繰り返さないために
(今回の記事は、もくせい工舎とは、なんの関係もありません。私、個人の見解です。)
「こんな悲惨な戦争を、二度と繰り返さないように」
平和学習などで、子ども達がそう発表する度に、
妙な違和感を感じて、胸がぞわぞわする。
もちろん、子ども達が悪いわけではなく、
もちろん、タダシイのだけれど、
それを一般の国民だけが、思っていたところで、
どうしようもないんじゃないか。
平和学習の、模範解答のセリフのように、
唱えられるその言葉を聞くたびに、
体験したことすらない私たちが、
いったい、どこまで「分かって」いえるのか。身につまされるのです。
80年前、「終わった」はずのあの戦争も、
私たちのような一般人が、「はじめた」わけではない。
一般市民が、どんなに他国に対して「けしからん」とか、
「目に物をみせてくれる」と憤ったところで、何ができるんだろう。
お隣さんにケンカを売るのとは、わけが違う。
国同士のケンカは、「軍」が動く。
「軍」を動かせる【誰か】が、「行ってこい」と言わないかぎり、
「はじまらない」のだ。
独裁政権でもないはずの、民主主義の国で、
【軍】を動かせるのは、「民意で選ばれたはず」の為政者になる。
そういったことが起こるかどうかは、
その為政者が、国民をどう見ているのかによるのかもしれない。
自分たちを、選ばれた【上級】国民のように思って、
【下級】の人間など、ただの【頭数】に過ぎず、
【年貢】のように【税金】を納めさせ、
好き放題やる。
下々が苦しんでいることなんか、気にも留めない。
なんら、心を痛めることもない。
国民のほとんどが、貧しくなっているのに、
それを自分たちの政策の貧困のせいとは、思わない。
【安定】した政権で、なにか問題を起こしても、おとがめなし。不起訴処分。
【公約】を守らなくても、クビになることもない。
マジメにやらなくても、高給がもらえるなら、
それは、椅子にかじりつきたくもなるだろう。
国民を、頭数としか思わず、
その一人一人に、大切な人や、人生や、夢のようなものがある
【いのち】だと思いもしない為政者が、
じわじわと、不安と恐怖を煽る。
【お隣さん】は、いつ何をしでかすか分からない、悪いやつだ。
懲らしめたって、当たり前なんだ。それが正義で、勇気なんだと、たきつける。
80年前、「終わった」戦争も、そうやってジワジワ「始まった」。
きな臭くなり、モノが言いにくくなり、
がまんして耐えることが美徳とされた。
今は、どうだろう?
私たちを、ただの【頭数】ではなく、
【いのち】ある人間として、
本当に尊重する、そういう目線をもつ為政者を選べているか?
「こんな悲惨な戦争を二度と繰り返さない」
そう言いながら、ただの金づる、【頭数】にされていないか。
国家権力の濫用から、国民の権利と自由を守るはずの【憲法】なのに、
コソコソコソコソ、自分たちの都合の良いように、
いつの間にか変えられていく。
あの時と、同じように。
言論の自由は、なぜか政治に関しては「タブー」とされ、
でも、そのタブーは、結局、好き勝手やりたい為政者にとって、
どんなに好都合だろう。
明日、広島は80回目の原爆の日を迎える。
「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」
刻まれた石碑の文字をみるたびに、胸が詰まる。
私たちができるのは、学び、繰り返さないこと。
そして、平気で「繰り返しかねない人間」に、
政治を任せないこと。
子ども達を、戦争に巻き込みたくなければ、
大人は、選挙に行かねばならない。
今の現状に、YesかNoか、突き付けないといけない。
そして、公約を守っているか、
国民の【いのち】と【自由】を真剣に守ろうとしているか、
為政者を見張らなければいけない。
選挙期間中だけ、ペコペコ握手を求めてきて、
バッチを付けた途端、上級国民ヅラしていないか、
見張らないといけない。
そして、該当者は、容赦なく、クビにしないといけない。
【安定】して、いつでも余裕で【当選】できると思っているから、
国民のために、働かない。
マジメに本気でやらないと、いつクビになるか分からない。
そういう時こそ、口先でない、本気が問われる。
国民はもっと怒っていいと思う。
怒り狂っていいと思う。
過ちを繰り返さないために。
二度と、ただの【頭数】として、
国のために、殺されないために。
子ども達を、殺されないために。