしてこなかった。

「誰のせいか」より、
自分事として
今現実に起きていることを
お金の勘定じゃない頭で
考えて!

グレタさんを始め
そう子どもたちに怒られても仕方がない。

激怒する相手を、クレーマーとしてひとくくりするのは
簡単だけれど、相手が何を言わんとしているのか
よく聴く必要がある。

激怒している相手が
わが事のためだけにそう言っていないのなら
なおさらで。
そうしないと、なんの反省も改善もなく
何の進歩もないからだ。

彼女を怒らせているのは、私たち。

何より、少しでも二酸化炭素を出さない知識と、
それを実行する行動が
必要なのだと
しみじみ、反省の日。

メーカーサイドでも
環境負荷の少ないものを
お願いしたいところですね。

それは、HMや工務店にも
言えるかもしれませんね。

なるべく省エネであることや
住む人がいなくなった後
家が処理しきれないゴミにならないように。

とりあえず
草むしりが大変でも、
庭に少しでも、土と木を。

多様な生物が生きやすいことも
大事なのかもしれません。

めんどくさいことに
大事なことが
かくれがち。