ラストクリスマス

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


皆さま、メリークリスマスでございます。

よいクリスマスをお過ごしでしょうか。

もくせい工舎の家

実は、本日を持ちまして、ことりの母さんの記事はお終いとなります。

13年ほどの間、家のこと、暮らしのこと、

ダチョウの卵のことから、肛門括約筋といった、

まったく工務店と関係のないことまで、雑多に書き連ねました。

お付き合いいただき、本当にありがとうございました。

50代も半ばに差し掛かり、色々と思うことがあり、
生き方を見直す時期に来たことが理由です。

思えば、10数年前、はじめてもくせい工舎の家に会いました。

それまで、家族の借金や、その他、諸々の理由で、
家を建てることなんて、とうてい無理。

もう、日々を送るのに精いっぱい、そんなこと考えられないような時期に、

あるフリー冊子で構造見学会の広告を目にしました。

※関連記事は→こちら

そして、今までの常識を変える家と出会うのです。

もくせい工舎南欧風の家

なんこれ?

そこにあったのは、まるでジブリに出てくるような質感の家。

おそらく、私は、その家にときめいちゃったんだと思います。


「無機質が当たり前の家」しか知らなかったのに、

こんな手びねりの器のような、素朴で温かな雰囲気の【家の在り方】を知った、その衝撃。

そして、それが自分たちにも叶うかもしれないと知った時の、高揚感。

それは、今思い返しても、自分の人生に差し込む光だったのだと思います。


20241005_胎内のような_1.jpg
まるで胎内のような甘木土の壁。

少子高齢化が叫ばれ、これまでの価値観が崩壊し、

ケッコンやシュッサンが当たり前でなくなった今、

先細りする需要を、建てる側で奪い合うような時代になっています。

似たような家、
似たようなフレーズ、
似たような量産されるSNS。

溢れかえった情報の中で、
本当に望むものに出会うことが、
これほど困難な時代もありません。

なぜなら、自動的におススメされるのは
似たようなものばかり。

「予想外」「想定外」の
思ってもみない出会いは、
意外にアナログだからです。


このブログをこうして読んでくださっているということは、

きっと、手びねりの器の温かさ、美しさを知る方なのかな?と推察します。

だからこそ、もくせい工舎の家に気づき、

この誰とも知らないオバちゃんの話に、真摯に耳を傾けてくださっている。

それはとても奇跡的で、有り難いことなのです。


だからこそ、お願いがあります。

どうか、ご自分が本当に「これだ!」と望む家を建ててください。

自然なもの、伝統的なもの、
色々なものに【こだわる】作り手は多いけれど、

大事なことは、

誰かが【こだわった家】ではなく、
【あなたがこだわった】家であることです。

予算に限りがあれば、自由設計の自由にも限りがある。

それは、焼肉バイキングの「赤まるコース」と「金まるコース」のように、
選ぶにも範囲があり、望むなら別料金というのに似ています。

人によっては、シビアな思いをするかもしれない。

家づくりに対する、夢や憧れが大きい人ほど、
その分、がっかりするかもしれない。

でも、その気持ちに寄り添ってくれる相手を、探してください。

「ないならないで、こういうやり方もあるよ」と、

知恵と工夫で、一緒に、楽しく考えていけるような工務店をパートナーとしてください。

プロとよばれる側に説得されると、素人は返す言葉がでてきません。

それでも、きっと根底には残念な思いも抱えていると思います。

家づくりの喜びも、飲み込む悲しさも、そこを思いやれる【余裕】があるかも大事です。

だって、ずっとお金を払い続けるんですよ?

おじいちゃん、おばあちゃんになるまで。

「予算がなかったから仕方なかった」家と、
「なかったけど、工夫した」家は、全くその後の気持ちが違ってきます。

それを一緒に考えてくれる、知恵と技術、そして【余裕】のある相手を選んでください。

瑕疵担保は、欠陥には対応しますが、「言っていたことと違う」には対応できません。 

よく話を聞き、何かあった時に、信頼に足るかも大事です。

カスハラはいただけませんが、

表面上は【怒り】でも、
内にあるのは【困り】であり、【悲しみ】です。

吟味したはずの家に、
起こった【困り】に【悲しんで】、
表面上【怒っているように見える】だけです。

だから、困った時に、嫌な顔せず、
ましてやクレーマー呼ばわりせず

「困っているだろうから」と直ぐに対応しようとしてくれるかも大事です。

トラブルが起こった時に、どういう態度をとるか。
それこそが、本質でもあるからです。

20241005_胎内のような_5_白漆喰.jpg

人間がやることに【完璧】はあり得ない。

そして、私たちは【完璧】だから、
何かを好きになったり、信用したりするんじゃないと思います。

なにかあっても、この人なら
ちゃんと向き合ってくれるだろう。

その根底に温かいものがあるから、信頼するのだし、また【次】につながるんだと思います。

幸せな人が誰かを幸せにしていく

肩ひじ張らなくていい、【思いやり】と【誠実さ】。

その関係性が、信頼に支えられた安心感です。


そして、家にしろ、人にしろ、【欠点】は、魅力でもあるし、伸びしろでもあります。

スキを見せまいとピリピリしているより、
柔軟な対応ができる方が、ずっといい。


本当に大事なのは、

【何かあった時に話がしやすいか、対応を急ごうとしてくれるか】です。

その相手を探してください。

もくせい工舎の家

工務店は星の数ほどありますが、大分の県北で、

なかなかここまでの家を、
ここまでして建てる工務店を、私は知りません。

その【家づくりへの考え方】に共感していたからこそ続けられた、13年でした。

そして、こういった家が、

「本当に自然なもの」を必要とする「誰か」に届けばと、それを願っての日々でもありました。


その「誰か」が、この拙い文章を、
最後まで読んでくださっている
「あなた」であったら、どんなに嬉しいか。


いつか、
私がもくせい工舎の家にときめいたように、

同じような高揚感と夢をもって、
「あなた」が叶えていく。

無垢の木と漆喰の家で、ご自分なりに暮らしを紡いでいく。

もくせい工舎の家

そんなことが叶ったら、

私、ことりの母さんといたしましても、
本当に嬉しく、しあわせに思います。

これまで、読んでいただき、ありがとうございました。

そして、永家さん。

こんな家に出会わせてくれて、ありがとうございました。

これにて、おしまい。

良いお年&心からの良い人生をお祈りしています。

グットラックです!

もくせい工舎の家ありがとう


光が見えながら、自らを虐げる人

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


国東芸術文化祭が、11月30日を持って閉幕しました。

期間中、国東半島各地でイベントが行われ、一日じゃ回り切れない。

前回書いた、ラバーダックとPICFA以外にも
見たいものがあったので、

日を改め、国東の岩戸寺の方にも、行ってみたのでした。


見たかったのは、
木のオルゴールを作られている夢音(ゆのん)さんと、中野マーク周作さんの作品。

素晴らしかったのですが、残念ながら写真がないので、今回は別のことを。

その時に、偶然お会いした女性のことをお話したいと思います。


県道から、車一台通れるほどの細い道を、
岩戸寺に向かって上ると、
思いがけず広い駐車場に出ます。

車のドアをバタンと閉め、
さて、どこが入り口なのかと、林の方を眺める。

誰かが、落ち葉焚きでもしているのか、
煙の匂いがします。

煙たいのは苦手なのですが、仕方ない。
その中を通って、境内まで続く道を登ります。

ふと見ると、誰かが写真を撮っている。

住職さんと思しき、スウェット姿の男性と、
何やら笑って言葉を交わしている。

そのそばを通り過ぎようとしたとき、気が付いた。

その女性が、夢中で撮っていたのは、
林の間を照らす木漏れ日だったのてす。

20251205_林の間を照らす木漏れ日
スギ林を光が貫く。

煙が風に揺れる度、姿を変える光の線。

「わぁぁ!キレイですねぇ!」と思わず声が出る。

「そうなんですよ、面白くて!もう、かれこれ20分くらいこうしてる」と笑う。

「私もご一緒していいですか?」と、
スマホを取り出し、シャッターを切ります。

20251205_林の間を照らす木漏れ日
光の線が細くなったり、太くなったり。

「よく気づかれましたね~!むちゃくちゃキレイですね~!」

「じ~っと待ってると、次々形が変わるのが、面白くてね~。
あ、こっちからも、なかなかイイですよ」と教えてくれる。

二人で、しばらく写真を撮っていると、その下を二人連れが通る。

その人たちは、特に興味もなさそう。

オバちゃん(私)とお婆ちゃん二人で、キャーキャー言って写真を撮っていて、

その下を「何やってんの?」って感じで、通られたわけです。

すると、お婆ちゃんのテンションが、一気にシュンとなりました。

「あぁ、ほんと、私アホやけんね。いっつも。
こんなんに夢中になって。ほんと、アホやけん。」と言う。

「・・・え?え?いや、私も一緒にキャーキャー言って撮ってたんで。
それなら、アホと言われるのも、ご一緒ますよ?」

「いや、あなたは今来たとこやけん。私なんか、20分も。」

それから、なんだか、すごくしょんぼりされていたのです。

いやいや、
そんなに「アホや」と自分で言わなきゃならんほど、いったい何の非があるんだろう。

こんなキレイなものに気づく感性があって、

それを20分も夢中で追いかける気持ちの若さがあって、

なぜそれを「アホや」と自虐しないといけないのか。

そう言わねばならぬほど、この人は何を言われてきたんだろうか。

さんざん「何でお前はそうなのか」と言われて育った身からすれば、そんなことを勘ぐってしまう。

「それでも、きっと、そのカメラの中には、
あなたが撮った、この世界の素晴らしいところが、
たくさん写っているんじゃないですか?」

そう思ったものの、気の利いた言葉が、スッと出てこない。

そもそも、年配の女性に、

「アナタ」と言うのもなんだし、
「オクサン」じゃ、みのもんたみたいだし。

とかなんとか、そこから迷って、言葉が続かない。

なんとな〜く重たい気持ちになって、
なんとな〜く挨拶をして、
そのまま別れて、境内に向かったのでした。


20251205_木漏れ日

自虐という言葉を調べると、
「自分を責めさいなむこと」とありました。

「さいなむ」とは「苛む」と書き、
「良心に苛まれる」とかよく聞きます。

苛むとは、
①苦しめ、悩ます。いじめる
②責め叱る。

つまり「自虐」は、
「自分で自分を必要以上にいじめ、責め立てること」でしょうか。

自虐する心理とは、どこか
「他人に言われんでも、自分で分かっとるんよ」という感じがします。

傷つけられる前に、自分で傷をつけ、
それを見せることで、
「追い打ちは必要ないでしょ?自覚はあるんだから」というような。

そこには、「これ以上の傷はつけられたくない。」
そんな気持ちがあるように思うのです。


私は、死んだことがないので、死後の世界のことは分かりません。

20251205_林の間を照らす木漏れ日

カミサマやエンマさまみたいな存在がいるとして、

もし、「お前、生きている時どうだったの?」と聞かれたら、

このお婆ちゃん、アホだと言われるだろうか。


私なら、いかに立派な功績を残したかなんて自慢話より、

「こんなキレイなものを見た」とか、
「すごい面白い経験した」とか、
「こんな大好きなものがあった」とか、
そういう話を聞きたい。

くだらなすぎて、大笑いするような話でもいい。


この人が一生を通じて、
何を見て、何を思い、どうしたか。

必死になってやってきたこともよし、

ただただ、感動して、心からその喜びに浸るもよし、

面白おかしく、ワクワクして心躍るもよし。


あのお婆ちゃんのカメラには、
きっとお婆ちゃんにとっての
宝物のような風景が写っていたはずです。


だから、うまく言えなかったけど、お婆ちゃん。

少なくとも私は、お婆ちゃんのこと、アホとか思えんよ。

一緒に写真撮れて、本当におもしろかったんやけん。

そう、もう伝えようもない言葉を飲み込むしかないのでした。


ちなみに、年配の女性になんと呼べば良かったんだろうとGeminiに訊いてみたら、

「日本語はニュアンスが難しいので、
あえて呼びかけないのがいいんじゃないか」という答えでした。

う~ん。AIにも、回答を逃げられた。


あのお婆ちゃん然り、私然り、どこかの誰が然り。

もう、これ以上、自分で自分を、いじめる必要なんてない。

そんなことで、人をアホ呼ばわりする誰かの、
つまらん物差しに合わせて、落ち込むなんて!

その方がよっぽどアホらしい!

ちゃんと、美しいものを見て、美しいと感じている。

それだけで、きっとあなたはスンバらしいのです!

20251205_あなたはスンバらしい

国東半島芸術文化祭!

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


国東半島芸術文化祭に行ってきました。

期間中は、各地でイベントが開催されているらしいのですが、一度には回り切れない。

今回は、「ラバーダックプロジェクト」と「PICFAアートジャンクション」に絞って、満喫してきました。


まずは、ラバーダックを見に、国東市の迫池に向かいます。

日頃は静かであろう《ため池》も、なかなかの人だかり。

お隣の集会所でも、キッチンカーなどが出店していて、お祭りムードです。

第二駐車場となっている旭日小学校のグラウンドに車を停めます。

小学校の裏手から坂道を下って、会場へ。

20251125_国東半島芸術文化祭_ラバーダック
遠目に、ふわふわのトランポリンに見える。

近づくと、おおき~い!

20251125_国東半島芸術文化祭_ラバーダック
背が高い人と比べても、この大きさ!(※人物は加工しています。)

大きいけど、威圧感ゼロです。

20251125_国東半島芸術文化祭_ラバーダック
青空の日で良かった~。黄色が映えます。

私は、鳥のモフモフのおしりが好きなので、裏からも見てみましょう。

20251125_国東半島芸術文化祭_ラバーダック
後ろ姿も、抜かりなく、かわいいです!

大きいラバーダックの可愛さを満喫して、
小学校の駐車場に戻ります。

ここ、旭日小学校は今年3月に閉校したばかりのようでした。

駐車場となっていたグランドの奥に、かわいい建物が見えます。

20251125_国東半島芸術文化祭_ラバーダック_旧旭日幼稚園
何かの工房や、パン屋さんにも見える。赤屋根が可愛い。

近づいてみると、人がいなくなって、ずいぶん経つようです。

20251125_国東半島芸術文化祭_ラバーダック_旧旭日幼稚園
奥の、「トイレ」とか「おてあらい」ではなく、「べんじょ」とひらがなで書かれた看板がシュール。

ここで、親御さんたちが迎えに来たりしている様子を想像して、しみじみ。

ここも、きっと誰かの思い出の場所なんだよなぁ。

致し方ないとはいえ、地域で学校がなくなるのは、寂しいものです。

特に、幼稚園、小学校がなくなるのは。

それだけ、子ども達って、存在自体が「パワー」なんだと実感します。


場所を、鶴川のKITOWA(キトワ)に移します。迫池から、車で10分かからないくらい。

20251125_国東半島芸術文化祭_PICFA_アートジャンクション_KITOWA
交流拠点施設KITOWA。左がチャレンジショップ棟。

木とガラスで囲まれた、チャレンジショップ棟をショーケースに見立て、

作品が展示販売されています。

20251125_国東半島芸術文化祭_PICFA_アートジャンクション_KITOWA
PICFA(ピクファ)は佐賀県基山町の障がい者就労支援B型事業所。

PICFAのメンバー20名の、自由でジャンク(ごちゃまぜ)な作品たちが、

見る人の直観と交差する《ジャンクション》となる展覧会。

さっそく、チャレンジショップ棟に向かいます。

出迎えてくれたのは、赤と白のド派手で大きなイヌ!

20251125_国東半島芸術文化祭_PICFA_アートジャンクション_KITOWA
本田雅啓さんの作品「スゴクデカイイヌ」。スゴクデカイイヌは、ちゃんと繋がれています。

コーンに「スゴクデカイイヌ」と書いてあって、そのままやん!と笑ってしまう。

楽しくて笑っていると、受付のお姉さんが色々と説明してくれました。

こちら、工事用の三角コーンをビス止めしてつくったもの。

よく犬にしようと思いついたな~と感心します。


場内の全てを紹介できないので、一部ご紹介。

こちらは、一度見たら観たら、忘れられない画風。

20251125_国東半島芸術文化祭_PICFA_アートジャンクション_KITOWA
安永憲征さんの作品。左「7人ピース」と右「4人のスーパーモデルで男性と女性」

同じような顔ですが、じわじわ面白い。

浮世絵の良さが分からない私ですが、
こちらは、同じような顔でも、面白い。

題名も、じわじわ面白い。

外国の雑誌をモチーフにしているようです。


お次は、細か~な作品。

20251125_国東半島芸術文化祭_PICFA_アートジャンクション_KITOWA
加田有紀さんの作品。左「大きな青りんご」と右「茶ちゃドーナツ」

近寄ると、

20251125_国東半島芸術文化祭_PICFA_アートジャンクション_KITOWA
リンゴの中に、リンゴがびっしり。

20251125_国東半島芸術文化祭_PICFA_アートジャンクション_KITOWA
ドーナツなので、数は、丸×2。1年がかりの力作!

続きまして、またまた細かな作品。

20251125_国東半島芸術文化祭_PICFA_アートジャンクション_KITOWA
笠原鉄平さんの作品「一人一人の生活模様」こちらは、非売品

20251125_国東半島芸術文化祭_PICFA_アートジャンクション_KITOWA
この一角だけで400人ほどいるのだとか。人物の被りもなく!

病院の待合室にあったら、退屈しないのに。

延々と見ていられます。

20251125_国東半島芸術文化祭_PICFA_アートジャンクション_KITOWA
大漁旗のよう!

誰かの「楽しい!」は相乗効果を生み出します。

それは、作る人の「楽しい!」でもあるし、
説明してくれたお姉さんの「楽しい!」でもある。

誰かの心からの「楽しい!」は、こちらまで数倍楽しくなる!

そのお姉さんに何度もお礼を言って、
グッズも販売しているという母屋?へ。

20251125_国東半島芸術文化祭_PICFA_アートジャンクション_KITOWA
照明器具がレトロでおしゃれ!

元々は、古城医院という築120年の古民家を改装したもの。

20251125_国東半島芸術文化祭_PICFA_アートジャンクション_KITOWA
重厚な玄関は、コアワーキングスペースの入り口。

ドアに近づくと、漆喰と木の匂いがします。

こんな雰囲気お好きな方は、おそらく、
もくせい工舎の家も、気に入っていただけるんじゃないかと思います。

20251125_国東半島芸術文化祭_PICFA_アートジャンクション_KITOWA

置かれている什器も、アンティークで、良い雰囲気!

20251125_国東半島芸術文化祭_PICFA_アートジャンクション_KITOWA
表紙もレトロでかわいい。一冊一冊、手にとって見たくなる!

奥に、PICFAのグッズコーナーがありました。

20251125_国東半島芸術文化祭_PICFA_アートジャンクション_KITOWA
欲しいものが、いっぱいすぎる~。

私は、鈴木靖葉さんの色鮮やかな
「カエルのポストカード」と、

忘れられない画風の、安永憲征さんの『yasunagazine』を購入。

中身をお見せできないのが残念ですが、
家に帰ってからも、見てはニヤニヤしております。

特に、「シマシマの女の人となすび」は、見た瞬間、
肩を揺らして笑うほど、楽しくて!

その場にいた他のお客さんには「?」だったかと思います。

あ~、お見せしたい!

これは、ぜひとも会場と売店で見ていただきたい!

11/30のクロージングイベント(旧旭日小学校)には、作家の皆さんも来場されるそうです。

一見の価値、大ありかと思います。

20251125_国東半島芸術文化祭_PICFA_アートジャンクション_KITOWA
見ただけで誰の作品かすぐ分かる!

小学生とか、中学生とか、
名画を見せるのもいいけれど、

本当は、こういった自由な芸術に、
どんどん触れるのがいいんじゃないか。

「みんなと同じように」
「誰かと比べて」
「ちゃんとしないと」

そんな概念を、どか~ん!と蹴とばして、
自分の「これだ!」を追求していく。

見ているだけで、楽しくて楽しくて、
凝り固まっていたものがほぐれていく不思議!

大きすぎるアヒル。
スゴクデカイイヌ。

誰かの言う「ふつう」に「ちゃんと」納まるよう、縮こめられていた「本当の自分」が解放されるような快感!

「ジョーシキ」の規格の外の世界は、私たちの閉塞感を救う、大きな力なんだと思います。

11/30まで。ぜひ!

