できる、できない

何かの特技を身につけて、人から頼りにされれば

人の役に立っている→人から【必要】とされている

そう感じて、安心します。



人から頼りにされ、声をかけてもらえるので、

特技を「コミュニケーション・ツールだ」と言う人もいます。

ツールと言うのは、道具で

特技は、確かに「世のため、人の為、役に立つ」

それを身につけている自分は、「役に立つ」自信につながります。

自分を守る、剣にも盾にもなってくれそうです。



先日、子供の国語の宿題を見ていて、出ていた文章題。

そのお話は、東京で暮らしていた女の子が

お母さんが病気になって、田舎のおばあちゃんのところで過ごす内容でした。

友達がいないとさみしいだろうと

おばあちゃんは近所の子供たちに「一緒に遊んでやって」と声をかけるのですが

その女の子は、【弱味】を見せたくないがために

必要以上に、田舎の子供たちに

東京の自慢ばかりをして反感をかってしまいます。



・・・正直、ドキッとします( ̄▽ ̄;)

誰しも【弱み】があり、それを補うため必死です。

大人だって、そう。子供だけの話じゃありません(;・∀・)



資格、特技、社会的な地位、はたまた先祖がどうとかに至るまで。

「自分は大切にされて然りなんだ」という【根拠】が欲しくなる。


でも、本当に「自分が社会的に役に立ってない」ような思いに

ズタズタになったことがあった時、ふと気付くことがありました。



自分のことを、本当に大切に思ってくれている

大切な友人や、家族は

決してワタシが【役に立っている】から、好きでいてくれるわけじゃないってことです。

役に立とうが、立つまいが、変わらずにいてくれます。

出来ていたことが出来なくなり、自信を失っていても

出来なくなったからと、責めることも失望することもありません。



大切にされる【根拠】となる「盾」で、身を守らずとも良い(*^_^*)

なんて幸せなことかと思います(≧▽≦)♪

役に立つ、立たない。それだけ?

社会的に役に立つことは、もちろん大切ですが

社会的に役に立つ立たないが、その人の存在理由とゴチャゴチャになると

大変なことになります。

そもそも、「役に立っている、立っていない」なんて評価自体

片っ方からしか見ていないことが多い・・・( ̄▽ ̄;)



鎧や盾ばかり持っていては、肝心な時に動けなくなりそうです。

だから、役に立つことは素敵だけど

そうじゃなくても、変わらずにいてくれる人たちがいる。



そう思うと、ちょっと肩の荷をおろせそう・・・?ですかね(*^_^*)