【施工事例】田園風景に映える、落ち着いた佇まいの家

こんにちは、もくせい工舎です。

豊後高田の中心部から車で数分。
鮮やかなグリーンの田園風景の中にある丘陵に建つのが、Sさま邸です。

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日田土の落ち着いた色合いの外壁は明るすぎず優しい印象。
玄関ドアまではスロープも設置。
畑で採れた野菜を持ち運びしやすいように土間室もしつらえています。

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和紙で仕上げたウォールライトは玄関の印象をアップ。
古ガラスを使った窓は採光と採風を確保するのはもちろん、空間にアクセントをもたらしています。

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リビングに一歩足を踏み入れると、梁が配された開放感のある天井がお目見え。
壁は漆喰壁無垢材の両方を採用。
素材の違いやコントラストを感じられるのが魅力です。

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キッチンの奥にはコンパクトなパントリーを設けました。
無垢材は調湿効果があるため、食材を湿気から守ってくれます。

野菜やお米づくりをされるSさまの希望だった収穫品を気軽に置ける土間室を実現。
ただの作業場ではなく、床の素材に工夫を凝らしたり、木の照明を付けたりと、思わず誰かに自慢したくなるような土間室となりました。

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心地よい風と目下に広がる田園風景。
丘陵に建つ家ならではの暮らしを、自然素材の家がより心地よいものにしてくれています。

中の人

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


実は、あるご当地キャラクターの「中の人」になったことがあります。

PTAの、九州を挙げての大イベントで、
盛り上げるために「誰か入らないか」というのを

「やるやる!やりたい!」と
前のめりで引き受けた経緯があります。


PTAは苦手なので、もうご勘弁願いたいのですが、

唯一残念なのが
もう「中の人」になれないこと。

あれは、別次元の体験でした。


「中の人」になるには、誰かに手助けしてもらって
着替えないといけません。

下の衣装を履いて、
上半身の中に、えいやっと入って
重い頭や、備品などを着けてもらいます。

動くのも一苦労で
誰かにサポートしてもらわないといけません。

普段あまり汗をかかない質なのですが、
ジンワリ蒸される感じ。

寒い時期に脱ぐと、湯気がでそうな勢い。

実はラクなわけでもない。

それでも楽しい記憶として残っているには
理由がありました。


イベント当日、おおかたの準備も終え、

いよいよ「中の人」になって、来場者を迎える時間です。


会場のロビーで、手を振ったり、
「いらっしゃい」感いっぱいに
ゼスチャーで歓迎していると、

九州各地から集まった来場者さん達が
私を見て、嬉しそうに手を振ってくれます。

笑顔で、握手をしに来てくれたり、
写真を一緒に撮ってくれたりします。

・・・・・なんと。
これはもはや、スターじゃないですか!

「中身は、同じか年上のオバちゃんなんやで~」と
内心思っていても

50年近いわが人生の中で、これほど初対面の人に

もろ手を挙げて喜ばれるなんてことがあっただろうか。(うんにゃ、ない。)

「人気者の皮」は被っているものの、
それは人生初の、存在への喜びであったのです。


あ~、でも!
それはこれを被っているからなのです。

脱いで、素のオバちゃんである私を喜ぶのは、
猫のハチさんとゴマちゃんくらいでしょう。

これを被ってない限りは、こんな状況はあり得ないのです。


その時ふと思ったのは、「なりたい自分」や「ありたい自分」ということでした。


誰かがイイね!といってくれる「姿」や、

ステキ!と思われる「姿」を被っていれば

見ず知らずの人が評価してくれるのはSNSに似ています。


「中の人」と「ステキな姿」が差がないほど、
演じていても苦にはならない。


逆に、
評価してもらいたいばっかりに、
重すぎる「姿」を被れば、

疲弊して当たり前ともいえる。


それでも、「なりたい自分」「ありたい自分」を目指して
高みを目指し続ける生き方もあるでしょう。

誰かに羨望のまなざしで、一目おかれる人になることは

それが名声であれ、何であれ、

自分の存在意義への自信になるかもしれません。


でも、本当は
そんなもの被らなくても

嬉しそうにしてくれる誰かがいてくれたら。
なにも飾らなくても喜んでくれる誰かがいてくれたら。

それが一番なのではないでしょうか。


赤ちゃんや小さい子が、にこにこ笑うと
こちらまで嬉しく、楽しい気持ちになるように、

素のままの自分でいても、
嬉しそうにしてくれる誰かがいれば

重い皮を脱いで、楽になれます。


本当は、安心したいだけなんだと思います。

中の人の私のまま、

この世界にいていいんだ。
存在していいんだという、

絶対的な安心感がほしいだけなんだと思います。



それがまだ見つからなくて、

今日も私は虎の威を借るように

時々「中の人」で体験したことを思い出すのです。


「なりたい自分」「ありたい自分」を背負って
苦しそうな知人もいたりして、

「中の人」になってみたことは、
色々考えさせられる体験でした。


「ありたい自分」の着ぐるみを被ったあなたじゃなくて、

私は本当の「中身」のあなたの声がききたいのだよ。

かおなし_1
その逆のパターンが、この人か。その件については、またいつか。