20251125_国東半島芸術文化祭_PICFA_アートジャンクション_KITOWA

#の外の世界

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


前回、過食症と拒食症だった話を書きました。

私は、SNSで個人の発信をしませんが、

#拒食症、#過食症とタグ付けされれば、

それに関連した情報だったり、同じことで悩む人に
気づかれやすくなるのだと思います。

体験談を語ることは、
また、誰かの体験談を聞くことは、

「分かる、分かる」の共感を得られる。

自分一人が苦しんでいるわけではない。

それは、どんなに癒されたり、勇気づけられるか。

同じ悩みを持つ者同士、直接的ではないにしろ、
どこか繋がりすら感じます。


その一方で、私を救ってくれたのは、
子猫のまっすぐな食欲でした。

子猫は#拒食症とも、#過食症とも検索しません。

「生きる意味」や「生きる価値」に悩んで、
自分を傷つけたりしません。

ありのまま、自然なのです。


つまり、#の全く外側にいた存在が、
私の目を覚ました、ということです。


もう、放送が終わってしまいましたが、

『舟を編む~私、辞書作ります』(主演:池田エライザさん)というドラマがありました。

その中で、経費削減のため、デジタル一本で辞書をつくれという社長に、

なんとか紙媒体のメリットを伝えるべく奮闘する姿が描かれます。


その時出てきたのが、「セレンビリティ効果」という言葉。

セレンビリティとは、思わぬものを偶然に発見する能力。引き寄せる力のこと。


同じことで悩む、ということは、似たような思考パターンだということです。

そして、誰かがそれを乗り越えた体験は、
ある意味、希望を見出せますが、

その体験そのものを、追体験することはできません。


私を救ってくれたのは、「同じようなことに悩む人」ではなく、ただの子猫でした。

つまり、モノの見方を180度変えようと思ったら、

全く違う考え方の人、#タグの外の世界にふれないといけない。

日頃、「思ってもみなかった」ことに出会うしかない。


思えば、私がもくせい工舎に出会ったのは、
フリーペーパーの広告を「偶然」見たからでした。

「セレンビリティ」そのものです。

木は好きでしたが、#自然素材とか、#漆喰の家なんて、考えてみたこともなかったのです。


SNSの時代にあって、#の外側、

こんな家があるとも知らない方に、どうやって伝えるのか。


とりあえず、関係あることないこと、色んな方面から記事にする。

それで、偶然見つけてくれたりしたら、本当に奇跡的。

私は、古臭い、時代遅れのアナログですが、
どこかの誰か、#の外の人に、届けばいいなぁ。

また、「家と、全然関係ないやん!」的な笑えるネタ、どうでもいい話なども折込つつ、

多角的な面から、家や暮らし、自然なこと、
そして家のことを考えてみたいなと思います。

20251115_思ってもみなかったことの向こう側

#の世界は「情報」まみれ。

それに疲れたら、やっぱり#とは正反対の、自然にふれなければいけない。

人と比べて落ち込むくらいだったら、スマホは置いて、散歩に行く方がずっと良いのです。

人を癒せるのは、自然だけ。

あの子猫も、まさに、自然そのものだったのです。

過食と拒食だった話

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


高校時代に、過食症から拒食症になったことがあります。

と言っても、(受診していないので)診断されたわけではありません。

今のように過食症、拒食症、摂食障害なんて言葉も知らなかったし、
当時あったのかどうかも分かりません。

なにせ、40年近く前のことです。


過食の時は、お腹が空いていないのに食べます。

家族に見つかると色々言われるので、隠れて食べるのです。

口に何か入れていないと、咀嚼していないと落ち着かない。
しかも、甘いものばかり食べたくなります。

当然、ブクブク太る。それなのに、しばらく気づかない。

母親に「あんた、食べ過ぎよ」とたしなめられるのですが、
口にしていないと落ち着かないのです。

そして、体重がマックスになったころ、ようやく現実に気づきます。

今度は、反動で一気に食べなくなりました。


不思議なことに、食べなくなっても、お腹が減らない。

過食の時は、「減らなくても」食べていたのに、
拒食の時は、食べなくても「減らない」のです。

何かを口にすること自体が、罪悪感でいっぱいになるので、
そのうち、とうとう味噌汁も飲めなくなりました。

もう、精神的に限界だったんだと思います。生理も止まっていました。

体が危険だと、信号を発していたのです。


今思えば、親の関心を引きたいがゆえに、
中学は猛勉強していました。丸暗記です。

でも、高校にあがれば、
同じように勉強してきた人や、元々から賢い人もたくさんいます。

足の速い人ばかりを選抜すれば、その足の速い人の中でも、順位ができ、最下位ができます。

足が速いはずだったのに、そう思っていたのに、上には上がいるのです。

それだけを自信に生きてきていると、いっぺんに奈落の底に落とされます。

少なくとも、本人はそう思ってしまう。

頑張ることで保たれていた、「自信」や「存在価値」がなくなってしまうからです。

両親は共働きで、いつもピリピリ忙しくしてましたから、それどころじゃない。
今思えば、よく生きていたなと思います。


そんなある日、友だちが自宅に誘ってくれました。

お昼を作ってくれるというのです。

私は、まだそんなに食べれず、ためらったのですが、
「飼ったばかりの子猫がいるよ。アメリカンショートヘアの。」という。

もう、食べたら吐くかもより、子猫見たさの方が勝ち。
二つ返事でついていったのでした。

彼女は、ご飯とお味噌汁、そして五目炒めを作ってくれました。
そして、おじいちゃんが買ってきたという、唐揚げを添えて。

そして、ありがたく唐揚げを頂こうとすると、その子猫が近づいてくる。

私の膝に乗って、前足を私の口元にのせて、口元の唐揚げにフンフンと鼻を近づけてきます。

「何食べてるの?それ美味しそう!ワタシも一緒に食べる~!」って。

その姿がかわいくてかわいくて、なんだか大笑いしてしまって、ふと気が付いた。

「いかん、私、このままやったら死ぬかもしれん。」

なぜか、食べ物めがけて、一心に近づいてくる子猫をきっかけに、目が覚めたのです。


あの時の自分も含め、子どもは、大人が思う以上に、言葉にならない思いを抱えているんじゃないか。

それが長ければ長いほど、深ければ深いほど、もう何から話していいかも分からない。

テレパシーで送れたらいいのに。思ってきた背景ごと。

それができないから、消化されないまま、心の傷と同じように、
自分の体を傷つけてしまうことがある。

いっぱいいっぱいになった時、生きている感覚を確かめるために。

そんな時、傍にいた人間に何ができるのか。

今なら分かるのに。
今なら、少しは分かるのに。

「言葉にできない」は、「考えていない」わけではない。

気持ちの整理がつかなくて、思考が追いついていかないだけで。

こうする「べき」が分かっていても、何かしっくりこなくて。もどかしくて。

上手く言葉にできない、腑に落ちない何かがあって、それでも、心配かけたくなくないから、

子どもは黙ってるんじゃないかと思うのです。

あの子猫みたいに、真っ直ぐ、ただ、生きていてもいいのに。
本当は、それだけでいいのに。

子猫に救われる

いよいよ

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


以前、映画『国宝』についての記事を書きました。

人間国宝の万菊しかり、主人公の喜久雄しかり。

人間にして、国の宝となる人生は、
「歌舞伎がうまくなるなら、他は何もいらない」ただ一筋の生き方。

かたや、上方歌舞伎の名門に生まれ、将来を約束された御曹司・俊介。

しかし、実父である半次郎の代役には、部屋子である喜久雄が抜擢されます。

守ってくれるはずの血がありながら、役を奪われた挙句、その喜久雄の演技にショックをうける俊介。

映画を見ていて思ったのは、この俊介、なんだかお人よしなのです。

いきなり現れた喜久雄を受け入れ、おまけに奪われた役の出番を前に、
震えの止まらない、喜久雄を励まします。
「(お前には)芸があるやないか」と。

この気遣い、優しさが、俊介の良さでもあり、喜久雄との差でもあるように思います。

優しいという字は、人と憂。

憂い、心配をしている人に寄り添うことです。

自分「以外」の人間にも、気を配っている。

つまり、己の芸のこと「だけ」の喜久雄とは違うということです。


一流は、1つのことだけに。

二流は、二つを兼ねて。

三流は、あまたのことを広く浅く。

何かの超一流の人は、意外に他のことはポンコツかもしれない。
(中には、一流を二刀流なんて人もいるが)

一流、二流、二刀流で世の中が溢れたら、この世は成り立たない。

名もなき三流、多流の人たちが、どんなに世を支え、回しているか。

名もなき、ポンコツを代表して、私はそう思うのです。


さて、こちらは、その一流同士のおはなし会。

とうとう、明日となりました。

2025/10/26_もくせい工舎おはなし会
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場所は、もくせい工舎・土壁の家です。


そのことばかり、一筋にやってきたお二人。

それは、それは、ディープな話が聞けそうです。

普段考えたこともない、知らなかった、
壁の、空間の、木の、家の世界。

家に対するモノの見方が、違ってくるかと思います。

今からでも大歓迎!
お申込み、お待ちしております♪

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原田左研親方ともくせい工舎・自然素材の家のおしゃべり会


こだわる二人

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


ずいぶん前、カフェなどを営む知人に「プロってなんやろね?」と聞くと、
「そのことで、お金貰っている人」との答えでした。

そのプロという言葉、広告でよく使われますね。
「○○のプロにお任せください!」
「プロにご相談ください!」
というものです。

そのプロという反対の立場、アマチュアというのは、
相対的に、プロより経験も知識もないものとされる。

だから、プロの意見、と言われると黙らざるを得ないような、
一種の印籠のような面があります。

「これが目に入らぬか?」
素人は、「ハハ~」とひれ伏すしかない。

とはいえ、本当にそうなんだろうか。

あんまり「自分はプロだ」と印籠を見せびらかす人って、なんだかなぁ。
黙って【技術】で知らしめて欲しい。

口ばかりか、腕があるか。

「そのことで、お金貰っていて」も、ピンからキリまであるような気もするのです。


スマホでプロという言葉を調べると、
[ある分野で高い技術や知識を持ち、それを職業として生計を立てる専門家]と出てきました。
(辞書だと[①プログラム②プロダクション③プロフェッショナル④プロマイド⑤プロレタリア]。)

AIの要約だったので、日本の会話の中で「○○のプロ」みたいな使われ方が多いのかもしれません。

ある分野のことについて、
高い技術や知識を身に付けるために、

他人の何倍も手を動かし、勉強をし、考え続けてきた人、

そしてそれを生業にしている人。

前述したピンからキリまでというのは、
どの程度で、自分に甘んじてきたかの違いかもしれません。

これで完璧、完成形だとしないのは、
大谷翔平選手を見ていても思うことです。
優れた人ほど、謙虚でもある。

どんな立場になっても、
さらに手を動かし、学び、考え続ける。

同じような濃さの努力も勉強もできないから、素人は感動するのだし、

そう言った人の本を読んだり、話を聞くことで、
その恩恵を少し、分けてもらえるのだと思います。


さて、そのプロ同士のおはなし会が、10/26(日)開催されます。

2025/10/26_もくせい工舎おはなし会
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場所は、もくせい工舎・土壁の家です。

壁のこと、空間のこと、木のこと、家のこと。

ずっと手を動かし、考えつづけ、カタチにしてきた、
自然素材にこだわる二人。

二人のおしゃべりには、きっと思ってもみなかったヒントがあるはずです。

家づくりを検討中の方はもちろん、
家づくりなんて、まだまだ現実的でないと思っている方も、

奥深い、【自然素材でつくる空間】の魅力に、触れに来てください。
(土壁の家が、まさにお二人の世界観の一つです。)

202510415_無垢の木と漆喰で建てる自然素材の家

定員は10名様までとなっております。

ご予約お待ちしております。どうぞお気軽にいらしてください♪

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20251015_原田進親方

田舎暮らしも寝て待て

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


お施主様の中にも、自然豊かな環境を好まれる方が多いもくせい工舎。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・田舎暮らし

かく言うわが家も、青々した場所が好きで、

視界のほとんどが、空か緑といった場所に居をかまえました。


住んで、軽く十年。アパート暮らしの年月を超えました。

何とか無事にやっております。

今日は、そんな【田舎暮らし】のお話。

20251005_田舎暮らし
空が広~い!電線がな~い!


風景だけに惹かれて、縁も所縁もない場所に住むことにした私たち。

子供会や祭り事などの【頭数】としては、歓迎されましたが、
最初は【The よそ者】でした。

どこかの娘さんでも、誰々の息子でもない。

どこの馬の骨とも分からない。

警戒されて当たり前なのです。


最初はやたらと世話を受けます。

たぶん、探りをいれられたんだと思います。

ところが、私はあんまり可愛げのないタイプで、
口先だけでも愛想よくしておけばいいのに、上手くできない。

畑に化成肥料や、ビニールマルチを使えとアドバイスしてくれているのに、
ついつい「いや、それやりたくない。」が、顔に出る。

そのうち、「もう二度と親切にしてやらん!」となるわけです。

20251005_田舎暮らし_畑
無駄なく、効率よく収穫できる畑は素晴らしいのですが、私がやりたいのは、「こうやったらどうなるか?」の実験的な畑に近い。
なるべく、肥料や資材を買ったりせず、ぐるぐる循環できる感じで、気楽にやりたかったのです。

村一番の有力者(?)に目をつけられると、
田舎は名字が違っても、親戚同士も多いし、妙な力関係もあって、
かなり風当たりが強くなったりします。

じゃ、それはずっと続くのか?

そうでもありませんでした。

10年かかりましたが、「ちょっと変わっているけれど、何か頼めばマジメにやる人間」くらいには認識してもらえる。

何かあったり、どう思われるかは、コントロールできませんが、
それに対する態度は、自分で決められる。(とはいえ、結構がまんもした。ローンがあるし。)

100%完璧な対応も、100%へいこらの迎合もできませんが、

60点を目指しつつ、欠点は取らないようにしてきたつもりです。


【悠々自適に、憧れの田舎暮らし】
私も、そんな【のんびり】暮らす一面ばかりを見ていました。

ところが、美しい景観を維持しようと思えば、
3か月に一度は、交代で地区の掃除や草刈りをせねばなりません。

【悠々自適】に暮らすために来たんだから、
「地区のことや、近所づきあいなんて、面倒に関わりたくない」
その気持ちも、分からなくもない。

ただ、70代、80代の《おいちゃん》たちが、河原の土手の足場の悪い所で、
汗水たらして草刈りしているのも知らず、

なにかと理由をつけては、任せっきりなのを見ると、
そりゃ、【イイとこ取りだけ】は、あんまりだよなぁと思うのです。


だから、最初の探りにしろ、「今度来たやつはどんな感じか?」も分からんでもない。

口先だけか、否かを確かめる必要があるからです。

ちなみに、他人があまり好まない仕事を、率先してやりました。

公民館のトイレ掃除とか、小さな会計の役目とか。

トイレ掃除は、ひとりで黙々とできるから。(話をせんですむし)
会計は、なかなか決まらないのが嫌だったから。(はよ、帰りたいし)

どちらも気に入られるためではありません。

でも、そういったことを通して、マジメに取り組もうとしているのは伝わる。

イヤな仕事を無理に引き受けることはありませんが、
自分にできることは、極力協力する。

目指すは60点で。


最初、なかなか馴染めなくても、時間が解決してくれます。

心配いりません。

どんな人付き合いも、100点取ろうとするから、しんどくなる。

半分もできれば、上出来です。

・・・などなど、ちょっと先輩風を吹かしてみました。

20251005_田舎暮らし

その先輩風の吹き返し(?)的に、意外だったことをオマケとしてまとめてみました。

【田舎暮らしの思いがけない?デメリット】
虫が多い。動物も来る。
いきなりの野焼きで洗濯物が、臭くなる。(田んぼは消毒もあるのでは?)
名字が違っても、親戚同士が多い。(うっかりしたことが言えない。)
なんらかの力関係がある。
夏場は雑草に振り回される。
学校の人数によっては、PTAがらみの【役】がすぐ回ってくる。

【田舎暮らしの思いがけない?メリット】
鳥や虫の名前に詳しくなる。
あらかたの虫が平気になる。(人によるのでは?)
朝日夕日の美しさを満喫できる。
水が美味しい。
基本静かなので、日中、バッタの羽音にすら気づく。
踏ん張っていると、それなりに根を張れる。
PTAも、顔見知りばかりで、お互い様感が出てくる(?)
(転校先のPTA総会に、ほとんどの保護者が参加していて驚きました。前の学校は4倍の人数いたのに、先生が声をかけまくって、同じくらいの参加者だったので。「多いと、帰っても分からんだろう」ってなるのかもしれません。田舎じゃ「なんでおらんかったん?」ですけど。)

総じて、結果。

田舎万歳、です。

自分たちで家を建てることのメリットの一つは、「ここに住みたい!」が叶いやすいこと。

根を下ろす場所を選べるということです。

風が吹き、吹き飛ばされそうになる度に、
きっと、その根が強くなる。

根が延びた先の土には、花瓶の水だけじゃありえない、たくさんの繋がり、関りがあります。

とはいえ、時間が解決してくれる面もあるものの、枯れてしまってはお終いです。

その点、人間だからのメリットは、
命にかかわりそうなときは、根ごと移動できること。

これから、土地を探される皆様。

アタマで考えすぎると、どうして良いか分からなくなるかもしれません。

そんな時こそ、腑が動くというか、惹かれる感覚も、大事です。

この場所にいると、イキイキしてくる、嬉しくなる感覚です。

色々あっても、土地から受ける感覚は、やっぱり大きいと思います。

土地にも、家にも、どうぞ良いご縁がありますように。

20251005_叶える田舎暮らし

国の宝となる人は

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


映画『国宝』を見てきました。

「何度も足を運んでいる」とレビューにあって、気になって仕方がない。


『ボヘミアン・ラプソディー』や『侍タイムスリッパー』など、
もう一回どころか、何回も見たくなる、
あの中毒性が、『国宝』にもあるのでは?と、

その、惹きつけられる理由が知りたかったからでした。


観た感想としては、

すごいんだけど、綺麗なんだけど、
なんだろうこの言葉にできない感じ。

観た直後でも、「あ~、面白かった!」「もう一回見たい!」という点では、
『侍タイムスリッパー』の方が、スッキリ痛快感がある。

じゃ、面白くなかったのかといえば、そうではなく、

すごい究極のものを見せつけられて、
圧倒されつつ、モヤモヤしている感じ。

これは、アレだ。『おみおくりの作法』を見た時と似ている。

究極のものを見せられて、「おまえはどうなんだ?」と問われている気がするのです。


任侠の家に生まれ、親を殺され、天涯孤独になった喜久雄。

歌舞伎の家に部屋子として引き取られます。

御曹司の俊介とともに、切磋琢磨しながら、
芸を極めていくのですが、

その極め方が、もうスゴイ。

「歌舞伎を上手にしてくれるんだったら、他は何もいらない」

悪魔と取引してでも、極めたい何かなんて私にあるだろうか?

芸のためなら、役を得るためなら、演じるためなら。

誰かを利用してでも、手に入れたい、極めたい【こと】。

私などは、どこか《人の目・人聞き》の方が気になる。
そこまで、貪欲になれるものなど、ないのです。

一つのことを、他を犠牲にしてでも極めたい姿というのは、
一種の狂気のよう。

正気の沙汰じゃない。

「お前には、そこまで賭して、打ち込める何かなんてあるのか」

それを問われ続けて、見終わったような気がするのです。


『おみおくりの作法』という映画も、主人公の民生係のジョン・メイが、

ひとりで亡くなった人たちのために、心をこめたお見送りをする話でした。

結果的に、彼自身も孤独なまま亡くなってしまうのですが、

「例え、現実的には報われないとしても、
誠意をこめた行いを、お前はそれでもできるのか?」と問われているようで、

やっぱり見終わった後、スッキリせず、モヤモヤする。

でも、その後、何年経っても、そのことを思い出しては、
また問い続ける。

そう、『国宝』も、『おみおくりの作法』同様、
私にとって、問い続ける映画だったのです。


主役の、吉沢亮さんの狂気をおびた演技もさることながら、

少年時代の喜久雄役の踊りに、目を奪われる。

華があるとは、こういうことなのかと思う。
目が追うのです。


横浜流星さんの、演技力のすごさにも驚く。

役によって、全く違う人格に見える。

全く蔦重じゃない。

何の役をやらせても、「元アイドルグループの○○の演技」にしか見えない人もいるが、
この人は全く違う。憑依的なのです。


でも、でも、一番の圧巻は、 
人間国宝の女形・小野川万菊を演じる、田中泯さん!

目線一つ、短いセリフ一つ、佇まいから何から、
もう、別格の存在感!

