こざっぱり。できるだけ。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


年末ですね。年末。

・・・どうしよう(笑)

わが家は、毎日ルーティンとして掃除する場所と、
年末しかしない場所があります。

毎日のルーティンを少しずつずらしていけば
何となく家全体がいつも綺麗に保てるのは
理屈では分かるのですが
それができない。

どうしても、最低限ここだけ!
を掃除するのでいっぱいいっぱいなのです。

だから年末しか掃除しない場所は
汚れも一年分ですから
かなり頑固で苦労する。

今はスイッチ一つで便利になった分、
部品も複雑で、掃除がしにくい感じがします。

システムキッチンなどは、
大掃除のことを考えたら
レンジフードから何から、
シンクに漬け置きできればありがたいのですが、
レンジフードカバーは、手に余るほど大きく
「いったいどこで洗うのかい?庭か?風呂か?」と泣きたくなります。

う~ん。デザインした人は大掃除しないんだろうか。

ぜひともメーカーさんには
大掃除の洗いやすさもお願いしたいところです。

あと、レンジフード以外の難関と言えばこれ。

2021_oosouji.jpg

お風呂の乾燥機の換気扇。

まだ築数年のお家は特に異変を感じないかもしれませんが、
実はこれも曲者だったのです。

建てて数年後、天井から何やら黒いものが落ちてくる。

・・・怖いでしょ~(笑)

わが家では、毎年フィルターは掃除していたのですが
換気扇の羽の間に、
びっしり湯気と誇り(←あえてこう書きます)が混じった黒い汚れが‼

そこがMAXになって、ある日ハラハラと粉雪のように舞い落ちたのでした。

・・・ひゃ~‼‼‼‼

まだ黒い雪が舞い降りてないお宅は、
ちょっと見てみると良いかもしれません。

換気のために付けっぱなしだと、
かなりの確率でなっているかもしれません。

くわばらくわばら。

できれば、こざっぱりして年越しをしたいところですが
光陰矢の如し。

あっというまに明日は大みそかなのです。

多少のやり残しはあっても、
え、笑顔で年越しをいたしましょう。
きりがない。

あと、このこも我が家で年越しとなりそうです。

2021_goma_sakura.jpg

無事に避妊手術を終えたゴマちゃんです。

予約していた日になかなか戻らず、
延期し、クリスマスイブに手術となりました。

あとは、傷が完全に塞がるのと
お腹の禿が治るのを待つばかりです。

先住猫のハチとは・・・もうちょっとかな。

ハチの方が、気分にムラがあるので
気長に様子をみましょう。

あ~、今年も終わる。

オリンピックとコロナの2021年。

来年は、もっと安心できる世界が待っていることを祈ります。

それでは皆様、良いお年をお過ごしくださいね。

冬来りて猫が鳴く

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


早いもので、あと半月もすると、2021年も終わりですね。

色とりどりに染まった紅葉にうっとりしていたら
いつのまにか寒さも本番に差し掛かっています。

冬眠場所を探すクサガメ
さすらいのクサガメ。冬眠場所を探して迷い込んだかな。

亀はともかく、
寒くなると、妙に野良猫が目につくのは私だけでしょうか。

元野良猫のハチが我が家の庭先で
「入れろー!」と鳴いたのも、11月のはじめ。

思えば、サツマイモ掘りは
11月のはじめの頃には終わらせます。霜が当たるからです。

その頃にはもう、朝の冷え込みも強く
外暮らしの猫たちには、本当に堪えるのでしょう。

猫の発情期のピークは春(2~4月)と夏(6~8月)

発情するのはメスのみで、
オスはそれに促される形となるようです。

妊娠期間が2か月くらい。

そうすると、単純に考えれば
(2~4月)で、4~6月の初夏生まれ。
(6~8月)で、8~10月の初秋生まれとなります。

ハチが来たのは、満1歳にもならない8か月くらいだと思うので
おそらく、初夏生まれ。

初秋生まれ、しかも遅ければ遅いほど、
霜が降りる頃になっても、まだ生後数か月ってとこでしょうか。

野良猫の生活の厳しさから考えても、
冬が来る前にある程度育っていない子猫は
春を知らずに亡くなる可能性が大きくなります。

「野良猫が車のボンネットに乗って迷惑だ。」

そりゃ、猫嫌いな人もいるし、
野良猫に興味のない人もいるし、
車に傷でもついたらというのも分かるし。

ただ、「車に傷でもつけて困らしてやろう」と思って
上に乗っている猫なんていないんですよね。

もう、寒くて寒くて、
ようやく温かい所を見つけて
夜の間冷え切った体を温めてただけで。

私は猫好きなので、そういうお宅に
室内犬用のお洋服なんかの洗濯物がかかっていると
ちょっと複雑な気持ちになってしまう。

好きで野良に生まれたわけじゃなかろうもん!

ペットショップで買えるだけが命じゃないぞ~!

生まれ変わって野良猫になってみたら分かるよ!

んで、「汚い野良猫、あっちいけ!」って言われてみればいいよ!

チックショー~~~~~!(小梅太夫か?)

ついつい取り乱してしまいました。すみません。


一見自由とはいいながら、寒い。ひもじい。怖い。
そんな思いをしながら生きている野良さん達。

私なら耐えられないと思います。

ハチも、ホウキを怖がるので
きっと嫌な目にあったことがあるのでしょう。

今思えば、それでも勇気をもって
というか、図々しく?
「入れろ~!」と人間を「頼ってみた」と言えます。

凶と出るか吉と出るか。

わが身の運を気にするのなんて人間くらい。

「そんなん知らん~!
ともかく、声をかけないと死ぬ~!」・・・と思ったのか。

いや~、この点も私などは
「この前ひどい目にあったから」ってウジウジして
凍えと飢えで死んでいたかもしれない。

・・・声かけてくる猫って
実は、図々しいばかりの勇気があるんじゃないか。

・・・で、来ちゃったんですよ。また。
その類が。

この子です。

2021_野良猫ゴマちゃん

・・・どうしよう(笑)

とりあえず、猫風邪ひいていたので病院にかかって
治療しました。

近々避妊手術の予定です。

ただな~、こればかりは先住のハチ先輩次第のところがありまして。

今、じわじわとお互いに慣らしている最中です。

2021_ハチとゴマ

一年たってもどうにもならなかったら
嫁入り先を探さないといけないかも。トホホ。
(時間がたつほど、ではありますが)

「ぜひ、わがやに!」って方がいましたら
もくせい工舎までご一報ください。
(↑勝手に言ってます)

厳しい審査の上、泣く泣く嫁に出します。
(とはいえ、なるべく頑張るんですが)


オスの行動範囲は広く、メスはそれほどでもなく
そこそこ近場で一生を終えます。

メスの発情が引き金になって、オスも・・・となると
やっぱり、地域猫のメスだけでも
できるだけ避妊させることが、
かわいそうな野良猫をこれ以上増やさない糸口になると思います。

とはいえ、正義感に燃えて言ってるわけでなく
やっぱりモヤモヤするんですよ。
猫に頼まれてそうしてるわけじゃない。

ただ、猫にしろ、人間にしろ
生まれてきたからには・・・っていうのがある。

好きで寒空の下、凍えているわけじゃない。

「そういう運命なんだから仕方ない」
って、自分事だったとしてもいえるのか。

・・・・。

チックショー~~~~~!(再びすみません。)


人の気持ちを知ってか知らずか。

2021_ゴマちゃん

そんなんリラックスして。

2021_ゴマちゃん

名前はゴマちゃん(♀)。柿のゴマ模様みたいだからです。

セキセイインコのQ太郎、猫のハチ。
9,8・・・で数字に絡んで5です。

7,10はボツになりました。

2021_ゴマちゃんのカギしっぽ
チューリップ型のフライドチキンのような、カギしっぽがチャームポイントです。ピコピコ動きます。

2021_ゴマちゃん

幸せになろうね、ゴマちゃん。

・・・その前に、ハチ先輩だけど。

それだけが全てじゃない。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


不思議なもので、お腹が痛くない時は
お腹のことを
それほど意識していません。

ところが、いざ痛くなると
気にもしていなかった
お腹のことで頭がいっぱいになる。

具合が悪くなる、つまり日常に不具合が起こると
途端に、そのことばかりに意識が向くようになります。

その不具合に病名がつけば、「病気」なんでしょうか。

検査の数値は問題ない。
病院に行くほどでもない。
けれども、あまり調子がいいとも言えない。

「病気」の反対は、「健康」と言えそうですが
じゃ、その「健康」がどういう状態をいうのかは
かなりあいまいなのかもしれません。

同じように、
幸不幸も言えると思います。

不幸は何となく分かりやすいけれど、
幸せってどういう状態か分かりにくい。

恋人や家族や、お金や、地位や、
何かを手にしている状態を
単純に「幸せ」といえるのか。

同じ状態でも
不幸のどん底のような顔をしている人もいれば
平気で幸せそうな顔をしている人もいる。

じゃ、不幸のどん底のような気持ちになる人が悪いと単純にいえるのか。

同じようなことも
過敏に受け取る人と
鈍い人がいるのは
心の体質のようなものなのかもしれない。

花粉症の人に、過敏なあなたが悪いんだといっても仕方ない。
だって好きでなったわけではないんだもの。

人間にひどい目にあわされた猫に
人間嫌いは性格の問題とは言い切れない。
だって嫌な目にあってきたんだから。

繊細な心(気質)の人に
そう考えるあなたが悪いといっても
もう、受け取った時点で
アレルギー反応のように心が反応してしまっている。

何も好き好んで過敏になったわけではない。
だから、まったく過敏な自分を嫌いになる必要ないんじゃないか。

花粉症や猫と違って、少しできることがあるとすれば
過敏に反応してしまうことはさておき、
「落ち着く」ことかもしれない。

体の真ん中に一本の芯があるようなイメージをして
そこがまだダメージを受けてないと思えると
少し楽かもしれない。

心にさざ波が立ってはいるけれど、
落ち着いていたら波は収まる。
それをイメージすることかもしれない。

不具合が起きても、とりあえず生きているなら
大丈夫。

ただ、命にかかわることからは
全力で逃げる必要があるけれど。

生きていれば、なんやかや不具合は起きるけど
自分の命や、芯の部分が無事なら大丈夫と言えるのではないか。

病気になったら、私が一番最初に気を付けることは何かというと、(略)一日中、病気のことで頭をいっぱいにしないことである。
by 宇野千代

宇野千代さんの考え方をアレンジすれば
病気を不幸、というより不具合と言い換えると分かりやすいかもしれない。

不具合で頭をいっぱいにしない。

上手くいってることもあるんだから。


・・・と、自分に言い聞かせているわけです(笑)

「当たり前」をささえるもの

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


わが子が小さい時、それはもう、笑えるほど度々病気になりました。

兄弟そろって気管支炎だの、肺炎だので
入院することも度々で
「幼稚園に今月2日しか行ってない」なんてこともありました。

誰の助けもあまり期待できなかったので
「こりゃ~、まともに何時から何時までの仕事に就くのは無理かもしんない。」

そう思って通信でWebデザイン等を勉強した時期がありました。

今から10年以上も前のことなので
AdobeのDreamWeaverというソフト。

これがまた私のアタマには難しく、
やっとこさ完成させても
InternetExplorer6問題だったか何かで
(こちらできちんと表示されててもIE6だと表示が崩れちゃう問題)
すっかり心が折れてしまい
付属で覚えた
illustratorとPhotoshopでこうして細々お仕事をしています。

日進月歩の世界は
歩みがゆっくりな私にはついていけない。

今はWordpressなんかで、皆さん
サクサクとサイトを作っているようなので
あんなに勉強してみたことも
日進月歩が
「誰でも簡単に」それなりにできるようにしてくれます。

地道にコツコツした経験値が
やがて地層のようになるのとは
ちょっと違う世界。
乗り遅れないよう、最新のものに常にアンテナを張って
刷新していかないと置いていかれてしまう。

