何でも独りで

何でも独りでできるはずだ。

努力さえすれば。



確かにそうとも言えます。



反対に、「こんなことも独りで出来んで・・・(T_T)」と

自分の力不足に泣きたくなることもある。



でも、自分の力不足の時、自分だけじゃ煮詰まった時、

他人の助けに、「支えてくれる人」のありがたさを痛感する時がある(・ω・)



これが、「何でも自分独りの力だけでやってる。やっていける( `ー´)ノ」

・・・そう思うと、実は

影に日向に「支えてくれている」存在に気づきにくいように思います(゜_゜)



PTAや地区の役員決めの時、一般に「大変」とされる職業の人が

「だってあの人、大した仕事しよらんやろ?」と言ったので

びっくりしたことがあります。



確かに、世間一般に「大変だ」とされる仕事があります。

その仕事だといえば、誰しも「大変ね」「忙しいね」と言ってくれます。

・・・でも、大した仕事と大したことない仕事ってなんだろう?



例えば、何もかもを自分でしないといけなかったとしたらどうでしょう?


国民のほとんどが、農業から離れ、ほとんどを輸入に頼るこの日本で

例えば、自分たちの食べるものくらい各家庭でどうにかしろと言われたら?
実際に専業農家の友達に言わせたら、
「仕事」に関わっている時間と収入を考えたら
外にパートに行く方がずっと効率がいいと思う時があったそうです。
「でも、そんなこと言ってたら自給率下がる。
だいたい、自分たちの野菜や苗を楽しみに待っててくれる人がおるしね〜( ̄▽ ̄)」
・・・と気丈に言っとりましたが・・・(・ω・)



土を作り、米をつくり、畑で野菜を育て、牛や鳥の世話をし、その解体もし・・・?



車なら、設計から、材料の調達から、組み立て、塗装・・・何もかも自分で?


野菜なり、工業製品にしろ、

誰かが、その道のことを勉強し、経験を積み、

その仕事をしていてくれるから、

私たちは何もかもを「独りで」しないですんでいます。


自分の仕事を「大した仕事」と誇りに思うことは大事ですが

他人の仕事を「大した仕事じゃない」とするのは・・・どうなんだろう・・・( ̄▽ ̄;)



以前、島田洋七さんの『がばいばあちゃんの勇気がわく50の言葉』という本を

読んだことがあります。

その中で、ばあちゃんが

「みんなが勉強ばっかりして、みんなが東大行って、

みんなが総理大臣になったら

一体誰が国民するの?」

そんな言葉がありました。←大うけ!(≧▽≦)♪



国民がいるから、総理大臣でいられる。

社員がいるから、社長でいられる。

生徒がいるから、教員でいられる。

子がいるから、親でいられる。



仕事にその大小があるかどうかはともかく、

誰かが、誰かのために

「時間」をかけて仕事の知識と技量を得、

「時間」をさいて、なにがしかの「仕事」をしている。



仕事している「時間」は、「その人が生きて使える時間」=「いのち」なら

誰しも「いのち」を削って、その働きをしている。

それは、お給金がもらえないような「家事」「雑用」でも言えます。



何もかも「独り」でやっているわけじゃない。

「独り」で生きているわけじゃない。

誰かの、何らかの「働き」のおかげで

自分はそれをしないですんでいる。

そこに貴賤も優劣もない。



・・・肝に銘じたいと思います(・ω・;)