ぶたれぬ土

畑の土

こッつん こッつん ぶたれる土は
よいはたけになって
よい麦うむよ。


朝から晩まで
ふまれる土は
よいみちになって
車を通すよ。


ぶたれぬ土は
ふまれぬ土は
いらない土か。


いえいえそれは
名のない草の
おやどをするよ。

ぶたれぬ土


金子みすゞの詩の中で、一番好きな詩です(*^_^*)

物心ついて読んだときは、かわいいという感じしか受けなかった

金子みすゞの詩。

大人になって、色々なことを経験し考えるうち

その詩の優しさ、目線の温かさに

改めて気づかされ、大好きになりました(*^_^*)



自分が社会的に何の役にも立っていないように感じて

ずっと悩んでいた時期がありました。



どんな土、どんな物、どんな人にも

それぞれの役目、働きがある。

そう、教えてくれたのがこの「土」という詩でした(゜_゜)



人の役に立つ人になりなさい。

よく言われます。

でも、役に立つ=便利ってことだけ?

それだけなら・・・ギスギスします( ̄▽ ̄;)



人の役に上手く立てなければ

「・・・・チッ(ーー;)・・・・使えねェヤツだな〜」

ってことになります。



役に立っている実感があれば、

その場の仲間と一体感が生まれ

自分の存在価値に自信がつきます。

でも、なかなかそれが上手くいかないからと言って

「役に立たない」=存在価値がない

そう決めてしまうのは、違うと

『土』の詩は教えてくれます。



人間の狭い価値観の中で

「役に立たない」ように感じるものにも

その「働き」「役目」が必ずある(゜_゜)



彼女が「みんなちがって みんないい」

そう詩にしたのも、そういうことじゃないかと

わたしは思っています。



文学的なことなんてよくわかりませんが

優しさや目線の温かさは、

悲しみや悩みの副産物のようにも思えて

彼女の詩が優しければ優しいほど

・・・チョット切ない(T_T)

「役にたつ」から評価し好いてくれる人もいるでしょうが

「役にたたなくても」変わらないでいてくれる人もいる。

どんなに自己否定しようが、

「・・・何それ?別にいいよ。そんなの平気だよ!(*^_^*)」

と、笑ってくれる人もいる(゜_゜)

その有難さ!(T_T)



存在価値が便利ってだけじゃ、

あまりにも切なすぎる。・・・そう思います( ̄▽ ̄;)