ちょっと私には無理でした。

でも、そのWebデザインの勉強の時に
講師の方が話していた言葉が印象的だったのです。

「Webデザイン然りなんですが
デザインって不便や不都合を感じさせないように作ることが前提なんですよ。」

つまりWebデザインでいうと、クリックするボタンの大きさ一つ、位置1つ、
サイトの訪問者に「?」って思わせてはいけないということ。

なんの不便も感じさせず、「さらっと上手くいく」ようしないといけない。

不便を感じさせないのがデザインの仕事ということです。

車や家電などの工業製品のデザインだとよく分かりますよね。
炊飯ジャーでも「炊く」のボタンが一番大きく押しやすいのは
そういう配慮です。
マニュアルを最後まで読まないと「炊く」ボタンが分からないのは
製品としてアウトですもんね。

機能とは関係なさそうなグラフィックデザインの世界でも
イベントのポスターなのに
開催日時がどこに書いているのか分からなければ
「?」ってなりますから、デザイン的には失敗ということです。

デザインとは、設計・図案・意匠のことだと出てきます。
「?」ってなったり、困らないよう設計する機能的な美しさでしょうか。

あ~、でも
「困らなくて」「きれい」ってデザインだけの話ではないはず。

日頃、「なんの不便も感じさせない。」そういう仕事。

おおやけに「役に立つ」と言われている仕事はもちろん、
名もなき、小さな仕事にも
誰かに不便を感じさせず、快適な日常が当たり前に送れる働きがある。

洗濯かごに放りっぱなしにしていた昨日の靴下が
何年も同じ位置にないのは
誰かが洗濯してくれたからだ。

お金になることばかりが仕事じゃないと
頭ではよく分かっていても
そういう小さな仕事って、もう少し有難がってもいいような気もします。

明日起きれば、温かいご飯とみそ汁、お弁当ができてる。

・・・なんて、当たり前じゃないんだよな。きっと。

当たり前のことが、当たり前にできているのは
きっと、陰ひなたなく
誰かがそうやって働いてくれているからだ。

家事は
日々の暮らしに「困らないよう」「きれい」にしてる
デザイン業務とも言えそうです。

あれをやって、これをやって、
こうしている間に、あれをやって・・・。

家事は頭もフル回転。

疲れは「体」ではなく「脳」の疲れといいますから
もう、立派な激務ですよ。

もっと胸をはっていいと思いますし、
ねぎらって貰っても、おつりが出るくらいです。

家族の「当たり前」を支える。

お金になる「仕事」も、
お金にはならない「仕事」も、
どっちも大事。

ただ、お金にならない「おうちしごと」に
もっと光あれ!

・・・と願います。

「なんかいい」を生み出すもの

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


もくせい工舎では、無垢の木と漆喰で家を建てています。

漆喰壁や玄関の三和土風の土間を手がけるのは、日田の原田左研さん。

自然な素材にこだわり、
壁をつくるというより、
壁と壁の間の雰囲気をつくる。

そんな類まれなセンスの職人さん達です。

この漆喰・左官仕事に関しては、
機械化され続けてきた建築の世界で
今も残る、数少ない手仕事の部分といわれています。


だからでしょうか。

工場からパネルで運ばれて
あっという間に出来上がる
新建材のお家に比べ、

もくせい工舎のお家の出来方は
どこか手作りっぽいのです。

また、人の手仕事だからできることもあります。


こちらはもくせい工舎のカタログ等々でよく掲載されるお家なのですが、


もくせい工舎の自然素材の漆喰壁の家

・・・パッと見て何かお気づきになりますか?

そう、このお家、カドがないのです。

もくせい工舎の自然素材の漆喰壁の家。角がないので優しい雰囲気。

緑色のラインの中を拡大すると・・・↓

手仕事で丸くなった漆喰の壁

他にも、パッと見シンプルなお家ですが、

自然素材の漆喰の壁の家の外観

近くまで来ると、その仕事ぶりに驚きます。

漆喰壁の角が丸い仕上がり

カドが丸い・・・だけなのですが
これだけでフリーハンド感が出るというか

ジブリ作品の背景画のような
優しい雰囲気になるのは驚きです。

これは、人の手による仕事だからでもあります。


また、もくせい工舎の家でも
同じようでいて
よく見ると鏝の跡は、かなり違います。

漆喰の鏝跡の違い
同じ「凹凸をつけた塗り方」であっても、左のように滑らかなアイスクリームのように塗った鏝跡もあれば、
右のように「ほら穴っぽい」質感で仕上げた鏝跡もあります。



私たちも
毎回同じように書いている自分の名前だって
意識しないと微妙に違います。

筆跡は同じでも、紙の摩擦や腕の位置で
全く同じにはなりません。


下は、パソコンなどで使われるフォント(字体)です。

フォントと手書き
パソコンなどで使うフォント(字体)も、手書きっぽく見せていても赤い丸のように、同じ字は全く同じ。
手書きだと、(下手なせいもありますが)全く同じ形にはならない。



完全や、完璧ではなく、
ちょっと外す。
「遊び」がある。

「なんかいい」雰囲気は
人の手仕事の賜物といえます。

手仕事

スタイリッシュで都会的な住まいを好むか

手び練りの器のような家を好むかは

人それぞれですが

「なんかいい」雰囲気は
自然と心をほどいてくれる。

「なんかいい」人の手仕事は

物や空間に遊びやゆとりを与えてくれるのではないかと思います。

「意味」

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


先日、久しぶりに赤ちゃんにふれる機会がありました。

予定日よりずいぶん早めに生まれてきたらしく
実質的には8か月。

伝い歩きが楽しいようで
ニコニコしながら近づいてきます。

手を差し伸べて抱っこすると

・・・あ~、うん、なんかこんなだった。
こんな感触だったよ、赤ちゃんて。

つるつるして、ちょっとペタペタして
重いのに、軽い。

下の子で考えると
15年ぶりくらいの感触です。


「・・・孫っち、こんな感じなんでしょうね~」


子育ても終盤になってくると、
赤ちゃんは可愛いばっかり。


手のかかる時期を必死で過ごしている時期に比べたら
気楽なものです。


嫁や妻の役は、本当に向いていなかったと痛感していますが
母親になったのは、自分にとっては良い経験になったと思います。

少なくとも、低い鼻っ柱は折られました。

それまで、自分で努力さえすれば、
がんばりさえすれば
なんとかなってきたことが

自分がどうあがいても
どうしようもないこともある。

受け入れて、その上でどうしていくか。

それに目が行くようになったからです。

だから、うまくいかない人を一概に責められなくなりました。


利発で、快活で、性格も良く
誰にでも好かれ、
いかにも世の中の役に立っていけそうな子。

そういう子が、俗にいう「子育ての成功例」だとすれば
いかにそれを目指していくかが「親力」みたいなものかもしれません。

・・・でもな~。工場で饅頭つくるようなわけにはいかないんですよ。

これさえしとけば、というマニュアルどおりにはいかない。

だって人間だもの。

親である私が100点じゃないのに
子どもに100点であれ。

っていうのは、どうも合わなかったのです。

仕方がない。私が親だもの。

東大に兄弟を何人も送り込むほど敏腕ではありませんが
うちの子は、華やかな「良い子」ではなく
なんだかほのぼのした「いい奴」にはなってくれました。

女子にはモテないけど、猫にはモテています。


へなちょこな母親ですが
子どもを育てるのって、盲導犬のパピーウォーカー的なものかと思います。

子犬の時に、愛情をたくさんもらって
人間を好きになって、
そして「盲導犬として合格」すれば盲導犬になればいいし、
盲導犬にはなれなくても、また別の生き方がある。

産みはしたけれど、実は「預かり物」で、
ましてや所有物ではないのかもしれない。

「子どもが生まれれば、親にはなれる。
でも、親であることは難しい。」

大学の時に先生に言われた言葉です。
これだけは覚えています。授業の内容はほとんど忘れたのに。

子育てをしていると、
自分の子ども時代の古傷に向き合うことも多い。

私は褒められたこともないのに、
褒めろとな?とか。

でも、自分が子どもの頃
大人に言われてた嫌だったこと、されて嫌だったことは
「私はやらないぜ」って決めることはできるんですものね。

褒めることは苦手でも、
【ねぎらう】くらいはできそう。

ねぎらってもらったら
「なんだかんだいっても
ちゃんと見てるんだな」って実感しますしね。


前回のブログに、胎児性水俣病の娘をお風呂に入れる母親の写真のことを書きました。

あの時に思ったのは、同じ境遇だったとして

私の母は、同じようにしてくれただろうか。
私は、我が子に同じようにできただろうか。

それは、どこかハッキリ言えないのに

強烈にあったのは

「こういう風に、どんな私でも
好いてくれたらどんなに嬉しいだろうか」
という思いでした。

世の中の役に立つとか
必死で頑張っているとか

そういう目に見える
分かりやすい「意味や意義があるから」ではなく

無条件に好いてくれる、
お前は、生まれてきて、生きていてOKなんだと。
例え、他所の人がどう言おうとも、
私は、お前が大切なんだと。
そう断言してくれる。

その存在がどんなにありがたいか。


ユージン・スミスの「入浴する智子と母」の写真を見て、
状況は大変なのに、同情するとかのレベルじゃなく、

胸をよぎったのは
強烈な羨ましさだったのかもしれません。


子どもは、饅頭工場で合格品をつくるようなものじゃない。

親の成績表でもない。


生きている「意味が(今は)よくわからない」ことは
(イコール)生きている「意味がない」とは絶対に違う。

しかも、それをどうして誰かにジャッジされなければいけないのか。

自分が「意味が理解できない」だけで、
「意味がない」と決めつけて。

それじゃ、相模原障がい者殺傷事件の犯人と同じです。

私たちは何もかも理解できているわけではない。

それなのに
「意味」ばかり考えて、
ジャッジして。

目に見えることばかりが
人の「役に立つ」じゃない。

日の当たるところで頑張る人も、
人知れず、がんばる人もいる。

役に立って偉いとか、
頑張ってて偉いと、

他人をジャッジし、
自分すらジャッジし

存在理由や生存理由まで判定されるんでしょうか。

でも、それって
お互いがお互いを見張り合うような
ギスギスした世界になりかねない。

役に立ってないと、
いかにも頑張ってないと、
好いてくれない世界で
私たちは
いつ心から安心できるんだろう。

理屈抜きで、
損得なく好いてほしいのは

きっと、大人も子どもも同じ。

皆、冒頭の赤ちゃんみたいに
意味があろうがなかろうが

ニコニコ笑っていたはずなのに。

生まれつき
おとなしい赤ちゃんはいても、
根暗な赤ちゃんはいない。

皆、ニコニコ笑っていたはずなのに。

ピエタ

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

読書会で『苦海浄土』を紹介されたのを皮切りに、
なんだか個人的に、石牟礼道子三昧となった今年。

その流れで、ジョニー・デップ製作・主演の映画
「MINAMATA-ミナマタ-」を観に行きました。

友人に誘われて観た井上弘久氏の
朗読劇『椿の海の記(著|石牟礼道子)』も、きっかけの一つ。

公害けしからん!はもちろんのこと
それ以上に、
人のいとなみや、自然について
考えさせられることが、とても多かったのです。


『椿の海の記』は、公害が起こる前の水俣が舞台。

4歳の「みっちん(幼少期の石牟礼道子)」の目を通して
どこまでも豊饒な水俣の自然と、
その恵みに生かされて生きる
人々の様子が描かれます。

それまで、私にとって「水俣」は、
【公害の起きた場所】でした。

元来の猫好きなので
猫が踊り狂うように死んだりする映像もショックでしたし、

同じように人々が、痙攣したり、
のたうちまわって苦しむ姿は、強烈で

【被害者としての水俣】を
印象として、強く持っていたんだと思います。

でも、違ったんです。

被害者であることだけが、水俣の全てではなかった。

あの公害が起きる前の、水俣が
どんなに豊饒な世界だったか。

それを教えてくれたのが石牟礼さんの『椿の海の記』でした。

「やまももの木に登るときゃ、山の神さんに、
いただき申しやすちゅうて、ことわって登ろうぞ。」

小さな「みっちん」に、父・亀太郎が何度も言い聞かせます。


自然は人間だけのものではなく
山の「あのひと」たちのものでもあり、
神様からの「恵み」である。

だから、断りばゆうて
分けてもらう。

自然の、恵みにおすそ分けをもらって
生かされている人間。

・・・うわ~。

努力と根性で、右肩上がりに上がることばかりが
偉いと思い込んでると、

【思い上がり】も、右肩上がりなのかも知れません。


また、登場人物に考えさせられることも多かった。

ご近所の末広の女郎さんたち、
岬の火葬場の隠亡(おんぼう)の岩殿(いわどん)