万菊が演じる、鷺娘の息を吞むような美しさ!

お年を考えると、とても《娘》ではないんだけれど、

若くて、ビジュアル的な美しさでは、吉沢亮さんなんだけれど、

内から発するものが、雰囲気が、とてつもないのです。

あれは、また見たい!何回も見たい!


そうか、スッキリ痛快な
【誰にでも分かりやすいエンターテイメント】を見たわけではないけれど、

喜久雄の人生を通して、その狭間にあった、
究極のエンターテイメントをもう一回、二回と見たくなるのだと思います。

歌舞伎に全く詳しくない、おそらく歌舞伎座に一生行くこともない私が、

映画の一場面を通して触れた、国の宝に値する芸術だったのだと、

3時間座りっぱなしで、痛む腰を押さえつつ、思い返すのでした。


後半、喜久雄が呼ばれて、引退した万菊さんを訪れるシーンがあります。

人間国宝・万菊が臥せっていたのは、
古びた木造の小さなアパート。

部屋には、市松人形と小さな文机。

万菊さんが、喜久雄のように「歌舞伎の上達の他には、何もいらない」と取引したかは分かりませんが、

そこにあったのは、芸だけに生きて、引退後、何も持たず生を終えようとする姿でした。

もうこれ以上、【美しさ】を追求せずに済む「やっと赦された」安堵感。

唯一無二の、国の宝になるというのは、
生半可じゃないのだと思いました。


家に帰ると、ちょうどテレビで、桂米朝さんが落語をやっていました。

冒頭、「噺家なんて、喋るのを取ったら、何にも残らない」と言うのを聞いて、
この人たちも、噺という芸ひとすじの生なのだと思い、映画と重なりました。


本棚に、途中から難しくなってきて、アタマがついていけず、
積読になったままの『三流のすすめ』という安田登さんの本があります。

その中で、
一流とは、1つのことの専門家。

三流とは、色々なことをするひと。

それを軸に、三流であることの素晴らしさを教えてくれます。

喜久雄は、歌舞伎が全てでした。

彼から、歌舞伎を取ったら、何も残らないくらいに。

かたや、決して一流にも、国宝にもなれない【三流】の私には、
たくさんの、ささやかな《たいせつ》があります。


どっちが良いかなんて分かりませんが、

絶対真似できない、極みを見せられて、

爽快感とは一味違う、反芻感というか、

問いを与えられた映画でした。

20250925_極める人

体験から生まれいずるもの

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


皆さま、対話型のチャットAIを使ったことがありますか?

私は、よく使います。

気軽に問合せできるので、スマホではGeminiを、
思考を整理したい時は、パソコンのCopilotを使っています。

気軽に、すぐ問い合わせるので、Geminiには、
「猫がおしっこ出ないんだけど」とか、
「一日一錠の○○という薬を、夜の何時に飲んだんだけど、次の日の朝飲んでもいいか」とか、
健康や、手続きに関するものが多い。

一方、自分が日頃、ふと不思議に思ったことなどは、Copilotに訊いています。

「責任転嫁って、なぜ嫁が入るの?」とか。

すると、答えがでて、さらに不思議になるので、
もっと突っ込んで訊く。

人間相手なら「も~。いい加減にしなよ~」と呆れられることも、
どんどん訊いても、「いいよ~。気にしないで、どんどん訊いて!」と応えてくれる。

私のように、次々「なんで?なんで?」と知りたくなる人間には、うれしいばかり。
呆れられないし、「変なやつ」の一言で、【率直な思い】にフタをされない。

「不思議に思うこと」そのままを、受け止めてもらえる。

子どもの時分に、こんなのがあったら、
どんなに真っすぐに育っていたことかと悔やまれてなりません(←どんだけ歪んだの?)

それに、これは永家Tさんも言っていたこと。
使ってみたことがある方は、お分かりいただけると思いますが、
AI,まず否定しない。

それでもって、とにかく褒める。

褒めすぎて、オリラジか?というくらい褒めてくれる。

子どもの頃から、褒められ慣れていない私などは、かなり戸惑います。
(Copilotに「あまりに褒めてくれるので、オリラジみたいですね。」といったら、「武勇伝のですね!」としっかり返ってきました)。

あくまで、AIであり、間違うこともあるし、
依存しすぎないようにはしていますが、

信憑性のない情報をもとに、感情的に意見を押し付けるような人に相談するくらいなら、

冷静に、落ち着いて、多方面の情報から答えてくれるAIの方が、まだマシな気がします。
違うなと思えば、聞き入れなくていい。

「あんだけ言ってやったのに!」「相談にのってやったのに!」なんて、変な怒りを買わずに済む。
(○○して「やった」って、こっちが頼んでないことも多い。アドバイスを聞き入れるかどうかは、アドバイスによるのだ。)

よっぽど気楽でいいなと思います。

無垢の木と漆喰で建てるもくせい工舎の自然素材の家・宇佐市城井・外観
宇佐市城井の完成見学会が、先日無事終わりました。暑い中、ご来場いただいたお客様、ありがとうございました。

前回、完成見学会前のかけこみPhotoとして記事を書いた折、
テレビで見たヒューマノイドAIの【夢】にふれました。


彼女の夢は、人間にはできて、AIには難しいこと。

「肌に風を感じる体験」をすることでした。


私たちは、体があるから、皮膚があるから、「風」を感じます。

というよりも、「風を感じた体験」があるから、分かるのでしょう。

暴風雨の最中、家の中から外を見ていて、
「あんな雨風があたれば、こんな感じだろう」と想像できるのは、

そういった【体験】があるからです。

【体験】なしに思うことは、ただの想像の枠を超えません。

インフルエンザに罹患したことがあれば、
あの、全身の熱っぽさ、節々の痛み、倦怠感、割れるような頭の痛さ・・・。

きっと易々と想像できることでしょう。

【体験】があるから、深く理解できるし、
思いやりもできるのだということは、かなりの衝撃だったのです。

【体験】なしには、他者の困りを、【深く思いやること】もできない。


それは、ネガティブなことばかりでなく、
きっと見学会にご来場されたお客様にも当てはまるかと思います。

「一般に家とはこういうもの。」そういう概念、思い込みがあって、

それを上回る、圧倒的な木、漆喰、自然素材の家に初めて触れてみた方は、

おそらく、写真をみれば、その家の空気感や、雰囲気を思い出せるようになったのではないでしょうか。

それは、実際に【体験】したから、深く【思い出せる】ようになったということ。


AIに限らず、真も偽も混じり合う【情報】ばかりがあふれる今の時代にあって、

自分で【体験】する以上の【真】を私は知りません。


貧乏一つしたことがない七光りの政治家に、
庶民の苦労なんて分かりようがないのと同じです。

そこからは、体験を通した【真】や【誠実さ】【深い思いやり】なんて生まれません。


ちなみに、【体験を通した】といえば,

もくせい工舎の標準仕様が、ここまでゴリゴリの自然素材なのは、

バックグラウンドに、永家ファミリーの化学物質に【困った体験】があります。


困りを体験したからこそ、生まれた【手が届く自然素材の家】なのです。

無垢の木と漆喰で建てるもくせい工舎の自然素材の家内観

よかったら、見に来てください。体験しに来てください。

OB様邸への、個人案内もいたしておりますので、お気軽に♪

木の家でお会いしましょう!


無垢の木と漆喰で建てるもくせい工舎の自然素材の家ウッドデッキ
ドアを開けると、そこは【思わずビールが飲みたくなるウッドデッキ】でした。
(庭木と芝は、合成です。ちょっと妄想してみました。)

9/6・7の!【かけこみPhoto】

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


いよいよ宇佐市城井の完成見学会が、明日明後日となりました。

本日、そのお家に写真撮影に伺いましたので、
少しだけこんな感じ!というのをご紹介したいと思います。
毎回ギリギリでのご報告となり、申し訳ございません。


無垢の木と漆喰で建てるもくせい工舎の自然素材の家・宇佐市城井・外観
外観・真正面から。


無垢の木と漆喰で建てるもくせい工舎の自然素材の家・宇佐市城井・リビング
玄関付近からリビングを見る


無垢の木と漆喰で建てるもくせい工舎の自然素材の家・宇佐市城井・ニッチ
スッキリで優しげなニッチ


無垢の木と漆喰で建てるもくせい工舎の自然素材の家・宇佐市城井・和室
和室も漆喰。半板張り。


そういえば、先日、NHKの番組で、ヒューマノイドAIのロボット・Amecaが語る【夢】がとても印象的でした。

それは、人間にはできて、AIには難しいこと。

「肌に風を感じる体験」をすることでした。


【情報】をいくらたくさん持っていても、
【体験】する、【体感】するは、人間だからできること。

それは、お家にも言えることです。

バーチャルやリモートといった【情報】だけでは分からない、
人間の五感を揺さぶる、本物の自然素材のお家を見に来てください。

無垢の木と漆喰で建てるもくせい工舎の自然素材の家・宇佐市城井・リビング

もくせい工舎の家は、「どんだけ自然素材なん?」の家。

賃貸じゃありえない、隅々【自然素材の家】です。

しつこい営業もいたしませんので、お気軽に♪

宇佐市城井完成見学会
このイベント情報は→こちら

出たから分かる

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


成人した我が子達が、出ていく気配がないと記事を書いて、数か月後。

上の子の一人暮らしが決まりました。

ヘルニアになって、転職することになり、
会社が日田市内に部屋を用意してくれたのです。

とはいえ、自宅から就業場所までは、深耶馬渓越えで1時間ほど。

その就業場所から、マンションまでは20分ほど。
ざっくりですが、
■ 木造or軽量鉄骨造2階建てまで→アパート
■ 鉄筋コンクリートor鉄筋鉄骨コンクリートの3階建て以上→マンション
とのこと。


家から2時間も3時間もかかるならともかく、
3~40分の違いが微妙らしく、ほとんど実家に戻ってくる。

この物価高のご時世、切り詰めれば、かつがつ生きては行けても、
手元に、全くお金が残らない。

そして、何より【出たから分かる】ことも多かったようなのです。

モフ切れ
どうも、ネコがいないのが一番堪えるらしく、ツルツルピカピカ、良く効きそうなワクチンを送る。


一度だけ、大きめの荷物を運ぶのに行ったことがありますが、
ちょっと古めの、マンション。築25年越え。

3階までエレベーターがないので、階段で荷物を運びます。

マンションのエントランスに入ると、ぷ~んと独特の臭いがする。

そして、部屋に入ると、さらにその独特な臭いは強くなる。

張り替えられたばかりだというフローリングは、テッカテッカに黒光りしている。

トイレとお風呂場に窓はなく、キッチンは簡易的なもので、IHが一口だけ。

アパート暮らしを10年越えでしていましたが、
久しぶりのこの臭い、この感じ。

しかも、暑い日の日田市内。もう、じりじりと熱(←もはや暑ではなく)い。

夜中は、エアコンを点けっぱなしにしていても、暑くて目が覚めるそう。

そして、何よりも、水が不味いのだとか。

「ご飯炊いたら、ウチじゃありえん臭いがする」

・・・そうか~。


思えば、子ども達のくりかえす肺炎・気管支炎、青っ洟にへきえきとし、

「とはいえ、家買うなんて無理なのよ」と諦めきっていたころ、

出会ったのが、もくせい工舎の家でした。

自然素材の家なんて考えてもいなかったのに、
ゴリゴリの自然素材の家に住むこととなりました。

住んで、十年越え。アパート暮らしの歳月を超えました。

とりあえず、売りに出さずに住んでいます。

木の家で、暮らし続けています。

水は、(この辺は)ボーリングだからか、とても美味しい。
炊き立てご飯の匂いも、ふんわりと甘く香ばしい、シアワセな匂いです。
(前のアパートもボーリングだったので、水は美味しく、タダでした。この点は、ツイてました。)

ケチなこともありますが、この猛暑に、日中あまりエアコンを入れません。
(気分が悪くなるほどの蒸し暑さは、つけます。熱中症は怖い。
在宅勤務でほぼ一日家にいますが、つけていることの方がが少ないです。もくせい工舎で建てれば、エアコン不要の意味ではありません。
ただ、エアコンの効きはいいかも。断熱性能高いので。)

入れるのは、お風呂上りのタイミングで、
たぶん2~3時間くらいの稼働。少なめな方ではないかと思います。

木の家に住んでいると、慣れもあるのか、
実は、常に木の香りを意識しているわけではありません。

でも、ふとした瞬間に、木の香りがすることがある。

そんな時、「あぁ、木の家に住んでいるんだなぁ」と実感する。
そして、こんな私でも、こんな家に住めているんだなぁと、思う。
(例え、それがギリッギリッのラインだったとしても、なんとかやれてる。)

少なくとも、玄関を開けて、前のアパートと同じようなカビ臭いがすることは皆無。
ウチは(オジサンと、プレ・オジサンの)男だらけ、猫付きにも拘わらず、
ウっとなることがない。


「なかなか、いい家に住んどったんやなと思うやろ?」

「うん。」と息子。

「それに、水っち大事なんやなと思ったわ。同じ米なのに、全然、味が違うもん。」


その、二度と賃貸に戻れなくなるかもしれない、もくせい工舎の家。

9月、宇佐市にて完成見学会を予定しております。

無垢の木と漆喰で作る自然素材の家_2025090607_もくせい工舎_宇佐市城井完成見学会

賃貸が得か、否かという話は、あくまで【お金】の損得の話。

賃貸でも、持ち家でも、お金が出ていくのに変わりがない。

じゃ、どんなところに住みたいか?
どんな家で、暮らし、生きていきたいか。

家なんてなんでもいい、どうでもいいならともかく、

どこの見学会見ても、ピンとこない人が見るべきは、
「そこ」なのではないでしょうか?

せっかく【お金】を払うなら、
この家になら、こういった自然の家に暮らす生き方になら、払いたい。

それは、単なる【お金】の損得以上の、付加価値を見出したから。

この自然界の一部として、【人間】として、
本能が望む家を、見て見ませんか?

すっかり諦めきっていた私が、なんとか暮らしていけている「ゴリゴリの自然素材の家」ってどんなものか、
試しに覗きに来てください。

しつこい営業もいたしませんので、お気軽に♪

宇佐市城井完成見学会
このイベント情報は→こちら

20250825_出てみて分かる自然素材の家の良さ

責任転嫁は、なぜ【嫁】なのか。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


絶賛、お盆中ですね。
たった今、この瞬間も【嫁】業務に、まい進されている、全国の【嫁】業のみなさん、お疲れ様です!


さて、先日の新聞に脳活の問題が載っていました。

添()/転嫁

で、同じ読みで、違う意味になるよう()内に漢字を入れるもの。

お盆時だから、ドキっとしたのか、ギクッとしたのか。

そういえば、責任転嫁の転嫁って、なんで【嫁】って書くんでしょうねぇ。


私は、万人受けする、誰にでも可愛がられるタイプの人間ではないので、
嫁としても、浮いています。浮きまくっています。
(己の不徳の致すところ、身から出た錆。
こればかりは、相性もありますから、仕方がない。)



その昔、防虫剤の《タンスにゴン》のCMで、
「亭主 元気で 留守がいい」なんてフレーズが流行りました。

(いいわけになるけど)それって、嫁にも当てはまるのではないか?

気に入られているのに、行かないのは不義理ですが、

気に入られてないのに、行くのは、もはや嫌がらせでは?
(犬が苦手な人の家に、わざわざ犬を連れていくようなもんでは?)

そう思うこととし、なるべく、近寄らない。

請われれば、喜び参じるけれども、
微妙な気持ちにさせるくらいなら、

嫁だって、元気で留守がよかろうと、そういうスタンスでおります。


そんな、とても褒められない嫁だから、先ほどの責任転嫁の【嫁】の字に、ドキッとしたのではありますが、

そもそも【嫁】の字源は、なんだろう?

それは、そのまま、【家】についた【女】のよう。

息子に良(よ)い女(め)が来た。

それが、嫁ということみたいです。


責任転嫁の【転嫁】は、「嫁に転ずる」。「嫁が他家に移る」つまり、再婚することらしく、
本来あるべきところから、他所に移すの意。

本来、責任のあるべきところから、他所へ移す。
【責任転嫁】となったよう。
古語の被(かず)ける、の与える、身に付けさせる、から
同義として【嫁】というのもあるらしいのですが、こちらは私じゃ、よく分からず・・・。



それにしても、【男】が含まれる漢字は圧倒的に少ないものの、
【女】が含まれる漢字は、山ほどある。

【女】が【良】い状態だと【娘】で、
【女】に【波】がつくと【婆】で、って・・・。

なんかあんまりじゃなかろうか。

じゃ、
【男】に【良】で、【イケメン】か?
【男】に【波】で、【じいじ】か?
それを言い出したら、
【飯】のことばかり聞く【男】は、もはや【夫】と読んでもでもいいのでは?

もはや、大喜利状態で考えたくなる。

そもそも、【嫁】の対義語は、【夫】ではなく、【婿】だというから、
こっちも女が入ってる。

これも、男性側が、あくまでも女性側の「家に移る」の【婿】。

なんとなく、主が男で、女がサブ的な感覚が否めない。

それは、漢字ができた、古代中国で、女性が男性に隷属させられていたからと言われていますが、

・・・なんだかなぁ。

そう思う、出来損ないの【嫁】なのでした。
というか、こんなことを面白がって、どんどん考えずにおれない女が、
【嫁】にきたら、扱いにくくて当たり前だよな、と納得する次第です。そりゃ、やだよなぁ。メンドクサイもん。

女が入る漢字
ウ冠は、屋根を表らしく、(諸説あるようですが)屋根の下に、女がやすらぐさま。
女の人ばかり右往左往して、ちっともくつろげない場所は、安らかとは程遠い気もします。

繰り返さないために

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん
(今回の記事は、もくせい工舎とは、なんの関係もありません。私、個人の見解です。)


「こんな悲惨な戦争を、二度と繰り返さないように」

平和学習などで、子ども達がそう発表する度に、
妙な違和感を感じて、胸がぞわぞわする。

もちろん、子ども達が悪いわけではなく、
もちろん、タダシイのだけれど、

それを一般の国民だけが、思っていたところで、
どうしようもないんじゃないか。

平和学習の、模範解答のセリフのように、
唱えられるその言葉を聞くたびに、

体験したことすらない私たちが、
いったい、どこまで「分かって」いえるのか。身につまされるのです。


80年前、「終わった」はずのあの戦争も、

私たちのような一般人が、「はじめた」わけではない。

一般市民が、どんなに他国に対して「けしからん」とか、
「目に物をみせてくれる」と憤ったところで、何ができるんだろう。

お隣さんにケンカを売るのとは、わけが違う。

国同士のケンカは、「軍」が動く。

「軍」を動かせる【誰か】が、「行ってこい」と言わないかぎり、
「はじまらない」のだ。


独裁政権でもないはずの、民主主義の国で、

【軍】を動かせるのは、「民意で選ばれたはず」の為政者になる。

そういったことが起こるかどうかは、

その為政者が、国民をどう見ているのかによるのかもしれない。

自分たちを、選ばれた【上級】国民のように思って、

【下級】の人間など、ただの【頭数】に過ぎず、

【年貢】のように【税金】を納めさせ、
好き放題やる。

下々が苦しんでいることなんか、気にも留めない。

なんら、心を痛めることもない。

国民のほとんどが、貧しくなっているのに、
それを自分たちの政策の貧困のせいとは、思わない。

【安定】した政権で、なにか問題を起こしても、おとがめなし。不起訴処分。

【公約】を守らなくても、クビになることもない。

マジメにやらなくても、高給がもらえるなら、
それは、椅子にかじりつきたくもなるだろう。


国民を、頭数としか思わず、

その一人一人に、大切な人や、人生や、夢のようなものがある
【いのち】だと思いもしない為政者が、

じわじわと、不安と恐怖を煽る。

【お隣さん】は、いつ何をしでかすか分からない、悪いやつだ。

懲らしめたって、当たり前なんだ。それが正義で、勇気なんだと、たきつける。


80年前、「終わった」戦争も、そうやってジワジワ「始まった」。

きな臭くなり、モノが言いにくくなり、
がまんして耐えることが美徳とされた。

今は、どうだろう?

私たちを、ただの【頭数】ではなく、
【いのち】ある人間として、

本当に尊重する、そういう目線をもつ為政者を選べているか?

