アタマと心

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

わたくしごとですが

元野良ネコのハチを完全室内飼いにして

3か月半が経ちました。


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その後どうなったかといえば

一応、なんとか室内飼いになっています。


当の本人は、納得したわけでもない様子。

やっぱり外には出たいみたい。

窓際で眠る
窓際で、監視業務か昼寝の日々。
飼い主が一日付き合っても、お外のウキウキにはかないません。
「これ以上太らせないでね~」と獣医さんに言われた避妊手術直後は3.8㎏。
現在、運動不足も相まって、5㎏オーバーか?



そりゃ、そうだ~。

人間だって、お天気の良い日は

お外が気持ちいい。


ましてや、外の世界を知らないならともかく

野原をかけ回り、

日向ぼっこしながら、そよ風に吹かれていた記憶がある。

自由にお外へ


「なのに、なんでお外に行けないの?」


例え言葉が通じても、納得なんかできないよな~と思います。

説得=心からの納得ではないから。

人間でも、腑に落ちない。

言葉とアタマで分かっていても、です。


弟がマンションで保護猫を飼うことになって

リードを付けて散歩したかったらしいのです。

ところが、外猫さんだったはずのその子は

全くお外に行く気なし。


猫にもよるのかもしれません。


ロフトへ
ロフトへの梯子を腕力で昇る。
時々上がりますが、それでも退屈そう。



ハチは、迷い込んできた猫でした。

2年ほど出入り自由の身で、それからの室内飼いチャレンジでした。


チャレンジの当初は、やっぱり嫌がって、激しく外に出たがりました。

とはいえ、自由だった2年ほどの間に

そこそこの信頼関係があったから、なんとかなったとも言えます。

これが、出会っていきなり閉じ込めていたら

もっとひどいことになっていたかもしれません。


飼い主の責任。猫のためを思えば。


そうアタマで分かっていても、

何でしょう、このモヤモヤ。


以前読んだ本に、

「心はその昔、内蔵(腑)にあったのではないか」

ということが書かれていました。

アタマで考えるようになって、どうもズレが生じている。


アタマで分かっていても

お外の気持ちよさを奪う権限なんて

人間にあるのかな~。

何年か後、室内飼いのリスクみたいなのが言われ出したら

またそれが新しい「あたりまえ」「そうするべき」に君臨するんじゃないかな~。


テレビでもネットでも、

誰かの言う「タダシイ」情報であふれている。

その「タダシサ」を元に

誰かが誰かを、いつも裁いている。

かくいう私だって、そうです。



ただ、【絶対的】に

白なことも黒なこともない。

あんまりタダシイことばっかり言っていると

どんどん窮屈になってくる感じがします。


お互いが、お互いを監視しあうみたいな。


人の目ばっかり気になって

頭でっかちになって

アタマと心がどんどん分離してしまう。

あ~だこ~だと、考えてばかりで行動に移せないのは

その証拠かもしれません。


もちろんその反対もある。

「後先考えず、そうした」「思わず、そうした」ということもあります。


心(腑)が動いたから、体が動き

行動につながったということです。


なんにせよ、バランスが大事。

偏らないようにしたいと思います。