世間でいうところの、けっして立場の強くない人々に
どこまでも目線の優しい
みっちんの両親。

そして、盲目で狂女の
祖母「おもかさま」。

石牟礼道子という人が描く、
映画を見ているような、繊細な文章の世界に
すっかり参ってしまったのです。


今回の映画も、ユージン・スミスが撮った
【人の営み】が見てみたかったのが一番の理由です。


ネタばれするつもりはないので
詳しくは書きませんが

実際は、ハリウッド的勧善懲悪とはいかない
複雑な事情もあったのだろうなと思います。

それでも、絶対「しかたないよね」ではすまされない。


國村準さん演じるチッソ社長が、ppmの話をするシーンが印象的でした。

ごくわずかなら、無いに等しいと。



有毒でも、ごくわずかなら無毒か。

騒いでいても、ごくわずかな人間なら問題ないか。


「チッソは私であった」の著者・緒方正人さんではないですが

チッソは私。
私は、チッソになりうるって
どこかで思っていないと
間違えてしまうような気がしました。



映画の中で、胎児性水俣病のアキコちゃんを
お母さんがお風呂に入れるシーンがあります。

ユージン・スミスの「入浴する智子と母」という作品が元ですが、

もう、なんだか心を揺さぶられて
不敷布のマスクが
ぐしょぐしょになって、エライことになりました。

上手く言えませんが、

私の母は、同じ立場なら
私をこんな風に愛おしそうにお風呂に入れてくれただろうか。

同じ立場なら、
私は、我が子をこんな風にできただろうか。

その姿が、ピエタのようで

エンドロールで流れる坂本龍一さんの音楽が
強くて、きれいで。

きれいごとじゃすまない一面の、
それでも
絶対に人が失ってはいけない核心に触れたようで

本当に、何の言葉でも埋まらないのですが、

きれいごとじゃないのに、
何とも言えない、絶対的なものを見せられた。

そんな感じでした。


それにしても、ジョニー・デップ。

映画に詳しくないとはいえ、
私が知っているジョニデは

ハサミつけて「白塗り」してたり、
チョコレート工場で「白塗り」してたり、
海賊やって「白塗り?」してたりだったので

あまりにも違って、というか
本当にユージン・スミスはこんな人だったのではと
そう思えるくらい違和感がなくて。

そちらも意外や意外でした。

例によって長文失礼しました。

あ~、でもまだ話したいこといっぱいある~。



折を見て、また書きたいと思います。


明日は、10/1。映画は、ファーストデイ。

今週末、完成見学会のお家に。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

9/25,26の土日、もくせい工舎では
国東市にて、完成見学会を開催します。

詳しくは→こちら♪

本日そのお家の写真撮影にお邪魔してきました。


20210923_もくせい工舎・自然素材の家の完成見学会・会場外観


お邪魔した時は、まだカーポートが工事中。

お庭をてがける実意園さんが多忙で
見学会までに間に合いませんでしたが、
お庭ができたら、撮影...再度、できたらいいなぁ。

そして、この日は
原田左研の職人さんが
玄関の三和土風土間の最終仕上げをしていました。

20210923_もくせい工舎・自然素材の家の完成見学会・三和土風土間

(撮影するのに)玄関から入って大丈夫ですか?」

「あ、はい。今は大丈夫ですけど、これから塩酸で洗うので...。」

「あ、じゃあ、あちらから出入りしましょうね。」

飾る花を活けながら、さっき聞いた「塩酸で洗う」が気になって仕方ない。

忙しい原田左研の職人さんに、ちょっと聞いてみました。

「さっき、塩酸で洗うって言ってましたけど、
塩酸で洗うと、どうなるんですか?」

「あぁ。(土間の)アルカリ成分が出て白っぽくなるので
酸で中和して、きれいにするんです。」

「壁の漆喰は、酸で中和しないようですけど、
土間はするんですね」

「壁の漆喰は、石灰の色味自体が大事なんですけど、
土間は強度をあげるため、セメントも入っています。
セメントの色味や、三和土に入っている(きれいな)石の色味を
美しくするため、最後に洗う作業があるんです。」

なるほど~。

お忙しいのに、根掘り葉掘り聞いてしまった・・・。
真摯に答えてくださった職人さん、ありがとうございます。

撮影していると、場所がら
飛行機が通過します。

大分空港が、ちょっと先ですものね。

20210923_飛行機

室内にいると、音もそれほど気になりません。


撮影をしていると、それこそ先ほど話した
原田左研さんの仕事ぶりが目に飛び込んできます。

20210923_漆喰の鏝跡

この、鏝の跡、本当にいいでしょ~。

20210923_漆喰の質感

もくせい工舎の漆喰の壁は、本当に手仕事なので
その跡が、なんとも言えない雰囲気を醸し出しています。

手び練りの器みたいな、あの素朴な感じです。

20210923_洗面台付近

手洗い鉢とステンドグラスが素敵な、手洗い場。
直線も、漆喰だと雰囲気は柔らかいですね。



もくせい工舎のお家も、実は【新築の匂い】があります。

建ててしばらくした木の家の匂いとは違う、
フレッシュな、【切りたての木】の匂い。

実際には、乾燥させたりするので
切りたて!ではないはずなのに不思議です。

撮影後は、髪の毛とかから
気のせいか、木の香りがする。

おそらく、はじめてお越しになる方は
圧倒的な、清々しい木の香りにビックリするかもしれません。


大概、撮影にお邪魔している私でさえ、
撮影してると思います。

20210923_もくせい工舎の家は、木がふんだん

「どこまで木やねん!」って(笑)

それくらい、ふんだんに木が使われています。
これを見慣れていると、木の家の概念が変わってきちゃう。

見学会では、その辺も見どころかもしれません。

こればかりは、実際に
来て見ないと分からないですものね。


それと、
マニアックかもしれないですけど、
私は、カーテンが風に揺れるのがすごく好きなんです。

20210923_自然の風

自然の風が、ふわ~っと入ってきて
カーテンが、無垢の木の上を揺れて。

絵になりますよね~。
いや~、しあわせな光景だ。

20210923_9/25・26完成見学会の自然素材の家・リビング

今週末は、お天気もよさそうです。

車で数分のところに
道の駅くにさきと、きれいな海もあります。

よかったら、ご家族で
「どこまで木やねん!」の
自然素材の家に会いに来てください。

今週末の見学会、詳しくは→こちら!

・・・ちょっと都合が悪くて~

という方も、OB様邸個別案内なども致しております。

こちらも、下記バナーより↓遠慮なくお問合せ下さい。

お問合せ・ご相談


みなさまにお会いできるのを、楽しみにしています。

なつかしさの裏側には

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


先日、ある廃校にお邪魔しました。

待ち合わせた友人が、
「朝、廃校になった小学校の草刈りでね。
でも、すぐ終わった。
『いっつも手入れしよるけん、時間がかからんで終わるけどね~』
っち、近所の人たちと言いよったんよ~」
というので、

「廃校...。」

「うち、地区が自分たちで管理するけって
廃校になった後も、手入れしよるんよね~。
普通、市の業者かなんかが来るんやろうけど。

今、地区でサロン開いたり、資料展示したりしよるんよね~。」

個人的には、廃校って
どこぞの団体なんかがリノベーションして
うんたらかんたらというニュースばかり聞くので

「自分たちできちんと管理するから!」という地区の話は
とても意外だったのです。

廃校になって、第三者にわたった学校が
何だかすっかり"こじゃれ"てしまって、
地区とは一線を画す、別物になってしまうような
思い込みがあったのかもしれません。

よくよく考えたら、
廃校をリノベーションして、カフェとか、シェアオフィスとかは
「新店舗オープン!」と宣伝されるので、知っているだけかも。

地道に、地区が手入れしているという情報は
わざわざ、あまり報道されそうもありません。

なんとなく、その大事にされている学校を見に行ってみたくて
忙しい友人に付き合ってもらって
訪れてみた、というわけです。

場所は、中津市津民の河川プールのまだ上流。
長岩城跡の近くの、永岩小学校。
旧とつけたくなりますが、まだ使われてますものね。

210915_校庭から校舎を望む

小さな校庭に桜の木。
そして、こじんまりとした校舎がありました。

210915_nagaiwasyo_1.jpg

正面には、木製の手書きの表札。

210915_職員室前210915_ガラスの建具
古い木の建具が味わい深い、職員室前。

210915_保健室前のかわいいボード210915_長い土間付きの廊下
手づくりの可愛い掲示板のある保健室前。土間が平行する廊下をはじめて見た。

210915_体育館
小さめのかわいい体育館も。烏骨鶏とウサギの飼育小屋もあった。

まず案内してもらったのが、最後の在校生たちが作った
長岩城の模型。

なんでも、先生に
「賞をとったら、東京に呼ばれるけん、
東京ディズニーランド、いけるぞ!」
と、のせられて(?)放課後残ってまで
完成させた力作です。

山城の様子を分かりやすく伝えるために
等高線を参考に、山の起伏を表現したり。
特徴的な平べったい石積みを、忠実に再現したり。

崖が危険だからって、「落ちたら死ぬ」と書いてあったのには
笑いました。

「本当だ。落ちたら、そりゃ~死ぬかも(笑)」

その作業の様子や、学校行事の様子が
掲示されていて、友人から
地域あげての運動会の様子も聞きました。

「70、80のおばちゃんたちが、
もう、元気いいでな~」

地区の敬老会も、ここでやっていたとか。
写真には、何とも楽しそうな
笑顔が並びます。

あえてこの自然豊かな環境を気に入ってくれた
先生も少なくなかったようで、
校長先生入れて、4~5人の先生たちの
満面の笑みの集合写真もありました。

大型校では、あまり見ない類の教職員写真です。
(大型校も、満面の笑みで写ったって良さそうなのに。)

私の友人も、ご主人も、お子さんも、今は亡きおじいちゃんも
この学校の写真に楽しそうに写っていました。

ふと思ったのは、懐かしさには
必ず裏に、温かな思い出があるということです。

辛い記憶や、それにまつわる傷が癒えていないうちは
なかなか、その場所を懐かしく思い出すことなんてできないからです。

大きな桜の下、地区の人たちが
お弁当を広げ、楽しそうに笑う写真に
「自分たちが管理するけん」の
意味が分かったような気がしました。
(気がしただけ、かもしれないけれど。)

地区の絆って、無理強いして
できるものではないように思います。

嫌々参加っていう人もいるかもしれない。

かくいう私も、あまり地区の行事やPTAは好きではない。

ただ、少しずつ、
色々もやもやはあっても、少しずつ
顔なじみになる、
名前くらい知ってる人になる、
話をしたことがある人になる、
笑いあったことがある人になる、

そういった些細なことの積み重ねが
地域で生きるってことではないかと
この歳になって思うことです。

今いる場所が、いつか懐かしく思い出されるように、
色々あっても、どこか温かい記憶として残れば
良しとしたいところです。

地区もそうですが
子ども達にとって、我が家もそうかもしれない。

顔をあわせれば、嫌みや忠告しかででこない親がいる実家より
近所のおばあちゃんの方がよっぽど懐かしいなんてことだってある。

それってやっぱり、【居心地の良さ】ではないでしょうか。

居心地のよかった場所は、
きっと思い出しては
【懐かしい場所】になるのだと思います。

そんな居心地の良い
思い出の場所の一つが
わが家であれば、親冥利につきそうです。

そんな居心地の一助になりそうな木の家が
もうすぐお目見えします。

そうそう、宣伝なんです。
だって、自然素材の工務店もブログですもの。
ちゃんと、告知しとかないと(笑)

どうか、こちらもぜひ
良かったら、一度ご覧ください。
お待ちしております。

9/25・26 国東市完成見学会


木造住宅なら、どれも自然素材の家か?