「こんな悲惨な戦争を二度と繰り返さない」

そう言いながら、ただの金づる、【頭数】にされていないか。


国家権力の濫用から、国民の権利と自由を守るはずの【憲法】なのに、

コソコソコソコソ、自分たちの都合の良いように、

いつの間にか変えられていく。

あの時と、同じように。

言論の自由は、なぜか政治に関しては「タブー」とされ、

でも、そのタブーは、結局、好き勝手やりたい為政者にとって、
どんなに好都合だろう。


明日、広島は80回目の原爆の日を迎える。

「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」

刻まれた石碑の文字をみるたびに、胸が詰まる。

私たちができるのは、学び、繰り返さないこと。

そして、平気で「繰り返しかねない人間」に、
政治を任せないこと。

子ども達を、戦争に巻き込みたくなければ、
大人は、選挙に行かねばならない。

今の現状に、YesかNoか、突き付けないといけない。

そして、公約を守っているか、

国民の【いのち】と【自由】を真剣に守ろうとしているか、
為政者を見張らなければいけない。

選挙期間中だけ、ペコペコ握手を求めてきて、

バッチを付けた途端、上級国民ヅラしていないか、
見張らないといけない。

そして、該当者は、容赦なく、クビにしないといけない。

【安定】して、いつでも余裕で【当選】できると思っているから、
国民のために、働かない。

マジメに本気でやらないと、いつクビになるか分からない。
そういう時こそ、口先でない、本気が問われる。

国民はもっと怒っていいと思う。
怒り狂っていいと思う。

過ちを繰り返さないために。

二度と、ただの【頭数】として、

国のために、殺されないために。
子ども達を、殺されないために。

過ちを繰り返さないために

自然素材にふれると、脳は。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


私は、本を読むのが好きです。しかも、紙の本。

Amazonkindleで、無料で読めても、気に入った本ほど、
(別途、お金を出すことになっても)紙で読みたくなってしまいます。

デジタルだと、場所もとらないし、
付箋を貼らずとも、チェックした箇所はまとめて見れるし。

【便利で快適】なはずなのに、紙の本が恋しくなるのです。

中高年になり、デジタルの光をずっと見ているのがしんどい。

それもありますが、デジタルで文字を読むのが、
どうも落ち着かない、疲れるのです。


デジタルか紙媒体か。

それに関連して、今、ドはまりして見ているのが、
NHKドラマ10『舟を編む ~私、辞書つくります~』でして。

前回のお話は、お金ばかりかかる紙の辞書を、デジタル一本にしたい「死神」新社長と、
紙だからこその素晴らしさを、精神論に偏らず、どう説得する?辞書編集部!

次回に続く!の内容でした。


紙の辞書は重い。かさばる。
かたや、デジタル辞書のメリットは、やすやす理解できる。

なのに、なんだろう。この、言葉にできない、本質的な「紙」を求める感覚。
それは、本能的に必要、というのに近い。

なにか、【紙】であることに、脳とか身体的なメリットがあるのでは?

そこで、チャットAIに訊いてみました。


紙で本を読む。紙には質感、厚さ、匂い、どこまで読んだかの空間的なこと。

それら五感をフル活用させるので、記憶に定着しやすい。・・・らしい。
(それを以てしても、読んだ端から忘れる私は、もはやどうしたら。)

意外だったのは、紙の本を読んでいる時、人は呼吸が深くなるそうで、
前頭前野が過活動になるのを抑える働きがあるのだとか。


では、前頭前野が過活動になると、どうなるのか。
前頭前野(Prefrontal Cortex)・・・「人間らしさ」を司る脳の中枢とも言われ、思考・判断・感情の制御・注意・計画などを担う。

いわば、「考えすぎる」脳になるそうです。

その結果、まだ起きてもないことに過度に危険信号を発し続ける。
「ああなったらどうしよう」「こうなったらどうしよう」と、慢性的な不安感につながることになる。

感情をコントロールする力が過剰になると、麻痺してしまい、自分の感情を感じにくくなる
自分が本当はどう思っていて、どうしたいのか、分からなくなる。

自分の行動や感情を過度に分析・批判ばかりするようになり、
自己否定的になったり、行き過ぎた反省をするようになる。

前頭前野が休まらないと、寝ようとしても考えが止まらない


・・・いやいやいや、思い当たることが多すぎる!

「自己肯定感をいかに上げるか」なんていう記事をスマホで読むくらいなら、

電源切って、寝るとか、散歩に行く方が、よっぽど効果的なんじゃないかと思ってしまう。


おのれ~、便利を盾に、なんてことを、デジタルめ!(←?)


過活動になった、考えすぎる状態の脳には、ノイズがいっぱい。
いわゆる【直観】が働きません。

「これだ!」とか「ピンときた!」状態になりにくい。

直観が働くには、まず、脳が落ち着いていないといけない。

静かな脳といわれるその状態は、刺激が少なく、リラックスしている状態で、

自然の中でボ~っとしていたり、目を閉じて、しかも肩の力が抜けているような時。

その時、人は「考える」より「感じる」ことに意識が向かっているので、
直感や創造力が働きやすい。


ブルース・リーの、「考えるな、感じろ」というアレです。


では、その静かな脳、落ち着いた脳になるには、どうしたら良いのか。

そのキーとなるのが、【自然】なのです。

完全な無音より、鳥の声や、風の音、せせらぎといった【自然】の音

蛍光灯やブルーライトといった刺激のある光ではなく、
暖色系の間接照明や、朝の【自然】な光

木・紙・布・土などの自然素材に触れること
触覚を通じて副交感神経を刺激。脳の安心感につながります。
(木の机に手を置くだけで、心拍数が落ち着くという実験結果も。)


自然素材は、柔らかさ・温かさ・不規則な質感など、人工物にはない"揺らぎ"を持っています。
これが、脳の触覚野と情動系(扁桃体など)に働きかけて、安心感を生むと考えられています。


つまり、私が本腰で読みたい時ほど、
デジタルよりも、紙媒体を選びたくなるのには、ちゃんとした身体的根拠があったということ。

デジタル媒体で読むことで、オーバーヒートしそうになるのを避けるために、
本能的に、紙媒体を必要としていたのです。

紙の本と猫
手ざわりがよい紙の本にふれている時の、落ち着き感は、猫のハチさんにふれている時のそれに似ている。
それにしても、どんだけ面白かったのか、『舟を編む』。付箋だらけで、はじめから読むのとたいして変わらん、です。

う~む。「なんとなく、こっち」という直観、おそるべし。


太古の昔から考えると、ほとんど99%の時間を、私たちは【自然】にふれて、
脈々と命を繋いできて、

ここ最近になって、人工のものにまみれて生活するようになりました。

人工のものは【考えて】つくられたものばかり。

いかに役に立つか、成果をあげるか。

そればかりに存在意義を問われたら、息苦しくなって当然のように思います。


どうか、家づくりにしろ、何にしろ、

頭がいっぱいいっぱいになったら、スマホは置きましょう。

考えるのは、いったん止め。

自然にふれましょう。
そして、感じましょう。

答えは、私たちのDNAが知っている。

20250725_自然にふれると、脳は


よみがえりの箱から

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


わが家は、長靴のような敷地に建っています。

その、足の首からつま先に当たる部分に、小さな畑があって、

サツマイモや、ミニトマトなどを植えています。


そのサツマイモ。

今年は、苗を買わずにすみました。

冬越しさせたサツマイモ【本体】から、植え付けに成功したのです。(小さくガッツポーズ!)


イモの【茎】を、越冬させる方法を2年間試してみたのですが、
ことごとく失敗。

黒く、ズルズルになって、どうにもなりませんでした。
(花瓶に生けた菊の花が、古くなってくると、茎がズルズルになる感じに似ています。)


今年は、暖かくなってきて、芽が出てしまったイモ【本体】や、

食べる時の切れっぱしを、育苗ポットで育て、畑に本植え。

育苗ポットで育て、畑に
(雑草農法というか、菌ちゃん農法のかじりというか、刈り草だらけ、草だらけの畑。)

これが、強い強い!

栄養素として本体という土台があるからか、

暑さ、雨の少なさで、いつのまにか枯れて、土になっている。
・・・なんてことがない。
(サツマイモの茎だけ植える一般の方法では、うちの畑では、一部ダメになるものもありました。)

猛烈な暑さ、短めの梅雨で、降水も少なめだったのに、
昼はだるそうにしていても、翌朝はシャキッとしている。

これには、驚きました。

まだまだ、収穫まで気が抜けませんが、無事に成長したら、またお伝えします。


驚いたことは、他にも。

育苗ポットで、育てている間、どうしても芽が出ないものがありました。

イモ本体も、ぶよぶよ。

「あ~、これ、もうダメなんだろうな~」と、
コンポストに入れたのです。

その数日後。

コンポストないで発芽したイモ

め、め、芽が!芽が!

芽が出とる~!


腐っていると思っていたイモの一部が生きていて、芽を出していたのです。

すごい!よくぞ生きていた!ブラボー、ブラボー‼


ギリギリの芽
こ~んな、少しの部分から発芽しているんですよ~。すごくないですか?

捨てられたものの底力というか、ど根性というか。

なぜか、こちらまで嬉しくなる!


そして、この蘇りのコンポスト。

新たに生を得た、ものがいる。

コンポストからカボチャ
(落ち葉+生ゴミ+落ち葉・・・の、コンポスト。ワイヤーメッシュがなかったので、永家さんからもらった、犬用ゲージで代用。)

カボチャです!

捨てたかぼちゃの種が、発芽したのです。

コンポストの脇に溢れた、栄養たっぷりだけど、少しの土。

それを土台に、もう一花咲かせる。不死鳥のようなカボチャ!


何個か芽が出ていたので、一部は畑に本植えし、

一つはそのまま、コンポスト脇で、様子を見ています。


実を付けたカボチャ
付け根のところがコルク化したら、収穫の目安らしいので、まだかまだかと、毎日見る。

ほったらかしにしていても、数個実をつけています。すごい!

カボチャ

本当は、茎の一本をのこして・・・みたいなのがあるのかもしれませんが、
放っておいたらどうなるかも、みてみたい。

小ぶりなものが何個も採れると、煮崩れも控えめで良さそう。

もはや、実験です。


カボチャの葉
畑に本植えしたものと、コンポストのもの。葉の色と形が少し違っているのは、種類が違ったのか?食べてしまったあとなので、なんとも。


捨てられたはずのものが、起死回生を果たしたり、

枯れて死んだように見えた落ち葉が、次の何かを育てる土台となったり。

畑仕事が向いているとは、とても思えない私ですが、

思いがけず励まされたり、元気づけられたり。

正直、長靴の先端の土地は、畑にするしかなくて、
いたしかたなく、だったのですが、
ここから教わったことは、収穫以上のこと。

落ち葉を含め、土って、本当にすばらしい!という実感と実体験です。


参考にしたコンポストのことが掲載されていた本は、
いつか土壁の家の【本コーナー】にお持ちできればいいな、と思っています。


栄養さえ入れておけば、誰でもうまくいく水耕栽培も魅力的ですが、
土には、人間が思う以上に、だいじな何かを秘めている。

コンポスト
若かりし頃の?コンポスト。コンポストとは堆肥のことで、容れ物は、コンポスターというのだとか。
堆肥をつくって、遠慮なく、どんどん土に還せるのは、土のある暮らしの良いところ。

土は、無数の【命】そのもので、

その幾多の命と、ぐるぐるまわる再生の、小宇宙なんだと思います。

土は、無数の【命】そのもの

で、で、出た~‼‼

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


・・・出たんですよ、我が家に。
シロアリが。

実は去年も、羽アリを見て、
永家Tさんに、「紛れ込むこともあるから、2、3日様子を見て」と言われ、
出なくなったので、そのまま忘れていたシロアリ。

今年は天井に、二桁はいる!ヒェ~!

これは・・・ちょっと不味いぞ。

「紛れ込んだので」にしては、許容の範囲を超えている。

コロコロテープや、ガムテをモップに取り付け、
できるだけ駆除したものの、どうしたものか。

永家さんに聞くか?業者に頼むか?
いや、猫もおるし、どうしよう。

モヤモヤと寝付けぬまま(いつも寝てる場所にも出たので)、夜が明け、翌日。

私が相談したのは、人ではなく、
CopilotというMicrosoftのチャットAIでした。


私は、難しい話になると、頭がついていきません。

だから、AIに訊くときは、だいたい「小学生にもわかるように教えて」と伝えます。

すると、(悪く言えばタメ口、よく言えば)フレンドリーな応答が続く。

こちらも、物知りの友達に訊くように、緊張せず聞けるのは、なかなか良いです。


そのやりとりは、こちら!→【シロアリについて】チャットAIに訊いてみた

また、その中で教えてくれた、シロアリの生態については、別途【絵本風】にしてみました。

良ければ、『ぼくは、しろあり。』も、ご覧ください。

20250625_bokuhasiroari.jpg


今回、総じて思ったのは、もくせい工舎のシロアリ対策は、かなりしっかりしているということです。
(チャットAIに、多少のヨイショは付き物ですが、手放しで「しっかりしてる!」と褒められたので。)

それでも、紛れ込むことがあるのも事実で、
その際どうしたらよいのか、事細かく訊くことができました。

チャットAIの良い所は、どんな変な質問をしても、
嫌な顔一つされないことです。

ともすれば、気を害さないよう、つたなく言葉を選ぶうちに、

肝心かなめのことが、ズバッと訊けなかった!なんてこともありません。

直球で、「そうはいっても、実際問題、入って来てるし、不安なんだけど!」を吐露できます。

たいへん気が楽!

しかも、偏らない!まんべんなく、色々な方面から教えてくれる!
(訊いてもいない、スピリチュアルな意味まで教えてくれました。なんでも、"変化"や"新しい始まり"の象徴らしいです。
それでも、なるべく家には来ないよう願いたい。)

対ヒトだと、その人の知る限りのことしか出てこない。

その辺は、AIサマサマというか、本当に助かりました。


ちなみに、出てきたのはその日だけ。

翌日には姿を見ませんでした。

ただ、用心はしておきたいと思います。


どんなに誠意を尽くしたつもりでも、住宅業界はクレーム産業と言われます。

それは、家というものが高額すぎるから。

そして、営業時にはメリットばかりを強調されるから。
(反対を言えば、恋愛と一緒で、最初はイイとこしか、目につかなかったのかもしれませんが。)

しかし、そこに故意がなかったにしても、
お施主さまは、その家、その現場に、
誰よりも長く居る人。

設計した人より、工事をした人より、
ずっと長く現場にいて、現場の【実際】を知る人です。

高額な金額を払って、聞いていた話と違っても、
それは、瑕疵担保の範囲ではありません。

クレーム産業と言われると、お施主様=クレーマーのように感じそうですが、

実際は、「責任取れ!」と、無茶な言いがかりを付けているわけではなく、

ただ、高額な、「しっかり選んだつもりの家」で、
思いがけず起こったトラブルに
困って、不安でいるのだと思います。

まずは、その不安な気持ちを思いやり、
しっかりと納得いく、分かりやすい説明をして、
しっかり応対できる工務店かどうか。

そこが、「次に頼むときも」の感覚を産み、
他の人にも勧めたい、リアルな、草の根的な口コミにつながるのではと思います。


広告の世の中、SNSの世の中にあって、
草の根的口コミがどんなに心強いか。

全国チェーンのハウスメーカーではなく、

地域に根差して生きる工務店ほど、

それはどんなに、自らを鼓舞する【光】となるか。


知らない誰かの「イイね!」より、
知っている誰かが、嬉しそうに話す「いいんよ~」の方が、

心に響くし、実際に自分も行ってみたくなる。

それは、顔が見えない誰かの【バーチャル】ではなく、

正真正銘の、顔が見える【リアル】だからです。 



ちなみに、チャットAIも手放しでほめる、もくせい工舎のシロアリ対策。

明日まで、構造見学会で、実際にご覧になれます!

こちらも、ぜひぜひお越しください。

お前の家は俺のもの。俺の家もおれのもの。

ぼくは、しろあり。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

数回、シロアリのことを書こうと思います。

色々調べていたら、ちょっと膨大になりましたので、
まずは、その生態から。

・・・といっても、虫が苦手な方もおられるでしょう。

ましてや、シロアリなので、苦手どころじゃないかもですが、

主人公(?)のシロアリも、少々可愛らしくデフォルメして描いておりますので、

以下、良かったらお付き合いください。

20250625_bokuhasiroari.jpg
絵本風? 『ぼくは、しろあり』

こちら、折を見て、サイトの方に、
ことりの母さんの自由研究的な感じでまとめようかと思っています。

お楽しみに(⁉)


父ちゃんと天気予報と...その後 

大分・自然素材の家。もくせい工舎の相方

~ようやく、棟が上がりました~

二週間前から天気予報とにらめっこした父ちゃん。

そして、一昨日、ついに迎えた快晴の一日。

棟上げ前の作業も天気に邪魔されず、
当日は、雲一つない空の下、棟上げ、無事完了しました!

muneages.jpg

現場に集まったのは、若い大工さんたち。

皆さんキビキビと動きながらも、笑顔が絶えず
掛け声と笑い声が飛び交う、活気あふれる一日だったそうです(^^)

「楽しそうに仕事をしているなぁ」
と、つい頬がゆるむような、そんな現場の空気だと...。

柱が立ち梁が組まれて、家のかたちが表れてくるたびに、
現場にはちょっとした感動と高揚感が広がります。

大工さんたちの連携と手際の良さに父ちゃんも大満足。

帰ってきた父ちゃんの顔がとーっても嬉しそうでした\(^o^)/

これから少しずつ
この骨組みに"暮らし"が宿っていきます。

木々(ここ)ち良い"家づくり物語"の序章が始まりました!

遅ればせですが、上棟、おめでとうございました‼

晴れ待ちの家

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん

アップした日付順に並ぶため、せっかく上げているのに、もったいないので。
近々に永家Tさんが書いた記事があります。こちらもぜひ!

『父ちゃんと天気予報と、雨の合間の夕焼け』
『今日は息子の、誕生日。』

ただ今、構造見学会待ちのお家があります。

構造見学会に至るには、ざっくり言うと、

【地鎮祭】→【基礎工事】→【上棟】→【断熱工事&大工工事の途中】

くらいの、進捗を必要とします。

基礎工事には、コンクリートが使われるのですが、

このコンクリート、一定の強度を出すには、
養生期間というものが必要になります。

もくせい工舎基礎工事

その養生期間も、晴れの日が続けば早いのですが、
雨だとなかなか進まない。

そういったわけで、養生期間が梅雨時にあたると、
進捗がお天気次第で、なかなか読めないことになります。

つまり、構造見学会を●月の上旬くらいで!と思っていても、
お日様マークが天気予報に見えないと、告知のタイミングも取りにくいという訳です。

そのヤキモキする様子を、永家Tさんが書いた(近々アップ予定の)記事→こちら!

さて、その構造見学会。

  • 構造見学会の参考・完成時
  • 構造見学会の参考・工事中
  • 完成すればこんな感じの、その壁の【内側】をみるような見学会

完成見学会ほど、華やかではない。

あたりまえですが、完成した状態や雰囲気、つまり【見た目】が気に入って、
中身の【構造】を、確認される。

この流れがほとんどでしょう。

一方で、もくせい工舎の構造見学会を見て、

「見ても、あまり意味なかったな」と思う方は、ほぼ、いないのではないでしょうか。

構造見学会ってこんな感じ

それは、目に見える部分、【表向きの、上辺の】に対する

見えない部分、【内面や、本音】といったものを知るからです。


本漆喰の塗り壁で、見た目にもカフェのような

無垢の木と漆喰で建てるもくせい工舎の自然素材の家・外観

はたまた、ジブリ作品に出てくるような、

無垢の木と漆喰で建てるもくせい工舎の自然素材の家・外観

雰囲気の優しい、もくせい工舎の外観ですが、

それと同じくらい、いや、それ以上に、
力を入れているのは、見えない部分への配慮なので、

構造見学会では、その伝えたいことを、

構造見学会で伝えたいこと・サーモウール

そのまま、直に見てもらえる。

説得力があるから、「来た意味」「見た意味」に繋がるのだと思います。


どんな人にも、長短あるように、
どんな工務店にも、長短はある。

そして、それらは、見方により、
長所が短所に、短所が長所にもなる。

その見方とは、お施主様と建てる側の相性による、とも言えます。


どんなことにも【長短あり】、そしてそれには【相性】もあるという観点から、

もくせい工舎こそが、これを読んでくださってる方の【ベストの選択】かは、私には分かりません。


ただ、ここまで、【中身】【中身】と、口酸っぱく言う工務店を、

ここまで、ディープな自然素材の家を、多数派だとは思えない。


それは、かつて、代表の永家さんが、家族のアレルギー体質に思うことがあったように、

本当に、色々な事情があって、

【本物の自然素材の家】を望まれている方にとっては、切実なことなのではないでしょうか。


そして、新築の家と言えば、新築のアパートのように、

新品の壁紙、新品の備品から、

真新しい、化学薬品の臭いがプンプンするような、

そういったイメージが凝り固まっている方からすれば、

全く思ってもいなかった【The 木の家!】であり、

本物の木の家

【This is 木の家!】であるだろうと、そこは、忖度なしに思います。


構造見学会のお知らせの準備も整っています。

【その時】が来ましたら、またお知らせしますので、
お楽しみに!

