じわじわできた傷は

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


○○豪雨と後に名前がつくような
猛烈な雨が降り、甚大な被害が発生する恐れがある。

その言葉通りに、ここ数日のひどい雨。
各地から被害の様子も
次々と報道されています。

大分県北で集中して降れば、
報道を見て心配した福岡や大分市の友人が
大丈夫かと連絡をくれました。

ところが、
その数時間後には
その友人のところの方が
危ないことになっている。

2012年の九州北部豪雨では
本当に身の危険を感じるような思いをしました。
あんなに雨音が怖かったのは
生まれて初めてでした。

見慣れた青の洞門付近の風景が一変し、
川沿いのレストランの中に
濁流が渦を巻く様子に愕然としたことを覚えています。

あの滝つぼの中にいるような雨の中、
実は母から電話がかかってきたのです。

「大丈夫~?」

ところが、人間、本当に怖い思いをしている時
大丈夫かどうか、こっちが聞きたいくらいなのです。

とはいえ、母に言ったところで
雨が止むわけでなし。

とりあえず、状況を説明すれば
余計な心配かけるだけなので
(今のところ生きてるし)大丈夫」とだけ言って電話を切りました。

ああいったことがあってから、
遠くに住む友人に
今回のような大雨や災害があった時
実のところ、なんといってよいのか分からなくなりました。

大丈夫?と聞いて
大丈夫じゃない時、
なんと言ってよいのか。

それは、大事な人を失って
泣いて悲しむ人に言葉が見つからないような
あの感じに似ています。

お腹の底で
その悲しさがギューと伝わるような感覚はあっても
それを言葉にしようとすると
どうも違う。

うまいこと言おうとする
イヤらしい感覚も出てくるし
何を言ったところで、かもしれない。

そんな時、本当に
自分の言葉の拙さに嫌気がさしてしまう。

大学時代からの腐れ縁の友人2人に
「大丈夫か? 無事を祈ってる! 困ったら何なりと!」
と送ってはみたのですが、
1人からは返信がないので、

本当に今はそれどころではないのかもしれません。

脱炭素化社会、って言葉をよく聞きます。

マイバック、ゴミの分別、etc.

細々できることからやる、のは
とてもよくわかる。

でも、

何十年に一度が、来年も来ないようにするには
どうしたらいいのか。

起こった結果のメカニズムは
どこかの専門家が説明してくれても、
来年、また「何十年に一度」が来ないようには、誰にもできない。


ふと、ハチ(元野良猫)
家に迷い込んできたときのことを思い出します。

ハチの脇には、輪ゴムが食い込んで
えぐれてできた傷があったのです。

猫のケガ
推測ですが、何かの拍子で輪ゴムが脇にかかったまま、体が大きくなったみたいで。
首にもゴムのカスがついていたので、取ろうとして取れなかったのかもしれません。
ゴムと言えども、食い込んで、ぱっくりとした深い傷になっていました。


避妊手術をかねて、動物病院に行ったとき
言われたのです。

じわじわできた傷は
じわじわ治すしかない。

いつの間にか、ひどいことになっていた
深い傷。

同じだけ、辛抱強く
良い方向に向かって取り組んでいくしかないのかもしれません。

環境もだし、
体もだし、
心の傷だってそうなのかもしれない。

それでも、毎年こんな雨は
勘弁してほしい。

AIに仕事を奪われる話だけでなく、
こんな時ほど、ぼんやりとしたエリアメールではなく、
ピンポイントで、
「今、あなたが危ない!」をAIには教えて欲しい。

「今までに経験したことがない」が起きるなら
膨大なデータの中から、
どこにどう逃げればベストか
そういうことこそ、AIに教えて欲しいくらい。

AIに頼りたくなってしまうのは
便利に慣れてしまって、
虫の知らせ、の感覚が鈍っているんでしょうか。

じわじわ傷が深くなる前に、
このままじゃ「ヤバい」と感覚的に分からないと
いけないのかもしれません。

なんでも、ほどほどにが
一番かも。