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


本当に自然素材の家を必要としている人に
もくせい工舎の家のつくり方が伝わるようにしたい。

そう永家Tさんから相談されて
じわじわ関連のバナーやページを
整理したり、作成したりしています。

見慣れた記事も少しずつ
変えるところは変えていくと思います。
お付き合いいただければと思います。

最近の追加は
自然素材の家と、新建材の家 ~【自然の木】でつくった家と、【石油化学製品】でつくった家の違いは何かの記事。

良かったら、ご覧ください。

ところで、改めて考えてみても
自然素材の家ってなんでしょうか。

木造住宅なら、木は使っているのですから
すべて自然素材の家に決まってるじゃん!

そう言えそうです。

新しい記事にも書いたのですが
自然素材の家と名乗るのに
法的な決まりごとはありません。

使用している
自然素材の割合が
ちょっとでも、たくさんでも
自然素材の家と名乗れます。

そうすると
本当に切実に
本物の自然素材の家を望んでいる方にとっては
ちょっと意味合いが違ってきそうです。

健康に良さそうなイメージだけで売るか
不自然な家にしたくなくて自然素材の家を建てるかは
まったく別物だからです。

じゃ、どう考えるか。

それを見分けるのは
工務店の事務所の建物や、ブログやインスタなどだと思います。

自然素材の家を売りながら
事務所は全く自然な感じじゃないとか

ブログやインスタを見ても
あまり自然のことに関心がなさそうなら
ちょっと用心した方が良いかもしれません。

実は私は、家を建てる時
もう一社、気になる「自然素材の家」を建てる会社がありました。

そこの工務店の完成見学会のお知らせが入ったので
見学会の数日前に
実際に現場に見に行ったことがあります。

なんか、全く心動かず。

私、こんな家ちょっと嫌だなぁと
感覚的に思ったのです。

外壁が吹き付けで
息が詰まりそうな感じがした。

この、感覚として好きかどうかってかなり大事で。

見学会当日などは
べったりくっついてこられて
さもいいことばかり言われたら
この感覚が研ぎ澄まされる暇なんてありません。

だから、静かな時に
一人で見行ってみる。

その時、
「あ、私こんな家に住みたい!」
って思えば、その工務店の見学会に行ってみれば良いと思います。

本物の自然素材の家は
職人さんの
木工作品のようで
手び練りの器のよう。

素朴だけれど
なんともいえない
味わいがあるはずです。

お好きな方は
きっと見れば分かるはず。

でも、これが
見ないと分からないんですよ~。

本人に会うように
家に会わないと分からない。

だから、9月の25,26の週末。
国東市で完成見学会を行います。

ぜひ、一目
不自然なものをできるだけ省いた
自然素材の木の家に
会いに来てくださいませ。

県北からちょっと遠いですが
ドライブがてらいかがでしょう。

見学会情報アップしましたら
ぜひご検討ください。
(※9/7に関連記事アップしました~♪)

木が本当に好きな方には
きっと気に入っていただけると思いますよ~。

じわじわできた傷は

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


○○豪雨と後に名前がつくような
猛烈な雨が降り、甚大な被害が発生する恐れがある。

その言葉通りに、ここ数日のひどい雨。
各地から被害の様子も
次々と報道されています。

大分県北で集中して降れば、
報道を見て心配した福岡や大分市の友人が
大丈夫かと連絡をくれました。

ところが、
その数時間後には
その友人のところの方が
危ないことになっている。

2012年の九州北部豪雨では
本当に身の危険を感じるような思いをしました。
あんなに雨音が怖かったのは
生まれて初めてでした。

見慣れた青の洞門付近の風景が一変し、
川沿いのレストランの中に
濁流が渦を巻く様子に愕然としたことを覚えています。

あの滝つぼの中にいるような雨の中、
実は母から電話がかかってきたのです。

「大丈夫~?」

ところが、人間、本当に怖い思いをしている時
大丈夫かどうか、こっちが聞きたいくらいなのです。

とはいえ、母に言ったところで
雨が止むわけでなし。

とりあえず、状況を説明すれば
余計な心配かけるだけなので
(今のところ生きてるし)大丈夫」とだけ言って電話を切りました。

ああいったことがあってから、
遠くに住む友人に
今回のような大雨や災害があった時
実のところ、なんといってよいのか分からなくなりました。

大丈夫?と聞いて
大丈夫じゃない時、
なんと言ってよいのか。

それは、大事な人を失って
泣いて悲しむ人に言葉が見つからないような
あの感じに似ています。

お腹の底で
その悲しさがギューと伝わるような感覚はあっても
それを言葉にしようとすると
どうも違う。

うまいこと言おうとする
イヤらしい感覚も出てくるし
何を言ったところで、かもしれない。

そんな時、本当に
自分の言葉の拙さに嫌気がさしてしまう。

大学時代からの腐れ縁の友人2人に
「大丈夫か? 無事を祈ってる! 困ったら何なりと!」
と送ってはみたのですが、
1人からは返信がないので、

本当に今はそれどころではないのかもしれません。

脱炭素化社会、って言葉をよく聞きます。

マイバック、ゴミの分別、etc.

細々できることからやる、のは
とてもよくわかる。

でも、

何十年に一度が、来年も来ないようにするには
どうしたらいいのか。

起こった結果のメカニズムは
どこかの専門家が説明してくれても、
来年、また「何十年に一度」が来ないようには、誰にもできない。


ふと、ハチ(元野良猫)
家に迷い込んできたときのことを思い出します。

ハチの脇には、輪ゴムが食い込んで
えぐれてできた傷があったのです。

猫のケガ
推測ですが、何かの拍子で輪ゴムが脇にかかったまま、体が大きくなったみたいで。
首にもゴムのカスがついていたので、取ろうとして取れなかったのかもしれません。
ゴムと言えども、食い込んで、ぱっくりとした深い傷になっていました。


避妊手術をかねて、動物病院に行ったとき
言われたのです。

じわじわできた傷は
じわじわ治すしかない。

いつの間にか、ひどいことになっていた
深い傷。

同じだけ、辛抱強く
良い方向に向かって取り組んでいくしかないのかもしれません。

環境もだし、
体もだし、
心の傷だってそうなのかもしれない。

それでも、毎年こんな雨は
勘弁してほしい。

AIに仕事を奪われる話だけでなく、
こんな時ほど、ぼんやりとしたエリアメールではなく、
ピンポイントで、
「今、あなたが危ない!」をAIには教えて欲しい。

「今までに経験したことがない」が起きるなら
膨大なデータの中から、
どこにどう逃げればベストか
そういうことこそ、AIに教えて欲しいくらい。

AIに頼りたくなってしまうのは
便利に慣れてしまって、
虫の知らせ、の感覚が鈍っているんでしょうか。

じわじわ傷が深くなる前に、
このままじゃ「ヤバい」と感覚的に分からないと
いけないのかもしれません。

なんでも、ほどほどにが
一番かも。

だざいゆかりの

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


先日、読書仲間と
「ゆふいん文学の森」に出かけました。

ゆふいん文学の森


文豪・太宰治ゆかりの碧雲荘という建物を移築し、
湯布院で見学ができる交流施設&ブックカフェになっています。

ゆふいん文学の森

本は好きなのですが
読歴は浅く、
おばちゃんになってから。

決して読書家とは言えず、
名著と言われる本は
頭がついていかない。

だから、太宰治のことも
うっすらとしか知らないのです。

だから、詳しくは書きません。
ぼろが出ちゃいますからね。

ただ、こちらの建物。

撮影OKだったのです!

これは、建物好きには
嬉しい限り。

「お前は読書に来たのか
撮影に来たのか」
と、言われそうなほど
シャッターを切って帰ってきました。

もくせい工舎のサイトを訪れる方には
この雰囲気、気に入っていただけるかと思います。

ゆふいん文学の森。D'shop
駐車場からすぐのアプローチにあるお店。この時は開いていませんでした。
黒い漆喰?の外壁に、木の建具がおしゃれです。上部は明り取りでしょうか。
は~、また、細かい。これがあるとないとでは、大違い。

ゆふいん文学の森。D'shop
外壁の黒も、こうしてみると、なかなかどうして。
シックで、おしゃれ。
ライトとかの小物の演出が効いています。

ゆふいん文学の森。アプローチ
庭木を見るのも好きなので、まずこのアプローチにおののく。
あ~。これ、ビンボー人の私には宝くじでも当たらないと作れない・・・。
何でこうもまあ、左から行っても右から行っても楽しそうなんでしょう。
こういう空間の遊びというか、無駄が、かえって贅沢だというのは不思議なものです。
世の中は役に立つことばかりがエライのに。

ゆふいん文学の森。玄関付近
威風堂々。実は東京で取り壊しの危機にあったとのこと。もったいない~。
よかった!大分に来てくれて!この風格は時間と素材がつくったもの。宝物です。

碧雲荘には玄関が二つ。
左の入り口から入ると、すぐ奥がカフェスペース。
右に行くと、2Fに続く
見学&読書スペースになります。

見学無料。太っ腹です。
ただし、ご協力の箱がありますので
こういう空間を残してほしい!のなら
惜しまずよろしくお願いします。

・・・と、言いつつ
懐具合が気になって
入れなかった私ですが。
次こそ期待してほしいところ。(誰に言ってんのか?)

ゆふいん文学の森。玄関
2つある玄関のうち、正面を向いて右側の玄関。こちらが本玄関になるんでしょうか。和洋折衷というか、
あ~もう、ステンドグラスが、また良いですね!この黄色!
先ほどのショップの建具もですが、明り取りのようなしつらえが。
こういう細やかさが、空間のちょっとした贅沢具合を引き上げるような気もします。

ツヤツヤ光る階段を上ると、見えるのがこれ!

2階に上がる早々激写した、トイレドアと洗面台!

ゆふいん文学の森。2階トイレ前
飴色になった、ツヤツヤの木と、大きなレトロな鏡。これがあるから、裸電球がかえって映える!

ゆふいん文学の森。2階トイレ前
湯布院の丘の上。植栽もたっぷり。この雰囲気を邪魔する隣地の建物もなく。
絵になる風景とは、このこと。撮影してて嬉しくて仕方ない!・・・あ、やっぱり読書忘れてますね。

ゆふいん文学の森。2階
下宿スペースだったとのことで、細かく部屋が分かれる2階。
それぞれの部屋で、自由に本を読むことができます。
昔の建物には、風通しを良くする工夫がいっぱい。
構造上とか耐震とかの問題があるのかもしれませんが、今となっては羨ましい工夫。
内装の壁は珪藻土っぽい仕様。

ゆふいん文学の森。2階
元々だったのか、後付けされたのか、明り取りの可愛いすりガラス。

ゆふいん文学の森。2階
個性が違う、各部屋。好みの部屋で、好みの本を楽しめる。

ゆふいん文学の森。2階
窓から庭のイベントスペースを眺める。

ゆふいん文学の森。2階
こんなスッポリ納まるスペースも。

ゆふいん文学の森。2階
ええ、もちろん納まってみましたとも。(きたない足でスミマセン。)

そして、一番奥左側の和室が、
太宰治が夫婦で借りていたという部屋です。

人間失格などもこちらで生まれたとか。

ゆふいん文学の森。2階
なんだかんだと、一番居心地が良かったのもこの部屋でした。

何度かブックカフェには行ったことがあるのですが
私は他人様がいると
妙に緊張して本に集中できません。

こんな風に部屋が分かれていたり
畳敷きだったり、
お店の人が「信頼して」ほっといてくれるのは
とても心地よく、

心地よすぎて
思わず畳でごろ寝して
本が読みたくなったほど。

ゆふいん文学の森。2階
太宰治ファンにはたまらないと思います。

また、自分好みの本ばかりでないのも良い。

ここに来なっかたら
まず目を通さなかったかもと思う本に
出会えるからです。

本は、自分とは違う
他人様の世界観に
いつでも出会える扉のようなもの。

嫌だったら読まなくてもいいし、
相手の都合を気にすることもありません。

自分だけでは凝り固まってしまう価値観に
「そうじゃないよ。
別の見方もあるはずだよ。」
そう教えてくれるのも本です。

しかも、もう死んでしまっている大昔の人の考えや、
会うこともないような
著名な人の考え方も知ることができる。

だから本は面白いんだと思います。

そんな本好きが集まる、こちらの文学の森。

友人が数冊、自宅から本を持参していました。

実は、「輪廻転読」といって
他の人にも読んでほしい本を持ってくると、
同じ冊数だけ、
そのコーナーの本を持って帰れるという仕組み。

他の人にも読んでほしい。
ってところがミソですね。

ところで、この輪廻転読コーナーには
中庭を見ながら、お食事が頂ける一枚板のカウンターがありまして。

とても良い雰囲気だったので
友人とここで
ワヤワヤ話しながらお食事を頂いたのです。

その後、お店の方に聞くところによると
なんでも
中庭の石とか庭の灯篭などを
お笑い芸人で作家の
又吉直樹さんが、こちらのために贈られたのだとか。

ゆふいん文学の森

「だから、又吉君ファンの方には
人気のお席なんですよ~」と聞かされ、

ひゃ~、そうとも知らず
のんきにベラベラ喋っててスミマセン。

遠くから、「あそこ、座りたかったな~」って
思われてなければいんだけども!