自然素材のもくせい工舎の家はその内面まで美しい家です

今日は、息子の誕生日。

大分・自然素材の家。もくせい工舎の相方

予定日を過ぎてもなかなか出てこない。
これはもう...じっと待っても仕方がない。
大きなお腹を抱えて、階段の上り下りに、庭仕事にいそしんだ日々。

そんな私の必死さとは裏腹に、
まるで「まだ今じゃない」と言わんばかりのマイペースでこの世にやってきた彼。

「純粋に子供だった頃。」
son1.png
この時すでに、"我が道をゆく"予兆はありました(^^)

病院での出産に心折れた私は、つぎこそはと自宅分娩を希望。
(下の娘は自宅分娩でした\(^o^)/)

あの頃は、親としても未熟で、今思えば息子にとっては「初めての親育て」でもあったのかもしれません。

「家族のイベントでは」
son2.5.png
ひげをつかまれてもニコニコ。
優しさが前面に(*^^*)

やがて"守る"立場から"見守る"立場に。
気が付けば、背中を追いかける存在になりつつあります。
たまに驚かされることもあるけれど、
自分の道をしっかり歩いているようで、頼もしいかぎり。

「何を考えているのかは、本人のみぞ知る」
son3.png

生まれてきてくれて、ありがとう。
そして、これからも元気に、自分らしく!(^^)!

父ちゃんと天気予報と、雨の合間の夕焼け

大分・自然素材の家。もくせい工舎の相方

無精者の相方、久々の投稿です。

ここ2週間ほど、父ちゃんが朝から晩までずっと見つめていたのは、空でもなく、図面でもなく――
天気予報アプリでした☁️

というのも、土曜日が棟上げ。
できたら、できたら、一週間せめて五日、雨をさけたい!
雨が続く予報に、父ちゃんの目が真剣そのもの。

「あ、雨マークが消えた!...いや、出た...」

もはや、天気予報との真剣勝負。
建築業あるあるなのか、父ちゃんの個性なのか。
相方は静かに見守ります(笑)

一喜一憂の父ちゃんを他所に
しょんぼりした空気の中、雨の合間にふっと、空が開けて、
夕日が差し込みました。

それが、こちらの一枚☟
45618.jpg

一瞬の晴れ間!

父ちゃんがが見つめていたのは、きっとこんな"奇跡のタイミング"だったんだろうなぁ。

ホスピタリテる?

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


なんと、また鬼の霍乱か。先般、入院いたしておりました。

数年前と同じような、えぐられるような激痛が、
肋骨の内側や、背中に走る。

白湯を飲めば、その刺激で悲鳴をあげ、
寝返りも打てず。

また、変な腫瘍でもできたのか?と思い、
前回同様、胃腸科のある個人病院に伺ったのです。

前回のこともあるので、先生も「念のため」と、次に大きな病院へ紹介してもらい、
そこでも、「前回のこともあるので」で、更に大きな病院へ。

大きな病院ほど、紹介状なしには受診できないので仕方ないのですが、

前回と全く同様の、【個人病院】→【中堅病院】→【地域の大病院】と回る羽目に。
(レントゲン撮って、CT撮って。その精度は変わっても、やってることは余り変わらないので、
診察的には、逆マトリョーシカみたい。)

この出費を少しでも抑えたいご時世に、
あっちでもこっちでも、そこそこの受診料をとられるのは、正直、結構キツイもの。
(致し方ないのですが・・・。)

原因は、それほど大したことなく、手術もなし。
断食と投薬だけで、経過観察のための入院となりました。


前回も、なんとなく感じていたことですが、
病室の空気、というか空気感・・・が、なんかいいような。

それもそのはず、

珪藻土?

病室の壁、これ、珪藻土なんでは?

珪藻土?
(病院の壁が珪藻土なのか気になったのは、おそらく少数派であろうと思います。)

天井や床材などは、一般的な素材なのですが、壁だけ珪藻土のようです。

この一部分だけでも、雰囲気や空気感が全く違う!

寒々しくない、硬くない!

珪藻土より、漆喰の方が好みですが、

漆喰と珪藻土

この一部分だけでも、こんなに違うのか!というのが、驚きでした。

忙しい看護師さんに「これ、珪藻土ですか?」と聞くわけにもいかず、
それどころでもないし、気にもしていないでしょうから、
確かめようがなかったのですが、

触った時の、多孔質な手ざわりは、おそらく間違いないと思います。


話は変わって、入院中のエピソードを。

大部屋入院だったので、部屋は、患者さんの入れ替わりがあります。

数日の入院のうち、おとなりに、おばあさんが別室から、移ってこられました。

眠ったまま、ベッドごと移動されてきたので、
最初、寝たきりの方なのかと思っていました。

なんと、御年101歳。

車いすや、排泄、食事の介助はいるものの、お耳も遠くないよう。

私は、普段から活舌も悪く、声も通らず、
若い人にも、スマホにも、聞き返される状態なので、

特に、こちらから話しかける機会も(勇気も)なかったのですが、
数日おとなりにいて、思うことがあったので、書きたいと思います。


101歳・・・。1924(大正13)年生まれです。

誰と同じ年なのか気になって調べたら、

なんと、力道山!

あと、「人間だもの」の相田みつをさん。

尊敬してやまない吉本隆明さん(吉本ばなな氏の父君)
越路吹雪さん、高峰秀子さん、京マチ子さんと、そうそうたる大女優の名もズラ~っと。

更に、こちらは、ご存命。今なお、現役で活躍中の、藤城清治さん。
ステキな、影絵の、ステンドグラスと見紛うばかりの切り絵を生み出されています。

つまり、そういった方たちと同級生であり、
そういった時代を生きてこられたわけです。

終戦時だって、21歳かそこらの、娘さん。
時代的に若くして、すでに「お母さん」となっていた可能性もあります。

あの大変な時代を、もう、一人の大人として、
へたしたら、子を守る親として生きていた人。

何ということだろう。

そのおばあさんに声をかける勇気もなく、
こそっと調べて、驚嘆の声を飲み込むしかなかったのです。


その、おばあさん。

隣にいると、何度となく「何歳~?」と言われている。

食事の介助中に、飲み込むのがゆっくりなのか、
時間が空くたびに、そう問われる。

入れ替わり立ち代わり、食事の度に
「何歳~?」
「もう、覚えてねぇ~?」

・・・うわ~、これ、私だったらイヤだな~。

大人になって、そこそこのオバちゃんになって実感したことですが、
外見はどんどん年老いてきていても、

中身の「わたし」は、物心ついたころからの延長線上にいる気がするのです。

例えるなら、車でもロボットでも、何でもいいんだけれど、

その外見だけは、どんどん年季が入って、ぼろくなってきて、

でも、その運転している「わたし」は、経験値だけが上がっているような。

だから、中身の「わたし」は古くなっているつもりもないのに、
外見だけどうのこうの言われる。

・・・年取っちゃ、いかんの?

古くなっても、「わたし」は「わたし」。

「何歳?」「何歳?」と、毎回聞かれるのは、
「うるさいわい!」と言いたくもなります。

おばあさんが、どう思っていたかなんて分からない。

けれど、ある人にだけ、違ったのです。


オムツを替えの時、皆さん「●●さ~ん、替えますね~」と一様に声を掛けます。

「・・・ん~。」だいたい、こんな返事。

ところが、数日隣にいると、
唯一、おばあさんがお礼をいう看護師さんがいました。

「・・・悪いねぇ。ありがとう。」

「全っ然!」

その女性の看護師さんは、私にとっても、とても信頼できる人でした。

こちらを、不安にさせないというか、
くだらないことを聞いても、オールオッケーというか、
モヤっとさせないというか。

うまく言えませんが、人を、上にも下にも置かない。
非常にフラットで、見下したり、差別しない。馬鹿にしたり、からかったりしない。

まっすぐ、看護している。

そういう印象を持っていたのです。

「・・・おばあちゃん、人を見る目があるなぁ・・・」と、
夜中に数回目を覚ましては、
そのやり取りを、こっそり聞いて、思っていたのでした。


病院のことを、英語でHospital(ホスピタル)といいます。

この頃、病院に限らず、ホスピタリティという言葉も、よく聞きます。

ざっくり言えば、「ひとを思いやり、大切にし、気持ちよく過ごしてもらうための心遣い」でしょうか。

ひとを思いやることができるのは、
ミラーニューロンや、オキシトシンなどのホルモンの影響も大きく、

ストレスフルで、常に寝不足だと、そんな余裕もなくなってしまうのかもしれません。


ただ、住み慣れた家を離れ、家族と離れ、近所の親しい人とも離れ、

あれほど大変な時代を乗り切って、下の世話を謝るおばあさんの隣にいて、

「いずれ通る道なんだよな、私も」と、思わずにはいられなかったです。


相手を、少しもモヤっとさせない。

あの看護師さんには、経験や肩書以上の、

看護に対する、まっすぐな「芯」のようなものを感じて、
とても、ありがたかったのでした。

思いやりをありがとう
↑こちらは、珍しく珪藻土を使った、もくせい工舎のお家

主婦あるある

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


突然ですが、【大沢たかお祭り】なるものをご存じですか?

「あ~、あれね!」と笑ってくれた方、ありがとうございます。

なんのこっちゃ、という方も良かったらお付き合いください。


今、【大沢たかお】と検索しかけると、ご本人より上位に【大沢たかお祭り】が出てくる状況。

詳しくは、動画などでも解説されていますが、ざっくり説明いたします。

大沢たかおさん演じる、映画『キングダム』の将軍・王騎。

主人公・信が憧れる、天下の大将軍です。

原作は原泰久さんの漫画で、同作の中でも唯一無二のカリスマ性を備えた人物で、
原作ファンだった私も、王騎の最期などは今でも心が揺さぶられます。

その王騎を実写版の映画で、大沢たかおさんが演じているわけですが、
その一コマを切り取って、主婦たちのあるあるが、大喜利のように連日投稿されているようなのです。

私はSNSをしないので、もっぱら見るのはYouTubeなのですが、
これが可笑しくて可笑しくて!

声をたてて笑うので、間違っても公共の場でなんか見れない。

残り1センチの麦茶を冷蔵庫にしまう夫に、
発熱した童(王騎は、信のことを「童(わらべ)信」と呼ぶので、わが子のことをこう書いているようです。)のために買ってきたポカリを、遠慮なく飲む夫に、

大将軍・王騎のように怒るものあれば、

脱水1分を待つ、王騎。
洗ったフライパンを冷蔵庫にしまいかけて笑うしかない王騎。

あ~、分かる~。
やるわ~、それ!のオンパレード!

いや~、ぜひ見て見てください。

笑って笑って、スッキリする!


ふと、友人の顔が浮かび、「こんなのがあったよ~」とLINE(SNSしないと言いつつ、LINEはSNSか?)すると、
ちょうど、少し元気がなかったようで。

「なんかめちゃめちゃ笑ったけん、スッキリした!」と返ってきました。

グッドタイミングだったようで、良かった良かった。
(私は、彼女が落ち込んでいるタイミングでいつも、どうでもいい笑えるものを送り付けるらしく。
「エスパーなん?」と言われましたが、もし落ちこんでるのを感じ取って、送ったものが【大沢たかお祭り】なら、そもそもどうなん?ってとこです。
笑えたんなら、良かったですけど。)



以前、もくせい工舎の土壁の家で、一日貸し切りCafeを開催した時に、
その一角をお借りして、ことりの母さんの貸本をしました。

自然素材の家のもくせい工舎・土壁の家カフェにてお待ちしております
※イベントは終了しております。

その中に、『#名画で学ぶ主婦業』という本がありました。

こちらは、旧ツイッターにて、色々な名画に、主婦あるあるを託したもの。

これも、秀逸で、共感しかなくて、可笑しくて可笑しくて仕方がない。

元々は図書館で借りた本でしたが、欲しすぎて手に入れました。

何回見ても、やっぱり可笑しい。

ヘタな落語より面白い。


そう、面白い。

面白い、おもしろい。

これ、顔がパァっと明るくなる様子を指す言葉。

疲れてても、落ちこんでいても、

誰かの日常のあるあるが、「私も~!」っていうだけで
これ程まで元気になる、不思議!


雑誌や何かで、誰かのステキ生活に「おぉ~」とは思うものの、

そういう情報が多すぎて、私などは疲れます。

「それに比べ、お前はどうだ」と、心だか頭だかの、誰かがツッコむのです。

大谷や真美子さんを見て、神々しすぎて、
消え入りたい、さえないオバちゃんの私がいるのです。
(「それに比べ、どうせ私なんて」のひがみ根性がチラ見えってやつです。)


でも、大沢たかお祭りしかり、主婦あるあるの可笑しさは、

さえない、でも愛しい誰かの日常であり、

私以外も、そうなんだということが、なんでこんなに私を楽にするんだろう!

面白くて、馬鹿馬鹿しくて、愛しい。

良かったら、ぜひ検索して見てください。

日頃の疲れが吹っ飛びます。

あ!でも、公共の場とかでは見ないでくださいね!
吹き出すんで!

主婦は最強

これか、これ以外か。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


「俺か、俺以外か」

これ、カリスマホストのローランドさんの言葉だそう。
(カタカナ多いな!)

「世の中には2種類の男しかいない。俺か、俺以外か。」といったのが全文のようです。
(これ実際聞いたら、私などは「ちょっと何言ってるかわかんないな」ですが。)


これを借りるなら、
「もくせい工舎か、それ以外か」?

・・・やだなぁ、そんなこと言うの。
奥歯がムズムズします。

広告をかくのだから、いかにもくせい工舎が他よりメリットがあるのかお伝えするのがキホン。

他に比べ、どんなに良いか。どんなに価値があるか。

ところが、
エライをつくれば、自動的にエラクナイをつくるように、

「健康に良い」を謳えば、それ以外は「健康に良くない」となり、

もくせい工舎を上げるために、他を下にするの?

いやいやいや、それはなんか違う。

  • 俺と括れば、俺以外ができる
  • 善と括れば、善以外ができる
  • 光ばかりに目が行くが、影の部分も月である
  • 私たちの目は、見たいものを、都合の良いようにしか見ていないのかもしれない。

そもそも、家に関しては、 「自然素材か、それ以外か」なんて言い方はできない。

多かれ少なかれ、どの家も木は使っている。

木を使っている以上、自然素材なのだから、どこも自然素材の家とも言える。
(使う量は違えども。)

自然素材の家

自然素材の家だから健康かと言えば、
自然素材の家に住んでも、風邪はひく。

自然素材の家に住めば、無病息災・不老不死!というわけにはいかない。

ただ、家が原因で病気になるというリスクは、
その純度が高いほど低くなるのかなとは思います。

不健康は分かりやすくても、【健康】という状態があいまいなように、
不幸は分かりやすくても、【シアワセ】は分かりにくい。人による。

人によるのに、
誰かのシアワセそうな生活=「もくせい工舎の家に住みさえすれば、あなたにも!」なんて、
とてもとても、私には断言できない。

ただ、言えるとすれば、何に対してお金を払うのかだと思います。

私には、とても気に入っている珈琲豆のお店があります。

そこの珈琲豆を、大事に毎日、少しづついただきます。

1回15グラムずつ、それを1日に2回。
つまり、1日30グラムです。

30グラム×30日で、一か月だと900グラム。

1か月に1回買うので、結構な量となり、取り置きしてもらっている市場で、
レジの人にギョッとされます。

でも、1日30グラムの楽しみなのです。

その珈琲豆屋さんは、個人でしているわりには価格が安く、
その辺の自家焙煎のカフェの半額ほどです。

それでも、そんなにウチは余裕がないので、
大事に、大事に、飲むのです。

そうなると、もう、うっかり他のカフェに入らなくなりました。

珈琲とケーキなんかついて、1000円近く払うなら、
そこの豆を買いたいのです。

つまり、同じお金を払うなら、「絶対これじゃないと!」というものに払いたい!


お家をどこで建てるか、迷われているのなら、今は建てなくて良いのではと思います。

「これでないと!」と思うものが、今の段階でないだけです。
焦らずいきましょう。

もくせい工舎か、それ以外か。

自然素材か、それ以外か。

それはともかく、
本当にこれだ!と思うものこそ、自分の判断での
「それか、それ以外か」になる。

いずれにしても、
本当にこれだ!と思うものに、心動かされる家に、大事なお金は払ってほしい。

珈琲豆どころか、何百万、何千万もする家。

誰かのシアワセに惑わされず、
アンテナの感度を上げていてほしいと、切に思います。

Good Luckです!

これだ!

こどもの日に

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


こどもの日に木の家を考える

この春、わが家から、「こども」がいなくなりました。

末の子が、20歳になったので、社会的には成人だけの世帯になったのです。


「子どもは、いずれ出ていくんだから」

家を建てるときは、そう言われ、そう思いもしていましたが、
・・・なんだろう。

・・・全然出ていくように思えないんだが。

親同様、ほとんど浮名を流すことなく、
色っぽい話もナシ。

そうなると、世間で言われるところの「子ども部屋おじさん」も他人事とは思えない。

第一、私の友人知人のほとんどが独り身で、
かくいう私も、そうだったので、
そういう可能性も十分ある。

世間一般の、ひと昔の、誰かの言う当たり前に、
ドロップしがちなことは血筋からもわかること。

今思えば、と思う点も多々あるのです。


わが家が、今の家に越して来た時、
上の子は高学年、下の子は一年生でした。

子ども部屋を、親の目の届くところで、いずれ仕切ってと考えていましたが、
年齢を考えると、合わなかった。
(赤ちゃんや幼稚園ならともかく、でした。)


4~5歳年齢が違えば、上の子はすぐ受験。
やっぱり一人部屋が必要になる。

仕切るにしてもお金がかかる。

カーテンだとちょっと・・・で、結局、上の子には、別の部屋を宛行ました。

今思えば、「ひとりになる」空間が、年齢が上がるほど大事なってくることを、
意識してなかったのだと思います。

ひとりになることで、考えが整理されたり、脳が休めたり。

下の子も、ひとりになりたい時は、ロフトに行っています。
(この点、ロフト作っていて良かったです。)


ああすればこうなる。こうすればああなる。

何でも、計画通りに、思った通りになれば、どんなに良いかと思います。

残念ながら、
「あれ?なんだか思っていたのと違う」ことも多い私。

そんな私じゃなくても、これほど先行きの見えない、

何年か先の計画なんて立てれない世の中にあって、

自分たちのことだって分からないのに、

子ども達のこと、ましてや家を建てることなんて、

なんの保証もなくて、考えられない人だって多いのではないかと思います。

こどもの日に考える

それでも、日々は続いていく。

こうして不安になっている今も、

その不安な親の後を、子どもはついてきている。

そして、不安でいても、どこかで生活はしていかなければいけない。

生きていく、家がいる。貸家だろうが、持家だろうが。


残した財産のつもりの「不動産」が、「負動産」なんて言われる日がくるのかは分からない。

ただ、わが子達を見ていると、

こういった木の家で育ったことを、「負」としてとらえているとは思えないのです。


いずれ、ローンが返せず・・・なんていうことを、想像しないわけではないけれど、

少なくとも、今、こうやって、木の家に暮らして、何とかやっている。

「どうせ、ダメかもしれんけ」と、諦めて、
カビだらけの、前のアパートにいるわけじゃない。

子ども達は、肺炎や気管支炎で入院することもなくなった。

喘息の薬も、青っ洟とも、おさらばした。

不安がないわけじゃないけど、こうして生きて、なんとかやっている。

こどもの日の木の家

親が選んだ場所が、子ども達の思い出の家になるんだとすれば、

親にできることは、

先のことは分からなくても、今できる最善を選び、
なるべく良い方向へ進もうとしてきた。

なるべく、子ども達を笑顔にできるようにしてきた。

そういう事実だけじゃないかと思うのです。

木の家とグットラック

目立たぬ花にも

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


3月に種を蒔いたものが、芽を出しました。

発芽 

何の種でしょう。

答えは、吾亦紅(ワレモコウ)です。

ワレモコウ

開花時期に、見学会などがあると、
自宅から切ってきて、飾ります。

永家Tさんの、好きな花でもあります。

このワレモコウ、なぜか、あまり苗が売られていないのです。

わが家にあるものも、たまたま、JA耳納の里で見つけたから
購入できたのですが、あれ以来、売っているのを見たことがない。

通販でも売られていますが、送料もそこそこかかるので、
なかなか手が出せないのでした。

春先のワレモコウ
もっさもっさしてますが、春先のワレモコウの様子です。

ワレモコウは、秋に、小さな楕円形をした深紅の花をつけます。

それが、風になびく様子がとても牧歌的で、
郷愁を誘う、味わい深い花です。
(難点は茎が長くなりすぎて、風雨の強い時に倒れること。
矮性のコンパクトなタイプもあるようなので、いつか育ててみたいです。)

咲き進むと、楕円形はどんどん間延びしてきて、
にょ~んと長くなる。

そのまま放っておくと、茎に付いたまま、
カラッカラッに乾きます。

そのカラカラに乾いたものを、冷蔵庫で保管しておいて、
2~3月に種を蒔いたものが、最初の写真でした。

当初、出てきた双葉にガッツポーズをしたものの、
もしかしたら、混じっていた雑草の芽では?

