ボ~っとする効能

ボ~っとできる場所、・・・何か所か思い浮かびますか?

・・・え?・・・忙しくてそんなヒマない?

少なくとも、青空や、夕焼け、星空に

思わず見入ってしまう、そんなヒマもないですか?( ̄▽ ̄)



ワタシは大好きな場所がいくつもあって

そこを「また」訪れることが、楽しみで生きてくチカラの一つです。

それは人として実に、幸いなことだと思います(*^_^*)

どうも心も体もどよ~んとして

エネルギーが澱んでいる感じがした時も

緑の木陰が延々と続く道を運転しているだけでも違う♪


空ができるだけ広く、広く、見える場所で

風のそよぐ様子を見ているだけで

日々世知辛い世にあって、せせこましくはあっても

秋の空

「ああ、自分はこんな風景みたいな、自然の一部でもあるんだな~」

と、実感できて安心できるのです(・ω・)

千切れ雲
千切れ雲。ひっついて一つになったかと思うと、次に見たときには離れて。
カタチもくっつく前と違います。ひと時も同じままの形でない。



吉本隆明さんの『13歳は二度あるか』という本の中に

【社会と関わる、自分を生きる】という章があります。

そこで、

仕事の場で「社会的な個人」として役割を十分に果たしているこことと

「頑張っている」ということが、個人の評価の上下とゴチャゴチャになってしまうと

どうも違うんじゃないかといったことが書かれていました。

この二つを混同している人は、他人に対しても要求が高くなります。

「自分はこんなに頑張ってるんだから、お前もやれよ。」というふうになりがちなのです。

忙しくしていないと、恥だと思うのは

日本人の、生真面目な良い面でもあります。

でも、「常に頑張っている」「ボ~っとするヒマもない」?

【自分はこんなに頑張っている】ということが、自己肯定感が上がるだけならいいのです。

問題は、「自分は昼休みでもこんなに忙しいのに、あの人はどうだ」とか

「あいつは気楽でいいな。ゆっくり休めて。」なんて、落ち度のない他人を下げてしまうこと。

本来なすべきことをして休んでいるなら、全く咎めれれることはありません。

自分の見えていることが全てではないのに、他人を低く評価してしまう。

その目線が問題で、実は一番の害はソコなような気がします。



そこをはき違えなければ

他人がボ~っとしてても「・・・そういう時もあるよね~( ̄▽ ̄)」とやんわりとれますし、

第一、自分だって肩の力を抜きやすくなる。
休むのにゴチャゴチャと言いわけをつけずとも、堂々と気分転換できます( ̄▽ ̄) 当たり前の権利ですしね(*^_^*)♪


【頑張っている】ことが、人間一個人の評価の上下になっちゃうと

お互いに「サボってないか?」「あの人は自分より楽をしてるんじゃないか?」って

監視しあうはめになる。

自分を認めてもらいたいがために

常に「自分がいかに忙しいか」ばかりを口にせねばならず

そうなると誰しも、息つくこともできません。



ボ~っとするのは、脳科学的にも良いようですよ(*^_^*)♪

元気出していきまっしょい

たまには、世のため【他人】の為、ボ~っとしてくださいね!(≧▽≦)

数字じゃないこと

数年前、腸炎で入院したことがありました。

体調が悪いので、食べたくないし

絶食も構わなかったのですが

点滴だけはどうも動きにくく

つけたまま動けても、つながれている間は

さすがにウキウキした気持ちにならない( ̄▽ ̄;)

栄養的には、生きていくのに必要なものが入ってきているとはいえ

自分の食欲と、栄養の摂取がイコールでないのは

なんだか不思議な感覚でした(・ω・)



いよいよ流動食を食べれるようになって

食事時、いい匂いがしてきました。

「・・・あれ~?(。´・ω・)?・・・今日はおでんかな?(*^_^*)」

そして出てきた、私のおでん。

・・・ミキサーにかかってる~Σ(TωTノ)ノ!←流動食だから当たり前なんだけど?

・・・味はですね~。

・・・・Hot シェイク?・・・(。´・ω・)?

しかも、おでん味。( ̄▽ ̄;)…Oh…↓



つくづく、【自分で噛んで、味わって食べる】

だからこその【おいしさ】を痛感したのでした(T_T)



例えば、朝食代わりに一杯飲むだけで

ご飯とお味噌汁、納豆などを食べるより

はるかに栄養的に理想の飲み物があったとして

・・・・でも、それってどうなんだろ?(。´・ω・)?

・・・・・噛まないのは、やっぱりマズいんじゃ? ( ̄▽ ̄;)



栄養学的にいくら理想だったとしても

食べる→咀嚼っていう行動に

数字以外の、【目に見えない働き】がたくさんあるような気がします(・ω・)



点滴で栄養が採れていても、

流動食で、栄養が採れていても

やっぱり、「噛んで、味わって、美味しく食べる」ほど嬉しくない。

なにより・・・楽しくない(T_T)


人間はロボットじゃない。

咀嚼することで、増える唾液の働き。

咀嚼で刺激される、脳の仕組み。

何より、歯ごたえや味や、いろんなものを

五感を使って食べれる「喜び」!そして「楽しさ」!(*´▽`*)

それは、数字以上の目に見えない「生きるチカラ」です(*^_^*)

食べる雰囲気も大事

煩悩だらけの身で、言うのもなんですが

「また、あれが食べたい!」

「また、みんなで食べに行きたい!」

その、「また」が大事な気がします。

「またのお楽しみ」は、生きるチカラです。
「また見たい景色」「また会いたい友達」とかも、きっとそう!(*´▽`*)


ヤギの赤ちゃん、お乳を飲む

数字だけ見れば完璧なことも、完璧とは言い切れない。

それは、私たち人間がお世辞にも「完璧」とは言えないから。

そこには、考えも及ばないような【自然の仕組み】があって

その中に生きて、生かされてる、人間もきっと、そんな【自然の一部】。

数字だけじゃない。

ロボットじゃない。

ささやかでも、なにかが「楽しみ」だから

明日を生きていける「チカラ」になってくれてるのかもしれません(・ω・)

しかし、ありがたかったですが、・・・さすがに「おでんシェイク」はもう、いいかな・・・( ̄▽ ̄;)↓
「また」は、懲りました m(__)m