いやはや、失礼しました。

「又吉君も、熱心な太宰ファンなので
東京にこの碧雲荘があったころ
取り壊すのに反対してて。

ここ湯布院で
文学の森として、また存続できるってなった時は
本当に、喜んで。」

そっか~、それで、石。

内心すっかり、中庭の石を
「又吉の石」と命名。

それにしても、ご縁とはなんと不思議なものなんだろう。

色々な方の思いとか
タイミングとか。

偶然か必然かわかりませんが、

こんな身近な湯布院で
こんなに素敵な場所になったことに
ありがたいおすそ分けをもらったような気持ちでした。

それにしても、冷房なしでも
涼しかった。
こちらも不思議。

ゆふいん文学の森。

本は苦手なかたも、
お家づくりのヒントになるかもです。

こんな感じが好みなんだ!を実感するために。

良かったら、ぜひ。

子ども達から借りている

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


おらが村でも再生プラスチックごみの分別が始まりました。

今まで燃えるごみとして
出していたプラを、
洗って、干して、別の日に捨てます。

意外に、干場に困るので
ホームセンターから
干物用ネットなどを買ってきて
使っています。

実際に分別してみると
これほど多かったのか、プラスチック!

燃えるごみはいつもの半分ほどになってしまいました。

私はひねくれてるので

分別するために洗って汚した水とか
別回収するために出した車のCO₂とか
再生するために出た何だかとか

総トータルで結局良いことなのかと
ついつい考えてしまいます。

とはいえ、いかんせん
それが私に分かるわけがない。
地球規模で環境問題を何とかできる
頭は、残念ながら私にはないのです。

とりあえず家庭規模で
頑張りたいところ。
燃やすよりはましだと期待して
分別をまじめにやりたいと思います。

それにしても
いくら分別してもキリがない。

これはもう、
過保護で過剰すぎる
企業の包装自体をなんとかしないといけないような。

以前は便利だと思っていた個包装も
いざ洗うとなると、
も~う、ちまちま出てくるそれが、
うっとうしくて仕方ない。

ここまで小分けする必要が
果たしてあるのだろうかと
思っちゃう。

でも、それだって
ニーズがあったから売れてたんですよね。

私だって、便利だと思っていた。

私だってプラには
甘えているっていうことです。

お恥ずかしいのですが
この歳になって知ってびっくりしたことがあります。

ある読書会で、石牟礼道子さんの『苦海浄土』の
お話を聞きました。

水俣病のことは、小学校の授業でも習っていて
猫がさかさまになって
踊り狂うように死んだこととか
人間ももだえ苦しんで亡くなったこととか

子ども心に痛烈だったのを記憶しています。

本を紹介してくれた方が
石牟礼道子さんの生きづらさも含め
熱心に話してくれたので
気になって、最近検索して見たのです。

【水俣 チッソ 水銀】
という単語は記憶していたのですが

あの海に垂れ流していた排水は
アセトアルデヒドという
プラスチックの原料を作る際に出ていたもので
そこに有毒なメチル水銀も混じっていたとのこと。

ここでも、プラスチック。

しかも汚染された海のヘドロと一緒に
魚が生きたまま大量に埋め立てられていることも知りました。

わざわざ言及はしませんが
なんだか色んなこととリンクして考えてしまいます。

あれから何十年たっても
やることは余り変わっていないのです。

効率や、経済的なことを優先し
大丈夫、大丈夫とごまかして
問題が表面化したら、とりあえず頭を下げ、
金を出し、
埋め立てて、なかったことにする。

それ、今でもやってますよね。

歴史から学ぶことができるただ一つのことは
人間は歴史から何も学ばないということだ。

ヘーゲル|ドイツの哲学者

早い・安い・簡単・便利。

それに甘やかされて
またやらかしてしまう。

世界はそれでも少しずつ良くなっている。

そう信じたいです。

水俣の埋め立て地は
その後きれいな公園になっているようです。

そこを、ただきれいなだけの場所にしないために
そういう事実があったことを
忘れ去ってしまわないように

犠牲になった生き物たちを弔うため
水俣病患者自らが彫った
野仏さまが納められています。
NHK|【特集】水俣から考える(1) 漁師・緒方正人さん

いつか、見に行きたいと思います。

他人事にしないように。

地球は親から与えられたものではない。
祖先からの授かり物でもない。
子ども達から借りているのだ。

不詳|ネイティブアメリカンの言葉

子ども達に残せる財産があるかはともかく
借金やツケをを残すような
大人にならないようにしたいです。

だから、グレタさんはあんなに怒ってるんだよな。


国東ついで。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


どこかに行くのに
目的が1つより2つあったほうが
こう、テンションが上がりませんか?

つまり【ついで】の
お楽しみがあった方が
行く意義が増すというか
はるばる行った甲斐があるような。

今回ちょっと早めにブログを更新したのは
その「ついでの楽しみ」のお話をしようかと
思ったからでした。

実は、7/3,4の週末に
もくせい工舎では
急遽、構造見学会を開催することとなりました。

場所は国東市。
国東高校のすぐ近くの
閑静な住宅街です。

いつもは大分県北、宇佐市近隣で開催することが多いので
今回は少し離れてはいます。

県北からだと、
両子寺の前を通って
だいたい1時間以上はかかるでしょうか。

現場の地図を書くために
一度は前もって
現地まで確認に行くのですが

今回私が【ついでに】と楽しみにしていたことがあります。

それがこれ~!

ポールリカールのケーキ

ポールリカールさんの
半熟チーズケーキ!

ついでに
(名前忘れちゃいましたが)チョコレートケーキと
国東ロールもゲット。

それこそ15年くらい前。
まだ上の子が小さかったころに
よくホーバークラフトを見に大分空港まで
行っていたのです。

その時、帰りに買った
半熟チーズケーキが美味しくて
「また食べたい」って、ず~っと思ってたんです。

現場の地図を確認してたら、
「・・・現場近くでは?」というわけで。

【国東ついで】の楽しみにしたのです。

こうなると、仕事ですが、
あくまで仕事なのですが、
・・・心なしかウキウキしますよ。

だって【ついで】の楽しみが
待っている。

あ、肝心のケーキですが。

なにせ15年ほど前のこと。
記憶のケーキとちょっと違ったのです。
悪い意味じゃないんですが
あれ?こんな感じだったっけ??

いやいや、美味しいんです!
中のチーズクリームが濃厚で、
でもラズベリーソース(たぶん)の酸味が爽やかで。

記憶があいまいだったのは
周りのスポンジケーキ(シフォンケーキ?)の部分。

あれ?なんか全体的に半熟っぽかったような。

・・・年のせいも手伝って
記憶も半熟気味です。溶けてます。

国東ロールも、
通常のロールケーキの1.5倍はありそうな断面積に
「太巻き!」とびっくりしましたが
これが、ま~軽い。
ペロッと食べれる。恐ろしいことに(笑)

4等分するには太いけど、
柔らかいので
8等分する自信もなく
「でかいな~」と切った一切れを
子ども達は
「・・・あっという間になくなった」
と、たいらげておりました。

くわばらくわばら。

私もうっかり食べきりそうでしたが、
半分で我慢しました。
中高年は、後が怖い。

でも、これでもかというような
生地の卵の黄色い色味や
フワッフワッの口当たりは
なかなかどうして。

これで一本1000円はコスパも良いと思います。

遠方は冷凍を買った方が良さそうでした。
後で気づきましたが。


おっと、本題に入らねば。

構造見学会は、やっぱり完成見学会よりは
地味に感じると思います。

しかも小一時間はかかります。

それでも、ぜひ
建てる前に見て欲しいのは
俄然、構造見学会!

もしよければ、
【国東ついで】を楽しみに
「ちょっと見に行ってみるか~」なんていかがでしょう。

例によって、
見学会は予約制となっております。

ご都合がよろしければ
ぜひともお越しください。

お待ちしています。

【ついで】にポールリカールさんにお立ちよりでしたら

ポールリカールまでの地図

↑構造見学会の地図より
ちょっと長め。
拡大版です。

現場から車で数分。

よかったら
【ついで】のお楽しみに。

見学会も、ぜひ。

こだわりの!

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


こだわりのお店。

店主こだわりの食材。

「こだわりの」って聞くと
「あぁ、適当に選んでいるわけではなくて
色々な選択肢の中から
最善のものを厳選しているんだろうな」と感じます。

感じるんだけれども、
猫も杓子も
「こだわりの」をつけたら
何がなにやら。

【こだわる】の本来の意味は
ちょっとしたことを必要以上に気にする。執着する。

実は、あまり良い意味ではありません。

かといって
それに代わる言葉も
なかなか見つからないから
とりあえず使っている状態ではないでしょうか。

売る側にしたら
「こだわりの」をつけることで
ウチは他とはちょっと違うことを
伝えようとする。
差別化なんで言葉もありますし。

ただ、そうなると
他を下げるようで
使い方を間違うと
なんだか鼻持ちならない感じになる。

一方で
買い手側にしてみれば
「こだわりの」が、必ずしもアタリとは限らない。

こだわりの豆腐が、いまいち好みでないこともあるでしょう。

こだわりの素材でも、履いて痛い靴は使えません。

「価値」と「使用価値」は違うらしいので

売り手の「こだわり(価値)」が
買い手に「ぴったり(使用価値)」でなければ
「う~ん。それでも、私には要らないかな!」となる。


「こだわりの」は、もう聞き飽きた。
それを好きかどうかは
私が決めること。

買う側からしたら、
そう思ってしまう。

そうなると、脅すつもりはなくても
「これを使わないと問題が起きる可能性がある」なんて
不安を掻き立てる言葉が出てくる。

"あなたにも起こりうること"として
【当事者意識】を持たせて

「そうならないために、これを使いなさい」は

ともすれば
そういう言葉になりかねない。

自分を必要以上に大きく見せたり
不安をあおったり。

そんなことをせずに
本当に必要な人に
必要な情報をどうやって
伝えたらいいのか。

せめて
広告などで
手垢がついた言葉を並べ立てることに集中するより

売り手の世界観や空気感も含め
気に入って
関心をもってもらえるかが
大事なのかもと思うのです。

広告用の「言葉」ではなく、

その作り手が
日々
何を見て
何を考えているのか。
その方が、
よっぽど力を持つ。

だってほら、
肌がぼろぼろの人に
「私は、これ使っている!」って言われて
その化粧品使う気にならないですよね。

化粧品を売りたければ
健康的な肌の方が良いし

健康に関するものを提供したければ
売る自分が、まず健康でないと。

顔色が悪い、疲れた感じの人に
「健康に良い」と勧められても
説得力は低めです。

他人を笑顔にしたければ
まず、自分が笑顔で。

人を癒したければ
まず自分の傷が癒えていること。

その上で

この人の作るものが
見ている世界観が

私はなんだか、とても好きだ。


その時、手に取って
相性があえば
またご縁が続くんだと思うのです。

だって、
こだわって、いくら良いもの作っていても
ふんぞり返ってる人に
あまり会いたくはないもんなぁ。

こだわってたら、そんなに偉いの?
って言われかねない。

自信があることと
威張ることは違う。

本当に自信がある人は
自分のプライドに振り回されない
謙虚さを持つ人です。

だから
自分の「こだわり」以上の
進化をする。

10年、20年
同じやり方で
通じることと通じないことがある。

何故か?