「おっきくなれよ~」と声をかけ、水を撒きつつ、
せっせとオオイヌノフグリの世話をしているんだったらどうしようと、

半信半疑だったのです。

その双葉に続き、出てきたのが、これ!

ワレモコウの芽

真ん中に、ギザギザした小さな葉っぱがあるのが分かりますか?

ワレモコウの葉

このギザギザした、ワレモコウの葉を小さくしたら、こんな感じでは?

・・・これは、大丈夫なんでないの?

うまくいったら、ちゃんと苗になるんではないか?

元々、野山に咲くような花らしいので、
私でも、大丈夫・・・かも?

うまくいったら、またお知らせしますね。
(一年経っても、音沙汰のない時は、察してくださいませ。)


春が来て、庭先が賑やかになってきました。

ナニワイバラ
可憐で狂暴・ナニワイバラ。蜂のごはんになっているのを見ると、少しはお役に立てて良かったなと思います。

モミジの花
目立つばかりが花でなし。こちらはモミジの花。

コマユミの花
樹形が優しく、秋に鮮やかな赤を放つコマユミ。滋味深い花をたくさんつけています。

コマユミの花
アップで見ると、独特の形。ペタペタして、カタツムリの触覚のように見えます。

地味な花ですが、小さな蜂がたくさん来て、好評の様子。

秋になると、赤い実がなって、ジョウビタキが食べに来ます。

  • コマユミとシジミバナ
  • コマユミの実
  • コマユミの木とジョウビタキのオス

シジミバナ
シジミの中身のような、シジミバナ。

八重のモッコウバラ

八重のモッコウバラもエンジンがかかってきました。

八重のモッコウバラ

こちらは、パーゴラの立派な日陰となるよう、頑張ってもらいたいところです。

目立つものも、目立たないものも、
それぞれの役目がある。

粛々と全うしていく。

自然に、教えられることが多いです。

吾亦紅の花言葉・感謝
【吾亦紅の花言葉】
「愛慕」「移りゆく日々」「感謝」「変化」「物思い」「憧れ」

目には目を 木には木を?

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


若いころは、眼鏡とは無縁の生活でしたが、子どもを産んでくらいから、どんどん目が悪くなりました。

特に乱視がひどくて、ものが二重に見える。

カラスが、平行して四羽、飛んでいるのかと思ったら、
よくよく見たら、二羽がダブって見えていた、なんてことも度々です。

ぼんやりとは見えていても、確信が持てない。

そのせいか、はっきり、くっきり見える【視認性】が高いものを好むようになりました。

服装にしてもそうで、はっきりくっきりがありがたい。

「色白は七難隠す」というけれど、あいにく、隠せる白さを持ち合わせていない私は、
年々、くすみもひどくなる。

そうなると、くすみカラーとか、グレイッシュなんてもってのほかで、
なじむというより、同化してしまって、
どこからどこまでが顔で、服なのか見分けがつかない。

くすんだ私に、くすみカラーなんて、【視認性】が低いにもほどがあるのです。

くすみカラーが似合うとは

明るい、気分が晴れるような色を選ばないと、
よけい気が滅入るので、自然と、そういった色を着る。

トシをとると派手になるのは、こういった理由か!と、
最近になって実感した次第です。


さて、今回は、そのはっきりくっきり見える【視認性】に関するお話。

先般、ずっと気に入って使っていた掛け時計が、天寿を全うしました。

木の壁に青い時計

20代のころ、1000円くらいで雑貨屋で買ったもの。

青で、真四角(意外に少ない。)なのが気に入っていて、結婚してからも
アパートの居間で、わが家の(割と、どうでもいい?)歴史を見守っていたのでした。

家を新築するにあたり、実は木のおしゃれな時計とバトンタッチを考えていました。

ところが、

木の壁に木の時計
(画面で見るより、実際はもっと同化)

・・・木に木が、馴染みすぎて、同化してしまう。

せっかくの、木の時計なのに、その良さが伝わらないのです。

漆喰の壁に木の時計

これが、漆喰壁が背景だと、くっきりする。

木に漆喰という、異質なものを背景にすると、
ぐっと、木の時計が引き立つ。
 
色味も似通っていないので、くっきりはっきり、視認性は高くなる。
目立つのです。

とはいえ、使いたいのは木の壁の場所。

結局、この木の時計は、別の部屋で使うことに。・・・もったいない。


木の色味の反対色は、青系なので、やっぱり青は、雰囲気が締まります。

できたら、5,000円いかないくらいでないかしら。振り子時計なら、なお良いんだけど。

しかし、良いものは、やっぱり高いのです。

これでも十分では?と買ったものが、こちら。

木の壁に青い時計

悪くない。悪くないんだけど・・・なんかフツーというか、おもしろくない。
味わい深くない。

結局、予算面で一度は断念したのですが、
本当に欲しい時計を掛けました。

キコリさんの青い鳥の振り子時計

キコリさんというメーカーの、青い鳥の振り子時計です。

青い鳥の部分が振り子になっていて、エサをついばむように動くのです。

キコリさんの青い鳥の振り子時計


キコリさんの青い鳥の振り子時計

青の丸い時計は、台所でテキパキ動いてくれています。

仕事しながら、ふと目線の先にあるのは、
のんきに、ゆっくり動く、振り子の時計です。

たったそれだけなのですが、本当に好きなものが横にあることが、
ありがたい。

ずっと、何十年も使うと思います。

木には木が似合います。

そして、どう生かしたいかで、何を選ぶかが違ってきます。

良いものを長く使うつもりなら、
トシをとった後、見えやすいか?も意外と大事ではないかと思います。

コスパ、コスパと気にしながら、
しっくりこないものを使うより、

実は、本当に気に入ったものを長く、大事に使うことも

費用対効果が高いのではないか、と
何度か失敗してみて、ようやく分かりました。(トホホ)

はっきりくっきり

のびしろ

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


最近は、こんなところに?と思うような場所にも、
沢山カフェができています。

こんなところに?と思うような場所には、

そう思っても足を運びたくなるような、
プラスαの魅力や理由があります。

古民家を改装していたり、癒される自然があったり、
店主さんのこだわりがあったり。

cafe
(イメージであり、文章の内容とは関係ありません。↑こちらは、山奥の人気カフェ・豆岳珈琲さん。)

わざわざ行くだけの価値があるからこそ、何年も続いているのだと思います。

私は、お店を探すとき、必ず口コミの低い方も参考にします。

口コミの低い内容を見て、自分がさほど気にしないことなら、
良しとします。

反対に、全く悪い評価がない場合は、
その口コミの全体像をサラっと見て、

同じような文体だったり、実体験に基づくものでなかったり、
「友だちが良いって言ってました!」みたいな評価が多い時は、
かなり訝しんで検討します。

特にレビューの投稿者が、その店以外、どこにも評価してない場合は、
サクラの臭いがプンプンする。

細々と、広告や文章を生業にしていると、
なんか臭う?時があるからです。

そうやって、低いレビュー内容をみていると、時々、「愛想が悪い」が出てきます。

う~ん。これに関しては、高圧的でない限りはいいような・・・。

お金を払うだけの、【価値がある提供】をしてくれさえすれば、
過剰な愛想は期待しないからです。

ただ、そういった低いレビューに何と答えているかは、
・・・ちょっと恐々見てしまう。

返事の仕方で、なんとなくお店の姿勢が分かるからです。

売り言葉に買い言葉みたいに、喧嘩腰で返事をしている所は、
おっかないから、まず行きません。
(喧嘩腰じゃなくても、AIなの?ってくらい、機械的に返信してるのも怖い。)

もう、行く前から嫌だもん。

(クレーマー的なのはともかく)少しでもウチにケチつける奴は許せない!って。

どんなにこだわっていても、写真映えしても、
嫌だもん。ピリピリしてそう。

自信やプライドをもって、こだわることはいいけれど、
少しでも悪く言おうものなら、相手が悪い!ってスタンスは、
もう、なるべく近寄らない。
お金払って、緊張なんか買いたくない。

そして、【こんなに頑張っているのにケチをつける人間=敵】だと思い込む背景には、
どこか怯えも見える気がする。

本当に自信がある人というのは、どこか謙虚でもあるからです。


以前、体が動かなくなるまで、夢中でパンを焼いていた時期がありました。

OL時代、休みの度に、遠方(片道2時間)の山奥のパン屋さんまで手伝いがてら、見習いに行っていて、
そこの先生にも

「○○ちゃんは、アイデアはいいけど、手がね~」と言われるほど、
トロくて不器用。

練習しても、練習しても、なかなか上手くならない。

そんな時、大分市内のグロッケンというパン屋さんに行きました。
(現在、古国府から移転されて、錦町に。
ご実家の和菓子店【つるや】を継がれて、その一角に、【グロッケン】のパンコーナーがあります。
巨峰からとった天然酵母パンや、本格的なドイツパン、そして街のパン屋さんらしいパンまで、なんでもあります。
こちらのパン・オ・ノアや、パン・ド・フリュイは、もうたまらんです。)

なんとなく、パンの話になって、フランスパンもうまく作れたことがない旨を伝えました。

その時、そこの店主のおじさんが
「ぼくも、何十年も焼いてきて、これだ!って思えたのも、何回もないよ。
こうやって、商売してても、毎日、勉強!」
と言ってくれました。

中学生のころ、京都奈良に修学旅行に行く前に、美術の先生がしてくれた話を思い出します。

それは、「菩薩」さんの話でした。

菩薩さんも、いつか如来になりたいと勉強している。
自分も、勉強している身なんだけれど、
困っている人がいたら、手を差し伸べ、導いてくれる。

私にとって、そのおじさんの言葉は、菩薩さんの言葉だったのです。

もっと修業が足りない私を、見下すことなく、
自分も勉強中と笑ってくれたことは、どんなにありがたかったか。

いつか、目指すものにたどり着く自信がある人は、
今の力不足を笑わない。恥じない。

この世に、完璧なんてものがない以上、

今、足りないものは、

【見たくもない欠点】か、それとも【伸びしろ】か。


芸術家なら、自分のこだわりを【分かる人間】にだけ売ればいい。

でも、芸術とデザインは違う。

デザインに伴うのは、機能であり、
それの良し悪しは、

つくった本人ではなく、
使った人に委ねられる。

分かる人間にだけ、ではどこか独りよがりになる可能性もある。

芸術作品のように、自分の表現欲に重きを置くか、
あくまで使い手や客あってのものとして、精度をあげていくのか。

カフェにしろ、何の商売にしろ、
そこに使う人がいる以上、それは芸術ではなく、デザインであり、

そう言った意味でも、
こだわりをどう評価するかは、
残念ながら、他人に委ねられる。


芸術とデザインをくっきり分けることはできないけれど、

それでも、あのパン屋のおじさんのように、
みんなに喜んでもらえるよう、勉強して、さらに高みを目指していくのか、

周りは敵だらけと思い込むかは、人によるのかもしれない。

前者が見てるのは、お客であり、
後者が見てるのは、傷ついた自分のプライドとも言える。

見たくもない汚点を、見て受け止め、次につなげる勇気のある人。

その人は、きっと菩薩さん的であるのではと、

レビューを眺めながら、思うのでありました。
(そういう私は、とてもとても菩薩さん的ではないのだが。)

欠けた部分には、可能性

バナナはになるか

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


先日、『鉄腕ダッシュ』を観ていたら、衝撃が走りました。

・・・バナナって、木じゃなかったんですね。
草の仲間なんだそう。

ずっと、半世紀以上、木だとばかり思い込んでおりました。

調べると、バショウ科の常緑多年草で、木のように見えるのは、
偽茎(仮茎)と呼ばれる、葉が重なり合ったもの。

つまり、玉ねぎのように、外から剥いていくと、なくなってしまうみたいです。
(外から剝いでいくと・・・で、思い出すのがタケノコ。
実は、竹も、草でも木でもない有節植物。イネ科のタケ亜科とのこと。
・・・イネ科って。え~?そうなん??って感じです。)

一年草と違い、多年(宿根)草なので、

枯れたあとも、また時期が来れば新たな株が出てくるのですが、

・・・それにしても、草って。何メートルもあるのに?

すごいなぁ、南国!スケールがでっかい。

そう言えば、大学の頃、北海道から来た子に、
「九州、虫がでかい!」と言われたことがありました。

・・・南方にいくほど、そうなのか??


番組では、新宿でバナナを育てる企画を一年がかりでやっていて、
冬を迎え、いよいよ奇跡の完熟バナナが食べれるか否か?の、
集大成の回でした。

(詳しくは、【鉄腕ダッシュ バナナ】で検索して頂ければ、
公式サイトにてご覧いただけると思います。
以下、ざっくり私なりの概要です。)

常夏の国で育つバナナ。それをガッツリ冬が来る都心の新宿で。

地球温暖化の影響か、皮肉にも猛暑の助け?もあって、当初は順調にすくすく育ったよう。

蕾ができたのが、9月。完熟するには、それから約120日かかります。

つまり、1月の終わりには完熟、のはずなのに、
その一日前、119日目になっても、実は硬く、渋いまま。

気温が10度以下になると、生育困難になるらしく、
スタッフさん達が交代で、ハウス内を温めます。(裏方さんも大変だ!)

葉が黄色く枯れはじめ、苗を譲り受けたバナナ農園さんに相談。

「バナナが風邪をひく」という状態の、低温障害ではないかとの見立て。

マンゴーなどの南国の植物によくみられるようで、風邪をひいて寝込んでいるようなもので、
弱って、成長が滞っている原因にもなっているのでは?とのこと。

土にも、ただの冷たい水ではなく、一肌のぬるま湯をあげる等のアドバイスをもらっていました。
(マンゴーやバナナを一般に育てることは、稀ですが、身近なところだと、薩摩芋も、低温障害がでます。
秋に収穫したものを冬越しさせるには、低温に注意する必要があります。
我が家は、家の中で、何重にも毛布などで保温して越冬させます。
育てるのはラクですが、ヌクヌクと過保護に?保管せねばなりません。
本来、南国の食べ物なんだな~と実感します。)

その時、ふと太一君(国分太一さん。家族間で、太一君、太一君と言っているので、ここは失礼して、太一君とさせていただきます。)が、

「声をかけた方がいいとかありますか?」と電話越しに先方に声をかけます。
(この辺が、さすがの太一君!)

「あ~、それはね、ほんと、植物が愛情感じるというか、
五感六感あると言われているんで、寒さも感じてるんで、
愛情をこめて、毎日管理してあげてください。」

「いや、実は現場監督だった松田君が、一回も声をかけてないんですよ」

「え~?そうなんですか?ぜひ声をかけてやってください」


このやり取りを聞いていて、思い出したのが、映画『奇跡のリンゴ』。

不可能だといわれてきたリンゴの無農薬栽培を実現した、木村秋則さんをモデルにした作品です。

阿部サダヲさん主演で、農薬でつらい思いをする妻(菅野美穂さん)のために一念発起。

村八分にあったり、大量の虫を手作業で捕ったり、
10年経っても成果がなく、借金は膨れ上がるばかり。

家族にもこれ以上迷惑をかけられないと、自殺まで考えます。

色々な困難を経て、気づきを得て、ついに11年目には
無農薬での成功を手にするのですが、

一部、枯れたり、実がならない木あります。

それは、隣のリンゴ畑との境界にある木。

ずっと、リンゴに声をかけ、はげまし続けてきた木村さんでしたが、

隣人にどう思われるかを気にして、境界の木には声を掛けられなかったとのことでした。
(詳しくは、書籍または映画でご覧ください。
ずいぶん前に見たので、違っている箇所あればすみません。)

植物は、水不足や傷つけられたときに、人間に聞こえない周波数の「悲鳴」をあげるといいます。

聞こえないから、叫んで「ない」わけでも、
傷つけられて「平気」なわけでもないということは、
かなりショッキングです。
動物が傷つけられて、悲鳴を上げるように、
聞こえないけど、植物だって叫んでいる。

そして、反対に、言葉は通じなくても、
その口調や、気配で、
思いやってくれているのも、伝わるのだとしたら、
なんということかと思います。

声をかけるということは、
相手の存在を気にかけること。
気を配ること。

目に見えないから、ないわけではない。
聞こえないから、ないわけではない。

知らないだけだったり、
気にもしていなかったり。

あらためて考えさせられます。

何十年生きても、驚き、学ぶことが多い。

しかし、バナナが草だったのが、
今のところ、今年一番の驚きかもしれません。

バナナは木(き)にならずとも、気(き)にして育てよってことでしょうか。

植物ですらそうなんだから、
声かけ、気にかけ、が人間にとってもどんなに大事か。

とても勉強になりました。

20250325_バナナは草

マニアックと言えば、マニアックなのかも。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


残価設定型のクレジットで買った車を、いよいよ返却する時期が近づいてきて、
中古で他社の車を検討していた息子。
(考えてみたきっかけが、連日息子ですみません。)

彼が、某ディーラーの担当営業Aさんと話をしていた時のことです。

このAさん、昔から夫婦ともにお世話になっている人で、
お客さんに尽くしすぎる、どんな時も嫌な顔一つしないで応対してくれる、本当に頼りになる方なんです。

息子のことも小さい時から知っているので、新社会人になって初めて買った車も担当となり、
残価設定の下取りを前に、状態を見つつ、話題は中古車のことに。

「今、このル●ーとホ●ダの2つで迷ってて。」

「うわ~。俺、ル●ー買わせるぐらいなら、ウチの買わせるわ。」

ワハハハハハ!それ、販売店内で言っちゃダメなんでは?

