【お施主さまの声】「木の家に住み始めてから新しい幸せが増えています」

こんにちは、もくせい工舎です。

住まいが変われば、ライフスタイルが変わり、ひいては人生までをも変えることもあります。
昨年、自邸が完成したNさまに、暮らしや家族の変化を伺ってきました!

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―木の家に住み始めてから、旦那さまに変化があったそうですね!
Nさま:元々、夫は私と違って自然素材にこだわりがなく、かっこいいインテリアの家が好みでした。アパートに住んでいるときも「木の家じゃなくても良くない?」みたいな感じだったんです。

ところが、今の家に住み始めてからは、自発的に庭仕事をするようになったんです。
つい先日は、自ら花を買ってきて鉢植えに植えている姿を見たときはびっくり。
元々、土いじりをするようなタイプじゃなかったんですが、楽しそうに庭で作業をしている様子を見ると、夫にとって新しい楽しみができたんだなぁとうれしくなりました。

木の家は植物が似合うからか、子どもたちも外で花を摘んできてリビングに飾ってくれて。日常のちょっとしたことですが、すごく豊かな気持ちになれます。

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―休日の過ごし方は変わりましたか?
Nさま:以前は、休日はどこかに出かけるもの!という考えでしたが、今はあちこちに出かけなくても家が一番好きな場所
ウッドデッキでお茶したりするだけで満たされるので、普段の生活で幸せを感じることが増えました。
「もくせい工舎の家に住むと出不精になる」とOBさんが言っていた通りですね(笑)。

「アパートに住んでいたときと毎月ほぼ変わらない支出で、生活の質がこれほど上がったのは、もくせい工舎の家だからです」と話してくださったNさまの笑顔に暮らしの満足度が表れていました。

小心者と隣の芝

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


1月も終わりかけですが

皆さま、初詣には行かれましたか?

おみくじを引いてみた方もいらっしゃるかと思います。

わが家は、不思議なことに
私と長男は、中吉~末吉が多く

片や、夫と次男は
十中八九、大吉が出る。

「おれ、大吉ってほぼない・・・」
年始早々、ちょっと残念そうな長男。

ちょっとここで、仮説を考えてみました。


コップの中に水が半分入っている。

それを

「もう半分しかない」と考えるか
「まだ半分ある」と考えるか。

そういう例えを聞いたことがあるかと思います。

これでいくと、

前者の「半分しかない」と考えがちなのが
私と長男。

「まだ半分ある」と考えがちなのが
夫と次男です。

これ、大吉が出ても同じような反応が出る。

私と長男は、例え大吉が出ても、
「そうは言っても、良いことばかりではないだろう」
ととらえる。

大吉だ!わ~い!

と、素直に喜ばない。

何が言いたいかというと、
同じことが起こっても

そのまま素直に、「わ~い!幸せ~!」と受け取れるか

「たまたまラッキーなだけで、何かあるんでは?」と
捉えるか。

両者の間には、その差があるように思うのです。

「つまりだよ、例え大吉がでようが
宝くじに当たろうが、

神経が細かいと、別のリスクみたいなのをついつい
考えるやん?

やけ、カミサマが

「アンタどうせ大吉出しても
中吉程度にしか喜ばんやろ?

やけ、中吉。」

・・・って出しとるんやない?」



大吉にせよ、宝くじにせよ、
(家でも、ケッコンでも)何かを手に入れるにせよ、

同じ状況で、「しあわせ~」となるかは
人による。

生まれつきかもしれないし、
その人が生きてきた経験上の違いかもしれない。

先のコップの水の例えにしても、

まだまだ、次の水のストックがある場合と
ない場合では、「残り」に対する感じ方は違いそうです。


いずれにしても、私や長男のような小心者は
心配ばかりしていなくてはならず

「しあわせ~」と言えない分、損なような。


ところが、この小心者には役割がある。

小心という言葉には、

気が小さく臆病という意味の他に

細かいことまでよく気を配るというものがある。

気を配ると書いて、気配りで
心を配ると書いて、心配というのも
切ない話ですが

言い方を変えれば、小心者が得意とするのは
配慮とも言えそうです。


「デザインの仕事は、使い手に不便を感じさせないこと」

そういったのは、通信教育のWebデザインの先生ですが

設計寄りのデザインにしろ、何にしろ、

細かいことまで、「万が一」というネガティブを考えつくして
そして回避しようとしていく作業は

ものづくりの現場では必須と言えます。

芸術作品ではなく、そこに使い手がいる以上、

細かいことを気にしない性格だと
(作った本人が気にもしていなかった)何かしらの困りが出てくるからです。


細かいことを気にしない。
オッケー、オッケーの世界は幸せそうですが

細かいことを気にして、配慮して、
少しでも良くなるようにしてきた試行錯誤が

もっと良いモノづくりを支えてきたことは
明らかだと思います。


だから、どちらかというと
小心者の人間は

気疲ればかりで損なのかもしれない。

でも、細かい闇に気が付く人は
意外と
細かい光にも気づくのかもしれない。

細かい光
細かい光って、あまり金と名誉には関係ないことが多い・・・。

だから、(私を含め)小心者のみなさん。

何かを手に入れたくなって、隣の芝が青々眩しくて、

同じように芝を生やしさえすれ.ば・・・と思うかもしれない。

でも、色々気にしぃなあなたは、
きっと芝の管理や、その他もろもろが気になって

手に入れても、余計な心配もついてきたと感じるかもしれない。

思ってたのと違う、と思うかもしれない。

それでも、きっとそれでいいんです。

そうして、心配しつつ
先に進んできている。

そしていつか振り返って

歩いてきた道を見た時に、

なんやかやあったけど、私なりになんとか歩いて来たなぁ~。

そう思うことが、きっと小心者すぎる
私を、誰かを、支えてくれるのではないか。


半世紀ばかり生かしてもらって

中吉には、中吉なりの
何かがあるんだと

そう思うようになりました。


小心者よ、シヤワセは隣の芝にはない。
シヤワセは、自分の足元にある

20240130_アスファルト突き破ってスミレ
スミレは、【ど根性スミレ】とは言われないのね~。でも、どこか誇らしげだ。

きっと極々、ささやかなこと。