「他より」って差別化していた
その他者だって
懸命に努力しているからです。

厳しいけれども
「こだわり」具合に拘わらず

好きかどうかは
相手が決めること。

だから
自分の提供したいものと
その思いの根底となる
バックボーンや世界観を伝えるために
ブログやインスタなんかがあるんだと思うのです。

これもまた、実際の自分とあまりにも違えば
がっかりされちゃうし。
自分だって無理が出るし。

やっぱり伴侶選びと似ていると思います。

肩の力を抜いた自然な状態で
気に入ってもらえたら
自然に
ご縁はつながっていく。

「こだわりの!」ってつけてたら
売れていた時代は
もう終わり。

大事なのは
売り手のバックボーン。

もし、木の家が本当にお好きなら
木の家が本当に好きな人から
話を聞いてみる。

木の家の話をしだしたら止まらない。

そういう人の
家を見てみるというのも
手ではあります。

「こだわりの!」のフレーズに
振り回されず

良いご縁がありますように!

家のつくりやうは

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

家のつくりやうは夏を旨とすべし。
冬はいかなる所にも住まる。
暑きころわろきすまひは堪え難きことなり。

吉田兼好「徒然草」より引用

ざっくり言えば

家のつくりは、夏のことを一番に考えなさいよ~。
冬は(暖房や厚着で)何とでもできるけど
暑い時期に具合が悪い住まいは、到底我慢できないよ~。

ってことでしょうか。

こう書き残した吉田兼好さんも
昨今の猛暑を経験したら
なんて言ったのか。

暑きころわろきすまひは煮えるがごとし。

そう言ったかもしれません。

だって、熱風。蒸される暑さです。

夏は朝からガンガン冷房入れてる!
熱中症で死ぬよりマシ!

そんなお家も多いかと思います。

衣服で考えてみても
厚着はできても
脱ぐには限度がありますものね。
少しでも涼しい所に移動するしかなさそう。

移動できない住まいは
この場所で、いかに少しでも「マシ」な
夏涼しい建て方をするかに
かかりそうです。

限られた予算。
兼好さん的発想をすれば、
床暖房より
優先すべきはそっちかもしれません。

年々高くなる気温もですが
やっかいなのは湿気です。
不快度が何倍にもなる感じ。

そういえば
断熱のことを謳う広告は多くても
調湿に関しては
あまり大きな声で言わない感じがします。
強いてあげれば、珪藻土なんかを使っていると
ようやく「調湿」の文字が出てくる。

よく、「木が反る」と書いて「板」なんていいますが
あれも木が調湿しているから。
だから木は嫌なんだ!って方もいるかもしれませんが
実は、そう文句を言っているその人の空間は
反ってくれた板のおかげで
カラッとしてるなんてことも。

とはいえ、木に調湿機能があっても
それにも限界はあるでしょう。
ないより、マシなくらいかも。

見方を変えれば、
その少しマシが
いろんな場所で使われたら
意外にも大きな違いになってくるかもしれません。

除湿しただけで、ずいぶんと快適になるんですもの。

調湿の点でも夏場の快適をイメージして
家の作り方を考えてみるのも
ありだと思います。

さらっとして気持ちがいい無垢の木

理屈抜きに
梅雨場でも
手にふれた時
さらっと優しい。

無垢の木の魅力は
理屈以上だと思います。

興味のある方は
梅雨時のOB様邸もご案内いたします。

まずは、お問合せを。


お問合せ・ご相談

自分たちが住むところ

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

あるところに、絶景のお店がありまして。

絶景のお店

詳しくは、今回言えないのですが
一度そこに伺って、オーナーの奥様とお話しする機会がありました。

ヤギも
ヤギとミニチュアホースもいるのです!

カフェではないのですが
とにかく、遠く山々が見渡せる
空が、どこまでも、どこまでも、広い場所。

「・・・星も綺麗そうですね?」
「もう、なんとか流星群とか、見放題ですよ(笑)」

すごいでしょ?
おらが村も田舎なので、条件が揃えば
推定「天の川」は見ることができるのですが
これほどではありません。

いいなぁ!羨ましい限りです。

「はじめまして」にもかかわらず
開口一番聞いたのが
「・・・なんでまた、こんなところに?」

失礼は重々承知ですが
やっぱり聞きたくなってしまう。

細かい点は忘れちゃったのですが
結婚、お子さんが生まれたのを機に

「自分たちが、本当にずっと暮らしたい」
そう思える土地を
お仕事の合間にずっと探し回っていたのだとか。

「ネットで?」
「いや、実際に車を走らせて」

ひゃ~。

「で、旦那(オーナー)が上の子と一緒に走ってて
お?こっち道あるやん?で、登って行って
そしたらここに出て。

一目ぼれして
地主さんを探して、交渉して(笑)」

え~?なんだその行動力!

私などは
そういった風景を愛してやまないのですが
土地は不動産屋で探すものと思い込んでいた節があります。

自分の足で探して
本当に惚れ込んだら
自分で交渉する。

ハ~。なんや、すごい。
その発想は全くなかったとはいえ
感心してしまう。

「で、電気も何にも通っていなかったので
九電とNTTと交渉して。

家とお店を建てるお金も限られてるから
知り合いに"外側"だけ何とかしてもらって
内側は自分たちでボード貼って」

・・・ホントだ!
よく見たら、めっちゃ手づくり!
言われなきゃ分からなかったのですが(笑)

「ハ~。すごい。
でも、お子さんの学校とかってどうしてるんですか?」

「あ~。毎日送ってます。
やっぱりそこも考えたんですけど
旦那が

子育ての時期は限られてるんやけ
それ以降の方が、ずっと長いんやん?
そしたら、自分たちがずっと
どんなところで暮らしたいのかの方が
大事なんやないんかな?

って。」

ていうか、その発想する旦那さんがすごい。

自営業だから通勤のしばりはないものの
事なかれ主義の「めんどくさがり」だったら
まず出ない発想。

話はヤギと田んぼの話になって。

「ヤギって、病気になったら
やっぱり牛っていうか
この辺の家畜専門の獣医さんが来てくれるんですか?」

「そうなんです。

ただ、やっぱりちょっと舐めてたっていうか。

オスのヤギは、ちょっと大変でした。

臭いとかもだし、発情期とか気も荒いし。
そのオスが亡くなったんですけど。
ちょうど田んぼ始めてて。」

「田んぼも。」

「将来年金とかだって、どうなるか分からんけ、
自分たちの米くらいなんとかしようってことになって。」

ひゃ~。お二人とも元々は
いわゆる「街の人」です。
田舎の人間ですら
親の田んぼに無関心なこともあるのに。


「で、田んぼからヘトヘトになって戻ってきたら
オスが死んでて。
それから、たたみ2畳くらい穴ほって(笑)」

幼少期、アルプスの少女ハイジにかなり影響を受けて
香春岳(石灰が採れる筑豊の山)をアルムの山だと思い込み、
いつかはヤギを飼ってみたいと思っていた私。

そっか。
臭いとは聞いていたけど、
やっぱり病気の時、死んだ時は
かなり困るんですよね。
セキセイインコですら
病院には困りましたし。

たたみ2畳も掘って、なおかつ
ヤギ埋めでもしたら
近所の【目】が。
臭いもあるから、近所の【鼻】もでしょうか。

もう、色々噂されて村八分、

いやいや、下手したら通報されるかも。

田舎ならではの話題にもなって

「近所のお祭りの準備で
女衆はご飯の用意を
朝から晩までやるんですけど。

もう、御年いくつだか分からん婆ちゃんに
奴隷か?っていうくらい
こき使われて(笑)」

「あ~。うん。
田舎、ありますよね~」

「旦那が女も大変やなあ~って笑うんですけど

せっかくね、こんなところに
縁あって住めて。

それも含め、大事にしたいなと。」

なんか、もう神々しい。
キラキラしてる。

人づきあいが苦手で
泣き言ばっかり言ってる自分が
穢れて思えてくるレベルです。

ふと、
縁も、才能なのかなと思うこともあります。
(本心から望んで、夢中でやるのは
その人の持って生まれたものだと思うので。
反対に、致し方なく「やらねば」ならないのは
【がんばる】だと思っています。
頑張るは、頑なに張ってる。
あまり楽しくはなさそうです。)

こういう場所に縁を結んでいく力であったり、
他人との縁の紡ぎ方であったり。

類は友を呼ぶ。
良い考えは良い縁を呼ぶ。

確かにそうなのかもしれない。

ただ人生は思う通りにならない時期もある。

そんな時、
上手くいかないのは
自分がその「程度」だからだ。

そう考えてしまったら、
いつまでも
自分を好きになることなんて
できないように思うのです。

そして、うまくいっているように見える人たちだって
落ち込んで、
自分のことを嫌いな時だって
たまには、あるはず。

いつもいつも
100ワット、煌々と輝いているわけではきっとない。

ただ、少なくとも
上手くいかない時も
自分自身のことを含め、
赦せているのではないかと思うのです。

色々諸事情あって
私たちは何かを選びながら生きています。

諸事情あったにしても
天秤にかけた結果として
私たちが選んだことが
目の前の景色として広がっている。

だとしたら
目の前の景色が好きかどうか。

色々あっても
好きかどうか。

場所も、風景も、
そして
きっと、暮らしかたも。

色々あったけど
なかなか良かったって
人生のおしまいに
そう思えたら良いなと
改めて考えさせられる出会いでした。

ちなみに
彼女たちは
杉だらけの山に、広葉樹を植えて
多様な森にする活動もされています。
(頭が下がる。本当に!)

多様性がある。

つまり、色々ある。

それこそが、豊かな森を作る。

考えようによっては
色々あるから
多様性のある人生ともいえる。

色々ないと、森と同じように
人生も
豊かとはいえないのかもしれません。

「色々」、上等!

かなえば、なれる

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


年収が2倍になったからといって
生活の満足度が2倍になるわけではない・・・らしい。

例えば、年収400万の時は
「年収800万になったら
さぞ満足して日々暮らせるだろうに!」
そう思っていても
いざ年収800万が当たり前になったところで
日々の不安や不満は大差がないのだとか。

そう聞くとショックなのですが
もっと小さな単位で考えると
分かりやすいですね。

お小遣い500円が
1000円になったところで
1000円に慣れてくると
「もう少しあれば、あれが買えるのに!」なんて不満が出たりして
キリがないのと同じでしょうか。

不満を感じている「今」の状況が
ワンランクアップしても
慣れてくれば
ワンランクアップしたはずの足元は
いつの間にかレベル0に感じてしまう。

だから夢が叶えば
未来永劫、バラ色の未来が待っているわけではなく
叶っても、今と同じように
悩んだり、迷ったりはきっとある。
ということです。

ネガティブな意味にも取れますが
考えようによっては
今も、夢かなう未来も、
泣いたり笑ったりには大差はない。

だったら、安心して「今」を
泣いたり笑ったりしてても
大丈夫なのではないかと思うのです。

夢かなえば、なりたかった自分に「なれる」。
一方で
かなった自分にも「慣れて」しまう。
そうしたら、いずれ
ムクムクと次の「不足」が気になってくる。

自信がない「今」も
過去から見れば
眩しい「未来」だったはずなのに。

だから、うまくいかない時ほど
気をつけたいと思います。
少なくとも
自分で自分にダメ出しを続けて
一生を終えることがないように。


なんやかんやあっても、
今こうして生きている。

生物として
生き残っている。

陽光輝く、花咲き乱れる春も、
もう枯れたように見える極寒の冬も、
とりあえず生きている。

夢や願いが
叶おうが
叶うまいが
こうして今、生きている。

生き残っている。

どうか
自分の人生を
自分で嫌うことのないように。

自分で自分に言い聞かせております。

年のせいか
すぐ、忘れがちではあるのですが。

価値価値ヤマ

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

経済にも疎いのですが
「価値」と「使用価値」は違うらしい。

すごく手が込んでいたり
こだわっていたり
(人手や時間の)手間がかかっていたり
量産できなかったり。

そういうものが「価値」がある
というのは、何となくわかります。

しかし、それと
「使用価値」があるかは別の話。

例えば、オーガニックコットンで作られてても
他のものと一緒に洗濯できなかったり
アイロンがけなしには着られない服は
ずぼらな私には遠慮したいところ。

「素晴らしい」けど、使いにくいので
「価値」はあるけど、「使用価値」は低くなります。

こだわりの食材でつくられた料理も
味が好みでなかったり、
お店の応対が嫌な感じだと
「素晴らしい」けど、またお金払ってまで食べたくないかな~
ってこともある。

きびしいけれど

がんばった
こだわった

が、「使用価値」に値しなければ
買ってはもらえないし、

いいかも!と思って買ったところで
思ったほど良くなければ
もう買わない、リピートはしないってことになるんでしょうか。

つまりは、また買うほどの「使用価値」が
残念ながらなかった、ということなんだと思います。

新規獲得も大事だけれど
リピート率はそれ以上に大事で
(くち)コミレビューの怪しさはともかく、
信頼できる人が、「気に入ってね、ず~っとこればっかり!」
って言うのを聞くと
食指は動く気もします。