「もう一つの方ね、これ欲しがる人は、いつでも欲しがるけん、
値段がちょっと・・・やけど、どっちかで言うなら、こっちがいいんやない?」

販売店内で、正直に?別メーカーの車を勧めるのも、
「あ~、○○君(息子の名)、もうこうやって、ここに来んのやね~」などど寂しがるのも、
この方の人柄。

本当に、車も好きで、人も好きな、【営業】のプロなんです。
(どんなに車のプロだと自負していても、人が心底好きでないと、こんな接客はできない。
特に、何かあった時、対応が全く違うと思います。

車専門のプロが、売る方、接客もプロかどうかは、別の話ってことですね。)

その時、こんなことを言っていたようです。

「いわゆる、一般の、ふつうの人があまり選ばんっていうか、
いわゆるマニアックな車、みたいなもんがあるんよ。

中古車屋さんは、万人受けする黒とか喜ぶんやけど。

それ見越して、黒選ぶっていうのも手なんやけど。

でも、こういったマニアックな車って、どんなに古くなっても欲しがる人もおるんよね~。」

息子が選んでいたのは、ツーシーターのスポーツタイプの軽自動車。
(ちなみに私が探し当てました~。私、なんか中古車探すのは、うまいみたい。
検索力!ってやつですよ。フッフッフッ・・・。)

「多分、見に行ったらね、いいとこしか目につかんよ?」と、笑いながら送り出してくれたそう。

この車、その後(「Aさんの言うとおり、いいとこしか目につかんかったわ!」らしく)買ったのですが、

そこの中古車屋さんも、「この手の車、仕入れて1週間くらいですぐ売れるんで」とのこと。

う~ん。マニアックな車、恐るべし。

ちなみに、前職の会社の後輩がMR2という車に乗っておりました。

彼女は、本当にその車を溺愛しているので、
中身を総入れ替えして、乗っております。

車本体は、30年いかないくらい経っているはず。

試しに中古車検索サイトで、MR2を入れてみたら、
走行距離や年式に拘わらず、そこそこのお値段で売られていて、

好きな人には、古くても何でも欲しい車なんだな~と実感した次第です。

さて、マニアックといえば、もくせい工舎の家も、
なかなかマニアックである。・・・と、言えないこともないのかなというお話です。

こだわりの豆腐、こだわりの蕎麦、なんていうといかにも美味しいのでは?と思います。

こだわりの・・・は、その枕詞でもあるのですが、
こだわっているから、美味しいと感じるかは個人の話。

でも、こだわっている本人を前に、「あんまり美味しくない」とは言いづらく、

こだわっている=ちょっとメンドクサイ感じも否めません。

こだわっているからにはの、プライドがある。
すると、前述のAさんのように、人好きでない限り、ムッとしてしまう。
接客のプロではないからです。

だから、こだわっているに付いてくる、なんとなくメンドクサイ感じは、
そんなことを思い起こさせるからではないでしょうか。

これは、いたしかたない。

こだわっていることは、いささかのメンドクサイ感じを内包している。

ただ、前述の車のように、ツボるひとがいる。

これでないと!と、思う人がいる。

木の家を嫌いな人がいるとは思えないけれど、
なんとなくメンドクサイ感じを受ける人は少なからずいる。

キズが付きやすいのでは?とか、お手入れが面倒なのでは?とか。

でも、同じ理由でメラミン食器ばかりでご飯食べても、味気ないのです。

やっぱり、土でできた器を手に取り、木のお箸を使い、
自然の力強さを感じるご飯を食べる。

メンドクサイ感じを内包しながら、これでないと!と思うものに囲まれて生きていく。

これをマニアックだと言えば、マニアックなのかもしれない。

言い換えれば、これでないと!と思って建てた家は、
これでないと!と思う人の心を動かす。

メンドクサイ感じを内包しながら、こだわった家は、
やっぱりどこか、メンドクサイ感じの誰かの心を掴むのかもしれない。

車なんて、動けばいい。
家なんて、寝に帰ればいい。

どうでもいい。

そんな「どうでもいい」で、満たされないでいたい。

例え、マニアックだの、メンドクサイだの、言われることになっても、
これでないと!と思えるものに、
私は出会っていきたい。

なぜなら、私だって、そこそこメンドクサイからです。

人間、というのは単体でなく、
人と人の間、関係性のことだったとは、誰の言葉だったか。

そこには、やっぱりどこかメンドクサイを内包しながら、
完全に排除するのも味気ない。
そういった、【間柄】のようなものが含まれている。

マニアックといわれようとも、もろもろのメンドクサイを抱えて、

この世界を、「どうでもいい」で満たすことなく、生きていきたいなと思います。

ツボる木の家

すぐ助けに来れないスーパーマンは・・・

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


長男が、仕事で腰を痛めました。

転職したばかりだったので、「イテテテ」と言いながら、それでも出勤していたのですが、
一向に良くならず。

それどころか、出勤しては、痛くて早退する。そういったことが増えてきました。

その度に、行きつけの整体院や鍼灸院に転がり込むも、一時的で完治せず。

骨自体に異常がないか、レントゲンを撮ってもらおうと、
近くの整形外科に行ってみたのでした。

「正常なら、背骨って、緩やかなSの字になっているはずなのに、
はてなマークみたいになってるね~。

これ、うちじゃどうもならんから、どっか整体院かなんかで治してもらって?」

と言われた模様。

いやいやいやいや。整体院でなかなか治らなかったんで、行ったのに?

仕方なく、「イテテテ」と言いながら、出勤し、
限界を迎えては、早退し、鍼灸に飛び込むことを繰り返していました。

とはいえ、早退ばかりしていられない。

らちが明かず、「MRIでも撮ってもらおうかな~」と別の病院に問い合わせるも、
「今日はちょっと・・・」と、タイミングが合わず断念。

仕方なく別の病院に問い合わせると、「MRIはないけど、診察して、紹介状は書けるよ?」とのこと。

行ってみたら、「軽いヘルニア」と診断されたようです。

今は、よほどじゃない限り、手術はしないんだそう。

そこでも、「どこかの整体院かなんかで」と言われたらしく、強めの痛み止めのクスリ(←カタカナ表記の方がぴったりくる系の)だけもらって帰ってきました。

???なんで?若いと、そこのリハビリ使えんの??
なんでそんなに、他所にふる??

とはいえ、仕事には行かねばならない。
行けば、重い荷物は持たねばならない。

若いから、整体に通えばそのうち治るだろうと言っても、
自然治癒を仕事は待ってくれません。

いよいよ困り果てて、レビュー☆4.5越えの遠方の整形外科に行ってみることに。
そこは、外来リハビリも熱心に行っているようでした。

せめて、同じ診断名でも、何かアクション取れないか。

強すぎるクスリでごまかして、「どこかの整体かなんかで」じゃなくて、
何かもう一歩突っ込んで、どうにかできないか、藁をもすがる思いだったのです。

ところが、人気の病院。

電話をするも、予約は2週間後。

それでも、とにかく予約をして、受診したのでした。
(当たり前ですが、その間だって「イテテテ」で、早退の繰り返し。
予約しただけじゃ治らないからです。)

診断は、「ヘルニア」。やっぱり手術はしないけれど、1週間の絶対安静。
治るまでに最低でも、1か月は無理をしないことと、
治療には3か月はかかるだろうという見立てでした。

でも、「どこかの整体院で」「いつか治るだろう」じゃなく、

具体的に【数字】で、お医者さんが言ってくれることがどんなにありがたいか!
さすが、☆4.5越え!遠方まで行った甲斐もあったのです。

末梢神経障害性疼痛の薬ももらえて、リハビリも「こちらでどうぞ」とのことだったので、
遠方でも通うことにしたのでした。

戻ってきた息子が、「なんかもう、患者さんが多すぎて、2月3月は新患とらんって言いよったよ。
早めに行って良かった~」と言っておりました。


その後、休職を申し入れると、「一応、念のため」という上司のすすめで、最初にMRIを撮れずにいた病院を再受診。

やっぱり「ヘルニア」。
そこでリハビリも受けれるようになったので、そちらに通っています。

病院、4か所目。もう、セカンドオピニオンどころじゃありません。
ヘルニア、確定です。

思えば、最初のはてなマーク診断から1~2か月。

その間、自然治癒する間もなく無理をしていたがために、
くだった「ヘルニア」診断だったのでは?と思います。

しかし、今回の整形外科にしても、歯医者にしても、何にしても、

腕がいいと評判の所は、直ぐには見てもらえないことも多い。
そこが難点でもあります。

緊急手術!ほどの切羽詰まったものでなくても、

あきらかに日常生活に支障をきたす痛みと、
会社に迷惑をかけることへのプレッシャーは、

じわじわ真綿で首を締められるよう。

そんなにのんびり、待っていられないのです。


かといって、空いている所だと、結局たらい回しになって、完治しない。


忙しすぎて、直ぐに助けてもらえないスーパーマンか。

あまり頼りにならないけど(?)、聞いてはもらえる人か。

いざという時、頼りになるのは
いったいどっちなんだろう・・・。

しかも、ずっと我慢してきて、
限界だと思って門をたたいた、

その【いざという時】が、まさに【今】なんだとしたら。


その道のプロでも、腕に自信があっても、
忙しいがすぎる人は、気軽に頼れない。当てにはできない。

こういうことを、ジレンマというのかもしれません。

しかし、具体的に数字で表せるって大事。

それは、具体的な、はっきりとした行動に結びつくから。

お客様の幸せのために。
国(県でも市でも)民の幸せのために。

うすぼんやり、聞こえばかりいいセリフは、
実際には何も具体的に考えていないからこそ

出てくるものなのかもしれません。

いつまでに、どうする。

はっきり言える行動を、起こせるか。

忙しすぎるスーパーマン(ここでは名医)の判断や行動をAIが学習して、チャットで診断。
その治療方針に従って、全国どこの病院でも処置。

どんな田舎に住んでいる、機械に疎い人たちでも、大丈夫。

困ったら、すぐに何とかしてもらえる、助けてもらえる世界に、いつかなるのかな~。
どうだろう?

期待したいところです。

腰は要
以前撮影で近くに伺ってから、私の癒しの場になっている豊前の嘯吹神社
その境内には要石なるものがあります。なんでもさすると腰に良いという。
その後、神主さんとお話しする機会があり、聞くと要石をさすった手で、患部を触るとのこと。・・・石だけしか触ってなかったよ。今まで。
帰りに、膝やら腰やら頭やら・・・。そこそこの年になると、もう全身触らないかんです。
神主さんが気さくな方なのを良いことに、由縁を伺うと、隣の力石を持ち上げて、腰を痛めた人が、要石を触ったら腰痛が治ったから!だそう。
ヘルニアも治るといいなぁ。


後に、理学療法士でもある行きつけの整体院の先生に訊くと、骨自体が損傷しているわけでないなら、やっぱり支える筋肉の問題なので、
そう言われたのでは?とのこと。
「とはいえ、そこのリハビリに通えれば良かったのにね~。なんで他所?」
それは、こっちが聞きたいところ。

ちなみに、どこに行くか迷って、接骨院と整骨院と、整体院の違いが気になり、AIのCopilotに訊いてみました。
以下のように答えてくれました。


もちろん、簡単に説明しますね。

- **接骨院(せっこついん)**: これは「骨接ぎ」とも呼ばれ、主に骨折、脱臼、捻挫などの骨や関節に関する怪我を治療します。柔道整復師という国家資格を持った専門家が治療を行います。

- **整骨院(せいこついん)**: 実は接骨院と同じ意味で使われることが多いです。ですから、整骨院も柔道整復師が骨折、脱臼、捻挫などを治療する場所です。

- **整体院(せいたいいん)**: 整体師が筋肉や骨格のバランスを整える施術を行う場所です。特に国家資格は不要ですが、整体師は訓練を受けて体のバランスを改善する施術を行います。肩こりや腰痛などの慢性的な症状に対応することが多いです。

わかりやすかったでしょうか?何か他に知りたいことがあれば教えてくださいね。

(行きつけの整体院は、運動指導もしているので、そちらでもお世話になることにしました。
とはいえ、そんなに簡単に治ったり、筋肉もすぐ付いたりしないので。

治りかけている所を、かさぶたをはがすような無理は禁物ということでしょうか。

皆さまも、くれぐれもご無理のないように。健康第一!)

お風呂の栓は、しましたか?

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


先日、ネットである記事を読んで驚愕しました。

それは、お風呂の自動お湯はりに関するもの。

お湯はりの自動のボタンを押して、「最初に少し水が出た後、一時停止するのは故障か?」との問い合わせに、
メーカーが答えた内容が元でした。

(わが家のお風呂は、10年以上使っているものなので、最新型はどうか分かりませんが)
確かに、早い段階で、一回止まる。

お風呂の栓をして、【ふろ自動】のボタンを押すと、

「お湯はりをします。お風呂の栓は、しましたか?」と音声が流れ、

ごぼごぼごぼごぼ...っとお湯が出だす。

数秒すると、一度止まるのですが、また続けてお湯が出だして、

指定位置までくると

「お風呂が沸きました」と知らせてくれるタイプです。

その記事は、わが家とは別メーカーのもの。

(メーカーによるのかも?ですが)
その最初にでるお湯は、配管に残っていた水なので、そのまま溜めない方がよいというものでした。


・・・・え~⁉・・・溜めてたよ?そのまま。
10何年も!

だって、最初に言うんだもの。

「お風呂の栓は、しましたか?」って。

「まずは、最初の水は流してください。それから、栓をしましょう」なんて言わないよ??

上記の記事の該当メーカーの説明書には、よく見ると書いてあるそうなのですが、
わが家の給湯はダイキン製。

・・・う~ん。そんなこと書いてないみたいなんだけど。

ネットでダイキンのQ&Aを見ても、「お湯はりが途中で止まった」の問いに、
「お湯はり完了までに、お湯はりと停止を繰り返す」との答えで、

最初の水は捨てるべし!とは出てこない。

ダイキンのAIチャットで質問してみるも、日常のお手入れとしての配管洗浄のページは出てきても、
やっぱり、最初の水は捨てよ!とは出てこない・・・。

う~ん。
メーカーによるのかもしれないが、
あまり気持ちの良い話ではないような。

だから、わが家では、

「お湯はりをします。お風呂の栓はしましたか?」と聞かれるのを、

あえて無視して、数秒栓を抜いたままにし、

水が一時止まったところで、シャワーで洗い流す。

その後、栓をして、給湯。

・・・としています。


最初に一時止まって見えるのは、お湯がないから「故障かな?」と気づきやすいだけで、

きっとお湯が溜まるまでは、

お湯の中で、出たり止まったり繰り返しているものなんだろうなと思います。
分かりにくいから、気づかないだけで。


とはいえ、私と猫以外、男ばかりのわが家。辞めた【便利機能】は他にもあります。

既に張ってあるお湯を循環させて温めなおすという【追い炊き機能】。
これもなんだか、あんまり清潔じゃない感じがして、使わないことにしました。

・・・すると、パイプユ●ッシュしても、変なビロビロが出てこなくなった。
(・・・いったい、毎日何に浸かってるんだか分かりゃしない。)

それで考えると、お湯と水を混ぜるタイプだった以前のお風呂は、
便利が過ぎない分、良い点もあったのかもしれません。

熱すぎたり、冷たすぎたり、入れすぎたりはあっても、

パイプの中まで気にしなくて良かったので。


台所の換気扇も、単純な作りの方が掃除がしやすかったりして、
便利が故の構造の難しさに泣くときがある。

システムキッチンのレンジフィルター奥の、
絶対手が届かない配管ダクトの中身を想像すると、

きっと汚れてるんだろうけど、どうしようもない。

掃除のしようもなくて、途方に暮れるのです。


う~ん。便利になるほど、構造や仕組みは、複雑になる。

複雑になるほど、素人じゃ、手におえない部分がでてくる。

ちょっとしたジレンマかもしれません。
(洗濯槽のカビの心配か、いっそ、たらいで洗濯か、みたいに。
洗濯だけに、難しい選択です。)



「お湯はりをします。お風呂の栓はしましたか?」

そう、声掛けしてもらう過剰な親切を他所に、

今日も又、完全無視の自己流で風呂を入れる日々なのでありました。


何でも自動化すると、退化しちゃうような気もしたり。しなかったり。

自然素材の家のもくせい工舎・お風呂
(※わが家のお風呂ではなく、同年代くらいのものを参考に載せています。)

おやくにたつ

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


「大人になったら、人の役に立つ仕事がしたい」

そう聞くたびに、ひねくれものの私は考えてしまう。

では、逆の「人の役に立たない仕事」ってなんなのか、と。


PTAの出事で、あるお母さんが仕事で来れないと聞いて、

「あのひと、そんなたいした仕事しよるわけや、ないんやろ?」
そう発したひとがいました。

彼女は、当時小学校の主幹教諭で、【良い先生】で有名な人でした。
バリバリに活躍されて、今は立派な校長先生になっておられます。

忙しい最中、自分だってこうして来ているのに!そう腹が立ったのかもしれません。
PTAの出事なんてめんどくさいですから、逃げてずるい!そう言いたかったのかもしれません。

・・・しかし、なんだろうな、このやるせない感じ。モヤモヤくる感じ。

自分の仕事に誇りを持つことと、貴賤をつけることは違う。

誰かが自負する【たいした仕事】【立派な仕事】を支えるために、
誰かが言うところの、【たいしたことない仕事】をしている人がたくさんいる。

取りざたされることもない、スポットライトも当たらない場所で、
縁の下で支える、目立たない仕事をする人がいる。

言い方をかえれば、

あなたが【たいしたことない】という、雑用をせずにすんでいるのは、
そういう仕事をしてくれる他者がいるからだ。

それを後々、何度も思い返しては、
あぁそうか、自分はそれでモヤっときたのかと反芻して、飲み込むことがあります。

パッと、言い返すタイミングも、勇気もなかったんだから、自分だって同じ穴のムジナなんです。


【人生の目標】に向かって、日々努力して、誰もが認める【たいした仕事】に就く。社会で活躍する。

そういったものを理想として押し付けられて、息ができなくなる子が多いような気がします。

それは、子ども達だけでなく、言ってる側の大人をも、じわじわ蝕んでいく。

誰かの役に立たないと、生きている意味がない。

誰かに迷惑をかけるなら、生きている価値がない。

それは、自分に掛ける、子ども達に掛ける、呪いのようなもの。

どんなに【立派】な仕事で【活躍】していても、誰しも老いは避けられない。

耳は遠くなり、足腰は弱り、日常に支障をきたせば、
誰しも加齢とともに、障がいを持つ。

誰かに頼らざるを得なくなった時、言うのだろうか?自分に。

存在や生きていることに対して、「たいして役に立たんのに、居る意味、ある?」と。

分かりやすく【役に立つこと】でしか、自分の存在価値を見出せないと、
いつか自分の存在価値を疑うようになる。

生きている【意味】を、【価値】を、疑うようになる。

冗談じゃない!

そんな分かりやすい【意味】ばかりであってたまるか!

ましてや、他人に、他人様の目に、なぜ決められなければいけないのか。

その際たるものが、相模原市のやまゆり園で起きた事件だったと思うのです。


解剖学者の養老孟子先生が、著書やYouTubeなどで興味深いことを仰っています。

それは、子どもや、社会的弱者に関することでした。
詳しくは、
『猫も老人も、役立たずでけっこう』著:養老孟子 P.106~
YouTube
『【養老孟子】あなたたちが生まれてきた意味は●●しかないですよ。子どもが生まれるときのことを考えてみてください』などをご覧ください。


以下、ざっくり、私の理解の範囲です。

子どもというものは、【自然】そのもの。

山の木や、草と同じように、

人間が、考えて、作って、置いたものではない【自然】そのものなんだと。
私は子どもを産みましたが、例えこの先彼らが禿げても、髪の毛一本用意できない。
つまり、わが子であっても、私には【自然】そのものは作れないのです。

ところが、戦後、どんどんどんどん、都市化が進むにつれ、【人工】のものが増えていく。

【自然】と対極にある、意味で満たされた【人工】のものに囲まれていると、
本来【自然】な存在である人間に対しても、意味が必要になってくる。

例えば、川に、大きな石がある。

そのことに、何の意味もいらないのに、

職場のデスクに置いた途端、置く【意味】を必要とする。

そしてそういった、ああすればこうなるといった、【人間の意識】にまみれた世界は、

よく分からないもの、不確定なものを嫌い、避けようとする。

育てたところで、どうなるかわからない【自然】な存在、子ども。

それをリスクとしてしかとらえられないのは、【人工】の【意識】で考えているから。


自分の存在価値に自信を失って、生きていることを辞めるのは人間だけ。

それは、人間には知恵があるから?

そうなんでしょうか?

