作り手のまなざし

高橋まゆみさんの人形「枯れた乳房」。「母恋し 泣きやまぬ子の口元に 持ちゆく我の枯れた乳房を」

いきなりギョッとされた方もおられるかもしれません(・∀・)

「あ!知ってる!」そういう方もおられるかも(*^_^*)



長野県飯山市の高橋まゆみさんという人形作家さんの作品です(・ω・)

数年前、実家近くでその作品展を見て

高橋さんのつくる人形の世界観に

なぜか泣けて泣けてしかたなかった思い出があります(´・ω・`)

高橋まゆみ先生作『ここまでおいで』

それはいつか自分が見た光景で

年とったわがバアちゃんの、あの姿であり

よれよれのかっぽう着のそでからのびる、あのシワシワの手であり

そんな記憶が、人形を見てるだけでフラッシュバックしてきて

予想外にボロボロ泣けてしまったのです。



高橋まゆみさんの人形であり

金子みすゞさんの詩であり

人のつくるものには、その人のまなざしがどこにあるかがよく表れます。



それは、その人の経験したことや

何を思って、どうしてきたか?

その作り手の、積み重なった土・地層のようなものを通して

生まれてきた小さな花のようなもの。

それが形になったものが、作品なんだと思います。



例え、「作品」と名がつかずとも

もっとささやかな

文字を書くこと、料理をすること、言葉遣い以上の「言葉」でさえも

その人なりの「まなざし」を通してこの世に出てきたものには

どこか触れられない、計れない「温度」のようなものがあるように思います(・ω・)
どんなに言葉遣いが正しくても、温かみの感じないときもあるし( ̄▽ ̄;)



「心をこめて」というけれど

それを言えば言うほど遠くなるような何かがあって

「心をこめて」と「あなたのためを思って」という言葉が

一気にその「温度」を下げてしまうような気がする(^▽^;)

言えば言うほどちょっと違う感じがするのです( ̄▽ ̄;)



だから、そんな言葉なしにも

それがどんなささいなものでも

見ると気持ちが「ほんわか」するような

そんなものをつくっていけたら理想かな~と思います(´・ω・`)

家にも、きっと温度感はある。

建て方もそうですし、

住み方、暮らし方もそうかもしれない。

それぞれの、まなざしを通した「温度感」みたいなのがある。



「あなたのために 心をこめて咲いた」って

花は言わない。

でも、花を見るとホッとする。

ささやかでも野の花や

温かなまなざしを通してつくられた温度感のある「もの」には

そんなチカラがある。

そう思います(*^_^*)



どうぞ、お雑煮でもおそばでも

ささやかでも、ほんわかした「もの」で

ほのぼの良いお年をおむかえくださいね!(≧▽≦)ノ♪

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