広告まがいの仕事をしていて思うのは、
広告屋に接点があるのは
新規の方とも言えます。

リピートに関しては
もうメーカーサイドの話になります。

ウソや大げさなことを書けば
住宅メーカーなら
見学会にいけば分かる話です。

大事なのは、契約以後の話。

一生に何回もお家を買える人ならともかく、
(家が一生に一度の買い物だとするならば)
実は「リピート率」の測りようがないのも
住宅業界なのかもしれません。

ただ、なんとなく
「また建てるとしたら、同じところで」
そう思うか。

それが唯一
目に見えないリピート率ともいえるのかなと
個人的には、思います。

ずっと暮らしていれば
だんだん困りごとも出てくることもあります。

古くなってきたり、
状況が変わって、
「どうにかならんかな~!」ってことは
どんなに【こだわった家】を建てていても
やっぱり出てくる。

そんな時に気軽に声をかけやすいか。

実は、そこも
住宅業界の「リピート率」ともいえるのかも
しれません。

新規も大事だけれど、
今ある「ご縁」はもっと大事で。

気軽に困りごとをOBさんが相談しやすいか。
(あえて親しみをこめて「さん」ですが)

相談がないのは、
問題がないからとは、限らない。

あそこは、困ってても声をかけにくい。

そう思われれば、
広告のレビュー以上に信頼性の高い
身近な人からの
リアルな口(くち)コミだってなくなってしまう。

「知り合いが建ててて、
後々も良くしてくれるって言ってたんで~」

実は、これが
最良の「作り手冥利」とも言えます。
OBさんが損得なしで
手放しに勧めてくれるほど
嬉しいことはないからです。

だから、
これから「家を建てたい!」っていう方は
契約後、建てた後、
相談しやすいかも要チェックです。

「価値」と「使用価値」。

ざっくり自分なりに解釈すれば
「価値」は、貴重かどうか、素晴らしいと思うか。
「使用価値」は使えるかどうか。便利かどうか。あてになるか。

「使えるかどうかの価値」っていうと厳しいですが
困りに寄り添ってもらえるかは
後々かなり大きいような気もします。
(忙しすぎて助ける暇がないスーパーマンより
近所のおせっかいの"おいちゃん"の方が頼りになるとか。
立派な人も、頼めないと"あて"にできないので。)


あ~。やっぱり家を建てるって
配偶者選びと似ている。

理想ばかり言ってたら
ことが進まないとか
清濁併せ吞むとか
折り合い付けるとか。

人の脳は後悔するようにできていると言いますが
せめて「当時やれるだけはやった」「考えた」は
精神衛生上、お守りになるかもしれません。

ちなみに「使用価値」はあるけれど
「価値」を全く感じないものを
ぼったくりというらしく。

どんなに「優れている、こだわってる」と言われても
売り手と買い手の「価値」感がずれていれば
両想いにはなれない。

「価値(素晴らしい!と思う気持ち)」と「使用価値(私の暮らしに合ってる!感覚)」の
ヤマ(山。鉱山。掘り出し物を見つける感覚)がはずれないよう、
よい出会いをお祈りします!

グットラック!です。

うえき天国に行ってきた話

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

湯水のようにお金があれば
その道のプロにお願いするのが一番なのですが
そうもできず
半分以上、自力で手を加えてきた
我が家の庭。

今回、植え替えたロウバイが枯れてしまったのを言い訳に
久留米緑化センターまでくりだしました。

「はぁ?久留米まで?」

確かに、そうなのです。

ただ田主丸~久留米近隣は植木天国!

もう、見てるだけで楽しくて。

もともと雑木の庭が好きなことと、
もっともっと、小鳥が庭に来てほし~い!
それには
コ●リやグ●デイでは、その種類も限られるからでした。

特に、ジョウビタキが食べていたコマユミの木
ぜひとも欲しくて。
ネットだとウン万円するものが
田主丸で5000円以下で買えたこともあったので
秋が来る前に、根付かせて結実してほしかったのです。

行けばちょうど【春のグリーンマルシェ】開催中とのことで
満開の桜に迎えられ、家族連れも多かったです。
2021_グリーンマルシェ
(宣言解除後に、コロナ対策をして。のお話です)

コマユミがあるかも?と期待していたお店では
残念ながら手ごろな価格のものがなかったので
以前来た時に目をつけていたグリーンライフ コガさんに移動。

グリーンライフ コガ

前は店員さんが不在だったのですが
今回は女性がいた~。

グリーンライフ コガ

この雰囲気!
好きな方は、テンション上がるはず!

作りこんでなさそうで、ひそかに計算はしてて
わざとらしくなく
あくまで自然!

本当は、こんな庭にしたい~。

しかも、コマユミも
笑うほど安い!

かなり大きくなったものは
掘り出すのが無理そうだったので
(庭石の下に根が入ってて。どちらにしても、軽自動車には積めませんが...。)

今回は145㎝くらいのものを購入。
5000円。安っ。
ネットだと同じくらいで
14000円超えてます。
送料だってかかる。

フッフッフ...。
これで、なんで久留米までくるか
分かっていただけたでしょうか。
(え?分からない?)

2021_ueki_kodemari_komayumi.jpg

庭に植えるとこんな感じ。

根元の八重のコデマリは、
田主丸のJA耳納の里で
500円!

コデマリは一重もシンプルでいいのですが
八重咲のこのモッタリ感というか
ゴージャスなのに、清楚な感じは
根元を彩るのにもってこいなのです。

へたくそ素人造園でも
なんとか様になる!

ただ、広がるので
今回はプランタースタンドをひっくり返して
サポーターとして代用しています。

個人的に、木の高低差と
色味の高低差は大事~。

2021_ueki_egonoki.jpg

こちらは、まるとし緑樹園さんで購入の
エゴノキ。白花です。

egonoki_tubomi.jpg
エゴノキのつぼみ。鈴のような傘のような花が咲く。

ただ、このエゴノキ。
実に毒があります。

だから、側溝や水たまり、畑の側には
植えないようしました。
(地域猫が水を飲むといけないので~)

その実が大好物な鳥がいる。
ヤマガラです。
ひょっとこのような不思議な顔をした
スズメより小さな小鳥。
もう、秋にはエゴの実求めて
行ったり来たりと忙しい。

ぜひとも、それを
我が家でみせてほしい~。

実は食べられませんが
エゴノキは、その自然な樹形も人気の
わりとメジャーな植木なのです。

こちらも150㎝くらいで2980円。
安いです。

ネットだと送料入れると
一万円超えます。

センター内をウロウロしてる時に
足元に咲いてたのが可愛くて
こちらも緑樹園さんで購入。

sagigoke.jpg

サギゴケです。
マット状にどんどん広がるので
グランドカバーとして
頑張ってほしいところ。

こちらは1ポット120円。

本当は、シジミバナも探していたのですが

sijimibana.jpg
似ていますが、ユキヤナギより花が棒状に固まらない感じ。

sijimibana_up.jpg
小さな蜆の身のような、可愛い花が咲きます。桜よりちょっと早く咲く感じです。
これが咲き始めると、いよいよ春も本番って気持ちになります。


残念ながら思ったより高かったので
またのご縁に期待したいところです。
(以前は、JA耳納で980円くらいで買ったので
今回は同じくらいでも倍の値段しました。
大株だと一万円近い店も。)

いや~、植木って奥が深い。

ちなみにセンター入り口には
道の駅くるめ。

センター内にも
オープンエアーのカフェもありました。

d_cafeさん

こちらの赤カレーが美味しかったのに
散々食べた後
写真を撮ってないことに気づきました。

インスタ慣れしてないしてないと
こんなことになります。

ガーデニング好きさんはもちろん、
なかなかホームセンターで手に入らない雑木を探しに、
私のようなもの好きさんも
ぜひ久留米・田主丸まで。

しかし、暑いわ。久留米。

歩き疲れましたが、
楽しかったですよ~。

ぜひぜひ。コロナ対策のマスクと
帽子・水分を持って
お出かけください。

私を決めないで

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

私を決めないで
一本の線路を走る電車のように
まっすぐな橋のように
決めないでください私は水
方向を決めずに広がる水
海と同じ、どこまでも広がる水

わが子の卒業式の日、
式を終え、教室に戻ると
箱の中にプリントの切れはしが。

そこには、国語の授業で
詩のアレンジに取り組んだ
子ども達の作品がありました。

「お子さんの分をご自由にお持ちください。」

わが子がアレンジして書いたのが
上の詩だったのです。

親バカですが、
なんだか妙に心に刺さってしまった。

元は
「私を束ねないで」という新川和江さんの詩。

国語の教科書に載っていた、とのことで
今、捨てようと束ねていたものから
引っ張り出してきて、読んでみました。
(「私を束ねないで」だけに?)

オリジナルの詩も、もちろん名作なのです。

特に、
私を名付けないでに続くくだりは
娘であったり、妻であったり、母でもあるからこそ
身に染みて分かるフレーズです。

あぁ~、でもこれ。
絶対中学の頃の私じゃ分からない~。

捨てるはずの教科書。

森鴎外の『高瀬舟』も載っていました。

私の頃、習ったのかしら。
育った県は違うのですが
当然「読むべき」名作リストに載っているようなものです。

ところが、習った記憶も吹っ飛び、
読んでもないはず。

ところが、今読むと
めちゃめちゃ面白いんですね。

あぁ、でもやっぱり中学の私じゃ何のことか
分からなかったかもしれない。

「足るを知る」ことが
どうも目の前のお金や物の量や質でないこと。

満たされていても
餓鬼のように
まだ不安や疑念がムクムクと湧き上がって
自分を苦しめてしまうこと。

高瀬舟に乗った弟殺しの罪人であるはずの青年が
そのキリがない「もっともっと」の欲が
まるでなく、心から満足し
安心していること。

今さらと笑われそうですが
おばちゃんになって
「森鴎外、すげー!」と叫んで
子どもに笑われておる次第です。

分かる時期、タイミングって
人によるのかもしれませんね。

私は、今でした。

少なくとも、
私を決めないで
私は水
方向を決めずに広がる水
海と同じ、どこまでも広がる水

そう書いた我が子の気持ちは
親として心に刻もうと思います。

私も、
「あんたみたいなんが
そんなんやっても、
どうせ無理」

そんな親の言葉はつらい。

「あんたのために
心配して言ってやりよるんよ」

確かにそうかもしれない。

でも、この言葉を聴いて
元気も勇気も出ない。

だから
わが子には言わないように。
うっかり言いそうになっても
それが毒だと気付けるように。

そう心しておこうと思いました。

私に似て
少々独特のところがある子ですが
アレンジして
この詩を書いてくれて良かった。

母は、君がそういうことに
気付く子になってくれて嬉しい。

そう思う旅立ちの日でした。

怒る

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


誰かが、物凄い剣幕で怒っているのをみると
居ても立っても居られないような
気分になることがあります。

その怒りを鎮めることに気を取られて
あまり何を言っているかは
ちゃんと聴けていないような気もします。

反対に、他人が怒っていることに
全く平気でいられる人もいるでしょう。

気にしていないのかもしれないし、
聞いてはいるけど、落ち着いていられるのかもしれない。

激怒している人の怒りに気をとられて
何を伝えたいのか、
何をすべきなのか
見失うことがある。

なぜ、そんなことを今回考えているかというと
環境活動家の少女、グレタさんを思い出したからです。

彼女がすごい剣幕で怒っているのを
私はあまり、良い気持ちでいられない。
正しいし、ごもっともだけれど、
もっと言いようもあるのではと
ついつい思ってしまう。

でも、やんわりと言ったところで
まったく当事者意識がない「大人たち」は
何も変わらない。
だから彼女はあの若さで
あの全身で
「否」を突き付けている。

彼女が怒っている「大人たち」が
私を含め、まさに自分のことなのに
当事者意識が低いのはどういうことなのか。

私にしてもどこか
もっと大人の、
つまりは高度経済成長期に
ガンガン儲けていた親世代のことのように思ってしまう。

「いや、だってその時は私も子どもだったから。
親世代のやってきたことの責任を
全部言われても。」
そう思うのかもしれない。

親世代にしても、
「懸命に家族のためにやってきたのに。
そんな風になるとか
専門家じゃないし
知らなかった。」
そう思うのかもしれない。

ただ、彼女を激怒させているのは
そんな責任転嫁ばかりしてきて
問題に全く対処してこなかった
私たち「大人」の無責任さなかなと思うのです。

問題に薄々気付いていながら、
誰かが何とかしてくれると
他力本願に考えて
のんべんだらりとして
変えようとしてこなかった。

「誰のせいか」より、
自分事として
今現実に起きていることを
お金の勘定じゃない頭で
考えて!