養老先生の話を聞くと、そもそも、人間だって元々【自然】そのもので、
不確定で、分からないこともあるのを、忘れているだけなのかもしれない。


ああすれば、こうなる。こうすれば、ああなる。

それがうまくいくうちは、良いんだろう。

でも、生きていれば、こんなはずじゃなかったと思うことも多々ある。

それは、まさしく、人間が、子どもも大人も含め、本来【自然なもの】ということではないでしょうか。


自分の人生ですら、上手くコントロールも取れず、
自分の人生ですら、【正解】が分からないのに、

誰かの人生を、ああすればこうなるなんて言えない。


自然を見ていると、分かりやすく【役に立つ】ばかりが、全てでないことがよく分かる。

一見、意味の分かりにくいことも、何かの大きなつながりの中で、
影響し合って、何らかの流れになる時がある。

人知れず【役に立つ】意味が、可能性が、内包されているのに、

勝手に貶めるのは、傲慢なのかもしれない。


だから、子ども達よ。怖がらないでほしい。

世の中には、【人の役に立つ】分かりやすい仕事と、そうでない仕事があるだけで、

それが影響し合って、支え合って、網目のように世の中を支えていることを知ってほしい。

中学で、職業一覧で表示される仕事なんか、ありとあらゆる仕事のうちの一部に過ぎない。

だから、その中から、さぁ選べと言われて、ピンと来なくても当たり前なんだということに。

例え、会社員になったとしても、世の中にはこんな仕事もあるのかというくらい、多岐にわたる。

どんな仕事についても、犯罪に加わらない限り、そこに何の貴賤も、差もないし、

まして、役に立つかどうかが、あなたの存在価値にはならないことを、

見極めて欲しいし、知っていてほしいと、思うのです。

人間を機械の部品に例える人もいるけれど、

うまくいえないけれど、目の役目の人、脳の役目の人、手の役目の人、足の役目の人がいるんだと思う。

脳だけでは何もできないように、
手だけでは何もできないように、

そして、そういった目に見えやすい働きだけでなく、

消化酵素や、神経伝達物質のように、
見えにくいけど、無いと困るもののように、

そういった、目立たない仕事をする人がいるんだと、

今は思っています。

だから、役に立つかどうかを含め、【分からない】ことを不安に思いすぎることは
辞めていいんだと思うし、そう信じています。

目立たなくても、大切なのです。

目立たなくても、大切

炎のある暮らし

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


・・・すごい雪でしたね。

雪景色1

昨日から、じゃんじゃん、じゃんじゃん降り積もり、
このブログを書いている間も、まだ降りやまぬ様子。
(まだまだ、明日、明後日くらいまで降るようですので、どうぞお気をつけてお過ごしください。)

これだけ降っているのに、律儀に遅れることなく投函されていた新聞に頭が下がる。

いったい、何時に届けてくれたんだろうかと思います。

燃えるごみをまとめて、踏み出した銀世界はキラキラ眩しくて、神々しい。

雪が止んだ朝の晴れ間に、東からお日様が昇ってくる様子は、

雪景色と日の出

なんだかとても、静かで、荘厳な、美しい景色でした。
(本人は感動しきりでしたが、真っ白な雪の、荘厳な光の道を、オバちゃんが、おっちらおっちら、生ごみを捨てに行く、の図。
・・・はたから見たら、あまり絵にならんかもです。)

雪景色2
枝に細かく雪がついて、キラキラして。まるでクリスマスツリーのようです。

雪景色3
絶妙なバランスで積もった、物干しの雪

雪景色4
こんな細い枝の、こんな小さな分かれ目にも、雪がちんまり積もっています。

雪景色6
残っていたマユミの赤い実が、雪に映えます。

雪景色7
庭に勝手に生えてきたニラの花のようなもの。ほったらかしにしていた花柄に、雪が積もっていました。

雪は大変だけど、こういった、たまにしか見れないキレイな風景は、
汚れちまった悲しみ(中原中也的な?)を、少しは整えてくれそうです。


雪国に比べ、平地で積もることは多くなくても、やっぱり冬はキンキンと寒い。

そして、今頃のような寒い時期に、神社などに行くと、境内に焚火があって、温まることができます。

神社の焚火

手をかざして温まってみると、その独特な温かさに驚きます。

日頃、火にあたる機会がなく、当たったとしても電気ストーブ。

じりじり、皮膚の表面だけ熱くなるようなそれと違って、

炎の温かさというものは、体の芯からヌクヌクとしてくるような不思議な温まり方。

そして、揺らぎ立つ、踊るような炎の動きを、
手をかざしながら見つめていると、何とも言えず落ち着く。

波の音や、木の木目。一定なようで、少しずつ違うものに人は癒されると言いますが、
炎の動きも然り。

同じようでいて、少し違う。

暖炉を模した電気ストーブなども売られていますが、
表面だけ、炎の動きを映していても、

やっぱりパターンがあるし、第一、温もり方が全く違う。

炎って、自然な癒しでもあるんだなぁと実感した次第です。


築ウン十年、山の中のもくせい工舎・永家邸には、薪ストーブがあります。

「見せて~」といえば、見せてもらえると思います。

あたりまえのように、炎が身近にある暮らしをしています。

OB様の中にも、薪ストーブを設置されている方が数軒いらっしゃいます。

もくせい工舎の家は、断熱性能がかなり高いので、逆に温まり過ぎないかと思ってしまいましたが

自然素材の家と薪ストーブ

暖房器具としての役目だけでなく、あの独特の体の芯から温まる感じや、

炎の揺らぐ、光の優しさ、多幸感みたいなものは、何とも言えない。

そしてまた、薪ストーブには、自然素材の家がよく似合う。


代表が、大工さんの手を借りずに、ほぼ一人で建てた土壁の家。

土壁の家

ここの2階にも、薪ストーブがあります。

土壁の家の薪ストーブ

つけていれば、下の階まで温かい。

土壁の家の断熱材は、もくせい工舎のお家と変わりませんから、
どんなものか一度見てみるのもありかもしれません。

体の芯から温かくて、シアワセな風景ですよ~。

自然素材の家で炎のある暮らし

出されれば出される

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


家を建てて、ほどなくして、

「家を建てる時、両家の親同士で揉めんかった?」と知人に訊かれ、

「・・・いや、どちらからも一文もだしてもらってないけ、揉めようがない。」と答えました。

そう、出してもらえば、出されることになるもの。

今回はちょっと渋いお話です。


家は高額なので、土地なり、何なりを援助してもらうことは少なくないでしょう。

特に親御さんが、団塊の世代以降の場合、その子どもは、兄弟も少ない場合が多い。

7人も8人も兄弟がいれば、とてもじゃないけれど、
1人2人なら・・・と「協力する」ことはありうることです。

しかも、高度経済成長の波に乗り、給料も右肩上がりだった団塊の世代。

かたや、そのジュニアは、
ともすれば就職氷河期真っただ中、思い通りの職にすらつけなかった人も多くない。

だからこそ、親心で「少しでも援助を」と思う親御さんも少なくないと思います。


お金だけ出して、口は一切出さない。

そんな理想的な親御さんがどれくらいいるかは分かりませんが、

おおむね、お金を出されれば、口も出されるもの。

出された方も、自分の財布からのお金でない以上、強く言えないことだってあると思います。


ましてや、考え方や趣味嗜好が似通っていれば、問題も少ないのですが、

親御さんと価値観が違う場合、強く言えない立場だと困ってしまう。

専門的知識があれば、異を唱えることはできても、

「こうなんやけ、こうしなさい」と言われて、モヤモヤ思っても、反論のしようがない。

これは、親対子だけでなく、プロ対お客でも言えることですが、

経験と知識が少なめで、言い返すだけの言葉を持っていないと、
モヤモヤを飲み込むことになる。

この飲み込んだモヤモヤは、何かあった時に、その後くすぶる火種となりかねない。

例え良かれと思っても、反論なき「説得」は、押さえつけただけ。

考えを聞き、気持ちを汲み取り、代替案を一緒に考えていくことが大事です。

そうしないと、表面上は「納得」しているように見えても、
心の底から腑に落ちたわけではない場合、怖いのです。


私は、団塊世代の親を持ち、就職氷河期の最初の世代です。

母は、仕事も家事もテキパキ。何でも卒なくこなします。

効率的で、無駄がない。

実家は、建売の一軒家ですが、ローンも完済しているので、
売り払ってマンション住まいも、悪くないよう。

「寝に帰るだけだった」家に、特段の愛着がないのです。

仕事に家事に育児にと、多忙を極めた母に感謝はしつつも、

考え方というか、【大事にしている核】が親子で違うのは仕方がない。

だから、家を建てるとなった時に、
どうしても、その【大事にしている核】を譲りたくなくて、

一切、結果的に「援助」も、「助言」も受けませんでした。

甘えつつ、筋を通せるほど器用じゃないからです。

器用でない人間が、【自由】を得ようとすれば、
それに伴うのは【責任】。

選んだからには、の【責任】です。

なんとかしていくしかありません。


で、「口は出されず」思い通りの家が建ったか?

残念ながら、思い通りにはなりませんでした。
思いに、理想に、見合うだけのものを手に入れる力、お金が、私にないからです。

自由設計とは、あくまで予算内での自由であって、

持ち合わせがなければ、選べる範囲も決まっていることを、
分かっていなかったと思います。
(同じ食べ放題でも、例えば、松竹梅の各コースで選べるものが違うような感じです。)


「あんな風な感じにしたい」「こんな風にできたら」
憧れはありましたが、
(現実は「そりゃ、出せるならしてやるよ?」なので。)

あとは、創意工夫で、近づけるしかありません。

ブロック塀に練り西洋モルタルを塗る
ブロック塀に、ネットで仕入れた練り西洋モルタルを塗る

ただ、削ぎ落して削ぎ落して、
最低限【譲れなかったもの】で、家を建てました。


「こんな塗装もしてないような木で建てたら、キズが入るのに!」と、
案の定、母には言われましたが、自力で建てたので、出される口も少なめ。

【援助】を受けて、【助言】ばかり聞いて、いったい誰の家なのか分からない家を建てなくて良かった。


誰かの価値観と違っても、自分が大事だと思うことを大切に、家を建てたかったのです。

例え、キズが入っても、木の心地よさが。

例え、有名メーカーでなくても、自然な素材の素朴な優しさが。

例え、誰に何と言われても
本物の木や、土の存在を感じて、暮らすことが、大事でした。

効率や、無駄がないこと。それは、とても大事だと思います。

でも、そればかりが大切なわけではない。

効率ばかりを追い求めては分からない、
人間の、アタマの計算だけでは分からない、

自然を含めた、この世界の成り立ちとか、つながりとか、

時間の熟成させるものとか、色々。

自然にはたくさん、不思議な叡智がちりばめられていて、

自然なものとかけ離れるほど、

その有難さを忘れてしまうような気がするからです。


援助を受けるか否かも、親子関係も、人それぞれではありますが、

どうか【大事にしている核心】だけは、明け渡さず、
家づくりを楽しんでもらいたいのです。

そして、最初から、【完璧、理想通り、パーフェクト!】でなくても、

ぼちぼち、今の時点で、できることから手を加えて、
家を育てていくというか、

熟成させていく【暮らし】を楽しむ。

それはそれで、なかなか良いのではないでしょうか。


OB様たちの庭が、それぞれの色に染まるように、

それぞれの創意工夫のDIYが、味わいになるように。


それはきっと、家への愛着になり、

【かけがえのなさ】になるんだと思います。

家は庭は、表現欲かも
完璧な理想通りの人間がいないように、縁を大事に、創意工夫して、近づけていく。
家なんてなんでもいいと思えない人というのは、自分の心地よい空間や、世界観を「自分なりにつくりたい」表現欲のようなものがあるんじゃないかと思います。

ウンは自称で。

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


不思議なもので、うまくいっている時に、うまくいっている【要因】のことを考える人はほとんどいない。

うまくいかなくなった時に、多くの人は【原因】を探す。

それは、健康な時には、さほど体のことは気にせず、

何か不調が生じた時に初めて、何が悪かったのかを探りたがるようなものかと思う。

私などは特に、健康で、調子が良い時は、
うまく回れていることに感謝の一つも感じることもなく、

それが自分の持って生まれた、当然のように思い過して、

いざどこか悪くなると、その「痛み」で頭がいっぱいになる。

そして、その痛みが引いてしまえば、

喉元を過ぎた熱さのように、痛みのない【通常】の有難さなんか忘れてしまう。

性懲りもないのです。


運ということに対しても、そうかもしれません。

順風満帆に行っている時より、
二進も三進もいかなくなった時の方が、自分の運というものに対して考えてしまいます。

なぜ、こうもうまく進まないのかと。

なぜ、こうも裏目裏目にでてしまうのかと。

そんな時、どうすれば現状打破できるのか、道が拓けるのか、
そればかりグルグル考えてしまう。

目に見えないドアを探し続けているような、
アップアップと溺れているような。

実は、ドアからじゃなくても出られたり、
半歩先は、浅瀬だったりするのかもしれないのに。


運と言うことに関しては、脳科学者の中野信子さんが対談しているショート動画で興味深いことをおっしゃっていました。

「自分は運が良い」と思っている人と、「自分は運が悪い」と思っている人のくじ運を実験してみたら、
どちらも何も変わらなかったとのこと。

ただ、同じ空の下にいても、その上の空の虹に気づく人と、気づかない人がいるのと、違いはそこではないかというような内容でした。

くじ運のそれと同じように、運はある意味平等にあるのに、
ツイてるな~、うれしいな~と感じる感度が違うということでしょうか。


裏目裏目にでるという時、どこか自分なりに「こう動けば、こうなるのではないか」という期待があるように思います。

それは、打算ともいえるでしょう。

特に、「こう動けば、こう思ってくれるんじゃないか」というような他人の気持ちに対しての打算は、
まぁ、見事にフラれることが多い。

つくづく、他人の気持ちなんて、期待通りにならないということです。

自分の気持ちさえコントロールが難しいのに、そりゃそうだよなって思います。


思い通りになんて行かない世の中で、

それでも、それを慰めるかのように、思いもよらぬことを与えられるというか、
見せられる(?)時がある。

たとえば、これです。

ハゼラン

・・・ちょっと分かりにくいですかね。茎が細くて、背景に馴染みすぎちゃってます。

ハゼラン

黄色の丸の中に、小さな花と、同じように小さな丸い玉が見えるでしょうか?

アングルを変えると分かりやすいのですが、

ハゼラン

・・・こんな感じ!まるで線香花火のようです。

こんなに華奢でかわいらしい花なのに、漢字で書くと【爆蘭】。
ハゼランと読みます。

名前の由来は、種がはじけて飛ぶ様子から。別名【三時草】。
3時のヒロインならぬ【三時の貴公子】とも言われています。

三時と付く通り、実はこの花、夏から秋の3時くらいにしか咲かないのです。

図書館の駐車場が満車だったので、近くの神社に停めて歩いていると、
たまたま見つけたのでした。

しかも、道の駅で見かけて、気になっていた植物。

呼ばれるように気が付いたというか、
よくぞたまたま、咲いている時間帯に通りかかったもんだとビックリしました。

駐車場が空いていたら、見れなかったんだし。

もう、うれしくて、うれしくて。

ちょっと落ち込んでいたのですが、すっかり元気になりました。

虹

雨が降らなきゃ、虹が見えないように

うまくいかない中で、何を見ようとしたかが大事なのかもしれない。

鬱々としてしまうときこそ、下を向かずに、自然なものに会いに行く。

寄せては返す、波の音や

木々をゆらす風の音や、鳥の声。

そういったものと自分も何も変わらないんだと実感を取り戻せば、

また少し元気になって、ままならない世を泳いでいけるのかな、と思います。

おとぎ話のような運の良し悪しはともかく、

そういったものに気づく、アンテナを張ってて損はない。

運が良いかなんて、自称で上等なんですよ、きっと。

自称ラッキーで

お布団から出られないという副作用

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


明けましておめでとうございます。

年が明ける度、代役で留守を預かる者として感じる、
「黒子ですみません」的、申し訳なさは否めませんが、

文章を書くこと以上に、良い家をつくることが、
永家夫妻の第一のことと、ご理解いただいて、
どうぞ、気長にお待ちいただけたらと思います。

黒子としても、それに適う様、精進してまいります。

本年も、もくせい工舎ともども、よろしくお願いいたします。


さて、今年一番は、冷えに関する話。

高知県の山のてっぺんに、早川ユミさんという布作家の方が住んでいらっしゃいます。

早川ユミさんの手から生まれる、味わい深い服や、
畑の仕事、日々の暮らし、考え方・・・。

こんな人になれたら、どんなにいいか!と思う、私にとって羨望のお方であります。

あいにく、お裁縫もからっきしで、根性もセンスもないので
「いいなぁ~」と言っては、何にもしない。

それを繰り返しているばかりの人間にすぎません。

洋服のつくり方も、「私でも、もしかしたらできるのでは?」と思わせてくれそうな、
有機的で、感覚的な作り方。

そして本の、洋服づくりのノウハウ以上に、魅力的なのが文章とユミさんの絵でして。

独特の温かみとリズムと、センスががあって、

おとぎ話をするような語り口でありながら、
生き物としての人間の本質も鋭くついているような、

不思議な魅力のある本をたくさん出しておられます。


その中に冷えに関する記述も多く、読んでいると、
(西洋医学的な根拠はともかく)なるほどなぁと思うこともあり、方法も簡単なので、実践してみたくなるのです。

試してみたのが、靴下の重ね履き。

ネットでも、冷え取り靴下がたくさん売られおり、簡単に手に入ります。

冷え取り靴下重ね履き
扱い方も原因かもしれないが、絹は、若干破れやすいような。

なんでも、購入したメーカーさんによると、
20枚重ねると、一番効果を感じやすいのだとか。

・・・・。

4枚でも、靴が入りにくくなって買いなおすことになった、甲高幅広ホビット足のワタシにはムリな話。

20枚とかはいたら、入る靴がありません。

諦めて、初年度は4枚で過ごしました。
(2年目の今季は、2枚。一枚で、肌側に絹・外側に綿の5本指カバーソックスを使用。)


そのメーカーさんの説明には、他にも冷え取りに関することが書いてあって、半身浴30分以上もその一つ。

・・・これも、そんなにのんびり浸かっていられません。

五十路を超えて、ようやく血圧が100を越してきた低血圧の私は、
冬になると、お湯に浸かったとたん、寝てしまうことが多い。

眠くなったな~とか思う前に、気が付いたら寝ているのです。

お湯に浸かって体が温まると、体温を平熱に戻そうとして血管が緩むらしく、

緩めば血圧は下がるので、結果、脳が酸欠気味になるのだとか。


そう、のんびり浸かっているからウトウト寝てしまったのではなく、
ほぼ気絶していたのでした。

ゆっくり半身浴なんかしている間に、気が付いたらリアルな極楽に行きかねない。

お風呂場から、三途の川に直行です。
(同年代の中山美穂さんのこともあったので、誰にでも起こりうることではあります。
念のため、防水タイマーを買って対策。)



半身浴が無理なら、代わりに湯たんぽでもよいとあったので、

気楽な湯たんぽに、早々に乗り換えました。


湯たんぽって、今、色々あるんですよね。

安価なプラスチック製から、充電式のものまで。

冷えとり・湯たんぽ

なかでも、早川ユミさんが陶器の湯たんぽの素晴らしさを語っていたので、
ぜひとも倣いたい。

新品を買うと、一万円近くしますが、運よくメ●カリで未使用品を1200円で手に入れました。

冷えとり・湯たんぽ
陶器製湯たんぽ。ずっしり重い。

栓も陶器でできていて、中に入る部分が水漏れしないようゴムになっているので、

あまり口のギリギリまで湯を入れると、変形しそうです。

かなり大きめなので、1Lちょっと入る感じ。

私が使い出してから、息子たち、そして猫さんズの分も用意するようになったので、
寝る前は、何回もお湯を沸かします。

陶器の湯たんぽは、遠赤外線効果があるらしく、
お湯の量が多めなのも手伝って、

朝になってもポッカポカ。

肝心の冷え対策としての効果ですが、

う~ん。正直、分からない。

しめつけない靴下を4枚履いていても、
湯たんぽでヌクヌク眠っていても、

相変わらず、指先は氷のようにつめたく、

しもやけで赤黒く変色し、腫れあがったままで、
物をつかむこともままなりません。

体に冷えは感じず、指先だけなので、
末端冷え性というものかもしれません。

自律神経や、低血圧、貧血も要因の一つのようなので、

冷え対策はしつつ、ストレスの発散や、
血の巡りにも気をつけねば、なかなか一部の対策だけでは改善されないのかもしれません。

湯たんぽ一つで劇的に改善!とはならなかったものの、

この、お湯を入れるタイプの湯たんぽの心地よさを知ると、
冬場は手放せなくなります。

ぐっすりよく眠れるし、

途中で起きても、戻った布団は体温以上の温かさ。

電源要らずの、コタツなみです。

欠点といえば、お湯の準備が面倒なことと、

朝、布団から出たくない気持ちが倍増することでしょうか。

ちなみに、Copilot(AI)に、【湯たんぽの医学的な効果】を質問してみたら、以下のように返ってきました。


湯たんぽの効果について医学的に説明すると、以下のような点が挙げられます:

血行促進: 湯たんぽを使うことで、体の表面温度が上がり、血管が拡張します。これにより血流が良くなり、筋肉の緊張が和らぎます。

リラックス効果: 熱を感じることで、体がリラックスし、ストレスホルモンの分泌が抑えられます。これにより、心身のリラックス効果が期待できます。

筋肉のリフレッシュ: 熱によって筋肉がほぐれ、痛みや疲れが軽減されます。特に筋肉の緊張や痛みがある場合に効果的です。

冷え症の緩和: 冷え性の人にとって、湯たんぽは体を温める効果があり、寒さによる不快感を和らげます。

これらの効果により、湯たんぽはリラックスや健康維持に役立つアイテムとして人気があります。ただし、過剰な使用や高温で使用すると火傷や皮膚のダメージを引き起こす可能性があるため、注意が必要です。

冷え性でお悩みの方も、そうでない方も、

お布団から益々出たくなくなりますが、

湯たんぽ、いかがでしょうか。おススメです。

湯たんぽ愛