自然素材にふれると、脳は。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


私は、本を読むのが好きです。しかも、紙の本。

Amazonkindleで、無料で読めても、気に入った本ほど、
(別途、お金を出すことになっても)紙で読みたくなってしまいます。

デジタルだと、場所もとらないし、
付箋を貼らずとも、チェックした箇所はまとめて見れるし。

【便利で快適】なはずなのに、紙の本が恋しくなるのです。

中高年になり、デジタルの光をずっと見ているのがしんどい。

それもありますが、デジタルで文字を読むのが、
どうも落ち着かない、疲れるのです。


デジタルか紙媒体か。

それに関連して、今、ドはまりして見ているのが、
NHKドラマ10『舟を編む ~私、辞書つくります~』でして。

前回のお話は、お金ばかりかかる紙の辞書を、デジタル一本にしたい「死神」新社長と、
紙だからこその素晴らしさを、精神論に偏らず、どう説得する?辞書編集部!

次回に続く!の内容でした。


紙の辞書は重い。かさばる。
かたや、デジタル辞書のメリットは、やすやす理解できる。

なのに、なんだろう。この、言葉にできない、本質的な「紙」を求める感覚。
それは、本能的に必要、というのに近い。

なにか、【紙】であることに、脳とか身体的なメリットがあるのでは?

そこで、チャットAIに訊いてみました。


紙で本を読む。紙には質感、厚さ、匂い、どこまで読んだかの空間的なこと。

それら五感をフル活用させるので、記憶に定着しやすい。・・・らしい。
(それを以てしても、読んだ端から忘れる私は、もはやどうしたら。)

意外だったのは、紙の本を読んでいる時、人は呼吸が深くなるそうで、
前頭前野が過活動になるのを抑える働きがあるのだとか。


では、前頭前野が過活動になると、どうなるのか。
前頭前野(Prefrontal Cortex)・・・「人間らしさ」を司る脳の中枢とも言われ、思考・判断・感情の制御・注意・計画などを担う。

いわば、「考えすぎる」脳になるそうです。

その結果、まだ起きてもないことに過度に危険信号を発し続ける。
「ああなったらどうしよう」「こうなったらどうしよう」と、慢性的な不安感につながることになる。

感情をコントロールする力が過剰になると、麻痺してしまい、自分の感情を感じにくくなる
自分が本当はどう思っていて、どうしたいのか、分からなくなる。

自分の行動や感情を過度に分析・批判ばかりするようになり、
自己否定的になったり、行き過ぎた反省をするようになる。

前頭前野が休まらないと、寝ようとしても考えが止まらない


・・・いやいやいや、思い当たることが多すぎる!

「自己肯定感をいかに上げるか」なんていう記事をスマホで読むくらいなら、

電源切って、寝るとか、散歩に行く方が、よっぽど効果的なんじゃないかと思ってしまう。


おのれ~、便利を盾に、なんてことを、デジタルめ!(←?)


過活動になった、考えすぎる状態の脳には、ノイズがいっぱい。
いわゆる【直観】が働きません。

「これだ!」とか「ピンときた!」状態になりにくい。

直観が働くには、まず、脳が落ち着いていないといけない。

静かな脳といわれるその状態は、刺激が少なく、リラックスしている状態で、

自然の中でボ~っとしていたり、目を閉じて、しかも肩の力が抜けているような時。

その時、人は「考える」より「感じる」ことに意識が向かっているので、
直感や創造力が働きやすい。


ブルース・リーの、「考えるな、感じろ」というアレです。


では、その静かな脳、落ち着いた脳になるには、どうしたら良いのか。

そのキーとなるのが、【自然】なのです。

完全な無音より、鳥の声や、風の音、せせらぎといった【自然】の音

蛍光灯やブルーライトといった刺激のある光ではなく、
暖色系の間接照明や、朝の【自然】な光

木・紙・布・土などの自然素材に触れること
触覚を通じて副交感神経を刺激。脳の安心感につながります。
(木の机に手を置くだけで、心拍数が落ち着くという実験結果も。)


自然素材は、柔らかさ・温かさ・不規則な質感など、人工物にはない"揺らぎ"を持っています。
これが、脳の触覚野と情動系(扁桃体など)に働きかけて、安心感を生むと考えられています。


つまり、私が本腰で読みたい時ほど、
デジタルよりも、紙媒体を選びたくなるのには、ちゃんとした身体的根拠があったということ。

デジタル媒体で読むことで、オーバーヒートしそうになるのを避けるために、
本能的に、紙媒体を必要としていたのです。

紙の本と猫
手ざわりがよい紙の本にふれている時の、落ち着き感は、猫のハチさんにふれている時のそれに似ている。
それにしても、どんだけ面白かったのか、『舟を編む』。付箋だらけで、はじめから読むのとたいして変わらん、です。

う~む。「なんとなく、こっち」という直観、おそるべし。


太古の昔から考えると、ほとんど99%の時間を、私たちは【自然】にふれて、
脈々と命を繋いできて、

ここ最近になって、人工のものにまみれて生活するようになりました。

人工のものは【考えて】つくられたものばかり。

いかに役に立つか、成果をあげるか。

そればかりに存在意義を問われたら、息苦しくなって当然のように思います。


どうか、家づくりにしろ、何にしろ、

頭がいっぱいいっぱいになったら、スマホは置きましょう。

考えるのは、いったん止め。

自然にふれましょう。
そして、感じましょう。

答えは、私たちのDNAが知っている。

20250725_自然にふれると、脳は


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