グレタさんを始め
そう子どもたちに怒られても仕方がない。

激怒する相手を、クレーマーとしてひとくくりするのは
簡単だけれど、相手が何を言わんとしているのか
よく聴く必要がある。

激怒している相手が
わが事のためだけにそう言っていないのなら
なおさらで。
そうしないと、なんの反省も改善もなく
何の進歩もないからだ。

彼女を怒らせているのは、私たち。

何より、少しでも二酸化炭素を出さない知識と、
それを実行する行動が
必要なのだと
しみじみ、反省の日。

メーカーサイドでも
環境負荷の少ないものを
お願いしたいところですね。

それは、HMや工務店にも
言えるかもしれませんね。

なるべく省エネであることや
住む人がいなくなった後
家が処理しきれないゴミにならないように。

とりあえず
草むしりが大変でも、
庭に少しでも、土と木を。

多様な生物が生きやすいことも
大事なのかもしれません。

めんどくさいことに
大事なことが
かくれがち。

プロジェクションマッピング込み、310円

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん
大分県に住んで20年。

この度、初めて宇佐の県立歴史博物館に行きました。

お目当てはプロジェクションマッピング!

ハウステンボスのそれを目にしてから、
プロジェクションマッピングと聞くと食指が動く私。

とはいえ、鼻息荒く見に行ったプロジェクションマッピングに
がっかりすることも多く、
今回歴史博物館が行うと聞いて
どっちに転ぶか?
でも入場料310円なら良いか?
と、お邪魔した次第です。

意外にも、撮影禁止マーク以外は
カメラOKとのことで。

プロジェクションマッピングも
「撮っていいですか」と聞くと
「良かったらSNSで拡散してください」とのこと。

インスタとか、フォロワーとか
まったく縁のない私は
拡散という派手なお手伝いはできませんが
こうして、地味に?もくせい工舎のブログにて
その面白さをお伝えできればと思います。
(お出かけネタも少なくなってしまったので)

意外に、と言ったら失礼だけど
意外に、いや、想像以上に面白かった歴博。

大分の歴史なので
鏝絵の展示コーナーなどもありました。

もくせい工舎は漆喰を使うので
興味のある方もおられるのではないでしょうか。

歴博の鏝絵展示
たまたま今回ちょっと調べたら
安心院近辺にに鏝絵が多いのは
なんといっても
長野鐵道、山上重太郎、佐藤本太郎など
有能な左官職人さんを輩出しているかららしいです。
(とはいえ、存じ上げない無知な私)

宇佐の長洲から、材料の貝灰が調達しやすかったりも
あったようですが
なんといっても、そのユーモラスさ。
見ているだけで楽しくなります。

なかでも、これ。

ブドウ柄の鏝絵

美しいですよね~。

葡萄は子孫繁栄の縁起物らしいのですが
あえてモノトーンなのが品が良い。

他にも
野津原の庄屋・後藤家住宅の再現などもあり、
建物好きには嬉しい限りでした。
(空間を見るのが好きなだけで、詳しくはナイ)


庄屋の家入口
調べたけれど、よく分からなかった。玄関のサルノコシカケのような飾り。

庄屋の家・板の間
この梁!カッコイイ!

庄屋の家・天井
屋根の仕様も素敵です。断熱材ないから寒そうではあるけど。

庄屋の家・壁
壁の色味がいいですね~

庄屋の家・壁・通気口?
通気口?


そろそろ本題に行かねば。

プロジェクションマッピングは2か所。

入ってすぐのロビーにある熊野摩崖仏と
その右手奥に見える富貴寺大堂。

どちらも実物大の模型で
そこに展示品の魅力やまつわる歴史を
投影して解説してもらえます。

熊野摩崖仏のプロジェクションマッピングには
マスコットキャラクター「ごりんくん」を
地元の高校生が担当。
とても上手でわかりやすかった!

こちらの唯一残念だったのは
熊野摩崖仏がレリーフだからか、
どうも平面に投影されているように見えてしまった。
乱視がひどい私の目と、脳のせいかもしれませんが、
なんとなく「おお~!」と
驚くまでいかなくて。

以前、人気アニメのプロジェクションマッピングを
商業施設の壁面に投影するのを見たのですが
その時も二次元のアニメと
平面の壁面だったからか、

・・・なんか迫力がない。
広い所に写しただけ、の印象だったのです。

理屈は分かりませんが、
奥行き感のある立体のものに
三次元の映像だと
こう、びっくりするというか。
意外性があるというか
「おお~」っとなるのでしょうか。

立体に立体が重なるからこその驚きが、
きっとプロジェクションマッピングの醍醐味なのかも。

正直驚きは少なめだったのです。
ごめんなさい。

ところが、こちらは圧巻。

富貴寺大堂模型

富貴寺大堂!

実物よりピカピカ!(当たり前?)

富貴寺大堂模型・ご本尊

中に入ることもできます。

実物の富貴寺大堂は
現存する九州最古の木造建築だけあって
中の装飾なども、かなり見えづらい。

は~、もとはこんなに豪華絢爛だったのかと
驚くばかりです。

模型の良い所は、
ほら!

ご本尊裏の曼陀羅

絶対実物ではお目にかかれない
ご本尊背面も見れること!

こんな目に触れにくいところまで
丁寧に、丁寧に仕事がされているのには
ちょっと感激します。

そして、さらに
心揺さぶるプロジェクションマッピング。

映像もさることながら、
音楽と、何より大分出身の石丸謙二郎さんの
ナレーションがもう、本当に良いのです。
重厚で、でも本当に温かくて。

プロジェクションマッピング
プロジェクションマッピング
プロジェクションマッピング
プロジェクションマッピング
プロジェクションマッピング
プロジェクションマッピング

最後どうなったかは、ぜひ現地で。

もう、途中
雪が大堂に降り積もるシーンは
きれいすぎて、鼻がツンときました。

いや~、なんかすごいところに
住んで居るなぁ、私。

実は、こちらのプロジェクションマッピングは
期間限定。

もったいないけど
4/11(日)までなので
興味のある方は310円を握りしめて
ぜひ宇佐の歴博まで!

・・・関係者の方々、
撮影可を良いことに散々撮らしてもらいましたが
これで許してくれるかしら。

私は、下の子連れて
また石丸さんの声を聴きに行きます!

ママくも【閲覧注意】蜘蛛の巣の画像あり。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


今日は、ママ友ならぬ、
ママくも(蜘蛛)のお話。

苦手な方は、ごめんなさい。
本体(?)の画像は出てきませんが、
蜘蛛の巣は出てきます。
見るのも嫌!っていう方は
パスしてくださいね。

気持ちの悪い系列の話ではないです。


12月くらいだったでしょうか。

物干し場の柱に、蜘蛛がいる。

おなかがパンパンで、
臨月?のようでした。

巣を張るにしても
獲物がかかりようもない位置なので
「産卵するんだな」くらいに思っていたのです。

蜘蛛の巣ではないけど

産卵が進むにつれ、
あれほどパンパンだったおなかもしぼんできて
ママ蜘蛛の体は
元のスレンダーな姿に。

そうこうしているうちに
だんだん寒さも厳しくなってきて
冷え込む日などは
ママ蜘蛛もヨロヨロしながら
卵が冬を越す準備をしているようでした。

毎朝、洗濯物を干す度に
その光景を見るものですから
だんだん、なんだか気になるようになってきました。

今日も生きている。
お?今日も頑張っている。

でも、さらにヨロヨロ。
というより、息も絶え絶え。

とうとう、動かなくなり
「あぁ、死んじゃったのかな~」
と思っていたのです。

ところが、次の日場所が少し変わっている。
動いている!
生きている!

もう、こうなると
なんだか身につまされてしまいます。

もう、死にかけているのに
まだわが子のために
精いっぱいのことをしようとしている。

ママ蜘蛛がこうするのは、
本能なのでしょう。
「母親はこうするべき」とか
考えてやっているわけではない。

「母親なんだから~すべき」は
どこか少し自分のためでもある。

生き物が本能的に子どもを守ろうとするのは
誰になんといわれようがやる。
理屈じゃない。

もう、ほとんど動けないような体力で
なお命を全うする姿に
同じ母親として
何とも言えない気持ちになりました。

数日後、
ママ蜘蛛は縮んでいました。

また、まだ生きているといけないので
放っておきましたが
やがて地面に落ちていました。

あぁ。
本当によくやったよね。
頑張ったよね。
本当に、本当に
お疲れさまでした。

同じようなもんだよね。
種類は違うけれど、

あなた(蜘蛛)も、私も。

寒いからこそ。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


降り積もった雪で、
一面の銀世界となった1月。
2021_01_雪景色
我が家の頼れる?小鬼さんが、雪パック中。この置物に関しては→こちら!

2021_01_畑の雪模様
畑がチョコレート菓子のように!

2021_01_雪の散歩
犬の散歩は、こんな日にも?


早くから積雪が分かっていたからか
学校からの、始業式延期&休校メールも
前日に入る早さ。

何かあってはいけないからか、
ありがたい反面、
今の子ども達って
雪で真っ白になった校庭を
見る機会も少ないのかなぁと思います。

徒歩圏内の小学校はともかく
中学校は遠方から自転車の子もいる。

それを好き好んで、休校なのに
わざわざ見に行く子は
いないのかもしれませんね。

わざわざ好き好んで見に行く大人になった私は
別件の(学校絡みの)用事もあって
カメラ片手にウロウロ。
真っ白なグランドも写真に収めました。

2021_01_雪のグランド

雪が積もっただけなんですが
見慣れた光景が一新されるようで
なかなか新鮮でした。(寒かったけど)

コロナの感染拡大も心配ですが
もくせい工舎は、感染対策を徹底して
今月末の週末、再生見学会も開催。

コロナ禍で先行きが見えない中、
なかなか家を新築するなんて
考えられない方も
多いのではないでしょうか?

とはいえ、今のお住まいが
かなり築年数経つと
リフォームのことも気にかかる方も
おられるかと思います。

特に、暑すぎる夏や
底冷えがひどい冬には、
ちょっと、家の断熱から何とかした方が良いのでは?
とも、頭をよぎることでしょう。

今回の再生見学会は、
2階建てのお家を使いやすい平屋にした上、
自然素材の家にリフォーム。

憧れだった木の家を、
リフォームで叶える方法もアリなのです。

ぜひとも、実際に
その驚きの変わりようを
ご覧ください。

ご予約、お問合せは→こちら!

こんな寒い時期だからこそ、
羊毛の断熱性能の
底力が分かりやすい!

ぜひ、会場でお会いしましょう。
お楽しみに!